クセになる大会


ハーフマラソンに首…ではなく脚を突っ込んでから6年目。フルマラソンだと走歴5年目に突入。
毎年出場するレースはほぼ毎年固定されつつあり、その中に走ったり走らなかったり、というレースが時々挟まってきます。

出場する以上は…と意気込むのも大切ですが、毎回毎回本気を出しては、相当な労力を要してしまいます。しかもそれは、大会に出場する前段階、つまり練習の段階からのことになってしまうので、かなり綿密な計画を立てて臨むことになります。

ご存じかも知れませんが僕は、石橋を叩いて叩いて叩きまくってから渡るタイプ。まあ、叩きすぎて怪我をしたこともたくさんありましたが…。
大会のたびに石橋を叩いているのも疲れるだけ。力を抜いて大会そのものを楽しむ、ということも時には必要だと僕は考えています。

年間のスケジュールを考えた時、春から初夏の積み上げ、盛夏から秋の本格シーズン、秋から初冬のクールダウン、真冬の試行錯誤と、4つに区切って大会を選別しているのですが、もしも他県で生活していたならば、このスケジュールもガラリと変わっていたことでしょう。もっとも今年は4月に職場の異動があり、秋以降の動向が全く不透明である(つまり、安易に大会のエントリーをすることができない)ため、いつもより少し早めにピークまで仕上げなければならないかな、とか考えたり…。初年度でペースを掴むってホント難しいんです、この業界(笑)。

本気を出す、いわゆる「勝負レース」と位置づける大会がある一方で、力を抜く、大会を楽しむ、つまり「ファンラン」という点でうってつけなのが、25日(日)に開催される「平川市たけのこマラソン」。毎年出場を楽しみにしている大会の一つです。実は今年が第22回なんだそうで!
コースの半分以上が上りか下りというこの大会、僕は「ドMとドSの集い」と勝手に銘打っています。

スタート直後から約7キロにわたって延々と続く上り基調、更には折り返した後の下りと、これだけでも十分過ぎるぐらいお腹いっぱいなのですが、その後も2度3度と繰り返される上り下りに、全身が悲鳴を上げるか脳がアホになるかというギリギリの状態まで追い込まれます。道中、声援を送る観客はほとんどおらず(畑仕事のついでに声援を送るお年寄りぐらいでしょうか)、鳥のさえずりと風の音が声援代わり。もう一つの励みは、コースの最高地点へ向かう間、そしてそこを折り返した後、たくさんの仲間とすれ違えること。

ヒーヒー言いながら走り終わった直後は本当に苦しくて、もうこんなコース二度と走るか!と思ってしまうのですが、なぜかまた走りたくなるという、ホントに不思議な大会です。しかし、今年こそ10キロにエントリーするつもりだったのに、間違えてハーフにエントリーしてしまったという…。

昨年はエントリーしたにも関わらず、熊本への支援活動が決まったため、出場することができませんでした。
よって、今年は2年ぶりの出場となります。この2年間で山の形状が変わるはずもなく、道が整備されたという噂も聞いていないので(橋が整備されたんでしたっけ?)、相変わらず泣かせる、いや笑わざるを得ないコースが待ち受けていることでしょう。それが楽しみでもあり、不安でもあり。

実は私、この大会の前後で、必ずと言っていいほど脚のどこかを故障します。2年前は、大会の前日アキレス腱に注射を打って走りました。しかし、それぐらいしてでも出たい、と思わせる何かがあります。ちっとも楽ではないけれど、あー、走るって何か面白いなあ、ということを実感できる大会…といえば大げさかも知れませんが、今年も「途中で歩くことなく最後まで完走する」ということを目標にしたいと思います。

どうやら天気もそれなりみたいですし、タイムは度外視、上り下りの練習の延長と捉えながら、慎重かつ大胆に楽しみます!


不安定の上の安定


このブログでは極力仕事の話はしない、と決めているのですが、ふと思ったことがあり、意を決しての投稿です。多分こういう投稿はもうしないと思います。とりわけ同業者の皆さまからは、異論反論色々あるかも知れませんが、それもすべて享受する覚悟です。(裏を返せば、こちらからは一切異論反論はしないという宣言です。)

ご存じの方も多いと思いますが、僕の職業は地方公務員。世間で言うところのいわゆる「役人の端くれ」をやっています。役所勤めも25年目に突入、早いものです。気がついたら「定年」まであと14年しかありません。いや、僕らの頃には「定年」の年齢も引き上げられ、馬車馬のように働いているのでしょうか。それでも恐らく「折り返し」は既に過ぎたはずなので、ぼちぼち「ゴールの先」を見据えていかないと、なんてことを思い始めているところです。

「お仕事は?」と聞かれ、「役所に勤めてます」というと、大概の人は「あー…。」と納得します。なぜ納得されるのかは、正直わかりません。個人的には「役所色」を出さない、いわゆる「公務員らしくない公務員」が理想型なのですが、一度染みついてしまった「色」って、なかなか消すのが難しいものです。それは、年を重ねれば重ねるほどに。

入庁したての頃、「役人って、いいよね。安定してるし。」と、僻みなのか妬みなのか嫌みなのかよくわからないことを周囲からは言われたものでした。
僕の知る限りにおいて、青森県内では「公務員、教員、銀行員」がいわゆる「安定している」仕事だと言われていたように思います。

…でも、「安定」って、何をもって「安定」と言うのでしょう。
勤務時間?給料?身分保障?景気や社会情勢に左右されないということ?

この仕事に就いてから僕は、常日頃から「こんな不安定な立場なのに、安定もクソもあるか!」と思っていましたし、今もその思いは心の中でずっと燻っています。そんな中、最近この記事を拝読して、やっぱり同じ事を考えておられる方っているんだな、と溜飲を下げると同時に、明日は我が身と身につまされるような気分にも苛まれました。
…ところでお前は、どうなんだ?と。

公務員になるというリスク

僕の周囲には、早いうちから公務員であることに見切りをつけた人が何人かいます。もちろん個人的に色んな事情や思いがあってのことですし、辞めたくないのに辞めた人もいるかも知れません。しかしその多くは、役所という組織やルール、しがらみから開放され、むしろ溌剌とした人生を歩んでいるようにも見受けられます。

ところで。
僕は自分のことを「本籍のないジョーカー」と言っています。

どういうことかというと、例えば国家公務員であれば、どこかの省庁に配属が決まると、ほぼ最後までその一つの省庁の中で異動するようです。
これが地方になるとそういうわけにもいかず、全く畑違いの部局に異動する、ということが当然の如くあります。
それもある程度まで年齢を重ねると、それなりに収束していく(所属の部局が固定されていく)ように見受けられるのですが、僕の場合は勤続25年目、46歳になった今でも、収まるどころか一向に落ち着く気配がありません。役所勤めのスタートとなった土木(県土整備)での勤続9年の後は、よくもまあこんなに転々とするものだ、というぐらい、あちこちの部局に異動しています。総務、商工労働、農林水産、危機管理…異動するたびに部局が変わるんですから。良い方向で捉えると百戦錬磨のマルチプレイヤー、悪い方向で捉えると、戻る場所を失ったババ抜きのジョーカー。

だからこそ自分のことを「本籍のないジョーカー」と言っているのです。もっとも最近は、「別名、閉店請負人」と自虐的に言っています。僅かこの3年間で立て続けに、グループや組織の縮小、閉鎖、解散に遭遇したからなのですが…。

異動のたびにそれまで見たことも聞いたこともないような、そんな業務を割り振られることは当たり前。今も日々是学習であり日々是勉強。未だにずっと1年生をやっているような気分。ただ、これは決して僕に限ったことではなく、多くの役人(特にスタッフ職)の現実なのではないかと思います。そういう意味でも、役所勤めにとって「安定」なんてあり得ない、などと考えてしまうわけです。

しかし、実はそんな中で唯一「安定」というか、一貫していることがあります。
それは、僕の仕事の内容が「相手あっての業務」だということ。

お前、何を言うか。相手があるのは当たり前だろう、と言われそうですが、いわゆる法律や数字といった「口言わぬもの」を相手にするのではなく、組合、商工団体、法人、企業、そして組織など、僕の対面には常に生身の人間がいました。ところが周囲には、この対人業務を不得手とする人がいたり、数の中には違う意味での「厄介な相手」がいるわけで、実はそれが意外と身近にいるケースが結構あります。これがまた、ホント面倒臭いんですが。

日々刻々と変わり続ける景気や社会情勢に左右されることなく、法律の下で業務をこなす以上、今から5年後10年後に自分の職場が消えた、ということを容易に想像することができない一方、この人口減少社会にあっては、都道府県の統合や道州制の導入など、予期せぬことが起こる可能性が全くゼロとは言い切れません。そういう意味では、確かに「身分」は安定しているのかも知れませんけれど、置かれた「立場」は不安定。そんな立場に不平不満を垂らすことなく、与えられた業務を「前例」に従って粛々とこなしていくのが、役人に与えられた究極の至上命題なのでしょうか。いや、それとも…。

以前、新制度の施行に伴うある業務に携わる機会があり、最長となる5年間にわたって従事、それなりの道筋を作ったことがありました。何せ「前例」がないので、非常にやりがいのある仕事でした。

その頃僕が作成した資料を、今でも説明会などで使っているようですし、更には他県でもそれを参考にして資料を作成したという話を聞きました。当時は、全国に先駆けて(前例ではなく)「先例」を作ったぜ!と鼻高々でしたが、その中で、当時の上司から言われた「前例は疑ってかかれ」という言葉を、今も自分なりの矜持としている一方で、そういう「見えない何か」を打破するって一筋縄ではいかないし、相当のエネルギーも使うわけです。

実際、グループの廃止が決まった5年目、最終年度の終盤は、「前例」がなかったために身を削るような思いでした。だって、組織の人が減っているのにいきなり仕事を増やされるのは、誰だって本意ではないでしょう。要するに役人も「仕事で楽をしたい」んですよ…イヤ失礼、「仕事を楽しみたい」んですよ。

昔、役所の中ではそれなりの立場だった人が、忖度する相手と立場を読み違えたのでしょうか、役所を離れた途端に木偶の坊みたいになってしまったケースを見たことがあります。OB面ぶら下げて役所の中で散々虚勢を張ったり大見得を切っても、誰も相手にしないワケです。こういう人間だけにはなりたくないし、晩節を汚してしまうような生き方ってホントにイヤだな、と思ったものです。役所で通用することが全て社会で通用するわけではないし、極論を言えば、役所の常識こそが社会の非常識だったりすることもあるわけで。

いやいやそれは違う、そんなことはない、と言われるかも知れませんが、「国の働き方改革」の方針に一番取り組むことができないのは、恐らく役所だと思いますよ。まあ、そもそも役所のための「働き方改革」ではないので、この予想自体は誤っているのかも知れません。ただ、大きな声では言えないけれど、ブラック企業ならぬブラック役所は潜在的に結構あるような気がするのです。

だから公務員や役所に「安定」を求めたら、とんでもないことになると思います。皆さんが思っている以上に役所の中は殺伐としているし、一寸先はホント闇だらけで何が起こるかわからない。一見安定しているようでも、不安定な社会情勢の中、役所だけが常に安定した状態でいられるわけがないのですから。例えるならば、バランスボールの上に立つ、こけしみたいなものでしょうか。(←意味不明)

さて、話がどんどんズレていった結果、いよいよ自分でも何を言いたいのかよくわからなくなってきました。その結論を見いだせぬまま、今日は矜持、忖度という言葉を使ってみたかっただけの大きな大きな独り言ということでお許し下さい。話の内容が安定せずにホント申し訳ない。
…お目汚し、大変失礼しました。


第5回弘前城リレーマラソンのこと #弘前城リレーマラソン #ランニング #リレーマラソン


前もこのブログで投稿したと思うのですが、僕は運動会が大嫌いでした。小学生の時、運動会の前日は「雨降れ~、雨降れ~」と念じながら床に就き、翌朝6時の運動会開催の花火(狼煙)でガッカリしながら目を覚ますという6年間を過ごしました。なんでそんなに運動会が嫌いだったかと言えば答えは簡単。

足が遅いから。

だって、ダントツのビリでゴールした僕の腕をおもむろに捕まえた父兄の手には、1位の旗。それを見た他の父兄(同級生の親御さん)に「その子違う!違うから!」と間髪入れずにダメ出しが入るという、いわばビリの常連だったわけですよ。そんな暗黒の時代から30年以上経った今も、運動会とかリレーとか、そういうのが苦手なんです、実は。

またしても前置きが長くなりました。
すっかり初夏の風物詩となりつつある「弘前城リレーマラソン」。この大会は弘前公園内の周回コース約2キロを21周するというフルマラソンサイズと、途中折り返して約1キロを21回往復するというハーフマラソンサイズの2つが用意されており、1チームの編成は5~21名。制限時間はフルが4時間30分以内、ハーフは2時間30分以内で、走る順番や1人何周するかは各チームの自由となっています。

僕が所属している弘前公園ランニングクラブはもちろん、仲間のランニングチームもたくさん出場しており、いわば年に一度のお祭りというか、ランニング仲間の「同窓会」みたいなもの。普段は一緒の大会に出て、バラバラに走っていくので、ランナーに声援を送る機会なんぞほとんどないのですが、この日は自分の出番が来るまで他のランナーに声援を送ることができます。
実際、次から次へとやってくる仲間のランナーに声援を送るのも、楽しいものです。

昨年に引き続き、今年も弘前公園RCのチームではなく、盲人ランナーであるAさんのチームからの出場。前回は60代後半のメンバーばかりが顔を揃えた(自称・風前の灯火)チームでしたが、今回は若い息吹が吹き込まれることとなり、小学5年生からもうすぐ古希という非常に幅広い世代に渡るチーム編成となりました。とはいえ寄る年波には勝てないようで、皆さんいろいろ故障が出始めているのも事実。僕に与えられた役割は、そこをどうフォローするか、ということだったようです。

今回は全部で11名のチーム編成ですので、単純計算すれば一人2度走ればいいところ、そういう諸々の事情もあり、伴走1回、単独走2回の、計3度走ることに。まあ、これはこれでやむを得ない。

ただ、いきなりスタートを走らされることになったのはちょっと予定外でした。そう、いわゆるスピード走を未だに不得手としているのに、なんで最初に走らせるかな…と、正直ちょっと憤慨していました。あとで聞いたら、僕は「このチームのエース」なんだそうで。まあ、平均年齢を下げているのは紛れもない事実ですけれど、申し訳ないんですが、それは人選を完全に誤りましたね…。

10時直前。スタートラインに顔をそろえた約200人の精鋭は、いずれもスピード狂の猛者ばかり。すっかりその中で萎縮してしまったワタクシ、スタート直前の生ファンファーレとカウントダウンで色んなものをチビリそうになりながら、号砲と同時に猪突猛進よろしく猛ダッシュのランナーに揉まれ、無理を承知で猛ダッシュした結果、1周たった2キロ(正確には2.2キロ)にもかかわらず、500m地点で既に息上がるという失態。完全にペース配分を間違えました。
1キロ手前の長い上り坂、そしてたすき受け渡しゾーン手前でそれぞれ小学生に追い抜かれ…。

走り終えた後に見てみると、正確に捉えているのかどうかはわかりませんが、約2.2kmを8分36秒で走っていた、という結果。最初の1キロを3分30秒ぐらいで走っていたようですが、その後ガクンと一気に4分8秒ぐらいまでペースが落ちていました(3分51秒/km)。

2周目(2.1km)は伴走。こちらは1キロ6分のペースで、途中幾度か転倒しそうになる危ういシーンもあったものの、何とかお役御免(6分02秒/km)。

3周目(2.1km)は再び単独走。かなり時間が空いたので疲れは残っていないはず、と思っていたのですが、実際走ってみるとかなりクタクタで、辛うじて1キロ4分を切るペースで走りきりました(3分59秒/km)。

いやぁ…正直もう少し行けると思ったのですが、この現実を突きつけられて意気消沈。ホントにスピードがないことを、改めて突き付けられた結果となりました。まあ、マラソンとこれとは別物だからさ、と文字通りの自慰。嗚呼、嗚呼…。
個人的にはこれ、スピード練習の一環と割り切って出場しているつもりだったのですが、まさかこの短い距離で大きなムラが出るとは思いもせず、結果としてはあまり良い練習にはなりませんでした。正直言ってこの距離は、どうやって走ればいいのかよくわからず、すっかり意気消沈…。

さて、今年の大会はこれで終わりのはずだったのですが、競技開始から間もなく4時間、多くのチームがゴールを迎え、撤収や帰宅の準備を開始する中、うちのチームもようやく最後の21周目がスタートしました。他の方の伴走で、最後の周回に臨むAさん。すると小学生姉妹が突然「私も一緒に走る!」と言い出し、目の前を通過したばかりの二人についていったのです。深い意味はないのでしょうけれど、その意気込みにちょっとした感銘を覚え、これは…と思い、4人の姿を追いかけることに。途中撮影を交えながら、結局もう一周を駆け抜け、全員でゴールを迎えました。

(坂を登る4人。3人がそれぞれAさんの力になっているのだから凄い。)

ちなみにこのチーム、一昨年は制限時間内に21周走りきることができず、途中リタイヤ。昨年は初めて僕が伴走で参加して4時間18分、今年はチームの層が厚くなったおかげもあって、4時間10分でした。昨年「4時間切りを!」とぶちまけた張本人としては、少し物足りない結果に。まあでも、いいんです。寄る年波に負けじと老体に鞭打って頑張っている皆さんに拍手です。

さて、今年は主会場となる弘前公園内の競技場の一部が、石垣修復工事の関係で資材置き場となっており、かなり窮屈感がありました。また、工事の影響でコースも一部で変更を余儀なくされ、競技場に入る直前の右・左・右と続くクランクみたいなコース取りは、走る側にしてみると結構大変でした。
時間の経過とともに、たすき受け渡しゾーンが狭くなるのは例年のこと。もう、こればかりは参加者の良心に頼るしかないのかな。
また、毎年必ず注意の対象となった土塁に登る子どもたち、本部席が土塁側に移動したことで、例年よりは少なかったようです。
一方、たすきを受け取った直後、トラックから園内へ出る通路を見誤る人が結構多かったのは気になったところ。(誘導がわかりづらかったのかな?)

もう一つ、「伴走」のゼッケンはちゃんとつけて走った方が良かったですね。それも前ではなく、背中に。実は私も「伴走」のゼッケンはつけていなかったんです。ところが、コースでかなり幅の狭い区間があり、二人並走すると追い越すのが難しいんです。そんな中、二人並んで走っていると、背後から走ってきた人からは、さてこの人たちは何で仲良く並走しているんだろうか、邪魔だなぁ、と思われたことでしょう。本当にすいませんでした。
この点については、実行委員会に対してしっかりとお伝えしておきたいと思います。

当初、雨だった天気予報はいい方に外れ、風が冷たく少し寒かったものの、雲の切れ間から時折日差しが差すという絶好のランニング日和。多少水たまりが残っていましたが、主催者側で砂を撒いたらしく、走る分にはほとんど影響がありませんでした。毎年、開催前から雨を危惧する大会だっただけに、天候に恵まれて本当に良かったと思います。おかげで結構日焼けしたようです。

県内外、特に秋田県からの参加者がかなり増えていたように見受けられました。これからも手作りっぽい、家族や仲間との絆、温もりなんていうものを感じられるような、ステキな大会に成長していったらいいな、と他人事ながら思った次第です。
関係者の皆さま、本当にお疲れさまでした。お世話になりました。

(帰り道、公園の堀端を散歩していた亀。)


弘前・白神アップルマラソンの参加申込が始まっています! #running #marathon #aomori


(第11回大会、人生初フルマラソンのゴールシーン。)

今年で15回目を迎える弘前・白神アップルマラソン(2017年10月1日(日)開催)の参加申込受付が先月末から始まりました。青森県内で開催される唯一のフルマラソン、そしてハーフマラソン、10km、5km、3kmと種目も多数であることから、ご家族皆さんで参加される方も多いようです。(ちなみにインターネットからの申込はRUNNETへの事前登録が必要。)

今年のゲストランナーは、吉田香織選手と打越忠夫コーチ。吉田選手と言えばもともと実業団選手だったのですが、現在は最強市民女子ランナーとの呼び声も高い選手で、僕自身、北海道やさいたま国際で実際にその走りを目の当たりにしております。(どうでもいいことですが秘かにファンです。笑)
ちなみに吉田選手はフルを、打越コーチは10kmを走る予定だとのこと。

アップルマラソンに関してはこれまで何度もこのブログで色々提言やら苦言を繰り返してきたので、今日はそういうのは一切なしです。

僕にとってはこの大会が今の「原点」であり、この大会があるからこそ今も走り続けている、といっても過言ではありません。走ること自体が大の苦手だったのに、走ることの楽しみを知ったのもこの大会だし、10kmからハーフマラソン、そしてフルマラソンへの挑戦も、いずれもこの大会がきっかけでした。

もっとも、父が生前、弘前市体協の評議員を務めており、その関係でこの大会のお手伝いをしていた、ということも、ずっと参加し続けている一つのきっかけであることは紛れもない事実。

こんな僕でも走れたんだから、みんなも走れるよ!と気軽に参加を呼び掛けたい、そんな大会です。
この大会に参加し続けたおかげで、弘前公園ランニングクラブに参加するご縁があったわけで、そこから県内外に同じ志を持つ仲間との繋がりがどんどん広がっていきました。

変な話ですが、今こうやってランニングにまつわるブログの記事を投稿できるようになったのも、この大会に参加していたからこそといっても過言じゃないんです。

ちなみに、初めてフルマラソンに挑戦したのが2013年、42歳の時。
その時の模様は、これがまた異常に長い記事を投稿しておりましで、お時間がある時、お暇な時にでもご覧頂ければと思います。毎度のことながらホント長くてすいません。

42歳の、初経験(第11回弘前・白神アップルマラソン)

今回が第15回ということは僕自身、アップルマラソンに関しては4度目のフルマラソン、ということに。(昨年はハーフマラソンで視覚障碍者の伴走だったため、フルは走っていないのです。)

(第14回、昨年度の伴走の模様)

僕にとってのアップルマラソンは、いわば「御恩返し」の場。自分が楽しませていただいていることへの感謝はもちろん、生前父がお世話になったことへの感謝、そして、初めてフルマラソンを完走させてもらったことへの感謝、それを伝える機会でもあります。
実は初フルの後、この大会ではペースランナーを2度務めております。初めてフルマラソンを走った翌年、フルマラソンの経験もまだ浅いのに、自身4度目のフルで(大会非公式の)4時間のペースランナー、そして更にその翌年は、大会公認で4時間30分のペースランナーを務めさせていただきました。

(第12回、4時間の非公式ペースランナーの時)

一時期に比べると、マラソンブームもだいぶ落ち着いたような感じもするところ(東京マラソンは別として)、フルマラソンに挑戦してみたい、気持ちよく走ってみたい、という皆さんにとっては、この大会は格好の場ではないかと勝手に思っています。(まあ、昨年は暑さとの戦いでしたけどね。)
どうせならガッツリ走ればいいじゃん、という周囲の声があるのも事実。でも、やっぱりこの大会に限ってわがままを許してもらえるならば、御恩返しの気持ちだけは忘れたくないのです。ですので機会があれば今回も、皆さん方の挑戦を応援したい、最後は背中を押してでも一緒にゴールして、気持ちよく走り切った後の感動を分かち合いたい、そして、そういう形で大会を盛り上げたい。微力ではありますが、少しでもお役に立てたら本望だな、と思っています。

弘前・白神アップルマラソンは日本陸連公認コースを抱える大会ではありませんが、僕だけではなくスポネット弘前や弘前公園ランニングクラブの面々など、大勢の皆さんが、必ずやこの大会を盛り上げるべく今年もきっと奔走するはずです。裏を返せば、公認じゃないからこそできる、我々なりのおもてなしがあるわけでして。

(第13回、4時間半の公式ペースランナーの時)

ちなみに同じ日には同じ東北、宮城県で「東北・みやぎ復興マラソン」や山形市で「山形まるごとマラソン」も開催されます。でも、エントリー料が格段に安価なのは、ちょっと魅力的だと思いませんか?(フルマラソンだけで見ると、宮城のそれが13,000円であるのに対し、アップルマラソンは4,500円!)

紅葉にはまだ早い季節ですが、徐々に色づき始める岩木山や、沿道でたわわに実り始めたりんごを眺めながら、津軽地方の秋を少しだけ楽しんでみませんか?

弘前市内外はもとより、県内外からのたくさんのご参加を、心よりお待ちしております。

(第13回、スタート前の集合写真。微力ではありますが、私たちも大会を盛り上げます!)


角松敏生ツアー 2017 青森公演 #角松敏生 #本田雅人


ひょっとしたら角松ファンから「そんなことあり得ない」というお怒りの声もあるかもしれませんが、ここはお叱り覚悟で私見を言わせていただきますと、角松敏生とPrinceって、どこか似ているような気がします。

ざっと思いついた共通点。
楽器を弾いて歌って、それでいて他人のプロデュースもして、しかも敢えて言うならば女性好き、その上、神経質というか職人気質、端的に言えば自分大好きなんだけれど中途半端には妥協しない、だからこそ己の道をとことん突き詰めた挙句にレーベルというかレコード会社と揉め、片や改名、片や休業。
ついでに言えばパステルカラーが似合う。
参考までに、Princeが1958年、角松が1960年生まれ、世代も近いという…。

そういえば僕自身、角松敏生とPrinceを聴き始めたのもほぼ同じころ、高校に入学した直後でした。…ということはそれから約30年、ずっと両者については聴き続けていたわけで。
考えてみると、これまで色んなアーティストのライブやコンサートを観てきましたが、恐らく回数で言えばベスト3に入るぐらいこの方のライブを観ていると思います。そんな彼、角松敏生の2017年のツアー青森公演、10年ぶりの青森公演に行って参りましたので、簡単にレポート。…というか簡単にレポートの前のイントロダクションが長過ぎました。相変わらず、どうもすいません。

2017年6月3日(土)、青森は6月とは思えぬほどの冷え込み。初夏というよりは初春を彷彿させるような冷たい雨が降る中、会場の青森市民ホールにはたくさんのお客さんが集まっていました。僕の席は前から6列目のかなり左寄りではありましたが、ツアーに帯同しているサックスプレイヤー、本田雅人がちょうど真ん前にいるという、僕個人としては願ったり叶ったりの位置でした。この日の会場、2階席は見えなかったけれど、1階席はほぼ満席。恐らく全体でも9割以上が埋まっていたのかな?
…開演時刻の17時30分から遅れること3分、17時33分にいよいよ開演。

ざっと見たところの客層は、40代後半から50代前半が圧倒的に多く、男女の比率では4:6、といった感じでした。
…まだツアー中なのでセットリストを含む多くのことをここで披露するのは控えたいと思いますが、今回のツアータイトル「SUMMER MEDICINE FOR YOU Vol.3~SEA IS A LADY~」が示す通り、5月に発売されたインストゥルメンタルアルバム「SEA IS A LADY 2017」をメインとした、(個人的には)これまでの彼のライブの中でも恐らく1,2位を争うぐらいの、非常に充実した素晴らしいライブでした。

10年経ってもなお飄々とした佇まいというか、間もなく57歳となる今もそのスタイルは全く変わっていないし、声量もそのまんま。ただ今回は、「ギタリスト角松敏生」の片鱗を申し分ないぐらい堪能することができたのは、なんだろう、これまで色んなライブを経験してきた中では、ちょっとまた違った印象を「強烈に」ぶつけられたな、そんな感じでした。

前述の最新アルバム「SEA IS A LADY 2017」に参加した5名のミュージシャンが、そのまんまツアーメンバーとして参加していました。
だから、アルバムからのナンバーをそのまま生で聴くことができる、というよりもむしろ、それ以上に深い音を楽しめるという感じ。とりわけこの日は、メンバーで最も若いドラマーの山本真央樹(24)が帯状疱疹を発症するというアクシデントの中で、この日会場に集まった人たちみんなに強烈な印象を与えるぐらいのドラムテクニックを遺憾なく発揮してくれました。

でも、何よりも感激したのは、本田雅人のサックス。
もうですね、彼のことを僕がああだこうだと言うのもおこがましいのですが、彼のテクニックは、ある意味この日と同じ代金(ちなみにこの日の前売りは8,500円)を払って観てもいいぐらい、素晴らしいものがありました。
もっとも、角松敏生のギタープレイをしっかりと目にするのは恐らく今回が初めてと記憶していましたが、お世辞抜きで、うまい。ホントうまい。前述のとおりインストゥルメンタルアルバムを引っ提げてのツアーですので、それ相応の思いを持ってツアーに臨んでいたはず、それにしても凄い。歌半分ギター半分といった構成、彼の唄声を楽しみにしている人にしてみれば物足りないのかも知れませんが、敢えて言います。

ギターが、唄います。
サックスも、唄います。
そして二人の手にしている楽器で、ハモります。

変な話、完全にツインボーカルですよ。

もう、この二人の掛け合いを堪能できただけでも大満足。もちろん他のメンバーも圧巻の演奏を繰り広げ、終演までの3時間があっという間でした。

この先ツアーは続くようですが、お近くにお住いの皆さんはぜひともこのライブを堪能していただきたいと思いますし、その前にこの「SEA IS A LADY 2017」というアルバムも是非購入いただきたいと思います。

そう、今から30年前、バブル景気に日本が沸き始めていたころですよ。そんな中にあって、今改めて再録されたこのアルバムを聴くと、妥協を決して許さない今の音楽に対する姿勢を、垣間見ることができます。
…もっとも、ライブはそんな堅苦しさは全くないんですけどね。
終わってみると正味3時間、諸般の事情で、既にライブを行った他の地域のライブと若干(?)セットリストも違っていたようですが、個人的には大・大・大満足の内容でした。

個人的には、パステル系のステージ衣装の中でも、履いていた靴(シューズ)を見ながらMCを聴いて、妙に納得してしまったのでした。

とにかく、このライブは是非お勧めです。お近くでライブがあるようでしたら、ぜひ足を運んでいただいたうえで、一足早い夏の雰囲気を堪能ください。そしてその前に、直近のアルバムで修業を積んでおきましょう。

(敬称略)