ケガのお話 #ランニング


いい加減そろそろ他にネタはないんですか?と言われそうですが、今日も長々と続くランニングのお話にお付き合いください。(字数は原稿用紙約8枚強。)

いよいよ青森県内も初雪を観測し、外を走るのが厳しくなる季節がやってきました。
既に今月から「冬眠モード」への移行を開始しているため、今月は半月を過ぎてもまだ累計100キロちょっとしか走っていません。いや、むしろこれでいいんだと思います。

走りたいときに走る。走りたくないときは休む。走りたくても、雪が降っていたら休む。
基本的なこの姿勢は、変えないようにしたいと思います。

走らなければならないというストレスを抱えて走ることは、心身にとって良いことではないと思うのです。そのストレスは、大会に出場するときの緊張感に変えたいと思います。

人間、頑張らなければならない時に頑張らないと綻びが出るように、頑張らなくても良いときに頑張り過ぎても綻びが出るようです。

…あの人は今日、何キロ走ったので、自分も何キロ以上走らなければならない。あの人があそこでスピード練習をしたようなので、今日は自分もスピードを上げて走らないと。

これって、自分が「走る」ことの目的、本質を見失っているんじゃないかと思うのです。
ところで、皆さんは何のために走っているのでしょう。

…えっ?他人に勝負を挑み続けるため?
ごめんなさい、今日はそういう話をしたくないので、大変恐縮ですがここでお引き取りください。

ランニングに取り組む目的って、人それぞれだと思います。
健康増進のため、減量のため、体力維持のため、という人もいれば、何時間切りを目指すため、何とかの大会で優勝するため、何とかの大会の出場資格を得るため、という人もいると思います。

その目的を達成するためには、確かにある程度無理をすることも必要かも知れません。
しかし、無理をしなくても良いときに無理をすると、先ほど申し上げた綻び、つまりケガに見舞われる、ということがあります。

以前は僕も「ケガの小売店」を標榜していました。前にもこのブログで紹介していますが、マラソンに取り組んでからこれまで僕が経験したケガ、負傷をざっと挙げてみると…

ふくらはぎ肉離れ(軽度、ハーフを目指し始めた頃)、ランナー膝(腸脛靭帯炎、ハーフを走り始めた頃)、シンスプリント(スピード練習を取り入れた頃)、ハムストリングス痛(いつだか忘れた)、足底筋膜炎(フルの練習を始めた頃)、種子骨炎(2014年7月)、アキレス腱周囲炎(2015年6月)、股関節痛(秋、疲労が溜まった頃)、腰痛(冬)、等々。更にこの他に五十肩(2015年~2016年)なんていうのもありました。


(種子骨炎の診断を受けた時。骨の一つが割れているように見えます)

このうち、アキレス腱周囲炎と種子骨炎は、ランナー仲間でもある整形外科の先生の診察を受け、投薬や注射などを処方していただきましたが、しばらく引きずることとなりました。多分根本的な治療をしない限りは、完全に治癒しないのかな、と思っています。


(足がむくんで腫れています)

はい!今日のポイントはここです。

「完全に治癒」

当然僕も素人ですので、ケガをした際にどこでどうなったら治癒したか、というのはお医者さんの判断が必要となってきます。軽微な症状であれば、2~3日も休めば何とかなるだろう、と思うのですが、ランニングにまつわるケガって、実は結構長引くものが多いと思いませんか。

ところが、自分の判断で大丈夫だろう、と思い込んで練習を再開すると、「ケガの玉突き」が起こる可能性もあります。ケガをしているところをかばった結果、他の部位を痛めるという「現象」。

ケガをしたときに、「今日も他の人はあんなに走っているのに、自分だけ休むわけにはいかない」と焦り、「まずは軽めに」なんて練習を再開して、「お、何だか調子がいいな。」と勘違い、強度を上げるうちに今度は他のところを痛めてしまった、なんて経験ありませんか。

ええと…僕はあります。特に、フルマラソンに向けて本格的に取り組み始めた頃は。
しかも一度ではなく、何度もこれを経験しました。そして、「玉突き」が起こることで、自分にとって理想のフォームが何なのかがサッパリわからなくなり、結果、ずーっとタイムが伸びないという事態に陥りました。


(フルマラソンの10キロ手前から足裏に違和感。ゴールしてみたら大きな血腫が…。)

当たり前のことですが、痛いのをなくするための最初の治療は「走ることを休むこと」です。そして、軽度の場合でも痛みや腫れが完全に引くまでは走ることを我慢すること。症状が酷いときは、ちゃんとお医者さんに診てもらうこと。要するに、「完全に治癒」するまでは走らない。これに限ります。


(アルミホイル巻。何となく効いた気にはなりますが、医学的根拠はありません。あるんだったらお医者さん、患部にアルミを巻くと思います。マネしないように。)

いや、僕も皆さんもそんなことはわかっているんですよ。頭ではわかっているんですけど、走っちゃうんですよね。
これって多分、ランナーの性。もう、ケガや痛みとうまく付き合いながら走るしかないのか?嗚呼。

僕のラン仲間は、疲労骨折から回復するまで約1年を要したそうです。でも、その経験があってから彼は、半端なく強くなりました。忸怩たる思いで我慢を強いられた悔しさをバネにした一つの例なのだろうと思っています。

ちなみに、先ほど挙げたものの中で一番「辛い」と感じたのが、五十肩でした。
いや、僕はまだ40代なので四十肩?まあ、どっちでもいいんです。というか、そもそもこの五十肩ってケガや負傷なんかじゃなくて、立派な病気、関節炎なんですよね。

気がついたら左の肩が徐々に上がらなくなり、服を着るのも、寝返りを打つのも辛いぐらいの痛みがずーっと続きました(風呂に入る時に衣服を着脱するのが一番辛かった)。
五十肩ではないと思っていたので、病院には行かずに様子を見ていたのです。いや、これだって初期の段階で通院していれば事情は変わっていたのかも知れません。でも、最初はただの肩凝りだと思っていたので…。

結局病院に罹るタイミングを掴み損ね、自然治癒に委ねることに。この間、消炎剤はもとより、漢方を試してみたり、鎮痛剤を飲んでみたり。それでも結局丸1年、痛みとお付き合いすることとなりました。今となっては痛みはないのですが、多少違和感が残っています。これが、医師の診察をしっかり受けなかったことの弊害。左肩にはゴリゴリが少し残っていて、完治したというよりは、実は障害が残ってしまったのかも知れません。

それでも、不幸中の幸いといいましょうか、走っている時には肩の痛みはあまり気にならず、むしろ意識して腕振りに取り組んだ結果、肩の可動域を拡げるという効果はあったらしく、実はこの頃から腕振りが変わりました。

都合良く捉えれば、肩を張って走るフォームが五十肩を引き起こすきっかけとなった可能性もあるので、これはこれで良かったのかも知れません。いわゆる怪我の功名ってヤツです。

ただ、五十肩になった時は結果オーライで、実際うまいこと上半身のフォームを変えることができましたが、他の部位、特に足回りは本当に要注意ですね。違和感を覚えたら、無理なポイント練習はやらないこと。そして、痛みを感じたら、走るのをやめること。これに尽きると思います。

普段走り慣れている時に走るのを休むって、辛いですよね。でも、これも一つのメンタルトレーニングなんだと割り切りましょう。我慢も必要ってことです。

特にこれから寒い季節。ストレッチや準備運動をするのも面倒くさくなりそうな時期ですが、これを怠らず、しっかりケアをしたうえで、本格的なシーズンを乗り切ってください。

ちなみに僕、脊柱の1本が変形しています。小学3年の時に高さ約3mから落下し、脊柱を圧迫骨折した際(あとちょっとのところで下半身不随になっていたらしい…)に、ちゃんと安静にしていなかったことのツケです。なので、冬場に腰痛を発症するのは、これが要因。それでも、冬場も時々ランニングに取り組むことで、かなり腰痛は緩和されているので、走ること自体がリハビリになるケースもあるんだよ、ということはお伝えしたいと思います。

それでは、今年はそろそろ穴蔵に収まり冬眠したいと思います。皆さん、来春になったらお目にかかりましょう。

よいお年を。

 

 

…ウソです。


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2017年、雪が降る前の振り返り #マラソン


2017年に出場を予定していたマラソンの大会もひととおり終わり、ほぼ休足に近い状況となってきました。

この時期は、来年に向けた作戦の練り直しと、これから大会に出場する予定の仲間や走力の向上を図りたいという仲間のサポートに回りたいところ。

青森県内は間もなく平地も雪に見舞われるため、僅かな時間しか残されていませんが、こんな私でよろしければ、時間と都合が合えばいつでも練習にお付き合いするつもりですので、必要あればお声掛けくださいませ。…もっとも、3時間を切るようなペースで走る方の練習にはお付き合いできないと思いますが。すいません。

さて、2017年の走りっぷりをざっと見てみると、46歳の誕生日に大会出場となった初の勝田全国マラソンに始まり、フルマラソンが計4本、ハーフマラソンが計4本、10キロが計3本という数のエントリーでした。

10キロについては、2つの大会で40分切りを密かに目論んでいましたが、いずれもあと数秒のところで切ることができず、更には自己ベストも更新ならず。40分切りの目標は、来年以降に持ち越しとなりました。残念。

ハーフマラソンに関しては、高低差約400mの「たけのこマラソン」は別として、他の3つの大会はいずれも90分切りを達成、ほぼ想定した通りの結果となりました。4月の花巻で自己ベストにあと4秒と迫る結果を出し、直後の5月、初めて出場した仙台国際ハーフで1時間28分02秒と自己ベストを叩き出しました。まあ、たけのこマラソンも何だかんだ言いながら1時間33分で種目別5位入賞を果たすというおまけ付き。しかし、今年の目標に据えていた98分切りの目標は達成ならず。むむむ…。

それでも、フルマラソンについては1月の勝田全国マラソンで3時間13分台を叩き出し、自己ベストを4分更新するとともに、2017年の目標とした3時間15分の壁をいきなり突破。

こうなると次の目標は必然的に3時間10分切りへ。ということで、「相性がいい」と考えていた9月の田沢湖マラソンに照準を見据えて練習。春からそれなりのボリュームの練習(月間走行距離で200キロ前後)に取り組み、大した怪我もなく、順調にトレーニングを重ねた結果、8月に行われた北海道マラソンでまさかの、いや、狙い通りの自己ベスト更新。

1月の勝田から5分半縮める3時間7分58秒を叩き出し、今年2度目の自己ベスト更新と、遂に3時間10分切りを達成。

これは2週後に行われる9月の田沢湖も期待できる!と臨みましたが、どうやら北海道でのドタバタで精根尽きていたらしく、最初から超高速ペースで挑むもあえなく撃沈(タイムは3時間25分台)。心身ともに疲労をしっかり抜ききることの重要性を噛み締めました。

そして最後は地元開催の弘前・白神アップルマラソンで、感謝の念を込めた4時間のペースランナーを務め(3時間59分59秒でゴール)、今シーズン終了となりました。

その後、岩木スカイラインを登る10キロのチャレンジヒルクライムランもありましたが、僕の中ではレースというよりレクリエーションに近い位置となっているので、タイムは度外視です。

総じて見るとそんなに極端なムラがあるわけでもなく、フルマラソンに関しては弘前・白神アップルマラソンを除くと3時間30分は当たり前となり、3時間20分切りも普通に達成できるレベルまで上がってきたのかな?と思っています。もっとも、田沢湖マラソンでは中間地点通過が1時間30分という超高速ペースで臨んだ結果、30キロ地点で自爆してしまいましたが…。

それでも、毎回その時の走力を見極めた目標や課題を立ててレースに臨んでいたので、多少のばらつきはあったものの、今年は大体納得のレース展開となった大会が多かった気がします。しかしその一方で、仙台国際ハーフのように、もう少し頑張れば何とかなったのに!という大会があったのも事実。もっとも、これがあるからまた、次の大会を目指そうと考えるんですけどね。

そういう意味では、今年はガッカリな結果に終わったという大会が一つもなかったのが、一番の収穫でした。むしろ、結果はともあれ次に繋げよう、とポジティヴ思考になったのが良かったのかも。

何よりも大事なのは、怪我することなくシーズンを乗り切ること。目標達成のためにはある程度の無理や努力も必要だし、その内容によっては高いリスクを負う可能性だって当然あります。
しかし、ここ最近あまり怪我をしなくなったのは、自分の実力をそれなりに理解したうえで練習の負荷を調整できているからじゃないかな、と思い始めています。以前のような無茶をしなくなった、これに尽きるでしょうか。
そして、怪我をしないためには準備運動や事後のストレッチ等がとても大事になってくるわけですが、何となくこれを疎かにしている自分がいたわけで、ケアの重要性をもっと深く理解しなければならないな、と思っているところです。

ところで。

よく考えてみると、泣いたり笑ったり感情をむき出しにするのは、マラソン大会が主となりました。

普段はあまり感情を出さないようにポーカーフェイスを気取っていますが、マラソンとなると話は別。
自分事他人事問わず、嬉しいときや感動したときは人目も憚らず感涙に噎び、悔しいときは憤りながら涙を流し、楽しいときは大いに笑う。何かスイッチが切り替わるのでしょうか、理由はよくわかりませんが、少なくとも僕自身、マラソン大会に出場したときはかなり感情が豊かとなり、そして、結果がどうあれ帰路に就くときは、何とも言えぬ幸せな気分を味わいます。

4月から配属が変わり、仕事の内容も大きく変わりました。「不測の事態」に遭遇する機会も多く、たまたま県外遠征していた時、「不測の事態」に遭遇したこともありました。それでもDNSとなることなく、さらにDNFとなることもなく全てのレースで完走したことは、皆さんのおかげで走らせてもらえることへの感謝以外の何物でもなく、今年ほどこれを痛感したこともなかったかも知れません。
職場の皆さん、家族、そしてラン仲間。みんなに感謝しなければなりません。

今年に関しては、職場の同僚に迷惑を掛けるのも何だか嫌だし、仕事で色々神経をすり減らすこととなりそうだったので、11月以降の大会は一切入れないことにしました。
それが、今年色々とご迷惑をお掛けした皆さんに対しての、せめてもの贖罪です。(来年はわかりませんが。)

以前お話ししたとおり今は、「50歳までにサブ3」という大きな目標を掲げています。しかしそこに到達するまでに紆余曲折が予想されるのは、火を見るよりも明らか。あと3年ちょっとの間で何とかこの目標に到達すべく、まずは目先のプランと目標を立てて行こうと思います。

2018年の最大の目標、それは大会の見極めと、何をすべきかの見極めをしっかり行うこと。
特に今年は8月から10月に大会が集中したことで、疲労がしっかり抜けきっていない中での大会出場となったケースもありました。中2週、中3週でフルマラソン出場は、さすがにちょっとキツかったかも知れません。

そういうこともあり、2018年はこれまでの出場にとらわれることなく、出場する大会を熟慮したうえでエントリーしようと思います。ひょっとしたら、今まで出場したことのない大会に出場、なんてこともあるのかも知れませんね…。あ、それってもしかして東京マラソン?…いや、それはない。絶対ない。

というわけで、2018年は将来のサブ3に向けた土台作り、足固めにもしっかり取り組まないと。
そして、2018年は10キロで40分(あと4秒!)、ハーフマラソンで88分(あと3秒!)、そしてフルマラソンで3時間5分(あと3分!)を切る。まずはこれを目標に据えて頑張りたいと思います。

マラソンはこれからが本格的なシーズン。
大会に出場される皆さんの快走を、ひっそりと願っております。…いや、ホントは自分も大会出たいんだけどな!!


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読破苦な独白。今日は毒吐く。


久し振りの内心吐露。今日の毒素感想文は、原稿用紙約6枚。国語の先生にポメラニアン、いや誉められますように。

清々しい気持ちで週明けを迎えるはずだったのに、月曜日は何だか気が重かった。いや、重いのは気だけではなく、足取りも頭もだった。

これまでも勉強会に参加した後は、大体こんな気分、心境に苛まれる。勉強会だけじゃなく、仕事ならぬ私事で参加したフォーラムやワークショップのあとも同じ。でも、何でこんな感じになるのか、何となく理由はわかっている、つもり。

11月4日に開催された北秋田市での東北OM勉強会、個人的に印象的な場面が一つあった。
トークセッションの後の質疑応答、大学1年だという男子学生がマイクを握った。大学1年生でありながらこういう場に足を運ぶという意欲に驚きつつ、彼の質問に耳を傾けた。

自ら行動を起こすべくFacebookやLINEなど、ネットで色々繋がりを持とうと周囲を誘っても、周囲の反応が鈍く、何とかしたいと思うがどうにもならず、もがいている。もっと周囲を動かすためにどうすればいいかアドバイスを欲しい、といった趣旨。(リアルな関係構築すら希薄になっているというのに、ネットの関係構築でもこのようでは、ホントこの先どうなるのだろう、とオッサンは少し心配になった。)

この質問に対する回答。
周囲の全員を一人で動かすなんて考えないで仲間を見つけろ。人間の総量(エネルギー)は人生皆平等だと思っている。最大限発揮するのは、20代かも知れないし30代かも知れないし、もっと後かも知れないし。だから今、焦る必要は全くない。

その回答を聞き、そうそう、わかるわかる、と頷きつつ、さて自分はどうだろう?と考える。
実のところ、あれやこれやと一人で悶々と考えても、それを行動に移す勇気がない。

なぜなら、未だに失敗が怖いから。

失敗を考えている時点で、自分なりの結論、着地点はある程度出来上がっているということだろうか。
否、46歳にもなってそもそも自分の思考を次の形にすることができていない、つまり次の形に繋げるような思考回路ができあがっていないだけの話。

奔走する父の背中を見ながら、漠然とまちづくりへの興味を持ち始めた20代。

自分に何ができるのか悶々としたまま、追いかける背中そのものを失った30代。

外との繋がりに救いを求めながら、他人の思考、発想に乗っかり続けている40代。

何をすべきか、具体的な構図を描いてすぐ行動に繋げる人たちへの羨望。

そういう人たちにお目にかかれるだけで、自分の満足感が得られている。

凄いなあ、凄いなあ。口を突いて出てくる言葉はこればかり。

そんな凄い人たちに、単に会いたいだけなのかも知れない。それだけで I Can Get Satisfaction なのですよ。
一体、自分は何をしたいのだろう。この先、何を望んでいるのだろう。何かいいアイディアは生まれないかなと、今日も同じところでスキップしながらずっと円を描いている。

とはいえ絵に描いた餅は所詮食べられないし、味もわからない。
もっとも、僕の考えていることの本質なんて、もの凄く薄っぺらくて、誰もが考えそうな当たり障りのないこと。あの業界のたちが切りまくる空手形みたいなものか。

待てよ、そもそも湯水の如くアイディアが生まれてくるような頭脳は持ち合わせていなかった!

結果ありきで落としどころを最初から探るのは、いかにも打算的な、萎縮した行政の常套手段なのかな。

結果ではなく、取りあえず、何となくやったという過程に対する満足感。

行政主導の事業なんて3年も続けば終わる。仮にそれがいい事業でも、行政から民間へノウハウが受け継がれないまま、幕を下ろす。そうならないようにするためには、どうしたらいいだろう?

…いや待てよ、そもそも他のことには口を挟めない。これは縦割り行政の弊害か。いや違うか。
漠然と思い描くビジョン。実は自分が一番打算的になっていないか。

興味のあることや、好きなことをやっていく延長で地域が盛り上がれば、それはそれで最高じゃない。

ということは、一番手っ取り早いのは、自分の興味を少し拡げてみればいいってことなのかな。

大風呂敷を広げたような話だけれど、地域に潤いを還流したい。どうせなら、みんなが笑顔になるような、そんな仕掛け。下世話な言い方をするならば、外貨、すなわち県外客の財布の紐を少しでも緩め、地元にお金を落としてもらえる仕掛けを考えればいいだけなのだろうか。お金だけじゃ得られないものもあるはずだよな。
水面に投じた石は良かれ悪かれ波紋を拡げる。どうせなら一石五鳥ぐらいになればいいのに。問題は、その石をどこで調達するか。コンビニでは売っていない。

しかしそれは本当にやってみて楽しいこと?周囲に伝播する?やってよかったと感じる?
石はどう転がるかわからない。先の見えない動き。だから面白いし、楽しい。でも、面白くなかったら、楽しくなかったらどうしよう。

待てよ。結局僕は石を転がしたいのか、投じたいのか。再び逡巡と躊躇の堂々巡りが始まる。

水やりを間違えなければ、数年前に撒いた種でも、枯れることなく着実に芽を出す。すぐ結果を求めるのはナンセンス。
更に追肥をしてそれを育み、小さな花が咲いたら、最高。
そうだ、いきなり大きな花束を作ろうなんてことを考えるからダメなんだよ。花束になる花を一つ一つ育ててこそ、やりがいってものなんじゃないか。

綺麗で大きな花束も、まずは小さな種から…。

おっと、僕が手にしていたのは石じゃなくて、種だったのか。
どうせ最初から誰も期待していないし、何の信望もないんだから、開き直ればいいのだ。

他人事を自分事に。

まずは原点に立ち返り、自分の周りのことからもう一度考えてみようかな。

結局は、やってみなければわからないってことか。

何事も、No Attack, No Chanceだな。一歩踏み出す重要性、大事ですよ。

ところで、賛同する仲間はいるか?同じ方向にベクトルは向いているか?一番の肝は、ここに集約されるんだろうね 。

そういう意味で例えるならばオラは、黒ビールみたいなマイノリティ。

そのこころは。

主役は張らなくとも、脇役、引き立て役にはとことん徹しますよ。


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「東北まちづくりOM第29回勉強会 in 北秋田」参加メモ


今日の投稿、原稿用紙で約12枚半です。長くてホントすいません。

久しぶりに東北まちづくりオフサイトミーティング(東北OM)の勉強会に参加してきました。
僕にとって東北OMは同じ公務員仲間との繋がりの場であり、自己研鑽の場であり、そして自分の志を高める場。

…とはいえ、東北各地で既に29回も開催されているのに、実は勉強会に参加したのは今回が3度目。にもかかわらず、久しぶりにお会いした皆さん、本当に優しいのですよ。今回は何だかその優しさに触れたくて、勉強会に参加したのかな。
お会いするのが2度目という方もいましたが、まるで旧知の友と再会したような、そんな感覚でした。離れていてもそれぞれがFacebookなどを通じた発信を見聞きしているからなのでしょうね、きっと。
さて、今回の勉強会は秋田県北秋田市での開催。このブログでも何度か紹介している通り、北秋田市は僕の母の生まれ故郷(母は旧合川町の生まれ)で、現在も親戚が生活しているということで、第2~3の故郷と思っています。なんで「第2~3」なのかというと、僕が生まれ、現在も居住しているのは青森県弘前市なのですが、父の生まれ故郷が青森県中津軽郡西目屋村で、こちらも第2~3の故郷という位置づけ。その辺が自分の中でちょっと曖昧になっておりまして。

…あ、そうだ。

北秋田市も西目屋村も、僕にとっての「準ふるさと」ということにしましょう。

ところで、皆さんに質問です。
北秋田市と聞いて何を思い浮かべますか。

はい、多分何も浮かんでこないという人の方が多いのではないでしょうか。
もともと4つの町(鷹巣、森吉、阿仁、合川)が合併して市制施行されたのが2005年のこと。秋田県全体の10%以上を占める面積を保有していますが、その大半は、山。市の中心部(鷹巣)は北部に位置しており、そこから市を縦断する形で「秋田内陸線」という第三セクターの鉄道が走っています。ただし、鷹巣と森吉と合川の中間みたいな場所に大館能代空港があり、羽田からは1時間10分、空港から鷹巣まではわずか10分で辿り着けます。つまり、ざっくり計算すると羽田から1時間30分もあれば北秋田市に来ることができる、ということに。交通の利便性がいいのか悪いのか、よくわかりませんが…。

僕はどちらかといえば北秋田市に対してはネガティヴなイメージしか持っていなくて、かつてそれぞれの町にあった公立高校が統合されたことで、合川や森吉には若者の影が見えなくなったり、少子化の流れから小学校もどんどん統廃合されたり、(これはどこも同じだけれど)高齢化が物凄いスピードで進んでいたり、人口流出に歯止めがかからなかったり、町の中にあった大きな病院が、車がなければ行けないようなとんでもない場所に移転したり、僕が小さかった頃は賑やかだったJR鷹ノ巣駅前も、今はすっかり閑散としていたり…。

大変申し訳ないけれど、「北秋田市はこの先に何の光明を見出せるのか」と思っていたのですが、これは「第2~3の故郷」を語る部外者がとやかく言う話じゃないですね。本当にすいません。

さて、北秋田市で勉強会が開催されるのは今回が2度目。前回は何かの事情で足を運ぶことができませんでした。再び勉強会が北秋田市で開催されることを知り、これは何とか都合をつけて足を運ばなければならない、と。まさに「万障繰り合わせて」参加する、といった感じ。

こういう勉強会に参加するに当たっては、そのテーマや講演内容が自分の興味のあるものか、というところも大事なのかとは思うのですが、多分、気乗りしていない時に参加しても得られるものは少ないだろうし、もしかしたら参加したことを後悔してしまう、そんなことだってあり得るわけです。何よりも一番は「タイミング」なのだろうな、と。うまく言えませんが、自分の興味や気持ちのベクトルがそちらの方に向きかけているときに開催される勉強会。それに参加するということがまさに「タイミング」なのでしょう。だから今回は、行けると決まった時からかなりテンションが上がっていました。

前置きが長くなりましたが、今回の内容はこんな感じ。

・オープニングトーク「なぜ、ネットワークが必要か」後藤好邦さん
・特別公演「”新米”男子の新たな挑戦!」武田昌大さん
・基調講演「地方の夜明け~樋渡社中みちのく北秋田編~」樋渡啓祐さん
・フロア参加型スペシャルトークセッション
樋渡啓祐さん×武田昌大さん×後藤好邦さん(コーディネーター 松田淳子さん)

この日は弘前市役所のエリちゃんと平川市役所のノゾムさんが同乗し、僕の車で鷹巣へ。大館鷹巣道路が開通したことで、北秋田は本当に近くなりました。
11時30分前、受付開始の30分も前に会場の「北秋田市民ふれあいプラザ コムコム」に到着、多目的ホールで会場の設営をしていた(仮)チーム秋田の皆さんへの御挨拶もそこそこに、設営のお手伝いを開始。程なく今日のオープニングトークを務める後藤さんや今回が「初めまして」となる山形県のお二方も現れたので、会場の設営を秋田の皆さんにお任せして、近くの中華料理屋さんにて6人で昼食。

昼食を終えて会場に戻ると、既に数十名の方が集まっていました。頂いたチラシを見ながら、これはきっと緊張を和ませるためのネタだな、と確信。誤りじゃないですよね、絶対。

この日、松田さんから会場の撮影をお願いされていたので、いったいいつの時代のカメラよ、という例の低スペック一眼レフを持参し、会場内をパシャパシャと。最前列に陣取っていたのに、おもむろに立ち上がってはうろうろと徘徊しているようにも見えたんじゃないでしょうか。目障りになってしまったのではないかと。本当にすいませんでした。

まとめるのがあまり得意ではないので、皆さんのお話を聞きながら走り書きのように書き取ったメモを参考に、内容の振り返りと感想を少々。画像は撮影者の特権です。

後藤さん(山形市企画調整課交通企画係長)
・北秋田での開催は2回目。
・東北OMは、敷居は低く、志は高く。
・当初は3人で何かしたいね、とスタート。(後藤さんは東北OMの代表ではなく、発起人。)
・3人が28人、それが850人に増えた。(今はもっといるはず。)
・期日を決めて動くことが重要。
・TTP(徹底的にパクる)が大事
・ネットワーク成功の秘訣は色々あるが、要職に就く50代の先輩方が活動をサポートしてくれていることに気付いた。
・大事なことは、ネットで繋がることじゃなく、Face To Face。


(どうしても揃い踏みで撮影したかった1枚。
左から私、後藤さん、松田さん、ノゾムさん)

武田さん(32歳。地元を思う熱量がハンパない)
・鷹巣生まれ鷹巣育ち。18歳の時に地元を離れる。
・鷹巣は遊ぶところがなかった。
・憧れの都会生活。歌舞伎町で若者が秋田に関するイベントを行っていたことに感銘。
・転機は8年前。シャッター街となった地元に愕然。
・何とかしたい。でも秋田のこと、地元のこと何も知らなかった。
・秋田の価値、いいものいっぱいある。
・まちを読み解くキーワードは3KM2(平方キロメートル)。
・この数字は、半径1キロの円で囲まれたエリアの面積。
・それは、概ね10分で歩ける範囲。この範囲でまちづくり。
・3KM2→3Kは「価値」「課題」「解決」。M2は「Member(仲間)」「Money(お金)」
・知ってもらう、来てもらう、住んでもらう。
・ときめく仕組み。価値を見つける→イケてる化。地域にデザインを。

樋渡さん(最初はステージ上で、のちに降壇して参加者と同じ位置で)
・北秋田、いいところ。空港から近い。羽田から1時間10分。移住のメッカになり得る。
・官民手を組んだ地方創生モデルを。
・北秋田市内に事務所を立ち上げたい。
・大人の自虐は子供に伝播する。(「何もない。」とかネガティヴなことをいうの、控えましょう。)
・大切なこと3つ。組む、スピード、コンパクト。
・旬の人と組むこと。
・考える前に動く。ただし準備を徹底する。相手のことも徹底的に調べる。
・人生の大勝負は名刺を渡す前の5秒。
・万人受けの必要なし。ニッチをリッチにする(誰もやらないことをやる)。
・パクチーに目を付けたのが5年前。今、パクチーブーム。
・武雄市の図書館が成功したのは、1人1人にストーリーがあったから。
・ストーリーが重なってストーリーズ、それがヒストリーになる。
・無風が一番辛い。逆風の時は少し向きを変える。
・失敗は、体幹を強くする。

トークセッション(観客と同じ目線で話すのがとてもよかった)
・行政の発信力は侮れない。
・官か民かではなく、「人」。人の集まりが「公」。官民関係ない。
・主体的に動くこと。ギブ&ギブ。
・ロジカルではなく、フィジカル。
・人がやらないことをやる。それをトップがやると、皆ついてくる。
・人間は総量が一緒だと思う。
・繋がりが拡がれば可能性が広がる。
・自分にないものを補うのは、仲間。
・次回の勉強会には、熱量を感じる人をもう一人連れてきて。
・北秋田はいいところ。これからますます盛り上がる。

ここに記した内容はほんの一端で、実際にどういった取り組みをされたのか(あるいは今もされているのか)という紹介があったり、「ここだけの話」としてあるキーワードが飛び出して会場の皆さんが何やら騒然となったりで、正直、北秋田でこんなに熱を帯びたお話を聞くことになるとは思ってもいませんでした。
武田さんのお話を聞いて、秋田県も北秋田市もまだまだ捨てたもんじゃないんだな、こんな凄い活動をしている人がいるんだな、ということに驚きましたし、武田さんの思いに共感する方が増えるとか、そこから色々派生していくと、これまた面白いことになっていくんだろうな、と思いました。

樋渡さん。マスメディアなどでお名前やお姿を何度も拝見する中で、強面でおっかなくて面倒くさそうなオッサン、という印象を抱いていましたが、イメージが180度変わりました。
お話が本当に面白くて、あっという間に引き込まれました。もっとお話し聞きたかったなあ、と思うぐらい。(本音を言えば、もう少し最近のお話をもっと聞きたかったです。)
そして、オッサンなんて失礼なことを言いましたが、実はほぼ同年代なんですよね(樋渡さんが学年一つ上)。

一つの気づきは、パワーポイントなどを使ったスライドって、伝えたい要点だけを書きだせばいいんですよね。行政のそれって、何でも詰め込み過ぎで、スクリーンに映し出しても何が何だかわからない、といったケースがあると思いませんか。結局紙で同じ資料を用意したりして。

それにしても久しぶりの勉強会、ホント参加してよかったです。自分が今すぐ何か行動を起こすというわけではありませんが、凝り固まっていた頭の中をリフレッシュする、いい機会を頂きました。帰りの車中での「振り返り」も盛り上がりました。タイミングって本当に大事です。

これ、個人的にふと感じたこと。
青森県、津軽地方に限ったことではないけれど最近「移住」に力を入れていて、受け入れるに当たって用意すべきは単なる「住むところ」なのかそれともちゃんと「住めるところ」なのか。(この違い、わかりますかね?)
もう一つは、武田さんの「いいもの」のお話を聞きながら、最近「津軽塗」を使う人が減ってきているのかなあ、ということを思い出しました。青森市や弘前市にあった工芸屋さんが相次いで閉店の途を辿り、果たしてこれから「津軽塗」はどうなっていくんだろうか、ということぼんやりと考えた次第です。(まあ、僕が考えるまでもないことでしょうけどね。)

最後に、今回の勉強会の開催に尽力された松田さんをはじめ秋田県の皆さま、本当にお世話になりました。熱気に満ちた雰囲気で、帰路に就いてからもテンション上がりっぱなしでした。最後の仕掛け、涙こらえるの必死でしたが、周囲で皆さんが感涙の涙を流しているのを見て、一緒に泣けば良かったと今更ながら後悔しています(笑)。ありがとうございました!


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ステップアップLOVE / DAOKO ×岡村靖幸


10月18日に発売されて以降、恐らくこれほどリピートしても聴き飽きないシングルCDに出会ったのは久しぶりかも、いや、初めてかも知れません。DAOKO×岡村靖幸による「ステップアップLOVE」。DAOKOのメジャー4作目として発表されたシングルで、テレビアニメ『血界戦線 & BEYOND』のエンディングテーマだそうですが、すいません、アニメに関しては全く疎いので、ここでの紹介はありません。

ちなみにこの作品、「期間限定盤」「通常盤A」「通常盤B」の3種類が用意されており、期間限定盤にはDVDが同梱、こちらには「血界戦線 SPECIAL EDITION MUSIC VIDEO」が収録されているそうです。

3種類の作品のカップリング曲がすべて異なっており、期間限定盤が「TOKYO-KICK-ASS」(DAOKO)、通常盤Aが「カルアミルク」(DAOKOによる岡村靖幸のカバー)、通常盤Bが「忘らんないよ」(岡村靖幸の新曲)となっています。

ちなみに私、通常盤二種類を購入しました。今思えばデジタル音源を購入するという手法もあったのですが、CDというモノ、形としてのプロダクツを手にしたかったのです。だってほら、アルバムはstill matterなのですよ。(検索→「プリンス」「アルバムは大事」)
タイトルナンバーがダブっているとはいえ全く後悔はしておらず、それぞれを楽しんでおります。

ちなみに通常盤AのジャケットはDAOKO、Bは岡村靖幸が登場しています(期間限定盤には血界戦線のキャラクター)。そして、A,Bそれぞれの裏には何かを形どった片手が写っており、2枚を繋ぎ合わせるとハートが完成するという仕掛けがされています。

さて、まずは通常盤A,Bそれぞれのカップリング曲から紹介。
Aに収録された「カルアミルク」は前述のとおり岡村靖幸の名曲をDAOKOがカバーしたもの。ただし岡村靖幸本人はこの曲には一切参加しておらず、ORESAMAというユニットの小島英也が編曲を担当しています。原曲の良さをそのまま踏襲しつつ、DAOKOのふんわりとしたボーカルが重なったナンバー。
例えとして適切かどうかはわかりませんが、25年以上も前にブームとなった「渋谷系」を彷彿させる感じ、といったところでしょうか。
ただし、以前からラッパーとしてのDAOKOを知るファンの方は、今回の楽曲には少々違和感を覚えているらしく…。とはいえ僕みたいに今回初めてDAOKOのことを知ることとなった人も恐らくたくさんいるわけで、そういう意味では、このことがDAOKOのファン層を少し広めた、興味を持ついいきっかけになった、という見方もできるんじゃないかなあ、と思うのですがどうでしょうか。(それは、岡村靖幸を初めて知ったDAOKOファン然り、です。)

もうひとつ、こちらは岡村靖幸の書下ろしの新曲「忘らんないよ」。
最初アコースティックギターの弾き語りみたいな雰囲気で始まったので、お、これはこの調子で終わるのかな?と思ったら、いい意味で期待を裏切られました。会心の名曲なんじゃないか、と思うぐらい琴線に触れたような感じ。

何が驚いたってこの曲のMV。
「We Love Television?」という萩本欽一が出演したドキュメンタリー映画の主題歌なのだそうですが、この映画の監督も務めたテレビプロデューサーの土屋敏男(電波少年のTプロデューサーとして有名な人)がMVの初監督を務めたほか、萩本欽一と岡村靖幸が共演しています。
むかし、萩本欽一とコンビを組んでいた坂上二郎が、ユニコーンと手を組んで(アーティスト名は「坂上二郎とユニコーン)、「デーゲーム」という曲を発表してヒットを飛ばしたのですが、なんかこの曲はその坂上二郎に対するアンサーソングみたいな感じ。この曲の歌詞がまた、なんか切なくていいんですよ…。しみじみするような、そんな曲です。それでは、MVをどうぞご覧ください。

さて、タイトルナンバーの「ステップアップLOVE」、こちらは岡村ワールド全開といえばいいのでしょうか。作詞はDAOKOと岡村靖幸。恐らく主にラップをDAOKOが、韻を踏んだ独特な歌詞を岡村靖幸が担当したのではないかと勝手に推測。ダンサブルでキャッチーなサウンド(あ、表現が古いですか?)に絡みつくような歌詞、いいです。この曲はこの二人だからこそ成立する楽曲です…と断言します。

そして、こちらのMVも素敵です。
舞台がバスケットコートというのがいかにも岡村靖幸らしく、ここでDAOKOと岡村靖幸によるダンスバトルが始まります。おお…岡村ちゃん踊ってるよ!みたいな。振付を担当したのは、Perfumeや星野源の「恋」でいわゆる”恋ダンス”の振り付けを担当したMIKIKO。よく見ると「あ、Perfume…」と思うようなシーンがありますので、目を凝らして観てください。

ということで楽曲もMVも素晴らしい仕上がり。岡村靖幸はアルバム「幸福」の発売以来しばらく音沙汰がなかったので、個人的には「快作」に出会ったような気分です。


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