明日から熊本に行ってきます。


明日から1週間、熊本に行ってきます。熊本地震で甚大な被害を受けた益城町で、青森県を代表して支援活動を行ってきます。
青森県を代表して、とは何とも大それたことを言ってしまいましたが、実は全国知事会から各都道府県に対して要請があり、6月初旬から既に先発隊が益城町内の小学校を拠点として支援活動を行っています。小学校の体育館は応急の避難所になっており、現在も居宅での生活が困難となった180名程度の方々が避難されているそうです。

体育館のステージに置かれた支援物資の管理や昼晩の配食の準備、更にはトイレ清掃など作業は多岐に渡るようですが、どんな作業があるのかは、実際のところ行ってみないとわかりません。
もっとも、地震だけではなく昨今の大雨の影響による地盤の緩みや仮設堤防の一部損壊などのほか、頻度は減ったとはいうものの余震も続いており、全く予断を許さない、そんな状況にあるようです。

そもそもなぜ僕が行くことになったかといいますと、端的に言うと現在の職場に派遣の要請があったからです。しかし僕の職場には臨時職員を除く正職員が5名しかいません。大体こういうのは若い順番で、という決して良いとは思えない慣習があるのですが、僕は何の迷いもなく手を挙げました。
その理由は、僕が今できることをしたいと思った、単にそれだけの話です。僕より若い職員も「いや、私が行きます。」と手を挙げたのですが、彼は7月早々に大きな仕事を抱えていることから、最終的には上司の判断で僕が行くことになりました。

東日本大震災の時は僅か4日間だけではありましたが、宮古市新里地区で支援活動を行いました。この時も、何の迷い、躊躇もなく被災地で作業することを自ら希望しました。今、自分にできることをしたい、この時も本能的にそう思っただけです。
あの時の経験が今回役に立つかどうかは全くわかりませんが、そういう経験・活動をちょっとでもしているというアドバンテージは、多少なりともあるのではないかと勝手に思っています。
多分、たくさんの方が避難している中では、避難者の中にリーダーとなる人がいるか、支援する側の中にちゃんと仕切る人がいるか、これに尽きるんじゃないかと思います。今回はあくまで支援活動ですから、出しゃばることなくコマに徹するべきなのだろうと考えています。こういう時の知ったかぶりや無駄な知識のひけらかしほど支援の邪魔になるものはないですからね。

宮古市に支援に入った時と今回とで大きく異なるのが、今回は寝袋を持参することなくホテルに宿泊すること。
え?避難者と寝食ともにするんじゃないの?と思う方もいるかも知れません。テント持って行けよ!と怒る方もいるかも知れません。が、そこはちょっと事情が違うようです。
行くからにはもちろん支援活動に専念しなければならないという思いを強く持っていますし、実際、作業の時間は朝7時30分から夜8時頃までと、長時間に及ぶようです。しかしその一方で、熊本の地域経済の活性化にも多少は貢献しなければならないのではないか、とも考えています。ホテルに宿泊するのもその一環と考えれば、まあ、これもアリなのではないでしょうか。個人的にもそれ相応に熊本県へお金を落としてくるつもりです。

そして今回の派遣が決まった後、なぜか皆さんから聞かれるのが「走る道具は持ったか?」ということ。
確かに作業用のシャツはほぼ全てランニング用のTシャツですし(小さく折りたためるほか、速乾性に優れているから)、持参する内履きもランシューズです。
でも…ちょっと普段の出張とは勝手や事情が違うと思うんですね。前述のとおり朝から晩まで支援活動を続ける中で、ジョギングなんぞすることを考える余裕があるかといえば、さて…。もっとも、その前に雨が降り続いている状況下で、走るなんて気にもならないことでしょう。

そういうわけで、青森県を代表して…というにはあまりにも烏滸がましいのですが、明日から1週間、45歳のオッサンを筆頭に3名の班編成で行ってきます。いろいろしばらく疎遠にはなりますが、避難されている方や既に作業に入られているスタッフの皆さんに最大の敬意を表しつつ、与えられた役割をしっかり果たすことで、熊本県の皆さんに「青森県の人に来てもらってよかった」と思えるよう、ひとまず今やれることを精一杯やって来ようと思います。

7月1日に帰青予定。無事に帰ってきたらまた改めて復命・報告しますんで。
へばな。

dl_kuma05
(くまモンに青森りんごを渡しに行く、というワケではないです。)

…んで、熊本までの往復の航空券も全部派遣依頼課で手配してくれたんだけど、打ち合わせを終えて職場に戻って気がついた。
明朝の青森から羽田までの座席が、まだ指定されていないんだけど…。
3名分、慌てて押さえましたよ。ちょっと焦った…。って、班長の仕事ってまさかこんなのばかりじゃないよね(苦笑)。


7月10日は、投票に(も)行きましょう。


参議院選挙が公示され、選挙戦が始まりました。18歳への投票年齢の引き下げや、10増10減に伴う複数県に跨がった「合区」の導入など、それなりに話題には事欠かないはずなのですが、今回も各党が掲げる争点が微妙にずれていて、7月10日の投票日においてどのような形でそれが現れるのか、気になるところ。とりわけ、投票年齢引き下げに伴う若年層の投票行動(投票率)がどうなるのか、個人的には注視しています(…が、多分想定以上に投票率は低いのではないかと予想)。

世代別で見ると、世代が高くなるほど投票率が上向きになっているそうです。投票率が高いということは、それだけ選挙(政治)に関心があるということなのでしょうから、当然各党が掲げる政策・公約も、そういった投票率の高い世代に向けられたものになっているようです。事実、社会保障制度のことがかなり取り沙汰されていますが(というかこれは今に始まったことではない)、若年層に対して力強くアピールする公約を見つけることができませんでした。
いや…実際のところ高年齢者はいわゆる「安定票」であって、浮動票のようにあっちこっちと動くこともそんなにないのでは?と思うのですが。

今回、選挙年齢を引き下げてまで若年層を選挙行動に取り込んだのは、なぜでしょう。投票人口が減ってきているから?若年層にも政治に関心を持って欲しい、参加して欲しいから?
…それとも、選挙は結果が全て、という大義名分の下、若年層もろとも心中するつもりだから?

今は色んな情報発信源があって、真贋はともかく色んな情報が簡単に手に入るような時代です。このことは、国民一人ひとりのニーズや思考が多種多様化していることにも繋がっていると思います。ただ、その一人ひとりのニーズや思想の全ての受け皿を政治だけで担うことは、絶対に不可能だと僕は思います。つまり、全てを政治(そして言いにくいですが役所)任せにするな、ということです。

さて、今回は6年前の参議院選挙の改選となりますが、当時の選挙公約って、覚えていますか。内容については、敢えてここで触れません。しかし、何せ情報が簡単に手に入る時代ですから、是非皆さんもご覧になってみた方が良いと思います。6年前の選挙公約は、最初からやるつもりもない、単なる見せかけだけだったのか、やろうと思って頑張ったけれどできなかったのか、やればできるのにやらなかったのか…。

まあ、この6年間で、やれ党の分裂だ統合だと離党だ何だと選挙構図も政治構造もすっかり変わってしまっていますので、単純比較することはできないのでしょうけれど、せめて6年前の公約内容が何だったのか、それに対する達成度はどうだったのかという自己分析や自己反省はしていただきたいものですね。いわゆる政治のPDSAサイクル化ですよ。当時の選挙公約がミステイク、ミスリードによるものだったとしても、それをうやむやにしたまま何事もなかったかのように美辞麗句を並べるのが一番よろしくないと僕は思っています。そしてこれは、4年で改選となる他の選挙も同様です。

選挙年齢が引き下げられたにもかかわらず、未だにインターネット投票が普及していない(実現していない)のも不思議でならないのですが、考えてみると票の売買等(全く投票する気のない人が、自分の持ち票を転売するとか)や本人の意志とはかけ離れた組織票にも繋がりかねないということを考えると、まあ当然なのかも知れませんね…。それとも、今後は選挙にもマイナンバー制度を活用ですかね?あ!これを選挙公約にしている党は…ないか。(笑)

公約を見ていると何となく、国民が「政治離れ」しているのではなく、政治が「国民離れ」していると思うのは、僕だけでしょうか。何か理想郷を求めるあまり、ボタンの掛け違いに気づかぬまま、別次元での話をしているみたい。そしてそれが、国民との感覚のズレ、のようにも思えるのです。

…あ、何だか今日は政治に対して批判めいたネガティヴなことばかり書いてしまった気がしないわけでもありませんが、私はちゃんと投票に行こうと思っています。ただ、単なる思いつきや「〇〇さんに頼まれたから」という他力作用による投票も絶対にしないつもりです。例えそれが、自分の親戚であってもです。

青森県は、投票率が全国最下位という不名誉な記録を更新し続けています。僕は別に選挙管理委員会の回し者でも何でもありませんが、一人でも多く投票所に足を運び、投票することが、これからの青森県や日本の将来を左右することに繋がっていくはずです。何もしないで不平不満ばかり並べるぐらいなら、その不平不満を投票という形で意思表示しましょうよ。
とにもかくにも投票日の7月10日まではまだたっぷり時間がありますし、近いうちに選挙公報も毎戸配布されることでしょう。これから日本が進むべき方向をじっくり吟味して、投票行動に繋げましょうね。

2016senkyo(↑青森県選管の特設サイトにリンクしています。)


Nike+からGarmin Connectへの連携について #nikeplus #garminconnect


僕のランニング仲間は、圧倒的にGarminの時計を利用している人が多く、僕みたいにNike+ GPS Watchを利用している人はほんの一握り。水に弱い、結露しやすい、断線しやすいと、良いところが一つも出てこないNike+ GPS Watch。それでもここまで3代に渡って頼り続けてきたのは、他の高機能な時計を使いこなす自信がないことと、結局最初に手にしてしまったこの機種にすっかり使い慣れしてしまったから、といえばいいのでしょうか。

一方、色んなソフトウェアやアプリケーションのほか、ツールやガジェットが多数氾濫する中で、できる限り一つのソフトウェアで管理できるのが望ましく、かつ、自分を鼓舞するため、そして仲間と競争するため、ランニング情報を共有したい、と思っている人も少なくないようです。

実は僕がNike+ GPS Watchを手放さない最たる理由が、2007年からこれまで同期し続けているNike+のランニングデータを易々と手放したくない、というものでした。
最初の頃は当然のことながらそれぞれのデータの同期なんぞできるはずもなく、そのガジェット専用のソフトウェアのみの対応だったのが、やがて提供する企業側に心境の変化が生じたのか、それぞれのランニングデータを相互にやり取りすることができる、という時代がやって来ました。

そういうこともあり、僕の周囲にはNike+をランニングデータ管理用のポータルサイトとして利用している人がかなりいます。というのも、Nike+とGarmin Connectが自動シンク(同期)されるようになったことを機に、GarminユーザーがこぞってNike+を利用するようになったからです。素晴らしい。
これで月間の走行距離を競い合ったり、タイムを競い合うということが始まっているのですが、他人と比べる、そして他人から比べられるのがあまり得意ではない僕は、あくまでマイペースで今もNike+を活用しています。他人は他人、自分は自分、ぐらいの程度で。
ところが、ここにStravaなるものが登場し、状況が少し変わってきました。
Nike+とGamin Connect、そしてStrava。これらのデータを相互にシンクさせることによって、ランニングを更に楽しむという手法が、周囲で広がっていったのです。

じゃあ僕も取りあえずやってみるかな、ということでGarmin ConnectとStravaのアプリケーションをスマートフォンにインストール。がしかし、なにせ使い方がわからないので無用の長物となり、結果的にスマートフォンの容量を食うだけの、言わば「タンスの肥やし」のようなものになってしまったため、早々にアンインストールしてしまいました。

理想的だったのは、「Nike+」のアプリ(GPS Watch使用時も含む)に反映されたデータが、Garmin Connectや更にはStravaにそのまま同期される、というものだったのですが、どうもそう単純にはできないようです。

…が、待てよ。何でできないんだろう。そう思ったワタクシ、何を思ったかアプリを再インストールし、いろいろ探ってみました。結果、以下の結論に達しました。

(1)Nike+とGamin Connectとの自動シンクは、Garmin → Nike+の一方向のみ。
(2)逆にNike+ → Garminは自動的に同期されることはない。
(3)StravaからNike+への同期はもちろんダメぽ。

つまり、Garminウォッチを持っている人はNike+にもStravaにも同期できるよ!ってことだけど、Nike+ GPS Watchの場合は、結局のところせいぜい手動で頑張って下さい、ということみたいですね。相互にやり取りができるとはいうものの、それはGarminの側に立ってみての話だったようです。
では、Nike+のデータをGarmin Connectに同期させる方法はないのかと探してみたら、ありました。

Nike+に登録しているランデータは、「Nike+ GPS Exporter」というサイトからダウンロードします。

このサイトでNike+のログインID(メールアドレス)とパスワードを入力するだけで、Nike+に同期した過去のデータがリストとしてズラリと登場します。
ダウンロードしたい記録の一番右端にチェックを入れ、その左隣にあるダウンロードボタンをクリックするか、ダウンロードしたい複数の項目がある場合は最上部にある「Download all checked activities」をクリックすると、データのダウンロードが開始されます。(1つの場合は拡張子が.gpxのファイルですが、複数の場合は.zipファイルなので、そのデータを解凍しておきます。フォルダの中にxxx.gpxのファイルがあるはずです。)

PCからログインしたGarmin Connectの右上に「+」があるはずなので、そこからアクティビティアップロードを選択。
更にそのページから「手動アップロード」を選択し、先ほど解凍したデータ(xxx.gpxファイル)をアップロード。複数同時のアップロードも可能のようです。

…という、実に原始的かつ手間のかかる方法でしか、今のところは同期することができない模様。

そんなわけで、Garmin Connectにアップロードしたデータと、そこからStravaに同期されているハズのデータを見ると…おお、確かに過去の走行データが現れました。(距離が微妙に違うのは予定通りです。)
garminconnectdata(Garmin Connect)

stravadata(Strava)

nikeplusdata(Nike+)

あれ。距離だけではなく、なぜか全て微妙に時間がずれています。なんで?

ただし一つ大きな問題が。
「Nike+ GPS Exporter」から一度にダウンロードできるデータは、10個のみです。なので、大量にデータがあり、それを全て反映させるという場合は、かなり時間を要する(しかもダウンロードに失敗することもしばしば)こととなります。

しかし、いくら同期できるようになったとはいえ、下手をすれば数日もタイムラグが生じてしまうというのは、ある意味致命傷かも知れませんね。なんてったってほら、ランニングリザルトは生ものみたいなものですから。

Garmin ConnectからNike+への同期についてはたくさん記事があったのですが、逆を見つけることができなかったので、ちょっと整理してみました。まあ、そこまでして同期する必要があるかといわれれば、「…?」といった感じなのですが、要するにこれ、いい加減Nike+ GPS WatchじゃなくてGarminに乗り換えたら?と言われているような気がしないわけでもなく…。


I, MANABU MIYAHARA / 宮原学


かつて、CBSソニー傘下でおニャン子クラブやとんねるずですっかり名を馳せた後藤次利が創設した、FITZBEATレーベル。のちのKi/oonレーベルの前身となるこのレーベルに所属していた主なアーティストは、レベッカ、聖飢魔IIなど。そしてその中に、宮原学というオトコあり。
レベッカの活動休止後、メンバーであった小田原豊や高橋教之、サポートメンバーだった是永巧一、そしてスタジオワークを中心として活躍していた柴田俊文とともに、同じレーベル仲間ということで「Baby’s Breath」を結成。
「Baby’s Breath」 については「男版レベッカ」を期待したわけではないけれど、ハードな感中にもポップな曲がアルバム2作を発表後、解散。
その後Char主催のEDOYA Recordsなど移籍を繰り返したあと、しばらく見ないなあ…と思っていたら2014年に15年ぶりとなるソロ名義でのオリジナルアルバムを発表。そして今年デビュー30周年を迎えるにあたり、約1年5か月ぶりとなる新作を発表。

タイトルは、「I, MANABU MIYAHARA」。
なんて言えばいいんでしょう…「オレ、宮原学。」みたいな感じ?
前作同様盟友である小田原豊と柴田俊文が全面的にバックアップ。更に30周年ということで、ゲストミュージシャンに織田哲郎、うじきつよし、北島健二(FENCE OF DEFENCE)といった錚々たる顔ぶれを従えてのフルアルバム。

前作は15年ぶりということで少々身構えて聴いてしまったけれど、今回は何の先入観もなく聴き始めたところ、さすが30年のキャリアは凄いなあ、と思ってしまうぐらいの快作。全11曲58分、このアルバムだけでしばらくヘヴィローテーションしてても大丈夫そうなぐらい、かなり僕のツボにはまった感じ。
これはもう、ブルースですよ。バーボンじゃなくて日本酒ロック。ただ、何でかタイトルが全部英語表記で、「THYOBI-HIGE」なんていう何かふざけたようなタイトルの曲が収録されていたりもするんだけど(どうせ標記するなら「CHOBI-HIGE」なんじゃねえか?とか。)、昔からの気心知れた仲間や先輩らとともに演奏しているのが、きっと楽しいんだろうなあ、と感じてしまう。ゲストの中に誰かいないなあ、と思ったら、佐橋佳幸さんのクレジットがないみたいで。

思った以上の短いインターバルでのアルバム発表だったので、少々面食らってしまったのも事実。しかし、それ以上にゲスト参加している皆さんとの掛け合いが実に良い感じで、安堵感に包まれたのも、事実。

前作は言わば久しぶりの登場ということで、助走的な意味合いを持つ作品。今作は、その前作の助走で勢いづいた、「らしさ」を随所にちりばめた作品。
何か原点回帰したような感じで、個人的には凄く嬉しいのでございます。

で、皆さんにお願い。デビュー30周年ということで、既に廃盤となっているアルバムの再発売を是非ともお願いしたい!ということで手始めに、Baby’s Breathの名盤2作の再発のため、力を貸してください。
■復刻希望タイトルは「Baby’s Breath」と「Baby’s Breath 2」
■アーティスト名はともに「Baby’s Breath」で。
オーダーメイドファクトリー


「第4回弘前城リレーマラソン」参戦記


当初、昨年に引き続いての仕事の都合で、参加を見送っていた今年の弘前城リレーマラソン。
ところが今年はその仕事が直前で立ち消えとなり、参加することが可能になりました!…とはいえ弘前公園ランニングクラブ本隊からは2チームがエントリーしていましたが、僕は既に参加できない旨を伝えていましたので、今回はからかいがてら応援をしに行こうかな、と思っていたのですが…。(いや、ホントに)

母校の弘高応援団が大会を盛り上げるということを知ったのは、Tキャプテンからの一報。応援団OBとして居ても立ってもいられなくなり、大会長のSさんに「オレも手伝いたい」と連絡を入れると、「お願いしたいことがもう一つある」と逆依頼。
それは、全盲ランナーとして弘前市内では知らない人がいないであろう、秋田修さんの伴走をして欲しいというものでした。

秋田さんはうちの父のことを知っており、アップルマラソンの時はフルマラソンの折り返し地点で父に声を掛けられたことなどを話していました(確かに当時、手伝いに駆り出されていたんです)。そして、ご本人から「是非今度一緒に走りましょう」と言われたことがありました。その時は軽い気持ちで「良いですよ!いつか一緒に走りましょう」とは言ったものの、伴走されている方々を見て、ただただ凄いなあ、という感想しか出てこず、自分に務まるはずがない、と思っていたのですが…。
ひとまず伴走についてSさんに「オレができるのであれば…」と了解した直後に、秋田さん本人から直接連絡があり、まずは一度試走してみたいということで、4日に約1時間半ほど弘前公園内を伴走してみました。正直、うまく務まったかどうかは分かりませんが、秋田さん直々に正式な伴走のオファー。元々リレーマラソンには出る予定もなかったので、快諾することとしました。

一方の応援団のお手伝い。表向きは「5人しかいない応援団と一緒に、エールを送って選手を応援したい。」というものでしたが、本心は「大会を盛り上げる一助になりたい。」という、それだけの話。
親子以上の年の差がある現役高校生の中に混じって、45歳のオッサンがエールを送る。以前から地元を盛り上げたいという思いを持っていましたが、その機会を得て舞台に立つということは、非常に名誉なのではないか、しかも、現役高校生と一緒にエールを送ることなんて、そんな簡単にできることではないんじゃないか、と考えるようになりました。
ただしこのことは誰にも口外せずに、当日のサプライズにしようということで、TキャプテンやS大会長らと口裏を合わせることにしました。
大会2日前の金曜日夕方に弘前高校へ出向き、現役の応援団員と初対面。話を聞くと決して安定的な活動ができているわけでもないらしく、昨年はほとんど活動を行わなかった、とのこと。我々の頃(といっても28年前)とは違って、応援練習の内容も変わってしまったらしく、応援歌も全部覚えていないのだそう。実際この日演舞を見たのは、外ではなく科学室の中でした。しかも試験期間中でのお手伝いということで、かなり恐縮してしまいましたが、30分ほどで当日の段取りについて大枠を決めました。
しかも、実行委員会の側でわざわざこの日のために学ランを用意してくれることに。
面白いことになるのかドン引きされるのかは、やってみなきゃわからない、ということで。

大会前日は秋田さんと2度目の試走。リレーマラソンのコースを走ってみようということで試走したところ、「もう1周、もう1周」のおかわり連発。恐らく秋田さんとの試走は12キロ程度だったと思いますが、家に戻ってみたらハーフマラソンを越える距離を2時間30分以上に渡って走っていました。しかし、一緒に走っているときのお話しは本当にハッとさせられることが多いです。なんか新しい気付きの扉をしらみつぶしにノックされているような、そんな感じなのです。考えてみると、父と同世代の人と一緒に走ることなんてないわけですよ。それが、同じ歩調同じスピードで一緒に走っているということ自体が、僕にとっては凄い経験というか、糧になるんです。

さて、大会当日は何かさっぱりしない天気。8時30分過ぎに会場に到着、まずは秋田さんのチームの皆さんに御挨拶。平均年齢60歳を越えたチーム構成、45歳の僕でも十分若手でした。実はこのチームのメンバーには、秋田さん以外にもうちの父が生前お世話になった方が何人かおられまして、僕が誰なのかを知った途端、そりゃビックリされたといったら、もう…。「小学生の頃、何回か会っているんだよなあ。」と感慨深げに語る皆さん。そして何より、僕の伴走がどんな感じなのか、興味津々の様子でした。というかですね、メンバーがたった6名って、ちょっと少なすぎるんですけど…。

本当は単独で走りたいところもありましたが、今回はあくまで秋田さんの伴走に徹することに。
まずは2走目で2周4キロ、そして最後21周目のアンカーで1周2キロの計6キロを伴走することになりました。秋田さんは僕以外のお二方の伴走により、計5周することになっていました。

しかし、10時のスタート直前には応援団のお手伝いをしなければならず、更に11時のハーフコーススタートでも、同じくエールを送らなければなりません。
かなりハードなスケジュールとなることが予想されましたが、受けた以上はやりきらなければならないという義務感が湧いていました。

それにしても、今まで色んな大会に出場していますが、この日はこれまでで一番緊張したかも知れません。

大会本部側でIさんから借りた短ランに袖を通し、下は自前の礼服、更に足下は雪駄、腰には手ぬぐいという蛮カラスタイル。現役高校生は皆さん袴姿ですので、僕の方が目立ってもやむを得ない格好でした。更衣室となったテント内で演舞の内容の最終確認と振りを合わせ、9時40分過ぎにテントを出ます。おもむろに外を闊歩すると、雪駄の音に好奇の目が向けられるのが分かります。が、当の本人は全く意に介することもなく、まるで現役学生のように準備。

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あ、そうそう。応援団の参加が決まった時に、僕も実行委員の中に名を連ねていましたので、演舞を行う場所をどこに確保しているのか、どういった内容で行えばいいのか、といったことを他のスタッフと打合せ。…しかし、普通の格好をしているスタッフと学生服に雪駄というスタイルの僕が打合せを行っている姿も、なかなか奇妙だったようです。

この間、僕の姿に気づいたランニングクラブや他のチームのメンバー、更にはスタッフまでもが驚きの表情でこちらを見ていますが、程なくそれは、笑顔に変わりました。そう、これでいいんです。こういう形で大会を盛り上げることができるのが、僕にとって本望なのですから。

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さて、演舞はいたってマジメに行いました。9時55分から都合2回。(なぜ2回行ったかというと、予想以上に演舞が早く終わり、間が持たなくなったという主催者側の事情がありました。)
後輩よりも大きな声で、エールを送ることができたんじゃないかと自認していましたが、周囲から沸き起こる拍手が実に気持ち良かったです。

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10時のスタートを見送ったあと、すぐに秋田さんを連れだって更衣室へ。学ランを脱いでTシャツ、ランパンのランニングモードへ切り替え。そして、襷受け渡しゾーンへと急ぎます。

10時20分過ぎ、2周を走り終えた第1走のランナーがやって来ました。いよいよ秋田さんの伴走、スタートです。伴走は3回目となりますが、練習の時とは雰囲気がまるで違います。襷を受け取り、秋田さんへ手渡し。秋田さんが御自身で襷を身につける間、足下の状況や進む方向の指示を出します。この間も、秋田さんに対する声援があちらこちらから聞こえています。意識したのは「危険回避」。しかし、緊張からか何度か的確な状況報告を行うことを忘れてしまったり、何よりも腕を上げて大きく振りすぎてしまったため、それが秋田さんに緊張感として伝わったらしく、「腕!腕下ろして!」と注意される場面もありました。

今回は(も?)コースが変わっており、アップダウンの他にカーブ(というかクランク)がたくさんあったり、砂利を踏む区間が多かったり、結構難儀しました。1周目が5分45秒とかなり早めでしたので、2周目はなるべく落ち着かせるよう走ったつもり。あとは、時々尋ねられる「角まであと何メートル?」との質問に、なるべく誤差が生じないように距離感を掴みながら走りました。

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僕の時計では平均6分を切っていましたので、最初はまずまずだったかな、と思っています。
ここから次の伴走までは相当時間が空くので、11時前の応援団活動を無事に終え、現役応援団にお礼と別れを伝えた後は、駆け抜ける仲間に声援を送り続けていました。
今回は、ランニングクラブの練習に参加している皆さんがいろんな他のチームで出場していたため、間髪入れずに目の前を駆け抜けていき、声援しているのが楽しくて仕方がありませんでした。

そうそう、いくら他のチームのお手伝いをしているとはいえ、「No Apple, No Life」の看板を捨てる気にはなれません。秋田さんが「No Appleの黒を着用する。」と前日に仰っていたので、僕は敢えて白のTシャツを着て参加しました。

最も早いチームでは、2時間30分程度でゴールしたようですが、うちのチーム(チーム名が「風前の灯」って、おい。笑)相変わらずゆっくりと歩を進めていました。本当にゴールできるんだろうか…という一抹の不安が。
結局14時過ぎ、僕の伴走による最終周回がスタート。既に大半のチームはゴールを終え、記念撮影をしていましたので、すっかり終わったような気分なんでしょうね。表彰式を終えた安堵感からか、まだコースを走っているランナーがいるのに自由気ままにコースを横断されるのは、かなりハラハラドキドキでした。
実際、コースを我が物顔で横断する人がたくさんいたため、結構な剣幕で「道を空けてください!」と声を荒げながら走路の確保に懸命でした。だって、ケガをさせたら元も子もないわけですよ。これぞ危険回避、安全確保ですよ。
事実、応援している目の前で接触した事案が2件。双方ともに転倒しかけました。(毎回のことなのでしょうけれど)1周目で既に襷受け渡しゾーンと周回ゾーンが応援と選手とでゴチャゴチャになっていたようなので、この辺もできれば整理をお願いしたいと思いました。

気になったことがもう一点。土手に上る大人子どもが今回やたらと目につきました。信じられないかも知れませんが、親子で土手から滑って転げ、木に衝突した人達を見かけました。一歩間違うと負傷していたと思います。それぐらい凄い勢いで転がってきました。この点も含め、事前周知を徹底した方が良いと思います。ヒマになった子どもたちにとっては土手は格好の遊び場なのでしょうけれど、もしも堀に転げ落ちていたらと思うと、ゾッとします。

話を戻します。秋田さんもさすがに5周目ということで相当辛いらしく、かなり息が上がっていました。ちなみに僕は3周目、しかもかなり間が空いているので肉体的な疲労感はないし、ペースは上がっていないので楽なものです。ただ、緊張から来る汗の量と精神的な疲労感は凄かったですが。
秋田さんを励まし、鼓舞し、ちゃんとゴールさせる。これが僕の本日最後の役割。下が砂利になること、左手に擬木があり、その奥に鎮座する岩木山はうっすらとしか確認できないことなどを伝えます。

多くの声援が送られる中、秋田さんもそれに応えます。いよいよトラックが近づき、更に声援が多くなります。送られているのは秋田さんに対するものですが、伴走しているこちらも嬉しくなります。ゴールゲートが近づくと、チームの皆さんが待ち構えていました。秋田さんはメンバーから手渡された幟を握りしめ、ついにゴール。
秋田さんと握手を交わし、僕の役目は終わりました。
タイムは4時間18分、前回は制限時間の4時間30分以内にゴールすることができなかったということですから、これだけでも凄いと思います。そして、順位は下から3番目。ブービーを狙えたなあ、と口々にしていましたが、確か最後の周回で一人抜いてしまったんですよね…。ああ、僕のせいだ。どうもすいません。

場所を変えて行われた反省会では、何と来年の大会では、伴走のほか、一選手として走って欲しい、との要請が。まあ、前述のとおり父が繋いだご縁なのかも知れないし、弘前公園RCから出なくとも、同じところにいるのは一緒なので、それでもいいのかなあ、と思っている次第です。

「だったら4時間切り、100番以内を目指しましょう!」と、酔った勢いで思わず放言してしまいましたが、さて、どうなることやら…。

最後に、弘前公園ランニングクラブでの集合写真。弘前公園ランニングクラブの2チームは既にゴールし、この写真に至ったのですが、実は僕の最終走はこの直後でした。でも、みんなと一緒で楽しかったです。

集合写真

キャプテン、写真撮影ありがとう!