2018沖縄探訪記【宿泊編】「オルッサの宿 マチャン・マチャン」にて #okinawa


毎年恒例となった「沖縄突撃無計画ツアー」では、海に面したオーシャンビューのリゾート系のホテルをチョイスしてしまうことが多いのですが、今回はちょっとだけ趣向を変えてみました。

ということで早めの夏季休暇を取得して沖縄を訪問したのは、7月4日から7日まで3泊4日の行程。台風7号が通過した後も沖縄の天気は落ち着かず、到着初日はいきなりの雨模様となってしまいました。


※ちなみに沖縄から九州へと進んだこの台風7号と梅雨前線の影響で、西日本各地において土砂災害等の大規模な被害が発生してしまいました。亡くなられた方のご冥福をお祈りし、被災された皆さまに対して心からお見舞い申し上げるとともに、一日も早く元の生活を取り戻せるよう、御祈念申し上げます。

前日の最終便で青森から羽田へ向かい、この日は蒲田のホテルに宿泊。
翌朝6時20分に羽田を飛び立ち、9時前に那覇空港に降り立ちました。
到着初日はレンタカーであちこちを巡ったあと、午後から沖縄自動車道を利用して北上を開始。ニンニク臭を車内に充満させたレンタカーで、名護市の北にある今帰仁村を目指しました。(なぜニンニク臭なのかは後ほど。)

今回初訪問となった今帰仁村にある「オルッサの宿 マチャン・マチャン」。
各部屋がコテージタイプになっているこの宿は、県道からちょっと離れた場所にあり、何だか隠れ家のような感じです。以前、このすぐそばを車で走ったことがありましたが、こんなところに宿があるのか!というような場所にありました。

入口のゲート横にあるカフェ棟に行くと、オーナーの江本ご夫妻が我々を出迎えてくれました。その空間自体が何だか居心地が良く、とてもいい雰囲気。ウェルカムデザートのような西瓜のシャーベットを頂きながら受付を済ませ、部屋の鍵を受け取ります。

今回宿泊した棟は、駐車場のすく横にある「【虹ルーム】マチャンのとなり。」。

白い壁に挟まれた玄関が、一層隠れ家っぽさを醸し出しています。

その扉には、綺麗なガラスが埋め込まれています。

玄関の扉を開けて建物の中に入ってみると…。右手一面に拡がるガラス窓越しの景色を見て、思わず息を呑みました。

わずかに差し込んだ太陽の光を吸い込んだ水色の海を挟んだ向こう側には、古宇利島が佇んでいます。

部屋の隅にはセミダブルのベッドが二つ置かれ、手前には琉球畳の敷かれた、まるで居間のようなスペース。思わずごろ寝したくなるような、そんな空間です。

窓を開けると、雨上がりの空を飛び交う鳥の鳴き声が聞こえてきます。
この音を聴いているだけでも、正直、この部屋にはテレビはいらないな、と思いました。(実際のところ部屋にテレビはあるし、観たんだけどね。)

社会の喧騒から離れ、自分の中にある雑念を全て脱ぎ捨てたくなるような、そんな空間。
それぐらいゆったりとした時間が流れているようでした。
建物の外、二階に続く階段を上ってみると、その景色は更に美しいものでした。

沖縄は青森と比べると日の出日の入りの時間が1時間ぐらい遅いんですよね。
眼下にはウッパマビーチが拡がり、右手には、古宇利大橋が見えます。この風景を独り占めできる贅沢といったら…。

さて、再び部屋に戻りお風呂チェック。ここもガラス張りになっていて、外の景色を楽しむことができます。

大丈夫、ブラインドもありますが、覗きにやって来るのは虫か鳥か、せいぜいヤモリぐらいでしょう。(ということで部屋にヤモリが出るらしいのですが、残念ながら今回、その姿を拝むことはできませんでした。会いたかったなあ。)

この日の夕食は、沖縄旅行ですっかり常套手段となった「あちこちで購入した地元食材」。
まずは浦添市の「ブエノチキン」。

ニンニクとハーブの効いたローストチキン(若鶏の丸焼き)1/2サイズ。柔らかくてジューシーで、激ウマ。クリスマスの時にはすぐに売り切れるらしいです。(レンタカーに充満していたのはこれでした。)

お次は沖縄市の「チャーリー多幸寿」。こちらはガイドブックにも必ず掲載される超有名店。


タコスのテイクアウトはお一つからOK。
実は初めて沖縄を訪れた22年前、ここのタコスを購入したにも関わらず、諸般の事情で食べ損ねるという失態を犯した、いわくつきの逸品でしたが、今回ようやくリベンジを果たすことができました。


口に運んでみて、今でも人気を誇っているのに納得。

名護市のイ○ンで購入したジーマーミ豆腐(ジーマミー豆腐だっけ?どっちだ?)、沖縄近海で獲れたマグロの刺身等々を並べ、これにオリオンビールを添えれば、沖縄食材の晩餐が出来上がり。

ゴミをたくさん出してしまうことが心苦しいところではありましたが、オーナーご夫妻に対する申し訳ない気持ちに苛まれながらも食材を貪り、初日の夜は帳を下ろしたのでした。

翌朝、目が覚めるとまたしても雨が降っていました。晴れていれば、古宇利島から昇る太陽を拝むことができたらしいのですが、こればかりは仕方がない。
ホントは古宇利大橋の近くまで車で向かい、古宇利大橋をゆっくりジョギングするというプランも立てていましたが、次回までお預けということに。

そんな雨模様を忘れさせるようなお楽しみの朝食は、カフェ棟にて。
洋食なのか和食なのかは行ってからのお楽しみなのですが、これがまた凄いのです。

この日は和食メニュー。沖縄県産の野菜をふんだんに使った、見た目にも豪華なメニュー。こういう食材を毎日食べることが、健康体への近道なのかも。ちょっと疲弊しかけていた胃袋から腸が、ゆっくりとリセットされていく感じ。それにしてもゆし豆腐の味噌汁、ホント美味しかったわぁ…。

リゾートホテルでアホみたいにビュッフェを食い漁っていた自分が恥ずかしくなります。(といいつつ3日目、4日目の朝は…以下略)

身体に優しい贅沢な朝食を堪能しながら、お隣のご夫婦とオーナーご夫婦との会話に耳を傾けます。
この宿は、リピーターさんが多いんだな、と。そしてそれは、この宿の素晴らしさだけではなく、オーナーご夫婦の人柄に惚れ込んでやって来るからなんだろうな、と確信。
うちらもリピーターを目指したいものだ、なんて思ってしまいました。

部屋に戻り、帰り支度。まだ雨は降り続いていましたが、一日中この部屋でのんびり過ごしてもいいな、と思うぐらい本当に居心地が良かった!

…しかし、人との御縁というのはいつどこに転がっているかわからないものです。
精算の際、江本さんの奥さまが「弘前からいらしたんですね…。弘前の桔梗野って、ご存じですか。」と、唐突に我々に尋ねてきました。何を隠そう私、桔梗野小学校の卒業生。「はい!桔梗野はうちの隣の地区で、歩いてすぐのところにありますよ。どなたかお知り合いでも?」
「ええ…。○○さんって、ご存じですか。」
「!!!○○さん!いやいや、知っているも何も、妹が小さい頃にガールスカウトに所属していて、その時お世話になりましたし、当時は僕もボーイスカウトに入隊していて、○○さんには兄妹でお世話になったんです。で、どうして○○さんをご存じなんですか!?」
…その後、色々お話を伺いました。お話を伺いながら、本当に身震いするぐらい感激してしまいました。奥さんもびっくりされたようです。まさか沖縄で地元・弘前の話に花が咲くとは!何度も言いますが、人の御縁って、どこでどう繋がるのか本当にわかりません。凄い!
あまりにビックリして、何と部屋の鍵を返し忘れて宿を出発するというオチが付きましたけどね。(ご主人から電話をもらい、慌てて引き返して鍵を返却。奥さんから「またお会いできて嬉しいです」と笑われました。)

今までにはなかった旅のスタートは、天気はさておき残り3日間を本当に有意義なものにしてくれました。ちなみにチェックアウトした日のランチは、ご夫婦から紹介していただいたお店へ。
このお話は、また日を改めて。
(多分つづく)


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JOY-POPS 35th Anniversary Tour ”Wrecking Ball” @青森QUATER #joypops #thestreetsliders


【注意:ネタばれあります。】

心地よい脱力感。
ライブを観た後に骨を抜かれたような気分になったのは、久し振りだった。

80年代、空前のバンドブームの中でも孤高の存在として異彩を放ち続けたThe Street Sliders(以下「スライダーズ」という)。
2000年の解散以降、4人のメンバーはそれぞれ活動していたが、ボーカルとギターを担当していた村越弘明(ハリー)の公式サイトで発表された内容を見て、自分の目を疑った。
スライダーズのデビュー35周年として、フロントマンだった村越と土屋公平(蘭丸)によるユニットJOY-POPSが全国ツアーを行うというのだ。
しかも、ツアーの最終日が青森公演だった。

スライダーズを観たのは25年以上前に青森市で1度きり。
ハリーを観たのは、Epicソニー25周年の記念ライブで、ギター片手にステージに現れた時のみ。

しかも、スライダーズを観た青森市でのライブは、身体も心もふわふわと浮ついていて、情けない話だけれどハリーがライブの冒頭で「ハロゥ」と叫んだことしか覚えていないのだ。(以前投稿した「JOY-POPSのこと」で、当時のことに少し触れています。)

それはともかく、あの日の苦々しい思い出を自分の中で精算するためにも、このライブだけは何が何でも絶対に行かなければならない。
身震いするような気持ちで、公式サイトからの先行予約に申込んだ。

ちなみに、公式サイトにはツアーの日程とともに次の英文が掲載されていた。

One Night Only GIG!! There is no next time to miss.

二人が揃ってステージに立つのは18年ぶりだそうだ。
ひょっとしたら英文のとおり、彼ら2人がステージに揃うのは最初で最後なのかも知れない。
そんな伝説のライブを目の当たりにできるのだと思ったら、今度は心が震えるような気分になった。

2018年7月8日。
青森駅から会場の青森QUATERまでは徒歩だと10分以上かかる。弘前からの電車が到着したのは16時19分なので、開場の時刻である16時30分に間に合うかどうか、といったところだった。結局、青森駅から猛ダッシュし、開場5分前というギリギリに会場に到着。既に入場を待つたくさんの人が列をなしていた。ざっと客層を見た感じでは、ほぼ自分と同世代の男女が大半を占めている感じだが、その中に混じって若年層の姿も見受けられた。

会場に入り、センターからやや左側に陣取る。前から5~6列目といったところだろうか、ステージの視界は概ね良好だ。
ステージを凝視すると、2本のスタンドマイクとともに、蘭丸の使用するギターが所狭しと並んでいる。
この日の会場は350人の満員で、チケットはソールドアウト。先に入った観客に対してもっと前に詰めて欲しいというアナウンスが2度3度と繰り返される。
17時過ぎ、観客のボルテージも一気に上がったところに、いよいよ両名が登場。黄色い声と野太い声が飛び交う。

ステージ上のハリーは終始穏やかな表情で、時折笑顔すら窺える。薄黒のサングラスをかけた蘭丸は、一見すると無表情だけれど、ハリーに目を配り、時折会場に目を向け、笑みを浮かべる。

そして、二人が繰り広げるステージはまさに阿吽の呼吸。圧巻という言葉がピッタリだった。

新旧織り交ぜた…というよりも、既にスライダーズが解散してから20年近く経っているので、古い曲しかないといえばそれまでだが、デビューから解散までのスライダーズナンバーがてんこ盛り。もちろんJOY-POPSのナンバーも。これでもかと言わんばかりに2本のギターが観客を煽る。

ハイライトは、いきなりやってきた。二人が手にしていたアコースティックギターからそれぞれテレキャスとSGに持ち替えて始まった大音量での「カメレオン」。一気に会場の空気が変わった。

そしてもう一つのハイライトは、それぞれが作ったという新曲「新しい風」(ハリー作)、「デルタのスー」(蘭丸作)。
どっちもめちゃめちゃ格好いいんですけど!!

それにしても不思議だったのは、ベースもドラムも不在の中、2人のギターがリズムやビートを刻みながらしっかりとグルーブ感を生み出し、我々観客を踊り狂わせていることだった。僕は楽器演奏は全くできないけれど、ギターだけでこういう音を出せるのは、2人だからこそ為せる業なんだろうな、と感動した。
昔からの曲、アレンジを変えた曲、未発表の曲、新曲、どれを切り取ってみても「過去のスライダーズ」ではなく、「現在のJOY-POPS」の音だった。

ハリーは年が明けると還暦を迎え、蘭丸ももうすぐ58歳。齢を重ねるとともに人間は丸くなるというけれど、この日のステージ上の二人は、少なくとも僕が知っているスライダーズ時代のイメージからは遠くかけ離れ、いい意味で丸くなっていて、何かを達観したような円熟味を増した穏やかな表情だった。

そのことが、かつて感じた殺伐とした雰囲気を一切取り払い、過去の彼らには似つかわしい言葉ではないのかも知れないけれど、愛に満ちた温かい雰囲気に満ちあふれていた。

個人的には恐らく初めて耳にする彼らのMC。
観客大歓声。
ハリーって、こんなに喋るんだ…。蘭丸って、こんなにお茶目なんだ…。

曲間の観客からの声援に、ちょっとはにかみながら応えるハリーと蘭丸。

ハリーが語る二人の馴れ初め。79年、俺は20歳で公平は19歳。二人でセッションとか曲作りとかしてたんだけど、年を重ねてこんな風になりました。(会場笑いと拍手)
蘭丸が語るツアーの経緯。2~3年前にハリーから蘭丸に電話が来たのがきっかけ。おお、ハリーじゃん。スゲエ。と連絡を取ったのがきっかけで、どんどん話が進んでこのツアーに繋がったんだ。LINEじゃなくて、携帯電話だぜ。格好いいだろう?(確かにクールだと思った。)

ハリー作の新曲の紹介は蘭丸から。ハリーに「新曲作らない?作ってよ。」「…うーん」というやり取りがあった後、しっかりと曲を完成させてきたというエピソード。
続いて蘭丸作の新曲はハリーから。「そんな公平は、俺よりとっくの昔に新曲を作ってきたんだぜ。みんな聴きたいでしょ?」
蘭丸「聴きたいでしょ、って。笑」
ハリー「…聴きたいだろ?」

アンコールのMCでは、蘭丸とハリーがツアーグッズ(Tシャツとマフラー)を紹介するという光景が。
蘭丸「このTシャツ、いいだろう。スタンドマイクに絡む、ハリーとジェームス!…あ、俺か。(会場大笑い)…おっと、ハリー!それは何だい?」
ハリー「マフラータオル、結構いいよ。帰りに一人1本、どう?スカーフだとちょっと暑いけどね。」
…と蘭丸から無茶ぶりをされたハリーが、観客にマフラータオルを紹介。
その直後、蘭丸がハリーに「無茶ぶりしてごめん。」と謝り、会場から更に笑いが起こる。
こういったやり取りだけでも、どれだけ会場がハートフルな雰囲気だったかおわかり頂けるんじゃないかな。

いよいよアンコール最後の演奏も終わり、二人がステージ前に立ち、ともに手を上げた瞬間、涙が溢れてきた。そしてそれは、僕だけじゃなかった。僕の近くにいた男性も女性も、みんな涙を拭いていた。

二人は、そんな観客席をずっと眺めながら笑顔を浮かべていた。

始まりがあれば終わりがあるのは当然のこと。
ライブが終わってしまうのは寂しいけれど、それ以上にただ、感謝しかなかった。
この場に居合わせ、凄いものを目の当たりにしたことへの感謝。

青森に来てくれて、ありがとう。
二人で来てくれて、ありがとう。
伝説のライブを、ありがとう。
最高のライブを、ありがとう。

何度もありがとう、と呟きながら、そっと涙を拭う。
それはまるで、25年以上前のあの日に観たスライダーズのライブで抱えた、居心地の悪さを全て払拭するかのように。

帰りの電車に間に合わないからと会場を後にし、ハリーが勧めていたマフラータオルの購入を諦め、青森駅へと急いだ。
しかし、1,500円のマフラータオルを購入せずに帰路に就いたことを、電車が動き始めてすぐに後悔した。
帰りの電車はその後もまだ何本かあったけれど、二人に会えるのは今回が最後かも知れないのに。

丸一日経ってもなお、とにかく凄いライブだった、圧巻のライブだった、という感想しか出てこない。
正味約2時間、二人が奏でるグルーブに漂いながら、あの空間にいられたことが何だか夢みたいな感じ。
伝説のライブが観られる、と期待して足を運んだが、期待を遙かに上回る内容で、放心状態に近い。
本当に凄いものを観てしまったという、まさに脱力感。

…と同時に、否応なしに幾つかの期待を抱かざるを得なかった。

彼らの歌詞には「道」という言葉がたくさん出てくるし、ライブでもそんな楽曲が数多く披露された。
これまで歩んできた35年の道、一度はバラバラの道を辿りながら、今こうしてまた一つの道を二人で歩いていることが、妙に感慨深かった。
だからこそこの先、4人が再び同じ道を歩むことを勝手に期待したい。それはつまりスライダーズの再結成を意味するのだけれど…。

もう一つは、今回演奏した新曲(と有名な未発表曲)の正式発表(→CD化なり、デジタル音源なり)。
往年のスライダーズファンはもちろん、新しいファン層が食いついてくるんじゃないか、それぐらい素晴らしい楽曲だった。
更にもう一つ、ツアーの模様の作品化。DVDでもライブCDでもいい、足を運べなかったスライダーズファンの人たちにもこのライブを共有して欲しい、素直にそう思った。

これから追加公演、更には夏フェスへの参加が予定されているとのこと。秋のビルボード含め、既にチケットもソールドアウトになっているみたいですが、足を運べる機会があれば、フェスでも何でもいいので是非あの圧巻のステージを体感して欲しいものです。(敬称略)


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ケガと練習不足はごまかしが効かない #AOMORIマラソン


【トイレで読むのにちょうどいい長さ。本日も原稿用紙換算8枚にてお届けします。サッカーのハーフタイムにも、是非。】

第27回AOMORIマラソン。
実を言うと、この大会で40分を切ることが今年の一つの目標だった。

いつまで経っても越えられない40分の壁。この位置にとどまり始めてからもうすぐ2年が経つ。

いい加減この状況から脱しないと、と思っていた矢先のケガ。

自業自得とはいえ、一体この先いつまでもがき苦しめばいいんだろう、という悶々とした思いが、ずっと燻り続けていた。

とはいえ、前日の朝練で途中何度か立ち止まりながらも約10キロを走ったことを鑑みると、10キロぐらいまでならひとまず何とか走れるかな?と思い、左アキレス腱の腱鞘炎が完治していないにもかかわらず、出場を強行した。

万全には程遠い状況の中で、目標を下方修正。狙うは40分切りから45分切りへ。いや、45分はいくら何でもダメだろう。せめて42分台にとどめようよ。

大会当日の朝、足首やアキレス腱周りを入念にマッサージした後に消炎剤を貼り、その上からテーピングを施す。考えてみると、テーピングを施して大会に臨むのは、今回が初めてだった。

ソックスを履いたら、白いテープが露出した。この瞬間、「言い訳の材料」が一つできたと思った。そして、ついそんなことを考えてしまった時点で、今日の結果は望めないことを悟った。

弘前駅からいつもより1本早い電車に乗り込み、途中の浪岡駅でKさんと合流。
実は彼、僕がケガをしたまさにその時に居合わせた人物で、応急処置のためのスプレーを持ってきてくれた。

左足のテーピングを見たKさん、僕のケガを案じて「無理せばマネっす。」と声を掛けてくる。
その言葉に「うん、うん。」と頷くしかできなかった。

8時前に会場に到着。受付を済ませ、弘前公園RCのS藤さんが設置してくれたテントへとお邪魔する。

太陽はほとんど雲に覆われていたけれど、皮膚にまとわりつくようなモワッとした空気が会場内に漂っている。昨年と比較すると風も気温も落ち着いていた代わりに、湿度が相当高いことを感じた。

痛み止めの薬を服用し、アップを開始。ゆっくりと走り出すと、そんなに痛いというワケではない。試しにちょっとペースを上げてみる。

あれ?意外と大丈夫かな?

あとはアドレナリンと痛み止めの力を借りれば、何とかなりそうな気がする。

結局3キロほどジョグした後にテントに戻ると、既に大量の発汗。今日も厳しいレースになりそうだ。
レース用のウェアに着替え、他の仲間たちにも挨拶を済ませる。

9時15分、5キロコースがスタート。10キロコースのスタートは、5分後の9時20分。既に皆さん戦闘態勢は万全のようだ。ひとまず「目標:50分以内」のやや前方に並び、S藤さん、S内さん、S下さんとともに戦術を話し合う。10キロとはいえ給水も複数箇所に用意されている。今日のような蒸し暑い日は、思った以上に発汗量が増えるので、後半は給水をしっかり取ることにした。

9時20分、号砲が鳴った。やや抑え気味にスタートすると、S藤さんが先陣を切って前へ出て行く。背中を見ながら、ひとまずS藤さんをペーサーに見立てて走ってみることにした。4分前後のペースで走っているのだろうか、順調過ぎる滑り出しだ。

ちなみに今日の課題は3つ。

(1)途中で現れるベイブリッジの往復、上りでペースを落とさない。
(2)残り2キロ、堤川に架かる橋を越えたらラストスパート。
(3)最後は笑ってゴール。

スタート後には大きく引き離されたS藤さんの背中がじわりじわりと迫ってくる。

鬼門とも言える3キロ過ぎのベイブリッジ、上りに入ると更にその背中が大きくなる。風があまり感じられないのは幸いだが、海水を含んだようなネットリとした空気が、体内の水分を奪っていく。4キロ付近から下りに入り、S藤さんとの差は15メートルほどとなった。

このまま行けば、どこかでS藤さんに追いつくかも知れない…と思った矢先、まさに5キロの折り返しを過ぎた直後に異変が起きた。

突如アキレス腱に走る鈍痛。痛みが再発したのだ。ちょっと待て、今まで何ともなかったのに、急に何で?
一瞬頭の中が混乱するも、さっきの下りで一気にペースを上げたことが災いしたとすぐに悟った。給水所でペースを落とし、水を頭から被り、スポーツドリンクを一口飲む。

再びS藤さんの背中が遠くなっていく。ペースを上げようにも、痛みと怖さで上げられない。何人もの人が僕の横を駆け抜けていく。そしてその中には、S下さんの姿が。

異変が起きたことを感じたであろうS下さんに一言声を掛ける。

「S藤さんの背中を追って!」

実はこれ、自分自身への気合い入れでもあった。
復路、再びベイブリッジの上りに差し掛かっていた。折り返しを目指す後続のランナー数名から声を掛けられるが、もはや脚に気が向いているため、応答することすらできない。

ようやく橋を上りきったところで落ち着きを取り戻し、意識を集中。再度ペースを上げ始める。そして、最近練習に取り入れていた「あれ」をやってみた。「あれ」というのは、ちょっとしたフォームの改善。今はまだ会得していないので詳しくは言えないが、「あれ」をやってみたら、鈍痛が緩和されていくのがわかった。いいそ、いいぞ。

再びペースを上げてみるが、既に前を走る二人には大きく水をあけられ、とてもではないが追いつけるような距離ではなくなっていた。

残り2キロ。堤川に架かる橋では、大した高低差ではないものの、上りで再び鈍痛がぶり返し、ペースが落ちる。
でも、こんなところで心が折れたら、絶対後悔する。

再びペースを上げ、一度は先行を許したランナーたちをまた捉え始める。

最後の給水、再び頭から水を被る。もはや滴り落ちるのが水なのか汗なのか、わからない。

残り1キロのラストスパート。二人の背中の大きさは変わらないままだったが、残り300メートルでサングラスを外す。最後はとにかく笑ってゴールするんだ。結局、引きつったような卑屈な笑顔を浮かべながら、ゴールラインを越えた。

時計に手をやり、タイムを止める。文字盤を見て驚いた。何と40分30秒台で走りきっていた。
設定より2分も早いゴール。この状態で40分台を叩き出すとは思わなかった。

…でも、何かちょっともったいないことをしたな、という複雑な気持ちが途端に沸き上がった。

こういう時に「たら」「れば」は禁句だが、もしも脚の状態が良ければ、どうだったんだろう。

その場に立ち尽くすと、水たまりができるぐらいの勢いで汗がぼたぼた落ちてくる。
前日の練習も一人で大量の汗をかいて笑われていたが、今日はそれを越える量の汗だった。ついさっき海から上がってきた、と言っても、恐らく疑われないだろう。

完走証を見て、納得した。湿度83%って…ミストサウナの相対湿度が70%ぐらいらしいので、この湿度がいかに尋常でなかったかは、おわかり頂けるだろう。

楽に走れる状況ではなかった(というか、AOMORIマラソンが「楽だ」と感じたことは一度もない)し、脚の不安もかなりあった。昨年から比較すると順位も落としたしタイムも落ちた。課題も、2つしかクリアできなかった。
けれども、これだけ走ることができたということに関しては、胸を張ろうと思う。…その分、代償も大きかったけれど。

たかが10キロ、されど10キロ。こういう経験を積み重ねることが、自分の力になると信じつつ、来年は「たら」「れば」を封印できるようしっかりと準備を整えよう。
大丈夫、次は絶対に目標をクリアしてやるから。

今年も大会でお世話になった皆さん、ともに走った皆さん、そして、一緒に飲んで笑った皆さんにも心から感謝です。
本当にありがとうございました。

【余談】
合浦公園で行われた大会の後の打ち上げに参加した後、青森駅近く(次の打上げ会場)まで移動しようとバス停に向かうと、20分以上も待たなければならないことが判明。待っていられないと走り始め、数か所のバス停で足を止めるも、タクシーが全く捕まらないため、気がついたら何とNTT青森支店前のバス停まで走っていたというオチ。ようやくタクシーに乗車、次の会場へと向かいましたが、結果、酔いばかりがグルグル回り、帰路に就く頃にはかなり記憶が曖昧という最悪の事態に。次回はバスの時刻をちゃんと調べよう。


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エレファントカシマシ「Wake Up」 #エレファントカシマシ #エレカシ


3度目となる「目覚め」。

エレファントカシマシ最初の「目覚め」は、1988年、メジャーデビュー後3枚目のシングルとなる「おはようこんにちは」。繰り出される重厚なサウンドに、宮本の気怠さ満載のボーカルが乗っかることで、爽やかの欠片も感じられない「おはよう」を聴くことができる。

2度目の「目覚め」は2000年のアルバム「good morning」。
東芝EMIへの移籍第一弾となった「ガストロンジャー」を含んだこのアルバムは、宮本単独の打ち込み曲が多くを占める作品で、エレファントカシマシという枠組みを外れた、宮本個人の暴走などと評価が割れた、いわく付きのアルバム。しかし、結果的にはこの作品がバンドの新たな目覚めを呼び起こすこととなり、結束と勢いを更に増すことになった。

そして今年6月6日に、3度目となる「目覚め」を迎えた。

今回は、デビューから31年目に突入し、いわば「門出」の作品となる23枚目のアルバム。
既発のシングル曲やカップリング曲など6曲と、新曲6曲の計12曲で構成されている。

どうも彼らのアルバムを聴く時は、(決してあぐらをかけないからではなく)姿勢良く正座をして聴かなければならないという衝動に駆られる。

それも頭の中を空っぽにして無心になり、一つ一つのフレーズ全てを耳で、心で吸収する…そう、まさに「拝聴する」といった感じ。

冒頭を飾るタイトルナンバーの「Wake Up」は、31年目のスタートにうってつけの1曲。一言で表すならば「格好いい」のだ。極端な話をすれば、この楽曲だけでこのアルバムの評価が決まりそうな、それぐらいのインパクトを持っている(もちろんこの曲だけで評価しちゃならないんだけど)。

新たな「目覚め」、いや「覚醒」を高らかに宣言した後は、51作目となる最新シングルの「Easy Go」、49作目のシングル「風と共に」、そして48作目のシングル「夢を追う旅人」と、シングル3曲が怒濤の如く続く。

改めてこのシングル3曲を続けて聞いてみると、そのどれもが、31年目に突入するには十分過ぎるほど準備が整っていることを誇示しており、そして、これからもなおエレカシの進化が現在進行形で続いて行くことを予感させる。

疾走から立ち止まり、一度クールダウンさせるような5曲目の「神様俺を」は、アルバムの中でもちょっと異彩を放つ曲。エレカシのナンバーではこれまで聴くことのなかったレゲエ調のアレンジ。一方で、まるで我々アラフィフ世代の苦悩を代弁するような歌詞に、思わずニヤリとしてしまう。

そして続くナンバーが50作目のシングル「RESTART」と来れば、何だかこのアルバムの製作コンセプトありきのシングルだったのだろうか?と思ってしまうぐらい繋がりを持っている…ような気がする。
「日本生まれの夢見る男」が、自らの髪の毛にハサミを入れるという衝撃的なPV。昨年10月、弘前市民会館に現れたその男は、一瞬誰なのか見分けがつかないほど綺麗に髪の毛が整っていたことを思い出す。

「自由」はアルバムで初登場の小気味良いテンポのナンバー。「珍奇男」を唄っていたあのバンドが、「ガストロンジャー」で吠えていたあのバンドが、声高に「自由」を歌い上げている不思議。これまでの30年間、どん底も見ただろうし浮かれたこともあっただろう。それでもなお不動のメンバーで歩み続けてきた彼らが今もなお探し続けているのが、相も変わらず「自由」であることを淡々と唄い上げる。「奴隷天国」からは相当昔に解放されたはずなのに、だ。

「i am hungry」は、「夢を追う旅人」のカップリングで、続く「今を歌え」は、50作目のシングルとなった「RESTART」との「両A面シングル」。
いずれも、ドラマのタイアップが付されたナンバーだ。この辺りの楽曲を聴きながら思うことは、このアルバムに収録された楽曲は、ボーカル宮本の持つ声域全てを使い尽くすために製作されたのだろうか、ということ。時に荒々しく、時に静かに厳かに、そして時に淡々と。

終盤の3曲「旅立ちの朝」「いつもの顔で」「オレを生きる」は、タイアップなしの新録ナンバー。うわっ!そう来たか!と思わず唸ってしまうような、メロディアスでドラマティックなナンバーが続く。

今回のアルバム発表に合わせて、改めて過去の作品も聴き直してみたけれど、30周年を経て何か達観したのだろうか、最後の最後まで気を抜くことなく、正座の姿勢を保ったまま、凛とした気持ちで聴き通すことのできる作品。

(収録曲)
1. Wake Up
2. Easy Go (テレビ東京系ドラマ「宮本から君へ」主題歌)
3. 風と共に (49th SG / NHK「みんなのうた」2017年6-7月放送曲)
4. 夢を追う旅人 (48th SG / 明治企業CM「POWER!ひとくちの力 登坂絵莉選手篇」CMソング)
5. 神様俺を
6. RESTART (50th SG / フジテレビ系「FNS27時間テレビ にほんのれきし」ドラマテーマソング)
7. 自由
8. i am hungry (48th SG C/W / テレビ東京系ドラマ24「侠飯~おとこめし~」オープニングテーマ)
9. 今を歌え (50th SG / NHK BS プレミアドラマ「全力失踪」主題歌)
10. 旅立ちの朝
11. いつもの顔で
12. オレを生きる

収録されているシングル曲を中心としたPV集とともに初回限定盤に収録されている「Demo Tracks CD」は、宮本浩次が制作した本アルバム収録曲のデモ音源集。

(収録曲)
1.Easy Go 0
2.Easy Go 初期型(コードA)
3.Easy Go ほぼ最終系(コードG)
4.自由 demo ver.
5.いつもの顔で 2013 demo ver.
6.いつもの顔で 2018 demo ver.

購入するならば絶対こちらをお勧めします。



…と、手放しでこの作品を絶賛してみたが、恐らくこの作品に対する賛否両論はあるのだと思う。

とりわけ、デビューから30年以上、ずーっと彼らのことを追い続けてきたコアなファンからすれば、今でこそ当たり前となったマスメディアを使った宣伝方法(テレビやラジオへの露出)に困惑している人もいるだろうし、過激で攻撃的だった歌詞やサウンドがいつしか人生讃歌のような前向きな楽曲へと方向転換をしていったことに対して戸惑いを覚える人もいるだろう。ファンそれぞれが、熱を上げていた時代が違うのだから、こればかりは多分仕方ないことだと思う。(ちなみに僕は、Epicに在籍していた、それもデビューの頃の荒々しいエレカシが一番好きだった。)

けれども、それらをひっくるめて「エレファントカシマシ」の30年というキャリアは、とてつもなく重層的かつ濃厚であり、そして恐らく僕たちが知っている以上の(つまりファンに知られていないような)紆余曲折を経たからこそ、この作品に繋がったんじゃないかな、と思う。僕より数歳年上の彼らの歩みを辿りつつ自分のそれと照らすと、斜に構えてみたり、組織と反目したり、その過程で色んな「気づき」を経て立ち位置や姿勢に変化が見られたり、そして目障りだった色々なものを当たり前に享受できるようになったり。

…彼らの歩みに自分を投影するのも烏滸がましいけど、何か共感できるんですよ。

それはともかく今回のこの作品、これまでのファンだけではなく、最近エレカシに興味を持ち始めた人たちをグッと惹きつけるという点で、文字通り新たなファンの目を覚ますような傑作だと思うんだけれどな。

個人的には、1から2への流れ、アルバムに一服の清涼剤の如く間を置くような5、そして終盤の10~12の流れがとても好き。

あと一歩踏み出す力が欲しい人、元気になりたい人、そして、ちょっとお疲れ気味の方々に絶対お勧めのアルバム。

ちなみに、ユニバーサルミュージックのサイトでは、デラックス盤【UNIVERSAL MUSIC STORE限定 完全受注限定盤】を期間限定(7/17まで)で予約受付中

税込8,100円のこちらには、全64ページのフォトブックの他、DVD「THE ELEPHANT KASHIMASHI 30th ANNIVERSARY “THE FIGHTING MAN”DOCUMENTARY」(もしかしたらWOWOWで放映された内容と一緒?)と47都道府県を回ったアニバーサリーツアー最終日となる富山公演の模様を完全収録した3枚組のCDをパッケージしているそうだ。
ということで、久し振りに同名のアルバム2種類を購入することになってしまったけど、いいんです。どちらもそれぐらい興味をそそるプロダクツなんだから。
(敬称略)


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その後のアキレス腱


先日痛めた左アキレス腱、おかげさまで経過は順調で、歩く上での支障はほとんどなくなりました。
ところが、ちょっと小走りするとまだ痛みが残っており、道のりはまだまだといった感じです。

しかも、左脚をかばっていた影響で右脚にも違和感を覚えるという事態に陥り、何か悪いスパイラルにはまっているなあ、といった状況です。

痛めた16日以降、走ることは全て自粛。少し良くなったのでちょっとぐらい走っても大丈夫かな…ということも頭をよぎりました。
しかし、ここで患部に負荷を掛けることによって完治の時期を先延ばしするのは本意でないため、ひとまず1週間は一切走らないことにしました。

苦悶で顔を歪めたあの日から1週間となる明日の朝は定例の練習会があります。軽く走るか、それとも歩くだけにとどめるか、取りあえず顔だけ出すか、悩ましいところです。

ちょうど3年前に反対側の部位を痛めた時は、アキレス腱の周りにステロイドをぶち込んで大会に出場するという無茶なことをしました。今思えば、そこまで無理をしてでも走る意味があったのかどうかは、正直わかりません。

明後日は、そんないわく付きの大会でもある「たけのこマラソン」が開催されます。
同じことをすれば、今回も走ることは可能なのかも知れません。しかし、今回はその気にならないのです。
エントリーしているのは10キロ。たかが10キロ、されど10キロ。この状態でガチ走りすることがいかに無謀なことなのかは、過去の経験から学習しているつもりです。

だからこそ今は、ひたすら我慢。

正直、かなり辛いです。
梅雨に入ったとはいえ気候的にも走りやすいこの季節、全く走れずに黙って指をくわえて、仲間が走る姿を目で追うのは。当日の作戦を練りながら備えていたレースに出場できなくなるのは。

ひょっとしたら今シーズンを棒に振るのかも知れません。でも、ここで無理をするとどうなるか。そのことを自問自答しながら、今はとにかくじっと耐えろと、頭の中でずーっと言い聞かせています。

そうそう、診察の後で名医から渡されたのは、シューズのヒール部分を上げる部材でした。実は通勤時も100円ショップ(!)で購入したヒールアップの部材を靴の中に入れています。上げ底ってヤツですが、背が伸びたように見せるのか目的ではありませんので念のため。

かつての僕は、前のめりになって走る感じでした。前傾させることで、その推進力に頼る、みたいな。いや、今もあまり変わっていないのかも知れません。ただ、今と決定的に違っていたのは、あの頃はかかとではなく足のつま先着地で走る、いわゆる「フォアフット」型だったこと。もっとも、自分自身ではあまり気にしていなかったので、よくわかりませんが、つま先立ちで走るような、そんな格好だったようです。

ただ、その一方で疲れてくると脚全体でブレーキを掛けるような感覚があって、だったら最初から足裏全体で蹴り出して前進できるように走ればいいじゃないか、と思い立ち、着地方法を変えることに腐心していたことは、今だから明かす秘密です。(実際あの頃、靴底の減り方がちょっと変な感じでした。)

一つ思い出したことがあって、そういえば走り始めの頃の僕は、N社のシューズを愛用していました。機能がどうだとかは何も考えず、デザインとか色とか、そういったところにばかり主眼を置いていました。しかしその後、着地方法で悩んでいた頃に、今のa社のシューズにチェンジしたのでした。

足裏だけではなく脚の使い方、いや、走る時のフォームについては、僕にとってある意味「永遠のテーマ」みたいなものなので、今回も脚を痛めた過程を考えながら、何でこうなっちゃったんだろう…と思案する日々が続いています。誰だってそう、より楽に、より長く、そしてより速く走れるに越したことはないのでしょうけど、そんなことができていたら最初から苦労しませんよね。

恐らく脚を痛めた今も、フォアフットで走るとそれなりに走れるのですよ。ただしこれで種子骨を痛める可能性があり、とてもじゃありませんが怖くてできません。というのも以前、種子骨炎で象のように足の甲が腫れ上がった経験があるので。

そういう意味では、一時期凄い話題になったN社のあのシューズなんかは、実は今の脚の状況にピッタリとはまるのかも知れませんね。

まあ、この期に及んでa社からN社に乗り換えるなんていうことには考えが及ばず、まずは治すことが先決。ということでここは、長い目で見ることにしましょうか。

50までの独りbreaking3プロジェクト、ここでやめるわけにはいかないので、ね…。(ニヤリ)


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