10回目のフルマラソンに向けて


【今日の投稿は、今年フルマラソンに初めて挑戦することを決意したKさん、そしてフルマラソンを走ってみたいけれど悩んでいる皆さんに捧げます。】

2016年夏。いよいよ北海道マラソンの開催まで33日となりました。今年のフルマラソン初戦です。

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この大会は今回が第30回の記念大会となるそうですが、僕にとってもフルマラソン10レース目という節目の大会になります。だからといって何が何でも必死で頑張る!というわけではなく、脚の具合や体調を見ながら、まずは3時間30分台で完走することを目的としたいと思います。

僕は今から3年前の2013年、42歳の時にフルマラソンに初挑戦しました。それまでは、フルマラソンなんていうのは僕とは無縁の別世界で生きる人達がやるものだ、と思っていました。小学校時代は常に運動会の徒競走でビリ、体育の成績は万年「3」でしたが、本当であれば「2」でも全く不思議ではありませんでした。とにかく運動の類は一切苦手、走るなんてもってのほか。ハッキリ言って大嫌いでした。

30歳になる時に一度、「30歳という節目の記念に」と、小中学校からの友達数名と一緒に10キロマラソンに出場したことがあります。今の「弘前・白神アップルマラソン」の前身で、「NEWあっぷるマラソン」という大会。弘前市運動公園が舞台でした。あの時は47分弱でゴールしましたが、9キロで脚が止まり、ヘロヘロになりながらゴール、直後に両脚が攣って歩けなくなるなど、辛い思いばかりすることとなり、ちっとも楽しいと思えませんでしたし、二度と走るものか!と思っていました。
そんな僕が何でフルマラソンを走るまでに至ったのかという経緯は、今回は省略しますが、こんな運動大嫌いだった僕でも走れるぐらいなのですから、皆さんもちょっと努力すればきっと完走できると思います。(そして多分、小中学生の頃の僕を知っている人であれば、僕がフルマラソンを走るということは、恐らくツチノコが発見されるぐらいの衝撃、受け入れがたい事実として捉えられることでしょう。)

ただし、どれどれ、ちょっと走ってみるか…という軽い気持ちでフルマラソンを制限時間内に完走するのは、よほどの地力や体力の持ち主か、用意周到に準備をしていなければ無理だと思います。そのためには当然綿密な計画が必要になるわけですが、実際のところ何をどうやって準備をすればいいのか、となると、僕自身も答えに窮するところがあります。

ちなみに僕の場合、フルマラソンを初完走するちょうど1年前に、初めてハーフマラソンに挑戦しました。そして、ハーフマラソンに挑戦する以前は、10キロマラソンに4度ほど挑戦していました。フル挑戦までの4年間、時系列に出場レースを並べると、こんな感じです。徐々にレースの距離を伸ばしているのが、一目瞭然かと。

【2010】10キロ、10キロ 【2011】10キロ 【2012】ハーフ 【2013】ハーフ、ハーフ、ハーフ、20km、フル

別にフルマラソンを走るために短い距離から始めたというわけではありません。ただ、30歳の時とは違った思いを抱きながら、ランニングという趣味を受け入れることができるようになった背景があった、といえばいいのでしょうか。2015年以降は、春先からハーフマラソンの大会に幾つか出て、夏場から秋にかけてフルマラソンの大会に出る、といった感じです。マラソンの季節は秋からだと言われていますが、基本的に秋冬は大会に出ないことの方が多いです。冬は雪が多いという場所柄、みっちりと練習を積むのが難しくなってくるから、という言い訳がましい理由からです。

不思議なことに、一度フルマラソンで完走できたことが自信となり、今は仕事の進行管理と懐具合を見ながら、各地の大会にエントリーするようになりました。北は北海道、南は沖縄、出場してみたい大会は幾つかありますが、大体年間で3~4レースといったところでしょうか。
でも、ケガや病気などでレースそのものに出場することができなかったこともあり、更にその回数は年を追う毎に増えているような気がしています。ちょっと悔しいです。

さて、今でこそフルマラソンを完走することは自分にとっては「当たり前」のようになっていますが、最初にフルマラソンに挑戦することを決断するまでには、相当な葛藤がありました。僕が「弘前公園ランニングクラブ」の練習に初めて参加したのは2012年の8月第1週、あの頃はまだ10名も練習に参加しておらず、練習後の撮影も通りすがりの人にお願いするといった状況でした。

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初めて練習に参加したその時に一緒に走った方々から、単独で練習していた時(といってもちょっとその辺をジョギングしていた程度ですが…)には絶対に気づくことのなかった、目から鱗が落ちるようなアドバイスをいろいろ頂き、「大丈夫だよ!ハーフマラソンに出ればいいじゃん!」と背中を押されました。もう10キロはいいかなあ、と思っていたところ、弘前・白神アップルマラソンのエントリー期限が間近に迫っていたこともあり、衝動的にエントリーしてしまった、というのが実のところ。しかし、結果としてこれがフルマラソン挑戦への布石となったのです。
それまでは、毎回出場していた10キロマラソンの大会で30秒~1分ずつタイムを縮めていましたが、ではいきなり2倍以上のハーフマラソンを完走できるのか?といわれると、正直自信はありませんでした。

それでも、一緒に大会に参加した仲間の声援を受けて無事に完走、その日の夜の懇談会で「来年はフルだな!」とまたしても背中を押されたのです。
10キロからハーフマラソンならまだしも、ハーフを2回も走ることになるフルマラソン?10キロの4倍以上?絶対に無理!と、その時は即答を避けましたが、徐々に包囲網は固められ、翌年のフルマラソン出場へと繋がっていきました。

これまでの大会の記録(Running Results)

そういう布石があってフルマラソンには「満を持して」挑戦することとなりましたが、出場するからには絶対に歩くことなく、ちゃんと走ろうと心に決め、かなり用意周到に下準備をしていたことは、今だから明かしましょう。

42歳の、初経験(第11回弘前・白神アップルマラソン)

初めてのフルマラソンで完走するためのアドバイスは、僕よりマラソンのことを熟知されている方々が既にたくさんされていますので、ここでは僕自身がフルマラソンに臨む際に毎回心掛けている幾つかのことを記しておきたいと思います。

【コースの特徴を熟知する】
大会の公式HPやパンフレットには、どこをスタートして、どういった道を辿り、ゴールするか、そしてその高低差はどうなのか、といったことが記載されています。一番良いのは実際にそのコースを走ってみることですが、遠方だとなかなか叶いません。特に初めて出場する大会の前には事前にそれを熟読し、地図やコースの特徴等を頭に叩き込むようにしています。

【週間天気と天気図をこまめにチェックする】
マラソン大会に出場するに当たり一喜一憂するのが、当日の気象状況です。暑過ぎず寒過ぎず、走りやすい気象状況になるのが一番良いこととはいえ、天気で気持ちが左右されるのは、本意ではありません。晴れなのか曇りなのか、それとも雨なのか、気温はどうだ、いろいろあると思いますが、僕は大会5日前から週間天気をこまめにチェックするとともに、大会3日ぐらい前からは、日本気象協会の天気図をチェックして、当日の気圧配置がどうなのかを把握するようにしています。気圧配置や等圧線の間隔などで、概ねの天気のほか、風向きや強さを把握しておくためです。そして、前述の【コースの特徴】と複合的に判断し、どういった格好で大会に臨めばいいかを思案するようにしています。まあ、外れることの方が圧倒的に多いんですけどね。

【飲む食べるは自己責任で】
とある大会に出場する前日の夜、盛り上がって缶ビール350缶を3本も空けてしまいました。翌日の結果は推して知るべし。ちょっとフルマラソンを完走できるようになったからと、調子に乗った結果だと猛省しました。
走るということは、筋肉だけではなく内臓にも相当負担がかかっていることは周知の通り。県外の大会に出向くと、つい気持ちが大きくなり、地元のグルメや特産品など食指が動きがち。走る前はもちろん、走った後の飲む食べるは、あくまで自己責任で。ちなみにフルマラソン当日の朝における僕のルーティンは、切り餅を7個食べることです。

【経験者の話をたくさん見聞きする】
今はマラソンに関する書籍(特に新書)が多数発刊されているほか、大会に関する記事がブログなどでたくさん紹介されています。全てを読みあさるのは現実的に難しいことですし、それが参考になるかどうかは、個人個人によって違うと思います。
しかし、絶対これは参考になる!というバイブルのような書籍や記事を一つ持っておくことは、きっと励みになるはずだと僕は信じています。

フルマラソンを完走するために参考にしたもの

【レースの結果は必ず分析】
走り終えて完走証を頂いておしまい、ではなく、その日のレース展開がどうだったのか、後日必ず分析するようにしています。
5キロ毎のラップがどうだったのか、後半どのタイミングで、どれぐらいペースが落ちたのか、補給はどうしたのか、給水所で口にしたのは何か、といったことを細かく分析して、次のレースに繋げるようにしています。
もちろん全ての大会において同じ条件で走るわけではありませんので、内容は異なりますが、積み重ねによってウィークポイントも見えてくるものです。
特に今は、毎シーズン新しい補給用の食品やドリンクが出現していますから、レースで試してみるのも一つの方法かも知れません。ちなみに今回の北海道マラソンでは、それをやってみるつもりです。


僕自身、次の大会でフルマラソン出場10回目となる、とはいいながらも、百戦錬磨のランナーからしてみれば、僕は駆け出しのひよっこみたいなものです。

フルマラソンへの挑戦を躊躇している皆さん、僕もそうでしたが、やる前から無理だ、と決めつけるぐらいなら、一度やってみて納得した方がスッキリすると思いませんか?

走っている時はひとりぼっちかも知れませんが、きっと周りには同じゴールを目指して頑張る仲間、同志がいるはずです。大丈夫、フルマラソンに挑戦する貴方の背中を、ゴールまで後押してくれる人はたくさんいますから!
思い切って一歩を踏み出してみると、世界観が変わりますよ。

さあて、今年はどんなドラマが待っているのかなあ。
・・・あ、10回目の記念というわけではありませんが、注文してしまいました!(予定通り、ではないですから。)garmin_order


「みちのく津軽ジャーニーラン」は、猛者の集まりだった。


青森県内で開催されるフルマラソンの大会は、「弘前・白神アップルマラソン」のみです。日本陸連の公認を受けていない大会であるため、本県のフルマラソン完走者割合は、全国のそれと比較すると平均をかなり下回っているらしいです。県内でももう一つぐらいフルマラソンの大会があってもいいのにね、そんなことを思っている中、海の日の三連休にとんでもない大会が開催されました。

「第1回みちのく津軽ジャーニーラン200キロ」

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はい。その名の通り、弘前駅前を出発し、同じく弘前市高崎にある「さくら野百貨店弘前店」まで、普通に行けば3キロもないこの間を、何と自分の脚だけで津軽地方の10市町村を通過し、200キロを踏破するというものです。

弘前公園RCでもこの大会をサポートすることとなり、私もその一人として手を挙げ、スタート地点から第1チェックポイントとなる岩木山の百沢スキー場までの約16キロをガイドランナーとして走ってきました。

16日には参加者全員参加必須のミーティングが開催され、注意点などが説明されたとのこと。翌17日早朝4時半、集合場所となっている弘前駅前公園広場に向かうと、全国各地から集まった変人…いや猛者がいるわいるわ。
聞いたところでは200名を越える方々がエントリーしているとのことで、もはやそばに近寄るのも恐ろしいぐらいのオーラが漲った方々で、広場は溢れかえっていました。

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DSC_0739(猛者を取り囲んで出陣式を行っているような光景です。)

我々RCのサポートメンバーには、弘前駅前公園広場から弘前市土手町~弘前公園内を駆け抜け、岩木川に架かる岩木橋までの約5キロをガイドランナーとして走るという役割の他、チェックポイントでの給水、補給食の提供などの役割が与えられており、それぞれの使命を担ってこの大会に臨んでいました。この他にも、私設エイドの設置を自発的に行ったメンバーもいました。もちろん、数名の仲間は実際にエントリーもしていたわけで。
さてさて、RCからはこの日の朝、ガイドランナーとして約10名が集まりました。
選手の皆さんには、前日のミーティングで交通法規は絶対遵守(信号無視は御法度)、1キロ6キロペースで走る、そして、岩木橋までの5キロまでは先頭を走るガイドランナーを抜いた時点で失格、という注意が伝えられていたそうです。
で、誰が先頭を引っ張る(抑える)かということになったのですが、結局アップルマラソンでペースランナーを務めたこともあるキャプテンと僕が先頭を走ることとなりました。

DSC_0741(大会に出場するラン仲間と、サポートメンバーと。双方ともに気合いが漲っています。)

スタート直前(スタート直前の集合写真。すっかり調子に乗っています。)

午前5時、いよいよスタート。

スタート後

すぐにキロ6分のペースを掴みましたが、何せ市街地で信号が多い区間であったため、赤信号のたびにどんどん選手の皆さんはばらけていきました。まあ、よく考えてみるとこれから200キロ走るうちのたった1キロしか進んでいないので、そんなのはお構いなしなんですけどね。
弘前公園内に入る時点では、我々の後ろには既に10名ほどしかいませんでした。
「どちらからいらしたんですか?」「鹿児島から来ました。」「か、鹿児島!!!」
こちらがビックリするような、本当の猛者ばかり集まっていたんですね。
園内の説明をしながら、公園内を駆け抜けます。
この日はスタート直前から弱雨が降り始め、走っている間は結局ずーっと雨でした。
なので、岩木山も見えずじまい。まあでも、結果的に陽射しがない分、選手の皆さんにとって走りやすい環境ではあったようです。
本来であれば岩木橋で我々の任務は終了の予定でしたが、僕は当初から百沢スキー場まで走ると決めていましたので、キロ6分を保ったまま、走り続けました。この間「私のガイドランナーの役割は終わりましたので、先行されても構わないんですよ。」と声を掛けても、結局誰一人として前に出るランナーはいませんでした。結果的にはそのまま、第1チェックポイントまでランナーの皆さんを引っ張っていくこととなりました。

田園風景が徐々に広がり始める岩木地区。スタートから約7キロ、丸一石油商会で最初の私設エイドが登場、ランニング仲間3名が給水を行っていました。実はこの直前でウルッと来るようなやり取りがあったんですが、まあ、それは僕の心に秘めておきます。ここでキャプテンと別れ、この先は僕一人がランナーの先導を行うこととなります。

四季菜館前(先頭集団を牽引中。)

やがてジワリジワリと上りの区間に差し掛かり、それまで会話の弾んでいたランナーの皆さんも口数がどんどん減っていきます。しかし、皆さんの会話を聞いていると、とても僕には真似できるような芸当ではありません。日本国内の大会では飽き足らず、世界各地の100キロ(以上を踏破する)マラソン大会に出場している話だとか、間もなく国内で開催されている100キロ以上のマラソン大会の(50レースではなく)50大会に出場することとなる話だとか、聞いていても完全に別次元。
ふと、ランナーの方から話しかけられました。
「ところでこの辺だとあれですか、秋田内陸とかいわて銀河とか…(いずれも100キロマラソン大会の名称)。」
「そうですね、あとはサロマに行かれる方だとか…。」
「どちらかの大会には行かれるのですか?」
「いやいやいやいや!私はとてもとても…。」
…と、走りながら思わず苦笑い。
聞き耳を立てていると、140キロがどうしたとか200キロの大会は他ではどうだとか、もはや会話の内容が完全に別次元の話。一言で200キロ言いますけどね、弘前市からだと東北道を利用して岩手県の北上市まで行ってもまだ足りないわけですよ。皆さん、その距離を御自身の脚で走られるわけですよ。やっぱり変態だ…。

さてさて、そんなことを思いながらも最初の難関とも言うべき県道弘前岳鰺ヶ沢線宮地バイパスの上り坂を終え、いよいよ岩木山神社まで約1キロ。僕は先が見えてきましたが、皆さんはまだ全体の10パーセントにも達していないワケでして、そう考えるとやっぱり200キロを走るって尋常ではない…というか、自動車の運転でも200キロなんて面倒くさいですよね。
岩木山神社にたどり着き、参道を上ると、そこから約1キロはトレイルコース。一気に標高差100メートルを駆け上がります。この間もずっと雨が降り続いていましたが、視界が開け、最後きつめの坂を上りきったところで、いよいよチェックポイントとなる百沢スキー場が見えてきます。ヤマザクラがキレイに咲き誇る桜林を抜けて、ようやくチェックポイント到着。信号待ちを除くと、ここまでで1時間40分弱でしたので、キロ6分は少し越えてしまいましたが、概ね想定のペースは守ったことに…。(ただしあとでラップを見たら、ムラが酷かった。すいませんでした。)

DSC_0745(この桜林を上りきると、第一チェックポイントがあります。)

まあ、5キロ過ぎた時点でキロ6分の設定は解除となっているので、速かろうが遅かろうがもはやどうでもいいのでしょうけれど。(ちなみに5キロ通過は30分44秒。ちょっと遅かった。)

僕の後ろを最後まで走ってこられた2人の方とガッチリと握手を交わし、道中の安全を祈りながらお見送り。
そしてその後も続々とやってくる全ての選手(しかも最後の二人はラン仲間のKくんとHさんだった!)を見送り、8時頃に下山開始。結局家に帰宅したのは9時過ぎのことでした。
これで御役御免…のハズだったのですが。

18日、雨は上がり何とか天気は持ちこたえそうな感じ。ふと、昨日見送った選手の皆さんが、今いったいどこを走っているのか思いを馳せます。この日は午前午後と野暮用があったので、中途半端に大会に関わっても仕方がないから応援に行くのはやめよう、と思っていたのですが、どうも気になって仕方がないのです。程なく、出場した仲間の数名が制限時間やその他の事情でリタイアしたこと、一方で現在も数名がどこかを走って(歩いて)いることを知ります。
午後2時頃、この日最後の用事であった墓参りを終えた私、居ても立ってもいられなくなり、ゴール地点であるさくら野百貨店弘前店に行ってみることにしました。いや、行ったところで何ができるワケじゃないのです。でも、何だかわからない妙な焦燥感というか義務感に駆られて、行かなきゃならない、ゴールを見届けなければならない、という思いばかりがどんどん強くなっていきました。
墓参りに行く時点で既にランニングできる服装に着替え、弘前市撫牛子にあるお寺から走って田舎館村豊蒔を経由、県道弘前田舎館黒石線へ。ここはゴールに向かう最後の区間といってもいいのですが、右を見ても左を見ても選手の姿はありませんでした。ここから約1.7キロ西へ向かうとさくら野百貨店弘前店があり、ペースを緩めながら走っていると、何人かの選手と遭遇しました。
でも、「頑張って下さい!」なんてことは絶対に言えません。
だって、これまでどれほど頑張ってきたのか、我々の想像の域を遙かに越えているからです。ですから選手の皆さんには、「お疲れさまです!」とだけ声を掛けて、ゴール地点を目指しました。
ゴール地点に到着すると、スポネット弘前の方やスポーツエイド・ジャパンなど、大会関係者の皆さんが選手のゴールを待ち構えていました。

DSC_0753(ゴール地点では、皆さんが選手の到着を待ち構えています。)

そしてふと横を見ると…そこには、たった今200キロを踏破したばかりの勇者が、文字通り精根尽き果てたような様相でへたり込んでいました。大体にして200キロを踏破し終えた選手の姿なんぞ、これまで見たことがないのですよ。その姿に、僕は思わず息を飲んでしまいました。その後も、かなり間隔を置きますが、少しずつ選手の方がゴールテープを切ります。そう、それは僕がここにたどり着く直前に声を掛けた選手の皆さんでした。
そういえば、ラン仲間の皆さんはどうされたのでしょう…。聞いたところでは、残り7キロの地点を過ぎた方がこちらを目指しているとのこと。
一旦ゴール地点を離れた僕は、さっきと逆の方向に向けてゆっくりと走り出しました。この間も、睡魔と戦っているのか、一歩間違えればゾンビのような姿で歩く方や、疲れも見せずニコニコ談笑しながらやってくるカップルなど、数名の選手とすれ違いました。僕はといえば、皆さんに対して敬意を表して一旦立ち止まり、「お疲れさまでした!残り●●メートルですよ!」と声を掛けます。

すると、ほとんどの皆さんが同じ対応をされるのです。
辛くて苦しいはずなのに、ニコッと微笑んで「ありがとうございます!」と言葉を返してくるのです。中には「ありがとうございました。本当にお世話になりました。」とおっしゃる方も数名いました。
オレ、別に大したことしてないし…。
選手を労っているつもりなのに、こちらが労われている…。そう考えたら、何だかこちらの胸が熱くなりました。

さて、気づいたらゴール地点から約3キロも逆走してきました。ようやくここで、ラン仲間1号を発見。両膝にはテーピングが施され、かなり辛そうな感じでしたが、単独ではなくお二人で歩いていましたので、それだけで気分転換にはなっていたようです。
道中で起きたお話をいろいろ聞きながら、再びゴールを目指します。いわば、これもガイドランナーみたいなものですね。でも、実はお話をするのも辛そうなぐらい声が細くなっていたので、これ以上疲労を蓄積させてはいけないと、僕は少し距離を離れて先導することにしました。いや、ここまで来たらもはや先導する必要なんてないのでしょうけれど、昨年の田沢湖マラソンでこの方から2度も檄を飛ばされた立場としては、余計なお世話と思いつつも、せめてもの恩返しをしたい、と考えたのです。
結局お二人は、午後5時を少し回ったところでゴールしました。そして、ゴール地点には「居ても立ってもいられず」やって来た僕のことを知ってなのかは定かではありませんが、たくさんのラン仲間が集まって最後の声援を送っていました。

やむにやまれぬ事情があったため、僕は17時30分過ぎにゴール地点をあとにしたのですが、その後も続々と選手の皆さんはゴールされたようです。

無事ゴールされた皆さん、本当におめでとうございます。拍手!
残念ながらゴールすることができなかった皆さん、そのチャレンジ精神に、同じぐらいの拍手!

僕はガイドランナーとしてほんのちょっと並走させて頂いただけですが、皆さん本当に輝いていました。

僕、冒頭で「自分の脚だけで200キロ踏破」と言いましたが、これ、違うんですよね。脚だけではなく、頭のてっぺんからつま先まで、そして脳もフィジカルもメンタルも全て駆使して踏破する、そういうことなんですよね。

今回のこの大会に少しだけ携わっていく中で、一つだけ確信したこと、ハッキリ言えることがあります。
僕はフルマラソン以上の距離は絶対走りません。そう腹を括ることができました。

全国各地からいらした選手の皆さんもスタッフの皆さんも、本当にお疲れさまでした。
僕自身、本当に素晴らしいものを見せて頂くことができ、励みにもなりました。ありがとうございました。


2016 沖縄本島旅行記 #OKINAWA


毎年のことながら、今年の夏もいち早く夏季休暇を取得し、沖縄本島へ旅行をすることとなりました。
今回は7月7日から9日までの2泊3日。例年は3泊4日なのですが、推定年齢16歳のハナ(雑種犬・♀)に万が一のことがあっては、この間に留守を預かるお袋が大変だろう、ということで1日短縮したところ、そのハナは6月上旬になってあれよあれよの間に旅立ってしまい、結果的に短縮した意味は全くなくなってしまいました。

例年より1日短いということで濃厚な2泊3日にしなければ、となるのかも知れませんが、何せノープランで直感的に行動してしまう2人、結果的には今回も行き当たりばったりな旅になりました。

6月下旬に6泊7日の熊本出張を終えてから中5日での沖縄旅。一見するとなかなかのハードスケジュールですが、実際は熊本の疲れを沖縄で癒す、みたいな感じでした。

7月7日は、青森から羽田乗り継ぎで沖縄那覇へ。折しも今年初となった台風1号が沖縄の南を進んでいるタイミング、那覇空港への到着が若干遅れましたが、ジリジリとした暑さはなく、むしろ梅雨のようなジメジメしたような感じでした。

14時前にレンタカーを借りて(意外なほど手続がスムーズだった)、遅めの昼食。
まずは「そば処玉家 豊崎店」にて早速沖縄そばを貪ることに。僕が注文したのはミックスそば。(三枚肉とソーキ(骨付き肉)が載っている。)
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ここの本店は、地元テレビが主催した「第2回沖縄そば王決定戦」で「沖縄そば王」を受賞したらしく、豊崎店に入店した14時過ぎでもまだお客さんがたくさんいました。スープはあっさり系、麺は細めの固麺で、これまで食したことがない感触!(亀浜麺といって、県内でも有名らしいです。)
テーブルの上にはフーチバー(よもぎ)が置かれていましたが、コーレーグース(島とうがらしを泡盛に漬けた調味料)同様、入れる入れないは完全に好みです。(ちなみに私は、ちょっと…でした。)

難癖をつけるとすれば、スープが少し濁っているんですね。これは乗っかっている肉の影響かも知れないけど。ジューシー(炊き込みご飯)は炒飯みたいにパラパラ。しかもうちらの注文がこの日の「ラストジューシー」だったらしく、我々の後に入って来た人には「ごめんなさい」していました。

ちなみに旅行2日目にも、読谷村の国道58号線沿いにある「読谷食堂 ゆいまーる」で沖縄そばを食しました。
店構えがあまりに周囲の風景に馴染んでいるので、思わず通り過ぎてしまいそうになります。
店内は、ザ・大衆食堂!ザ・沖縄食堂!といった雰囲気。この日はお昼時にもかかわらず運良く空いていて、地元の方、観光客が半々ぐらいの入りでした。

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JALの機内で提供された「ちゅらナビ」を提示すると、マンゴージュースがサービスされます。なかなかの量ですが、凄く美味しい!そしてこちらで食したのは「沖縄そば(大)」と「ゴーヤーチャンプルー定食」。沖縄そばには、フーチバーのジューシーが無料でついてきます。(フーチバー…そう、前日も食した「よもぎ」です。ということで、若干癖のある味です。)
スープは控え目な鰹風味、三枚肉は弾力性が残っていてうまい!汁まで完食しそうになりました。

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ゴーヤーチャンプルーも、何で沖縄のゴーヤーってこんなに苦みがないんだろう?というぐらい箸が進みます。これに小皿が二つもついているのですが…。何と言っても驚くのは、価格の安さ。

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この二つで1,100円ですよ!マンゴージュースを無料で提供して頂いたのがホント申し訳ないぐらい。
ちなみにこの他に、カレーやカツ丼など、食堂ならではの定番メニューもあります。

で、運ばれてきた器が素敵だなあ、と思って見ていたら、隣には「読谷村共同販売センター」があり、ここでやちむん(焼き物)や織物、琉球ガラスといった工芸品が多数販売されています。どうやら「ゆいまーる」で使用されていた器も、こちらで販売されていたものだったんですね。まさに地産地消。その器の美しさに心引かれた私たち、食事を終えた後にふらりとセンターに立ち寄って、思わず食器を数点購入してしまいました。

ついでなのでこのまま最終日の昼食も紹介。
豊見城市にある「よね食堂」。糸満方面に向かう国道331号(今は旧道といった方がいいのかな。NAHAマラソンのコースにもなる道路です)沿いにあって、駐車場もバッチリ完備されています。(店正面の駐車場が混雑していたら、信号を挟んだ反対側に駐車できます。)
こちらは県内でも老舗の部類に入る食堂で、地元では「よねそば」と呼ばれているらしいです。
さすがに3日間お昼が毎食そばだと芸がないかな、ということで、みそ汁定食とフーイリチー定食をオーダー。

「みそ汁」と言っても想像するようなみそ汁ではなく、よね食堂のみそ汁には豆腐、卵、モヤシの他、恐らく中身汁の具と思しき豚のモツ、そしてコンニャクが入っていました。そして、上にはまたもやフーチバー。そうそう、例えるならばパクチーみたいな感じですかね。

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個人的には中身汁を食べたいな、と思っていましたが、汁物に汁物ということでフーイリチーにしたところ、思いがけず中身汁風のみそ汁を頂くことができて大満足でした。

フーイリチーは、麩の炒め物です。モヤシや卵などと一緒に炒めた、和風テイストな、まさに「ご飯のおかず」といった感じ。ちなみに、これに島豆腐とスパムが加わると、フーチャンプルーになるらしいです。

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このフーイリチー定食には、そばがついてきました。麺は例えるならば太めの焼きそばのような感じでしたが、スープはこれまでとは一転、かなり濃いめの味でした。どちらかというと、普段我々が青森で食べ慣れているような味に近いのかな?ただ、もしかしたらちょっと化学調味料がきつめに効いているのかな、とか思ったり。

さて、今回宿泊したホテルは、沖縄道の石川ICから車で約10分足らずのところにある、恩納村の「ホテルモントレ沖縄 スパ&リゾート」。
ちょうど開業3周年イベントを行っており、サービスが充実していたことや、口コミなどを見て決定しました。
ホームページを見たところ、「クラブ・モントレ」という無料の会員制度があったので、こちらにも事前に登録。まあ、この登録があとで活かされたワケですが。

DSC_0721(到着した日は、雨交じりの曇天)

タイガービーチの目の前にあるこのホテルは、全室オーシャンビュー。私たちはスタンダードの部屋を予約していたのですが、運良くアップグレードでコーナーの部屋に案内されました。(クラブ・モントレのおかげかどうかは不明です。)
青と水色が混在した東シナ海。眼下に広がるのはホテルのプール、更には、あ…お墓が…(苦笑)。
気になる人は気になる、気づかない人は全く気づかない、お墓がホテルのそばに点在しています。まあでも、これも一つの共存ですわな。

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で、結局滞在中は海水が冷たいわスコールはガンガン降るわで海はもとより外のプールでも泳ぐことができなかったんですが、このホテル、室内プールの他に温泉があるのです。

DSC_0723(こんな感じでスコールがやってきます)

2日目の夕方にプールで一泳ぎした後(時間帯が良かったのか単に選択を間違えたのか、幸いにもほとんど人がいなかった)、温泉に入ってきました。1人1,500円とやや高めとはいえ、この他にトレーニング機器を揃えたジムもあり、こちらも1,500円の中で利用することができるらしいです。更に、翌日お昼まで再入場可能ということで、結局私、2日続けて温泉に入ってきました。プールで遊んで温泉に入ってサウナで汗を流して…そう考えると1,500円も安いものでしょう。
そしてそして!「クラブ・モントレ」の特権発動。何とチェックアウトの時間を3時間延長することができます。(本来はチェックインの時に申告しなければならないようです。)

我々がチェックアウトしたのは土曜日で、この日だけでも結婚披露宴が相当数行われるらしく、ホテルは満室とのこと。次のお客さんのチェックインが14時頃の予定なので、できれば13時頃までチェックアウトして頂ければ助かります、ということを言われましたが、11時のチェックアウトを1時間以上伸ばすことができただけでも、かなりゆっくりホテルでくつろいだ気分になりました。

ちなみにホテルの近所には居酒屋やステーキハウスなど、飲食店が多数あります。
が、あらかじめ日程と宿泊先が決まっているのであれば、絶対事前に周辺の飲食店をリサーチし、出発前に予約することをお勧めします。当日飛び込みで訪ねてみても、特にこれからの時期は、入店を断られるか相当早いか遅い時間じゃないと案内できない、と言われるのがオチです。

もう一つ、夜の食いっぱぐれを回避する手段として、地元のスーパーやテイクアウト可能な店で食べ物を購入し、ホテルの部屋で食する、という方法があります。
今回この手段は使いませんでしたが、沖縄を訪れた際は、3泊4日のうちいずれかの夜でこの手段を行使することが多いです。自分で食べたいもの、特にこの地域でなければ食べることができないものを購入し、部屋食にする…こうすることで、誰に気兼ねすることなく時間も気にする必要がないので、ゆっくりと食事を楽しむことができます。

ということで今回は2日目の夜、1軒目の居酒屋を後にしてから、飲酒しなかった妻が車を走らせ、ホテル近くにあるドライブインへ。ネオンで飾られた夜の店構え、どこか沖縄っぽさがあって、何とも素敵です。

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恩納村にある「シーサイドドライブイン」は、テイクアウトカウンターの営業が24時間!沖縄最古のドライブインとしても有名で、イートインも可能ですが、ざっと見た感じではテイクアウトカウンターを利用するお客さんがかなり多いとみました。

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ちなみに翌朝8時過ぎにこの辺りをジョギングしたのですが、その時点で既にカウンター前に6人ほどのお客さんが待っていました。

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紙コップに入った200円のスープと、450円のステーキサンドをオーダー。車の中で待っていると、注文時に手渡された発信器がブルブルと鳴り、注文した品が出来上がったことを知らせてくれます。

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ステーキサンドっていうのが、何となく沖縄っぽくていいと思いませんか。スープはシチューとクラムチャウダーの中間といった感じで、結構濃厚な味わいでした。

さてさてそんな2泊3日の旅もあっという間に終わりを迎え、最終日は、沖縄那覇空港周辺ではなく羽田空港周辺の悪天候により、羽田からの航空機の到着が大幅に遅れ、結局出発が30分も遅れるというオチまで待っていました。
これまで嵐を呼ぶ夫婦、と言われ続けて来ましたが、どうやら今季は僕が雨男のようですね。

この他にもあちらこちらに立ち寄ったのですが、その一方で今回立ち寄ることのできなかったところもたくさんありました。ちなみに修学旅行ではないので、例えばオキナワを巡る色んな問題を抱えているあっちの方とか、過去の歴史的背景を考えるようなあっちの方には、今年も足を運びませんでした。
何よりも今回は、ほとんどジョギングすることができなかったのが、ちょっと心残りとなってしまいました。…いや、実のところ蒸し暑かったのよホント。

天候も今ひとつだったし、来年リベンジするしかないかな…。(ニヤリ)

IMG_0236(夜のプール)

IMG_0242(夜の教会)

IMG_0238(夜の読谷村方面)


Sheila E の新曲「Girl Meets Boy」


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初めてこの曲を聴いた時に浮かんだ感想は「参ったな…」でした。
電車の中で聴きながら、流れてくる涙をごまかすために、何度生あくびをしたことか。

ダンスアルバムの制作途中だったシーラE。4月のプリンスの訃報に接し、「これは今作るべきアルバムではない」と作業を中断、すぐにプリンスに捧げる楽曲とアルバムの制作に取りかかり、その先行としてこのシングルを発表したそうです。
二人が出会うこととなった若かりし頃を思い起こさせるこのタイトルだけでも十分ヤバイぐらいですから、制作が進んでいるアルバム(ちなみにアルバムのタイトルは今回のシングルと同じ「Girl Meets Boy」になる予定)も、プリンスに捧げる愛に溢れたアルバムになることでしょう。年内には発表される見込みのようです。

この楽曲では、彼女の代名詞とも言える激しいドラミングやパーカッションを一切封印。曲の中にしばしば出てくる「Rain on me」という表現は、当然プリンスの「Purple Rain」を連想させます。そして、美しいピアノと切ない彼女の歌声が琴線に触れると同時に、何か胸を掻きむしられるような熱い思いに駆られます。

一時期は婚約まで漕ぎ着けたという話を聞きますが、実際にシーラとプリンスの関係がどれほどだったのかは、正直よくわからないし、今となっては別に知りたいとも思いません。邪な人であれば「プリンスが亡くなった後のシーラの一連の行動は、プリンスの名を借りた何とかだ…」とか意地悪なことを言いそうですが、そんなのはもう次元が低すぎ。というか、多分ファンの人なら絶対そんなこと思わないはずだけど。
で、この曲を聴いて思ったことは、シーラとプリンスの間には、我々が想像しているよりも遥かに強固で、絶対的な信頼関係が構築されていたんだろうな、と。

良き相棒であり恩師であり友人でもあるプリンスを失ったシーラの悲しみは、僕らのそれとは比較することができないぐらい深いものだったとは思いますが、ファンとともに同じ悲しみを共有しつつも、それを浄化してくれるような切なくも優しい素敵な楽曲に、まさに心が洗われるような気持ちになりました。

New Single Girl Meets Boy | Sheila E Songs


熊本地震支援業務について -益城町での活動記録-


熊本地震(くまもとじしん)は、2016年(平成28年)4月14日21時26分以降に熊本県と大分県で相次いで発生している地震である。
気象庁震度階級では最も大きい震度7を観測する地震が4月14日夜(前記時刻)および4月16日未明に発生したほか、5月14日9時までに最大震度が6強の地震が2回、6弱の地震が3回発生している。日本国内の震度7の観測事例としては、4例目(九州地方では初)および5例目に当たり、一連の地震活動において震度7が2回観測されたのは初めてのことである。(出展:Wikipedia)

震災から2か月以上が経過した6月25日から1週間にわたり熊本県に滞在、震度7を2度観測した益城町で避難所運営の支援業務を行ってきました。全国知事会からの要請を受けたもので、青森県からは6月10日ころから3名1組の班が交代で業務に当たっており、私は第5班の一員として派遣されました。

益城町は熊本市東部に隣接しており、人口は約3.3万人、熊本市のベッドタウンとして発展を遂げてきました。おもな産業は農業で、スイカやイチゴの産地だそうです。熊本県の空の玄関口である熊本空港(阿蘇くまもと空港)も、益城町にあります。

25日の夕方に空路熊本県入りした我々は、レンタカーを借りて益城町へ向かい、支援業務を行う小学校で前の班からの引継ぎを受けました。実際の業務は翌26日から30日までの5日間(前後1日は青森~熊本の移動日)。業務の内容は、支援物資の管理や朝昼晩の食事の配給、仮設トイレの清掃、支援本部会議への出席など多岐にわたっています。

まずその前に、熊本地震から2か月以上が経過、新聞やテレビなどの報道で、その後の状況がどうなっているか、といった情報がほとんど伝えられなくなってしまいましたので、益城町の現状がどうなっているのかをお伝えしなければならないと思います。

益城町役場の前。国土交通省が地震計を設置。2体の銅像が地震の大きさを無言で物語っています。

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役場も地震により大きな被害を受けたため、プレハブの仮庁舎で業務が行われています。


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役場から南寄りにある木山地区。南側を東西に流れる秋津川に向かって下っているこの周辺の活断層が大きくずれたことにより、震度7の直下型地震が発生した、という分析がされているようです。
6月26日と7月1日にこの地区を訪れてみましたが、多くの建物は依然として倒壊したままの状態となっています。

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東日本大震災では、大津波が街を飲み込み、引っ掻き回し、そして海へと引きずり込んでいきました。街に残されたのは、たくさんの瓦礫の山。
一方の熊本地震は、直下型地震であったため、火災が発生したところも複数ありましたが、建物の多くはその場で損壊しました。

建物の損壊度合いの判定は「一部損壊」「半壊」「大規模半壊」「全壊」に分類されますが、外観だけで判定されたおうちが多く、基礎を含む再判定により、損壊度合いが変わるケースが後を絶たないのだとか。

地元の方に聞いた話では、このあたりは瓦葺の建物が多く、激しい揺れに見舞われた古い住家は、瓦の重みで潰れてしまったところもあったそうです。一方、最近では軽い瓦も登場しているとのことでしたが、こちらも揺れによって屋根瓦が崩れたお宅もかなりあるそうで、例えば屋根だけの一部損壊で済んだお宅で屋根瓦を注文しても、現在は300軒以上待たなければならないのだそうです。

このため、飛行機に搭乗した際に上空から見ると、今もなおブルーシートに覆われた家がたくさん見受けられます。

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DSC_0595(役場庁舎3階から見た光景)

また、我々が訪れたころは梅雨の最盛期で、1時間の雨量が90ミリ近くという猛烈な雨が降った時もありました(というか、私が滞在している間は四六時中雨が降っており、私自身が雨男なのだということを痛感させられました)。
地震直後、着の身着のままで避難された住民の方々は、家財道具や思い出の品々を整理するため、損壊したご自宅に向かわれる方も多かったのですが、大雨による雨漏り等のために棄損しなければならないという事態も発生しており、涙をこらえて避難所に戻られた方もいたようです。

木山神宮。この地区の皆さんの心の拠り所になっている場所ではないでしょうか。が、しかし。

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ご覧の通り、本殿は屋根を残して潰れていました。こちらも屋根瓦の重みで潰れた建物の一つのようです。

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そして、この木山神宮の周辺には住家がたくさんあるのですが、前述のとおり建物が軒並み倒壊しており、今もまだ手付かずの状態になっていたほか、道路や駐車場が大きくうねっている箇所が散見されていました。今もなお時々余震に見舞われることから、ご自宅に帰れずに避難所暮らしを続けている人もいるようです。

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私が支援活動に従事した小学校は、益城町役場から北西に数キロ離れた場所にありました。我々が訪れた時点で約160名の方々が学校に避難していたほか、近くにある「グランメッセ熊本」の駐車場にはトレーラーハウスやテントで暮らす方の姿が見受けられました。

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支援活動を通じて感じたいくつかのことを。

・震災から2か月以上が経過し、避難所で暮らす方々の多くはもとより、支援業務に従事する役場や県の職員の心的なストレスも相当ではないかと思う場面に何度か遭遇しました。実際、地元紙では熊本市役所の職員のうち約500名にPTSDの症状が見られると報じられていました。避難者はもちろん、職員の心のケアをしっかりしていかなければならないと思います。
・その一方で、全国からの行政による支援は、実は撤退の方向で進んでいます。6月末を境に多くの県が撤退、現時点で支援に従事しているのは、かなり少ないのではないかと思います。しかしながら、県や被災自治体による復興計画の策定は現時点でなお急ピッチで進められているような状況であり、せめて計画が策定されるまでの間は支援を継続してもよいのでは、と思ったのが正直なところです。
・益城町には私たちが作業を行っていた時には14か所の避難所(直後に1か所が閉鎖)があり、仮設住宅の整備も進んでいます。が、あまりに辺鄙な地域(空港から至近の場所にある、工業団地)に作られたため、せっかく入居の抽選に当選したにもかかわらず、辞退する避難者の方も多いようです。「何たるわがまま!」と非難する声もあるようですが、近隣に買い物をする場所もないようなところに、移動手段を有しないお年寄りなどが行けるはずがありません。私も同じ立場であれば、躊躇したと思います。もちろんいろんな事情があってのこととは思いますが、もう少し配慮してあげても良かったのではないかと思います。(その後、この仮設住宅が作られる地域での巡回バスの運行や食料品店の出店などが報じられました。)

DSC_0608(写真は現在建設中の仮設住宅。ここでも近隣に食料品を購入できる店はないようです。)
・朝はおにぎり、昼はパン、夜は弁当の配給が行われます。大手コンビニから提供されるもので、町が発注をしているそうです。これは、避難所である体育館やテントなどでの生活を強いられている方のみならず、「ご自宅が被災し、炊事のできない環境にある方」にも配給されます。しかし現実には既に断水などは復旧しており、ご自宅で炊事を行うことは差し障りがないようです。にもかかわらず、町の方針として配給が今も続いているという現状には、正直「なんで?」と思いました。そして、外から配給を頂きに来る人の中には、「今日は○○はないの?」とか「私、これ好きじゃないのよ。」などと、支援物資にケチをつける人も。「そんなに嫌なら買えば?」と何度喉元まで言葉が出かかったことか…。
・作業をしている5日間のうち、4日間にわたって炊き出しが行われました。ほぼ毎朝みそ汁の提供が行われたほか(7月からは月・水・金に変更となった)、カレーや炊き込みご飯、コーンスープ、牛タン丼など、さまざま。
確かに必要とはいえ、炊き出しも配給も続ければ続けるほど、避難所やその周辺で暮らす方々が「当たり前」として受け止めてしまい、住民の皆さんの自立の足かせにならないだろうかと、ふと思った次第です。

作業をしていた避難所の中には、震災で親御さんを亡くした高校生の姿もありました。が、そんなことを微塵も感じさせない振る舞いに、こちらが励まされ、勇気づけられるような思いでした。
このように、避難を強いられ生活している人々は、その事情がそれぞれ全く異なります。
たった5日間という作業の中で、私自身が本当にお役に立てたのかは正直わかりません。
しかし、被災した皆さんが1日も早く以前の生活を取り戻すことができるよう願うばかりですし、いつか復興を遂げた暁には、熊本城をはじめいろんなものを、自分自身の目で確かめに行きたいと思いました。

青森と熊本は、距離にして約1,500キロ離れていますが、私としては傍に寄り添っているような気持ちで、1日も早い復興を心から願っています。