魔物と仲良くなりたい – 北海道マラソン2018 -(後篇) #北海道マラソン2018


【快調に飛ばしてきた前篇から続く】

30キロ前後で突如現れた魔物は、脚の痛みも痙攣でもなく、「腹痛」だった。
まるで攻撃の合図のごとくギュルギュルギュル~ッと鳴った胃から下の辺りを、ジワリジワリと締め付けるような痛み。予想外の事態に慌てふためく。

確かに身体が冷えた感じがあったけれど、腹痛を引き起こすほどじゃないよな?給水を取り過ぎた?いやいや、それもない。

よりによって新川通は残り約2.5キロもある。しかし、どんどん失速していくのがわかった。マズい。これは危険かも知れない、とトイレを探すも、周囲にトイレがない。
それまで大量に掻いていた汗が、冷や汗に変わる。

意識と力の入れるところを丹田から括約筋に切り替え、ジョグペースまで落とす。
更に時折歩きながら新川通を抜け出し、33キロ付近の給水所にようやく辿り着き、仮設トイレへ慌てて駆け込む。
何だこれ?別に変なものを喰った記憶もないのに、何が起きたんだ?
レース中にトイレへ駆け込んだことは数度あるが、腹痛で駆け込んだのは今回が初めてだった。
「北海道の魔物」が、ゲリラに形を変えて襲ってきたのだ。

思い当たる節を色々考えながら、妙な違和感とともにトイレットペーパーで拭いたそれを見て、目が点になった。

白いトイレットペーパーが、真っ赤に染まっていた。

え?と思い慌てて下を覗き込むと、そこも赤く染まっていた。け、血便

一気に血の気が引いた。
動揺を隠しながら簡易トイレを出て、気を落ち着かせる。
とにかく、まずは冷静に…。
待てよ、このままレースを続行していいものなのか?(普通ならリタイアしてもおかしくないと思います。)

タイミング良く、反対側の車線を「収容」バスがゆっくり進んでいる。

「ちくしょう…意地でも乗るものか。」

水を一杯だけ飲み干し、再び走り出すも、走っていいものなのかどうかもわからず、すぐに脚が止まる。さっきまでのゾーン状態から完全に解脱、集中力が切れた。汗も全くといっていいほど出てこない。

目の前に現れた、赤い魔物。
しかし、一体何が起きた?自分の身体で今、何が起きているんだ?頭の中が混乱しているのがわかった。
こうなるともはや、精神状態を元に戻すことも難しかった。

歩いて走ってを繰り返し、何度も立ち止まる。まだ腹部に痛みがあるわけではない。ただ単に、走るのが怖いのだ。また同じ状態になったら、今度こそ収容だ…。

沿道からの声援に応えることもできず、情けなさと悔しさが渦巻く。
しかし、ここで凹んでばかりもいられない。何でこういう状況になったのか、もう一度考えてみよう。

もはや意識を向けるのは、そこしかなかった。そして思い当たる節が、幾つか浮かび上がってきた。

薬の飲み合わせ、直前に摂取したサプリ、飲み慣れないカフェインレスのコーヒー…とにかく、普段あまり口にしないものが悪さをしたことは、明白だ。

仲間数人に先を譲ったが、その人数も顔ぶれも、どこで譲ったのか何を言われたのかも記憶に乏しいぐらい、思考能力が低下していた。いや、動揺していたといった方が正しいかも知れない。

北大のキャンパスに入ってもなお、気力は快復しなかった。脚には有り余るほどの余力があるのに、だ。
40キロ過ぎ、再びギュルギュルと雄叫びを上げるゲリラの襲撃を受け、慌てて仮設トイレに駆け込む。ゴールはすぐそこだけれど、またしても赤い魔物が姿を現した。

2度目の火炎噴射からのロケットスタート!とはいくはずもなく、トイレを出た後は疲労困憊で全く走る気にもなれない。CやDのゼッケンを背負ったランナーが次から次へと僕を追い抜いていく。Bブロックというせっかくのアドバンテージを、無駄にしてしまった。結局、周囲のランナーの流れに身を委ね、フラフラになりながら残りの2キロを走り、無気力のままゴール。

魔物に感情まで吸い取られたのか、憤りも怒りも悲しみも悔しさすらも湧いてこなかった。ただ天を仰ぎながら、空虚な気持ちだけが渦巻いていた。

3時間40分47秒は、北海道マラソンでのセカンドワースト。正直、ショックだった。

フルマラソンで(ペースランナーを除いて)3時間30分を切れなかったのも、2年ぶり。大体にして、30kmまでは順調にペースを刻んでいたのに、30キロ以降の僅か12キロちょっとに1時間30分近くも要するって、あまりにも不甲斐なさ過ぎた。スタート時の気温、湿度(気温は22度とか25.5度とか、湿度も75%とか71%とか、各紙の報じ方がバラバラだった)を差し引いても、こりゃないよな、といった感じだった。

もっとも今回は、完全に練習不足だということを自覚していたし、脚の復調具合を確認しながらのレース運びとすることを想定していた。

ただ、最低限でも3時間30分を切るタイム、あわよくば3時間15分を切るようなタイムでゴールしようと考えていたし、現に途中までは充分それを射程圏内に捉えていただけに、この結果は不本意の一言で済まされるような内容ではない。

ただし、もしもそれですら自分の気の緩みだ慢心だと言われるのであれば、「御意」と呟きながら甘んじて受け入れようじゃないですか。

強いて言うならば今回、「走り」に期待が持てない分「内臓」を万全な状態にしてカバーすることに傾注していたが、結果的にはその「内臓」のトラブルにやられてしまった。そのことが、衝撃だった。

「前半快調、後半絶不腸」「便解の余地もない」「敗戦の便」

こんなことを言っては自嘲しているが、なぜこういう形で「魔物」が姿を現したのかについては、それなりに分析を行わなければならないし、今後のレース前の過ごし方、特に直前の食事等にしっかりと反映させていかなければならない。
だってこんな魔物、二度と見たくないじゃないですか。

「失速の理由は明白だから気にするな」「それが30キロの壁」「メンタルの問題では」「寄る年波だよ」
走り終えた後の打上げで、色んなことを言われた。

それもこれも全部含めてマラソン。走り終えてからの反省と振り返りが重要なことは、充分認識している。
だからこそ、ラン仲間の声はとても参考になったし、厳しい言葉でさえもありがたかった。

それにしても、打ち上げの時の僕の凹みっぷりといったら、もう…(同席した皆さん、本当に申し訳ありませんでした。)

いつも以上に衝撃的な内容となってしまったが、そんな中にあった一筋の光明は、約1年ぶりに再会した遠方の仲間たちとエール交換できたこと。

そして、弘前・白神アップルマラソンで3.5時間のペースランナーを務める3人が一堂に会したこと。

もっとも、この結果で腐る気はないし、ここから立ち上がらないと…という思いがある一方、最近毎回同じことを口にしているような気がする。
フルマラソンの走り方を忘れてしまったというか、わからなくなったというか、何というか、ハイ。

(なぜかそれぞれ違う方を睨む黒3人)

しかし、一体いつになったら納得の行く走りに辿り着けるのだろう。
そして、一体いつになったら魔物に会い、魔物を言いくるめ、魔物と仲良くすることができるのだろう。

どうやら試行錯誤の中の停滞期は、もうしばらく続きそうな気配だ。

【完。次回は9月16日の田沢湖マラソン、「魔物は再び現れるのか!?」みんな、 乞う御期待!…って、嘘だや。】


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魔物と仲良くなりたい – 北海道マラソン2018 -(前篇) #北海道マラソン2018


あとになると忘れそうなので、まずは御礼を。

今回の北海道マラソン、弘前公園RCのウェアに身を包み、「No Apple, No Life」を胸に掲げて走っていたところ、驚くほどたくさんの沿道の方から「青森頑張れ!」「No Apple頑張って!」という声援を頂きました。札幌の地でも、多くの方に認知されているのだな、と感慨無量でした。この場を借りて、厚く厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

魔物の生息地として有名なのは、「甲子園球場」。
高校野球の時になると現れて、グラウンド上で「ちょっかい」を出すらしい。
しかし、誰一人としてその姿を見た者はいない。

これ以外にも魔物はあちらこちらに生息しており、特に勝負毎になるとどこからともなく現れて「ちょっかい」を出しているようだが、やはり目撃情報は報告されていない。

そりゃそうだ。だって、魔物なんていないんだから。
所詮魔物なんて、勝負毎を面白可笑しく伝えるために作り上げられた架空の存在であって、頭の中で作られた、単なる偶像に過ぎない。

しかーし。
その魔物の思うままに操られてしまったオトコが、ここに一名…。

台風崩れの温帯低気圧が相次いで北海道を通過した翌8月26日に開催された「北海道マラソン2018」。

マラソン出場とは別にもう一つの目的としていた、中学時代からの畏友が営む「ワインと欧風料理 おかげさまで」を3年ぶりに訪問。札幌中心部を流れる創成川の東側にあるこのバー、ワインだけではなくクラフトビールやさまざまな飲み物の他、ソムリエの資格を持つ店主が作る料理も絶品なので、札幌を訪れた際には是非訪問してみてください。お食事だけでもOK。

(主たる目的は、背後に飾られたプリTを届けること)

(店主、仕事しています。奥の間に先客3名がおりました。)

前回と同じく、彼の作った絶品「カルボナーラ」を堪能したあと、21時過ぎには就寝。ちなみにアルコールは4日間抜き、カフェインも1日抜いた。けれど、それが単なる気休めだってことは充分わかっていた。

宿泊先は、すすきのにある歓楽街、というよりホットスポットに程近い、元々ラブホテルを改装したホテル。(実際、周辺にはラブホテルや石鹸ランドなんぞが林立しておりました。)
色々突っ込みどころも満載だったけれど、部屋に電子レンジがあったのは本当に助かった。

(ちなみにシングルだけど枕が二つ。そういう部屋の使い方も「あり」らしい。)

大会当日は4時過ぎに起床、中島公園までジョグをしたあと、フルマラソン当日の恒例となった切り餅は、5個平らげた。

(中島公園で万歳の練習のつもりが、お手上げの練習に)

しかし、思った以上に涼しい朝だったこともあり、ちょっと身体が冷えたような感覚。湯船にお湯を張って身体を温めた。

コロコロと天気予報が変わる中、曇りだと聞いていたけれど、雲の切れ間から覗き込む太陽がやけに眩しい。8時15分にはいつもの場所で集合写真を撮影。さて、今回はどんなドラマが待ち受けているのだろうか。

それにしても、スタート直前で23度はちょっと暑すぎる。昨年も24度ぐらいあったので、そんなに変わりないということだろうか。朝方の天気予報では曇り、最高気温24度と謳っていただけに、照りつける日差しを恨めしげに遮るしかなかった。

5回目にして初となるBブロックからのスタート。すぐそこにスタートラインが見える。思った以上にタイムロスもなさそうだ。
9時、いよいよ号砲が打ち鳴らされ、レースが始まった。

MGC(マラソングランドチャンピオン)シリーズを兼ねたこの大会は、国内の有力選手が集まる。僕が注目していたのは、女子の鈴木亜由子選手。今回がマラソン初挑戦ながら、何かやってくれるんじゃないかと密かに期待(応援)していたら、見事初挑戦初優勝を果たし、MGCの出場権も獲得。本当におめでとうございます!

さて、僕もMGCの出場権獲得を目指して…ということは絶対にないが、スタートからいい感じでラップを刻み始めた。痛み止めが効いたのか、懸念していたアキレス腱の痛みもほとんどない。しかも、太陽が雲に隠れ始めたこともあり、いつも通り発汗量は凄いものの、順調過ぎるぐらいの走り出しだった。

しかし、ここで調子に乗るのは禁物。あとは何も考えず、黙々と淡々と走って行こう。そうすれば自ずと結果は付いてくるはずだから。
約10か月ぶりのフルマラソン、ブランクがあるとはいえ、珍しく冷静沈着だった。

5キロを22分49秒、10キロを44分33秒は、想定していたタイムより少し速い。飛ばし過ぎか?と思ったけれど、別に呼吸が荒くなっているわけでもなければ辛くもない。やがて15キロ手前で、程よいペースで走るランナーを発見。しばらくペースランナーに見立てて併走することにした。
そして、いよいよ難関の新川通へ。周囲に遮るものがない、往復約13キロのほぼ直線コース。折しもこの日は西寄りの風が強く吹いていて、ランナーの行く手を阻もうとする。

20キロ手前、例のランナーと併走しながらランナーを追い越すと、「マカナエさん!」と声を掛けられる。弘前・白神アップルマラソンで一緒に3時間30分のペースランナーを務めることになっているタカハシさんだった。ビックリして後ろを振り返りつつ、ひょいと手を上げて再び前を向く。
今思い返すと、折り返した直後までは、周囲にほとんど目を向けず、完全にゾーンに入っていたような感じだった。背後から「スゲエわ…」というタカハシさんの声が聞こえたのは、気のせいではなかったようだ。

中間地点通過は1時間33分29秒。
先へ進むにつれ、海が近づいて来る影響からか、風もどんどん強くなってくる。
くじけて脚が止まりそうになるが、「ここで負けたら終わり。我慢我慢。」と、言い聞かせる。
しかし、スペシャルドリンクのボトルがバタバタと倒れるぐらいの強風にずっと晒された結果、徐々に身体が冷えていった。

26キロの折り返し。それまでの向かい風も、折り返せば追い風になる。今度は追い風を味方に、前へ前へと脚を運ぶ。右足裏が大分痛くなってきたが、きっと気のせいだろう。
私設エイドのコーラを飲み干す。このままどこまで行けるだろうか、と思い始めた途端、ギュルギュルギュル~ッという音が聞こえた。遂に魔物がちょっかいを出し始めたらしい。

それでも30キロ通過は2時間13分32秒。このままだと、自己ベストも狙えるペース、だったはずなのに…。
(続く)


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迷い×不安=恐怖


今年最初のフルマラソン、北海道マラソンが近づいて来た。

もう一つ近づいているのが、台風第19号と第20号。
まるで社交ダンスでも踊るかのように、日本列島へ相次いで接近している。

19号は九州南部を東シナ海へ抜けた後に朝鮮半島へ向かい、その後大陸を舐めるような進路を取るようだが、20号の進路が気になるところ。日本海に抜けた時点で勢力が落ちる予想となっているものの、航空機の運用なんぞに影響がでるのではないかと、ちょっと不安視しているところもある。

台風の影響で北海道に行けない、という事態だけは絶対に避けて欲しい。

昨年のこともあり、どうも北海道マラソンはスタートする前から「鬼門」の待ち構える大会といった印象が拭い去れなくなってきた。

毎年同じような状況だが、10か月以上のブランクを開けて出場するフルマラソンだし、今年は前半から全然練習が積めていないし、そもそもケガが未だに尾を引いている状況で、結果は全く期待できない。
ただ、先日投稿したとおり、最低限3時間33分を切るという目標だけは高く掲げておこう。それに当日、何が起きるかわからないじゃないですか。(いや、マラソンにまぐれがないことは重々承知しております、ハイ。)

振り返ると、不意の事故対応のため、3月の「古河はなももマラソン」を棒に振ってから、どうも調子が上がらない。走る距離も全く伸びていないし、心身のバランスが噛み合わないというか、昨年みたいに何かが「ストン」と収まる感覚が掴めないのだ。

シューズが大分へたってきたのが理由かも知れないと思い、底のすり減ったシューズに別れを告げ、春先にシューズを切り替えた。しかし、今になって思い返してみると、ひょっとしたら足を痛めた引き金は、これだったのかも知れない。

とは言いながらも今も、春先に履き替えたシューズをメインに据えているのだが、そのシューズで臨んだ先日の30キロ走(振り返ると30キロ走もほとんど取り組んでいなかった)で右足指の皮が剥けるというアクシデント。

しかも、2か月前に痛めた左脚のアキレス腱だけではなく、右足底が痛むというトラブルもあり、今更ながらこのシューズが自分の走りに合わないのではないかと思い始めている。

しかしこのタイミングで新しいシューズに手を出すのはあまりにもリスクが大きすぎるため、インソールを変えてみたり、ソックスを代えてみたりと、大会まで5日を切ったというのに未だに試行錯誤が続いている。

シューズのインソールを変えて撃沈したのは、初めての北海道マラソン。
シューズの紐をきつく結び過ぎて撃沈したのは、前々回の北海道マラソン。
シューズとソックスが合わず足裏に大きな水ぶくれを作ったのも、北海道マラソン。

北海道マラソンは、足にまつわる因縁も深いようだ。
足回りの対策を色々考えているのだが、テーピング、痛み止め、インソール、一体何を揃えたらいいのか頭を抱えている。
一体今年は、何をどうやって走ったらいいのだろう。

こんな「悩み」「迷い」が生じている時点で、結果は見えているようなものだ。
要するに、ケガを悪化させない程度にまとめるのが無難ということなのだろう。

しかし、いつまでこんな「迷い」に振り回されるのかと思ってしまう。
いっそのこと、自分の足裏にクッションとかバネとか埋め込んでしまいたい、そんな衝動に駆られる。
アキレス腱も一緒。絶対に劣化せず、切れないゴムが売られているのであれば、思い切って移植でもしてしまいたいぐらいだ。

…などと思ってしまうぐらい、メンタルがやられているってことなのかな。
こんなどうにもならないことを愚痴っている時点で、レースに明るい展望が見込めないことを、何度も経験しているのに。

練習不足、ケガ、不調、色んなことが重なってネガティヴになるのがフルマラソン直前。
算数だと、マイナスとマイナスを掛け合わせたらプラスになるけれど、これにマイナスをもう一つ掛け合わせると、再びマイナスになってしまうのですよ。

本音を言うと、怖いです。
この状況でフルマラソンを走ることができるのだろうか、そもそも完走できるのだろうか。色々考えれば考えるほど、不安と恐怖が渦巻くのですよ。

まあ、ここに来て色々考えてもどうにもならないし、今から何ができるというわけじゃない。
そんなことよりも、忘れ物をしないように気をつけないと。

しかし、何度走ってもフルマラソンってやっぱり不安だし、どんな大会でも直前は緊張するもの。
強いて言えば、その緊張の度合いは、距離が伸びれば伸びるほど高まるという。
でも、不安だけど、何が起こるかわからないから面白いのもフルマラソン。

平常心を保つ方が困難な中、走り終えてみて「楽しかったなあ」と思えたら最高だけど、やっぱり「きつかったなあ」「苦しかったなあ」ということになってしまうだろうなあ。

用意周到というには程遠い状況の中で、今回はどんな発見があるのだろう。
北海道ならではのジンクスに、今年は打ち勝てるだろうか。
結果やタイムのことを気にする前にいい加減、不安を楽しみに切り替えるスキルを習得したいものだ。


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お盆玉


幼い頃、お盆の時期は西目屋村にある父の生家(本家)か北秋田市(旧合川町)にある母の実家を訪れるのが毎年の恒例行事となっていた。

特に父の生家へは、正月よりもお盆の時期にお邪魔する機会が多かったような気がする。

父は5人きょうだいの真ん中で、上の兄2人は西目屋村と水戸市、下の妹2人は八戸市と花巻市に居を構えている。

記憶では、お盆の時期に一度だけ、父方のきょうだい5人が揃ったことがあった。僕のいとこやその連れ、更にはその子どもたちを加えると、軽く20名を越える大人数になったのではないだろうか。賑やかな宴席が、西目屋村の山間にある大秋(たいあき)という、今となっては限界集落の先端を行くような小さな部落で繰り広げられた。

振り返るとあの時を最後に、父の生家に泊まる、ということがなくなったような気がするし、父方のきょうだいを始め、親戚の多くが集まる機会というのもなくなったのは確かだ。

もっとも、父が他界したのは今からちょうど10年前。
父の葬儀の際に親戚一同が顔を揃えたわけではないが、少なくとも、父のきょうだいが一堂に会したのは、あの時が最後となった。

一方、母は3人きょうだいの末っ子で、母の姉(つまり伯母)は僕が高校3年の時に他界。兄(つまり伯父)は隣の旧森吉町に居を構えている。

それはともかくとして、父方も母方も、いとこの年齢がほど近いということもあり、お盆や正月は、そんないとこたちと会えることが楽しみだった。

もっとも、母方のいとこたち(我々も含めると全部で6名)とは毎年のように顔を合わせていたが、父方のいとこたちとは、時間の都合や遠方からやってくる等の事情で、なかなか全員が揃うことはなかった。
…いや、考えてみると、父方のいとこ全員(我々も含めると全部で10名)が揃ったことは、これまで一度もなかったような気がする。
特に、それぞれが結婚し、めいめいの家庭を持つようになってからは、その機会は更に遠のいた。
僕自身も、年を追う毎に公私の予定が重なるようになり、毎年恒例にしていたお盆行脚の回数が減るようになった。

かつては、正月に会う機会のない遠方の伯父や叔母からは、お盆の時期に「お年玉」を頂いていたような気がする。そして、今その対象となっているのは、「いとこの子どもたち」だ。

今年のお盆は、母方の実家にお邪魔した。八王子に住む従姉の家族とも久し振りに再会。
従姉の子どもは2人。姉は既に社会人となり、妹は高校2年。
1年ぶりの再会を楽しみにしていた甥っ子が、金魚のフンのように付きまとっていたのがなかなか笑えた。

伯父の子どもたち(つまり、いとこ)もこの時期に合わせて帰省したようだが、誰とも会うことなくUターンしたらしい。
僕らは13日の夕方から母の実家に滞在し、14日の午後に戻ってきたのだが、13日の夜、伯母が何やら聞き慣れない言葉を呟きながら、甥っ子にポチ袋を渡していた。

「お盆玉!お盆玉!」

「やめてやめて!気を遣わないで。お願いだから!」と嘆いたのは母親(妹)ではなく、祖母(うちの母)。

お盆玉…?初めて聞いたぞ。造語か?…と思ったら、翌日のニュースで取り上げられていた。
「お盆玉」、古くは江戸時代からごく一部の地域でお盆の時期のお小遣いとして渡されていたのが、数年前から全国的にもジワリジワリと浸透しているらしい。

どうやら「お盆玉」を知らなかったのは僕だけだったようで、この時期に合わせたポチ袋も販売されているとか。
年配の親戚からしてみれば、毎年会えるかどうかわからない孫や親戚の子どもに、少しでもお小遣いをあげたくなる、という心情なのだろうか。

確かに自分の幼い頃を思い返してみると、お盆に親戚からお小遣いをもらったことが多々あった。
今思い返してみると、たくさん子どもがいた時のそれは、結構な金額となったことだろう。親戚の皆さんには何だか申し訳なく…。

そんな中でも一番のお小遣いは、母の実家から弘前に戻る際、伯母や祖母から「(アイス)クリームでも買って行ぎへ。」と、ティッシュペーパーにくるんで渡された1000円札だった。

甘やかしてはいけない、気を遣わないで欲しい、色んな思惑が交錯するのだろうか、母はこの頃から「ダメだって!お願いだから!」と嘆いていたことを思い出した。「まんず、いいがら。」との押し問答の挙げ句、僕の手にはティッシュペーパーが渡され、最後は「あい~、しかだね。」の一言で収まるんだけど。

(JRでもなければ三セクの秋田内陸線でもなく)国鉄阿仁合線から乗り換え、鷹巣から弘前へ向かう奥羽本線、時々乗り合わせた急行の車内では、高確率で車内販売が乗車していた。
販売員に声を掛け、妹と二人で濃厚ミルクのアイスクリームを買って頬張るのが楽しみだった。

思い起こすと、あれが僕にとって最高の「お盆玉」であり、最高の「贅沢」だったかも知れない。


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日本海メロンマラソンの振り返りと北海道マラソンへの意気込みと


失敗の振り返りこそ避けてはならない。そこから学ぶことは、確実にあるはずだから。
-のんべ

7月29日に男鹿市で開催された「日本海メロンマラソン」。
午前8時のスタート時点で30度を辛うじて下回っていた男鹿市の気温は、午前10時には33度まで上昇。

隣接する大潟村では午前11時頃に35度過ぎまで上昇していたとのことで、むしろこれに近かったのではないか、と思われます。
そんな熱中症注意、運動中止が注意喚起される中、走ってきました。…いや、正しくは歩いてきました、か。

元々北海道マラソンに向けた暑さ対策の前提でエントリーしたこの大会、出場するなら10キロで充分、とあれほど言われていたにもかかわらず、またしてもハーフにエントリーしてしまうという過ちを犯し、結果、自己ワーストを大幅に更新するという結果となりました。

前日、甥っ子を伴っての「マタギ体験合宿」に参加、美味しい肴をアテに美酒に酔いしれた時点でジ・エンド。
その後もまともに水分補給もせず、暑さにうなだれながら朝を迎えることに。

睡眠と水分が圧倒的に不足する中、一路男鹿へ。そうそう、思い返せば所詮ハーフだと舐めきって、朝食も補給食も全然足りていなかったかも…。
アキレス腱の不調は相変わらず尾を引いていて、走った時の衝撃が痛みとなって帰ってくるという悪循環が続き、車中では、すっかり気分も萎えていました。

一応のレースプランは、後半でペースを上げるというものでしたが、正直、別に途中でやめてもいいんだと開き直っていました。ただしワンウェイのコースなのでどうやっても歩いて帰ってこなければならないんですけどね。

スタート前のアップの際に、地元のラン仲間と会えたのはとても嬉しかった、けど、表情の通りこの時点でダメダメランナーでした。入賞したお二方に拍手!

ハーフの部は8時スタート。スタート直後のペースを落ち着かせるため、後方からスタートしましたが、一気呵成にペースを上げ、3キロまではキロ4分15秒前後で走っていました。前半抑えて後半上げるつもりが、スタート直後、暑さから早く逃れたいという一心での暴走。この時点で、もはや結果は見えていたようなものでした。

しかしこのコース、相変わらず前半の給水ポイントが圧倒的に少なく、クソ暑い中でありながら7キロ付近まで給水することができません。よって、手にしていた水を口にしながら走るも、3キロ過ぎで枯渇。それでも喉が渇いてくるということは、相当水分が足りなかったか、暑かったか…いや、両方か。

5キロ過ぎではシューレースが解けるという久し振りの凡ミスを犯し、完全に集中力が途切れました。
7キロ付近の給水ポイントでとうとう足を止め、コップ一杯に注がれた水を飲みながら、「これだと多過ぎると思いますよ。半分でいいですよ。」と余計なおせっかい。自分自身はこの量の水でも全然足りていないのに。

9キロ付近からはいよいよアキレス腱が疼き始め、歩いては走り、走っては歩きの繰り返し、以下、延々とゴールまで。
痛み止め、終わってから効き始めるのはマジで勘弁して下さい。

民家の軒先から出てくるシャワー(放水)は、序盤はとても気持ちいいと思いましたが、シューズがびしょびしょに濡れ、中で音を立て始めた頃から不快に。

一方、体内の水分が圧倒的に足りていないことを確信しましたので、給水所では最低2杯の水を飲み干し(ちなみにスポドリはなく、持参した塩飴も4つでは全く足りません)、再び歩き出すといった状況に。胃の活動が停滞し、チャポチャポと体内で音を立て始め、15キロで事実上のDNFを独り勝手に宣言。
しかしここで時計を止めた結果、残りの距離が推測できなくなるという事態に陥り、ますます気持ちは萎えまくり。

「暑っつうべー、ほれ!」と沿道から容赦なく浴びせられる放水で、乾き始めたシューズが再びずぶ濡れに。前回はこのまま走った結果、足裏の皮が剥けたことを思い出しました。

「ありがとうございます!」と笑顔で応じつつ「もう勘弁してください…」と内心辟易しながらも、相変わらず体内の水分は全く足りておらず、後半は半分ボーッとしながら歩いて、歩いて、走ってを繰り返していました。完全に軽度の脱水症状だったのでしょう。おかしなテンションだったし。

結局、途中でやめたといいながら、ジュースを受け取り、その後に提供される食べ放題のメロンを頂くだけのために、ゴールラインを跨ぎました。
所要時間2時間4分はハーフの過去ワーストで、もはや失笑レベル以下。道マラの暑さ対策には十分過ぎるほどでした。いや、違うか。

今思い返せば、最初から走らないという選択肢もあったはずなのに、アップの時点で相当発汗しつつ、「お、今日行けるかも」と魔が差したのが全てだったのでしょう。
レース後、弘前に向かう帰路の道中も疲労困憊で、何度もコンビニに立ち寄り、アイスや炭酸飲料で水分補給しつつ、やっとこさ弘前に帰ってきた、といった感じでした。(帰宅後、レースを終えてから一度もトイレに入っていないことに気付き小用を済ませたところ、その色などに驚愕したという…。)

こうなると、レースプラン云々以前の問題。
いくら楽しかったとはいえ前日、しこたま酒を飲み、翌日のレースに臨んでしまったということを心から猛省しています。

あの気象状況と体調は、今でも思い返すだけでゾッとするし、思い出したくないレース展開。
心身のダメージが大きく、しばらく走ることを考えたくなかったのですが、時間は刻々と迫ってくるわけでして、北海道マラソンも待ってはくれません。

実はフルマラソンに取り組むようになってから毎年出場しているのが、地元弘前市で10月に開催される弘前・白神アップルマラソンと、8月に札幌市で開催される北海道マラソンなのです。

昨年、色々追い込まれた中で逆に集中力を極限まで高め、ようやく3時間10分の壁をぶち破ったのがこの北海道マラソンでした。しかし、過去4度出場している中で納得の行くレース運びができたのはこの1回だけで、他の3回は散々な結果に終わっています。なので、別に得意にしているコースでも大会でもないのであります。
過去4回の結果を並べると、昨年の結果がいかに飛び抜けているのか、おわかり頂けると思います。

2014北海道 3:48:55
2015北海道 3:33:29
2016北海道 3:35:09
2017北海道 3:07:58

脚に関しては、復調の気配があるものの、本調子には遠く及ばない感じ。
当初、再度の3時間10分切りを密かに今年の目標としていましたが、大幅に下方修正。

2018年は、2015年の記録を確実に超える。(意地でもバスには乗り込まない。)
まずはこれを最低限の目標に据えて、あとはどれだけ伸びしろを作ることができるか、残り2週間でもがき足掻いてみたいと思います。

そういえば今年は、宿泊先が例年宿泊していたホテルではないところになってしまったのでした。

こういう時のルーティンって、凄く大事なんですよね…。本当に完走できるのか、不安ばかりが募っています、ハイ。

…何も起きるなよ、絶対に起きるなよ!(ダチョウ倶楽部ではありません。)


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