「SL銀河青函DC号」撮影記


正直言うと、動く被写体の撮影が苦手だ。マニュアルモードの設定は、未だによく理解していない。いろんなものを撮影することは好きだが、かといってそんなにカメラにのめり込んでいるわけじゃない。

ショボいスペックの一眼レフデジタルカメラを手にして既に4年以上が経過、これまで何枚撮影してきたかわからないが、その多くは、自分でマニュアル設定するのではなく、カメラのオート機能に頼ることがほとんどだった。いや、実際オート設定にした方が楽だったし、うまく撮影できたことが多かった。
が、肝心の時はマニュアル設定での撮影を心掛けた。「肝心の時」というのは、「自分で撮影した」感を味わいたい時。まあ、そんな機会が年に何度あるかといわれるとほとんどないんだけれど。

さて今回、青函デスティネーションキャンペーンの一環(中核イベント)で、JR釜石線(花巻~釜石間)を走る「SL銀河」が、「SL銀河青函DC号」として青森~弘前間で9月17日、19日に運行された。
9月上旬から試運転が始まっていて、お昼前後には弘前駅周辺が蒸気機関車の鳴らす汽笛で賑やかになる、という話を聞いていた。
「SL銀河」については、3年前に花巻市を訪れた際、花巻駅で一度見たことがあり、それ以来の「再会」を果たす日が来るんじゃないかとワクワクしていたが、17日は翌日の田沢湖マラソンに向けた準備やら何やらで、そういう余裕はなさそうな感じ。19日も、時間が取れるかどうか…。

9月12日。この日は消化しそびれていた夏季休暇を充てることにしていた。本当は岩木山登山を目論んでいたのだが、色々あって10月に延期することにした。
しかも、16歳となった愛犬モモがかなり衰弱していたため、病院に連れて行くことに。そしてふと思い立ったのが、「SL銀河」との再会だった。運行ダイヤでは、10時13分に青森を出発し、11時46分に弘前に到着するとのこと。色々考えた結果、弘前の隣駅、撫牛子(ないじょうし)駅で待ち伏せしてみることにした。最近乗り物に興味を持ち始めた甥っ子を引き連れ、11時半近くに撫牛子駅に着くと、誰もいなかった。

しめしめ、これは独り占めできる、とほくそ笑んだが、秋田ナンバーの車が既に停まっていて、待合室には大きなレンズを取り付けたカメラを手にする男性が、どうやら「SL銀河」の通過を待っていたようだった。(実は僕はこの時、運行するかどうかの判断となるあることに気づいていなかった。)

11時46分到着なので、恐らく11時40分頃には撫牛子駅を通過するはずだ。カメラを片手に、甥っ子の手を引き、青森方面側のホーム、つまり通過する反対側のホームでその時を待った。イメージしていた構図は、生まれて初めて見るSLを見た甥っ子の反応。手を振るもよし、はしゃぐのもよし、その姿の奥には疾走するSL銀河…というものだった。
11時38分。時計を見ながら静かにその時を待つ。いよいよ退屈の限界が近づいてきた甥っ子を、一緒についてきた妹がなだめている。

僕は、橋脚の向こうから響いてくるであろう汽笛、そして見えてくるはずの煙を凝視する。
42分。…あれ?来ない。連日試運転をしているって聞いたのに、何で?慌てて検索して、あることに気がついた。それは、試運転が行われる日は、安全確保のため踏切やホームに警察や警備員が張り付くということ。あたりを見回しても、警察や警備員はおろか、人ひとりいないし…。
何とこの日試運転は行われず、結果的に空振りを喰ってしまったのだ。帰り際、甥っ子が一言。
「ピンクのSL、格好よかったね!」
いや、それSLじゃなくて、青森から弘前に向かう普通電車なんですけど…。(汗)

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翌日マスコミ向けの試乗会があることを妹に伝えると、思うところがあったのか再び甥っ子と撫牛子駅を訪れ、無事「SL銀河」を見ることができた、との報告があった。

「前日空振りしてくれた兄のおかげです。」
…うるさいわ!(苦笑)

9月14日。大切な後輩の御尊父が他界され、18時30分からのお通夜に参列するため、15時過ぎから2時間お休みを頂くことにしていた。
一昨日の失態を挽回すべく、家を出る際にカメラをカバンに忍ばせ、電車ではなく自家用車で青森へ。
不謹慎ながら、あわよくば帰りに「SL銀河」をファインダーの中に捉えようという作戦。お昼に母から「弘前駅、蒸気機関車の汽笛が凄い。」という情報を得ていたので、この日試運転が行われているのは明らか。
あとは、弘前から青森に向かう時間帯さえ間違えなければ、きっと会えるはず。

そして、「SL銀河」を捉えるべく狙いを定めた駅は、大釈迦駅。理由が幾つかある。
(1)職場から向かう帰路の途中ちょうどいい場所にあり、準備の時間を確保できること。
(2)無人駅であり、かつ駅のすぐそばに無料の駐車場があること。(定期券を持っているので、別に有人駅でも構わないんだけど。)
(3)駅の構内が比較的広く、弘前方面からはほぼ直線で線路が走っていること。(遠くから走ってくる姿を目視できる。)
(4)停車時間が長いこと。(他の駅は停車時間が2分程度であるのに対し、大釈迦駅は14分。)

青森の職場を出発し、大釈迦駅に到着したのは15時50分頃。既に駅の構内には、警備員とJRの保安係員の姿が。これから待望の「SL銀河」がやってくることを確信した。

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てっきり1番線ホームに入線するのだろうと思ったら、どうやらそうではないらしく、3番線に入線するようだ。構内の跨線橋を渡り、到着の準備を進める係員に聞いてみた。
「ええ、3番線に入線しますよ。」

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確かに2・3番線ホームには、SLの停車位置を示すマークが貼られていた。当初2・3番線ホームから1番線へのアングルを、と考えていたのに、魂胆がちょっと狂ったが、これはこれで結果として良かった。
再び1番線に戻り、弘前寄りのホームの端に陣取る。…といっても、ホームの上には誰もいない。どうやら今日は作戦成功のようだ。あとは、カメラの設定とピント合わせさえちゃんとやれば…あ!三脚を忘れた!
あろうことか、三脚を家に忘れるという失態。
すぐに弘前行きの電車と青森行きの電車がそれぞれホームに入線し、程なく出発。この弘前行きの電車が、次の浪岡駅で「SL銀河」と交換となるはずだ。
16時05分頃、「浪岡駅出発」の無線の声が耳に聞こえた。いよいよターゲットはこちらに向かっている。
ホームの端にある柵を三脚の代わりにし、200mmのレンズを固定。ふと見ると、跨線橋の上にはSLの到着を待つ人の姿。2・3番線ホームにもまばらながら一般人の姿が見受けられる。
やがて遠くに、一つ目のライトが見え始め、少しずつその姿を大きくしながら、ゆっくりとこちらに近づいてくるのがわかる。黒光りする車体から白い煙や黒い煙を吐き出し、徐々に大釈迦駅へと迫ってくる。

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駅構内南側にある踏切警報器が鳴り、遮断機が下りる。一つ目のライトはどんどん大きくなり、3番線方向へと切り替わったポイントをガタンゴトンと音を立てながら走ってくる。ようやく見ることとなったその姿に興奮を隠しきえれぬまま、肝心の「置きピン」の手前で慌ててシャッターを切ってしまったため、ちょっとだけボケの入った画像となってしまった。

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ヘッドマークを外したC58型蒸気機関車と、「SL銀河」のロゴが施された青い4両編成の客車(正しくは自走することもできる気動車)の全景を捉え、跨線橋を駆け上がる。試運転のはずだが、なぜか乗客の姿が見受けられる。

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僕はといえば、蒸気機関車の正面、真横、背後と、色んな角度から何かに取り憑かれたかのように無心でシャッターを切っている。

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程なく、秋田行の特急「つがる」が通過するので、黄色い線の内側に下がって欲しいと拡声器で保安係員が叫ぶ。これも織り込み済だったので、蒸気機関車と特急のすれ違いを捉えることができた。

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…って、何かここまで来ると私、鉄道マニアみたいなんですけど、ホントそんなことはないんですよ。好きか嫌いかで問われれば「好き」ではありますが、少なくとも「マニア」ではないですから、ええ。「にわかファン」程度で勘弁して下さい。

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しかし、そんなホーム上で繰り広げられた至福の時間もあっという間に終了、もうもうと黒い煙を吐き出しながら、28分頃にボォーッという大きな汽笛、そしてなぜか牽引されているはずの気動車も汽笛を鳴らし、青森方面に向けて大釈迦駅を出発していったのであった。

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12日の失態が生んだ作戦は、まさにケガの功名といった感じで幕を閉じた。
帰宅してから妙に鼻がむずむずするので、ティッシュで鼻をかんだら、ティッシュが煤で真っ黒になった。


不完全燃焼 -第31回田沢湖マラソン


全国198名のnonvlogファンの皆さま、お待たせしました。鉄は熱いうちに打て。昨日の田沢湖マラソンの結果だよ!今回も長いよ!いつもいつも長くて、ホントごめん!


今年掲げた目標は、ハーフマラソンで90分を切ること。そして、フルマラソンで200分を切ること。
最初の目標は、2016年最初の大会となった花巻ハーフマラソンでギリギリながらクリア。ところが、そこから慢心が生まれてしまったこと、さらには例のごとく「怪我のコンビニエンスストア」商売繁盛ということもあって脚やら腰やら内臓やらの不調で大会出場すらできないということもあり、どうも不完全燃焼のまま夏場を迎えた。

スピード練習やインターバルなど、これまで避けてきた練習も少しずつではあるけれど取り入れるようになり、徐々に底上げはされているんじゃないかと思って臨んだ北海道マラソンは、既にこのブログで結果をお知らせしたとおり、見事に鼻をへし折られた。

さて、2016年のフルマラソンはあと2度しか出場機会がない。勝手に相性がいいと思っていた田沢湖マラソンは昨年撃沈してちょっと苦手意識も芽生えているし、ということは、昨年PBを出したのに2回目の開催にしてコース変更が行われるというさいたま国際マラソンで、一発勝負を狙うべきか…。
悶々とした思いを抱えたまま、モチベーションも上がらず、しかも公私ともに色々あって心身ともにかなり疲れた状態で田沢湖マラソンを迎えることとなった。

田沢湖マラソンに出場するときは、北秋田市にある親戚の家に前泊し、駐車場確保のため当日の早朝に田沢湖入り、7時前には受付を済ませ、スタート時刻の10時まで退屈な時間を過ごす、というのがこれまでのパターン。ところが今年は親戚の家に泊まることができなくなったため、さてどうしようかと思っていた時に、キャプテンからの鶴の一声で、田沢湖高原にある温泉旅館に一泊することとなった。

8畳一間に45歳46歳47歳の男が3人。しかし、ランニングという共通の趣味で繋がっている仲間なので、まったく気兼ねすることはない。
そして、僕は大会前日に絶対やらないことにしている禁忌事項(タブー)を二つ破ることに。
一つは、大会前日のビール。一度これをやらかして翌日の大会で散々な思いをした、ということがあり、やはりアルコールは入れるべきじゃないという固い信念を持ち、これまでも頑なに遅くとも前々日から「ノンアル」を貫き通していたのだけれど、北海道Mでそれが何の用も為さなかったということを実証してしまったため、禁断の飲み物に口をつけてしまった。(それも、500ミリリットル瓶を2本。結構飲んでるじゃん。)

kanpai(実はうれしい。)

nabebugyo(鍋奉行役を買って出ました)

もう一つは、温泉。汗をかかずに極力水分を体内に溜める、そして、長湯し過ぎて疲れを残すことがないように、前日に湯船に浸かることを極力避けていたのだが、温泉旅館に来たのに温泉に入らずにどうする、ということで、食事の後でゆっくり温泉に浸かることとなった。
が、結果としてこれらのことが、程よく心身の疲労を取り除いたらしく、21時になると、修学旅行でお約束の枕投げもY談も好きな女の子の名前告白も顔への落書きもなく、皆さん就寝体制に。

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そして僕は、21時30分には誰よりも先に眠りに就いてしまったらしく。

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翌朝5時30分起床。なんと8時間も寝たことに。十分すぎる睡眠時間で、すっかり体の疲れが抜けたような感じ。7時前には朝食を済ませ、その後も8時近くまで布団の上でゴロゴロしながら身体を休め、8時30分前に宿を出発。シャトルバスの出発する大駐車場まで自家用車で移動し、そこから大会会場までバスに揺られ、会場に到着したのが9時過ぎ。ここで、弘前公園RCのメンバーと合流。
しかし、結果としてこれはかなり良かった。心のゆとりができたというか、なんというか。

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そしてこの日、それまで毎回のように行ってきたルーティン二つを変えた。一つは、切り餅を食べ続けるのをやめたこと、もう一つは、シューズを変えたこと。
これまで10回のフルマラソンに出場してみて、タイムに劇的な変化が見られないのは、練習の質はもちろん、大会直前の過ごし方を変えていないからじゃないか、と思った次第。だから、それなりに練習の質は変えたつもりだし、苦手意識が芽生えつつあるとはいいながら、勝手に相性がいいと思っている田沢湖マラソンで、何か一つのきっかけを作れればいいな、と思ったのも事実。それで失敗したら、次のさいたま国際マラソンまでの約2か月で修正すればいいんだし、うまくいったらまたそれをアレンジしていけばいい。ある意味、試行錯誤の結果を田沢湖マラソンにぶつけてみよう、そう思ったわけですよ。
そして、1キロ4分40秒への固執を捨てよう、と決めた。田沢湖マラソンは、スタート直後一気に下るため、かなりハイペースになる。そして、そのハイペースが引き金となってオーバーペースとなり、昨年は30キロ過ぎからガタガタとタイムが落ちたという苦い経験をしている。あれから1年、過去の大会を色々トレースしながら、田沢湖をどう攻めるか考えた結果、サブ3.5は当然のことながら、3時間20分を目標とすること、そのために、1キロ4分40秒というペースをキープすることを考えた。しかし、36キロから現れる激坂を考えると、前半から4分40秒をキープしたところで、残り5キロは失速するのが目に見えていた。だったら、前半のペースをもう少し上げてみよう、と考えた。というか、ずーっと4分40秒に固執し過ぎていたような気がする。
そう、今日のレースはあくまでも試行錯誤。…できるかどうかは、別として。

午前10時、全てのコースで一斉スタートの号砲が打ち鳴らされる。ほぼ最前列からのスタート、ロスタイムはほとんどなし。予想通り下り坂に入るとものすごいペースで皆さん突っ込んでいく。その流れに乗りつつも、少し抑え気味にペースをまとめにかかる。前方には、同じクラブのメンバーが4人いるので、その人たちをしばらくペーサーとして利用させていただこう。
この日良かったのは、これで3度目となる田沢湖マラソン、コースの起伏が大体頭に刷り込まれていたので、どこでペースを抑え、どこでペースを上げるべきかというコントロールが働いたこと。
ちなみにこの日の5キロごとのタイムはこんな感じ。

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ネガティヴスプリットどころか右肩下がり、特に30キロ以降ペースが落ち始めてはいるものの、前半は大体4分40秒を切るペースを通していた。そして後半も、キロ6分を上回る、ということはなかった。

もう一つ良かったのは、このコントロールのおかげで暑くなる前に田沢湖畔に歩を進めることができたこと。ちなみに記録証を見ると、天候は曇りでも気温は25度、湿度87%って、かなり蒸し暑いんですけど。
時計を見ると欲が出てしまうので、極力見ないようにしていたものの、やはり辛くなると見てしまう。35キロ通過の時点で2時間40分ちょっとだったので、お!これって3時間15分切れるんじゃない?という欲が出た直後の36キロからの激坂、2年前の大会でマラソンを始めてようやくサブ3.5を達成した時に、この下り坂で両足が攣って走られなくなるというトラウマは簡単に払拭できず、登りも下りも途中歩きを入れながらかなり慎重に走った結果、残り5キロの脚が出なくなるという…。それでも200分切りだけは絶対達成してやると、歩いては走り、歩いては走りの繰り返しだったけれど、ラスト1キロは4分半を切って走っていたようで、ゴール直前で電光掲示板に目が行き、「3:17」の文字が見えたときは、思わず小さくガッツポーズ。
ゴール直前に畏友I先生親子の「のんべ!ラストラスト!」という声が聞こえたときは、ホント泣きそうになった。そしてゴールしたらこの二人が出迎えてくれて、思わず号泣しそうになった。

seitaroandnon(中学生のS君は今年初めて10キロに挑戦、53分でゴールしたんだって。ちなみにオラは涙目です。)

北海道で経験した足攣り対策として、市販されている普通の塩飴、それもレモン味と梅味の二種類を用意して飽きが来ないように交互に舐めながら走ってみたけど、結局35キロ過ぎてから舐め始めた飴は、呼吸の際に邪魔になって仕方なかった。補給は「粉モン」も含めて10キロ以降35キロまで5キロごとに摂取する徹底ぶり。これも、結果としては悪くなかった。

そうそう、一番大事なこと。実は初フルからずっとこれまでフルマラソンの時は「adizero Japan」(ブーストじゃないやつ)を履き続けていたんだけど、直前の32キロ走で履いて走った「takumi ren boost」が結構いい感じだったので、今回初めてこれで走ってみたら、思いのほか足の運びが楽だった。

やっと、やっとのことで200分切り達成ですよ。でも人間って欲な生き物ですよね。実はサブ3.15行けたんじゃないかとか、ずっとそのことばかり考えているわけですよ。だから、ちょっと不完全燃焼気味。もちろん失敗レースではなかったけれど、もう少し行けるよね、そう思った田沢湖マラソンでした。もうちょっと頑張ってみまーす。


8年目の9月7日


9月7日、父が他界してから8度目の命日を迎える。4日の日曜日は、朝早くから妻と母と墓参りに行き、父や先祖の眠る墓前に花を手向けた。

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不思議なもので、父が亡くなった前後のことの記憶は今でもハッキリ覚えているくせに、2年前の七回忌法要のことについては全く自分の記憶から抜け落ちていて、墓前で妻や母と話をしながらその時の記憶を呼び起こそうとしたが、法要に誰が同席して、その後どこで何をしたのか、まるっきり記憶が欠落していることを知り、愕然とした。

父は普段は多くを語らない人間だったが、アルコールの勢いを借りると雄弁になり、時としてそれは他人を不愉快にしたり、傷付けたりすることもあった。
そんな父の姿を目の当たりにするたびに、父のようにはならないぞ、と思っていたけれど、ここ最近の自分を振り返ってみると、かなり父に近い素性をさらけ出している感じがして、正直ちょっと焦っている。

父は5人兄妹のちょうど真ん中だったが、幼い頃に養子縁組で今の家にやって来た。村の人から市の人になり、M家の人からM家の人になった。父は、生い立ちから母との馴れ初めまで、ほとんど自分で語ることはなかったけれど、伯父叔母や母からいろいろ聞かせてもらった。僕が物心ついた頃には、父は家を空ける機会が多かったし、晩年も家にいないことは日常茶飯事だった。それが七回忌が終わった途端、いよいよ父が「うちの人」としてちゃんと居るべき場所に戻ったような感じがしている。

しかしながら父の没後8年経ってもなお、未だに父に関して知らないこと、わからないことがたくさんある。
別に父の全てを知り尽くそうというつもりはないが、父がこの世に存在したという足跡を辿ることが、愚息としての一つの使命なんじゃないか、ちょっと大げさに言うならば、生きとし生ける者として故人の思い(想い)を紡いでいくことが、最大の弔いなんじゃないか、と勝手に思い込んでいる。だから、市内はもちろん全国各地に足を運ばなければならないところが、まだまだたくさんあるのだ。

_20160904_124637(晩年、父が足繁く通っていた弘前市郊外の飲食店の名物「冷たいラーメン」。ここを訪れるようになったのは、父が居なくなってからだった。)

今年の6月頃から、盲人ランナーであるAさんの伴走で、時々一緒に練習しているが、Aさんと父はかつて、同じ時期に青年会議所活動に従事していた。Aさんは、僕がまだ知らない父のことを知っていたし、「これはあなたのお父さんが繋いでくれたご縁だ。」と言って喜んで下さった。些細なことであっても、伴走している途中で父の話題になるのは、嬉しいものだ。

父の死のことについては以前このブログに投稿したとおりだが、今もなお連日のように、とあるキーワードで検索した結果、このブログに辿り着いている人がたくさんいることを知っている。
例えば、こんな感じのキーワードだ。

「自死遺族 辛い」「自死遺族 結婚」「自死 父」「自死 生活できない」

裏を返せば、それだけこの世の中には自死遺族がたくさんいるということだし、そしてそのことに対する後ろめたさというか負い目というか罪悪感というか、そういう「何か」を抱えたり築いたりしながら生活している人がたくさんいるということなのだろうと思う。

僕はせいぜいこのブログで勝手に自分が思ったことを発信しているだけのことで、別にそのことを隠し立てしようとは考えたことがない。当時は地元のテレビも新聞もこぞって父のことを取り上げ、もはや隠しようがなかったということもあって、ある意味「開き直り」でもあるんだけれど。

僕と同じような境遇に遭った人達はきっと、心のどこかで慰めて欲しいと思う一方で、周囲の人達には触れて欲しくない、普段通りのまま接して欲しいという複雑な気持ちを抱えているんじゃないだろうか。
その一方で、周囲の人からすれば、一体どう接すればいいんだろうかと困惑しながら、きっと腫れ物に触るような思いで、どこかによそよそしさを隠しながら接している人も多いことだろう。
人の噂も七十五日とはよく言ったもので、自死遺族の皆さんが思っているほど周囲の人はそのことを覚えていないというのも事実。さっきも触れたとおり、「こちら側」の人はこちら側で、勝手に自分の中に壁を作ってしまっている人が結構多いような気がする。
他方、「外の人」から見ると、憎悪と悲哀に満ちあふれたその「壁」にどう触れたらいいのかわからず、困惑している、ということなのだろう。

できればタイムマシンに乗って、晩年の父と膝をつき合わせていろいろ(もちろん説得も含めた)話をしたいと思うことがある。それに、もしかしたらこういう事態を招く要因を作ってしまったのは、実は僕なのかも知れないという罪悪感に苛まれることだって未だにある。でも、亡くなってしまった者はもう二度と戻ってこないし、過去を取り戻すこともできない。一番苦しかったのは本人であり、その苦しみから自らを解き放った結果としてのことなのだから、その苦しみまでを僕たちが継承する必要は、ないはずなのだ。
…いや、実際本人が苦しみから解放されたのかどうかは知る由もないし、遺された僕たちが抱えなければならないものが少なからずあるのも事実なのだけれど。
僕自身、こういう投稿を続けることによって自分の気持ちを浄化しつつも、同じ境遇にある人達の「壁」を少しでも低くして差し上げたい、願わくば同じ境遇の人達にはいつまでも塞ぎ込むことなく、少しでも楽になって前を向いて生きていって欲しい、いや、生きていきましょう、そう願っているのは事実だ。

…などという投稿を未だにしている時点で、僕自身の心の中に築かれた「鉄壁」は、取り払われるどころか高さを変えることもなく、今も立ちはだかっているのだろうか。
あれから8年経った今も、父に対する思いが簡単に色褪せることがあるはずもなく。

合掌


乗りきれなかった心と身体 -北海道マラソン2016


ランナーあるある。失敗レースについては多くを語りたがらない。
…が、ここでちゃんと反省しないと、次に繋げることができないので、今日は反省を込めた昨日の北海道マラソンの振り返りです。
いつものごとくの長文駄文、失礼。

北海道マラソン2016は、想像していた以上に苦悶のレース展開となった。
大会前までの月間走行距離は225キロ。これ、実は今までで一番長い。でも、走った距離がウソをつかないんじゃなくて、内容がウソをつかないと思っていたので、色々アレンジしながら走っていたものの、体重が全然減っていないことに気が付いたのは大会前日の朝だった。だから食事の調整は、軽いカーボローディングだけで十分だった。にもかかわらず、大会当日の朝、胃の膨満感を無視して、ルーティンだからと餅を7個平らげた。それ以外にも、あれやこれやと口に運んだ。
結果、身体が重くなりすぎた。が、それに気づくのも遅すぎた。身体の疲労は抜けていたハズだったが、実は内臓の疲労が抜けていなかったのだ。完全なる調整の失敗。ボクシングなら、失格のレベル。
スタート時刻の9時直前の気温は18度。前回、前々回は20度を超えていたので、それを考えると遥かに楽なはずなのに、どうも気分が乗らなかった。そしてその不安は、スタート直後から足が進まないという状況として現れ、果たしてこんな様相で最後まで走りきることができるのかという疑問がずっと頭をよぎっていた。
この時点で既に結果はわかりきっていたようなものだった。
今回もCブロックからのスタート、ラインを踏むまでのロスタイムは1分程度。1万7千人ものランナーが駆け抜けるフルマラソンにあって、わずかこれだけのロスタイムでスタートできるのは実にありがたいこと。

DSC_0872-01(道マラに挑戦するために集結したラン仲間と)

最初の5キロはウォームアップと割り切っていたものの、入りの2キロですら、やたらと長く感じられた。実はスタート直後で一瞬嘔吐しそうになった。…これってどこかで吐くの?という不安。(結局大丈夫だったけれど。)

3キロ付近からやたらと「しんちゃん!しんちゃん!」という子どもの声援が飛ぶ。僕の前方を走る同じクラブのHくんも「しんちゃん」なので、彼に対する声援かと思ったらそんなはずがあるわけもなく、僕のすぐ背後に「クレヨンしんちゃん」の被り物をした人がいたらしい。背後でウロウロされるのがやたらと気になるので、少しペースを上げて離した。そして今度は7キロ付近で、鬼の被り物をした人を発見。この人、メチャクチャ速いことを知っている。前を走る人と鬼との会話が聞こえる。鬼曰く「今回病み上がりなので、タイム上がらないんですよ。キロ5分で抑えながら行こうと思っているんですよ。ハハハ…」

ふと、時計を見る。ペースは4分45秒。速いじゃねえか、このウソつき鬼が!閻魔大王に舌を抜かれるぞ!(笑)
…と、心の中で笑っていられる余裕があったのはこの辺りまで、創成トンネル(今回は思ったほど暑くなかった)内で若干ペースが上がったような気がしたが、時計は極力見ないと決めた。

創成トンネルを抜けた後にある10キロの通過は、電光掲示板で48分45秒。まあまあといったところだろうか。今回はこのペースで押し切れれば一番いいのだろうけれど、とにかくこの日は身体全体が怠くて重い感じ。マラソンはこの日走ることだけが重要なのではなく、その前の準備こそが大事なのだと改めて思い知らされることとなった。そして創成トンネルに入る辺りから、僕の前を走る女装ランナーにやたらと声援が飛んでいることに気づく。そしてそのランナーは、観客に愛想を振りまきながら走っているのだが、ペースがホントに速いのだ。

やっぱり気になって仕方がないので、この女装ランナーとも距離を置いた。こういうのを気にしている時点で、かなり集中力も欠いていたのだろう。更に11キロ付近で右折してから、いよいよ尿意が本格的になってきた。トイレに立ち寄るべきか否か。そう考えながら走っていると、極端にペースが乱れ始める。しかしながら、まずもって立ち寄れるトイレがないのだ。そして14キロ過ぎで、過去2度にわたりゴール付近で差しつ差されつのレースを展開したWさんに背後から声をかけられる。
「Wさん、オレ今日ちょっと無理かも知れない。」思わず弱気な言葉が口をつく。
そう告げてWさんの背中を見送ったものの、いかんせん尿意の波が激しく押し寄せ始めたため、必然的にペースが上がり始め、今度はWさんを抜きかけた15キロ地点でコンビニ発見。迷うことなくルートから脇に逸れる。
「すいません、トイレ貸してください!」「奥の左側です。」
スタート前に水分を摂り過ぎたのか、スタートしてから水分を摂り過ぎたのはわからない。便器に向かってチン思黙考、原因を探る間もなくホッと一息を付いて、再び戦列へ。尿意という敵からは解放されたワケだから、少しでも遅れを取り戻そうと急にペースを上げたが、ちょっと待てい。これから新川通が待っているんだから余力を残さないと、と冷静に自分に言い聞かせる。大丈夫、脳はまだ働いているようだ。がしかし、この辺りから既に辛いと感じている時点で、ちょっとヤバい感じ。
「無理して走らなくてもいいんだよ。」「辛いんだったらここでやめても、いいんだよ。」
頭の中の悪魔が耳の中で囁きかける。でも待て、まだ折り返してもいないのに、ここでやめたら一体オレは何をしに札幌までやって来たんだ、ってことになる。悪魔の声には極力耳を傾けず、もう少し、もう少しと言い聞かせながら、いよいよ19キロ手前を右折、新川通へと入った。直後に、先頭のランナーが反対側の車線を駆け抜けていった。

17キロ前後から、シーサーのかぶり物をしたランナーが走っていることに気づく。
しかし、声援を送る観客はそれがシーサーだと気づかない(知らない)人も多いようで、「獅子舞だ!」「妖怪ウォッチだ!」「アレなんだ?」と声援がバラバラ。それが何だかおかしくもあり、しばらくその人についていってみることにした。というか今日、何かやたらと仮装ランナーの近くばかり走っていないか?

20キロ付近でようやく身体が少し軽くなった。中間地点通過は1時間43分。思ったほど遅れていたわけではなかった。記録は狙わないと決めていたのに、ここでちょっと色気が出た。しかし、北海道マラソン3度目にして新川通がこれほど辛いと感じるとは思ってもみなかったことだった。
反対側を走る誰かが、僕に声をかけてくれた(あとでTくんと判明)のだが、まずもってそれに反応する力がない。口を半開きにし、粗い呼吸で歯を食いしばっている自分の姿に気がつく。(Tくん曰く「結構辛そうだった」と。)
続いて、白いTシャツに黒抜きの文字を飾ったNくんを発見。この時ばかりは思わずこちらから「N!」と声が出る。向こうもそれに気づき、手を振り返してくれた。

…しかし一体自分は、何のためにここを走っているのだろう。誰かに褒めて欲しいから?誰かに自慢したいから?単なる勢い?それとも…。そんな愚問を繰り返しながら、気がついたら25キロ過ぎの折り返しまで来ていた。折り返した後も反対側から続々とやってくる仲間が僕に声をかけてくれるが、手を上げて応えるのが精一杯だった。正直言ってそれぐらいきつかった。相変わらず口に締まりはなく、呼吸も荒い。ふぅーっと息を吐き出す。ふと見ると、反対車線に置かれた給水ポイント付近に広がる道路上の紙コップの散乱は、更に酷くなっていた。結局のところ、いくら呼びかけたところで捨てる人は捨ててしまうのだよ。招待選手のスペシャルドリンクのボトルが路上に転がっていた時点で、それに追随してしまうのはランナーの性なのでは。(実は私、スペシャルドリンクの針金の付いたボトルを踏みそうになり、かなり憤慨しておりました。せめてあれぐらいはどこかに寄せて欲しいものです。)

そして30キロの給水で、一瞬だけ足を止めてしっかり給水を摂った。いよいよここからが正念場だと気合いを入れる。

僕にとっての「鬼門」は2か所。まずは35キロ過ぎに現れる一つ目の「鬼門」は難なくクリア。お…これって今日大丈夫そうじゃね?と、再び欲が出始める。次の「鬼門」は38キロ手前の交差点。前回は、ここを左折した後に足が止まった。
金曜日からのアルコール抜き。内臓に負担をかけたくなかったし、元来汗かきの体質なので、水分を余計に排出したくなかった。がしかし、既に尿意をもよおし、しかも相変わらず身体は重いままなのに、汗を相当かいていた。でも、ここまで来れば何とかなるんじゃないか?そう思いながら左折し、ペースを上げようとした途端、右脚に明らかな違和感を覚えた。そして38キロの給水ポイントで、それは突然現れた。またしても前回と同じ場所だった。世の中そんなにうまく行くはずがないのだ。

突如やって来た右脚大腿部の痙攣。そういえば塩分補給をしっかり行っていなかった!が、時既に遅し。完全に足が止まり、後ろにのけぞったり前のめりになったりを繰り返しながら「うぉぉぉ…」と小さなうめき声を上げていると、ボランティアのおばさんが紙コップの水をたくさん持ってきてくれた。
「大丈夫?水を足にかけて冷やして!」
ところが足に水をかけると、更に痙攣が酷くなるといった有様。「救護、呼ぶ?」「い、いや…いいです。な、何とかなりますから…。」
少しずつ気持ちを落ち着かせながら水を飲み干す。この間、おばさんは僕の足をマッサージしてくれている。ポケットに入れていたはずの塩熱サプリは、水を被りすぎたせいでほとんど溶けてなくなっていた。嗚呼、何たる大失態!

ひとまず歩ける状態まで快復したので、礼を述べて再び歩き始める。ジョグ程度までペースを上げると程なく、北大の入口が見えてきた。騙し騙しの状態で北大の構内へと進んだ時、今度は39キロ付近で左脚大腿部が攣った。給水がなければ、観客もほとんどいない場所で苦悶の表情を浮かべ、独りで狼狽える。後続のランナーから「頑張れ!」と声を掛けられる。そしてその中には、先行を許したはずのWさんの姿もあった。

まさか右脚の次に、左脚まで攣るとは…。激しく動揺する気持ちを落ち着かせながら、再び走り始めるが、最後は40キロの手前で両足が攣った。こうなると、もはや失笑のレベル。悶絶する僕を見かねたオジさんが、「命の水だよ。あと2キロ頑張れ。」と、紙コップに注いだファ〇タグレープを持ってきてくれた。嗚呼、ファ〇タがこんなに美味しいなんて…。一気に飲み干しながら、色んな思いが頭の中を交錯する。

…これって、別に前日に飲酒しようが関係ないってこと?いやいや、多分飲酒してたらもっと手前で足が攣っていたでしょ。(何よりも今回、塩分補給をしっかりしなかったことが最大の要因だとわかっている…つもり。)
ただ、脚の痙攣がなければ、最後まで走りきることができたはず。実際足が攣った38キロで余力は十分あったし、少しペースを上げ始めたのも事実。(これが足が攣った最大の原因ではないかという気がしないわけでもない。)
と分析すれば、実は余裕で3時間30分は切れたんじゃないか…。くっそー。なにやってんだ自分。憤りと悔しさと情けなさが交錯するも、自分に呆れて涙一つ出てこない。

いや、まずはとにかくゴールだ。ゴールしないと何も始まらない。再び歩き始め、徐々にペースを上げながら、赤レンガ庁舎前を通過。もはやタイムなんてどうでも良くなっていた。いや、最初からタイムは気にしていないはずだったのに。最後の角を右折、遥か向こうに見えるゴールを目指す。余力はあるのに、足が攣るのが怖くて前に出ないという辛さ。

結局3時間35分09秒という、なんとも微妙というか平凡というか、うまく説明の付かないタイムでゴールした。昨年の記録より1分30秒遅れてのゴールだった。

38キロ付近までは、身体や足が重かったものの、当初想定していたとおり概ね一定のペースで走れていた(4分46秒~47秒ぐらい)。
残り4キロで大丈夫そうであればペースを上げようと思っていたが、ペースを上げたその時に脚の痙攣が起きた。まあ、遅かれ早かれ脚の痙攣はやって来たのだろうと思う。塩分の補給を怠ったツケだったワケだから。

hokkaido_result

ふと時計を見たら、42.195キロを走ってきたのに、距離表示が42.7キロになっていた。つまり、コンビニへの立ち寄りやコース上を右へ左へ蛇行した結果として、約500メートルも長く走っていたことになる。
ちょっと驕りというか慢心が過ぎたかも知れない。

…とはいえ終わってしまったこと、「たられば」の話をしても仕方がないのであとはやめておきます。

9か月ぶりのフルマラソンだったけれど、北海道マラソンはほぼ平坦なくせにホントにレースを組み立てるのが難しいし、それに立ち向かうには、事前の準備を心身とも怠ってはならないということ。こうなったら、北海道の借りは北海道で返すしかないでしょ。

今、腹部から脚にかけてあちらこちらに痛みが残っている。一方で、上半身に疲れや痛みがないということは、肩の力を抜いて走れていた、という解釈でいいのかな。

大会を終えて、今回何が欠けていたのかが朧気にわかったので、次の大会に向けて心も身体も立て直して行きたいと思います。一つの大会でいつまでも一喜一憂しているヒマはない。次に気持ちを切り替えよう。


北海道マラソンと紙コップ


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このブログに辿り着くにあたり、どういった検索キーワードを用いているのか管理者兼投稿者としてチェックすることができるのですが、北海道マラソンが来週に迫っているということもあって、「北海道マラソン 攻略」「北海道マラソン 難所」「新川通 過酷」といった、暗に北海道マラソンの鬼門ともいわれる「新川通」のことを匂わせるキーワードでこのブログを閲覧されている方が多いようです。ありがとうございます。ようこそいらっしゃいました。

以前の投稿でも触れているのですが、皆さんが気にしている「新川通」、25キロ過ぎの折り返しを含む往復約13キロのコースについては、私自身2度走ってみてそんなに辛いと感じることはありませんでした。確かに周囲から建物がなくなり、景色は単調、コースも直線。日光を遮るものも何もないとなると、かなりきつそうなイメージを抱くのは致し方ないことなのかも知れません。しかし、よく見ると沿道には応援している方々がそれなりにいますし、何よりも周囲には一緒にゴールを目指すたくさんのランナーがいます。私がイメージする新川通は、自走式のベルトコンベア、動かない歩道みたいなものなのだということ。それに乗せられた他のランナーの皆さんと、自分の脚で一緒に先を目指す、そんな感じです。
ですから、新川通は辛いと感じる思い込み、そして新川通は過酷だという先入観を排除することが、北海道マラソン最大の攻略法なのではないかと思います。

一昨年は準備不足だったことや予想以上の好天で気温がどんどん上昇したこと、靴下とシューズとの相性が悪かったことなどから、新川通を過ぎてからかなり歩くハメになりました。
昨年はそれなりに準備はしたものの、新川通で折り返してからの向かい風にやられ、結局最後の最後でまたしても歩くハメになりました。
今年はどうしたら途中で歩かないで済むか、今はそのことばかりを考えています。

コースが過酷かどうかについては、その人の走力によって感じ方が全然違うと思うので、どうすればコースを攻略できるかについても、最後は自分自身の気持ち次第ということになるんでしょうかね。
楽なマラソンなんて、あるわけがないんです。42.195キロを走るって、冷静に考えてみると並大抵のことじゃあない。
しかも北海道とはいえまだ暑さの残るこの時期に走るわけですから、最初から最後まで過酷ですよ。
でも、その過酷な中に自分の身を置いてどう楽しむか、これに尽きるんじゃないですかね。

さて、もう一つ厄介というか北海道マラソンにとって最大の懸念、問題といってもいいのが、紙コップとスポンジ。これは例年問題になっているみたいですが、給水所付近では紙コップやスポンジが道路に無数に散乱、踏みつぶされてグジャグジャになった紙コップで道路上が白くなり、その後の片づけの遅れが交通規制解除の遅れに繋がる事態になっているようです。これまで県外の大会にも幾つか出場しましたが、これほどまでに紙コップやスポンジが溢れかえっている道路は、確かに見たことがありません。
実際、走り終えた後に足下を見ると、細かく踏み砕かれた紙コップの残骸がシューズやソックスに無数に張り付いていてビックリしました。その様相たるや、例えて言うならばあれですよ。若かりし頃に見た「あれ」がびっしりへばりついた感じ。あれっていうのは、ローリー寺西が率いるバンドの語源。何のことかはググレカス…おっと危ない。

そもそもこれは、先行するランナーが飲み終えた紙コップをそのまま道路に捨ててしまうということが事の発端のように思えてならないのですが(後続のランナーも追随して捨てるから)、今回の北海道マラソンでは、この対策として今回「クリーン宣言」なるものを掲げ、ゴミ箱の設置箇所を相当増やすと意気込んでいるようです。

実際大会を走ってみると、給水所に置かれた紙コップの間隔が近すぎて道路上に散乱してしまったり、ゴミ箱そのものが小さかったり、そもそもゴミ箱の場所があり得ないぐらい給水所の近くだったり、逆に道路から極端に離れていたり、更にゴミ箱の数が圧倒的に少なかったり、中央車線寄りにはゴミ箱が全く設けられていなかったりと、これじゃあ道路に捨てざるを得ない状況だという理由がいくらでも出てくるわけです。かといって捨てても良いかといえばこれはまた話は別。後続のランナーがこの「白い絨毯」に足を取られ、どれだけ大変な思いをしていることか…。(かくいう私も昨年この「絨毯」を踏んで滑って転びそうになりました。)
実際の画像は、「北海道マラソン 紙コップ」で検索してみてください。結構凄いですから。(NAHAマラソンもこれに近い状況らしいですが、私が走っていた時点ではあまり気になりませんでした。)

さて、今回の「クリーン宣言」がどう効を奏するのか、これも一つの見どころではないかと思っています。あ、もちろん出場する一ランナーとして、ゴミ箱へのゴミ捨てには協力させていただきます。
裸足ランやワラーチで出場を目論んでいる皆さん、折り曲げられた紙コップの角って意外に痛いですからね、実は要注意です。

私自身、調子は徐々に上向きです。試験勉強をバッチリやって試験に臨むくせに「全然勉強してなくて…」なんて嘯くようなことはしません。
ただ、調子が上向きだからこそ調子に乗る可能性があります。調子に乗ると、落とし穴が待っています。だから今は、その気持ちを抑えつつ、どれだけ冷静に大会に臨むかが大事になってくるんだということを言い聞かせています。

どうやらこのままだと、日曜日は雨交じりの天気になりそうです。日光がガンガン照りつけるよりはマシかも。ただ、もしかしたら蒸し暑さを助長する可能性も否定できません。いずれにせよこの天気を味方につけるか敵に回すかは、結局のところ自分の走り次第ってことですかね。ここまで来ると、あのコースをどう攻めてやろうかとメラメラ火が付きそうな感じです。でも、今から火が付いて始まる頃に火が消えていては困るので、点火はもう少し後にしようと思います。

あくまでも今回は、タイムを狙わない。一定のペースで最後まで走りきること。これこそが、今回の大会に課した自分自身への宿題です。どうか変な欲が出ませんように。