北海道マラソンと紙コップ


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このブログに辿り着くにあたり、どういった検索キーワードを用いているのか管理者兼投稿者としてチェックすることができるのですが、北海道マラソンが来週に迫っているということもあって、「北海道マラソン 攻略」「北海道マラソン 難所」「新川通 過酷」といった、暗に北海道マラソンの鬼門ともいわれる「新川通」のことを匂わせるキーワードでこのブログを閲覧されている方が多いようです。ありがとうございます。ようこそいらっしゃいました。

以前の投稿でも触れているのですが、皆さんが気にしている「新川通」、25キロ過ぎの折り返しを含む往復約13キロのコースについては、私自身2度走ってみてそんなに辛いと感じることはありませんでした。確かに周囲から建物がなくなり、景色は単調、コースも直線。日光を遮るものも何もないとなると、かなりきつそうなイメージを抱くのは致し方ないことなのかも知れません。しかし、よく見ると沿道には応援している方々がそれなりにいますし、何よりも周囲には一緒にゴールを目指すたくさんのランナーがいます。私がイメージする新川通は、自走式のベルトコンベア、動かない歩道みたいなものなのだということ。それに乗せられた他のランナーの皆さんと、自分の脚で一緒に先を目指す、そんな感じです。
ですから、新川通は辛いと感じる思い込み、そして新川通は過酷だという先入観を排除することが、北海道マラソン最大の攻略法なのではないかと思います。

一昨年は準備不足だったことや予想以上の好天で気温がどんどん上昇したこと、靴下とシューズとの相性が悪かったことなどから、新川通を過ぎてからかなり歩くハメになりました。
昨年はそれなりに準備はしたものの、新川通で折り返してからの向かい風にやられ、結局最後の最後でまたしても歩くハメになりました。
今年はどうしたら途中で歩かないで済むか、今はそのことばかりを考えています。

コースが過酷かどうかについては、その人の走力によって感じ方が全然違うと思うので、どうすればコースを攻略できるかについても、最後は自分自身の気持ち次第ということになるんでしょうかね。
楽なマラソンなんて、あるわけがないんです。42.195キロを走るって、冷静に考えてみると並大抵のことじゃあない。
しかも北海道とはいえまだ暑さの残るこの時期に走るわけですから、最初から最後まで過酷ですよ。
でも、その過酷な中に自分の身を置いてどう楽しむか、これに尽きるんじゃないですかね。

さて、もう一つ厄介というか北海道マラソンにとって最大の懸念、問題といってもいいのが、紙コップとスポンジ。これは例年問題になっているみたいですが、給水所付近では紙コップやスポンジが道路に無数に散乱、踏みつぶされてグジャグジャになった紙コップで道路上が白くなり、その後の片づけの遅れが交通規制解除の遅れに繋がる事態になっているようです。これまで県外の大会にも幾つか出場しましたが、これほどまでに紙コップやスポンジが溢れかえっている道路は、確かに見たことがありません。
実際、走り終えた後に足下を見ると、細かく踏み砕かれた紙コップの残骸がシューズやソックスに無数に張り付いていてビックリしました。その様相たるや、例えて言うならばあれですよ。若かりし頃に見た「あれ」がびっしりへばりついた感じ。あれっていうのは、ローリー寺西が率いるバンドの語源。何のことかはググレカス…おっと危ない。

そもそもこれは、先行するランナーが飲み終えた紙コップをそのまま道路に捨ててしまうということが事の発端のように思えてならないのですが(後続のランナーも追随して捨てるから)、今回の北海道マラソンでは、この対策として今回「クリーン宣言」なるものを掲げ、ゴミ箱の設置箇所を相当増やすと意気込んでいるようです。

実際大会を走ってみると、給水所に置かれた紙コップの間隔が近すぎて道路上に散乱してしまったり、ゴミ箱そのものが小さかったり、そもそもゴミ箱の場所があり得ないぐらい給水所の近くだったり、逆に道路から極端に離れていたり、更にゴミ箱の数が圧倒的に少なかったり、中央車線寄りにはゴミ箱が全く設けられていなかったりと、これじゃあ道路に捨てざるを得ない状況だという理由がいくらでも出てくるわけです。かといって捨てても良いかといえばこれはまた話は別。後続のランナーがこの「白い絨毯」に足を取られ、どれだけ大変な思いをしていることか…。(かくいう私も昨年この「絨毯」を踏んで滑って転びそうになりました。)
実際の画像は、「北海道マラソン 紙コップ」で検索してみてください。結構凄いですから。(NAHAマラソンもこれに近い状況らしいですが、私が走っていた時点ではあまり気になりませんでした。)

さて、今回の「クリーン宣言」がどう効を奏するのか、これも一つの見どころではないかと思っています。あ、もちろん出場する一ランナーとして、ゴミ箱へのゴミ捨てには協力させていただきます。
裸足ランやワラーチで出場を目論んでいる皆さん、折り曲げられた紙コップの角って意外に痛いですからね、実は要注意です。

私自身、調子は徐々に上向きです。試験勉強をバッチリやって試験に臨むくせに「全然勉強してなくて…」なんて嘯くようなことはしません。
ただ、調子が上向きだからこそ調子に乗る可能性があります。調子に乗ると、落とし穴が待っています。だから今は、その気持ちを抑えつつ、どれだけ冷静に大会に臨むかが大事になってくるんだということを言い聞かせています。

どうやらこのままだと、日曜日は雨交じりの天気になりそうです。日光がガンガン照りつけるよりはマシかも。ただ、もしかしたら蒸し暑さを助長する可能性も否定できません。いずれにせよこの天気を味方につけるか敵に回すかは、結局のところ自分の走り次第ってことですかね。ここまで来ると、あのコースをどう攻めてやろうかとメラメラ火が付きそうな感じです。でも、今から火が付いて始まる頃に火が消えていては困るので、点火はもう少し後にしようと思います。

あくまでも今回は、タイムを狙わない。一定のペースで最後まで走りきること。これこそが、今回の大会に課した自分自身への宿題です。どうか変な欲が出ませんように。


今年の法界折 -ご先祖様への供えもの-


平成28年のお盆休みが終わりました。
今年は8月11日に祝日「山の日」が制定され、13日が土曜日だったことから、12日に休暇を取る人が多かったようです。かくいう私もその一人です。
我が家は弘前市内にある2つの寺院街のうちの1つの中にあるため、お盆や彼岸の時期になると、外出するのも一苦労です。
特にお盆の8月13日になると、毎年目も当てられないぐらいの大渋滞が発生するほか、よりによってうちの菩提寺が、同じ町内ではなくもう1か所の寺院街にあるため、墓参りも一苦労。ですので、前もってスケジュールを組んで行動しています。

11日から13日までの道路の混雑状況をざっと見たところでは、今年のお盆は11日から13日までの間で分散して墓参りに訪れた方が多かったようです。また、日中の暑い時間帯(ちなみにほぼ連日真夏日でした)は朝夕と比較しても明らかに墓参りに訪れる車の台数が明らかに減っていた感じです。そして、何となく13日午後より12日午後の方が混雑していたような、そんな風にも見て取れました。一番のピークは13日午前でしたが。

さて、お盆といえば、津軽地方の風習として古くから伝わる「法界折」。そのまま「ほうかいおり」と読みますが、田舎に行くと訛って「ほげおり」と呼ぶお年寄りを見かけることもあります。簡単に言えばお墓や仏前に供える、いわばご先祖様向けの「弁当」というか「折詰」というか、そんな感じのものです。ただ、何の目的でいつ頃からこういった風習が始まったのかは、ちょっとわかりません。お盆の時期ともなればこれを持参して墓参りするというのは当たり前のように見慣れた光景でしたので、ほとんど意識したこともありませんでした。

以前もこのブログで紹介したとおり、うちではこの「法界折」を毎年作っています。今年は母の実家(ちなみに母の実家は北秋田市ですが、こういった風習はないと聞いています。)や妻の実家(同じ弘前市内にお寺があります。)、妹の嫁ぎ先(我が家のすぐ近所にお寺があります。)など、全部で14個の「法界折」を作ることになり、前日12日から仕込みを開始。とはいっても年末にこしらえる盛皿ほど手間はかからないものでして、下ごしらえは、いわゆる「煮染め」の材料を切っておくだけ。

ちなみに今回作った「法界折」、ベーシックな内容物はこんな感じです。

煮染め(大根、糸こんにゃく、人参、凍豆腐、麩、インゲン、油揚げ、タケノコ)、かぼちゃの煮物、プチトマト、茄子の揚げ物、岩木山で収穫された嶽きみ(めっちゃうまいトウモロコシ)、ミョウガの酢の物、ミズ(山菜)、そうめん、干瓢と紅ショウガのおこわ、みかん、ぶどう

ベーシック、と表現しましたが、実は大きめの法界折も用意することになり、微妙に中身が変わっています。鏡天(色のついた丸形の心太。仏様を映す鏡と言われています。)の代わりにお菓子(一口サイズのゼリーやおかきなど)が入っていたり、スイカが入っていたりいなかったり。その他容器が大きかったために隙間を埋める(!)ためのアイテムを母親が急遽こしらえたのですが、「ちょっとそれは法界折に入れるものとは違うだろ」ということで、先ほど挙げた法界折の内容からは外しています。ちなみに、法界折に肉や魚が入っているものを見たことはほとんどありません。

今回は、容器の大きさ、形もちょっと違っていたために、結果的には3パターンの法界折が出来上がりました。
法界折は毎年この地方のスーパーなどで600~800円前後で販売されていますし、仕出し屋さんなどでも「法界折承ります」といった貼り紙を見たことがありますが、何か必ず入っていなければならないものがあるとか、「こうでなければならない」といったルールは特にないみたいで、内容物についてはバラバラのようです。ただ、スーパーのそれを見ると、正直言って「値段の割にはかなり質素だな」という印象を受けます。「質素」の意味は、お察しいただければ。
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ちなみに私、13日は早朝4時に起床。土曜日ということで本来であればランニングクラブの朝練に向かうところ、さすがにこの日はご先祖様にちゃんと敬意を払わないと、と朝練を回避、法界折の製作に早朝から精を出していました。
13日朝6時30分には一つだけこしらえた法界折を持参、父をはじめ先祖様が眠る墓へ出向いて手を合わせ、帰宅後残り13個の法界折を完成させ、午後12時30分には妻の祖母の墓、そして午後3時30分には妻の父の墓へとそれぞれ法界折を持参して出向き、手を合わせてきました。

弘前市内の寺院街では、墓前の供物を「持ち帰る」のが原則。だって、「拝んだら供物みんな置いてとっとと帰れ」と言わんばかりに、カラスが狙っているんだもん。要するに、お盆やお彼岸が終わった後の墓地の清掃が大変なんでしょうね。実際この日も、寺院街では結構な数のカラスがカーカーと樹上で啼いておりまして、袋入りのお菓子(和菓子と見た)をくちばしに咥えて飛んでいくカラスを数羽見かけましたよ、ええ。

なので、ご先祖様がゆっくり食事する間もなく、法界折に関しても例外なく「持ち帰り」となるのですが、その後どうなるかと言いますと、誰かが食べようとも文句は言われません。というか、最終的には誰かが「食べる」ことを前提にして作るお宅もあるようですし、さもなければ、廃棄処分ということになってしまいます。うちの「法界折」も前者を想定していますので、それなりの「味付け」を施しています。中には食材の匂いや味が移ってしまったり(特に「果物→煮物」は致命的)、時間の経過で残念ながら違う匂いがし始めるというケースもあるようですが、そういうこともあって13日の早朝に完成させ、13日のうちに供えるということをしているわけです。

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ちなみに、田舎のお寺に行くと、カラスにはお構いなしで供物を墓前に置いたまま帰るところも多いようです。まあ、せっかくならばご先祖様にゆっくり食べて頂きたいものですよね。


苦手意識


20150830(画像は今回の記事と全く関係ありません。昨年すすきのの打ち上げ会場近くで撮影した1枚、建物に施されたURL、そしてその下の看板に描かれた店の名前と数々のフレーズに衝撃を受け、ただ何となくアップしたかっただけです。)

8月28日の北海道マラソンまで20日を切りました。今季初フルマラソンは、前走のさいたま国際マラソンから10か月近くも間を空けての出走(といっても毎年のことですが)。この間、脚を痛めたり、足を傷めたり…。もはや傷みがすっかり慢性化してしまっている感じもあり、この痛みと上手く付き合いながら走るか、いっそ走ることから一切手を引くぐらいの腹を括ってもいいのかな、ぐらいの消極的な思いに駆られることもあります。

北海道マラソンは今年で3度目のエントリー、そして僕にとって通算10回目のフルマラソン出場となります。まずは今年のフルマラソンの初戦ということで、いきなりタイムを狙う必要はないレースだという認識を持ちつつも、やはり出場する以上はそれ相応の結果を出したいという気持ちが勝ってしまい、一昨年、そして昨年と、見事なまでに同じ場所で撃沈しました。実際過去2度の大会結果をトレースしてみると、本当に笑っちゃうぐらいに同じ地点でペースダウンしているのがわかるんですね。

北海道マラソンを語る時に欠かせないのが、18キロ以降に現れる「新川通」という折り返しを含む片道6.5キロの直線コース。ここを制するものが北海道マラソンを制する、みたいな記事もよく目にしますが、個人的には新川通りに対する苦手意識はそんなにありません。むしろ問題は新川通を過ぎた後、32キロ過ぎからの残り10キロをどう持ち堪えるかで、道マラを制したかどうかという気分になるんじゃないかと思っています。僕にとっては遥か遠くの視界に飛び込んでくる札幌駅のJRタワー、あれが目に入った時に一気にペースが落ちるということを二度繰り返しています。なので、あれが僕にとっての鬼門といっても過言ではありません。
正直言って、あのタワーが目に飛び込んでくるのが、怖い…って、またこんなこと書いちゃうと意識してしまうではないか。あー、バカバカ。

ただ、この辺りまで来ると一緒に走っている周囲の人も苦しいんですね。そりゃそうですよ、ここまで35キロ走ってきているんだから。
37キロまで来ると、いよいよ北大のキャンパスへと歩を進めていきますが、ここからゴールまでの5キロがまた長いんだわ。

…と、ここまでの投稿内容を読み返してみるとやっぱり私、何となく北海道マラソンそのものへの「苦手意識」が払拭されていないような感じですね。
初めて出場した2年前の時は暑くてきつかったし、前回は暑いのに加えて向かい風が強くてきつかったし、起伏がそんなにあるワケじゃないのに、どうも「きつい」「辛い」という印象を拭えないという。2度のレースともに決して喜べるような結果じゃないので、いい印象を抱くことができないというのも正直なところです。
ただ、ゴールした後にボランティアの学生さんからメダルを掛けてもらったあと、何ともいえぬ感情が胸に去来して、涙がホロッと出ちゃうんですよね。ああ、今年もまたフルマラソンを走ったな…ああ、でも何か悔しいな、また来てやる、って。

でも、本当に苦手なのかどうかは実際わからないというか、これも脳が勝手に作り出している「壁、言い訳、自己保身」なんじゃないか、と。というか、本気でイヤだ、苦手だと思うなら、多分最初からエントリーしないような気がするんです。

こうなると「苦手意識」みたいなものがかなり根強く残っているのかなあ、と思いつつ、今年は何とかその苦手意識を払拭しつつ、平常心で臨んでみたいと思っています。そのためには、まず脳をエゾバフンウニのように軟らかくしないと。
だから、今回はあまり過剰に意識することなく、周囲を眺めながらフンフン鼻歌鳴らして走るぐらい余裕を持って臨みたいところ。理想は、さいたま国際マラソンの時のような、心身ともに全くブレのない走りではありますが、さて、どうなるんでしょうね。
いずれにせよ今回は、タイムとかを意識せずに、まずはしっかり走りきる(理想は最後まで歩かず完走する)ことを目標にしたいと思います。(実は北海道は過去2度とも歩きまくっているという…。)

ここまで整理して一つ、作戦は決まりました。今回、敢えて目標タイムは設けないことにします。決めてしまうと、そのことばかりにとらわれてしまって、頭も身体も心もバラバラになってしまうから…。
そして今年は30回の記念大会、メダルのデザインも一新されることですし、最後はジョグペースでもいいから楽しんで走りきりましょうかね!昨年のさいたま国際と、今年4月のイーハトーブ花巻、いいイメージをなるべく思い浮かべながら。

さて、明朝は32キロのLSD、大会2週間前となる14日は毎年恒例となった西目屋村往復42キロ(ジョグ+ペース走)を入れる予定です。そして、もう一つあることを考えているのですが、それは何なのかは、今は秘密にしておきますね。

道マラは 走った後の 打ち上げが 先着狙いの 本番レース


昭和初期の地形図


小学校高学年の頃の私、時刻表と地図帳が大好きでして、マンガ本より時刻表や地図帳を眺めている時間が長かったような気がします。

時刻表については、当時はまだ長距離普通列車や寝台列車がたくさん走っていた時代、行けるはずがないとわかりつつも、思いを馳せながら鈍行列車だけで北海道一周を巡る旅行のスケジュールを組んでみたり、いかに効率良く鈍行列車だけで東日本を回ることができるか、なんてことを、夜な夜な考えていたのでした。そう、ちょうど青春18きっぷの発売が始まった頃でしたね、確か。

地図帳に関しては、小学校の地図帳だと縮尺が小さすぎてあまり面白みがなかったのですが、中学校の頃になると試験などで登場する地形図、特に50,000分の1や25,000分の1縮尺の地形図に興味を持つようになりました。山から流れてくる河川によって創り出された扇状地や平野、三日月湖と呼ばれる河川の名残によって出来上がった湖沼、田んぼや果樹園の中に点々と現れる集落、その集落を結ぶ道路や鉄路、更には今ではほとんど見ることのない森林軌道など、地形図に広がった地図記号や等高線を見ながら、色んな妄想をするという…。挙げ句の果ては、弘前市内にある大型書店、ここで地形図が販売されているのですが、さすがに立ち読みまでは行かないものの、書籍を買いがてら、何枚か地形図をチラ見してから帰るという、今思えば何だか妙な少年時代を過ごしていました。

やがて年齢を重ねる毎にそういった興味も薄れていったわけですが、妄想に火を付けるようなネタがあることをつい先日、40代半ばになって知ることとなりました。

スタンフォード大学が公開している日本国内の「50,000分の1」の地形図

日本国内全ての地域が網羅されているというわけではなく、例えば北海道の道南地域や青森県内でも下北半島、津軽半島の一部、その他近畿地方などで抜けている地域があります。なぜ抜けているのかは謎ですが、かなり広範囲にわたって網羅されています。(文献として見つけられなかったのかな?)
何が凄いってこの地形図、現在のものではなくて、80年以上前の昭和初期を中心とした地形図なんですね。手書きのメモが残っているものもあり、実際にどなたかが使われたものを電子アーカイブしたのでしょう。(八甲田山周辺の地形図には、雲谷から八甲田を経由して田代平に抜けるというルートが青書きされています。もしかしたら、自衛隊の訓練などで使ったものなのでしょうかね?一枚毎のページには「COLLECTION Japanese Military Maps」と書いてあります。)
ということで、当然自分の住んでいる町がどんな感じだったのか見たくなるというのが、人間の心情じゃないですか。早速見てみました、弘前の地形図。

弘前

弘前の地形図は昭和14年に修正されたもののようですが、それでもまだ戦前のものですので、市役所や弘前公園を中心とする辺りは地形が大きく変わっていることはないにせよ、建物の位置が微妙に違っていたり(時敏小学校が今の弘前市文化センターの場所にあった時代です)、今はすっかり住宅地として拓けた城西団地や弘前大学医学部そして附属病院の辺りがまだ田んぼだったり(そういえば城西団地になった界隈の田んぼで蛍を見た記憶があります)、周辺に村がたくさん点在していたり、その村役場(確か旧清水村役場)がなぜかうちの町内にあったり、更にはまだ弘南鉄道大鰐線が開通していなかったりと、見ているだけでちょっとワクワクします。…というかこれだけ挙げただけでも、今とはかなり違いますね。
私の興味はこれ一枚でとどまるはずがなく、弘前の隣には黒石とか碇ヶ関とか五所川原とか青森西部の地形図もあるので、そちらも見たくなりますよね。見てみました、ええ。

ちなみに五所川原の地形図を見ると、今の五所川原市が「五所川原町」になっているほか、五能線沿線には廃止になった駅の名前が幾つか出てきます。もちろん国道339号バイパスはまだありません。

五所川原

ダウンロード可能な画像のサイズがバラバラではありますが、私は7MB前後のサイズの画像をスマートフォンのSDカードに保存、すっかり読書気分で閲覧しています。何か地味だけど、昔を紐解いているような気分になれて楽しいのであります!

でもね…実は一番目を見張ったのが、沖縄本島の地形図でした。何かちょっと、複雑な気分になりました。
もうすぐ終戦記念日ですね。


初めての生前葬 ~葬儀委員長としての備忘録~


「オラ、3月で退職することにしたハンデ。それで、生前葬やりたいんだよ。オメ、葬儀委員長頼むな。」

冬も近くなった昨年の秋のことだっただろうか、飲んでいる席でのJさんからの突然の発表に耳を疑い、言葉を失った。Jさんは御年58歳。定年まで2年を残しての早期退職。以前から早期退職を希望しているお話は聞いていたので、ああ、とうとう決意されたのだな、とさほど意に介さなかったのだが、さすがに「生前葬」の開催と「葬儀委員長」の指名には面を食らった。

きっとJさんなりの冗談なのだろうと思っていたのだが、次から次へと溢れ出る「生前葬」のプランに閉口し、そして、これは本気で「葬儀委員長」を務め上げる腹を括らなければならないと覚悟を決めた。

学生の頃は宴会場でアルバイトをしていたので、冠婚葬祭のしきたりはそれなりに身についているつもりだったし、葬祭にはこれまで何度も参列したことがある(仏事も神事もキリスト教も)。ついでに言えば、親父の時は喪主も務め、義父を送ってまだ1年も経っていなかったから、葬祭の一連の流れは頭に入っている。

が、しかし。さすがに生前葬には参列したことがないし、周囲でも執り行ったという話を聞いたことがない。「わかりました。」とその重責を引き受けたまではいいが、果たして何をしていいのやら、ちんぷんかんぷんだった。これは、えらいことになったかも知れない。

Jさんと僕との付き合いはかれこれ20年以上となる。平成5年4月に僕が社会人デビューを果たした際に、社会人としての「いろは」、公僕としての「にほへと」を叩き込んでくれたのが、僕の隣に座っていたJさんだった。つまり、今でいうところの新人トレーナーのような役割を担っていたのがJさんだったのだ。そのJさんが退職するということは、僕にとっては恩師が退職するようなもので、意に介さないとは言いながらも本当に大きな出来事だった。だから、Jさんから生前葬をやりたい、お前に葬儀委員長を頼む、といわれた時は、正直言ってこんなオレでもちょっと頼りにされているのだと思い、とても嬉しかった。

時は流れ、 3月いっぱいで予定通りJさんは退職、第二の人生のスタートを切った。その後も幾度となく「生前葬」に向けた打ち合わせを兼ねた飲み会が催されたが、相変わらずJさんからは「頼むじゃ、葬儀委員長」と言われるだけで、何をどうしたらいいのかわからないままだった。

しかしこの間Jさんは、来るべきその日に向けて、知らぬ間に着々と準備を進めていた。そして、7月30日(土)にホテル青森でJさんの「生前葬」を行うことが正式に決まった。

最後の打ち合わせは、7月半ばになって行われた。僕がJさんから依頼されたのは2つ。

まず、フェイスブックにイベントページを立ち上げ、参加者を募ること、そして、会場のスクリーンに投影する「祭壇」の画像もしくは動画を作成すること。この時点でJさんは、座席表やチラシなどを作成し終えていた。一方、僕がやっていたことといえば、当日のシナリオの素案作成ぐらいだった。

でも、結果としてこのシナリオの素案があったからこそ、その後の準備に戸惑うことがなかったというのも事実。曹洞宗のお寺から本物の僧侶を導師として招いて読経してもらうので、この間の粗相さえなければ、あとは何とかなるはずだという、根拠のない確信を抱いていた。

あっという間に時間は流れ、この間もJさんから追加提案される「お願い」に応えるべく、週末の時間を準備に割くようになった。そして、イベントページには続々と参加申込がされ、1週間前には参加者募集を締め切る事態となった。恐るべし、Jさんのお人柄。

そして本番前日となった29日、この時点ではシナリオはほぼ完成していたのだが、帰宅したあとにふと思いついたことがあり、その翌日、つまり本番当日になっておもむろに作業を開始。

簡単に言うと、フェイスブックのJさんの個人ページからネタとなる画像を集め、それを繋ぎ合わせ、音楽に乗せて流すというもの。つまり、Jさんのちょっとした回顧録みたいなものを作ってみようと考えたのだ。ベースは、ここ数年にわたり毎年作成している弘前公園RCの新年会で披露する動画。このベースをうまく使いながら、それほど労せずして約3時間で動画の完成まで漕ぎ着けた。会場でのウケはともかく、やるじゃんオレ。

ただ、この動画についてはそもそもシナリオに書いていないので、どのタイミングで流すかを考えなければならない。

Jさん一人に観てもらえばそれでいいや、というものでもないし、せっかくならば是非皆さんにも観て頂きたい。ここだけは葬儀委員長の特権というか我が儘ということで、乾杯直後に流すことにした。

会場のホテル青森に着いたのは、15時20分。まずは15時30分から先行して行われるイベントに参加し、そのあと同じ会場で19時から生前葬が行われる、という流れだった。

イベントは17時30分過ぎに無事に終了、いよいよ生前葬の準備が始まった。

葬儀委員長といっても司会進行役がメインなので、まずは導師を務めるNさん(本物の曹洞宗の僧侶です)と打ち合わせ、読経から説教までの流れ、「弔辞、弔電披露」のタイミングを確認。「祭壇」が投影されるスクリーンの前には戒名(といっても菩提寺ではないので、あくまでも「仮」のもの)や木魚などが用意され、その前には「遺影」や供物が並ぶ。中には、Jさん大好物の「卵焼き」まで…。ここにないのはロウソクと線香ぐらいだろうか。

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あとは、青森ヒバで製作された、一見すると本棚のようなんだけど実は棺桶という代物を設置する位置を決め、PCには開式前のスクリーン(画像)と、祭壇の動画、そして秘密裏に製作した動画の動作確認を行った。Jさんは興味津々で動画を観たがったが、開式後のお楽しみということで我慢してもらった。

18時30分頃から参列者が続々と一輪の花を持って入場。献花台に花を供え、その横に立つJさんに挨拶。「いやあ、何て言えばいいの?御愁傷様でもないし、何だろうね?」とJさんに笑いながら話しかけるも、明らかに戸惑いを隠せない参列者。当のJさんもどう対応していいのか、ちょっと困っている感じ。

わがります!たげわがるんだって皆さんのその気持ち!

僕だってどうやって進行すればいいのか、開式20分前だけど未だに悩んでいるんだから。

参列者は15時30分からのイベントに参加していた人が半数以上だったため、18時50分頃にはほぼ座席が埋まっていた。参加募集を打ち切ったにもかかわらず、飛び込みでの参加もあり慌てたが、欠席者も出たため、結果としては帳尻が合う格好に。

18時55分、いよいよ葬儀委員長、というか司会である僕の出番。まずはお約束とばかりに携帯電話やスマートフォンの電源についての注意喚起をアナウンス。そして、Jさんの略歴を簡単に紹介。やはり慣れない司会のため、少し緊張しているのが自分でもわかる。その緊張の主たる要因は、一体どういうトーンで進めればいいのだろうかという、迷いにあった。

いや、あくまで生前葬は「儀式」なのだから、厳かに行こう。声のトーンを少し低めにし、しかしアドリブで参加者がクスッとするようなエッセンスを加えながら、淡々と進めていこう。これで少し吹っ切れた。

19時、導師であるNさんが入場し、着席。開式のアナウンスを告げたあと、いよいよ読経がはじまった。タイミングはバッチリである。そして、不似合いな場所に響き渡る木魚と鐘の音。僕の隣には、神妙な面持ちをしたJさんがいる。何だかその不思議な光景に、思わずニヤついてしまう。

13886479_1071547392931709_9184782988612761409_n(導師様の奥に直立しているのが、本棚ならぬ棺桶!Jさんご本人の旅立ちの際に、使うつもりなのだとか。)

本日限りの仮戒名が読み上げられると、会場から笑いが起こる。うん、これぐらいの雰囲気がいい。厳かな儀式の中にも笑い。これでいいのだ。そして、お二方から「弔辞」が披露された。弔辞を読み上げる方も、神妙な面持ちながらどうすればいいのだろうかという戸惑いが感じられたが、Jさんへの愛と尊敬の念に溢れた弔辞の内容に、Jさんが思わず落涙するという光景を目の当たりにし、思わずこちらまでもらい泣きしそうになった。

13891994_1071547376265044_7574720114772358831_n(皆さんも神妙な面持ちで読経に耳を傾けています。)

来ないと思っていた「弔電」が一通届いていたのでこれを披露した後も、儀式は粛々淡々かつ滞りなく進められ、説教を終えた導師が退場することとなった。ここでアドリブを利かせ、会場の皆さんの拍手で見送ることとした。導師様、笑いながら退場。普通の葬祭ではありえないでしょう?これ。

そんな感じで、厳かな中にも笑いと涙が入り交じった生前葬が無事に終わり、「お斎」(おとき)の時間がスタート。

本来であれば故人の冥福を祈り、献杯を捧げるところだが、新しい第二の人生の門出を祝う、という意味も込めて、乾杯。

そして、葬儀委員長の特権発動ということで、例の動画を流した。僕は反応が怖くてその場にいるのも耐えられず、思わず後ろの方から様子を眺めていたのだが、早く飲食したいであろう皆さんが手を止めて真剣にスクリーンを見てくださっているのが、ちょっと嬉しかった。約6分間の動画が終わると、自然と拍手。いやあ、受け入れてもらえて本当に良かった。

「祭壇」の前には、棺桶が置かれている。参加して頂いた皆さんにも自由に納棺体験してもらおうという趣旨。こちらも最初は戸惑いが感じられたが、食事とアルコールが回るにつれ、続々と興味を示す人が増え、棺桶の中に横たわる人たちの撮影会が始まっていた。

Jさんは各テーブルを回り、御挨拶を続けていた。周囲を見回しても20代から60代までと参列者の顔ぶれはさまざまで、見ているこちらがワクワクしてしまうぐらい。

僕はひとまず大きな役目が一段落したので、呂律が回らなくなる手前ぐらいまでビールを飲み続けていた。

そして21時25分、主役であるJさんから挨拶。既にこの時点で2割程度の方が帰られていたが、残り8割の方はJさんのお話に真剣に耳を傾けていた。

ふと背後を見ると、お構いなしで納棺体験をしている人達もいたけれど、それもご愛敬ということで。

21時30分過ぎに、無事「おひらき」となり、この日の生前葬は幕を閉じた。何せ誰もやったことがない不慣れな司会ということで粗相もたくさんあったと思うけれど、点数をつけるとするならば、80点ぐらいはあげてもいいんじゃないだろうか。…あ、生前葬の司会、ご用命があれば承りますよ(笑)。

生前葬の内容はこんな感じだった、ということで最後、総括しよう。

葬儀委員長の役目を終え、参列した皆さんと挨拶を交わしながら、僕は生前葬の意義を考えていた。Jさんが仰っていたとおり、亡くなってからだと自分が会いたいと思った人にも会えない。だから生前葬を行って、前もって会いたい人に会って感謝の意を伝える、という考え方、もの凄く共感できる。

僕個人としては、Jさんが退職し、第二のスタートを切るに当たっての節目、言わば「退職祝=生前葬」という位置づけで捉えていたところもあった。だから動画の最後に感謝の意を込めたメッセージを添えたし、それは僕なりのささやかな贐のつもりだった。他意はないのかも知れないけれど、今回「葬儀委員長」の指名を受けたことの意味を噛みしめながら、Jさんの「遺志」を継承していかなければならないな、と、ほんのちょっとだけ考えた。

参列された方からは、「生前葬、私もやってみようかな。」という声が数多く聞かれたのも事実。「葬」という言葉に惑わされてネガティヴに捉えるのではなく、むしろポジティヴに生前葬という形を捉える人がたくさんいたように思える。生前葬には、これだという形式的なカタチはない。裏を返せば、送って頂く方(すなわち主役)が自由に段取りを決めることができるし、いくらでも口を挟むことができる。生きている以上は必ず訪れる「死」。それをどういう形で受け入れるかということにも繋がって行くのかも知れないが、「生前葬」は間もなく人生のゴールを迎えるに当たっての「終活」というよりも、自分自身の「節目」や「ケジメ」というタイミングで、ポジティヴかつ華やかに開催されるべきなのだと思った。

好きな音楽をBGMにしながら、参列して頂いた皆さんと大いに語りあう「生前奏」はどうだろうか、なーんてことをふと思った次第。あ、ちなみに「生前走」は現在進行形ですから!

※皆さんが投稿した画像を勝手に動画で使わせて頂きました。ごめんなさい。そしてSさん、当日の模様を撮影した画像の使用を快く承諾して頂き、本当にありがとうございました!