フォーム修正のこと


ジョギングからマラソンへと移行して5シーズン目となった今年、先日「イーハトーブ花巻ハーフマラソン」に出場したことは先日のブログでもお伝えしたとおり。

1月に出場した「勝田全国マラソン」の前後からでしょうか、ちょっとしたフォームの矯正というか修正に取り組んでおり、今回はそれを試す機会でもありました。

走っている時の僕のフォームを見た人からよく言われるのは、
・肩が上がっている
・脇が甘い
・姿勢が直立過ぎる
という3点。

柔軟性がないことは自他共に認めるところですが、多分、上半身の動きがぎこちないとか、力んでいるとか、そういうことなんだと思います。
そして、肘の角度が甘すぎて、コンパクトに腕を折りたためていないんじゃないか、と。
ランニングの際に理想とされる肘の角度は、90度。だけど僕の場合、多分120度ぐらいの状態で走っていると思います。これを解消すべく、肘を折りたたんで走るということをまず意識付けました。そしてもう一つは、手の甲を下向きにし、手のひらを上向きにして走る、ということ。何かを抱えて走るような、そんなイメージです。甘いと言われる脇を締め、コンパクトに、スマートに。そんな走りを目指してみたのです。

トレットミルでこのフォームを身につけるべく試行錯誤を続けた結果、走り出しの際には自然と、この「抱えるフォーム」が身につくようになってきました。
先日の大会の際にオールスポーツさんが撮影したスタート時の写真を見ると、フォームが明らかに変わっていて、自分で言うのも変ですが、「綺麗な走り方」になっているんですね。

僕の場合、このブログで以前も打ち明けたことのある話、小学校3年の時に高さ3mぐらいのところから落下して背骨を圧迫骨折し、1ヶ月半以上入院したことがあります。ちょっと打ちどころが悪かったら下半身不随になっていたという結構な重傷だったのですが、その際の影響で、今でも脊柱1個がちょっとだけ歪んでいます。普段の生活には全く支障がない(というか、もしも支障があったらそもそも走っていない)ので、あまり気にすることもないのでしょうけれど、左右のフォームに多少歪みがある、シューズの底の減り方は右脚が早い、というのもその「後遺症」の一つ。
抜本的にこの問題を解決するとなると、背中にメスを入れるとかそんな話になってしまうので、全く考えたことはありませんが、そういうことも多少意識しながら走っているのも事実なのです。だから、直立不動というかやたらと背筋を伸ばして走っているのは、この歪んだ部位を中心に疲労や痛みが溜まらないように用心しているからなのです。
…まあ、脇が甘いことと関係ないとは思うんですけど。

しかしながら、スタートしてから数キロはこの意識付けができていたのですが、時間の経過とともにフォームが崩れていることにハッと気付くわけですよ。気付くたびに腕の振りを戻して、また崩れて、また気付いて…の繰り返し。僕はストライド走法ではなくどちらかと言えばピッチ走法なので、腕をコンパクトに折りたたむ→腕の振りが早くなる→連動する足の回転が速くなる、というごく当たり前で単純な話なのですが、これがまたうまくできないのであります。
結果、だんだんどのフォームが正しいのかよくわからなくなってきて、最後は昔のフォームに近い形で走っていたみたいです。


(笑顔でゴールしているはずが、あまりにも酷い顔で目隠ししています。しかし、すごい皺だわ…。)

もう一つ気になっているのが、身体のブレ。まず、自分の走り方を後ろから自撮りしたもの。

まるで「人」の字を描いているような、振り子のような動き。下半身がちょっとだけ左右にブレているので、それに合わせて頭も左右にブレているような…。
一方、正面から撮影したのを見てみると…

これは、この間の花巻の時も気になったのですが、右腕を前に振り出すとき(無理に振り出しているわけではありません)に、胸と肩も一緒に前に出て行っているんです。軽いショルダーアタックをぶちかましているというか、そんな動き。左側はそんな動きはしていないのに。肩胛骨が固まっているのか、肩を回すとゴリゴリ音がすることと、全く関係がないはずがありません。

とはいえ一朝一夕ではどうにもならない、ということは頭の中でわかっているつもりでも、長年染みついたクセを直すって、大変ですよね。いや、実際その染みついているクセが本当にダメなのかといわれると、わからないところもあるし。
典型的だったのは、ベアフットとフォアフットの論争じゃないでしょうか。着地の時にかかとから足を地面につけるのか、つま先の方から地面につけるのか。
どうも僕は最初の頃、つま先の方から地面につけるような走り方をしていたみたいなんですけれど、これだって少しずつ修正をしていって現在に至っているわけで。その結果、足裏の怪我がほとんどなくなったということは、つま先走りでのペースアップや鍛錬は、僕には向いていなかった、という結論に自ずと達します。

これは敢えて僕が言うまでもないことですが、結局のところ「このフォームが絶対正しい」という理想型は、あってないようなものなんじゃないかな。ランニングにまつわる色んな書籍が出ている中、真逆のことを書いている書籍もあるわけでして、そう考えると何が正解なのかはわからないし、むしろどれが自分に合うか、どの形が一番しっくりくるかを取り入れるべきなのだと思います。
だって、学校では「こういう風に歩きなさい」って、誰も教えてくれなかったでしょ。強いて言えば、手足を同じ方向に出すな(いわゆる「ナンバ歩き」はするな)、というぐらいでしょうか?走り方も、多分それと一緒。

だから、無理して矯正する必要はないのかな…という、結局のところ何だかよくわからない今日の結論でした。試行錯誤はまだまだ続くよ。
…といいながら最近読んでいる書籍。


アメニハアタラズ カゼニハマケタ -第5回イーハトーブ花巻ハーフマラソン


2017年度、本格的に走り始めてから5シーズン目の春、「ジャパンツアー 2017」の幕開け。
ツアー最初の公演(大会)は、今年も花巻市からスタートです。

4月に職場が変わり、緊張感漂う雰囲気の中での業務に取り組むこととなり、今月だけで県内出張が2度、そして日帰りでの東京出張が1度、その合間に飲み会も挟まって、定例となっている土曜日の朝練にもあまり顔を出せなくなりました。平日はほとんど走れぬまま、週末に色々アレンジしながら練習する、という状況に。

今まで出場した大会の中で恐らく、一番準備が整わなかった大会といってもいいかも知れません。大会前日、土曜日の夕方になってようやく、「これはマズイ」と思って約5キロのジョグを行ったぐらいなので。

こんな具合で好タイムが期待できるわけがないし、そもそもピークに持ってくるにはあまりにも早すぎる時期。
そんなわけで、今季初戦となったイーハトーブ花巻ハーフマラソンは練習の延長として位置づけ、まずは95分を切れるぐらいでいいか、と考えていました。スピード練習にするかビルドアップにするかペース走にするか、当日の天候を見て決めよう、と。

ちなみに花巻は昨年、いつになく気合いを入れて臨んだ結果、念願の90分切りを達成したという相性のいいコース。4年前からこの大会に出場していますが、会場の日居城野運動公園が叔母の家からほど近いということもあって、過去3年間はいずれも叔母の家に前日から泊めてもらい、翌日大会に出場する、というスケジュール。しかし今年は、業務が絡んだ青森市内への宿泊や東京への日帰り出張などが重なり、違う意味での疲労がかなり蓄積していたことから、当日早朝に弘前を出発、レース終了後に叔母と会う約束をしました。

4年前は出場者が500人ぐらいしかいなかったこの大会も、今回は3倍近くに膨れ上がったようです。7時過ぎに到着すると、既に駐車場がだいぶ埋まりつつあり、来年はまた叔母のところに宿泊させてもらった方が良さそうだな、とか思ったり。

参加賞の受け取りを済ませ、8時頃からアップを開始。外は肌寒く、北西からの風も時折強く吹いていました。一瞬太陽が姿を見せたと思ったら再び雲に隠れ、開会式の時にはほんの一瞬雨がこぼれ、文字通りヒヤリとしました。いや、それを言うならヒンヤリか。
前回のようにガッツリ気合いを入れる必要もないと思い、長袖を着たまま上にTシャツを羽織ります。だって、寒いし。
ゼッケンカラーが黄緑だったので、何となく緑系統の色でまとめました。せめてこれぐらいでモチベーションを上げないと、ねえ。

弘前公園ランニングクラブやhoneygoodの面々と顔を合わせ、一緒にアップ。トータルで3キロぐらいでしょうか、普段はデスクワークがほとんどなので、いろんな関節がかなり固まっていたし、寒さで動かなくなるのもイヤだと思い、ストレッチも結構入念に行いました。
昨年同様1時間30分以内の列に並びますが、まあ、行けそうならば90分切りを狙ってみればいいし、ダメそうならペースを落とせばいいだけだし。

(右端でくすんだ黄緑色のシャツを着て、申し訳なさそうにサムアップしてます。)

スタートラインに立っても、全く緊張感なし。周囲では「どれぐらい(の目標タイム)で行く?」といういつもの「様子伺い」が始まりましたが、他人は他人、自分は自分なので…と気になりませんでした。前にいたDくんに聞いたら「今日は28分で行ければ。」という話をしていたので、「うーん…オラは95分切るのを最低限で、願わくば90分…。」と口にしたら、周囲から「またまたぁ!」と。
…いや、ホント練習していないので、こればかりは蓋を開けてみないとわからないのですよ。
「スタート10秒前!」
係員の声にハッと我に返ったその時、塩飴を持参するのを忘れたことに気付きました。とはいえ気温がかなり低いので、あまり気にすることはないでしょう…。(ところが1時間後、これで苦しむことに…。)

号砲とともに、ランナーの皆さんは闘牛場に放り出された闘牛のようにもの凄い勢いで飛び出していきます。その流れには取りあえず乗っていこうと思い、かなりハイペースで競技場を飛び出しました。
後で確認したところ、追い風の影響があったとはいえ、1キロから3キロまでを3分50秒台で駆け抜けていましたので、完全に飛ばし過ぎです。今回は僕も含め黄緑のウェアを身に纏っている人が多かったため、ひとまずその人たちの背中を見ながらしばらくついていこうと思いましたが、それも5キロが限界でした。

3キロ地点の交差点で西に進路を向けるとともに、強い向かい風が時折吹いてきました。
ということは、帰りは追い風じゃん。ラッキー。
…なーんて暢気に走っていましたが、早くもこの辺りから少しずつペースが落ち始め(とはいっても4分1桁台でしばらく推移)、たくさんのランナーが僕の横をどんどん追い抜いて行きます。
ありゃりゃ…皆さんどんだけ飛ばすんですか。まあいいです。…あれ?ところで今日はスピード練習なのかペース走なのか、どっちにするんだっけ?いや、もはや最初のペースを考えればビルドアップは無理なので、ここはペース走と行きますか。
いくらハーフとは言え、色々考えると頭が疲れるだけなので、時計も見ず、何も考えないで淡々と走り続けていました。沿道で声援を送る人はまばらで、コースは弘前・白神アップルマラソンの10キロに似ている感じ。
しばらく続く、ホントに緩い上り基調を、風を受けながら黙々と走り続けます。
やがて7キロ付近で右折、進路を北へ。ここからちょっとだけ上り、下りがあり、その先に折り返しが待っています。これまでであれば、叔母が給水ポイントで手伝いをしていたのですが、今年からお役御免ということで叔母の姿はなし。まあ、これも力を抜いて走ることができた一つの要因なのかも知れません。

そして今年は、9キロ手前で折り返しを終えた先頭のランナーとすれ違いました。確か昨年までは8キロ過ぎですれ違っていることを考えると、僕自身がかなり速いペースで走っていることは明らかでした。
程なく何人かの仲間ともすれ違いましたが、サングラス越しのアイコンタクトと軽く手を上げるぐらいでおしまい。
折り返し数百メートル手前で再び右折、東に方向を向けます。折り返し地点(=中間地点)で再び西からの強い向かい風を浴びますが、ちょっと我慢をすれば追い風に変わるはず…。
しかし、ここで少し気が抜けたのか、またペースが落ちたのがわかりました。やがて、12キロから13キロの間にある上り坂でガクンとペースを落とし、立て直しが難しい状況に。折り返したあとは数名に声を掛けたぐらいで、あとは本当に黙々と走り続けていました。
14キロ付近で進路を東に変え、背中からの追い風を受けます。更に、緩い下り基調にもかかわらず、今度は左脚に痙攣の気配。ヤ、ヤバイ!と思い、ペースを少し落とします。しかし、気持ちだけは切れることがなかったので、何とか4分10秒台を維持して走り続けていました。この直線は景色があまり変わらないので退屈といえば退屈ですが、高校の建物や花巻市内の鉄塔、更には東北自動車道が徐々に近づいて来るのがわかるので、それだけを目安に走り続けました。あとで確認すると、14キロから18キロまでは4分15秒前後のペース走になっていましたが、痙攣の気配がなければもう少しペースを上げられたのかも知れません。まあ、たら・ればの話は、結果が出てからでは禁句なんですけど。

最後の給水地点を駆け抜け、18キロ付近で交差点を左折し、北向きに進路を変えたところで残り3キロとなりました。
ただ、この残り3キロからが今回は本当にきつかった。
というのも、強烈な向かい風が我々を襲ってきたからです。風除けになりそうなランナーを探すも、既に前を走るランナーとは結構な差があり、むしろ自分が背後のランナーの風除けになっている感じ。…いや、背後のランナーは僕を一瞥するように追い抜いて行くばかりでした。そして18キロから19キロの区間は唯一4分30秒を超えるペースで走っていました。嗚呼…。
ようやく右折し、再び追い風に。東北自動車道の高架下をくぐる手前、ちょうど19キロ付近でNさんが僕の横を追い越していきました。
うむ…取りあえずここはNさんについていこう。
しかしさすがに19キロを過ぎると、かなりキツイ感覚はありましたが、呼吸は思ったほど乱れていませんでした。ただ、脚力がほぼ売り切れで覚束ない感じ。完全に回転数が落ちているな、と。そして20キロを過ぎたところで、背後からNさんに声を掛けます。
「頼む…ゴールまで引っ張って♪」
「うわっ!わ、わかった。」
Nさん、僕が背後にいたことには気付いていなかったようでしたが、ここで一声掛けたことにより、二人とも一気にペースアップ。再び4分1桁台までペースを上げ、先行するランナーを続々捉えます。気合い入れのために、ハッ!と大声も一発。そして、既にゴールしていたMさん(世代別順位で4位だったそうです!)の「マカナエさん、ベスト、行ける行ける!」との声援を受け、競技場へ。Nさんを先に送り出す形でトラックに歩を進め、サングラスを外して、口角を緩めます。
実はこの大会、毎回ゴールシーンを撮影してくれるんですが、掲載される画像が年々酷い顔になっているんですね。だから、最後ぐらいは笑顔でゴールしよう…。これも今回スタート前に決めていたテーマでした。
口角を緩めたままゴールし、コースに向けて一礼。先にゴールしたNさんと握手を交わします。

「引っ張ってくれてありがとう!」
「背中押してくれてありがとうございました!」

お互いに感謝の言葉を口にしながら、止めた時計を見たら、1時間28分台を指していました。
その直後に頂いた記録証を見ると、自己ベストまであと5秒に迫る好タイム。

95分切れればいいかな、と思っていたのに、自分でもこんなタイムでゴールできるとは考えていませんでしたので、正直驚きました。
もっとも、このコースで昨年初めて弾き出した90分切りの時のタイムからちょうど1分半縮めていますので、それなりに脚力は上がっているのかも知れません。

それにしても今回は、完全に「風」に負けました。上りで脚が回らなくなったし、その後もペースが上がらなかったのは、今後の課題だなあ、と痛感。
とはいえ、練習が不足している中でこれだけのタイムを出すことができたことは、多少なりとも自信にしてもいいのかも知れません。もっとも、まだシーズンは始まったばかりですし、ピークを持っていくのはまだまだ先の話。
この結果に満足することなく、次の大会に繋げていきたいと思います。まあでも、練習できないならばできないなりに、次は自分の目標をどこに置くか、ですね。

次戦は5月14日の仙台国際ハーフ。初めての大会に挑みます。今回でこのタイムなら、当然PBを狙うしかないっしょ。


大会を終えたあとに花巻市郊外の台温泉へ向かったところ、先客の子どもが温泉の浴槽に大量の水を流し込んでいて、温浴効果ゼロの代わりにいい感じでクールダウンできました。そのあと叔母と待ち合わせ、2月に再オープンした旧マルカンデパート6階、現在は「マルカンビル大食堂」でマルカンラーメンと、あんソフトをご馳走に。

(叔母曰く「昔はもっと醤油の色が濃かった」のだそう。豆板醤の効いたあんかけスープは、ランの後の胃に優しかったのか厳しかったのか…。)

あんソフトは、ソフトの横に粒あんが置かれていて、味の変化を楽しむことができます。ソフトだけ口に運んでもよし、「あん」だけ食べてみるのもよし、もちろん、「あん」とソフトを一緒に口にしてみてもよし。
味の変わらない背の高いソフトよりもお勧めですよ~!(あんソフトの写真がないのは、運ばれてきた時点で結構「…。」な状態だったからです。笑)


熊本地震から1年


新しい職場に配属されてから2週間。「危機管理局」という名が示すとおり、日々突如降りかかってくる様々な事象に対して、スピード感を持って適切かつ確実に対処する、という状況が続いています。かなり緊張感を要することもあり、精神的なダメージがボディブローのようにジワリジワリと効いています。緊急連絡用の携帯電話は常に持たされ(「携帯」電話なので当然か)、平日も、緊急時対応のために青森市内への宿泊を月3回ほどしなければならないらしく、昨年度とは全く異なる環境下にかなり戸惑っているのも事実です。

そんなこともあって最近の生活を振り返ってみると、平日仕事、週末ランニング、時々飲み会…この繰り返しが先月後半から続いています。
…これまでが○○過ぎたのか、それとも、今の環境が●●過ぎるのか。

思えばここ数年、かつて熱を上げたはずの課外授業(地域おこしや自分磨きにまつわる活動)にはほとんど目をくれなくなり、何となく閉塞感が漂い始めている今日この頃。余裕がない、ということではないのだけれど、気が回らないというか、何というか。

46歳にもなって何を今更…と思う人もいるかも知れませんが、日々これ学習だし、いくら学んでも足りないぐらい学ばなければならないことはたくさんあると僕は思っています。(それが自分の実益に繋がるかどうかは別として。)
そんな中で僕が一番大事にしているのが、人と人の繋がりなワケでして、これは多分自分がリタイア(退職)した後で絶対に活かされると信じて疑っていません。
ランニング然り、課外授業然りで、自分の仕事とは全く関連のない方々や、恐らくこういう機会がなければ接することはなかったであろう、という方々もたくさんいます。

人それぞれ、とはまさにこのことで、言動や思想、価値観は千差万別。そういう方々に接したり、色んな時間や場面を共有すること自体が、僕にとってはもの凄い刺激になることだし、勉強になることも多々あります。

役人だからこそ、人との繋がりを作る。それも、リアルな関係を築き上げることが、信頼にも繋がることであり、その方の人物像というか本質を更に深く知ることのできるきっかけとなるのも事実。

閑話休題。
熊本地震から1年が経過しました。
被災地支援活動のために益城町にお邪魔したのが、6月下旬。あの時も、色んな人々に接しました。そしてあの時の経験があったから、こうやって今の職場にいるんだろうな、と思うことがあります。

1年ってこんなに長いんだっけ?というぐらい長い一年だったのか、それとも、1年ってあっという間だな…というぐらい短い一年だったのか。感じ方は、やっぱり人それぞれではないでしょうか。

先日、某テレビ局から「熊本地震に関する取材を行いたい」との要請があり、上司からの指名で、支援活動を行った数名の中から、僕が取材を受けることになりました。約40分でしょうか、色んなお話をしながら当時のことを振り返っていたわけですが、お話をしながら当時の情景を思い出し、思わず目頭が熱くなったのは秘密。

しかしながら結局この取材はお蔵入りとなり、テレビ放映もなくなりました。なので、どんなことを話したのかをここにざっくりと、そう、ざっくりと残しておきたいと思います。なお、当時の活動記録は、以下を参照してください。

熊本地震支援業務について -益城町での活動記録-

【どういう思いで活動に向かったか。】
-被災者に対してどう寄り添ったらいいのかということは常に考えていた。しかしその一方で、見ず知らずの我々のことを、長期の避難を強いられている人たちが受け入れてくれるのか、とても不安だった。

【実際活動してみた感想は。】
-不安は杞憂であった。優しく受け入れられたことは本当にありがたかった。その一方で、皆さんかなり疲労されているんだな、ということを感じた。町役場の職員も被災者。感情の昂ぶり等も時折見受けられ、避難者と職員双方が感情的になって衝突する場面にも遭遇したことがあった。実質たった5日間の活動ではあったが、時間の経過とともに徐々に融和が図られることとなり、最終日は避難所の皆さんがわざわざお見送りをしてくれた。あの時は本当に感極まって、涙をこらえるのが必死だった。微力ではあったかも知れないけれど、少しでもお役に立てて良かった、と心の底から感じた瞬間だった。
避難所で一緒に支援活動した人たちと一つ約束していることがあって、いつかまた熊本を訪れなければならないと考えている。

【今後の防災対策にどう活かしていきたいか。】
-難しい質問。熊本地震は直下型。断層のズレが真下で発生しており、本県ではなかなか見られないタイプの地震。共通して言えることを挙げるならば、初動の物資の仕分けは留意しなければならないかも知れない。例えば6月の梅雨時に、避難所で山積みになった毛布などを見かけたけれど、需給バランスというか、時期を踏まえた物資の仕分けは非常に重要。

【熊本地震から1年を迎えて思うことは。】
-まだ1年、もう1年、感じ方は人それぞれだと思う。しかし、まだまだこれから。例えば昨年支援活動を行った避難所には、震災で親御さんを亡くした女子高生がいた。非常に気丈に振る舞っていたが、彼女にとって「復興」というのは何だろうか、と考えると、この言葉の持つ意味を考えさせられる。東日本大震災の時も感じたが、復興を成し遂げたかどうかは、我々が決めることではなく被災された皆さんがどう考えるか、というだけのこと。
(以上)

こんな感じで上司も同席する中でインタビューを受けましたが、宮古での活動然り、益城での活動然り、僕が今の職場に配属になったのは、偶然ではなく必然だったのかも知れません。業務の一環として支援活動を行ったとはいうものの、僕自身にとっては「課外授業」にも似た経験となりましたし、この経験を糧に自分自身も成長しなければならないと感じたところもありました。

とはいえ熊本をはじめとする被災者の皆さんにとっては、1年を経過したこれからが正に正念場なのだろうと思います。被災者の皆さんが一日も早く元の生活に戻られますよう、心から願っております。


Get Wild SongMafia / TM Network


Get Wildの次の曲は、Get Wild。その次の曲も、Get Wild。これが延々繰り返されること、35回-

Get Wild(GET WILD)というタイトルの曲ばかり36曲収録された、超マニア向けな1枚。4時間を超える収録時間、4枚組というボリュームで税込3,240円。換算すると、1曲当たり90円(税込)。
ブックレットにはGet Wildの歌詞が掲載されているほか、3人揃ってのインタビュー、作詞した小室みつ子、主題歌となったアニメ「シティハンター」の原作者、北条司へのインタビューなどが掲載されています。(敬称略)

最初にGet Wildが発売されたのは1987年なので、今年で30年。このアルバムはそれを記念したプロダクツなのですが、たかだか1曲で4枚組のアルバムなんか、普通できませんって。(強いてライバルを挙げれば、紅白歌合戦の美川憲一「さそり座の女」ぐらいか?)

裏を返せばこの曲がいわばTM Networkの代名詞的な曲として、懐メロっぽさというか古さを感じさせることなく、時代を超えて長きにわたって演奏され続けて来たということであり、このアルバムに収録された36曲のうち、11曲がカバー曲ということが裏付けるように、いろんな人たちに歌い継がれてきたということになるわけです。

さて、その一方で残り25曲のうちライブバージョンが15曲。変な話だけれど、よくもまあ毎回ライブでこんなにアレンジを変えられるものだ、と…。
前奏で「ん?この曲何だ?」と思っても、「ゲッワーイ」のサンプリング声と、「ジャジャジャジャ!」という音がほんのちょっと流れるだけで会場が沸く、という…。(まあ、全曲「Get Wild」なので、「この曲何だ?」はないんですけど。)

インタビューでも触れられている通り、最初の「Get Wild」からリミックスされ、バブル全盛期に発表された「Get Wild’89」からどんどん派生していくこととなり、こんな「アホ」みたいなアルバムになったという…。

ところが不思議なことに、アルバムを購入してから通勤時に3日続けてこのアルバムを聴いていたんですけど、アレンジは違えど同じ曲が延々ループされているのに、なぜか飽きが来なかったんです。むしろ逆に、次の曲はどんなアレンジがされているんだろう、という楽しみが続いたのであります。感覚麻痺ですよ。

正直言ってこんなアルバム、古くからのTMファンか、よほどのマニアしか購入しないだろうし、一般の方々には全くお勧めできるものではありません。

でも、Get Wildにこだわるのも、いい加減もうこれぐらいでいいんじゃないかな、と思った次第ではありますが、全盛期にGet Wildを聴いて心ときめかせた皆さま、バブル期の感動を呼び覚ますには、3,240円なんて安いものです。だって、1曲90円ですよ!バブル全盛期には考えられないじゃないですか!

しかーし。
このアルバム、残念ながら収録されていないバージョン(これ以外にもまだあるのですよ!)があるので、評価は星4.5とさせていただきます。
さらにおまけ。

なんと、同じ曲名が続き過ぎたためなのか、同じ音源が収録されていたというトラブル!

TM NETWORK 「GET WILD SONG MAFIA」商品に関するお詫びと良品交換お申し込み特設サイトのご案内

えーと…手元にあるのはこのエラー盤ですが、僕、単なる「Get Wild」好きな一ファンで、マニアじゃないからなあ…(笑)。


「ランニングマガジン・クリール」5月号に拙稿が掲載されました!


くだらねえとつぶやいて 醒めたつらして歩く
いつの日か輝くだろう あふれる熱い涙
(エレファントカシマシ「今宵の月のように」)

こんばんは。醒めたつらしながら路頭に迷う46歳、出口のない迷路に彷徨いこんだようです。
…いや、出口は自分で作ればいいだけの話っしょ。ということで、今日はそんな出口のないお話を。なーんてな。

勝田全国マラソンから早2か月が経とうとしています。当面の目標(3時間15分切り)をクリアしたので、のほほんと冬眠生活を送るはずだったのですが、思いのほか雪解けが進み、早くも動き出した周りの皆さんに引っ張られるかのように、単独での練習を少しずつ再開しています。

ただ冬眠していてもダメだと思い、座学を取り入れようと、幾つかの書籍もおさらいのように読み直し。勝田全国マラソンに関するブログも投稿しつつ、密かに裏でもう一つのことに着手していました。

勝田全国マラソンに関しては今回、伯父の誘いから参戦を決めましたが、大会前夜から当日にかけては、伯父一家に頼りっぱなしの2日間を過ごしました。それがあったからこその自己ベスト更新でしたし、お世話になりっぱなしだったことに対して、何か違う形でお礼をしたいなあ、と思っていました。

そこで思いついたのが、普段よく読んでいる「ランニングマガジン・クリール」の読者投稿で記事にしてもらう、ということでした。

ゴール後に伯父夫妻と一緒に撮影した写真もありますので、これも一緒に掲載してもらった雑誌を寄贈すれば、きっとビックリすることだろう、なんていう空想じみたお話。

…とはいえ、雑誌に掲載されるなんてそんな簡単なことではないこともわかっていました。限られた字数の中でレースの状況や分析、そして伯父に対する感謝の言葉も滲ませなければなりません。
しかしそこは、自称「弘前公園ランニングクラブ」の物書き担当として一念発起。

投稿済みのブログの内容から構成を推敲し直し、更に表現の再整理や書き直しなど手を加え、上限の1,200字ギリギリまでまとめ上げました。
あとは、画像2枚を添付して、メールでえいっ!と祈るように送信。昨年、H編集長が「弘前公園ランニングクラブ」の取材に来られたこともありましたので、その際のお礼も一言添えて…。

しかし、その後「採用決定」の通知も来なかったため、まあ、所詮は駄文だし、当然不採用だわな…と気にも留めていなかったのですが、3月23日の夜、仕事帰りに書店へと立ち寄ると、「ランニングマガジン・クリール」5月号が陳列されていました。
普段は一読してから購入するかどうするかを決めているのですが、ペラペラとページをめくりながら、あ、そう言えば今月は、結局どんな人の投稿が採用されたんだろう…と読者のページへ。

「あっ!!!!!」

ページをめくった途端、思わず声が出ました。
そこに掲載されていたのは、何と伯父夫妻と僕が並んだ画像。
さ、採用されている!!


(著作権とか諸々の関係でボカシを入れています。)

一瞬で顔が紅潮し、鼓動が早くなったのがわかりました。迷うことなくそのまま手に取った冊子をレジへ持参し、会計を済ませます。
そして、慌てて青森駅の待合スペースに駆け込み、周囲に誰もいないことを確認しながら、再び雑誌を袋から取り出し、そっとページを開きます。
若干の校正が入ったようですが、ほぼ原文ママで掲載されていました。一緒に送信した2枚の画像も、思いのほか大きなサイズで掲載されていました。

掲載される自信があったから投稿したわけだし、実際に掲載されているのをみて素直に喜べればいいのですが、自分が投稿した内容が雑誌に掲載されているのを目の当たりにして、何とも言えない居心地の悪さと気恥ずかしさを感じながら、電車内では一度も雑誌を取り出すことなく帰宅の途に。

帰宅後、おもむろに雑誌を取り出し、無言のまま母と妻に投稿が掲載されたページを差し出すと、「あっ!!!!」と、さっきの自分と全く同じ反応が(笑)。

そして、帰ってきてから気がつきました。伯父に寄贈する冊子を買いそびれました。
とはいえこれでひとまず、勝田全国マラソンに向けた一連の取組が終了。

こういう形で今回の勝田全国マラソンを締めくくることができたことに、我ながら自画自賛。
たかが数ある中の一つの大会、通過点でしかないんですけれど、嬉しさがじわじわこみ上げてきました。
前述の通り、既にこのブログで投稿した内容を編纂したものを掲載したものですので、こちらのブログをご覧になっている方々にしてみると、何の面白みもないかも知れません。
しかし、当の本人からすれば「雑誌」という形になって自分の投稿を取り上げて頂いたことは、大変ありがたいものです。

投稿を採用して下さった関係者の皆さまに心から感謝です。
…あ、どんな内容の投稿なのかは、実際雑誌を手にとってご覧頂ければ幸いです。