地元の話」カテゴリーアーカイブ

TUNAさん御夫妻がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(三日目・最終日)

10月16日(日)。

この日も朝から軽めにジョギング。天気がいい時は、少しでもいいから足を回しておきたいな、という気分なのです。

TUNAさん御夫妻のアテンドもいよいよ最終日。前夜の盛り上がりの余韻もまだ醒めぬ中、10時30分にホテルへ迎えに行き、チェックアウトを終えたTUNAさん御夫妻を小さな車内に押し込めます。

18時30分発の大館能代空港からの羽田便の搭乗に合わせるため、色々日程を調整。ホントは弘前市内を少し回遊した後、「例のところ」に向かう予定でしたが、Sさんからの申し出で11時に昼食を一緒に取ることとなりました。一路、Sさんとの待ち合わせ先でもある場所へと向かいます。

個人的には、この日訪問予定の「例のところ」に行くことが今回の旅程における最大の目的だと思っていましたので、そこにSさんが同行してくれることは、非常に心強いことでした。

約30分後、Sさんとの待ち合わせ場所に到着。早速入店し、早めの昼食と相成りました。

見る人が見ればどこだかわかる(でも言わないで)

そしてここでも、Sさんの漫談みたいな話術が大爆発。レンタルビデオ屋でバイトをする友人に「このビデオ、絶対みんな借りたがるよ、って店長に言ってよ。」と映画Purple Rainのビデオを店長に購入するよう吹き込み、当時1万円を超える価格だったビデオをレンタル棚に陳列させることに成功するも、結果3人しか借りる人がおらず(そのうちの一人はSさん)、買取を求められる羽目になった友人の話をはじめ、恐らく30分ぐらいずーっと笑いっぱなしだったような気がします。とはいえ既に満席状態の店内、他のお客さんが入店を待っているだろうと、昼頃に退店。

「車、オレので行きますか。」とSさんからの申し出に甘え、4人でいよいよ「例のところ」へ。Sさん曰く「無料のオプショナルツアーですから」と、車を走らせること約○分。住宅地の中なので具体的にどこなのかは割愛しますが、その姿を見つけるなり、御夫妻からは「うわぁ!」と今回一番の歓声が上がります。

続きを読む

TUNAさん御夫妻がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(二日目・弘前市)

10月15日(土)。

今回、日程を1週間ずらしてもらったことにより、全国割の恩恵を受けることができるという絶妙のタイミングで来県となったTUNAさん御夫妻ですが、午後には私の地元である弘前市に移動、自宅から至近距離にあるホテルにチェックインする予定となっていました。そしてこの日の夜も、私がチョイスした「音楽好きの人に行って欲しい、Prince好きの人を連れて行きたいお店」を紹介することにしていました。

昨夜のアルコールを抜ききるためのジョギングを終えた朝、シャワーを浴びて部屋に戻ると、着信履歴があることに気がつきました。お相手は、かつてDirtymindを名乗っていた「青森●日の丸扇子隊」のSさん。今回のTUNAさんの来県に際し、幾度かお誘いをしたのですが都合が合わず同席を見送った、という経緯があったのですが…。

「昨日はごめん。どうしても家の都合で行けなかったんだけど、さっきコンフィのTさんから連絡があってさ、TUNAさんとは絶対に会った方がいいって言われたんだ。今どこにいるの?今日、どこで会うの?夜、都合つけても行きたいんだ。Mも可能であれば一緒に連れて行く。」

…えっ?唐突な申し出、展開にちょっと困惑。

「ちょ、ちょっと待って。1軒目はもう予約しているから、20時30分頃に、あの辺で待っててもらえます?そこで合流しましょう。」
「わかった。じゃあ、着いたら連絡するから!」

Sさんとともに、最終日に訪問予定の「隠れた名所の所有者」でもあるMさんもいらっしゃるかも知れないとのこと。これは、話が盛り上がるぞ…。
ちなみに2軒目にお邪魔することにしていたAsylumの店主Sさん、実はジョギングの途中でバッタリ出くわし、「20時30分過ぎに3名で伺います」と伝達していたところ、改めてメッセージを入れ、3人ではなく同席者(奇特なプリンスファンの青森県人)が1~2名増えることを伝えました。

Asylum店主Sさんとのやりとり原文

続きを読む

TUNAさん御夫妻がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(初日・青森市)

10月14日(金)。

TUNAさん御夫妻がいよいろ初来県。初日のこの日は、青森市にある「大衆酒場コンフィ」にて懇談し、時間があれば「魂 DJ Bar SOUL.SOUL」を訪問する、という計画でした。

18時30分に店で待ち合わせましょう、ということになり、18時15分に先着して到着を待ちます。小ぢんまりとしている店なので、場所がわかるかな?と思いましたが、全くの杞憂でした。
18時25分にはお二人が到着し、11か月ぶりの再会、そして念願の青森での懇談と相成りました。

コンフィの店主Tさんも音楽を愛し、そしてPrince大好きな人。2002年11月、(我々が勝手に「伝説」と呼んでいる)Princeの仙台公演で初めてご一緒してからの御縁で、その時に結成された「青森●日の丸扇子隊」のメンバーの一人です。とはいえ、新型コロナウイルスの感染が広がるようになってから外飲みを極力自重していた私、青森市で飲むのも超久し振りでしたし、そもそもコンフィを訪れるのは何と6年ぶり!(前回の訪問記はこのページの検索窓に「コンフィ」と入力してください。Princeファンの皆さん、改めてその内容に度肝を抜かれてください。)

そんな不義理な私、そして初見のTUNA御夫妻を優しく迎え入れてくれたTさん。さりげなくPrinceの曲が流れていたり、Sign O’ The TimesのDVDが流れていたりといった細かい配慮まで。

そして、相変わらず一切手抜きなし、県産品を多用したTさん渾身の様々な料理に、御夫妻は舌鼓を打ちながら大満足。

優しい味のパスタ

三種のコンフィも添えられた盛り皿は激ウマでした

TUNAさんの人物像、これまでの功績、私との馴れ初めなどを少しずつTさんにもお話ししながら、しまいには、隣にやってきた見ず知らずのお客様(翌日に控えたコンフィの開店11周年を祝うため、仙台から来られたのだそう)をも巻き込んでのPrince談義。日本酒も出していただけるということで、御夫妻は日本酒も嗜んでいました。

綺麗なガラスの猪口をチョイス

TUNAさんが編集に携わった書籍の裏話や、私も存じ上げているPrinceファンの方々の動静、近況(TUNAさんを通じてのメッセージ、しかと受け止めております。ありがとうございます。)、更にはPrinceとは全く関係のない話まで、幅広くたくさんのお話で大盛り上がり。更にはTUNAさんが出演しているYouTube動画を店員さんが発見し、投影するというおまけつき。

最後はTさんを巻き込んでお店の前で撮影。

本当に楽しいひと時を堪能することができました。TUNAさん御夫妻も「やっぱり来てよかった」と大満足。更にTさんは、我々が次の店と考えていた「魂 DJ Bar SOUL.SOUL」に連絡を入れて下さり、場所を予約してくれるという配慮。「私も店の方が終わったら行きますから。」と見送ってくれました。

続いて向かった「魂 DJ Bar SOUL.SOUL」は、TUNAさんからのリクエスト。青森にあるソウルバーがどういったところなのか、興味本位もあったのでしょう。階段を上がり、2階にある店に足を踏み入れると、既に先客が2名いました。

以前訪れた時は、ちょっと強面の客でごった返し、タバコの煙がもうもうと立ち上がっているという印象が強かったのですが、新型コロナの影響なのでしょうか、何となく小ぢんまりとした感じでした。奥のテーブルに通されると、さっそくリクエストカードに何曲か書き込む奥様。その選曲に、思わず「おおぉ」と唸る我々。程なくTさんも到着し、談笑スタート、というところでしたが、電車の都合もあり私はそこで途中退場ということになりました。

結局TUNAさん御夫妻とTさんは0時頃までこの店で談笑されていたようです。そして、この日残念ながら同席できなかった「青森●日の丸扇子隊」の他のメンバーへ繰り出されたTさんからのパスが、翌日以降の思いがけぬ大盛況へと繋がっていくこととなりました。

(つづく)

TUNAさん御夫妻がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(事の馴れ初め)

Princeフリークで知られるTUNAさんと知り合ったのは、Princeが最後の来日公演を行った2002年の頃。当時はmixiを通じて来日前の情報交換を様々な地域のファンの方々と行っている中、細々とブログを投稿していた(といってもPrince関連にとどまることなく、広く薄っぺらな内容ばかりでしたが)私のサイトをご覧になっていたらしく、「青森にもPrince好きがいる」という認識を持っていただいていたようです。

個人的には、もはや異次元のファンなので、交流することはないと思っていたのですが、何かをきっかけにメールなどを通じてやりとりを行う中、2007年頃に「上京の際はビール一杯御馳走しますよ」というメールをいただきました。まあ、Princeファンは偏屈で変わり者が多いし(←完全に偏見。というか、自分がそうだという自覚あり)、所詮は社交辞令なのだろうと思っていたところ、約2年後に出張で上京することになった際、急にそのことを思い出したらしく連絡を頂き、直接お会いすることとなりました。2009年の11月、今から13年前のお話

その後も、他の部署に異動となり、東京で震災関連のイベントを東北4県で開催した際、突然顔を出してくれたり、逆にTUNAさんが新千歳空港でイベント業務に従事していた際、北海道マラソンを走り終えたその足で顔を出したりと、リアルな接触も何度かありました。

4県合同の震災復興フォーラムを開催した有楽町にて。

北海道マラソンから帰青する道中、新千歳空港にて。

続きを読む

泣きっ面に群がる蜂

4月に入り、新たな業務が始まった。同じ局内、同じ執務室とはいえ、これまで経験したことのない業務内容であり、早々から色んな課題、難題を突き付けられることとなった。
今までより少しは楽になるんじゃないか、などという淡い期待は儚くも散り、不慣れな業務に戸惑いつつも、8人のグループ員とともに東奔西走している、そんな状況だ。

4月早々3度目のワクチン接種。ファ×2の後のモだったが副反応はほとんどなし。

僕の住む弘前市では、4月早々に市長選挙が行われた。現職と、高校の同級生を含む新人3人の計4人が出馬したが、結果は現職が再選、4年にわたる市政運営の舵取りを再び任されることとなった。
この間、新聞やSNSなど、様々なツールを通じて色んな情報が飛び交い、情勢とともにその内容を客観的に見ていた。

しかし、「私が支援する候補は、他の候補とここが違う!ここが秀でている!」というアピールのような言葉はほとんど見られず、いわゆる「アシフパリ」といわれるような、誹謗中傷にも似たやり取りが相当目についたような気がする。4人が出馬している中、当然のことながら選ばれるのはわずか1人だけだ。激戦とも言われる中、応援候補に肩入れする気持ちもわからないわけではない。しかし、他の候補に対する噂や罵詈雑言にも近いような言葉を浴びせる、それも、SNSによる拡散という形で発信される内容を目にするのは、ハッキリ言って、見ていて痛快になるどころか不愉快になる一方。わざわざ衆目を集めなくとも、本人や陣営に直接ぶつければいい話なのではないか、と思ったこともあったぐらいだ。

何よりも残念だったのは、(相変わらずの)投票率の低さだった。新型コロナウイルス感染症下での選挙だった、と寸評する記事も見たような気がするが、何でもコロナのせいにするのは、やはりちょっと違うと思う。「有力候補」がひしめく中にあっても、投票率は53パーセント台だったという事実。政治そのものに期待が持てないとか、応援したい候補がいないとか、選挙そのものに興味がないとか、色々理由はあるのかも知れない。しかし、投票を見送った46パーセントを超える有権者の方々は、今後4年間の市政運営に、どういう視線を送り続けるのだろう。

今回の選挙を傍観しながら感じたことは、各陣営が負った「痛み」が計り知れないものなのではないか、ということだった。当選した現職の得票数は大幅に減り、有効投票数の4割弱にとどまったこと、誰を支援するか、さながら「踏み絵」のような状況に陥り、結果として与野党ともに何となくぎくしゃくした空気が噴出したことなど、選挙が終わってノーサイドとなればよいけれど、軋轢が燻っているような雰囲気もある。今回の市長選に限ってみると、選挙の勝敗はついたのかも知れないが、そこに「真の勝者」はいなかったのではないか、そんな気がする。いずれにせよ、すぐに収束するような状況には程遠いようで、しばらく尾を引くことになるのだろうか。そのことが、今後に向けた遺恨となり、市民生活に悪い影響を及ぼさなければいいのだが。

私事になるが、今週から来週にかけて、調布市にある消防大学校での研修が予定されていた。これにより、15日に足を運ぶ予定だった宮本浩次の青森公演を泣く泣く断念することとなった。
しかし、泣きっ面には蜂が群がる。本当は機上の人となって上京していたはずだったのが、諸般の事情で出張どころではなくなってしまった。
というわけで、在宅勤務をしながら、なぜか父の訃報に接したあの日のことを何度も思い返している。
そういえば、そんな亡父の誕生日は4月18日、間近に迫っている。本来なら、東京の空を仰ぎながら「おめでとう」と呟いていたのだろうけれど、それも叶わず。まあ、再び国内の感染状況が怪しげな雰囲気になっていることに鑑みると、上京しなかったのはある意味で運が良かったのだと考えよう。上京した後に諸般の事情を聞かされていたら、号泣面にスズメ蜂の大群クラスだったことだろう。4月になっても相変わらず荒波に揉まれる日々。しばらくは我慢と忍耐、辛抱の日々が続きそうです。

自分でキットを購入、こまめに抗原検査を実施しております、はい。