五所川原立佞武多のこと


7月下旬から8月中旬にかけては、青森県内各地でさまざまなお祭りが開催されます。

ユネスコ無形文化遺産に登録された八戸三社大祭、弘前ねぷたまつり、青森ねぶたまつり、五所川原立佞武多、平川ねぷたまつり、黒石よされ…etc

弘前市民の僕としてはやっぱり弘前ねぷたまつりを一推し…と言いたいところなのですが、実はまつりに対する思い入れ、執着がそんなにあるわけではありません。

僕にとって「弘前ねぷた」といって真っ先に思い浮かぶのは亡父のこと。あの頃の思い出をむやみに壊したくない、という思いの方が強いというのが正直なところです。

昔の弘前ねぷたといえば各町内が競ってねぷたを制作し、街を練り歩くといった印象だったのですが、時の流れと社会構造の変化とともに、最近は町内のねぷたよりも有志によるねぷたの方が増えている感があり、亡父が身に纏っていたような帯に浴衣という昔ながらの衣装ではなく、袢纏姿の人たちが凄く多くなったこと、そして、どことなく排他的というか、強い仲間意識(縄張り意識)みたいなものを感じるようになってしまい、あまり観る機会もなくなってしまいました。…なんてことを言うと弘前ねぷたを批判しているようにも受け取られかねないのですが、そういうことではありませんので念のため。

今年は連日天候に恵まれた割には夜になると涼しくなる日が多くて、熱帯夜の中で「もんどりこ」の音を聴きながらようやく眠りに就く、ということがありませんでした。逆にそれが寂しくもあり、更にはまつりが終わるとともにやってくる妙な静寂感、そしてねぷた囃子に取って代わって現れる虫の声が一気に秋を近づけるような気がして、個人的には何とも言えぬ切なさすら感じるような、そんな2017年の夏でした。

一方、今年は甥っ子が弘前ねぷたに初参加。某団体のねぷたに参加し、ヤーヤドーと叫びながら街を練り歩いたそうな。仕事の都合もあって残念ながらその姿を見ることはできませんでしたが、飽きることなく最後まで歩いたのだそうで。

「そんなにねぷたが好きなら、五所川原の立佞武多、観たら喜ぶかな。」

妻の何気ない一言から、あれよあれよと五所川原立佞武多の弾丸観戦ツアーが決定。5日の夕方に五所川原市へ向かい、立佞武多の館のすぐ近く、僕にしてみれば「走れメロスマラソン」のスタート地点と認識している場所で観戦することになりました。例年、マラソンの時に立ち寄る立佞武多の館で、仁王立ちするその姿を観ていましたが、動く姿を観るのは今回が初めて。

日が暮れ、周囲が暗くなり始めた午後7時、打ち上げ花火を合図に運行がスタート。

いきなり現れた婦人会の皆さんのこの姿を見ただけで、一気に引き込まれました。

ちなみにこの祭りに欠かすことができないのが地元出身の吉幾三さんなのですが、この日の出演はなし。聞いたところでは、前日の初日と我々が観た翌日の6日に登場したとのこと。まあ、吉幾三リサイタルを観に来たわけじゃないので…と嘯いても、実はこの方がいるといないとでは盛り上がり方が全然違っていて、観客動員数にも顕著に現れるらしいです。事実、我々が観覧した2日目の土曜日は15万人、初日は33万人との発表でした。

程なく気付いたのが、観覧する場所を間違えたということ。五所川原市内を反時計回りに周回するため、僕らが観ている位置からだと、肝心の立佞武多が建物から出てきても、背中しか見えない、ということに。しかし、そんなことはともかく程なく現れた姿に、息を呑むことに。

実は予備知識も何もほとんどなく観覧に来てしまったため、何台が出陣し、どれぐらいの時間を要するのか、そしてどこで観るのが一番いいのか、全くわからないという失態。大体にして、どれが一番新しい立佞武多なのかも知らないし…。にしても凄い。倒れることはないにせよ、倒れてきたらひとたまりもありません。

この日運行されたのは、3台の巨大な立佞武多の他に、中型の立佞武多や、青森ねぶたのような組ねぶたが数台。

月すらも蹴散らさんばかりの勢いです。

太鼓を打ち鳴らす皆さんが勇ましく。

キャラクターを題材にしたものも数台。

やがて、大トリとばかりに立佞武多の館からヌゥッと登場した2台の立佞武多に、歓声が沸き上がります。

大物が登場するまでの間、子供たちは健気に待ち続けます。
ヌゥッと大物登場。…背中しか見えないし。

「ガンダム」とも揶揄される2台の背中を見送ると、先方からは最初に現れた立佞武多が周回を終えて戻ってきました。その前方には、最後尾を意味する赤色灯を光らせたパトカー。その姿を確認した周囲の観客が、一斉に撤収を始めます。どうやらこれで終わりらしい…時計を見ると、19時55分。いやいや、まだ少し早いでしょ。

ということで、背中しか見えなかった2台の立佞武多を追いかけることに。予備知識がないとはいえ、朧気ながら運行ルートだけは頭の中に入っていたので、先回りして前から見てやろうという魂胆。しかし、20時44分には弘前行の五能線が出発するため、その前に五所川原駅に向かわなければなりません。色々頭の中で駅までのルートや算段を画策しつつ、2台の立佞武多が現れるのを、時計を見ながら待ち続けます。

そして20時15分、来ました来ました。

立佞武多の前で「ヤッテマレヤッテマレ」と鉦を鳴らしながら練り歩く皆さん。弘前はゆったりと練り歩くスタイル、青森は派手に跳ねまくるスタイル、五所川原はその中間といったところでしょうか。流し踊りにも近い感じなのかな。

2台の立佞武多を見届けた後、賑わう喧騒を離れ、五所川原駅から帰路に就くことができました。意外だったのは、この列車に乗車しているほとんどの方が弘前に向かうんだろうな、と思ったら、途中の陸奥鶴田や鶴泊、板柳駅で下車する人がとても多かったこと。きっと初日の車内は、すし詰め状態みたいになっていたんだろうなあ、と。

五所川原立佞武多の運行が復活してから今年で20年の節目を迎えるそうです。道幅がさほど広くないということもあるからなのでしょう、間近で観る巨大な立佞武多は、ただただ圧巻の一言に尽きます。町内会、そして有志による運行の他、高校を挙げての運行など、青森や弘前とは異なる勢いを感じさせる運行や、他のまつりとは趣を異にする雰囲気が、その場に居合わせた観客を魅了するのでしょうね。

…で、ふと思ったこと。JR東日本及び関係機関は、5日と6日五所川原発弘前行で五所川原立佞武多と弘前ねぷたの駅前運行を(全てではないにせよ)同日に観覧できるんだよ!というプチツアーを考えるべし!

…ということで今度は吉幾三が出演する時に観覧してみよう(笑)


弘前・白神アップルマラソンの参加申込が始まっています! #running #marathon #aomori


(第11回大会、人生初フルマラソンのゴールシーン。)

今年で15回目を迎える弘前・白神アップルマラソン(2017年10月1日(日)開催)の参加申込受付が先月末から始まりました。青森県内で開催される唯一のフルマラソン、そしてハーフマラソン、10km、5km、3kmと種目も多数であることから、ご家族皆さんで参加される方も多いようです。(ちなみにインターネットからの申込はRUNNETへの事前登録が必要。)

今年のゲストランナーは、吉田香織選手と打越忠夫コーチ。吉田選手と言えばもともと実業団選手だったのですが、現在は最強市民女子ランナーとの呼び声も高い選手で、僕自身、北海道やさいたま国際で実際にその走りを目の当たりにしております。(どうでもいいことですが秘かにファンです。笑)
ちなみに吉田選手はフルを、打越コーチは10kmを走る予定だとのこと。

アップルマラソンに関してはこれまで何度もこのブログで色々提言やら苦言を繰り返してきたので、今日はそういうのは一切なしです。

僕にとってはこの大会が今の「原点」であり、この大会があるからこそ今も走り続けている、といっても過言ではありません。走ること自体が大の苦手だったのに、走ることの楽しみを知ったのもこの大会だし、10kmからハーフマラソン、そしてフルマラソンへの挑戦も、いずれもこの大会がきっかけでした。

もっとも、父が生前、弘前市体協の評議員を務めており、その関係でこの大会のお手伝いをしていた、ということも、ずっと参加し続けている一つのきっかけであることは紛れもない事実。

こんな僕でも走れたんだから、みんなも走れるよ!と気軽に参加を呼び掛けたい、そんな大会です。
この大会に参加し続けたおかげで、弘前公園ランニングクラブに参加するご縁があったわけで、そこから県内外に同じ志を持つ仲間との繋がりがどんどん広がっていきました。

変な話ですが、今こうやってランニングにまつわるブログの記事を投稿できるようになったのも、この大会に参加していたからこそといっても過言じゃないんです。

ちなみに、初めてフルマラソンに挑戦したのが2013年、42歳の時。
その時の模様は、これがまた異常に長い記事を投稿しておりましで、お時間がある時、お暇な時にでもご覧頂ければと思います。毎度のことながらホント長くてすいません。

42歳の、初経験(第11回弘前・白神アップルマラソン)

今回が第15回ということは僕自身、アップルマラソンに関しては4度目のフルマラソン、ということに。(昨年はハーフマラソンで視覚障碍者の伴走だったため、フルは走っていないのです。)

(第14回、昨年度の伴走の模様)

僕にとってのアップルマラソンは、いわば「御恩返し」の場。自分が楽しませていただいていることへの感謝はもちろん、生前父がお世話になったことへの感謝、そして、初めてフルマラソンを完走させてもらったことへの感謝、それを伝える機会でもあります。
実は初フルの後、この大会ではペースランナーを2度務めております。初めてフルマラソンを走った翌年、フルマラソンの経験もまだ浅いのに、自身4度目のフルで(大会非公式の)4時間のペースランナー、そして更にその翌年は、大会公認で4時間30分のペースランナーを務めさせていただきました。

(第12回、4時間の非公式ペースランナーの時)

一時期に比べると、マラソンブームもだいぶ落ち着いたような感じもするところ(東京マラソンは別として)、フルマラソンに挑戦してみたい、気持ちよく走ってみたい、という皆さんにとっては、この大会は格好の場ではないかと勝手に思っています。(まあ、昨年は暑さとの戦いでしたけどね。)
どうせならガッツリ走ればいいじゃん、という周囲の声があるのも事実。でも、やっぱりこの大会に限ってわがままを許してもらえるならば、御恩返しの気持ちだけは忘れたくないのです。ですので機会があれば今回も、皆さん方の挑戦を応援したい、最後は背中を押してでも一緒にゴールして、気持ちよく走り切った後の感動を分かち合いたい、そして、そういう形で大会を盛り上げたい。微力ではありますが、少しでもお役に立てたら本望だな、と思っています。

弘前・白神アップルマラソンは日本陸連公認コースを抱える大会ではありませんが、僕だけではなくスポネット弘前や弘前公園ランニングクラブの面々など、大勢の皆さんが、必ずやこの大会を盛り上げるべく今年もきっと奔走するはずです。裏を返せば、公認じゃないからこそできる、我々なりのおもてなしがあるわけでして。

(第13回、4時間半の公式ペースランナーの時)

ちなみに同じ日には同じ東北、宮城県で「東北・みやぎ復興マラソン」や山形市で「山形まるごとマラソン」も開催されます。でも、エントリー料が格段に安価なのは、ちょっと魅力的だと思いませんか?(フルマラソンだけで見ると、宮城のそれが13,000円であるのに対し、アップルマラソンは4,500円!)

紅葉にはまだ早い季節ですが、徐々に色づき始める岩木山や、沿道でたわわに実り始めたりんごを眺めながら、津軽地方の秋を少しだけ楽しんでみませんか?

弘前市内外はもとより、県内外からのたくさんのご参加を、心よりお待ちしております。

(第13回、スタート前の集合写真。微力ではありますが、私たちも大会を盛り上げます!)


公共交通機関としての路線バスを考える


今日は、ちょっとだけ真面目ぶったお話。
突然ですが皆さん、最近いつ路線バスを利用したか、覚えていますか。
僕もかれこれ2か月ぐらい利用した記憶がありませんが、実のところ僕の身近なところでは、多くの方が「いつ利用した記憶がない」ぐらい路線バスを利用されていないのではないかと思います。

「路線バス」と聞けば僕はまず、太川陽介と蛭子能収のゴールデンコンビがパッと目に浮かぶわけですが、あの番組を見ていても、とりわけ地方の山間部や県境付近に行けば行くほど路線が繋がっていなかったり、運行時間がとんでもなく間延びしていたり、民間主体の路線バスではなく行政主体のコミュニティバスが運営されていたりするのが実態で、かなり苦労しながら旅を続ける姿が放映されていますよね。(…って、皆さんあの番組をご存じだろうか。)

車社会と言われて久しい昨今、道路がどんどん整備され、マイカーでの通勤はごく当たり前のこととなり、ご子息の通学の送迎、そして夜の塾の送り迎えにもマイカーを用いる、そういう方が多くなったのではないかと思います。(…うちらの頃は考えられんわ。)

路線バスは公共交通機関の一つではあるとは言うものの、実際のところは人口減少や車社会の発達により、利用者数はどんどん下がっているのが現状。特に地方に行けば行くほど苦戦を強いられているようで、青森県内においても先月、南部地方のバス会社が民事再生法適用の申請を行い、岩手県のバス会社に事業譲渡することが明らかとなりました。

同じ公共交通機関でありながら、鉄道とバスが大きく異なるのは、鉄道網の場合は動脈のような役割を担う一方、路線バスは毛細血管のような役割も担わなければならないということ。
そして、恐らく路線バスを利用しない一番の理由は、その必要性がないから、ということに尽きるのかも知れませんが、前述の毛細血管の末端に行けば行くほど、地元の足として存続させなければならない、という言葉を耳にします。不採算路線であろうとも、じゃあ実際どれだけ利用されているかというと、さて…ということにもなりかねないわけですが、一方で、その末端に近い路線でこそ黒字をはじき出している、ということがあるようです(弘前市内では、そういうデータが過去に示されたことがあります)。なので、郊外の方だからバスに誰も乗らない、というのは大きな誤解であることは、一応付しておきたいと思います。

僕は専門家ではありませんが、一般市民の見地から、これからの路線バスがどうあるべきかを少し考えてみたいと思います。

昨年4月、僕の家のすぐそばを走るバス路線が、事実上廃止されました(朝6時台に弘前駅へ向かう1便のみ運行)。弘前駅を出発し、市中心部の土手町を抜け、大学病院、弘前市役所の前を通り、僕の卒業した中学校の前を通ってから再び弘前駅へと向かう、循環型のバス路線でしたが、特に日中の利用者はほとんどないような状況が続き、とうとう廃止となってしまいました。廃止後は近くを走る路線バスの一部ルートを変更して代替性を保っているようですが、見たところこちらの乗車率も芳しくないようです。しかしながら、前述の通り毛細血管的なルートでもあることから、路線廃止までには至らないようです。

なぜバスが利用されなくなったのかというと、
・そもそも自分が行きたいところまで行かない
・バス停に行くまでが面倒
・時刻どおりに走らないし、渋滞などに巻き込まれ、時間を要する
・料金が高い

などといったことが挙げられると思います。実際、うちの近所を走っていた廃止路線は、市内を遠回りしながら走ることとなるため時間を要しており、僕も路線バスを利用する時は、家から100メートルもない至近距離にあるバス停ではなく、約500メートル離れたバス停まで歩いていました。(実際そちらのバス停を通過する路線の方が本数も多い。)

ちなみに。
弘前駅を出発して、僕の家から500メートル離れたバス停を通るバスの最終便は、21時35分発。20時42分に青森を出発する電車に乗車すると、このバスにちょうど間に合うという計算になりますが、実際のところ最近では、よほど悪天候の時以外はほとんど乗車することがなくなりました。なぜなら、弘前駅に電車が到着した直後に歩いて家に向かうと、大体このバスに追い越されるのが、僕が下車するバス停のすぐ手前だからです。直線距離にして約2キロ、弘前駅からこのバス停までは210円。回数券も持っていますので、バスに乗ってくればいいじゃない?と自分でも思うのですが、酔い醒ましも兼ねて歩く、ということに慣れてしまうと、バスに乗車するきっかけって減ってしまうものなのです(…というバスに乗らない言い訳)。一時期22時台のバスが運行されていたことがあり、そちらは青森市内での飲み会の後でちょこちょこ利用していましたし、乗客数もそれなりにいたように見受けられたのですが、あっという間に廃止されてしまいました。まあ、運転手の負担や採算を考えた上での廃止だとは思いましたが、タクシーのように割増料金を取っても運行して欲しかったなあ、と思うことがあります。(ちなみに駅から家までタクシー利用だと1,100~1,300円程度)

信号や道路事情など、様々な要因で遅れてしまう。それが路線バスの常であります。
他方、鉄道路線の廃止が取り沙汰され、その代替案としてバス運行を提案しても、地域住民は頑なに鉄路にこだわろうとします。

東日本大震災で大きな被害を受けたJR大船渡線や気仙沼線では、一部区間においてBRT(Bus Rapid Transit, バス高速輸送システム)による「仮復旧」を行っています。鉄路としての復旧には莫大な経費がかかることを鑑みると、恐らく現状では「仮復旧」が「本復旧」になるのではないかと思います。

それでもなお鉄路にこだわるのは、恐らく周辺の大きな都市との「繋がり」を鉄道で保ちたいからなのだろうな、という気がします。そして、鉄道があるから優位だとか、そういうことではないとは思うのですが、廃線=地域そのものが寂れているか廃れているという誤解や、一気に寂れてしまうか廃れてしまうという懸念・認識を与えるということも、廃線に対する抵抗が根強い理由の一つなのではないかと思います。

さてさて。鉄路の話をしたからでしょうか、話がちょっと脱線してしまったので、軌道修正。

どうしたら公共交通機関としての路線バスをうまく存続することができるか、ということをふと考えてみたわけですが、車社会の到来が足かせになっていることを認めつつも、一番大きな問題は、ダイヤの見直しはしても、路線の見直しを行っていないからじゃないか、と思うことがあります。
路線バスがどこから発着するかというと、大概が駅やバスターミナルを起点とし、そこから路線は放射線状に広がったものになっています。
確かに交通の要衝(動脈)である鉄道の駅を起点として、放射線状に路線(毛細血管)を張り巡らせるというのは、ごくごく当たり前の考え方だとは思うのですが、現実問題として、駅が一番混雑するのは朝と夕方ではないでしょうか。私も毎朝駅を利用していますが、各地から駅を目指してやってくる朝の路線バスには結構な数の乗客がおり、この時間帯だけを見る限りでは、決してバスが閑散としているという印象は受けません。
しかしながら、それ以外の時間帯に駅を利用する人というのは、なかなか限られてくるような気がするのです。
弘前市の場合、市役所や病院を迂回して運行されている路線バスが相当数ありますが、実際そこを利用したいと思って乗車している人はどれぐらいいるのでしょうか?
路線バスの終点、すなわち毛細血管の末端の地域にいる人たちが目指したいのは、本当はどこなのか。これは一概に一か所だけを指すことは難しい問題ですよね。最小公倍数の世界で、目指すところは通したい、と思うからああいう複雑なルートを辿るバス路線があるわけで。
ただ、数の中には明らかにこの時間帯でここを通る必要はないだろう、と思う路線もあるような気がするのです。放射線の上にかぶせた網目といえばいいのでしょうか、縦と横の組み合わせといえばいいのでしょうか、鉄道と異なり、乗り継ぎ等の利便性に乏しいというのも、路線バスを利用しない理由の一つなのかも知れません。
奇をてらったところで例えば、飲み屋街のすぐ横から出発する夜だけのバス、とか。…あ、でもこれは車内が汚される可能性が高いから危険か。

弘前市には市営バスがなく、路線バスは民間事業者一社のみによる運行ですが、地域の足を支えるという点からも、行政の力添えなくして運行を継続するのは非常に難しい時期に差し掛かっているのだと思います。路線バスのライバルはタクシーではなく、マイカー。そしてそれはもはや、太刀打ちできないほどに増え続けているのが実情。

人口減少も進む中、利用者が減っている事業者にしてみれば、一刻も早く廃止したい不採算路線がたくさんあることと思います。住民サービスの一つとして行政主体のコミュニティバスなどに切り替えている例もたくさんあるようですし、実際弘前市内でも、駅を起点とした循環バスを運行しており、観光客も含めた利用が見受けられます。今はまだ議論にはなっていませんが、仮にそれ以外の毛細血管に血が行き渡らなくなった時にどういう事態を引き起こすかは、言うまでもないと思います。

既に有識者による路線バスをはじめとする公共交通機関のあり方は多くの地域で議論され、行政をはじめとする手厚い支援もされているようですが、南部地方のバス会社による民事再生法適用の申請は、決して対岸の火事ではないと考えた方がいいと思います。金融機関が県を跨いで連携を始めつつある中、いよいよバス業界にも、そういった波が押し寄せているのだろうか…こういうのを皮切りに業界再編が本格的に始まるんじゃないか…なんてことをふと考えた次第です。

でも、関係ないんですけどこれはダメでしょ。

路線バスではなくて貸切バスなのですが、忘年会の送迎で来たようです。完全に横断歩道塞いでます。降りてきたガイドと運転手を睨んだら、思いっきり睨み返されました。交差点内って、そもそも駐停車禁止じゃないんでしたっけ?バスもタクシーも、交通ルールを都合のいいように自己解釈し過ぎだと思います。実はこういうのが嫌で、公共交通機関を利用しないというのは、僕だけなのかな。


7月30日、あおつなトークショー in 青森


人口減が続く青森県にあって、県外から青森へのUターン(あるいはJターン、Iターンなど)を考えている人にとって重要となる一つが「仕事」のこと。
7月30日に、これまで東京でイベントを開催してきた「あおつな」による、青森での初イベントが開催されました。その名も、「あおつなトークショーin青森」。
テーマは「青森での仕事、あなたはどんな働き方を選びますか」。

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トークショーの前のイントロダクションでは、青森県内で人口減少が続いていることの他、青森で働くということについて、以下の4つの類型が示されました。
(1)就社(タイミングが合えばというメリット、収入の問題、真にやりたい仕事なのかというデメリット)
(2)家業継承(順応性が高いというメリット、将来への不安や真にやりたい仕事なのかというデメリット)
(3)起業(やりたい仕事、格好良いというメリット、ゼロからのスタートというデメリット)
(4)個人M&A(ベースがあり、自分の成長が企業の成長に繋がるというメリット、マッチングがうまくいくかというデメリット)

そして、これを踏まえて、青森で働くこと、心構えなどについて、4人の「よげしゃべリスト」、いわゆるパネリストの皆さんがそれぞれの持論を披露しました。

「よげしゃべリスト」は、青森市に本社を置く(株)ページワンCEOの木村譲さん、東津軽郡外ヶ浜町にあるホテル竜飛常務取締役の杣谷徹也さん、下北郡風間浦村にある(有)村口産業代表取締役社長の村口要太郎さん、そして東津軽郡今別町にある(有)袰月海宝代表の小倉龍毅さん。
進行は、あおつな実行委員会代表の神直文さん。

話を聞きながらバーッとメモを書いていたのですが、途中から話を聞くことに夢中になってしまい、メモがおざなりになってしまいました。すいません。以下、殴り書きメモ。

・辺境であろうとも魅力があれば、若い人でも住み着く。(うるさい人がいなければ、という条件付きで。)
・神奈川県横須賀市の例。人口減少が激しく、限界集落もできはじめている。(横須賀でも、という驚き。)
・普通にコミュニケーションが取れれば、そんなに失敗はしないはず。失敗するのは目線が下がり、エスケープゾーンを作る時。(自信がないことの現れ?)
・最近は、「知識」が「情報」とすり替わっている。(「知識」は自ら学び得るもの、「情報」は学ばずとも外から得られるものという意。知識を身に付ける意識が低下している?)
・他人から指図を受けて動くのではなく、自ら考え、動くこと。楽しいのは明らかに後者。
・首都圏をはじめとする都市部と青森との決定的な違いは、時間軸、サイクルの違い。(首都圏は早く、青森は遅い。青森の人は最初、サイクルの速さについて行けない。)
・時間の有効活用。(仕事のオン・オフの切り替えで家族も幸せになる。)
・地元に戻った時に何でも相談できる友人、知人が絶対に必要。
・地元に戻って自分がどうしたいのか、何をしたいのか(しなければならないのか)という立ち位置を考える。
・地元を守るという意識を持っているか。(地元というよりも、田舎に行けば行くほど、「墓」に対する意識が強く、「墓を守る」ことが求められる、という意)
・地縁や血縁、知人からの紹介で中途採用する人は、大体結果を残せない。(結局ドロップアウトする人も多いらしい)
・親離れした子どもをなびかせたければ、夫婦仲良くすること。
※この他、ハローワークに求人案内を出すかどうかは意見が割れた。

僕はこれまでの45年間をずーっと青森県内(しかも40年以上を弘前市)で過ごしているので、一度「外」に出てから「地元」に戻るという感覚がわからないのが実情。しかし、そこに居続けたからこそ知っている「地元」で日々刻々と起きていることを、時々帰郷するみんなに教えてあげられればいいのかな、と思っています。

外から見た青森がどんな感じなのかは、正直言って僕には良くわかりません。「井の中の蛙大海を知らず」といいますが、そういう点では僕は「帰る感覚を知らない蛙」です。ただ、例えそれが「井の中」であろうとも、僕にとっては「ホームグラウンド」であり「都」だと思っています。

トークショーの後の質疑応答で「数年前に久しぶりに地元に戻って、こんなにいいところだったんだ、ということを改めて発信したいけど、どうすればいいでしょうか。」みたいなことを話していた人がいたんだけど、ちょっと違和感を覚えたのです。

外から地元に戻ってきた時に、具体的に何がいいと思ったのか、ということを聞きたかったですね。反論するわけではないですが、人によって価値観が違うので、誰かが「いい」と感じたことが我々にとっては「当たり前」のことなのかも知れないし、逆にこちらが「当たり前」と思っていることがむしろ良くない、足かせになるようなことなのであれば、それはそれで正確に発信しないと、これから本気でUターン、Iターンを考えている人達に対して何か「いいところばかり見せようとして、やましいことを隠している」と捉えられる可能性がありますからね。そういう点では、「いい」ということだけを発信するって、凄く難しい。

「じゃあ青森(地元)の何がいいのよ?」といきなり聞かれても、多分僕、答えがパッと出てこないと思うし。

45歳を超えた我々同世代の中でも、帰郷を考え始めている人達がちらほら出ていることを知っています。地元に残した親御さんのことだったり、いわゆる家業後継のことだったり、それこそ「墓」のことだったり。

都会の良さがある一方で、田舎の良さもあるはず。
でも、その中での一番のネックは、まさに冒頭で出ていた青森で「働く」ということだと思うのです。今の立場をキープしたまま地元に戻れるならば本望ですが、実際はそれを捨てて戻ってくるケースの方が多いのかな。

これまで僕の周りでは、実際にUターンして来て、例えば家業を継いだり、自分の力で起業したり、あるいは資格を取って就社した人がいますし、その中で自分のスケールや影響力をどんどん大きくしていっている人もいます。
今でも帰郷を考えている人から「青森で何か仕事ある?」と聞かれることがたまにありますが、有効求人倍率が1倍をずっと超えた状態が続いていますから、仕事はあるのです。むしろ問題は、仕事の有無ではなく、その仕事に対するご自身の適性や、帰郷することによって失うかも知れない、例えば今の生活環境や社会的立場・水準など、そういった色んな犠牲を受け入れる覚悟なのでしょうかねぇ。
だから、よげしゃべリストの皆さんのお話を聞きながら、青森に帰っても仕事がない、ということではなく、どういう仕事をしたいのか、あるいはどういう仕事であれば自分はやれるのか、それは待遇や労働条件もあるでしょうし、最後は自分自身にどういう折り合いをつけて、どこまで腹をくくって(覚悟を決めて)仕事を見つけるのか、ということに尽きるのかなあ、と思いました。きっと僕らが気づいていないだけで、ビジネスチャンスも実はたくさん転がっているんだろうな。

もっとも、当事者にしてみれば口でああだこうだと論ずるほど簡単なものではなく、もっと深い事情があるのでしょうから、小さい井の中でチャポチャポ泳いでいて、帰る感覚を知らない蛙の僕なんかが気安く言えるような立場じゃないんですけどね…。


2016年、春。弘前さくらまつり


今年は暖冬だったこともあり、弘前公園のさくらの開花は例年より早いと言われていました。そして、亡父の誕生日でもあった4月18日に開花、23日には満開を迎えました。23日の早朝、弘前公園RCの恒例となったお花見ラン。しかし、色々あってとても花見気分にはなれず、結局その日の朝に公園内を軽く走った後は、弘前公園に近寄ることもしませんでした。(もっとも、混雑が嫌いというのも要因の一つではありますが。)

しかし、Facebookをはじめ、友達や知り合いが続々とアップする園内の光景を目にしながら、徐々にその思いは強くなっていきました。
「やっぱり弘前公園のさくらが観たい。」

…そして27日午後、2時間だけお休みをいただき、気晴らしと散策がてら弘前公園へ。

ちょうど満開を過ぎ、花筏が出来つつあったこのタイミング。弘前市民として、やっぱり足を運んでよかったな、と。

ついでに撮影の練習。

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さくらは毎年咲くけれど、もう逢えない人もいる。
4月はさくらの季節。でも、時々雪だって降る。

出会いと別れ。春って切ないですね。

D’Angelo ft. Princess: Sometimes It Snows in April