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走れネゴス、じゃなくて良かった。 - 第5回 走れメロスマラソン(五所川原市)

2016年は4月の花巻でハーフマラソンの自己ベストをいきなり叩き出し、順風満帆のスタートのはずだったのですが、5月に入ると一転、内臓疾患に襲われたり、軽い肉離れを起こしたり、足底筋膜炎かアキレス腱周囲炎かよく分からない痛みを発症し、歩くのも辛くなったりと、満身創痍に近い状態でした。何か、毎年こんな感じです。
楽しみにしていた大会にも参加することができず、こうなると気分もどんどん滅入るというもので、改めて今月を振り返ってみると、かなりネガティヴな思考になっていたかも知れません。13日の岡村ちゃんのライブを心の底から楽しむことができなかったのも、多分こういう伏線があったからなのだろう、と今更ながら感じているところです。

さて、そういった事情もあって5月の月間走行距離は100キロちょっとでした。「走った距離は裏切らない」という野口みずきさんの名言に反論するかのように、「走った距離には中身も必要」と言い聞かせている自分としては、例え短い距離であってもその練習内容がしっかりしていれば、相当の距離を走らなくとも、勝るとも劣らぬ結果に繋がるはずだ、という持論を持っています。
しかしながら、5月に取り組もうと思っていた練習は結局3割もできぬまま、月末を迎えることとなりました。僕の目標はこの時期の結果次第で一喜一憂するものではないと自負しているので、何も慌てる必要はないのだ、と思っています。どこに自分のピークを持っていくか、これに尽きるのだと思います。

とはいえ内臓疾患はひとまず終息したものの、脚の状態は全くダメで、28日(土)の定例の朝練で約1週間ぶりに走ってみましたが、両脚のアキレス腱や足底に痛みを感じ、これはちょっとまともに走れる状態ではないな、と感じるようになってしまいました。
しかし、翌29日(日)に五所川原市で行われる「走れメロスマラソン」にだけはどうしても出場したい、という強い思いがあり、土曜日はひたすら下肢のケア(セルフマッサージ)に努めていました。

結果、当日の朝はかなり痛みが緩和されており、ハーフマラソンを走るに耐えられるであろうと確信。
ただし、実際にどんな状態なのかは走り出してみないとわからないので、間違えても昨年のようなタイムを狙うということはせずに、練習の一つと位置付けて臨むことにしました。

この日自らに課したテーマは、「ビルドアップ走」。約21キロの距離を何区間かに分け、徐々にスピードを上げていくという内容です。ただし、ケガを悪化させては元も子もないので、設定タイムは1時間45分~50分にしました。入りの1キロは5分半、5キロまでを5分15秒、10キロまでを5分、10キロ以降は様子を見ながら、という内容。
もう一つは、時計を見ることなく同じペースを維持すること。どちらかと言えばフラットなコースですので、多少の風の影響はあるかも知れませんが、ほぼ同じペースで走ることを心掛けて走ってみることにしました。

スタート地点となる会場の五所川原市「「立佞武多の館」に8時前に到着すると、既にアップを始めているランナーが多数。
早速参加賞を受け取り、準備。その横では開会式が行われており、市長やら議員さんの他、ゲストランナーの森脇健児さんも紹介されていました。昨年までのゲストランナーは谷川真理さんだったので、一部では「森脇健児さんか…」と残念がる(?)声も聞かれたものの、どうしてどうして。スタート時の選手に対する盛り上げ(いじり)やゴール手前のランナーを鼓舞する姿など、森脇さん、凄く良かったですよ。

開会式の前に、クラブのメンバーと軽く試走し、足の状態を確認。事前に服用した痛み止めはまだ効き始めていませんでしたが、まあ、何とかなるだろう、と前向きに考えることにしました。ダメならやめればいいんだし。
メロススタート前(恒例の集合写真。今回は舞台を占拠。)

集合写真を撮影した後、スタート地点へ。いつもであれば1時間30分前後のラインに並ぶのですが、今日は無理しなくてもいい、と決めているので、2時間以上のラインに並ぶことにしました。結構後方です。

いよいよ9時、スタート。混雑の中で、ゆっくりと走り始めます。
本当にゆっくり走り始めてみましたが、脚の痛みはあまり感じず。むしろ、スローペースなのが逆に結構辛い…。
誰かペーサーになるような人がいないか探してみますが、なかなか見つけることができず、あっという間に1キロ通過。想定の5分30秒よりちょっと早めでしたが、まずまずといったところでしょうか。
コースの中で最大のアップダウンである五能線の跨線橋を上りきると、前の方にズラーッと走るランナーの皆さんが。下りに入った時点で、この混沌とした状況の中、ペースが上がり始めているのがわかりました。抑えて抑えて…まるで興奮する闘牛をなだめるような気持ちで、ペースを抑えます。そしてその中で、どうしたら楽に走ることができるか、フォームを意識しながら走ってみることにしました。3キロ付近でのペースは4分45秒、想定より約30秒早くなっていました。そしてこのあたりから、ピンク色のTシャツを着た同じクラブのメンバーや他のラン仲間が視界に入ってくるようになりました。横について一言二言声を交わします。そして皆さん、全く同じことを聞いてこられる…。

「脚、大丈夫ですか?」
「ええ。まあ、何とか…」

並走する仲間の皆さんが僕の脚の具合を心配して聞いてくるのに、僕はゆっくりとその人たちを追い抜いて行くわけですよ。何かおかしいですよね。逆ならまだしも。何か本当に申し訳なくなり、あまり誇張してネガティヴな発信はするものではないな、ということを猛省したのであります。(でも、まだ痛みが残っていたのは事実です。)

さて、その後も一糸乱れぬ…というまではいかないものの、淡々と走り続けます。給水も無難にこなし、まさに黙々と走る、といった感じ。7キロ付近でしたでしょうか、たまたま追い抜いたら抜き返し、しばらくすると落ちてきて、また追い抜いたら抜き返す…という仕掛けをしてくる人もいましたが、そんなの全く気にはしませんでした。(都合3度抜かれましたが、結局最後は脱落。)

1~5キロは大体1キロ4分45秒、5キロ~10キロは4分40秒と、想定よりかなり早いペースで走っていました。
そして10~13キロは1キロ4分35秒、13~17キロは4分25秒とどんどんペースを上げ、18キロ以降は4分15秒に近いペースで走っていたようです。
メロス斜陽館(ふじさきかけっこクラブNさん撮影)

そしてこの間、時計には一度も目をやらず、感覚だけで走っていました。当初は1時間45分~50分でのゴールを想定していたものの、続々と見えてくるピンク色の背中と仲間の顔をを見て、既に100分を切るペースまで上がってしまったことを確信。確かにビルドアップ走ではありましたが、ちょっとこれはペースを上げすぎてしまったな、と。
しかし18キロを過ぎた時点で今更ペースを落とすわけにも行かず、あとは勢いだけでえいやっ!と走ってしまった感じ。
ゴール直前(ゴール手前、Oくん撮影)

昨年より5分遅かったものの、1時間35分でゴール。まあ、正直言ってタイムはどうでも良かったわけで。
メロスゴール(えん&みゅうのOさん撮影。)

そして、この大会にどうしても参加したかった理由の一つ、手伝いに参加している二人の同級生とゴール地点で再会。一人はゴールしたばかりの僕を見つけてペットボトルを持ってきてくれたし、もう一人は大会本部で再会。嬉しかったなあ。

この時点でかなりアドレナリンが出ていたみたいで(というか、この後ずーっとアドレナリンが放出されていた感じ)、脚の痛みは忘れていました。というか、脚が痛い話はもういいですね。

集団がばらけ始めた1キロ過ぎからゴールするまでに、恐らく何百人というランナーを追い抜きましたが、抜かれた記憶は2人のみ。
これですね、ホント気持ちいいのですよ。テンションが上がります。何より、18キロを過ぎてもなお、ペースを4分15秒前後まで上げられたのは今回最大の収穫でした。
ゴールした後に、見ず知らずのオジさんが僕に近づいてきて、おもむろにゼッケン番号と名前を確認。
「いやあ、アンタに抜かれてからアンタを目標にして走っていたけれど、最後まで追いつけなかったわ。良い走りだったよ。」と声を掛けられました。

思ったほど風の影響は感じなかったものの、気温がどんどん上がるという状況下、途中で倒れてしまった方もおりました。そう考えると、ちょっと過酷な状況だったのかも知れません。

僕自身は総じて見ると、ちゃんとネガティヴスプリットで走ることができたし、良いところまでペースを上げることもできました。結果的にいい練習になったなあ、ということで。無理を押してでも参加して本当に良かったと思いました。自分の今の状態も確認することができたしね。

あ、それからもう、脚のことをああだこうだと発言するの、やめます。それもこれも全ては自己管理。自己責任の下で処置されるべきことなのでしょうから。ランナーの皆さんは、どこかに必ずと言ってもいいほど痛みを抱えているみたいです。なので僕も、この痛みと上手に付き合いながら、これからも楽しく走りたいと思います。

参加された皆さんも運営に携わった皆さんも、本当にお疲れさまでした。楽しかったです!

1-7 8-14 14-20【大体良い感じでラップを刻んでいます。】

Wild Lips / 吉川晃司

TBS系で放映された「下町ロケット」での財前部長役を筆頭に、最近はすっかり役者づいてしまった吉川晃司も、もう50歳なんだそうで。
どちらかといえばカリカリしているというか、斜に構えて取っつきにくい印象のあった過去と比べると、最近は良い意味で角が取れ、人格者としての雰囲気も漂い始めるようになりました。僕は昔からファンでしたし、コンサートにも足を運んだことがあるのですが、彼に対する「ワイルドでちょっと素行不良」的な印象がガラリと変わったのが、東日本大震災の際に、素性を隠してボランティア活動を行っていたという事実を知った時。その後のCOMPLEX再結成、東京ドームで僕も泣いたなあ…(遠い目)。
前述のとおり、最近はミュージシャンというよりも役者・吉川晃司として板についてきた感はありますが、逆にそれが音楽、演技双方の活動に良い意味で作用しているのかな、と思ったり。

さて、財前部長を演じてから初となるオリジナル・アルバムは5月18日発売、通算19枚目となります。
2013年に発表された前作「SAMURAI ROCK」では、かなりゴリゴリなロックチューンが続いただけに、本作もタイトル通りの「ワイルド」を期待したのですが…。
感じ方は人それぞれだとは思いますが、まず僕が一番最初に感じたのは、あれ…何だろう。何かが、違う。という違和感。

収録曲8曲約35分、うち4曲は既発曲。(ちなみにiTunes Storeでは全8曲に、「SAMURAI ROCK」「アクセル」「LA VIE EN ROSE」のライブ音源がボーナストラックとしてプラスされています。)

ガッカリしたわけではないけれど、この短さには何か肩透かしを食らった感じ。

僕の中でまだ咀嚼できぬまま抱いているこのアルバムへの違和感は多分、先行シングルで発売され、アルバムのファースト・トラックともなった「Dance To The Future」への違和感そのものなのかも知れません。そしてこの曲を含め、アニメ、映画、ゲームという現代の三大娯楽(?)とタイアップした曲が既発シングルとして発売されたという事実、曲の出来映えがどうのこうのというよりも、これらの楽曲の構成にどことなく「らしさ」を感じなかった、そして、これまでであればあまり結びつきを得ることのなかったであろう三大娯楽のうち二大娯楽とのタイアップこそが、僕の中で「?」を生み出した最大の要因なのだと思います。
吉川晃司とゲーム、吉川晃司とアニメって、何か違うような。…まあ、既に「仮面ライダー」で下地は出来上がっているのですが。

メディアに掲載されたレビューには「ダンサブルなロック・アルバム」の文字。
でも、正直「Dance To The Future」に関してだけ言えば、そんなにダンサブルといった印象も受けなかったし、ロックといった印象もなく、何か地味な感じ。これからロック調にしようと思った曲が、まだ完成する前に流出してしまった、そんな印象を受けました。この曲がアルバムの最初を飾るという時点で、ここ最近の中では、異質な作品なのかなあ、という感想。例えて言うならば、「プリティ・デイト」を初めて聴いた時みたいな感じ。

違和感を覚えたのはこの曲だけではありましたが、約35分間、ビューーンと飛び抜けるような疾走感もなく、あまりにもあっけなく終わってしまったので、三こすり半でイキそびれた、みたいな。

いや、タイトルナンバーの「Wild Lips」なんかは、メチャクチャ格好良いんですよ。というかむしろ、「エロさ」を貫き通すのであれば、全部こんな感じで通して欲しかったし、この曲だってこの先、ライブの定番になってもおかしくないと思うし。

「Expendable」には休養していた大黒摩季がコーラス参加、ジャケットのキスマークは水原希子によるものなど、それなりに話題性もあるのです。あるのですが、ううむ…なのですよ。

結局のところ彼の場合、シングルで発売された楽曲は「あわよくば売れ線狙い」のタイアップで「当たらず障らず」である一方、本当にやりたいことはアルバムに収録されているのかな、と。
ただほら、ドラマだ映画だと役者付いている手前、音楽活動に没頭する時間もないのに、「財前部長として認知されているうちに出してしまえ」という、自分の意志とは無関係な思惑に振り回された結果としての産物なのだろうか、とも思ってしまいます。早い話が、(小声で)「やっつけ仕事」ってヤツ。

全体を通して感じたことは、50歳という年齢は感じさせないものの、かつての荒々しさや毒々しさが影を潜め、妙に落ち着いた感があるような気が。いや、それはそれで渋さがあってまたいいんですけどね、どうせならとことん大人のエロさを極めて欲しかったなあ。

ちなみにこのアルバム、当初「Rock’n Rouge」というタイトルでの発売を検討したらしいのですが、それって30年以上前に松田聖子が出した曲のタイトルだよね、ということになりボツ、続いて「HOT LIPS」というタイトルが浮上したものの、これは吉川本人が既に同名の曲を発表しており、こちらもボツになったという経緯があったそうな。
まあ、そんな紆余曲折を経て発表された作品ですから、せっかくなのでもう少し聴き込んでみて、単なるゴムで終わるかスルメに化けるか判断したいと思います。
で、このアルバムを引っさげた全国ツアーも始まるとのことですが、「財前部長」効果からなのか、各公演とも軒並みソールド・アウトとなっているようです。完全に機を逸しました。

青森市でプリンス追悼イベントを開催します。

プリンスがこの世を去ってから1か月以上が経ちました。僕の中では少しずつ落ち着きを取り戻しつつありますが、実は思っていた以上の衝撃だったようで、思い返してみると、この1か月間は何だかなあ、な感じでした。

しかし、いくら嘆き悲しんでも彼はもうこの世にいないという事実をしっかりと受け止めなければなりません。ファンの一人としてこの深い悲しみをいつまでも延々と引きずっているわけにも行かず、この先、彼の素晴らしさをどう周囲に伝えていくべきかという方向にシフトしつつあるのも事実です。

実は青森県内にも、熱くディープなファンがたくさんいます。
その一部、2002年のプリンス来日(奇しくもこれが最後の来日公演となってしまいましたが)の際に結成された「青森●日の丸扇子隊」という、名前からして怪しげな任意の集まりがあります。一見すると単なるマニアックな変態の集まりみたいなものですが、バーを貸し切ってプリンスの音楽オンリーの集いをやったり、青森市にあるライブハウス「クォーター」を貸し切り、たった11名でDVDパーティーを開催したり、地味ながらも世間の目に余るような活動を時々行っていました。

20021122(約14年前の恥ずかしい写真。穴があったら入りたい。)

プリンスが日本に来なくなってから、我々の動きもしばらく鳴りを潜めていたのですが、今回のプリンスの訃報に接し、にわかにまた動き出し、何とあれよあれよのうちに色んなことが決まり、6月4日(土)に青森市内で追悼イベントを行うことが決定しました。

その名も、「青森●日の丸扇子隊Presents プリンス追悼会」

2016年4月21日に急逝したプリンスを偲びながら、皆さんと一緒にプリンスへの愛やエピソードを語り、飲み、喰い、泣き、唄い、そして踊るという、相変わらず全くまとまりのないイベントです。

とはいってもMCもDJも不在で、多分彼の功績を称えつつ、DVDや音楽を聴き、グラスを傾け、美味しい料理を口に運びながら、彼に対する思い出をまったりと語らう(そしてしまいには一部が踊り出す)というイベントになりそうです。

でも、このメンバーはあまり湿っぽいのが好きじゃないので、どちらかと言えば、これから先は彼のことを偲びつつも、みんなで笑って過ごそうぜ、といった感じで、前向きなイベントにしたいと考えています。

一応私も主催者の一人に名を連ねております手前、今日こうやって紹介させていただくこととしました。
…が、しかし!実は諸々の事情により、参加可能人数はあと4名となっております。

日本全国のコアなプリンスファンの皆さまからも、今回の開催決定に際して激励のメッセージ、コメントを頂いており、変なことはできないな、と襟を正しております。

当日は、かつてインターネットを通じて販売されていたプリンス・グッズや日本で最後となったONAツアー・パンフレットの展示の他、プリンスを追悼して発刊された海外の雑誌などを展示することも検討しています。(ほんの一部ですが、希望があれば雑誌の販売も計画しています。)

会場:「大衆酒場コンフィ」(青森市安方2-17-8)
時間:19時スタート(予定では3時間程度)
会費:5千円(状況によって追加の可能性あり)

なお、今のところ事前予約による申込みでのみ参加を受け付けており、当日は、飛び込みでの参加を御遠慮いただく方向となっておりますので、参加を希望される場合は、Facebookから私を探し出してメッセージを下さるか、この投稿にコメントいただければと思います。
先着4名、今ならまだ間に合います!

ドンダバ?ワンドさカダッテプリンスのごどクチャベねが?

実は誰にも言っていないけれどプリンスが好きだという皆さん、いらっしゃーい!

ケガとランシャツと私

昨日の優駿牝馬(オークス)、軸2頭は鉄板だろうと思い、3着の穴馬入線に期待しながら3連複総流しで馬券を購入したのですが、結局波乱は起きぬまま、1,600円の購入額に対し払戻金は2,070円。収支はたった470円のプラスで、生ビール一杯も飲めないような結果に終わりました。(久しぶりにスポットで予想を立てている春のGIはこれで2勝2敗、現時点では辛うじて収支プラス)

競馬もパチンコもそうですが、勝った時の話は聞くけれど、負けた時の話はほとんど聞いたことがありません。以前、ラーメン屋で隣に座った若者同士が「パチンコの負け金額自慢」をしていましたが、その桁の違いに、聞くに堪えがたい内容でした。

マラソンでも似たようなことがあります。
自分の術中にはまったレース展開でゴールできた時、好タイムが出た時はこぞって雄弁に語りたがる傾向にありますが、逆に失敗レースに終わった時や平凡な記録で終わった時は、あまり積極的に口外しようとはしません。(まあ、どちらも口外したところでどうなるものでもないんですけれどね。)

そして、もう一つあまり話したがらないのが、負傷、怪我をした時のこと。
少しでも強くなりたい、少しでも速くなりたいと突き詰めていくと、練習内容もハードになっていきます。当然そこは未知の世界ですから、常に負傷や怪我の危険性が伴います。

僕も自称「ケガの小売店」を標榜していますが、春先にペースを上げることで、何かしらの怪我や負傷を負ってしまい、結果的に秋口まで練習の質を上げられずにシーズン・インする、ということを毎年のように繰り返しています。

ケガをした時によく言われるのは、「ストレッチ」のことです。
定例となっている土曜日早朝の練習の場において、以前は走る前、走った後に肩の関節を柔らかくする等のストレッチをみんなでやっていた記憶があるのですが、最近はストレッチを施している人があまりいなくなりました。
確かに僕自身も、「どうせ走りながら身体を温めるのだから、ストレッチの必要はない」という先入観をいつの頃からか抱くようになっていました。
ランニングクラブの中で僕は、3本の指に入るほど(というかダントツといって良いぐらい)身体に柔軟性がありません。だからこそ、走る前後のケアはとても重要になってきます。その一つがストレッチ、というワケです。

たまたま僕が気づいていないだけなのかも知れませんが、例えば走る前後のストレッチの方法や、ケガをした時の対処方法(病院に行け、といわれればそれまで)について、少なくとも僕の周りではあまり情報共有されていないような気がします。
ストレッチも静的・動的色々ありますので、やり方一つ間違えると、逆に筋肉や靱帯を痛め、ケガに繋がってしまう(ケガを悪化させる)ことにもなりかねません。なので、こういった必要最低限の情報は、何らかの形で共有した方が良いのかな、と、考えている次第です。

ちなみに僕が経験した負傷をざっと挙げてみると…
足底筋膜炎、ランナー膝(腸脛靭帯炎)、種子骨炎、アキレス腱周囲炎、ふくらはぎ肉離れ(軽度)、シンスプリント、ハムストリングス痛、股関節痛、腰痛、等々。更にこの他に五十肩なんていうのもありました。

このうち、アキレス腱周囲炎と種子骨炎は一度、ランナー仲間でもある整形外科の先生の診察を受け、投薬や注射などを処方していただきましたが、未だに引きずっている感じです。多分根本的な治療をしない限りは、治癒しないのかな、と思っています。

ん?だったら根本的な治療をすればいいじゃないですか?そうですよね。まさに御意。
でも、そこまで踏み込めない自分の弱さが、更に状況を悪くしているのかも知れません。

その弱さを露呈しているのは、自分自身に対する「焦り」が相当影響していると思います。
Nike+やJogNoteなど、自分だけではなく仲間が練習に取り組んでいる様子がつぶさにわかるウェブサイトがあります。オレが休んでいる間、みんなは走っている…。自分も走らないと!という「焦り」。
この「焦り」こそが、怪我からの治癒を遅らせる最大の要因と言ってもいいでしょう。

他人は他人、自分は自分。こういう時こそ、平常心で「吾(われ)」を見失わない心構えが必要になってきます。そういう心構えを有することが、やがて「悟る」ことに繋がっていくのだと思います。

実は今も、右脚ふくらはぎが軽い肉離れを起こしているらしく、今週は一切走らないつもりです。練習をしないということは、それだけストレスにもなります。仲間の皆さんが走っているのも、気になります。が、それを気にして練習を再開すると、かえって状態を悪化させるだけだということは、自分自身がよく分かっています。だからこそ、平常心で今の状態を受け入れる必要があるのだと思っています。今はですね、こうやって脚の快復を待つことを口実に休んでいることが、ラッキーだと思っているぐらいで。
敢えて自分から積極的に茨の道を進む必要はないですからね、遠回りこそが最大の近道だと言い聞かせています。

次の日曜日、ハーフマラソンの大会がありますので、まずはそれまでに脚の状態を戻すことに専念したいと思います。(3戦連続のDNSは、さすがにゴメンです。)

ということで今季2戦目となる次の大会はガチンコではなく、様子を見ながら軽めに行きますからね、皆さんくれぐれも煽らないで下さいね!

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プリンスの音楽アーカイブを整理してみた。

プリンスが突然この世を去ってから間もなく1か月。何となく落ち着かないというか浮ついているというか気もそぞろというか、平常心を保っているような素振りを見せつつも、明らかに精神状態に変調を来していたようです。

憩室炎になったのもそれが引き金だったのかどうかは、今となっては検証のしようがないのですが、多少なりの影響を及ぼしていたのでしょう(彼の死をきっかけに、確かに暴飲暴食暴言が過ぎた感が)。
プリンスが亡くなった、もうこの世にいない、彼のライブを二度と見ることができないという現実をどう受け止めたらいいのかよくわからないまま、時間だけは無情にも過ぎていきました。
この間、彼を追悼する動きが世界中に広がり、プリンスは本当に死んだんだ、という現実を徐々に受け入れざるを得なくなりました。

彼の死後、通勤時にはいつもプリンスの音楽が僕の耳の奥に飛び込んできました。一瞬だけ他のミュージシャンの曲を聴いていましたが、古い曲も新しい曲も、僕の耳の中は9割方プリンスが創った音楽で埋め尽くされました。ショックで聴けないという方もおられたようですが、僕はむしろ逆。彼がこの世のどこかにいることの当たり前から、もうこの世にいないことの事実を受け止めるべく、今もまるで何かを貪るように彼の音楽を聴いているという状況です。

とはいえ実は彼のアルバム、一聴した後にほとんど聴いていない作品が数枚あり、文字通り僕のCDライブラリの中で「お蔵入り」していました。が、彼の死を機に、やっとデジタルアーカイブすることにしました。
多分これで、彼のオリジナルアルバムと関連アーティストのオフィシャルアルバムは大体デジタルアーカイブが完了したのではないか、と。
…ということで、今日はそのお話。

プリンスの功罪の一つとして、それまで日の目を見ることがない(あるいは、一生日の目を見ることがない)作品が相当数あったということが挙げられると思います。最も有名なのが、直前で発売中止、お蔵入り(数年後にオフィシャル盤として発売)した「Black Album」。しかし、発売中止となったはずの音源が世に流出し、「ブート盤(海賊盤)」として流通することとなり、西新宿界隈に多数あった「海賊盤専門店」が賑わいを見せることとなりました(かくいう私も、何度お世話になったことか…)。

その後もコンサートの音源やデモ音源など、彼のブート盤はオフィシャル盤(契約レコード会社を通じて発売された正規の作品)をしのぐ勢いで一つの市場を形成してしまうのではないかというぐらい、様々な音源が流出しました。

しかし彼はそれを逆手に取り、「ブート盤」をオフィシャル盤として販売するという手法に出ました。その最たるが「Crystal Ball」。僕は海外でしか発売されていなかったこの作品をどうしても入手したくて、電話回線でのインターネットが普及し始めた頃に弘前市民体育館で行われたITフェアに出向き、その一角にあった「インターネット体験コーナー」のブースに潜入、不慣れな英語のサイトに四苦八苦しつつインターネットに接続されたパソコンを約30分も占拠し、ようやく公式の販売サイトに辿り着きめでたく購入手続きを終えました。ところがそれから数ヶ月後、ようやく自宅にCDが届いた頃には、国内でのCD販売が既に始まっていた、ということがありました(でも、透明なジュエルケースに入った5枚組のCDは、海外からインターネットで入手するだけの価値があったと思っています)。

さて、これまでプリンスファンを標榜してきた私ではありますが、実はこれまで手を付けていなかった(ほとんど聴いていなかった)CDが何枚か存在します。今般、まるで彼の遺品を整理するような気持ちで保有するCDをデジタルアーカイブへ変換する作業を行った結果、初デジタルアーカイブ(MP3化)完了となった3枚のアルバムを紹介したいと思います。
彼に対する思いは人それぞれ、色んな評価があると思います。これから紹介する3枚のアルバムに対する考えはあくまで僕の私見であって、当然のことながら全てのプリンスファンがこういう思いを抱いているのではない、ということだけは明記しておきます。

「Vault: Old Friends 4 Sale」(1999年)

vault

1999年、大喧嘩をしていたそれまでのレコード会社「ワーナー」と決別するため、所定枚数のアルバムを発表することで早く契約を打ち切ろうと、消化試合のように発売された未発表音源の寄せ集め、と言われています。作品そのものの評価はむしろ高く、このアルバムが好きだという人も多いようです。
が、なぜか僕、このアルバムはあまり聴く気がしませんでした。「聴く気にならない」思いを今まで引きずっていた理由は、正直僕にもわかりません。ただ、何となく「投げ売り」というか「やっつけ仕事」的な感で発表されたことに対し、このアルバムそのものが本意ではない中で制作された、つまり彼としてはこんな作品は発表したくなかった、という思いがあるのではないかという疑念が僕の中で燻っていたのは事実です。

「Chaos and Disorder」(1996年)

chaos

1996年、これもまたワーナーとの確執の最中に発売されたアルバムです。制作期間は2日とも1週間とも言われ、一発録りのようなノリも含め、これこそまさに「やっつけ仕事」と評されました。「1999」のレコードを踏みにじるジャケットに表されるように、どこか暴力的というか乱雑というか、先に紹介した「Vault: Old Friends 4 Sale」と同じような環境下で発表された作品ということで、あまり聴かなかった(聴く気が起きなかった)のかも知れません。でも、今になって改めて聴いてみると、荒々しさの中にも彼のロックンロール魂を垣間見るとでも言えばいいのでしょうか、他の作品とは一線を画しつつも、当時のプリンスの心境(単なる怒りというよりも、理解してもらえないことへの悲観的な感情みたいなもの)が滲み出ているような、違う意味での「ノリと勢い」を感じる作品です。93年に発表されたビデオ「The Undertaker」を彷彿させるような感じ。

「Emancipation」(1996年)

emancipation

前述のワーナーとの契約関係に終止符を打ち、「ワーナーからの解放」を機に発表されたアルバム。何と「Chaos and Disorder」からのインターバルはたった4か月!ちょうど私生活でも結婚という人生の転機を迎え、彼自身としては本当に幸せだったのでしょう。東京で行われたワールドプレミアのアルバム発表、ライナーノーツに記載された彼自身による楽曲毎へのコメント…。
うーむ…何だろうこの違和感。貴方本当に、プリンス?
3枚組36曲、しかもディスク1枚が12曲計60分00秒ピッタリの収録という統一感もさることなら、公私混同も甚だしいぐらいこの作品全体から漂う幸福感は、何かプリンスに解毒剤が打たれたような感じで、僕は素直に受け止めることができませんでした。いや、これもプリンスなんだけどさ。もっとおどろおどろしい「何か」に、僕は期待を寄せすぎてしまったのでしょうか…。

紹介の順番について年代が逆になってしまいましたが、プリンスの場合、契約上の関係で既に廃盤になってしまったアルバムがあります。今回紹介した作品にも、既に廃盤となっているものがあり、iTunes Storeでも発売されていません。また、そういうアルバムは中古市場を中心に高額で取引されるような状態が現在も続いているようです。

一方で、彼の未発表曲は毎年1枚のアルバムを出し続けても100年かかるというぐらいの量があるとも言われています。恐らく、全ての未発表曲が日の目を見ることはないにせよ、この先何らかの形で作品化されていくかも知れません。(ただ、海賊盤になってこの世に出回ることだけは避けて頂きたいです。)

きっとそうやって、亡くなった後もなお我々ファンの心をくすぐり続けるのでしょうね。ちなみに、関連アーティスト(彼のレーベルであるPaisreyParkやNPGレコードのアーティスト)のオフィシャル作品もデジタルアーカイブを完了しましたので、当面はこれを聴きながら、彼を追悼したいと思います。

(参考:今回改めてデジタルアーカイブ化したアーティスト)
Apollonia 6, Vanity 6, Carmen Electra, Jill Jones, The Time, Sheila E, Madhouse, Eric Leeds, Mazarati, The Family, Mayte, Mavis Staples, New Power Generation, Chaka Khan, Graham Central Station
(最近の音源、Andy AlloとかBria Valenteなどはアーカイブ済み。特にPaisley Park関連では数名の漏れがありますが、僕がCDや音源を持っていないだけの話です。)