月別アーカイブ: 2017年2月

『SIM熊本2030(対話型自治体経営シミュレーションゲーム)@青森』体験会の体験記

3度目となる青森中央学院大学、佐藤淳准教授の公開講座への参加。
今回は、「SIM熊本2030」という対話型自治体経営シミュレーションゲームの体験でした。

以下、告知内容。

【青森中央学院大学佐藤淳研究室公開講座】
『SIM熊本2030(対話型自治体経営シミュレーションゲーム)@青森』体験会
自治体の財政問題が注目される中、行政職員を中心に、財政を考えるきっかけとして全国に広がり始めている対話型自治体経営シミレーションゲーム「SIM」。そのオリジナル版である「SIM熊本2030」の開発者である熊本県庁の和田大志さんをお招きして、青森県内初のSIM体験会を開催します。
「SIM」とは、2030年までに架空の市に迫り来る課題に対し、その市の幹部となって1チーム5〜6人で解決策を探るシミュレーションゲーム。チームでの対話により事業の選択と集中を進め、課題を乗り越え、2030年に市を理想の街に導きます。オリジナル版の熊本からスタートして、現在各地にご当地版が誕生しています。

日時:2017年2月25日(土) 13:30~17:30
場所:青森中央学院大学7号館1階フリースペース
講師:熊本県庁 和田大志さん
・「SIM熊本2030」開発者
・早稲田大学マニフェスト研究所人材マネジメント部会
マネ友
対象:地方自治体の財政問題に関心のある、行政職員、地方議員、市民
*初心者の方でも楽しく参加できます。
参加費:無料

1チーム6人で構成されたチームのメンバーは、それぞれが何をしている人なのか素性を明かさぬまま、架空の市の部長に任命され、各部の事業カードと財源が渡されたところからゲームがスタートします。

恐らく今後、各地の自治体が直面であろう人口減少問題や高齢化の問題、そしてそれによって起こる税収減や社会保障費の増大による起こる様々な課題に対してどういった対応をするのかを、1クール当たり25分間でプレイヤーの各部長が知恵を出し合いながら解決への方向を探り、結論まで持って行かなければなりません。更に、課題解決に向けた財源を捻出するために、限られた事業を削減するとともに、それに伴って発生する新たな影響への対応や、住民や議会、場合によっては首長に対する説明責任などを、どのように果たしていくのかを考えます。

そこで納得の得られる説明ができなければ、事業の削減は認められず、公債を発行することとなります。
そして、公債の発行が続いた場合、当然その市は財政破綻した、と見なされてしまいます。つまり、ゲームオーバーということに。

あまり深く考えず、何か面白そうだな、と思って参加してみたのですが、いざ始まるとこれがもう、スリリングというか緊張の連続。「初心者の方でも楽しく参加できます」という触れ込みでしたが、心の底から「楽しい」とは言い難いゲームでした(苦笑)。

実際、かなり熱い議論や丁々発止に近いやり取りを交わす場面もあったりで、これがゲームで本当に良かった…と思う場面にも何度か遭遇しました。

(査定役に回った講師の和田さんに、選択の内容を「糾弾」されている様子(笑)。このポーズをしている時は、思考停止に陥っているか、腑に落ちないことがあったかのどちらかだと思います。)

(皆さん笑っていますが、内心かなりビビっています。腕を組んだまま警戒心を解いていないのが何よりの証拠。)

開始から3時間が経過してようやく明かされたグループメンバーの素性。僕が参加したグループは議員1名、自治体職員3名、学生1名、そして民間人1名というバラエティに富んだ構成でした。

始まった直後はあまりにも唐突な課題への対処に困惑し、チームの中も何となくギクシャクしていた感がありましたが、架空の市(たまたまテーブルの上にジャスミン茶のペットボトルがあった、という理由で「ジャスミン市」と命名)の進むべき方向性が決まった後は、各部長が単なるその場しのぎの思いつきではない知恵と発想を出し合いながら、比較的それ相応の取捨選択ができたのではないかと思っています。(僕が今後の方向性や取組方法を発言したら、「それを紙に書いてください!」と和田さんに咎められました。)


…ただし、発想が飛躍しすぎて「都合の良い解釈」になっていたこともありましたが。

(いたって本気に考えていたんです。こんなに真剣になるとは!)

ジャスミン市の基幹産業をどう発展させ、その中で高齢化社会や少子化といった課題にどう対応していくか、そのためにどういった自治体運営を進めて行くべきか。限られた時間の中で限られた選択をしなければならないという、非常に緊張感あふれる状況の中、かなりピリピリした空気が流れました。これはこのゲームを実体験してみないと、なかなか伝わりにくいと思いますが、私、ゲームの途中で何度思考が停止状態に陥ったことか。というか、最初から偏った思考(実はずっと、「市民の命を守る」という考えに固執していました)を抱き続けていたために、同じチームの皆さんには色々ご迷惑をお掛けしてしまったかも知れません。
我々の業界には「縦割り」という言葉が蔓延っていますが、まさにこの「縦割り」を排除するとともに、縦横斜めに丸く四角くく…いや、縦横無尽というか四次元的な発想を展開しないと、説明責任は果たせないのだな、ということを強く感じました。

(「ジャスミン市」の進むべき方向性が固まりつつある中、ようやくみんなのベクトルも同じ方向に。)

しかし、これほど緊張感を強いられるとは思ってもみなかったことなので、終わる頃にはすっかり疲労困憊でした。
肉体的な疲労ではなく、精神的というか、頭脳の疲労。

(2030年における「ジャスミン市」のあるべき姿を議論中。)

13時30分から17時30分までの間に挟んだ休憩はわずか15分のみで、参加された皆さんがこぞって「脳に汗をかいた」と感想を漏らしていたのを拝見しながら、まさに的を射た適切な表現だと思いました。
頭脳が疲労を覚えるという状態に陥ることも、久しくなかったことでした。裏を返せば、これまではそれだけ「のほほん」とした日々を過ごしていたのかも知れません。

正直、この体験が終わった直後は、あまりの疲労感に「SIM熊本2030」のことなど考えたくもないし振り返りたくないと考えていましたが、こうやって改めて振り返ってみた時に、もし、もう一度違う立場(部長)として、違うメンバーでこれに取り組んだ時は、どういった結論が導き出されるのだろうか、などということを考えてしまいました。
つまり、「これが正解」という答えがないゲームなんですね。


2030年問題、すなわち超高齢化社会の到来は、日本国内どの自治体にも起こりうる大きな問題であり、この問題に対してどう手を打っていくのかは、一つの自治体だけで済まされる話ではないのかも知れません。

しかしながら青森県は既に人口が130万人を割り込むという現実に直面しており、今後、様々な分野への影響が起こることは敢えてここで言うまでもないことだと思います。
その中において、どういった取捨選択をしながら自治体運営をしていくか、イメージだけではなく具体化しながら進めて行かなければならない、そういう時期がもうやってきているんだということを改めて感じた次第。

話が少し脱線します。
実はこの日の夜、頭が疲労困憊の状態ではありましたが、平川市の某氏からの誘いで、ほとんど初見といってもいい顔ぶれ(1~2度会っている方が大半)が集結した飲み会へ足を運びました。(…そして二次会の途中から記憶を落としました。Instagramにアップしましたが、なぜか自分の影の写真を撮影していたみたいです。)
そこに、とある高等学校の先生が同席されていたので、以前から悶々と考えていることを一つお話ししました。端的、ではないのですが、こういうことです。

青森県でも少子高齢化が進んでいるとはいうものの、実はその「少子」を、県として活かし切れていないのではないか。つまり、本県の学生や生徒の中には優秀な能力や才能(以下「能力」とだけ言います。)を持つ人たちが数多いるというのに、県(行政側)はその人たちの能力を見過ごしたまま、その能力の県外への流出を食い止めるための手段を全くといっていいほど講じていないのではないか。

さて、この能力を県全体で活かすためにはどうしたらいいでしょう。

その能力を活かすだけの、それに見合った雇用の場がないといった問題もあるかも知れません。
でも、そもそもそういった情報がそれぞれの立場で共有されていないということの方が、実は問題なのではないかと思ったのです。
これぞまさに縦割りの弊害。
公務員志望の学生・生徒が自治体職員や教員と交流する場は時々見かけますが、自治体職員と教員の皆さんが交流する場って、実はあまりないような気がするのです。

多分、そこで得られる情報は双方にとって結構有益なのではないか、と。そういう交流の場を設けることによって、双方のニーズを次の施策や政策に反映させていく、というきっかけにならないかなあ、と朧気ながら考えている次第です。


最後に。
体験しないとわからない、やってみないとわからないということはたくさんありますが、本県初開催となった「SIM熊本2030」の体験会、頭の中をこねくり返して硬直化していた思考を柔軟にする、という点において、非常に有意義な時間であったことは間違いありません。告知にもあったとおり、各地域版が派生して誕生しているとのことですので、本県の各自治体でも取組が一気に加速化するかも知れません。微力ではありますが、何らかの形でその取組に携わることができるのならば本望ですが、だったら自分でやれよ、と言われるのがオチなので口を慎みます。

一番心に響いたのは、「対立」を「対話」で乗り越える、という言葉。端から「否定」するのではなく、まずは「理解」する努力を怠らない。胸に秘めておこうと思います。
参加された皆さん、大変お疲れさまでした。ギリギリになってからの参加申込みを快く受け入れて下さった佐藤准教授にも、この場を借りて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

やはり警鐘は鳴らされた。-マラソン人口の減少、大会の飽和状態を懸念する

僕のフルマラソン歴も今年で5年目に突入。全国各地でマラソン大会が開催される中、これまで14のレースに出場した。北海道3回、田沢湖3回、さいたま国際2回、勝田1回、NAHA1回、そして地元の弘前・白神アップル4回。これに北東北3県で開催されたハーフマラソンへの出場歴も加えると、結構な数の「遠征」をしていることになる。ただし、北海道・東北を除く大会となると、その遠征も4度にとどまる。生まれて初めて「弘前・白神アップルマラソン」でフルマラソンに出場した年を除くと、北海道と田沢湖は毎年出場しており、それ以外に大体1年に1度のペースで他県でのレースを組み入れている計算になる。
しかし、大会に出場した翌日に仕事を休んだのは、NAHAマラソンに出場した時の1度だけ。大会を終えた日曜日のうちに青森へ戻ることが、物理的に困難だったからだ。(その気になって戻ろうと思えば戻れたのだけれど、せっかく沖縄まで足を運んだのだから、一日ぐらい楽しませて欲しい、そう思っただけのこと。)
何もこれは僕に限ったことではなく、ある意味ランナーの「意地」みたいなものなのかも知れない。
職場内で僕がマラソンを趣味としていることは周知の事実。だからこそ大会の翌日は、絶対に疲労感や痛いという素振りを見せないようにしている。まるで何事もなかったかのように平然と過ごすという、とてつもなく些細で、そしてとてつもなく小さな「意地」。

フルマラソン5年目ということは、弘前公園ランニングクラブの一員として練習に参加するようになってから、6年目に突入することになる。最初は10名に満たない程度で練習をしていたのが、気がつくと200人以上、しかもクラブの理念に「賛同」するランナーは全国各地にいるし、弘前市内でもかなり認知度の高いランニングクラブとなっていることは、紛れもない事実だ。
うちのクラブは、会費もなければ名簿もない、ある意味出入りの自由なクラブ。だから変な話だけど、クラブのトレードマークともなっている「No Apple,No Life」の文字が胸に刻まれたピンク色のTシャツ欲しさにクラブにやってくる人がいるのも事実。我々がバックアップしている「弘前・白神アップルマラソン」の開催時期が近づくと急に練習の参加者が増え、大会が終わった途端に一気に参加者が減る、ということを毎年繰り返している。

確かに前述の通り、うちのクラブでも一度だけ参加して姿を見なくなった人がたくさんいる…ような気がする。しかし実は、渡り鳥のように毎年限られた期間、つまりアップルマラソンの直前だけ練習に参加しているだけなのかも知れない。その一方で、残念ながら走ることを止めてしまった人がいることも、知っている。早起きしてまで練習について行けない、故障した、そもそも身体に合わない、楽しくない…人それぞれ色んな事情があるだろうし、それを諫めてまで「また一緒に走りましょうよ!」なんて誘うことは、口が裂けても言ってはならないことだ。

僕らみたいにランニングにドップリとはまり込んでしまう人もいれば、年に一度の大会をお祭り気分で楽しめればいい、という考えを持っている人もいることだろう。別に、年がら年中走り続けなければならない、というルールはどこにもない。だから、「趣味はランニングです。」と言っているからといって、必ずしも毎日走り込んでいるわけではないだろうし(実際僕だってずっと走っているわけではない)、中には自転車や水泳、トレッキングなど、複合的に身体を動かすことを趣味とする中で、その手段の一つとしてランニングを取り入れている人もいることだろう。1千万人近くいると言われる市民ランナー、色んな人がいて当然なのである。

ご存じのとおり、東京マラソンが注目を浴びた2006年頃から、日本のランナー人口は急激に増えた。ランニングがブームとなり、トレンドとなり、そしてファッションとなり、皇居の周りはランナー渋滞が起きるほど。その中で、マナーを守らない(知らない)一部のランナーが現れたことで、ランニングは社会問題としても捉えられるようになった。
しかしブームというのは恐ろしいもので、昨年辺りからランナー人口は減少傾向にあるらしい。

先日、日本経済新聞に興味深い記事が掲載されていた。
ランナー置き去り 市民マラソン、バブル崩壊
(無料会員登録で全文を読むことができます。)

何か、懸念していたことが現実に起こりつつあるんだな、ということを目の当たりにしたような気分。
記事の内容を端的にまとめると、ランナー人口が減少しつつあるのに依然として各地で誘致するマラソン大会が増えていること、結果として参加者が減少、歴史ある大会が静かに幕を下ろしていること、高額な参加費であるにもかかわらず、運営が全く行き届いていない大会があること、他方、自治体の予算に一切頼らず参加者を増やしている大会があること…。

この記事で槍玉に挙げられていたのは、「さいたま国際マラソン」。
まだ2回しか開催されていない歴史の浅いこの大会、「女子マラソンの選考大会」であった「横浜国際女子マラソン」の後釜として開催されていて、僕も2度出場している。2回目の開催にしてコースを変更し、制限時間を4時間から6時間に拡大、参加人数が5千人から1万6千人に急増した結果、「給食がない」「ボランティアが圧倒的に足りない」などの問題が発生したとのこと。何よりも、参加費が国内で最高値である1万5千円だということも、批判を浴びる一因になっていることは紛れもない事実だ。要するに、高額な割には費用対効果が全くといっていいほどない大会だからこそ、批判が殺到しているのだろう。まだ手探り状態での大会運営、長い目で見守ってあげようよ…という気持ちもちょっとだけあるにはあるのだけれど。

まず、そもそも横浜国際女子マラソンが「財政難」を理由に幕を下ろしたのに、さいたま国際マラソンに変わったからといって急にスポンサーが増えるはずがないのだ。まして東京五輪が近づく中で、今のところこの大会からは一度も国際大会の代表を輩出できていない。選考レースであるにもかかわらず、だ。これらも含めて、完全な見込み違いが運営側には渦巻いていることだろう。(ちなみに同じ日本経済新聞ですが、「ランナー集まれ」の吉田誠一編集委員が、手短に、かつ辛辣にこの大会を批判しています。)
まあ、ここでさいたま国際マラソンを批判するのは今日の趣旨とは違うのでこれぐらいにしておくが、それでも多分今年もさいたまを走っちゃうんだろうな、きっと。

何よりも、同じ日に各地でマラソン大会が開催されること、そしてそれが10月から12月にかけて毎週のように繰り広げられていることで、大会参加者が分散していることは明らかなのだけれど、その上でランナー人口が減少し、大会が増えるというのは、例えるならば人口減少地域にコンビニが乱立していくのと似ている。…いや、本質的には違うのかも知れないが、要するに既に少なくなったパイの奪い合い状態になりつつあるということだ。

毎週各地のフルマラソンに出場できる気力、体力、そして何よりも財力があれば話は別だが、僕個人としては、青森県から他都道府県の大会に出場するとなると、ある程度の取捨選択が必要になる。
現時点においても既に、5月に開催される「いわて奥州きらめきマラソン」、そして10月に開催される「東北・みやぎ復興マラソン」と、東北地方だけでも二つフルマラソンの大会が新設されることが決まっている。しかもこの大会、二つとも日本陸連公認大会・公認レースを申請しているのだとか。(更に「東北・みやぎ復興マラソン」、ウェーブスタートを取り入れるんだってさ!)

ただ…興味が全くないわけではないけれど、今のところどちらの大会にも参加する予定はなし。

一つ大きな問題なのは、10月に初めて開催される「東北・みやぎ復興マラソン」と同日に開催されるのが、地元で開催される「弘前・白神アップルマラソン」だということ。例年通りであればこの日は、全国ランニング大会100撰にも選出されている「山形まるごとマラソン」も開催されることとなっており、この日、東北地方だけで3つの大会が開催されることとなる。
下手をすれば「東北・みやぎ復興マラソン」が全国ランニング大会100撰に選出される可能性だって否定できないわけだし、そうなると、現時点では100撰に漏れるであろう「アップルマラソン」の存在価値がますます下がっていくことは必至。

実は弘前・白神アップルマラソンの今後についてはこれまで何度も警鐘を鳴らしており、その中でもこれら二つの大会との競合について危機感を持っている。
「「弘前・白神アップルマラソン」の行く末を 【再度】 考える」(2016年12月10日付け投稿

アップルマラソンに関しては、来年以降の大会の見直しを検討し始めるらしいけれど、今年は間違いなく参加者が激減すると断言しよう。特に、県外からのランナーの数は極端に減りそうな気が…。
となるとむしろ今は、どれぐらいまで参加者が落ち込んでしまうのかに興味があるぐらい。

参加者が減った → 予算が足りなくなった → 参加料を上げた → 更に参加者が減った → …

という「負のスパイラル」に陥る前に手を打たないと、青森県内唯一のフルマラソンの大会を開催することができなくなってしまいますよ、ホントに。開催直前の中止で大きな問題となった荒川マラソンや、参加者が集まりすぎて中止になった伊豆マラソンは別として、逆に参加者が少なすぎて中止になった日光ハイウェイマラソンとか、既に開催を見送らざるを得ない状況に追い込まれている大会が出てきているのですよ。

こうやって見ると、「東北風土マラソン&フェスティバル」のような、フランスのメドックマラソンを模したような個性的な大会にするのか、それとも、シリアスランナー向けの大会にするのか。大会が飽和状態になっている中で、アップルマラソンの運営も過渡期を迎えていることは間違いありませんな。

公認レースにもしない、他の大会が開催されようとも内容を変えるつもりがない…というならば、いっそのこと、ホントのお祭りみたいにしてしまった方がいいのかも知れないね。どうせ人数が減るんだったら、いっそのこと「弘前市りんご公園」を主会場にすればいいんじゃない?とか考えてみたり。

…でもね、やっぱり僕は、弘前・白神アップルマラソンを盛り上げるために微力ではあるけれどずっとお手伝いしますよ。どれだけ参加者が減ろうとも、ゴールを迎えるランナーの皆さんに「お帰りなさい!お疲れさま!」って、これからも声を掛け続けたいと思います。

スガフェス EXTRA ~アコギ侍の宴~ 青森公演 #スガシカオ

スガシカオのデビュー20周年を記念して、2017年5月6日にさいたまスーパーアリーナで「スガフェス~20年に一度のミラクルフェス~」が開催されます。

そのキックオフイベントということで、「スガフェス EXTRA ~アコギ侍の宴~」なるものが開催されるのを知ったのは今年に入ってから、偶然。何気なくサイトを見てみたら、全国5か所の会場の中に、なんと青森が含まれているではありませんか!スガシカオといえば、昨年6月に開催されたプリンス追悼の緊急トークショーへの出演や、12月に東京で開催されたプリンスのライブフィルム「プリンス / サイン・オブ・ザ・タイムズ」の上映イベントにゲストとして登壇するなど、プリンスファンとしても知られています。

実は私、スガシカオのアルバムは1枚も持っていないのですが(爆)、これまでレンタルショップで借りたアルバム(CD)が結構ありまして、好きなアーティストの一人なんです。(だったらアルバム買えよ、というツッコミはなしでお願いします。)
何より、プリンスが好きな人に悪い人はいないワケですよ。(少なくとも僕の周りでは。)

そんな彼の公演が青森で行われるということを知り、チケットの一般発売日をGoogleカレンダーに登録したり、すっかり食指動きまくりの姿を妻に目撃され、「行ってくればいいじゃん。」の一言に後押しされ、無事チケットをゲット。やったね!

2月11日、東京への出張を終えた妻が羽田から青森に向かうJAL便に搭乗したところ、何と最前列(つまりクラスJの一番前)にスガ氏が乗り込むのを目撃。青森空港到着後、預かり荷物の流れてくるベルトの前で待つご本人を発見、図々しくも「明日のライブ、楽しみにしています!」と話しかけたとのこと。
するとスガ氏は「あ、どうもありがとう!」と気さくに返事をしてくれたんだそうで。

…でも、スガさんホントごめんなさい。妻はライブには行きませんでした。ライブへの参戦は最初から僕一人だけの予定でした。正しくは、「明日のライブ、【夫が】楽しみにしています!」と言うべきでした。この場を借りてお詫び申し上げます。

翌12日、いよいよライブ当日。朝方、津軽地方を中心にアホみたいな大雪に見舞われ、JR奥羽本線は夕方まで弘前駅と秋田県の大館駅の間で除雪作業による運転見合わせが決定。
開演時刻が16時で、しかも整理券番号がかなり後方だということがわかっていたので、15時30分頃に青森駅に到着する秋田始発の特急に乗車して向かっても充分間に合うな、と思っていましたが、考えてみると運転見合わせの区間があるということは、秋田から特急がやってくるはずもなく…。そこで慌てて14時20分弘前始発の普通電車に乗車して青森へと向かいました。(実際、その特急は「運休」になっていました。危ねぇ。)
恐らく秋田方面からライブにやってくる人たちもいたと思うのですが、果たして大丈夫だっただろうか…。

開場の10分前、15時20分頃に会場のライブハウス「青森クォーター」へ到着。既にたくさんの人が列を作っていました。女性7割男性3割といったところでしょうか。年齢層は僕と同じぐらいか、若干高め。男女問わず独りでやってきた人も多いようです。(まあ、僕もその一人ですけど)

(スガさん、雨男返上。構造上致し方ないとはいえ、外で開場を待つにはちょっと寒かった。せめてもの救いは、青森市内はこの日ほとんど雪が降っていなかったこと。というか青森市、今年の積雪量少な過ぎなんですけど。)

整理番号順に会場内へ通され、会場に僕が入場できたのは15時45分頃。既にこの時点で200人ぐらいのお客さんが会場に入っていたと思います。で、会場に入って、あることに気が付きました。どうやら整理番号Aの皆さんには椅子が用意されているらしく、BとCのお客さんは立見ということみたい。なるほどね、オールスタンディングではなく、ハーフスタンディングなのね。ちなみにAのお客さんは、BとCのお客さんが後ろでライブを楽しんで盛り上がっていた時、静かに着席のまま聴いていたようです。どっちがいいかと言われると、うーん…ですが、実はこの日朝から2時間ほど雪片付けに精を出し過ぎて腰痛を発症しかけていたため、できれば座りたかった、というのが本音です。
しかし僕のチケットはCから始まる整理番号ということで、ステージからかなり後方の左寄りに立ち位置をキープ、開演10分前には1ドリンクチケットと引換えに早速缶ビール1本をプシュッと空けていました。ただ、始まってすぐに立ち位置を少し間違えたことに気づきました。前方に男性二人がいたため、結局彼らの頭の間から時々見えるお姿を拝見するにとどまってしまいました。まあ、ライブが楽しかったからいいんですけど。

演奏した曲は、Googleなんかで検索するとセットリストが既に掲載されているようですので、敢えてここでは割愛。

ざっと見たところでは公演初日の宮崎と同じ内容でしたので、演奏する曲は固定されているのかな?でも、15日の高知はオリジナル・ラブの田島貴男がゲスト出演するほか、26日の千葉は斉藤和義にトータス松本、浜崎貴司といった面々がゲスト出演しますので、恐らくセットリストの内容は変わると思います。…いいなあ。羨ましいなあ。

あー…でもちょっとだけネタばらし。

「デビュー20周年ということで5月に「スガフェス」というイベントを開催するんですが…。あ、ここ拍手ね(笑)。そのキックオフイベントということで、全国を回っています。」
「ということで、今日は僕が演りたい曲をやります。なので、今日は皆さんが僕を盛り上げて下さい。」
「色々あって青森は10年ぶりなんですけど、また近いうち来ますから。」

会場が熱気を帯びてきた後半、本人がギターを弾きながら「めっちゃ楽しい!」とはしゃいでいたので、本当に楽しかったんだと思います。身に纏っていたボーダー柄のシャツは色違いのウォーリーみたいだったけれど。(スガさんファンの皆さん、すいません。)

この他のMCでは、ローチケが発券したチケットのミスプリントに苦笑いしながら「いや、僕が悪いわけじゃないんですよ。」と釈明するという一幕も。しかし、「小学生以上入場不可」って、ある意味凄いネタですよね。ちなみにこのミスプリント、青森公演のみらしいです。

スガシカオ、「小学生以下限定」ライブ開催? 「保護者も同伴できない」まさかの事態

青森に来てから、トータス松本さんとイエモンの吉井和哉さんに勧められたという某ラーメン店に行き、ラーメンと炒飯を頼んだけれど、やたらと量が多くてその後何も喰っていないし、「3」は辛すぎる!とぼやいていました。(この時点でどこの店なのかは、青森市の人ならばすぐ察しがつくことでしょう。)

「いや、その店は全然悪くないんですけどね、何かこう、もっと青森らしいものを食べたかったなあ…。」と呟くと、前列の方から「マル海!」の声が。その声にすかさず反応して、「だからマル海とか…ラーメンじゃなくてもっと青森らしいものを…。」と苦笑。会場も笑い。マル海、ご存じなんですね。

アンコールを含めて全18曲2時間、20年のキャリアを飾る楽曲を満遍なく披露したといった感じです。まあ、昔からのファンにしてみれば全然足りないんでしょうけれど、さいたまスーパーアリーナみたいにステージの上で米が動き回っているような巨大な会場ではなく、会場の後方からでも目鼻立ちまでちゃんと見えるライブハウスで公演を行ったということに意義があるんだと思います。個人的に聴きたいなあ、と思っていた曲の7割は演奏してくれたんじゃないだろうか。最新アルバムからの曲も何曲か演奏してくれました。本当にありがとうございます。
「アコギ侍の宴」というだけあって、静かな感じなんだろうかと思ったら全然そんなことはなく、特に後半は結構ノリノリでしたね。
そうそう、ご本人がFacebookで投稿していたので、1曲だけ何を披露したかが明らかになっています。はい、「ファスナー」を演りました。ミスチルの桜井さんの物まねっぽい感じ、何となく伝わりました。カバー曲も数曲披露しましたが、いくつかある有名な提供曲(何とかのムコウとか、何とかFaceとか…敢えて誰の何の曲とは言いません)のセルフカバーは演りませんでした。あと、セットリストの中で、ちょっとした秘密も明らかにしてくれましたね。へぇ…そうだったんだ…と頷きつつ、でも、正直言ってどっちも聴きたかったですよ私は。あと、本人名義ではない、某国営放送でも使われている有名なあの曲は当然演りました。色々思うところがあって、涙出そうになりました。

(一瞬「仕込みか?」と思わせるようなトラブルもありましたが)あらかじめ打ち込み(録音)されたものを流しながらの曲もありましたので、弾く曲全てミディアム~スローテンポというワケではありませんでした。

ただ、天井から吹いてくる空調の風が意外と涼しいというか冷たくて、それがちょっと気になったのが凄く癪でした。あと、190センチ近くあろうかというデカい男性が比較的真ん中あたりにいたんですが、致し方ないとはいえ、あの後方にいた女性陣はちょっと気の毒だったなあ。気のせいなのかも知れませんが、独りでやってきた男性陣は、コアなファンが多いんでしょうね。超満員でギュウギュウに近い状態の会場の中、狂ったように周囲にお構いなしで踊り始める人など、ステージ以上に気になる逸材がたくさんいました。毎回思うんですが、誰か一度「入場は背の低い順」というライブをやってもらえませんかね?

ステージ上には最初から最後まで1人しかいないという状況で、ツアーグッズも一切なし。だから最近では珍しく6,000円を切る低価格なチケットになったのでしょうか。変な話ですが、費用対効果は抜群でした。

ところで最近の音楽って、情景が目に浮かぶような曲が凄く減ったと思うんです。だから、流行っても心に響かないし、その時は「いい曲だな」って思っても、使い捨てのように忘れ去られてしまうという。

全ての曲がそうではないにせよ、彼の楽曲には情景が浮かぶような曲がたくさんあります。多分、下町に生まれ育った経験から来るものなのでしょうか。例えそれが淫靡であろうとも、僕はそういう楽曲の方が好きです。だって、心に響いてくるし、何よりも記憶として残るから。
ということで、一度観てみたいと思っていたアーティストのライブを思いがけず観ることができました。思い切って足を運んで本当に良かったです。

(一部敬称略)

伯父を訪ねて百五十里(後篇) - 第65回勝田全国マラソン

お届けしてきた第65回勝田全国マラソン、今回が最終回です。「中篇」に引き続き今日は38キロからゴールまで、そして大会全体を通じた完走…いや、感想など。最後なので、長いよ。
最初から読んでみたいという方は「前篇」からどうぞ。


38キロ付近の交差点を右折すると、勝田駅から伸びる片側2車線の昭和通りに出ます。前半の約5キロまでを走った区間に再び戻ってきました。一気に視界が広がり、いよいよゴールが近づいてきたようです。それにしても42.195キロ、長いなあ…。いい加減少し休みたいなあ…。

「あれ?Appleって書いてるんじゃない?」(伯父)
「あーっ!いたー!頑張れーっ!!」(従妹)

聞き覚えのある声にふと左側を見ると、何と伯父夫妻と従妹が手を振っているではありませんか!
「おおっ!ありがとう!」

ちなみに伯父は、先行するランナーがあまりにも多すぎて(恐らく1,200人前後が先行していたはず)、僕の姿を確認するまでは「本当に走っているのか?途中でやめたんじゃないのか?」と訝っていたらしいです。(苦笑)
そんなこととはつゆ知らず、この声援を受け、僕の中にあった悶々とした葛藤が完全に消えました。今までも声援を受けたことはありましたが、今回ほど声援が力になったことは今までなかったことでした。多分あそこで3人が声援を送っていなかったら、あそこに3人がいなかったら、僕はさらにペースを緩めていたかも知れないし、歩いていたかも知れません。3人の声援を胸に秘め、何事もなかったかのように再び力が漲り、ラストスパートといわんばかりにペースが上がります。よし、腹は決まった。今日も絶対最後まで走りきるぞ!

昨日の会話をふと思い出した39キロ付近。…ここだよ、きっとこの道路なんだよ。ここで父がねぷたを運行したんだよ。若干感傷的になりながら、父が練り歩いたであろう道を、30年以上経った後に僕が走っているという不思議な感覚。なんかうまく説明できなくてすいません。もう、ゴールしたら泣いちゃうんじゃないだろうか…。というか、既に泣きそうなんだけど。

坂を上っているようにも見える直線の道路、ここまで来ると全幅の信頼を寄せられるのは自分のみ。間もなく通過した40キロ地点で、文字通り尻に火が付きました。係員の人が「3時間3分経過!」と叫んでいるのです。30キロ以降は魔が差すと思い、全く時計を見ていませんでした。え?3時間3分台ということは、3時間10分を切るのは無理だとしても、このまま押したら15分は切れるんじゃないか!おっしゃ、行けるじゃん!
…がしかし、余力はほとんど残っていませんでした。足の裏も痛いし、もうイヤだ!…って、どっちだんずや!

それでも着実にゴールが近づいている41キロ付近。今度は「マカナエさん、ラストラスト!行ける行ける!」と声が聞こえてきました。声の主は、すぐにわかりました。スタートで声を掛けてくれたナオエさんの姿が右前方に見えます。思わず拳を振り上げます。

(ナオエさん撮影。)

その声を聞いて精一杯ペースを上げているつもりですが、大して上がっていないこともわかっていました。何人かのランナーには先行を許し、その後塵を拝しながら、右折。左手にはゴールのある石川運動ひろばが広がっています。ゴールは、まだか…ゴールは、どこだ…!沿道の人が一気に増え、声援が飛び交っていますが、全く耳に入ってきません。とにかく、ゴールを目指して余力を吐き出すのみ!

最後の左折、正面にはゴールゲートが見えてきました。黄色く枯れた芝生が柔らかくふかふかしていますが、何だか逆に走りにくいという。(ゴール手前、多分凄い変な姿勢で走っていると思います。写真が楽しみです。)
それはともかく、胸の「No Apple,No Life」を指さしながら、無事ゴール。

タイムは、3時間13分32秒。
昨年9月に記録した田沢湖マラソンの自己ベスト(3時間17分20秒)を4分近く更新して、3時間15分切りを達成。
き、切れた…。3時間15分、切った…。
46歳のバースデーランで、45歳の自分を超えた…。
しかしゴール直後、疲労困憊でしばらく動けず。

(これまたナオエさん撮影。)

ナオエさんが近くにやってきました。ちなみにナオエさんと僕とは同い年、ナオエさんは前日に誕生日を迎えたばかり。つまり、誕生日が1日違いなんです。
「お疲れさま!ナイスラン!」
「ありがとう!やった!3時間15分切れた!」
「自己ベスト?おーっ!すげえ!おめでとう!」

(46歳・亥年の二人)

一旦ナオエさんと別れ、更衣室のテントに向かうと、「あー!いた!」と、再び従妹の声。
何と、38キロ付近からわざわざゴールまで伯父夫妻と従妹が駆けつけてくれました。…もちろん車で。

「いやあ、凄いね。ホント凄いわ。ビックリだわ。」伯父は、完走証を眺めながら妙に感激している様子。
伯母も、「凄い、凄い」と喜んでいました。
「ありがとうございます!勝田で自己ベスト、出しました!鰻、効きましたよ!」とニヤリ。この瞬間、勝負メシが「とんかつ」から「鰻」に変わりました。…すいませんウソです。

12月から2ヶ月間の走行距離が累計600キロ近くまで達した中での約4分の短縮は、物足りないのか出来過ぎなのかはわかりません。ただ、正直ホッと安堵の気持ちも。何よりも伯父の目の前で「オレ、本当に走るんですよ。」という姿を見せることができました。多分この日、誰よりも伯父が一番驚き、そして喜んでいたような気がします。
せっかくなのでみんなで写真を撮ろう、と収めたのがこの一枚。

そこに涙はありませんでした。感傷的な気持ちよりも、むしろ晴れ晴れとした気持ち。この日、この大会に足を運ぶ理由は、ちゃんとあったんだ。この大会に出場して本当に良かった。心からそう思った次第。

そしてここで伯父夫妻、そして従妹にお礼を伝え、再会を約束して別れました。その後僕は、勝田駅に徒歩で先に向かい、後からやってくる予定のナオエさんと待ち合わせ。誕生日の贅沢ということで独りでグリーン車に乗車して、3日間我慢したビールで祝杯を上げ(周囲で飲んでいる人はほとんどいなかった)、一路上野へ。
そして羽田空港を経由して無事弘前に戻ってきたという1泊2日の行程でした。

さて、レースのおさらい。
勝田は比較的平坦で記録が出やすい、との前評判でしたが、走ってみたらそんなに平坦じゃなかったです。
風向きが違っていれば、こういう結果にならなかったかも知れません。特に「キモ」として捉えていた前半13~15キロに現れる下りと上り、そして30~35キロで連続するアップダウンと狭い道路は、結構精神的にも肉体的にも堪えます。そういう点で今回は、曇りがちだった天候と35キロからの追い風に助けられた感じ。

今回、いつものようなきめ細かい補給をしませんでした。これも試行錯誤の一環。
オフィシャルの給水エイドは40キロ以外は全部潰しました。前半はポカリスエットがメインでしたが、補給を開始したあとは水がメインでした。いつもは10キロから補給を開始するのですが、今回は15キロでアミノバイタルゴールド、28キロで私設エイドの水を頂きながらパワージェル梅、そして35キロでカフェイン入りのジェルを投入しただけ。この他25キロで塩熱サプリを1錠、26キロで練り梅を口にしました。25~26キロ付近の補給は、完全に足の痙攣対策です。この付近でふくらはぎや大腿部がかなりピクピク疼いていたので。これでも多すぎるぐらいかも知れませんが、正直、ラスト3キロで結構な空腹感を覚えました。ちなみに、発汗はかなりありましたが、風が冷たくてスポンジは一度も手にしませんでした。

そして何よりも今回、35キロからの大失速がありませんでした。後半はかなりムラがあったものの、35キロ以降からゴールまでで1キロ当たり4分40秒を切るペースを何とかキープ。30キロからペースがかなり落ち込んでいるような気がしていたので、正直このままズルズル行くのかな、という不安もありましたが、意外と余力が残っていましたし、35キロから追い風になったのも幸いしたようです。35キロ以降で再び盛り返した結果として、スタートのタイムロスを加味したいわゆるグロスタイムの結果では、スタートから中間地点までと中間地点からゴールまでのタイム差は、わずか1分15秒。スタートロスを差し引いたネットタイムでもその差を約2分半にとどめることができました。
これ、今回の最大の収穫です。

初めての経験となった手袋を着用したままでの給水も意外とスムーズに行うことができました。ただ、たっぷりと水が注がれた紙コップに気づかずに思わず手袋のまま指を水に突っ込んでしまったことが何回かあり、臨機応変な対応を求められたのも事実。
あ…正直言って、ひたちなか市そして東海村の水道水、薬臭い感じがしてあんまりおいしくなかったです。(苦笑)

(完走して受け取ったのは、タオルの代わりにミズノ製の長袖のTシャツ。長袖は結構珍しいです。でも、ランナーズチップは正直いらないっす。)

反省しなければならない点。
冬場ということもあって、なかなか外を走る気になれずトレッドミルを多用していましたが、結果としてこれまで絶対の自信を持っていた上り坂での失速が顕著でした。そして、その失速がその後の走りにもじわじわ影響を及ぼすこととなってしまいました。ここを踏ん張ることができれば、いよいよ次のステップが見えてくる気がします。

まあ、そういうことを総じて考えると、満足はしているものの、納得のいく結果ではなかった、かな。強いていうならば、詰めが甘かった。

しかしマラソンってホント難しい。走っている時に頭を使うと無駄にエネルギーを消費してしまうので、エネルギーの消費を抑えるため、極力脳を働かせずに頭脳戦に持ち込む、みたいな感じ。よくわからないですね、はい。ええと、だからこそこれまでどおり事前のシミュレーション、それも複数の戦術の検討やトレースは怠らないようにしよう、と心に決めました。

それにしても、恐るべし勝田全国マラソンでした。さすが歴史のある大会といえばいいのでしょうか、街を挙げての応援といえばいいのでしょうか、とにかく歓迎ムードが凄いです。どこかの街もホント見倣って欲しい!

(JR勝田駅)

勝田駅やスタート地点となった表町商店街では、横断幕や歓迎フラッグなどが掲出されている他、大会が終わった後のアフターサービスが非常に充実しているのです。例えばお茶屋さんの前では、無料で暖かいほうじ茶が振る舞われていました。思わず足を止めて頂いてしまいましたよ。これ、本当にありがたかったし、心に温かさが染みました。

飲食店は夜からの営業を繰り上げて午後から営業を開始しているところも多数あり、この日のための特別メニューなどが店先に貼られていたり、路面店のような形で焼鳥やビールなどの販売提供が行われていたりと、ちゃんと街にお金を落としてもらう仕組みを認識している感じ。
しつこいようですが、どこかの街もホント見倣って欲しい!!

さて、それはそれとして。
今回で昨年9月から3大会続けての200分切りを達成。最初の頃は、200分切りは「まぐれ」なのかな?と半信半疑でしたが、どうやら少しずつ、でも着実に地力が付いてきたみたいです。この先どうなるのかは自分でもわかりません。上ろうと思った階段は遙か向こうにあって、このまま踊り場状態から抜け出せなくなるのかも知れないし、案外あっさりと次の階段を上ることができるのかも知れない。いや、実はここが最上階なのかも知れないし…。しばらくは脚休めをしながら、次の作戦を練りたいと思います。

ということで今回、申し訳ないぐらいに最高で記憶に残る46歳の誕生日を迎えることができました。

今回お世話になった水戸の伯父夫妻やわざわざ来てくれた従妹、冬の遠征を承諾してくれた家族、会場でお世話になった皆さん、更には弘前公園ランニングクラブのメンバーをはじめ応援して下さった皆さん、本当にありがとうございました。
沿道で声援を送って下さったりエイドを準備して下さったひたちなか市や東海村の皆さん、そして勝田全国マラソンに参加された他のランナーの皆さん、そして大会に携わったスタッフやボランティアの皆さんにも、心から感謝申し上げます。お疲れさまでした。

後日、伯父からは当日の大会の模様を掲載した新聞の切り抜きと手紙が送られてきました。

「日頃の練習よりも”うな重”の力に驚きました。」
「あと1時間短縮すると、ぶっちぎりの優勝が出来る事を知りました。」

伯父、流石です。最高です。優勝は絶対無理ですが、もう少し頑張りまーす。
(終わり)

伯父を訪ねて百五十里(中篇) - 第65回勝田全国マラソン

前篇に続き、今回も勝田全国マラソンのお話。今日は「中篇」と称して、スタートから38キロ付近までを駆け抜けます。…まあ、実質の本編ですな。

(フィニッシュゲートを前に自撮り。この自信なさげな顔が全ての不安を物語っています。)

いよいよ10時30分、スタートの号砲と花火が打ち鳴らされました。わずか9メートルの車道に大勢のランナーが集まっているため、当然大混雑は想定の範囲内でした。しかし、号砲から約1分後にスタートラインを踏むと、その先は思いのほかスムーズに歩を進めることができました。

スタートしてすぐ、「マカナエさん、頑張って!」という声が聞こえました。振り返ると、翌週開催される「別府大分毎日マラソン」の調整のために、この日は10キロに出場予定のナオエさん。

「おお!行ってきます!」

ランナーで混雑する商店街を右折すると、勝田駅前から東に向かう5キロ地点付近までの道路は、しばらく片側二車線の車道が全面開放(ただし往路のみで、かなり進むと左車線を走るようサインあり)となっているため急に道幅が広くなり、一気にランナーがばらけます。この先もう一度右折があるので、日差しの当たりやすい左車線ではなく、敢えて右車線を走ります。人数からすると圧倒的に左車線を走るランナーが多いようです。よく見ると、あー、確かに不届き者がちらほらと。走って行くうちに、D,E,Fといったランナーがどんどん前方から現れるのです。そして、大体こういうランナーの中には右へフラフラ左へフラフラと何をしたいのかワケのわからない走りをし始める輩が出てきます。ハッキリ言って邪魔だし目障り!まあ、こんな不届き者どもにいちいち腹を立てても仕方がないし、彼らの相手をしている余裕はありません。1分1秒でも時間が削れるよう、せいぜい頑張って下さい。…そんな連中を嘲笑うかのように横目でチラリと見やりながら、ペースを少しずつ上げていきます。

…こういうことはあまり言いたくないんですけれど、ほんの一握りの不届き者、すなわちマナーやルールを守らない人の自分本位ともいえる行動が、何の関係もない他のランナーに多大なる迷惑を与えているということだけは、ちゃんと認識して下さいねホントに。

さて私、この日はノースリーブのインナーと半袖のTシャツにアームウォーマー、ショートパンツとゲイター(コンプレッション)というスタイル。この他キャップではなくバンダナにサングラス、そしてレースでは初となる手袋という出で立ち。シューズは、前回のさいたま国際マラソンで足裏に痛みを発症したadidasのTakumi Ren Boost2ですが、今回は中敷きを変えてみました。もちろん、前回の失敗を踏まえ、シューレースはしっかりと結んでいます。

なるべく何も考えず、無心に近い状態で走っていたので、実はあまり道中の記憶がありません。大会本部が用意した給水ポイント以外にもたくさん給水ポイントがあったこと、15キロを過ぎた辺りから応援が一気に多くなったこと、一人のランナーとしばらく併走を続けたこと…それぐらいでしょうか。

しかしその中でも、「キモ」と睨んでいたポイントをどう走ったのかだけは、しっかりと覚えています。
7キロ付近、鋭角の交差点を左折、それまでの南下から北上へと向きを変えた途端、予想どおり冷たい風、それも結構な向かい風が吹きつけてきました。
いわゆる風除けになりそうなランナーを探せばいいのか?それとも、ペース的にちょうど良さそうな集団についていけばいいのか?…しかし、いずれも適当なランナーが見つからず、ひたすら自分のペースで淡々と走り続けていました。向かい風ではありましたが、ペースをかき乱すほどの強風ではなかったのがせめてもの幸い。あとは、太陽の光があまり差し込んでこなかったことも幸い。この区間だけでどれぐらいの人を抜いたかはわかりません。(ちなみにあとで公式サイトの「応援navi」で順位を見てみると、スタート時点で2094番、ゴールの時は1046番だったようなので、トータルでは1,000人ちょっとのランナーを追い抜いたことに。)

呼吸は比較的落ち着いており、オーバーペースになっているというわけでもありませんでした。一つ目の紅白の鉄塔で10キロ、二つ目の紅白の鉄塔が見えてきたら15キロ。YouTubeで事前に確認していたコースの内容はしっかりと頭にすり込まれていました。
でも、この通りで一番厄介だったのは路面の轍。大型車もたくさん走る幹線道路だからなのでしょうか、タイヤ痕に合わせて舗装に大きな溝のようなうねりができているのです。それを避けるため、歩道寄りの端の方を走ってみたり、車道の真ん中を走ってみたり、どこを走るかちょっと悩みました。ただ、あまりフラフラすると他のランナーの迷惑になるので、前半はなるべく歩道寄り(結果的に他のランナーが風除けになった)、後半は車道のど真ん中を走っていました。

そんなこんなで間もなく13キロ付近からの急な下り坂、そしてその後に急な上り坂が待ち受けます。そこを抜けると15キロ地点を通過し、左折して西の方角に向かうので、向かい風から多少の追い風に変わるはず。
そしていよいよやってきた13キロ付近の長い急な下り坂でふと斜め左の方に目をやると、背後にどうやら僕を風除けにしてきたらしいランナーがいることに気がつきました。いやいや、別にいいんですよ。それだけ僕のペースは安定しているんだから、という自画自賛。しかし、長い下り坂を終えた時点で、わざとペースを落としました。僕の歩調に合わせて一瞬ペースを落としかけるも、あれ?というような感じでこちらをチラリと見ながら横をすり抜けるそのランナーさん。ハイ、今度は僕の風除けになって下さいね。その後も、「前に出て欲しいなあ」と言いたげな感じでチラチラとこちらに視線を送ってきます。思った以上にダラダラと続く上り坂、ここで若干ペースが落ちたのは明らかでしたが、上半身に意識を集中させ、なるべく脚を使わないことだけを意識していました。

ようやく長い上り坂が終わり15キロを通過、間もなく左折。少し前を走るそのランナーさんがちょっとだけペースを上げたのがわかりました。僕が風除けになっていた向かい風の区間は終わったので、申し訳ないけど今度はしばらく僕のペースランナーになってもらいましょう。
つかず離れずの微妙な距離感を保ちつつ、時々僕が前に出たり、逆にその方が前に出たり。お互い無言のまま、二人で引っ張り合いながら走っているような感じ。しばらくして中間地点を通過。1時間36分台。ううむ、後半の落ち込みを考えると、これでは3時間15分も怪しいかも知れない…。

結局そのまま25キロ手前まで、ずっとその方と併走を続けていました。左足の裏側が徐々に痛くなってきていたので、ペースが少しずつ落ちていたのは何となくわかっていましたが、この方のおかげもあって大体イーブンペースで引っ張ってこられた感じ。この間、色んな声援やエイドがあったとうっすら記憶があるのですが、走ることに集中していたのか、ほとんど覚えていません。そして、再び進路を東に向けると、やはり向かい風が吹いてきました。程なく25キロのアップダウン(なかなかの勾配がある常磐線の跨線橋)が現れ、ここで僕が若干ペースを上げたところで、それまで併走を続けてきたその方と離れ、一人旅が始まりました。…いや、一人旅とはいうものの、周囲には色んなランナーがいるので、一人ではないですけどね。

いよいよ、最後の「キモ」と考えていた27キロ付近からの右折左折が続く区間へと入ると、再び強い向かい風が吹いてきます。しかし、何度も右折と左折を繰り返し、その都度風向きが変わるため、途中からはどの方角に向けて走っているのかわからない感じ。頭の中に叩き込んでいたはずのマップも完全にグチャグチャとなり、両足裏もだいぶジンジンと痛んできました。そして、いつもであればこういうことをきっかけとして、30~35キロを過ぎてから大失速というパターンに陥るのですが、この日はまだ余力がありました。がしかし、35キロ手前でまたイヤらしいアップダウンの連続。これだと「さいたま国際」と大して変わりないじゃないか!平坦で記録が出やすいなんて、誰が言ったんだ?
ちなみに、30キロから35キロまでの5キロで、一気に1分近く(1キロ換算で10秒前後)ペースが落ちていたようです。

ようやく右折左折そしてアップダウンの連続が終わり、35キロ地点の手前で右折、向かい風から若干追い風気味の南下が始まりました。背中に風を感じたその時、何かのスイッチが入ったような感覚に陥りました。落としていたギアを入れ直したような感じ。この頃になると雲が少しずつ消え、晴れ間も覗くようになりました。肌寒さは感じられず、これは走っていて気持ちいい…と考えるようにしよう。どれぐらいのペースで走っているのかは全く時計を見ていないのでわからなかったのですが、あとで確認すると、35キロから40キロまでの5キロでは、逆に50秒近くペースが回復していたようです。
ところが38キロ過ぎ、残り約4,000メートルとなった辺りから、今度は脳が悪さをし始めます。

「ここまで頑張ったんだから、そろそろ歩いてもいいんじゃないの?うまくまとめれば、誰も何も言わないと思うんだけどな…。」

脚が痙攣する気配は全くありませんでしたが、いつもの葛藤が始まりました。正直、歩きたい。でも、早くゴールしたい…。一体どっちだ?いや、どっちもだ!

無心のつもりだった心の中でもブレが生じ始め、いよいよ限界が近づいてきたようです。悶々としながら交差点を再び右折し、いよいよ勝田駅からの大通りへと再びやってきました…と、その時!

「あれ?Appleって書いてるんじゃない?」
「あーっ!いたー!頑張れーっ!!」
(続く)