Monthly Archives: 5月 2017

鉄道にまつわる思い出話(その1・ちょっとマニアック)

東北新幹線の大宮~盛岡間が暫定開業してから間もなく35年。東日本エリアに関しては、新幹線網が蜘蛛の巣のように拡散され、それとともに寝台特急や在来線特急が姿を消していきました。
かつては青森県内も、数多くの特急や急行が走っていましたが、2017年5月現在、「特急」の冠を被って走行する在来線の定期列車は、青森~秋田間の特急「つがる」のみとなってしまいました。

先日、サッポロビールが、日本の鉄道のヘッドマークチャーム付「ヱビスビール」と「ヱビスマイスター」を全国のコンビニエンスストア限定で4月26日(水)以降順次発売することを発表しました。

第3弾となる今回は「エル特急」がテーマ。たまたまコンビニで昔は青森~上野、東北新幹線の暫定開業後は弘前・青森~盛岡間を走っていた「はつかり」のヘッドマークチャームが付いた缶ビールを発見し、思わず購入してしまいました。

第1弾と第2弾は寝台特急をテーマとしており、とある列車を除いて青森県内を走っていた寝台特急のヘッドマークを全て入手していたことから、それらを並べながら色んなことを思い出していました。さて、この「エル特急」はこれで終わりとなるのか、それとも、今後また拡がりを見せていくのか…(秋田新幹線の前身だった「たざわ」や新潟と北東北を結んだ「いなほ」、エル特急ではないけれど「白鳥」など、登場していないヘッドマークがありますので…)。

僕の場合「乗り鉄」でもなければ「撮り鉄」でもなく、強いて言うならば「見る鉄」といったところでしょうか。今でこそランニングのネタをブログに投稿していますが、幼少の頃は筋金入りの超運動音痴。よってアウトドア派というより完全なインドア派、国鉄のダイヤ改正の際には時刻表を購入して、「青春18きっぷ」の空想旅行を、北海道や東日本、時には紀伊半島の辺りまで足を伸ばして楽しんでいました。…いや、あくまで時刻表を眺めながらの空想なんですけど。漫画雑誌には一切目もくれず、月に一度発行される「鉄道ジャーナル」が愛読書でした。
こんな感じでしたので、僕はオタクやマニアの部類ではない!と言いたいところですが、今でも鉄道ネタに何となく心ときめくのは事実ですし、昔の記憶は結構残っているものです。結局、そういう部類なんでしょうね。多分こんな話、誰にもしたことがないので、結構なカミングアウトかも知れません。今日は、その伏線となった昔のお話をしようと思います。
なので、興味のない方にはちっとも面白くない話。ごめんなさいね。

母の実家は、旧北秋田郡合川町(現:北秋田市)の合川駅前にあります。家のすぐ裏を、旧国鉄阿仁合線(現:秋田内陸縦貫鉄道)が走っており、まるで庭を横切って列車が走っているような感じでした。幼い頃、母の実家に遊びに行くと、踏切の音が聞こえるたびに決まって二階に駆け上がり、走って行く列車(3両~4両編成のディーゼル車だったり、ディーゼル機関車に引かれて走る、杉の丸太を積んだ貨車だったり)を眺めていました。既にその頃から鉄道のことが大好きで、小学1年の頃には、弘前駅から約2時間半を掛けて母の実家のある合川駅まで列車を乗り継いで独り旅をしていました。

まだ駅舎内に鳩が飛んでいた時代、自動券売機もない弘前駅の有人窓口で「合川まで子ども1枚」と切符を購入するところから始まり、16時30分前後に出発する秋田方面(酒田行きだったり、院内行きだったり)への鈍行列車に乗り込むため、3番線ホームへの階段を駆け上がり、青色と茶色の客車が連なった鈍行列車に乗車した後は、同じボックス席に座った乗客から決まって「僕、どこまで行くの?」と話しかけられました。「合川まで!」と答えると驚かれ(それは、合川がどこなのかわからず驚いていたのかも知れません)、「お母さんは?…えっ?ひ、一人で行くの?」と必ず聞かれ、「気をつけてね」と、お菓子や冷凍ミカンを頂くという、実にのどかな旅でした。当時の客車は乗降口の扉が手動だったので、車掌から「走っているときはデッキに出ればマネよ(駄目だよ)」とあらかじめ諭されたこともありました。別に車内をはしゃぎ回っていたわけではありませんし、むしろ車窓の景色を眺めるのが楽しくて仕方なかったんですけどね…。
途中の大館駅では、20分ぐらい停車するのが当たり前で(今思えば荷物の受け下ろしがあったような気がします)、花善の鶏めし弁当を販売する売り子の声がホームに響いていました。ちなみに僕が4歳の時に亡くなった母方の祖父は、必ずと言って花善の鶏めし弁当をお土産に持参してきたそうです。
鷹ノ巣駅では、列車が到着する同じホームの反対側、1番線に停車中の阿仁合線(比立内行き)に乗り換えます。当時はまだクリーム色と朱色のツートンカラー、いわゆる国鉄色と呼ばれるカラーのディーゼル車(確かキハ22形とか)が走っていた時代、扉も半自動で、手動で開ける車両が多かったように記憶しています。床もまだ板張りだったような気が。

時々急行タイプのキハ58系(キハ28系)が編成に混じっていることがあり、その時は、我先にと言わんばかりにその車両に乗り込んでいたことも覚えています。その後、車体の色がオレンジに塗られた車両に入れ替わり、阿仁合線が廃止される直前にはキハ40系が投入され、その頃には編成がオレンジ色の車体ばかりになっちゃって…って、何のことだかさっぱりわからないですよね。すいません。
話を戻しますと、阿仁合線に乗車した後は、僕が乗車してきた奥羽本線の鈍行列車が先発するのを、赤い機関車のけたたましい汽笛の音に怯えながら見届け、程なく出発したディーゼル車にガタンゴトンと揺られること約20分、鷹ノ巣から3駅先の合川駅に19時頃に到着、駅では祖母や伯母と従姉が待っている、という光景。
本当に小さな駅ではありましたが、あの頃は待合室にKIOSKもあったんですよね。かれこれもう、40年近く前のことなんだなあ…。

一度とても怖い思いをしたことを妹も僕も未だにハッキリ覚えていて、時々語り草にしているんですが、妹と二人で母の実家に向かっていた時、一人のオッサンが大館駅から乗車してきました。そのオッサンがやたらと酒臭く、決して悪気はないのでしょうけれど僕たちの座っていたボックス席に腰掛け、興味深そうに話しかけて来るのです。丸刈りで細身で酔っ払い、パッと見るとちょっとヤバそうな、そんな雰囲気。明らかに酔っていたため誰も注意することなく車内の空気が何とも言えぬ雰囲気になり、だんだん怖くなって鷹ノ巣駅に到着するかなり前から二人でデッキに立って鷹ノ巣駅到着を待ち、列車がホームに着くなり猛ダッシュで阿仁合線の列車へ乗車、女子高生のお姉さん方が座るボックス席の空席に慌てて座りました。
ところが、何とそのオッサンも同じ列車に乗り込んできたのです。さすがにこの時ばかりはドキドキがピークに達し、泣きたくなりましたが、オッサンが隣の車両に移動するのを隠れるようにして見ながら、妹と胸をなで下ろした、ということがありました。

弘前に向かう帰りは、まだ幼い妹を背負った母か、祖母が一緒でした。祖母は国鉄職員の伯父の1親等の家族ということで国鉄からの優待券を保有しており、それがまた妙に羨ましかったことを覚えています。
鷹ノ巣駅から乗車する弘前への列車は急行が圧倒的に多く、秋田から青森に向かう急行「むつ」がほとんどでした。たまに上野からの急行「津軽」ということもありましたが。
急行「むつ」に乗車した時、他の車両は立ち席が出るほどの満席なのに、やたらと空いている車両があるなあ、と思って乗車したら、実はそれはグリーン車だった、ということがありました。当時は急行でもグリーン車が連結されていたんですね。車掌に咎められ、慌てて車両を移動した記憶が今でも残っています。しかしあの頃は、結構な数の車両編成だったはずですが、それも満席になるほどでしたから、今のように道路が発達する前、鉄路は重要な移動手段だったと言えるでしょう。
急行「津軽」での楽しみは、車内販売のアイスクリーム。当時、急行ながら車内販売が行われており、かなり高価な濃厚ミルクのアイスクリームは、今まで食したどのアイスクリームよりも一番美味でインパクトがあったかも知れません。小学校高学年となり、妹と二人で弘前に帰る時は、祖母から「(アイス)クリームでも買って食べなさい」と渡されたお小遣いの千円札で、ホントにアイスクリームを購入していたという…。

今は車両の電車化、そして速達化によってボックスシートがベンチシートになり、鉄道で旅情気分を味わう機会も大分減ってしまったように思われます。
そう考えると、あの頃の鉄道旅はホント楽しかったなあ…。という個人的には実に懐かしいお話。
鉄道旅行にまつわるほろ苦い思い出もたくさんあるのですが、それはまた機会をみて紹介できればいいな、と思います。

(多分小学4年生の頃、妹と合川駅構内をバックに。)

山下達郎 PERFORMANCE 2017 青森公演を観てきました。

過去の記事を辿ったところ、山下達郎の公演に足を運ぶのは今回で5度目。
自分で足を運んだライブ・コンサートについては、なるべく熱の冷めないうちに備忘録としてこのブログに記録を残すようにしていますので、今回も記述できる範囲で残しておこうと思います。
まだまだツアーが続きますので、ネタ晴らしは極力しない方向で。

公平性を保つという観点からなのでしょう、チケットは毎回抽選販売となるのですが、今回も何とかゲット。しかも、送られてきたチケットは1階の比較的良席。ただし徹底した転売防止対策から、これまで以上に入場方法が厳しくなっており、チケットに記載された名前の人以外は入場ができないというお触れが同封されていました。チケットを販売しているウェブサイトでも注意喚起がされ、公演前日にはメールまで送信されてきました。事実、今回の青森公演においても本人確認ができずに入場できなかったという人がそれなりにいた、というお話を翌日になって聞きました。(青森在住Sさんから画像も提供頂きました。ありがとうございました。)

前述のとおりチケットには入場者の名前があらかじめ記載されており、入場の際には本人確認が行われます。「顔写真付き身分証明書」の持参は必須、ない人は事前に用意しろ、社員証の類はNGよ、とのこと。
こうやって見るとかなりの強硬策とも取れますが、実際、以前のコンサートのMCでもこの転売に対する不満を口にしていて、ちょうどその前後からオークションでのチケット転売が減り、かつかなり入場でも厳しい本人確認を行うようになったような気がします。

一方、そのことが違う問題も生み出しており、例えばサザンオールスターズのコンサートでは入場までに長時間を要した結果、熱中症で倒れる人が続出する、なんてこともありました。
確か僕自身、初めて本人確認を求められたのがサザンオールスターズのコンサートで、その時はそんなに厳しいものではありませんでした。また、浜田省吾のコンサートでは会場に到着するまで座席がわからず、本人確認の後で席番号の記載されたチケットを印字され、その番号を見てかなり困惑したことを覚えています。

本人確認を行います、ということは、本人が当日どうしても行くことができなくなっても、代役を立てることは不可、ということ。チケットの返金ももちろん行われません。よって、コンサート当日までに自分自身の体調管理を万全に保つことは、最低限かつ最大のノルマ、と言っていいと思います。

さて、今回の入場については本人確認が徹底されているということをお話ししましたが、本人確認の後に、腕にリストバンドを着用します。

終演まで外すことを許されないこのバンドの着用も、念には念を入れてのことなのでしょう。しかし、このリストバンドを巻いていれば、会場の外に出ることもできるし、このリストバンドをしていることで再入場も可能、とのこと。実は僕の同行者(妻)、「私、これならリストバンドが抜けるわ。」と口走るぐらいこのリストバンドの巻き方が緩々で、対策として万全なのかどうか、と言われると、ちょっと「?」なところもあったこともここに記しておきましょう。(だったら最初から「終演まで退場した場合、再入場できません」でいいような気が…。)

さて、ツアーのお話。青森での公演は1年5か月ぶり、約2,000人の会場はもちろんソールドアウト。今回のツアーは春から始まり、今回で13本目。(リストバンドの丸数字も13公演目を意味しているものと思われ。)
8月まで全国49本のツアーが組まれており、延べ10万人の動員が見込まれるとのこと。チケットが9,000円ですので、これだけで最低でも約9億円のお金が動くという…(あ、下世話な話ですいません。)

18時開演のところ、約5分遅れで開演。いよいよ2017年のゴールデンウィーク、最大のメインイベントが始まりました。

【すいません、ここから詳細については秘密、ということで。】

セットリストについては触れませんが、ツアーメンバーは安定の顔ぶれ。客席は50代前後の人が圧倒的に多く、僕らも含めてリピーターの方は結構いるようで、ステージの楽しみ方を心得ているような感じでした。

楽しみ方をざっと挙げますと…
・1曲目から総立ちでノリノリ…ということはありません。あり得ません。(本人も「そういうステージは演らない」とのこと。)
・ちなみに1曲目と最後の曲はほぼ毎回一緒です。なので、無駄にアンコールを求めることもしません。
・毎回外さない定番の曲(ギネスの記録を作った曲、とか)が幾つかありますが、久しぶりに演奏する曲や他アーティストへの提供曲、カバー曲も演奏します。
・演奏している曲の間奏では、この日演奏しない楽曲をちょいちょい挟んできます。
・心臓にはクラッカーを。指鉄砲では足りません。

ツアー再開後、今のツアーメンバーでほぼ固定されている中、これまでのツアーで演奏した曲のレパートリーは約80曲、持ち歌の約3分の1を披露したのだそう。

毎回コンサートの前に、当日のセットリストを予想するのが楽しみなのですが、今回「この曲、いつか聴きたいなあ」と思っていた曲を思いがけず聴くことができました。結構始まって早い段階で演奏されたその曲を聴きながら、絶対に聴くことはないと思っていたので、不覚にも落涙してしまいました。

双璧のような楽曲、こちらを演奏すればあちらは演奏せず、みたいな楽曲がいくつかありますが、今回はことごとく裏をかいてきた、そんな感じです。…これも、泣きました。

そしてもう1曲。これは口が裂けても言えませんが、これはあまりにも衝撃的過ぎて、開いた口が塞がりませんでした。これからツアーをご覧になる皆さん、お楽しみに。

ということであっという間の3時間10分、至れり尽くせりの大感動コンサートでした。
入場の際は絶対に本人じゃないとダメですし、誰かにチケットをプレゼントするのであれば、その方のお名前がチケットに記載されるように留意しましょう。オークションではチケットの転売がされていないような気配ではありますが、くれぐれもオークションでは購入しないように。それは、本人が望んでいないことなので。

それにしても今回のツアー、願わくばもう一回観たいなあ。

『Purple Rain Deluxe』 発売決定!

プリンスと言えばパープル・レイン。パープル・レインと言えばプリンス。

2016年4月に旅立ったプリンスの代名詞とも言うべきこの作品、僕と同じ世代もしくはその前後の世代の皆さんであればご存じのとおり、映画もアルバムも大ヒットを飛ばし、プリンスにとって確固たる地位を築く作品となったことは、今更説明するまでもないでしょう。
発表から30年を経た2014年、「パープル・レイン」30周年の記念盤を発表する、という公式アナウンスがありました。しかも、プリンス本人によるリマスターが施され、アルバムには収録されなかった劇中歌(他のアーティストの楽曲も含む)も収録された、超デラックス盤になるらしい、という噂も飛び交いました。

発売されると噂されてはお蔵入りとなるケースが非常に多かったプリンスの作品にあって、本人からのアナウンスだったこともあり、この作品ばかりは非常に信憑性の高いものとして認識されていました。
ところが、いざ蓋を開けてみると、発表から1年経っても発売される気配はなく、結局またしてもお蔵入り。

「あー、またですか…。」とあまり気に留めていなかったのですが、作品そのものは存在しているという認識はずっと燻っていたような気がします。

そしてそして、何とプリンスが旅立ってから(すいません、「亡くなった」という表現をどうしても使いたくないのです)発表されたベストアルバムの「4Ever」、この発表のタイミングでワーナーから「パープル・レイン」のデラックス盤を発表するというアナウンスがありました。(しかもそれ以外に「未発表音源からなる、すばらしい2つのアルバム」と「完全なコンサート・フィルム2作」を発表するとのアナウンスもあり。)

http://bmr.jp/news/174059

このデラックス盤、当初2017年6月7日(プリンスの誕生日)の週に発売するとのアナウンスでしたが、最終的には2週間ずれこみ、2017年6月23日に発売決定となりました。

まあ、僕がここで説明するより、この記事に詳細が記載されていますし、プリンスファムの皆さんは既にご存じのことと思いますので、敢えて説明は割愛しますね。

http://bmr.jp/news/178404

僕自身、この作品が発表された1984年は確かまだ中学2年生ぐらいだったのですが、プリンスには興味がないどころかむしろ嫌悪感を抱いていた時期でもありました。金切り声を上げるような歌声や胸毛をさらけ出しながらクネクネと踊る姿、そして、妙にギラギラしたあの眼力。ハッキリ言って「気持ち悪い」以外の何者でもありませんでした。
だから、僕の中ではしばらくの間、プリンスという存在、そしてたびたび耳にすることとなったパープル・レインからの楽曲が、目障りかつ耳障りだったということは、今だから明かす事実。

その後、1986年に発表されたアルバム「パレード」を聴いて僕のプリンスに対する意識が180度変わるわけですが、「パープル・レイン」のアルバムをまともにちゃんと聴いたのは、大学生になってからじゃなかったかと記憶しています。大体にして、「パープル・レイン」を聴く前に先にブート盤(「ブラック・アルバム」)に手を出していたんですから、すいません。僕のプリンス歴なんて、そんなものなのですよ実は。映画作品をまともに観たのも、大人になってからのことでした、実は。

僕にとってはそんな深い思い出もあるわけじゃない、と言ってしまえばそれまでですが、プリンスにとっては前述の通りこの作品で地位を確固たるものにしたわけですし、その後拝見した数度のライブでも、このアルバムのタイトルナンバーは、一つのハイライトとなりました。それは、例えにはならないのかも知れませんが、山下達郎の「クリスマス・イヴ」と同じぐらい、あまりに定番すぎてライブでは絶対に外すことのできないナンバーだということ。(それは、このアルバムの冒頭を飾る「レッツ・ゴー・クレイジー」も同様。)

ということで今回のこの作品、何も説明しないのもちょっとなあ、ということで少しだけ。
噂されていた他のアーティストの劇中歌まで網羅した「完全盤」とはなりませんでしたが、2種類の作品が発売されるとのこと。エクスパンド・デラックス盤は、35曲が収録された3CDに過去にVHS及びLDのみで発売されたDVDが同梱されるというボリューム。1枚目が「パープル・レイン」のプリンス本人によるリマスター、2枚目が未発表曲等を収録した「From The Vault & Previously Unreleased」、3枚目がシングルカットされたバージョンやB面曲を収録した「Single Edits & B-Sides」と、「パープル・レインのアルバム」を楽しむという点では、十分過ぎるぐらいの内容になっているのではないでしょうか。
ちなみに「通常盤」のデラックス盤は、この1枚目と2枚目がパッケージされた2枚組のCDとのことですが、どちらを買うべきかは敢えて言うまでもないですよね。

Disc One: Original Album (2015 Paisley Park Remaster)
1. Let’s Go Crazy
2. Take Me With U
3. The Beautiful Ones
4. Computer Blue
5. Darling Nikki
6. When Doves Cry
7. I Would Die 4 U
8. Baby I’m A Star
9. Purple Rain

Disc Two: From The Vault & Previously Unreleased
1. The Dance Electric
2. Love And Sex
3. Computer Blue (“Hallway Speech” version)
4. Electric Intercourse (studio)
5. Our Destiny / Roadhouse Garden
6. Possessed (1983 version)
7. Wonderful Ass
8. Velvet Kitty Cat
9. Katrina’s Paper Dolls
10. We Can Fuck
11. Father’s Song

Disc Three: Single Edits & B-Sides
1. When Doves Cry (edit)
2. 17 Days
3. Let’s Go Crazy (edit)
4. Let’s Go Crazy (Special Dance Mix)
5. Erotic City
6. Erotic City (“Make Love Not War Erotic City Come Alive”)
7. Purple Rain (edit)
8. God
9. God (Love Theme From Purple Rain)
10. Another Lonely Christmas
11. Another Lonely Christmas (extended version)
12. I Would Die 4 U (edit)
13. I Would Die 4 U (extended version)
14. Baby I’m A Star (edit)
15. Take Me With U (edit)

DVD: Prince And The Revolution, Live at the Carrier Dome, Syracuse, NY, March 30, 1985
1. Let’s Go Crazy
2. Delirious
3. 1999
4. Little Red Corvette
5. Take Me With U
6. Do Me, Baby
7. Irresistible Bitch
8. Possessed
9. How Come U Don’t Call Me Anymore?
10. Let’s Pretend We’re Married
11. International Lover
12. God
13. Computer Blue
14. Darling Nikki
15. The Beautiful Ones
16. When Doves Cry
17. I Would Die 4 U
18. Baby I’m A Star
19. Purple Rain

…あ、余談ではありますが、昨年12月に他界したジョージ・マイケルの「LISTEN WITHOUT PREJUDICE vol.1」の25周年記念盤は、亡くなる前から発売がアナウンスされていましたが、残念ながら発売中止になってしまったようです。30周年まで待たされることになるのでしょうか。ガックリ。