初めての生前葬 ~葬儀委員長としての備忘録~

「オラ、3月で退職することにしたハンデ。それで、生前葬やりたいんだよ。オメ、葬儀委員長頼むな。」

冬も近くなった昨年の秋のことだっただろうか、飲んでいる席でのJさんからの突然の発表に耳を疑い、言葉を失った。Jさんは御年58歳。定年まで2年を残しての早期退職。以前から早期退職を希望しているお話は聞いていたので、ああ、とうとう決意されたのだな、とさほど意に介さなかったのだが、さすがに「生前葬」の開催と「葬儀委員長」の指名には面を食らった。

きっとJさんなりの冗談なのだろうと思っていたのだが、次から次へと溢れ出る「生前葬」のプランに閉口し、そして、これは本気で「葬儀委員長」を務め上げる腹を括らなければならないと覚悟を決めた。

学生の頃は宴会場でアルバイトをしていたので、冠婚葬祭のしきたりはそれなりに身についているつもりだったし、葬祭にはこれまで何度も参列したことがある(仏事も神事もキリスト教も)。ついでに言えば、親父の時は喪主も務め、義父を送ってまだ1年も経っていなかったから、葬祭の一連の流れは頭に入っている。

が、しかし。さすがに生前葬には参列したことがないし、周囲でも執り行ったという話を聞いたことがない。「わかりました。」とその重責を引き受けたまではいいが、果たして何をしていいのやら、ちんぷんかんぷんだった。これは、えらいことになったかも知れない。

Jさんと僕との付き合いはかれこれ20年以上となる。平成5年4月に僕が社会人デビューを果たした際に、社会人としての「いろは」、公僕としての「にほへと」を叩き込んでくれたのが、僕の隣に座っていたJさんだった。つまり、今でいうところの新人トレーナーのような役割を担っていたのがJさんだったのだ。そのJさんが退職するということは、僕にとっては恩師が退職するようなもので、意に介さないとは言いながらも本当に大きな出来事だった。だから、Jさんから生前葬をやりたい、お前に葬儀委員長を頼む、といわれた時は、正直言ってこんなオレでもちょっと頼りにされているのだと思い、とても嬉しかった。

時は流れ、 3月いっぱいで予定通りJさんは退職、第二の人生のスタートを切った。その後も幾度となく「生前葬」に向けた打ち合わせを兼ねた飲み会が催されたが、相変わらずJさんからは「頼むじゃ、葬儀委員長」と言われるだけで、何をどうしたらいいのかわからないままだった。

しかしこの間Jさんは、来るべきその日に向けて、知らぬ間に着々と準備を進めていた。そして、7月30日(土)にホテル青森でJさんの「生前葬」を行うことが正式に決まった。

最後の打ち合わせは、7月半ばになって行われた。僕がJさんから依頼されたのは2つ。

まず、フェイスブックにイベントページを立ち上げ、参加者を募ること、そして、会場のスクリーンに投影する「祭壇」の画像もしくは動画を作成すること。この時点でJさんは、座席表やチラシなどを作成し終えていた。一方、僕がやっていたことといえば、当日のシナリオの素案作成ぐらいだった。

でも、結果としてこのシナリオの素案があったからこそ、その後の準備に戸惑うことがなかったというのも事実。曹洞宗のお寺から本物の僧侶を導師として招いて読経してもらうので、この間の粗相さえなければ、あとは何とかなるはずだという、根拠のない確信を抱いていた。

あっという間に時間は流れ、この間もJさんから追加提案される「お願い」に応えるべく、週末の時間を準備に割くようになった。そして、イベントページには続々と参加申込がされ、1週間前には参加者募集を締め切る事態となった。恐るべし、Jさんのお人柄。

そして本番前日となった29日、この時点ではシナリオはほぼ完成していたのだが、帰宅したあとにふと思いついたことがあり、その翌日、つまり本番当日になっておもむろに作業を開始。

簡単に言うと、フェイスブックのJさんの個人ページからネタとなる画像を集め、それを繋ぎ合わせ、音楽に乗せて流すというもの。つまり、Jさんのちょっとした回顧録みたいなものを作ってみようと考えたのだ。ベースは、ここ数年にわたり毎年作成している弘前公園RCの新年会で披露する動画。このベースをうまく使いながら、それほど労せずして約3時間で動画の完成まで漕ぎ着けた。会場でのウケはともかく、やるじゃんオレ。

ただ、この動画についてはそもそもシナリオに書いていないので、どのタイミングで流すかを考えなければならない。

Jさん一人に観てもらえばそれでいいや、というものでもないし、せっかくならば是非皆さんにも観て頂きたい。ここだけは葬儀委員長の特権というか我が儘ということで、乾杯直後に流すことにした。

会場のホテル青森に着いたのは、15時20分。まずは15時30分から先行して行われるイベントに参加し、そのあと同じ会場で19時から生前葬が行われる、という流れだった。

イベントは17時30分過ぎに無事に終了、いよいよ生前葬の準備が始まった。

葬儀委員長といっても司会進行役がメインなので、まずは導師を務めるNさん(本物の曹洞宗の僧侶です)と打ち合わせ、読経から説教までの流れ、「弔辞、弔電披露」のタイミングを確認。「祭壇」が投影されるスクリーンの前には戒名(といっても菩提寺ではないので、あくまでも「仮」のもの)や木魚などが用意され、その前には「遺影」や供物が並ぶ。中には、Jさん大好物の「卵焼き」まで…。ここにないのはロウソクと線香ぐらいだろうか。

13902761_1071538599599255_325711363384466567_n

あとは、青森ヒバで製作された、一見すると本棚のようなんだけど実は棺桶という代物を設置する位置を決め、PCには開式前のスクリーン(画像)と、祭壇の動画、そして秘密裏に製作した動画の動作確認を行った。Jさんは興味津々で動画を観たがったが、開式後のお楽しみということで我慢してもらった。

18時30分頃から参列者が続々と一輪の花を持って入場。献花台に花を供え、その横に立つJさんに挨拶。「いやあ、何て言えばいいの?御愁傷様でもないし、何だろうね?」とJさんに笑いながら話しかけるも、明らかに戸惑いを隠せない参列者。当のJさんもどう対応していいのか、ちょっと困っている感じ。

わがります!たげわがるんだって皆さんのその気持ち!

僕だってどうやって進行すればいいのか、開式20分前だけど未だに悩んでいるんだから。

参列者は15時30分からのイベントに参加していた人が半数以上だったため、18時50分頃にはほぼ座席が埋まっていた。参加募集を打ち切ったにもかかわらず、飛び込みでの参加もあり慌てたが、欠席者も出たため、結果としては帳尻が合う格好に。

18時55分、いよいよ葬儀委員長、というか司会である僕の出番。まずはお約束とばかりに携帯電話やスマートフォンの電源についての注意喚起をアナウンス。そして、Jさんの略歴を簡単に紹介。やはり慣れない司会のため、少し緊張しているのが自分でもわかる。その緊張の主たる要因は、一体どういうトーンで進めればいいのだろうかという、迷いにあった。

いや、あくまで生前葬は「儀式」なのだから、厳かに行こう。声のトーンを少し低めにし、しかしアドリブで参加者がクスッとするようなエッセンスを加えながら、淡々と進めていこう。これで少し吹っ切れた。

19時、導師であるNさんが入場し、着席。開式のアナウンスを告げたあと、いよいよ読経がはじまった。タイミングはバッチリである。そして、不似合いな場所に響き渡る木魚と鐘の音。僕の隣には、神妙な面持ちをしたJさんがいる。何だかその不思議な光景に、思わずニヤついてしまう。

13886479_1071547392931709_9184782988612761409_n(導師様の奥に直立しているのが、本棚ならぬ棺桶!Jさんご本人の旅立ちの際に、使うつもりなのだとか。)

本日限りの仮戒名が読み上げられると、会場から笑いが起こる。うん、これぐらいの雰囲気がいい。厳かな儀式の中にも笑い。これでいいのだ。そして、お二方から「弔辞」が披露された。弔辞を読み上げる方も、神妙な面持ちながらどうすればいいのだろうかという戸惑いが感じられたが、Jさんへの愛と尊敬の念に溢れた弔辞の内容に、Jさんが思わず落涙するという光景を目の当たりにし、思わずこちらまでもらい泣きしそうになった。

13891994_1071547376265044_7574720114772358831_n(皆さんも神妙な面持ちで読経に耳を傾けています。)

来ないと思っていた「弔電」が一通届いていたのでこれを披露した後も、儀式は粛々淡々かつ滞りなく進められ、説教を終えた導師が退場することとなった。ここでアドリブを利かせ、会場の皆さんの拍手で見送ることとした。導師様、笑いながら退場。普通の葬祭ではありえないでしょう?これ。

そんな感じで、厳かな中にも笑いと涙が入り交じった生前葬が無事に終わり、「お斎」(おとき)の時間がスタート。

本来であれば故人の冥福を祈り、献杯を捧げるところだが、新しい第二の人生の門出を祝う、という意味も込めて、乾杯。

そして、葬儀委員長の特権発動ということで、例の動画を流した。僕は反応が怖くてその場にいるのも耐えられず、思わず後ろの方から様子を眺めていたのだが、早く飲食したいであろう皆さんが手を止めて真剣にスクリーンを見てくださっているのが、ちょっと嬉しかった。約6分間の動画が終わると、自然と拍手。いやあ、受け入れてもらえて本当に良かった。

「祭壇」の前には、棺桶が置かれている。参加して頂いた皆さんにも自由に納棺体験してもらおうという趣旨。こちらも最初は戸惑いが感じられたが、食事とアルコールが回るにつれ、続々と興味を示す人が増え、棺桶の中に横たわる人たちの撮影会が始まっていた。

Jさんは各テーブルを回り、御挨拶を続けていた。周囲を見回しても20代から60代までと参列者の顔ぶれはさまざまで、見ているこちらがワクワクしてしまうぐらい。

僕はひとまず大きな役目が一段落したので、呂律が回らなくなる手前ぐらいまでビールを飲み続けていた。

そして21時25分、主役であるJさんから挨拶。既にこの時点で2割程度の方が帰られていたが、残り8割の方はJさんのお話に真剣に耳を傾けていた。

ふと背後を見ると、お構いなしで納棺体験をしている人達もいたけれど、それもご愛敬ということで。

21時30分過ぎに、無事「おひらき」となり、この日の生前葬は幕を閉じた。何せ誰もやったことがない不慣れな司会ということで粗相もたくさんあったと思うけれど、点数をつけるとするならば、80点ぐらいはあげてもいいんじゃないだろうか。…あ、生前葬の司会、ご用命があれば承りますよ(笑)。

生前葬の内容はこんな感じだった、ということで最後、総括しよう。

葬儀委員長の役目を終え、参列した皆さんと挨拶を交わしながら、僕は生前葬の意義を考えていた。Jさんが仰っていたとおり、亡くなってからだと自分が会いたいと思った人にも会えない。だから生前葬を行って、前もって会いたい人に会って感謝の意を伝える、という考え方、もの凄く共感できる。

僕個人としては、Jさんが退職し、第二のスタートを切るに当たっての節目、言わば「退職祝=生前葬」という位置づけで捉えていたところもあった。だから動画の最後に感謝の意を込めたメッセージを添えたし、それは僕なりのささやかな贐のつもりだった。他意はないのかも知れないけれど、今回「葬儀委員長」の指名を受けたことの意味を噛みしめながら、Jさんの「遺志」を継承していかなければならないな、と、ほんのちょっとだけ考えた。

参列された方からは、「生前葬、私もやってみようかな。」という声が数多く聞かれたのも事実。「葬」という言葉に惑わされてネガティヴに捉えるのではなく、むしろポジティヴに生前葬という形を捉える人がたくさんいたように思える。生前葬には、これだという形式的なカタチはない。裏を返せば、送って頂く方(すなわち主役)が自由に段取りを決めることができるし、いくらでも口を挟むことができる。生きている以上は必ず訪れる「死」。それをどういう形で受け入れるかということにも繋がって行くのかも知れないが、「生前葬」は間もなく人生のゴールを迎えるに当たっての「終活」というよりも、自分自身の「節目」や「ケジメ」というタイミングで、ポジティヴかつ華やかに開催されるべきなのだと思った。

好きな音楽をBGMにしながら、参列して頂いた皆さんと大いに語りあう「生前奏」はどうだろうか、なーんてことをふと思った次第。あ、ちなみに「生前走」は現在進行形ですから!

※皆さんが投稿した画像を勝手に動画で使わせて頂きました。ごめんなさい。そしてSさん、当日の模様を撮影した画像の使用を快く承諾して頂き、本当にありがとうございました!

コメントを残す