熊本地震から1年

新しい職場に配属されてから間もなく2週間。「危機管理局」という名が示すとおり、日々突如降りかかってくる様々な事象に対して、スピード感を持って適切かつ確実に対処する、という状況が続いています。かなり緊張感を要することもあり、精神的なダメージがボディブローのようにジワリジワリと効いています。今後は平日、緊急時対応のために青森市内への宿泊を月3回ほどしなければならないらしく、昨年度とは全く異なる環境下にかなり戸惑っているのも事実です。

そんなこともあって最近の生活を振り返ってみると、平日仕事、週末ランニング、時々飲み会…この繰り返しが先月後半から続いています。
…これまでが○○過ぎたのか、それとも、今の環境が●●過ぎるのか。

思えばここ数年、かつて熱を上げたはずの課外授業(地域おこしや自分磨きにまつわる活動)にはほとんど目をくれなくなり、何となく閉塞感が漂い始めている今日この頃。余裕がない、ということではないのだけれど、気が回らないというか、何というか。

46歳にもなって何を今更…と思う人もいるかも知れませんが、日々これ学習だし、いくら学んでも足りないぐらい学ばなければならないことはたくさんあると僕は思っています。(それが自分の実益に繋がるかどうかは別として。)
そんな中で僕が一番大事にしているのが、人と人の繋がりなワケでして、これは多分自分がリタイア(退職)した後で絶対に活かされると信じて疑っていません。
ランニング然り、課外授業然りで、自分の仕事とは全く関連のない方々や、恐らくこういう機会がなければ接することはなかったであろう、という方々もたくさんいます。

人それぞれ、とはまさにこのことで、言動や思想、価値観は千差万別。そういう方々に接したり、色んな時間や場面を共有すること自体が、僕にとってはもの凄い刺激になることだし、勉強になることも多々あります。

役人だからこそ、人との繋がりを作る。それも、リアルな関係を築き上げることが、信頼にも繋がることであり、その方の人物像というか本質を更に深く知ることのできるきっかけとなるのも事実。

閑話休題。
熊本地震から1年が経過しました。
被災地支援活動のために益城町にお邪魔したのが、6月下旬。あの時も、色んな人々に接しました。そしてあの時の経験があったから、今こうやっているんだろうな、と思うことがよくあります。

1年ってこんなに長いんだっけ?というぐらい長い一年だったのか、それとも、1年ってあっという間だな…というぐらい短い一年だったのか。感じ方は、人それぞれではないでしょうか。

昨日、某テレビ局から「熊本地震に関する取材を行いたい」との要請があり、上司からの指名で、支援活動を行った数名の中から、僕が取材を受けることになりました。約40分でしょうか、色んなお話をしながら当時のことを振り返っていたわけですが、お話をしながら当時の情景を思い出し、思わず目頭が熱くなったのは秘密。

しかしながら結局この取材はお蔵入りとなり、テレビ放映もなくなりました。なので、どんなことを話したのかをここにざっくりと、そう、ざっくりと残しておきたいと思います。

【どういう思いで活動に向かったか。】
-被災者に対してどう寄り添ったらいいのかということは常に考えていた。しかしその一方で、見ず知らずの我々のことを、長期の避難を強いられている人たちが受け入れてくれるのか、とても不安だった。

【実際活動してみた感想は。】
-不安は杞憂であった。優しく受け入れられたことは本当にありがたかった。その一方で、皆さんかなり疲労されているんだな、ということを感じた。町役場の職員も被災者。感情の昂ぶり等も時折見受けられ、避難者と職員双方が感情的になって衝突する場面にも遭遇したことがあった。実質たった5日間の活動ではあったが、時間の経過とともに徐々に融和が図られることとなり、最終日は避難所の皆さんがわざわざお見送りをしてくれた。あの時は本当に感極まって、涙をこらえるのが必死だった。微力ではあったかも知れないけれど、少しでもお役に立てて良かった、と心の底から感じた瞬間だった。
避難所で一緒に支援活動した人たちと一つ約束していることがあって、いつかまた熊本を訪れなければならないと考えている。

【今後の防災対策にどう活かしていきたいか。】
-難しい質問。熊本地震は直下型。断層のズレが真下で発生しており、本県ではなかなか見られないタイプの地震。共通して言えることを挙げるならば、初動の物資の仕分けは留意しなければならないかも知れない。例えば6月の梅雨時に、避難所で山積みになった毛布などを見かけたけれど、需給バランスというか、時期を踏まえた物資の仕分けは非常に重要。

【熊本地震から1年を迎えて思うことは。】
-まだ1年、もう1年、感じ方は人それぞれだと思う。しかし、まだまだこれから。例えば昨年支援活動を行った避難所には、震災で親御さんを亡くした女子高生がいた。非常に気丈に振る舞っていたが、彼女にとって「復興」というのは何だろうか、と考えると、この言葉の持つ意味を考えさせられる。東日本大震災の時も感じたが、復興を成し遂げたかどうかは、我々が決めることではなく被災された皆さんがどう考えるか、というだけのこと。

(以上)

コメントを残す