これ以上、何をけずり出せ、と? – #仙台国際ハーフマラソン


【今日はいつになく長文駄文です。】

5月13日(日)、昨年に引き続き仙台国際ハーフマラソンに出場した。

初めて出場した昨年は、グロスで1時間28分02秒(ネットは1時間27分38秒)だった。自己ベストを叩き出したとはいうものの、この結果に満足することはできなかった。でも、当時の自分の力を悟ったつもりだったし、だからこそ来年の大会で「3秒の借り」を返そうという想いも日に日に強くなっていった。

昨年、僅か3秒で逃した1時間27分台。確かにこの壁を叩き壊すべく1年間取り組んで来たのは事実だが、それが最終目標ではない。更にその先を目指して、オッサンはオッサンなりに地道に努力してきた…つもりだった。

備忘録として、ざっとおさらいをしておこうと思う。

今年も陸連登録ランナーとしての出走となり、スタートラインに程近いAブロックからのスタートとなった。
昨年はAブロックの中にBブロックのランナーが紛れ込んでいて憤慨したが、今年は入場口でのチェックがそれなりにされていたようで、少なくとも自分の周囲にそういう不届き者の姿はなかった。

早朝4時に起床して仙台にやってきたが、眠気よりも緊張感に押しつぶされそうになる。…って、何をそんなに緊張しているのだ。平常心、平常心。

10時05分に号砲が鳴らされ、レースがスタート。
昨年は雨模様だったこともあって路面状況がよろしくなく、歩を進めるのにも苦労したが、今年は比較的スムーズな走り出しとなった。

周囲のランナーとの接触に気を配りながら時計に目をやると、4分台前半、それも一桁台のペースを指していたので、うまく流れに乗ることが出来たのだろう。あとは最後まで大崩れすることなく、テンポ良く走って行くことを意識するようにした。そして、なるべく周囲に目を配ることなく、自分の走りに集中することを考えた。いや、考えたというよりは、何も考えず走ろうと決めた。

3キロ過ぎで、既に相当発汗していることに気付く。
給水ポイントは幾つか飛ばすつもりだったが、後で何があっても困るので、ひとまず全てのポイントで何かを口に入れることにした。

「テンポ良く」を意識しているとはいえ、上りもあれば下りもあるコース。多少の乱れは覚悟していたものの、思ったほど乱れてはいなかったらしい。…ただし、終盤に現れる貨物線の跨線橋以外は。

10kmを41分台で通過したのは想定通りだった。しかし、11km手前で高橋尚子さんとハイタッチした後で一瞬ペースが上がったのがまずかった。多少テンポが乱れた後、何も考えていなかったはずの脳に邪念が降臨して囁きを始めたのだ。

「無理しなくても良いんじゃないの?」「少しぐらい力を抜いても、誰も見ていないって。」「やめる、という選択肢もあるんだよ。」「ほら、足裏が痛くなっているんじゃない?」

矢継ぎ早に飛んでくる囁きで、迷いが生じる。

そんな囁きを一刀両断したのも、脳の中に現れた自分自身だった。
「今日ぐらいは自分を信じようよ!」

危ない危ない。脳と身体が完全にバラバラになって、自分の身体を赤の他人にしてしまうところだった。
もう一度気を取り直して、体制を整える。

時折沿道から聞こえて来た「マカナエさん、頑張って!」の声に驚きながら、いよいよ貨物線の跨線橋が近づいて来る。ちなみに声を掛けてくれたのは、AさんとTくんだった。(応援、ありがとうございました。)

15キロ通過が1時間2分ちょっと。何も考えないはずだった脳の中で、つい逆算を始める。
残り6キロを28分で走れば1時間30分か。キロ5分を切るペースを、最後まで維持できるだろうか。

跨線橋を上りきったとき、思わずふと時計に目を配る。ペースは4分20秒に落ちていた。
そして、ここまでの疲労の蓄積から、フォームがかなり崩れ始めていることも悟った。急に足音がうるさくなったのだ。
トップランナーは、静かに、本当にスゥッと駆けていく。まるでハイブリッド車のようだ。それに比べたら今の僕は、さながらマフラーの壊れた軽トラといったところだろうか。

程なく、路側帯を歩き始める人たちがちらほらと現れ、更には、脚の痙攣で倒れ込む人も。
ああ…自分もここで脚が痙攣したら、「今日はダメでした」って言い訳できるのに!

20キロ地点手前で、再びこの跨線橋が立ちはだかる。ここが本当の意味での「難関」となる。無心のまま周囲には一切目も配らず、最後の折り返し地点へと向かう後続の仲間から声を掛けられたりしたようだが、反応する余力がほとんどなかったし、視界に入ってこなかった。それぐらい、イッパイイッパイだった。後で聞いたら、フォームがかなり小さくなっていたらしい。

それでもまっすぐ前だけを見据え、いよいよカウントダウンを始める。

最後の上り。一気にペースが落ちていくのがわかる。もはや時計には全く目をくれなかった。いや、時計を見るのが怖かっただけだ。

当初想定していた、20キロの下りからのラストスパートは、不発に終わった。
上半身を揺らし、ドタバタと足音を立てながら、陸上競技場のトラックへと進む。前を走っていた女性ランナーがよろけて転倒する。「大丈夫ですか!」の声すらも掛けることもできず、最後の直線へ。ようやくゴール横の電光掲示板に視線を送ると、1時間27分20秒を過ぎたところだった。どうやら、目標としていた昨年の「3秒の借り」を返すことができるらしい。
両手で小さく拳を握りしめながら、ゴール。
時計を止めると、1時間27分43秒を指していた。
振り返って深々と頭を下げる。90分近くにわたる自分との戦いが、ようやく終わった。
脚が痙攣する気配も、張っている感覚もなかったが、いつになく荒くなった呼吸を整えようとその場に立ち尽くした。

タオルを手に、完走証を受け取る。速報値で、1時間27分40秒(ネットは1時間27分22秒)だった。
結果的にはこのコースで、2年続けての自己ベスト更新となった。

コースとの相性なのかも知れないが、若干湿度が高めだという以外は、曇り空にさほど上がらなかった気温、風もそんなに強くないという、天候を言い訳にできない、走るには絶好のコンディションだったと言えよう。
昨年の「借り」を返し、やっと27分台に到達できたという安堵感がある一方で、この1年間で、たった22秒しか縮めることができなかったという複雑な心境が渦巻いていた。正直、ハーフマラソンを走るのがこんなにキツいと思ったのも久し振りだった。

たかが22秒、されど22秒。

元々余力を残してゴールするつもりはなかったし、この大会に関しては、今年出場するハーフマラソンの中でも最も力を発揮したい大会と位置づけていた。しかし実際のところ、持てる力の何割を発揮できたのだろう。

練習不足を補うべく、それなりに追い込んだつもりだ。マラソンは一夜漬けでどうにもなるものではないことは重々承知している。
「その1秒をけずり出せ」とは、東洋大の陸上競技部が掲げるスローガン。
1年間で22秒短縮という結果に、僕はこれ以上何を削り出せばいいのだろうか、と思案した。

コンマ何秒で世界が変わるトップレベルの短距離と違って、マラソンは分単位で記録が変わることもざらにある。
特に市民ランナーだと、マラソンを走り始めた翌年に1時間も記録が縮んだ、ということは耳にする話だ。

自分の持ちタイムが縮んだからといって何か賞品を頂けるワケでもないし、元々タイムを意識するつもりはなかった。だからこそ、この手の話は完全に自惚れの領域だということはわかっている。事実、別に僕のタイムがどうだろうと、皆さんには何の関係もないんだから。

…嗚呼ごめんなさい。何だかまた面倒くさい話で終わりそうな気配。

その中の一つだけ光明を見いだすならば、思ったほど後半のペースは落ち込んでいなかったということ。いや、ネガティヴスプリット(後半ペースを上げる走り方)を理想している僕としてはダメダメな走り方だけれど、この程度で収まったのはせめてもの救いだった。(…まあ、15キロ~20キロだと10~15キロと比較して30秒も落ち込んでいるので褒められたものじゃないけど。)

(赤色の点がピッチ、青色の連続線はペース)

帰りの新幹線の出発時刻まで、ラン仲間3人とともに仙台駅でお疲れさまの乾杯。
ジョッキを掲げながら、ふと思い出した。

そういえば、体重2キロ増のまま大会に臨んでしまった。
そうか…削りだすべきは、この腹回りに程よくついてしまった、ぷよぷよだったのか。

今回のこの結果を見ると、いよいよ天井が見えてきた感も否めない。しかし、色々あった中でここまで結果に繋げられたのであればいいじゃないですか。ということで若い皆さんには申し訳ないけれど、もう少しだけ悪あがきしてみようと思う。


のんべ について

1971(昭和46)年 青森県生まれ。弘前市在住の青森県職員。 プリンスとビールと豆腐とラーメンを愛する。安い一眼レフカメラでいかに安っぽくない写真を撮影するかに興味あり。 ブログの内容の多くは、いつの間にか趣味となった「走ること」がメインです。
カテゴリー: Fun Running, ただの日記 パーマリンク

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