管理者略歴

のんべ(nonvey)

1971(昭和46)年1月29日 青森県弘前市生まれ。

1986(昭和61)年 弘前市内の名門市立小学校、伝統市立中学校を卒業後、青森県立弘前高等学校入学。くじ引きで選ばれた応援団に泣く泣く入団するも、結局3年次には副団長としてそれなりの活動を終える。

1989(平成元)年4月 国立弘前大学人文学部経済学科入学。勉学よりもバイトとパチンコに明け暮れる毎日、経営史を専攻するが、担当教官が4年の後期から不在となる強運にも恵まれ、卒業論文がなくなるものの、教養単位を最後まで取りこぼすという為体、まだ若い1年生に紛れて講義を受講するという屈辱を経て、4年で何とかギリギリ卒業。この時のことがトラウマとなり、未だに単位が足りず卒業できなかったという夢に苛まれる。

1993(平成5)年4月 青森県一般事務吏員として採用、青森市石江にあった青森県土木部青森土木事務所(現:東青地域県民局地域整備部)に配属される。以後八戸市、青森市、西津軽郡鰺ヶ沢町を転々とした後、大学卒業時のトラウマを払拭するため(ウソ)、2002(平成14)年4月から県の大学院派遣制度を活用し、国立弘前大学大学院人文社会研究科修士課程。2年間大学院生として現役学生に混じって勉強し直す。行政法に関連した修士論文を仕上げるも、実は社会学に首を突っ込むこととなり、それ以来地域社会学に関心と興味を抱き、それ以降、地域おこしやまちづくりなどに対する興味を中途半端に持ち続ける。(ちなみに大学院派遣制度は自分を最後に打ち切りとなった。)

その後は農林水産部、商工労働部、総務部と各部を転々とし、現在は危機管理局に配属。果たして自分は必要とされているのか追い出されているのか、自分の存在が何なのかさえ分からず震えている50代のオッサン。弘前市在住。

父は青森県中津軽郡西目屋村、母は秋田県北秋田郡合川町(現:北秋田市)出身。父方の母が秋田市出身のため、多少秋田県の血の方が多い。津軽弁と標準語の二カ国語を使い分けるが、秋田県北地方の訛りもある程度であれば発音可能。

趣味
ランニング、音楽鑑賞、数年に1回程度の釣り。ランニングは37歳の人間ドックで「成人病予備軍」を指摘されたことがきっかけでスタート。3年後、40歳の人間ドックは結果がオールA(異常なし)で、かかりつけのお医者さんを驚かせる。弘前公園ランニングクラブ所属(広報仮担当)。

音楽に関して、楽器演奏は一つもできないものの、洋楽邦楽問わずいろいろ聴いています。敬愛するアーティストはPrince。好きなミュージシャンは岡村靖幸。

【その他】
「のんべ」と呼ばれるようになったのは小学3年の頃から。父の知り合いが「のりべえ」と呼ぶのを聞いた友達が、勝手に「のんべ」と改称した。ちなみに高校3年の時の担任教師は、隠れて酒を飲んでいて「呑兵衛」が由来していると本気で思っていたそうです。しかし現在は、名前が呆れるほどのアルコール好き。いい加減体調に気を遣わないと、ヤベえな、マジで。