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ケガと練習不足はごまかしが効かない #AOMORIマラソン

【トイレで読むのにちょうどいい長さ。本日も原稿用紙換算8枚にてお届けします。サッカーのハーフタイムにも、是非。】

第27回AOMORIマラソン。
実を言うと、この大会で40分を切ることが今年の一つの目標だった。

いつまで経っても越えられない40分の壁。この位置にとどまり始めてからもうすぐ2年が経つ。

いい加減この状況から脱しないと、と思っていた矢先のケガ。

自業自得とはいえ、一体この先いつまでもがき苦しめばいいんだろう、という悶々とした思いが、ずっと燻り続けていた。

とはいえ、前日の朝練で途中何度か立ち止まりながらも約10キロを走ったことを鑑みると、10キロぐらいまでならひとまず何とか走れるかな?と思い、左アキレス腱の腱鞘炎が完治していないにもかかわらず、出場を強行した。

万全には程遠い状況の中で、目標を下方修正。狙うは40分切りから45分切りへ。いや、45分はいくら何でもダメだろう。せめて42分台にとどめようよ。

大会当日の朝、足首やアキレス腱周りを入念にマッサージした後に消炎剤を貼り、その上からテーピングを施す。考えてみると、テーピングを施して大会に臨むのは、今回が初めてだった。

ソックスを履いたら、白いテープが露出した。この瞬間、「言い訳の材料」が一つできたと思った。そして、ついそんなことを考えてしまった時点で、今日の結果は望めないことを悟った。

弘前駅からいつもより1本早い電車に乗り込み、途中の浪岡駅でKさんと合流。
実は彼、僕がケガをしたまさにその時に居合わせた人物で、応急処置のためのスプレーを持ってきてくれた。

左足のテーピングを見たKさん、僕のケガを案じて「無理せばマネっす。」と声を掛けてくる。
その言葉に「うん、うん。」と頷くしかできなかった。

8時前に会場に到着。受付を済ませ、弘前公園RCのS藤さんが設置してくれたテントへとお邪魔する。

太陽はほとんど雲に覆われていたけれど、皮膚にまとわりつくようなモワッとした空気が会場内に漂っている。昨年と比較すると風も気温も落ち着いていた代わりに、湿度が相当高いことを感じた。

痛み止めの薬を服用し、アップを開始。ゆっくりと走り出すと、そんなに痛いというワケではない。試しにちょっとペースを上げてみる。

あれ?意外と大丈夫かな?

あとはアドレナリンと痛み止めの力を借りれば、何とかなりそうな気がする。

結局3キロほどジョグした後にテントに戻ると、既に大量の発汗。今日も厳しいレースになりそうだ。
レース用のウェアに着替え、他の仲間たちにも挨拶を済ませる。

9時15分、5キロコースがスタート。10キロコースのスタートは、5分後の9時20分。既に皆さん戦闘態勢は万全のようだ。ひとまず「目標:50分以内」のやや前方に並び、S藤さん、S内さん、S下さんとともに戦術を話し合う。10キロとはいえ給水も複数箇所に用意されている。今日のような蒸し暑い日は、思った以上に発汗量が増えるので、後半は給水をしっかり取ることにした。

9時20分、号砲が鳴った。やや抑え気味にスタートすると、S藤さんが先陣を切って前へ出て行く。背中を見ながら、ひとまずS藤さんをペーサーに見立てて走ってみることにした。4分前後のペースで走っているのだろうか、順調過ぎる滑り出しだ。

ちなみに今日の課題は3つ。

(1)途中で現れるベイブリッジの往復、上りでペースを落とさない。
(2)残り2キロ、堤川に架かる橋を越えたらラストスパート。
(3)最後は笑ってゴール。

スタート後には大きく引き離されたS藤さんの背中がじわりじわりと迫ってくる。

鬼門とも言える3キロ過ぎのベイブリッジ、上りに入ると更にその背中が大きくなる。風があまり感じられないのは幸いだが、海水を含んだようなネットリとした空気が、体内の水分を奪っていく。4キロ付近から下りに入り、S藤さんとの差は15メートルほどとなった。

このまま行けば、どこかでS藤さんに追いつくかも知れない…と思った矢先、まさに5キロの折り返しを過ぎた直後に異変が起きた。

突如アキレス腱に走る鈍痛。痛みが再発したのだ。ちょっと待て、今まで何ともなかったのに、急に何で?
一瞬頭の中が混乱するも、さっきの下りで一気にペースを上げたことが災いしたとすぐに悟った。給水所でペースを落とし、水を頭から被り、スポーツドリンクを一口飲む。

再びS藤さんの背中が遠くなっていく。ペースを上げようにも、痛みと怖さで上げられない。何人もの人が僕の横を駆け抜けていく。そしてその中には、S下さんの姿が。

異変が起きたことを感じたであろうS下さんに一言声を掛ける。

「S藤さんの背中を追って!」

実はこれ、自分自身への気合い入れでもあった。
復路、再びベイブリッジの上りに差し掛かっていた。折り返しを目指す後続のランナー数名から声を掛けられるが、もはや脚に気が向いているため、応答することすらできない。

ようやく橋を上りきったところで落ち着きを取り戻し、意識を集中。再度ペースを上げ始める。そして、最近練習に取り入れていた「あれ」をやってみた。「あれ」というのは、ちょっとしたフォームの改善。今はまだ会得していないので詳しくは言えないが、「あれ」をやってみたら、鈍痛が緩和されていくのがわかった。いいそ、いいぞ。

再びペースを上げてみるが、既に前を走る二人には大きく水をあけられ、とてもではないが追いつけるような距離ではなくなっていた。

残り2キロ。堤川に架かる橋では、大した高低差ではないものの、上りで再び鈍痛がぶり返し、ペースが落ちる。
でも、こんなところで心が折れたら、絶対後悔する。

再びペースを上げ、一度は先行を許したランナーたちをまた捉え始める。

最後の給水、再び頭から水を被る。もはや滴り落ちるのが水なのか汗なのか、わからない。

残り1キロのラストスパート。二人の背中の大きさは変わらないままだったが、残り300メートルでサングラスを外す。最後はとにかく笑ってゴールするんだ。結局、引きつったような卑屈な笑顔を浮かべながら、ゴールラインを越えた。

時計に手をやり、タイムを止める。文字盤を見て驚いた。何と40分30秒台で走りきっていた。
設定より2分も早いゴール。この状態で40分台を叩き出すとは思わなかった。

…でも、何かちょっともったいないことをしたな、という複雑な気持ちが途端に沸き上がった。

こういう時に「たら」「れば」は禁句だが、もしも脚の状態が良ければ、どうだったんだろう。

その場に立ち尽くすと、水たまりができるぐらいの勢いで汗がぼたぼた落ちてくる。
前日の練習も一人で大量の汗をかいて笑われていたが、今日はそれを越える量の汗だった。ついさっき海から上がってきた、と言っても、恐らく疑われないだろう。

完走証を見て、納得した。湿度83%って…ミストサウナの相対湿度が70%ぐらいらしいので、この湿度がいかに尋常でなかったかは、おわかり頂けるだろう。

楽に走れる状況ではなかった(というか、AOMORIマラソンが「楽だ」と感じたことは一度もない)し、脚の不安もかなりあった。昨年から比較すると順位も落としたしタイムも落ちた。課題も、2つしかクリアできなかった。
けれども、これだけ走ることができたということに関しては、胸を張ろうと思う。…その分、代償も大きかったけれど。

たかが10キロ、されど10キロ。こういう経験を積み重ねることが、自分の力になると信じつつ、来年は「たら」「れば」を封印できるようしっかりと準備を整えよう。
大丈夫、次は絶対に目標をクリアしてやるから。

今年も大会でお世話になった皆さん、ともに走った皆さん、そして、一緒に飲んで笑った皆さんにも心から感謝です。
本当にありがとうございました。

【余談】
合浦公園で行われた大会の後の打ち上げに参加した後、青森駅近く(次の打上げ会場)まで移動しようとバス停に向かうと、20分以上も待たなければならないことが判明。待っていられないと走り始め、数か所のバス停で足を止めるも、タクシーが全く捕まらないため、気がついたら何とNTT青森支店前のバス停まで走っていたというオチ。ようやくタクシーに乗車、次の会場へと向かいましたが、結果、酔いばかりがグルグル回り、帰路に就く頃にはかなり記憶が曖昧という最悪の事態に。次回はバスの時刻をちゃんと調べよう。

エレファントカシマシ「Wake Up」 #エレファントカシマシ #エレカシ

3度目となる「目覚め」。

エレファントカシマシ最初の「目覚め」は、1988年、メジャーデビュー後3枚目のシングルとなる「おはようこんにちは」。繰り出される重厚なサウンドに、宮本の気怠さ満載のボーカルが乗っかることで、爽やかの欠片も感じられない「おはよう」を聴くことができる。

2度目の「目覚め」は2000年のアルバム「good morning」。
東芝EMIへの移籍第一弾となった「ガストロンジャー」を含んだこのアルバムは、宮本単独の打ち込み曲が多くを占める作品で、エレファントカシマシという枠組みを外れた、宮本個人の暴走などと評価が割れた、いわく付きのアルバム。しかし、結果的にはこの作品がバンドの新たな目覚めを呼び起こすこととなり、結束と勢いを更に増すことになった。

そして今年6月6日に、3度目となる「目覚め」を迎えた。

今回は、デビューから31年目に突入し、いわば「門出」の作品となる23枚目のアルバム。
既発のシングル曲やカップリング曲など6曲と、新曲6曲の計12曲で構成されている。

どうも彼らのアルバムを聴く時は、(決してあぐらをかけないからではなく)姿勢良く正座をして聴かなければならないという衝動に駆られる。

それも頭の中を空っぽにして無心になり、一つ一つのフレーズ全てを耳で、心で吸収する…そう、まさに「拝聴する」といった感じ。

冒頭を飾るタイトルナンバーの「Wake Up」は、31年目のスタートにうってつけの1曲。一言で表すならば「格好いい」のだ。極端な話をすれば、この楽曲だけでこのアルバムの評価が決まりそうな、それぐらいのインパクトを持っている(もちろんこの曲だけで評価しちゃならないんだけど)。

新たな「目覚め」、いや「覚醒」を高らかに宣言した後は、51作目となる最新シングルの「Easy Go」、49作目のシングル「風と共に」、そして48作目のシングル「夢を追う旅人」と、シングル3曲が怒濤の如く続く。

改めてこのシングル3曲を続けて聞いてみると、そのどれもが、31年目に突入するには十分過ぎるほど準備が整っていることを誇示しており、そして、これからもなおエレカシの進化が現在進行形で続いて行くことを予感させる。

疾走から立ち止まり、一度クールダウンさせるような5曲目の「神様俺を」は、アルバムの中でもちょっと異彩を放つ曲。エレカシのナンバーではこれまで聴くことのなかったレゲエ調のアレンジ。一方で、まるで我々アラフィフ世代の苦悩を代弁するような歌詞に、思わずニヤリとしてしまう。

そして続くナンバーが50作目のシングル「RESTART」と来れば、何だかこのアルバムの製作コンセプトありきのシングルだったのだろうか?と思ってしまうぐらい繋がりを持っている…ような気がする。
「日本生まれの夢見る男」が、自らの髪の毛にハサミを入れるという衝撃的なPV。昨年10月、弘前市民会館に現れたその男は、一瞬誰なのか見分けがつかないほど綺麗に髪の毛が整っていたことを思い出す。

「自由」はアルバムで初登場の小気味良いテンポのナンバー。「珍奇男」を唄っていたあのバンドが、「ガストロンジャー」で吠えていたあのバンドが、声高に「自由」を歌い上げている不思議。これまでの30年間、どん底も見ただろうし浮かれたこともあっただろう。それでもなお不動のメンバーで歩み続けてきた彼らが今もなお探し続けているのが、相も変わらず「自由」であることを淡々と唄い上げる。「奴隷天国」からは相当昔に解放されたはずなのに、だ。

「i am hungry」は、「夢を追う旅人」のカップリングで、続く「今を歌え」は、50作目のシングルとなった「RESTART」との「両A面シングル」。
いずれも、ドラマのタイアップが付されたナンバーだ。この辺りの楽曲を聴きながら思うことは、このアルバムに収録された楽曲は、ボーカル宮本の持つ声域全てを使い尽くすために製作されたのだろうか、ということ。時に荒々しく、時に静かに厳かに、そして時に淡々と。

終盤の3曲「旅立ちの朝」「いつもの顔で」「オレを生きる」は、タイアップなしの新録ナンバー。うわっ!そう来たか!と思わず唸ってしまうような、メロディアスでドラマティックなナンバーが続く。

今回のアルバム発表に合わせて、改めて過去の作品も聴き直してみたけれど、30周年を経て何か達観したのだろうか、最後の最後まで気を抜くことなく、正座の姿勢を保ったまま、凛とした気持ちで聴き通すことのできる作品。

(収録曲)
1. Wake Up
2. Easy Go (テレビ東京系ドラマ「宮本から君へ」主題歌)
3. 風と共に (49th SG / NHK「みんなのうた」2017年6-7月放送曲)
4. 夢を追う旅人 (48th SG / 明治企業CM「POWER!ひとくちの力 登坂絵莉選手篇」CMソング)
5. 神様俺を
6. RESTART (50th SG / フジテレビ系「FNS27時間テレビ にほんのれきし」ドラマテーマソング)
7. 自由
8. i am hungry (48th SG C/W / テレビ東京系ドラマ24「侠飯~おとこめし~」オープニングテーマ)
9. 今を歌え (50th SG / NHK BS プレミアドラマ「全力失踪」主題歌)
10. 旅立ちの朝
11. いつもの顔で
12. オレを生きる

収録されているシングル曲を中心としたPV集とともに初回限定盤に収録されている「Demo Tracks CD」は、宮本浩次が制作した本アルバム収録曲のデモ音源集。

(収録曲)
1.Easy Go 0
2.Easy Go 初期型(コードA)
3.Easy Go ほぼ最終系(コードG)
4.自由 demo ver.
5.いつもの顔で 2013 demo ver.
6.いつもの顔で 2018 demo ver.

購入するならば絶対こちらをお勧めします。



…と、手放しでこの作品を絶賛してみたが、恐らくこの作品に対する賛否両論はあるのだと思う。

とりわけ、デビューから30年以上、ずーっと彼らのことを追い続けてきたコアなファンからすれば、今でこそ当たり前となったマスメディアを使った宣伝方法(テレビやラジオへの露出)に困惑している人もいるだろうし、過激で攻撃的だった歌詞やサウンドがいつしか人生讃歌のような前向きな楽曲へと方向転換をしていったことに対して戸惑いを覚える人もいるだろう。ファンそれぞれが、熱を上げていた時代が違うのだから、こればかりは多分仕方ないことだと思う。(ちなみに僕は、Epicに在籍していた、それもデビューの頃の荒々しいエレカシが一番好きだった。)

けれども、それらをひっくるめて「エレファントカシマシ」の30年というキャリアは、とてつもなく重層的かつ濃厚であり、そして恐らく僕たちが知っている以上の(つまりファンに知られていないような)紆余曲折を経たからこそ、この作品に繋がったんじゃないかな、と思う。僕より数歳年上の彼らの歩みを辿りつつ自分のそれと照らすと、斜に構えてみたり、組織と反目したり、その過程で色んな「気づき」を経て立ち位置や姿勢に変化が見られたり、そして目障りだった色々なものを当たり前に享受できるようになったり。

…彼らの歩みに自分を投影するのも烏滸がましいけど、何か共感できるんですよ。

それはともかく今回のこの作品、これまでのファンだけではなく、最近エレカシに興味を持ち始めた人たちをグッと惹きつけるという点で、文字通り新たなファンの目を覚ますような傑作だと思うんだけれどな。

個人的には、1から2への流れ、アルバムに一服の清涼剤の如く間を置くような5、そして終盤の10~12の流れがとても好き。

あと一歩踏み出す力が欲しい人、元気になりたい人、そして、ちょっとお疲れ気味の方々に絶対お勧めのアルバム。

ちなみに、ユニバーサルミュージックのサイトでは、デラックス盤【UNIVERSAL MUSIC STORE限定 完全受注限定盤】を期間限定(7/17まで)で予約受付中

税込8,100円のこちらには、全64ページのフォトブックの他、DVD「THE ELEPHANT KASHIMASHI 30th ANNIVERSARY “THE FIGHTING MAN”DOCUMENTARY」(もしかしたらWOWOWで放映された内容と一緒?)と47都道府県を回ったアニバーサリーツアー最終日となる富山公演の模様を完全収録した3枚組のCDをパッケージしているそうだ。
ということで、久し振りに同名のアルバム2種類を購入することになってしまったけど、いいんです。どちらもそれぐらい興味をそそるプロダクツなんだから。
(敬称略)

その後のアキレス腱

先日痛めた左アキレス腱、おかげさまで経過は順調で、歩く上での支障はほとんどなくなりました。
ところが、ちょっと小走りするとまだ痛みが残っており、道のりはまだまだといった感じです。

しかも、左脚をかばっていた影響で右脚にも違和感を覚えるという事態に陥り、何か悪いスパイラルにはまっているなあ、といった状況です。

痛めた16日以降、走ることは全て自粛。少し良くなったのでちょっとぐらい走っても大丈夫かな…ということも頭をよぎりました。
しかし、ここで患部に負荷を掛けることによって完治の時期を先延ばしするのは本意でないため、ひとまず1週間は一切走らないことにしました。

苦悶で顔を歪めたあの日から1週間となる明日の朝は定例の練習会があります。軽く走るか、それとも歩くだけにとどめるか、取りあえず顔だけ出すか、悩ましいところです。

ちょうど3年前に反対側の部位を痛めた時は、アキレス腱の周りにステロイドをぶち込んで大会に出場するという無茶なことをしました。今思えば、そこまで無理をしてでも走る意味があったのかどうかは、正直わかりません。

明後日は、そんないわく付きの大会でもある「たけのこマラソン」が開催されます。
同じことをすれば、今回も走ることは可能なのかも知れません。しかし、今回はその気にならないのです。
エントリーしているのは10キロ。たかが10キロ、されど10キロ。この状態でガチ走りすることがいかに無謀なことなのかは、過去の経験から学習しているつもりです。

だからこそ今は、ひたすら我慢。

正直、かなり辛いです。
梅雨に入ったとはいえ気候的にも走りやすいこの季節、全く走れずに黙って指をくわえて、仲間が走る姿を目で追うのは。当日の作戦を練りながら備えていたレースに出場できなくなるのは。

ひょっとしたら今シーズンを棒に振るのかも知れません。でも、ここで無理をするとどうなるか。そのことを自問自答しながら、今はとにかくじっと耐えろと、頭の中でずーっと言い聞かせています。

そうそう、診察の後で名医から渡されたのは、シューズのヒール部分を上げる部材でした。実は通勤時も100円ショップ(!)で購入したヒールアップの部材を靴の中に入れています。上げ底ってヤツですが、背が伸びたように見せるのか目的ではありませんので念のため。

かつての僕は、前のめりになって走る感じでした。前傾させることで、その推進力に頼る、みたいな。いや、今もあまり変わっていないのかも知れません。ただ、今と決定的に違っていたのは、あの頃はかかとではなく足のつま先着地で走る、いわゆる「フォアフット」型だったこと。もっとも、自分自身ではあまり気にしていなかったので、よくわかりませんが、つま先立ちで走るような、そんな格好だったようです。

ただ、その一方で疲れてくると脚全体でブレーキを掛けるような感覚があって、だったら最初から足裏全体で蹴り出して前進できるように走ればいいじゃないか、と思い立ち、着地方法を変えることに腐心していたことは、今だから明かす秘密です。(実際あの頃、靴底の減り方がちょっと変な感じでした。)

一つ思い出したことがあって、そういえば走り始めの頃の僕は、N社のシューズを愛用していました。機能がどうだとかは何も考えず、デザインとか色とか、そういったところにばかり主眼を置いていました。しかしその後、着地方法で悩んでいた頃に、今のa社のシューズにチェンジしたのでした。

足裏だけではなく脚の使い方、いや、走る時のフォームについては、僕にとってある意味「永遠のテーマ」みたいなものなので、今回も脚を痛めた過程を考えながら、何でこうなっちゃったんだろう…と思案する日々が続いています。誰だってそう、より楽に、より長く、そしてより速く走れるに越したことはないのでしょうけど、そんなことができていたら最初から苦労しませんよね。

恐らく脚を痛めた今も、フォアフットで走るとそれなりに走れるのですよ。ただしこれで種子骨を痛める可能性があり、とてもじゃありませんが怖くてできません。というのも以前、種子骨炎で象のように足の甲が腫れ上がった経験があるので。

そういう意味では、一時期凄い話題になったN社のあのシューズなんかは、実は今の脚の状況にピッタリとはまるのかも知れませんね。

まあ、この期に及んでa社からN社に乗り換えるなんていうことには考えが及ばず、まずは治すことが先決。ということでここは、長い目で見ることにしましょうか。

50までの独りbreaking3プロジェクト、ここでやめるわけにはいかないので、ね…。(ニヤリ)

身体が硬いことにいいことなし

飲み会や宴席の際、椅子席以外の小上がりや座敷で僕は、決まって正座をしている。

「随分行儀がいいね。どうしたの?」
「…いや、こうやってしつけられて育ったものですから。」

…と笑いながら嘯いているが、正座をする一番の理由は、実はあぐらをかくことが苦手、というだけの話。

座椅子なしであぐらをかくと、冗談抜きでひっくり返る可能性があるし、腰が痛くなるので、ほとんど組むことはない。もちろん、ずっと正座だと足が痺れるので時々格好を崩すけれど、それでもほとんどあぐらはかかない。

だから、座禅を組むなんてもってのほかだと思っている。きっと、肩が腫れ上がるぐらいバシバシ叩かれることだろう。
なぜあぐらをかくことが苦手なのかというと、身体が硬いからに他ならない。

僕が身体の柔軟性を極端に欠いていることは、ランニング仲間の中では知られた話で、「ダイアモンド☆ユカイ」ならぬ「ダイアモンド☆カタイ」を自称している。

今だから…というか現在進行形の話、前屈、屈伸、開脚、とにかく全てにおける柔軟性を欠いている中、生活において不自由を感じることが無きにしも非ず。
身体が硬いことは何の自慢にもならないし、むしろ恥ずべきことなのですよ。

その恥ずべきことを少しでも緩和するためのストレッチの重要性は、頭では理解しているつもりだ。
…つもりだけれど、実践には結びつけていなかった。せいぜい、たまに気づいた時にちょこっと動かしてみる程度だった。

普段動かしていない部位を不用意に動かすことでどこか別な部位を痛め、日常生活に支障が出るんじゃないかという恐怖感が常に付きまとっていたからだ、という言い訳。

だけど人間も機械と一緒で、使わないところはそれなりに劣化していく。劣化していくということは、動きがどんどん悪くなる。逆にいつも動かしているところだってしっかりとケアしないと、故障を招くということは、これまでも幾度となく経験してきたことであり、文字通り痛い目にも遭ってきた。

一方で、気づかないうちに蓄積していた疲労が突如表面化することがある。
例えば普段の筋肉痛とか、疲労感とか、そういったものでさえも軽視すると、やがて大変な事態を引き起こすことがある。それはまるで、プレートや断層が徐々にずれることによって突如引き起こされる大きな地震と一緒だ。

以前ほど頻繁ではなくなったが、僕が故障を発する箇所は大体決まっている。もしかしたら多くのランナーも似たようなものじゃないだろうか…と勝手に思っている。ただ、普段からそのことを理解してしっかりとケアしていれば、故障を発する頻度も減るだろうし、大きなケガを引き起こすこともないだろう。
しかし、市民ランナーの中で事前事後のストレッチやケアにしっかりと取り組んでいる人は、どの程度いるのだろうか。実のところ、半分にも満たないのではないか。

私事になるが、2月3月に走れなかった鬱憤を晴らそうと、4月から一気にペースを上げて練習を再開。どうやら、これが良くなかったようだ。これまであまりやったことのない練習にも取り組む中、それなりに成果が見え始めていた。よし、更に底上げするぞ、と息巻いていた矢先、酷い風邪に見舞われた。ようやく治りかけたところで、再びペースを上げた練習。この頃から何となく左脚に違和感を覚え始めていたのも事実だったが、まあ、きっと大したことはないだろうと楽観視していた。そしてこの過程でのケアは、完全に怠っていた。

先週の土曜日、練習中に左の足首周りが突如悲鳴を上げた。何事かと慌てて走るのを止めた。練習を途中でやめ、痛みの部位を確認してみると、アキレス腱の辺りから発せられたものだった。嫌な予感がした。というのもちょうど3年前、右アキレス腱に発症した症状と似ていたからだ。そのまま帰宅し、アイシング。しかし、その痛みは左脚のアキレス腱で更に勢力を増し、歩くのにも支障が出るほど重症化した。

日曜日、絶好のラン日和だったにもかかわらず、終日休息に充てた。いや、そうせざるを得なかったのだ。
月曜日、いてもたってもいられなくなり、かかりつけの整形外科へと駆け込んだ。
名医によるレントゲンと触診で、事態が思っていた以上に深刻だということを悟った。

アキレス腱の腱鞘炎。

長い付き合いになりそうな、そんな予感がした。

しかし、急にこれを緩和するために慣れないストレッチをするのはまだ時期尚早。ある程度痛みが抜けてから徐々に、凝り固まった筋をほぐしていくべきだろう。
相変わらず学習していないな、と自分に呆れた。

不幸中の幸いといえばいいのか、日曜日がピークだった痛みは、月曜、そして火曜と徐々に抜け始めており、見た目には多少ぎこちなさが残っているかも知れないが、少なくとも歩く上での支障はほとんどなくなりつつある。
これが今日(6月19日)時点での顛末だ。

24日(日)は、平川市碇ヶ関で開催される「たけのこマラソン」にエントリーしている。例年ハーフにエントリーしていたのだが、今年は思うところがあって10㎞にエントリーした。土曜日に痛みを覚えた時、正直「ハーフにしなくて良かった」と安堵した。とはいえ走ること自体を考えるのが無謀かも知れないし、実際走れるのかどうかはわからない。でも、何とか走れるんじゃないか、という根拠のない自信もあって、今は自分の事なのに他人事のように楽観視している。そうやって完治を遅らせていくのに、だ。

閑話休題。
僕の走る姿がロボットに揶揄されるのも、身体の柔軟性の欠如が最大の要因だろう。要するにぎこちなく、ガシガシと音を立てて走っているように見えるということだ。いや、見えるのではなく、ホントにガシガシ音を立てて走っているのだ。そのガシガシは、凝り固まった筋が軋む音。特に股関節、内転筋の柔軟性は全く欠落していると思っている。…あ、ついでにいえば頭の中もですか。

走る上で必要なのものは色々言われるけれど、肉体だけに目を向けると、数々の骨格筋がバランス良く均整が保たれていなければならない。しかも、偏って発達しているところに牽引されるのではなく、むしろ一番弱体化している骨格筋に合わせたパフォーマンスしか発揮できない。

筋骨隆々のボディビルダーの体幹が弱ければ、ポーズを決められないでしょう。
逆に体幹ばかり鍛えられた体操選手の腕力が弱ければ、鉄棒にぶら下がれないでしょう。
Aの部位が100の力を発揮できる中、Bの部位は70しか力を出せないのであれば、どんなに頑張っても全体で出せる力は70までなんだから。
最新鋭のスペックのマシンを手に入れて、旧来からのシステムに繋いでも、そのシステム自体が最新鋭にはなり得ないですからねー。

自分のウィークポイントを探って、そこを強化することはとても重要なことである一方、それをしっかりと連動させるために必要なものの一つが、柔軟性なのかも知れない。

先日、エレファントカシマシのボーカルを務める宮本氏がラジオに出演、なぜかストレッチの重要性を説いていた。
全くできなかった前屈だが、日々ストレッチを重ねていくうちに、3年ほど経った今日ではすっかり地べたに手が着くまでになったそうだ。

バスケットボールの田臥勇太選手は、開脚で60センチも脚が開かない、ということを聞いたことがあるし、正直、ランニングにおける柔軟性がどの程度重要なのかはわからない。(田臥選手の話は、身体の硬い僕にはある意味救いだった。)
なかなか走れないこのタイミングで、軟性を考えながら全体の底上げを探っていくのにはちょうどいい機会だと捉えよう。急に軟体動物みたいに柔軟性が増す、なんてことはないんだから。

でも、少なくともケガのリスクは減るのかな。だからこそ、普段からのストレッチや柔軟性を高めることへの意識付けは、今まで以上に気に留めようと思う。
ということで上下肢問わず、こんなカチコチな僕にでもできそうなストレッチがあったら、教えて下さい。

「弘前」ナンバー

2020年から、ご当地ナンバーとして新たに「弘前」が加わることになったそうだ。

対外的に弘前をアピールするのが狙い、とのことらしく、弘前市民に弘前への愛着を更に深めてもらおう、という意図ではないようだ。

こういったところに市民と「あちら側」との温度差を感ぜずにはいられなかったりして。…あ、かく言う自分もそんな「あちら側」の人になっちゃうのか。

7月には図柄入りナンバーの公募を始めるらしい。

(これはバイクのナンバープレート)

元々ご当地ナンバー制度は、2004年に「地域振興や観光振興等の観点から、ナンバープレートの地域名表示を弾力化し、自動車検査登録事務所の新設の有無にかかわらず、新たな地域名表示を認めることとする」として始まったもの。青森県内には陸運支局のある「青森」と「八戸」のナンバーしかなかった。登録台数10万台以上が5万台に緩和されたのを機に、ここに「弘前」が割って入ってきたのは、青森でもなく八戸でもない、「弘前」としての変なプライドが働いたからではないか(いわゆるエフリコギ)、などということをふと思ってしまう。

ちなみにこの「弘前」ナンバー、弘前市と西目屋村が対象地域となるそうだが、当初はもっと幅広いエリアでの構想だったと聞いている。しかし、「弘前」にこだわり過ぎた結果、参画する市町村は西目屋村のみだった。当然の結果というかむしろ、よく西目屋村が「白神」推しをしなかったな、と思う。(「白神」については、かつて秋田県内で市町村合併後の新市を「白神市」にするとかしないとかで騒動があったので、それを踏まえた大人の対応なのかも知れないが。)

しかし、平川市や黒石市の人をはじめ、周辺市町村の皆さまが違和感を持つのは当然だろうし、その地域の皆さんが「弘前」のナンバーを付けるって、弘前市民からしても何となくイヤだろうな、って思ってしまう。

18歳以上を対象にご当地ナンバー導入の賛否を問う住民アンケート(弘前市4,000人、西目屋村100人)を行った結果では、いずれも5割以上の賛同を得たそうだ。まあ、市内や村内にどれぐらい免許保有者がいるのか知らないし、このサンプル数が多いのか少ないのかは知らないけど。

じゃあ、「弘前」ナンバーを自分の車に取り付けたいかと聞かれると、「うーん、そこまでは…」というのが正直なところだ。いや、別に弘前が嫌いなワケじゃないし、むしろ地元愛はバリバリある。だからこそ、あまり気乗りしないのだ。

しかし、手放しで喜べないこのモヤモヤした感じは何だろう。
一つ言えることは、「今更何を?」といった感情が渦巻いているということだ。弘前と言えば、日本一を自負するさくらまつりや弘前ねぷた、更にはりんごの街としても充分国内外に知られた街だと思っている。それでもなお、「ひろまえ」と呼ぶ人がいることも知っている。

それはともかく、それなりに知名度を持っている地方都市の名前をわざわざご当地ナンバーとして付する必要があるのだろうか、という疑問が、「弘前」ナンバーと言われてもしっくり来ない一番の要因なのかも知れない。

ここ最近は本当にご当地ナンバーが増えて、青森県内でも他県のいろんなナンバープレートを見かけるようになった。「盛岡」「仙台」はともかく「平泉」ナンバーには正直ちょっと驚いたけど。まあ、世界遺産の名を冠しているという点では、それ相応の「宣伝効果」はあるのかも知れないが。

その「平泉」に代表される、というわけではないが、ご当地ナンバーは「走る広告塔」とも言われていて、その地域の宣伝やPR効果も高いという。

(ここまでキャラクターがいると、何が何だか…。)

ただ、その一方で「走る広告塔」であるが故に起こりうる懸念も抱かざるを得ないのだ。
だって皆さん、こんな経験ありませんか。

他県ナンバーの車両が傍若無人な運転をしているのを見て、チッと苦虫を噛みつぶしたこと。弘前なんて「さくら」の季節や「ねぷた」の時期になると県外ナンバーの車が市内を走っていることなんてざらにあるわけですよ。
裏を返せば、今後、逆のことが起こりうるワケだ。

例えば。
県外の高速道を走行中に、制限速度を遥かに超えるような猛スピードで追い越していった車両が「弘前」だったら。
県外で白バイに止められていた車両のナンバーが「弘前」だったら。
大きな事故を起こした車両のナンバーが「弘前」だったら。
それこそ、街中で粗暴な運転をしている車両のナンバーが「弘前」だったら。

PR効果どころか、「弘前」そのものに対する印象は悪くなるだけである。
もちろん、全てが全てこういったことを懸念しなければならない、ということではない。
ただ、「ご当地ナンバー」を背負う以上は、「走る広告塔」として運転する側もそれなりに気をつける必要があるのではないか、ということだ。

賛否両論あることを承知で言うと、個人的には「岩木山」の方が地元の愛着が湧いて良かったんじゃないかと思うが、「岩木山」ナンバーだったら弘前市や西目屋村だけではなく、かなり広い範囲で使用されることになり、範囲が抽象的すぎるとか何とか言われてダメなのかも知れない。(一方で、静岡県富士市を中心とした「富士山」ナンバーがあるのも何かちょっと変な感じだけれど。)

当初の導入基準の一つとして、複数の市町村の集合であることが要件となっていたが、要件の緩和によってなのか、単独市町村の申請も通るようになっているようだ。
こうなってしまうと、原付バイクのように各市町村名が付されたナンバープレートでいいじゃないか。今回の「弘前」を含んだご当地ナンバーは第3弾とのことであるが、結局のところ「ご当地ナンバー」って一体何のためにあるんだろう、と思ってしまう。穿った味方をするならば、各地でご当地ナンバーが導入されることにより、多かれ少なかれ何かしらを得る人がいるってことなのだろう。どこかのOBとか、天から下った人とか。

さて、どんな絵柄になるのかはともかく、どうせならば唐辛子の絵柄でも入れて、横に小さく「清水森」って文字を入れた日には、色んな意味でヒネリと凝りが効いていてインパクト絶大だろうに、と思う今日この頃。そうだ、いっそのこと「弘前」じゃなくて「清水森」にしますか!
※ご当地ネタですいません。

「弘前在来トウガラシ」