第13回弘前・白神アップルマラソンを走り終えて ~4時間30分ペースセッター奮闘記・後篇~

…さて、21キロを過ぎて2度目の小タイムを終えた私、また例のごとく背後から集団を追いかけるわけですが、ここで5時間の集団とすれ違います。すれ違いざまに多分、あれ?何で独り集団と離れているんだろう?と思われたかも知れませんが、すいません、そういうことでした。でも、これが結果としてばらけ始めた集団をまた少しまとめるするという効果があったのは事実です。

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(後方から前の集団を追いかけていたとき。後ろの女性2人は最初歩いていたのですが、まるで前方の集団に吸い込まれるように再び走り始めました。)

この時点での平均は1キロ6分18秒。このままで走っても、充分4時間30分でゴールできるんですね。で、集団に追いつこうとペースを上げた僕が、スゥッと横を走って行くので、皆さんビックリするわけですよ。
「えっ!4時間30分のペーサーがここにいる!」と。
「大丈夫ですよ、そのままのペースを保てたら皆さん4時間半切れますよ!一緒に行きましょう!」

そう言ってランナーの皆さんを盛り立てます。もっとも、折り返したあとは緩い下りがしばらく続き、その後は細かなアップダウン。34キロ過ぎからがランナーを苦しめる長い上り坂。そして残り1キロで待ち受ける、約300メートルの上り坂…いくつかクリアしなければならないコースの要所がありますので、それをうまくこなせれば、自ずと4時間30分切りが見えてくることでしょう。それがうまく行かないところが、ランニングの難しさなのですが…。

一旦集団に追いついたあとで、再び後方に回るという作戦。緩い下りとはいえ、この辺りからついてこれずにペースが落ち始めるランナーが続々と現れたため、何とか食らいついてもらおうと、わざと後方を振り返り、視線を何度も送ります。
…ふと、僕の横に女性ランナーがつきました。この方、スタートからずっと集団走の中にいた方。

「ここは緩く下りが続きますからね、あまりペース上げないで。あの坂が待ってますからね。」
「はい。」
「もう少しすれば給水ありますからね。」
「はい。」
「少し肩に力が入っているので、リラックスしましょうか。」
「はい。」

こちらからの呼びかけやアドバイスに、忠実に「はい。」と返してくるこの女性。結局39キロ付近までずーっと並走し、最後は「大丈夫、4時間半以内で行けますから!」と送り出しました。(結果、4時間半を切って自己ベストを更新したそうです。おめでとうございます!)

25キロを通過。まだ時間的にも体力的にも余裕があります。しかし、雨が降ったり止んだりで、皆さんの身体が縮んでいるような気がしたので、肩の力を抜くよう、声を掛けました。
26キロ過ぎにある私設エイドに立ち寄ります。ここで、そうめんを一杯流し込みました。ほどよい塩分が喉を潤します。

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(26.5キロ地点、何を血迷ったのか妹と甥っ子が応援に来ていました。さほど疲労もなく、甥っ子に愛想を振りまいています。雨が降ったのはきっとこのせいです。)

さて、27キロの手前から再び雨が降り始めました。しかも、今度はちょっと雨脚が強め。木陰を走って雨をしのがせるように走路の修正を行ったり、上り坂でペースを落としつつ歩幅を狭めるようアドバイスを送ったり、「相棒」と二人で絶えず気を配りながらのランとなりましたが、これはこれで楽しいのであります。
僕みたいな経験の浅いランナーがペースセッターで申し訳ないな、と思いながらも、逆に僕に全幅の信頼を寄せて走っているランナーが一人でもいることを考えると、ここはしっかりと役割を果たさなければなりません。

30キロの給水地点が近づいてきました。
「皆さん、間もなく給水ですよ。」
「…ハイ。」
息も絶え絶えのようなか細い返事があちらこちらから。
「あら~?元気ないですね。どうしましたか。元気出しましょうか!寒いし、辛いですよね。実はうちらも辛いんですよ。もうちょっとなんでね、ここまで来たら一緒に頑張りましょうよ!」
なるべく明るい声で笑いを取りながら、「同士」の皆さんのテンションを下げないように盛り立てます。

30キロでのアドバンテージは3分。ここからがどれだけのランナーを4時間30分以内でゴールさせることができるか、いよいよ腕…いや、脚の見せ所です。

「相棒」がトイレに寄るということで、しばらくは僕が先導。31キロから先が辛くなることをこれまで経験していますので、この辺りは無理をせずに、しっかりと刻んで行くことを意識していきます。

ふと周りを見ると、50人前後だった集団は、10人にも満たない人数になっていました。昨年もこんな感じだったことを思い出しました。それでも必死に僕たちについてきてくれている人がいる…何かそう考えたら、胸が熱くなってきました。そして、この周辺からまるでゾンビのようにうなだれて歩く人達の姿がかなり多くなってきました。

33キロ過ぎのエイド。この辺りは完全に脚を止めてしまうとそこから動けなくなる人がいそうな気がしたので、敢えて歩を止めずに給水。同じクラブのSさん母娘がボランティアとしてテントの中で作業をしていました。

「お疲れさまです!」
「あれ?キャプテンは?」
「トイレに寄るっていうんで離れちゃいました。あとで追いつくと思います。」
「頑張って!」
「ありがとうございます!あ!○○ちゃん、ありがとね!!」

二言三言のちょっとした会話ではありましたが、仲間の姿を見かけるだけで元気が出るものです。
さて、長い上り坂にさしかかりました。前述の女性と数名がついて来るだけ。走ることもままならなくなった人達が、辛そうに歩いています。なるべく声を掛けながら走りたかったのですが、さすがにこの辺りまで来ると、こちらの疲労度も大分高くなってきました。
ちなみにここまでの間に補給したものは、10キロ手前と25キロで塩熱サプリ、15キロと30キロでパワージェル、そして24キロでそうめん一杯。もしかしたらこれまでは、あまりに補給を気にしすぎて摂りすぎていたのかも知れない、と思いました。(こういうことを知るという点でも、僕自身凄くいい勉強になりました。)

35キロを付近で時計をみると、1キロ当たりのペースが20秒程落ちています。でも、まだ貯金があります。もう少し落としても大丈夫と思いながら、淡々と歩を進めていきます。雨は止んでいました。が、相変わらず寒いです。でも、きっとそれは皆さんも一緒。
辛そうに歩いている人に「走れ!」というのは酷なので、声を掛けません。でも、ペースが落ちかけている人にはもう一度最後の力を振り絞っていただきたく、「さあ、残り7,000メートルです!まだ大丈夫ですよ!ここまで来たら4時間30分、行けますよ!」と声を張り上げます。
36キロ通過。給水は残り2か所。ここまで約4時間近く、ずっと僕の背中について来て下さった方が数名いたことを知っています。
「残り6,000メートル!ここまで来たら、あとは大丈夫です。最後は皆さんの力で頑張って下さい!」
「いえ、もう少しついて行かせてください…。」
その言葉に、またしても胸がジーン…。

いつも朝練で走るコース。写真撮影や小タイム、そして給水で立ち止まりはしましたが、ここまでほとんど歩いていません。というか、歩くわけがないのであります!
昨年はペース配分を見誤り、時間を余してこの辺りで斜めに歩く始末。しかし今年は、想定の範囲内といいましょうか、ほぼ完璧なペース配分。正直、ここまでうまくペース配分を整えることが出来るとは思っていませんでした。しかし、こんなに必死になって走ったのはいつ以来だったでしょう。

39キロ付近で、いよいよ並走していた前述の女性を送り出します。
もう一人、三沢の方は、僕の歩調に合わせるように、ずっと並走しながら話しかけて来ます。
「このままなら余裕で4時間30分は切れますし、まだ27~28分で行けますよ?」
「いやぁ…いいんです。これだけ走られれば充分ですから。一緒に行かせてください。」
「うん、いいですよ。」

口ではそう言いながらも、常に周りに目を向けていました。余力を残して諦めかけているランナーはいないか。力を出し切っていないランナーはいないか…。
四六時中「さあ、4時間30分、まだ行けます!ここが踏ん張りどころです!あと3,000メートル切りました!頑張りましょう!」と叫んでいたような気がします。

40キロ地点手前、岩木茜橋にさしかかった時、先方に同じクラブのSくんの姿を発見。脚が痙攣しているのか、かなり辛そうです。
「さあ、行くよ!」
「うわあ…マジかよ!」と、明らかに失望の表情。まさか追いつかれるとは思っていなかったのかも知れません。

…ふと、後ろを振り返りました。
どこで抜き去ったのか分かりませんが、こちらも同じクラブのOさんが必死の形相で走ってきます。その背後から、同じビブスを身に付けた「相棒」。
「Oさん、大丈夫、まだ行ける行ける!4時間30分、切れるから!大丈夫大丈夫!」
Oさんは、しっかりとした足取りで僕の横を駆け抜け、その後僕たちに追いつかれることなくゴールしたようです。
一方のSくんは、かなり辛そう。「相棒」がSくんに声を掛けますが、脚に痛みもあるようです。

「あとどれぐらい余裕ある?」
「3分ないぐらいかなあ。」
「一人支えたい人がいる。後ろからでもいいかな。」
「うん、大丈夫。」

一度追いついた「相棒」に再び後方を任せ、僕は前方から4時間30分を目指します。

少しの間Sくんに合わせて少しペースを落としましたが、ここは心を鬼にしなければなりません。
Sくんと距離を置きつつ、40キロ通過。
ここまで来れば、ゴールはもうすぐです。一緒に走る同士を鼓舞し、盛り上げながら、ゴールを目指します。

例えは悪いですが、ランナーは羊、僕たちは牧羊犬。
一定の方向にしか進めない、鬼ごっこ。そう、僕たちは「鬼」。
ふと、そんなことを考えながら手を叩き、声を張り上げていました。
「行ける行ける!まだ4時間30分切れるから!」

一人でも多くの人にサブ4.5を達成して欲しい。ここまで来たら、思いはそれしかありません。
残り700メートル。あと1分余裕があります。
「大丈夫大丈夫!4時間30分切れる!ここ、最後頑張ろう!」
背後から聞こえてくるその声にハッと気づき、途端にペースを上げるランナー。ずーっと声を出しながら、クラブのメンバーが声援を送る残り300メートルのゾーンも、ハイタッチもほどほどに必死の形相で通過(していたはず。というか、この辺りの記憶があまりないのです)。
残り200メートル。時計を見ると4時間29分を過ぎました。頼む、一人でも多く先にゴールしてくれ…。
ここでのアドレナリンの放出量、ハンパなかったと思います。何名か知り合いを見つけましたが、それよりも視線はランナーと電光掲示板を追っていました。
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あと数秒のところで4時間30分を切れなかった選手を先にゴールさせ、僕自身もゴール。
止めた時計をみると、4時間30分05秒となっていました。(公式タイムでは4時間30分08秒でした。)

コースに向かって深々と頭を下げ、りんごと飲み物を受け取ります。
数名の方が駆け寄り、「ありがとうございました!」の言葉と握手を求めてきました。見ず知らずの人達、いや、同士の方々に少しでも役立てたということが、素直に嬉しかったです。
当初は、大会を盛り上げたいという一心だったのですが、走りながら、同じコースを走る同士のために役に立ちたいという方の思いがどんどん強くなっていきました。

終わった…と思ったら、ドッと疲労感が押し寄せてきました。でもそれ以上に、満足感、達成感、充実感に溢れていました。
うまく言えませんが、自分自身の走る喜び、楽しみを取り戻した、といった感覚でしょうか。でも、正直言うと、あー終わっちゃったなあ、という一抹の寂しさも。

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この役目も、一緒に走る仲間がいるからこそできたことだと思います。昨年、4度目のフルマラソンで初めてペースランナーを務めた経験が、間違いなく生きました。弘前公園ランニングクラブの仲間たちとhoneygoodのみんな、そしてアップルマラソン実行委員会には、こういう機会を提供していただいて、心から感謝です。

さて、あとになってから聞いたのですが、我々4時間30分のペースセッターはどうやらサブ4前後のラインをを狙っていたラン仲間のデッドラインになっていたようで、我々の足音にかなり怯えながら走っていた、とのこと。やはり我々は、「鬼」だったようです。
結果として自己ベストを更新した人も多数いたようですし、そういう意味では一定の効果があったのかな?青鬼の格好をして走られている方がいましたが、来年はペースセッターも頭に角を立てて走りましょうかね。

ということで弘前・白神アップルマラソンに出場された皆さん、本当にお疲れさまでした。
涼しさを通り越し、寒いぐらいの天候の中、脚が痙攣した人も多数いたと伺いました。
その中で、自己ベストを更新した人、残念ながら不本意な結果に終わった人など、悲喜こもごもをたくさん拝見させていただきました。
前回そして今回と、ペースランナー(ペースセッター)として走らせていただき、走り終えたあとに感謝されるという、違った喜び、感動を味わうことができて、本当に感謝感激しています。走る楽しみ、喜び、苦しみ、色んなものを目の当たりにしながら、ああ、マラソンってこんな楽しいんだっけ、と思い返すいいきっかけになりました。ちなみに一番の収穫は、フルマラソンを歩かずに走るためにはどうしたらいいか、という一つのヒントを得たこと。そうだよ、マラソンは自分との戦いなんだよね、って改めて再認識した次第。

その一方で、2度のトイレタイムやペースのムラ、そしてやはり、ペースセッターという存在をいかに目立つようにさせるかなど、今回反省しなければならない点、今後修正しなければならない点もいくつかあると思いました。

今はまだ来年どうするかなんてことは考えられませんが、また御要望があれば、地元のために一肌脱ぎたいと思っています。それぐらい充実感がありました。でも、仲間の中からも「来年は是非ペースセッターをやってみたい!」という声が上がっていて、個人的にはとても嬉しいことだと思っています。

今回の大会で無事サブ4.5を達成した皆さん、おめでとうございます!残念ながら達成できなかった皆さん、来年頑張ろうね!

本当にありがとうございました。

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(ペースセッターを務めるに当たってずっとウェストポーチに忍ばせていたペースチャートです。言わばカンニングペーパーでした。)

第13回弘前・白神アップルマラソンを走り終えて ~4時間30分ペースセッター奮闘記・前篇~

長引く怪我の影響もあって、ここ最近、というか今年の大会の結果が今ひとつパッとせず、走ることに対する熱が少し醒めてきたのかな、と悶々としていたところへ、信頼を寄せるラン仲間の方々から叱咤激励。これがかなり効きました。

10月4日の「弘前・白神アップルマラソン」では、フルマラソンで4時間30分のペースセッターを務めることに。フルマラソンを4時間30分で走りきるということは、実は僕自身今まで経験したことのないタイム。(僭越ながら、もっと速いタイムでしか走ったことがない、という意味で。)

フルマラソン挑戦3年目、これまで7回しかフルマラソンを走ったことがないのに、ペースセッターを務めるという図々しさ。自分みたいに経験もそんなにないヤツがペーサーなんてやっていいんだろうか?というかその前に、出来るんだろうか?という葛藤。実はこの自問自答が自分の心をちょっと疲弊させていたみたいで、どうやらかなり神経質になっていた模様。

まあそれでも、やると決めた以上は絶対にやりますよ!ということで大会前日は22時前に就寝…のはずが、ラグビーW杯の日本-サモア戦が気になって23時30分頃に目が覚め、そこから結局ノーサイドまで起きてました。
翌朝目が覚めたのは4時40分。熱めのシャワーを浴び、「秘密の粉(といってもヤバイ粉ではありません)」を混ぜた500ミリリットルの経口補水液を、家を出るまで飲み続けていました。
その他9時のスタートまで口にしたのは、例の如く切り餅。
今回は、納豆と一緒に4個、雑煮にして3個を平らげました。この他に、無調整の豆乳とバナナ1本。

7時30分前に受付会場のある追手門広場に到着。まずは弘前公園ランニングクラブのテントに荷物を置いて…と。しかしまだ早かったらしく、あまり人は集まっていませんでした。空を見上げると、雲の切れ間から青空が広がっています。
これが昨日じゃなくてよかったな、と思いながら、何とか天気が持ちこたえてくれることを祈ります。というのも、前日は激しい雨と雷が断続的に続き、朝練もやらなかったぐらいなんですから。

8時前後になると、かなり多くの人が集まってきました。僕も受け取ったペースセッター専用の赤いビブスを着用し、気合いを入れ直します。しかし、これを着用して歩いていると相当目立つらしく、多くの方から好奇の目で見られることとなりました。

8時15分、すっかり恒例となった弘前公園ランニングクラブの市役所前での集合撮影。今回はhoneygoodや絶倫魂など、他の団体も一緒の撮影となり、通りがかったバスが思わず停車したり、道行く人がカメラを向けたりと、ちょっとした「名物」のような様相を呈していました。…まあ、一度NHK-BSでも放映されたしね(笑)。

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続いて8時30分、今度はゴールゲートの前で、ペースセッターを務めるメンバーで地元新聞社の取材と撮影…のはずが、連絡がうまく伝わっていなかったようで、一人足りない状況の中での撮影となってしまいました。
まあ、8時15分の集合写真の際に全員で撮影できたし、結果的にこの画像そのものは記事には使われなかったので、そこは結果オーライということで…。

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8時45分。いそいそと移動を開始。途中、部署は違えど同じ職場で働くK氏と会い、色々話しながらスタート地点に向かいます。彼が結構頑張って走り込んでいるのを知っていたので、きっと目標達成できるはず、と願いながら。(結果K氏はサブ4達成、PB更新でゴールしたそうです。おめでとう!)

「目標:4時間30分以内」と書かれたプラカードの前に立つと、背後に並ぶ人達からにわかに期待の声が。そこでくるりと後ろを振り返り、いくつかお願いと注意事項を伝えます。
・後半に少し貯金を残すため、ペースは6分15秒から20秒前後を想定していること。(実際は6分10秒前後だった。)
・最初から最後までうちらのペースに合わせて走ろうと考えず、最後は自分のペースで走りきること。
・給水は全て必ず摂ること。
・スタートしてすぐの坂道でペースを上げないこと。
程なく、一緒に走るTキャプテン(以下「相棒」といいます。)も横に並び、あっという間にスタートの時間が迫ってきました。妙な緊張感が漂ってきます。
「10秒前」の声と同時にGPS時計に手を掛けます。そして9時、いよいよ4時間30分のペースセッターとしての役割が始まりました。

正直、練習でもなかなか走ったことのないペースということで、果たして無事に走れるのだろうかという不安がありました。スタート時のロスを考慮しても、最初の1キロ6分29秒はまずまず。5キロで32分を想定していましたが、実際は30分42秒と、やや早めのペース。「ちょっと早いんじゃないですか」という声がちらほらと聞こえましたので、少しペースを抑えながら走った…つもりでした。でも、結局10キロまではほぼ変わらないペースで走っていたようです。
途中、給水地点が近づいていることや、長い下り坂があること、そしてそれが復路では長い上り坂になることなど、ポイントとなる地点については大きな声で伝えながら走ります。スタート時点でその数50人は近くいたのでしょうか、一団となって僕らの後ろをピタリとついて走ってきます。

スタート時に出ていた陽射しが隠れ、冷たい風が吹いてきました。10キロ通過は1時間1分30秒。予定では、このままのペースで押して行ければ、設定タイムより3~4分早くゴールすることができます。しかし、ここでの油断は禁物。時計に目を配りながら、一定のペースに落ち着かせるよう、「相棒」と歩調を合わせます。ところが、身体に吹き付ける冷たい風が災いしたらしく、10キロを過ぎた辺りで尿意をもよおしてきました。そしてついに12キロ地点の給水所で、ペースセッターとしてはありえないトイレタイム…嗚呼、すいません。
その後、尿意から解放された私、足取りも軽く先を行く集団を追いかけます。ちょうど緩い上り坂、気にならない程度とはいえ、ここで無理をするとあとのダメージとして響いてきます。程なく集団に追いつき、背後から声を掛けます。
「いいですよ!皆さんいい走りしていますよ!まだまだ余裕ありますねぇ!」
一度追いついたあとで、緩く長い上り坂の頂点付近まで先に走り、今度は写真撮影。こういうことをしながら、徐々にランナーに緊張を解いていく、という僕なりの作戦でした。もっともこれ、4時間30分のペースセッターだからこそできたわけで、多分4時間なら無理だったと思います。

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(写真を見ると皆さん楽しそうに走っているでしょう?こうやって緊張をほぐすのも大事だと思いました。)

14キロ地点を過ぎた辺りで、小雨が降ってきました。
そしてこのあたりで、先に折り返してきたトップの選手が白バイに先導されてやって来ます。ちょうど1車線に規制された狭い区間だったため、後ろを走るランナーの皆さんに左側に寄るように声を掛けます。
一度止んだと思ったその小雨は、18キロ過ぎから再び降り始めます。遠くの景色が霞んで見えているということで、恐らくこのあと折り返しまではしばらく雨が続きそうな気配。これまでのマラソンの時は暑さ対策を色々考えてきましたが、今日に限っては寒さ対策が必要だったようです。(結局雨は折り返す直前で上がりました。)

その後も続々と反対車線をやって来るランナー。入賞を目指す仲間、3時間切りを目指す仲間、そして、自己ベストを狙う仲間。やがて、3時間30分のペースセッターがやって来ました。背後には大勢の人達。うわぁ…うちらもまだこんな感じなんだろうか…。すれ違いざまに声を掛け合い、お互いを鼓舞します。仲間たちは、明らかに走力が上がっています。続いてやって来た4時間のペースセッター。その背後にも、たくさんのランナーが…。
気がついたら西目屋村に入りました。と同時に、ようやく折り返し地点が近づいてきました。
天気があまりよくないこともあってか、観客は昨年より少ないようです。それでも、我々に声援を送ってくれる地元の人達。ただただありがたいです。
僕はといえば、折り返し地点の先にある建物に、既にこの世にいない二人の姿を思い浮かべます。

気を取り直し、「さあ、折り返しますよ!」と声を掛けます。
折り返し地点を過ぎるとすぐに、弘前公園ランニングクラブの私設エイドがあります。そこに立ち寄り、コーラ一杯と、チョコレートを一つ。すぐに給水所もあるのですが、私、またしても尿意をもよおし何とこの給水所で2度目の小タイム…すいません。ホント寒かったんです…。

(後篇につづく)

弘前・白神アップルマラソンまであと4日 – 今年は4時間30分で走ります-

前にもお話ししたことがあるのですが、僕の運動音痴っぷりというのは、目も当てられないものがありまして、アメトーークで時々放映される運動神経悪い芸人、あれを観てゲラゲラ笑った後でふと我に返り、無性に虚しさがこみ上げる、ということがしょっちゅうなのであります。

小学校時代の運動会では6年間通して徒競走最下位、一番酷い時には次の組の1位と間違えられるという有様。
ところが中学2年の頃から自転車で塾通いを続けた結果、中学3年の時に人並みの走力(いや、当時は人並みよりちょっと速くなった)となり、運動会ではクラス対抗リレーに出場、「何でお前が出るの?」と失笑していた隣のクラスの小学校時代の友達が、僕に追い抜かれた際にグラウンドに響くぐらいの声で「ウソッ!」と叫び、更にリレーの選手に選ばれたことが信じられなかった母親までもが、こっそり中学校まで観戦に来ていたっていうんですから、どれだけ鈍足だったかがイメージできるかと思います。

僕の運動音痴っぷりは親戚の間でも周知の事実、この年齢で僕がマラソンを走るということを知ると「どうしたの?何かあったの?」と本気で心配される始末。
なので、親戚は今でも僕がマラソンランナーであることを半信半疑でしか見ていません。

さて、そんな親戚の見る目が若干寂しい状況の中、地元で行われるマラソン大会であり、県内唯一のフルマラソン大会である「弘前・白神アップルマラソン」の開催までいよいよあと4日と迫ってきました。

第13回となる今回も大会事務局では試行錯誤をしているようで、今回は前日受付などがなく、ゼッケンナンバーとチップが参加者に事前に郵送される方式が取られました。参加賞は当日受取りだそうです。一方、昨年同封されていた観光案内や会場周辺の位置図、駐車場案内などがかなり省かれることとなり、はっきり言って参加者にとってちっとも親切じゃない案内となってしまいました。詳細はネットでご覧くださいってことなのかな?
まあ、これに関しては大会後の検証の際に当然議論されることとなると思いますので、ここでは敢えて申し上げません。

さて、どこか事務的過ぎて大会参加者への歓迎ムードがまるで感じられなかったそんな開催通知ではありましたが、運動音痴なこの私、今回も頑張って地元の大会の盛り上げ役に徹します。

前回の弘前・白神アップルマラソンで、僕はスーパーマリオの格好に扮し、4時間切りを目指すランナーの応援、サポートということで、3人の仲間とともに非公式ではありましたがペースランナーを務めさせていただきました。

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そんな昨年の実績(?)が認められ、今年の大会は何と日本陸連の公認大会でもないのに、「大会公式」の10人のペースランナーが登場することとなりました。僭越ながら私、仲間とともにその一人として走らせていただきます。
ちなみに設定時間は、3時間30分、4時間、4時間30分、5時間、そして制限時間ギリギリの5時間50分。この設定でそれぞれ2人ずつが走ります。
そして今回、僕は4時間30分のペースランナーとして大会を盛り上げます。
昨年のようなマリオやふなっしーといった特徴ある格好はしませんが、それなりに目立つ格好はする予定です。あくまでも、それなりに。

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↑こちらは勝手に作成したペーサーTシャツです。これを着用して走ります。

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↑バックプリントには「俺について来なさい」の文字。ただし、当日はこの上に赤のビブスを着用する予定なので、思いだけ感じてついてきて下さい。

第13回弘前・白神アップルマラソン
(「ペースランナーのご紹介」にちゃっかり登場しています。)

しかし、フルマラソンで4時間30分、実は僕にとって決して楽な時間ではありません。というのも、1秒でも速く、という追い込んだトレーニングはやりますが、1分でも遅く、といったトレーニングはほとんどやったことがないからです。
フルマラソンを4時間30分で走りきるということは、1キロ6分24秒程度のスピードで走る計算になります。よって単純計算だと、5キロを32分で走るということになります。参考までに申し上げますと、この間の田沢湖マラソンでは、通算すると1キロ5分20秒のペースで走りました。つまり、そこから更にペースを1分落として走るということになります。

先日、朝練でキロ6分20秒に挑戦してみました。これはこれで結構大変です。フルマラソンの距離を4時間30分で走ったことは、正直ありません。練習で何度も休みを挟んだ結果としてその時間となったことはありますが、大会では走り通したことのない、ある意味僕にとっても「未知の時間」なのです。

もちろん担うと決めた責務ですので、最後までやり遂げるつもりです。いや、やり遂げます。そのために、今月は大会があったにも関わらず、月間累計190キロというやや少な目な距離を走り終えた日曜日から既に脚休めに入り、なかなか痛みの引かない部位のストレッチとマッサージに励んでいます。今回の大会は、僕自身にとって精神力と体力を試されるトレーニングの延長だと考えて走ります。使わない筋肉を使うことになりそうなので、翌日は違う筋肉痛に襲われそうな予感です。

…なーんてことを言うと、4時間30分を目指す皆さんの不安を煽るだけですね。
ご心配なく。僕たちは4時間30分ちょうどでゴールする予定です。
どうぞ最後は、僕たちの前を走ってゴールして下さい。

さてここで、おこがましくも全てのペースセッターを代表して一つだけお願いがあります。

我々は、皆さんそれぞれの思い描くペースでは走らない、いや、現実的に走れないと思います。
なぜなら、42.195キロを走る皆さんそれぞれの走力を存じ上げませんし、皆さんがどんな形で42.195キロを走りきる予定なのかも、わからないからです。
前半で思い切り突っ込んでいくポジティヴスプリットの方もいれば、後半に向けて徐々に上げていくネガティヴスプリットの方もいるでしょう。いや、ずーっと同じイーブンペースで走り通す方だっているかも知れません。

しかしながら、私達ペースセッターの人数は極めて限られており、1対1で走るならともかく、あの人数の中(ちなみに昨年は50人以上が団子になって折り返し地点まで走りました)で、その一人ひとりの走りに合わせて走ることができません。

どうか、我々に全幅の信頼を寄せて走るのではなく、自分自身を最後まで信じて走り続けて下さい。
我々のペースに合わせて走るのではなく、皆さんのペースで走り続けて下さい。

我々は、皆さんの記録請負人ではなく、単なる目安でしかありません。

前日まで天気がよろしくない(というか日曜日も怪しい)ようですが、コースの起伏や給水所、注意点などは、走りながらその都度声に出して行こうと思っていますし、辛そうな人を見かけたら、なるべく声を掛けて走りたいと思っています。

走り終えたとき、皆さんが「凄く楽しいフルマラソンだった!来年もアップルマラソンに参加したい!」と思えるように、我々も精一杯頑張ります。
…というよりも、精一杯楽しませていただきますっ!皆さんも楽しんで走りましょうね。どうぞよろしく!

9月26日 木下斉氏 「狂犬ツアー@弘前」 聴講記

むかーし昔と言っても確か今から17~18年ぐらい前のこと。弘前市土手町の空き店舗対策の一つとして、エコステーション(空き缶回収機「くうかん鳥」)があったんだとさ。
「くうかん鳥」というのは、簡単にいうと空き缶を回収する自販機みたいなもので、それに空き缶を投入すると、地元のお店の割引券や商品引換券が発行されるというものだったんじゃ。
これ、元々は東京の早稲田商店会におけるエコステーションの取組みを参考にしたもので、導入に当たって実はうちの亡父が奔走していたことをふと思い出したのじゃ。ビデオも見せられた記憶があるんじゃが、当時あまりそういうものに興味がなかった(興味を持つ余裕がなかった)ため、内容はあまりというかまーったく覚えていないんじゃ。
ところがいざ設置してみると、空き缶や紙詰まりなど、機械のメンテナンス(故障が相次いだ)が色々大変だったようじゃ。
さらに、空き缶以外の投入といったイタズラや、特定店舗での同一人物の割引券使用といった苦情も出るようになったほか、空き缶回収する側からも当初無償のはずが回収に係る手数料の話が浮上し、結果、3年程度で事業は終了となってしまったとさ…。おしまい。

さて、そこから現在を見てみましょう。県内の一部大型スーパーにおいて似たような取組をしていることを鑑みると、確かにゴタゴタはあったとはいうものの、青森県内においてリサイクルやエコに市民感覚で取り組んだ先駆的なものだったのではないかということで、一定の評価をしていいと勝手に思いこんでいました。
ただしこれ、実施主体は地元商店街の連合会に商工会議所などが加わり、そこへ市が補助金交付したというもの。はい、ここに一つ落とし穴があるのですが、それは後述のメモで。

そして、色々調べてみるとこの「くうかん鳥」、どうやら日本全国に生息していたらしく、その地域によって生育(取組)方法が色々異なっていたようです。いずれにせよ、この「くうかん鳥」が生息していた地域では、軒並み空き缶が消えるという嬉しい状況になったものの、「くうかん鳥」そのものが繁殖して勢力を拡大することはなかったようで、その後ほとんど見かけなくなったというのが現状のようです。
最近では、絶滅危惧種としてレッドデータブックにも登録されたとのこと…もちろんウソですが。

さてさて、その早稲田商店会を主戦場に活躍されていた木下斉氏が、弘前にやって来て講演するということを知り、これは絶対行かなきゃならんでしょ、ということで26日夕方から聴講して参りました。会場である弘前文化センター3階の視聴覚室に集まったのは、行政関係者、大学院生、地域づくりや街づくりに携わっている方々、一般市民など約30名。

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弘前大学の北原教授の紹介で木下氏が登壇。この日は八戸市で行われた日本青年会議所全国大会での講演の後わざわざ(恐らく)このためだけに弘前まで駆けつけてくれました。講演参加料は一人3,240円ですが費用対効果は抜群。お値段以上ニトリならぬお値段以上ヒトシでありました。歯に衣着せぬお話(さすが「狂犬ツアー」と謳うだけあります)は、時として痛快であり時としてドキッとさせられるものであり。会場も徐々にヒートアップし(というか空調が悪くて暑かっただけですけど)、結局2時間の予定が時間を20分もオーバーして講演会は終了。ホントは木下さんにお礼を言いたかったのですが、時間がなかったためそそくさと部屋を後にしました。

以下、殴り書きの聴講メモを起こしたものです。字が汚くて読めないんだわ。…あ、自分の書いた字か。

(【 】内は投稿者註)

・イントロは早稲田商店会とのかかわり。商店会でのごみ回収は全国初の試みだった。エコステーションとして評価され、元々予算のなかった事業だったのが行政による「補助金事業」へと変化。→結果、全国へ拡がる。
・富山市の鉄道軌道化は、(コンパクトシティの先行事例としてクローズアップされたが)30-40年後廃れるのが分かっているのに投資した失敗事例。30-40年後にはきっと自動運転の技術が発達。誰も電車に乗らない。
・どこかの成功事例、政策を拾う。それを模倣する。失敗する。【行政あるある。そして、成功事例はクローズアップされるが、その後の失敗は誰も拾わない。】
・パクリの繰り返しが失敗を生み出し、みんな疲弊する。【実は弘前市のエコステーションも?】
・成果のある地域に予算(補助金)を投入、最後はポシャるという繰り返し。【ことを興す機を逸しているということか。】
・国は成功事例について1つだけではなく、5つぐらいを同時に見せようとする。【他の地域に安心感を持たせるため?】
・できもしないことをできるように見せかけ、全国に拡散させる。実は国や地方は自分たちでは最後までできないことを分かっている。他方、国や自治体に何とかしろとハッパをかける住民がいる。結果、犠牲になる自治体が出てくる。【地域によって背景は異なるから画一的なことはできないだろう。】
・生み出せない付加価値を生み出すようにするのが補助金事業、という名目。でも、実際のところ、前述のとおり補助金は「麻薬」みたいのようなもの。【一度手をつけたらやめられなくなる。】
・そもそも、なぜそれをやっているのか、理由がわからない。目的がなんなのかすらも分かっていない。自発性がない。結果、高額な報告書を作って自己満足。【上からの押しつけ。だから事業が失敗する。】
・海外の考え方。まちづくりは「公益事業」ではなく「共益事業」。市の税金を使ってまちづくりすると、納税組合などの団体から訴えられる。まちづくりは地権者がやるものであって、役所がやるものではない。なぜなら、まちづくりによって一義的に得するのはそのビルや土地の所有者だから。【所有物の価値が上がる。】
・だからまちづくりは利害関係者に投資してもらう。行政が関与するのは、その後。まちづくりはアセットマネジメント。

・地方創生だ何だと人口増加に向けて全国各地で一斉に取り組んでも、国内の人口は増えていないからパイを奪い合うだけ。【少子化が進む今、もはや海外からの移民を受け入れることでしか国の人口増には繋がらないでしょう、というのは以前からの私なりの持論。】
・地方で起こっている問題を遠くの人(東京にいる国の人たち)が考えられるわけがない。実情を知らないから。だからこそまちづくりは地元が考えること。
・人が減る→人口密度が薄く広くなる→都市間の競争が激化する→消耗戦が繰り返されるだけ。
・金融支援は全国一律(貨幣価値が一緒だから。)だが、財政支援は東京が有利になるだけで地方は不利になる。財政支援を行う人たちが地方の実態を知らないから。
・某市のア○ガの前に、岡山県津山市のアルネ津山。木造2階建ての住宅が立ち並ぶ一角に、地下1階地上8階の巨大な施設。中にはクラシック専用のコンサートホールまで。典型的な失敗事例。
・こういう施設の失敗により、周辺の地価が下がる。煽りを受ける民間企業が恐れて投資をしなくなる。【そういえばどこかの駅前は最近、青空駐車場が増えてきたなあ。】
・区画整理事業。街の区画を整理してまちの価値を上げるはずが、整理して終わり。何も建たない。中心市街地活性化のはずが郊外化。市街化調整区域を開発させてまで分散化させ、周辺市町村も巻き込むことに。【まさに現在、区画整理事業をやっている弘前駅前北地区、大丈夫かな。】
・国費投入は初期投資のみ。支援資金のつもりが支援になっていない。長期サイクル(建設から管理運営メンテナンスまで)で見たときに、財政負担を地方で負えるかを当事者が考えていない。
・経済循環の原則、増やして回して絞ってまた増やして、このサイクルができていない。
・公共が主導した公共施設に民間施設が入居しても元を取れるはずがない。【入り口の段階で長期サイクルのコストを考えていないから。】まずは民間ベースで公共施設を作る。徹底したコスト低廉化を考える。そのあとで、公が区分所有で必要分だけを購入すればいい。
・地域の金融を自治体が使う→地域で金が回る→地域が豊かになる。
・プロの行政マンとは、自治体法務を理解している人。最近は、民間と少しでも交わり、関わりを持って「民間っぽいこと」をやろうとする行政マンが非常に多い。→そういう人とは関わらない方が得。【これは非常に耳が痛い。】
・事業計画がうまくいかないのは、情報が少ない中で計画を作るから。
・コミュニケーション作りだけでは、地域の活性化にはつながらない。コミュニティビジネス「そのもの」が街の活性化やまちづくりにはならない。行政が金を出していればなおさら。単に政治的道具に使われるだけ。
・なぜ?と口に出して言える人を見つけ出しましょう。

以下私見。
「民間っぽいことをしようとする」行政マン、という言葉にはハッとさせられた。実はオレもそうなのかも、と思ったり。(でも逆の…いや、やめておこう。)
某市のア○ガは、当然「失敗事例」として登場。もはやどういう結論を迎えるのか、いや迎えるべきなのか、数年前から市民も議会も行政もみんな分かっている、気づいているはずなのに、責任のたらい回しをしているだけ。その間も確実に、某市民の負担がのしかかっているのに。
地域づくりやまちづくりについては色んな文献書籍が発刊されているが、成功事例として出ているほとんどは、国や地方自治体からの補助を受けて行われたもの。木下さんが喝破したこちらのサイトがとっても参考になります。
偽物の官製成功事例を見抜く5つのポイント

…まあ、他にも思うところはいろいろありますが、取りあえずこれぐらいでとどめておこうと思います。
これですね、行政関係者だけじゃなくて地域づくりやまちづくりに取り組んでいる人、商店街の人、学生さん、NPO関係者、ホント色んな人に聴講していただきたいです。お金払ってでも聴く価値、絶対ありますから。その分一回飲み会をぶっ飛ばしても、その後の飲み会で盛り上がります、多分。

最後に、聴講を終えて思ったことを一つだけ。
模倣だけのまちづくりは絶対失敗する。地方のことは地方が決める。

…当たり前のようなことなんだけど、民間も行政も、結局のところ画一的な国の制度や補助金に振り回されて、まちづくりの本質を見失っているのかな、と思った次第。役所の職場研修も、これぐらいの人を呼んで意識改革した方がいいかもしれませんね。…あ、新採用職員じゃなくて中堅以上の職員を対象とした研修ね。

浜田省吾 ON THE ROAD 2015 “Journey of a Songwriter”青森公演に行ってきたよ。

久しぶりに妻とデートしてきました。リンクステーションホール青森(青森市文化会館)で行われた浜田省吾のコンサート。
ツアー序盤ということで、極力演奏曲は明かさない(いわゆる「ネタバレなし」)ということで御容赦ください。ただし、ステージの構成などについては一部を掲載していますので、気になる人はここでバイバイした方がいいです。(でも、検索して引っかかった人は情報が欲しいからやって来たんですよね。いらっしゃいませ。笑)

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貫禄と安定。

僕自身、浜田省吾のコンサートはこれが3度目。青森での公演は何と8年半ぶりになるのだそうで、黒髪がすっかりシルバーフォックスのようなロマンスグレーに変わっていました。(ぱっと見、サングラスを掛けた鳥越俊太郎かと思ってしまったぐらい。)

今回、オークションでのチケット転売を避けてのことなのでしょう、事前に入場チケットが発券されなくて、代わりにデジタルチケットなるQRコードを用意しなければなりませんでした。そして、入場の際の混雑がハンパないです。ビックリするぐらい外に行列ができていました。この先のツアーでどうなるのかはわからないけど、寒さ対策をどうぞお忘れなく。
それからですね…いざ受付という段になってからあたふたとスマートフォンの画面を弄ってQRコードを探すのではなく、ちゃんと身分証明書(写真付き)と一緒に事前に用意してちょうだいな。これ、他の人にも迷惑となるので結構要注意。(ちなみに必要となる身分証明はご覧のとおり。学生さん、テストの答案用紙でもいいってよ!!)

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うちらは17時20分頃から並んで17時45分頃に会場に入ることができましたが、その時点でもまだ100名を軽く超える人達が後方で列をなしていました。で、ここでQRコードと身分証明書の照合(ただし身分証明と本人の照合確認はかなり適当だったような気がする)が行われ、ようやく座席番号が記載されたチケットを渡されます。会場ホールではコンサートグッズの販売が行われていましたが、妻から「衝動買いしない!」と咎められてスルー。しかし、こんな調子で開演に間に合うのか?これ…
…と思ったら、ステージは18時ちょっと過ぎに開演、21時に終演。凄いわ。
ええと、以下ちょっとだけネタばらしです(演奏曲はなるべく記載していません)。

・ステージは2部構成。ちなみに、第一部の内容は今のところどの会場も同じようですが、第二部はどの公演も微妙に違うようです。これから安定していくのかな?
・そして、第一部と第二部の間で15分の休憩時間を挟みます。この間、スクリーンにはピアノのインストとともに画像が流れます。トイレの混雑っぷりがハンパないようです。
・本人含めて11名+マニピュレーター1名の12名がステージ上にいます。メンバーはもちろんお馴染みの方々の他、今回は女性コーラス(アンド・シンガーソングライターとか言っていたような)が2名います。
・ツアータイトルとなっている新しいアルバムの曲は、ラジオで予告があったらしく全曲演奏します(デラックス盤じゃなくて通常盤ね)。
・古い曲は、まあまあ妥当なチョイスだったのかな。ほうほう、それ演るか、みたいな。
・ただし、定番曲と思われていたドラマの主題歌は演奏しません。それはそれでいいと思います。
・その他にも、会場の皆さんが絶叫するあの曲、あれは演りますが、あれは演りません。というか、ええっ?演らないのかよ!って曲が多い感じ。そういう意味では、正直ちょっと物足りなさも残りました。なので、過度に拳を振り上げるような懐メロを期待していくと、期待外れに終わる可能性もあります
・まあこれは、ホールツアーからアリーナツアーに移行する過程で解消されていくのかも知れませんが。ただ…何せトータル3時間だからなあ。
・MCでは、岩手県から青森県に車で移動してきたこと、途中、岩木山を写真に収めたことなどをお話ししていました。その画像は、ツアーブログにも掲載されています。
ツアーブログ「岩手から青森への移動日」
・ここからは個人的な苦言。今に始まったことではないけど、何でもかんでも手拍子するのはちょっと勘弁して欲しいです。特にスローテンポの曲で手拍子している姿をしているのを見ると、揉み手で手拍子していてとっても恥ずかしい。観客の手拍子を聴くためにコンサートに来たわけじゃないので…。
・それから、せっかくのMCの腰を折るような声援、あれもやめて欲しいです。興奮する気持ちはわかりますが、あなた一人のためのコンサートじゃないんだから。
・アンコールの際、「ショーゴ!ショーゴ!」という声が会場内に響き渡ったのですが、音が反響しまくりで、私の耳にはなぜか「チョーノ!チョーノ!」としか聞こえませんでした。

ショーゴ!ショーゴ!ショーノ!…ショーノ!…チョーノ!チョーノ!

・ちなみにそのアンコールは何と3回!
その都度僕の耳には「チョーノ!チョーノ!」なワケですよ…。

…マジ勘弁してwww。

しかし御年60を超えてもなお、声量に力があるし歌がうまいですね。踊りはどうかしら?と思うところはありましたが。客層は50代前後の男性女性が多いんですかね、連休最後ということもあり、夫婦連れだって来ている方々も多かったようです。歌詞を噛みしめて聴いていると、どことなく昭和チックなフレーズが多いんですね。ラブレターとか(今はメールの時代じゃない?)、ダンスとか、月の明かりとか、波打ち際とか。今の歌い手さん、こんな歌詞の歌を唄わないじゃないですか。そういう意味では皆さん、若かりし頃の自分を思い出すというか、そういうノスタルジックな気分に浸りに来ているんですかね。まあ、他人のことをとやかく言える立場じゃないですが。
終演後、外に出てからの風が実に気持ち良かったです。
次が8年半後なら、52歳か…どんな年の取り方をしているんだろう…サングラスとジーンズの似合うロマンスグレーを観ながら、そんなことを思ったシルバーウィーク最終日でした。