たすきと心を繋ぐリレーが始まった。

この4月から震災復興関連の部局に人事異動となったことは、多分たまたまではなく、僕にとっては必然的な異動だったのだろうと考えている。異動から既に4か月が経とうとしている中、相変わらず仕事の内容の全貌を掌握するまでには至っていないが、いろんな形で「復興」に携われていることに、個人的にはちょっとした喜びすら感じている。

さて、他の部局の友人から参加要請があった「未来(あした)への道1000km縦断リレー」。
何の躊躇もなく申込み、職場内の了解もすぐ得られた。いや、むしろ仕事の一環として行けばいいのではないか?他の同僚も参加しないか?そんな前向きな言葉が聞かれる職場に配属になったことに、心から感謝した。

東日本大震災から4年4か月。震災に対する意識の低下や風化が叫ばれつつある中、被災三県と呼ばれる東北地方の岩手、宮城、福島の各県をはじめ、隣接する青森県や茨城県など、まだまだ復興の道半ばという地域は多い。いや、むしろマイナスからスタートした復旧がようやく終わり、ゼロの位置から復興が始まる、というところも相当あるはずだ。

7月24日金曜日。そんな中で行われた「未来(あした)への道1000km縦断リレー」のグランドスタートのセレモニー。職場に隣接する青い森公園からスタートするということも、参加を後押ししてくれた要因の一つだ。

この日は折しも2020年東京五輪のちょうど5年前という記念すべき日だそうだ。セレモニーが始まり、アンバサダーであるシドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さん、元AKB48の秋元才加さん、長野パラ バイアスロン競技銀メダリストで青森県在住の野澤英二さん、車椅子バスケットボール選手の藤本怜央さん、三代目 J Soul BrothersのELLYさん、更にはELLYさんの弟でTHE RAMPAGE from EXILE TRIBEのパフォーマーLIKIYAさんもゲストランナーとして登場し、会場は黄色い声援が飛び交いました、とさ(仕方ないこととはいえ、実はこの時点で結構興醒めしていました。ハハハ)。
まあ、これから僅か1.4キロとはいえ、この方々と一緒に走るというだけでも凄いことだと思いませんか。興醒めしつつも、かなり気分が高揚していた、というわけだ。

…実は気分が高揚していたのには、もう一つ大きな理由があった。
今回、弘前公園ランニングクラブのメンバーにも声かけをしたところ、3名が参加してくれることとなった。そして、タスキを繋いだあとの青森第2区では、ランニング仲間のSさんファミリーが参加することが決まっていた。ということで、せっかくだから皆さんで集合写真を…と集まっていたところに、スタッフの方が申し訳なさそうに近づいてきた。
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「すいません…ファミリーの方ですか?」
「いや、全員がファミリーじゃないんですけど、仲間です。」
「あの…選手宣誓お願いできませんか?」

あまりの唐突なお願いに唖然とする一同。
「やる!やる!」とはしゃぐ子ども達。
「いやいやいや…」と拒絶する親御達。
ええい、仲裁じゃ。
「…わかりました。受けましょう。ただし、この全員で。」
「わかりました。ありがとうございます。」

いいんです。せっかくこういう場に居合わせてそういう機会を頂くだけでも、ラッキーと思わなきゃ。どうせ出るなら楽しもうよ!

…と軽い気持ちで引き受けたはいいのだが、セレモニーが進み、いざその時間が近づくと、皆無口に。
しかも運悪く、2区を走るSさんファミリー3名に招集がかかり、結局残された4人で宣誓しなければならなくなったことも、更に緊張感を高めていた。

ゲストランナーから一般ランナーへのタスキの受け渡しが終わり、いよいよ出番。出されたカンペを読めばいいだけだから…と軽い気持ちで受けてはみたものの、いざ壇上に上がると、緊張感がマックスに。

ひとまず言葉を噛むこともなく宣誓を終えたが、終わって周囲を見渡した途端、とんでもない場所に立っていることに改めて気づき、足がガクガク震えていたことを今だから明かそう。ちなみに、宣誓のセリフは一言も覚えてないっす。

集合写真の撮影など、諸々のセレモニーが終わり、スタート地点への移動が始まった。100名のふれあいランニング区間の参加者、恐らく半数以上のお目当ては、ELLYさん兄弟なのだろう。三村申吾青森県知事がスタートの号砲を打ち鳴らすと同時に、隊列がワッと崩れてランニングが始まった。
しかし、よくみると歩道を走っているギャラリーの方が速く前に進んでいる。つまり僕らは、歩くスピードかそれ以下のスピードで走っているのだ。
今回は青森県警の協力もあり、1.4キロ先の青森市立橋本小学校までの区間は交通規制が敷かれ、車道を横一杯使って走っている。しかし、前述の通りお目当てのゲストランナーに少しでも近づこうとしているのか、向かって左側が大行列をなし、逆に僕が走っている右側はかなり余裕があったため、気がついたらゲストランナーのすぐ背後を走っていた。(ちなみに前を走っていたのは車椅子のお二人。そのすぐ後ろを、恐らく東京都議会議員の方が走っていて、僕らはその後ろを走っていた。)

たかが1.4キロ、されど1.4キロ。ここから東京までの1000kmのリレー(実際は1200キロを超えるらしいが)が始まる。

15分もかけて走ったということは、ハッキリ言って歩くスピードよりも遅い。
にもかかわらず、ふれあいマラソン区間のゴール地点である青森市立橋本小学校に到着する頃には、気持ちいいほど汗が噴き出ていた。暑さだけではなく、何か胸にこみ上げた違う熱さのせいもあったかも知れない。

先方には、Sさんファミリーの姿が見えてきた。
1区の約100名はダラダラと走っていたが、2区は5名?7名?しかいないらしい。

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ゲストランナーからたすきを受け取る。この辺りの段取り、進行も実は結構グダグダで(というかマスコミ向けのパフォーマンスが多すぎて)、何度もたすきを受け渡していたのが印象的だった。

更に、よくみると100人のランナー以外の一般客も入り乱れていて、もはや収拾がつかないぐらいグチャグチャ。あれだとELLYさんもかわいそうだし、他のゲストランナーにも失礼だな、と思ってしまった。

まあでも、少なくともゲストランナーの皆さんは震災からの復興に対する同じ思いを持って走っていたと信じたいし、たすきを受けて走り出したSさんファミリーやその後たすきを受け取った自転車の方々も、きっと復興に対する何らかの思いを持ってこのイベントに参加しているのだろうと、受け止めた。(もちろん僕も。)

職場に戻り、沈思黙考。
今日一日で、かけがえのないとてもいい経験をさせてもらったと思う。さて、この先も僕は、震災の復興に向けて少しでもその一助となれるよう力を出すしかないね。頑張ろうっと……なーんて難しく考えるの、今日はやーめた。あー、楽しかった!

あ、そうそう。実は私、高橋尚子さんと握手してました。すいません。

「未来(あした)への道1000km縦断リレー」

「走った距離は裏切らない。」
アテネ五輪の女子マラソン金メダリスト、野口みずき選手の名言。
しかしその野口選手はといえば、ここ最近はすっかり影を潜めてしまった感がある。故障に次ぐ故障で重要レースの出場を回避することも多く、そういう意味では「走った距離」が逆にご本人の故障を助長している、という穿った見方もできる。

6月にアキレス腱周囲炎と思しき症状を発した私、6月28日に平川市で行われた「たけのこマラソン」の前日に初めて足首に注射をぶち込み、大会に臨むというちょっとした無茶をしてしまったワケだが、それ以降、足首の痛みはそれほどではなくなった。ただし、「それほどではなくなった」だけであり、「完全に傷み、違和感がなくなった」のではない。

当初は7月5日のAOMORIマラソンの10キロにもエントリーしていたが、個人的な事情でDNS。ということで、今月は一つも大会に出ることなく間もなく最終週を迎える。

…と思っていたが、実は明日、とても大事なイベントが行われる。

「未来(あした)への道1000km縦断リレー」

青森県から東京都までの約1,250キロを、ランと自転車によるリレーで繋ぐというイベント、明日はそのスタートを迎える。
そして、スタート会場である青森県庁前(青い森公園)から青森市立橋本小学校までの約1.4キロを、野口選手ではなく、シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さんをはじめとするゲストランナーとともに、総勢約100名で走るという「ふれあいランニング区間」に参加することとなった。

このリレー、実は青森県内ではランニングの区間がほとんどなく、大概が自転車区間となっているのだが、その中にあってこの4月から、青森県内の東日本大震災からの復興関連の仕事をしながら、このリレーのスタートを走るというきっかけを頂くとともに、そこに快く送り出してくれる職場に恵まれたことにも感謝しなければならない。

たかが1.4キロ、されど1.4キロ。青森から東京までのリレーがここからスタートすると考えると、ちょっと感慨深い。走った距離が違う意味で自分を裏切らないということを、明日は是非実証してみようと思う。

「すごく楽しい1.4キロでした!」
と言いきれるよう、明日は僕なりに精一杯走ろうと思います。応援よろしく!

未来への道 1000キロ縦断リレー

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(スタート地点。準備が着々と進んでおりました。)

東京音頭/木津茂里×岡村靖幸

ハ~ 踊り踊るな~ら ちょいと東京音頭♪ ヨイヨイ

東京ヤクルトスワローズの応援歌としても知られるあの曲を民謡歌手の木津茂里さんが歌い、岡村ちゃんがほぼ全ての演奏(恐らく和太鼓以外)とプロデュースを担当するというコラボレーションが実現しました。

「東京音頭」は盆踊りの定番曲で、プロ野球チーム・東京ヤクルトスワローズの応援歌などとしても知られている曲のカバー。木津のアルバム「SHIGERI BUSHI」にも同曲のカバーが収録されていたが、今回は岡村のプロデュースにより全く新しいアプローチのカバーになっている。

この曲は木津がボーカルを務め、岡村がほとんどの楽器の演奏を担当。大瀧詠一が長年制作してきた「ナイアガラ音頭」「イエロー・サブマリン音頭」などの音頭へのオマージュと、2020年に予定されている東京オリンピックへの思いを込めて制作された。(ナタリーより)

ここ最近、断続的に他アーティストとのコラボレーションが続く岡村ちゃん。今回は、まさかまさかの民謡歌手とのコラボ。岡村ちゃんよ、あなたは一体どこを目指しているのだ(笑)。

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ジャケットの女の子が可愛らしい一方(しかも通常盤とライブ会場で販売されたものではジャケットが違うんだそうで。くっそー!)で、「いかにも!」という民謡のこぶしを効かせながら、木津さんのボーカルが冴えまくっています。その一方で、岡村ちゃんの影、というか声はほとんど聞こえません。「アァッ」とか「オゥ」とか「フォー」とかいう、例の独特の合いの手もなし。正直ちょっと寂しいけれど、楽曲そのものには岡村ちゃん「らしさ」が垣間見えて、民謡なんだけど斬新で格好いいです。「東京音頭」ではなく「TOKYO RHYTHM」と標記しているのも妙に納得。DISCOともDANCEとも、ちょっとまた違うんだなこれが。

個人的にはこれ以外の民謡曲についても、原曲を崩さない(歴史や民謡文化にドロを塗らない)程度でアレンジして発表するのもアリだな、と思いました。
ちなみにこのCD、春のツアー「This is my life」の際に会場で先行販売されていたらしいのですが、何せ会場に行くことができなかったという事情もあり、ようやく手にすることができました。

まあ、歌が終わった後の後半は若干単調気味となるため、1曲で5分を超えるアレンジはちょっと長すぎるんじゃないかな、という気がしないわけでもないのですが、それでもまあ、これが岡村ちゃんなんだろうな、と。

9月には園子温監督直々のオファーで制作した「映画 みんな!エスパーだよ!」の主題歌、「ラブメッセージ」が発売予定だそうです。

東北OM青森メンバー交流会

奇しくも東日本大震災から震災から4年4か月を経過した7月11日。
東北まちづくりオフサイトミーティング(東北OM)の青森県内のメンバーと、山形市役所のGさんを交えての交流会が青森市内で開催された。
単なる飲み会なら参加しないと思っていたけど、Gさんから直々にご連絡を頂いたこともあり、参加してみることにした。
わざわざ山形からやってくるということは、きっと何か目的があるからに違いない。まあ、その目的は何となくわかっているけれど、直接ご本人の口から青森メンバーに伝えてもらわなければならない、そんなことを思った。

Gさんとは弘前駅で合流。碇ヶ関駅でGさんと先に合流し、自家用車に乗せてきたSさんと3人で、0次会と称してしばしコーヒーブレイク。
その後Sさんと別れ、Gさんとともに普通電車で青森を目指した。もちろん電車内ではいろんな話をしたが、それは二人だけの秘密にしておこう(笑)。

青森駅前の居酒屋には、県内に散らばる各市町の職員を中心に約20名が集まり、17時過ぎから談笑が始まった。
今回初めて(というか本人曰く「代理で」)出席したという県立高校の先生とたまたま同席となったのだが、教育現場を巡るいろんな話がとても興味深く、行政職に携わっているうちは絶対に知り得ないだろうと思われる教育現場でのディープな話に、しばらく酔っ払うのを忘れるぐらいだった。ただ、あまりに内容が裏話過ぎて、文字で表現できないことが多数。ゴメンね。

以下、交流会の中で頭に記したメモ。
・人間の身体は常に細胞が入れ替わっている。しかし、アイデンティティは入れ替わらない。
・数値目標を達成したかどうかは、その目標を設定した人の自己満足に過ぎない。
・結果一つだけで○か×かを判断すべきではない。プロセスや満足度も含め、総合的に判断すべき。
・何百分の1に個を薄めてしまうのではなく、1分の1に目を向ける姿勢は大切。
・生徒も住民も、顧客。
etc…

(同席していたHさんがメモ魔のように色々聞き取り書き取りしていたんですけど、あれ、凄く大事ですよね。僕はその習慣を早い段階から身に付けなかったことを、今でも後悔しています。)

似て非なる分野、近くて遠い異業種間交流。役所の人も学校の先生も、知らないところで皆さん色々苦労されているんだな、って…。今回の偶然の出会いで、この近くて遠い方々と、もっと話をしてみたいと思った。もしかしたら愚痴の溢し合いになるかも知れないが、そこから何か化学反応が起こることだってあり得る。
まだ40歳だというその先生の話に、僕は完全に引き込まれていた。
ふと我に帰ってから、40歳代も半ばとなり、自分のこの先を思うに、果たして若者に託していくことができるだけの道筋を、僕はこれまで作ってきているのだろうか。そんなことを思った途端、酔いが一気に回った。

9月には、秋田県の北秋田市(旧鷹巣町)で「地元の学校×行政×まちづくり」をテーマとした東北OMの勉強会が開催される。北秋田といえば母の実家。僕にとっては言わば第2、第3の故郷である。北秋田市内にあった高校もいろいろ事情があったことを知っているし、高校が目と鼻の先にあったうちの母の実家周辺の地域でも、大なり小なり影響が出ていることを聞いている。これは足を運ばない理由はないな、と思った。