Author Archives: のんべ

About のんべ

1971(昭和46)年 青森県生まれ。弘前市在住の青森県職員。 プリンスとビールと豆腐とラーメンを愛する。安いカメラでいかに安っぽくない写真を撮影するかに興味あり。 ブログの内容の多くは、いつの間にか趣味となった「走ること」がメインです。

東北OM青森メンバー交流会

奇しくも東日本大震災から震災から4年4か月を経過した7月11日。
東北まちづくりオフサイトミーティング(東北OM)の青森県内のメンバーと、山形市役所のGさんを交えての交流会が青森市内で開催された。
単なる飲み会なら参加しないと思っていたけど、Gさんから直々にご連絡を頂いたこともあり、参加してみることにした。
わざわざ山形からやってくるということは、きっと何か目的があるからに違いない。まあ、その目的は何となくわかっているけれど、直接ご本人の口から青森メンバーに伝えてもらわなければならない、そんなことを思った。

Gさんとは弘前駅で合流。碇ヶ関駅でGさんと先に合流し、自家用車に乗せてきたSさんと3人で、0次会と称してしばしコーヒーブレイク。
その後Sさんと別れ、Gさんとともに普通電車で青森を目指した。もちろん電車内ではいろんな話をしたが、それは二人だけの秘密にしておこう(笑)。

青森駅前の居酒屋には、県内に散らばる各市町の職員を中心に約20名が集まり、17時過ぎから談笑が始まった。
今回初めて(というか本人曰く「代理で」)出席したという県立高校の先生とたまたま同席となったのだが、教育現場を巡るいろんな話がとても興味深く、行政職に携わっているうちは絶対に知り得ないだろうと思われる教育現場でのディープな話に、しばらく酔っ払うのを忘れるぐらいだった。ただ、あまりに内容が裏話過ぎて、文字で表現できないことが多数。ゴメンね。

以下、交流会の中で頭に記したメモ。
・人間の身体は常に細胞が入れ替わっている。しかし、アイデンティティは入れ替わらない。
・数値目標を達成したかどうかは、その目標を設定した人の自己満足に過ぎない。
・結果一つだけで○か×かを判断すべきではない。プロセスや満足度も含め、総合的に判断すべき。
・何百分の1に個を薄めてしまうのではなく、1分の1に目を向ける姿勢は大切。
・生徒も住民も、顧客。
etc…

(同席していたHさんがメモ魔のように色々聞き取り書き取りしていたんですけど、あれ、凄く大事ですよね。僕はその習慣を早い段階から身に付けなかったことを、今でも後悔しています。)

似て非なる分野、近くて遠い異業種間交流。役所の人も学校の先生も、知らないところで皆さん色々苦労されているんだな、って…。今回の偶然の出会いで、この近くて遠い方々と、もっと話をしてみたいと思った。もしかしたら愚痴の溢し合いになるかも知れないが、そこから何か化学反応が起こることだってあり得る。
まだ40歳だというその先生の話に、僕は完全に引き込まれていた。
ふと我に帰ってから、40歳代も半ばとなり、自分のこの先を思うに、果たして若者に託していくことができるだけの道筋を、僕はこれまで作ってきているのだろうか。そんなことを思った途端、酔いが一気に回った。

9月には、秋田県の北秋田市(旧鷹巣町)で「地元の学校×行政×まちづくり」をテーマとした東北OMの勉強会が開催される。北秋田といえば母の実家。僕にとっては言わば第2、第3の故郷である。北秋田市内にあった高校もいろいろ事情があったことを知っているし、高校が目と鼻の先にあったうちの母の実家周辺の地域でも、大なり小なり影響が出ていることを聞いている。これは足を運ばない理由はないな、と思った。

閲覧御礼

一昨日の時点で、このブログの通算閲覧回数が25万回を突破していました。
小中高の頃、読書感想文や作文はあまり得意ではありませんでしたが、物心ついた頃から…ではなく、ある時期から少しずつ始めたこのブログへの投稿という作業、気がついたら10年以上にわたってずっーと投稿し続けていました。
釣りの話から始まり、くだらない内容、単なる愚痴、内輪しかわからないネタから、赤裸々なプライベートのこと、極力避けたい仕事のこと、観覧したライブ・コンサートのこと、敬愛して止まないプリンスのこと、そして最近はランニング関係の話など、全く一貫性のない非常に雑多な内容となっておりますが、ここまで投稿し続けてこられたのも、こんなくだらない投稿を温かい目で閲覧してくださる皆さんがいたからこそと確信しております。

実は当初は全く違う形式のブログでして、幾度となく移転(サーバーや使用するブログソフトの変更)を繰り返しているうちに、カウンターがリセットされた、というオチがあります。まあ、今となってはどうでもいい話なんですけどね…。当初は一日の閲覧回数が一ケタということが当たり前でした。うち半分以上が自分自身のアクセスだったことも否定しません。なので、もしも10万ぐらいアクセスがあったらやめよう…まあ、死ぬまでかかってもそんなことはないよね、なんてことを考えていた時期もありました。

それが、気がついたら25万回突破って、結構凄い数になったな、と…。まあ、その中にはスパムコメントを投稿するために海外からのアクセスが相当数あること(事実スパムコメントには、かなり悩まされました。そして今もなお、ロシアやウクライナ、トルコなどからもアクセスが!)、「アップルマラソン」「サザン 宮城」そしてなぜか「宮原学 病気」という検索ワードで引っかかったがためにこのブログにアクセスしている人が大勢いることも知っています。

僕自身としては、いつの間にか文章を考える愉しみが身につき、後世に残すとまではいいませんが構成を考え、その中で校正する悦びを覚え、極力喧嘩腰の議論(ネガティヴな内容や否定的な見解ばかりの羅列)に持ち込まれないように留意しつつ、自分の思い(意見)をさらりと述べる、という技が身についたようです。
昨今は、例えば社会情勢や政治に関するネタから遠く離れ(そういうことをあからさまにしない方がいいという保身のため、ということもあります)、自分にとって今後振り返った時に参考になるようなネタばかりを投稿するようになりました。
しかし結果として、一部の方々のためであったとしても、それが有益な情報としてもたらされているのであれば、ネタを投稿する側としては本望だと思っています。

これをライフワークにするつもりは毛頭ありませんが、いつか自分で過去の投稿を振り返ってみて、「ああ、オラってこんな馬鹿だごどばっかり考えてだんだな…。」と笑えるぐらいの投稿を、これからも気が向いたら続けていこうと思います。
皆さんも気が向いたら、また閲覧してください。…ホントに気が向いたらで結構ですから。
ということで、引き続きよろしくお願いします。改めて、ありがとうございました。

第20回たけのこマラソン、無事完走

このコースを走り終えると、自分を褒めたくなります。自分が愛おしくなります。自分が大好きになります。

…ドMの皆さん、いらっしゃい!

今年で第20回の節目を迎えた平川市碇ヶ関のたけのこマラソン。
3度目のエントリーとなる今回も、迷うことなくハーフマラソンを選択。

ハーフマラソンとなると、コース上の平坦地はほんの一部で、あとは上るか下るかの繰り返し。標高145メートルの地点からほぼ上り基調で約8キロ先の標高405メートルで折り返し、そこから約12キロ地点までの4キロを一気に約220メートル下り、残り9キロも、上って下って一部平坦地になってまた上って下ってゴールという、簡単に言えばこんなコース。

…が、しかし。

ご存じの方も多いと思うのですが、実は私、今月18日に右足首を痛めまして、19日は歩行するのもやっとなぐらい酷い状態だったのです。同じクラブのラン仲間といえば失礼ですが、弘前駅前整形外科クリニックの成田先生に診て頂いたところ、「アキレス腱周囲炎」とやらを発症したらしく、「とりあえず痛み止めと貼り薬を出しましょう。28日のたけのこマラソン、出るんだよね?うん、じゃあ前日の土曜日に注射しましょう!」と。更に「まあでも、軽く走るぐらいなら大丈夫だから。」と言われたのですが、とてもじゃないですがこの痛みでは走るどころの話じゃない、ということで、18日以降ずーっと休足していました。

27日、予定通り足首に注射を2本ぶち込みました。(あとで聞いたら、薬を二つに分けて内側と外側に1本ずつ打ったんだそうです。)
これがまた驚くぐらいに効きまして、今までの痛みは何だったのかしら!?と訝りたくなるぐらいスーッと痛みが抜けていきました。

とはいえ油断は禁物。実のところ、この日までDNSも考えていましたが、代走してくれる方も見つからず、28日を迎えました。
27日に梅雨入りした東北北部、土曜日からこれまで降らなかった分一気に降らせてやるぜ!と言わんばかりに雨が降り続き、大会当日の朝まで雨が残っていました。

右脚の痛みは…全くなくなったと言えばウソになります。しかし、ここまできたら引き下がるわけにもいかず、朝6時30分過ぎに自宅を出発、大会会場の平川市碇ヶ関に向かいました。
7時10分過ぎに到着すると、まだ雨が降っています。それも、弱雨ではなくごくごく普通に…。

取り急ぎスタート・ゴール地点である中学校の体育館の中で一角を陣取り、みんなの到着を待ちます。
程なく、続々とクラブのメンバーが集まり始めます。その中には、昨日診察して下さった成田先生の姿も。
「先生、昨日はありがとうございました。おかげさまで何とか走れそうです。」
「あ、そう?まずはよかった。でも、ちゃんとストレッチしないとアキレス腱切れるからね。」
とボソッと。
爆笑の周囲、ビビる僕。

こんな感じで刻々とスタート時間が迫ってきますが、この間も僕は、走りきれる確信が持てず、周囲の人に半分本気、半分冗談で「ハーフ、走らない?」と声かけしていました。

よし、行こう。
意を決した8時30分過ぎ。外を見ると雨が上がっています。軽くアップということで、スタートから約1.5キロを走ってみました。
約10日ぶりのラン。痛みはありませんが、違和感は残っています。
まあ、ダメなら途中でやめればいいんだし。そう割り切ってスタート地点へ。周囲のメンバーと談笑しながら、緊張をほぐします。というか、ほぐしすぎました。

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号砲が鳴って慌ててスタートする始末。緊張感なさ過ぎでしょ(笑)。
さてここからは、今回走らなかったクラブの他のメンバーがたくさん走っている姿を撮影してくれたので、そちらをご覧頂きながらレース展開を。(撮影してくれたDくん、Sさん、Oくん、ありがとう!)

スタート直後。ペースを全く上げていません。

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スタートから400メートル地点。談笑していますが、この時点でまだ足に不安を抱えながら走っています。

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最初の1キロ。坂を登り切りました。足の不安が徐々に取れ始め、余裕を醸し出し始めています。

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2キロ。いよいよ調子に乗っています。

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上って下って11キロ過ぎ。まだ笑ってます。

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17.5キロ付近。このあたりが一番きつかった!(そして、この直後に実は歩きました。)

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19キロ。難所を乗り越え、100分切りできるんじゃないかと欲を出し始めています。

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最後の周回。さすがに必死です。

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そしてゴール!完走証をもらってニタニタしています

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タイムは…1時間38分04秒!ホントに100分切ったよ!

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実は、あれだけ天気に不安があったのに、走っている途中は一度も雨に当たりませんでした。しかも太陽は雲に隠れたままで、風もそんなに強くありませんでした。要するに、不幸中の幸いで、走りやすい気候に変わったんですね。これが、好タイムを弾き出した一番の理由です。
今回は、体幹をかなり意識して走りました。脚の不安はずっとありましたが、逆に注意深く色んなところを意識しながら走れたのも好走に繋がったのかも知れません。

ちなみに5キロ毎のタイムを見ると…。

5km 25:20 10km 50:57 15km 1:12:58 20km 1:36:16

1キロ毎のラップでは、最後の下り(19-20km)で4’03″/kmと一番ペースが上がっていました。ネガティヴスプリットも達成!でも、脚の調子も完全ではなかったし、最後の最後で歩いてしまったので、BPには及ばず80点ぐらいかな。

走り終えたあとも、脚に痛みはありませんでした。
が、ここで油断は禁物。しっかりケアをして、次に繋げていこうと思います。

ご心配をおかけした皆さん、本当に申し訳ありませんでした。今回は思いがけずコースのPB更新となりましたが、走り始めるまでとても不安だったことだけは事実ですから!そういう意味では、万全ではなかった状態の中、このコースでこのタイムを出したということは、僕にももう少し可能性があるのかもね!

最後に。コース部一同の皆さま、ご丁寧にありがとうございます。ご心配なく。私たちは、こういうコースを走られることに喜びを感じています。

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あわてない。あせらない。あきらめない。

ランニングの話。
月間走行距離は極力気にしないようにしているのだが、JogNoteやNike+で先達の皆さんがどんどん距離を伸ばしていく姿を目の当たりにすると、正直ちょっと焦る。
晩夏から始まる大きな大会のことを考えると、6月7月は非常に重要な時期。この間の調整がうまくいくかどうかによって、モチベーションを含めた走りの内容に大きな影響が出てくるということを、昨年悟った。

今月に入ってから、昨年まで一切やっていなかった練習方法を取り入れるようになった。所詮は市民ランナーの端くれ、別に何を目指しているというわけではないが、昨年より進化を遂げたい、初めてフルマラソンを走った42歳、そして初めて3時間半を切って走りきった43歳の自分に更なる磨きをかけていきたい、という思いが燻っているからだ。そしてそれは、タイムを縮めたいのはもちろんのこと、走り終えた後に少しでも満足を得られるような走り、つまり漫然と走るのではなくちゃんとPDSAサイクルで次に繋げられるような走りをしたい、という思いに変わりつつある。

6月上旬は仕事の関係で満足に走ることができなかったが、中旬に入り、まるで羽でも生えたかのように、そしてそれは、何かを取り戻すかのような勢いで練習を再開した。
出張先での朝ラン、そして、初めての帰宅ラン。
だが、こうした積み重ねにより、とうとう右脚が大きな悲鳴を上げた。

18日から徐々に痛みを感じるようになり、19日には歩くことにも支障が出るほどの痛みが右脚のくるぶし周辺で断続的に続いた。20日は土曜日ということでクラブの練習日であったが、早朝4時に目が覚めたものの痛みが引かず練習を回避。その日の朝に、慌てて病院に駆け込んだ。これほどの痛みがあるということは、まさか疲労骨折?
イヤな予感が頭をよぎったが、診断の結果、アキレス腱の周囲に炎症を起こしていることがわかった。

思い当たるフシはたくさんあった。
まだそれほど履き慣れない、それも重い革靴で出張したこと、その革靴を履いて月曜火曜だけで1日2万歩以上歩いていたこと、さらに、出張時の朝ランの際に履いたシューズも、実はおろしたてのシューズだったこと、そして極めつけは、疲れも抜けきっていない出張の翌日、帰宅ランと称して3kg以上の荷物を背負って12キロ近くを走ったこと。

これら一つ一つの積み重ねにより、右脚への負担をどんどん重ねていったのだろう。しかもあろうことか、出張後も走り終えた後も、何一つ脚のケアをしていなかった。

結局18日から今日まで、走れない日が続いている。痛み止めと貼り薬を処方してもらったが、完治にはほど遠いといった感じだろうか。28日には上りと下りしかない平川市の「たけのこマラソン」にもエントリーしているが、昨年のように軽やかな足取りで21キロを走りきる自信は、ない。

走ることがままならない中でのささやかな抵抗、というわけではないが、職場にこんなものを持ち込んだ。

バランスディスク

さすがにバランスボールに座って業務をこなすのはあまりなので、バランスディスクを椅子に敷いて座り始めた。
職場の皆さんはこの奇妙なクッションを訝しげに見ていた。最初は「私、痔持ちなんです」と誤魔化そうと思ったけれど、すぐに目的がバレたらしい。まあでも、今のところお咎めはないので、こっそりひっそりと日々インナーマッスルの強化に努めようと思う。

あわてない。あせらない。あきらめない。
何度もこの言葉を頭の中で復唱しているうちに、走ることに対する欲が出てきたというか、あきらめがつかなくなった。28日のたけのこマラソン、ゆっくりでも構わないので、何とか走れないものかと考えるようになってしまったのだ。ううむ。
いや、ここまで来たら、DNFも視野に入れつつ走るしかないのではないかと考えはじめている。

泣いても笑っても大会は2日後。ま、どうなるのかは見てのお楽しみということで。