【走れメロスマラソン】己の中の暴君ディオニス王をやっつけました。

五所川原市で行われた第4回「走れメロスマラソン」に出場。
五所川原市の立佞武多の館の前を出発し、「走れメロス」の作者、太宰治の故郷でもある五所川原市金木(旧金木町)を目指すハーフマラソンコース。昨年は体調が万全ではないことを仲間に隠して強行出場した結果、完走したあとが大変だったこの大会。
ハーフマラソン参戦4年目となる2015年、ホントは今季3レース目となるはずだったけれど、諸般の事情で2レース目の大会。約1ヶ月間実戦からは離れていたが、いろんな意味でいい休養となった。
5月の月間走行距離は大会出場前までで約140キロ。GWにほとんど走り込みができなかったことを考えれば、僕としてはまあ、平均的な走行距離なのだろうと割り切っていた。
さて大会当日の5月31日日曜日。金曜日からめまぐるしく天気予報が変わるという状況の中、奥羽線と五能線で五所川原へ向かった。五所川原から3つ手前の板柳駅を過ぎた当たりから、車窓に雨粒がこぼれ落ちているのが見えた。
五所川原駅に降り立つと、雨脚は更に増し、しかも強い西からの風が吹き始めた。風はある程度覚悟していたものの、スタート時まで何とか雨だけでも上がってくれないかと、空を睨んだ。

睨みが効いたのか、開会式の時間になると徐々に雨脚が弱くなっていた。
スタート前にクラブのメンバーで集合写真。ゲストランナーの谷川真理さんにも、輪の中に加わっていただいた。
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9時前に、スタート地点に並び始める。公認コースではないため、陸連登録の前列整列などはなく、持ち時間による整列となった。最初は素直に「1時間30分~2時間」の輪の中にいたが、思うところがあってもう一つ前のブロックに並び直した。
Facebookでも表明したが、闇雲にPB(Private Best=自己記録)を目指すのではなく、むしろBP(Best Performance=最高の走り)を目指すことに重きを置くことにしたので、今日はどういった走りをするか、どういったレース展開に持ち込むか、というイメージを密かに描いていた。
雨は止んだが西風が強い。周囲のメンバーも、どういう走りに持ち込もうか、悩んでいるようだった。
正直、左脚にまだ多少の違和感が残っていたし、四十肩の痛みも全く取れていない。事実、出走直前に姿勢を崩し、左肩に激痛が走り悶絶していたことを、今だから明かそう。ということで、まだ本調子ではなかったが、自分を試す絶好の機会だと思った。心の準備はそれ相応にできていた。ということで僕が勝手に決めた今日のレース展望は次のとおり。

・キロ4分20秒(3キロ13分)のペースで刻む。(3キロ13分×7=21キロ91分)
・できればネガティヴスプリット(後半タイムを上げる走り)で。
・上半身を意識する(特に腕の振り)
・吹き付ける風は気にしない。向かい風も方向が変われば追い風になる。
・最初から慌てない。途中で焦らない。最後まで諦めない。

気がつくとスタート10秒前、あっという間に号砲が鳴らされ、いよいよ約21キロの旅がスタートした。
スタート直後は周囲にも流されるため(これは想定通り)、最初の1キロを4分5秒程度で駆け抜けたが、すぐに落ち着きを取り戻し、キロ4分20秒前後のペースに落ち着かせた。
程なく、ゴールする最後まで牽引してもらうこととなったTキャプテンと、並走するゲストランナー谷川真理さんのグループと合流。谷川さんとも言葉を交わす。

「今日はどれぐらいで走るの?」
「キロ4分20秒で考えてます。って今、速すぎですよね?」
「うん、速いよ!で、どこまで行ける?」
「いや、15キロぐらいまでは頑張ります…。」
「その後は?」
「へたれちゃうかも知れません(苦笑)」
「このコースって、折り返しとかあるんだっけ?」
「いや、ないです。ワンウェイです。風が結構大変だと思いますよ。」
「ふーん…そうなんだ。今、完全に追い風だもんね。」

そんな会話を谷川さんやTキャプテン、そして合流してきたSさん(2週間後に100キロマラソン出走予定)と交わしながら3キロを通過。
…ふと、「救護」のゼッケンを背負ったTキャプテンが前に出たのがわかった。でも、焦って追うことはしない。Tキャプテンの走力が爆発的に伸びたことを知っているから、無理にここで追ってしまうと返り討ちに遭うのがオチなのだ。
徐々に離れていくTキャプテンの背中を追いながら、Sさんと並走を続ける。徐々に口数が減り、呼吸が荒くなり始める。会話がなくなっていくのがわかる。
一部コースが変更となり、新しいコースを駆け抜けている。
沿道の大半は田んぼかため池といった状況の中、新しいコースでは集落の中を走るため、沿道の声援がそれなりにあるのだが、「あらあら、ホントにご苦労様です。」とみんなに声をかけるおばあちゃんとか、一つ一つ耳に届いてくる声援が面白い。

給水は約3キロ毎に設けられている。水、スポドリの他、スポンジも数カ所。
残り5キロを除いてほぼ全ての給水所を潰す。でも、実はこれが…。(この話はまた後半で。)
一定のペースを刻んでいたつもりではあったが、風の影響は結構大きかったらしく、あとで確認したら、かなりペースの上げ下げが激しかった。特に、西に向かって走る5キロ過ぎから8キロ手前、そして17キロ過ぎから19キロ過ぎまでが、かなり風の影響を受けていた。(次のテーマはこれかもね。)

10キロを過ぎる。ふと時計に目をやると、44分を切るぐらいのタイム。調子は悪くない。程なく中間地点のマーク。…ん?10キロから中間地点までの間が狭すぎるんじゃないか?Sさんは相変わらず僕の後ろを並走しているようだが、どこで仕掛けられるか内心ビクビクで、後ろを振り返ることができなかった。

13キロ付近でようやく「救護」の背中が見えてきた。Tキャプテンに追いついたのだ。この頃から、時計に目をやるのをやめた。肩の痛みも足の違和感も、忘れていた。そして程なく、サブ3ランナーのSさんの姿を捉える。どうやら足の痛みを再発したらしい。
「無理しちゃダメですよ!」「そうですよ!」
「おう!頑張れ!」
「うわ!のんべ、いたのか!」
「笑」

14キロ付近では、膝に故障を抱えていたNさんを捉える。
「ここで無理しちゃダメだ!」「まだこれから先は長いんだから!」
「あざっす!」

Tキャプテンがつぶやく。
「あれ?前走っているのって、NさんとAさんじゃねえ?」

同じピンク色のTシャツを着たランナーが二人。確かにNさんとAさんだ。「絶倫絶命」の黄色いシャツを着たKさんの姿も見える。
15キロの給水ポイント。ここでTキャプテンがグッと前に出た。というか、ものすごい勢いで給水して立ち去ったのだ。キャプテンの給水の巧さは、昨年のメロスマラソンの模様がニュースで放映されたときに見ていただけに、それを目の当たりにして、食らいつくというかペースを上げようにも、Tキャプテンの瞬発力が遙かに上回っていた。
あとになって話になったのは、Tキャプテンはこの給水で仕掛けたらしく、給水でのロスタイムが結果としてTキャプテンとの14秒の差に繋がっていったことは間違いなかった。確かに僕の場合、給水ポイントの手前でペースがダウンする。この給水をいかにスマートに行うか。これも一つの課題だな、と話を聞いて思った。ただ漫然と勢いだけで走っているだけではなく、マラソンとは奥が深いスポーツなのだ。


そして18キロ過ぎ。強烈な向かい風が吹き付ける中、AさんとNさん、更にはKさんも巻き込んでの駆け引きが始まった。先行するNさん。それを追い越すTキャプテンと僕。地力に勝るNさんが僕らを抜き返す。Kさんの背中、そしてAさんの背中を相次いで捉える。Nさんはまるであざ笑うかのようにペースを落とさず走り続ける。

19キロ手前、誰もいない沿道で、そんな駆け引きの模様を見ながら声援を送っていたのは、Bさん。
その駆け引きの中に自分がいるのが何か楽しくて、風は強く辛いんだけど、思わず笑ってしまった。
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(19キロ手前を駆け抜けるTキャプテンと私。なぜか笑っています。)

右折すると、風の影響がなくなった。と同時に、僕のペースも一気に加速した。AさんとKさんをここで引き離し、ひたすら前進あるのみ。残り1,200メートル。残り600メートルでNさんの背中に追いつく。(どうやらこの時、Nさんの足にも異変が起きていたらしく…。)

気がついたら約21キロの旅もそろそろおしまい。終わってみると、何かあっという間だった。左側には「弘前公園RC」の幟を掲げるSさんらの姿が見える。サングラスを外し、笑顔でゴール。先着したばかりのTキャプテンと握手を交わす。
直後にコースに向かい、キャップを脱いで深々と頭を下げた。

我々がゴールして程なく、ゲストランナー谷川真理さんもゴール。もちろん彼女が本気で走れば、こんなものではないのだろうけれど、やはり速い!
…で、実はこのあと谷川さんから色々とお話しを聞かせていただいたのだが、どうも「救護」のゼッケンと「キロ4分20秒」を豪語した輩達の背中をマークしていたらしく…。(要するに我々がペースランナーになっていたらしい。)

その後もゴールに続々とやってきたクラブのメンバーと、お互いの健闘を称え握手を交わす。
決して好条件とは言えない中、心折れずに最後まで走り切れたことができた。自分の思い通りのレース展開に持ち込むことができたという点においては、多分、昨年そして今年の中で一番の走り(BP)ができたのではないかと思う。当たり前のことなのかも知れないけれど、記録を追わずとも、自分の走りがちゃんとできれば、結果はあとからついてくるのだ。(まあ、その「自分の走り」をする、というのが一番大変ではありますが。)

1時間30分46秒は、自己ベスト。約2分短縮した。ただし、皆さんがおっしゃるとおり、距離が400~500メートル足りないと思われます。
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(僕より14秒先にゴール、ともに自己ベストを更新したTキャプテンと。)

他の選手が続々とゴールする頃には、青空が広がり始めていた。
さあ、ここまで来れば次の目標は決まった。給水、腕振り、雨風にも動じない精神力の鍛錬、そして、47秒…。(1キロ当たりで2.3秒縮めれば、何とかなるんだけどね…。その2.3秒がね…。)

あとは、距離の件だけを次回までに何とかご検討いただければと思う。
帰りは芦野公園駅から津軽鉄道に乗って五所川原まで。この列車の名称が「走れメロス」号だったというのも、また洒落ているよね。

hashiremerostrain

Instagramとflickr

最近、画像投稿にはまっています。はまっているというか、日常の何気ない風景を切り取るという構図を考えるのが、好きなのかも知れません。
Instagramといえば、写真版TwitterともいわれるSNS。僕もこちらにIDを登録しておりまして、ちょこちょこと投稿をしております。
御存知の方も多いとは思いますが、スマートフォンで撮影した画像を、指先一つでプロフェッショナルな画像に加工できるというアプリでして、多くの僕の友人もこのアプリを使って投稿しています。

僕としては、Instagramに投稿するのは極力人物を除いた景色や動植物のみにとどめたいと思っているので、一部を除いてほとんどが日常の風景ばかり。
その中で最近増えている投稿が、夕方から夜にかけての景色なんです。
夕焼けに対するイメージをどう捉えるかによっても違うと思うのですが、その日の出来事を振り返りながら、明日に繋げて行く、夕方にはそういったイメージを僕は抱いています。

最近は日の入りの時間が遅くなったということもあり、職場から青森駅に向かう途中、19時前後に青森港周辺でスマートフォンを構える機会が増えつつあります。
建物や構造物に照らされた夕日はとても美しく、と同時にその構造物などが放つ影が、画像に味を出してくれます。陰と陽、といえば大げさかも知れませんけれど、撮り方によっては凄く寂しげな風景になることもあり得るところを、極力そういう風にならないように、オレンジ色に染まる空だけを抽出しないように撮影をしています。ちなみにInstagramに投稿する画像の撮影は、もっぱらスマートフォン(Xperia Z3 Compact)。デジイチ(X50)は使いません。だって、僕が持っているカメラの中で一番スペックが優れているのが、スマートフォンだから。

Instagramに投稿する際、Facebookでもシェアすることがあるのですが(というかシェアすることの方が多い)、岩木山や弘前公園、特にさくらの時期の画像には「いいね!」をたくさん頂きます。どうでも良いような投稿に「いいね!」を頂いてもあまり気分は晴れませんが、画像に「いいね!」を頂くと、ちょっと嬉しいです。

mtiwaki hirosakipark bayblidgeaomori
Instagramにはまる前は、相当前からflickrという画像共有サイトを活用していました。こちらは、加工していない画像(古いコンデジやケータイからの画像も投稿されています)も含めて保存されています。

ちなみにflickrに関しては、個人的には巷に出回っているクラウドサービス以前から存在する、最強のオンラインサーバーだと思っています。最近、周囲でカメラに興味を持っている方も増えているので、是非このサービスはお勧めしたいです。

ただし、全部英語でしか記載されていないので、英語が苦手な方は最初の登録が面倒なほか、アプリがあるのに、日本国内ではインストールに難儀します。
少なくともiTunesでは国内向けのアプリを提供していませんし、Google Playでも提供していません。(ちなみにAndroid版は、Amazonのアプリでダウンロード可能です。)

そういったこともあって、周囲であまり使っている方を見かけないのですが、デザインもクールだし(広告も表示されず、実はこのポイントが個人的にはかなり大きい)、何より容量が大きい(1TBまで保存できます。1GBじゃないですよ、1TB=1,000GBです。)ので、絶対登録して損はないと思うんだけどな…。(登録方法は、いろんなサイトでたくさん紹介されているので検索してみて下さいね。)

考えてみると、Instagramに投稿する画像もあれば、Facebookに投稿する画像もあります。双方に投稿してしまう画像がある一方、flickrには何も投稿されず、flickrが「宝の持ち腐れ」になりつつあるというのも事実だったので、flickrに画像全部を集約してしまうことを現在検討中です。
ということで、IFTTT(IF THIS THEN THAT)というサービスを使って、FacebookやInstagramに投稿した画像をflickrに自動転送する設定を調整中。ついでに、iOS Photosからも同じことができるように設定を調整中です。
ちなみに、パッと見ではInstagramもflickrもスクリーンショットが似ているんですよね。ま、仕方がないか。

2015-05-29-12-38-25instagram

2015-05-29-12-37-41flickr
(上がInstagram、下がflickr。似てないか。)

今年のマラソン展望を少しだけ。

僕にとって8年目となる2015年のランニングがスタートした。
一昨年、昨年とフルマラソンに足を踏み入れての3年目は、4月から散々たる結果に見舞われることとなった。2015年の第一戦となった4月26日の「イーハトーブ花巻ハーフマラソン」は、昨年のハーフマラソンで自己ベストを更新したコース。今年も虎視眈々とベスト更新を狙うも、オーバーワークが祟り、当日も左脚に違和感を覚えながらレースに臨んだ結果、12キロ過ぎで左脚の違和感が現実のものとなり、轟沈(結果は1時間37分25秒)。前半は完全に自己ベストのペースだっただけに、もう少し慎重に走ればよかったと思った。
結局故障を抱えることとなり、しばらく練習もできない状況となったが、大会から10日後に身内に不幸があったため、結果として5月10日に予定していた「八戸うみねこマラソン」はDNSとなった。

2月頃から続いた疲れは、結局ここでリセットされたような感じだった。社会に出てから、ゴールデンウィークを挟んだとはいえ初めての10連休。心身共にボロボロの状態ではあったし、仏事ということで決して楽ではなかったが、結果的にこの期間の休息そして休足は、いい方向に向かったのだと信じたい。
でも、次戦となる31日の「走れメロスマラソン(五所川原市)」は、無理をしない程度に走らなければならないと考えている。

思い返すと昨年の「走れメロスマラソン」は、微熱を抱えたままでの21.1キロだった。強い向かい風に苛まれながらも、1時間35分台でゴールしたことは、まあまあの結果だったといってもいいのだろう。
しかしこの頃から、それまで同じようなペースで走っていた仲間達にどんどん水をあけられることとなり、今日に至っている。

理由は簡単だ。
仲間達は努力をし、僕はその努力を怠った。これに尽きる。

昨年はどこか慢心していたところがあって(多分それは一昨年に初めてフルマラソンを完走したということに安住していたからなんだと思う)、フルマラソンもハーフマラソンも一応自己ベストは更新したけれど、劇的に更新したというわけではなかった。

しかし、焦りはない。他人は他人、自分は自分。誰かと勝負をしようと思ってランニングを続けているわけではない。むしろ戦うべきは、そういう己の中にある慢心や驕りなのだ。そう思ってこの間の日曜日、長めの距離(24キロ)を走ってみたが、朝9時過ぎから気温が25度を超えるという悪条件の中で身体も慣れておらず、17キロ前後から熱中症に似た症状に陥り、帰宅後はトイレで嘔吐を繰り返すという羽目になった。家族からは相当呆れられたが、これも自業自得、むしろ暑さ対策をどうすべきか、いい勉強になったんだとポジティブに考えるようにした。かなりアホである。

さて、今年の日曜日も夏から秋に向けて徐々に大会で埋まり始めた。
5月31日 走れメロスマラソン(五所川原市)★
6月28日 たけのこマラソン(平川市)★
7月5日 AOMORIマラソン(青森市)10
8月2日 日本海メロンマラソン(男鹿市)★
8月30日 北海道マラソン(札幌市)
11月15日 さいたま国際マラソン(さいたま市)

以下予定
9月20日 田沢湖マラソン(仙北市)
9月27日 つがる地球村一周マラソン(つがる市)10
10月4日 弘前・白神アップルマラソン

基本的にハーフマラソン(★)や10キロマラソン(10)は練習の一環。初めて開催される「さいたま国際マラソン」は制限時間が4時間以内。時間に追われる緊張感を味わってみたいな、と。12月のNAHAマラソンは、今年は回避。代わりといっては何だけど、願わくば2月の別府大分毎日マラソンへ行きたいな….。

そうそう、今週末は雨らしいが、恵みの雨になると期待したい。
風のように走ることは無理だが、せめて風邪をひかないようにしたい。
舞うように走ることは無理だが、自惚れに埋没するような走りはしたくない。
こんな無様なヘタレランナーになることだけは、もう二度とゴメンだ。

ああ、でも隊長からまだ了承をもらっていなかったんだった…。

hanamakilast

いろいろ諸々ありまして、はい。

5月の連休に突入しようかという金曜日の夕方、母と妻から連絡が入った。
「義父、危篤。」

義父は、昨年11月から食事が喉を通らなくなったということで市内の病院に入院していたことは知っていたのだが、「連休まで持たないかも知れない」と妻から聞かされたのが4月半ばのこと。まさかそんなに悪い状態になっていたとは知らなかったし、実際、同居していた義母もそれほど状態が深刻だとは思っていなかったらしい。事実、妻ですらそういった状態になっているとは思っておらず、実は入院以来一度も見舞いに行っていなかった。

宮古市に行く前日、4月16日の夜に慌てて見舞いに向かうと、11月以降ほとんど食事を摂ることができなくなってしまったという義父の身体はやせ細り、体重は30キロ程度まで落ちたそうだ。そういえば、4月から職場が変わったことすら教えていなかった。新しい名刺を渡すと義父は、嬉しそうにそれを眺め、か細くなった声で僕に言った。
「大変だな。頑張れ。」
いや、大変なのは僕より義父さんじゃないか…。この時ばかりは思わず涙が出そうになった。
それ以来、こまめに病院に顔を出すようにしていたが、日に日に「その日」が迫っていることを感ぜずにはいられなかった。


5月1日17時過ぎ。母と妻から相次いで届いた連絡に慌てて仕事を放り投げ、入院先である弘前市内の病院へタクシーで向かった。
まだ日の明るいうちに病室に駆け込むと、義父は穏やかな表情で僕を迎えた。
「忙しいのに悪いな。仕事は大丈夫なのか?」

傍らでは、妻と義妹が目を真っ赤に腫らしていた。義母が落胆した声で言った。
「義父さん、もういいんだって。疲れたんだって…。」
「義父さん、それは困るよ。もうちょっとだけ頑張ろうよ。」
病室に空虚な言葉が響いた。
その後も、義父と少しだけ会話を交わし、疲れても困るだろうから、と病室を後にした。何とも言えぬ思いが胸の中で大きな荒波に揉まれるように攪拌されていた。

結局その日を最後に義父とはまともに会話ができなくなり、それから5日後の未明、義父は無言の帰宅を果たした。1日の夕方に、義父が家族全員を呼び集めたのも、「その日」が近いことを悟ってのことだった。

僕自身、「その日」が近いことを覚悟していたし、仕事の上でもプライベートでもいろいろ予定をキャンセルすることはやむを得ないことと割り切っていた。もっとも、5日に予定していた岡村靖幸のコンサートにせよ10日に八戸市で行われた「うみねこマラソン」も、誰にも相談することなく僕一人で参加を決めたこと。何かあるときは一人で勝手に決めるなよ、という義父からのメッセージだったのかも知れない。4月26日のハーフマラソンで足を負傷したこともあり、そちらの練習はほぼ全くと言っていいほどできなかったが、そんなことにうつつを抜かしている場合じゃないぞ、という義父からの暗示だったのかも知れない。
結局今年のゴールデンウィークは、妻の実家で過ごす時間がとても長くなったけれど、残された女性陣だけでは手に負えない(判断しかねる)こともあったりして、今はこれで良かったんだと思っている。実際、何かあったら俺に任せるように、と義父が遺言を残していたらしいし。
ともあれひとまず無事に納骨を終え、今は少しずつ落ち着きを取り戻している。

…そんなことで、非常にバタバタした日々を過ごしていたところではありますが、徐々に元のペースに戻したいと思います…が、まずは職場環境に慣れ親しむのが先決。
正直、未だに浮いています、私。このままずっと浮遊し続けるのでしょうか…。

ランニング関連の書籍の寸評

最近急にアクセス数が増加していたため、何だろうな、と思ってみたら、以前のサザンオールスターズ仙台公演の記事にアクセスが殺到していたようです。

すいません、今年のツアーは観ていません。というか、観に行ける状況じゃなかったんです。

さて、ジョギングを始めて8年目。フルマラソンに参戦して3年目のシーズン。とりわけフルマラソンに初めてエントリーした後から、ランニング関連の書籍(文庫本・新書)を読み漁るようになりました。いくつかの書籍については、このブログでも書評を綴ったことがあるのですが、全く触れていない書籍もいくつかあったため、いつか整理したいと考えていたのです。

そんな中、booklogに登録しながら全く活用していなかったことに気づき、今回そちらに寸評を掲載してみました。もちろん人それぞれ感じるところは違うと思いますので、あくまで僕の主観ということでご容赦下さい。

では私の本棚、こちらからどうぞ