Only The Good Die Young.


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アップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏が亡くなった。
8月にCEOを退き、表舞台から姿を消して約1か月ちょっと。
明らかに痩せ細り、体調が思わしくなさそうな雰囲気は、画面等を通じても明らかであったが、とうとうこの日が来てしまった。
折しも、iPhone 4S(「For Steve」とは素晴らしい愛称だと思う。)発表の翌日に知らされた訃報は、某国営放送の昼のニュースでも2番目(ちなみにトップニュースはあの国会議員の裁判が始まったとかいう、僕にとってはもはやどうでもいいニュースだった。)に取り上げられた。いかに彼が世界に与えた影響が大きかったかを窺い知ることができるニュースだった。
各界の著名人からもスティーブ氏の死を悼む声が相次いで寄せられており、その多くが彼の功績を讃え、そして賛辞を送るものばかり。彼を惜しむ声はTwitterがパンクする程だったというのだから、単なる一企業のCEOという枠に収まることなく、彼がいかに世界の人々から慕われていたかがわかる。
かくいう僕もこんな記事を投稿するぐらいなのだから、きっと今日一日だけでスティーブ氏を悼む声はどれだけ寄せられることになるのか、想像がつかない。でも、今日は何だか投稿せずにはいられなかった。
そもそも僕が一番最初に触れたパソコンはApple社製のものだった。ちょうどその頃発売されたプリンスのCD-ROMをどうしても試してみたくて、そのために安月給をはたいて15万円弱のオールインワン型のデスクトップパソコンを購入したのが今から17年前。機種はMacintosh Performa 550だった。
今思えば最初に購入したパソコンとしてはかなり弱体だったかも知れないが、とにかくそのCD-ROMさえ遊べればいい、そういう思いだけで購入した。いや、正確には先にCD-ROMを購入して、その後にパソコンを購入したのだ。
仕事に就いて2年目、その頃の職場ではまだワープロが主流で、パソコンを使いこなす人などあまりいなかったのも事実だ。もっぱら雑誌の付録のCD-ROMでカスタマイズするのが楽しみとなっていたが、今は亡きクラリスワークスを始め、いろんなソフトに触れながら、この機種でパソコンの基礎を身に付けていった。
そんな中、次に目を付けたのが、職場内で個人の方が所有していたColor ClassicⅡ
起動する気配もなくオブジェ化していたその機種は、まるで狛犬のように机上に鎮座していた。そのスタイルにすっかり一目惚れした僕は、その方と交渉し、8万円で購入。
今となっては考えられないが、私物ながら職場で活躍するパソコンの一つとなった。
あとで知った事だが、実はPerforma550とカラクラのスペックがほとんど同じだということに驚愕し、そうか、これは日産のマーチのエンジンを搭載したパイクカーと同じ事か、と納得してみたり(ちなみにその頃僕の乗っていた車は日産のラシーンだった)。
そしてこの頃、ちょうどクロックアップやメモリ増設の改造が流行っていて、僕も上京の折に触れては秋葉原のジャンク屋巡りをしたものだったが、いかんせん技術力が乏しかったため、結局改造するまでには至らなかった。
そしてこの頃になると、ワープロからパソコンへのシフトが本格化し、職場でもWindowsマシンが配置されるようになったこともあり、気がつくとPerformaもカラクラも、お役ご免となっていた。
続いて我が家にやってきたのがiMac(グレープ)。
妻がゼロワンショップに勤務していた事もあって、今でこそ当たり前となったアウトレット(初期交換品)を安価で購入することができた。そして、我が家で初めてインターネットに接続されたのも、このiMacだった。
群雄割拠というか朝令暮改というか、まるで使い捨てのごとく次から次へと新機種が発表され、1年前のパソコンなどあっという間に旧型スペックへと押しのけられ(それは今も変わらないが)、やがてWindowsの席巻により、とうとう我が家にもWindowsの機種が投入されることとなった。
それでも一途なAppleラブを密かに思い続けていた僕は、直後に発表されたiPodにターゲットをシフト。やがてチューイングガムの形をしたiPod shuffleに始まり、現行の機種(iPod touch 3rd)で確か5台目のiPodとなる。
…とまあこんな感じで初めてMacintoshのパソコンを購入して以来、ずっとApple社の製品にはお世話になっているわけだが、これらを全て手がけてきたスティーブ氏の功績というのは本当に凄いんだな、というのを改めて思い知らされる。
そうか、今思えばマック、マックと言っているが、あれはMacintoshの略だったんだな(笑)。
閑話休題。
56歳という若さでの逝去はまだまだ早すぎる、ということはきっと僕だけが思っていることではないだろう。
もちろん僕の手の届くようなところにいる人ではなかったが、何だかいつも機知に富んで、融通が利いて、それでいて何でも相談に乗ってくれる、格好いいお兄さんを失った、そんな喪失感に駆られている。
彼の訃報に接した直後から、なぜかビリー・ジョエルの「Only The Good Die Young」が頭を駆け巡っている。

若死にするのは善人だけ。何だか醒めた邦題だが、でも本当にその通りだと思う。
彼の死を機に、iPhone 4sは思いがけないヒット商品になるような気がする。何せ「For Steve」なので、追悼の意も込めて飛躍的に販売数が伸びるような気がしてならない(でもごめん、でもやっぱり僕の選択肢にはまだiPhoneはないのです)。
Appleの失ったものは余りに大きいかも知れないし、そういう意味では激動の時代が待ち受けているのかも知れない。でも、貴方の功績は、きっと忘れられることなく永遠に語り継がれることだろう。
マイケル・ジャクソンがKING OF POPならば、スティーブ・ジョブズ、貴方は間違いなくKING OF MACだ。
今までいろんな感動と衝撃を、ありがとうございました。
Rest in Peace.


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第9回 弘前・白神アップルマラソン走ってきました。


昨年は30代最後の記念に、今年は40代最初の記念に10キロ走ってきました。
朝6時に起床し、外に出ると、今期初めて吐く息が白いことに気付きました。しかも、岩木山のてっぺんが白くなっています。ゲゲッ!雪が降ったのか…。
ただ、天気予報が今回はいい方向に外れてくれましたっ!
ところどころに雲が見えますが、きれいに青空が広がっています。これは期待したいなぁ。
普段通りの朝を過ごし、9時頃にスタート地点近くに到着すると、既に凄い人が。ちょうどフルマラソンのスタート時間だったらしく、拍手がスタート地点から沸き起こってきました。僕はといえばまだウォーミングアップも始めていない状況で、急いで荷物預かり所に向かい、向かいにある弘前公園へと急ぎます。…と、その時まるで示し合わせたとおり雨がザーっと。おいおい、頼むよ~。
もう、日頃の行いの悪さが祟ってしまいました。実のところ、雨が降っている中で走ったことがほとんどないため、正直どういう風にコンディションを整えたらよいのかもわからず。とにかく筋肉をほぐすことだけを考えていました。いやぁ、フルマラソンの選手たち、大丈夫かなぁ。
9時15分頃、スタート地点付近へと進みます。知る人の姿はほとんどなく、逆にいい緊張感の中でずっと身体をほぐしていました。程なく9時20分、小学生・一般の3キロがスタートし、いよいよ10キロスタートの準備が始まります。
今年は堂々と、「目標タイム40分以内」よりちょっと後ろの方に位置を取りました。
ん?あれは…。歩道を見ると、どうやら夜勤明けで消防署を出てきたらしい幼なじみの畏友Kの姿。思わず駆け寄り、「おはよう!K!」
突然現れた僕に一瞬たじろぐK(笑)。「おーっ!10キロ、行く!?」「あいっ!行ってきます!」と思わず敬礼。
よし!行こう!
気がつくと雨は上がりつつありました。
「スタート1分前。」
否応なしに高まる緊張感。
「バンッ!」
号砲とともに、ドドドッと選手が駆け出します。ペースを崩さないように。周囲の流れに引っ張られないように。そのことばかり考えて走り出しました。道路はまだ雨が残っており、追い抜く選手の水しぶきもちょっと気になるところ。まあ、そのうちばらけ始めるまで我慢我慢…。気がつくと1キロ地点を通過。タイムは4分25秒。まぁ、想定内のタイム。あとはこのペースを守り続けること。
岩木川に架かる茜橋を過ぎると、強い向かい風が吹いてきます。うぉ!結構きついかも。しかし、1キロは何とか4分30秒を切るペースを保ったまま、4キロ地点を通過。すると先方から、白バイに先導されたトップの選手が。確か昨年もこの辺ですれ違ったなぁ。ただ、何となく違うのは、昨年はもう少し周りに人がいたような気がするのですが、今年は周りにあまり人がいない…。ということでペースメイカーになりそうな人を見つけられないまま、悶々と走るしかありませんでした。
折り返しを過ぎ、ここで給水。ただしガバッと飲むことはせず、一口手に取って口の中をゆすぐ程度。全然暑くないんでね。
このあたりから10キロレース用のキロ表示が消え、フルとハーフの表示を頼りに走るしかありません。相変わらず反対側にはたくさんの人がどんどん走ってきます。が、折り返しを終えたこちらはかなりまばらになっています。やがてラップを刻むのも忘れ、口からはヨダレが、そして風邪の名残で鼻水が。とても人に見せられた顔ではありません。
そういえば何か気になっているのが、さっきから抜きつ抜かれつで走っているおじさん。この人、相当余裕があるのか声援に応えるわ、9時50分にスタートしたハーフの選手に声を掛けるわ、一体どんだけ体力が残っているんでしょう。気がついたらそのおじさんは僕のペースメイカーになっていました。再び茜橋を渡り、応援の多いゾーンへ突入。
どこかの保育園の先生たちでしょうか、赤いぼんぼりを手に声援を送ってくれます。おじさんに続き、僕も軽く左手を挙げて応援に応えました。ん?僕も余裕がある?いやいや、もはやイッパイイッパイ。
そして最後の難関、城西大橋に差し掛かった時、昨年に続き今年もスイッチオン。併走していたおじさん、そして前を走る人たちを颯爽?と抜き去り、坂を登り切るといよいよ限界。あと700メートル。タイムは?もうわからないっす!
やがてゴールのある追手門広場に差し掛かり、電光掲示板が見えてきました。
…おお!44分切った!
思わず手をたたきながらゴール!
へたるようにその場に立ち止まり、今年も記録更新できたことに感謝。結局雨には大して当たらなかったことも幸いしましたが、決してコンディションの良くない中、我ながらよく頑張りました。
じんわりと喜びを噛みしめながら、リンゴを頂きました。
今年の記録です。
種目順位は27位、総合では87位。どれぐらいのキャンセルがあったのかはわかりませんが、10キロのエントリー数が男女合わせて1200人を超えていたことを考えると、この順位は上出来でしょう!
でも、もう10キロはいいかなぁ。来年はハーフか3キロ仮装にしようかな…(ウソ)。


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3日で2.5キロで1キロで4分…


10年ぶりにエントリーした昨年のアップルマラソンは、出場した10キロマラソンの時だけ辛うじて天気が持ってくれたので、非常に心地よく走ることができた(ちなみに児童たちが走る時間には、雨がザザザーと本降りになっていた)。
折しも30代最後のエントリーだったということで、どこまで走れるんだろうか、という素朴な疑問と対峙しつつ、自己新を目指して設定した目標タイムは45分。結果として、44分27秒でゴール。
これまでの自己新ということで、これで満足するはずだったのだが、ちょっと欲が出てきてしまった。

これは、もっと行けるんじゃないか…と。

この大きな勘違いが僕をまた掻き立てることとなり、シューズを新調したり、また新たなコースを発掘したり。気がついたら、10キロ以上走る気なんぞなかったのに、週末に15~16キロ走ってもさほど疲れが残らないようになった。

最近のコースは専ら、弘前市中心部の南側に位置する久渡寺(くどじ)を往復するコース。行きはダラダラと緩い上り坂が続き、帰りは背中を押されるような勢いで下り坂を駆け下りるという、往復約14キロ。所要時間は1時間20分程度で、大体キロ5~6分のペース。
とある雑誌を読んでいたら、「平坦な道ではなく上り下りを取り入れることで脚力が鍛えられる。」という記事があり、それを真に受けて極端なコース取りをしてしまった、というだけの話だ。

ただ、これが功を奏したのかどうなのかはわからないのだが、確かに平地を走っている時は足取りがかなり楽になった(ような気がする)。

これがまた大きな勘違いを生み出すこととなり、ひょっとしたらもうちょっと記録更新できるんじゃないか?と思い始めるようになってしまった。

ちなみに前回の記録44分27秒は、18~39歳の部での記録だが、今回は40~59歳でのエントリーとなるため、昨年の同年代の記録と照らしてみたところ、40~59歳の部門別順位の30番以内に入っていた。

これがまた、更なるの大きな勘違いを生むことに。

ちょっと頑張れば、20番以内も行けるんじゃね?

いくら40~59歳とはいえ、速い人はメチャメチャ速い。これ、当たり前の話。

そんなおめでたい数々の勘違いを抱いたまま、いよいよ3日後には大会を迎える。

ところが、この期に及んで見事に減量に失敗し、何と2.5キロ増。気がついたら全盛期を彷彿させる68キロ台が目前。去年65キロちょっとで走ったことを考えると、このハンディキャップはあまりにも大きすぎる。脂肪じゃなくて筋肉なんです、といいたいが、確かに腹回りには、つきたての餅のようにプルンプルンと揺れる脂肪が見た目にも明らか。

僕の中では「完走するのは当たり前、50分切るのも当たり前」という思考が完全に脳を汚染していたのだが、ここに来て一気に弱気になった。この先3日間で2.5キロ減量したら、ひょっとしてテレビ番組に出演できるだろうか。体重計なんて乗らなきゃ良かった。いっそのこと、走った後に体重計に乗って、「何だこんなに太っていたからタイムが伸びなかったのか。」と言い訳すればよかった。

とはいえ、太りすぎて足が動かなくなった、走れなくなった、なんていう事は考えたくもないが、さすがにこの3キロ近い錘は、かなり影響を及ぼしそうな気配。あとは気力に任せるしかないかな。

さて、目標のタイム。
当初は自己新どころか、あわよくば40分台に乗せることを思い描いていたが(タイトルの1キロ4分とはそういうことです。)、どうやら絵に描いた餅に終わりそうな気配。たかだか10キロで4分も縮めるなんぞ至難な技だって事に、今頃になって気づいた。大体体重1キロ減らすことですらしんどいのに。

それこそゼッケンナンバー「4499」のとおり「誰か!呼んで呼んで!救急車!(K沢さん、これ結構気に入っています)」にならないようにしないと。

あとは思考の問題だな。1キロ走った時に、まだ800メートルしか走っていないと考える、とか。これだと、8キロ到達時点で実は10キロで、「何だ、もう10キロ走ったのか」なんてこともあり得る。いや、こうなったら頭の中を馬なり鹿なりの思考にシフトしよう。僕の前を走る人は全員ニンジンか煎餅に見立て、彼らを追いかけるしかない。

自分との戦い、なんて言えば聞こえはいいが、体重調整できていない時点で既に敗北決定。自己新なんてとんでもない話です。ハイ。

でも、せっかくなので真面目に、かつ楽しんで走りたいと思います。
ちなみに天気は今年もあまり良くないらしい。くもりのち雨の予報なので、雨が降り出す前に何とかゴールしたいところだ。
うーん、10キロへのエントリーは今回が最後かな?って、まだ今回の大会も始まっていないのに、次の大会で走る気になってるし。


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妹の帰郷


僕には年の4つ離れた妹がいる。
あまりにも顔が似すぎているらしく、僕の妹だということは誰にでも簡単に判別できるらしい。

妹は、弘前市内の某大学を卒業後、あっさりと上京した。いろんな思いが交錯した結果として上京を決めたようだが、今までその理由を積極的に聞こうと思ったことはない。ただ、確か亡父が市議1期目に、ゴタゴタに巻き込まれて失職したことが、一つの契機になったと記憶している。

折しも妹が上京を決めたのは、僕が新婚にもかかわらず八戸市へ単身赴任していた1年目。しかも僕の妻は結婚して直後に、積極的に我が家の両親そして妹と同居を始めていたこともあり(このおかげで親戚や知人の間では、妻の評価が急上昇した)、妹は、独り取り残されることとなる妻と、うちの両親との関係を少しだけ気にしたらしい。まあ、結果的にそれは杞憂に過ぎなかったわけだけれど。

更に僕はちょうどその頃、どうしようもないぐらい心身のバランスを崩していていて、とても妹の上京にああだこうだと口を挟める状態ではなかった。

そんなわけで、妹がどこに行き、何をするのかもよくわからないまま、僕が2年間の単身赴任を終えて弘前に戻ってきた頃には、当然ながら妹の部屋はもぬけの殻となっていた。

やがて母にとって妹のところを年数回訪問するのが数少ない楽しみとなり、父も上京するたびに都合を付けて妹と会っていたようだ。もちろん僕も出張で上京した際には、友人や知人に会うよりも妹と会うことを最優先させていた。
今思えば、我々はそれだけ妹のことが気になっていたし、妹も弘前に住む我々のことを気にしていたということなのだろう。

その間、妹は卒業直後から勤めていた会社を辞めて転職したが、転職先は必ずしも居心地の良い職場とは言えなかったようだ。
そして3年前の父の死、東日本大震災、更には原発事故と、取り巻く環境がどんどん変わっていき、妹の心境も徐々に変化したようだ。

いつかは帰ってきたい、という思いはあったようだが、そのきっかけを見出せぬまま過ごしてきた十数年間。
いろんな葛藤もあっただろうし、東京を離れるという寂しさもあるだろうが、ようやく意を決し、その生活に別れを告げ、妹が今日帰郷する。

一番の要因は、弘前市内在住の、とある男性との出会いだったといっても過言ではないだろう。妹の男運には興味がなかったが、僕と父と対等に会話するうちにどんどんオッサン化していく妹を見ていると、「果たしてこいつは嫁に行くことができるんだろうか?」と思ったこともしばしば。
ここでは言えないが、実家に戻ってくると、ここぞとばかりに女性らしさを欠くような言動を繰り返す妹に、こいつを嫁に貰ってくれる男性なんぞ現れないんだろうな、と、正直僕は諦めていた。実は妻も同じように思っていたらしいが。

それが、とある男性とひょんなきっかけで交際を始めた妹、ついには婚約にまでこぎ着けてしまったのだから、運命というのはどう展開するのか本当にわからないものだ。

妹は、しばらくの間実家で同居することになるようだが、やがて家を出て、新しい生活を始めるようだ。

いうまでもなく一番喜んでいるのは母であり、そして亡父だと思う。

…いや、もっと喜んでいるのは、相手の男性かな(笑)。

まあ、「たられば」を言い始めればキリがないのでやめておくとして、母にとっては「年数回の上京」という楽しみの一つが減ってしまうわけだが、身内が一人近くにいるというだけでも、気分的にはかなり楽になるのではないかと思っている。

あとは、何とか順調に事が進んて、妹の名字が無事に変わることを願うだけだ。


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ボヌール(BONHEUR)が遂にプレオープン。


これまでも幾度となくtwitterやFacebookで宣伝して来たが、弘前市土手町・弘前中央食品市場内に、「野菜と魚のお店,ボヌール(BONHEUR)」が遂にプレオープンした。
何でこんなにこの店を推すか。
だって、オーナーは義妹の旦那。つまり、身内なんだもの。
早速開店したお店にお邪魔してきた。
中土手町、時計塔が目印の一戸時計店のすぐ隣にある弘前中央食品市場。外観を見る限りでは、申し訳ないがちょっとあまりに昭和の香りが漂いすぎていて、気軽に立ち寄ってみよう、という気にはなかなかならない。
有名なところでは市場内に入って程なく左側に「大学いも」があるのだが、その先には歩が進まない、という方が多いかも知れない。
いわば、土手町自体は駅と公園を結ぶ動線上にあるから辛うじて商店街としての機能を保っているが、中央食品市場に入ると、そこから先どこかに抜けることができるという動線を見いだすのが難しく、何も買わなくて申し訳ない、といった感じで往復しなければならない構造にあることが、客足の遠のく一つの要因であったのかも知れない。
その中央食品市場内の左側の一角。衰退の途を辿っていた市場内に、いわば活性剤のような役割として登場したのがBONHEURだといっても過言ではないだろう。別に身内だから推しているわけではない。身内だからこそ厳しいことも言えると思うし、そこはひいき目ではなく、むしろ厳しい目でこれからを見守っていかなければならないことだろうと、僕と妻は勝手に思っている。
そんな前置きはともかく、百聞は一見にしかずということで、まずはオーナーの高橋くんから許可を得て写真撮影したので、店内の様子をご覧頂こう。
まずは土手町側ではなく、裏側から入店するとすぐ目の前に店舗が広がる。
野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)
これがあの弘前中央食品市場なのか?と見まがうほどおしゃれな佇まい。
さらに進むと、白い天井白い壁、そして裸電球が燦然と輝いている。
野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)
調理場ではスタッフが慌ただしく動き回り、手前の冷蔵ケースには寿司が並んでいる。
BONHEUR、プレ開店しました!
冷蔵ケースの隣には海苔巻きも。
野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)
これがまたおばあちゃんたちに大好評だった。
そして焼き魚!ホッケにサバ、イカにカレイにツボダイが並んでいる。
野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)
個人的にはこのツボダイがツボだった。ツボだけに。あ、ホントに美味かったっす。
そして、お惣菜。ハンバーグにゴーヤチャンプルーなど。
野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)
その日によってメニューは変わるらしい。
野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)
ガラスケースには冷菜が並ぶ。
野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)
この後これらの食材が容器に詰められていった。
そしてもう一つのお勧めが、野菜。
野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)
地元農家の採れたて野菜が並ぶ。
手前にあるのはツルナだそうです。
野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)
お。オーナーの高橋くんが野菜を並べてます。
野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)
その他、輸入食材も並んでいる。
野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)
奥に並ぶミネラルウォーターは、圧巻でっせ。
こちらにはパスタ。
野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)
イートインスペースもあります。
野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)
そうそう、このテーブルに椅子、野菜類や輸入食材が並ぶ台は、リンゴ箱を加工した手作りなんだって!
ということで、以上ボヌールの紹介でした。
野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)
まだスタートしたばかりで、いろいろ手探り状態なので、軌道に乗るまで大目に見て下さいね。
9月25日までがプレオープン期間で、9月30日がグランドオープン。
営業時間は午前10時から18時まで、毎週木曜が定休日。
そうそう、個人的な収穫を一つ。ボヌールの裏側にある藤本鮮魚店の旦那さんが、実はプリンスファンとのことで、02年の来日公演では武道館に足を運んだとのこと。弘前市内に在住する数少ないプリンスファンの一人として、貴重な繋がりができました。


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