轟沈:第3回イーハトーブ花巻ハーフマラソン

ランナーあるある。
自分の術中にはまったレースというか、自己ベストを更新あるいはそれに限りなく近いタイムをはじき出した時のレースは、その展開を雄弁に語り、逆に失敗レースだと、言い訳ばかりを考える。

4月26日に岩手県花巻市で行われた「第3回イーハトーブ花巻ハーフマラソン」。昨年に引き続きの参戦となったが、ランナーあるあるで言うところ後者のレース展開となった。
数日前からのオーバーワークがたたり、左脚ふくらはぎを実は痛めていたこと、減量しきれなかったこと、疲れが残っていたこと、まあ、どれもこれも自分が招いた結果なので、あとは言い訳しません。

この大会に臨むにあたり、同じクラブのサブ3ランナーSさんにお願いをしていた。
是非とも前半の折り返しまでキロ4分10~20秒のペースで引っ張って欲しい、と。
Sさんも「無理はしないので」と快諾して頂き、スタートからピタリとSさんに並走して走るというレース展開となった。
花巻市在住の叔母は今年も給水の手伝いに借り出され、スタートから3キロを過ぎたあたりの第一給水所にいるという話だけは聞いていたのだけれど、まさかスタートして15分も経たぬうちに僕がやってくるとは思ってもいなかったらしく、文字通り鳩が豆鉄砲を食ったような驚きの表情を浮かべながら、「が、頑張って!」という声を背後に聞くしかなかった。ちなみにこの時点での1キロあたりのラップは、4分20秒を切っていた。
4キロを過ぎたあたりで若干ペースが落ちたが、それでも4分25秒前後。5キロが21分31秒、10キロが43分09秒だったので、完全に自己ベストを狙えるペース。しかも、それほど辛いという感覚はなかった。

ただし、折り返し地点までは。

折り返した直後から、気になっていた左脚ふくらはぎの痛みが増してきた。Sさんに付いて行こうにも、左脚が痛くてついて行けない。それでも12キロまでの1キロのペースが4分16秒だったんだから、かなりハイペースだったのかも知れない。
そして、12キロから13キロにかけての難所とも言うべき高低差約20メートルの上り坂に差し掛かった時、遂に左脚が悲鳴を上げた。
痙攣の発症。
いや、今思えばあれは痙攣ではなく、肉離れを起こしたのかも知れない。ガクンとペースが落ち、ついに14キロ地点の救護スペースに駆け込んだ。
攣っているのか肉離れなのかよくわからない状況で、とりあえず軽くマッサージを施してもらう(実はこれは不要だった)。
コールドスプレーを振りかけ、水を飲み干し、リスタート。
「脱水症状気味かも知れませんね。無理しちゃダメですよ!」

わかってる。うん、わかってる。

以前の僕であればここで心がポキリと折れ、歩いては止まり走っては止まりを繰り返していたのだけど、この日は不思議と心が折れなかった。多分それは、並走してもらったSさんへの申し訳ないという気持ちが強かったからなんだと思う。
ゆっくり走っているつもりだったが、ゴールまでの7キロを1キロあたり5分を切るペースで走っていたようだ。
自己ベストどころか、「リタイア」の4文字が何度も頭をよぎる。
多分たくさんの人、ではないけれどそれなりに追い抜かれたようだけど、それもあまり気にはならなかった。文字通り淡々と駆け抜けるだけだった。
沿道にはほとんど声援を送る人はいない。

が、誘導を兼ねた高校生の声援が、本当に心に響いた。
「頑張って下さい!」
「ありがとう!」
声援に応えるだけの余裕が生まれたようだ。

時計には全く目をやっていない。今更時間を気にしたところでどうなるものでもない。恐らくこれまでのハーフマラソンで、一番悪いタイムをはじき出すことは明白だった。

花巻東高校の野球グラウンドでは、練習試合が行われている。その声を聞きながら、いよいよ残り1キロ。最後の緩い上り坂を越えて、競技場へ。先着していたSさんの姿が見えた。思わず「申し訳ありません!」と声を上げ、手を合わせる。

hanamakilast
(目が半分飛んでます。)

結局ゴールタイムは1時間37分25秒だった。

hanamakigoal1
(腕が下がりまくってます)

hanamakigoal2
(あ、コイン発見!)

自己ベストより4分以上遅れたが、それでも100分を切ってゴールできたのはヨシとしよう。
まあ、色々言い訳しようと思えばいくらでも口をついて出てくるけれど、僕の中では収穫も多かった大会だった。この収穫を次に生かすためにも、しばらくは無理せず養生に努めようと思う。

hanamaki

因果応報

因果応報【いんが-おうほう】
過去や前世での考えや行いに応じて、必ずそれ相応の報いがあるということ。
【注釈】本来は、よい行いをしてきた者にはよい報いが、悪い行いをしてきた者には悪い報いがあるという意味だったが、現在では多く悪い行いをすれば悪い報いを受けるという意味で使われている。
仏教の考え方で、原因に応じた結果が報いるということ。

新しい職場に来て10日が経過しました。内示を受けたときは「え?何でそこ?全然希望していないんですけど…」と呆然となりましたが、よく考えてみるといろんな伏線があって、何となく腑に落ちるところもあったりなかったり。

PCからこのブログを見ると、トップ画面に飛行機の画像、そしてその左下には「東北の元気、日本の元気を青森から」と書かれたバナーが置かれています。
設置したのは3年前の5月。震災から1年2か月経った頃のことでした。

symbolmark
僕が配置換えとなった今の所属こそが、まさにこのバナー作成に関わったセクションなのです。
青森県震災復興シンボルマーク

…思い起こせば震災の約1か月後、たった4日間ではありましたが「災害派遣」という形で宮古市に出向き、救援物資の仕分け作業をお手伝いしました。

そしてそれからちょうど4年後の今月17日、今度は「復興推進担当」という肩書きをぶら下げて、僕は再び宮古市に足を踏み入れます。

偶然といえば単なる偶然ではありますが、些細であり重くもある一つ一つの事象が数年のブランクを経てもなお、こうやって繋がりを持っていることが不思議でなりません。

この業界に楽な仕事なんてありません。
なので、今は自分の置かれた立場をしっかりとわきまえ、これからの仕事に取り組んでいこうと思います。微力ながらではありますが、お力になれれば幸いです。

短文失礼。ささやかながらの決意表明です。

ランニングとすごろく

3月も終わりに近づき、一気に雪解けが進んだ。青森市は既に積雪ゼロ、弘前市も積雪12センチと既に生活していく上で雪に悩まされる心配はほぼなくなった。いよいよランニングの季節がやってきた!…といいたいところなのだが、3月中旬に腰を痛め、歩行するのもやっとの状態という重症。どうやら軽度のヘルニアらしいという診断を受け、しばらく走ることを諦めることにした。もっとも今月は、定例の人事異動が発表となり、もしかしたらとは思っていたが、5年ぶりに職場を異動することが決まったこと、そしてそのタイミングで、今の業務を他のいろんな部署に引き継がなければならないという難題を抱えていたこともあり、定時退社の時間が午後8時過ぎとなってしまったため、仕事帰りにちょっとトレッドミルを…なんてこともできなくなってしまった。
挙げ句の果てに「誰もやったことのない仕事」の最終章で躓いてしまったため、土曜日出勤も始まるようになり、走れない身体に鞭打たれるような心境に打ちひしがれている。
結局、腰の痛みはほぼ治まったものの、違う理由で全く走れずじまい。多分2週間以上全く走らないなんてことは、ここ数年ではなかったはず。
結局のところ腰を痛めてしまったこともあってストレッチや柔軟(もっとも私の場合は柔軟という言葉から一番離れた場所にいるぐらい鋼鉄の身体の持ち主ですが)することもなく、ホントに一度も身体を動かすなく2週間以上が過ぎてしまった。
以前の僕であれば、周囲の皆さんが練習に励んでいる姿を目の当たりにして、「よし!自分も!」とメラメラ対抗心を燃やし、軽い怪我なら構わず走って結局患部を悪化させるという悪循環を続けていたのだが、今回は全くそういう気分が沸いてこなかった。他人は他人、自分は自分。他人のペースに合わせて状況を悪化させるぐらいなら、自分のペースで回復を目指した方がいい。
これも、ジョギングから始めて8年ぐらい経つが、その間に色んなことを経験して、知らず知らずのうちに学習していたのかも知れない。

そんなわけでしばらく走ることから遠ざかっているわけだが、その状況の中でふと思ったことがある。
ランニングは、すごろくに似ているんじゃないかってことだ。

ランニングというすごろくは、同じ盤上でサイコロを振るんじゃなくて、一人一人がそれぞれのすごろく盤を抱えている。
だからプレイヤーは、誰の順番も気にすることなく、好きな時にサイコロを振ることができる。
ただし、基本的なマスには「走る」か「トレーニング」しか書かれていない。 人生ゲームのような職業を選択するマスはない。もっとも、「結婚」「出産」のマスはあるのかも知れないけど。
そして、「一回休み」ではなく「しばらく休み」「気が済むまで休み」といったマスがある。
さらに、止まったマスから「戻る」ことはあっても、「進む」ことはない。

サイコロ振るたびに大きな目を出して、トントン拍子で進んでいく人、サイコロを振っても小さな目しか出なくて、挙げ句の果てに「3マス戻る」ばかりが続く人、「しばらく休み」の状態から抜け出せない人、実は「ふりだし」から一コマも進んでいない人など、人それぞれだと思う。

特徴的なのは、マラソンというすごろくには幾つかテーマがあること、そして、「ふりだし」はあっても「あがり」がないこと。
設定されているテーマは、距離、スピード、達成感、タイム、満足感。
これらの中から一つだけ選んでもいいし、複数のテーマを選んでもいいし、さらに途中で追加してもいいし。

「あがり」を決めるのは自分自身。やめたければいつやめても構わないし、いつまで続けても構わない。
ただしこのすごろく、一つ特別なルールがあって、サイコロを振ることを止めると、自動的に一コマずつ後退が始まります。

さて僕は、どれぐらいまで後退したのだろうか。来週あたりからランニングを再開したいとは考えているものの、来週はもう4月。いよいよ下旬からハーフマラソンの大会も始まるが、あくまで大きな目標に向かっての過程と捉え、いつになくのんびり構えて行こうかと思っている。

IMG_20150328_091526~2

第1回弘前城リレーマラソン冬の陣に参加してきました。

今月に入ってから、投稿の機会を逸していました。いつも2月はこんな感じなんです。仕事が繁忙期となるため、ブログは閑散期。ま、仕方ないですよね。

今年度はちょっと大変な仕事を抱えておりまして、簡単に言えば権限委譲を中でやる、みたいな感じでしょうかね。まあ、言うのは簡単だけどやるのは大変でして、気苦労が絶えないわけですよ。

今年の1月2月は例年以上の積雪量でして、弘前市でも一時期積雪が140センチまで達しました。
週末に身も心も休めようと思っても、なかなか休めずじまいで、結構ボロボロになりつつあるんですよね、実は。

さて、そんなボロボロの中、外を走る機会もなかなかないわけですが、2月11日に行われた「弘前城リレーマラソン冬の陣」に参加してきました。
会場となったのは、弘前公園西側にある西堀付近。コースは、青森県護国神社前をスタートし、西堀に架かる春陽橋を渡り、西堀沿いを走り、ボート乗り場の前を通って桜のトンネルを駆け抜け、再び神社前に戻ってくるという1周約1.3キロ弱。このコースを、3時間で何周できるかを50チームで競うというものでした。実際にエントリーしたのは48チームだったかな?400人以上の方が参加されたそうです。
弘前公園ランニングクラブでも5名1組で2チームがエントリー。走力は人それぞれですので、記録や入賞を目指すというより楽しく走るという方に主眼を置いてみんなで走りました。

…実は僕、大きな勘違いをしていまして、大会がてっきり8日の日曜日だと思い込んでいたのです。前の日の土曜日に一人意気揚々とコースを試走し、その模様をFacebookにアップしたところ「大会は明日ではなく11日ですよ!」という主催者からのご指摘が。
…危うく日曜日、一人リレーマラソンをやっているところでした。

さてさて、時節柄2月は降雪量も多く、冷え込む時期であります。日中が氷点下となる真冬日は当たり前、吹雪となることだってしばしば。
実際9日から10日に掛けては天気が大荒れとなり、こんな中で走るのはちょっとイヤだな…と思っていたのですが。

11日は、なぜか朝から快晴。自宅から荷物を背負って弘前公園まで走って向かったのですが、約2キロちょっとを走っただけで汗ばむぐらい暖かな陽気となりました。
11時スタートということではありましたが、10時過ぎに会場に到着すると、既にクラブのメンバー数名が到着していました。
日曜日にも走ったとはいえ、その後の雪でコースの状況は変わっているはず。また、この日のためにスポネット弘前と弘前市の尽力で、コースも整備されたと聞いていましたので、まずは軽めに試走してみました。

1練習

1月に行われた試走の際に「危ない」といわれていた春陽橋の上に盛り上がった雪はかなり切り下げられており、走りやすくなっていました。日曜日に試走した際に滑って転びそうになった西堀のバックストレート(笑)も、10時過ぎの時点ではまだ大丈夫。でも、気温が上がりそうなので、このあときっと走りにくくなるんだろうなあ、といった感じ。ボート乗り場前を駆け抜け、春はピンク色に染まるさくらのトンネルへ。今はまだ、一面を白い雪が覆っています。ちょうど雪灯籠まつりが行われている関係で、一般の方々の通行の邪魔にならないよう、赤いコーンが置かれていました。

ちなみに僕らは、冬の降雪や積雪時でも走ることのできる雪道専用のランニングシューズ(靴底の凸凹が凄いのです)を履いて走っていたのですが、中には普通のランニングシューズを履いて走る方(ただし転倒覚悟で走らなければなりません)や、長靴を履いて走る人も。

いよいよ日差しが出るようになり、暖かさが増してきました。あとで知ったのですが、この日の最高気温は3月上旬並みだったそうです。10時30分に開会セレモニーが行われ、11時の号砲を待ちます。仮装をする人、ランニングシャツに短パン姿の人、どう見ても普通の格好の人、見るからに速そうな人、そして小学生の子どもたちなど、チームの構成もバラバラで特徴的。

そして、スポネット弘前の鹿内代表の号砲で、いよいよ大会が始まりました。いくら何でも雪道ですので、1.3キロであればどれだけ速い人でも5分ちょっとぐらいで戻ってくるんだろうか、と思っていたら、一番速い人は何と5分を切って1周を終えて来ました。いくら何でも速過ぎるんじゃない!?
ちなみにうちのチームは、一人2周ずつ周回することとしました、あとで実測してみると大体2.5キロ。
僕は5人中3番目ということで、チームのみんなが走る姿に声援を送りつつ、持って来たカメラで勇姿を撮影していました。
いよいよ自分の番が近づき、ちょっとだけ緊張してきました。何に緊張しているのかというと、ふと頭をよぎった、走っている途中で転ばないだろうかという警戒感。
また転んで何かやらかした、となれば笑い話じゃ済まされませんからね…。
赤い襷を受け取り、ゆっくりと走り出します。今日は本気レースではないので、無理をする必要はないのです。でも、僕の中ではインターバルトレーニングの一つなんだと位置づけ、徐々にペースを上げていきました。…でも、橋の上は努めて慎重に。

1回目

時計にはほとんど目をくれず、誰かを抜いても、誰かに抜かれても気にしない。無意識を意識しながら走る…そんな感じでした。
2周を終え、改めて時計を見ると、キロ4分30秒で走っていました。
…これは、もう少し上げられるかな?
5人で走っていましたので、大体1時間に1回は走る計算に。つまり、恐らくあと2度走る機会がやってくるはず。息を弾ませながら、他のランナーに声援を送り、カメラを構えます。
気温が上がってきた上に、多くのランナーが同じコースを駆け抜けることでコースが踏み固められ、路面が滑るようになってきました。転倒者も続出し、コース上に砂が撒かれました。

でも、転倒しながらも皆さん笑っているんですよね。速いチームも遅いチームも、みんなホントに楽しそう!

さてさて2周目(正確には3周目)。1周目はコースの感覚を掴む感じでしたので、ちょっと早めのペースでスタート。…4周目に入り、橋を渡って西堀に入ると、速いチームの二人が相次いで僕の横を駆け抜けて行きました。
「ここだ。」
二人に食らいつこうとペースアップ。もちろん追いつくことはできませんが、かなりペースを上げたつもり。
次のランナーへ襷を渡し、時計を見ると…。
おお!キロ4分15秒で走れた!

気持ち良く走れました!ありがとうございます!

その後もカメラを構え、チームのメンバーの走りを撮影。
いやあ、皆さんホント楽しそうに走ってるわ…。

しばらく撮影に興じていた時、あることに気がつきました。
あれ?そういえばOくん、3周目なんじゃない?

「ちょっとOくん、3周目じゃない!?」
「…つ、次マカナエさんの番ですよ…。」

何と撮影に夢中になりすぎて、自分の走る順番がきていたことに気がつかなかったという大チョンボ。

3回目

疲労困憊で戻ってきたOくんに詫びを入れながら襷を受け取り、3度目のラン。しかし、申し訳ないと思いつつ走り始めたのですが、自分のやらかしたチョンボがあまりに酷すぎ(可笑しすぎ)て、腹に力が入りません。

3回目2

結局3周目(5~6周目)はキロ4分18秒で駆け抜け、無事に次走の方へ襷を渡して本日のラン終了。

午後2時にレース終了の号砲が鳴らされ、最後のランナーが続々ゴール。
一番速いチームは40周したそうです。凄い!僕の参加していたチームは30周、もう1チームは31周でした。ま、今回は記録じゃないからね。

ということで、大きなトラブルもなく天気にも恵まれた大会が終了。
いやあ、初夏のリレーマラソンも楽しいけど、冬のリレーマラソンも楽しいですね!
もっとも、今回は天気がよかったことが全てと言っていいでしょうね。関係者の皆さん、開催までのご尽力本当にお疲れさまでした!

集合

ただの中年のオッサンとは呼ばれたくないのである。

44歳の誕生日を迎えました。
何かもう44歳になっちゃったかぁ、って感じです。40歳を過ぎてから、1年1年のスピードがだんだん速くなっています。だったら脚もこれぐらい速くなればいいのに、とか思ったり。

ここ数年、誕生日を迎える前後に必ず欠かさずやっていることが一つあります。
それは、1年前の自分のブログの記事を読み返すこと。
別に大した内容ではないのですが、どちらかといえば自分に向けた内容にしているため、ああ、1年前はこんなことを考えていたのか、1年間でそれはどうなったのかな、なんてことを思い返すわけでして。

振り返って見ると43歳は、比較的浮き沈みの激しい1年間でした。端的に言えば、頭から足まで故障と怪我に泣かされた一年でした。

「人生は帳尻が合うようになっている。」
…まあ、僕の中での座右の銘みたいなものなのですが、43歳はまさにその帳尻が合う1年間、といっても過言ではなかったかも知れません。

出来過ぎた内容に浮かれていると、落とし穴が待っています。
でも、我慢を続けていれば、いつか花は開くものです。
しかしながら花が開いたからといって狂喜乱舞していると、花はすぐに散ってしまいます。

43歳は、そんな浮き沈みを、身をもって経験した貴重な一年でした。でもその一方では、最初から最後までどこか浮き足だった一年だった、といってもいいでしょう。
色んなことに手を出し過ぎ、とも言われました。
何事もなく平穏無事に…と密かに願った43歳。蓋を開けてみれば、色んなことがありすぎた1年でした。

44歳を迎えるにあたって、もう一度原点に立ち返る、というわけではありませんが、もう少し足下を見つめ直そう、と。…そもそも原点が埃や砂に埋もれてしまったため、どこにあるのかどころか、その原点が何だったのかすら分からなくなりつつあるのも事実なので。

44歳は、外面ばかりではなく少し内面を磨くことに力を注ごうかと考えています。他人の一挙手一投足や言動に振り回されることなく、大きな懐を持って自己を確立したいものです。言うなれば、自我の目覚めと認識です。

ついでに言うならば、年齢的には充分過ぎるほどオッサンの領域ではありますが、まだオッサンと呼ばれたくないのであります。例えオッサンであっても、どこにでもいそうな、スウェットの似合うオッサンにはなりたくないのであります。どうせなら、Tシャツと29インチのジーンズ(Gパンではありません。ジーンズです。ここ重要。)が似合う、格好いいオッサンになりたいのであります。

…ということで44歳、今年目指すのはアンチエイジングです(笑)。
ウソウソ。

閑話休題。
僕が見据える先にあるのは、退化でも老化でもなく、進化です。進化しながら自我を探る。単なるエゴかも知れませんがこれ、一生かかっても終わらない作業でしょうね。

でも、また調子に乗って浮き足立っていると、すぐに足下を掬われます。
だから、自分から転ばないように、そして転ばされないように、地にしっかりと足を据えて行動しようと思います。
心にも身体にも「柔軟性」を、そして行動には「アソビ」を持たないとね。

その先にある進化を目指して、慎重かつ大胆に、獅子奮迅。
シシだけに44、ということで。

…あ、シシはシシでも僕、亥(いのシシ)年生まれでした。

何事も空回りして猪突猛進にならぬよう気をつけます、ハイ。

これまでも、地球規模で自然環境を保護し、人間の生活との共存を目指すエコロジーが叫ばれているところです。僕としては、僕自身を含む周囲の環境を保護しつつ、社会生活との共存を図るエゴロジーから始めようと思います。もっとも行き着く先は、エロジジーかも知れませんが…。
さてと。まずは転ばぬ先の杖を買わないとね。

now44