Author Archives: のんべ

About のんべ

1971(昭和46)年 青森県生まれ。弘前市在住の青森県職員。 プリンスとビールと豆腐とラーメンを愛する。安いカメラでいかに安っぽくない写真を撮影するかに興味あり。 ブログの内容の多くは、いつの間にか趣味となった「走ること」がメインです。

いろいろ諸々ありまして、はい。

5月の連休に突入しようかという金曜日の夕方、母と妻から連絡が入った。
「義父、危篤。」

義父は、昨年11月から食事が喉を通らなくなったということで市内の病院に入院していたことは知っていたのだが、「連休まで持たないかも知れない」と妻から聞かされたのが4月半ばのこと。まさかそんなに悪い状態になっていたとは知らなかったし、実際、同居していた義母もそれほど状態が深刻だとは思っていなかったらしい。事実、妻ですらそういった状態になっているとは思っておらず、実は入院以来一度も見舞いに行っていなかった。

宮古市に行く前日、4月16日の夜に慌てて見舞いに向かうと、11月以降ほとんど食事を摂ることができなくなってしまったという義父の身体はやせ細り、体重は30キロ程度まで落ちたそうだ。そういえば、4月から職場が変わったことすら教えていなかった。新しい名刺を渡すと義父は、嬉しそうにそれを眺め、か細くなった声で僕に言った。
「大変だな。頑張れ。」
いや、大変なのは僕より義父さんじゃないか…。この時ばかりは思わず涙が出そうになった。
それ以来、こまめに病院に顔を出すようにしていたが、日に日に「その日」が迫っていることを感ぜずにはいられなかった。


5月1日17時過ぎ。母と妻から相次いで届いた連絡に慌てて仕事を放り投げ、入院先である弘前市内の病院へタクシーで向かった。
まだ日の明るいうちに病室に駆け込むと、義父は穏やかな表情で僕を迎えた。
「忙しいのに悪いな。仕事は大丈夫なのか?」

傍らでは、妻と義妹が目を真っ赤に腫らしていた。義母が落胆した声で言った。
「義父さん、もういいんだって。疲れたんだって…。」
「義父さん、それは困るよ。もうちょっとだけ頑張ろうよ。」
病室に空虚な言葉が響いた。
その後も、義父と少しだけ会話を交わし、疲れても困るだろうから、と病室を後にした。何とも言えぬ思いが胸の中で大きな荒波に揉まれるように攪拌されていた。

結局その日を最後に義父とはまともに会話ができなくなり、それから5日後の未明、義父は無言の帰宅を果たした。1日の夕方に、義父が家族全員を呼び集めたのも、「その日」が近いことを悟ってのことだった。

僕自身、「その日」が近いことを覚悟していたし、仕事の上でもプライベートでもいろいろ予定をキャンセルすることはやむを得ないことと割り切っていた。もっとも、5日に予定していた岡村靖幸のコンサートにせよ10日に八戸市で行われた「うみねこマラソン」も、誰にも相談することなく僕一人で参加を決めたこと。何かあるときは一人で勝手に決めるなよ、という義父からのメッセージだったのかも知れない。4月26日のハーフマラソンで足を負傷したこともあり、そちらの練習はほぼ全くと言っていいほどできなかったが、そんなことにうつつを抜かしている場合じゃないぞ、という義父からの暗示だったのかも知れない。
結局今年のゴールデンウィークは、妻の実家で過ごす時間がとても長くなったけれど、残された女性陣だけでは手に負えない(判断しかねる)こともあったりして、今はこれで良かったんだと思っている。実際、何かあったら俺に任せるように、と義父が遺言を残していたらしいし。
ともあれひとまず無事に納骨を終え、今は少しずつ落ち着きを取り戻している。

…そんなことで、非常にバタバタした日々を過ごしていたところではありますが、徐々に元のペースに戻したいと思います…が、まずは職場環境に慣れ親しむのが先決。
正直、未だに浮いています、私。このままずっと浮遊し続けるのでしょうか…。

ランニング関連の書籍の寸評

最近急にアクセス数が増加していたため、何だろうな、と思ってみたら、以前のサザンオールスターズ仙台公演の記事にアクセスが殺到していたようです。

すいません、今年のツアーは観ていません。というか、観に行ける状況じゃなかったんです。

さて、ジョギングを始めて8年目。フルマラソンに参戦して3年目のシーズン。とりわけフルマラソンに初めてエントリーした後から、ランニング関連の書籍(文庫本・新書)を読み漁るようになりました。いくつかの書籍については、このブログでも書評を綴ったことがあるのですが、全く触れていない書籍もいくつかあったため、いつか整理したいと考えていたのです。

そんな中、booklogに登録しながら全く活用していなかったことに気づき、今回そちらに寸評を掲載してみました。もちろん人それぞれ感じるところは違うと思いますので、あくまで僕の主観ということでご容赦下さい。

では私の本棚、こちらからどうぞ

轟沈:第3回イーハトーブ花巻ハーフマラソン

ランナーあるある。
自分の術中にはまったレースというか、自己ベストを更新あるいはそれに限りなく近いタイムをはじき出した時のレースは、その展開を雄弁に語り、逆に失敗レースだと、言い訳ばかりを考える。

4月26日に岩手県花巻市で行われた「第3回イーハトーブ花巻ハーフマラソン」。昨年に引き続きの参戦となったが、ランナーあるあるで言うところ後者のレース展開となった。
数日前からのオーバーワークがたたり、左脚ふくらはぎを実は痛めていたこと、減量しきれなかったこと、疲れが残っていたこと、まあ、どれもこれも自分が招いた結果なので、あとは言い訳しません。

この大会に臨むにあたり、同じクラブのサブ3ランナーSさんにお願いをしていた。
是非とも前半の折り返しまでキロ4分10~20秒のペースで引っ張って欲しい、と。
Sさんも「無理はしないので」と快諾して頂き、スタートからピタリとSさんに並走して走るというレース展開となった。
花巻市在住の叔母は今年も給水の手伝いに借り出され、スタートから3キロを過ぎたあたりの第一給水所にいるという話だけは聞いていたのだけれど、まさかスタートして15分も経たぬうちに僕がやってくるとは思ってもいなかったらしく、文字通り鳩が豆鉄砲を食ったような驚きの表情を浮かべながら、「が、頑張って!」という声を背後に聞くしかなかった。ちなみにこの時点での1キロあたりのラップは、4分20秒を切っていた。
4キロを過ぎたあたりで若干ペースが落ちたが、それでも4分25秒前後。5キロが21分31秒、10キロが43分09秒だったので、完全に自己ベストを狙えるペース。しかも、それほど辛いという感覚はなかった。

ただし、折り返し地点までは。

折り返した直後から、気になっていた左脚ふくらはぎの痛みが増してきた。Sさんに付いて行こうにも、左脚が痛くてついて行けない。それでも12キロまでの1キロのペースが4分16秒だったんだから、かなりハイペースだったのかも知れない。
そして、12キロから13キロにかけての難所とも言うべき高低差約20メートルの上り坂に差し掛かった時、遂に左脚が悲鳴を上げた。
痙攣の発症。
いや、今思えばあれは痙攣ではなく、肉離れを起こしたのかも知れない。ガクンとペースが落ち、ついに14キロ地点の救護スペースに駆け込んだ。
攣っているのか肉離れなのかよくわからない状況で、とりあえず軽くマッサージを施してもらう(実はこれは不要だった)。
コールドスプレーを振りかけ、水を飲み干し、リスタート。
「脱水症状気味かも知れませんね。無理しちゃダメですよ!」

わかってる。うん、わかってる。

以前の僕であればここで心がポキリと折れ、歩いては止まり走っては止まりを繰り返していたのだけど、この日は不思議と心が折れなかった。多分それは、並走してもらったSさんへの申し訳ないという気持ちが強かったからなんだと思う。
ゆっくり走っているつもりだったが、ゴールまでの7キロを1キロあたり5分を切るペースで走っていたようだ。
自己ベストどころか、「リタイア」の4文字が何度も頭をよぎる。
多分たくさんの人、ではないけれどそれなりに追い抜かれたようだけど、それもあまり気にはならなかった。文字通り淡々と駆け抜けるだけだった。
沿道にはほとんど声援を送る人はいない。

が、誘導を兼ねた高校生の声援が、本当に心に響いた。
「頑張って下さい!」
「ありがとう!」
声援に応えるだけの余裕が生まれたようだ。

時計には全く目をやっていない。今更時間を気にしたところでどうなるものでもない。恐らくこれまでのハーフマラソンで、一番悪いタイムをはじき出すことは明白だった。

花巻東高校の野球グラウンドでは、練習試合が行われている。その声を聞きながら、いよいよ残り1キロ。最後の緩い上り坂を越えて、競技場へ。先着していたSさんの姿が見えた。思わず「申し訳ありません!」と声を上げ、手を合わせる。

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(目が半分飛んでます。)

結局ゴールタイムは1時間37分25秒だった。

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(腕が下がりまくってます)

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(あ、コイン発見!)

自己ベストより4分以上遅れたが、それでも100分を切ってゴールできたのはヨシとしよう。
まあ、色々言い訳しようと思えばいくらでも口をついて出てくるけれど、僕の中では収穫も多かった大会だった。この収穫を次に生かすためにも、しばらくは無理せず養生に努めようと思う。

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因果応報

因果応報【いんが-おうほう】
過去や前世での考えや行いに応じて、必ずそれ相応の報いがあるということ。
【注釈】本来は、よい行いをしてきた者にはよい報いが、悪い行いをしてきた者には悪い報いがあるという意味だったが、現在では多く悪い行いをすれば悪い報いを受けるという意味で使われている。
仏教の考え方で、原因に応じた結果が報いるということ。

新しい職場に来て10日が経過しました。内示を受けたときは「え?何でそこ?全然希望していないんですけど…」と呆然となりましたが、よく考えてみるといろんな伏線があって、何となく腑に落ちるところもあったりなかったり。

PCからこのブログを見ると、トップ画面に飛行機の画像、そしてその左下には「東北の元気、日本の元気を青森から」と書かれたバナーが置かれています。
設置したのは3年前の5月。震災から1年2か月経った頃のことでした。

symbolmark
僕が配置換えとなった今の所属こそが、まさにこのバナー作成に関わったセクションなのです。
青森県震災復興シンボルマーク

…思い起こせば震災の約1か月後、たった4日間ではありましたが「災害派遣」という形で宮古市に出向き、救援物資の仕分け作業をお手伝いしました。

そしてそれからちょうど4年後の今月17日、今度は「復興推進担当」という肩書きをぶら下げて、僕は再び宮古市に足を踏み入れます。

偶然といえば単なる偶然ではありますが、些細であり重くもある一つ一つの事象が数年のブランクを経てもなお、こうやって繋がりを持っていることが不思議でなりません。

この業界に楽な仕事なんてありません。
なので、今は自分の置かれた立場をしっかりとわきまえ、これからの仕事に取り組んでいこうと思います。微力ながらではありますが、お力になれれば幸いです。

短文失礼。ささやかながらの決意表明です。

ランニングとすごろく

3月も終わりに近づき、一気に雪解けが進んだ。青森市は既に積雪ゼロ、弘前市も積雪12センチと既に生活していく上で雪に悩まされる心配はほぼなくなった。いよいよランニングの季節がやってきた!…といいたいところなのだが、3月中旬に腰を痛め、歩行するのもやっとの状態という重症。どうやら軽度のヘルニアらしいという診断を受け、しばらく走ることを諦めることにした。もっとも今月は、定例の人事異動が発表となり、もしかしたらとは思っていたが、5年ぶりに職場を異動することが決まったこと、そしてそのタイミングで、今の業務を他のいろんな部署に引き継がなければならないという難題を抱えていたこともあり、定時退社の時間が午後8時過ぎとなってしまったため、仕事帰りにちょっとトレッドミルを…なんてこともできなくなってしまった。
挙げ句の果てに「誰もやったことのない仕事」の最終章で躓いてしまったため、土曜日出勤も始まるようになり、走れない身体に鞭打たれるような心境に打ちひしがれている。
結局、腰の痛みはほぼ治まったものの、違う理由で全く走れずじまい。多分2週間以上全く走らないなんてことは、ここ数年ではなかったはず。
結局のところ腰を痛めてしまったこともあってストレッチや柔軟(もっとも私の場合は柔軟という言葉から一番離れた場所にいるぐらい鋼鉄の身体の持ち主ですが)することもなく、ホントに一度も身体を動かすなく2週間以上が過ぎてしまった。
以前の僕であれば、周囲の皆さんが練習に励んでいる姿を目の当たりにして、「よし!自分も!」とメラメラ対抗心を燃やし、軽い怪我なら構わず走って結局患部を悪化させるという悪循環を続けていたのだが、今回は全くそういう気分が沸いてこなかった。他人は他人、自分は自分。他人のペースに合わせて状況を悪化させるぐらいなら、自分のペースで回復を目指した方がいい。
これも、ジョギングから始めて8年ぐらい経つが、その間に色んなことを経験して、知らず知らずのうちに学習していたのかも知れない。

そんなわけでしばらく走ることから遠ざかっているわけだが、その状況の中でふと思ったことがある。
ランニングは、すごろくに似ているんじゃないかってことだ。

ランニングというすごろくは、同じ盤上でサイコロを振るんじゃなくて、一人一人がそれぞれのすごろく盤を抱えている。
だからプレイヤーは、誰の順番も気にすることなく、好きな時にサイコロを振ることができる。
ただし、基本的なマスには「走る」か「トレーニング」しか書かれていない。 人生ゲームのような職業を選択するマスはない。もっとも、「結婚」「出産」のマスはあるのかも知れないけど。
そして、「一回休み」ではなく「しばらく休み」「気が済むまで休み」といったマスがある。
さらに、止まったマスから「戻る」ことはあっても、「進む」ことはない。

サイコロ振るたびに大きな目を出して、トントン拍子で進んでいく人、サイコロを振っても小さな目しか出なくて、挙げ句の果てに「3マス戻る」ばかりが続く人、「しばらく休み」の状態から抜け出せない人、実は「ふりだし」から一コマも進んでいない人など、人それぞれだと思う。

特徴的なのは、マラソンというすごろくには幾つかテーマがあること、そして、「ふりだし」はあっても「あがり」がないこと。
設定されているテーマは、距離、スピード、達成感、タイム、満足感。
これらの中から一つだけ選んでもいいし、複数のテーマを選んでもいいし、さらに途中で追加してもいいし。

「あがり」を決めるのは自分自身。やめたければいつやめても構わないし、いつまで続けても構わない。
ただしこのすごろく、一つ特別なルールがあって、サイコロを振ることを止めると、自動的に一コマずつ後退が始まります。

さて僕は、どれぐらいまで後退したのだろうか。来週あたりからランニングを再開したいとは考えているものの、来週はもう4月。いよいよ下旬からハーフマラソンの大会も始まるが、あくまで大きな目標に向かっての過程と捉え、いつになくのんびり構えて行こうかと思っている。

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