2011年1月31日

佐野元春 『月と専制君主』

昨年デビュー30周年を迎えた佐野元春の、自身初となるセルフカバーアルバム。オフィシャルサイトでは「30周年アルバム」と銘打たれているので、一応記念盤的なアルバムになるのだろう。収録曲はこれまでの30年のキャリアから選りすぐりの...といきたいところだが、どちらかと言えば80年代後半から90年代前半に掛けての楽曲に偏っているような気がする。

初回限定盤は2種類。
レコーディング・ドキュメンタリー映像を収録したDVDとCDがパッケージされたものと、もう一つは何と全く同じ内容のアナログ盤とCDがセットになったもの。この他iTunesでのデジタルコンテンツでも発売されており、リスナーがいろんな形に合わせて購入できる形態を取っている。

さらに初回限定盤には、アルバム未収録曲1曲のダウンロードができるパスコード(2012年12月31日まで有効。)が封入されている。この曲が何なのかは、敢えて秘密にしておこう。

ついでに言えばこのCDには、「SOMEDAY」や「アンジェリーナ」といった、佐野元春にとっての看板的な楽曲については収録されておらず、下手をすればアルバムの一曲として埋もれてしまうような楽曲にもスポットが当てられているのが特徴的だ。

全般を通して聴いてみて思ったことは、(いい意味で)非常に力の抜けたアルバムだなぁ、ということだ。

レコーディング・メンバー(かつて元春の脇を固めたザ・ハートランドとホーボー・キング・バンドの混合メンバーで構成)が非常に楽しそうに、それもリラックスした雰囲気で演奏している光景が容易に想像されること。そして誰よりも佐野元春自身が、そんなバンドに全幅の信頼を寄せ、自然体で唄っている様子が伝わってくる。

ホントに、たった10曲にとどめておくのがもったいないぐらいの仕上がりで、できることなら30曲、いや40曲でもまとめてコンパイルして発表して欲しかったぐらい。

全体を通してこれまでアップ・テンポでキャッチーだった楽曲も、アコースティック感の強い楽曲に仕上がっている。このアルバムを作るに当たり、「耳にも心にも有機的な音にすること、エアに響く音を大事にして、ライブな音を作ること」を意図したとのことなので、とても落ち着いた感のアルバムとなっている。昼下がりの午後、読書をしながら思わず微睡んでしまう、そんな情景がとても似合いそうだ。

これまでも矢野顕子やBonnie Pinkといった女性アーティストとコラボレートした楽曲があったが、本作品ではラヴ・サイケデリコが援軍として登場(5曲目の「彼女が自由に踊るとき」)。している他、iTunesで先行DL販売が開始された「月と専制君主 -Boys & Girls version-」は、Coccoがゲストとして参加しており、アルバムに収録されたものとは異なるバージョンとのことなので、購入して損はないだろう。

発売日当日にはNHKの「SONGS」に出演し、レコーディング・メンバーと4曲を披露した。3曲が「月と専制君主」からの楽曲で、もう1曲はアルバム未収録の「SOMEDAY」だったが、発売当初のままキーも変えず、見事に歌いこなしていた。これまで散々「最近声が出なくなった」と嘆いていた僕だったが、テレビを観た妻が「結構いいじゃん。」と評価してくれたのは、ちょっとだけ嬉しかった。

セルフカバーアルバム、と一言で済ませてしまえばそれまでだが、むしろ佐野元春の30年という「今」を記した「新作」と位置づけでも、誰も文句は言わないような気がする。
そういう意味においては、現代の音楽産業に蔓延る「今風」の音はここに存在しない。だが、元春が醸し出す苦みのない渋みを、老若男女問わず是非聴いて欲しい。

2011年1月30日

こんにちは40代

昨日、目が覚めたら40歳になっていました。皆様から御祝いコメントなどを頂戴し、感謝感激でございます。この場を借りて改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

まぁ、誰でも若いに越したことはないのでしょうけれど、なぜこれほど40代であることに対する抵抗感を抱いていたのか。他人にしてみれば「どうでもいいこと」に、なぜ30代であることと40代になることに執拗にこだわっていたのか、実際40歳を迎えてみると、自分でもよくわかりません。
ただ、不惑と言われる40代、まだまだ戸惑うことだらけです。多分こうやって一生戸惑いながら馬齢を重ねていくことになるのでしょう。

思い起こせば、「高校生のくせに落ち着きすぎているから」と、男女問わずいろんな相談を受ける羽目になった高校時代(16~18歳)。バイト先で「お子さんはおいくつですか?」と尋ねられた学生時代(18~22歳)。「いくつに見えますか?」「うーん、34歳?」...白髪が一気に増え、年相応に見られることは決してなかった20代(22~29歳)。「見た目より若いんですね!」やっと聞きたかった言葉を耳にすることができた30代(30~39歳)。

40歳を迎え、これからさらなる外面的な退化、肉体の衰えを徐々に感じ始めていくことにはなるのかも知れませんが、40歳になったからといって本質的に何か変わるわけではありません。

若い者には負けません!と言いたいところですが、僕、そんな若い者の前に仁王立ちするほど老け込むつもりはまだまだありませんので...。

これからは、地に足のついた40代をじっくり楽しみたいと思います。

2011年1月28日

30代最後の日

いよいよ30代最後の日を迎えた。とはいえ何か感傷に浸るものがあるはずもなく、ただ普通に過ごしていれば時間は勝手に過ぎていき、やがて黙っていても40歳を迎える。

思い返せば30代、いろんなことがあった。
自己研鑽に努めようと思い立ち、職場公募で入学した大学院。思ったほどの研究結果を残したわけでもないし、修士論文も酷評されて当然の内容だった。
ただ、当時のフィールドワークがやがて実を結び、一般書籍として出版されることとなった。共同執筆でありながら著者の一人として名を連ねた本を手にしたときは、身震いするような思いだった。
あくまで研究本なのでマニアックな内容ではあったが、ちょうど地元を賑わせていた「津軽学」のアカデミック版みたいな感じで、とても読み応えのある内容だった。僕にお迎えが来たときは、あの書籍も是非一緒に入れて欲しいと思っている。

大学院から職場復帰してみると、その後は部局を転々とさせられること3度。国でいうところの「○○族」とか「○○畑」というようなどこか一つの部局で仕事をこなすのとは違い、根を張ったと思いきや抜かれ、また根を張ったと思いきや抜かれ、の繰り返し。いよいよどこが僕の畑なのかわからなくなってきた。都合のいいように考えれば、どこでもこなせるユーティリティプレイヤー。悪く考えれば仕事の能力が乏しく、追い出される無能な凡人。そのどちらなのかは知る由もないが、僕の中ではどちらかといえば後者寄りなのだろうと解釈している(もちろん前者で評価してもらうことに越したことはないが)。

そして、何よりも一番辛かった父との別れ。まさか、あのような形で父と別れることになるとは、当たり前のことではあるが予想もしていなかった。まさに青天の霹靂とはこういうことを言うのだろう。父亡き後僕は、未だに自分を責め続けている。確信はないが、父を追いやったのは僕なのだと、毎日いろんなシーンでふと思い起こす。

父の遺志を継ぎ、市議会議員に立候補すべきか。だが、僕そして家族の意見は一致していた。

「これでやっと政治の世界と縁を切れる。」

万が一にもそういう機運が醸成されたら、その時は改めて熟考させて頂くが、当面は目の前にある職務に専念したいと思う。

そして僕は父亡き後、改めて人間の「生と死」について考えることが多くなった。
悲しいかな人間は、日々刻々と確実に老いていく。この世に生まれるということは、やがて訪れる「死」というゴールへのスタートだ。赤ちゃんでさえ、日々成長という「老い」が始まるのだ。だから、それぞれゴール地点は異なれど、必ず、絶対誰にでも「死」はやってくる。

ただ、一言で「死」といってもいろんな解釈があって、肉体的に滅びても、魂は生き続けるという人もいるだろう。それはそれでも構わない。でも、その生き続ける魂と対峙(あるいは会話)する能力を持ち得ない僕らにとって、「死」というのはできれば避けたいというのが正直なところではないだろうか。

正直に言えばその昔、母から僕の出生の話を聞いたとき、僕は幼心に長生きできないんだろうな、と朧気ながら感じていた。実際20代の頃、僕はある疾患で本当に死ぬんじゃないかという恐怖を経験している。

なので、いよいよ四十路に突入するということが奇跡と思うぐらいだ。ましてそんなヤツがジョギングに勤しむなんて...。

ひょっとしたら僕のゴールはすぐそこなのかも知れない。ただ、父亡き今、父の分ももう少し生きてみようかと思う。

30代。人生は帳尻が合う。僕の座右の銘みたいなものだが、そういう意味では僕の30代はジェットコースターのような浮き沈み、それも沈みの方の激しい10年間だった。

こんな僕をここまで生かしてくれてありがとう。もうちょっとだけ、遊ばせて下さい。

2011年1月27日

ここ数日のことを十把一絡げ。

右サイドにあるgremzの木が枯れかけてきたので、ここ数日のTwitterのログから出来事を振り返ります。

1月21日
おはようごす。青森からの電車が遅れていて、弘前駅のホームで雪の舞う寒い中到着を待っています。おかげで目が覚めました。

posted at 07:08:08

今日も説明会。悪天候の中、県内各地から約50名が参加です。ありがとうございます。午後には気味悪いぐらいの笑顔を振り撒きながら、説明させて頂きます。

posted at 10:22:39

今日の説明会終了♪今年度はあと来週2回を残すのみ。今日のアンケートはなかなか好評だった。よしよし。

posted at 17:17:33

2~3分程度の慢性的な電車の遅延は慣れっこになってしまいました。そんなに急いでどこに行く。ただ、さすがに朝の突き刺すような空気の中で10分以上待ちぼうけを食らうのはちょっと辛かったです。 しかし、思いを乗せて説明すると、相手にも伝わるんですかね。今日のアンケートは思った以上の高評価でした。

1月22日

サッカー観てる途中で寝てしまった。勝ったみたいですね。良かった。

posted at 02:08:19

Prince - I Could Never Take the Place of Your Man http://bit.ly/9J8Pzj

posted at 11:39:28

佐野元春 - 月と専制君主 - Boys & Girls Version http://bit.ly/hpE39r

posted at 23:41:06


1月23日

おはようごす。今朝、雪かき絡みでまたしても手に傷を負いました...。一体今季は何カ所に生傷を作り出すことやら。

posted at 09:34:26

家から2番目に近いスーパーの駐車場で、4台が絡んだ事故現場に遭遇。既に警察の現場検証が始まっていたけれど,一目見たところでの過失割合は0:0:0:100って感じだった。

posted at 18:02:57

私事ではありますが、今週末で四十路に突入します。30代に悔いを残さぬよう、残り1週間でこれだけはしておけ、ということがあったら年齢問わず教えてください。

posted at 21:35:42

左の手のひらから手首に近い部分をザックリと氷で切ってしまいました。あとほんのちょっとずれていたら、大変なことになっていました。いつか使うだろうと買っておいたバンドエイドのキズパワーパッドを貼ったのですが、あれ、凄くいいです。かなり深い傷だったのですが、予想を遙かに上回るスピードで治癒しつつあります。ちょっと高いですが、お勧めです。
そうそう、近所のスーパーでの事故。ぶつけられた車が変な場所に駐車していたことも要因にあったようです。ちなみにぶつけられた車の運転手は、店から出てきて惨状を見た途端、絶叫していたらしいですが...。

1月24日

My Top 3 Weekly #lastfm artists: Prince (17), Jill Jones (1) & 佐野元春 (1) http://bit.ly/ea5v83

posted at 02:16:53

おはようごす。昨晩の「30代に悔いを残さぬよう、残り1週間でこれだけはしておけ」にいろんなご意見を頂きありがとうございます。バンジージャンプとかアースマラソンとかおちゃらけで来ると思いきや、皆さん的確なアドバイスばかり。真摯に受け止めます。

posted at 07:19:57

背中が痛い。それも、尋常じゃないくらい痛い。雪かきの筋肉痛?...だといいのだけれど。

posted at 18:38:22

この一週間を有意義に過ごすはずが、極度の背筋痛で既にげんなり。しかも明日朝までに10~20センチの雪が積もるとの天気予報。泣きっ面に蜂というより、号泣っ面にスズメバチの大群だなこりゃ。

posted at 21:43:16

背中に貼る湿布を捜したところ、出てきたのは使用期限が2010年6月のものだけだった!効くかな、これ(笑)

posted at 22:11:50

週末の雪かきの影響かそれとも内臓疾患か、右背中に強烈な痛みを覚えるようになりました。ところで、残り僅かとなった30代の過ごし方へのアドバイスありがとうございます。例えば...

@tintB :一日一日を「オレは30代だ!」と、強い意志&意識で過ごし切るというのはどうでしょう。ありきたりですが、一生のうちの、一つの財産にしたいですね。
@eaglebom :青森まで記念ランニングとか趣味の延長も素敵ですよ。

など...。
でも、これが一番的を射ているような気がしました。

@akirahds :なーんにも変わりまへんて!(遠い目...涙_ノ乙(、ン、)_

そうなんですよね。年が変わったからといって色が変わる訳じゃないし、結局変わる変わらないは自分自身ということで。取りあえず、今の自分を保ちたいと思います。

1月25日

今朝は奥羽線の快速が運休となり、車で通勤。結局1時間30分以上要した。しかしJR、5両編成の快速が運休となったので、快速にご乗車のお客様は次の2両編成の普通電車にご乗車下さいって、バカじゃないの?

posted at 09:02:57

弘前からの電車組は9時20分頃到着したとのこと。代行バスまで出たらしい。今日も説明会なので、遅れる訳にはいかなかったのだ。

posted at 09:43:32

今日の電車の運休は大雪の影響じゃなくて車両故障だったのか。天災じゃなくて人災じゃないか。何度も同じこと言いたくないが、ったくJRは...。

posted at 16:48:10

いよいよ今年度9回目の開催となる明日の説明会をもって、今期説明会が終了。どこかのフォーラムやセミナーのように、動員が掛かるような内容とは違う。当初4回予定だったのが9回に増えたことからもわかるように、受益者のニーズとマッチした説明会だった。

posted at 17:37:32

またしても出ました。JRの運休。大雪の影響かと思いきや車両故障だったようで。それにしても今期は信号や車両のトラブルが多いですね。とかく新幹線開業後に頻発しているような気がします。

がしかし、この日は説明会があって遅刻はできません。電車の運休を知り、慌てて自家用車を停めているところに戻り、青森まで車で急ぎました。

思ったほどの渋滞ではありませんでしたが、途中で「もや」がかかり、視界100メートル以下の区間が続きました。
ちなみに車には、駅で居合わせた高校の同級生で同じ建物に勤務するY君も同乗。彼とは高校の卒業時に、教室のクラスで抱き合って号泣し、別れを惜しんだという思い出があります。 近況含めY君といろんな話をしながら、気がついたら青森に到着。
結局約20分の遅刻で済みましたが、JRだと9時30分近くになってしまったようです。何はともあれ、説明会に間に合ってよかった...。

1月26日

おはようごす。今日は無事に電車が動いているみたいです。それにしても今朝は晴れた分寒さがキツい!

posted at 07:02:50

9度にわたる説明会終了~♪上司がやって来て「9回も同じことやっていれば頭に全部入っただろう」と笑われたが、俺、そんな優秀じゃないので...。それにしても、ドッと疲れたぁ。

posted at 16:48:17

25日のログにもあったとおり、12月に開催した4回の説明会は参加希望が殺到し、4回では間に合いませんでした。開催を望む声も多くあったため、1月に再度4回開催することとしました。それでも募集から漏れる方がたくさんいたため、急遽1回追加し、計9回開催しました。公益向けが4回、一般向けが5回。
僕の説明に要する割当て時間は約1時間でしたが、一部を除き概ねご理解頂いたようで何よりでした。ちなみにうちらが作成した資料は、他の都道府県や全国団体でも参照していると聞きました。ありがとうございます。

ということで明日になると三十路も残すところあと1日となります。さて、明後日の朝、僕は何色に変わっているのでしょうか(笑)。
今朝から佐野元春の「月と専制君主」を聞き始めています。何かリラックスした感じが伝わってきて、凄くいいです。感想はまた後日、ということで。

2011年1月19日

George Michael / FAITH (Re-issue)

Sony Music proudly announce the re-issue of George Michael's iconic debut solo album Faith on January 31, 2011.

On January 31, 2011, Sony Music will be reissuing George Michael's iconic album, Faith, remastered. It will be available in multiple special formats including Limited Edition Numbered Collectors Box Set.

個人的には、今まで聴いたアルバムの中でも3本の指に入る名盤だと思っています(あとの2枚は秘密。)。それぐらい思い入れのあるアルバムです。

24年という実に中途半端な歳月を経て、リマスターかつデラックスバージョンでのリリースが決まったということで、小躍りしたいぐらいの気分なんですが...。当初は昨年の秋頃の発売予定だったのが、この時期にずれ込んでしまったようです。

このアルバムを最初に聴いたときは、もの凄くアコースティックであり(Faith)、かつジャジー(Kissing A Fool など)で、荘厳なアルバムだなぁ、というのが第一印象。聴く毎に惚れ直すというか、ホント何度聴いても飽きない(それも未だに聴いても飽きない)アルバムで、そういう意味からも僕にとっては3本の指に入る名盤、というわけです。

今回リマスター盤ということで、ボーナスディスクも収録されており、その中にはジャム&ルイスのプロデュースにより、アルバムに収録されていたものとは全く異なる楽曲に変貌を遂げた「Monkey」も収録されています。



国内では通常盤とDVDが同梱されたデラックス・コレクターズ・エディションが発売されるようですが、公式サイトでは2000番までのシリアルナンバー入りのボックスセットが発売されることもアナウンスされています。

しかし、Amazonのバイオグラフィーを見ると、何か小馬鹿にしたような、ちょっと酷いことを書いているような気もするのですが...(笑)。

2011年1月17日

梅酒・パイン酒、なくなりました。

昨年7月に漬け込み、10月から飲み始めた梅酒とパイン酒が、先週末をもってついに底を突きました。パイン酒はちょっと甘みが強かったためあまり口に合わず、正月三が日に親戚のところに持っていってもらい、残り僅かとなったところを土曜日で飲み干しました。逆に梅酒は甘みが弱すぎたため、個人的には好みの味ではありましたが、あまり誰も呑まず、結局「俺様の酒」みたいな感じになってしまいました。

さて、空になった二つの容器。これを埋めるべく、我が家に余っていたある果実を利用して、昨日再び仕込み完了。

その果実とは、「りんご」です。それも、りんご酒に適していると巷で言われている紅玉やスターキングといった種類ではなく、「ふじ」を使いました。ええ。青森県民ですから。


材料:ふじ5個、レモン3個、ホワイトリカー1.8リットル、氷砂糖少々...のつもりが。

何とまたしても大失敗。手もとが滑って氷砂糖を大量に投入してしまいました...。
まぁ、熟成までは数ヶ月かかるということなので、GWに合わせて蔵出ししましょうかね。

りんごは丁寧に洗い、水気を切って4等分。レモンも更に丁寧に洗い、皮をむいたものとそのままのものを半々用意。

りんごを半分投入、氷砂糖を入れ、その上に残りのりんご、皮のついていないレモン、皮付きのレモン、レモンの皮の順に投入し、ホワイトリカーを注ぎ、完成。

あとは氷砂糖の溶け具合と熟成具合を見ながら、時々蓋を開けるぐらいにして...。

ふじ自体甘みがあるりんごなので、どれだけ甘い酒に仕上がるのか、戦々恐々です。
 

2011年1月11日

また一人上司が...

ちょうど10年前、「わさお」ですっかり有名になった西津軽郡鰺ヶ沢町の職場に2年間勤務していた時の直属の上司であったO課長が亡くなったことを、新聞紙面で知った。定年退職してまだ1年、余りに早すぎる訃報であった。

昨年9月に亡くなったS係長とともに、僕が三十路を迎える直前、果たしてこのままでいいのだろうかと、業務に取り組む姿勢に対する疑念が沸き、悶々と一念発起を考えていた頃、それを後方から支援して下さった上司の一人だ。

結局その一念発起は実を結び、みんなの後押しを得て鰺ヶ沢を後にした僕は、弘前にやってきた。その後2年間は自己研鑽を積み、今はその経験を買われ、それなりの仕事と立場を与えられている。

心残りは、その当時の上司の連絡先を紛失してしまったため、年始や異動のご挨拶その他を一切取り交わすことができなかったことだ。結局その後O課長には一度もお目にかかることなく、今回のように新聞で安否を知るといった有様。何ともやりきれない。

もうすぐ四十路を迎えるに当たり、10年前の一念発起と方向転換が今こうやって僕自身の血となり肉となっていることは言わずもがなであり、S係長同様、O課長に対する感謝の言葉はいくら尽くしても尽くしきれない。

酒も飲まず、煙草も吸わず、真面目一本槍でありながら、どことなく頼りなさも感じさせたO課長。

いわゆる役人の中にあって、典型的な「いい人」であった。

本当にありがとうございました。心からご冥福をお祈りします。合掌

2011年1月 9日

「堤幸彦×佐野元春『コヨーテ、海へ』」

wowowで1月3日に放映された「堤幸彦×佐野元春『コヨーテ、海へ』」をようやく観た。正しくは、8日の午後から再放送されていたものを改めて観たのだ。

父(佐野史郎)のブラジル、息子(林遣都)のニューヨーク、それぞれの旅を軸としたドラマ展開。劇中歌はほとんど佐野元春の楽曲である。11月のライブが始まる前に、この番組の予告編(ダイジェスト版)が流れたのだが、正直この類のドラマは楽曲が強調されることで内容が散漫になってしまうのでは、とあまり期待を寄せていなかった。

常に先駆的な取り組みと言われ続けてきた佐野元春の音楽遍歴。ラップ、レゲエ、そしてポエトリー・リーディング...。佐野元春の30年は、気がついたら(胸を張って語ることはできない)僕自身の音楽嗜好の遍歴、その多くを占めるようになっていた。といっても僕の音楽遍歴は浮気性なので、プリンスを軸に邦楽だと佐野元春、吉川晃司、岡村靖幸、渡辺美里と、枚挙に暇がないのだけれど...。

誰も見向きもしなかった「ラップ」「レゲエ」が、佐野元春の取組後10年前後で市民権を得たことを考えると、一流ミュージシャンを従えたポエトリー・リーディングも、近い将来日本の音楽界に新たな息吹を...吹き込むことはないか。

ちなみにこのドラマでも、そんな時代の先端を彷彿させるようなシーンが序盤で登場する。

登場人物が非常に少ない分、ドラマ展開はきわめてシンプルなのだが、観ていくうちにどんどんその内容に引き込まれることに。
特にデイジー役で登場した長渕文音(長渕剛・志穂美悦子夫妻の長女)が好演。

父と子、それぞれの旅の中で徐々に取り戻していく自分らしさ、友情、絆といった、いかにもありがちなテーマではあるが、思わず観ていてホロッと来てしまった。

音楽は「COYOTE」からの楽曲が大半ではあったが、裏を返せば約2時間近くのドラマのバックミュージック(サウントドラック)になり得るほど、このアルバムにはドラマ性があった、ということを改めて思い知った。
 

2011年1月 8日

【今年1杯目】弘前市一町田「ラーメンふる里屋」

3が日は自宅でラーメンを食っていたので、既に2杯目ということになるが、まぁヨシとしよう。
寒い冬には味噌ラーメン、ということで、久しぶりに一町田地区(旧岩木町)にある「ふる里屋」を訪れた。
ここは普通のラーメンもうまいが、味噌はもっとうまい。

弘前市一町田・ラーメンふる里屋

運ばれてきた味噌ラーメンは、多少赤みがかっているが、スープを口に運んでみると、それほど辛いというわけではない。甘めの肉味噌がほどよい感じで、シャキシャキとした食感のモヤシが花を添える。太麺との相性もよろし。このほか、ネギとメンマが入っているが、チャーシューは入っていない。

この味噌ラーメンが600円と、値段もお手頃なのだが、カウンターに置かれている赤ジソで巻かれたおにぎりがまた旨いんだ。


余談ではあるが、この時期は農閑期のためそれほど混雑していなかったが、これが春となり、農繁期になると近所の農家の方々の軽トラが殺到し、店は大繁盛となる。とりわけお昼はおにぎりがあっという間に売り切れるほどなので要注意。

営業時間は午前10時30分から午後8時30分まで、定休日は木曜日。


そうそう、店の中がいつも非常にこぎれい。無駄な物はなく、清潔感が溢れています。

2011年1月 6日

今年の初夢

今年の元旦の夜は、2日にオンラインのApple Storeで何か(ラッキーバッグの復活...とか)あるんじゃないかと過度に期待を寄せた結果、えらい肩すかしを食らわされることになった挙げ句、翌日に控えた同期会の事が気になってあまり眠れず、結局夢らしい夢を見なかった。

2日は同期会を無事終えた安堵感と疲労で爆睡で、この日も夢を見なかった。
で、仕事始めを迎える前日の3日から、何やら不思議でおかしな夢ばかりを見るようになった。これは今に始まったことではないのだけれど、あまりにも奇妙な夢が続いているので、ちょっと気味が悪い。

3日晩の夢。
父が出てきたんだが、もの凄い怖い顔をしていた。その怖い顔で、何かボソッと呟いた。耳には入ってきたんだけれど、何と言っているのかわからなかったため、再度聞き直そうとしたところ、更に怖い顔で口を開けた途端、目が覚めた。

4日晩の夢。
親戚が、大麻常習者になっていた。しかも僕は、既にヘロヘロ状態の親戚に更に大麻を煽っていた。

5日晩の夢。
うちの飼い犬がくみ取り式のトイレに落ちた。助けようにも助けられず狼狽しているのに、犬は何食わぬ顔をしてこちらを見上げていた。

で、気になって夢診断を見たら、衝撃的な事実がわかった。

「人間に近い存在の動物は夢の中で、自分の分身またはこれから起きる自分の状態を強く暗示すると考えています。」
 

 

どうやら近いうち、僕はトイレに落ちるらしい。いや、最近流行のトイレの何とかになるのか?
 

...取りあえず、前厄のせいにしておこうと思う。

2011年1月 5日

5年振りの弘前高校平成元年卒業生同期会「一平会」

僕は、青森県立弘前高校を平成元年3月に卒業した。高校在学の頃は本当に楽しい思い出がたくさんあって、あの頃の友人知人は、今の僕にとってかけがえのない財産だ。

10年前の夏、三十路を迎えてみて、改めて旧交を温めたい、いや、温めて欲しいという思いから一念発起、自ら同期会を企画・開催した。そしてその同期会は「一平会」と名付けられ、今日に至っている。

一平会の立ち上げ当初は、「2年に一度は開催するんだ!」と意気込んだが、実際やってみると、10年前の参加者が60名ほどだったのに対し、開催間隔が短いこともあってか徐々に人数が減り始め、気がつくと30名程度しか参加しないこぢんまりとした会合になってしまった。それは多分、段取りも進行もグダグダで、参加してもあまり面白みを感じない内容だったからなのだろう。

その後会則などを策定してはみたものの、結局会則で2年に一度行うと決めたはずの同期会は、平成18年の開催を最後に、開催のメドすら立たなくなった。

言い訳がましいが、それぞれが家庭を持ち、仕事でもそれなりの役職を与えられ、仕事や子育て、その他いろんなことに追われる日々で、同期会に時間を割くどころではなかった、ということだろうか。

もっとも今回も、三浦会長から「そろそろ...」の声が掛からなければ、6年、7年とブランクが空いていた可能性も否定できない。まさに鶴(ツル?)の一声だった。ただ、決まってから後の動きは非常に早かった。夏ぐらいから準備を始め、お盆の時期に合わせて理事会を兼ねて多方面に声かけ、15名ぐらいが集まって久しぶりの再会を楽しんだ。

そして、あっという間に月日が経ってしまった。

2011年1月2日。
約5年ぶりに開催した同期会には、当時の担任教諭含め45名の方々に集まってもらった。

最近めっきり「司会業」づいている僕は、裏方で事務局を担当しながらこの日も司会進行を務めさせて頂いた。司会席から眺める40名の同期生の顔ぶれは、 18歳の当時のまま...とは行かないまでも、あの日あの時を思い起こさせるような光景だった。
物故者の黙祷。5名の同期生の名前と、38HRの担任だった野呂馨先生の名前を読み上げ、静かに目を伏せる。1分足らずの沈黙の間、卒業して約20年という月日の重みを感じていた(何となくだけれど)。

引き続き総会の議事進行。前々回はいろいろ尽力したことを菊子さんから紹介されて思わず涙ぐんでいたけれど、今回は淡々と進行を務めさせて頂いた。ちなみに「泣いてた?」と何人かに聞かれたが、泣いてません。司会席がホントに暑くて、汗を拭っていただけですので念のため(笑)。

時折ジョークを交えながら進めた総会。議長を務めた三浦会長にはこちら側で勝手に作ったシナリオを事前に送信し、お互い目を通して後はアドリブで、ということになっていた。それでも多分、そつなく進行を務められたはずだ。何よりも、出席者の「大人の対応」にも助けられ、計画どおり20分で総会は終了した。

今回の役員改選に当たって役員を倍増したのは、2019年に予定されている鏡ヶ丘同窓会の担当幹事に向けた布石だ。取りあえず僕は理事を離れ、事務局という立場で、陰から一平会の運営を支えることにした。その方がいろいろ動きやすいと思ったからだ。
監事を除くこれまでの役員も留任しているが、彼らそして僕の思いは、参加して頂ける皆さんに旧交を温めて欲しい、是非また参加したいと思いを抱きながら、後ろ髪を引かれるような思いでそれぞれの生活拠点に戻って頂ければという、それだけだ。
なので次回、4年後に予定される一平会まで、じっくりと構想を練って行ければいいと思っている。

会長に再任された三浦君は、以前と比較すると格段に挨拶が上手くなっていた。時折、当時の担任教諭を弄りながら、思いの丈をぶつける三浦君。その端々には、ようやく一平会の開催にこぎ着けたことへの安堵感も垣間見えた。彼の巧みな話術に、会場は時折笑いに包まれる。やはり彼を会長に推したのは間違いではなかった、と確信した。

癌と闘いながらやって来た学年主任の阿部次男先生。当初予定になかった挨拶をお願いしたところ、何と20分にわたり熱弁を振るって下さった。事務局としてはこれは予定外であったが、皆さん熱心に耳を傾けて下さったことが救いだった。

乾杯の後、懇親会が始まりしばらくすると、誰も自分の席にはおらず、それぞれが旧友との久しぶりの再会を喜んでいる。そういう光景を目の当たりにすることができるだけでも、今回5年ぶりに同期会を開催した意義がある。

そして、今回初めて参加して下さった方も何人かいたけれど、みんなから「開催してくれてありがとう。」と言われたことが、何よりも一番嬉しかった。そして、今回の盛り上がりを見て、多分この先も同じようにやって行ければ、きっと大丈夫なんだという手応えを、初めて感じた。

中締めは坂下十三男先生にお願いしたが、坂下先生は開催時刻を15時ではなく5時(17時)と勘違いしていて、大分宴たけなわの頃にやってきた。壇上に立ち、我々に対する期待を述べて下さったが、一方で、その光景をテーブルから見ていた横山泰久先生、山内誠一先生(現三沢商業高校校長)、櫛引洋一先生(現弘前南高校教頭)の表情を眺めながら、このお三方にも何か一言お話を頂けばよかったと思った。反省。

いろんな事情で参加できなかった方々にも、次回は是非参加して頂きたいと思うし、今回参加して下さった方々には、参加できなかった皆さんにお声かけ頂ければと思う。

案内を出したところ、宛先不明で戻ってきた大量の「行方不明者」の方々についても、会場でいろんな情報が寄せられた。なので、多分次回はもっと多くの方々に確実に案内を出すことができるし、参加して頂ける方も増えると確信している。

ただ、これは事務局としての怠慢が招いた事態であり、もう一歩踏み込んだ調査をすれば、もっともっと行方不明者の数は減っていたはずだ。しかしながら、如何せん今回も片手間での準備作業となってしまったので、そこまで労力を費やす余力と時間がなかった。これは今回一番の反省点として、次回に生かさなければならない。

余談を幾つか。
実は幹事一同、2次会には15~20名程度しか集まらないだろうとタカをくくっていました。ところが蓋を開けてみたら、約30名の方々に集まって頂きました(「日本野鳥の会」が2次会出席予定者の人数を数えたのは会場に伝達しなければならないという理由からです)。本当にありがとうございました。僕は3次会で場を後にしたけれど、その後4次会まで続いていた模様。3次会でも20名近くはいたんじゃないかな?

もう一つ。1次会で会場を後にした阿部先生の送り際に、「お父さんは元気か?」と尋ねられたこと。先生...(苦笑)。

それから。翌日になって某氏からコート取り違えの連絡があったけど、あっさり解決したこと...。

4年後は更に大勢の方々が集まってくれますように。そして、阿部先生が2019年まで生きてますように。ね。
参加して下さった皆さん、本当にありがとうございました。

38HRだった一戸信哉君も当日の模様をブログに掲載しています。

2011年1月 4日

明けましておめでとうございました

6日間に及ぶ年末年始の休暇もあっという間に終わり、今日から通常営業。如何せん身体がまだ鈍っていて、今週は試運転...といきたいところだがそういうわけにもいかず、ウォーミングアップもそこそこに走り出さなければならない雰囲気だ。こういう時はよく、怪我をするので注意しなければ。

ということで、皆様遅ればせながら明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

思い返せば昨年は、雪かきに始まり雪かきに終わった一年だった。昨年の元旦早々から記録的な大雪に見舞われ、三が日は雪かきと筋肉痛の記憶しか残っていないぐらいだ。しかも年末を迎えたところに寒波襲来、日本各地に被害をもたらしたことは周知の通り。

弘前でも30日から湿った雪が積もり、31日は2度3度と雪かきをする羽目に。しかもお寺に向かった後で手袋を落とすという失態(結局3日になって境内の雪の下に埋もれているのを発見され、無事戻ってきた)。

予想どおり元旦の朝は除雪車が入ったため、家の前にお年玉よろしく大量の雪が置かれ、朝から汗を掻きながら雪片付けに追われる、といった状況だった。

多分年末年始の暴飲暴食にもかかわらず体重がほとんど増えなかったのは、この雪かきの影響なのだろう、と勝手に推測。

間もなく不惑を迎える今年も、こんな感じで適当にやっていきますので、よろしくお願いします。

あ。そうそう。不惑ということは、前厄なんだよね。お祓いには行ってません。なので、何か悪いことがあったら全て前厄のせいだということにしたいと思います。