2011年2月27日

春の到来、かな?

春の到来を告げるイベント、東京マラソンが今年も行われました。猫ひろしのタレントとは思えない驚異的なタイムにもビックリしましたが、日本人男性のトップは学生選抜で箱根駅伝にも出場したことのある埼玉県庁の方でした。おめでとうございます。

私も数年前から体力の維持とダイエット(体脂肪の減少)のために週末限定のなんちゃってランナーを気取っていますが、昨年は出張がてら遂に皇居デビューも果たしたあげく、弘前市で行われたアップルマラソン10キロの部に10年ぶりに出場し、自己新の記録を残す事が出来ました。

冬場は歩道をはじめ路面にも雪が残るため、せいぜい散歩程度に留めていたのですが、だいぶ路面の雪も融け始め、意を決して今日、久しぶりに外を走ってきました。これまでのnike+に加えて今期から新たにnike+ gpsをiPod touchにインストール、その試運転を兼ねたものでした。雪が融けたとはいえ、一部の歩道にはまだ雪が残っていて、走りやすいというには程遠い路面状態でした。ついでにいえばnike+ gpsの走行距離がかなり甘く計測されていて、実走距離より1キロ近く多めになっていました。

今年の目標はコンスタントに10キロ走ること、アップルマラソンで10キロ・40歳以上の部で20位以内に入ることにしておきましょう。

願わくばハーフマラソン、といきたいところですが、まだ今期走り始めということでそこまでは考えないことにします。

いつかホノルルではなく、サイパンのマラソンに出てみたいものですね。

2011年2月24日

手紙

ひょんなきっかけで約13年ぶりに再会することになった女性に向けて、自筆の手紙を書いた。

パソコンやケータイでのメールが席巻する中、キーボードで入力すれば何も汚い字じゃなくても綺麗に入力・印刷されるし、誤字脱字の確率も自筆と比べて格段に下がることだろう。
しかし、自筆でなければ伝わらない思いがあると、僕は確信している。

どういうわけか僕は、その女性と会うと決まった日から、自筆の手紙を書かなければならないという衝動に駆られていた。何故自筆に至ったかという経緯は胸に秘めておこうと思うが、その方と共通していることが一つだけ。

それは、この3年のうちに大事な人を失った、ということだ。

誤解を解くための弁明、というわけではないが、その女性とは約13年前、同じ職場で机を並べて仕事をしていたという関係にある。ちなみに年齢は、うちの亡き父と同い年だったと記憶している。

その後は、年賀状のやりとりだけの関係にあったのだが、いつも気に留めて頂いたようで、うちの父が突然亡くなった時、お心遣いをわざわざ職場に届けて下さった。

その1年後、今度はその方から欠礼の葉書を頂いたのだが、時機を逸してしまったという後ろめたさもあり、こちらからの心遣いは何もしないという非礼っぷりだった。

そのことがずっと心のわだかまりとして引っかかっていたところ、ご縁というのは不思議なもので、今の職場にその方の娘さんが勤務するようになった。

娘さんに聞いたところその方は、自宅で介護を続けていたお母様を亡くして憔悴しきっていたところに、(別居状態ではあったが)ご主人も亡くするという不幸が続いたとのこと。

こちらとしては何とか非礼を詫びるきっかけと、少しでも元気を取り戻して欲しいという思いだけで、直接お会いする機運を見計らっていた。

娘さんには「お母さんとデートさせろ(笑)。」としつこく迫っていたのだが、先般ご本人から直接電話を頂き、ようやくお目に掛かるきっかけを得た。

その方に宛てた手紙の内容は敢えて書く必要もないのかも知れないが、その方に対する励ましのつもりが、いつしか自分を奮い立たせる内容に変節してしまったような気がする。要約するとこんな感じだ。

・生き様はどうであれ、僕にとって父は生涯誇りであり続けること。
・人の死は無情であるが、同時に無常でもあること。
・人は生まれながらにしてやがて「肉体の死」を迎えるという唯一の「絶対」があること。
・いくら嘆き悲しもうとも、「肉体の死」を迎えた人たちが家の玄関をノックすることは二度と無いこと。
・しかしその一方で、その人たちが心のドアをノックすることはいつでもあるわけで、そのきっかけを与えるのは我々の思いにあるということ。
・他人からの「頑張れ」という励ましほど無責任でプレッシャーになる言葉はないということ。
・だから無理に頑張らない程度に適当に今の人生を楽しもう、ということ。

つい先ほど再会し、「家に帰ってから読んで下さいね。」と渡した手紙には、これまでの非礼を詫びるとともに、御霊前にお花を供えて頂くためのギフト券もこっそり忍ばせておいた。

手紙を書き始めて仕上がるまで約30分。何かが乗り移ったかのように、黙々と万年筆を走らせた。僕の心の中にあった思いは、汚い字に乗せて伝わっただろうか。伝わってくれればいいのだが。

2011年2月22日

自分のイヤなところ

自分の好きなところはどこですか?と聞かれると「うーん...」と唸ってしまうが、自分のイヤなところはどこですか?と聞かれると、枚挙に暇がないような気がする。

節目節目で迎える面接において、想定問答としては必須とも言うべき「自分の長所・短所」を考えたとき、結局自分を賞賛することへの抵抗(恥じらい)から、短所ばかりが浮かび上がってくるのと似たようなものだ。自己分析・自己表現ができるか、ということにも繋がるのだろうが、そういう意味でも僕はかなり自己分析・自己表現が劣っている、ということなのだろう。

先般の審議会の議事録起こしのため、ボイスレコーダーを再生したところ、自分の口調が強烈なぐらい父に似てきていることに気づいた。

と同時に、その審議会の場において一人だけ、自分でも赤面するぐらい訛りがきつくなっていることに気づいた。さらに、自分で確信が持てないところになると、どうしようもないぐらい早口でまくし立てている。

会議の場で説明するスピーカーとしては、最悪のモデル。これが宴会の司会になると急に滑舌が良くなるんだから、どうしようもない。

かれこれ40年、早口でわかりにくい、という批評はいろんなところで聞かされてきたので、昨今は電話でも打合せの場でも極力ゆっくり話しているつもりなのだが、気がつくとメトロノームのテンポがどんどん速くなっているらしい。

しかし何より自分のこの訛り具合にはちょっと衝撃を覚えた。そういえば妻と付き合い始めた当初、妻の友人がこぞって「のんべ君は訛りがきつい!」という事を言っていたことを聞いたことがある。それはそれでショックだったのだが、如何せん生活環境がそういう場所なんだから、こればかりはいくら矯正しようにも矯正することができないと割り切っていた。

しかし、さすがに仕事に就くようになってから気をつけるようにしていたのだが、改めて自分の話している口調を聞いてみると、僕の訛りは弘前市民としては結構キツい部類に入るのかも知れない。

まぁ、これを治すとすれば、僕の場合まず先に歯の治療をしなければならないような気がするんだけど...(謎)。

ところで皆さん、自分の好きなところ、長所、三つ挙げることができますか?
僕はやっぱり「うーん...。」でした(笑)。

2011年2月15日

弘前 雪明り2011

雪まつり、といえば何と言っても札幌雪まつりがあまりにも有名であるが、僕の住む弘前市でも毎年同じ時期に、弘前城雪灯籠まつりが開催される。
毎年、陸上自衛隊弘前駐屯地の方々の手によって雪像が作られるのだが、今年は弘前城そのものが雪像として作り上げられたとのこと。天候にも恵まれ、約39万人が来園、過去20年間で最高の人手となったそうだ。これも新幹線開業効果、だったらいいのだが...。

雪灯籠まつりに関しては、思えば中学時代に雪像を作りに行ってから、一度も行っていないかも知れない。そう考えるとかれこれ四半世紀はまつりに足を運んでいないことに...。うわ!四半世紀だって!

で、この雪灯籠まつりと連動して開催されたのが、「弘前 雪明り2011」。 今年で2度目となるこの催しは、弘前公園と吉野町緑地を中心に行われ、この他市内の歴史的建造物がライトアップされるなど、弘前市内は雪と暖かな光に包まれた。

このうち吉野町緑地では、「100+ワンちゃん 雪像づくり」と銘打たれたイベントが11日に行われ、一般市民の手によってたくさんの犬の雪像が作られていた。実際制作された雪像は約70体だったようだが、まぁこの際、数はどうでも良いだろう。
この吉野町緑地は通勤経路の途中にあって、朝晩ほぼ毎日通っている。旗が立てられ、更には看板が設置され、何かやろうとしている、ということには気づいていたものの、ライトアップの始まった10日夜はここを通らなかったため、一体何が始まったのかわからなかったのだが、11日夜にたまたまこの横を通って帰宅した妻が、「凄い綺麗だった!」と大絶賛。

翌日、まずは時折日の差し込む昼に緑地を訪れてみた。 運悪く携帯電話のバッテリーが減っていたため、撮影できたのはこの1枚だけだった。

 弘前雪明り 2011

ちなみに、日中ということもあってなのか人影はまばら...というか我々以外ほとんどなく、夜になるとどういう光景が広がるのか想像もつかなかった。
しかしこうなると、夜の光景が非常に気になり始めるのは僕だけではないだろう。 13日の夜はちょうど外出する機会(14日の日記参照)もあり、その帰りの道すがら立ち寄ることを決意した。

 「山唄」を後にし、ツルツルに凍結した道路を小走りで会場に向かう。 20時50分頃に会場に到着すると...おお!見事なまでのライトアップ!弘前市出身の芸術家、奈良美智さんが制作した AtoZ Memorial Dogは強烈な光が当てられ、背後に経つ吉井酒造煉瓦倉庫と見事なコントラストを生み出している。

 弘前雪明り 2011

緑地内は、蝋燭の明かりがぼんやりとともされ、中心にある通称「サーカス小屋」(イベント会場)には、電飾が施されている。

弘前雪明り 2011


酔いも僕を後押し。おもむろに携帯電話を取り出し、人目も憚らず撮影を始める。ボランティアの方々がろうそくの火を消す作業を始めようとしていたのだが、それを遮る勢いで撮影。もっともこの時間にもなると、訪れているのはカップルばかり。それにもめげず40のオッさん、お構いなしに撮影を続ける。もちろんこの時のため、携帯はフル充電済みなのだ。
 
期間限定

弘前市・吉井酒造煉瓦倉庫

こういう手作りっぽいイベントは、何かいいですな。心が温まるというか、寒さを忘れてしばらく独りで佇んでしまいましたよ。ええ。
 
弘前雪明り 2011

弘前市・吉井酒造煉瓦倉庫前

弘前市・A to Z Memorial Dog

真偽の程は定かではないが、妻は来年同じようなイベントがあるのであれば、雪像作りに参加したい、なんてことを言っていた。 ホントだとしたら、凄いことですよ。とにかく寒いのが大嫌いな妻を引っ張り出すんだから!来冬のイベントに期待です。

2011年2月14日

津軽のソウル・ミュージック

津軽のソウル・ミュージックと言えば。

恐らく津軽地方に根を張り生活している人の大半は、この問いかけに対して「津軽三味線」と答えるのではないだろうか。
津軽三味線と言えば、名実ともに津軽三味線のルーツの根源、といっても過言ではないであろう高橋竹山が有名である。
その後津軽三味線は全国各地に伝播し、後世に伝えられるとともに、いわゆる我流(亜流?)が主流を占めるようになった。

現在、弘前市内で三味線演奏を聴かせる居酒屋は5件ほどあるようだ。
昨晩、ひょんなきっかけから、その先駆けとも言える弘前駅前の「ライブハウス 山唄」に行く機会を得た。
実のところ生まれて40年、一度も「山唄」には足を運んだことがなかったので、楽しみな反面、やむを得ず一人で行かなければならないという心細さ、不安も胸の中に去来していた。

18時30分少し前に「山唄」に行くと、玄関前には「本日貸し切りのため一般のお客様は入店できません。」との張り紙が。

入り口に通じる階段を上り、恐る恐る扉を開けると、既にたくさんのお客さんが飲食を始めている。ライブハウスとは言うが、むしろ「民謡酒場」といった雰囲気だ。
名前を確認したあと、上の席を案内される。2階席(正しくは3階席)の一番前、落下防止用の透明なプラ板が張られたカウンターのような座席に通された。
雰囲気を撮影しようと携帯電話を取りだしたところ、目の前に「写真撮影・録音はご遠慮下さい」との張り紙があったため、この場での撮影は遠慮する事にした。

高い場所から客席とステージが一望できるその位置は、プラ板の「くすみ」を除けば、絶好の位置と言っても過言ではないだろう。
取りあえず目の前に置かれていた弁当を広げ、「けの汁」と生ビールで流し込む。これらは全て料金に含まれており、飲み物はメニューにあるものなら何でも「飲み放題」なのだ。

約30分後。ビール(中ジョッキ)は2杯目に突入。周囲には知る人もなく、黙々と飲み食いしていたので、いい感じで酔いが回ってきた。

ちなみに種明かしをすると、この日の山唄は「元気会」という貸切イベントだった。何でも、創業者である故山田千里氏の体調が悪くなってから開催していなかったとかで、約10年ぶりの開催なのだそうだ。
ということで本日の客層は、「山唄」の常連客(というよりも、何らかの形で強固な縁を持つ方々)とお得意様の集まりで、総勢約90名。県外客はほとんどいないはず、とのことだった。

裏を返せば、僕のようにチケットを頂いたようなひよっ子以外は、皆さん耳も口も(敢えて言えば身体も)肥えた方々ばかりということなのだろう。実際、年齢層は50~60代以上の方々が大半を占めていた、ということを付記しておこう。

ここでようやく、本日のメインイベントとも言うべき演奏が始まった。

まずは四人での津軽三味線演奏に引き続き、男性二人による津軽三味線の演奏。一気に引き込まれる。
しかしさすがお客さん、間の手、拍手のタイミングを実に心得ておられる。聞いていると、二人での演奏は何となく「前座」といった印象があって、三味線素人の僕の耳でも、まだまだ荒削りな感じに受け取れた。とはいえ、見事な津軽三味線の演奏に、酔いもどんどん回り始める。

続いて登場したのは、手踊りちびっ子名人の「モカ」ちゃん。
パッと見たとき、中学生か高校生?イヤ、それにしてはあどけないな、と思ったら、何と小学6年生だそうな。
...というかこんなところでこんな時間に、いいのか?と思ってしまった(笑)。

彼女の登場で客席のボルテージは一気に急上昇。続いて登場は鰺ヶ沢町の佐藤信夫氏。民謡の歌い手として、数々のタイトルを獲得したこのオジさん、黒い紋付きの下に描かれた荒々しい海が、いかにも「民謡!」って感じで何とも素敵♪

佐藤氏はリクエストにも応えて3曲を熱唱後、ステージを下りた。再び「モカ」ちゃん登場し、1曲手踊りを披露。またしても拍手喝采。

続いて山田千里氏最後のお弟子さんだったという二人が登壇、津軽三味線を聞かせる。これがまた何とも泥臭くもあり力強さも感じさせるバチさばきで、「うーん、さすが!」といった感じ。歌い手も加わり、演奏に花を添える。

最後は、山田千里氏の妻である福士りつさんを加えた5人での演奏。しかも福士りつさん、三味線演奏しながら民謡を披露。
どうやら今日のお客さんの目当てはこれだったようだ。80歳を超えた福士さん、三味線の演奏が非常に優雅というか、他の人たちが三味線そのものを激しく揺さぶりながら演奏しているのに対して、竿がほとんど動いていない。バチも滑るように動いている。

それよりも福士さん、声量が凄いのね。座ったままながら、よくあんな声が出るものだと思わず感心。

冒頭、津軽三味線が津軽のソウル・ミュージックだと例えたが、彼女はさながら津軽のアレサ・フランクリンといった感じだろうか。もっとも、風貌はジェームス・ブラウンっぽかったが(爆)。

ただ、残念なのは酔いが回る毎にどんどん閉鎖的、というか内輪だけの盛り上がりになり始めていたこと。舞台正面の一番いい場所にいた方々、恐らくかなり濃厚な関係者なのだろうが、酒が進むにつれて、演奏そっちのけで大声を上げ、歌っている最中もうるさいことこの上なかった!

しかし、家を出発するときは「すぐ店を出ると思う。」と弱気な発言をしていたのだが、気がついたらジョッキ3杯とチューハイ1杯を平らげ、アンコール演奏が終わるまで腰を据えていたという...。
結局店を出たのは20時40分頃。約1時間30分の演奏をバッチリ堪能した。

百聞は一見にしかず、とはまさにこのことなんだろうね。三味線の音色を聞いて、久しぶりに心が「ジャワメグ」感じがして、面白かったです。

ライブハウス 山唄

津軽三味線の名手 山田千里氏の弟子たちによる合奏曲や、全国大会チャンピオンたちのソロ、津軽民謡のベテランによる唄など、迫力のある生演奏が魅力。
営業時間 17:00~23:00
演奏時間 お客様とのタイミングを見て1日2回~3回
定休日 月曜日
住所 弘前市大町1-2-4
TEL 0172-36-1835
駐車場     なし

2011年2月 9日

父よ!

帰りの電車で、以前見かけたことのある、父にそっくりな男性が僕の真向かいに座った。まるで何かに引き寄せられるかのように、僕の真向かいに座った。年の具合、髪の毛の色、そのボリューム、皮膚の色、質感、眼鏡のフレームまで、まるで父がこの世にまた現れたような錯覚に捕らわれる。

父と異なる点を幾つか見いだすとすれば、父ほど髪の毛が縮れていないこと、父より幾分背が低く、そして痩身だという点だ。


そして、僕を虚ろな夢から目覚めさせる決定的な相違点。それは、父は決して赤い色のジャンパーには身を包まないということだ。

そんな父にそっくりな男性と対峙した僕は、まるでその男性の背後にある何かに興味があるかのように視線を送る。決して怪しまれぬよう、決してその男性と目が合わぬよう、男性の向こうにある窓の外の景色に向けるふりをして、父に似たその男性のディテール一つ一つを確認するように、遠巻きな視線をチラリと送る。

混雑する電車内、僕とその男性を遮るものはない。しかし、2メートルにも満たないその距離は、僕と父ではない赤の他人のその男性との間に、深く決して越えることのできない大きな溝を築く。
そう、これでいいのだ。父はもうこの世にはいないのだから。

しかしその男性は、一体どこからやってきてどこに帰るのだろう。そんな下世話なことを考えながら、そっと目を伏せる。

とめどなく溢れる父への思い。決して僕の中から消えることのない、父の残像...。

父よ!僕たちは慎ましやかに、そして健気に生きています。願わくば、父よ!一度でいいから!もう一度あなたに会いたい。そして父よ!もう一度あなたとじっくり膝を交えて話がしたい。

二度と叶う事のないそんな儚い夢を抱きながら、父への思いをそっと心に秘めながら、僕たち家族は父の分まで生きている。

いや、見えない父の後押しを受けながら、僕たちはこの世で生かされているのかもしれない。

2011年2月 7日

統一地方選の「前哨戦」?

果たしてこれは、今まで絵に描いた餅となっていた「地域主権」の始まりなのだろうか。それとも...。

2月6日午後8時過ぎ。テレビには「愛知知事選・大村、名古屋市長選・河村当選確実。名古屋市議会は解散。」の文字が一斉に躍る。開票開始から3分も経たずしての出来事だった。

予想どおりといえば、予想どおりの結果でもあった。
愛知県知事選と名古屋市長選、名古屋市議会リコールの住民投票のトリプル投票は、結果的に市議会のリコールと自らの辞職という「差し違え」を演じた河村前市長の思惑どおりの結果となった、といっていいだろう。

僕は愛知県民でもなければ名古屋市に何の縁もゆかりもない。が、果たしてあの手法がどこまで通用するのか、これからが見物だと思う。

これを皮切りに、全国各地で「民主主義・地方分権」を叫ぶ声が飛び火し...といいたいところだが、ちょっと待った。
怖いのは、河村市長が主導した議会解散のリコール運動が、今後他の地域にも及ばないかということだ。

今回市長に当選した河村氏、知事に当選した大村氏はいずれも国会議員経験者である。
本来であれば国とのパイプ役も期待するところであるが、逆に元の所属政党からは双方とも三行半を突きつけられた格好となっている。果たして今後、国とどのような関係を築き上げていくのかが、まず注目である。

今回の選挙は、本来であればよほどのことがない限り解散とはならない市議会に対し、市長自らが自分の公約に反対だ(議決されない)という理由だけで議会解散のリコール運動を煽動したことが、事実上の議決権行使なのではないかと訝る声も少なからずあることを鑑みても、「民主主義」の名を借りた単なる市長対議会の政争に、市民が巻き込まれたと見ることもできる。

既成政党を批判(否定)し、自らが代表を務める政党を立ち上げた河村市長。大阪府の橋下知事や、今回知事選に当選した大村氏がこれを後押しする可能性はかなり高い。

確かに既成政党に対する国民の不信が高まっていることは事実だ。だからといって、その受け皿となるべく自身の権力を振りかざし、片やパフォーマンス的手法で民衆の同意を得るという手法がどこまで通用するか。

人気取りとパフォーマンスだけの政治に嫌気がさしているのは、僕だけではないはずだ。

河村市長は記者会見で「名古屋を民主主義の国、日本をつくるスタートにしたい。名古屋、愛知で起きた減税の勢力を、大村さんとともに全国に広げていきたい。」と名言していた。
既に自ら立ち上げた政党から、市議会の過半数を超える候補者を送り込む勢いのようだ。つまり、次の思惑どおりに事が運べば、名古屋市議会は、市へのチェック機能としての役割を果たすのではなく、市長の諮問機関的な役割を果たすというわけだ。これ、一歩間違えると、市長は専制君主になってしまうわけで...。

そういう意味では名古屋市民が今後、どういう投票行動に出るのかが非常に注目される。

今回の結果を踏まえ、大阪府の橋下知事は、府と大阪市の合併構想に更に躍起になるだろうし、東京都知事選への影響も未知数。
また、名古屋に端を発したこの潮流が全国で巻き起こった時、果たしてこれまでの議会が執行部に対するチェック機能を果たすことができるのか。下手をすれば首長の独裁政治が始まると思うと、末恐ろしらすら覚える。

もっとも今回の選挙は、物事一つ決められない国会や地方主権を進められない国に反発した結果としてのムーブメントなんだろうけれど、4月の統一選まで紆余曲折がありそうな予感もします。ハイ。

2011年2月 5日

TPPに関する私見

TPPを巡る綱引きが、政府や各省庁内部で繰り広げられている。
※TPPとは「環太平洋戦略的経済連携協定」のことです。最近CMで流れている低燃費の親戚ではありません。詳しくはご自身で調べて下さい。

各省庁に言わせれば、それぞれが所管する組織や関係者団体、生産者などへの影響を第一に考えるのは当然である一方、それぞれの思惑が働いた結果、国内の足並みが全く揃っていない。

TPPに頑なに反対する人たち、特に農林水産業に従事している人にとっては、国内市場を脅かされることへの懸念等から反対しているものと思量される。
ただ、例えば日本の機械や工業製品が世界各国で重宝されるのと一緒で、仮に日本の農産物の輸出が自由化されれば、間違いなく重宝されることだろう。

一つ怖いのは、淡水で繁殖した外来魚のように、輸入農産物の生命力が国内の農産物を脅かすようになったり、農産物には見た目だけでは産地が判別できないため、日本産と偽った農産物が国内外で出回り、信頼を落とすようなことにならないかということ。
また、鳥インフルエンザの拡大が懸念されている昨今、TPPの議論の前に、まずは鳥インフルエンザの封じ込めをどうするか、ということがまずは最大の課題。あ、でも同じ課題を持つ近隣各国と連携しながら封じ込める、という方法もアリか...。

機械や工業製品と農産物が異なるのは、機械や工業製品は技術を盗むことで模倣あるいはそれ以上のものを作ることができるが、農産物の場合、いくら技術を盗んでも、その地域の土までも変えることはできない。

裏を返せばそれは、それぞれがその風土に合った農産物を育てているわけであって、必ずしも日本産の農産物が海外で重宝されるかと言えば怪しいところもある。ただ確実に言えることは、日本の農産物は屈指の「安全・安心」という信頼が付加価値となるはずだ。

確かに海外から安価な農産物や工業製品が入ってきた場合、消費者の動向がそちらに動く可能性は否定できない。ただ、今の日本人の指向を考えれば、いずれ国産品に戻ってくると思われるし(最近ではペットフードですら「国産」の文字が躍っているぐらいだから)、海外に市場が広がることを考えれば、それほど損失は大きくないのではないだろうか。

正直僕は、日本もTPPに参加して「攻め」の姿勢を貫けばいいと思うのだけれど、当事者に言わせれば「そんなの他人事だ!」といって怒られそう。ただ、日本の技術力を持ってすれば、海外と対等以上に渡り合えると思うんだけどな。


2011年2月 4日

(財)日本相撲協会と公益法人化

ここに来て、財団法人日本相撲協会が再び大きく揺れている。暴行、大麻、野球賭博に続き、これまでも噂されてきた八百長疑惑で決定的な証拠が出たため、春場所の開催にまで影響を及ぼしそうな勢いだ。

ところで、日本相撲協会は「公益財団法人」への移行を目指している。
制度改正により、平成20年11月末時点で存立していた財団法人・社団法人は、「特例民法法人」という扱いになり、平成25年11月末までに「公益法人」あるいは「一般法人」のいずれかへの移行手続をしなければならず、もしこの手続が為されなかった場合は、法人は自動的に解散、ということになる。財団法人である日本相撲協会は、税制優遇等の恩恵を受けることができる「公益財団法人」を目指している。仮に「一般財団法人」への移行となった場合は、ある程度自由な活動が認められる一方、収益や基金の運用利息などが課税対象となる(つまり一般企業とあまり変わらない)。

公益法人への移行に向けては、内閣府に設置されている「公益認定等委員会」に諮問され、委員会は申請内容を審議し、定款の変更の案が公益法人法並びにこれらに基づく命令の規定に適合しており、かつ公益法人認定法第5号各号に掲げる基準に適合していること、認定法第6条の欠格事由に該当しないこと、そして旧主務官庁の監督上の命令に違反していないことが認められれば、認定基準に適合している旨の答申を行い、それを踏まえ、行政庁が申請法人についての認定処分を行うものとなっている(ちなみにこの組織のトップは蓮舫大臣)。

どんな認定基準があるかというと、
一  公益目的事業を行うことを主たる目的とするものであること。
二  公益目的事業を行うのに必要な経理的基礎及び技術的能力を有するものであること。
三  その事業を行うに当たり、社員、評議員、理事、監事、使用人その他の政令で定める当該法人の関係者に対し特別の利益を与えないものであること。
四  その事業を行うに当たり、株式会社その他の営利事業を営む者又は特定の個人若しくは団体の利益を図る活動を行うものとして政令で定める者に対し、寄附その他の特別の利益を与える行為を行わないものであること。ただし、公益法人に対し、当該公益法人が行う公益目的事業のために寄附その他の特別の利益を与える行為を行う場合は、この限りでない。
五  投機的な取引、高利の融資その他の事業であって、公益法人の社会的信用を維持する上でふさわしくないものとして政令で定めるもの又は公の秩序若しくは善良の風俗を害するおそれのある事業を行わないものであること。
...
...などなど、全部で18項目が法律には列挙されている。

そこで一つ大きな鍵を握るのが、旧主務官庁たる文科省ということになる。文科省は日本相撲協会に対し、財団法人としての資格取消もちらつかせているが、現在の監督官庁という立場にあることから、大なたを振りかざす権限を有している。つまり文科省が監督上の命令を発し、日本相撲協会がそれに従わなければ、その時点で公益財団法人への道は、事実上閉ざされるということになるのだ。
日本相撲協会に対しては、文科省も監督官庁としてこれまで立入検査等を行ってきているはずなのだが、さすがに八百長までは監督の範疇ではなかった、ということだろうか。

しかし笑えたのは、ネット上での意識調査で、今回の八百長疑惑がどれほどの驚きを与えたかというお題があったのだが、半数以上の人が「全く驚かない」と回答していたことだった。裏を返せば、何を今更...といったことなのだろう。

放駒理事長は八百長メール疑惑が発覚した当初、「これまでなかったことであり...」と苦々しい表情を浮かべながら発言をしていたが、これだって見ていても、確かに何だか興醒めするような内容だった。むしろ「すいません、実はやっていました!」と認めた方がスッキリしたのだろうか。

今回は一部の人たちの関与が発覚したが、彼らの思いつきで八百長が始まったとも考えにくいところもあり、やはり古くから慣習的に行われていた、と見るのが当たり前のような気がする。
まぁそうなれば相撲そのものがいわゆる「ガチンコ勝負」ではなく、一部の取組については最初からシナリオのある出来レースだった、ということにもなりかねない。しかし、指南役とされている力士については事細かな取組指導をしていたようで、考えようによっては凄い脚本家のような気も...。

相撲の八百長そのものが何故悪いことなのか、と疑問を呈する声も少なくない。実際、7勝7敗で千秋楽に臨んだ力士が、既に勝ち越している力士を豪快に投げ倒し、なんでその相撲を今まで取れなかったんだろう、というシーンを見たことがある人もいるのではないだろうか。八百長がファンへの裏切りだ、と怒りの声を上げる人もいるが、問題はそこに金銭授受があったということなのだろう。

以前、八百長を告発した週刊誌を相手取り訴訟を起こし、多額の賠償金を受け取っていた日本相撲協会。その賠償金の一部が、八百長相撲の原資になっていたのかも知れないと思えば、笑うに笑えない。

今回名前の挙がった力士の中で少なくとも野球賭博で謹慎処分を受けた者については、調査が明らかになった時点で、より厳罰に処されるべきだろう。
「日本相撲協会」がもはや外人力士を多数抱える「世界相撲協会」となっている昨今、財団法人であり続け、国の恩恵を受けることは、もはや時代にそぐわないということだろうか。

この際、ここは膿を出し切った後に、思い切って協会自ら財団法人を返上するぐらいの気概をもった方がよいのかも知れない。相撲道で飯を食ってきた人たちだけで物事を考えたところで、それ以上の話が出るはずがない。いくら外部委員を入れても最後にはその意見に耳を貸さないのだから、もはや手の打ちようがない。

なので、このあたりで神事としての大相撲を返上し、女人禁制解除となった土俵上では、両国が生んだ女性相撲アイドル「RGK48」のステージに始まり(というか女人禁制といいながら、委託業者の清掃のオバちゃんが土俵の上を箒で掃いていたという話を聞いたことがあるんだけど)、取組前には、出場力士によるボール投げならぬ塩の入った「厄除け袋」投げ。
これまで福祉相撲や巡業で行っていた初っ切り、相撲甚句ももちろん披露し、毎日が「エンターテイメント」化。取組のマンネリ化を解消するため、相部屋対決も当たり前に行う他、怪我を減らすために15日間のうち幕下以下の力士よりちょっと多い9日程度の星取で優勝を決定することとして、取組のない各国の力士はそれぞれ母国料理を振る舞う茶屋を開設。
大相撲春場所ではなく、大相撲春のショー!それはそれで楽しそうだけど。...って、不謹慎ですかね。

あ...公益法人化の話と全然ずれちゃいましたね。すいません。