2011年3月28日

【今年13杯目】弘前市稲田・弘前Fu麻麺

昨年12月の東北新幹線全線開業日と同日に開店したこの店舗。開店10日後に訪れ、既にレポート済みではあったが、前回のレポートで「あればいいのに」とぼやいていたメニューが新たに追加されたという情報を小耳に挟み、早速店を訪れてみた。

前回の訪問記

前回、開店直後の混雑を予想してなのか狭い店の中に3人の店員がいたが、前回麺の茹で時間を計るタイムキーパー的役割を担っていた人の姿はなかった。今回は厨房の中を少しだけ覗くことができるカウンターに座ってみた。

「麻麺」という店名でありながら、なぜ麻婆ラーメンがなかったのか不思議だったが、どうやら同じ疑問を持つ客が多かったらしく、メニューには「お客様の御要望に応え」との記述が添えられている。そして前回、余りに画像が劣悪で食欲を全くそそらなかったメニューも、新メニューの登場に合わせて画像がかなり改善されていた。よしよし。

土曜の昼だというのに客足が伸びていないのが非常に気にはなったが、今回のお目当てである新メニュー「麻婆らーめん」を早速注文。

しかし、カウンターから厨房を覗き込むと、麺を茹でるための、どこにでもありそうな鍋がガステーブルに置かれている以外、特に何かを炒める音が聞こえるわけでもないし、スープの寸胴も窺うことができない。どうやらカウンターから見えない位置にいろいろ仕掛けが隠されているらしい(笑)。
ピピピピッとタイマーが鳴る直前に麺の湯切りが始まる。やがて運ばれてきた麻婆らーめん。

弘前市稲田・弘前Fu 麻麺

麺が固めに茹でられているのがちょっと気になった(そして、恐らくこの麺は好みが分かれそう)が、スパイスの効いた麻婆豆腐が載っている。
その見た目のボリュームと比較すると、750円という価格設定は正直ちょっと高いかな、という気がしないワケではない。

弘前市稲田・弘前Fu 麻麺

ただ、舌を刺激するような辛みは、開店当初からのメニューであった麻婆豆腐(という名の麻婆飯)よりは若干和らいでおり、辛い中にも「旨い」と感じさせられる味わいに仕上がっている。この辛さはホント癖になりそう。

余談ではあるが、妻はこの日味噌ラーメンをオーダー。メニューとともに画像に収める事はできなかったが、八丁味噌の香りの効いた、いわゆるニンニクや生姜の風味が強い味噌ラーメンとは一線を画した味に仕上がっている。

ふと気がつくと、店内はほとんどの席が客で埋まっていた。うん、いい感じだと思いながら、店を後に。ただ、真夏の入店は正直ちょっと躊躇うかも知れない。

2011年3月23日

【今年11杯目】弘前市下白銀町「中華そばマル金」


弘前市樹木にあるTSUTAYAメディアインの駐車場に、夜な夜な出店していた屋台ラーメン「支那そば マル金」が、店舗を構えた「中華そば マル金」として新規オープンしたことを嗅ぎつけた。
我が家からそれほど遠くないということもあり、早速訪れてみた。

実のところ、屋台であった頃は1度しか訪れたことがなく、すっかり味を忘れていた。ただ、化学調味料を一切使用しない素材本来の味を生かしたスープが「旨い!」ということだけ記憶に残っていた。

弘前市・中華そばマル金

土曜の昼。きっと大勢の客でごった返しているのだろう、と思ったら、何とカウンターの2人以外誰もいなかった(笑)。
店内はカウンター席の他テーブル席、更に小上がりもあり、20人は軽く入ることのできるキャパシティ。

メニューは「中華そば」、チャーシュー抜きや大盛、子ども向けの小盛、それから「ライス」の中と小のみ。

ちょっと不安に駆られながらも、中華そばの大盛をオーダーしてみる。 テーブルの上には、スープの味を調整するための醤油の瓶が置かれている(個人的には醤油がテーブルに置かれていると、店の方で味に不安を持っているのかという疑心暗鬼に駆られるのだが)。

 弘前市・中華そばマル金

程なく運ばれてきた中華そば。鶏がベースとなっているようで、魚介のガツンとした強烈な香りは漂ってこない。一口運んでみると、多少甘みのある柔らかい味わい。なるほど口に運んでいくうちに、どんどんクセになっていくのがわかる。
麺はウェーブがかった中細麺。若干柔らかめであったが、オーダーの際に調整をお願いできるらしい。トッピングはチャーシューとネギ、メンマ、そして麩。
 
弘前市・中華そばマル金

弘前市役所のすぐ隣にあるので、ひょっとしたら平日は役所の人たちで賑わっているのかも知れない。
ちなみに駐車場がないため、向かいにある追手門広場の地下駐車場を利用するのがよい。この駐車場は30分まで無料。間違えても真向かいにあるバスプールにこっそり停める、なんてことをしないように。

で、何が一番驚いたって、何と12時10分の時点で4名の家族連れが入店した後、5名で入店してきた若者たちに「ごめんなさーい。今日の昼の部は品切れなんです!」って、え?このお昼時で既に売り切れって、一体どんだけ賑わってるんですか?って感じなんですけど。

しつこいが、僕らが入店したのはちょうどお昼の12時。確かに入れ違いざまに2人が店を後にしたが、一体何食分用意しているのか、大いに謎...って感じ。

ということで、来店の際は事前に可否を確認した方がいいかも知れない。

場所は弘前市役所新館の隣、追手門広場の向かい。土手町循環バスだと、「市役所前」バス停のほぼ目の前にあります。営業時間は11時~14時と17時~21時。もちろん品切れの時点で閉店。日曜日は定休日なので注意を。
電話番号は0172-35-1933。

2011年3月22日

そして、10日以上が過ぎた。

3月11日午後2時46分。
職場内にあるキャビネットの前で、僕はコーヒーにお湯を注いでいた。

職場の誰かが呟く。
「あ、地震じゃない?」

最近疲れが溜まっていたので、目が回り始めたのかと思ったらそうではなかった。天井から吊り下げられたグループ名を示すプラスチック板が揺れ始めている。

ゴゴゴゴゴ...

突如激しい横揺れに変わる。

「うわっ!強いぞ!」
「ドアを開けて!」
誰かが叫ぶ。

近くにいた他の課のアルバイトさんだろうか、自ら開けたドアノブにしがみつき、気を失いそうになっている。

「大丈夫!しゃがんで!しっかり!」
「うう...具合が悪い...。」

誰かが外から建物を揺すっているのではないか。そう思いたくなるような長い横揺れ。建物が軋む音が聞こえる。

「何だこれは?」
僕は目の前のキャビネットを必死に抑えていたが、実は今まで経験したことのない揺れに、足がガクガクと震えていた。

程なく執務室内の電気が全て消え、非常灯が点灯した。
その間も横揺れはなお続く。そういえば職場内にあるロッカーやキャビネットを耐震のために固定したのはつい数ヶ月前の話。もし固定していなければ、と考えたらゾッとした。

一体どれだけ揺れたのかはわからない。ようやく揺れが収まった。冷静を取り戻そうにも、余りに激しい横揺れにただ動揺するしかなかった。廊下に出たところで、用事を終え、僕のところに立ち寄ったM氏と鉢合わせ。
「研究室がどうなっているかわからない。戻るのが怖いよ。」
本当はもう少し話をしたかったが、お互い苦笑しながら立ち話を済ませ、それぞれの職場に戻る。

その後もひっきりなしにやってくる余震。だが、どこまでが揺れなのかもわからないような、そんな感覚にとらわれていた。
「震度7だって!大津波警報が出てる!」
ワンセグ携帯から情報を得た誰かが声を上げる。

これは、大変なことになった。とにかく今、日本で大変なことが起きているのだ。そう言い聞かせるしかなかった。

家に連絡を取ろうにも電話が通じず、公衆電話からようやく連絡を取った。ひとまず妻と母が無事であることを確認。東京にいる妹からもしばらくしてようやくメールが届いた(ただしその時点では、青森より東京都心の方が強い揺れ地震だったことを知らなかった)が、ちょうどその頃、茨城県沖を震源とする二つ目の大きな地震が来ていることを知った。

電気が消えた執務室。周辺の信号機も停電し、警官が交通整理に当たっている。早急にパソコンの電源を落とし、手持ちぶさたで指示が与えられるのを待つ。その間も、幾度となく建物が揺れる。
やがて周囲は暗くなり始め、執務室もどんどん冷え込んでいく。よりによって外は雪が降っている。何てこったい。

17時15分となり、終業のチャイムが鳴る(なぜかチャイムだけは鳴り響いた)。上司から、取りあえず災害要員となっている職員以外は速やかに帰宅するよう命じられた。

これだけの揺れで電車が止まっていることは明らかだった。だが、取りあえず駅に向かうしか思い浮かばない。代行バスが出ているかも知れない、という淡い期待を抱きながら、急ぎ足になる。駅に向かう道のりは、さながらゴーストタウンのようだった。街の明かりが全て消え、シャッターが下ろされている。

青森駅。中は当然真っ暗。しかも玄関は既に閉鎖されていた。まるで廃線後の駅舎のようだ。行き場を失い、路頭に迷い始める人々。嗚呼、これからどうすればいいんだろう...。取りあえずタクシー乗り場に向かいながら、代替の交通手段を考える。といっても残るはバスか、ヒッチハイクか、徒歩しかない。しかし、季節外れの吹雪の中を40キロも歩く勇気はない。これで、職場に戻ることも選択肢の一つとなった。

「弘前に向かう人、いませんか?」
タクシーの乗合を求める人だ。一瞬手を挙げかける。とその時、バス乗り場に黒石行きのバスが入ってくるのを目視した。その瞬間、まるで誰かが乗り移ったような脚足でバス乗り場に向かう僕がいた。

平然と列に並び、バスに乗り込む乗客の後ろに並ぶ。まずい。既にギュウギュウ詰めの状態になり始めている...。バスのタラップに強引に足を乗せ、バスに乗り込む。僕の後ろに並んでいた人が乗り込んだ時、運転手が申し訳なさそうに言った。

「すいません、もう定員でこれ以上乗れないので、次のバスが来るのを待って下さい。」

何と、僕の後ろの人が乗り込んだ時点で定員となり、僕は何とか帰宅難民を逃れたのだ。

問題はこの後だ。黒石に向かったとしても、次の交通手段は確保される保証がない。となると、途中、ちょうど青森と弘前の中間に位置する浪岡で下車して弘前行きのバスに乗り換えるか...。しかしこの時間であれば、浪岡から弘前までバスが走っていることすら怪しい。
なかなか身動きが取れない中、何とか携帯電話を引っ張り出し、妻と母に迎えに来られないかメールを送信してみた。回線が混雑していたが、何とかメールを送信することができた。電池の残量は一つだけ。かなりギリギリの状況だった。
やがて母からメールが届き、取りあえず浪岡に向かうとのこと。
よかった...。何とか帰れそうだ。

程なく、妻からメール。「浪岡までなら迎えに行ける。」とのこと。母が迎えに来る旨メール送信し、取りあえず電源を切った。

バスはずっと混雑したままで、掴むところを確保するのもやっとだったが、弘前方面に向かっているという事実だけが救いだった。

旧青森市内を抜けたあたりで再度携帯に電源を入れる。ここで驚愕の事実が明らかに。
何と、母だけではなく妻も迎えのために車を走らせているとのこと。これはマズいと慌てて電話をしても通じることはなく、やがてバスは浪岡の停留所に到着。約1時間30分を要した。

バス停から浪岡駅までは約400メートル歩かなければならない。建物からは明かりが失われ、唯一足下を照らすのは、半分以上を地球の陰で覆われた月明かりのみだった。
肌を突き刺すような寒さも手伝って、初めて「闇の恐怖」を実感した。

浪岡駅に着くと、妻の車が待っていた。実は...と妻に事情説明しているところへ、母の車がやって来た。
妻の車を見た母の表情が鬼のような形相に変わったのがわかった。明らかに怒りに満ちている。恐る恐る近づくと...。
「弘前市内を出るのにどれだけ時間が掛かったと思っているの!?何で二人に連絡するのよ!どちらかにいらないって連絡すればいいじゃない!」
激高した母はそのまま車で立ち去った。

嗚呼、やっちまった。これまで見たことのないような表情、あまりの激高振りに、僕は再び動揺を隠すことができない。

妻の運転する車の中で、NHKのニュースを見る。津波に襲われた街が壊滅状態に追い込まれた様子が、克明に映し出されている。

妻の家に立ち寄り、全員の無事を確認した後、自宅へ。
予想通り母は一言も口をきかない。僕も沈黙を守った。

が、その沈黙を破ったのは母だった。
「お前は自分のことしか考えていない。いつも自分中心。だからこんな事になる!」
地震の揺れよりも強烈な一言だった。返す言葉もなかった。反論したいことはいろいろあった。電話しようにも繋がらなかったこと、メールがうまく届かなかったこと、ギリギリの電池残量で連絡を試みていたこと...。だが、どんな言い訳も母の怒りに油を注ぐことが目に見えていたので、僕は口をつぐんだ。

確かにそうなのだ。僕は自分中心でしか物事を考えていなかったのだ。

一通り怒りをぶちまけた母は、その後何事もなかったかのように平然と食卓の準備を始めた。明かりは蝋燭のみ。電池式の石油ストーブで暖を取る事ができたのは、救いだった。ポータブルラジオから、各地で明らかになる被害の状況が流れている。
その間も、ミシミシ、ミシミシ...と小さな余震がやって来ているのがわかる。

平成3年、台風19号に襲われた時以来の大規模停電。懐中電灯の電池が機能しない事に気づく。こういう不測の事態を迎えて初めて、普段からの防災意識の低さに呆れるのは、僕だけではないはずだ。

結局その日は、不安と恐怖に苛まれながら、よく眠れぬ翌朝を迎えた。

外に出てみると、昨晩までの吹雪が一変、青空が広がっている。昨日の悪夢が本当に夢であったかのような錯覚に捕らわれる。だが、相変わらず電気が通じていないという現実が、悪夢へと引き戻す。

でも、弘前はまだ全然マシな方だ。電気が消えている以外は、何事もなかったのように街は動き始めている。
結局土曜日の午後5時前には電気も復旧。テレビでは、三陸沿岸地域の惨状が続々と報じられていた。

月曜日。県内の在来線は相変わらず運休のまま。やむを得ず自家用車通勤を強いられた。しかし、思った以上に交通量が少なく、ガソリン消費量もかなり抑えることができた。ある意味「エコ通勤」だが、この状況が連日続くようでは、こちらも休暇という選択肢を検討しなければならなくなったことだろう。
在来線は何とか復旧したが、ガソリンスタンドは連日行列ができたまま。スーパーにあるカップラーメンや即席麺も、一斉に在庫が消えた。

職場内は必要以外の照明機器の使用を控えることとなり、日中はほとんどの部署で照明が消えた。

これがあの日以降過ごした10日間の経過だ。


この間僕が被災地に対してやれたことは、日本赤十字を通じた寄附と、Yahoo!ポイントの寄附だった。むしろこれで今はいいのだと思っている。

今回露骨に明らかになったのは、日本人って思いやりに溢れている人種だと思っていたけれど、必ずしもそうじゃないんだな、と。近くのスーパーからいろいろ買い込んで、どや顔で闊歩するオバちゃんの姿を見て、ホントがっかりしてしまった。

備えあれば憂いなし、とはいうが、過度の備えが被災地の更なる憂いに繋がることを思うと、何ともやりきれない。

こんな感じで、3月11日以降いろいろ腹立たしいこともたくさんあったし、泣きたくなるようなこともあった。僕は他力本願な「頑張れ」という言葉が大嫌いだということをこれまで何度も言っているので被災地の皆さんに対して「頑張れ」とは言いません。被災者の皆さん、どうかくれぐれも頑張りすぎないように。そして、この世に生き延びたことに、何らかの意味があるのだと思う。なので、その意味を噛みしめながら、前を向いて歩いて行きましょう。



あれから10日以上が経過した。

震災に遭われ、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、今も行方不明者となっている方々の安否が一刻も早く確認されること、そして、被災地の早期復興を心から祈念申し上げます。

2011年3月10日

3月30日は弘前中三に集合!

3月30日(水)18時から、弘前市土手町の中三で音楽イベントが開催されます。

弘前城築城400年、そして東北新幹線「はやぶさ」の運行を記念したスペシャルイベント。

津軽に脈々と根付く津軽三味線、横笛などの和楽器と、一流アーティストのスタジオ・ミュージシャンとして第一線で活躍するギタリストとの異色のコラボレーションは、今だからこそ見られる、いや、今しか見られない、弘前ならではのマッチングかも知れません。

津維人の会 Presents
《結と あなたと つながる つがる♪》
~結  featuring 鈴木健治 special guest 佐藤ぶん太、~ Vol.1
 
■開催日時 :2011年3月30日(木) 17:30開場 18:00開演 20:00終演

■開催場所 :弘前市 中三 8階 スペースアストロ

■入場料金 :前売 ¥3.000  当日 ¥3.500  チケットレスエントリー ¥2.500

■前売り券 :弘前市内各プレイガイドで発売中です。(ビートルーズ、mujik、日弘楽器、中三弘前店、まちなか情報センター、スクエア、メリーゴーランド)

*チケットレスエントリーによるお申し込みは、次のアカウントをフォローして下さい。@ Twitterアカウントの無い方は、次の宛先にメールの送信をお願いします。akiratksm@yahoo.co.jp
なお、チケットレスエントリーは、3月18日までの受付となります。
詳しくはこちらで!

津軽三味線・筝・尺八各分野の若手女性実力者3名による和楽器ユニット「結」(ゆい)とMISIA・倖田來未・SMAP・EXILE・その他多数のレコーディング・ライブに参加したギタリスト鈴木健治との異色の組み合わせによるジャンルの垣根を越えたオリジナル・カバー曲の演奏。

さらには横笛ギネスの発案者・実行委員長の横笛奏者 佐藤ぶん太、とのジョイント。

鈴木さんと「結」のメンバーであるはなわさんによる築城400年・はやぶさをイメージして作られたオリジナルイメージソングの発表。

まさに現在の弘前でしか実現不可能な上質な音楽空間と感動を期待させる内容となっております。

また、収益金の一部は、公益社団法人シャンティ国際ボランティア会を通じて国際ボランティアに寄贈いたします。

【津維人の会とは】
2011年5月2日の弘前さくら祭りにツイッターを通じて集まり、「弘前・津軽も変わねばまいねじゃ!」という熱い想いを共有した人達を始まりとして発足した会(任意団体)。

津軽に維新を起こす人の略で「津維人(ついーと)の会」。
現在、30数名の会員を中心に弘前・東京等で活動中です。

本年の主催企画
・スクールソーシャルワーカーフォーラム 2011/02/12
・沢田地区ろうそく祭りツアー 2011/02/17
URL:http://tui-to.net/

当日出演予定の「結(ゆい)」の演奏です。



(名ばかりではありますが)私もこの「津維人の会」のメンバーに名を連ねておりまして、何とかこのイベントを成功に導きたいと、微力ながらこの場を借りてお手伝いさせて頂きます。

一足早い春を皆様に。津軽の魂、日本の和、そしてギターという絶妙なコラボ。名うての一流ミュージシャン同士による津軽・弘前を舞台にした異種格闘技戦。老若男女問わず、きっとご来場の皆様にご満足頂ける内容になると確信しております。

弘前市民はもちろん、県内外問わず大勢の方々のご来場をお待ちしております。




...ちなみに私事ではありますが、職場の行事(歓送迎会です)が先に入っているため、この日はどうしても行けないんです。メンバーの皆さん、本当にごめんなさい...orz

2011年3月 7日

【今年9杯目】弘前市中土手町「中華そば山田」

弘前市土手町といえば市内、いや、中南津軽でも屈指の商店街であった。
しかしながら、車社会の到来による交通網の発達、郊外型ショッピングセンターの相次ぐ進出により、かつて人がすれ違うのも困難なぐらい賑わいを見せていた土手町は、衰退の一途を辿っているのが現状である。

無秩序な都市計画の名の下に、楔のように打ち込まれた幅の広い道路はかつての商圏を寸断し、賑わいを見せていたスーパーの跡地にはマンションが建設され、店主の高齢化に伴う店舗の閉店が相次ぎ、土手町の人影はどんどん消えていくことになった。

弘前市中土手町にある弘前中央食品市場。弘南鉄道大鰐線の終着駅である中央弘前駅に程近いこともあり、かつてはさまざまな魚菜や惣菜を販売する店が軒を連ねていた。しかし今となっては店舗の数もまばらとなり、薄暗い建物の中は、木造の柱と冷たいコンクリートタタキの床が剥き出しとなっているところが増えた。残った店舗も、「来るもの拒まず」の姿勢ではあるが、自ら売り出そうという気概は全く感じられないようにも思える。古き昭和の時代を彷彿させる情緒のある建物なのだけれど、寄る年波には逆らえない、といったところだろうか。

そんな中にあっても、気を吐く店がいくつかある。ひとつは、入り口左手にある山田商店。弘前市民であれば大概の人は知っているはずだ。あの、大学いもを販売する店である。そしてもう一つは、「中華そば 山田」である。
後で知った事なのだが、大学いもを販売する山田商店の娘さんが、この「中華そば 山田」を営業しているのだそうだ。さくらまつりでも出店している店ということで、馴染みの人も多いらしい。

通路に面した長いカウンターと、ずらりと並んだ10席以上の椅子。僕らが座った直後には全ての椅子が埋まり、後ろで空くのを待っている人もいるぐらいの混雑振りだった。

隣の人の丼をみて、大盛りを頼んでみることにした。程なく差し出されたラーメンがこちら。

弘前市・中華そば山田

大きな粉ミルクの空き缶から割り箸を取り出す。
スープは魚介系ではなく動物系。久しぶりに食する味だ。
恐らく鶏ガラと豚骨を混ぜたものがベースと思われる。寸胴にネギとりんごが浮いていた、という情報もあった。画像でもお分かり頂けるとおり、醤油色の濃いスープではなく、非常に透明度の高い上品そうなスープである。
魚介系ほど強烈度は強くない分、優しい口当たりのする中華であった。ちょっとケミカル(いわゆる化学調味料)っぽさも感じたけど、気のせい?
トッピングはチャーシューとネギ、メンマにナルト。王道である。

トッピングの下に隠れた麺は細い縮れ麺(個人的にはかなり好みの麺)。ただ、ちょっと長い時間茹でられた(あるいはお年寄り向けに長い時間茹でている?)ため、ちょっと麺が柔らかいな、といった印象。
だがしかし、大盛りとは思えないような勢いで食することができた。

中華以外にもそばやうどんなどもある。おにぎりを頼んだら、「マス、うめ、こんぶのどれにしますか?」と聞かれたのでマスを2つ頼んだところ、「温かい方がいい?」と聞かれたので、「はい」と答えたら、目の前にあったおにぎりをおもむろに手にして電子レンジで温めていた。しかも、おにぎりを手にしてみたら、マスが一つと、もう一つにはこんぶが入っていた。それでも「ま、いいか。」と思わせてしまう、そういう空気がここには漂っている。

営業時間は9時から18時30分まで、定休日は木曜日。
裏通りに駐車場があり、運が良ければ停めることができる。


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2011年3月 4日

前例主義

役所というのは、とかく前例主義を踏襲する傾向が強い。中にいればわかることだが、とにかく「昨年はこうだった、以前もこうだった。」と、前例を盾にして物事を進めようとするケースがよくある。

僕の場合、今取り組んでいる仕事(特例民法法人の移行に関する業務)が、ほとんど前例のない仕事であるため、場合によってはこちらが「前例」を作り出すということもある。

言うまでもないが怖いのは、この前例が誤った方向性を導き出さないかということだ。
なので、結果としてこちら側としても審査に慎重を期することとなるし、当然国や他の都道府県の動向を見極め、どのような「前例」があるのかを探る。そして、前例の内容を一定の「指針」とすることもあるのも事実だ。ただ、現時点でその「前例」や「指針」が正しいものかどうかは、正直わからない。
ただ、少なくとも「前例」いかんに関わらず、法令に照らし適正と見なされれば、それ相応の判断が下される、ということだけは明らかだ。
今後事業の実施状況等が検証されて行くにつれて、この「前例」や「指針」が正しいかどうか、明らかになることだろう。

「前例主義」は何も役所だけに限ったことではない。例えば過去の最高裁の判例が一つのリーディングケースとなって、高裁や地裁の判断の指針となっていること一つみれば、なるほどと溜飲を下げて頂けるのではないかと思う。
民間企業でも恒常的に行われている業務というのは、結局「前例」があるから恒常的に行われているのだ、ということになるだろう。

京大のカンニング事件。結局カンニングを行った受験者が「犯人」として逮捕されて、事件は収束の方向に向かいはじめているようだ。

マスコミはこれに託けて、「犯人の素性」を暴こうと、別に知らなくてもいいような遍歴までも明らかにしている。いくら社会を騒がせたとはいえ、今回の犯人が「未成年」であることを鑑みると、ここまで暴露するのはいかがなものかと思う。むしろこちらの方が辟易するぐらい生々しい内容だ。もはやこうなると、報道の規制などあったものではない。恐らく地元では既に誰なのかが明らかにされ、そしてネット上で実名が暴露されているのだろうか。
ある意味これも過去の「前例」があってのことだろうが、こういう記事は好ましいものではない。

「目立たない生徒」「真面目」=バスケ部で地区大会優勝―入試問題投稿・山形(時事通信 3月3日(木)19時11分配信)

「目立たない生徒だった。まさかという思い」。入試問題投稿事件で逮捕された男子予備校生(19)が昨年卒業した山形県立高校の校長は3日、驚いた様子でこう話した。
県教育委員会から2日、同校にこの予備校生の受験大学を調べるよう指示があり、家族に確認したところ、京都大や早稲田大など投稿が発覚した4大学と一致した。
校長は「写真を見て思い出した。英語よりも数学が苦手だったが、3年の後半から成績が上がり始め、教諭の間でも話題になったことがある」と振り返った。ただ、「京大を受験するとは思っていなかった」と話した。現役時には早大と明治大を受験したが失敗。今年、母親から「早大に受かった」と同校に連絡があったという。
(以下詳細に渡る記述。略)

...とまぁ、こちらとしてはインタビューに答えている学校校長の素性が知りたいぐらいだ。一体何を考えてベラベラ話しているのか。これが教育者としてしかるべき対応なのか。

閑話休題。
しかしこのように「犯人」が叩かれる一方で、果たして大学側は「被害者面」していていいのだろうか、と思ってしまう。

大体、試験中の監督が一体どのように行われていたのかが全く明らかになっていない。他の大学では、事件が明らかになってから、慌てて試験監督の増員やら携帯電話の取扱やらに注意を払っているようだが、何を今更、といった感も否めない。

いろいろ原因を探っていけばキリがないし、また例のごとく最後に帰着するのは「結局のところ社会が悪い」というありがちな結論になりそうな気がするので、深く掘り下げることはしない。

ただ一つだけハッキリしたことがある。「カンニングは犯罪だ」という前例が出来上がったことである。大学の試験中にカンニングを行ったものは大学の「業務」を妨害する「犯罪者」であり、試験の監督(その「業務」)がいかに杜撰であろうとも、大学側は「被害者」だという「前例」、構図を作り上げた、ということだ。

だから、不謹慎を承知で言わせて頂くならば、カンニングを考えている人たちは心して取り組んだ方がよい。場合によっては逮捕され、自分の過去の生い立ちから素性まで、まるで死にかけた動物に群がるハイエナのようなマスコミに晒されるということを、頭の片隅に入れておくがよい。

今回の事件と「犯罪者の逮捕」を受けて、京大総長は、「監督態勢は万全だった。それをかいくぐったのであれば、新たな対応を考えていく」と述べたそうだ。

万全の中でもカンニングが行われたという事実と、どう向き合うのか、全く明らかになっていない。「起こってしまったものは仕方ない」という開き直りのようにも取れる。結局のところ、「新たな対応」を考えなければならない時点で必ずしも万全ではなかった、ということではないのか。

最後に。事件の舞台となった京大の現役学生がこのような発言をしていることに注目。

「日本中を騒がせていた人物が捕まってよかった。今後、大学はいろいろ対策をとるだろうが、もっとすごいカンニングの手口は出てくると思う」。

この発言の包含する意味を考える。暗に「大学がいくら手立てを講じても、カンニングしようと思えばいくらでもできるんだよ。」というようにも受け取れるのだが、それは考えすぎだろうか。

たかがカンニング、されどカンニング。「魔が差しましたごめんなさい。」では済まされない窮屈な世の中になってしまったということか。あ、結局社会のせいにしてるし。

2011年3月 2日

大人の休日...?

連日仕事で足りない頭を酷使するため、最近の週末はホント出不精になってしまい、休みの日になると妻といかにお金を使わず過ごすことができるか、ということばかり考えています。

取りあえず朝昼晩の食さえ確保されれば別に出かけることがなくても何の問題もないわけでして、早い話がいかに食材を外から調達せず(買い物に出かけず)、我が家の冷蔵庫を始め、あちらこちらに散らばっている食材で朝昼晩を過ごすかという、このことばかりに思いを巡らせているわけです。なので多分今週末も、この余り物クッキングに知恵を働かせることになるのでしょう。

私、高校1年の頃までボーイスカウト活動をしてまして、そこで自炊のテクニックを磨きました。結果、台所に立つことには何の抵抗もないし、何より閃きだけで作った料理を誉めて貰うと、例えそれが身内であろうが、とても幸せな気分に浸れるのです。

家畜や鶏を捌くことまでは出来ませんが、魚でしたら三枚おろしぐらいなら出来ますのよ。64センチの真鯛(自分で釣り上げたもの)を約1時間半掛けで3枚におろした、なんてこともありましたのよ、オホホ。

先日のこと、そんな出不精夫婦の間で、そろそろ春も近いということで、今年は何の種を植えようかという話になりまして、従姉のリクエストのバジルはもちろん(育てたバジルをみじん切りにして、ニンニクのみじん切りと少々の塩と一緒にオリーブオイルに漬けるのです。シソの葉でも代用可。プロセスチーズに添えると美味しいよ)、カブを植えようかという話も。

あと一昨年植えたのですが、時期が遅すぎたために色んな意味で残念な結果に終わったゴーヤのリベンジにも取り組もうかな、と。こんな調子で色々イメージすると、春が待ち遠しくなってきます。

うちの裏庭はちょっとした家庭菜園をするには丁度良いスペースでして、毎年母の友人が野菜を育てています。
ただ、虫に食われた葉野菜を見た隣の人から「母さん、虫育てるの上手いな!」と笑われたとか。

その母の友人の手も借りながら、今年は何種類の野菜に手を染めてみようかな。そんなことを考えながらほくそ笑んでいましたが、今日の青森は冬に逆戻り。
でも、こんなどうでもいいことに思いを馳せながら春の到来を待ちわびるのも、なかなか楽しいですよ。

休日は外を走って、土をいじって。あとはホワイトリカーだけ購入して頂いた果物で果実酒をこしらえて。何か理想的な休日像がかなり具体的に浮かび上がって来ました。ムフフ♪

2011年3月 1日

3月ですね。

3月になりました。

今日は青森県内の県立高校の卒業式でした。
卒業された皆さん、おめでとうございます。
世知辛い世の中ではありますが、自分の理想と信念をしっかりと持って進んで下さい。

ただ、ちょっと厳しいことを一つだけ。
皆さんが抱いている理想というものは簡単に手に入るものではありません。
社会に出ても、学生になっても、理想と現実とのギャップに嫌気がさす人もいるかも知れません。
しかし、ここでの苦労はやがてあなたの血となり肉となることでしょう。
理想と現実とのギャップに苛まれたからといって、安易にリセットボタンに手を伸ばすことなく、どうか我慢強い若者になって下さい。

さて、卒業式に象徴されるように、3月は別れの季節でもあります。今日はうちの職場でも県外関係の内示が発表され、僕の知っている人でも、県外の職場に異動になる人がいます。一方、4月にはその県外から戻ってくる人たちもいます。別れと出会い、再会が交錯する季節です。

それにしても月日の経つのは本当にあっという間で、今の職場に4月にやって来てから早11か月が経過しました。僕も試練と我慢の連続の11か月でした。おかげでそれなりに知識やノウハウは蓄積されつつありますが、まだまだ遠く及ばないといった感じです。

この時期は年度末の人事異動を控えているため、忙しい人は忙しい反面、僕みたいに99.9パーセント異動対象にならない人は、意外と暇な時期だったりします。

とはいえ何もすることがないのかといえばそういうことでもなく、4月以降に備えていろいろと準備しなければならないこともありますし、3月末までにケリを付けておく必要のあるものもあります。
実際机の両サイドには積み残しがわんさかと。なので、多分ホントは忙しいんだけど、今はその谷間のひとときを言い訳しながら過ごしている、といったところでしょうか。

振り返るとちょうど去年の今頃、ある方から「やはり異動になるらしい、それも今より数倍忙しいセクションに行くらしい」という情報を頂きました。蓋を開けてみると、その方から伺っていたとおりのセクションに配置換えとなり今日に至っているわけですが、今でも時々「何で俺がこの仕事を...」という疑念を抱くこともあります。

今の上司は非常に優しい方で、飲みの席上、僕の面前で「適材適所だった!」と喜色満面でしたが、本心はわかりません。まぁでも、これも勘ぐり始めればキリがないのでやめときます。
ただ、少なくとも、もうすぐ発表される内示に名前がないことはほぼ確実ですし、来年、下手をすれば再来年も危ういかも知れません。

僕は一体いつまで今の職場にいることになるのかな。

3月。あと1週間もすれば、いろんな怪情報が飛び交い、みんながそわそわし始める時期に突入です。どこに誰が変わるのかな。ウヒヒ。