2011年9月29日

3日で2.5キロで1キロで4分...

10年ぶりにエントリーした昨年のアップルマラソンは、出場した10キロマラソンの時だけ辛うじて天気が持ってくれたので、非常に心地よく走ることができた(ちなみに児童たちが走る時間には、雨がザザザーと本降りになっていた)。
折しも30代最後のエントリーだったということで、どこまで走れるんだろうか、という素朴な疑問と対峙しつつ、自己新を目指して設定した目標タイムは45分。結果として、44分27秒でゴール。
これまでの自己新ということで、これで満足するはずだったのだが、ちょっと欲が出てきてしまった。

これは、もっと行けるんじゃないか...と。

この大きな勘違いが僕をまた掻き立てることとなり、シューズを新調したり、また新たなコースを発掘したり。気がついたら、10キロ以上走る気なんぞなかったのに、週末に15~16キロ走ってもさほど疲れが残らないようになった。

最近のコースは専ら、弘前市中心部の南側に位置する久渡寺(くどじ)を往復するコース。行きはダラダラと緩い上り坂が続き、帰りは背中を押されるような勢いで下り坂を駆け下りるという、往復約14キロ。所要時間は1時間20分程度で、大体キロ5~6分のペース。
とある雑誌を読んでいたら、「平坦な道ではなく上り下りを取り入れることで脚力が鍛えられる。」という記事があり、それを真に受けて極端なコース取りをしてしまった、というだけの話だ。

ただ、これが功を奏したのかどうなのかはわからないのだが、確かに平地を走っている時は足取りがかなり楽になった(ような気がする)。

これがまた大きな勘違いを生み出すこととなり、ひょっとしたらもうちょっと記録更新できるんじゃないか?と思い始めるようになってしまった。

ちなみに前回の記録44分27秒は、18~39歳の部での記録だが、今回は40~59歳でのエントリーとなるため、昨年の同年代の記録と照らしてみたところ、40~59歳の部門別順位の30番以内に入っていた。

これがまた、更なるの大きな勘違いを生むことに。

ちょっと頑張れば、20番以内も行けるんじゃね?

いくら40~59歳とはいえ、速い人はメチャメチャ速い。これ、当たり前の話。

そんなおめでたい数々の勘違いを抱いたまま、いよいよ3日後には大会を迎える。

ところが、この期に及んで見事に減量に失敗し、何と2.5キロ増。気がついたら全盛期を彷彿させる68キロ台が目前。去年65キロちょっとで走ったことを考えると、このハンディキャップはあまりにも大きすぎる。脂肪じゃなくて筋肉なんです、といいたいが、確かに腹回りには、つきたての餅のようにプルンプルンと揺れる脂肪が見た目にも明らか。

僕の中では「完走するのは当たり前、50分切るのも当たり前」という思考が完全に脳を汚染していたのだが、ここに来て一気に弱気になった。この先3日間で2.5キロ減量したら、ひょっとしてテレビ番組に出演できるだろうか。体重計なんて乗らなきゃ良かった。いっそのこと、走った後に体重計に乗って、「何だこんなに太っていたからタイムが伸びなかったのか。」と言い訳すればよかった。

とはいえ、太りすぎて足が動かなくなった、走れなくなった、なんていう事は考えたくもないが、さすがにこの3キロ近い錘は、かなり影響を及ぼしそうな気配。あとは気力に任せるしかないかな。

さて、目標のタイム。
当初は自己新どころか、あわよくば40分台に乗せることを思い描いていたが(タイトルの1キロ4分とはそういうことです。)、どうやら絵に描いた餅に終わりそうな気配。たかだか10キロで4分も縮めるなんぞ至難な技だって事に、今頃になって気づいた。大体体重1キロ減らすことですらしんどいのに。

それこそゼッケンナンバー「4499」のとおり「誰か!呼んで呼んで!救急車!(K沢さん、これ結構気に入っています)」にならないようにしないと。

あとは思考の問題だな。1キロ走った時に、まだ800メートルしか走っていないと考える、とか。これだと、8キロ到達時点で実は10キロで、「何だ、もう10キロ走ったのか」なんてこともあり得る。いや、こうなったら頭の中を馬なり鹿なりの思考にシフトしよう。僕の前を走る人は全員ニンジンか煎餅に見立て、彼らを追いかけるしかない。

自分との戦い、なんて言えば聞こえはいいが、体重調整できていない時点で既に敗北決定。自己新なんてとんでもない話です。ハイ。

でも、せっかくなので真面目に、かつ楽しんで走りたいと思います。
ちなみに天気は今年もあまり良くないらしい。くもりのち雨の予報なので、雨が降り出す前に何とかゴールしたいところだ。
うーん、10キロへのエントリーは今回が最後かな?って、まだ今回の大会も始まっていないのに、次の大会で走る気になってるし。

2011年9月26日

妹の帰郷

僕には年の4つ離れた妹がいる。
あまりにも顔が似すぎているらしく、僕の妹だということは誰にでも簡単に判別できるらしい。

妹は、弘前市内の某大学を卒業後、あっさりと上京した。いろんな思いが交錯した結果として上京を決めたようだが、今までその理由を積極的に聞こうと思ったことはない。ただ、確か亡父が市議1期目に、ゴタゴタに巻き込まれて失職したことが、一つの契機になったと記憶している。

折しも妹が上京を決めたのは、僕が新婚にもかかわらず八戸市へ単身赴任していた1年目。しかも僕の妻は結婚して直後に、積極的に我が家の両親そして妹と同居を始めていたこともあり(このおかげで親戚や知人の間では、妻の評価が急上昇した)、妹は、独り取り残されることとなる妻と、うちの両親との関係を少しだけ気にしたらしい。まあ、結果的にそれは杞憂に過ぎなかったわけだけれど。

更に僕はちょうどその頃、どうしようもないぐらい心身のバランスを崩していていて、とても妹の上京にああだこうだと口を挟める状態ではなかった。

そんなわけで、妹がどこに行き、何をするのかもよくわからないまま、僕が2年間の単身赴任を終えて弘前に戻ってきた頃には、当然ながら妹の部屋はもぬけの殻となっていた。

やがて母にとって妹のところを年数回訪問するのが数少ない楽しみとなり、父も上京するたびに都合を付けて妹と会っていたようだ。もちろん僕も出張で上京した際には、友人や知人に会うよりも妹と会うことを最優先させていた。
今思えば、我々はそれだけ妹のことが気になっていたし、妹も弘前に住む我々のことを気にしていたということなのだろう。

その間、妹は卒業直後から勤めていた会社を辞めて転職したが、転職先は必ずしも居心地の良い職場とは言えなかったようだ。
そして3年前の父の死、東日本大震災、更には原発事故と、取り巻く環境がどんどん変わっていき、妹の心境も徐々に変化したようだ。

いつかは帰ってきたい、という思いはあったようだが、そのきっかけを見出せぬまま過ごしてきた十数年間。
いろんな葛藤もあっただろうし、東京を離れるという寂しさもあるだろうが、ようやく意を決し、その生活に別れを告げ、妹が今日帰郷する。

一番の要因は、弘前市内在住の、とある男性との出会いだったといっても過言ではないだろう。妹の男運には興味がなかったが、僕と父と対等に会話するうちにどんどんオッサン化していく妹を見ていると、「果たしてこいつは嫁に行くことができるんだろうか?」と思ったこともしばしば。
ここでは言えないが、実家に戻ってくると、ここぞとばかりに女性らしさを欠くような言動を繰り返す妹に、こいつを嫁に貰ってくれる男性なんぞ現れないんだろうな、と、正直僕は諦めていた。実は妻も同じように思っていたらしいが。

それが、とある男性とひょんなきっかけで交際を始めた妹、ついには婚約にまでこぎ着けてしまったのだから、運命というのはどう展開するのか本当にわからないものだ。

妹は、しばらくの間実家で同居することになるようだが、やがて家を出て、新しい生活を始めるようだ。

いうまでもなく一番喜んでいるのは母であり、そして亡父だと思う。

...いや、もっと喜んでいるのは、相手の男性かな(笑)。

まあ、「たられば」を言い始めればキリがないのでやめておくとして、母にとっては「年数回の上京」という楽しみの一つが減ってしまうわけだが、身内が一人近くにいるというだけでも、気分的にはかなり楽になるのではないかと思っている。

あとは、何とか順調に事が進んて、妹の名字が無事に変わることを願うだけだ。

2011年9月24日

ボヌール(BONHEUR)が遂にプレオープン。

これまでも幾度となくtwitterやFacebookで宣伝して来たが、弘前市土手町・弘前中央食品市場内に、「野菜と魚のお店,ボヌール(BONHEUR)」が遂にプレオープンした。

何でこんなにこの店を推すか。

だって、オーナーは義妹の旦那。つまり、身内なんだもの。
早速開店したお店にお邪魔してきた。

中土手町、時計塔が目印の一戸時計店のすぐ隣にある弘前中央食品市場。外観を見る限りでは、申し訳ないがちょっとあまりに昭和の香りが漂いすぎていて、気軽に立ち寄ってみよう、という気にはなかなかならない。
有名なところでは市場内に入って程なく左側に「大学いも」があるのだが、その先には歩が進まない、という方が多いかも知れない。
いわば、土手町自体は駅と公園を結ぶ動線上にあるから辛うじて商店街としての機能を保っているが、中央食品市場に入ると、そこから先どこかに抜けることができるという動線を見いだすのが難しく、何も買わなくて申し訳ない、といった感じで往復しなければならない構造にあることが、客足の遠のく一つの要因であったのかも知れない。

その中央食品市場内の左側の一角。衰退の途を辿っていた市場内に、いわば活性剤のような役割として登場したのがBONHEURだといっても過言ではないだろう。別に身内だから推しているわけではない。身内だからこそ厳しいことも言えると思うし、そこはひいき目ではなく、むしろ厳しい目でこれからを見守っていかなければならないことだろうと、僕と妻は勝手に思っている。

そんな前置きはともかく、百聞は一見にしかずということで、まずはオーナーの高橋くんから許可を得て写真撮影したので、店内の様子をご覧頂こう。

まずは土手町側ではなく、裏側から入店するとすぐ目の前に店舗が広がる。

野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)

これがあの弘前中央食品市場なのか?と見まがうほどおしゃれな佇まい。
さらに進むと、白い天井白い壁、そして裸電球が燦然と輝いている。

野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)

調理場ではスタッフが慌ただしく動き回り、手前の冷蔵ケースには寿司が並んでいる。

BONHEUR、プレ開店しました!

冷蔵ケースの隣には海苔巻きも。

野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)

これがまたおばあちゃんたちに大好評だった。
そして焼き魚!ホッケにサバ、イカにカレイにツボダイが並んでいる。

野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)

個人的にはこのツボダイがツボだった。ツボだけに。あ、ホントに美味かったっす。
そして、お惣菜。ハンバーグにゴーヤチャンプルーなど。

野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)

その日によってメニューは変わるらしい。

野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)

ガラスケースには冷菜が並ぶ。

野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)

この後これらの食材が容器に詰められていった。
そしてもう一つのお勧めが、野菜。

野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)

地元農家の採れたて野菜が並ぶ。
手前にあるのはツルナだそうです。

野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)

お。オーナーの高橋くんが野菜を並べてます。

野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)

その他、輸入食材も並んでいる。

野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)

奥に並ぶミネラルウォーターは、圧巻でっせ。
こちらにはパスタ。

野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)

イートインスペースもあります。

野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)

そうそう、このテーブルに椅子、野菜類や輸入食材が並ぶ台は、リンゴ箱を加工した手作りなんだって!
ということで、以上ボヌールの紹介でした。

野菜と魚の店、ボヌール(BONHEUR)

まだスタートしたばかりで、いろいろ手探り状態なので、軌道に乗るまで大目に見て下さいね。

9月25日までがプレオープン期間で、9月30日がグランドオープン。
営業時間は午前10時から18時まで、毎週木曜が定休日。

そうそう、個人的な収穫を一つ。ボヌールの裏側にある藤本鮮魚店の旦那さんが、実はプリンスファンとのことで、02年の来日公演では武道館に足を運んだとのこと。弘前市内に在住する数少ないプリンスファンの一人として、貴重な繋がりができました。

2011年9月19日

あと2週間。

10月2日のアップルマラソンまであと2週間となりました。
最近は10~15キロを週1回のペースで走る(走れる)ようになり、ひょっとするとハーフも行けるんじゃないか?と思ったりもしたのですが、ここでの強欲は禁物です。ということで、今年も昨年に引き続き、10キロにエントリーです。
何で10キロなのかというと、いろいろ理由がありまして、まあこれは終わってから明らかにしたいと思います。

最近のコースは、我が家から久渡寺という弘前市の南側にある山を目指すコース。往復で14~16キロぐらいになります。
実は9月初頭にこのコースを走ったところ、下り坂での負荷が災いし、右足の親指が内出血。爪の付け根から半分が真っ黒になりました。不幸中の幸いだったのは、爪が全部剥がれるほどの重傷ではなかったということ。しばらくは痛みも続きましたが、今はほとんど痛みがなく、普通に走られる状態まで回復しました。

もう一つのコースは弘前公園の外周を走り、さらに公園内を走るというコース。弘前公園内には有料区域もありますが、もちろん走るのは無料区域のみ。そういえば某新聞社の記者に捕まったのも、弘前公園にある護国神社のそばでした。これで大体10キロちょっと。

まあその他にもいろいろコースがありまして、それ相応に歩を進めております。

そんな中、今日はアップルマラソンのコースを途中まで下見してきました。時折小雨の混じる天気の中、大体1キロ5分ぐらいのペースで約7キロ半。岩木川に架かる橋を越える時、轟音を立てながら流れる濁った川を見たら、足がすくみました。道路には既に大会用のキロ表示も設置されており、準備が着々と進んでいるようです。当日もこれぐらいのペースでコンスタントに走れればいいんですが...。

そういえば昨年、大会関係者の方がぼやいていました。
「アップルマラソンの時っていつも雨なんだよな...。」

昨年はちょうど雨が降り始める前にゴールしていましたが、今年はどうなるんでしょうね...。

Facebookでは既にお知らせしましたが、昨年のゼッケンナンバーは「3332」番、そして今年のゼッケンナンバーは「4499」番だそうです。非常に覚えやすい番号ですね。Kさん曰く「呼んで!呼んで!救急車!」だそうです(笑)。

昨年はこの時期のオーバーワークで膝を痛めましたので、今年は逆に距離を短めにして、体力温存に努めます。たかだか10キロですが。しかし今年の調整失敗は、体重が減っていないこと。これに尽きる!まあ、無理しない程度にこの先調整したいと思います。

2011年9月16日

プリンス関連のアーティストがにわかに騒がしい


プリンスファンの皆様には周知のこととは思いますが、ファン拡大のために、地味に情報提供したいと思います(笑)。

「20ten」を発表後、アメリカとイギリスばっかり往復しまくりのプリンス。他に行くとこないんかいな?と思わずぼやくたくなりますが(ちありさんの情報では、スイスでレコーディングしているとか?)、何せ前回の来日が2002年なので、いよいよ10年間のブランクが空くことになります。
以前のように作品は精力的に発表し続けていましたが、やはりDVDや動画で動く姿を見ていても、何か物足りなさが残ります。まあ、一番のネックはギャラのようだけれど、こちらからプリンス詣でもするしかないんですかねぇ。

そんな中、昨年あたりから80年代にプリンス・ファミリーとして知られていた人たちが相次いで動き始めています。

まず、今でもプリンスのコンサートに登場したり、精力的に活動を行っているSheila Eがお父さんたちと組んだファミリーバンド、「E Family」(って、そのまんまじゃん)がアルバムを発売。


公式ホームページ
The Official E Family Website

そして、ああ懐かしやWendy and Lisa。
彼女たちの場合、これまでも地味に(失礼!)活動していましたが、今年に入ってミニアルバムを発表。

(MP3のEPです。)

公式ホームページもあります。
Wendy and Lisa [Official Site]

これに関連して、というわけではありませんが、あのThe FamilyもfDeluxeとして再登場。
彼らもFacebook上にページを設けたり、公式ホームページを立ち上げたりと、ジワリジワリと活動を開始していたのですが、満を持してアルバムが登場。


公式ホームページ
fDeluxe

2002年のプリンス札幌公演の翌日、千歳空港でメンバーとばったり出くわし(というか仙台まで一緒に移動することを狙っていた)、エリック・リーズに恐る恐るサインを求めた時、実に気さくに応じてくれたことを思い出します。

そして、待っていましたの横綱が登場。
The Time改め、The original 7ven!
何と前作から21年ぶりのアルバム発売だそうです!KIDさんのブログ記事で情報確認しました。


公式ホームページ
The Original 7ven(www.以下が「The Original Time Band」となっているところを見ると、最初はこっちの名前を使いたかったんでしょうねぇ。)

しかしこの二組については改名の上の再出発ということで、下手をすればオールド新人として荒波に揉まれてしまう可能性もあるのですが、たぶんプリンスとの関係でいろいろあるんでしょうね。かれこれ20年以上も経っているんだから、もっと寛大になってもいいじゃん、とか思ったり。
こうなると残すはMadhouse!などと変な期待を抱いてしまうのですが、まあ無理でしょうな。

さて、そのプリンス御大はというと、香水の宣伝を巡る訴訟で敗訴、4億ドルの支払命令と、またしても90年代初頭を彷彿させる暗黒の時代に突入の模様。あれ?その香水って何か僕、血迷って購入したような記憶があるんですが...。あとで探してみようっと。

2011年9月12日

土曜日の飲み会のこと

年に数回開催している、小・中・高校の頃からずっと仲良くしている親友たちとの飲み会。僕は独りで勝手に「定例会」と呼んでいて、ここ最近は年末年始のいずれかとGW前後、そして夏から秋にかけて開催するようになった。

これまでこのブログにも幾度となく登場したメンバーは、僕を入れると全部で6人。
単なる偶然か類は友を呼ぶ、なのかは知らないが、なぜか教員そして公務員が大半という構成。

彼らとはこれから先、この世に別れを告げる時まで、ずっと付き合い続けることになると確信している。いや、できればあの世に行ってからも、三途の川で一緒に釣りをしていたい、そういう顔ぶれだ。

6人の共通点は中学校の同期生。うち5人は同じ高校に進むこととなったが、その頃からみんな仲が良かった、というわけではなかった。

高校生の頃、今は津軽地方の某小学校で教鞭を執るZ先生の自宅に遊びに行ったときに何人かが居合わせ、やがてZ先生宅と我が家が集合場所となり、そこから少しずつ繋がりができていった。

全員が同じクラスになったということは一度もないし、中には同じ学年ではあったけどクラスが一度も一緒になったことがない、というメンバーもいる。それでも小中高大と、各自が何らかの繋がりを持ち続けていたので、今となってはみんな家族を持っているが、奥さんが知らないいろんな過去をそれぞれ握っている、というのも事実だ。

例えば...。



いや、やめておこう。

まあ、いずれにせよそれだけ深い絆で結ばれているということだ。

この飲み会は、ほぼ僕の呼びかけで始まる。彼らの顔を無性に見たくなる時は、大体決まっているのだけれど。

今回は呼びかけした僕の都合もあって開催日が二転三転することとなり、結果、6名のうち4名で飲むことになった。

何を話題にして飲むのかというと、難しい話とか面倒くさそうな話は一切抜きで、これがまた実に下らない(それも公にできないような)内容。
まさに気の置けない仲間とはこのことを言うのだろう、風貌はすっかりオッサンだが、彼らと飲むときは、高校、いや学生時代の気分に戻ることができる。
僕にとって彼らは、数少ない誇れる財産だと思っている。

彼らとはこれまで一体何度飲んだかわからないが、今回も実に気分良く美味しい酒を飲むことができた。

一次会は弘前市百石町にある「かだれ横丁」で、ここには今回のメンバーのおばさんが経営している店があり、そこでじっくり腰を据えて3名で約2時間半。その後鍛冶町へ移動し、某店で美味い刺身(鰹に鯨の赤身、ツブ貝、そして何と鮎の刺身!)に舌鼓を打ち、2時間半。締めは四十路男には御法度の炭水化物(中華そば)というフルコースで、家に帰宅したのが0時過ぎ。

溜まっていたモヤモヤ、鬱積していたものを一気に吐き出し、しばらくはまた気分良く過ごせそうだ。


次回こそは是非6人で。