2012年4月14日

お前らみたいなヤツは蕎麦喰う資格なし!


今朝、ハナと家の近所の川沿いを散歩していた時に、川の中に佇む一羽の大きな白い鳥と遭遇しました。
鳥の名前と言えばせいぜいニワトリか焼き鳥ぐらいしかわからないのですが、よく見るとその鳥は、川の中に放置された大きなゴミ袋の上に乗っていました。ゴミ袋からは、空き缶やペットボトルが散乱していました...。

昨日Facebook仲間のFさんが、「弘前市内のゴミが酷すぎる」と嘆いていたばかり。
観光に力を入れるのは大いに結構なことですが、雪解け後の弘前市内、道路や川などありとあらゆるところにゴミが散乱しています。
今日はクリーン大作戦も行われていましたが、それにもかかわらず、雪の中に隠れていたゴミは、これからもどんどん出てくることでしょう。

「街歩きの観光」にも力を入れるようですが、ゴミばかりが散乱している街に、観光客が「また来たい」と思いますか?

...という疑問を抱いていたところに、更に追い打ちを掛けるような出来事に遭遇してしまいました。

昼過ぎ、妻と買い物を終えて我が家に帰ってくると、例のごとく隣の蕎麦屋にやって来たと思しき青森ナンバーの「白いアウディ」が拙宅の駐車場に停まっていました。
(※ひょっとしたらこの時点である程度人物が限られてくるかも知れませんが、このまま続けます。)

まぁ、すぐ出てくることを期待して、家の前で待とう...。

ん?よく見ると、停まっている車の助手席のすぐ横に、何かがあります。何だあれ?

何とそれは、ついさっき飲み終えたと言わんばかりの、ドトールコーヒーのプラスチック製のカップ。ご丁寧に、ストローと氷がまだ入ったままでした。

何となく結末の予想はついていたので、こみ上げてくる怒りを抑えながら、白いアウディの持ち主が出てくるのを、まるで蕎麦屋の駐車場が空くのを待つ人のように、車の中でじっと待っていました。

程なく、スーツ姿のオッサンと、その後ろから若そうなオナゴ。こちらもパンツスーツでビシッと身を固め...。

さて、どうするのかと車を移動させながら様子を見ていると、オッサンがアウディに乗り込み、ハンドルを握ります。オナゴはというと、道路に出て白いアウディを誘導。

オナゴに誘導された白いアウディは、拙宅の駐車場を離れ、2軒向こうの家の前に停車しました。
と同時に、おもむろに僕は運転席から降り、そのオナゴの行動を見ていると...やっぱりね。

そのオナゴ、まるで何事もなかったかのように、白いアウディに向かい始めたのです。

「おい!これ、あんたたちのか!?」
語気を強め、例のカップを手にする僕。

するとオナゴ、まるで「あら。気付いたの?」と言わんばかりに「あ、ごめんなさーい。」と僕の手からカップを奪い取り、白いアウディに逃げるように乗り込んでいきました。

久しぶりに怒りに震える感覚。
さて、皆さんならどう思いますか?

そんなの気にしていればキリがない?どこにでもある話?オナゴの顔が見てみたい?そのオナゴとオッサンとの関係が気になる?

僕はこう思いましたよ。
いくら見栄えだけいい格好しても、取っている行動が人間として最低!もしもこんなヤツが弘前市民なら、ホントがっかり。自分が良ければそれでいいんだろうね。人間としての資質を疑うよ、ホントに。あんたらに悪気はないんだろうけど、絶対に許せないし、許さないから。

まぁ、走り去る白いアウディのナンバーも見ちゃったんですが、それは敢えて伏せておきましょう。

最後に一言。

お前らみたいな連中、二度と家の近くに来るな!バカ!!

2012年2月22日

ここまで来た風評被害

那覇市が本県の雪使った行事中止

那覇市は21日、本県の雪を使って、市内の児童館広場で23日に開催予定だった恒例の行事の中止を決めた。東日本大震災後に沖縄県に避難した住民らから「放射能の影響が心配だ」との声が出たのが理由。本県などによるモニタリング調査では、空からの降下物に異常は見つかっていない。那覇市の担当者は「検査では安全だが、避難者の不安に配慮した」としている。
(平成24年2月22日付Web東奥)

このニュースには心底ガッカリしました。

不安の声を上げたのが沖縄県民ではなく、避難していた住民だというのだから、なおさらガッカリ。というか、何か悲しくなってきましたよ。
あんたら、どういった見聞、知識を持って避難してるの?と激しく詰問したい!

一方、沖縄の新聞ではどう報じられていたかというと...
那覇市が雪遊びイベント中止 放射能不安で要請受け

那覇市は21日、那覇市松尾のにぎわい広場で23日に開催予定だった青森県から運んだ雪を使った雪遊びのイベントを中止することを決めた。放射能汚染を恐れて沖縄に避難してきた幼い子どもを持つ保護者らが20日、雪の放射能汚染や子どもの被ばくを不安視し、市にイベントの中止を求めていた。
同広場内にある久茂地児童館で21日に行われた保護者に対する説明会で、那覇市平和交流・男女参画課の比嘉勉課長は「中止を求める意見書に名前を連ねた大半が自主避難者だ。被ばくを恐れて避難して来た方々の放射線の汚染に対する心情に配慮して、中止を決定した」と説明した。
市担当者は20日、県外からの避難者らに対し、イベントで使われる雪に関する青森県側の調査記録を示し「危険との認識はない」と説明していた。しかし、避難者からは調査結果を疑問視する声やイベントの中止を強く求める声が相次いだ。
横浜市から昨年10月に家族で避難してきたという久野綾子さん(34)は「他の児童館でもイベントが予定されているのなら、久茂地児童館だけでなく、他の児童館も同じように中止してほしい」と訴えた。
1995年から毎年、雪を輸送している海上自衛隊第5航空群は那覇市役所の要請で、取りやめを決定した。
(平成24年2月22日付琉球新報)

あのさオメダヂ、どごまで気揉めば気済むンダバ...。

那覇市の対応にも疑問。「検査では安全」だというのであれば、何故そのことをちゃんと(ピシャリと)伝えることができなかったのでしょう。

青森県民の一人として、凄く憤りを感じています。

那覇市関係者の方に聞きたい。
青森県から運んだ雪のどこに、どういった悪影響があるのですか?これが「不安に配慮」するということなのであれば、金輪際、東北からのものは一切受け付けないということですか?

不安を口にした住民の方に聞きたい。
何か裏付けがあって「不安」を口にされているのですか?青森県の雪から高い数値の放射線が測定されたのですか?それとも、青森県が福島県と同じ東北にあるからですか?福島第一原発と青森県って、どれぐらい離れているか知ってます?青森県の場所ワガルガ、綾子!?

東北だから、青森だからといって根拠のない不安ばかりを口にして、更に人々の不安を増幅するのはやめて頂けませんか。東北の人たちは一日も早い復興に向けて努力しているのに、日常の生活を取り戻そうと日々奮闘しているのに、どうして水を差すようなことをするんですかね。

避難された住民の方々に不安を与えないためにも、東北からの観光客を出入り禁止にして頂けませんか?さもなければ、那覇空港の到着口に、除染のための装置を設置して頂けませんか?

Facebookにも掲載しましたが、今一度青森県民の一人として、反論覚悟で意見を述べさせて頂きます。ただし、津軽弁で。

オメダヂ、ドモナンネダゲウダデグハンカクセンデネナ、コノタナ。

青森の雪サ、ナニホド放射線含まれデラって?ナンボ身体サ影響あるって?根拠もネクセしてホンズネゴト喋るナジャ。

オメダヂ持ってラ何とかカウンターで、防護服借りデ雪トバ測ってみればイイッキャ。それがらモノ喋ろジャ。

オメダヂミンタハンカクセヤヅダッキャ、イラネゴド喋スナ。東北の人ダヂケッパッテラドギニ、アシフパリこの。オメンドダッキャ3月11日、アホヅラコイデ黙祷ダノスナヨ。

ナンド青森サ来るんだッキャ、ワッキャプタステケルハンデナ!

青森県のスキー場関係者の皆さん!即刻スキー場を閉鎖した方がいいですよ!放射線に汚染されてるみたいですよ!スキー場に行かれた皆さんも、今すぐ病院に行って検査受けて下さい!

あ!今年は雪が多かったからなぁ。一杯雪かきしたしなぁ...。数年後には俺も甲状腺ガンか...。あーハンカクセ。

2012年2月14日

インフルエンザ「感染」記


今年は厄年。
今年の目標は「耐」です。と声高に宣言した今年の元旦。
雪が多いのは致し方ないとして、2ヶ月続けて高熱にうなされるとは、しかも、インフルエンザにまで罹患するとはさすがに思ってもみなかった。
流行り物が嫌いではない、むしろ好きな方とはいえ、この流行には乗っかりたくなかったなぁ、というのが正直なところだ。

顛末はこうだ。

先週月曜日にグループ員の一人がインフルエンザの兆候を見せ始め、翌日インフルエンザ陽性の診断を受けて休暇に突入したのが発端だったのでは、という声もあったが、弘前・青森間を電車通勤するという立場上、不特定多数の人たちと1時間近く密室に近い車内に閉じ込められていることを鑑みても、いつ発症しても不思議ではなかった。

水曜日あたりから喉の痛みを覚えるようになり、法人向けの説明会が行われた木曜日午後には、既に咳が出始め、頭がボーッとするという自覚症状。関節も痛い。この頃からグループ員からインフルエンザを怪しむ声が出始めるが、何の脈絡もなく「違うよー。」とやんわり否定。
しかし帰宅し、体温を測定すると37.6度まで熱が上がっていた。
これはやられた!かも知れない...。

翌金曜日はマネージャーの休暇が既に決まっていて、僕も休むわけには行かない。騙し騙しでもいいから出勤しないと...と、普段ではあり得ない時間に就寝、翌朝の体温を36度台まで下げることに成功(?)、とはいえかなりギリギリの状態で何とか金曜日の仕事をこなした。

土曜日。
身体がだるい。が、体温は36度台と大したことではない(実はこの時、どうも体温の測定を誤ったようだ)。妻が出勤だったため、頼まれていたことをとりあえずこなして、文藝春秋を購入してきたあと、ひたすら惰眠、惰眠、惰眠...。食欲もそれほどあるわけでもないし、まずもってアルコールを身体に入れたいという気分になれないのだ。やっぱりこれはおかしいぞ...。

日曜日。
身体のだるさが依然として抜けないため、再度体温を測ると、今度は38度を軽く超えていた。もはや感覚が麻痺していたのだろうか、関節の痛みはまるで感じなかった。この時点でインフルエンザに罹患したことを確信。幸い休日診療を行っている医療機関が我が家から車で5分も掛からないところであることを知り、9時の診療開始15分前に病院に到着。

聞いたところでは、弘前総合保健センターは急患含め1時間以上の待ち時間を要するとか。とりわけインフルエンザを発症した患者も相当数いるらしく、個人的にはもし日曜日の休日診療を利用するのであれば、医師会の当番医に診てもらうことをお勧めしたい。

僕の順番は2番目であったが、結果は推して知るべし、だった。A型のインフルエンザだそうだ。
今日から5日間は出勤はもちろん、急を要する以外の外出を控えることなどの指導と、タミフルの処方を受けて帰宅。この時点で頭がガンガン痛み始めていた。

考えてみると、生まれてこの方何度インフルエンザに罹患したかわからないが、少なくとも四半世紀ぐらいはインフルエンザに罹患した記憶がない。実際この年になってインフルエンザに罹患してみると、何をどうすればよいのか、まるでわかっていないことに気付く。とりあえず処方されたタミフルを服用し、ただひたすら寝る。
熱は38度前後を行ったり来たりの繰り返し。イベント等で盛り上がっていた弘前市内、僕の楽しいはずの週末は、暗澹としたままこうやって過ぎていった。

月曜日。
37.3度まで熱は下がってきたが、頭痛が酷い。あまりに酷すぎて、何もする気が起きない。食事を口にするのも僅かだけ、ただ寝ていても腰が痛いし、寝返りを打つと今度は頭が痛い...と、一体どうしていいのやらワケがわからん!といった状態。

それでも、午前中ちょっとだけ楽になった時間を利用して、文藝春秋に掲載されていた芥川賞受賞作の「共喰い」を一気に読み終えたが、内容が内容だけに、かえって具合が悪くなったような気分になった。

布団の上を何度もごろごろしながら、頭痛と発熱との戦い。インフルエンザというのはこれほど苦しいものだったのか。
気力と体力がどんどん奪い取られていくような感覚。夕方になってようやく眠りについたようだが、目が覚めてもいっこうに頭痛だけは拭い去れなかった。

火曜日(今日)。
マスクを取った自分の顔を見て愕然とする。そういえば、金曜日の朝から一度も髭を剃っていない。白い物のだいぶ混じった無精髭。生気のない顔。自分の顔とは思えぬほど情けない顔だ。熱は平熱に戻ったが、頭だけはガンガン痛む。もう、これさえなければ何とかなりそうなのに!この頭の中に手を突っ込んで、痛みの根源を取り去ってしまいたい、そんな衝動にさえ駆られそうだ。
昼になり、遂に我慢の限界を超えた。もう無理。耐えられない。タミフルとは違う市販の頭痛薬、バの付く薬を一つだけ服用してみた。

3時間後。
それまでの痛みの根源はどこへやら、何事もなかったかのように、数日ぶりにスッと頭の回路が元に戻ったような感じだ。それはちょうど、奥羽線の除雪がようやく終わって平常運転に戻った時にも似た、安堵の感覚。

咄嗟に思い浮かんだこと。今しかない。
風呂場へ急行し、ボサボサになっていた頭、そして全身を洗い流し、綺麗に髭も剃り落とした。
暗澹としていた気分も少し晴れ、ようやくインフルエンザからの苦しみから解放されるかも知れない、そんな期待感を抱けるところまで気力は回復。

体重計に乗ってみると、予想通り結構体重が減っていた。65.3キロ。そりゃそうだ。ここ4日間ビールは飲んでないし、ご飯だってホント茶碗に僅かしか食べようと思わなかったのだから。
ただ、この体重の減は脂肪ではなく間違いなく筋肉そのものの減。だから筋力も相当落ちていることだろう。

残り2日間でこれをどうやって元に戻していこうかな、なんて考えるぐらいだから、気力もそれなりに回復し始めているということかな。

あ、頑張ってなんて言わないで下さいね。僕にこれ以上何を頑張ればいいんですか?って逆に問い詰めますからね(笑)。ということでこの調子だと今春は、いよいよ花粉症を本格的に発症すると見た。

2011年2月22日

自分のイヤなところ

自分の好きなところはどこですか?と聞かれると「うーん...」と唸ってしまうが、自分のイヤなところはどこですか?と聞かれると、枚挙に暇がないような気がする。

節目節目で迎える面接において、想定問答としては必須とも言うべき「自分の長所・短所」を考えたとき、結局自分を賞賛することへの抵抗(恥じらい)から、短所ばかりが浮かび上がってくるのと似たようなものだ。自己分析・自己表現ができるか、ということにも繋がるのだろうが、そういう意味でも僕はかなり自己分析・自己表現が劣っている、ということなのだろう。

先般の審議会の議事録起こしのため、ボイスレコーダーを再生したところ、自分の口調が強烈なぐらい父に似てきていることに気づいた。

と同時に、その審議会の場において一人だけ、自分でも赤面するぐらい訛りがきつくなっていることに気づいた。さらに、自分で確信が持てないところになると、どうしようもないぐらい早口でまくし立てている。

会議の場で説明するスピーカーとしては、最悪のモデル。これが宴会の司会になると急に滑舌が良くなるんだから、どうしようもない。

かれこれ40年、早口でわかりにくい、という批評はいろんなところで聞かされてきたので、昨今は電話でも打合せの場でも極力ゆっくり話しているつもりなのだが、気がつくとメトロノームのテンポがどんどん速くなっているらしい。

しかし何より自分のこの訛り具合にはちょっと衝撃を覚えた。そういえば妻と付き合い始めた当初、妻の友人がこぞって「のんべ君は訛りがきつい!」という事を言っていたことを聞いたことがある。それはそれでショックだったのだが、如何せん生活環境がそういう場所なんだから、こればかりはいくら矯正しようにも矯正することができないと割り切っていた。

しかし、さすがに仕事に就くようになってから気をつけるようにしていたのだが、改めて自分の話している口調を聞いてみると、僕の訛りは弘前市民としては結構キツい部類に入るのかも知れない。

まぁ、これを治すとすれば、僕の場合まず先に歯の治療をしなければならないような気がするんだけど...(謎)。

ところで皆さん、自分の好きなところ、長所、三つ挙げることができますか?
僕はやっぱり「うーん...。」でした(笑)。