2012年11月 4日

「第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前」に参加してきました。


11月3日、4日の両日、弘前市で行われたフォーラムに参加してきました。
当初、基調講演を行う吉田類氏を一目でいいから見てみたい、というミーハーな思いしかなかったのですが、市民向けに提供されることとなった150名分の無料整理券を入手するのは物理的に困難だな、と思い、フォーラムそのものへの参加を決めました。
初日(3日)は、午前中に基調講演、午後が分科会とトークセッション、2日目(4日)は、6つのコースに分かれたエクスカーションという内容でした。

9時から始まった受付を済ませ、会場に入ると、大きな会場の半分以上が仕切られており、非常にこぢんまりとしていました。
何か、思った以上に人の少ないフォーラムだな...。

9時30分から開会式、10時からのオリエンテーションが終わると、後ろに置かれていた仕切りが外されました。
その後ろには、無料整理券を手にした市民の方々が...。なるほど、こういうことだったのね。

いよいよ基調講演の始まる10時30分となりました。事前にフォーラム参加者からの質疑応答で、「講演中の写真撮影は可能ですか?」という質問が出されていましたが、主催者側から、講演中の写真撮影は遠慮頂きたいこと、ただし、講演終了後に写真撮影の時間を設けることが発表されると、会場からは拍手が沸き起こりました。(ところがこれが後でとんでもない混乱を招くことに...。)

10時35分、吉田類氏登場。会場には歓声と拍手が響き渡ります。吉田類氏が何者なのかはここでは割愛しますが、僕が彼を知った頃、こんな拍手を浴びるような有名人ではなかったぞ...。

さて、講演内容の概要を箇条書きで。...あ、その前に。基調講演のテーマは「夜の街歩きの楽しみ方-酒場の呑(ノ)ミュニケーション論」だったのですが、ハッキリ言ってテーマとまるで違う方向の話題に進んでいきます。でも、それはそれで面白かったです。ちなみに青森県に入ってから4日目(!)だそうで、青森、八戸と回り(もちろん飲み歩きしていたらしいですが)、前日に弘前市郊外のりんご園で雨に祟られ、少々風邪気味とのこと、確かにちょっと辛そうな感じでした。

・吉田氏の出身は高知県。清流(仁淀川)の流れる綺麗なところだが、杉の人工植林を行い放置した結果、山が荒れてしまった。地元にはほとんど戻っていない。
・吉田氏と言えば酒の飲み歩きというイメージがあるが、実は山歩きが大好き。中部山脈から北海道まで、たくさんの山を歩きながら、イワナ釣りなどに興じていた。昔は登山家のような生活をしていた。山を下りると、酒、温泉、郷土料理がワンセットとなって待っていた。酒を飲んでいなければ、こんなにいろんな人たちと親しくなっていなかった。
・酒が入ってしまうと、人と敵対することはまずない。敵対関係になるような酒の飲み方は、その人の資質。
・酒が旨いところは、水がうまい。水がうまいということは、すぐ近くに山があるということ。山には、四季がある。青森は、その四季を持っている。
・酒は、コミュニケーションを取る手段の一つ。人間は孤立したら何の意味も持たなくなる。コミュニケーションの場を持つことが必要。
・大町桂月の名前を出しても、高知、北海道、青森の人しか反応しない。高知で生まれ北海道、そして青森に渡り歩き、八甲田の蔦温泉で一生を終えた。吉田氏自身も、大町桂月のような生き方をしているような気がする。
・ちなみに吉田氏、白神山地を山歩きしようと思ったが、北海道に先に渡った。そこでいろんなルーツを知ることに。
・自然を残すために人の手を入れないという考えは間違い。自然と人間が共存するためにはうまく付き合うことが必要。
・酒は健康のために飲んでいる(会場内、大きな笑い)。精神的な縛りを解いてくれるのが、酒。
・酒場は観光産業を支える一つ。街に酒場が充実していると、賑わいが創出される。

...といった感じです。この他、実は弘前市内の酒場を放浪したらしく、その模様はそのうち放映されるようです。(店の名前もおっしゃっていましたが、敢えて伏せておきましょう。)

そしてそして!!何と吉田氏、前日に僕の住んでいる町内を散策していたらしいのです!!ひょっとしたらこちらも放映されるかも知れません。楽しみにして待ちたいと思います。

基調講演終了後、写真撮影に応じた吉田氏。ところが、ここで吉田氏が降壇し、一般客との記念撮影に応じ始めたものだからもう大変。俺も私もと人が殺到し、収拾がつかない状況に陥ってしまいました。結局吉田氏が会場を後にすることでようやく混乱は収束しました。(ちなみに僕も近くまで寄りましたが、あまりの人の多さに辟易し、写真を数枚撮影して一目散に退散しました。)


フォーラム参加者はここから分科会に分かれます。第2分科会にエントリーしていた僕と妻は、バスに乗って市の中心部にある「津軽弘前屋台村かだれ横丁」に移動し、昼食を頂きました。(ちなみに昼食代も大会エントリー料の2,000円に含まれていました。)
第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前

ここから、弘前路地裏探偵団のエスコートにより、3つのグループに分かれて弘前市の中心市街地である土手町界隈をまちあるき。
参加者12名で構成された第1グループは、弘前路地裏探偵団のオダギリユタカさんの案内により、以下のルートを散策しました。実はこの他にも立ち寄っているところがあるのですが、敢えて省略します。だって、教えたくないんだもん(笑)。

かだれ横丁(弘前路地裏探偵団の皆さん)
第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前


百石町展示館
第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前


世界一小さいりんごグッズ博物館
第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前


しまや手芸店
第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前


(土淵川沿経由)
第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前


蓬莱橋広場
第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前


一戸時計店
第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前


弘前中央食品市場
第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前


BUNAKO
第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前


どて箱
第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前


久三郎
第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前


まちなか情報センター

弘前昇天教会

中央弘前駅
第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前


(新鍛冶町経由)

かくみ小路

川越黄金焼店
第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前

再びかだれ横丁に戻ってきた我々は、バスに乗車しホテルへ移動、トークセッションに出席。
(社)弘前観光コンベンションの坂本事務局長のコーディネートにより、長崎コンプラドールの桐野理事長、NPO法人北九州タウンツーリズムの大内田代表理事、函館市の小笠原観光振興課長、合同会社西谷「たびすけ」の西谷代表による事例発表が行われ、最後に「まちあるきを漢字一文字で表すと?」という問いかけに対し、桐野さんは「愛」、大内田さんは「交」、小笠原さんは「繋」、西谷さんは「人」という文字を掲げ、坂本事務局長が総括して「楽」しかったですね!と一文字掲げ、初日のフォーラムが終了しました。

二日目はあいにくの雨模様。遠い人では秋田県大館市と小坂町のまちあるきを体験、その他弘前市と近隣の5つのコースに分かれたエクスカーションが行われました。
僕は弘前市内特別コースということで、りんご公園と津軽藩ねぷた村を回り、午後12時過ぎに全ての日程が終了しました。

りんご公園にて。
第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前

津軽藩ねぷた村にて。
第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前

さて、「漢字一文字で。」という問いかけの時に、僕は漢字ではなくひらがな一文字が浮かんでいました。

それは、「と」。

将棋の駒、歩兵の裏には「と」と書かれていることは皆さんご存じでしょう。歩兵は、1駒ずつ進んで敵の陣地に入ると、ひっくり返って「と金」になります。
昨日は多くのボランティアの方やガイドさんが参加されていましたが、まちあるきのボランティアの方もガイドさんも、「歩兵」になることを目指せばいいのではないかと思いました。

考えようによっては、歩兵というのは、常に裏に「金=お宝」を隠し持っているわけです。歩いて歩いて歩いて、やがてその人しか知らない「と金=お宝」を手に入れる。そして、人「と」人を結びつけ、人「と」地域を結びつける...。

僕はボランティアでもガイドでもありませんが、僕しか知らない「と」を持ちたい...昨日まちあるきを実践してみて、あまりにも自分が住んでいた街を知らなかったことに愕然としながら、そんなことを思った次第です。

ここ最近は車ばかりで街を素通りしていたような気がするので、たまに自分の足で、いろんなところを散策してみたいと思います。
関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。

最後になりますが、今回掲載した画像を含めたフォトセットを作成しました。もしよろしければご覧下さい。

2012年10月28日

「東北オフサイトミーティング 第12回勉強会 in ひろさき」に参加してきました。


10月27日、勉強会に出席してきました。
この勉強会は、これまで東北5県で開催されてきましたが、青森県内で開催されるのは今回が初めてなのだそうです。
僕自身、このような勉強会に参加したことがこれまでほとんどなく(協働に関するNPO関係者などとの意見交換会に数度出席したぐらい)、また、実のところどういった内容なのか全く想像がつかず、期待と不安に胸躍らせながら、会場となった弘前市立観光館に向かいました。

開始時刻の13時頃には約80名の方々が会場に集まり、名札を見ると「酒田市」や「神奈川県」の文字が...。地元だけではなく、東北地方を中心にあちこちから人々が弘前市に結集した、というわけです。
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オープニングのあと、葛西弘前市長による「約束が生み出す、まちのダイナミズム」と題した基調講演。

昨年マニフェスト大賞を受賞したその内容をかいつまんで説明しながら、まずは市長自身が「聴く」姿勢を重視し、対話路線を堅持していること、弘前市はまちづくりに携わる市民の割合が非常に多いと感じていること、その他管理型ではなく経営型の市政運営、若者を軸としたまちづくりへの取組みが披露されました。
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質疑応答では、マニフェストの中でも最も重要視していることは何か、議会とマニフェストの関連は、といった点について市長からの見解が示されました。

続いて、一般財団法人白神山地財団の渋谷拓弥理事長、北東北めぐみネットワーク会員である秋田県の滝本法明氏から事例発表が行われ、休憩を挟んだワークショップへ。

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このワークショップでは、5~6名が一つのテーブルを囲み、弘前市長のマニフェストをベースとして策定された「弘前市アクションプラン2012」の内容を検証し、客観的な評価を行いました。

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僕が目にとめたのは、「市民参加型まちづくり1%システム事業」。
市民税の1%、約6,000万円の予算を原資として、市民から公募によって選ばれた審査員が事業内容の審査を行い、上限50万円(補助率90%)で補助を行う、という内容なのですが、実施内容を見ると、事業応募数44に対し採択事業数が28、交付数は23となっていました。
予算規模を考えると、仮に採択された全事業に50万円の補助を行ったとしても1,400万円、そして採択率が70%を切っているという状況に、この事業の周知や審査基準の説明が不足しているのではないかと感じたのです。
実際、この事業の説明会が町会長やその関係者を対象として行われていることや、採択率を鑑みても、事業のハードルが高いのではないか、申請の道を閉ざさないという観点から、フィードバックや不採択となった理由の開示を行っているか、といったことを意見として述べました。
この事業に関しては、事例発表を行った秋田県の滝本さんも同じような感想を抱いていたとのこと。一方で、市民の行政感覚を醸成するといった観点からすると、事業そのものの実施については評価できるといったこと、若者がもっと参加できるような機会を提供する必要があるのではないか、といった説明がなされました。

この他、給与決定に係る市民評価の反映、車座ミーティングへの評価、市民評価アンケートの実施や自治基本条例制定に向けた取組みについての意見が同席した方々から出されました。

こういった内容を具体的に評価する機会自体がほとんどなく、客観的とはいえ、気がつくと結構本気になって内容を精査していたことに気付いた自分。こういうセミナーに参加して自分の行政感覚を磨くというのも楽しいな、と思った、というのが今回の「気づき」です(すいません、こんな感じで、イベガ?)。

ワークショップ終了後、第2会場に集まり、エンディング。各県の代表による挨拶と、主催地となった弘前市を代表して、柴田義博さんからの挨拶で、勉強会は大団円。

勉強会終了後の交流会も非常に盛り上がり、いろんな方々とご挨拶をさせて頂きました。一方で、ご挨拶することができなかった方もたくさんいて、むしろ時間が足りないぐらいでした。

今回、この会を青森県で開催するに当たり尽力された金渕さんをはじめ、関係者の皆様本当にお疲れ様でした。そして、僕のつたない話に真摯に耳を傾けて下さった秋田県の滝本さん、誰よりもこの会に誘ってくれた平川市の齊藤さん、本当にありがとうございました。

また、今回のこの勉強会を機に新たな繋がりが生まれた方々、そして、旧交を深めた方々、皆さんにも御礼申し上げます。
今後ともよろしくお願いします。

次回は陸前高田での開催だそうです。...都合が合えば、是非行きたいな。

2012年8月10日

新公益法人制度への移行を目指すにあたっての注意点


平成20年12月に公益法人制度改革が行われ、新公益法人制度への移行がスタートしました。これまで、旧民法の規定により設立されていた社団法人・財団法人は、新公益法人三法の施行により「特例民法法人」と位置づけられ、平成25年11月末までに「公益社団・財団法人」又は「一般社団・財団法人」への移行を選択することが迫られ、所管行政庁に対して移行認定又は移行認可の申請を行わなければなりません(移行期間内に申請しなかった場合、「みなし解散」という扱いになる)。

既に制度施行後3年以上が経過し、残すところ1年4か月弱。全国における申請件数が7月末でようやく11,000件近くまで伸びてきたものの、まだ全体の5割にも達していない状況で、今後駆け込みでの申請が大幅に増加することは、火を見るより明らかであると言われています。

青森県に目を転じますと、今年7月末現在で移行認定・移行認可合わせて150件の申請がありました(うち処分済は118件)。これでも、申請を予定している法人全体の4割強と考えられ、今年度だけで150件程度の申請があるのではないかと予想しています。申請のピークは9月から11月頃、これまでの説明会などで「申請から認定・認可までは概ね4か月」というお話をしてきていますので、そこに照準を合わせてくる可能性が高いと考えています。

私事になりますが、これまで2年4か月間にわたりこの制度に携わり、各法人から提出された申請書類の審査を行ってきました。

この間、法人からの申請書類や既に移行した法人の運営状況を拝見して、気づいた点や注意して欲しい点がありますので、今日はそのことについてお話しようと思います。
長くなりそうですが、参考になれば幸いです。

1.申請して、認定・認可を受けることが全てではない。移行後の法人の体制を見据えることが重要。

公益・一般ともに既に移行した法人もじわりじわりと増えつつある中、こちらにも事業報告や公益目的支出計画実施報告等の定期書類が提出されるようになりました。
そのいくつかの内容を見て、ビックリしたことがあります。

というのも、申請時に記載している事業内容や予算と、まるっきり異なる報告がされることがあったからです。
法人に事情を聞くと、「これまでもこういう運営をしていた。」「途中で事業の内容が変わった。」と、これまたビックリするような回答。
では、「これまでこういう運営をして」きた内容をなぜ申請書類に記載しなかったのでしょう。「事業の内容が変わ」る前に変更認定を経なければならないことに、なぜ気づかないのでしょう。
このことから垣間見えるのは、「取りあえず申請さえ通ればいい」という法人側の安易な考え。そして、法令遵守(コンプライアンス)という観点が決定的に欠落しています。
結局これらの案件に関しては、計画の変更に当たるということで、変更の認定申請や認可申請を求めることとなりました。
申請時に適切な事業整理と区分経理を行っていれば、こんな面倒な手間を図る必要がなかったはずなのに...。もっとちゃんと相談してくれればなぁ...と思った事例でした。

2.あっちもこっちも参考にしない。

公益・一般いずれに移行する場合も、「定款変更案」を作成し、機関決議しなければなりません。本県では、内閣府が作成した定款変更案雛形を独自に改訂し、本県版の「定款の変更の案」作成例を示しています。
ところが、こういったことがありました。

「定款変更案を見て欲しい」ということで内容を見てみると、第32条の次に第25条があったり、同じような条文が複数記載されていたり、体裁もさることながら、内容もメチャクチャ。
「すいません、これ、何を参考して作成されましたか。」と伺ったところ、「内閣府の雛形と市販の書籍を2冊。」という回答がありました。
移行手続を勉強する、という思いに駆られ、書籍を購入したところ、それに記載されていた定款変更案を参考に作成してみたが、どうも腑に落ちないところがあり、他の書籍を購入、更には内閣府の雛形があることを知り、それを参考にしてみた...とのこと。
残念ながら、これでは法律等に適合する内容以前のお話し、ということになってしまいます。

定款変更案は、なるべく一つの例を参考にして作成すること。もう一つは、作成した後の案を、複数の人たちで確認すること。
一人で作成し、その人だけが確認した、という変更案には、必ずといっていいほど誤字脱字や漏れが散見されます。

3.最後は行政が何とかしてくれるという考えは捨てる。

法人との打合せの中でたまに耳にするのが、「移行後も面倒を見ていただけるんですよね?」という言葉。正直、この法人に主体性はないのか?と耳を疑ってしまいます。
そもそも新公益法人制度は、「主務官庁の裁量権を排除し、できる限り準則主義に則った認定等を実現することを目的と」したものです。

特に、一般社団・財団法人に移行した場合、公益目的支出計画が終了した時点で行政庁の監督なしで自立的な法人運営をすることが可能となります。また、公益社団・財団法人に移行した場合は、関係法律の厳しい規定はあるものの、基本的にはこちらも自主的に法人運営することが求められます。

移行を審査する側としては、「移行のお手伝いをする」というスタンスで臨んでいますが、法人のガバナンスや説明責任が求められる中にあって、「移行後の法人運営に口を挟む」ことは全く考慮していません。ですから、「民による公益の増進」が最大の目的の一つであるこの制度改革、質問や相談には出来る限り適切に対処していきますが、行政側が面倒を見るということはハッキリ言ってありません。
この点を履き違えないようにしてください。

4.他都道府県が公益法人に移行したから、うちも公益?

「他都道府県で類似の事業を行う法人が公益法人に移行したのだから、貴法人も公益法人に移行できます。」

残念ながら、この新公益法人制度を支援するはずのコンサルタントの方で、こういったことを平気で口にする人がいることを耳にしました。
公益法人に移行するためには、事業の公益性(公益事業を行うという趣旨ではなく、その事業を行うことでどういった公益を生み出すかという趣旨)、会計基準(収支相償、事業比率、遊休財産保有制限等)など、全部で18個の基準を全てクリアすることが求められます。

類似の事業を行う法人と、法人の体系も事業も会計も全く同じだというのであれば、移行も可能でしょう。しかし、理事会や評議員会の構成はもとより、事業規模、事業範囲など、他県と全く同じ法人はないはずです。これをおしなべて横並びにして「他県も移行したからうちも大丈夫」という判断をするのは、あまりに危険すぎます。

5.僕たちは、意地悪をしているのではない。

どこからともなく聞こえてきたのが、「東北6県は審査が厳しい」という声。もう、残念というかガッカリというか、そういう風に見られているんだと思うと、何だか情けなくなってしまいます。
全国的に公益法人への移行の比率が高まる中、青森県は依然として一般法人への移行比率が高く、「行政側が法人に対して公益ではなく一般への移行を誘導しているのでは」と、とある関係誌にも掲載されているのを拝見しました。

木を見て森を見ず、とはこういうことを言うのでしょうね。
本県では、他県と異なり、財団法人化された県立高等学校の後援会が非常に多く(40校以上)、これらの法人は、全て一般法人への移行を進めています。このため、一般への移行比率が高い、というわけです。

確かにこれまで、法人側において不特定多数性や事業の公益性について説明できず、公益から一般法人への移行にシフトしたケースがあるのも事実。しかしそれは、こちらからそうしろ、と言ったワケではありません。数の中には「県がそう言った」と捉える法人もあるのかも知れませんが、公益・一般いずれに移行するのかを最終決定するのはあくまで法人の機関決議によります。

我々としては、できる限り法人の意向に沿うように審査を進めています。その間、明らかに疑義のある点、明らかではないものの不透明な点については、法人側への説明を求めています。もしこれを「意地悪」と捉えられるのであれば、それは本意でありません。
前述の通り、我々は移行後の法人運営を見据えて審査を行っています。裏を返せば、移行後の法人運営が危ういのであれば、当然何らかの対応策を検討することを求めざるを得ません。そしてそれは、決して「意地悪」をしようと思ってしているわけではありませんので、ご理解を。

6.バカ正直で構わない。

先日とある法人と申請に向けた打合せをしていた際、一般正味財産と指定正味財産について質問を受けました。支出計画の実施期間に影響を及ぼすことから、こちらとしても慎重に回答させていただきました。結果、20年と試算していた支出計画の期間は60年に。

適正な経理処理をしていたにもかかわらず、苦虫をかみつぶすような表情で「バカ正直になりすぎたな...」と呟いたご担当者。
私も思わず苦笑いしながら、「バカ正直で構わないんですよ。」とやんわりと制しました。

やましいことを隠そうとしたり、ウソをつくことは、必ず後で綻びが出てくるものです。
むしろ適正な経理処理を行っているんだと、胸を張っていただきたいものです。

7.終わりに

申請の期限まで残すところあと1年4か月。本県ではこの後、200件前後の法人が移行申請してくることが見込まれます。
今後の申請に当たっては、申請の集中する時期にも当たるため、申請から答申決定、認定・認可までの「4か月」という目安の期間ですら怪しいのではないかと考えています。

自分たちではわかりきっていることを活字にして説明することは、簡単なようで意外と難しいものです。意外と先入観が働いて、きちんと説明できないんですね。
私たちも各法人の事業全てを知り尽くしているのであれば多くの説明を求める必要はないのですが、残念ながら全てを知り得ているワケではありません。

今日ご紹介したのは、ほんの一例に過ぎず、法人によって個々の事情はそれぞれ異なります。
ですから、わからないことがあったり疑義が生じた場合は、できる限りゆとりを持って、早めに相談されることを、強くお勧めします。
残すところ1年と4か月。一見するとまだ1年以上もあるように思われますが、その間に理事会や総会、評議員会を何度開催するかを考えると、それほど時間は残されていないはず...。

最後になりますが、くれぐれも、「認定認可を受けるための申請書」づくりを心がけるのではなく、「認定認可を受けた後の法人運営を見据えた申請書」づくりを心がけていただくよう、切にお願いします。