ついさっきの出来事
浴衣姿の珍奇なその男は、何と高見盛だった!!
話しかけようとしたら、先に気付いたオバちゃんが「高見盛さんですよね?」と言いたげにヤツの方を凝視しているのに、何と無視しやがった。
大した成績も残していないのにふてぶてしい態度!!
端で見てガッカリだよ。あれじゃ相撲ファンも嫌気が差すだろうに。
2008年9月30日
2008年9月29日
2008年9月26日
2008年9月25日
弘前市議会から、議会最終日に父に対する追悼演説を行うという申し出があり、母と二人で弘前市役所に出かけた。
思えば、父の在職中も含め、議場(傍聴席)に足を踏み入れた記憶がない。今更だが、父の一般質問を一度でもいいから聞いておけば良かったと思った。
父が座っていた20番の席には、綺麗な花が手向けられていた。そこに父の遺影を飾り、父、母、そして僕の3人でカメラに収まった。
しかし、父は額縁の向こうで微笑んでいるだけだった。
その後、父が腰掛けていた20番の椅子に座らせて貰った。母はやはりまだ父の死を現実として受け入れることができないらしく、椅子に腰掛けたまま泣いていた。
一旦控え室に戻り、事務局の方からいろいろ思い出話を聞かせて貰った。議場では熱く弁をふるっていたこと、真摯に議会の運営に取り組んでいたこと、そして決して信念を曲げなかったこと、その思い出話の一つ一つは、僕の知らない父の姿だった。
その後、議会運営協議会を終えたばかりの議長がわざわざ来て下さった。議長と父とは、古くからの知り合いで、今回の件についても議長は「残念でならないし、未だ信じられない。」とおっしゃっていた。やはり母は涙をこぼしていた。
「頑張って下さい。」とがっちりと握手し、議長が部屋をあとにした。
午前9時50分。議場の傍聴席に向かう。傍聴席には既に10名ほどの人が座っていたが、我々の知る顔は二人だけで、あとは委員会報告を傍聴しにやってきた人たちと見受けられた。理事者(役所の幹部職員)のほとんどは席に着いていた。最前列中央に席を用意して頂き、お礼の意味も込めて深々と頭を下げると、理事者側に座る人たちも全員こちらに向かってお辞儀して下さった。
次々と入ってくる議員の多くも、父の遺影を見て感慨深げな表情を浮かべる。中には、こちらの存在に気づき、お辞儀をしてくる議員もいた。
10時過ぎ。開会の鐘が打ち鳴らされ、議長から「去る9月7日に逝去した蒔苗宏議員に対する追悼の演説の申し出がありましたので、議長からこれを許可します。29番藤田隆司議員。」
藤田議員の登壇とともに、我々二人もその場に起立する。
藤田議員による、これまでの父の功績を称える演説に、母は涙し、僕も涙が溢れそうになった。
僅か5分程の演説ではあったが、実にありがたい言葉だった。
空席となった20番の席については、任期満了に伴う2010年の市長選と同時に市議の補欠選が行われるそうだ。
誰が座っても、市の発展のために尽力して頂きたいという想いと、議員としての父への慰労、そして現職議員の方々の益々の活躍を祈念して、深く一礼し、議場を後にした。
2008年9月23日
2008年9月19日
2008年9月18日
2008年9月16日
2008年9月14日
突然やってきた父との別れ。
現職市議の衝撃的な死は、マスコミにとって格好のスキャンダルとなり、その対応に非常に苦慮した。
何故?どうして?みんなが問いかける。しかし、真実は父の胸の中に秘められたまま。だから、「本人に直接聞いて下さい」と切り返すしかなかった。
僕は喪主として父を送り出すことになった訳だが、何が何だかわからぬまま一連の儀式を終え、初七日を迎えた昨日、納骨を済ませた。
火葬場に集まった人、約200名。お通夜に参列した人、約850名。うち、会場に入りきらなかった人、約100名。お葬式に参列した人、約200名。
これらの数字が、父がいかに偉大な人物であり、そしていかに人に慕われていたかを表すものだと思った。
僕たちは、最後まで家族を守るために万策を尽くし、そしてこの世を去った父を誇りに思う。喪主挨拶でも、僕はこのことを申し述べさせて貰った。
あれほど嫌気がさしていたはずなのに、今は少しでも父の側にいたくて、遺影の前からなかなか離れることができない。
父を送り出したのに、未だそのことを現実として受け入れられないのも事実。ふと父を思い出しては、落涙する時間を過ごしている。
今はただ、時間だけが僕たち家族にとって心を癒す薬となっている。
でも、そっとして欲しい反面、誰かに優しい言葉を掛けて欲しいのも事実だ。しばらく傷は癒えそうにない。
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父の訃報に接し、このブログをご覧頂いている多くの方々から御弔意、御弔電等を賜りました。本来であれば直接御礼を申し上げるところでありますが、取り急ぎこの場をお借りして深く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
2008年9月 3日
○8/30
恒例というか定例というか、いつものメンバーと久しぶりの飲み会。1次会から参加は5名。
こちらからサザンのコンサートレポートを伝えた後は、各自近況報告。何か話を聞くと、サザンのチケットをゲットできた確率は結構高かったらしい。
それにしてもみんな、もうすぐ不惑だねぇ。
2次会にてタガシ先生合流後。うーん...こうやってみると風貌もやってることも、みんなオヤジだなぁ...。というか、数名既に目が飛んでるんだが...あ、俺もですか。
2次会からやってくるタガシ先生ご指名の店で彼がやってくるのを待っていると、「今日釣れた」マダイとチダイを持参。すぐに店のオヤジさんに裁いてもらい、無言もしくは「うめぇ!!!」の絶叫で堪能。ごちそうさま!
マダイよりチダイの方が人気がありました。この他に、カブトの酔っぱらい煮(酒蒸し)も登場。
...普段ならこの辺で「それじゃまたねー」となるはずなのだが、何故か今日は全員元気がいい。それじゃ、もう一軒行っちゃいますか。と、スナックに乱入。
ちょうど日曜日になった前後の時間、この頃には既に記憶がまだらで、多分彼がこうやって唄っているということは、吉川晃司でも熱唱しているのでしょう。うーん、やっぱりオヤジだ!
飲めや歌えや大騒ぎで(この頃からザワ先生ともども記憶が飛び始める。多分ザワ先生は無意識で曲をチョイスしていたはず!)、結局大団円となったのは午前2時!請求額を見て更にぶっ飛んだ!!!(金額は思い出したくなくて書けません)
○8/31
予想通り死に体に。物凄い倦怠感が全身を襲う。身体を動かそうにも、思うように動かないぐらい疲れがドッと押し寄せている。妻からは「学習しないねぇ」と呆れられる。結局午後1時過ぎまで動くことも出来ず、せっかくの1日が無駄に終わってしまった。
二日酔いでこんなに何も出来なかったのは、記憶がない。相当飲んだことは間違いないのだが、どれぐらい飲んだのかも思い出せないのだ(当たり前か)。
当然の事ながらこの日はビール1滴も飲む気になれず、午後10時過ぎに就寝。ちなみにこの日の睡眠時間、14時間。嗚呼、俺はナマケモノか。
橋上にある説明書き。ここから約5キロ北まで基礎工事を完成させたまま、日の目を見ることはなかった。
鉄道が来るはずだった、ということだろうけれど、下がコンクリートで綺麗に整備されていて、何かリアリティに欠けるというか、いかにもモニュメント、といった雰囲気がプンプンしている。
結局この日はずっと霧が晴れなかった。そして翌日は雨だった。トホホ...。
ビール2本飲んで部屋に戻ると疲れがドッと出たのか、22時頃にはテレビを付けっぱなしのまま眠ってしまった。
この他に別皿として、透き通ったイカ刺しを頂きました。ちなみにこれにプラス4,000円すると、鮑が付くらしい。