2009年2月27日

ナップスターのお試しをお試し中。

ドコモのiメニューを立ち上げたら、布袋のオッサンがヌゥッと現れ、ナップスターでの最新アルバム配信が始まったことと、無料お試し期間があることを宣伝していた。

ナップスターといえばその昔、著作権を無視したネット上での違法配信で名を馳せ、その流れは未だ燻っているといってもいいだろう。言葉がおかしいかもしれないが、いわば、ファイル共有の先駆け的な存在だった。

その後裁判やら何やらを経て今のサービス体系が構築されている訳だが、ナップスターにとどまらず、iTunesやMoraといった音楽配信サービスは複数あり、どのぐらいのレコード会社と提携しているかが、いわば鍵となる。
ナップスターを巡っては、賛否両論意見が分かれているようだが、結局は個人個人が好みのアーティストの楽曲を手に入れることができるか否か、賛否両論はこの一点に尽きるような気がする。

さて、僕の個人的な考えとして、携帯で音楽を聴くことは、バッテリーの持ちを考えると憚られることこの上ないのだが、せっかく布袋のオッサンが青い目をして訴えかけているので、試しにどんなものか覗いてみることにした。
ちなみに僕の携帯電話には写真の保存用に2GBのmicroSDが装着されているし、中身はあまり入っていない(自分で転送したプリンスの楽曲で900MBぐらい占めているが、実際のところ携帯電話で音楽を聴く機会はほとんどない)。

どちらかといえば洋楽に重きを置いている感のあったナップスターは、昨年12月にEMIミュージック・ジャパンと配信にかかる合意に達し、一気に提供できる邦楽を増やした(ちなみに布袋のオッサンもEMI)。

マイメニューに登録した後、ナップスターの携帯サイトを見てみると、EMI所属アーティストの名前がずらりと並び、提携したばかりのEMIにちょっと肩入れしているようにも見えないことはないのだが、洋楽でもU2の最新アルバムが配信されているほか、結構選り好みな顔ぶれが並んでいる。
実のところ、サービス内容もよく確認しないままに、まずは帰りの電車の中で一気呵成にDLをしてみたので、microSDの容量がちょっとだけ減った。
一曲の容量は1~3MB程度で、DLに要する時間は1分程度なので、帰りの電車の中では電波の届かないトンネル内を除いて、約30曲をチマチマとDLした。ただ、家に着く頃にはバッテリーがほとんどなくなっていた。
だから、使い方としては「聴いてみたかったけど購入までは至っていない楽曲を試聴する」ぐらいの気持ちで臨めばいいのだろう。マニアックなものを一人聴いてみるのも楽しそうだ(怪しい...)。

今朝、久しぶりにiPod以外で音楽を聴いたが、イヤホンを介した音質はまあまあだった。

ドコモにしてみれば、音楽配信ではauに完全に遅れを取っており、ナップスターを起爆剤にしたいところだろうが、相も変わらず後塵を拝していることは否めない。
そんな中でナップスターがEMIと手を組んだことは、遅れを取り戻す契機にはなるかも知れない。

一週間以内にマイメニューを解除すれば、無料だということ。ただし、解除すれば、その時点で聴けなくなる仕組みもちゃんと組み込んでいるらしい。そりゃそうだよな。
ただし、パケ・ホーダイにしていない方は要注意。調子に乗ってDLしまくっていると、パケ死すること必至です。

もっとも、ドコモには音楽配信事業の強化よりも、携帯電話のメッキを強化してほしい、というのが僕の願いなんだけどねぇ...。

2009年2月25日

はじめての一人旅

この間の電車トラブルは、前向きに考えれば貴重な経験だったのかもしれない。
以前、豪雪の影響で、同じ駅に停車したまま1時間30分身動きが取れなくなったことがあったが、あの時は駅に停車している分、出入りは自由だった。

今回はそれを超える約2時間20分。しかも自由の効かない身。こんな長時間に渡って電車内に閉じこめられるという経験もそんなにあることではないかな、とか思ったりもしたが、今思えば、昔の汽車なんていうのは一つの駅に1時間近く停車したり、実にのんびりしていたんだな、ということをふと考えた。

多分、今回のトラブルが30年も前に起きたトラブルだったら、おそらく乗客は勝手に扉を開けて、お構いなしに車外に出てしまったことだろう。30年前は、いろんな意味で「ゆるい」時代だった。少なくとも、今のこのご時世よりは、「ゆるい」時代だった。

だから、父母は多少の躊躇をしながらも、僕を幼い頃から一人旅させてくれたのだろう。可愛い子には旅をさせろ?(笑)

...僕が初めて「一人旅」をしたのは、小学1年生の時だった。まだ国鉄だった時代、そして弘前駅構内に鳩が飛び交っていた昭和50年代前半、自動券売機などあるはずもなく、自宅からタクシーに乗せられ、一人で弘前駅にやってきた僕は、券売所で思いきり背伸びをして「○○まで、こども1枚!」と切符を購入したのだった。
16時台に弘前を出発する、青森発酒田行き鈍行列車。まだ電車ではなく汽車だった時代。
長々と茶色や青色の客車が連結されていた時代、ニスの香り漂う客車は、まだボックス席だった時代。窓の下に取り付けられた小さなテーブルには、栓抜きが据え付けられていた。たばこを燻らせようが酒を煽ろうが、リンゴの皮を剥いていようが、誰からも咎められることのない、そんな「ゆるい」時代だった。
偶然同じ席に座ったおばちゃんや女子高生(今思えば、声を掛けてくるのはなぜか女性ばかりだった気が...)には、「どこまでいくの?僕、いくつ?」と怪訝そうにじろじろ見られ、そんなことはつゆ知らず「○○まで!おばあちゃんのところに行くの!」と元気に答えていた三十数年前。僕が小学1年生だということを知ると仰天し、冷凍ミカンをくれたおばちゃんもいたな...。

大館駅に到着すると、今では見かることのなくなった売り子が「弁当~弁当~」と声高に響かせ、ホーム上で大館名物の「鶏飯」を手売りしていた。

途中駅での乗り換えも含め、ガタンゴトンと汽車に揺られること約3時間半。初めて一人で祖母宅を訪れたときは、誰もが母の仕掛けたドッキリだと信じて疑わなかった(思えばこの頃から、我が家の「ドッキリ仕掛け」が始まったのかも。これについてはまた後日)。
しかし、本当に一人でやってきたことを知ると、一同これまた仰天。

やがて僕の一人旅は妹との二人旅になり、夏休みになると祖母の家に汽車に揺られて行くことは、僕にとって年中行事の一つの楽しみとなっていた。
大館駅から乗車してきた(悪意のない)酔っ払いに絡まれて困惑したこともあったな...。
時々乗車することのできた上野行きの急行列車の車内で販売されていたカップ入りのアイスクリームに虜になったこともあったっけ。

やがて時代は移り変わり、地方線は軒並み廃止→第三セクターへ移行の憂き目に遭い、祖母の家に向かう路線も第三セクター化された。翌年国鉄からJRへと移行する頃には、車社会が全盛を迎え、僕の一人旅、そして妹との二人旅もほぼ終焉を迎えていた。

今、小学1年生が一人旅できるような時代ではなくなった。小学校の低学年が一人で電車に乗っていたら、誰だって不審に思うだろうし、恐らくすぐに保護されてしまうことだろう。そして、親が叱責され監督責任を問われてしまうような時代。

何かといえば雁字搦めの、何とも居心地の悪い世の中になったものだ。

2009年2月24日

繁忙期

気がついたら、人為的なミスにより電車に閉じこめらたという悪夢のような出来事から1週間も経っていた。

(ちなみにあの出来事の顛末)
奥羽線信号機トラブルは人為ミス

十七日午前八時ごろ、JR青森駅構内で信号機トラブルが発生した問題で、トラブルの原因が、信号への入力を誤ったことによる人為的ミスだったことが同日、分かった。このトラブルで、ホームから数百メートル手前で停止した快速列車の乗客約六百人が約二時間車内に閉じこめられるなど、計約千八百人に影響した。

この時期は年度末が近づいているということでいろいろ忙しく、時間が経つのは本当にあっという間である。それにしても今月のブログ更新は、ブログを立ち上げてから最低の頻度になってしまった。
事実、いろいろネタにしたいことはあるのだけれど、何せそれをまとめ上げる余裕がない、というのが現状だ。

先月下旬から、副社長がこちらの制止も聞かずに放言を始め、挙げ句の果てには某大臣(辞めたあの人ではない)の読み物の資料をわずか2時間で作れという無謀な要求があったりと、いろんな意味で振り回され続けた1ヶ月。いやむしろ、自分にとって鍛錬になったんだと前向きに言い聞かせているが、思い返せば本当に壮絶な日々だった。

大体この時期は、多忙な上に季節の変わり目も近いということで体調を崩すのが常なのだが、気が張っているのか、今のところ慢性的な疲労以外に変調を来していない。よくもまあ風邪もひかずにやっているものだ、と自画自賛したくなる。

どうでもいいことだが、先週金曜日は、台風並みに発達した低気圧からの暴風雪の影響で、僕が帰路に就いた数時間後の電車からダイヤが大幅に乱れ、帰宅が夜中の2時3時になってしまった人もいたらしい。先週は今週以上に多忙を極めていたが、あの日金曜日の選択だけは間違いじゃなかった、と安堵した。

さて、今週末からは、いわゆる「先生との論争」がスタートする。副社長も放言しまくったという例の定額給付金のせいで、自ら多忙に追い込んでしまったようなものだけれど、今回はいつになく先生の「突っ込み」が多い。

この職場に来て、今年で2年目となる。過去の前例からすると、今の仕事を3年続けてやった人はいないそうだ。
ちなみに前の職場でも同じことを言われ、2年目の2月から引継書をせっせと作ってみたが、蓋を開けたら異動にはならず、前例にない3年目突入、ということがあった。

ま、多分少しぐらいは仕事の内容が変わるんだろうけど、来月中旬にはどうなるかがハッキリするわけで。
それとも、職場そのものが変わってしまうのかな。まぁ、ホームグラウンドを失った身としては、どこに異動になっても不思議はないわけで。
あ、少なくとも県外は、ナシですが...。

というわけでそろそろ引継書も作らなきゃならないし(笑)、しばし間延びした更新が続きますが、ご容赦を。

それと...諸般の事情(エラーが発生したこととイタズラが多くなったため)で、投票ボタンを取り外しました。これまでご愛顧頂き、ありがとうございました。今後はコメントボックスをご活用くださいませ。

2009年2月17日

【詳報】奥羽線トラブル顛末記

僕が毎朝乗る電車は、弘前発7時21分の快速で、青森駅に到着するのは7時57分。しかし、乗客が非常に多く、定刻より1~2分遅れて到着するのはもはや当たり前となっている。

今朝も7時10分頃に弘前駅に到着し、電車内で惰眠を貪ろうと座席を確保、うとうとしているうちに電車は定刻に動き出したようだ。
その後も惰眠を貪り続けていたのだが、青森駅の二つ手前の駅に到着する頃に目が覚めた。そして、次の新青森駅を通過した(現在東北新幹線の工事が行われていますが、在来線の新青森駅は現在無人駅で、快速は停車しないのであります)直後から、電車が徐々にスピードダウンするのがわかった。
やがて青森駅の手前にさしかかったあたりで、電車が停車してしまった。
今朝は別に大雪が降ったわけではない。となると...何だ?

乗客は皆、無言のままでアナウンスを待っている。僕は最後尾の車両、車掌のいる近くに席を確保しているので、いつもと違うやりとりに不安を覚えた。というのも、いつもトラブルが起きたときは輸送司令室から指示が飛ぶはずなのに、今日は「青森駅長」が指示を飛ばしている無線の声が聞こえてきたのだ。
車掌からのアナウンスが流れた。
「ただいま、青森駅構内の信号トラブルにより、電車が停車しております。運行再開までしばらくお待ちください...。」
時計を見ると7時57分。何もなければおそらく、定刻で到着していたことだろう。
その後も一向に動く気配のない電車。
何の動きもないことにいらだち始める乗客。そして、いらだち始めていたのは車掌も同じだった。
「青森駅長応答願います。こちら○○車掌です。現在の状況、運行再開見込みをお知らせください。」
「...こちら青森駅長です。ただいま信号機器の取り調べを行っており...」の反復ばかり。

ところが、3本が併走している線路のうち、停車しているのは我々の車両だけであり、津軽海峡線の電車は当たり前のように青森駅に進入していく。もう一本を走る回送電車も、何事もなかったかのように青森駅方向からやってくるのだ。それを見た乗客からざわめきが起こる。なぜこの電車だけ動かないんだ?何が起きたんだ!?

しかしその前に、いよいよ痺れを切らした車掌が青森駅長に食ってかかった!!
「青森駅長応答願います。こちら○○車掌です。こちらの電車には約750名の乗客が乗っています。このままですと、急患の出る恐れもあります!その辺の対応について、大丈夫でしょうか?」
「@¥?#%...」
ハッキリは聞こえなかったが、あまりいい回答ではなかったようだ。時計を見ると8時25分。とりあえず電車が動かないので出勤が遅れる旨電話した。
いよいよ車掌の懸念していた事態が発生...と思いきや、明らかに貧血を起こしたと思しき女性が、男性に小脇を抱えられて車掌のいるところに近づいた。しかし、何せここは3本の線路が走っていて、易々と乗客を降ろすわけにはいかないという事情もあるのだろう。苦り切った顔をした車掌が応対していたのだが、 その直後に、一名の乗客がその女性を自分の席に座らせた。
さらに、「このままではみんな具合が悪くなってしまう!換気をしてくれ!」という客が現れた。

その声をくみ取った車掌が、次のようなアナウンスを行った。
「車掌からのお願いでございます。青森駅に何度も確認をしておりますが、現在のところ「取調中」という回答があるのみで、運転再開の見込みなどはこちらにも知らされておりません。この電車、大変混み合っております。お身体具合の悪くなったお客様は、どうぞ車掌までお申し付けください。また、お席に座っている方におかれましても、立ちっぱなしのお客様にお席をお譲り頂きますようお願いします。この電車、現在は暖房を止めておりますが、各車両の窓を開けていただき、一度換気くださるようお願いします。5分後に再度暖房を入れたいと思います。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。」

すると、座っていた複数の乗客がおもむろに立ち上がり、立ちっぱなしの乗客に席を譲り始めた(僕も立ってはみたものの、座る人がいなかった...)。
窓を少しだけ開けてみた。すると外からの冷気が、いろんな意味で熱し始めていた車内を一気に冷やしていった。
何となく、張りつめていた空気が緩んだような気がした。
5分経っても暖房が入る気配はない。しかし、窓は少し開けたままにしておいた。

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電車、停まってます

かれこれ1時間が経ちました。青森駅構内の信号機トラブルで、電車が立ち往生しています。約750名の乗客だそうです…。手前の駅に停められた電車には代行バスが出るそうです。 うちらはどうしようもないらしく、あと1時間程度待たなければならないそうです。以上、奥羽線の信号機トラブルの現場からでした。

2009年2月 8日

断酒は早くも断念

というわけで、昨晩は断酒6日目にしてビール飲んで焼酎飲んで。
まぁ、医者に止められた訳じゃないし、自分で勝手に決めたことなので...。ただ、完全断酒はあり得ないことなので、これからも自分のペースで飲酒を嗜もうと思ってます。

散髪に行ったんですが、帰り際「太ったよね!?」と言われました。当たってます。でも、軽くショックだったな...。なかなか70キロの壁は高く、60キロ台がすぐそこまで見えているのに、なかなか突破出来ず、地団駄踏んでるような状況が続いています。

ところで、人それぞれ「楽しみ」っていうのがあると思います。「楽しみ」がなければ、人生ってつまらないと思うんだな。
その「楽しみ」っていうのは、食べることかも知れないし、運動することかも知れないし、子供の事かも知れないし、趣味嗜好に没頭するかも知れないし。

僕にとって「酒を嗜む」ことは、大きな楽しみの一つであり、その楽しみの一つを欠くというのは、それはそれで結構苦痛だったり。

僕が断酒しようと思ったのには一つ大きな理由があって、それは身体のことに気を遣って、とかそういうことよりも、何かこのままズルズルと飲み続けていたら、絶対自分がダメになる、って思った訳ですよ(それは肉体面からも精神面からも)。
そういう戒めとか、自分自身に対する「喝」というか...。

09年に入ってから、いろいろストレスが溜まるような事が続いていて、僕にとって安らげるところは家、それも布団の中だけになりつつありました。
だから、酒の力を借りてストレス発散、そしてそのまま布団に潜り込んで...あ、待てよ。でもこれはちょっと違うな、と。

実はそんなきっかけで始まった断酒だったんですが、まぁ、このまま一生飲まない訳じゃない。苦悶の表情を浮かべたり、物欲しげにしていたつもりはないのですが、妻からも「別に無理して断酒する必要はないんじゃない?」と言われてしまい、後は自分でコントロールすればいいだけなんだ、ということで、本当に嗜む程度にまた飲んで行こう、という結論に達しました。

で、昨晩は結構気持ちよく飲むことが出来ました...という言い訳がましい釈明を繰り返してみました。でも、6日振りの酒は、結構効きました(苦笑)。
あ!今晩は飲んでませんから!(笑)

2009年2月 6日

一青森県民からお知らせです

僕は旅行に行くとよく、旅先のスーパー等でどんなものが売られているのか物色したり、珍しいものがあったりするとそのまま購入することがたまにあります(事実、沖縄県うるま市の「マックスバリュ石川店」には、沖縄に行くたびに足を運びます)。

僕みたいな行動をする方はあまりいないと思うのですが、これから青森県を訪れ、僕みたいな行動をとってしまう方にはちょっとした注意を。

青森県内のスーパーや百貨店約230店舗で2日、レジ袋の有料化が始まった。都道府県では全国で5例目の取り組みで、有料化を歓迎する声がある一方、まだ「エコバッグ」を用意していない消費者には戸惑いも広がった。

県が推進する「もったいない・あおもり県民運動」の一環で、県と協定を結んだスーパー、百貨店、ホームセンター、クリーニング店計24社231店舗が参加した。

1枚5円になった青森市浜田のイトーヨーカドー青森店では、真新しいエコバッグを手にした客が買い物に訪れ、また、エコバッグを持参していない買い物客は、購入した食料品などをレジ袋いっぱいに詰め込んでいた。

青森県はゴミの排出量が全国平均より相当高い(リサイクル率は全国45位で、東北最下位)とかで、今月2日から県内のほとんどのスーパーや百貨店で、レジ袋の有料化が始まっています。レジ袋の価格は1枚1~5円に設定されているようですが、実は私、有料化が始まってから一度もスーパーや百貨店を訪れていないので、正直、お客さんがどんな反応を示しているのかはちょっとわかりません。

僕なんかはせいぜい週末にスーパーを利用する程度ですので、これだけのためにエコバッグを購入すべきなのかはちょっと悩みます(いや、一応それ相応のものはもっているんですけど)。そういえば僕って、小学~高校1年までボーイスカウトに所属していて、キャンプに出かけては薪を集めてガンガン焚き火をしていたような人間ですので、エコのかけらもないのかもしれません(トホホ...)。
僕みたいなヘヴィユーザーではない消費者の立場からすれば、この取組みについては賛同できる反面、疑問なところも結構あります。

エコのかけらもないからこんな発想をしてしまうのかもしれませんが、仮にエコバッグが1枚300円で、レジ袋が1枚5円だとしても、単純に割り返してみて年間で60回の買い物をするかといわれれば、何となくしないような気もするし、その前にエコバッグそのものが駄目になっちゃうんじゃないか、という気もしてならないのです。

実際、これまでもレジ袋はただ捨てるのではなく、ゴミ袋の代わりとして再利用しているわけであり(この発想が駄目なのかな?)、そう考えると今回の取り組みで喜ぶのは結局のところ、大幅に経費節減が見込まれるスーパーや百貨店(しかも「有料化」の大義名分で客から更にお金を取ることができる)だけであって、それまでレジ袋を卸していた業者さんとか、エコバッグの製造元は需要が落ち込むことが予想され、結構これから大変なのかな、とか思ったり。エコバッグは、今は売り上げが伸びるかもしれないけど、一度購入してしまえばある程度長持ちすることを考えると、また数週間後に購入するなんてことはあり得ないでしょう。

しかも、消費者には余計な負担がかかるというわけで、環境には優しいし、確かに「いいこと」ではあるのでしょうけど、下世話な言い方をすれば、結局「得」をするのはやっぱりスーパーや百貨店だけ、ってことなのかな?
そう考えると、何となくこの取り組みというのが単にスーパーや百貨店の「エコ」の名を借りた経費節減策にも見えてくるようなこないような。まぁ、レジ袋有料化、という点では確かにわかりやすいですけどね。

というわけでこれから青森県に来られる予定の皆さん、スーパーや百貨店、一部ホームセンターでは、レジ袋を持参しないと「お金」を取られますので要注意(ただし、食品レジのみだそうです)。

レジ袋削減の取組-青森県庁ホームページ

青森県が推進する「もったいない・あおもり県民運動」には、大いに疑問を抱きながらではありますが、私もちょっぴり賛同しています。

...いや、「お金」がもったいないので、小さなバッグは常に携帯しようかと(笑)。

ちなみに、コンビニについては対象外だそうです。

2009年2月 5日

断酒、始めました。

どうでもいいことですが、何となく「継続は力なり」だということを本気にしてみようかな、とか思ったり。

年末年始、というかその前から明らかに自重が大変なことになっていることには気づいていたのですが、正月明けにようやく体重計に乗り、70キロ台を軽くオーバーしていることを確認しました。
しかしながら、それ以降も取り立ててセーブするわけでもないし、好きなものはガンガン食べちゃうし飲んじゃうしで、多分ここ数ヶ月の体重の伸びというのは、去年夏のガソリン高騰の際のグラフにも匹敵するぐらいすごい伸びだったんじゃないかと一人で思っています。あ、「投資家」は私一人のみですが。

さて、冬になってから(いや、その前も)運動もしてないわ、雪かきで汗をかこうと目論んでいたのに雪は全然降らないわ、このままじゃデブまっしぐら!と思っていた矢先、この間の日曜日突然の体調不良に襲われました。
何ともいいようのない気怠さと頭痛。しかも、指先に軽い痺れ。
これはまずい!と思い血圧を測ってみると、150-93。平常時より20から30も値が高くなっていました。
病院に行けばいいものを、「寝ればよくなる」という相変わらず根拠のない持論に基づき、その日はただひたすら惰眠を貪る羽目になりました。結局、その日24時間のうちまともに起きていたのは8時間もなかったのかな?
原因は疲労とか飲み過ぎとか日頃の不摂生とかいろいろあると思いますが、わからずじまい。
(母は「飲み過ぎ。」と片づけてしまったけど)
寝て、寝て、寝まくった翌朝。
スッキリとした目覚めを迎えたにもかかわらず、その日は朝8時からの緊急の打ち合わせがあったために07時06分弘前発の特急に乗って出勤(JRなので特急券は別途@500円也)。そして、金曜の午後から悪夢のような時間(この日は久しぶりに帰宅が23時を過ぎた)は、週明けもなお続くのでありました。現在も、本当にストレスの溜まる状況の中にいる(=現在進行形。仕事関係です。)ので、グルグルと頭が回り、逆上せてしまったのかも。
まぁ、母の言うとおり単なる飲み過ぎだったのかもしれません。というのも、考えてみると土曜日ではなく日曜日に具合が悪くなったというのが実に怪しいところ。土曜日は従姉がやってきて、いろいろ話をしながら結構手酌が進んだからなぁ。
結局飯も大して食えず、アルコールも飲む気になれず、日曜日から何となく断酒が始まってしまいました。
思えば4日連続で断酒したことは、去年のあの、忌々しい辱めを受けた検査の後の断酒以来かも知れません。
おかげさまでわずか3日にしてすでにベルトの穴が一つ元に戻り、頬肉も少し落ちました。あともう少し辛抱すれば60キロ台突入?

来週12日が終われば一気に落ち着くと思っていますが、これもどうなることやら。

さて、あと何日断酒を続けることができるかな?