2009年5月31日

その後の一坪農園

パワーストーンの力、ではないと思うのですが、いよいよ植えた種が発芽してきました。

まず、一坪農園のご紹介。
家の西側、日当たりの良い場所、文字通り一坪ほどの大きさの畑です。

今回発芽したのが、まずこちら。

多分、毛豆かなぁ...。発芽は早いですが、収穫は秋が深まる頃になる見込みです。

で、もう一つこちらも発芽したみたい。

これは多分、オクラですね。ゴーヤの発芽が未だ確認できていません。別箱に種を蒔いた白ネギ、大葉も未だ発芽していません。

種を蒔いた後、気温の低い日が結構続いているからなぁ...。まずは、芽が鳥に突かれないことを祈りましょう。またご報告します。

出てきたパワーストーン!!!

何と、なくしたはずのパワーストーンが出てきました。
うちには裏庭に畑があって、作業をしにやってきたオバさんが、帰り際、草むらに光るパワーストーンを発見したそうです。「ここにあるということはうちの人のものなのだろう」と、留守だった家の玄関前に置いていって下さった、とのこと。

思い当たるフシは...ありました。

一坪農園に種を植えた時に、汚れちゃいけないと思い、ポケットに忍ばしたんだ...。
お騒がせしました...。

2009年5月29日

PSPでカーナビ

僕の車にはカーナビが設置されていない。レーダー探知機も設置されていないし、ETCも設置されていない。
今の職場に配置換えとなって3年目に突入したが、7~9月は自家用車で県内行脚の日々が続く。
特に昨年は、本州最北端の大間町まで自家用車を走らせた。今年はその隣にある、風光明媚な「仏ヶ浦」のある佐井村まで行くことがほぼ決定している。
一度通った道路は忘れない、と自負していた20代。しかし、30代も後半になると、だんだん過去の記憶が乏しくなっていて、一昨日の夜に何を食べたかなんてことはもはや思い出せないぐらいまで脳の記憶が薄くなっているようだ。

県内とはいえ、自宅から下北半島を目指すと、走行距離は150キロを軽く超える。一人でないのは不幸中の幸いとはいえ、何度となく自家用車で走っていても、地の利のない地域を車で走ることが不安であることは間違いない。

そこで僕は、カーナビの代わりということでPSPにGPSレシーバーを取り付け、PSPのソフト「MAPLUS 2」を車載している。ただしあくまで遠方に足を運ぶ時だけであり、市内を流す程度であればこのソフトに頼ることはない。

ちなみにこの「MAPLUS2」、MSに電話帳データやその他のデータをDLし、インストールすることで、電話番号などを入力すると目的地までのルートをそれなりに誘導をしてくれる。ただし、市街地に入るとルートを間違えて表示したり、訳のわからない方向に進み始めたりと、全幅の信頼を寄せるまでには至っていない。要するに、参考程度というわけだ。
さらに声優がナビゲーションの声を担当するといった機能もあるようだが、はっきり言ってそんな機能を充実させるぐらいであれば、もっと的確なナビゲーションをするよう技術を傾注できないものかと常々思っていた。

実際、Web上で市街地地図を続々有料配信する、といいながら、費用対効果が見込まれなかったのか、政令指定都市を中心にした有料配信が始まったものの、その後しばらくの間Webの更新が途絶え、昨年12月になってようやく各都道府県版という形で配信が始まった。

そんな中この7月に、PSPソフト「MAPLUS 3」が発売されることが決定したという。
全国の道路地図も新しいものに書き換えられていることだろう。ただ、1万円もしないソフトに過度の期待は禁物。要するに基本中の基本をこのソフトで動かし、後は必要なものを適宜DLする、というものである。

しかし、ユーザーが取捨選択できる、すわなちフレキシブルという点では、このソフトへの期待は高まるばかりである。

あとは、MAPLUS2とのデータの互換性(内容が新しくなることで、DLしたデータは使えなくなるのか?)とか、GPSの性能そのものとか、いろいろ改善してほしいところがあるのだが、まぁ欲を言えばキリがないので、どこかで妥協しよう。ただ、しつこいようだが、声優の充実はご勘弁を。

ブログパーツを更新

中田英寿、北島康介らが顔を覗かせていた「White Band」 のブログパーツ。2008年10月に本事業を主体的に実施していた特定非営利法人が解散していたことを先日初めて知りました。よって、White Bandのブログパーツについてはその役目を終えたと判断、昨晩のうちにブログから削除しました(遅)。

これに合わせ、ブログで何か世の中に役立つことがないものかと探していたところ、グリムス(gremz)というサイトを発見しました。ブログエントリーに伴いパーツの木が成長するというものなのですが、なんと、このブログパーツが大人の樹に成長した暁には、実際の森に本当の苗木を植樹するんだそうです。
つまり、ブログエントリーすればするほどパーツの中の樹木の成長が進み、そして本当の植樹につながるという...。うーん、なんてエコなブログパーツなのでしょう。ただ私の場合、今のエントリーの頻度だと一体いつになったら成長するやら...(苦笑)。
ちなみにこのグリムス、既に3万を超えるブログが登録されているということは、相当前からこのような取組が始まっていたものと推察されます。最近初めてこのサイトの存在を知ったことは、ひょっとしたらちょっと恥ずべきことなのかも知れません。
というわけで、早速左サイドに設置しました。

それともう一つ。これははっきり言って完全に自分用のブログパーツです。
JogNoteというサイトのブログパーツです。これはその名が示す通りジョギングのデータを記録するというもので、最近週末だけではありますが徐々に走行距離を伸ばし始めている私としましては、過去のデータを振り返りながら、この先のジョギングに繋げていこう(というより、自らの走りっぷりを他人様に晒すことで、自分にプレッシャーをかけよう)という思いから設置を決めました。幸いなことにnikeplusのデータとリンクが可能ということもあり、とりあえずこちらを右サイドに置いてみました。
主体的に活用しているnikeplusにもブログパーツがあるのですが、サイズがちょっと大き過ぎるのが玉に瑕。いろいろ試行錯誤してみたのですが、結局設置を断念しました。あ、ちなみに5月のデータは2回分しか掲載されていませんが、これはnike+とiPodがうまくリンクしてくれなかったためで、実際はもっと走っていますので念のため(笑)。

しかし、何よりの難点として最近ブログパーツを設置しすぎて、サイトの動作が非常に重くなっているような感じですので、近々頃合いをみて整理したいと思います。HMVとかソニスタ、iTunesもいらないかな?
このブログを動かしているMT3.38も、バージョンとしてはかなり古すぎるし(既に4.25が公開されていて、MovableTypeによるバージョン3.xのサポートはなくなってしまったようです。)。

来月中旬には新たなPCがやってくる予定ですので、そのタイミングに合わせていろいろ更新しましょうかねぇ。とはいっても、昔ほど更新意欲はありませんが...。

2009年5月27日

消えたパワーストーン

以前パワーストーンにもの凄く興味が沸いたことがあって、8ミリ玉で構成されたストラップを購入して、家族に一つずつプレゼントしてみたり、自分用にシリコンゴムで組み直してブレスレットを作ったりしていた。
ちなみに今も僕の携帯電話には、パワーストーンでできたストラップがぶら下がっている。

実はこのGWにも、パワーストーンを組み直してブレスレットを作成、塩で浄化したあと、毎日腕に巻いていた。

この間の土曜日。
目覚めがよかったこともあり、朝から約5キロのジョギングに繰り出した(こちらの方は絶好調で、徐々に距離が伸びています)。腕に巻いていたストーンのブレスレットがふと気になり、ポケットに忍ばせた....ような気がする。

というのも、実際その時、腕にブレスレットを巻いていたのかどうかも定かではないのだ。

とにかくこの日を境に、お気に入りだったブレスレットが、影も形もなくなった。どこを探しても出てこないのだ。このブレスレットを日常身につけることに慣れてしまったので、何もついてない腕をみると、何か違和感がある。

そういえば時々、パワーストーンがその人の身代わりになるという話を聞くことがある。だとしたら、今回パワーストーンが忽然と姿を消した、影も形もなくなったことは、いったい何を意味するのだろう...。
要するに、そういうことだったのだろうか...?

新しい身代わりの購入を検討するか...。

2009年5月26日

今年のベストセラーが早くも決定

村上春樹さん「1Q84」予約1万冊超、アマゾン新記録

ネット書店大手のアマゾン・ジャパンは25日、今月29日発売予定の村上春樹氏(60)の新刊「1Q84」(新潮社)の1、2巻合わせた予約冊数が、20日時点で1万冊を超えたと発表した。
同社書籍ストアの国内長編文芸作品では、過去最多の予約注文数という。
同社によると、これ以前に予約が最も多かったのは、同じく村上氏の「アフターダーク」(講談社)だった。

ノーベル文学賞に最も近いといわれている村上春樹。僕が初めて村上春樹の本を手にしたのは小学校6年の時で、夏休みに婆ちゃんの家に遊びに行った際、近所の本屋で見つけたのが最初だった。たまたま手にしたその本の内容に自然と引き込まれ、「鼠」が登場する初期の3作を一気に読破したのが最初の出会いだった。

それ以後も「ねじまき鳥」三部作や、「海辺のカフカ」など、ちょこちょこ彼の作品を手にとる機会があったのだが、どういうわけか「ノルウェイの森」だけは未だに読んだことがない。

「海辺のカフカ」の次の書き下ろし作として登場した「アフターダーク」は、過度の期待を寄せすぎたがために、「海辺のカフカ」とはあまりにも違うその世界観に正直閉口してしまったのだが、裏を返せばそれは村上春樹の引き出しの多さ、懐の深さを示す作品でもあった、というわけだ。

そんな中、いよいよ7年ぶりとなる長編小説が発売される。僕ももちろん予約した。でも、これだけ爆発的に予約が伸びていることを考えると、発売日に手に入るのかは、正直ちょっと怪しくなってきたかな。というか、このご時世で予約1万冊を超えるって、ちょっと凄くないですか?

今回は、事前告知(すなわちあらすじや登場人物の紹介)が一切されておらず、どういった内容なのかは、文字通り蓋を開けてみないとわからない(内容を予想しているサイトも多数あるようだが)。

タイトルが示すように、「1Q84」ということは、1984年を巡るストーリーなのだろうか。それとも...。

2009年5月25日

一坪農園

GWにじゃん子が帰省した際、庭の一角に枝豆とオクラの苗を植えていった。その後、母が水やりをしたり防虫剤を撒いたりしていたようなのだが、オクラの苗はみるみるうちに勢いが衰え、葉が全て落ちてしまった。母と生育状況を確認すると、先の方が黄色くなっていて、どうやらほぼ枯死してしまったらしい。
母は「除草剤を撒くタイミングを間違えた」と悔やんでいたが、実際のところはわからない。

そんな中、どういう風の吹き回しなのかわからないが、園芸には全く興味を示したことがない妻が、取引先から枝豆とゴーヤの種を購入してきた(我が家では、どういうわけかゴーヤの消費量がかなり多いのだ)。

妻は「お得意先に行ったら種買わない?って勧められた。」と言っていたが、これは暗に、僕にその種を植えろ、ということなのだろう。

早速土曜日、ホームセンターに行って肥料土を購入、家の庭の一角、だいたい一坪ほどある土を起こして、種を植えてみることにした。せっかくなので、ほぼ駄目になりつつあるオクラ苗の代わりにオクラの種、そして個人的に消費量の高い白ネギ、大葉の種も一緒に購入し、植えてみることにした。
ただ、限られたスペースだったので、白ネギと大葉はプランターに別植えし、とりあえず枝豆(毛豆)、ゴーヤ、オクラの種を植えた。

水はけがいいようなので、乾いた土に水をたくさん与えたあと、鍬で肥料土と混ぜ、若干土に粘りがでたところで、畝のようなものを作り、30~50センチ間隔で種を2~4個ずつ蒔き、軽く土を被せ、再度上から水を軽くかけた。作業時間は30分にも及ばなかった。

数年前にも種を植えて夏から秋にかけて収穫したことがあったが、あの時は確か枝豆とオクラだけだったような記憶がある。あと、ジャガイモも収穫したような...。
少なくともゴーヤ、白ネギ、大葉は今回初めて植える種だ。

約2週間後に発芽するようだが、果たしてうまくいくかどうか。
約一坪のスペースながら、ちょっと窮屈に種を植えてしまったような気も。かなりの間引きが必要になりそうな予感(苦笑)。
経過は後日、またこの場でご報告します。
報告がなかったら、発芽しなかったということで...(笑)。

(追記)
また写真を撮り忘れました。撮影したらアップします。

2009年5月18日

父を偲ぶ会...第二弾?

16日は18時過ぎから久しぶりに仲間がうちに集まった。大義名分はザワ先生が「のんべのオヤジさんに酒を持っていきたい」ということだったのだが、蓋を開ければいつもの通りの飲み会だった。
まぁ、先週父の仲間に十分偲んでいただいたので、僕としてはしんみりするよりはこれぐらいの方がよかった。もう一つ引っかかっていたのは、うちの父が亡くなって約3週間後に、この日顔を出してくれた畏友カツのお母さんも亡くなっていて、うちの父だけを偲ぶというのもなんだかちょっとカツに対して申し訳ないな、という気持ちもあったわけだ。だからカツにはどういう趣旨でうちに集まることになったのか、ということは伝えずに、予定だけを確認して、うちに来てもらうことにした。

リクエストのあった餃子の種を捏ね、牛スジはこんにゃく、大根と煮た。何となくゴーヤを食べたくて、ゴーヤチャンプルーも作った。ひじきも薄味に炊いてみた。

どうせ食うなら餃子は焼きたての方がいいだろう、ということで、ホットプレートを用意。皮でくるんだ餃子の数は70個以上。餃子屋さんの苦労ぶりを、ちょっぴり感じることができた、かな。

18時過ぎ、ザワ先生、タケちゃんが相次いでやってきた。ところが、タケちゃんが持ってきた手土産に、僕は固まらざるを得なかった。
「いやぁ、これ食べたくてさぁ」と持ってきたのは、なんと大阪王将の餃子(爆)。油の敷かれたホットプレートを前に、一同苦笑するしかなかった。
カツ先生はこの日子供の運動会で、疲れもあったのかついさっきまで寝てたらしく、家に来た後も欠伸を連発していた(笑)。
結局タガシ先生は来ることができず、4名のこぢんまりとした飲み会になったが、調子に乗って焼酎と日本酒を飲み過ぎ、先にTKOされたザワ先生を見送った後、23時頃にはオーナー自らダウン寸前。
「寝る!」と発した一言でおひらきとなったようだ(苦笑)。

その前後からほとんど記憶がないのだが、フラフラになりながら洗い物だけはしたことを覚えている。ちなみに翌日(日曜日)は、廃人のように昼過ぎまで寝ていたことを告白しよう。

この日、久しぶりにやってくる畏友のために、朝から仕込みを開始していたわけだが、実際の作業はこんな感じだ。要するにレシピ。

餃子の種はキャベツ、ニラ、タマネギをみじん切り(フードプロセッサーは使わず、手切り)したものに、ニンニクとショウガのすり下ろしを少々。ラード、砂糖、塩、醤油、味噌、ごま油を少量ずつ加え、後はひたすらこねくり回す。味をなじませるため、いったん冷蔵庫に放置。皮は市販のもので、70個包むのに1時間要した(苦笑)。

ゴーヤチャンプルーは、スパムがなかったのでコンビーフで代用。ゴーヤは中のワタをを丁寧にくりぬいて、砂糖と塩で揉んで少し放置、冷水に晒して水を切る。
ちなみにこのまま軽く茹でると、かなり苦みが取れる。冷水に晒しで水を切ったゴーヤをツナ缶と合えるのがお勧め。

チャンプルーは、フライパンに薄く油を引き、ゴーヤ、水切りした木綿豆腐、コンビーフを順に投入し、めんつゆ少々を加え、最後に生卵を投入してかき混ぜる。このとき、火は早めに止めて余熱で卵を固める。...あ!削り節を入れるの忘れた!

牛スジの煮込みは、アクを抜くために、一度沸騰させたお湯にスジをぶち込んだ後、お湯の色が変わり表面に大量のアクが浮き上がったら火を止め、牛スジを水で洗う。ここで手を抜くと絶対に不味くなるので、手がオイリーになろうともかまわずひたすらアクを洗い流す。たぶんこれだけ丁寧に洗えば、2度目のお湯はだいぶ綺麗になるはず。ブラックペッパーを実のまま一緒に煮込む。こんにゃくは味付けと同時に、大根は別茹でで後から投入。味付けは、鶏ガラスープを入れたこと以外は敢えて企業秘密にしておこう(笑)。
圧力鍋を使えば、味の染みたトロトロの牛すじに仕上がる。

人気ナンバーワンは牛すじだったな。「これ、美味い!」と汁まで飲み干し、おかわりのリクエストもあった。餃子は大阪王将の餃子が少々冷めてしまったということもあり、僕の作った餃子に分があったみたいだ。こちらも追加オーダーあり。ゴーヤは結構人気があったものの、ちょっと冷めてしまっていたこともあり、結局最後残った。

本当は小松菜とちりめんじゃこの和え物も作りたかったが、ひじきがあったのでやめた。

でもって、こんなに一生懸命作ったにもかかわらず、一つも画像がないのは、食うことに一生懸命で、撮影を忘れたから。...というより、撮影よりも食べている人たちの反応が気になって、それどころじゃなかったから、でした。

2009年5月15日

ETCはCO2削減に有用!?


お盆休みの平日、休日扱いのETC割引検討…国交相(読売新聞)

金子国土交通相は14日、土日・祝日に上限1000円に下げた高速道路の普通車料金について、「お盆休み期間中を休日扱いとすることも考えなければならない」と述べ、お盆休み期間の平日への適用を検討する考えを示した。

適用日を増やすのは、今年は8月15、16日が土日で、この2日間に高速道路の利用が集中すれば、ゴールデンウイーク以上の大渋滞が予想されるからだ。

この取組に向け、今年のGWの状況を分析するそうだが、8月までに間に合うのだろうか。
そもそも高速道の通行料金1000円均一は経済対策をメインとしたもので、ETCの助成制度はETCの普及を目的としたものであり、別物だったはず。ちなみにETCの助成について、財団法人高速道路交流推進財団が発表した大義名分はこうだ。

有識者で構成された「サービスエリア等資産譲渡代金の還元策に関する検討委員会」の報告、及び国土交通省からの「保有資産の還元策」についての要請に基づき、検討した結果、ETCの普及促進は渋滞を解消し、CO2の削減に非常に有効な手段であり、公益的な要素が大きいと判断し、当財団の保有資産を活用して、ETC車載器新規導入助成事業を行うことにしたものです。

しかし結果として、全く有効な手段ではなかった。
とりわけGWの高速道は、10キロ以上の渋滞が昨年比で倍増した他、スムーズに流れるはずのETCの料金所までもが混雑した結果、一般料金所の方がスムーズに流れるという皮肉を招いた。
渋滞を解消するはずのETCが大渋滞を招き、結果CO2の排出量も相当増えているはずだ。

金子国交相は「お盆の時期の混雑を緩和するために」高速料金1000円均一の期間を広げる、ということらしいが、だったらいっそのこと、この間はせめて1000円均一の通行料をとりやめ、電車等の輸送手段を利用するように仕向けることができないのかねぇ?
というか、盆や正月、GWといった時期に、どこの交通手段も一切割引なしの通常料金になるのが当たり前のご時世で、なぜ高速道路だけ1000円乗り放題が可能になるのか。
答えは多分、通常料金との差額は埋蔵金をはじめとする国の財源をぶつけることができるため。JRや航空各社には、こういったことで国の財源を投入することはまず考えられないことだし。

数値に表れていないので何ともいえないのだが、おそらくGW期間中のCO2排出量は、かなり増加したはずだ。
だったら、エコポイントの範囲を拡大して、「高速道の渋滞する時期に鉄道会社を利用して帰省や旅行をされる場合は、特別にエコポイントを付与します。」と銘打った方が、何となく聞こえがいいように思いませんか?

結局、そこまでしてでも高速道路を利用させたいのは、1000円均一の通行料により生じる不足財源を、民営化された道路会社に拠出するための方策なんじゃないのかな?

省エネ家電の購入に際してのエコポイントや、低燃費車などの減税など、一見環境にも配慮しているようだが、おそらく経済対策の各省庁の意思統一はちっとも行われていないはずだ。その中でも、いわゆる縦割り行政の最たるものが、環境にまるで優しくない高速料金1000円均一だろう。

しかもこのETC割引の制度が2年間限定だということは、意外と知られていないような気が...。そう考えると、結局目先のニンジンに踊らされてませんか?

まぁ、かたやエコだ何だと誇っている一方で、CO2の排出を助長するような1000円乗り放題って、やっぱりなんか国の施策が矛盾しているように思えるのは、僕だけだろうか。

2009年5月12日

父を偲ぶ会

9日夜、弘前市内の野球関係者が集まり、父を偲ぶ会を開催してくれた。
会場の都合もあり、当日集まったのは約50名。錚々たる顔ぶれがずらりと並ぶ中、我々家族は一番高い席へと案内された。その前には、父の遺影がはにかんでいた。

発起人のM先生による挨拶の後、父が一番慕い、そして父を一番慕ったK先生が挨拶と献杯、ではなく乾杯の音頭を取った。K先生が敢えて献杯ではなく乾杯としたのは、「父が死んだとは思っていない」という思いからだという。既に同じテーブルに座る母、妻、そして妹は涙腺スイッチが壊れたようで、ハンカチが手放せない様子だった。僕はといえば、何かこの会場に父の姿がないことへの違和感と、父がいるのではないかという期待感から、終始ボーっとしながら話に耳を傾けていた。
乾杯の後、急遽家族を代表して挨拶することになった。マイクの前に立つと、たくさんの見覚えある顔ぶれがこちらを見ている。でも、父はいない。そのことが何だかとても不思議というか違和感があるというか、この場に父がいないことへの悔しさがこみ上げてきて、思わず言葉にならないほど号泣しそうになった。
ところがどうしたことか、一言挨拶したとたん、何かスゥッと力が抜けたような錯覚に襲われた。あとは勢いのまま、生前父が放った失言の数々を詫び、父がここにいるような気がすること、いや、ここにいるんだということ、父は死んだが、皆さんの心の中で生かして頂きたいということ、母が継続して事業を行うことなどを一通りお話しさせていただいた。
席に戻ると妻が「挨拶考えてたの?」と聞いてきた。こういう場面があることは織り込み済みだったので、多少は考えていたが、ほとんどは思いつきだ。

どうやら僕は、スラスラとまではいかないものの、かなりベラベラ話をしていたらしい。
ただ、社交辞令とは思うが「いい挨拶だった」というお褒めの言葉を何人かから頂いたので、それなりのことは話せたのだろう。実のところ、何を話したのかはあまり覚えていないのだ。

その後も、父と親交の深かった人たちが、父の功績を称えながら思い出話を語ってくれた。
県内で初開催となった日展のこと、高校時代の野球部のこと、選挙のこと、議員になってからの父のこと、...先輩や仲間が語る思い出話には、僕の知らない父がたくさん現れた。
恐らく、いろんな思いを馳せながら、父のことを思い出してくれたことだろう。

僕を除く家族はスピーチが始まるや終始ハンカチを握りしめている状態だったのだが、僕はどういう訳か、涙はほとんど流れなかった。

偲ぶ会が終わった後、父の遺影に近づき語りかける人、「マガ...」と呟いたまま放心状態の人、ひたすら手を合わせる人など、たくさんの人が今となっては無口になってしまった生前の父に哀悼を寄せていた。そしてその後、多くの人から声をかけられ、そのほとんどは、「がんばれ」「お母さんを大事にしろよ」という言葉ばかりだった。気遣って下さる言葉の一つ一つが胸に沁みた。乾杯の音頭を取ったK先生は、僕の手をぎゅっと握りしめ、「まだ、頑張るベシな...。」と言ったまま、目を伏せて黙り込んでしまった。
こんな憔悴したK先生を見たのは、初めてだった。これだけ大勢の方々が父のために集まってくれたこと、そして心の底から父の死を悼んでいることを改めて知り、知られざる父の偉大さ、そして父の背中には、もはやいつまで経っても届くことはできないことを思い知らされた。

気がつくと父が亡くなって8ヶ月が経った。
ようやく僕の中で、父の鎮魂、そして浄化が始まったようだ。

2009年5月11日

生きてることが辛いなら

生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが 三日と経てば元通り

森山直太朗が歌った表題の楽曲は、歌詞の内容が自殺を助長するのではないかと賛否両論を巻き起こした。
ところがこの騒動は、冒頭の歌詞が過激だっただけに起こったものだが、一方でこれを大々的に報じたマスコミも、曲の全容を捉えないままにこの内容を取り上げたため、結果的には騒動に火に油を注ぐ格好となってしまった。
個人的には、昔BOOWYが歌っていた「MORAL」という曲の歌詞の方がよほど過激だと思うのだが、何せ時代が時代だけに、こういう歌詞にはみんな敏感にならざるを得ないのだろう。

...なんてことを他人事のように冷静に語っている僕って、何なんだ(苦笑)。

だけど僕はこの曲が好きだ。歌詞を断片的に拾って批評することが簡単なのであれば、僕はこの断片を拾って、これからも精一杯生きようと思う。

生きてることが辛いなら 悲しみをとくと見るがいい
悲しみはいつか一片の お花みたいに咲くという


さて、5月8日はこの楽曲を歌う森山直太朗のコンサートだった。
いきなりセットリストから。

森山直太朗コンサートツアー2009「どこまで細部になれるだろう」
(09.05.08 青森市民ホール)

(オープニング)
故郷(新曲)
君は五番目の季節
生きとし生ける物へ
明けない夜がないってことを明けない夜に考えていた

夏の終わり

(屋根の上の弾き語りコーナー)
青い瞳の恋人さん
平凡ぶる~す

高校3年生
愛し君へ
涙(新曲)
太陽
風曜日
Q・O・L
今が人生
生きてることが辛いなら

(アンコール)
グングルパーニャ(新曲)
さくら
(セットリストは、てのりのり店長さんのブログ「てのりのり店長のことだま」から拝借

18時35分に始まって、アンコールを含むすべての公演が終わったのが21時05分。
18曲という演奏曲数も、コンサートそのものの長さも、他のコンサートと比べれば決して多い方ではない。実際MCの時間も比較的長かったのだが、むしろ観客を楽しませるような一芝居もあったりして、観ている側にしてみると、全然退屈しなかった。
ただ、いきなり知らない曲から始まったので、ほとんど予習をしていなかった我々(夫婦)は冒頭から面食らってしまった。(僕らが唯一予習に使った)直近のアルバム『諸君!』よりも、その前のアルバム『風待ち交差点』に収録された楽曲の方が多く演奏されていたようだ。ベスト盤『傑作撰』に収録されていた曲も多く演奏されていたことが幸いし、「聴いたことがある」楽曲が多く演奏されたような気分になったのだろう。

約900人を収容する会場はほぼ満員で、客層は男女比が2対8、あるいは1.5対8.5ぐらいの割合で、圧倒的に女性が多かった。年齢層は本当にバラバラだったのだが、平均年齢は結構高そうな感じだった。客層の前列には、FC経由でチケットを入手したと思しきかなりコアなファンが陣取っていたようで、その他にもかつて森山直太朗のライブを観たことがあるという人が2割ぐらいいたようだった。
僕らの席は前から12列目の右端だった。が、会場はかなりこぢんまりとしており、オペラグラスや双眼鏡といったものは全く不要だった。
ただ、右端ということもあってスピーカーからの音をまともに受ける位置にあり、これまで聴いたどのコンサートと比較しても、音に関してはちょっと閉口せざるを得なかった。
大がかりなセットがあるわけでもなく、ステージを構成するメンバーも森山を含めて5名しかいない。ウッドベースを弾く人、どこかで見たことのある人だなぁと思ったら、PONTA BOXにも参加していたバカボン鈴木さんだった。この人、お坊さんなんだよね、確か(笑)。それはともかく、スピーカーが正面にあるということもあり、ベースの音がズンズンと腹の底に響いてくる。

そもそもこのコンサートを観たいと言い出したのは妻だったのだが、実のところ僕自身も「さくら(独唱)」そして「生きてることが辛いなら」といったナンバーを生で聴くことができるということに異論はなく、むしろ僕の方が楽しみにしていたといっても過言ではないかもしれない。

てっきり何度か青森での公演を行っていたと思っていたのだけれど、実は今回が初めてのコンサートだという。そういえば「さくら(独唱)」の時に青森にやってきたと思っていたのは、コンサートではなくプロモーションを兼ねた路上ライブだったようだ。

コンサートが中盤から終盤に進むにつれて、徐々に盛り上がる会場を見て「さすが祭りどころ!」と納得の表情を浮かべていた。
個人的には、「さくら(独唱)」と「生きてることが辛いなら」、この2曲を生唄で聴けるだけでいいと思っていたが、中孝介に提供した「花」や、「夏の終わり」「生きとし生ける物へ」「今が人生」といった曲を生で聴くことができ、大満足。
とりわけ、本編ラストナンバーとなった「生きてることが辛いなら」が始まったときは、身震いするような言いようのない感情がウワッとこみ上げ、いろんな思いが去来したこともあって、涙をこらえるのが結構大変だった。
そしてアンコールの最後を締めくくった「さくら(独唱)」。
僕はこの曲のピアノの前奏を聴いただけでウルッと来てしまうのだが、それを生で聴いていることが何だかとても不思議で、本当に胸が熱くなった。たぶん、「生きてることが辛いなら」と「さくら(独唱)」を立て続けに演奏されていたら、僕の涙腺は確実に決壊していたことだろう。

彼の楽曲は決してネガティヴではないと思う。むしろ人間の「生死」というものに対して真摯に向き合っている内容であり、共作に名を連ねる御徒町凧(おかちまち・かいと)氏による歌詞は、どことなく哲学的でもある。その歌詞を丁寧に唄い上げる姿には、まだ33歳という若さにもかかわらず、時折深い重みを感じる。

本編が終わる頃、彼は「来年また会いましょう!」なんて言っていた。来年また青森にやってくる、ということなのだろうか。
でも、願わくは今度は弘前で、桜の花が咲く時期にこの曲を生で聴いてみたい、なんていうのは贅沢すぎる願望かも知れない。意外と八戸公演というオチが待っていそうだけど(笑)

2009年5月 8日

知らなかった弘前 - 長勝寺

38年間のうち35年間を過ごした弘前市内でも、実は灯台もと暗しというか、一度も足を踏み入れたことのない場所が幾つもある。
先日、父の墓参りの帰りに、弘前市内でも有名な観光スポットの一つである長勝寺を訪れてみた。実はこの長勝寺、うちの寺からは徒歩で1分もかからない場所にあるのに、なぜか足を運んだ記憶がないのだ。隣の広場には、写生遠足で来たことがあるのだが...。
弘前城を築き上げた津軽氏一族の菩提寺でもある長勝寺は、禅林街と呼ばれる33ヶ寺の一番奥にそびえる。正面には、重要文化財にも指定されている三門がドーンと構える。


弘前市内に寺院は数多くあるが、ここまで大きな門を構える寺は、長勝寺以外にはない。それだけ歴史と由緒のあるお寺なのだということ。何せ弘前城趾の一角を占めるお寺なのだから。

一歩足を踏み入れると、中では若い住職が観光客を相手に建造物の概要や歴史を説明していた。三門の奥に広がる禅林街を眺めてみる。なんだか一度見たことがあるようなないような...。でも、記憶が定かではない。

隣の広場は、戦没者を悼む忠霊塔が建立されていて、一時期すったもんだがあって閉鎖されたこともあったのだが、今はトイレも整備され、解放されている。 ちなみに、広場の一番奥まで進むと、岩木山を綺麗に望むことができるビューポイントがあることは、意外と知られていないようだ。

2009年5月 7日

「わさお」と呼ばれている秋田犬


鰺ヶ沢町に、「ぶさかわいい」と言われているちょっと人気の犬がいるというので、ドライブのついでに見てきた。

その名は、「わさお」という。メレ子さんという関西の方が名付けたらしい。

「わさお」は普段、菊谷商店という鰺ヶ沢名物イカ焼きを販売する店にいる。
菊谷商店にはその昔、フラミンゴが現れたことがあった。この店、どうも「おかしな生き物」を集める力を持っているらしい(笑)。
菊谷商店の前の道路は、元々夕暮れ時は特に混雑する通りなのだが、GW中ともあって混雑は一層激しさを増していて、さらに「わさお」を見るために多くの車がイカ焼き屋の前に停まっていた。
ちょうど僕らが到着した時間は、「わさお」が散歩を終えて帰ってきた時間だったらしく、飼い主の菊谷のオバちゃんが「わさお」を連れて帰ってきた。

わさおに群がる人たち。「わさお」はそれに臆することもなく、菊谷のオバちゃんに引かれるがままに、多分、急に人気が出たことにより急造したと思われる柵の中へと収まった。
柵の中の「わさお」は、なんだか寂しそうに日本海を眺めていた。

夕方にもかかわらず、10人以上の老若男女が、一目でいいので「わさお」を見ようと集まっていた。
菊谷のオバちゃんが小声で「今日ダバ、ホントに疲れでまったじゃ」と呟いたのを、僕は聞き逃さなかった。オバちゃんも表面上はニコニコしているが、本当は疲労困憊なのかも知れない。
犬の生態を知っている人なら常識かもしれないが、犬は普段、大体半日以上を睡眠に費やす。
こんなに人気が出なければ「わさお」も、のんびり潮風を受けながら昼寝をするという、ある意味羨ましい平穏な日々を過ごしていたことだろう。
一気に全国区に名を知られるようになった「わさお」は、寝る間も惜しんで見知らぬ人に愛想を振りまいている。

このブームは、多摩川に出没したタマちゃんの時に似ている。そのうち「わさお」の歌なんていうのも出るかもしれない。
だから、ある程度時間が経てば、きっとブームも一段落することだろう。みんなが忘れた頃に、「わさお」にもう一度会いたいと思った。

「わさお」の表情から汲むことはできないが、自分の周りの環境がガラリと変わった今のこの「わさお」人気は、「わさお」にとっても、相当なストレスになっているだろう。柵の中に同居するチビ(別名「ダンディ」と名付けられた)も、はた迷惑そうな顔をしながら、わさおの小屋に入っていった(おいおい)。



でも、「わさお」のホントの名前は「レオ」という。
「オバちゃん、ホントはわさおじゃなくてレオなんだよね。」
たまたま隣にいた菊谷のオバちゃんに小声で話しかけると、ニヤニヤしながら小さく頷いた。
今日「わさお」を見に来た人たちの中で、彼を「レオ」だと呼ぶ人は、誰もいなかった。

帰り際も、子供たちが、「わさお!わさお!」と呼んでいた。
いわば客寄せパンダになっている「わさお」。菊谷商店の商売には好影響を与えているのかもしれないが、少なくとも隣のイカ焼き屋は、閑古鳥が鳴いているような雰囲気だった。

好奇心から「わさお」を見に行ったが、「わさお」と呼ばれる「レオ」にストレスを与える一助になってしまったのかな、なんてことを考えたら、ちょっと切ない気持ちになってしまった。

でも「わさお」君、鰺ヶ沢町の盛り上げ役、もう少しだけがんばってください。

2009年5月 3日

アサヒ ザ・マスター

 
5月26日に新発売の「アサヒ ザ・マスター」の試飲缶が送られてきました。楽○さん、ありがとう。
商品の詳細はこちら

アルコール度数5.5%、 いわゆるピルスナービール、ということらしいです。最近すっかりプレミアムビールの定番構成となった、麦芽とホップのみという、いわばビールの王道の構成。で、試飲してみたのですが...何か久しぶりに口に合うビール of ビールと出会った、みたいな感じ。
色は普通のビール色(笑)、でも香りが何か「ビール!」って感じなのです。
僕が初めて飲んだビールが、父の大好きだったキリンラガー、それも昔の苦いラガーだったこともあり、この味はかなり好みです。
ハッキリ言えば苦い。でもその苦みは、期待を裏切らない、衝撃を受けるぐらいの味でした。多分、第三のビールや発泡酒に慣れてしまうと、この味は相当苦い!と感じるはずです。

キリンラガー、ただし今のじゃなくて、瓶ビールの栓を抜くと、裏側がコルクだったということを知っている30代以上の皆さん、これは自分へのご褒美として飲んでみる価値アリかも。

2009年5月 2日

象に足を踏まれた!!!.....?


近所を歩いていた象に足を踏まれました。

結果、左足が腫れました。痛い...。

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2009年5月 1日

エレファントカシマシ 『昇れる太陽』

4月18日午後3時からOAされたTOKYO FMのラジオ番組にゲスト出演したエレカシのボーカル宮本浩次が、生放送中にもかかわらずブチ切れし、DJとかなりイタイやりとりをしたことは、某掲示板などでもかなり話題になった。僕はちょうどこのトラブルになる直前まで車の中でラジオを聴いていたのだが、あと2分我慢できずに車を降りたことを、後になってこのことを知り、後悔した(5分ぐらい過ぎたあたりから凄いことになります)。
結局双方がそれぞれ謝罪コメントを発表し、事態は一応収束と相成ったわけだが、発売前のアルバムのプロモーションの場、それも生放送で「バカ」とか「ゲロで吐け」なんてことをDJに向かって口にしてしまうのは、何かもの凄く大人げない言動であるようにも思えるが、DJの発した言葉が宮本を不快にしたのは事実だし、何か宮本らしいといえば宮本らしい。プロモーション的には賛否両論あるにせよ、「アリ」だったのではないだろうか。というかこれじゃ、『昇れる太陽』のPRじゃなくて、「怒れる宮本」を露わにした印象が強く、個人的には、エレカシ宮本の「毒」が久しぶりに復活したな、とほくそ笑んでしまったのだが...(笑)。

エレファントカシマシがメジャーデビューしたのは88年、だった。知る人ぞ知る「eZ」という音楽番組で彼の唄う姿を初めて見て衝撃を受け、すっかり惚れ込んでしまったのだが、当時の宮本浩次はひたすら寡黙で、ライブはといえばノースタンディング、しかも客電付きだったらしい。そんな中で観客が拍手や声援をあげると「うるせぇ!」と罵声を浴びせるなど、観客との過激なやりとり、というか相当緊張感を強いられるライブだったようだ。

結局彼らは売れ行きがパッとしないまま、エピックソニーとの契約を打ち切られてしまうのだが、このことが彼らに転機をもたらした、といってもいいだろう。
彼らの名を一躍有名にしたのが、レコード会社移籍後、ドラマの主題歌として使われたシングル「今宵の月のように」で、この頃からメディアへの露出が急に増えた。デビュー当時のエレカシを、囓った程度ではあるが知っていた僕としては、テレビに出て頭をかきむしりながら饒舌に喋る宮本の姿に、何ともいえない居心地の悪さを覚えたものだった。

さて、だいぶ前置きが長くなったが、レコード会社を転々としながら、その間にも天国と地獄を味わったエレカシの最新作『昇れる太陽』。
タイトルだけをみると、なんだか昭和の時代に作られた映画のタイトルみたいだ。しかもジャケ写は、これまた今どき珍しい、ハエみたいな大きな黒いサングラスをかけた宮本の顔がドーン。まぁ、「昭和の日」に発売されたということを考えると、意外とエレカシサイドとしては「昭和」というタイミングを狙っていたのかも知れないが。

何と、このアルバムがエレカシにとって19枚目だということにも驚きだが、新たな息吹を吹き込まれたエレカシの作品が、いろいろな紆余曲折を経ながらではあるが、多少なりとも注目を受けるということは、個人的にはとても嬉しいことだ。
今作では、映画やCMのタイアップもあり、初期の頃に比べれば、幾分世俗に迎合した作品に仕上がっているのは事実かもしれない。多分、この作品でエレカシを好きになったいう人は、初期のエレカシを聴くと、その攻撃的な楽曲にビックリすることだろう。

それでも、特にここ数作は本当にクオリティの高い内容に仕上がっていて、決して流行に飲まれることのない、独特のエレカシ節が相変わらず炸裂している。どことなく不器用さが残り、泥臭く、それでいて洗練された彼らの作品は、彼らなりの解釈をふまえた進化を確実に遂げている。
その中にあっても今回のこの作品は、エレカシの中でもかなりお薦めできる作品になっているような気がしてならないのだ。
多分エレカシを好きな人はとことんエレカシを好きだろうし、嫌いな人は心底嫌っていることだろう。エレカシというのは、そういう好き嫌いのハッキリするバンドなんだと思う。

だから、Amazonのユーザーレビューを見ると、どの作品も評価が高いのは、そんなエレカシ大好きな人たちが、こぞってエレカシをみんなに紹介したいという思い一筋から、レビューを寄せているからなのだろう。
全体を通じて聞いてみたが、しばらく飽きが来ない、ヘヴィロテになりそうな予感の作品だ。
文学を愛する宮本の作る作品は、どことなくドラマを感じさせる。たぶんこういう言い方は一番宮本が嫌いそうなフレーズだが、いわば「歌謡ロック」のような作品なのだ。日本語ロック...?ちょっと違うか。でも、英語の歌詞ばかりが溢れる日本のロックに飽きた人には、いい刺激になる、かも。多分。わかんないけど。

ラストナンバーである「桜の花、舞い散る道を」を、桜の花が舞い散る弘前市内で車を走らせながら聞いてみた。ちょっと感動しちゃったよ。