2009年7月31日

意見広告

青森県津軽地方を購読エリアとする陸奥新報に、今朝こんな意見広告が出されていた。広告を出したのは、弘前市内のお医者さんだ。

「政治屋はいらない 政治家はいないのか」

何に対しての嘆きなのか、誰に対しての皮肉なのかは知る由もない。しかし、一面に堂々と掲載されているこの広告は、なかなか過激な印象を受けた。

でも、政治家と政治屋ってどこでどうやって線引きをするのだろう。

自分の仕事の関係や父のお付き合いの関係もあって僕は、今でも政治に携わる方々と接する機会がそれなりにあるのだが、少なくとも僕の周りで「私は政治家です」と公言する人はいなかったし、ましてや「政治屋です」という人もいなかった。ただ、そういう政治に携わる人の周りに、まるでコバンザメのようにまとわりついている「政治屋さん」みたいな人はいたような気がするけど。

今の「政治家」といえば、なんかマスコミによって仕立て上げられているというか、テレビに出て立派なことを言えば政治家面できる、みたいな風潮があるような気がしてならない。政治家といえば何にでも動じない、威風堂々とした印象を持つのだが、少なくとも今の政治を見ていると、なんか軽々しいというか、威厳がない。エンドレスのオセロを興じているような感じだ。
まぁ、僕からすればお笑いタレントを前に、したり顔で持論を展開する彼らこそが「政治屋」の典型だと思っているのだけど。

「政治家」についてWikipediaを参照すると、「政治よりもお金や権力など利権を得ることに熱心と思われる政治家を蔑称して政治屋(せいじや)と呼ぶこともある。日本の政治家の中に、特定の業界の単なる代理人でしかない者や暴力団と深いつながりを持っている者がいることも、こうした揶揄を生む理由となっている。」とある。

今となってみればうちの父は、利権を貪っていたわけではなかったし、僕の知る限りでは権力を欲する人でもなかった。そういう意味では政治屋ではなかったかも知れない。でも、政治家だったかといえば...うーん。ちょっと違うな(笑)

Little Red Corvette from Montreux available for viewing on LotusFlow3r.com

Performances of "Little Red Corvette" and "When Eye Lay My Hands On U" from
Montreux Jazz Fest were just added to the sphere. Enjoy!

Sincerely,
LotusFlow3r.com

Princeの最新ライブの模様がサイトにアップされたとのこと。
ところで、例のTシャツはどうなったのでしょう?こちら、そろそろ夏も佳境に近づきそうな気配なんですが。「発送が始まった」というメールが来てからどれぐらい経ったっけ?何度電話しても「今出ました」って答える蕎麦屋の出前みたいだな...。

2009年7月30日

青森県内のまつりがはじまる。

Twitter3日目。Feedを利用したブログとの連動を始めた。このことが、底辺を限りなく広げる可能性を秘めていることに気づいた。Flickrとも連動を開始し、いわばTwitterは僕にとってポータルサイト的な役割を担ってくれることになりそうだ。何で今まで使わなかったんだろう(笑)。
フォローして下さる方も徐々に増え始めているのだが、正直言って知らない人からフォローされるのは、ちょっと怖い感じも...(笑)。

さて、昨日の雨から一転、青森市内の今日は、空一面とまではいかないものの青空が広がっている。
今日30日から黒石市のねぷた祭りが開幕するのを皮切りに、青森県内各地で夏祭りが繰り広げられる。
ざっと挙げるとこんな感じだろうか。

青森ねぶたまつり 8/2から8/7まで(最終日は昼の運行と、夜間は青森港で花火と海上運行)
弘前ねぷたまつり 8/1から8/7まで(最終日は午前中の運行)
八戸三社大祭 7/31から8/4
黒石ねぷた祭り 7/30から8/5
五所川原立佞武多 8/4から8/8
平川ねぷた祭り 8/2,8/3(平賀地区) 8/4(尾上地区)

この他、8月下旬にかけて花火大会や流し踊りなどが各地で行われる。


「平川ねぷた祭り」という、あまり聞き慣れない、というかなじみの薄い祭りを掲載した。祭りの規模としては青森や弘前、五所川原とは比べものにならないぐらいこぢんまりとした祭りのようだ(実際、僕もみたことはない)。ただ特筆すべきは、平川市平賀地区のねぷた祭りに登場する扇形のねぷたは、「世界一巨大」ということだ。高さ11メートル、重さは約3トン、他のねぶた等のように、色遣いに派手さはなく、墨の色が基調となっており、それがまた風情を醸し出している。

この扇ねぷた、平川市役所の裏手に展示館があり、8時30分から16時30分まで見学することができる。ちょうど仕事で平川市に行ったときに一度本物を目にしたことがあるが、あまりの大きさに思わず息を呑んだ。高さ20メートルを超えるという五所川原の立佞武多を生でみると、卒倒してしまうかもしれない(実はこちらも生でみたことがない)。

ちなみに弘前駅の改札口には現在、青森ねぶた、弘前ねぷたのミニチュア(社員が作ったものらしい!)と、五所川原立佞武多で実際運行された本体の一部(頭の部分)を展示中。

青森のねぶたまつりは企業や団体中心の出陣で、弘前市のねぷたまつりは町内会単位での出陣が多く、最近では任意の団体での参加も増えている。また、市町村合併に伴い台数も大幅に増え、大小約70台のねぷたが運行される見込みとなっている。特に、弘前駅前運行となる5日と6日は、動き出すまで3時間以上かかる、ということもあるようだ。

天気図をみると、以前梅雨前線が横たわっているようだが、西から徐々に高気圧が張り出していることや、日本の南東にある高気圧も何となく夏の様相を呈してきた。
そろそろ全国一斉に梅雨明けの声が聞かれるかもしれない。

それにしても、まつりが大好きだったあの人がいないのは、何とも寂しい限りである。

2009年7月29日

Twitterを始めてみた

高校時代の畏友でもある敬和学園大学の一戸先生のブログで、Twitterの話がよく出ていて、僕なんかは「何じゃそりゃ?」の世界だったんだけど、先日「青森県」がTwitterに登録したのを機に、僕も登録してみようと一念発起。ちょうどタイミングよく知っている(といってもWeb上だけですが)方が数名登録したので、迷わず登録してみた。実際触れてみると、なるほどTwitterというのはWeb上で繰り広げられる「つぶやき」とそのフォローアップによって構成されているらしい。

しかし登録してはみたものの、考えてみるとTwitterに登録している友人知人は、少なくともこの周りには誰もおらず、登録したことが果たしてよかったのか悪かったのかは謎である。とりあえず知ってる人はフォロワーに登録させてもらったが、逆に迷惑がっているかも知れない(苦笑)。その場合は適宜削除してください。

それにしても、本当に何をどうしたらいいのか全くわからない。仕事の「ぐだめぎ」(ぼやき)でも語ればいいのかな。

何よりも、ちょっととっつきにくいな、と感じたのが、他の方々を見ると非常に高尚な(あるいはマニアックな)つぶやきが多いということだ。パッとみて、フォローできると思ったのがほとんどなかった...。さらに、あっという間に繰り広げられるフォローに次ぐフォロー。なんだかチャットみたいだ。そんなことを気にせずにガンガンフォローしていけばいいのかも知れないが、まだそこまで使い慣れていないというのも要因かもしれない。

ただ、少なくともWeb上で「僕は今ここにいるんだ」という意思表示には繋がりそうな感じがする。ただちょっと怖いのは、気がついたらtwitterが居心地のよいところになっていた、なんてことにはならないか、ということだけど(笑)。まぁ、今のところはそこまで深入りしていないので、その心配は御無用。

一戸先生は早速フォロワーになってくれたみたい。ありがとうございます。全く使い方を理解していないので、いろいろ教えてください。

僕のアカウント
http://twitter.com/nonvey/

2009年7月28日

なまこストラップ

なまこストラップ大受け 「キモかわ」青森新名物(2009年07月27日 河北新報)

青森県で、本物の県産ナマコを携帯電話のストラップに仕立てた「なまこストラップ」が飛ぶように売れている。女性を中心に「キモかわいい」(気持ち悪くてかわいい)と大受けで、企画した青森市などは急きょ追加生産を決めた。青森では鯵ケ沢町の番犬「わさお」が「ブサかわいい」(不細工でかわいい)と全国区の人気。市などは、わさおに続けとばかりに、キモかわいい新商品の開発にも乗り出した。

なまこストラップの原料は、陸奥湾で体長約8センチにまで育った2年物のマナマコ。乾燥させて半分ほどの大きさになったナマコを、ラメ入りの塗料でコーティングしている。金と黒の2色を用意した。

青森限定商品として、青森市の県観光物産館アスパム、JR青森駅ビルなど県内4カ所で13日に発売。「高級食材」とあって1個1000円と決して安くはなく、形もグロテスクなことから、売れ行きが心配されたが、ふたを開けると約10日間で初回生産の500個がほぼ完売した。
(中略)
なまこストラップは、青森市や弘前大、水産加工業関係者らで構成する「あおもりナマコブランド化協議会」が企画した。協議会は昨年9月に発足し、全国2位の漁獲量を誇る県産ナマコの知名度アップを通じて、販売促進や販路拡大を進めている。

その昔、妻と二人で青森県の特産物を考えたことがあって、その中で「なまこストラップ」という案が出てきたことを思い出しました。やはり同じことを考える人はいるんですね。しかも本物を加工して作っちゃうところが凄い(笑)。

というわけで、「ほぼ完売した」という現物がどんなものか見てみようと青森駅ビルに立ち寄ったところ、レジの前に結構な数が置かれていました。全然完売してないじゃん。
するとそこに、「あ、これだこれだ!」となまこストラップを5個も6個も買い漁る客が現れたのです。県外からの出張で青森県にいらした方と思われますが、河北新報の記事を目にしたのでしょうか...。ということは宮城県の方?
しかし、目の前で大量購入されると、どんなものなのか気になりませんか。あ、僕だけですか?
それじゃぁ、というわけで、思わず僕も黒と金を一個ずつ購入してしまいました。そういえば「地域限定」のストラップって、鈴がついているものが多くありませんか?このストラップにも鈴がついていました。これってなんか、邪魔だと思うこともあるんですけど。

黒は何となくそれっぽい雰囲気を醸し出していますが、金の方は、見方によっては何か違うものを想像してしまいそうな色と形状です。



ただ、何せ本物のなまこを加工しているわけですから、形も大きさもすべてバラバラです。なのでこれは、世界に一つしかないストラップ、ということになるわけです(多分)。そう考えると、一個1,000円も納得価格、というわけには行かないかな。
ちなみにコーティングはマニキュアみたいなもので施しているようです。個人的には、むしろこのラメの入ったコーティングがない方がグロテスクで「本物感」が漂っているし、「キモかわいい」ような気がするんですが...。
もっとも、本物の干しなまこですから、もし飽きたら食用に...って、無理ですね、これでは。裏にも「食べられません」と注意書きが書かれています。

女性に人気があるということでしたが、少なくとも我が家の女性陣には不評でしたよ(苦笑)。

現在は青森県観光物産館アスパム、青森駅ビル「ラビナ」、道の駅「よこはま」などで販売中で、更に1,000個を追加で販売することを決定、また、今後も販路拡大予定とのこと。

ちなみに道の駅「よこはま」では、Webショップ『電菜』でも販売していたようですが、現在は残念ながら完売となっています。

2009年7月27日

祖母のこと

gremz 絶滅動物
昨日、母と2人で祖母の様子を見てきた。
昨年11月末に腹痛を訴え緊急入院し、手術しなければならないという話を聞かされ、一時は覚悟をしたものの、その後奇跡的に回復し手術も回避、退院後の現在は老健施設への滞在と自宅滞在を交互に繰り返している。

今年の1月で、祖母は92歳になった。
さすがに90歳を超えるとあちこち支障が生じても仕方がないと思ってはいるが、いざ手術だ何だという話を聞かされた時は、正直言って肝を冷やした。

僕自身、ここ数年は祖母宅に頻繁に足を運んでいるわけでもないので、祖母が果たして僕のことを覚えているのか、というのが毎回訪問のたびにドキドキする一つとなる。

といっても約半年前には祖母と会っている。今回はさすがに大丈夫だろうと思っていたが、祖母宅を訪れると、従姉から「あんたの顔、覚えていないかもよ」とニヤリとされた。
家の中に入ると、祖母は車いすにちょこんと座っていた。約半年前より、幾分また小さくなった感がある。僕の顔を見るなり、「あれ、しばらくだのぉ。」

よかった。どうやら僕のことを覚えていてくれたらしい。

その後、祖母といろいろ話をしてみたのだが、耳は聞こえるし目も見えている。92歳にしては(恐らく)意思表示もしっかりしているし、こちらからの呼びかけにもすぐに反応する。

ただ、どうやら一部回線がショートしているようで、食事をしたことをすぐに忘れ、とにかく何でも食べたがるらしい。実際、我々がいる間もずっと「今日は何も食べてないんだよ...。」と譫言のように呟き、「一口何かあればなぁ...。」とほざいている。祖母と同居している伯父や従姉の話では「ちゃんとご飯は食べた。」という。
その姿を見て母は、「もうお腹いっぱい、これ以上いらないって言うまで何か食べさせてやりたいね...。」と嘆いていた。

一度祖母を寝室まで運び、寝かせたのだが、程なく声が聞こえ始めた。
「おにいちゃん(祖母は僕のことを「おにいちゃん」と呼ぶ)!おにいちゃん!頼むから手を貸してちょうだい!」

何事かと思い祖母のいる部屋に行き、「どうしたの?」と尋ねると、「みんなのいる部屋に行く」という。
そりゃそうだ、一人ポツンといるよりは、人のいるところにいたいのだろう。手を差し出すと、祖母は僕の手をギュッと、力強く握りしめた。
ところが、その後どうしたらいいものか、僕は途方に暮れてしまった。車椅子まで運びたいのだが、どうやって運んだらいいのかわからないのだ。「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」

騒動に気づいた従姉が駆け込んできた。
「ばあちゃんは腰を上げてやらないと起きられないの。ヨイショ!」
その小さな身体のどこにそんなパワーを秘めているんだ?というぐらいの力が有り余っているのか、それとも単なるコツなのか、従姉は祖母の腰のあたりを掴むと、祖母を車椅子に乗せた。僕はその間、ただ祖母の手を握っていただけだった。ただ、祖母は自らの意志で足を上げ下げすることもできることがわかったし、まだ手を握りしめる力も十分あることを知った。長時間横になっているせいで、腰が弱くなってしまっているのだろう。腰のパワーが回復すれば、また自らの意志で歩くこともできるかもしれない(まぁ、それは期待できないことではあるけれど)。

その後、母の兄(つまり伯父)夫婦も到着し、その日の本題について話が交わされた。その間僕は別室から、飼い犬と戯れていた。



ここの家の裏には第三セクターのローカル線が走っていて、僕はこのお陰で一時期本当に鉄道が大好きになったことがある(といっても結構長い期間だったが)。踏切の音が聞こえると、こんな感じで、1両ないし2両編成の列車が横切る。



結局祖母は、近々隣村にある特別老人養護ホームへの入居が決まりそうだ。それは、祖母の残り僅かな最後の人生を、ホームで過ごすということを意味する。

祖母宅に向かう途中、この話を聞いたが、既に母の腹は固まっていたようだ。
少なくとも、祖母と別居している私たちが口出しできる問題ではなく、同居している伯父と従姉に任せる、というのが母の思いであった。

「牢屋に入れられる訳じゃないし、施設の了解さえ得られれば、外泊許可を取って短期間またここに戻ってくることだってできるんだから。」
自分自身を諭すように、母に話した。

「そうだよね、うん。」
母も、自分自身を納得させるかのように強く頷いた。

しかし、いざ特養ホームに行くことになるということが決まった途端、一抹の寂しさもこみ上げていたようだ。

母が問いかける。「婆ちゃん、弘前に一緒に行くか!?」
以前の祖母であれば、我々が問いかける前に「足腰が良くなったら弘前に行くから。」と言っていたのに、しばらくの沈黙の後「....いや、いいわ。」と答えた。
一瞬、母の表情が曇った。

祖母の言葉を打ち消すように僕が続けた。
「また調子がよくなったら来ればいいよ。」

「うん。」
どうやら来る気はまだあるようだ。

「それじゃ婆ちゃん、また来るからね。元気でね。」
「そうか、帰るか。あなた達も道中気をつけて。」
92歳の祖母には、我々を気遣うだけの余力が残っている。

「じゃ、バイバイ。」
訪れた時と同じように、車椅子に座る祖母に小さく手を振る。
「はい、バイバイ。」
祖母も、僕に手を振った。その手は力強く、しっかりと振られていた。

2009年7月23日

吉川晃司 「Double-edged sword」

gremz エコマーク
今年デビュー25周年を迎えた吉川晃司。
肩ばかりが強調されたスーツに身を纏い粋がっていた兄ちゃんも、 40代中盤に差し掛かろうとしている。
ふてぶてしさは相変わらずだが、映画「チーム・バチスタの栄光」での好演や、大河ドラマ「天地人」での織田信長役の怪演など、音楽以外の場にも活動を広げている。
吉川といえば、NHK紅白歌合戦での暴挙が有名である。

この1985年の第36回NHK紅白歌合戦では、トップで登場したが、白組なのに真赤な衣装で酒を撒き散らしながら登場、セットを壊したあげく本来の出演時間をオーバーし、曲の終了間際にはギターに火をつけ、ステージに叩きつけて破壊するというパフォーマンスを行った。番組の進行上そのシーンが放映されることはなかった(すでにカメラは河合奈保子の紹介へ切り替わっており、ギターの破壊音とそれにたじろぐ河合と司会者が放送された)が、この煽りを受けた河合は歌唱曲『デビュー』の出だしが歌えず、更に酒浸しになったステージ上で歌うこととなったシブがき隊の布川敏和が足を滑らせ転倒した。
(出典:吉川晃司 - Wikipedia)

これ以来吉川は、NHKを出入り禁止となってしまったわけだが、徐々にドラマや音楽番組にも出演する機会を得て、ついには大河ドラマにまで進出することになった、というわけだ。
こうなると、25周年というタイミングで、四半世紀ぶりのNHK紅白歌合戦出場にも勝手に期待を寄せているのだが、前科が前科だけに、さてどうなることやら。

そんな吉川晃司の新作は、初回限定盤が3枚組という大盤振る舞いになっている。Disc 1は新作「Double-edged sword」で、最新シングル「傷だらけのダイヤモンド」を含む全11曲。
ただ、一聴しただけだと、ちょっと「...?」な感じもあり、この作品が「素晴らしい!!」と断言することは憚れる。
正直言って、このアルバムの内容は評価が割れそうな予感。音感的に「遊び」がないというか、なんかギター一辺倒の曲ばかりのように聞こえてしまうのだ。というわけでこれは今のところ「うーん」。

さて、初回限定盤のおまけで2枚のディスクが同梱されているというのも結構すごい話だと思うが、Disc 2は昨年末に代々木第一体育館で繰り広げられた「25th Year's Eve Live」からの音源を初CD化。ライブ音源としては初となる楽曲も収録されており、これだけでも「買い」。というか多分、ファンのお目当てはむしろこのDisc 2なのではないかと勘ぐってしまう。
Disc 3は、なぜか1988年に発表された初のライブアルバム「ZERO」のリマスター盤。25年前の音源と聞き比べろ、というならばまだしも、なぜこのアルバムのリマスター盤が同梱されているのかは、全くもって謎なのだが、初回限定盤のおまけということなので、せっかくだから聴きましょう。

ちなみに通常盤は言うまでもなくDisc 1のみの作品になっているので、欲しいという人は1,200円多く払ってでも初回限定盤を手に入れましょう。

ところで、デビュー25周年ということでメディアへの露出も増えているようだが、下で紹介しているDVD「LIVE archives 25」は、約2時間で90曲(シンバルを蹴飛ばす例のパフォーマンスも収録)、初期のパフォーマンスから最新ライブまで、おいしいところばかりが収録されている作品で、Amazonでは2,941円と23%オフのお買い得価格となっている。これは必見ですぞ!

大鰐町のこと

弘前市の隣に大鰐町というところがある。
昨日は仕事の関係で、終日この町にいた。
残念ながら一つの建物の中にずっといたため、町の雰囲気を見ることはもちろん、日食を見ることもできなかった(といっても仕事中なので見ることができないのは当たり前か)。

それにしても、大鰐町の窮する状況は思った以上に深刻のようだ。
県内でも有数の温泉街でありながら、客足はさっぱり伸びていない。(それなりに)立派なスキー場も抱えているが、ランニングコストが嵩み、今後の運営には暗雲が立ちこめている。追い打ちをかけるかのように、地球温暖化による少雪も、スキー場の運営にとっては悩みの種になっているようだ。

ことの発端は、リゾート法に乗じて次から次へと財政投下を行った結果、スキー場等を運営する第三セクターがパンク状態に陥ったことにある。要するに、典型的なハコモノ依存。

結果、大鰐町の財政基盤は数年前から綱渡りの状態で、いつ財政再建団体に陥ってもおかしくない状態まで疲弊してしまった。周囲の市町村からはそっぽを向かれ、「平成の大合併」においても、周辺市町村からは全くお声がかからなかった。

さらに、どうやら現在の町議会は野党多数の状況にあるらしく、このこともあまり建設的な意見が生まれてこない一つの要因にあるように考えられる。

単独での行政運営を強いられている大鰐町。
特急も停車するJR奥羽線・大鰐温泉駅の付近は、駅前とは思えぬほど閑散としていて、少なくとも我々が車で通りがかった際には、人ひとり見かけなかった。

スキー場がある阿闍羅山といえば、小学校時代の遠足コースで、冬はスキー教室が行われていたところだ。話を聞くと、今も周辺市町村の学校のスキー教室は行われるものの、いくら人が集まっても「客単価」が低いために、町を活気づけるところまではいかないのが実態らしい。もっとも、スキー場まではバスで移動するので、商店街にお金が落ちることはないのだが...。

駅前から続く商店街は閑古鳥が鳴いている状態、せっかくの温泉街も、後継者不足と客の入りの低下により廃業を余儀なくされているところが多いという。他聞に漏れずこの地域も、イ○ン系スーパーの進出が地元の商店に暗い影を落としている。悪循環のスパイラルが、底なし沼のように続いているようだ。

町を活性化させる手っ取り早い方法としては、町外からの人とカネを集めるよう仕掛けることだが、町も各団体も、そのアイディアすら出てこないような状況にあるらしい(アイディアはあっても、それを実行する金がない、というのが現実のようだ)。

数年前まで、僕の畏友が大鰐町内にある小学校で教鞭を執っていたのだが、児童が「どうしたら大鰐町が金持ちになれるか」なんてことを平気で(しかも真剣に)口にしていたというのだから、事態は本当に深刻だ。

関係者といろいろ話をしながら策を練ってみるものの、最後は「何をするにもお金がない」の一言。それも、まるで万策尽きたような口調である。
どうやら町の財政事情のみならず、町民の中にも「金がないので何もできない。」と意識が深く根ざしてしまっているらしい。
どちらかというとあまり自分のことを多く語りたがらない人が多い、という話を聞き、この地域は山菜採りを好む人が多いのだろうか、と思ってしまった(山菜採りは、家族を含め誰に対しても死ぬまで自分のテリトリーを誰にも明かさない人が多い)。

スキー客や温泉客が闊歩したかつての賑わいを、朧気ながらではあるが知っているだけに、このまま衰退の途を辿るのはあまりにも寂しい。

もはや大鰐町に投入するカンフル剤はないのだろうか...。
だた、この町にある「いこい食堂」の手打ち中華は美味い。駐車場がないのが玉に瑕だけど。

2009年7月21日

世襲批判をかわす公募

gremz 砂漠化
衆院が解散し、いよいよ8月30日の投開票に向けて動き始めた。
ということで、衆院選公示前の最後の政治ネタにしたい。

日曜日の地元新聞は、自民党の税制会長で党第二派閥のドン、衆院青森一区の津島雄二議員が不出馬の意向を固めたという記事一色で飾られていた。

もう何年も前のことなのですっかり記憶から薄れているのだが、父の生前、何があったのかは忘れたけれど、一度津島氏が我が家にやってきて、父の後援会幹部を前に弁をふるったのを見たことがある。しかしその後、父は自民党の政治に嫌気がさして党員を脱退し、以降無党派の風来坊を貫いた。

津島氏は、見かけは温厚っぽいけど、メロスではなかった。やっていることは結局シラクスの暴君ディオニスと一緒だった。最後の最後は自分の政治生命も「斜陽」を迎え、迷走。いっそのこと、私は政治家としては「人間失格」でした、ぐらい放言してほしかった。

義父の太宰治も草葉の陰で「こんなはずじゃなかったのに」って泣いてるかも。

青森市長選で自ら陣頭指揮を執り、党を挙げて支援した候補が大差で破れたことを考えると、この時点で求心力の低下が露呈したことは否めず、仮に衆院選に出馬したところで、多選高齢批判をかわすことはできなかったはずだ(つまりそれは、敗北を意味する)。
そのような伏線もあり、恐らく今回の衆院選に出馬しないことは、相当前から決まっていたのだろう。ただ、党第二派閥のドンが選挙で敗れることが、派閥のみならず党にどれだけの打撃を食らわせるか、本人はそのことを深く承知していたはずだ。
全国版のニュースでは、今回の不出馬について驚きを持って報じられていたが、むしろ「やっぱりそうだったか」といった感じで、そんなに驚くことではないと思う(「えーっ?今頃になって言い出すか!?」とは思ったけれど)。

しかし、敢えてここまで不出馬の意向を示さなかったのは、党内の他の候補が出馬に意欲を出さないよう牽制し、自分の秘書である長男の世襲を暗に既定路線とするための戦略だということは、県内有権者の誰もが感じているようだ。それとも、敵前逃亡といわれようとも、敢えてこの時期に引退を表明したのは、彼なりの政治美学、信念に基づくものなのだろうか。だとしたら、随分自分本位で身勝手な美学だが。

自民党では候補者は公募で決めるとしているけれど、水面下では、津島氏以後の候補者選びは、ほぼ固まりつつあるような情勢のようだ。事実、津島氏の意中の人も、「その人」であるらしい。

現在のところ、前回の参院選で民主党の新人に惨敗した元参院議員が出馬の意向を示している他、おそらく津島氏の秘書を務める長男、すなわち前述の「その人」も、遅かれ早かれ出馬の意向を示すことだろう。

まあ、今更候補者を公募したところで、既に始まっているといってもいいであろう選挙戦に誰が名乗りを上げても、正直勝算を見いだすのは困難ではないか、という気がする。それとも、劇場型政治よろしくお涙頂戴の選挙戦に打って出るか、あるいはタレント候補を担ぎ出すか...。もっとも、都議選のように公示2日前に出馬を決めて当選した人もいるぐらいだから、こればかりはどうなるかわからない。
ただ、今の青森県内でそんな神風が吹くとは到底考えにくい。

最終的には県連の判断に委ねられるようだが、ここは津島氏の長男を次期候補者に立てる、ということに落ち着きそうな気がする。

もっとも、仮に誰かに禅譲するとしても、確実に勝てる候補でなければそういったこともあり得ないだろう。裏を返せば、それだけ自民党にとって青森一区(いや、県内全域か)の情勢は厳しく、思った以上に逆風が強くなっている、ということだと思う。ここまで迷走するのならいっそのこと、やたらと衆院選に色気を出していた某県知事を無理矢理青森から担ぎ出すというのも一考かもしれない。あ、それとも「美人過ぎる何某」も選択肢ですか?

県連としては、これはあくまで公募によるものであって、世襲ではない、と突っぱねるだろうが、誰がどう見ても世襲でしかない。まぁ、長男以外の方を次期候補者にするというのであれば、これらの書き込み内容はすべて撤回させていただくしかないワケだが...。

ただ、青森一区への注目度がこれで一気に上がるとともに、候補者が乱立しそうな現状を考えると、情勢が混沌としてきたということは間違いないだろう(前回比例で復活当選した民主党候補への信任、とはすんなり行きそうにもなさそうな気配)。

あれほど東北新幹線の全線開業に心血を注ぎ込み、いよいよ来年に開業を迎えるこのタイミングで、敢えて全線開業のテープカットのハサミを次代に譲ろうとする津島氏の真意は計りかねるところが大いにあるものの、いずれにせよ、多選高齢批判を受けたまま落選し、そのまま過去の人になるよりは、無敗のまま引退した方が自分の政治生命には傷が付かないだろう、という打算があってのことなのだろうか。
それとも、自分や長男を犠牲にしてまで自民党愛を貫き通したいという意思表示の表れなのだろうか。

もっとも、今回は敗北もやむを得ないが、次回の選挙を見越した布石だとするならば、それはそれでしたたかだとは思うけど。

生誕百周年を迎えた太宰治の「孫」が衆院選に出馬。話題性としては十分あり、マスコミは食らいついて来る、かも?

しかし、どこを見ても、そこまでして血縁者を後継にしたいということは、「政治家」という職業はそれだけオイシイ職業なのでしょうな...。

なお、私の住んでいるところは青森四区が選挙区ですので、青森一区の候補が誰になろうとも、自分の投票行動とは全く関係ないことを念のため申し添えます。

2009年7月18日

僕もやってみた「○○チェック」

gremz エコアクション
最近流行っている(らしい)「○○チェック」。僕も「憧れ女性ちぇっく」をやってみた。

結果
まず、ロリコン属性評価ですが、のんべさんの場合女性=大人といった感じでしょうか。綺麗な女性に憧れる傾向があります。
次に知的属性評価ですが、知的な女性でなければ嫌なようです。一流大学卒でバリバリのキャリアが無いと付き合わない傾向があります。
そして、大人しく一歩引いてくれるような女性を求めています。二人きりでは良く話すようなタイプが好みです。
女性の胸に関しては、こだわりはあまり無いようです。適度なふくらみがあれば文句は言わないタイプです。

さて、見た目からみた性格的な傾向ですが、かなり優しい女性が好きなようです。耳かきをしてもらったり、病気の時に看病されたら、もう我慢できないタイプです。
外見的な部分で言うと、背の高い女性が好みです。モデルの女性がたまらなく好みなようです。
髪型にとくにこだわりはなさそうです。

そんなあなたにオススメなのは…

1位 蛯原友里 (256.6点)
2位 黒川智花 (255.6点)
3位 秦みずほ (255点)

 【 憧れ女性ちぇっく http://checker.from.tv 】

うーん、半分当たっているような外れているような...。エビちゃんは別に好きでも嫌いでもないんですけどねぇ。黒川智花の方がいいかも(笑)。で、すいません、3位の人って何やってる人ですか?(爆)
しかも3人とも僅差だし。

うちの奥さんを知っている人であれば、これが微妙にずれているということがおわかりいただけるはず。一歩引くどころか対等だし、二人きりだとよく話すようなタイプではないし、耳かきどころか看病すら怪しいし(笑)。しかし、モデルの女性がたまらなく好きって、多分一番苦手な部類のタイプのような気がするんだが...。

2009年7月17日

北海道 vs 九州・沖縄

gremz カーボンオフセット
旅行から戻ってきて、一番衝撃を受けたのがこれ。

イトーヨーカドーが、15日から20日までフェアを行うそうな。

イトーヨーカドーのデジタルチラシ(PDF版)

「北海道 vs 九州・沖縄」って...おいおい。お土産に買ってきた海ぶどうに、紅いもタルトまで販売してるし...(涙)。
ちなみに紅いもタルトは現地価格よりも105円高く、海ぶどうも極端に量の少ないものとなっている。
オリオンビールについてはアサヒビールが業務提携によりオリオンドラフト等を全国販売しているが、何か現地で購入して飲むヤツと微妙に味が異なるような気がするのだが、単なる気のせいだろうか。
いっそのこと、比較してみればよかった...。

昨晩、沖縄のホテルから配送した、水着やら菓子やらいろいろ混在した荷物がようやく到着し、職場の人にもお土産を...と、この「紅いもタルト」をはじめいろいろ詰め合わせた袋をあげたら、「ああ、イトーヨーカドーでフェアやってたもんね。行って来たんだ、ヨーカドー?」と言われてしまった。さすがにこれには凹んだよ!イトーヨーカドーに行くだけでこんなに日焼けしませんから!!

ちなみに、千歳空港では行列ができるという花畑牧場の生キャラメル、那覇空港でも販売されていたけど(九州限定マンゴー味の生キャラメルと、普通の(?)生キャラメルが販売されてた)、誰一人購入する気配もなく山積みになってた。

花畑牧場の生キャラメルを並んででも欲しいと考えているあなた!那覇空港が穴場です(笑)。

2009年7月16日

今回の収穫 in 沖縄

gremz 砂漠化
10日の最終便で青森を発ち羽田に一泊後、翌11日9時の便で沖縄へ、通算4泊5日の旅行に出かけてきました。
出発前に組んだ計画通りには行きませんでしたが(というかその通りだったら困る)、雨らしい雨にも当たらず、天候に恵まれた結果、頭のてっぺんからつま先まで綺麗に日焼けしました。
どれぐらい日焼けしたか、お見せできないのが残念ですが...(笑)。

しかし、14日の夜に青森に帰ってきた時は、外の気温が21度で、雨。つい5時間前までいた沖縄・那覇ではカラッと晴れ上がり、31度。沖縄にいた時のまま、ショートパンツにポロシャツ姿のサンダル履きで青森空港に降り立った僕は、ちょっと間抜けな格好でした。

青森では雨が降っていて肌寒さを感じるぐらいで、昨日も太陽が顔をのぞかせたり引っ込ませたりの一日だったのですが、同じ太陽を浴びているのにこんなに違うんだなぁ、ということを実感すると同時に、どこにいようが何をしていようが、密林だろうが砂漠化の進んだ枯れた土地だろうが、太陽の光だけはみんなに平等にもたらされるんだということを、ふと考えました。

今回の収穫は、ホテル近くにある産直施設が相当使える施設であることを知ったこと、7月のこの時期は、本格的な夏休みが始まる前ということで、比較的混雑していないこと(ただし往復の沖縄便は満席だった)、そして、巷がバーゲン真っ盛りであるのと同じで、沖縄でもバーゲンをやっていたことでしょうか...。

更に得した感は、ホテルで味わうことができました。まず沖縄初日に宿泊したホテルで、最上級の部屋に空席があるので、プラス数千円で宿泊してみませんか、というもの。滅多に泊まることもできないだろうと考え、その部屋をチョイス。枕が9個並んだキングサイズのベッドのある部屋に泊まることができました。
翌日から2泊したホテルでも、ワンランク上の部屋に空きがあり、こちらは追加料金なしでいいということでしたので、迷うことなくその部屋を選択しました。要するに、ホテルにも空室があったということなのでしょう。

いわば一つの目的となっているショッピング。こちらは初日にアウトレット、最終日はDFSでと、人目もはばからず血眼でいろんなものを物色してきました。何しに行ったんだか...。

その中にあっての戦利品は、ラルフのシャツ、コーチの名刺入れ、リーガルの革靴とサンダル等々。

その他、普段購入しないものも今回は購入しました。
正直、アクセサリにはほとんど興味がないのですが、たまたま立ち寄った店でまんまと話術に乗せられ(笑)、アイランドスピリット(http://island-spirit.jp/)のネックレスを購入。しかも、これまで記憶にない、妻とのペアで揃えてみました(店の人が言っていたように、確かに某所ではまがい品も出回ってました)。

念願だった海中道路をドライブし、美ら海水族館(4度目)、ネオパーク(今回初)、フルーツランド(今回初)を訪問し、たまたま通りがかった食堂で思いがけず安価で美味い「沖縄そば」を堪能し、そして某スーパーで地元食材を物色するなど、行き当たりばったりではありましたが楽しい4日間を過ごすことができました。

それにしても、この時期の沖縄は蝉がハンパなくうるさい!ついでにいえば、恩納村の地元民と思しきライダーの連中、連日連夜国道58号をブンブカブンブカと爆走!
というかリゾートホテルの前で爆音を立てるのは、単なる宿泊客への嫌がらせなのでしょうけれど(ちなみに一度ホテルの前で信号待ちしていたら、明らかにヤン車と思しき交差点を通過中の車から、突然「ワーッ」と大声で驚かされたことがあります)、他に鬱憤晴らす方法ないのかねぇ...。
かといって警察が取り締まっているような様子も見受けられず、明け方までブンブカブンブカと、一体国道を何往復したことか...。
沖縄の印象、凄く悪いよ、あれって。

といいつつ、来年も行くなら是非この時期にしようと思います。
既に来年は何しようか、いろいろ思案中...(笑)。

2009年7月13日

ホテルロビー

島唄が聞こえます。

2009年7月12日

沖縄の海

2009年7月10日

明日からの予定

gremz ゴミ分別
明日から早めの夏季休暇です。これから旅立ちます。

【10日】
帰宅後、慌ただしく着替えをして、神仏に旅の無事を祈り、19時30分出発。
犬たちにしばしの別れを告げる。母は誰もいないことをいいことに外出中。
19時45分、妻の実家到着。妻を乗せ、青森空港へ。
20時20分、青森空港到着。晩ご飯まだなんだよな。腹減った。
20時35分、搭乗ゲートで例のごとく金属探知器に引っかかる。この時初めて、ショートパンツのファスナーが全開であることに気づく。
20時45分、青森空港発。ついに機上の人となる。機内サービスで出されたコーヒーで、ポケットに偲ばせておいたカロリーメイトを流し込む。これが晩ご飯か!!
その後、梅雨前線の影響もあって、機体が何度も激しく揺さぶられ、顔面蒼白になる。
22時、羽田空港に到着。ホテルまでの無料バス乗り場に向かうが、既にフラフラに。しかも、乗り場がわからず迷う羽目に。
22時30分、何とか乗り場を見つけ、無事に羽田空港近くのホテルに到着。
23時、何をする気力もなくそのまま就寝。

【11日】

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2009年7月 9日

マイケル・ジャクソンの追悼式

gremz エコバッグ
今晩は雨が酷くなるということで早々に仕事を切り上げて帰宅した。明日からの準備も7割しか進んでないし。というか、明晩には機上の人になる予定だけど、しばらく悪天候が続くらしい。大丈夫なんだろうか!?

さて、全世界に向けて生で配信されたというマイケル・ジャクソンの追悼式。
動画の一部はCNNにて視聴可能だそうだ(ちありさんの「続・ヒトツログ」から情報拝借しました)。

ところで僕は、この追悼式にはどうもショービズ的な匂いがつきまとっていて、今ひとつ賛同できない気分でいた。
実際、僕が目にしたのは朝の芸能ニュースで流れるようなほんの一部分であって、追悼式の模様すべてを観たわけではないのだが、何だかもの凄く否定的な視点から一部の模様を観た。

多分それは、人の死をビジネスに変えようとする腹黒い魂胆が見え見えだったからだと思う。

昨年父が亡くなった直後に、一部の市議が「マガさん(父の愛称)の遺志を継ぎ、マガさんの分まで頑張ります」などとヌケヌケと言っていたことが伏線にあるのかも。
誰もあなたに父の遺志を継いでくれなんて頼んでないし。

まぁそれはともかく、まず疑問に思ったのは、無料チケットをゲットできたというファンの嬉々とした表情!
「チケットが当たった時は本当に嬉しかったわ!(ゲラゲラ)」って、何をそんなに喜んでるんだ?おまえら完全にミーハー気分で会場に来ただろう!不謹慎じゃないか!!

続いて何とも言葉を失ったのが、運ばれてきた棺。もちろんその中にマイケルが永遠の眠りについているのはわかるんだけど、カパッと蓋を開けると、朦々とドライアイスの焚かれた中から、三段重ねのフルーツ盛り合わせがせり上がってくるのか、と思ってしまった(って、こっちの方が不謹慎だわ)。

ただ、すべてが不謹慎というわけではなく、ちゃんとみんなマイケルのことを思ってステージに上がっているということは、何となくわかった。
Usherが棺に手をかけて唄っていたシーンはなんかジーンと来たな。
スティーヴィーもライオネル・リッチーも、感傷に浸っているのが伝わってきたな。
その中にあってマライアは、調子が悪かったのか感極まっていたのか、声が全然ダメだったねぇ。隣にいた人(名前忘れた)の合いの手も中途半端だったし。まぁ、For Michaelということからすると、本来なら最高の声で天国に送り届けたかったのかもしれないけど、まさか8月のアルバムの宣伝を兼ねて出演しました、なんてことじゃないことを祈る。

...とはいいながら、今回のマイケルの死を「食い物」にしている輩は沢山いるわけで、今回のこの追悼式の経済効果が一説には4億円を超えるとかいう話があったり、実際会場の外では関連グッズが販売されていたりと、何か本来の追悼の趣旨から外れて、ショーを見せられているような雰囲気にも思えた。
何よりも、We Are The Worldを合唱するためにステージに上がってきた皆さんは何かここぞとばかりに歌声を張り合っていた感じがしたし、まるで蚊帳の外に追いやられたかのようにポツンと置き去りにされていたマイケルの棺が、妙な感じだった。

ブルック・シールズが涙ながらに語るマイケルとの思い出。。
というか、本妻がいないからよかったものの、いくら名の売れたスタートはいえ、元カノがステージに上がって死んだ元カレとの過去の思い出話に浸るって、遺族の心情たるやいかがなものか!?というか、マイケルの子供達的にはこれもアリってことなんでしょうね...。

そして、娘のパリス・ジャクソンがステージ上にジャクソン・ファミリーとともに登壇し、泣きながらコメントを寄せるシーンは何度も何度も放映されていたのでご存じの方も多いと思うけど、何か11歳の娘を引っ張り出してまでやらなきゃならなかったのか?とも思うし(マイケルのきょうだいでも良かったんじゃないの?)、ああいう胡散臭さすら覚えるお涙頂戴的なシーンを目の当たりにすると、僕なんかは逆に興醒めしてしまうワケで...。

それでも、やっぱりマイケルって不世出のスーパースターであることは誰もが認めるところだし、だからこそ、こういう形での追悼式になった(あるいは、せざるを得なかった)んだろうね...。

2009年7月 8日

妻の誕生日

今日は妻の誕生日だった。
いよいよ不惑のフォーティまであと1年を迎えた。いわゆる、アラフォー。
この年齢になると、何かお祝いをするというのも恥ずかしさを覚えたのか、妻の方から「今年はホントに何もしなくてもいい。お願いだからやめて。」というお達しが出された。とはいえ何もしないというのも寂しいものだと思っていたら、母がいろいろと準備をしていた...。

考えてみると妻と出会って約20年が経つわけで、妻と出会った頃のことを何となく思い出していた。

...付き合い始めた頃、彼女の母親(つまり今の義母)がバイト先に迎えに来るということで狼狽し、挨拶しながら自転車ごとチェーンに突っ込んだこと...。
初めて家にやってきた妻を見て、父が「どこの馬の骨だ?」と呟き、僕が激高したこと。まぁ、父の照れ隠しだということは分かっていたし、どうもうちの家族は素直に言葉に表すことが苦手だということを悟ったのも、この頃だった。もっとも、当の本人が骨になってしまったわけだが...(ここ、笑ってもいいところです)。

結婚していきなり単身赴任、しかも妻は僕の実家で父母と妹と同居することになり、周囲からは「こんなできた嫁はいない!」とべた褒めされる一方で、週末帰宅する僕の居場所はどんどんなくなり、ついには、プチ改装した自宅の中でシックハウス症候群と思しき症状を発症したこと。

考えてみるとお互い照れ屋なのか何なのかはわからないが、改まって感謝の言葉を伝えたこともないし、好きだとか愛してるなんてとてもじゃないが聞いたことも言ったこともない。

まぁ、この何となく持ちつ持たれつの関係が、長続きしている秘訣なのだろう。
よく、伴侶を「空気のような存在だ」と揶揄する人がいるが、今となっては何となくそれもわかるような気がする。もっとも、空気という存在までにはお互いまだまだ達していないけどね。

小っ恥ずかしいので本人を目の前にしては絶対言えないけれど、ありがとう、そしてこれからもよろしく、の言葉を妻に捧げます。

誕生日おめでとう。半年後に追い付くので、先を走っていてください。

2009年7月 7日

行けるのか!?

先週から続いている出張行脚も、明日でいったん小休止。

青森市の北隣にある蓬田村から始まり、八戸市、五戸町、南部町と渡り歩き、昨日は旧十和田湖町まで行ってきた。明日は、父の生まれ故郷、西目屋村への出張が決まっている。

今月は恐らく、月の半分程度職場にいないということにもなりそうだし、何よりも来週月火は夏季休暇第一弾なのだ。
金曜日夜には機上の人となり、今週末は例の南の方でのんびり...といきたいところだが、ホントに行けるんだろうか?

何せ今年はいつもより2ヶ月早い夏季休暇(といっても昨年は夏季休暇らしい休暇にならなかったわけだが)なので、準備不足も否めないのかな、といった雰囲気である。

どこに行くのかも決めてないし、何をするのかも決めてない。いつも通りの行き当たりばったり。
わかっていることは、どうやら台風の心配をしなくてもいい、ということぐらいだ。
さて、どうなることやら。

2009年7月 4日

平成21年度鏡ヶ丘同窓会総会

gremz リサイクル 

鏡ヶ丘同窓会【かがみがおか・どうそうかい】
(1)旧制弘前中学校並びに青森県立弘前高等学校の同窓会。毎年7月第一土曜日に開催されるのが通例となっている。
(2)弘前市をはじめ、県内外に在住する自称「名士」他称「エフリコギ」の集まり。


というわけで今日は母校弘前高校の同窓会だった。昭和41年に卒業した父、そして平成元年に卒業した僕。一度だけ一緒に出席したことがあるが、僕単独で出席するのは、今回が初めてだった。
参加者は、旧制中学を昭和10年に卒業した同窓生から平成15年に高校を卒業した同窓生まで、約70年にわたる世代が一堂に会した。僕の同期(平成元年卒)は、2名出席予定であったが、諸般の事情により、僕だけが出席となった。ちなみに今年の同窓会担当は昭和54年卒であったが(毎年持ち回りとなる)、昭和50年代後半以降になると途端に出席者が減り、出席者のない学年もちらほら。その中にあって、平成2年卒業が10名も集まっていたのは意外であったが、聞くと1カ月ほど前に「同窓会に多勢で出席しよう」という意思疎通があったようで、仲間意識が高い表れでもあると思った。



さて、平成元年卒が1名しかいないという非常にさびしい状況の中、僕のテーブルには昭和58年から平成元年までの卒業生が顔を並べていた。知っている顔半分、知らない顔半分。

というか、こういう場に来るに当たっては、やはり知っている顔がどれだけいるかということが重要になるということを前回出席した時(確か10年ほど前)に強く感じたが、今回は父の同期の方々に諸般の御礼と、元気にやっているという姿を見せようというのが第一の目標だった。
なので、正直一緒に座っている人たちがどんな素性なのかは、あまり気にしていなかったし、同業者が僕以外に3名いたことは、ちょっとだけ心強いことでもあった。

物故者への黙祷の際には、必然的に父のことを思い出し、思わずウルッと来てしまった。実行委員長、同窓会長、学校長の挨拶と、淡々と次第は進んでいく。在校生への奨励金が手渡され、生徒の初々しい挨拶を聞く。我々にもこういう時代があったのだろうか...。あの頃は確かに純粋だったかもしれないなぁ、と妙に感傷に浸る。その後、通常の総会ではありえないだろうというぐらいにあっという間に終わった総会を経て、17時30分に乾杯。父と同期だった昭和41年卒の皆さんにご挨拶を済ませ、その他諸先輩や知った顔の後輩に挨拶をする。舞台では54会によるアトラクションが続いていたが、飲むことと食うことに夢中になっていた。
抽選会が始まった。

冒頭、名物ともいうべき例の雪駄が商品に登場したが、5名の人たちの手に渡ったようだった。
次に登場したのは日本酒。弘前高校の校章も張られた限定品である。

順に名前を呼ばれる中、何と僕の名前も呼ばれた。思わずガッツポーズ。
名札を示し、、酒を受け取り席に戻る途中も、あちらこちらから「おめでとう!」の声が掛る。


すると、席に着くや否や先に雪駄をもらっていた平成2年卒の女史が、「物々交換」にやってきた。

しかし、先方にとってはあまりに都合のいい申し出であり、しかもその女史のことは何も知らない。
「いやぁ...ちょっとねぇ...。」
最初は父の仏前に上げようと思ったが、考えてみると、家で日本酒を好んで飲む人はいない。
そう、実は僕の本命は雪駄だったのだ。

なぜ雪駄が欲しいのかというのは、多分同期の人たちなら理解してくれることだろう。

というわけで、「ラッキー!」と思いつついったん断りを入れたが、10名も出席している平成2年卒にとって、2次会にこの酒を持っていきたいという気持ちは痛いほど伝わってきた(事実、何やら視線を感じたんですが、気のせいでしょうか)。

そこで、学生時代に一緒にバイトをしていたI君を呼び寄せ、「酒と雪駄交換するから、すぐ持ってこい。」と伝えた。
「いいんですか!?ホントにいいんですか?」

「いいから。持って行けって。」

「わらしべ長者だ!」そんな声も聞こえたが、僕の本命はあくまで雪駄。

これ、ホントに嬉しいです。

何でこれが嬉しいのかは、同期の皆さん、だれか補足説明していただければ幸いです(笑)。

 

2009年7月 3日

某氏との対面

gremz エコバッグ
その人は、僕の青春時代に大きな影響を与えた人であり、僕が洋楽にどんどん興味を示すようになった中学から高校時代にかけて、いろんな情報を提供してくれた人だった。

その人を初めて見たのは約25年前。
弘前市内にあった「ハイローザ」というファッションビルで行われたラジオの公開録音が最初だった。
その人は地元放送局の、ラジオのDJだったのだ。

金曜の夜は、その人のラジオを聴くのが楽しみで仕方がなかった。夜な夜な勉強(?)の片手間に、ついには葉書職人よろしく何度もラジオ番組に投稿を重ね、採用された時には、レコードやCDから食料品雑貨に至るいろんなものを頂いた。そのコーナーだけををカセットテープに録音し、何本も編集したこともあった。

極めつけは、このラジオ番組から自宅に電話がかかってきたことだった。裏を返せば、それだけ一生懸命投稿していたということなのだろう。
12月末だというのに「あけましておめでとうございます!」から始まったその電話は、公開録音の収録中の一コーナーだった。「紅白歌合戦は、どちらが勝ちましたか?」などという無謀な質問、あれよあれよの間に始まったクイズは、こんな問題だった。
「餅米以外で餅を作っている米は、何というでしょう?」
わけもわからぬまま「う、うるち米?」と答えると、
「正解~!!それじゃ、何か送りま~す。さようなら~!!(ガチャン)」
「.....。」

何が送られてきたのかは忘れてしまったが、その日の電話でのやりとりは、正月の特番でOAされた(母親が電話口で戸惑っていると爆笑が沸き起こったり...)。
遅ればせながら届いた友人からの年賀状には「ラジオ聞いたぞ!」のメッセージや、冬休みが終わり学校に出てみると、たまたま聞いていた同級生から「あれ、お前だろ?」と突っ込まれたこともあり、恥ずかしくも何だか誇らしい思い出となった。

そんな僕の青春の一ページに大きな装飾を施してくれた、そして青森県内に「どんだんず~」ブームを巻き起こしたその人は、今では社内でもかなりの要職に就いていることだけ知っていた。

その方と、何と仕事でご一緒することになったのが、昨日のことだった。

とある審査委員を代理で仰せつかった僕は、八戸方面での企業訪問を終えた後、まっすぐその足で会場のある岩手県境に隣接する町へと向かった。

会場に到着し、控え室に案内され、審査要項やら原稿やらに目を通しながら、ふと審査委員長の名前を見て、思わず小躍りしてしまった。

H氏って、あのH氏?審査委員長!?え?ホントに!?動揺と緊張と興奮を抑えるのに必死だった。
程なく、H氏が到着。
「審査委員長がお見えになりました」

以前よりスマートになった分、白髪の増えたH氏は、25年前の雰囲気をそのまま醸し出していた。

平静を装いつつ、名刺交換。

席についたH氏、いきなり「坂本サトル君の実家はこのあたりですよね?ご存じないですか?」と尋ねるが、少なくとも僕の周りにいる審査委員と担当の方々(いずれも50代~60代)は、坂本サトルが何者なのかも知らぬ、といった表情を浮かべている。少なくとも反応をしていたのは、僕と地元の人だけだった(笑)。

その後約1時間20分、会場で発表を聞く。H氏は発表を聞きながら時折肩を震わせ、時折クスリと笑っている。隣に座る僕も、注意深く発表に耳を傾けていた。

すべての発表を聞き終え、控え室に戻り、審査を終えた後、ついに僕は我慢ができなくなり、H氏が一服している隣に座った。

「お疲れ様でした。」
「あ、どうもお疲れ様でした。」

「あ、あの...実は私ですね...」

中学高校時代とH氏がDJを務めていたラジオ番組(セイ!ミュージックフェロー!)のヘヴィリスナーで、何度も投稿をしたことがあること、直接自宅に電話を頂いたことがあること、その週の最優秀賞を頂いたことも一度だけあることなどを話すと、笑いながらもビックリしていた。

「で、読まれたネタってどんなネタだったんですか?」
「ええとですね...」
以下、賞をいただいたネタの概要を説明すると、
「あ、それ知ってる!あれ?確かCDに収録してますよ、それ。」

「マジすか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

何と、僕の投稿したネタはCDに収録されていたらしい。
図々しくもやんわりと、CDを入手できる方法がないか聞いてみたが、諸事情により会社には一切余剰在庫がなく、H氏も個人用のCDを1枚ずつ持っているだけだそうな。

ちなみに今月発売予定のCDは、シリーズ通算7枚目だそうだ。

今週のどんだんず LIVE DANZ! DANZ! DANZ!
価格 2,100円 発売元 青森放送㈱
青森県内のローソンで7/25(土)販売

その後約10分程度ではあったが、ラジオが置かれている現状、県内の動向、旬な人物のことや新幹線開業の話などを興味深く伺うことができた。
こちらからも、景気が悪くなると我々が忙しくなるんだということを話すと、なるほど、という表情で耳を傾けてくれた。

「いやぁ、会場で聞いた今日の話はネタにしたいなぁ...」
「是非、ネタにしてくださいよ!会場の皆さんも喜びますよ!」
「でも、僕がネタにすると、どうしても腐しちゃうんですよねぇ。」と、ニヤニヤしながら話すH氏。

そこには、審査委員としてではなく、まるで25年前のような童心に返り、一リスナーとして話に耳を傾ける僕がいた。

成績発表、講評などを終え、我々の役目は終了。

「今日、これから青森市内であおもり映画祭の司会なんですよ。すいません、今日はありがとうございました。私も勉強になりました。」

苦笑いしながら身支度を始め、颯爽と会場を後にするH氏。

それでは僕も、と会場を後にすると、まだH氏がそこにいた(というか、僕の隣に車を停めていたのだ)。

「お疲れ様でした。お気をつけて。」
「お互い気をつけて。あ、今後とも何かあったらよろしくお願いしますね。」

「は、ハイ。ありがとうございます!」

何があるのかわからないし、単なる社交辞令に過ぎない挨拶かも知れないが、何だか無性に嬉しくなり、喜びをかみ殺しながら、弘前までの帰路を急いだ。

橋本さん、いろいろとありがとうございました。いい思い出になりました。