2009年9月28日

豊盃 純米吟醸(生酒・グリーンラベル)

今から5年ほど前、「ポスト十四代」と紹介された「豊盃」。日本酒通の間では知られまくっている銘酒である。

この豊盃の酒蔵である「三浦酒造」は、うちから約15分のところにある。
「豊盃」がここまで全国的に名の知れた酒になるなんて、正直言って20年前には想像できないことだった。
ご家族が力を合わせて経営されていること(今は二人の息子さんが杜氏として切り盛り)、決められたところとしか取引しないことや、製品管理を徹底していることも、「ポスト十四代」と呼ばれる所以かも知れない。何よりも、そのコストパフォーマンスには本当に目を見張るものがある。

じゃん子が、銀座線の京橋駅近くにある居酒屋を上司と訪れたところ、日本酒の品揃えが凄いことに感銘を受けたそうだ。ふと見ると、「三浦酒造」と書かれた半被を着た店員さん。後ろを振り返ると、そこには「豊盃」の文字。すっかり感動し、思わず「私、豊盃の酒蔵のある弘前市の出身です!」と女将に猛アピールしたらしい。すると女将はじゃん子も知らない弘前の良さを次から次へと紹介し始め、その後すっかり意気投合、思いがけず東京の真ん中で弘前の話に花を咲かせた、というエピソードがあって、そのことをどうしても三浦酒造の人たちに一言伝えたいということで、何としても訪れなければ、と意気込んでいた。

三浦酒造を訪れたのは、26日(土)午後のことだ。

三浦酒造は、妻の仕事の取引先ということもあって、妻は三浦酒造の皆さんとすっかり顔見知りである。余談ではあるが妻がどれぐらいのお付き合いで三浦酒造の方々にお世話になっているかというと、名字で○○さん、ではなく下の名前で○○ちゃん、と呼ばれていることで、大体お察し頂けるだろうか。
GW以来の訪問となった三浦酒造、我々のお相手をしてくださった若奥さんとも会話が弾む中、特にじゃん子がどうしても伝えておきたかった話には、四代目となる社長自ら登場して耳を貸してくださり、更に盛り上がりを見せる(じゃん子のネタは、妻が事前に前振りをしていたらしい)。

折角なので、じゃん子が世話になっているという上司へのお土産を購入しに行ったつもりが、気づいたらあれやこれやと店頭には並んでいない品を奥から引っ張り出してきた。

三浦酒造には、酒蔵でしか販売していない限定酒がある。奥さんが手にしていたのは、その「生酒」バージョンで、この時期の酒蔵には並んでいないものだった(確か、ある時期には期間限定で並んでいた記憶が蘇ってきた)。
その他、7月に発表されたばかりのパティスリー酒(アイスクリームに垂らすと、ブランデーのような味わいが楽しめるそうだ!)、更に、社長の懇意で、大吟醸の酒粕まで出していただいた!

豊盃の酒粕・大吟醸

気分はすっかり「超お得意様」である。

品代を払い、車に積んだら、酒粕の甘い香りがプーンと漂う。

「今検問で止められたら、間違いなく誤解されるね。」
笑いながら帰路につく。

手に入れた「期間限定酒」は、一体どんな味がするのだろうと、期待に胸を躍らせながら帰宅。

早速夕食時に、冷蔵庫で冷やした「緑の生酒」の栓を開けてみた。

豊盃・グリーンラベル 豊盃・グリーンラベル

お猪口に注ぎ、口を近づけると、一部では「ラムネのよう」と称されるような爽やかな香りが鼻腔の奥まで漂ってくる。
寝かせていた分、まろやかになったのだろうか、喉元をスゥッと、何事もなかったかのように転がっていった後、口の中にフルーティで芳醇な香りがフワッと残る。

う、うまい...。

キンキンに冷やされた酒の温度が徐々に常温に近づくにつれて、まろやかさが薄れ、今度はエッジの効いた酒に変わってくる。
程よい辛みが、お猪口に口を近づける頻度を更に増していく。

まるで魔法の酒だ。決して普段は好んで嗜むことのない日本酒は、あっという間に空瓶になってしまった。

三浦酒造の皆さん、いろいろとお騒がせしました。ありがとうございました。本当に美味しかった!



こういう日は、心地よい酔いに包まれたまま眠りにつくに限る。

どうやらいろんな夢にうなされていたようだが(苦笑)、翌朝の目覚めは実に爽快だった。二日酔いは勿論のこと、前日の酒が残っている感覚は、皆無。

その昔、地元の酒造会社のCMで「いい朝は酒が知っている」というキャッチコピーがあったが、あの言葉は本当に嘘ではないと、最近つくづく思うようになった。

ちなみに、あのCMで流れていた「It's so nice!」という歌は、ブレイク前の織田哲郎が作詞作曲し、歌っていたそうだ(出典:Wikipedia)。といっても、もう20年以上も前の話だが。
あ、全然関係ない話で終わってしまった...icon:F9C7

2009年9月24日

一週間ぶりのご無沙汰

というわけで、この五連休に何があったか、壮大なスペクタクルでお届けする気満々だったのですが、なんと9割書き終えた時点で消去するという大チョンボを犯してしまいました。
嗚呼、やっちまった。これは凹む!マジで凹む...。

端折って書き綴るならば、19日は盛岡に行って結婚式に出席して、散々日本酒を飲まされて帰宅してアルコール検知器でどれだけ酒が残っているか調べたら、なんとゼロ表示。わずか4時間で分解するわけがねぇ、ということで市販のアルコール検知器はアテにならないことを証明したこと、20日は思い立ったが吉日で十和田市の現代美術館に足を伸ばそうと張り切って行ったら大混雑過ぎて入る気になれず、結局八戸市の八食センターまでさらに足を伸ばすことになり、僕はすっかり足長になってしまったこと...じゃなくて母がご満悦だったこと、21日は母と妹が祖母の見舞いに出かけそのまま宿泊決定、我々は弘前市石川にある創業70年を超えるという某食堂で中華そばに舌鼓を打ち、帰りに道の駅「ひろさき」で餅粉を購入、生まれて初めてお彼岸に彼岸団子を作ることを決意したこと、22日は母と妹が思いがけず早く帰宅したので、今期3度目となる「嶽きみソフト」を食べ、妹が「コーンスープのソフトみたいだ」とコメント、これが言い得て妙だったこと、23日は予定通り4人で彼岸団子を作りながら、父が亡くなった日の朝にも、母と妻と僕の3人の共同作業で父のためにおにぎりを作ったことを思い出したこと等々、よく見ると何だか飲んで食ってのネタだらけではありますが、この5日間は充実していたけど、結構休み疲れしちゃったなー的なお話だった訳で。

さすがに今日は疲れがドッと出てます。ちなみに明日は終日出張。
ある意味息抜き。

2009年9月18日

「トミハン」が消えた...

弘前大出身者なら多分名前を知っているだろうし、界隈の高校生にも根強い支持を受けていた富田飯店。学生の財布にとても優しいお店だった、その富田飯店(通称「トミハン」)が、9月13日をもって閉店したとの話を耳にした。
眉毛の細さでは向かうところ敵なしだった奥さんが、不慮の事故で他界して約1年半。その後は何とかオヤジさんが切り盛りしていたが、ついに気力体力ともに限界が来たらしい。

トミハンといえば、お世辞にも飛び抜けて美味しいというわけではなかった。ただ、とにかく低価格の中華料理が魅力的だったし、セット料理も充実していた。いわば庶民の味方だったわけだ。
満腹セットなる商品は、普通の中華そばとライスに、餃子や麻婆豆腐がセットになって600円などという、このご時世ではとても考えられないような価格設定だった。

弘前市内を見ているとここ数年、「名店」とまではいかないにせよ、市民に愛されていた店がどんどん閉店している。特に、学生時代お世話になった西弘前界隈の飲食店を始め、年をとっても何となく小躍りしてしまうような、そんな店がなくなっている。スカット、ナッシュビル、天龍、香月、元気屋...。

トミハンの思い出はそれほど深いわけではないのだが、未だに妻の語りぐさになっているのが「豚汁定食事件」だ。

学生の頃まで話は遡る。店に入りメニューとにらめっこしながら、どうやら新顔らしい店員さんに、「広東麺」を注文した。ところがしばらくして、なぜか出てきたのは「豚汁定食」。

注文を聞いていたのは、中国からの留学生だったらしく、何をどう聞き間違えたのか「トン」しか合っていない。差し出された豚汁定食を見て、妻は爆笑。注文し直すのも面倒くさくなり、やけくそで一口食べたら意外とイケる。そのまま食べ続けようとしたら、妻が慌てふためいて僕の箸を遮る。異変に気づいた店主が「どうしました?」と一言。
妻「いや、広東麺を頼んだのに豚汁定食が...。何で食べたのよ!」と笑いながら言うと、中国人アルバイトはむくれ面で「ちゃんと確認したのに...。」とぼやいたのが聞こえた。

そう、確かにあの時「ごチュモン、繰り返します。」と言っていたのだ。ただ、何となく「トン」が先に聞こえたような気がしたが、スポーツ新聞を見ながら、確認もせずに、うんうんと頷いた僕が一番悪いのだ。
店主は何事もなかったかのように「いいですよ!作り直しますよ!」と笑顔で一言。「いや、別にこのままでもいいんですけど...」と言いかけたところにやって来たアルバイト女性は、ムッとしながら僕の前にあった豚汁定食を下げてしまった。何だか一人気まずい思いをしながら、その後出された広東麺にありついたのだが、何ともいえぬ申し訳なさで、そのバイトの女性に顔向けできなくなってしまった。

あの一件以来だったかな、かなり不定期に訪れていたのに、「毎度様!」と声掛けされるようになったのは。最後に訪れたのも、いつのことだったか忘れてしまったぐらいに足が遠のいていたところにやって来たこの知らせは、文字通り寝耳に水だったし、かなりショックだった。

あの愛嬌ある髭の濃い店主の顔が、もう見られなくなってしまうのかと思うと、無性に寂しくなる。
あの豪快な「満腹セット」も、食べられなくなるなんて...。

33年間、お疲れ様でした。

2009年9月15日

BoseからMarantzへ

通勤時、iPod nano(所有しているiPod touch、しかも前世代型は未だデビューできず)に接続して聞いていたイヤフォンがいよいよ大変な状態になってきた。ちなみに今使っているのは、Boseのin-ear headphones。Appleのオンライン福袋に同梱されていたものだ。

初めて使うBoseのイヤフォンは、決して相性の良いものとは言い難かった。とはいっても音質は素晴らしいし、結構好きだったんだけどなぁ。
使い始めて1年間で失くしたイヤーチップの数、3個。Boseに送ってもらったイヤーチップの数も、3個。平日はほぼ毎日1時間~2時間の使用。雨風雪、高温にさらされながらも耐え続けた結果、使用後1年が経った頃、噂に聞いていたケーブルのほころびが出てきた。ケーブルの強度が弱い、というのは総じて見られたレビューだった。

まず最初の状態は、左側のケーブルが折れ曲がり、中の軸線がちょっとだけ顔をのぞかせ始めた。そして今月に入って、ワイヤーストッパーを引っ張った時、それと一緒にあら不思議、ケーブルの被膜まで一緒にスルスルと...。嗚呼、軸線が剥き出しに(泣)。
取りあえず今も騙し騙し使ってはいるものの、傍目にも非常にみすぼらしい姿になってしまった。辛うじてBoseのロゴがあるのでそれとわかるが、ここまで来ると本当に恰好悪い。

たかがイヤフォン、されどイヤフォン。1年半持ちこたえただけでも良しとしなければならないかも知れないが、元は12,000円を超える高額商品である。それ相応の耐久性は欲しかった。
何よりイヤーチップを紛失した、あのムキーッと来る気分、あの時のストレスを思うと、今まで使っていた中で1~2位を争う音質とはいえ、また同じ商品を購入する気にはなれなかった。

同等でなくてもいいので、何かめぼしいイヤフォンがないかと探していた時に見つけたのが、MarantzのHP101だ。
いろいろレビューを見ても評価は頗る良く、購入を決意。アルミ削り出しというおしゃれで高級感あふれるデザイン、付属品も延長ケーブルや航空機用変換プラグ等と、バラエティに富んでいる。1万円以下でこの品質は、「買い」かも。

ちなみに低音部が弱いというレビューが多く見受けられたが、さほど弱いとは思わなかった。
まぁ、これからしばらくいわゆる「エージング」でもやってみますか。といっても、正直あまり変化に気づくことができないんですけどねー。

Michael Jackson's This Is It

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10月28日から2週間限定で公開されるMichael Jackson最後の記録映画「This Is It」の予告プロモーションが始まった。
MTVビデオ・ミュージック・アワードでのマドンナの発言。懺悔にも似た彼女の言葉に、何か、自分の一番触れてはならないところをもみくちゃにされたような、複雑な気持ちと激しい悲しみの感情が入り混じった気持ちになった。

【9月14日 AFP】MTVビデオ・ミュージック・アワード(MTV Video Music Awards)が13日、ニューヨーク(New York)のレディオ・シティ・ミュージック・ホール(Radio City Music Hall)で開催され、6月に急死した故マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)さんに多くのアーティストから称賛の声が贈られた。

式のオープニングを飾ったマドンナ(Madonna)は、マイケルさんを「史上最も偉大な才能を持った人物の1人」とたたえると、マイケルさんはわたしたちに踊りたいと思わせてくれただけでなく、空を飛べるかもしれないとも信じさせてくれたと語った。

しかし、称賛が終わると声のトーンが変わり、マイケルさんが健康問題、歌手業、そして児童に対する性的虐待容疑に苦しみ始めた頃に手を差しのべない人が多かったと語った。

「わたしは彼を見放した。わたしたちは彼を見放した。世界を照らしてくれたこの素晴らしい人物が見過ごされていくのを許してしまった。彼に背を向けた人がほとんどだった」

こう語ったマドンナは「キング万歳!」と叫び、ステージを後にした。

誰も決して触れようとしなかった事実。そう、我々はマイケルを卑下し、そして見放していたのだ。彼が亡くなるまで。
彼が亡くなった途端、「大事な人を失った」と嘆き悲しみ、そして称賛する。ついこの間まで、「マイケル?もう彼の時代じゃないでしょ。」なんて罵倒していた人たちも含めて。
しかし、いくら嘆いたところで彼は戻ってこない。気付くのが、遅過ぎたのだ。

マイケルは死んだ。マイケル・ジャクソンはもうこの世にいないのだ。
マドンナのコメントは、そのことを痛感させられる、悲しくもあり、向き合わなければならない冷たい真実を突き付けられる内容だと思った。

10月28日。人々は一体どんな感情を持って、このフィルムの公開を目の当たりにするのだろう。

2009年9月14日

私見に基づくイベント考

結局昨日は誘われるがまま黒石市まで足を運び、初めて「こみせまつり」というものを見た。思えば黒石市のこみせをブラブラ歩くのも初めてで、意外と斬新な印象を受けながら風景を楽しんだ。

会場の一角では「やきそばサミット」も行われていて、非常に活況に溢れていた。ちなみに聞いたところでは福島県浪江の焼きそばが2日分を初日で完売したようで、秋田県の横手焼そばも昼頃には完売となっていた。
通りのあちこちには仮設テントが設けられ、市内の食堂がご当地グルメの「つゆ焼きそば」を販売していた。
県内外からも大勢の人が集まったようで、聞き慣れないイントネーションがあちらこちらで聞かれた。

どうやら「よさこいソーラン」の演舞も披露されていたようだが、県内外からの来客も多い中、折角ならば「黒石よされ」のPRをすればよかったのに、と疑問に思った。なぜあれほどの素晴らしい踊りがあるのに、「よさこいソーラン」なのだろう?黒石をPRする絶好の機会ではないのか。
もうひとつ苦言を呈するのならば、県内外からの客を誘導するには、あまりにも案内が少なすぎた。駐車場の場所、全体図、現在位置、やきそばサミットの会場等、交通誘導も含め、全てに何か物足りなさを感じた。

一方この日、弘前市では中心市街地の土手町で「カルチュアロード」が開かれていた。
聞くところでは今年、30回の節目ということで何か大々的な催しがあるのかと思ったら、これまでとあまり変わり映えしない内容に終わったようだ。それでも、悪天候の中約5万人の人が集まったそうだ。ただ、去年も参加者が約5万人であったことを考えると、この数字は決して手放しで喜べる数字とは言えないだろう。

ちなみに僕はこの「カルチュアロード」に、第1回からしばらくボーイスカウトの一員としてボランティア参加していた。大学受験が近づいてきたことを機にボーイスカウトから退き、以降ほとんど足を運ぶことはなくなった。それは多分、今でもボランティアとして参加している仲間たちへの後ろめたさがあるからだと思うが、それ以外にもこのカルチュアロードは、何かイベントを楽しむというよりも、知っている人を見つけ出すといった趣旨になってしまっていたからだ。

第1回のカルチュアロードは、文字通り足の踏み場もないほどの人で溢れかえり、活況に満ちていた。それだけ街にも人が集まる時代だった。
あれから約30年、今の街がどうなったのかは、敢えてここでは口を噤もう。

「カルチュアロード」でも、やはり「よさこいソーラン」が演舞されていたようだ。
それにしても、弘前も黒石も「よさこいソーラン」しか拠り所はないのだろうか。というか、県内各地のどこのイベントを切り取ってみても、この「よさこいソーラン」を目にすることが多い。

「よさこいソーラン」と言えば、ご存知の通り高知県の「ソーランまつり」に端を発し、北海道札幌市で繰り広げられるようになったお祭りである。知名度の高まりとともに各地にも飛び火し、青森県内(とりわけ津軽地方)でも各地で行われるようになった。老若男女問わず、である。
ただ、個人的には青森県内でねぶたやねぷた、その他伝統的なお祭り、風物詩があるにもかかわらず、この「よさこい文化」が、どこにでも神出鬼没することには、多少ではなく大いに違和感を覚える。
もっと地元の文化を大事にしてほしいな、と。

しかし、なぜここまで「よさこいソーラン」に嫌悪感を覚えるか考えてみた。多分元を辿れば、高校1年の時に無理やりやらされた「創作体操」に端を発しているからだろう。数名でチームを組み、自分たちで考えた体操を他のクラスメートの前で披露するというこの上ない恥辱プレイ。どうもあの「創作体操」と「よさこいソーラン」が似たようなものに思えて仕方がないのだ。「よさこい」を側で見ていて気恥ずかしくなるのも、多分「創作体操」が元凶だ。

とにかく苦手なものは苦手。食わず嫌いと言われようが何と言われようが、ダメなものはダメ。
まぁ、僕の「よさこいソーラン」への思いなんてどうでもいい。

もう一つ気になったのが、街の風景が変わっている中で、イベントの内容も変わっているのだろうか、ということだ。24時間テレビの100キロマラソンも、毎年毎年続けられると「飽き」が来る。過去5年間のマラソンランナー、顔ぶれを覚えてますか?イベントのマンネリ化は、退屈と衰退を招く。これは何にでも言えることだろう。
スタッフの顔触れはだいぶ変わったのだろうか。
「ま、去年と同じでいいか!」なんて考えているスタッフ、いないよね?
要するに、「どの層を対象(ターゲット)に開催するイベントか。」ということを今一度見直せば、おのずと方向性は決まってくるのでは?

今まで培ってきたものを180度転換しろとは言いません。
でも、節目を迎えた「カルチュアロード」、来年は少し変化球に期待。「こみせまつり」は、今回のようなことを再度行うのであれば、もっと誘導看板を!

Not Revolution,But Evolutionでヨロシク。 

2009年9月11日

秋のこみせまつり(黒石市)

黒石秋のパンまつり...じゃなくて秋のこみせまつりが、明日明後日の両日にわたって開催されます。
今回の目玉は「やきそばサミット in 黒石 2009」。
東北地方でB級グルメの雄を誇る秋田県横手、宮城県石巻、福島県浪江、そして青森県黒石の焼きそばが一堂に会します。
この他、開会式では高校生ビジネスプランコンテストの表彰式(直接ではありませんが、仕事の関係でちょっと絡みがあります)、こみせギネス流しそうめん等、各種イベントが開催されます。

開催時間は10時から17時まで(焼きそばサミットは両日とも10時から15時まで)ですが、周辺の道路は9時から18時頃まで交通規制が敷かれる予定となっておりますので、通行の際はお気を付け下さい。なお、会場周辺には無料駐車場も用意されているそうです。

パンフレット12(PDFファイル)

B級グルメのさらなる盛り上がりのため、新たな組織も設立されたようです。

東北Let'飯同盟:B級グルメNo.1へ 東北勢10団体が設立 /青森(毎日新聞)
 ◇おでん、やきそば、せんべい汁、バラ焼き

 東北地方のB級ご当地グルメを盛り上げようと、B級グルメ10団体が「東北Let'(れっ)飯(ぱん)同盟」を10日、設立した。東北の食を協力して全国に売り込み、B級グルメが人気を競う「B-1グランプリ」で東北勢初の優勝を目指す。

 参加したのは「愛Bリーグ(B級ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会)」の北海道・東北支部に加盟する東北4県の10団体。県内の青森生姜味 噌(しょうがみそ)おでん(青森市)▽黒石つゆやきそば(黒石市)▽八戸せんべい汁(八戸市)▽十和田バラ焼き(十和田市)--も加わった。名前は、幕末 に北海道、東北、北越の藩が手を組んで新政府軍に挑んだ「奥羽越列藩同盟」にならい、「東北以南のB級グルメに力を合わせて立ち向かう」意気込みを表そう と付けた。また、同盟の団結を示す旗も新たに作った。

 19日から秋田県横手市で開かれる「B-1グランプリin横手」では、共通の旗やチラシで同盟の料理を互いにPRする。そのほか、独自のイベントも予定している。

 同盟事務局を務める「八戸せんべい汁研究所」の木村聡事務局長は「何とか東北勢でグランプリを取りたいと結集した。連携して活動し、各地のブランド化を進めて地域を元気にしていきたい」と話している。

黒石には、私も明日か明後日お邪魔したいと思います!

2009年9月10日

Guns N' Roses 来日決定!

急告!ガンズ・アンド・ローゼズ来日決定(バークス - 09月10日 12:40)

アクセル・ローズ率いる怪物バンド、ガンズ・アンド・ローゼズが年内に来日公演を行なうことが決定した。まずは取り急ぎ、判明したばかりの公演日程のみご報告しておこう。

<GUNS N' ROSES:CHINESE DEMOCRACY WORLD TOUR>
12月16日(水)京セラドーム大阪
12月19日(土)東京ドーム

ガンズ・アンド・ローゼズには過去、1992年2月と1993年1月に2年連続で東京ドーム公演を行なった事実があるが、彼らが同会場のステージに立つのは実にそれ以来、約17年ぶりのことであり、当然ながら「アクセル以外のオリジナル・メンバーが不在のガンズ」としてはこれが"初"ということになる。公演チケット発売に関する詳細などについては近日中にお伝えできる予定だ。

2年ぶりの来日が決まった模様。もはや怪物バンドと呼べるのか疑問だが、京セラドーム大阪と東京ドームは怪物ランドに...。

それにしても、本当に来るのか!?来られるのか!?12月19日なら行けそうな気がする~。でも、過度に期待を寄せるがあまり期待外れに終わったらどうしよう。

嗚呼、無性にSlashのギターが聴きたくなったよ。Axlの声にしっくりくるのは、やっぱりSlashとIzzyのギター。
個人的にはVelvet Revolverの行く末が気になる...(笑)

『生は巡る 光・鼓動・月』 開催のお知らせ

僕が前の職場で一緒に仕事をしていたS嬢が、昨年に引き続き青森市内で合同展示会を開催しますicon:F8F5

お近くの方は是非足をお運びください。僕も11日の夕方に行ってみようと思います(といいつつ実は昨年、行きそびれたんだよねicon:F9FC S嬢、ゴメン!)。

S嬢の個展ブースはギャラリーBのようですね。

☆タイトル『生は巡る ~鼓動~』
☆9月11日(金)~16日(水)までの6日間(木曜お休み)。
☆空間実験室ギャラリーBにて。

空間実験室って?

↓↓ 場所はこちらです ↓↓


大きな地図で見る

2009年9月 9日

温室ガス25%削減!?

9月19日から、「シルバーウィーク」なる5連休が始まる。ちょうどこの時期に合わせ、県外に出かけなければならない用事があり、熟考した結果、遅ればせながらようやくETCの購入に踏み切った。

もうすぐ政権交代が行われ、民主党はマニフェストの実現に向けた取組みに着手することだろう。
高速道路の無料化もその一つではあるが、最初から採算性の見込まれない地方路線から無料化に着手してみるものの、おそらく民主党が政権を担っている間に一部区間を除く全国の高速道路を全て無料化するというのは、困難ではないだろうか、というのが僕の勝手な推測だ。

さらに、追い打ちをかけるような耳を疑う発言。
先日鳩山代表は、2020年までに1990年比で温室ガス25%の削減目標を高々と打ち上げた。

鳩山・民主代表:「政策を総動員」 政権公約の温室ガス「25%減」で(毎日新聞 2009年9月7日)

 民主党の鳩山由紀夫代表は7日午後、東京都内で開かれた地球環境問題のシンポジウムであいさつし、マニフェスト(政権公約)で掲げた温室効果ガス削減目標「2020年までに90年比で25%減」について「あらゆる政策を総動員して実現を目指していかなければならない」と表明した。また、温室効果ガス削減に努める途上国に先進国が資金的・技術的に支援するための具体策を「鳩山イニシアチブ」と位置づけ、新内閣発足後ただちに検討を開始する意向を表明した。

これに伴う痛手は、全て国民が負担しなければならない。家計負担で36万円増との試算だそうだ。しかも、ようやく底を打ち始めた生産活動の足かせにもなりかねない発言に、産業界から猛反発を食らうのもごもっともである。さらに、この発言を受けて株価にはクッキリと明暗が...。

ETC通行料金1,000円均一であれだけの大渋滞を招いているのに、高速道路無料化するなんていうのもかなり大胆だと思ったが、温室ガス25%削減って、日本はどれだけ環境に優しい国なんだ?
高速道無料化そのものがエコに反している疑問が拭えないというのは、以前にも申し上げた通り。
その上、温室ガス削減目標達成のため、日本では生産活動全て停止、なんて事態にだってなりかねない。25%削減というのは、それだけ重みのある数値じゃないのだろうか。これじゃ、高断熱化住宅の建築はおそかエコカーの製造もままならねえじゃねえかよ。あ、そうか!全て海外で生産すればいいのか...って、日本国内からますます雇用の場を奪う気か?
これってなんか、全てが矛盾していませんか、ねぇ...。

さらにこの数値目標は、日本国内の住宅は全て高断熱化、車も全てエコカーになることを前提としているらしく、この不景気のご時世に、温室ガスの数値目標達成のためにわざわざ高断熱住宅にリフォームあるいは新築したり、エコカーに買い替えようなんて気前のいい人はどれだけいることか。

悪いけど僕は、その25%削減に協力するのは、ムリ。少なくとも僕にはそんな金、どこにもありません。

その前に、京都議定書の削減目標の達成具合はどうなってるんだろうか?それとも、京都議定書の削減目標も自公政権主導で進められたことだから、破棄しちゃうなんて言うんじゃないんでしょうね。
雲を掴むような目標を掲げる前に、それを説明してからにしていただけませんかねぇ、鳩山次期首相。

「国民の皆さん!皆さんの呼吸を7割程度に抑えれば、温室ガス削減に光明が見出せます!」

なーんてな。

ムムム...なんか早くも綻びの一端を見てしまったような気がするが、ホントに大丈夫なのだろうか、民主党政権は。

それとも、民主党もどこかの党と同じでやれ環境対策だ高断熱化促進のための助成だとか言いながら、またバラマキ政治を始めるつもりなのだろうか?その挙句、政権交代したとたん、不足する財源確保のためにも、消費税はやっぱり大増税、なんてオチが待ち構えているんじゃ...。ハッ!闇に葬られた国民福祉税の足音が聞こえるぞ...!!

民社国の連立政権が現実味を帯びてきた今日、単なる「思い出づくり」の政権に終わらないことを祈る。

2009年9月 8日

標準語にできない津軽弁

【アメル】(あ・める)マ下一
1 腐敗が始まる直前の状態を指す津軽弁の表現。
2 飲食物が発酵状態に陥り、飲食できない態様。
 - 今日の弁当、暑くてアメデしまったじゃ。

昨晩のこと。余った蕎麦があったので、温めて食べようとしたところ、既に臭いのきつい状態に陥っていた。
一口箸をつけた母。「ワイ。この蕎麦、アメデラよ。」
妻も追随するように「うん、これ、アメデラ。」
どれどれ、では一口。「......。」
うん、確かにアメデル。汁に蕎麦からの酸味が移ったようで、ほぼ食えない状態となっていた。

しかしこの「アメル」という津軽弁について、どのように標準語で表現すればよいのか、適切な言葉が見つからないことに気付いた。ちなみに津軽弁とはいうが、実際は青森県南部地方や秋田県北地方でも使われているようだ。
この他標準語にできない津軽弁の代表格としては、「ハバゲル」「カチャマシイ」等々...

【ハバゲル】(はば・げる、はんば・げる) ガ下一
1 窒息あるいは嘔吐の寸前の状態を指す津軽弁の表現。
2 いわゆるオエッとくる状態のこと。
 - 胃カメラ飲んで、ハバゲデマッタジャ。

【カチャマシイ】(かちゃまし・い、かっちゃまし・い)
1 さまざまな場面において総合的に混乱している態様を指す津軽弁の表現。
2 混乱の中、津軽の人が大声で叫ぶ自己表現。
 - アーッ!なんぼカチャマシイんだ!!
3 「カチャクチャネ」とは意を異にする。

法事の後、母方の親戚の人が明かしていたが、僕と父の会話は、側で聞いていても、何を話しているのかチンプンカンプンだったそうだ。約7~8年ほど前のある日、テープ起こしをしながら、自分の訛りが過度にきつくなっていることに気付き愕然としたが、それ以来の衝撃。
うーん。気をつけよう。

父の一周忌

9月7日は、父の一周忌だった。しかし僕の中では、父と対面したのが翌8日だったということもあって、なんとなく今日の方が一周忌という感覚がある。

この日曜日(6日)に、父の一周忌法要をとり行った。親戚や友人など60名近くの人が集まり、父の在りし日の姿に思いを馳せた。読経が流れる中、ぼんやりと父の遺影を眺めながら、ふすまの横からガニ股の父が、何かはにかんだような表情で、ニヤニヤしながらこちらを覗いているような錯覚にとらわれた。
多分、父の懇意にしていた人たちが大勢集まってくれたことを、父も喜んでいるのだろう。

お寺本堂でのおつとめを終え、ある方が僕にかけてくださった何気ない一言が、ジッと耐えていた僕の心を激しく揺さぶった。不覚にも僕は、その場で大粒の涙を零してしまった。
いや、でもこれは僕の涙ではなく、父の涙なのかも知れない。そう思うと溢れ出る涙を止めることはできなかった。
一年経つと落ち着く。いろんな人から言われてきたことだ。しかし、実際この一年はあまりに早すぎて、まるでついこの間のことのように思えてならない、というのが実情だ。正直言って僕は、全然落ち着いてなんていなかった。

法事を終え、会食の場に席を移し、施主として挨拶を述べさせていただいた。例のごとく何を話したのかはあまり覚えていない。どうやらこの時ばかりは、父が憑依するらしい。

その後、急きょご指名となったK先生の献杯を終え、会食が始まった。この時も僕はK先生の挨拶に耳を傾けながら、涙を流していた。

お礼を兼ねて各席を回ったが、相変わらず父を巡る推測や憶測は一部で燻っているようだ。
だが僕はもうそういった話には一切耳を貸さないことにした。

ここにある真実はただ一つ。それは、誰にも真実はわからないということだ。

それにしても、自分たちで全てをこなそうとするには、あまりにも無理があった。
そりゃそうだ。一周忌法要なんてやったことないんだから。
ある方から、事前に何も相談しなかったことをやんわりと咎められながらも、何とか無事に一連のセレモニーを終えることができた。

父のことを話し出せば多分、一冊の本ができちゃうぐらいの思い出があるし、一冊の本でも足りないぐらいいろんな記憶を残していった人だった。残された僕たちができることは、そういった父を巡る記憶や記録の点と点を繋ぎ合わせていくことで、いつまでも父のことを心にとどめておくことだと思っている。そして、そのことが父にとって最良の供養になると確信している。

また、駆け足の一年が始まった。

2009年9月 2日

10Kマラソンにエントリー

10月24日、世界同日開催のランニングイベント「The Human Race 10K」にエントリーしました。10月4日、弘前市で開催されるアップルマラソンにエントリーし損ねたため、何だか気が緩んでしまったといいましょうか、若干全身も緩んできた感じがあったので、何か代替となるマラソンはないかと探していたところにこのレースがあることを思い出し、思い切ってエントリー。
しかし、今年5月から走り始めて、今まで一度たりとも10キロなんて走ったことがありません。

まぁ、8年前にアップルマラソンに出場した時も、ぶっつけ本番で完走できたので、何とかなるでしょう...多分。
ちなみに日本国内での開催は、メイン会場の本栖湖をはじめ大都市圏を中心とするサテライト会場(メイン会場のエントリーは既に終了)。わざわざ10キロ走るためにそこまで行く気にはなれません。ということで僕は、iPodとNike+を使ってのバーチャル参加という形になります。
つまり、その気になればどこでも走れるわけで、登録さえすれば誰でも気軽に参加できるイベントなのです。
どうですか?ちょっと面白そうじゃありませんか?
イベントの概要はこちらから

2009年9月 1日

絢香の延期公演日程が決まりました。

まずは決まってよかった。けど、10月って寒すぎないですか?しかも午後4時からって、もう少し早い時間でもいいような...。あとは、天気と本人の体調が万全であることを望みます。楽しみにしてますよ!ホントにicon:F99F

「DREAM SUMMER LIVE in 地球村 ~みんな空の下~ 」延期公演日程についてのお知らせ < 2009 / 8 / 31 >
2009年8月22日(土)に公演予定されていたライブは、絢香の体調不良により急遽出演が中止となりました。
公演を楽しみにしてご来場いただいたお客様には、多大なご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫び申し上げます。

延期公演の詳細が決定致しましたのでお客さまにお知らせ申し上げます。

日程 2009年10月10日 土曜日
会場 つがる地球村円形劇場
開場 14:30
開演 16:00

本公演へのお問合せはABAチケットセンター:017-777-4545までお願いいたします。

●チケット払戻しについて
・チケット払戻期間は、9月1日~10日までの期間内でお願い致します。
・チケット払戻しは、チケット購入店舗でしか出来ませんのでお間違えないようご注意ください。 

●チケットの払戻しの問合せ
・チケットぴあHP http://t.pia.jp/ 
・チケットぴあ お問合せ電話番号:0570-02-9111(10:00~18:00)
・ABAチケットセンター:017-777-4545(平日10:00~17:00)

●有料駐車場のチケット払戻しのお問合せ
つがる地球村:0173-26-2855 にお問合せ下さい。

※8月22日のご来場チケットで10月10日のコンサートにご入場出来ますので、チケットはお手元に大切に保管いただけますようお願い致します。


ファンの皆様、ご来場いただいた皆様には大変ご迷惑をおかけいたしまして、誠に申し訳ございませんが、ご理解のほどお願い申し上げます。

追記。
そういえば開場時間が前回は開演の1時間前だったのに、今回は1時間半前になっています。少しは反省したのかな?あとは会場の整理がどうなるか、これに尽きますね。

県内行脚も終盤戦突入

6月下旬から始まった県内行脚もいよいよ佳境を迎えた。

昨日は五所川原市を訪れ、関係者の方々と意見交換を交わした。
昼の時間になり、昼食がてら五所川原駅前を歩いてみた。五所川原市は、最近では「立佞武多(たちねぷた)」が有名となり、今年は5日間で140万人の観客動員数があったという。しかしながら五所川原市が盛り上がるのは実質この5日間のみであり、少なくとも駅前から中心商店街に向かう地域については、平日の昼ということもあってだろうか、実に閑散としている。

「レトロな町並みで味わいがありますね」なんて、思ってもみないようなセリフを口にしてみたが、例えて言うならばこの街は「ねずみ色の街」である。実際に歩いてみても、ねずみ色のシャッターが閉まったままの店舗が立ち並び、中には廃墟のようなビルもある。せいぜい異彩を放っているのは、駅前にあるパチンコ屋ぐらいだ。

五所川原といえば立佞武多も有名だが、吉幾三を凌ぐ有名人になってしまった羽柴誠三の出身地でもある(といっても二人とも合併前の旧金木町出身)。
五所川原市役所の向かいにあるビルには、羽柴誠三の名前と「決戦 大阪城攻略」と書かれた謎の看板が屋上に掲げられていたようだが、今でもその看板はそのまま設置されているのだろうか。

ちょうど五所川原駅からは、「リゾートトレインしらかみ」が出発するところだった。風光明媚な景色が広がることでも知られる五能線沿線の中で一番大きな駅がこの五所川原駅であり、隣にはストーブ列車で知られる津軽鉄道の駅舎もある。しかし見たところ、この列車から五所川原駅に降り立った人はほとんどなかったようだ。

こうやってみると何だか活気のない街にも見えるが、駅の東側約2キロのところには「エルムの街」というショッピングモールが存在する。
イトーヨーカドーを核テナントとするこの商業施設は、周辺にもユニクロをはじめとする店舗が集積しており、五所川原市内のみならず、西北津軽地域、青森市、はたまた県外からも客がやってくるほどの集客力を有している。

ちなみに、五所川原市の中心商店街は駅西側の南北に広がっており、現在も周辺で区画整理が進められている。しかし、「エルムの街」をはじめとする東側の地区が先に区画整理されてしまったこと、更にこの「エルムの街」自体が第三セクターにより運営されていることを鑑みても、商圏がこちらにシフトすることは、市としても織り込み済みだったのかもしれない。更に昨今の不景気により投資の手控えが始まり、区画整理後の土地への物件建築が進まず、空き地が多くあるようだ。ただ、市としてはエルムとの共存共栄を考えているようだが、肝心の中心商店街と言えば、3つあった地元資本の大型店が相次いで撤退し、現在では食料品店ですら皆無の状況らしい。

さらに五所川原市と岩木川を挟んだ対岸、つがる市には、イオン系のショッピングモールがある。その距離、五所川原駅から5キロ足らず。つまり五所川原駅前から広がる市の中心商店街は、二つの郊外型ショッピングモールに挟まれてしまっている、という訳だ。

こうなると果たして五所川原市の中心市街地はどうなってしまうのか、と他人事ながら危惧してしまうのだが、まだ区画整理も終わっていないので、これから何とかなるのではないかという楽観の声も聞かれた。

確かに弘前駅前の再開発(区画整理)も、開始から数十年経った今でも空き地があることを考えると、区画整理が終わったからといって再開発が進むというものではない。

ただ、五所川原を巡るそれは、弘前とは何となく事情が違うような、そんな気がしてならない。