2010年4月30日

村上春樹 『1Q84 BOOK3』を読了

今年もどうやらベストセラーは既に決まったようなものですが、一部ではハリー・ポッター並に盛り上がった村上春樹の『1Q84 BOOK3』を読み終えました。これから手にしようと考えている方、まだ読み終えていない方もいると思いますが、今日は僕なりの読書感想文を披露したいと思います。

当然ストーリーの核心に迫る部分も明らかになりますので、まだ読んでいない方、現在進行形の方は、この先ご覧にならないことをお勧めします。
あ、そうそう。この書籍に関しては、いきなりBOOK3からではなく、やはりBOOK1とBOOK2を読み終えてからBOOK3を読み始めることを、強くお勧めします。


では、以下短い読書感想文です。

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2010年4月27日

最近見た夢と父の影

発売日前日に発送メールが届いたにもかかわらず、3日もかかってようやく配達された村上春樹著の『1Q84 BOOK3』は、いよいよ佳境に入ろうとしています。相変わらず現実と非現実が交錯した世界といいましょうか、不思議な村上ワールドに引き込まれたまま、僕も今過ごしている世界が現実なのか非現実なのか、よくわからなくなってきました。夢かうつつか幻か。
というわけで最近変な夢ばっかり見ているのですが、いつもであれば目覚めた途端に夢なんて忘れてしまっているのに、妙に頭に残る夢が続いています。

例えば...

・いかにも腕の悪そうな歯医者に行き、診察室のいすに座った途端、強面の男性二人が僕を取り囲み、いきなり鼻毛を切り始めた、という夢。
・仕事をしていると電話が鳴り、受話器を取ると知り合いの方からの電話だった。妙に明るい声で「○○さんがさっき亡くなったんだよ。」と言い始める夢...。
・気がつくとプロレスのリングに立っていて、タッグチームを編成している。相手は見たこともない外人レスラー。いきなり僕をターゲットに襲いかかり、羽交い締めにされたのだが、何故か耳元で何かを囁き、それ以外の技を掛けてこないという夢。

これが何を暗示しているのかはわかりません。ただ、実は父が亡くなる1年ほど前から、やたらと葬式の夢を見ていたので、ひょっとしたら来年の今頃僕は、歯の悪い鼻毛の伸びたプロレスラーになっているかも知れません。

で、その父の話なのですが、最近父のそっくりさん目撃情報を耳にしまして...。つい先日、僕自身も弘前に向かう電車の車内で、白髪の増えた髪型、赤みがかった頬の質感、目の奥行き(プラス眼鏡)と、父を断片的に貼り合わせたような、何か微妙なんだけど、とても父によく似た人を目撃しており、手に持っていた本を思わず落としそうになった、ということがあったばかり。
日曜日に家を訪れてきたその人も、助手席に女性を乗せ、車を運転する父のそっくりさんとすれ違い、思わず前の車に追突しそうなくらい狼狽した、とのこと。

おそらく同じ人だとは思うのですが、僕が見た人は、父と違って非常に小柄だったので、それで急に現実に戻った、というオチがありました。まさか、父が生き返るわけもないし...。

ただ、最近僕の身の回りではちょっと不思議なことが起き始めておりまして(それが何なのかは、お話しできませんが)、これも何か最近見ている変な夢とかそういうことと繋がっているのかなぁ、と思ったりして。

もうすぐGWですね。妹も帰省予定ですので、また父の思い出話に浸ってみたいと思います。

2010年4月22日

津軽弁(言葉じゃなくて弁当の方)

「津軽弁」販売を開始/JR弘前駅

 津軽の伝統料理や郷土料理、名産品をたっぷり詰め込んだ弁当「津軽弁」の販売が21日、JR弘前駅の自由通路でスタートし、津軽弁に認定された36種類のうち7種類が店頭に並んだ。
 津軽弁は、観光客や地元住民に愛される津軽ならではの弁当づくりを目指す「駅弁・空(そら)弁(べん)・津軽弁プロジェクト」から生まれた。
 この日は午前10時から販売が始まり、貝焼き卵みそなどの郷土料理やシャモロックのカツサンド、蔦温泉(十和田市)名物の「鶏重」など個性豊かな津軽弁が売られた。
 駅を訪れた観光客や市民は津軽の味を試してみようと、店員から説明を受けながら、それぞれ興味のある津軽弁を買い求めていた。
 秋田屋仕出し店の秋田麗子専務は「津軽の食材を使った弁当をお客さんに味わってもらうことで、地域活性化につながれば」と話し津軽弁をPRした。販売は毎日午前10時から午後3時まで。価格は500~1100円。

(2010/4/22 木曜日 陸奥新報)


その昔、弘前駅にも駅弁を販売する伯養軒があった時代があったんだけど、2度にわたる駅の大改築とかいろいろ経て、気がついたら伯養軒はなくなっていた(まあ、伯養軒自体が債務超過に陥って事業譲渡した、という経緯もあるのだけれど)。

弘前駅の売店も、駅が改築されるたびにどういうわけかどんどん規模が小さくなってしまったため、旅行客のための弁当がほとんどなかった。聞いたところでは、改札横にある申し訳なさそうなぐらい窮屈な売店で、青森の駅弁が売られているらしいが、おそらく大概の旅行客であれば、観光地の駅にありそうな当たり前の「駅弁売り場」を探すだろうし、まさか観光客も多く訪れる弘前に、JR秋田支社管内で乗降客数第2位を誇る弘前駅に「駅弁売り場がない」なんてことは想像もしなかったことだろう。だから地元民としては、楽しみにしていた駅弁を買いそびれ、隣接する駅ビル1階のコンビニから寂しげに弁当やおにぎりの入ったビニール袋を手にして出てくる観光客を見るたびに、本当に忸怩たる思いに駆られたし、実際仕事でお付き合いのあった商工団体の関係者には、「なぜ弘前駅ビルにはまともな飲食店がないのか。なぜ弘前駅では駅弁を販売しないのか。観光客がどういう思いでコンビニから弁当を購入するか真摯に考えて欲しい」と伝えたことがあった。

このことについては、以前から「弘前の人たちは、東北新幹線新青森駅開業に向けて全然観光客をもてなそうという気概が感じられない」とこのブログでも嘆いていたところだが、それはとんでもない勘違いだった。

実際わざわざ僕が商工団体の関係者に言わなくとも、(社)弘前観光コンベンションを始め、同じような危機感を抱いていた人や団体はいたようで、その結集の賜物が今回の「津軽弁」ということになるわけだ。

弘前駅の自由連絡通路の他、青森空港でも販売が始まったようで、この他の駅や地域でも相次いで販売が始まるようだ。青森の人は売り込みが下手だ、というのをどこかで聞いたことがあったが、開発に携わった人たちが自ら手売りすることで、県内外にいろんな繋がりが生まれて行くことにも期待。
単なる足の引っ張り合いだけでは何も生まれないということを、他の関係者にも思い知らせて下さい(笑)。

東北新幹線新青森駅開業後は、更に乗降客が増えるであろう弘前駅。「弘前はいいところだ、津軽にまた来たい!」と思っていただけるような取組が、どんどん広がればいいと思う。

個人的な話になるが、インタビューに応じていた秋田専務とは昔からかなり深いお付き合いがあるし、弘前料理飲食業組合理事長の竹林さんとも、父の生前から懇意にして頂いている。「津軽弁」の取組は、津軽の食材を利用しながら、津軽を県内外にPRする絶好の機会だ。何よりも、「駅弁空白地」だった弘前駅にとっても、プラスとなる取組ではないだろうか(まぁ、JR関連企業が最初から取り組んでいれば話は別だったけれど)。ということで「津軽弁」、陰ながらではあるがずっと継続されるよう是非とも応援したい。ただ、僕が駅を利用する時間帯は、「津軽弁」が販売されていないというのが痛いところ。

アンケートとか、取っているのかな。弁当に対する評価とか、気になるな。ああ、またいろいろまた口を挟みたくなってきたけれど、我慢我慢。取りあえず土曜日様子を見に行こうっと。

2010年4月20日

弘前市 まる鐵二代目

弘前市の国道7号から、県道弘前田舎館黒石線(旧国道102号)を黒石市へ向けて進み始めると、程なく左側に現れるラーメン屋。

鐵・二代目

鐵・二代目


昨年5月にオープンしたとのことではあるが、実は訪れるのが今回二度目。ちなみに前回は、最近すっかりひいきにしている「なかた屋」との食べ比べをしたくて、10月頃に訪れている。それ以来2度目だ。

ホントはもうちょっと訪れていても良さそうな店なのだが、家からは結構離れているということ、しかも国道を跨がなければならないということもあって、なかなか足を伸ばすことができなかった。

店主のこだわりも相当のようで、スープの出来が悪いと休んでしまうことがあるらしい。さらに、店内に入ると、ガラス越しの製麺機が丸見え。以前、他の店があったときは小上がりがあった場所だったようなのだが、そこを改造して製麺機を鎮座させてしまったらしい。その店内には、テーブルが3つ、カウンターが5席。20人も入ろうものなら、空席待ちしなければならないぐらいの大きさだ。

鐵・二代目メニュー

ちなみにスープのベースは魚介系で、メニューは「最高の中華」と「最高の極煮干」の二種類。これにトッピングやらご飯、おにぎりが並ぶ。
夜メニューになると、これに「味噌ラーメン」が登場するらしいのだが、そちらは食したことなし。
大体自ら「最高の」と名乗るぐらいだから、相当の自信を持っているのだろう。さて、その名の通り「最高」なのか、それとも単なる店主の自惚れなのか...。

今回、妻と母が「最高の中華」を、僕は「最高の極煮干し」を注文。
麺も、太波打ち平麺と細波打ち麺の二種類があり、メニューに書かれている内容を見ると、「最高の中華」には細い麺が、「最高の極煮干し」には太い麺が合うらしい。
妻と母の注文した「最高の中華」については、スープが透き通っていて、完全魚介系。煮干しの中に、節系の香りが漂う上品なスープ。母も妻も見事完食。

一方、「最高の極煮干し」については、動物系のスープと混じり合って、混濁したスープに。知る人ぞ知る「たかはし中華」を、少しおとなしくしたような感じである。

鐵・二代目「最高の極煮干し」

魚介系スープ、とりわけ「たかはし」系が好きな僕としては、少々物足りなさの残るスープだ。何だろう、エッジが効いていないというか、とげとげしさがないというか(笑)。もうちょっとだけパンチを効かせてもいいような気がする。そういう点においては、この店に限って言うと、僕的には「最高の中華」の方が好みの味だということに気づかされた。

例えて言うならば、「最高の中華」はズバッと決まる速球ストレートで、「最高の極煮干し」は、曲がりきらなかったカーブ、みたいな。って、何だかかえってわからんな(笑)。

一方の麺は、これはどちらをチョイスしても問題ない。麺の好みもスープの好みも人それぞれなのだし、ラーメンには方程式みたいなのはないので、その日の気分でチョイスするのがいいだろう。
男性諸氏であれば、普通玉(1玉)だけだとちょっと物足りないかも知れない。
1.5玉でも問題なかったかなぁ。ちなみにチャーシューは豚ロース。これがまた結構いい大きさなのだ。なかなか食べ応えのあるチャーシューだ。

もう一つ特筆すべきは、おにぎりの大きさである。ハッキリ言ってデカい。コンビニで売られているおにぎりの1.3倍はあるのではないだろうか。
種類は、鮭、ゴマ昆布、そして焼飯。個人的には、この焼飯おにぎりを是非お勧めしたい。これで100円なのか?というボリューム、そして味。もちろん熱々ではないところは少々痛いところではあるが、冷めても美味しい焼飯おにぎりは数量限定らしいので、もし見つけたら是非ご賞味頂きたい。

結局のところ、これを「最高」と呼ぶかどうかは、皆さんの舌が判断することになるんでしょうね。もう一ひねりあると、有無も言わさず「最高」なんだけどね。その一ひねりがなんなのかわからないところに、中華の奥深さがある、なんて通ぶったことを言って今日は箸を置きたいと思う。

ごちそうさまでした。

以下お店のブログより抜粋

【店舗データ】
住所 弘前市境関亥ノ宮35-11

カウンター席 5席 テーブル席 3席
駐車場 5台

【営業時間】
昼の部 11時~15時 夜の部 18時~21時
定休日 年中無休

※麺、スープ不出来の際は臨時休業とさせていただ きます。

【店舗メニュー】
[最高の中華]
並盛 1 玉 500円 大盛 1.5玉 600円 最高盛 2 玉 700円
昔ながらのあっさり魚介100%スープにこだわりの自家製麺を合わせました。

[最高の極煮干し]
並盛 1 玉 600円 大盛 1.5玉 700円 最高盛 2 玉 800円
最高の中華とは相対する動物系スープに煮干しの香味をまとわせ、こだわりの自家製麺を合わせました。

店主こだわりの最高の自家製麺/太波打ち麺・細波打ち麺をお選びいただけます。

当面、 しょうゆのみの販売となっております。
最高の中華と、最高の極煮干し、店主自慢の自家製麺を、ぜひご賞味ください
自家製麺、スープ共に なくなり次第終了となります。ご了承くださいませ。



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2010年4月15日

胃痛再発

新しい職場に来て半月が経ちました。1年の24分の1が経過です。あっという間でした、ホントに。でも、先はまだまだ長そうだな、というのが率直な思いです。着任して早々、来週19日に会議をやることだけが決定していて、そもそも仕事の中身も全然わからないまま見切り発車したような状況だったんですが、その会議に向けた準備もようやく先が見えてきたような感じ、です。事務局として資料の整理も必要ですし、いろいろ理論武装しなければならなくて、頭を抱えながら議題となる内容の分析を進めています。

とはいえ僕がこれからやらなければならない仕事全体の中身については、まだ100のうち3ぐらいしか頭に入っていなくて、内心「何で僕がこの職場に来ちゃったんだろうなぁ...」という自問自答を繰り返す日々。もちろんその答えを見いだすことなんて無理なんですけどね...。多分、来年の3月末になって「ああ、こんな感じなんだ」というのが明らかになることでしょう。まずは1年間過ごしてみないと、ペースが掴めないような感じです。

ちなみに、新しい職場がどれぐらい異質(というか奇妙)なのかといいますと、その気になれば一日中誰とも会話することなく終わる日があってもおかしくありません。別に個室になっているわけではありませんし、仕切りがあるわけでもありません。向かいにも横にも後ろにも人がいます。書類が山積みで誰も見えないとか、そういうこともありません。でも、それぐらい妙な緊張感と、不思議な空気が漂っています。

正直、環境も仕事の内容も全然違う職場ということもあってなのか、最近は本格的に胃が痛くなってきました。10年ぶりにも似たようなことがあって、久しぶりの感覚。ちなみにその時は急性胃炎と診断されましたが...。
その割には全然痩せることもなく、日々のストレスから酒量ばかりが増えていくという悪循環に陥っておりまして、このままでは早い段階で身を滅ぼすこと必至。

まぁでも、楽しようと思えばいくらでもできるわけですが、これも僕に課せられた試練なんだろうと割り切るようにしたいと思います。

ただ、こういう自己分析をすることもままならないぐらい、余裕がなかったし、痛みなんて全然感じなかったんだよね、実際...。

2010年4月13日

【一言居士】弘前市長選のこと

当選 51,699    葛西憲之    (63)    無新
    34,314    相馬しょう一    (73)    無現
▽有権者数     149,842
▽投票者数     87,004
▽有効投票     86,013
▽無効・その他     991
▽投票率     58.06%

 任期満了に伴う弘前市長選は11日投票が行われ、即日開票の結果、無所属新人で前副市長の葛西憲之氏(63)が5万1699票を獲得、1万7385票の大差をつけ無所属現職の相馬しょう一氏(73)との一騎打ちを制し初当選した。市民は1期4年の実績を訴えた相馬氏より、市民との対話重視を掲げた葛西氏による刷新を選択した。相馬氏は、市民の関心が高い施設への施策に対する民意とのずれが響いた。投票率は58.06%で前回市長選を2.49ポイント上回った。葛西新市長の任期は16日から。 ※「相馬しょう一氏」の「しょう」は「金」へんに「昌」

4月11日に投開票の行われた弘前市長選挙は、新人の葛西氏が現職の相馬氏に大差をつけて勝利した。ここ最近特に際だっていた、相馬氏の市民感情に配慮を欠いたとも言うべき「失政」を見ると、この結果は当然といえば当然だし、葛西氏の政治的力量に期待するというよりは、相馬氏に失望した市民の票が葛西氏に集まった、といってもいいだろう。そういう意味においては、葛西氏の市長としての力量はこれから問われることになる。
さて今日は、そんな選挙結果を踏まえた所感を述べたいと思う。

今回、一部の経済団体が全面的に葛西氏の後方支援に回った。一方の相馬氏は、市議時代から通算9度連続当選という選挙の巧者であったが、今回ばかりは気の抜けない戦いが繰り広げられたようだ。平日だと僕は弘前市内にいることがないので、選挙戦の盛り上がりがどれほどなのかはわからなかったが、両陣営ともに45~50パーセントと読んでいた投票率が58パーセント台まで上がったことを考えると、それなりに盛り上がったと言ってもいいのかも知れないが、その一方で42パーセントの市民は無関心だったことになるわけで、せめて市長選ぐらい65~70パーセントまで乗せて欲しい、というのが僕の率直な感想だ。ついでに言えば、991票の無効票の中身も気になる。

相馬氏は市議時代から築いた基礎票を持っているといわれていて、投票率が低ければ低いほど有利と言われていた。一方の葛西氏は、浮動票頼みだとするのが大方の見解だったが、結果的には予想以上に浮動票が葛西氏に流れ込んだ、といってもいいだろう。正直、どちらになるにせよ僅差になるのではと思っていたが、この結果は僕からすれば意外だった。

葛西さん(敢えてここは「さん」付けで呼ばせていただく)は元県職員で、土木技師として県土整備部(かつての土木部)を歩み続けた方だ。僕自身は直接指導を仰いだことはなかったが、一度だけ宴席で一緒になったことがあったし、亡父の通夜の際にも参列頂いた、と記憶している。
一方で相馬氏は、亡父が生前お世話になったこともあり、今回の選挙は正直言ってどちらに投票すべきか非常に悩んだ。しかし、最終的には弘前市をどちらに託すか、という判断で決めた。

さて、葛西氏は早速経常経費やその他必要経費を除く全ての市予算執行を停止し、ご自身の意思を反映させたい意向のようだ。合わせて、市総合計画の見直しや、機構改革にも着手したいとの意向を示している。行政経験者という点では、早速の取組に特段の心配をする必要はないと思うが、今後、弘前市の進む方向が大きな転換期を迎えるかも知れない。いろいろ外野の声もうるさそうだが、ここは是非「葛西カラー」を打ち出して欲しいと思う。また、是非その清廉そうなイメージを崩さぬよう、市民との積極的な対話に努めて欲しい。

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2010年4月12日

4/11 東京事変Live Tour 2010 ウルトラC 青森公演に行ってきた。

【ネタバレありにつき要注意!】

皆さんお久しぶり。元気にしてますか?俺は新しい仕事に慣れるまでまだまだ時間がかかりそうで、当面ブログに力を注ぐ余裕がありません。ということで、非常に間延びした更新になりますが、何卒ご容赦を。

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さて、昨日は妻と東京事変のコンサートに出かけてきた。
青森市文化会館でのコンサートの時は、いつも車をどこに停めるかで頭を悩ませる。文化会館地下にある駐車場はあまりに狭すぎて(しかも一度免許取り立ての頃、父の車をこっそり借りてこの駐車場に車を停め、コンサートが終わった後、車を思いっ切り柱に擦らせたという苦々しい思い出があるので)、停める気になれない。理想的なのはすぐ近くにあるホテル青森なのだが、だいたい1時間前には満車になってしまうため、さらに離れた場所に駐車場を探さなければならない。

ところが昨日はどうしたことか、17時40分頃にホテル青森まで行ってみると、日曜日の夕方で絶対混んでいるだろうと見込んだ駐車場がガラガラ。しかも、出口に近い場所に難なく車を駐車することができた。
肌寒さすら覚える外気を恨めしげに感じながら文化会館に到着すると、そこにはこれまでのコンサートでは見たことのない光景が!!

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2010年4月 7日

やりきれない思い

先月、以前家族共々大変お世話になった知り合いの方の御尊父が亡くなられたことを新聞紙上で知った。遠方でもあったため、母がお悔やみの手紙を添えて香典を送ったところ、昨日返礼が送られてきた。
が、そこに添えられていた手紙を読んで、何ともやりきれない思いが渦巻いた。

うちの父が亡くなった翌年の正月に、何故かその方から年賀状が送られてきた。あとで寒中見舞いを送ったところ、父が亡くなったことを知らず、非礼を詫びること、自身は親の介護に追われていて、出かけることすらままならないこと、その他近況が書かれた手紙が送られてきた。

先月亡くなられたのは、てっきりその時介護していたという御尊父だとばかり思っていたのだが、どうやらそうではなかったようだ。

手紙によると、今回亡くなられた御尊父は、余命1年と宣告されてから、既に4年が経過しようとしていたという。そんな中、昨年暮れに入院した御母堂が、わずか1ヶ月足らずで他界。さらに医師からは、御尊父もいよいよ今年の春まで持つかどうか、ということを伝えられ、御母堂に次ぐ悲しみを覚悟しなければならないと思っていた矢先、御尊父は突然、何の前触れもなく自ら命を絶ったという。ちなみに御尊父には、余命のことは一切知らされていなかったそうだ。

ご自身のご両親、そしてご主人のご両親と、この9年間は介護に明け暮れた日々。
4人の親を相次いで送り出したことへの安堵感がある一方で、最後の最後、何故こういうことにならなければならなかったのかという複雑な思い(もちろんそれは、誰にも理解しがたい深い悲しみがあったことだろう)が胸に去来する日々を送っているという。

手紙には、思いがけず妻に先立たれた父が、私たちのことを案じた上で出した結論なのだろう、と分析してはいたものの、70歳を超える御尊父が、何故余命幾ばくもない中、自ら命を絶たなければならなかったのか、手紙を読みながら胸が張り裂けそうな思いに駆られた。もっとも、当の本人は余命幾ばくもないことは知らなかったわけだが...。

しかし、まさに人生を全うしようという残りの1パーセントのところで、自ら幕引きをしなければならなかった理由は何だったのか...。それを思うと、本当に胸が苦しくなるし、残された家族の心境を慮ると、手紙からひししと伝わってくる無念、そしてやりきれなさに、なんと声掛けしていいのかわからなくなる。

残されたご家族の中には、99パーセントで自ら人生の幕引きをした御尊父への思いがずっと刻まれることだろう。そして、御尊父が費やすはずだった残り1パーセントの重みを、ずっと背負っていくことだろう。
果たして母が、うちの父の訃報に接した際の話を先方に伝えたかはわからない。
ただ、いつか、いつの日か落ち着いた頃に、またゆっくりお話しできる機会があればいいと思う。

改めてご冥福をお祈りします。