2010年12月29日

今年一年を振り返ってみるか...

今年は、よく走った1年でした。

なので、僕にとって今年を表す漢字一文字を問われれば、間違いなく『走』を掲げることでしょう。

年末年始の大雪は、鈍った身体に渇を入れるような勢いでした。帰省していた妹を巻き込んでの雪かきは、スノーダンプを走らせながら、改めて父が居ないことを感じさせるひとときでした。 そんな身体を酷使した正月休みが明けたあと、我が家では悪夢のような出来事が待ち構えていました。

飼い犬チョコの下半身不随です。買い物を終えて帰宅すると、出迎えたチョコは悲痛、絶叫、金切り声とも言うべき声を上げていました。その姿を目の当たりにした時、何が起きたのか全く理解できず...。その後チョコを車に乗せて動物病院へと車を走らせましたが、今思えば、よくここまで耐えてくれたものだと。生きたいという力って、凄いということを実感...。

2月。実は義父が倒れました。それも、緊急入院。さらに運悪く、実はそのとき我々家族は、上京していました。チョコを妻の実家に預けていたため、様子を伺うため電話を入れたところ、全く連絡が通じない...。これはおかしい。何かあったのでは。 結局ようやく連絡が取れたのは、義父が救急車で緊急搬送され、手術を受けた後でした。診断の結果は「胃がん」でした...。 狼狽する妻をどうすることもできぬまま、翌朝青森へ戻り、病院へ直行。 「死ぬかと思った...」と細々とした声で語る義父の声に、まさに身震いするような思いでした。ちなみに義父は、その後も抗がん剤を打ちながら闘病中です。

3月。上旬にいきなり内々示を聞かされることに。またしても所属部の変更、そして新たにできるグループに4月から異動することを知りました。新しいグループということですので、選ばれたんだと思いたい反面、なぜ僕がそのグループに行くのだろう、という悶々とした思いを抱きながら、4月から新しいセクションでの仕事がスタートしました。ガラリと職場環境が変わり、ずっと戸惑いながら今も仕事しています。ハイ。

ただ、飽くなきコンサート熱は冷めることなく、今年は4月の東京事変を皮切りに、山下達郎、鈴木雅之、佐野元春、矢野顕子と、今年は若干偏り気味でしたが、いろんなコンサートを観ることができました。

そして、何よりも三十路最後の足跡を残そうと、今年は2度のマラソン大会にエントリー。とはいえ10キロマラソンですので、熟練ランナーからすれば全然たいしたことないのですが、7月のAOMORIマラソン、10月の弘前・白神アップルマラソンと2度の大会を走ってきました。去年からちょこちょこと走ってはいたのですが、本格的なレースエントリーは何と10年ぶり2度目。 7月は高校の同窓会を蹴ってまで走る気になったのですから、結構本気だったんだと思います。 その日は猛烈な湿度と暑さで、救急車で運ばれた人が10人を超えたという話を後で聞きました。その中で自己ベスト更新でしたので、当然頭に浮かぶのは有森裕子の名言でした。

ところが、その直後毎年恒例の沖縄旅行に出かけた時に異変に気づきました。腰のあたりに出たかぶれのような痕跡...。旅行から帰った後病院に直行すると、「帯状疱疹」の診断...。出張、マラソン、旅行と、無理がたたったのかも知れません。

9月、父の三回忌を終え、ひとまず「区切り」がつきました。そして10月。3度目となる大会「弘前・白神アップルマラソン」への出場。この日はさらなる自己ベスト更新を目指していましたが、有言実行。30秒ほどタイムを上げ、ようやく44分台突入です。来年は40歳以上でのエントリーとなるので、ちょっと上位を目指そうかと考えたり...(笑)。

ところがこのあたりからじわりじわりと仕事が忙しくなり、11月は目の回るような日が続きました。連日の残業と往復の通勤、削られる睡眠時間。この頃に帯状疱疹を発症していようものなら...ちょっとゾッとします。 来年はもっと忙しくなりそうな予感です(いや、実際忙しくなるみたいです)。

そんなわけで30代最後の年は、文字通り駆け足で走り抜けた1年間でした。ちょうど1ヶ月後には、いよいよ40代突入です。来年はもっと地に足のついた状態で仕事をしたいのが一つ。もう一つは、抜け毛を何とか食い止めることを目標にしたいと思います(ウソです。笑)。

では皆様、よいお年をお迎えください。

2010年12月27日

矢野顕子リサイタル 2010 in あおもり[弾き語り]

週末の悪天候は僕の気分を一気に滅入らせた。とりわけ金曜日の大幅なダイヤの乱れ、代替輸送は、日頃の疲れを増幅させ、鬱積した思いばかりが募った。

そんな中行われた、日曜日の矢野顕子公演。興味はあったが自らチケット購入する踏ん切りが付いていなかったところに救いの手が登場。何と、無償でチケットを譲って下さる方が現れたのだ。今回は、そのご厚意に甘えることにした。

日曜日ということもあってか、この日の開演は何と16時。弘前から車で向かう身にしてみれば、非常に嬉しい配慮だ。

降り続いた雪は収まり、ところどころ路面もアスファルトが見えている。
ところが、青森市の手前15キロのあたりに差し掛かると、先で事故があったらしく長蛇の列ができているのを目視。とっさに右折し、旧道に入った。

この判断がどうやら正解だったようで、何とか開演5分前に会場に到着した。

ステージ上には一台のピアノがライトアップされている。他にセットらしいセットはない。
会場をざっと見渡した限りでは、1階席の9割程度が埋まっている感じ。ほとんど最後部だったため、2階席を伺うことはできなかったが、恐らく1階にいる客が本日の全ての観客なのだろうと悟った。

年齢層は非常に幅広く、平均年齢は40代中頃~後半といったところだろうか。女性の方が若干多かった気がする。

やがて開演時刻を過ぎると、主催者である地元テレビ局の女性アナウンサーが登場し、注意を読み上げた。それも、書かれたものをただ読み上げるだけ。開局20周年記念とのことではあったが、果たしてわざわざ自己紹介までして注意を読み上げる必要があったのか、正直少し疑問を感じた。まぁ、このコンサートの宣伝のCMで未だに「春咲小紅」を流していた時点で、かなり終わっているな、とは思っていたのだけれど。

アナウンサーが舞台の袖に下がると、程なく暗転。ステージ上に矢野顕子本人が現れる。パラパラと拍手がわき起こる。

如何せんステージ上にはピアノ1台と彼女のみ。演出といえば光の演出があるぐらいで、それ以外は一切なし。なので観客は、彼女の一挙手一投足を、固唾を飲んで見守り、演奏が終わるたびに拍手を浴びせる。

しかし何故こんな大きなキャパのホールでコンサートなのだろう。もっと小さなホールでもよかったのに。 そんなことを思っていたら、その疑問は程なく彼女の口から明かされた。

会場の青森市文化会館は、彼女が卒業した中学校(青森市立野脇中学校)のあった場所だったのだそうだ。そういう思い入れのある場所だからこそ、敢えてこの場所での公演を選んだのだろう。

彼女のMCは、3歳から中学卒業までというさほど長くはない青森生活ではあったが、津軽弁を織り交ぜた非常にフレンドリーなものだった。今回、新幹線で青森までやって来たこと、八戸から先に新幹線が走り出したときは、感無量だったこと、自称雪女で、前回も酷かったが今回もとんでもない悪天候に見舞われたこと、新青森から乗ったタクシー運転手が同級生だったこと、等々...。

「やっぱり青森は、ふるさとなのよね。」というと、会場から自然と拍手がわき起こる。
弾き語りということで、思いつきのような順番で演奏が始まる。途中家族からのリクエストを交えたり(「私事でごめんね~」と笑っていたが。)、カバー曲を織り交ぜたり、アンコール含め2時間弱ではあったが、十分満足できる内容だった。 どうやら前列にはご家族ご親戚の方が座っていたらしく、その他同級生の姿もあったようで、アットホームな雰囲気に包まれていた。そりゃそうだ。矢野顕子にとって、ふるさと青森、それも卒業中学(跡地)での凱旋リサイタルなのだから!

とりわけアンコールの1曲目、「ふなまち唄」には圧倒された。実は当初、演奏リストには入っていなかったようなのだが、スタッフから「演奏しないんですか?」と聞かれて、慌てて追加したらしい。ねぶたのリズムそのままに鬼気迫る演奏。観客は息を呑むように視線を釘付け。長い演奏が終わると、会場から万雷の拍手がわき起こった。ああ、これだけでも観た甲斐があったというものだ。

それにしても彼女の音楽は、どういうジャンルに分類されるのだろうか。ポップというほど軽々しいものでもないような気がするし、ジャズというほど重厚なものでもない。
ふと、以前同じ会場で観た綾戸智恵のことを思い出したが、彼女ほどジャジーではないし(しかも彼女の場合はバンドを伴ったコンサートだった)、何と表現したらよいのだろう...。上手く説明できないのだが何かこう、温かい気持ちに包まれるような、そんな優しいリサイタル。今まで観た数々のコンサートの中でも非常に良質なコンサートだった。チケットを譲って下さった方に心から感謝。

残念だったのは、開演時間を間違えたのか、本編最後の曲が始まる頃にやってきたお客さんが何人かいたこと。18時前には幕を閉じたので、ひょっとしたら18時30分開演と勘違いをしたお客さんだと、会場にやってきた頃に観客がホールを後にしていた、なんて可能性も。

ちなみに終演後会場内に流れたのは、本編でもカバーした忌野清志郎の「恩赦」でした。

ありがたいのは、佐野元春の時もそうだったけれど、こうやってセットリストを張り出してくれること。

12月26日、矢野顕子リサイタルセットリス ト(その1 )

12月26日、矢野顕子リサイタルセットリス ト(その2 )

生活拠点が海外なのでなかなか青森に来る機会がないようだけれど、是非又観てみたいと感じさせる内容だった(実際今回の公演も12年ぶりだった)。ちなみに、僕らが観た青森での公演をもって今年の弾き納めだそうだ。願わくは、もっと音のいいホール(弘前市民会館というのはあまりにも図々しいかな?)で聴いてみたいものだ。

二次会はやはり、ご実家のあるバー「港屋」だったんだろうか。気になる...。

2010年12月25日

佐野元春アニバーサリーツアーがYouTubeに!

==== 30周年記念ツアー Part2「ソウルボーイへの伝言」スペシャル映像公開 ==

パワフルに日本全国のライブハウスをサーキットツアーで駆け抜けた30周年記念 ツアー Part2「ソウルボーイへの伝言」。そのファイナル横浜公演のスペシャル 映像をMWSで特別公開しました。

12月14日の横浜Blitz公演から最もホットな場面をセレクト、「星の下 路の上」、 「荒地の何処かで」、コヨーテバンドメンバーへのインタビュー、そして、 「クリスマス・タイム・イン・ブルー」の演奏シーンのダイジェスト。


やべぇ。また青森でのコンサートが蘇って来ちゃった。しかし、しゃがれた感じでいいですね。昔は和製ブルース・スプリングスティーンを目指していたような感じでしたが、今はエルヴィス・コステロかボブ・ディランか?、って感じでしょうか。合間のインタビューには目をつむりましょう。

2010年12月24日

まさにベリー・苦しみます。

多分今までで一番悲惨なクリスマス・イヴ。ま、うちは曹洞宗なのでクリスマスは関係ないんですけど。ただ、今朝のツイッターへの投稿から伏線は始まっていたみたいです...。 以下、今日の投稿です。

おはようごす。本日、北日本は暴風雪のため、只今トナカイとソリの運行を見合わせております。運行再開は未定となっておりますので、あらかじめご了承下さい。サンタクロース事務局より。
posted at 07:21:11

サンタさんへおねがい。ゆきがたくさんふってきました。かぜもつよくなってきました。こんばん、かえりのでんしゃをちゃんとはしらせてください。
posted at 09:08:02

今日と明日は雪だるまが斜めになる天気予報。こういう天気の日は、風の強い地域は大した積雪にならないけれど、風のあまり吹かない、例えば弘前とかは結構積もりそうな気がする。
posted at 17:10:02

本日、強風の影響により、トナカイソリは全区間運休となります。なお、代行バス等の運転の見込みはございません。ご利用のお父様お母様並びによい子の皆様にはご迷惑をお掛けしますが、何卒ご了承賜りますようお願いします。 サンタクロース事務局。
posted at 17:36:48

奥羽線、寝台特急の運休のみならず、普通列車にも運休が出始めている。トナカイのソリどころの話ではなくなった!
posted at 18:13:17

結局18時33分発の快速に乗り込んだ。ただしこの列車、弘前の二つ手前の川部から五能線に入るため、同じ五能線弘前行きに乗り換えなければならない。この悪天候で五能線がまともに動いているとも思えず、ある意味賭けなのだ。
posted at 18:26:51

乗り込んだ列車がなかなか出発しないところに「運転の見込みが立っていない」というふざけたアナウンスが流れた。またしても信号トラブルらしい。ふざけるなよ、JR!いい加減にしてくれよ!
posted at 18:38:00

18時59分頃に出発見込みのアナウンス。ということは18時59分発の奥羽線弘前行も運休なのか?ワケわからん。とにかく早く家に帰してくれ!これではJRに軟禁されてるようなものだ。
posted at 18:48:43

しかしこの快速の車掌、全然仕事しねえな。その後のアナウンス全くなし!アナウンスされた予定時刻を過ぎても、出発する気配もなし!
posted at 19:05:50

出発見込みが19時25分になったと今頃アナウンス。動かぬままもうすく1時間経過。ついさっき到着した新青森行の特急が先発した。毎日利用する奥羽線通勤組が、いかにないがしろにされているかが垣間見える。
posted at 19:14:44

こんなに待たされるんだったら、いっそのこと残業してればよかったな。非常に無駄な時間をJRに奪われている。今晩は早く帰って同期会の資料を作成する筈だったのに!
posted at 19:20:53

@G_0 JRは新幹線の接続ばかり気にして、通勤客は蔑ろ。ホントに酷いよ、特に奥羽線は。
posted at 19:26:08

ハイ、三たび出発時刻変更。車掌が何言っているのか全然聞こえないし。
posted at 19:28:50

1時間遅れてようやく出発。次の新青森駅から新幹線の乗換客がドッと乗り込んで来るのだろうか。2両しかないのですよ!
posted at 19:37:49

1時間以上列車内で待ちぼうけ食って、しかもこのあと何時に着けるかもわからないようなクリスマス・イブはちょっと虚しく悲しいです。
posted at 20:09:34

弘前の二つ手前、川部駅から代行バスに乗せられた。ジシイのトイレを待ってようやく出発。トナカイとサンタクロースをバカにした天罰かも知れない。
posted at 20:26:17

ようやく弘前駅が見えて来た。乗車してから約2時間30分。全く無駄な時間を費やした。何の代償もないのが実に癪だ!
posted at 20:48:47

ということで家に戻ったのが21時過ぎ。職場を出てから約3時間でした...。サンタさん、何もいらないので僕の疲れを癒して下さい。間違えても明日朝雪かき、なんてことのないように。頼むぜ!

2010年12月23日

スマホ向けページを開設しました。

以前は携帯電話でこのサイトを閲覧する方法について躍起になって調べていたのですが、ここ最近は携帯電話ではなくスマートフォンが席巻するようになりました。

ちなみにこのブログをiPod touch(多分iPhoneも)で閲覧すると、両サイドにあるバーも一緒に表示されるので、文字そのものがもの凄く小さくなってしまう、というかそもそも見づらくて閲覧する気になれないという弊害があったのですが、今回crema designさんが提供している「iPhoneテンプレートfor MT」を反映させてみました。

僕はiPhoneユーザーではないので、一体誰が使うんだ!?という疑問もありますが、それは気にしないということで。

こんな感じになりました。
画像もちゃんと表示されています。




ただし、そのまま導入せずにphp化を施して導入。
説明書きにあったとおり作成したインデックステンプレート「iPhone用トップページ」の出力ファイル名を、「i/index.php」に変更

で、記述内容の一行目、xml宣言を<?php echo '<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>'."\n" ?>に変更。

この状態で一旦「変更を保存」。

続いて、アーカイブテンプレートで作成した「iPhone用個別ページ」で、アーカイブマッピングのパスを「i/%c/%f.php」に変更。
こちらも記述内容の一行目、xml宣言を<?php echo '<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>'."\n" ?>に変更。

下の方にある「前の記事へ」「次の記事へ」のリンクの「.../<$MTEntryBasename$>.html」を「/<$MTEntryBasename$>.php」に変更(←これ結構重要)。

これらを全て保存し終えてから改めて各テンプレートの「保存と再構築」を行い、その後で全てのファイルを再構築(「ブログ記事アーカイブのみ」でもいいらしい?)。

今のところiPod touch(3rd)とXPERIAで動作確認しています。

アドレスは、
http://nonvey.oops.jp/blog/i/
です。

もしよろしければiPhoneその他の機種での動作確認を教えて頂ければ。

...あ、コメント投稿欄がないんだった!!

2010年12月22日

【今年87杯目】平川市尾上・大十食堂

ここもある意味名店。創業から百年を超える、いわゆる「津軽百年食堂」の一つである。
数年前に店舗を改装し、今の店構えになったが、以前は非常にいい味を出している店だった。

ちなみに「津軽百年食堂」とは、津軽地区で70年以上続く食堂の物語を基に執筆された小説で、来年4月にはオリエンタルラジオの二人が主演で映画化が決まっている。(津軽には10軒ほどこの「津軽百年食堂」があるとのこと。)



で、ここの名物は何といっても焼きそば。太麺でしっかりとした味わいの焼きそばは、訪れた多くの人が注文する。 とはいえ折角なので中華も食ってみたい、という欲張りなあなたに朗報。
何とラーメンと焼きそば、おにぎりのセットメニュー(Aセット)があります。 嗚呼、炭水化物のオンパレード...。

ということで私も炭水化物の恩恵に授かろうと、730円也のこのセットを早速注文。 小さな丼のラーメン、結構ボリュームのある焼きそば、そして海苔の巻かれたおにぎりとお新香が運ばれてきた。

平川市尾上・大十食堂

ラーメンは油がかなり浮いているのがわかる。スープは透き通った感じで、魚介よりも鶏(豚骨?)ベースが強い。麺は手打ちの太麺。ツルツルッとした食感であっという間に平らげてしまった。

平川市尾上・大十食堂

一方の焼きそばも豚肉とタマネギという至ってシンプルな具材で炒められているが、この太麺がまたソースを吸っていて美味いんだな。(ちなみに画像は手ぶれが生じてしまったため、なし。)

ちなみに結構ボリュームがあるので残してしまうかも知れないが、そんなときはお店の人にお願いすると、持ち帰り用のパックを頂く事ができます。

なので、このセットを頼んだときの注意を。 少なくともラーメンは完食すること。焼きそばは無理して食べないこと。


大きな地図で見る

2010年12月21日

その後のチョコ、近況報告です。

今年1月、僕の誕生日直前に突然下半身不随状態に陥り、診断の結果、脊髄軟化症の可能性があると診断されたチョコ。
余命一週間を悟り、目が腫れることを憚らず泣き通した日々。 ところがその後、症状がピタリと治まり、最悪の事態だけは免れた。
獣医も驚くほどの回復力を見せたのだが、結局下半身は不随のままだった。

ペット用おむつの装着を余儀なくされ、もちろん下の世話をしなければならない。 ふと父が、生前「そのうちアダってオメだぢの世話サなる」と言っていたことを思い出した。要するに、そのうち寝たきりになって下の世話をしてもらう、ということだ。その父亡き今、チョコの下の世話を代わる代わる行っている。そういう意味では、これも僕たちに与えられた試練なのだろう。

もうすぐあの日から1年が経とうとしている。チョコは下半身がどんどん細くなり、代わりに前脚がかなり太くなった。そりゃそうだ。匍匐前進よろしく前脚だけで進むしかないのだから。

しかし、外に出たいという思いは他の2匹(ハナ、モモ)と一緒のようで、例えばハナだけ散歩に連れて行こうとすると付いて来ようとするし、何よりも我々が外出する時には、我先にと玄関に向かっていくのだ。もちろん、匍匐前進で。

見かねた妻が、チョコの車いすをオーダーした。で、届いたのがこちら。
その後のチョコ

きちんとサイズを測って作ってもらったので、当然ぴったりサイズ。まぁ、これ以上大きくなることもあまり考えにくいので、ちょうどいいのではないだろうか。車輪も大きく、段差も難なく歩けそうな感じ。

ただ、難点が一つ。

チョコは散歩があまり好きではなく、首輪を付けると固まるということがこれまで幾度となくあった。 今回、チョコの後ろ脚となるこの車椅子を設置したところ、予想どおり緊張からか身体が硬直し、全く微動だにせず(笑)。

その後のチョコ

この状態で10分以上動けず、黙ったまんま(苦笑)。 まぁ、人間だって一輪車にいきなり乗れって言われても、無理だよなぁ。
ただ、ハナとモモを誘い水に外に出たところ、チョコも一緒に外に出て走り出した!何だ、やればできるんじゃないか(嬉)。

しかしひとしきり遊んで家の中に戻ると、また動かなくなり、まるで置物のような感じ。 あとはエサ(おやつ)でおびき寄せる方法しかなく、それもイヤイヤやってくる有様...。しかも30分も乗っていると結構疲れるみたいで、車いすを外した後は、爆睡(笑)。

ま、しばらくの間、訓練してみようと思う。イヤイヤではないので、慣れてくれると思うんだけどなぁ。

2010年12月20日

【今年86杯目】弘前市・ 二代目・味噌家ためのぶ

最近ラーメンばっかり紹介しているが、別にそういう主旨のブログではないので念のため。

以前から通るたびに気にはなっているのだが、なかなか足を運ばない店がある。今回紹介する店もその一つだ。味噌と言えば黒石のあの店がまず真っ先に思い浮かんでしまうため、国道102号沿いにあるこの店も、何故か素通りだった。

元々ラーメン店だったこの店舗、これまで一体いくつの店が入れ替わったことだろうか...。まあそれはともかくとして、今回、ようやく訪問することができた「二代目・味噌家ためのぶ」。

市郊外の商圏として発展してきたという場所柄、家族での来店が多いことも考えられるのだろうか、テーブル席、小上がりが非常に多い。
昼過ぎに訪れると、予想どおり店内はほぼ満席状態で、たまたま空いていた二人掛けの奇妙な形をした小上がりに案内された。奇妙な形、というのは、二人掛けのカップル席のような形になっていて、いわゆる向かい合うのではなく、二人が同じ方向(外)を向く形になっているから。

で、お品書きを眺めると、味噌家を謳うだけあって味噌ラーメンがメイン、と思いきや、土日限定メニューの上にあったのは、豚骨ベースのラーメンだった。ううむ...これはどうしたことか。

その土日限定メニューの下段には、1日15食限定の「ためのぶ特製 三段仕込み熟成合わせ味噌」なるものがあった。

弘前市「二代目・味噌屋ためのぶ」

初来店なので一番妥当なメニューを選ぶべきだったのだが、「限定」という言葉にまんまと乗せられて、このメニューを注文してみることにした。
しかし考えてみると1日限定15食で、しかも既に大勢の客が麺をすすっている。果たしてまだあるのだろうか?おそるおそる店員に聞いてみると、あっさりと「あ、大丈夫ですよ。」の返事が返ってきた。怪しいな...。ホントに15食限定か?(笑)

しばらくして運ばれてきた特製味噌ラーメン。

弘前市「二代目・味噌屋ためのぶ」

スープはメニューの画像よりはるかに白濁としていて、トロッとしている。あれ?メニューの写真には乗っているチャーシューがないぞ。代わりに挽肉が乗っている。どうやらモヤシ、タマネギと炒めたものらしい。

麺はもちろん太麺。トロッとした舌触りのスープとうまい具合に絡み合う。
このトロッとしたクリーミーさのおかげなのだろう。食べ終わるまでずっと熱いままだった。意外と麺の量も多い。

北海、信州、富山のどの味噌がどういう役割を担っているのかはわからないが、確かにお品書きにあるようなクリーミーさがある。それほどニンニクは効いていなかったような気がするが、熟成を謳っているだけあって、スープに深みを感じる。一口啜るたびにクセになるという感じ。

ちなみに、麺メニューを注文すると半ライスとお新香がサービスになる。お新香は運ばれてくるのではなく、カウンター横にあるストッカーから自分で好きな分量を取ってくることになるので要注意(僕はお新香を口にしないので必要なかったけれど)。

余談ではあるがサイドメニューの餃子も一緒に注文したところ、中の具に魚肉ソーセージのような味を感じたのは気のせい?

店舗のホームページ 

2010年12月15日

【今年83杯目(多分)】弘前市・弘前Fu麻麺

東北新幹線の全線開業日である12月4日にオープンした店。こちらも弘前駅の城東口に近いところにある。

決して広くない店内は、5席ほどのカウンターと、テーブル席が3つほど。
狭い中、厨房には何故か3名の男性。どうやら役割分担が決まっているらしい。
メニューを見ると、画像の状態が劣悪で、正油ラーメンも味噌ラーメンも同じ色になっている。正直、あまり食欲をそそらないメニューだ。

弘前Fu麻麺 メニュー

「麻麺」を名乗るので、てっきり「麻婆ラーメン」でもあるのかと思ったら、メニューにはなかった。代わりにただの「マーボー豆腐」がメニューにあるのだが、これがどう見てもマーボー丼だった。きっと旨いのだろう。ミニもあったので、そちらを頼んでみた。

オーダーしてから厨房からは「あと1分です」「あと30秒です」という声が聞こえてくる。茹で時間とスープを丼に注ぐ時間を管理しているのだろうか。

運ばれてきた正油ラーメン。

弘前Fu麻麺 正油ラーメン

スープは鶏ガラと鰹だしを合わせた感じか。最近は煮干し系が席巻する中、見た目以上にあっさりしていて、焦がしネギがいい具合に効いている。トッピングにはメンマ、チャーシュー、ネギに煮卵。麺は堅めの中太麺だが、それなりにコシがある。

惜しいのは、丼の形状が凝っていて、しかもこれが深すぎるため、レンゲが底まで届かないこと。普通の丼でもいいじゃないか。 ついでに言えば、量も少なめだった。

一方のミニマーボー豆腐。こちらは、かなり本格的な味。どうやらこちらに力を入れているらしい。様々なスパイスが効いていて、一口運んでみるとガツンと辛 さがやってくる。しかも、ラーメンの味がわからなくなるぐらいガツンとした辛さだった。少なくともこの界隈では味わったことのない風味だ。 これだけでもかなり満足できるが、850円なりの「マーボー豆腐」だと、相当汗だくになってしまうかも知れない。
なので個人的には、醤油ラーメンとミニマーボー豆腐(計1000円)がお勧め。そういう意味では麺が少なめでよかったのかも。

弘前Fu麻麺 ミニ麻婆豆腐

隣のテーブルに座った家族が味噌ラーメンをオーダーしていたが、味噌は八丁味噌を使っているとのことだった。
結局3人の役割分担はよくわからなかった。ただ、あとを引く美味さのマーボー豆腐は、店を出たあとすぐにまた食べたくなるぐらいハマったぞ。
営業時間は昼が11時から14時まで、夜は17時から22時まで。何やらおつまみメニュー(セットメニュー)もあり、軽く飲む客も想定しているようだ。定休日は水曜日。

場所は弘前駅城東口から左手に進み、突き当たりを右折して一つ目の信号の角。駅からだと徒歩10分弱。

2010年12月14日

【今年81杯目(恐らく)】弘前市・自家製麺支那そば 晃や

いわゆる弘前駅の駅裏、青森銀行城東支店の隣にあった饂飩屋が改装し、ラーメン屋としてオープンした。自家製麺を謳っているだけあって、結構味には自信があるのだろうか。

自家製麺支那そば 晃や

店に足を踏み入れると、券売機が現れる。最近この手の店が多くなっているような気が。 その中で、無性に気になった支那ワンタンをチョイスしてみた。

店内は、テーブル席が5つにカウンターが5席。昼をちょっと過ぎた時間帯ではあったが、それほどの混雑ではなかった。
国内産の素材にこだわっているらしく、テーブルには蘊蓄の書かれたご挨拶が置かれている。

自家製麺支那そば 晃や

運ばれてきたラーメン(昔なつかし支那そば)は、魚介系のバランスが適度に取れた透き通ったスープに、思ったよりやや細めの麺。その上にワンタンが乗っている。

自家製麺支那そば 晃や

ワンタンはモチモチつるつるで、父が生きていれば、かなり好んだ食感だろうと一人ほくそ笑んだ。ちなみにワンタンは皮のみで、いわゆる餡は入っていない。

麺とスープの相性もよく、均衡の取れた味。個人的には結構好きな味だった。
この他塩ラーメン(はま塩)もあり、こちらもなかなか旨そうだった。
ただ、店員が不慣れなのか、挨拶もぎこちないし、間違えて運んでくるし、まだまだ指導が行き届いていないな、といった感じ。今後に期待。

サイドメニューも充実しているが、その中でも妻が頼んだ定食、かなりお得感アリ。腹を空かせた男性諸氏であれば、是非この定食をオーダーすることをお勧めしたい。

営業時間は昼が11時から15時まで、夜は17時30分から20時30分まで、定休日はないようだが、麺、スープがなくなり次第終了とのこと。

場所は弘前駅城東口を出て右手に道なりに進むと、2つ目の信号の手前右側。駅からだと徒歩5分程度。

2010年12月13日

佐野元春セルフ・カバーAL. 『月と専制君主』発売決定!

先日佐野元春のライブに行ったとき、「年明けには発表できると思う」と言っていたセルフ・カバー・アルバムがAmazonに掲載されていた。


初回限定盤はDVD付き、そしてアナログ盤付きが発売されるという!!

セルフカバーということで、一体どんな曲をカバーするのかと思いきや、非常に幅広く、それもシングル曲に限らず選曲してきた。うーん、10曲にとどめるのがもったいないくらい!

ちなみに詳細についてはオフィシャルサイトからの発表がないのでまだ不明だが、どうやらアナログ盤はCDと同じ内容が収録されるらしい(3000枚限定だそう)。更に購入者のみダウンロードできる楽曲へのアクセスナンバーが同梱されている模様。

発売日は来年1月26日。この間のライブで何曲か披露されていたが、全く違うアレンジに仕上がっていたので、セルフ・カバー・アルバムでありながら新譜、みたいな感じに仕上がっていることだろう。

僕は自分への誕生日プレゼントにしようと思います。

2010年12月10日

開業から1週間

東北新幹線全線開業から1週間を迎えた。青森県民にとって40年来の悲願がようやく実現したということで、12月4日はいろんなメディアでこの開業の模様が取り上げられたが、その一方で、強風の影響により一部区間で運転見合わせとなり、ダイヤに大幅な乱れが生じるなど、順風満帆とは言えない船出、いや出発進行となった。
とりわけ東京からの始発が到着する時間帯は、地元各局が報道特別番組として、上空にヘリまで飛ばして新青森駅に到着する模様を中継していたが、その一方で、東京に向かう上りの新幹線には空席が目立っていたのも事実だった。実際、八戸-新青森間の乗車率が、開業から6日までの3日間で平均25.7%にとどまっていたという事実が明らかになり、また、新青森駅周辺で未だ進まぬ開発とも相まって、開業日の狂騒は一体何だったんだ?というぐらいにネガティヴな記事も目立つようになった。

ご存じのとおり僕は在来線である奥羽本線の弘前-青森間を通勤に利用している。新幹線の開業に伴い、在来線のダイヤもガラリと変わり、以前述べたように通勤者の身分としては「改正」ではなく「改悪」と言いたくなるようなダイヤ編成となった。

朝は5分早くなり、夜は20分遅くなり、家での滞在時間が減ったというわけだ(笑)。

そんな中、この1週間で気づいたことを僕なりに記してみようと思う。ただし、僕の目線もかなりネガティヴかも知れない。

1 青森駅が閑散としている。
 ダイヤが変わったのは奥羽本線だけではない。東北新幹線に接続する北海道方面への津軽海峡線、そして、東北新幹線開業とともに東北本線としての幕を閉じ、新たに開業した青い森鉄道も然りだ。
 しかし、八戸方面からの特急列車が到着するたびに列車から降りる客でごった返していたホームのあの光景は皆無となった。特に朝の通勤通学の時間帯は、東北本線、奥羽本線、津軽線の三路線から青森駅に到着する電車の時間帯が非常に近接していたために、改札と各ホームを繋ぐ連絡橋の往来も大変なぐらい人でごった返していたのが、その光景も見ることが無くなった。新青森駅からバスなどを利用している人も多いと思われ、乗降客の数はかなり減ったような気がする。

2 一方の新青森駅は...
 東北新幹線の終点でもあり、在来線の乗換駅でもある新青森駅は、一面しかなかった奥羽線のホームが対面式となり、開業と同時にエスカレーター、エレベーターが稼働するようになった。昔のあの駅からは考えられないぐらいの変貌振りだ。近くに青森西高があり、以前はその生徒ばかりが乗降していたこの駅も、今はスーツケースや大きな鞄を抱えたビジネスマンや観光客が乗り込むようになった。とりわけ20時47分新青森駅発の電車は、かなりの乗客が乗り込んでくるが、朝7時51分に新青森駅を出発する青森行きの快速は、ほとんど下車する人がなく、地元民しか乗り込んで来ないような気がする。せっかくなので今度時間があったら、定期券で途中下車してみて新青森駅を探索してみようかと思う。

3 新青森駅周辺は、どうだ?
 商圏が分散する(というよりも、現状の中心市街地が衰退する)ことを恐れ、新青森駅周辺での大規模開発を認めていない青森市。新青森駅の裏は確かに更地が目に付き、とても終着駅周辺とは言えないぐらい閑散としている。いや、逆に考えると、「さすが青森、寂れているねぇ!」と思わせる作戦か?
いずれにせよ規制緩和の暁には、まず間違いなくピンク色の看板のショッピングセンターが立地を表明することだろう。七戸十和田駅で既にこの開発が始まっていることを考慮すれば、当面の間方針転換する必要はないと思う。ただ、強いて言えば、少しぐらい飲食店があってもいいのかな、と。客待ちのタクシー乗務員も近隣に飲食店がなければ、辛いのでは?個人的には煮干しラーメンの店舗が数店舗軒を連ねるようなモールを希望します(笑)。

4 奥羽本線への影響
 弘前-青森間はその大半が単線区間である上に、全ての新幹線に接続列車を走らせている。しかも、貨物列車も頻繁に走る区間であるため、更に過密ダイヤとなった。
 このことも影響してなのか、ほとんどの電車が途中駅で列車交換の待ち合わせを行うこととなった。と同時に、弘前-青森間では2~5分の遅延が当たり前となりつつある。2~5分ぐらいでグダグダ言うつもりはないが、ダイヤの設定そのものに無理があるのではないか、と勝手に懸念しているのだが...。やはり部分的でもいいので複線化を進めるべきと僕は考える。

5 青い森鉄道は、どうなる?
 (あながち並行ではない)並行在来線の経営分離に伴い、同時全線開業した「青い森鉄道」。通学客にとっては便利な時間帯になったと歓迎の声があがる一方、運行料金も値上げとなったため、八戸-青森間は東北新幹線を利用する人が多いと思われる。既に開業前から赤字経営が見込まれており、こちらは前途多難となりそうだ。第三セクターという「民間会社」だということもあってだろうか、県が積極的に利用向上を訴えている気配もなく、静か過ぎるスタートとなってしまった。しかし、これまでの経営分離によって第三セクターが各地で苦戦している「先例」を見ても、先手を打つことが非常に大事だと思うのは、僕だけだろうか。

6 というかホントに開業効果って、あるの?
 青森と弘前の往復の中で、ああ、開業効果だなぁと感じたのは一度だけ。始発の青森駅で空席だった普通列車の座席が、新青森駅に到着した途端満席になったとき。東北新幹線が新青森駅に到着後、二次交通として在来線を利用している人がそれほど多くないということなのだろうか、それとも単に僕が乗車する時間帯の利用者が少ないということなのだろうか、いずれにせよ、乗客の数だけでは判断できないが、開業効果を実感するまでには至っていない。

ということで、喉元過ぎれば熱さを忘れる、というわけではないのだろうが、開業前の騒ぎはどこへやら、見たところいつもと変わらぬ光景、いやむしろいつもより寂しさを覚える光景を目の当たりにしていて、誰かが言っていたように「新幹線開業は一部の人たちの空騒ぎ」というのが、あながちウソではなかったのかとも思えてくる。

結局のところ、自分で新青森駅から東北新幹線を利用して初めて、開業効果を目の当たりにするのだと思う。しかし、当面の間利用する機会は訪れそうにないような感じ。嗚呼。

2010年12月 4日

吸うか、吸われるか

2010年12月4日。遂に青森県にとって歴史的な日を迎えた。
言わずもがな、東北新幹線の全線開業である。
いろんな政治的駆け引きもあったことだろう、基本計画してから38年を経て今日、この日を迎えた訳だ。ということは、僕が生まれた頃に基本計画が策定された、ということに。青森県民にとって負の象徴であったブッツリと切れた盛岡市郊外の新幹線高架橋が遠い昔のことのように思える。

個人的には、東北新幹線の終着駅である新青森駅は、通勤で奥羽線を利用していることもあり、開業の光景を見てもあまり感慨が沸いて来ないというのが正直なところだが、青森県内の民放各局がこぞって伝えた東京始発の一番列車が新青森駅に滑り込む光景をテレビで観ていた時は、なぜかグッと胸にこみ上げるものがあった。
新青森を出発する東京行きのはやて号の模様も放映されていたが、アナウンサーが「ほぼ満席の...」と伝える一方、映される車内の乗客数は8割程度、といった感じだった。

まあそれはともかく、おそらく、東京駅で「終着:新青森」の表示を見た時、アナウンスで「はやて○号、新青森行き...」と聞いた時は、ホントにグググッと来てしまうかも知れない。

来年3月には最速タイプの「はやぶさ」の運行も始まる。官民一体となって...とは言うが、最近「官」はいろいろ苦境に立たされてネガティブになっているので、民の力を全面に押し出して欲しい、と思う(「官」のなかの人としての所感です)。
東北新幹線全線開業という一区切りを迎え、その開業効果をどのように継続していくかが課題となることだろう。新幹線の開業を契機に、観光客もますます増える。青森の魅力を県外の観光客にいかに吸収して頂くかが重要になるが、是非もう一度青森を訪れたい、何度でも訪れたいと思って頂く環境を維持していくこと(あるいは作り上げていくこと)も大切なことだ。


その一方で、並行在来線の経営問題や、ストロー効果といった懸念材料もあるのも事実だ。
ツイッターのログから。
 

青い森鉄道の運行主体は県であって、JRとは相互協力とライバルの表裏一体の関係になることを鑑みれば、快速とか中途半端なことは言わず、いっそのこと特急も運行してしまえばいいのに。だって、実際は「並行」在来線じゃないんだから。
posted at 08:24:32


実際、東北新幹線の八戸・新青森間と並行在来線で乗換駅となるのは八戸駅だけで、向かう方向は同じでも全く別ルートをたどる。終着駅も新青森駅と青森駅と、一駅離れていることを考えると、東北新幹線の開業で不利益を被るのは、並行在来線八戸・青森間の人たちなのではないかと思う。JRから経営分離された「青い森鉄道」では、速達タイプの快速も運行されるようだが、途中駅である三沢や野辺地(下北半島への玄関口)を利用する乗客のことを考えれば、快速にこだわらず、ロングシートの座席でも構わないので急行や特急を運行してもいいんじゃないかと思うのだが...。

もう一つ懸念されることは、なんと言ってもストロー効果だ。新幹線はいろんな物を運んでくる一方で、いろんな物を運んでいくということも頭に入れないとならない。

ま、今日ぐらいはお祭りムードだからこれぐらいにしておきますかね...。