2012年9月27日

山下達郎 OPUS ~ALL TIME BEST 1975-2012~

ここ最近の日本の音楽業界は、娯楽の選択肢が以前とは比較にならないぐらい増えたこと、デジタルミュージックの台頭や韓流アーティストの席巻などにより、どうも萎縮気味のような気がする。

年のせいもあるのだろうけれど、僕は未だに80年代から90年代初頭に活躍したアーティストの音楽を聴くことが多く、正直言って今どんな音楽が売れていて、誰がどんな歌を唄っているのかもわからないぐらいだ。

今から20年以上も前の話。
僕が好きな鈴木雅之の、ソロとして2作目となるアルバム「Radio Days」。このアルバムに楽曲提供をしていたのが他ならぬ山下達郎で、高校2年の時に当時足繁く通っていたレコード屋さんに「よし!鈴木雅之のアルバムを買いに行くぞ!」と向かったはずだったのに、帰り道で手にしていた紫色の袋に入っていたのは、なぜか岡村靖幸の「DATE」だったというオチ。

この鈴木雅之のアルバムに提供されていた3曲(1曲目のイントロダクションを含むと4曲)は、いずれも本当に素晴らしい作品ばかりで、山下達郎のコンサートでセルフカバーされた楽曲を耳にしたときには、感動で震えたことを思い出す。

実のところ彼の音楽を本格的に聴くようになったのは、高校を卒業して、大学生になってから。
当時の彼女と付き合い始めるようになってからだった。

流行り物ばかり追いかけていた僕とは違って、やたらと大人びた音楽を聴く人だなぁ、と思っていたが、その人の影響もあって、山下達郎の良さをどんどん認識するようになっていった。

ここ数作の彼のアルバムは、発表までのインターバルが長いことと、楽曲へのタイアップが多いことで、オリジナル・アルバムでありながらベスト盤のような、そんな様相を呈していた。

そんな中発表された3作目のベスト・アルバム。正直、ライブアルバム「JOY」の続編(2.0)を期待していたこともあって、少々拍子抜けしたが、ずらりと並んだ49曲プラス初回限定盤のボーナストラック6曲、計55曲はもはや圧巻としかいいようがない。

何だかんだ言いながらこのアルバムが発表されることを知ってすぐに予約を入れ、今か今かと発売日を待ち続けていたのも事実。

楽曲をみると、「ベスト盤」というだけあってシングル曲のタイトルが数多く並んでいるが、特筆すべきは、山下達郎本人によって収録曲にリマスターが施されたことと、初回限定盤に収録された4枚目のボーナスディスクだろう。

実のところまだ全曲聴き終えるまで至っていないのだが、僕はまず4枚目のボーナスディスクを聴き、そして1枚目のディスクから順を追って聴いている途中だ。多分僕以外にも、同じ聴き方をしている人は多いのではないか、と思う。

さてそのボーナスディスク、Kinki Kidsに楽曲提供した「硝子の少年」のセルフカバー、前述の鈴木雅之に楽曲提供した「Guilty」のデモ音源をはじめ、未発表曲が6曲収録されている。正直、この一枚を聴けただけでも「ごちそうさま」の気分だ。

更に同梱されたライナーノーツには、本人による楽曲解説。
これはデジタルミュージックでは体現することができないよな、と思いつつ、続きを聴いて行こうと思う。

昨晩届いた宅配便の荷物を見た妻が、「何また買ったの?」と訝しげに聞いてきた。

「山下達郎のCD...。」
「あ、今日発売だったっけ。そっか...。」

ああ、そういえば大人びた音楽を聴いていた当時の彼女って、妻だったんだな(笑)。

ベスト盤にして必聴盤。これは買って損はナシ!ただし、初回限定盤は残り僅かのようです。


2012年9月18日

夏と秋の間で

連日のように厳しい残暑、というか猛暑が報じられている。長い長い地球の歴史、白亜紀、ジュラ紀等色々あるが、氷河期が訪れて生物が絶滅したように、地球は今、氷河期とは逆に灼熱紀が訪れていて、そんなに遠くない未来において、いろんな生物が絶滅する一方で、いろんな生物が登場するのでは、なんてことをふと思ってみたり。 地球の各地で起こる天変地異の大災害に無意味な殺戮行為の連続、レッドブックに「人間」が登場する日も、実は案外近いんじゃないだろうか。 今日も青森市では最高気温が36.1度まで上昇し、9月としては史上最高気温を観測したそうだ。まさに茹だるような暑さだった。 慣れというのは恐ろしいもので、気温が30度を超えてもさほど驚かなくなったが、もう9月、それもあろ半月足らずで10月なのだ。しかもここは青森。あと2か月もすれば、山に初雪が降り、里でも冬支度が始まるのだ。 今日の暑さからは、とても想像できるものではないのだが、台風から変わった低気圧から伸びる前線の影響とはいえ、やはりこの暑さは尋常とは思えない。 しかし今日は、太陽が登り始めた頃から沈む頃までずっと暑さが続いていた感じだった。 一方で秋の気配と言えばいいのだろうか、日の出の時間はどんどん遅くなり、日の入りの時間が確実に早まっている。 多分来週の今頃は、「先週は暑かったね。」なんてことを言いながら、どのタイミングで長袖を引っ張り出そうか、考えたりするのかも知れない。 ということで、今晩は初めてスマートフォンから投稿してみました。誤字脱字ご容赦を。

2012年9月13日

再利用? or ゴミ箱行き?

黒線塗りの封筒で返送依頼/弘前

弘前市がバーコード印字ミスによりコンビニで納付できない国民健康保険の納付書を送っていた問題で、市国保年金課が再交付希望者に返送を依頼する返信用封筒に市選挙管理委員会の封筒を流用、部署名を黒線で塗りつぶしていたことが、12日の市議会一般質問で明らかになった。蛯名正樹副市長は「市民に不快感を与え反省している」と陳謝した。(2012年9月13日Web東奥)

副市長、陳謝ですか。まぁ、事の発端が印字ミスの納付書を送付した、ということだったために、一部の市民の怒りを増幅させてしまったのかな(その一部がどれぐらいいるのかはわからないけど)。

でもどうなんだろう...そもそもこの封筒で送り返して欲しい、という返信用の封筒なんだから、これぐらい目をつぶってくれてもいいんじゃないか、と思うんだけど、やっぱりそれって「役人的な発想」なんだろうか。

もっとも、黒線を引いた封筒の下に、「経費節減のため、封筒の再利用を行っています」と一言付け足せば、こんな騒ぎにはならなかったのかも知れない。あるいは、黒線じゃなくて部署名を記載したシールを貼るとか。

うちの職場でも、やってましたよ。一つグループが増えてしまったので、古い封筒の部署名の上に、新しいグループを付け足した部署名のシールを貼り付けた封筒の再利用。

それでも「そんな封筒使うんじゃねえよ!!」と騒がれるんだろうか。少なくとも今まで、そんな苦情が来たことはなかったけど...。

それとも、行き場をなくした封筒はゴミ箱行き?市民の税金で作られた封筒が、ゴミになる?そっちの方がよほど問題のような気がするんだけどなぁ...。

2012年9月 8日

4年目の9月7日

4年前の9月7日。父はこの世に突然自ら別れを告げ、黄泉の国へと旅立った。

父にとって、こうなることは本意ではなかったのかも知れないが、これも父が選んだ道なのだ。僕はそう言い聞かせながら、ただその現実に直面するしかなかった。一方で、自分の父親に起きたことではなかったかのように。

僕が父と対面したのは翌日、つまり4年前の今日、9月8日だ。突然の父の死に直面して慟哭する母に、僕はそっと手を添えてあげることしかできなかった。

現職市議のセンセーショナルな死というニュースはあっという間にこの弘前市内を駆け巡り、無言の父が帰宅した直後から、報道記者と思しき人たちが家の周りを行ったり来たりするのが見えた。事情を聞かせて欲しいという電話もひっきりなしに鳴り響いた。もっとも、数の中にはこちらの悲痛とはお構いなしにずけずけと家にやってきて「事情をお聞かせ願えませんでしょうか。」なんていう「強者」もいたが。まぁ、どこの記者かはハッキリと覚えているが、あの日以来僕は、無神経なマスコミという存在が心底大嫌いになった。

しかし、あの日も暑かった。9月とは思えぬ暑さだった。いや、思えば今日も続くこの暑さは、あの頃から既に始まっていたような気がする。
あまりにあっという間のことで、あの時何が起きて、そして自分が何をしたのかは、あまり記憶にない。いや、むしろその方がいいのかも知れないが、いずれにせよ、失意と怒りと深い悲しみに暮れながら、何とか父を見送ることはできた、はずだ。

父の命日を迎えるたびに「ああ、今年もこの日が来たか...。」と思うが、もう何年経った、という感覚は微塵もない。むしろ、あの日の鮮烈な記憶が蘇ってくる。父に対して何もしてあげられなかった僕が、そうやって父のことをまた思い出す、9月7日はそんな特別な日だ。

気がつくと厄年を迎え、今年は既にいろんなことがあった。大好きだった祖母や恩師との別れ、妹の結婚...喜怒哀楽色々続いているが、今は、残り4ヶ月弱を無事に過ごすことができればそれでいいと思っている。
国地方問わず昨今の政治のドタバタ劇を傍目で観ながら、「父が今居なくて良かったな...」なんて不謹慎なことを思うこともしばしば。
父はあまりにも人が良すぎた。口や態度は悪かったが、本当に純粋な人間だった。そんな父は、僕にとって今でも誇りだ。

今日9月8日が過ぎると、また気分的に一つ区切りがつくことになるのだろうか。
いや、父が生き抜いた61年という年月に一歩一歩近づくにつれて、むしろ父への思いがますます強くなっていくのだろうか。