2012年11月23日

10年前、2002年11月22日、仙台での出来事。

昨日の続き。
こちらも古いサーバーに残っていた内容。改めて読み返すと、いかに自分が興奮していたかがわかります。では、10年前にタイムスリップ...

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11月22日(金)。8時に目が覚める。降り続いた雪は止んだようだ。再び札幌駅から移動し、新千歳空港11時45分発の全日空722便仙台行きに乗り込むわけだが、前日の興奮冷めやらぬ僕、何を血迷ったか9時過ぎにチェックアウト、9時25分発の新千歳空港行き快速に乗り込んでしまった。

「あ、充電器忘れた...」
昨日朝から晩まで酷使した携帯電話の充電器をホテルに忘れたことに気づく。まぁ、前の機種のヤツだからいいか...どうせ同じヤツあるし...と諦め、10時に空港に到着。逆算しても、あと1時間30分を空港で過ごさなければならない。とりあえず、チケットを受け取り、1階到着ロビーの脇にあるファーストフードにて朝食を兼ねて時間を潰す。しかし、結局30分しか持たなかった。「しょうがないか...」と搭乗ゲートに向かう。

「キンコ~ン」

お約束の反応...。はいはい好きにしてくださいな。外を見るとほとんど雪もなく、雲の切れ間から青空が見える。札幌とは別風景だ。6番搭乗口に向かい、椅子に腰掛けると同時に睡魔が襲う。普段の平均睡眠時間7時間の僕としては、この睡眠時間は結構辛いものがある。うとうとしながら時計を見ると、11時だった。「あと30分か...」

とその時、一人の外人がペロペロとソフトクリームを舐めながら僕の側を通った。

「...ん?」

慌てて後ろを振り返ると、そこには...。

ソフトクリームおじさんは、何とEric Leeds!そして、僕のすぐ後ろにはPrinceを除くバンドメンバー全員が座っていたのだ!一発勝負が見事的中した。当初、朝一番の便で仙台に向かい、早い時間からZepp SENDAIに並ぶことも考えたのだが、Princeと一緒の空の旅を楽しめるかも...ということで移動時間を予測し、この便に照準を合わせておいたのだ。更に、恐らくこのような大物アーティストは最後に搭乗し、最初に飛行機から降りるに違いないから、前の方に座るはずと予想し、事前になるべく前の座席を指定していたのである。

「こ、これは何とかせにゃいかん!」

ふと、出発前にどういうつもりかカバンにマジックを忍ばせておいたことを思い出した。あとは、何に書いてもらうか...あ!CD!昨日購入したDays Of WildのCDを取り出す。これだぁ~!!と自分の豊かな発想力に感謝する。
しかし、貧困なボキャブラリが災いして、英語が出てこない。ええと...「ク、クッジューギヴミーユアサインプリーズ?(Could you give me your sign,please?)」
合ってるのか間違いなのかは定かではないが、とりあえず意味は伝わるはずだ。
何度も口の中で反復し、Ericに近づく。
「エ、エクスキューズミー、ミスターエリック?」
「Ya.」
「ク、クッジューサインプリーズ?(練習の成果全くなし)」

...とマジックとCDを差し出す。するとEricは「Oh!Ya!」といって僕からマジックとCDを受け取り、すらすらとサインしてくれたのだ。う、うおぉぉぉぉぉぉ!!!

緊張と興奮で手が震え、「サ、サンキューベリーマッチ」というのが精一杯。Ericはニコニコしながら荷物のある方へ向かった。よぉし。ここまで来たら、貰える分もらってやるぅ。
野望が生まれ、あとはタイミングを待つ。ところがご一行様、ガードの堅さもさることながら、なかなか近寄りがたい雰囲気を醸し出している。何も知らずに口を半開きにして彼らの隣で寝ているサラリーマンが羨ましかった。Maceoが立った!チャンス!再びマジックとCDを持ってアタック。「ク、クッジューサインプリーズ?」するとMaceoは何も言わずに僕からマジックとCDを受け取り、どこに書こうかなぁ、という表情を浮かべながら、「Maceo」と記してくれたのだ!嗚呼、もう一生モノの家宝!ありがとう、EricそしてMaceo!

11時35分。飛行機への搭乗案内が始まる。き、きっとPrinceも現れるに違いない...。メンバーの様子を窺うが、そんな素振りすらない。こりゃ別便かなぁ。ふと見るとメンバー始め大半の客が既に搭乗しようとしている。客室添乗員とのやりとりか、トランシーバーからは「あと6人です」と聞こえてくる。「ダメか」と思いチケットを通し、飛行機へ向かう。
ふと後ろを見ると...デカイ黒人ボディガードの後ろから、紛れもなくPrinceが歩いて来る!白いニットキャップに白の衣装を身に纏っている。思わずガッツポーズ。
「や、やった!!!」

歩く歩調を緩めるが、向こうもこちら(=一般客)の動向を窺っているような感じだった。結局僕とPrinceの距離は約5mほど離れたまま、飛行機に搭乗することになった。

僕の座席は「8E」である。機内は通路が2本あり、左の窓側からA,B列、通路を挟んでC,D,E列、そしてまた通路を挟んでF,G列となっている(すいません、座席表があればわかりやすかったんですが、ちょっと見つけられなくて...)。とにかく、僕の予想は大当たりだった。昨日嫌な予感ばかり的中したことなんぞ全て吹っ飛んだ。そして自分の強運に感謝した。
と同時に、ここで全ての運を使い果たさないよう祈った。既に座っているメンバーの席は予想通り「8」列より前であるが、全日空には「6」列がないため、実質僕の席から最前列までは6列(1~5,7)しかないことになる。Maceoは2列目、Ericは3列目、Rhondaは4列目に座っており、僕のすぐ前には興行の関係者と思しき4名が座っていた。Princeはどこに...と思ったら、奥さんが1Fに、そしてPrinceは1Gに座った。同じ通路側で、ちょうど僕の席から、白いニットキャップを被った彼の頭がちょこんと見える。すっかり眠気が覚めた。これから1時間10分、Princeはじめバンドメンバーとともに、仙台を目指すのだ。「こっち向いてくれないかなぁ」と思ったが、一向にこちらを向く気配はない。

機内では、ちょっとしたハプニングが発生した。荷物が多かったため、Rhondaと一緒に座っている女性(マネージャーなのかよくわかりませんが、以下「マネージャー」と呼びます。)の荷物は通路を挟んだ僕の隣の女性の真上にあった。程なく、女性がしきりに頭や服を拭いている。「どうしたんだろう...」と思いきや、スチュワーデスを呼び一言「上から何か水みたいなものが落ちてくる」。
スチュワーデスがバケットを開けて確認すると、女性マネージャーのものらしい荷物から何か垂れていた。日本人関係者がスチュワーデスに呼ばれ、何やら話をしている。耳をダンボにして聞いていると、液体の正体はシャンプーらしい。結局被服の濡れた女性は空いている席へ移動し、マネージャーの荷物からシャンプーの瓶

2012年11月22日

10年前、2002年11月21日、札幌での出来事。

てっきりなくなっていたと思っていたデータが、以前利用していたサーバーにまだ残っていました。

今からちょうど10年前、札幌での出来事。一生忘れられない出来事。
当時書き上げていた修士論文より読み応えがあると思っています(笑)。

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11月21日(木)。緊張と興奮からよく眠れぬまま、その日の朝を迎えた。天気予報は「雨のち雪」。天気図の狭まった等圧線が西高東低の天気を示している。風が強いため、濃霧による欠航ということはなさそうだ。これから青森空港へ向かい、空路札幌入りする。外に出ると、やや強めの雨が降っていた。弘前から10時15分発の空港連絡バスに乗り、一路青森空港へ。空港へ近づくにつれ、雨は大粒の雪に変わっていた。

11時15分ごろ空港へ到着すると、出発ロビーには人が溢れ返っていた。この光景、東北新幹線が八戸まで延伸してもほとんど変わらないのではないだろうか。青森から新千歳へ向かう便は、新千歳からの折り返しとなる便なのだが、到着が遅れたため12時15分離陸の予定が、12時20分になるというアナウンスが流れる。「何てこった...」。はやる気持ちを抑えきれず、手荷物検査場へ急ぐ。

「キンコ~ン」。

お約束のように金属探知機が鳴る。僕が飛行機を利用する3度に1度はかならず反応が出るのだ。「恐れ入ります。時計、カギなどお持ちでありませんか?」思わず「金ならここに」と股間に指差ししそうになる。こんなところで冗談言ってる場合じゃない。とにかく急いでいるのだ。

結局ベルトが原因とわかり、無罪放免。搭乗待合室から外をみると、降り出した雪がどんどんあたりを白くしていくのがわかる。「やばいなぁ。離陸できるのかなぁ」一抹の不安が頭をよぎる。「お待たせしました。札幌便ご搭乗の方は2番ゲートへお進みください」ゲートをくぐり、機内へ向かう。ふと外を見ると、物凄い数の除雪車が出動中。

「いやな予感...」

やはり僕の嫌な予感は的中した。2500メートルの滑走路に一気に積もった雪を除雪する作業のため、離陸が12時45分頃になるという。機内は、7割方席が埋まっていた。気がつくと、僕の足は小刻みに貧乏ゆすりを続けていた。

そして12時45分、「時間どおりに」離陸―

新千歳空港までの所要時間は離陸から約30分少々である。この日、僕の悪い予感はことごとく的中。天気が悪いので揺れるだろうと思っていたら、着陸体制に入ったとたんガガガガァと激しい揺れに見舞われる。あとは無事着陸することを願うしかない...と思ったら、あっけなく滑走路に滑り込んだ。まさかバス移動では...と思ったら、予想通り飛行機は直接ターミナルに向かわず、バスで移動する羽目となった。「ま、しょうがないか...」

とりあえず到着した旨を札幌在住のD君に携帯電話で伝える。ここから札幌までは、JRを利用する。聞くと現在15分間隔の運行。時計を見ると、次の出発まで5分を切っている。ここでの15分はあまりに痛いと考えた僕は、なりふりかまわず新千歳空港駅へ向かうエスカレーターを駆け下りた。2分前に無事乗車、ラッキーなことに一人がけの座席を発見し座る。あとは、札幌に到着するのを待つばかりだ。

35分後札幌駅到着。出迎えてくれたのは一面の銀世界だった。路面は早くも凍結状態で、すっかり冬の装いである。僕が宿泊したのは札幌駅前にあるTホテル。12月14日で諸事情により閉館のこのホテル、インターネットで偶然5,000円であることを見つけ、即決したホテルである。とはいえ実は札幌のホテル事情はかなり良好で、ここより安くて新しいホテルがあるのを知ったのは、帰宅してからだった。

シングルなのにツインの部屋を用意してもらい、少しくつろぐ。前日、ちゃんと眠れなかったために睡魔に襲われるが、D君との待ち合わせ時間が迫っていたために部屋をあとにする。外気がキンキンに冷えることを「しばれる」というのだが、札幌はバッチリ「しばれ」ていた。

D君と合流し、北海道厚生年金へ向かう。ボジョレーヌーボー解禁日ということで、時間潰しのためにとD君がボジョレーを持ってきてくれたのだが、結局最後まで飲む機会はなかった。いや正確に言うと、2人とも約10年ぶりに彼のライブを堪能できるとあって、クールを装ってはいるものの内心バックバクで、それどころではなかったのかもしれない。

約20分近く歩いたのだろうか。まもなく厚生年金到着、と思ったその時、ふと目をやると、厚生年金の隣にあるホテルRの裏口に、「リムジン(もちろんキャデラック)」が停まっていた。ひょ、ひょっとして?と思わず二人とも足を止める。と、助手席に黒人(あとでPrinceのボディガードであることを知った)を乗せたそのリムジンはこちらに向かってゆっくり動き出し、ホテルの支配人や社員の方々が深々と頭を下げる。「こ、これってPrince乗ってるのか...?」と思ったその時、黒のスモークガラスの向こう側に、明らかに「彼」と思われる姿が。「お、おぉぉぉ!!」と思わず奇声を発する二人。意味もなく手など振ってみるが、全く反応はない。本当にすぐそこまでの距離なのに、なぜか信号で停止したりして、意外とゆっくりしたスピードで進んでいるため、すぐに追いつく。しかし、何もできない二人。結局そのまま、隣の厚生年金裏口にゆっくりとリムジンが消えていった。

15時30分頃厚生年金に到着すると、約30名ほどのNPGMC会員が既に列を作っていた。さすがに会場外では風邪をひいてしまうという配慮からか、既にロビーで待つ段取りが整えられていた。名前を告げ、封筒を貰う。ふと脇には、都はるみや角松敏生、さらにはワハハ本舗の公演ポスターが貼られていた。こういう会場でPrinceがライブを行うということに関しては、二つの考えが浮かぶ。一つは、観客動員が落ち込んだために、致し方なく会場を狭くしたこと。もう一つは、敢えて狭い会場にすることで、ファンとの距離を縮めること。実は来日前まで僕は、前者の考え方だったのであるが、東京での各公演、浜松での公演内容を知るうちに、Princeは明らかに後者の考えを持って公演に臨んでいることを確信していた。座席表に目をやり人数を数え、自分の座席がどのあたりになるのかを計算。これから起こる10年ぶりの再会に心躍らせながら、静かにその時を待つ。

スタッフの事前説明によると、ステージ上椅子が並べられてあるので、順番に座ってもらい、そこでサウンドチェックを楽しんでもらうということ、ステージ上からメンバーが下がるまで、椅子を立たないで欲しいということなど、いくつかの注意が与えられる。そして16時30分頃、突如ホールのドアが開く。順番に入場

2012年11月16日

政治とプロレス


政治の話は、それぞれ政治思想が異なることもあって、極力避けようと思っていたのだが、さすがに今回はちょっと我慢できなかった。突如やってきた衆議院の解散劇はただただ呆れるばかりというか、まさに国民不在の茶番だといっても過言ではないだろう。 野田首相が「近いうちに」と発言したことに端を発した今回の選挙。解散風が吹き始めたとマスコミが騒ぎ始めた途端、まさかの党首討論での解散ぶち上げ。マスコミ各社が笑いをかみ殺しながらその模様を伝えていたのが見てわかり、劇場型政治もいよいよここまで来たか、と思う一方で、野田首相と自民党の安倍総裁とのやりとりはどこかギクシャクしていて、お互い初めて対戦する相手と、なかなか組めずにいます、みたいな感じだった。 解散につきものなのが万歳三唱。あの意図するところは諸説あるが、こういうご時世に万歳なんぞしているなんて、何とまぁおめでたいヤツだと思うし、断片的に捉えると、「万歳」ではなく「お手上げ」のようにも見える。まぁいずれにせよ、どれぐらいの人たちがまた本会議場に戻って来るのかはわからないが、今回は大幅な入れ替えがありそうな気がしますぞ、私は。 ところで今回の衆議院解散、争点は一体何なのだろうか。本来であればいち早く着手しなければならないはずの震災復興は、遅々として進んでいない感があるし、TPPへの参加が争点になるのだろうか。それとも、原発を巡る問題?いや、消費税改革か?待てよ、国交問題だって全然解決の糸口が見えていないし、そもそも国会の定数是正の問題だってある(その場しのぎの0増5減なんて、何の意味もなさないぞ)...。 何とか党の暴走老人は「旧体制 vs 第三極」みたいにぶちかまし、それに乗っかって世論を焚きつけようと報道しているバカなマスコミもいるようだが、ハッキリ言ってそんなことはどうでもいい。そういう政治に今まで国民は散々翻弄されてきたし、離散集合を繰り返してもなお呉越同舟を堪え忍ぶそのスタンスが僕には理解できない。結局のところ皆さんは、何をしたいんですか?って話(で、それでも皆さんが一致団結するところは結局のところ、反民主?反自民?それとも...?)。 いずれにせよこの3年半の間で、それぞれの党や議員が公約として掲げてきたことやマニフェストが、どれだけ達成されたか、あるいは目標に近づいたか、候補者は自らの口でしっかりと語るべきだと思う。それこそが、「国民に信を問う」ということではないだろうか。 政治はよく、プロレスと一緒と揶揄される(いや、そんなこと言ったらプロレスに失礼か)。 メジャーと呼ばれる大きな団体からインディーと呼ばれる小さな団体まで、プロレスの組織はバラバラ。 メジャーの団体から独立して新しく小さな団体を立ち上げる選手もいれば、フリーの立場でそういった団体を渡り歩く選手も。かと思えば団体がダメになってまた古巣に戻ってくる選手がいるし、同じ団体の中でも勧善懲悪の人気レスラーが突如悪役(ヒール)に転向することだってしばしば。 こうなるとホント、政治の世界を見ているみたいだが、そのプロレスラーがアントニオ猪木を筆頭にこぞって政界進出するのだから、おかしなものだ。 昭和プロレス全盛の頃、新日本プロレスのアントニオ猪木の好敵手として活躍したアンドレ・ザ・ジャイアント(1946 - 1993)。 どうでもいい小ネタだがそのアンドレ、弘前市中野にある某居酒屋に、弘前への興行の際に来店したらしく、生ビールを大ジョッキで30杯以上平らげた、ということをプロレス好きの店主が店に張り紙していたことがある(ちなみにその居酒屋は今も存在してます)。 新日本プロレスの実況を務めていた古舘伊知郎は「巨大なる人間山脈」「一人民族大移動」などと好き勝手なニックネームを付けていたが、一目で誰とわかる彼が、マスクを被って試合に臨んだことがある。 新日本プロレスをかき回す集団として、将軍KYワカマツ率いる「マシン軍団」というヒール軍団が存在していたのだが、アンドレはその一員として突如登場、「ジャイアント・マシン」という名でリングに上がったのだ。 で、僕が何を言いたいかというと、結局のところマスクを被ろうが何をしようが、中身は一緒だということだ。 解散が決まった途端に与党である民主党からの離党者が続出したというのも笑える話。しかもあろうことか自民党への鞍替えをぶちまけた議員もいた。自らの選挙のためとしか思えぬ行動、慌てふためいてしっぽを巻いて離党していく姿を見て、国民が手を叩いて喜ぶ、とでも思っているのだろうか。そんなに自分の政策と合わないのなら、もっと前から離党しろよ、と思ってしまう。まあ、そんな輩に政策なんてあってないようなものなのだろうけど、要するに、勝ち馬に乗りたいだけなのだろう。 さて、衆議院の任期は4年間である。ここ20年間で任期満了に伴う改選が何度あったかというと... お見込みの通り、0回。 任期途中で全て解散総選挙を行っているのが実情だ。 聞いたところでは、総選挙一回にかかる費用は600億とも700億ともいわれている。もちろんこれは全て税金で賄われる。 だからどうしたといえばそれまでだが、たった4年の任期を全うできないような議員や、口先だけの公約や信念しか持ち合わせないような輩を選ぶ我々にも、一定の責任があるということは肝に銘じなければならないのかも知れない。 もっとも、議員になりたいという人は選挙に出ればいいんだし、国民はそれに投票という形で応じればいいだけの話なのだ。 でも...顔だけ口だけパフォーマンスだけの政治は、ホントもう勘弁して。

2012年11月11日

今日のランニングは「街ラン」


土曜日朝は雨降りで、いつもの朝練が中止となりました。僕は前日飲み会が入っていたので、早々に欠席の連絡を入れていたのですが、先週もまちあるきフォーラムに参加していたため、2週間前に走って以降ずっと走っていませんでした。 19日は人間ドック。元々ジョギングを始めたのが、人間ドックで指摘された「成人病予備軍」からの脱却を目指してのこと。結果、昨年の人間ドックの検査値はオールAという優等生となりました。 朝練でも結構本気になって走っていたのですが、実は根底はここにあるんですね(ホントかよ)。 しかし、ここでサボって数値が元に戻ってしまっては、これまでのトレーニングが無意味だったということに。 ということで、アリバイ作りも兼ねて(笑)、今日の午後から弘前市内を走ってきました。しかし、先週の「まちあるきフォーラム」で弘前市中心部を歩いたばかり。これはただ走るだけではつまらない、ということで、「菊と紅葉まつり」最終日を迎えた弘前公園を中心に、スマホ片手に街ランしてきました。今日は画像がたくさんありますのでご容赦を。 まずはこちら。 最勝院五重塔です。 20121111 弘前市内街ラン かなりいい感じで紅葉しています。...が、人がいない。しかも、イチョウから落ちた銀杏が...(以下自粛)。 20121111 弘前市内街ラン お。オジさんが写真撮影中。 「こんにちは!」 「...。」 うーん、撮影に没頭しているらしい。 最勝院から土淵川沿いを下流へ向かいます。 20121111 弘前市内街ラン 川と護岸が工事中のため、一部通行止めとなっていましたが、狭い道路をゆっくりと歩を進めていき、右折。弘南鉄道の中央弘前駅を出発して最初の踏切を越えると、ご存じこの犬が待っています。 20121111 弘前市内街ラン この間、マフラー掛けてたけど外されてました。 「寒くない?」 「...。」 再び土淵川沿い。弘前市中心部、土手町に掛かる蓬莱橋の下をくぐります。 20121111 弘前市内街ラン 橋脚などは新しくなっているけど、かなりいい味出してますよね、この橋。 続いて、日本基督教団弘前教会です。見事に紅葉していますね。これ、桜の木です。 20121111 弘前市内街ラン さあ、ようやく弘前公園にやってきました。 弘前市文化センター向かいのお堀にある紅葉。これを撮影している方も結構多いです。あ、私もですが...。 20121111 弘前市内街ラン そのままお堀沿いを駆け抜け、亀甲町へ。 20121111 弘前市内街ラン 曇っているのがちょっと残念。 旧弘前市消防団西地区団第四分団消防屯所の脇から、西堀沿いに入ります。 20121111 弘前市内街ラン 桜のトンネルの横、本丸横へと通じる波祢橋から。電信柱がちょっと邪魔だったな。 20121111 弘前市内街ラン 蓮池。誰もが足を止めています。 20121111 弘前市内街ラン 20121111 弘前市内街ラン 弘前工業高校のすぐそばにある大イチョウを見て、再びUターン。 20121111 弘前市内街ラン もう、冬支度も始まっています。 20121111 弘前市内街ラン このコントラストはいつ見ても凄いです。 20121111 弘前市内街ラン 丑虎櫓の横から、市役所方向。 20121111 弘前市内街ラン 看板に気付き、Uターン。 20121111 弘前市内街ラン うーん...期待したほどではなかったかな(爆) 20121111 弘前市内街ラン 弘前公園内にある唯一の石橋の横。ここが一番混雑していました。これは確かに凄いわ。 20121111 弘前市内街ラン もうですね、赤一色ですわ。 20121111 弘前市内街ラン 本丸の真横。葉が散ってしまった桜もありますね...。 20121111 弘前市内街ラン 実は人気が少ない辰巳櫓のそば。 20121111 弘前市内街ラン いよいよ佳境に迫ってきました。杉の大橋から、弘前城植物園方面。 20121111 弘前市内街ラン メイン会場、弘前城植物園の前には菊であしらわれた市章の卍が。 20121111 弘前市内街ラン ラスト。市民広場南側、追手門から弘前市民会館へ向かう通路。もうちょっと早ければ黄色い葉っぱが絨毯のように敷き詰められていたんだけどなぁ。残念。 20121111 弘前市内街ラン ...ということでこの後もう少し市内を走り、ちょうど13キロで今日のランを終了です。目の保養になりました!

2012年11月 6日

前総務省消防庁長官による講演(「プロフェッショナルへの架け橋」)

今日の午前、前総務省消防庁長官の久保信保氏が、約50名の青森県職員を前に講演を行いました。

久保氏の略歴を簡単に紹介すると、昭和27年生まれ、福岡県出身。東京大学法学部卒業後、昭和50年に旧自治省入庁。広島県総務部長、広島県副知事、総務省自治財政課長などを歴任し、平成22年7月に消防庁長官に着任、今年9月に退任されました。

講演は、「地域主権時代に求められる公務員の資質~青森県職員に送るエール」と題して、ご自身が入庁されてから先般消防庁長官を退任するまでのキャリアのうち、通算18年間に渡って勤務した広島県庁時代のお話を中心に、ご自身の経験談などを語られました。

ちなみに事前に配布された資料には、消防庁長官時代に遭遇することとなった東日本大震災への対応をまとめた「東日本大震災へ教訓」がレジュメとして配布されました。この中では、岩手・宮城・福島の三県の被災状況や消防の活動状況が詳細にわたって記載されていましたが、結局その資料を開く機会は一度もありませんでした。

講演内容そのものについては、あくまで行政職員向け。

例えば自治省(現総務省)の(恐らくキャリア)職員は、全国4~5つの地方公共団体で勉強・研鑽を積むのが普通だとか、ご自身が平成の市町村合併や住基ネットの整備、指定管理者制度や地方独立行政法人の策定に関与したエピソードなどを披露されました。
終わる頃には、仲が良いという三村知事が突然乱入し、破顔一笑。場も和やかな雰囲気になりました。

質疑応答では3名の職員から手が上がりました。この応答が、結構興味深い内容だったので、備忘録がてらメモを残しておきたいと思います。

・地方の行政職員は色んな部署を転々とすることが多いと思うが、全ての職場における全ての経験が役に立つときが、いつか必ずやってくる。
・自分が正しいと思ったことは、実現させるよう尽力することが必要。「結果を出す」ことが求められる。正しいという主張を通すことではない。そんな独りよがりは何の意味も持たない。外の声に耳を傾けること。
・相手にとって良かれと思ったことでも、そうではないことだって多々ある。相手側の目線、立場で、どうすることを求められているかを考える。
・人間関係はとても重要だが、敵対関係になることもあるだろう。相手の案に一切賛成できないしても、お互いの立場を「理解し合う」ことは必要。
・職場から一歩身を引いて、社会を眺めてみる。仕事と関係のないことの知識や経験を深めることも大事。日頃から自分たちと異なる仕事をしている人たちとの接点を持つべき。
・仕事を進める上で、常に疑問を持つ。そして、その疑問に対して性急に回答を求めず、基本に立ち返るという観点から、まずは自分で調べ、考え、答えを自分で探してみる。そのためにも、直感を鍛え、推理力や想像力を働かせる。色んな文献を漁ってみることが、役立つことだろう。

ごくごく当たり前の話なのかも知れませんが、その当たり前なことを意外と忘れていたりするものです。そういったことからも、この講演を聞いて「気付き」のきっかけになったというだけでも、聴講の意味があったと考えています。

(平成24年11月6日午前10時から11時30分まで、青森県庁西棟8階中会議室にて。)

2012年11月 4日

「第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前」に参加してきました。


11月3日、4日の両日、弘前市で行われたフォーラムに参加してきました。 当初、基調講演を行う吉田類氏を一目でいいから見てみたい、というミーハーな思いしかなかったのですが、市民向けに提供されることとなった150名分の無料整理券を入手するのは物理的に困難だな、と思い、フォーラムそのものへの参加を決めました。 初日(3日)は、午前中に基調講演、午後が分科会とトークセッション、2日目(4日)は、6つのコースに分かれたエクスカーションという内容でした。 9時から始まった受付を済ませ、会場に入ると、大きな会場の半分以上が仕切られており、非常にこぢんまりとしていました。 何か、思った以上に人の少ないフォーラムだな...。 9時30分から開会式、10時からのオリエンテーションが終わると、後ろに置かれていた仕切りが外されました。 その後ろには、無料整理券を手にした市民の方々が...。なるほど、こういうことだったのね。 いよいよ基調講演の始まる10時30分となりました。事前にフォーラム参加者からの質疑応答で、「講演中の写真撮影は可能ですか?」という質問が出されていましたが、主催者側から、講演中の写真撮影は遠慮頂きたいこと、ただし、講演終了後に写真撮影の時間を設けることが発表されると、会場からは拍手が沸き起こりました。(ところがこれが後でとんでもない混乱を招くことに...。) 10時35分、吉田類氏登場。会場には歓声と拍手が響き渡ります。吉田類氏が何者なのかはここでは割愛しますが、僕が彼を知った頃、こんな拍手を浴びるような有名人ではなかったぞ...。 さて、講演内容の概要を箇条書きで。...あ、その前に。基調講演のテーマは「夜の街歩きの楽しみ方-酒場の呑(ノ)ミュニケーション論」だったのですが、ハッキリ言ってテーマとまるで違う方向の話題に進んでいきます。でも、それはそれで面白かったです。ちなみに青森県に入ってから4日目(!)だそうで、青森、八戸と回り(もちろん飲み歩きしていたらしいですが)、前日に弘前市郊外のりんご園で雨に祟られ、少々風邪気味とのこと、確かにちょっと辛そうな感じでした。 ・吉田氏の出身は高知県。清流(仁淀川)の流れる綺麗なところだが、杉の人工植林を行い放置した結果、山が荒れてしまった。地元にはほとんど戻っていない。 ・吉田氏と言えば酒の飲み歩きというイメージがあるが、実は山歩きが大好き。中部山脈から北海道まで、たくさんの山を歩きながら、イワナ釣りなどに興じていた。昔は登山家のような生活をしていた。山を下りると、酒、温泉、郷土料理がワンセットとなって待っていた。酒を飲んでいなければ、こんなにいろんな人たちと親しくなっていなかった。 ・酒が入ってしまうと、人と敵対することはまずない。敵対関係になるような酒の飲み方は、その人の資質。 ・酒が旨いところは、水がうまい。水がうまいということは、すぐ近くに山があるということ。山には、四季がある。青森は、その四季を持っている。 ・酒は、コミュニケーションを取る手段の一つ。人間は孤立したら何の意味も持たなくなる。コミュニケーションの場を持つことが必要。 ・大町桂月の名前を出しても、高知、北海道、青森の人しか反応しない。高知で生まれ北海道、そして青森に渡り歩き、八甲田の蔦温泉で一生を終えた。吉田氏自身も、大町桂月のような生き方をしているような気がする。 ・ちなみに吉田氏、白神山地を山歩きしようと思ったが、北海道に先に渡った。そこでいろんなルーツを知ることに。 ・自然を残すために人の手を入れないという考えは間違い。自然と人間が共存するためにはうまく付き合うことが必要。 ・酒は健康のために飲んでいる(会場内、大きな笑い)。精神的な縛りを解いてくれるのが、酒。 ・酒場は観光産業を支える一つ。街に酒場が充実していると、賑わいが創出される。 ...といった感じです。この他、実は弘前市内の酒場を放浪したらしく、その模様はそのうち放映されるようです。(店の名前もおっしゃっていましたが、敢えて伏せておきましょう。) そしてそして!!何と吉田氏、前日に僕の住んでいる町内を散策していたらしいのです!!ひょっとしたらこちらも放映されるかも知れません。楽しみにして待ちたいと思います。 基調講演終了後、写真撮影に応じた吉田氏。ところが、ここで吉田氏が降壇し、一般客との記念撮影に応じ始めたものだからもう大変。俺も私もと人が殺到し、収拾がつかない状況に陥ってしまいました。結局吉田氏が会場を後にすることでようやく混乱は収束しました。(ちなみに僕も近くまで寄りましたが、あまりの人の多さに辟易し、写真を数枚撮影して一目散に退散しました。) フォーラム参加者はここから分科会に分かれます。第2分科会にエントリーしていた僕と妻は、バスに乗って市の中心部にある「津軽弘前屋台村かだれ横丁」に移動し、昼食を頂きました。(ちなみに昼食代も大会エントリー料の2,000円に含まれていました。) 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ここから、弘前路地裏探偵団のエスコートにより、3つのグループに分かれて弘前市の中心市街地である土手町界隈をまちあるき。 参加者12名で構成された第1グループは、弘前路地裏探偵団のオダギリユタカさんの案内により、以下のルートを散策しました。実はこの他にも立ち寄っているところがあるのですが、敢えて省略します。だって、教えたくないんだもん(笑)。 かだれ横丁(弘前路地裏探偵団の皆さん) 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ 百石町展示館 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ 世界一小さいりんごグッズ博物館 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ しまや手芸店 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ (土淵川沿経由) 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ 蓬莱橋広場 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ 一戸時計店 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ 弘前中央食品市場 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ BUNAKO 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ どて箱 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ 久三郎 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ まちなか情報センター ↓ 弘前昇天教会 ↓ 中央弘前駅 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ (新鍛冶町経由) ↓ かくみ小路 ↓ 川越黄金焼店 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 再びかだれ横丁に戻ってきた我々は、バスに乗車しホテルへ移動、トークセッションに出席。 (社)弘前観光コンベンションの坂本事務局長のコーディネートにより、長崎コンプラドールの桐野理事長、NPO法人北九州タウンツーリズムの大内田代表理事、函館市の小笠原観光振興課長、合同会社西谷「たびすけ」の西谷代表による事例発表が行われ、最後に「まちあるきを漢字一文字で表すと?」という問いかけに対し、桐野さんは「愛」、大内田さんは「交」、小笠原さんは「繋」、西谷さんは「人」という文字を掲げ、坂本事務局長が総括して「楽」しかったですね!と一文字掲げ、初日のフォーラムが終了しました。 二日目はあいにくの雨模様。遠い人では秋田県大館市と小坂町のまちあるきを体験、その他弘前市と近隣の5つのコースに分かれたエクスカーションが行われました。 僕は弘前市内特別コースということで、りんご公園と津軽藩ねぷた村を回り、午後12時過ぎに全ての日程が終了しました。 りんご公園にて。 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 津軽藩ねぷた村にて。 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 さて、「漢字一文字で。」という問いかけの時に、僕は漢字ではなくひらがな一文字が浮かんでいました。 それは、「と」。 将棋の駒、歩兵の裏には「と」と書かれていることは皆さんご存じでしょう。歩兵は、1駒ずつ進んで敵の陣地に入ると、ひっくり返って「と金」になります。 昨日は多くのボランティアの方やガイドさんが参加されていましたが、まちあるきのボランティアの方もガイドさんも、「歩兵」になることを目指せばいいのではないかと思いました。 考えようによっては、歩兵というのは、常に裏に「金=お宝」を隠し持っているわけです。歩いて歩いて歩いて、やがてその人しか知らない「と金=お宝」を手に入れる。そして、人「と」人を結びつけ、人「と」地域を結びつける...。 僕はボランティアでもガイドでもありませんが、僕しか知らない「と」を持ちたい...昨日まちあるきを実践してみて、あまりにも自分が住んでいた街を知らなかったことに愕然としながら、そんなことを思った次第です。 ここ最近は車ばかりで街を素通りしていたような気がするので、たまに自分の足で、いろんなところを散策してみたいと思います。 関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。 最後になりますが、今回掲載した画像を含めたフォトセットを作成しました。もしよろしければご覧下さい。

2012年11月 1日

点と点、線と線、そして...

10年ほど前、NPOや市民団体と行政との協働に関するセミナーに出席したことがある。
その時の出来事が、僕をセミナーの類から遠ざける一因になったのだが、先月27日に弘前市で行われたオフサイトミーティングの勉強会に出席したとき、ふとそのことを思い出していた。

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...当時僕は県からの出向扱いで、弘前大学大学院人文社会科学研究科に在籍していた。当時の指導教官からの勧めもあって、そのセミナーに参加したのだが、これがまた自分にとって全く身にならなかったのだ。

最初からワークグループ形式で行われたこのセミナー、多種多様の人たちが40名ほど集まっていたのだろうか、男女比率で行くと女性の割合が圧倒的に多く、その中でも僕はちょっと浮いていたような気がする。

さて、ワークショップで何を語り合うかというと、「行政への市民参加のあり方」という漠然とした内容だった。
8名が車座になったテーブル。男性は僕だけで、周りは全て女性(それも皆さん母親みたいな年齢の方ばかり)だった。

「一番若い人から」ということで、僕が自己紹介することになった。弘大大学院に在籍しているが、実は県職員であること、協働や住民参加に興味を持っていることなどを話した。その後も、次から次へと順番に自己紹介が進む。小さな市民団体の代表者が多く、福祉関係や生活弱者支援をメインに活動している方が多かったように記憶している。

...と、ある方へ順番が回ったときのこと。
眼光鋭く、まるで僕を牽制するような目線を送りながら言い放った第一声に、僕は耳を疑った。

「私、公務員とか役所の人間が大嫌いなんです!」

静まりかえるテーブル。いや、正確には僕だけが萎縮しているだけだったのだが、なぜそんなことを突然言い出すのか、僕には理解できなかった。
僕に対するいきなりの拒絶反応。しかし、どうもその人は市内でもそれなりの活動をしているらしく、他の方々がみんな気を遣っているのがあからさま。

コーディネーターから振られて発言するも、それをやんわりと制し、そして僕の発言を否定するその方に辟易し、僕はその後一切の発言をやめた。

結局、好き勝手自分たちの活動内容を散々放言した挙げ句、まとまるものもまとまらず、「行政との良好な関係を保ちながら、もっと市民が参画できる機会を創出する」などと、机上の空論みたいな結論を出してセミナーは終了してしまった。

終わってから思ったことは、結局ここに集まった人たちは、何かを生み出すということを目的にして集まったのではなく、自己主張をしたかっただけなのだろう、ということだった。
市役所の職員も数名姿を見せていたが、端から見ているとその方々にもっと活動の機会を与えろ、といった主旨の要望や苦情ばかり。この調子では、協働なんて絵に描いた餅。
正直、ちっとも身にならないセミナーだったと思ったが、大学の教官から参加を勧められたという、言わば自発的ではなく他人からの後押しということも伏線としてあったのかも知れない。

それ以来、セミナーの類は「自己主張と空論ばかり」という既成概念が生まれ、まるで参加する気がなくなってしまった。

もう一つ。一昨年前の4月に行われたセミナー。
これは、僕が宮古市へ震災復興の支援(といっても僅か4日間、拠点における物資の搬入搬出だけだったけれど)に向かう直前に参加したものだ。こちらは自発的に参加したいと思い、馳せ参じたのだけれど...。

このセミナーの分科会においては、進行役と聴講者が殴り合い寸前の丁々発止のやりとりをするという場に遭遇。

基調講演が長引いた影響で時間が押していたため、進行役が発表者に対して少し短めに説明するよう求めたところ、それが良くないと怒り始めた聴講者は、その発表者の上司だった。

結局予定時間を超えて終了した分科会、終わった途端に進行役とその聴講者がお互い今にも殴りかからん勢いで対峙。

内容が震災復興にかかる発表だっただけに、実に後味の悪いセミナーとなった。

そういう意味では、「良質のセミナー」に参加する機会に恵まれず、僕にとってセミナーの類は苦手なものの一つになっていたのかも知れない。

もっとも、身の丈に合わないセミナーに参加した、ということもあっただろう。特に最初のセミナーにおいては、知識も見聞も持ち合わせぬまま、興味本位だけで出席したのも事実だ(その興味本位を次の行動に繋げなければならないのに)。セミナーに参加したというアリバイ作り。自己満足。何と言われようと反論のしようはない。だが、セミナーの参加者が好き勝手に理想論ばかりを振りかざすようでは、セミナーそのものが形骸化しているといっても過言ではないだろう。
こうなると、自分にとっても身にならないし、周囲にとっても迷惑な話だ。


先月27日の勉強会。
実は自分の身の丈に合ったものだったのか、僕みたいな輩がいてもいい場所だったのかはわからない。

ただ、あの勉強会は、これまで参加したセミナーとは異なり、間違いなく自分なりの意見、見解を述べることができたし、他の方々の意見も吸収することができた。そして、間違いなく自分の身になった、気づきに繋がったと確信している(だから自分なりに内容を整理して、翌日にはブログ記事として投稿できたんだと思う)。

何より、色んな地域でそれぞれの立場で活躍されている方々を見て、刺激になったことだけは間違いない。
だから、今回新たに生まれたご縁やいろんな繋がり...点と点が結びついた線を、新たな面(ステージ)にしていきたいと思っている。