2016年5月30日

走れネゴス、じゃなくて良かった。 - 第5回 走れメロスマラソン(五所川原市)

2016年は4月の花巻でハーフマラソンの自己ベストをいきなり叩き出し、順風満帆のスタートのはずだったのですが、5月に入ると一転、内臓疾患に襲われたり、軽い肉離れを起こしたり、足底筋膜炎かアキレス腱周囲炎かよく分からない痛みを発症し、歩くのも辛くなったりと、満身創痍に近い状態でした。何か、毎年こんな感じです。 楽しみにしていた大会にも参加することができず、こうなると気分もどんどん滅入るというもので、改めて今月を振り返ってみると、かなりネガティヴな思考になっていたかも知れません。13日の岡村ちゃんのライブを心の底から楽しむことができなかったのも、多分こういう伏線があったからなのだろう、と今更ながら感じているところです。 さて、そういった事情もあって5月の月間走行距離は100キロちょっとでした。「走った距離は裏切らない」という野口みずきさんの名言に反論するかのように、「走った距離には中身も必要」と言い聞かせている自分としては、例え短い距離であってもその練習内容がしっかりしていれば、相当の距離を走らなくとも、勝るとも劣らぬ結果に繋がるはずだ、という持論を持っています。 しかしながら、5月に取り組もうと思っていた練習は結局3割もできぬまま、月末を迎えることとなりました。僕の目標はこの時期の結果次第で一喜一憂するものではないと自負しているので、何も慌てる必要はないのだ、と思っています。どこに自分のピークを持っていくか、これに尽きるのだと思います。 とはいえ内臓疾患はひとまず終息したものの、脚の状態は全くダメで、28日(土)の定例の朝練で約1週間ぶりに走ってみましたが、両脚のアキレス腱や足底に痛みを感じ、これはちょっとまともに走れる状態ではないな、と感じるようになってしまいました。 しかし、翌29日(日)に五所川原市で行われる「走れメロスマラソン」にだけはどうしても出場したい、という強い思いがあり、土曜日はひたすら下肢のケア(セルフマッサージ)に努めていました。 結果、当日の朝はかなり痛みが緩和されており、ハーフマラソンを走るに耐えられるであろうと確信。 ただし、実際にどんな状態なのかは走り出してみないとわからないので、間違えても昨年のようなタイムを狙うということはせずに、練習の一つと位置付けて臨むことにしました。 この日自らに課したテーマは、「ビルドアップ走」。約21キロの距離を何区間かに分け、徐々にスピードを上げていくという内容です。ただし、ケガを悪化させては元も子もないので、設定タイムは1時間45分~50分にしました。入りの1キロは5分半、5キロまでを5分15秒、10キロまでを5分、10キロ以降は様子を見ながら、という内容。 もう一つは、時計を見ることなく同じペースを維持すること。どちらかと言えばフラットなコースですので、多少の風の影響はあるかも知れませんが、ほぼ同じペースで走ることを心掛けて走ってみることにしました。 スタート地点となる会場の五所川原市「「立佞武多の館」に8時前に到着すると、既にアップを始めているランナーが多数。 早速参加賞を受け取り、準備。その横では開会式が行われており、市長やら議員さんの他、ゲストランナーの森脇健児さんも紹介されていました。昨年までのゲストランナーは谷川真理さんだったので、一部では「森脇健児さんか...」と残念がる(?)声も聞かれたものの、どうしてどうして。スタート時の選手に対する盛り上げ(いじり)やゴール手前のランナーを鼓舞する姿など、森脇さん、凄く良かったですよ。 開会式の前に、クラブのメンバーと軽く試走し、足の状態を確認。事前に服用した痛み止めはまだ効き始めていませんでしたが、まあ、何とかなるだろう、と前向きに考えることにしました。ダメならやめればいいんだし。 メロススタート前(恒例の集合写真。今回は舞台を占拠。) 集合写真を撮影した後、スタート地点へ。いつもであれば1時間30分前後のラインに並ぶのですが、今日は無理しなくてもいい、と決めているので、2時間以上のラインに並ぶことにしました。結構後方です。 いよいよ9時、スタート。混雑の中で、ゆっくりと走り始めます。 本当にゆっくり走り始めてみましたが、脚の痛みはあまり感じず。むしろ、スローペースなのが逆に結構辛い...。 誰かペーサーになるような人がいないか探してみますが、なかなか見つけることができず、あっという間に1キロ通過。想定の5分30秒よりちょっと早めでしたが、まずまずといったところでしょうか。 コースの中で最大のアップダウンである五能線の跨線橋を上りきると、前の方にズラーッと走るランナーの皆さんが。下りに入った時点で、この混沌とした状況の中、ペースが上がり始めているのがわかりました。抑えて抑えて...まるで興奮する闘牛をなだめるような気持ちで、ペースを抑えます。そしてその中で、どうしたら楽に走ることができるか、フォームを意識しながら走ってみることにしました。3キロ付近でのペースは4分45秒、想定より約30秒早くなっていました。そしてこのあたりから、ピンク色のTシャツを着た同じクラブのメンバーや他のラン仲間が視界に入ってくるようになりました。横について一言二言声を交わします。そして皆さん、全く同じことを聞いてこられる...。 「脚、大丈夫ですか?」 「ええ。まあ、何とか...」 並走する仲間の皆さんが僕の脚の具合を心配して聞いてくるのに、僕はゆっくりとその人たちを追い抜いて行くわけですよ。何かおかしいですよね。逆ならまだしも。何か本当に申し訳なくなり、あまり誇張してネガティヴな発信はするものではないな、ということを猛省したのであります。(でも、まだ痛みが残っていたのは事実です。) さて、その後も一糸乱れぬ...というまではいかないものの、淡々と走り続けます。給水も無難にこなし、まさに黙々と走る、といった感じ。7キロ付近でしたでしょうか、たまたま追い抜いたら抜き返し、しばらくすると落ちてきて、また追い抜いたら抜き返す...という仕掛けをしてくる人もいましたが、そんなの全く気にはしませんでした。(都合3度抜かれましたが、結局最後は脱落。) 1~5キロは大体1キロ4分45秒、5キロ~10キロは4分40秒と、想定よりかなり早いペースで走っていました。 そして10~13キロは1キロ4分35秒、13~17キロは4分25秒とどんどんペースを上げ、18キロ以降は4分15秒に近いペースで走っていたようです。 メロス斜陽館(ふじさきかけっこクラブNさん撮影) そしてこの間、時計には一度も目をやらず、感覚だけで走っていました。当初は1時間45分~50分でのゴールを想定していたものの、続々と見えてくるピンク色の背中と仲間の顔をを見て、既に100分を切るペースまで上がってしまったことを確信。確かにビルドアップ走ではありましたが、ちょっとこれはペースを上げすぎてしまったな、と。 しかし18キロを過ぎた時点で今更ペースを落とすわけにも行かず、あとは勢いだけでえいやっ!と走ってしまった感じ。 ゴール直前(ゴール手前、Oくん撮影) 昨年より5分遅かったものの、1時間35分でゴール。まあ、正直言ってタイムはどうでも良かったわけで。 メロスゴール(えん&みゅうのOさん撮影。) そして、この大会にどうしても参加したかった理由の一つ、手伝いに参加している二人の同級生とゴール地点で再会。一人はゴールしたばかりの僕を見つけてペットボトルを持ってきてくれたし、もう一人は大会本部で再会。嬉しかったなあ。 この時点でかなりアドレナリンが出ていたみたいで(というか、この後ずーっとアドレナリンが放出されていた感じ)、脚の痛みは忘れていました。というか、脚が痛い話はもういいですね。 集団がばらけ始めた1キロ過ぎからゴールするまでに、恐らく何百人というランナーを追い抜きましたが、抜かれた記憶は2人のみ。 これですね、ホント気持ちいいのですよ。テンションが上がります。何より、18キロを過ぎてもなお、ペースを4分15秒前後まで上げられたのは今回最大の収穫でした。 ゴールした後に、見ず知らずのオジさんが僕に近づいてきて、おもむろにゼッケン番号と名前を確認。 「いやあ、アンタに抜かれてからアンタを目標にして走っていたけれど、最後まで追いつけなかったわ。良い走りだったよ。」と声を掛けられました。 思ったほど風の影響は感じなかったものの、気温がどんどん上がるという状況下、途中で倒れてしまった方もおりました。そう考えると、ちょっと過酷な状況だったのかも知れません。 僕自身は総じて見ると、ちゃんとネガティヴスプリットで走ることができたし、良いところまでペースを上げることもできました。結果的にいい練習になったなあ、ということで。無理を押してでも参加して本当に良かったと思いました。自分の今の状態も確認することができたしね。 あ、それからもう、脚のことをああだこうだと発言するの、やめます。それもこれも全ては自己管理。自己責任の下で処置されるべきことなのでしょうから。ランナーの皆さんは、どこかに必ずと言ってもいいほど痛みを抱えているみたいです。なので僕も、この痛みと上手に付き合いながら、これからも楽しく走りたいと思います。 参加された皆さんも運営に携わった皆さんも、本当にお疲れさまでした。楽しかったです! 1-7 8-14 14-20【大体良い感じでラップを刻んでいます。】

2016年5月25日

Wild Lips / 吉川晃司

TBS系で放映された「下町ロケット」での財前部長役を筆頭に、最近はすっかり役者づいてしまった吉川晃司も、もう50歳なんだそうで。 どちらかといえばカリカリしているというか、斜に構えて取っつきにくい印象のあった過去と比べると、最近は良い意味で角が取れ、人格者としての雰囲気も漂い始めるようになりました。僕は昔からファンでしたし、コンサートにも足を運んだことがあるのですが、彼に対する「ワイルドでちょっと素行不良」的な印象がガラリと変わったのが、東日本大震災の際に、素性を隠してボランティア活動を行っていたという事実を知った時。その後のCOMPLEX再結成、東京ドームで僕も泣いたなあ...(遠い目)。 前述のとおり、最近はミュージシャンというよりも役者・吉川晃司として板についてきた感はありますが、逆にそれが音楽、演技双方の活動に良い意味で作用しているのかな、と思ったり。 さて、財前部長を演じてから初となるオリジナル・アルバムは5月18日発売、通算19枚目となります。 2013年に発表された前作「SAMURAI ROCK」では、かなりゴリゴリなロックチューンが続いただけに、本作もタイトル通りの「ワイルド」を期待したのですが...。 感じ方は人それぞれだとは思いますが、まず僕が一番最初に感じたのは、あれ...何だろう。何かが、違う。という違和感。 収録曲8曲約35分、うち4曲は既発曲。(ちなみにiTunes Storeでは全8曲に、「SAMURAI ROCK」「アクセル」「LA VIE EN ROSE」のライブ音源がボーナストラックとしてプラスされています。) ガッカリしたわけではないけれど、この短さには何か肩透かしを食らった感じ。 僕の中でまだ咀嚼できぬまま抱いているこのアルバムへの違和感は多分、先行シングルで発売され、アルバムのファースト・トラックともなった「Dance To The Future」への違和感そのものなのかも知れません。そしてこの曲を含め、アニメ、映画、ゲームという現代の三大娯楽(?)とタイアップした曲が既発シングルとして発売されたという事実、曲の出来映えがどうのこうのというよりも、これらの楽曲の構成にどことなく「らしさ」を感じなかった、そして、これまでであればあまり結びつきを得ることのなかったであろう三大娯楽のうち二大娯楽とのタイアップこそが、僕の中で「?」を生み出した最大の要因なのだと思います。 吉川晃司とゲーム、吉川晃司とアニメって、何か違うような。...まあ、既に「仮面ライダー」で下地は出来上がっているのですが。 メディアに掲載されたレビューには「ダンサブルなロック・アルバム」の文字。 でも、正直「Dance To The Future」に関してだけ言えば、そんなにダンサブルといった印象も受けなかったし、ロックといった印象もなく、何か地味な感じ。これからロック調にしようと思った曲が、まだ完成する前に流出してしまった、そんな印象を受けました。この曲がアルバムの最初を飾るという時点で、ここ最近の中では、異質な作品なのかなあ、という感想。例えて言うならば、「プリティ・デイト」を初めて聴いた時みたいな感じ。 違和感を覚えたのはこの曲だけではありましたが、約35分間、ビューーンと飛び抜けるような疾走感もなく、あまりにもあっけなく終わってしまったので、三こすり半でイキそびれた、みたいな。 いや、タイトルナンバーの「Wild Lips」なんかは、メチャクチャ格好良いんですよ。というかむしろ、「エロさ」を貫き通すのであれば、全部こんな感じで通して欲しかったし、この曲だってこの先、ライブの定番になってもおかしくないと思うし。 「Expendable」には休養していた大黒摩季がコーラス参加、ジャケットのキスマークは水原希子によるものなど、それなりに話題性もあるのです。あるのですが、ううむ...なのですよ。 結局のところ彼の場合、シングルで発売された楽曲は「あわよくば売れ線狙い」のタイアップで「当たらず障らず」である一方、本当にやりたいことはアルバムに収録されているのかな、と。 ただほら、ドラマだ映画だと役者付いている手前、音楽活動に没頭する時間もないのに、「財前部長として認知されているうちに出してしまえ」という、自分の意志とは無関係な思惑に振り回された結果としての産物なのだろうか、とも思ってしまいます。早い話が、(小声で)「やっつけ仕事」ってヤツ。 全体を通して感じたことは、50歳という年齢は感じさせないものの、かつての荒々しさや毒々しさが影を潜め、妙に落ち着いた感があるような気が。いや、それはそれで渋さがあってまたいいんですけどね、どうせならとことん大人のエロさを極めて欲しかったなあ。 ちなみにこのアルバム、当初「Rock'n Rouge」というタイトルでの発売を検討したらしいのですが、それって30年以上前に松田聖子が出した曲のタイトルだよね、ということになりボツ、続いて「HOT LIPS」というタイトルが浮上したものの、これは吉川本人が既に同名の曲を発表しており、こちらもボツになったという経緯があったそうな。 まあ、そんな紆余曲折を経て発表された作品ですから、せっかくなのでもう少し聴き込んでみて、単なるゴム(コン●ームでねえっすよ)で終わるかスルメに化けるか判断したいと思います。 で、このアルバムを引っさげた全国ツアーも始まるとのことですが、「財前部長」効果からなのか、各公演とも軒並みソールド・アウトとなっているようです。完全に機を逸しました。

2016年5月24日

青森市でプリンス追悼イベントを開催します。

プリンスがこの世を去ってから1か月以上が経ちました。僕の中では少しずつ落ち着きを取り戻しつつありますが、実は思っていた以上の衝撃だったようで、思い返してみると、この1か月間は何だかなあ、な感じでした。 しかし、いくら嘆き悲しんでも彼はもうこの世にいないという事実をしっかりと受け止めなければなりません。ファンの一人としてこの深い悲しみをいつまでも延々と引きずっているわけにも行かず、この先、彼の素晴らしさをどう周囲に伝えていくべきかという方向にシフトしつつあるのも事実です。 実は青森県内にも、熱くディープなファンがたくさんいます。 その一部、2002年のプリンス来日(奇しくもこれが最後の来日公演となってしまいましたが)の際に結成された「青森●日の丸扇子隊」という、名前からして怪しげな任意の集まりがあります。一見すると単なるマニアックな変態の集まりみたいなものですが、バーを貸し切ってプリンスの音楽オンリーの集いをやったり、青森市にあるライブハウス「クォーター」を貸し切り、たった11名でDVDパーティーを開催したり、地味ながらも世間の目に余るような活動を時々行っていました。 20021122(約14年前の恥ずかしい写真。穴があったら入りたい。) プリンスが日本に来なくなってから、我々の動きもしばらく鳴りを潜めていたのですが、今回のプリンスの訃報に接し、にわかにまた動き出し、何とあれよあれよのうちに色んなことが決まり、6月4日(土)に青森市内で追悼イベントを行うことが決定しました。 その名も、「青森●日の丸扇子隊Presents プリンス追悼会」 2016年4月21日に急逝したプリンスを偲びながら、皆さんと一緒にプリンスへの愛やエピソードを語り、飲み、喰い、泣き、唄い、そして踊るという、相変わらず全くまとまりのないイベントです。 とはいってもMCもDJも不在で、多分彼の功績を称えつつ、DVDや音楽を聴き、グラスを傾け、美味しい料理を口に運びながら、彼に対する思い出をまったりと語らう(そしてしまいには一部が踊り出す)というイベントになりそうです。 でも、このメンバーはあまり湿っぽいのが好きじゃないので、どちらかと言えば、これから先は彼のことを偲びつつも、みんなで笑って過ごそうぜ、といった感じで、前向きなイベントにしたいと考えています。 一応私も主催者の一人に名を連ねております手前、今日こうやって紹介させていただくこととしました。 ...が、しかし!実は諸々の事情により、参加可能人数はあと4名となっております。 日本全国のコアなプリンスファンの皆さまからも、今回の開催決定に際して激励のメッセージ、コメントを頂いており、変なことはできないな、と襟を正しております。 当日は、かつてインターネットを通じて販売されていたプリンス・グッズや日本で最後となったONAツアー・パンフレットの展示の他、プリンスを追悼して発刊された海外の雑誌などを展示することも検討しています。(ほんの一部ですが、希望があれば雑誌の販売も計画しています。) 会場:「大衆酒場コンフィ」(青森市安方2-17-8) 時間:19時スタート(予定では3時間程度) 会費:5千円(状況によって追加の可能性あり) なお、今のところ事前予約による申込みでのみ参加を受け付けており、当日は、飛び込みでの参加を御遠慮いただく方向となっておりますので、参加を希望される場合は、Facebookから私を探し出してメッセージを下さるか、この投稿にコメントいただければと思います。 先着4名、今ならまだ間に合います! ドンダバ?ワンドさカダッテプリンスのごどクチャベねが? 実は誰にも言っていないけれどプリンスが好きだという皆さん、いらっしゃーい!

2016年5月23日

ケガとランシャツと私

昨日の優駿牝馬(オークス)、軸2頭は鉄板だろうと思い、3着の穴馬入線に期待しながら3連複総流しで馬券を購入したのですが、結局波乱は起きぬまま、1,600円の購入額に対し払戻金は2,070円。収支はたった470円のプラスで、生ビール一杯も飲めないような結果に終わりました。(久しぶりにスポットで予想を立てている春のGIはこれで2勝2敗、現時点では辛うじて収支プラス) 競馬もパチンコもそうですが、勝った時の話は聞くけれど、負けた時の話はほとんど聞いたことがありません。以前、ラーメン屋で隣に座った若者同士が「パチンコの負け金額自慢」をしていましたが、その桁の違いに、聞くに堪えがたい内容でした。 マラソンでも似たようなことがあります。 自分の術中にはまったレース展開でゴールできた時、好タイムが出た時はこぞって雄弁に語りたがる傾向にありますが、逆に失敗レースに終わった時や平凡な記録で終わった時は、あまり積極的に口外しようとはしません。(まあ、どちらも口外したところでどうなるものでもないんですけれどね。) そして、もう一つあまり話したがらないのが、負傷、怪我をした時のこと。 少しでも強くなりたい、少しでも速くなりたいと突き詰めていくと、練習内容もハードになっていきます。当然そこは未知の世界ですから、常に負傷や怪我の危険性が伴います。 僕も自称「ケガの小売店」を標榜していますが、春先にペースを上げることで、何かしらの怪我や負傷を負ってしまい、結果的に秋口まで練習の質を上げられずにシーズン・インする、ということを毎年のように繰り返しています。 ケガをした時によく言われるのは、「ストレッチ」のことです。 定例となっている土曜日早朝の練習の場において、以前は走る前、走った後に肩の関節を柔らかくする等のストレッチをみんなでやっていた記憶があるのですが、最近はストレッチを施している人があまりいなくなりました。 確かに僕自身も、「どうせ走りながら身体を温めるのだから、ストレッチの必要はない」という先入観をいつの頃からか抱くようになっていました。 ランニングクラブの中で僕は、3本の指に入るほど(というかダントツといって良いぐらい)身体に柔軟性がありません。だからこそ、走る前後のケアはとても重要になってきます。その一つがストレッチ、というワケです。 たまたま僕が気づいていないだけなのかも知れませんが、例えば走る前後のストレッチの方法や、ケガをした時の対処方法(病院に行け、といわれればそれまで)について、少なくとも僕の周りではあまり情報共有されていないような気がします。 ストレッチも静的・動的色々ありますので、やり方一つ間違えると、逆に筋肉や靱帯を痛め、ケガに繋がってしまう(ケガを悪化させる)ことにもなりかねません。なので、こういった必要最低限の情報は、何らかの形で共有した方が良いのかな、と、考えている次第です。 ちなみに僕が経験した負傷をざっと挙げてみると... 足底筋膜炎、ランナー膝(腸脛靭帯炎)、種子骨炎、アキレス腱周囲炎、ふくらはぎ肉離れ(軽度)、シンスプリント、ハムストリングス痛、股関節痛、腰痛、等々。更にこの他に五十肩なんていうのもありました。 このうち、アキレス腱周囲炎と種子骨炎は一度、ランナー仲間でもある整形外科の先生の診察を受け、投薬や注射などを処方していただきましたが、未だに引きずっている感じです。多分根本的な治療をしない限りは、治癒しないのかな、と思っています。 ん?だったら根本的な治療をすればいいじゃないですか?そうですよね。まさに御意。 でも、そこまで踏み込めない自分の弱さが、更に状況を悪くしているのかも知れません。 その弱さを露呈しているのは、自分自身に対する「焦り」が相当影響していると思います。 Nike+やJogNoteなど、自分だけではなく仲間が練習に取り組んでいる様子がつぶさにわかるウェブサイトがあります。オレが休んでいる間、みんなは走っている...。自分も走らないと!という「焦り」。 この「焦り」こそが、怪我からの治癒を遅らせる最大の要因と言ってもいいでしょう。 他人は他人、自分は自分。こういう時こそ、平常心で「吾(われ)」を見失わない心構えが必要になってきます。そういう心構えを有することが、やがて「悟る」ことに繋がっていくのだと思います。 実は今も、右脚ふくらはぎが軽い肉離れを起こしているらしく、今週は一切走らないつもりです。練習をしないということは、それだけストレスにもなります。仲間の皆さんが走っているのも、気になります。が、それを気にして練習を再開すると、かえって状態を悪化させるだけだということは、自分自身がよく分かっています。だからこそ、平常心で今の状態を受け入れる必要があるのだと思っています。今はですね、こうやって脚の快復を待つことを口実に休んでいることが、ラッキーだと思っているぐらいで。 敢えて自分から積極的に茨の道を進む必要はないですからね、遠回りこそが最大の近道だと言い聞かせています。 次の日曜日、ハーフマラソンの大会がありますので、まずはそれまでに脚の状態を戻すことに専念したいと思います。(3戦連続のDNSは、さすがにゴメンです。) ということで今季2戦目となる次の大会はガチンコではなく、様子を見ながら軽めに行きますからね、皆さんくれぐれも煽らないで下さいね! 20160521_0628

2016年5月16日

プリンスの音楽アーカイブを整理してみた。

プリンスが突然この世を去ってから間もなく1か月。何となく落ち着かないというか浮ついているというか気もそぞろというか、平常心を保っているような素振りを見せつつも、明らかに精神状態に変調を来していたようです。 憩室炎になったのもそれが引き金だったのかどうかは、今となっては検証のしようがないのですが、多少なりの影響を及ぼしていたのでしょう(彼の死をきっかけに、確かに暴飲暴食暴言が過ぎた感が)。 プリンスが亡くなった、もうこの世にいない、彼のライブを二度と見ることができないという現実をどう受け止めたらいいのかよくわからないまま、時間だけは無情にも過ぎていきました。 この間、彼を追悼する動きが世界中に広がり、プリンスは本当に死んだんだ、という現実を徐々に受け入れざるを得なくなりました。 彼の死後、通勤時にはいつもプリンスの音楽が僕の耳の奥に飛び込んできました。一瞬だけ他のミュージシャンの曲を聴いていましたが、古い曲も新しい曲も、僕の耳の中は9割方プリンスが創った音楽で埋め尽くされました。ショックで聴けないという方もおられたようですが、僕はむしろ逆。彼がこの世のどこかにいることの当たり前から、もうこの世にいないことの事実を受け止めるべく、今もまるで何かを貪るように彼の音楽を聴いているという状況です。 とはいえ実は彼のアルバム、一聴した後にほとんど聴いていない作品が数枚あり、文字通り僕のCDライブラリの中で「お蔵入り」していました。が、彼の死を機に、やっとデジタルアーカイブすることにしました。 多分これで、彼のオリジナルアルバムと関連アーティストのオフィシャルアルバムは大体デジタルアーカイブが完了したのではないか、と。 ...ということで、今日はそのお話。 プリンスの功罪の一つとして、それまで日の目を見ることがない(あるいは、一生日の目を見ることがない)作品が相当数あったということが挙げられると思います。最も有名なのが、直前で発売中止、お蔵入り(数年後にオフィシャル盤として発売)した「Black Album」。しかし、発売中止となったはずの音源が世に流出し、「ブート盤(海賊盤)」として流通することとなり、西新宿界隈に多数あった「海賊盤専門店」が賑わいを見せることとなりました(かくいう私も、何度お世話になったことか…)。 その後もコンサートの音源やデモ音源など、彼のブート盤はオフィシャル盤(契約レコード会社を通じて発売された正規の作品)をしのぐ勢いで一つの市場を形成してしまうのではないかというぐらい、様々な音源が流出しました。 しかし彼はそれを逆手に取り、「ブート盤」をオフィシャル盤として販売するという手法に出ました。その最たるが「Crystal Ball」。僕は海外でしか発売されていなかったこの作品をどうしても入手したくて、電話回線でのインターネットが普及し始めた頃に弘前市民体育館で行われたITフェアに出向き、その一角にあった「インターネット体験コーナー」のブースに潜入、不慣れな英語のサイトに四苦八苦しつつインターネットに接続されたパソコンを約30分も占拠し、ようやく公式の販売サイトに辿り着きめでたく購入手続きを終えました。ところがそれから数ヶ月後、ようやく自宅にCDが届いた頃には、国内でのCD販売が既に始まっていた、ということがありました(でも、透明なジュエルケースに入った5枚組のCDは、海外からインターネットで入手するだけの価値があったと思っています)。 さて、これまでプリンスファンを標榜してきた私ではありますが、実はこれまで手を付けていなかった(ほとんど聴いていなかった)CDが何枚か存在します。今般、まるで彼の遺品を整理するような気持ちで保有するCDをデジタルアーカイブへ変換する作業を行った結果、初デジタルアーカイブ(MP3化)完了となった3枚のアルバムを紹介したいと思います。 彼に対する思いは人それぞれ、色んな評価があると思います。これから紹介する3枚のアルバムに対する考えはあくまで僕の私見であって、当然のことながら全てのプリンスファンがこういう思いを抱いているのではない、ということだけは明記しておきます。 「Vault: Old Friends 4 Sale」(1999年) vault 1999年、大喧嘩をしていたそれまでのレコード会社「ワーナー」と決別するため、所定枚数のアルバムを発表することで早く契約を打ち切ろうと、消化試合のように発売された未発表音源の寄せ集め、と言われています。作品そのものの評価はむしろ高く、このアルバムが好きだという人も多いようです。 が、なぜか僕、このアルバムはあまり聴く気がしませんでした。「聴く気にならない」思いを今まで引きずっていた理由は、正直僕にもわかりません。ただ、何となく「投げ売り」というか「やっつけ仕事」的な感で発表されたことに対し、このアルバムそのものが本意ではない中で制作された、つまり彼としてはこんな作品は発表したくなかった、という思いがあるのではないかという疑念が僕の中で燻っていたのは事実です。 「Chaos and Disorder」(1996年) chaos 1996年、これもまたワーナーとの確執の最中に発売されたアルバムです。制作期間は2日とも1週間とも言われ、一発録りのようなノリも含め、これこそまさに「やっつけ仕事」と評されました。「1999」のレコードを踏みにじるジャケットに表されるように、どこか暴力的というか乱雑というか、先に紹介した「Vault: Old Friends 4 Sale」と同じような環境下で発表された作品ということで、あまり聴かなかった(聴く気が起きなかった)のかも知れません。でも、今になって改めて聴いてみると、荒々しさの中にも彼のロックンロール魂を垣間見るとでも言えばいいのでしょうか、他の作品とは一線を画しつつも、当時のプリンスの心境(単なる怒りというよりも、理解してもらえないことへの悲観的な感情みたいなもの)が滲み出ているような、違う意味での「ノリと勢い」を感じる作品です。93年に発表されたビデオ「The Undertaker」を彷彿させるような感じ。 「Emancipation」(1996年) emancipation 前述のワーナーとの契約関係に終止符を打ち、「ワーナーからの解放」を機に発表されたアルバム。何と「Chaos and Disorder」からのインターバルはたった4か月!ちょうど私生活でも結婚という人生の転機を迎え、彼自身としては本当に幸せだったのでしょう。東京で行われたワールドプレミアのアルバム発表、ライナーノーツに記載された彼自身による楽曲毎へのコメント...。 うーむ...何だろうこの違和感。貴方本当に、プリンス? 3枚組36曲、しかもディスク1枚が12曲計60分00秒ピッタリの収録という統一感もさることなら、公私混同も甚だしいぐらいこの作品全体から漂う幸福感は、何かプリンスに解毒剤が打たれたような感じで、僕は素直に受け止めることができませんでした。いや、これもプリンスなんだけどさ。もっとおどろおどろしい「何か」に、僕は期待を寄せすぎてしまったのでしょうか...。 紹介の順番について年代が逆になってしまいましたが、プリンスの場合、契約上の関係で既に廃盤になってしまったアルバムがあります。今回紹介した作品にも、既に廃盤となっているものがあり、iTunes Storeでも発売されていません。また、そういうアルバムは中古市場を中心に高額で取引されるような状態が現在も続いているようです。 一方で、彼の未発表曲は毎年1枚のアルバムを出し続けても100年かかるというぐらいの量があるとも言われています。恐らく、全ての未発表曲が日の目を見ることはないにせよ、この先何らかの形で作品化されていくかも知れません。(ただ、海賊盤になってこの世に出回ることだけは避けて頂きたいです。) きっとそうやって、亡くなった後もなお我々ファンの心をくすぐり続けるのでしょうね。ちなみに、関連アーティスト(彼のレーベルであるPaisreyParkやNPGレコードのアーティスト)のオフィシャル作品もデジタルアーカイブを完了しましたので、当面はこれを聴きながら、彼を追悼したいと思います。 (参考:今回改めてデジタルアーカイブ化したアーティスト) Apollonia 6, Vanity 6, Carmen Electra, Jill Jones, The Time, Sheila E, Madhouse, Eric Leeds, Mazarati, The Family, Mayte, Mavis Staples, New Power Generation, Chaka Khan, Graham Central Station (最近の音源、Andy AlloとかBria Valenteなどはアーカイブ済み。特にPaisley Park関連では数名の漏れがありますが、僕がCDや音源を持っていないだけの話です。)

2016年5月14日

【ネタバレあり】岡村靖幸 2016SPRING TOUR 幸福 青森公演 #岡村靖幸

2016年5月13日金曜日。僕にとって2年ぶりとなる岡村ちゃんのコンサート。 4月から始まった春の全国サーキットツアー、東北地方での公演は、青森と15日日曜日の仙台のみ。青森県内のみならず、全国各地から「ベイベ」と呼ばれるコアなファンが集まるのは容易に想像がついたものの、いかんせん大型連休明けの金曜日。直前までテレビでCMが流れていたほか、当日券の発売もあるということで、これは客の入りはあまり期待できないな、と思っていたのですが...。何を思ったのか開場15分前にリンクモア平安閣市民ホール(青森市民ホール)に到着、かなり前の方で開場を待っていました。狙いは、限定販売されていた「幸福袋」だったのですが、開場と同時にグッズ売り場に向かった時点で「SOLD OUT」となっていました。(もう一つ狙っていたピンバッジもSOLD OUT。残念!) 仕方がないので(?)、他のグッズをいくつか購入。 レシートにはピーチマークとツアータイトルが。(18時開場で18時02分頃には購入し終えていたので、どれだけ前に並んでいたのかはご想像にお任せします。) DSC_0433 僕の座席はG列、てっきり前から7列目だとばかり思っていたら、ステージを広く取っていないようで、A列の前にSA~SDの4列が設けられており、通路を挟んだ11列目。前回より後方になってしまいました。まあでも、真ん中寄りなので贅沢は言いません。 会場をパッと見渡すと、8~9割は女性。年齢層は、僕と同じ40代半ばが多いように見受けられました。恐らく中学~高校時代からハマった人ですよね。わかります、ええ、わかりますとも。 で、懸念していた客の入りは、7割程度といったところでしょうか。 また、男女問わず「AOMORI BABY」のTシャツを身に纏った方をたくさん見ましたが、僕はそういうのはあまり好きじゃない(グッズで服を買ったことはほとんどない。だって、着る機会がない。そして、そもそもAOMORI BABYのTシャツを販売したツアーは観ていない。)ので、敢えて紫のネクタイで。なんで紫か?そりゃ聞くまでもないでしょう。 ステージは薄い緞帳(カーテン)で閉じられており、真ん中にドラムセットの真上には、ピーチマークがうっすらと浮かび上がっています。2年前に見たステージ構成と、あまり変わらない感じ。 あ、会場内は当然のことながら録音撮影禁止なので、開演前の撮影はしませんでした。それは当然のマナーってもんじゃないのかな?ベイベ。 18時30分、開演時間きっかりに場内の照明が暗くなり、雨音と雷の音が鳴り始めました。 【注!以下ネタバレあり】 ↓↓↓↓↓↓↓ ↓↓↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓↓↓ ↓↓ ゆっくりとステージの幕が開き、いよいよ開演。1曲目は当然、11年半ぶりに発売されたアルバム「幸福」の1曲目、「できるだけ純情でいたい」。ミディアムテンポの曲でスタートしたということで、会場はいきなりのデンスチャンスロマンスタイムというよりは、何か様子見で始まったような感じ。 以下セットリスト(のような気がするのですが、曲順が錯綜しています。指摘していただければ順番入れ替えます。)
できるだけ純情でいたい Can't Hide Love (Earth, Wind & Fireのカバー) 新時代思想 どぉなっちゃってんだよ カルアミルク Punch↑ 祈りの季節 ぶーしゃかLOOP 揺れるお年頃 ラブメッセージ 彼氏になって優しくなって いじわる イケナイコトカイ 愛はおしゃれじゃない ビバナミダ あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう だいすき 【アンコール 1】 (E)na ヘアー ステップUP↑ SUPER GIRL 【アンコール 2】 (ピアノ弾き語り) Sometimes It Snows In April (Princeのカバー!!キタ――(゚∀゚)――!!) だいすき 青森ベイベー --- Lion Heart Out of Blue
18時30分から始まって、途中2人のダンサーの客演やらバンドメンバーの演奏やら(恒例の)長めのMCやらもあって、個人的には正直ちょっと間延びする感がありましたが、終演は21時25分頃でしたから、約3時間にわたるパフォーマンスとなりました。 今回はツアータイトルが「幸福」ということで、それを意識した選曲だったのでしょう。アルバム「幸福」からは全曲演奏しましたが(「ぶーしゃか」はまたアレンジが施されていたので、もはや何が何だか、といった感じ)、アルバム「DATE」や「靖幸」からの楽曲が多かったのが個人的にはちょっと嬉しかった、けどやっぱり昨年のセトリを見てしまうと、「キィーッ!」って感じなんですけど。 2曲目に演奏した「Can't Hide Love」はEW&Fのカバー。あれー、この曲何だったっけなあ、とずっと考えていたのですが、ググったらちゃんと出てきました。 そしてそしてっ!! 2度目のアンコール、ピアノの弾き語りコーナーでは、いきなり1曲目にPrinceの「Sometimes It Snows In April」を演奏!周囲の人は「この曲、何?」みたいな感じでポカーンとステージを眺めていましたが、私、座席に座ったまま独りで落涙(というか咽び泣き)していました。この曲をPrinceのライブステージで聴きたいという夢は幻となりましたが、はからずもそれを岡村ちゃんが叶えてくれたといった感じ。 たぶんPrinceの急逝は、岡村ちゃんにも相当なショックを与えたんじゃないかと思いますが、こういう形でトリビュートしてくれただけでも、僕自身「ああ、今日ホントはメッチャ忙しかったんだけど、仕事を切り上げてまで足を運んで良かったな」と思ったわけです。 岡村ちゃんとPrinceの相関性については先日もちょっと触れたところですが、今回のステージでも何となくそれを彷彿させるようなシーンがいくつか見受けられました。紫のスーツに身を纏っていたのもその一つだし、今回のセットリストに組まれた「Punch↑」は、Princeの「Housequake」をモチーフにしたような楽曲の構成だし、あのマイクを使ったダンスだって...。 アレンジが多く施された曲も多く、「どぉなっちゃってんだよ」はあのアップテンポが定番になったんですね。「(E)na」も一瞬、何の曲が始まったのかわからなかった。逆に「ステップUP↑」の緩いテンポはあまり好みじゃなかったなあ。 ついでに言えば、観客の盛り上がり方が前回観た時と違うような気がしたんですが...。ハッキリ言って、観客の一体感が全然なかった。ミディアムテンポの曲から始まり、次の曲がいきなり英語のカバー曲だったということへの戸惑いが見られたのは確かです。でも、どうせファンクラブ以外の人なんか隣同士、しょせん一期一会なんだからさ、ちょっと恥を曝け出してもいいんじゃない?って思っちゃうんですけど。(逆にファンクラブの結束力というか仲間意識の高さ、裏を返せば、僕みたいな一般ピーポーよりコアなファンであることの自己主張に閉口してしまったのも事実。) 周囲からは、え、こんな曲知らないよ?みたいな戸惑いを感じてしまったのも事実。さすがに新譜を聴かずしてやってきたという強者はいないと思いますが、今度からは最低限の予習はしましょう。この調子じゃ、次回のツアーから青森外されますよホントに。 恐らくこれが、この日一番の違和感。 とはいえ、「行くよ!青森」と言って何度も見せてくれた50歳とは思えぬダンスとか(でも、何となく前回よりキレを感じなかったのは気のせい?)、うまいのか下手なのか相変わらずわかんないんだけど引き込まれてしまう歌唱力とか、客の煽りとか、なんかまた観たくなっちゃうんですよねえ。 でも、願わくば次回、土日祝日でのライブ開催を希望します!そうすれば近県の皆さんも来やすいですから、ねぇ! 最後に、今回の入手アイテム。 DSC_0429スマホリング ¥1,200 DSC_0427パイルブローチ(見た目以上にチープ感満載w) ¥1,000 DSC_0426リストバンド(想像よりデカかった...) ¥1,000 DSC_0424幸福ハンカチ(レシートには「幸せハンカチ」と...) ¥1,000

2016年5月12日

岡村ちゃんと私

点滴生活6日目。一応本日をもって点滴はいったん終了し、土曜日の検査に臨みます。ホントに一時はどうなるかと思いましたが、少しずつ、ゆっくりではあるけれど徐々にまた歩み始めている感じ。しつこいようですが、今一度原点に立ち返り、あわてず、あせらず、あきらめずの精神で。 さて、本当は明日も点滴の予定だったのですが、ちょっと別件があり、明日の点滴は休みます。実は岡村靖幸のコンサートが青森市内であるので、それを観に行きます...独りで。 昨年の青森公演は、まさにコンサートが行われるその日の未明に義父が他界し、僕にとっては幻のコンサートとなってしまいました。(しかも妻は飄々とした顔で、「コンサート、行ってきてもいいよ!」と言ってくれましたが、行けるか!苦笑) あの曲を演奏した、あの人の曲もカバーした、色々話を聞くたびに歯ぎしりをしていましたが、1年越しにようやく彼と再会することができそうです。 その岡村ちゃんと切っても切り離せないのが、プリンス。 先日NHK-BSでプリンスの追悼番組が放映されましたが、リアルタイムで観ることができなかった(まだ調子が悪くて寝ていた)ため、昨晩になって、録画していたものを噛み締めるようにじっくりと拝見しました。余計なナレーションやコメントが一切排除され、亡くなるまでの彼の音楽キャリアを総括した1時間10分の番組、締めはもちろん「パープル・レイン」でしたが、思っていた以上の秀逸な内容に、思わず落涙してしまいました。 デビュー当時から「和製プリンス」と揶揄され、プリンスと松田聖子とビートルズに多大な影響を受けたことをこれまでも公言していた岡村ちゃんが、プリンスの死をどのように受け止めているのか非常に気になるところではありますが、プリンスが亡くなった直後の札幌でのライブでは、プリンスの隠れた名曲「Sometimes It Snows In April」を演奏したらしく。 彼のステージやパフォーマンスを見ていると、確かに随所にプリンスの影響を受けたであろうシーンが見受けられます。とりわけそのステージアクションは、プリンスにとって3作目の映画となった「サイン・オブ・ザ・タイムス」の要素がかなり織り込まれているのが分かります。 もっとも、プリンスの要素をいち早く取り入れたのは、大澤誉志幸だと言われていますが...。(上下紫のスーツに身を纏って登場したり、アルバム「CONFUSION」から「Serious Barbarian」シリーズまでの頃の楽曲を聴いてみても、かなりプリンスなどの影響を受けたようなサウンドを耳にすることとなります。) プリンスと岡村ちゃん、僕にとってこの二人の共通点は、「最初の頃は全く興味がなく、むしろ嫌悪していた。」ということでした。プリンスの名前を初めて知ったのは中学生の時、パープル・レインが大ヒットしていた頃になりますが、むさ苦しい風貌に金切り声を上げながら唄うその姿は、純朴で無垢な田舎の少年(←自分で言うな、ってか)にとっては単なる衝撃でしかなく、何かとてつもなく「汚い」何かを見てしまったような気分に苛まれたのでした。 一方の岡村ちゃんも、デビューの頃からラジオで彼の楽曲を何度も耳にしていましたが、何か微妙に外れた音程にバランスの取れない声量と、こちらも「何か変なのが出てきたな」ぐらいな感じで全く聴く気は起こらなかったのです。 しかし、1987年に発表された「Dog Days」という楽曲のPV、ケミカルジーンズの上下に阪神ファンを彷彿させるような虎柄のボーダーというファッションセンスのかけらもない衣装(当時はこれも「アリ」でしたが。)に、小芝居を打ったような中途半端に爽やかな内容がこれまたとても斬新で、それまでの彼に対するイメージが変わってしまったのであります。 (ちなみにこのPVは、1987年当時に発売されたものを音源としていますが、以降のベスト盤に収録されたこの曲は、あまりの音程のはずれっぷりに気づいたのか、なんと録り直しがされています。しかし、録り直ししてもなお...以下略) 更にその約1か月後に広島で行われた「Alive!Hiroshima1987-1997」というコンサートイベント(今で言うロックフェスの走りのようなイベントで、国内のそうそうたる顔ぶれのアーティストが集結したもの)が、後日NHKで放映され、人目ばかりをやたらと気にする岡村ちゃんと、なりふり構わずやりたい放題の尾崎豊が共演するというシーンを見て、衝撃と感動を受けました。その時の動画が、こちら。 録画したVHS、何度観たか分かりません。 この2つで、僕の心はグッと鷲掴みにされ、翌年3月に発売された2枚目のアルバム「DATE」の購入へと続いていったわけです。 date 岡村ちゃんの、他人様に迷惑を掛けながら過ごしてきた波瀾万丈に満ちたこれまでの生きざまは、敢えてここでは触れませんが、僕自身、45年のうち半分以上を彼やプリンスの音楽を聴きながら生きてきたわけで。 気づいたら岡村ちゃんも50歳になっていたわけですが、それでもなお青春を謳歌するような楽曲を発表し、他方それに心ときめかせる青年45歳、どちらもオッサンでちょっと気持ち悪いですかね(笑)。 明日は病のことを忘れて弾けたいと思います。だって、青春て1,2,3,ジャンプですから。

2016年5月11日

キャッシュバックキャンペーン

通院5日目。まだ痛みは残っていますが、当時の痛みと比較したら今は1~2程度といった感じ。ぼちぼち闘いも佳境に差し掛かっているような気がしています。憩室炎って、絶食点滴で1か月以上入院、ということもざらにあるようなので、僕の場合はまだこれでも軽症なのかも。いっそのこと、痛みの元から根こそぎ腹の中をほじくり返して引っこ抜きたいのですが、そんなことをしたら当時の痛みと比較して1千万ぐらいになりそうなので、やめておきます。そう、今は我慢ガマン。ちなみに点滴の際に看護師さんから「食事制限とかされてます?別に好きなもの食べて飲んでもいいんですよ。ガマンはむしろストレスですからね。」と言われました。どうやら額や頬に大きく「ストレスの塊」と滲み出ていたようです。 じぶんのことだよ昨日夕方、病院の待合室での光景。どうやらトッチャ二人が久しぶりに再会したらしく。 A:「んろぉ!ズンブ久しぶりでネガ。」(あら!随分久しぶりじゃないですか。) B:「ろろろろろ、どしちゃばー?」(おやおや、どうしていました?) A:「んー、まんずな。ながなが銭ンコ回んねくて、タンダデネクテラジャ。変わりネクテラガ。」(ええ、ぼちぼちってところですかね。商売の方はなかなかお金が回らなくて、大変でした。お変わりありませんか。) B:「んー、まんずな。(会計を済ませ)ヘバ、マンダロ!」(ええ、おかげさまで。それでは、また!) ...AさんBさんに聞きたい。んー、まんずな。じゃなくて二人とも、何かお変わりあったから病院に来ているんですよね?(笑) --- 今年の7月、初めて十和田湖畔でハーフマラソン大会が行われます。どうせなら参加してみようかな、と公式サイトを覗いてみたら、何と5月9日で定員に達したためエントリー受付終了となっていました。僕は結局エントリーできませんでしたが、定員が足りず四苦八苦するよりは良かったのかな。 面白いなあと思ったのが、受付時間が何と朝の7時15分までとなっていること。これだと、遠方からの人は宿泊しなければ参加が難しいと思います。もう一つは、7時30分から船(恐らく遊覧船)で出発地点まで移動し、その移動の船内で開会式が行われること。田沢湖マラソンでも10キロのスタート地点まで船で移動していましたが、十和田湖でも、遊覧観光という一つのコンテンツをここで示すという観点からも面白い取組だなあ、と思いました。田沢湖でやれるなら、十和田湖でもやればいいのに...とずーっと思っていましたが、願いが通じたような気分です(まあでも、コースは決して楽ではないと思いますが...。) 最近はマラソン大会が乱立しているような状況で、季節問わず毎週どこかで何らかの大会が行われているといっても過言ではないと思います。 もはやランニングが一つの市民権を得ている中、これからの大会は何らかの特徴がないと参加者を募り、維持していくことが難しいのではないかと思います。 大きく分類するなら、次の二つ。 ・記録重視型のレース(日本陸連公認であることが望ましい) ・記録より地元売り込み型の大会(でも、記録もそこそこ狙えるのが望ましい) 大会も千差万別であれば、ランナーも千差万別。ストイックに記録を狙うエリートランナーもいれば、走ることはともかく、その地域の雰囲気や観光を楽しみたい、というファンランナーもいることでしょう。 ただ最近残念なのは、ランナーが「もてなし慣れ」してしまっているというか、「ランナーなんだからもてなされて当たり前」、「エイドも充実していて当然」みたいな風潮が、まん延しているような気がするのです。 また、ここ最近はエントリー代の高騰が問題視されることがあります。エントリー代が1万円を超える大会も増えてきましたし、北海道は函館で今年初めて行われるフルマラソンの大会も、それまでのハーフマラソンの時と比べて急にエントリー代が高くなったと嘆く声がありました。僕が昨年走ったさいたま国際マラソンも、今年のエントリー代は約1.5倍になるらしいです。さいたま国際はこれ以外にコースの変更とか制限時間の緩和とか、何となく魅力が一気に薄れてしまった感があります。 大会を運営する中で、一番経費を要するのが警備だと言われています。 そこで、マラソン大会でのこんなキャンペーンを考えてみました。 キャッシュバックキャンペーン。 ゴールまでの制限時間3時間30分の大会であれば、制限時間6時間の大会より少なくとも2時間半は警備の時間は短くなるはずです。ということは、警備に係る経費は安く済むの、かな?(あ、でも終日契約で時間契約ではないのか。) ゴールする時間が早ければ早いほど警備代はかからないという前提で、参加エントリー代が安くなる、つまり、最初は一律で頂くエントリー代を、ゴールタイム毎に区分けしてキャッシュバックするという仕組みです。例えばゴールタイムが2時間30分以内であれば3,000円キャッシュバック、3時間以内であれば2,000円、4時間以内であれば1,000円、それ以降はゼロ、といった感じです(もっと細分化してもいいかも知れませんが。) ただし、遅れてゴールする方たちにもそれなりのメリットはあります。 エイドに置かれる給水や補食が、時間の経過とともに豪華になっていく、というものです。最初は水とスポーツドリンクのみ、時間が経つとともに飴、梅干し、バナナ、ドライフルーツ、軽食、地元の名物、しまいにはアルコールと豪華になっていくのです。早くゴールするエリートランナーの皆さんは、こういうエイドの恩恵を授かることはない(というか、最低限のもの以外はあまり必要としない)一方で、ゆっくり走る人達は色んなものを口にすることができるわ警備もちゃんとしてもらっているわで、それ相応の対価を払っているんだから仕方がない、という風潮に...ならないか。(笑) まあ、僕がここ数年参加している夏の某マラソンでは、先頭が駆け抜けてからかなり遅れて給水所にたどり着いたら水がなかったとか、手渡されたスポンジが乾いていた、という笑うに笑えない事態も起きていました。 個人的には、ゆっくり走る人にこそ給水や補食といったエイドがしっかりしていなければならないのではないかと考えます。まあ、NAHAマラソンは、沿道が私設エイドだらけなのでその心配はありませんが。 ただ、ゆっくり走るということはスタッフや関係者の拘束時間もそれだけ長くなるということになるので、それ相応の対価は支払おうね、というだけのことなのですけど。ちなみにこのキャンペーンの一番のネックは、採算が取れるかどうか、実際にやってみないとわからない、というところでしょうか。って、そんなの誰がやるんでしょう...。 いやあ...さすがにぼちぼち走りたくなってきました。開腹しなくとも快復するまでもう少しです。頑張ります。

2016年5月10日

Facebook、やめました!

「憩室炎の疑い」との診察を受け、点滴の投与を始めて4日が経ちました。 通院初日、検査のために採血をしていたときに、僕のすぐ背後で視力の測定をしていました(健康診断をやっていたようです)。 看護師「指し棒の示すひらがなを読んで下さいね。はい、これは?」 男性「き!」 看護師「これは?」 男性「ほ!」 ...といった感じで検査が始まったのです。 ところが下に進むうちに、いよいよ見えなくなってきたらしく。 看護師「これは?」 男性「えーと...えーと...ひ...ひだり!」 看護師「(笑いをこらえて)○○さん、ひらがなですよー。」 思わず振り返り、指し棒の指す字を見たら、「つ」と書いてありました。 うーん、何か惜しい!! --- さて、お医者さんから食事制限は特にされてはいませんが、暗黙の了解とでもいいましょうか、アルコール、カフェイン、炭酸飲料、香辛料など、腸に過度の負担や刺激を与えるものの摂取を避け、スナック菓子などのおやつ類も摂らないようにしています。 その影響もあってなのか最近、舌が研ぎ澄まされてきたとでもいえばいいのでしょうか、あれ?これってこんな味だったっけ?とか、これって意外と塩分濃度が濃いな、とか、あら?これってこんなに粉っぽいんだ、とか、今まであまり気にしていなかったことが気になるようになりました。 発症するまでの直近の生活ぶりというか食事を振り返ると、なるべくしてなった、といわれても仕方がないような食生活を送っていましたので、ある意味これも一つの戒めなのだろうと考えています。 もちろん基本的には「安静」ですので、運動の類は一切やっていません。まあ、ストレッチぐらいはやっても問題ないのかも知れませんが、上半身を捻ったときに腹痛が悪化しないか怖くて、それすらもやっていません。 そんな中で、僕にとって厄介な存在となってしまったのが、Facebookでした。 食事制限を課している中でアップされるビール、ラーメン、揚げ物などなど...。 もちろんアップしている本人には悪気があるワケがないし、今はそれをどう受け取るかというこちら側の問題ではありますが、正直言って見ているのも辛いものがありまして、身体は「安静」でも心の中で何かがメラメラと燃えるのがわかるぐらいでした。 端的に言えば、こんな感じ。 fkfb おっと、すいません。薬指が立ってしまいました。もう一度言いますが、これは受け取るこちら側の問題なので、投稿された皆さんは何も悪くありません。 しかし、今のこの症状が劇的に良くなるはずもなく、このままだと更に毒づくだけだな、と思い、一度Facebookから距離を置くことに。 まあ、色々考えることもあり、この際そのままアカウントを削除しようかな、とも思ったのですが、あのグループとかあのページとか、自分が携わっているのが幾つかあるということで、アカウント削除は保留することにしました。 で、何をしたかと言いますと、スマートフォンなどの携帯端末からFacebookアプリをアンインストール。 そう、「Facebook、やめました!...携帯端末で。」 で、このFacebook、気がついたら僕と繋がりを持っている方が650人ほどおられるのですが、大別すると、次のとおりとなります。 (1)小・中・高・大の中で苦楽を共にした友達や仲間 (2)県内外の同業者及び仕事関係で繋がりを持った皆さま(この中には、同業の誼というだけでこちらから一方的にリクエストした方もたくさんいます。すいません。) (3)趣味・嗜好・個人的な活動を通じて知り合った同士の皆さん (4)これまでの間、個人的にお世話になった方や、昔からの知り合い(父を通じて繋がっていただいている方もたくさんおられます。ありがとうございます。) (5)その他(まだ一度もお目にかかったことがないけど、何となく繋がっている方、Facebookに首を突っ込んだ頃に、取りあえず繋がりを持った方、など) ...で、この際ということで、「親しき仲にも礼儀あり」ならともかく、親しいところかお会いしたこともないのに礼儀も知らないような十数名の皆さまを、バッサリ斬り捨てました。何のことかと言いますと、メッセージなしで「友達リクエスト」された皆さま。こういうリクエストを下さる方は、大体お目にかかったことのない方が大半。すいません、諸般の事情で今は初めまして!の一見さん一切お断りなのであります。というか、リクエストの時は必要最低限のメッセージぐらい送ってこいよ、こら。 fkfb おっと、すいません。今度は小指が立ってしまいました。正直言いますと、約650名もちょっと整理したいな、と思っています。特にこれまでほとんど無反応の方。多分アカウント持っているだけですよね?逆に一気にスタンプのように「いいね!」を押してくる方。中身も見ないでそんな一気に「いいね!」を押さなくても...。お知らせを開いたときに同じアイコンがずらーっと縦に並んでいると、ハッキリ言って鬱陶しい。 人数が多けりゃいい、誰とでも取りあえず繋がっていればいいってものでもなく、取捨選択も必要なのかな、と前々から思っていましたが、舌が研ぎ澄まされるように、真贋を見極める、というのとはちょっと違いますが、ちゃんと人間(ひと)を見る目も磨いていかないとね。って、このブログの投稿後に一気に100名ぐらい友達が減っていたら、失笑ものですが...。 とはいえこのアンインストールも、恐らく一時的なものになるはず。色々不便を感じるようになったり(事実、土曜日定例の朝練では、スマートフォンがないと画像の投稿ができない)、必要な状況が生まれたら、また復活させることになると思います。でも、まずは周囲の雑念(ビールとかラーメンとか揚げ物とか)を振り払い、完全治癒に向けた治療に専念しようと思います。

2016年5月 8日

憩室炎のこと

僕の身体の中には「憩室」があります。 憩室とは...
腸管の内壁の一部が外側に向かって袋状にとびだしたもの。 内視鏡でみると、くぼみのようになっています。 憩室の数はさまざまで、頻度は年齢とともに増加しますが、大腸検査を行うと10人に1人くらいの頻度で見つかります。 keishitsu
この憩室、我が家では亡父、妹、そして僕とかなり保有率が高いという。 僕は8年ほど前に内視鏡検査を行った際に、憩室持ちであることを知らされました。普段はおとなしくて何もしないけれど、何かあるといたずらするから、そんな感じのお話を医師から聞かされました。ポリープは内側に出てきて切除するけれど、憩室を切除する人は少ないということも伺いました。 その数年後、極度の腹痛に見舞われ病院に駆け込むと、その原因が「憩室炎」であると判明しました。発熱、食欲不振、激しい腹部の痛みを繰り返し、抗生物質の投与などでようやく快方に向かった、そんな感じでした。 おとなしくしているうちはいいのですが、憩室炎に気付かずに重症化すると長期入院とか色々厄介なことになるので、早期発見が大事になります。(これは病気全般に言えることではありますが。) 玉置浩二が憩室炎のため緊急入院 5公演を中止に 今年の4月は雪解けが進むのが早かったこともあり、初旬からランニングの環境はバッチリでした。 毎年この時期は過度の走り込みが祟って怪我をするというパターンでしたが、今年は怪我もなく順調に調整が進み、4月のハーフマラソンで自己ベスト更新と順調にシーズンインしたところで待ち構えていた最初の落とし穴が、腰痛でした。たぶん、いよいよ老化現象が顕著となってきた愛犬のハナを気遣い、かなり窮屈な姿勢で寝ていたのが災いしたのでしょう。2戦目の10キロを回避し、3戦目の「八戸うみねこマラソン」でまた頑張ろう...と思っていたのですが。 違和感を覚えたのは5月2日の辺りから。どうも走っていて腹部に力が入らないというか、すぐ疲れてしまうという症状が出始めました。そんなに走りこんでいるわけじゃないのに、どうしたんだろう。疲れかな?と軽く考えていましたが、そもそも連休中で大して疲れるようなこともしていません。 翌3日。走る距離を短めにしてみましたが、状況はあまり変わりませんでした。そして、何か微熱のようなものがあるのを感じました。まあいい、7日までに整えて8日を迎えよう。 ところが、僕の思惑とは裏腹に、状況は悪化するばかりでした。 4日。妻と出かけた先で突然腹痛に襲われ、歩くのも辛い状況に。しかしその時点で僕は、この症状は憩室炎ではなく、もっと違う症状のような気がしてなりませんでした。例えば、膵臓とか腎臓とか、下手をすれば心臓とか。帰り道、大きめの病院に立ち寄りましたが、あいにく小児科しか受け付けていないといわれ、一気に萎えました。 結局、時々服用している漢方胃腸薬を購入し、帰宅。4日午後から5日にかけて、すっかり弱った病人のように寝ていました。 6日は通常勤務でしたが、症状があまり改善されずないため、翌7日、ようやく病院で診察を受けたところ、「憩室炎の疑い」と言われました。 一度同じ症状で苦しんでいますので特に指示はありませんでしたが、基本的に安静にしていること、刺激のあるものを口にしないこと、この二つを遵守しながら、1週間様子を見ることになりました。 ひとまず7日そして今日8日は日曜日ではありますが、さきほど点滴を投与してきました。明日も点滴。どうやらしばらくは、点滴が主食となりそうです。 あわよくば八戸で行われるハーフマラソンでの完走をもくろんでいたぐらいですから、まだこれでも軽症だったのかも知れません。ひとまず炭酸飲料やアルコールを口にするのをやめ、香辛料の類は極力排除、脂っこい料理ももちろん取らず、一人前のお粥を一人でこしらえるという、昨日からはそんな感じです。それでも、食べられるだけまだいいんですから。重症になると絶食ですから。 しかし、安静ということはもちろんランニングやジョギングも×。よって、体調が落ち着くまでは、当面走ることから距離を置きます。 今まで大会にエントリーして参加できなかった(しなかった)ことは幾度かありましたが、さすがに2戦続けでのDo Not Start、それもそうなった要因が違うというのは、正直かなりショックが大きいです。今朝もバスで八戸に意気揚々と向かうメンバーを笑顔で見送りましたが、内心は複雑でした。悔しさ、虚しさ、腹立たしさ...まあ、最近いろんな伏線があったとはいえ、かなりネガティブな感情が渦巻いていたのは間違いありません。 とはいえ、憩室が体内から消えることはありませんし、むしろ年齢を重ねることでさらに増えるとも言われています。 ですから、暴飲暴食を避ける(食物繊維が多い、というか多すぎるぐらいの山菜はあまり得意ではないので、特に根菜を中心とした野菜を多く摂る)、余計なストレスを溜めない、こんなところでしょうか。まあ、走らないというか、安静にしなきゃならないため、天気がいい休みの日も走れないことがストレスの一つになっている、ということも言えるかも知れませんが...(苦笑)。 特に僕の場合、心身のストレスから暴飲暴食に走ることが多いで...。 この状況を逆手に取ったメンタル強化が、これから憩室炎を予防する一つの対策になり、ランを強くするのかもね。ま、また暴れることがないように、上手に付き合いたいと思います。