2016年4月29日

2016年、春。弘前さくらまつり

今年は暖冬だったこともあり、弘前公園のさくらの開花は例年より早いと言われていました。そして、亡父の誕生日でもあった4月18日に開花、23日には満開を迎えました。23日の早朝、弘前公園RCの恒例となったお花見ラン。しかし、色々あってとても花見気分にはなれず、結局その日の朝に公園内を軽く走った後は、弘前公園に近寄ることもしませんでした。(もっとも、混雑が嫌いというのも要因の一つではありますが。) しかし、Facebookをはじめ、友達や知り合いが続々とアップする園内の光景を目にしながら、徐々にその思いは強くなっていきました。 「やっぱり弘前公園のさくらが観たい。」 ...そして27日午後、2時間だけお休みをいただき、気晴らしと散策がてら弘前公園へ。 ちょうど満開を過ぎ、花筏が出来つつあったこのタイミング。弘前市民として、やっぱり足を運んでよかったな、と。 ついでに撮影の練習。 IMG_1902 IMG_1916 IMG_1948 IMG_1961 IMG_1964 IMG_1980 IMG_1983 IMG_1988 IMG_2023 さくらは毎年咲くけれど、もう逢えない人もいる。 4月はさくらの季節。でも、時々雪だって降る。 出会いと別れ。春って切ないですね。 D'Angelo ft. Princess: Sometimes It Snows in April

2016年3月15日

弘前さくらまつりは2016年も開催します。

最近ブログの検索ワードで「弘前城 桜 見られない」とあり、ビックリしました。 ご心配なく。「弘前さくらまつり」は、2016年も例年通り4月23日から5月5日までの会期で、弘前公園で開催されます。ただ、例年と異なるのは、弘前城とさくらと赤い橋(下乗橋)のコラボレーションが見られないということです。 御存知の方も多いかも知れませんが、弘前城築城400年を迎えるにあたり、昨年から石垣の修復工事に取りかかり、天守が約70メートル北西方向に曳屋したのであります。 DSC_0076 この関係で、今年は本来あるべきところに天守がないという、ある意味貴重なさくらと赤い橋のコラボレーションを楽しむことができるはずです。園内は雪融けが一気に進んだほか、枝の剪定も始まっており、今年は更に開花が早まりそうな予感です。 ということで、弘前公園内は立入禁止にもなっていなければ、さくらの木もいつもの場所にあります。 代わりに...というわけではありませんが、いつもの場所にない天守は、何と岩木山と一緒に眺めることができます。天守を囲むように咲くシダレザクラと岩木山。これはこれで、きっと見物になるはずです。 弘前さくらまつりの情報や今後の開花予想などは、随時ホームページにて情報更新されていくと思いますので、皆さん是非とも弘前に足を運んで下さい。 165228 そうそう、いよいよ開業を間近に控える北海道新幹線を利用して、函館まで足を伸ばす、というのも一興かも知れませんね。 ふと思ったことが一つ。 ついつい「弘前の桜」じゃなくて「弘前のさくら」と入力してしまうのですが、これって、僕だけかな...。

2016年1月26日

TPM第2回写真展「記憶録」に出展して

大皿に盛られた刺身。真鯛やヒラメ、海老に本マグロなどが並ぶその底に敷き詰められた大根のツマと、刺身の間に挟まった、緑色の「ばらん」。そして、花形に切り取られた人参の上に添えられた、ワサビ...。 TSUGARU PHOTO MEETING(TPM)という写真(カメラ)好きの同好会があり、昨年からそちらに参加させてもらっています。 僕がそもそもデジイチ(一眼レフのデジタルカメラ)を手にしたのは約4年前。妹が結婚披露宴を行うことになり、その際、せっかくの晴れ姿なんだから少しいいカメラで撮影してやろうじゃないの、と思い立ったのがきっかけでした。 とはいえカメラに対する知識なんぞまるでなく、「Canon EOS kiss X50」という初心者・入門者向けの廉価版カメラの更にB級品(中古品ではなく、あくまで初期不良の整備品)を発見し、何とレンズ込み約3万円で購入。しかし、結局披露宴ではほぼ全て「オート」モードで撮影するという有様で、全く機能を使いこなすことができませんでした。 程なく、デジイチよりスマホの方が画素数が高いという逆転現象が始まりましたが、それでもなおこの4年間、ずっとX50だけで撮影してきました。僕の知識や技量では、これぐらいのカメラがちょうどいいのだと思います。 この間、ランニングクラブでの撮影頻度がどんどん増えることとなり、やがて標準装備のレンズを売却し、新しいレンズを3本購入。今のところは「沼」に足を踏み入れることなく、ここでとどまっているという状況です。 その後も、スマホで撮影した画像をInstagramに投稿してみたり、通勤途中で色んな被写体を撮影してみたりと、片手間で撮影をする機会を作っていました。 何かを伝えたいというよりも、その時その時ハッと目に留まったものを「切り取る」。そしてそれをFacebook等にアップし、反応を見る。こうして、「ただ漫然と撮る」から「構図を考えて撮る」ことを意識するようになり、撮影を楽しんでいたのですが...。 昨年の9月頃でしょうか、今回の写真展のディレクターを務めたHさんから直々にメッセージがあり、「ところで今度、写真展に出展してみない?」というお誘いを受けました。 カメラの性能もさることながら、大した技量も持たない僕が写真展に出展?いやいや、最初は軽い冗談なんだろうと聞き流していたのですが、どうやらHさんが本気で出展を求めていることに気づくまで、それほど時間はかかりませんでした。 「テーマはあってないようなものだから、何でも自由でいい」とはいうものの、さて...何をどうしたらいいんだろう。頭を悩ませつつカメラ片手に庭へと出てみます。 あ...。 雨上がりの庭は、まだ濡れていました。その中で見つけたワンシーン、何枚か撮影する中で「これは!」というのを一枚「切り取る」ことができました。いや、実は焦点を合わせるという練習をしている中で撮影されたものなんですけどね。 「黄葉の滴」 IMG_0807 当初は「黄葉の泪」という仮のタイトルを付したこの作品、滴の位置が中心ではなかったのですが、周りの紅葉のおかげで、たまたま引っかかっていた黄葉が光っているような感じに見えたため、出展決定第一号となりました。そしてこの作品、今だから明かしますが実はコントラストを際立たせたくて、少し赤みを強くして出展しました。 もう一枚何かないかな...と思ったときに、ハッと思いついたのが今回の作品展のタイトル「記憶録」でした。 そうか!僕だけじゃなくてみんなの「記憶」として残しておきたいものを投稿すればいいんだ! ...ふと浮かんだのは、昨年曳屋をした弘前城、弘前公園のさくら、ねぷたまつり、そして、建物の中に移動した「Memorial Dog」。 弘前城やさくらのネタは、誰か投稿しそうな気がするし(しかし実際のところ弘前城そのもののネタは皆無でした)、僕の手元には何の面白みもない画像ばかり。それに、ねぷたまつりは当たり障りのない画像しかない....。さて困ったぞ、と路頭に迷いかけたとき、春先にチョコ(ミニチュアダックスフント・♀9歳)を引き連れて、吉野町緑地公園で遊んだことを思い出しました。 チョコが車椅子のお世話になってからちょうど8年が経ちます。僕がカメラを構え、妻が僕の背後から呼ぶという作戦で撮影された一枚。多少ボケているのですが、それも僕の技量なのだと割り切るようにしました。背景にいるMemorial Dogがこの場所に戻ってくることはないようです。そういう意味でも、上半分の光景をみんなの「記憶」にとどめていただきたいという思いから出展を決意しました。(この時点で僕のテーマは、「記憶の共有」に固まりつつありました。) チョコが元気に走ってくる姿から、タイトルは「躍動」に決定。 img_7642.jpg ちなみにチョコが車椅子のお世話になる伏線として、とにかく飛び跳ねることが好きだった、ということが挙げられます。同じ犬種を飼われている皆さんはもちろん、他の犬種を飼われている皆さんも、飼い犬のジャンプには本当に気をつけた方がいいです。 第2回の写真展が開催されるに当たり、今回お手軽なスマホ部門も新設されたというので、そちらにも出展してみることにしました。お手軽といっても、最近のスマホの性能は侮れません。画素数でいえば、イチデジよりスマホの方が能力は上ですから。ということでスマホからの一枚は、こちらもMemorial Dogと一緒に撮影されたハナ(雑種・♀16歳)の写真。朝の散歩の時に、スマホ片手、散歩紐片手に撮影したもの。 dsc_1523.jpg 同じ方向を見ていて、まるで何か指示を受けてその方向を向いたようにも見えたので、「先輩と私」というタイトルにしました。これも今となっては撮影することのできない一枚です。いや、ハナがいなくなったんじゃなくて、Memorial Dogがここにいない、ということで。そういう意味ではご覧になられた皆さんの「記憶」にとどめていただくことができるのではないか、と。 もう一枚スマホ画像を出展しようと思っていたのですが、実は悩みました。「黄葉の滴」を撮影した同じ日に撮影した「落葉サラダ」という作品を出展しようと思い、ずっとそのつもりでいたところ、実際に印刷してみてふと気づきました。 地味すぎて画に華がない! だったらもう少し奇をてらった作品の方が面白いな...と考えたところで思いついたのが、ランニングクラブのみんなで岩木山神社までの長距離ランを行った際に撮影した、シューズの輪。これならクラブの皆さんに対する写真展の宣伝にもうまく使えそうだし、何よりもこの時岩木山神社まで走ったことがみんなの「記憶」として蘇ります。そしてきっと、会場に足を運んでくれる仲間も喜ぶはず!と考え、差し替えることにしました。タイトルは「The Circle of Friendship」、要するに「友だちの輪」ですね。 dsc_9814.jpg 出すと決めた以上は腹をくくろう。ということで、一般部門2枚とスマホ部門2枚に出展。 ...そしていよいよ、1月21日から4日間、弘前市百石町展示館での展示が始まりました。 TSUGARU PHOTO MEETING 第2回写真展「記憶録」 20160122_203956.jpg 平日の日中は青森市での勤務、土曜日午前は違うカメラのお世話にならなければならないというやむを得ない事情(ピロリ菌と胃がん検診のため、胃カメラを挿入していました)で、結局会場に足を運ぶことができたのは23日の夕方でした。玄関をくぐると、TPM代表のNさんが出迎えてくれました。そしてまず目に飛び込んできたのは、スマホ部門の写真。おっ!あるじゃないですか、それも2枚並んでる! IMG_1267 しかし、スマホ部門を過ぎて現れる1階に飾られた一般部門の写真の一つ一つがとてつもなく美しくかつ荘厳で、未だに見ることのできない自分の作品(その時点で2階にあることだけは確信しました)が、どれだけショボいかは想像に難くない状況に...。穴があったら入りたい、とはまさにこのことをいうのでしょうか。 恐る恐る階段を登り2階へと進むと、僕を誘ってくれたHさんがいました。自分の作品がどこにあるかは別として、まずは皆さんの作品を一つ一つゆっくり眺めていきます。 何なんだ、この圧倒的な迫力は...。 そして左手に進み、壁伝いに作品を眺めていたところで、見つけましたよ僕の作品を...。 が、柱の角に頭を打ち付けた直後にテーブルの脚に脛をぶつける、みたいな衝撃。 ああっ!ホント恥ずかしい!今すぐここから自分の画像だけ剥がして「ごめんなさい!」って叫んで持ち帰りたいぐらいの気分でした。 dsc_0029.jpg 冒頭での刺身の大皿の話、例えていうならば僕の作品は「ばらん」。ヒラメと本マグロの間に挟まれた、言わば喰うに値しないワンクッション、みたいな...。 他のブースでは皆さん足を止めて真剣に画像に見入っているのですが、我々のブース(弘前公園RCのメンバーの画像が3人×2作品並んでいたのです)では、ほとんど誰も足を止めることもなく、ほぼ素通り....。 IMG_1276 (4) IMG_1274 まあ、それだけ皆さんの心には響かなかった、ということなのでしょうか。妙に虚しかったけれど、それを打ち消すほどの技量があるわけでもないし。(でも、それは僕の大いなる勘違いだったんですよね。そしてそのことに、翌日気づくことに...。) やりきれない気持ちを抱えたまま再び1階に足を運び、気になった画像をじっくりと眺めていると、撮影されたSさん(初対面でした)が話しかけて下さいました。どういう撮影シチュエーションだったのか、どんな加工を施したのか、色々お話を聞きながら、なるほどただそのシーンを切り取るだけでもダメなのだな、と思ったのでした。 その後TPMのメンバーによる懇談会にも参加しましたが、「人見知りと変態の集まり」を標榜するだけあって、まあ個性的な方が多いこと多いこと。 でも、色んな話を聞くことができたし、何よりも、思わず落涙してしまうような本当に凄い出会いがあり(この話はまた日を改めて投稿します)、懇親会に行って良かったなあ、何だかんだ言っても出展して良かったなあ、と心の底から思ったのでした。 最終日は自分の用事を諸々済ませ、16時前に展示館に足を運びました。この日は、出展した仲間3人で集合写真を撮影してもらおうという話になっていて、会場を訪れたところ、日曜日の午後とあってか前日とはお客さんの数が全然違っていました。 しかし、相変わらず我々のブースは「通過点」になっていました。 ...が、よく見ていると何人かの方が足を止めて僕の撮影した画像を凝視しています。それも、圧倒的に女性が多い。さて、何を見ているんだろうと思ったら気づきました。チョコの車椅子をじーっと見ているんですね。 「その車椅子、2万円ちょっとしたんですよ...。」 居ても立ってもいられなくなり思わずそう話しかけると、振り返った女性の方が僕の話に乗ってきました。 「このワンちゃん、今も車椅子なんですか?」「ええ、もう8年ぐらい車椅子ですけどね。」 で、車椅子のお世話になることとなった経緯をお話しすると、ハッと目を見開き、「あっ!うちの子も...」と驚きます。 「ワンちゃんのジャンプするクセ、気をつけた方がいいと思いますよ、本当に。この子みたいにならないようにするためにも、是非気をつけてください。」 「ありがとうございます。」 ...そうか、皆さんが素通りするのは、この画像から伝えたいと思った背景が、撮影者本人の口からちゃんと伝わっていないからなのか。今回全く在廊せずに、他のメンバーの方々のお世話になりっぱなしだったのですが、少しでも在廊して撮影の経緯等をお話しするだけでも、きっと足を運んでくださった皆さんの心のどこかに、この画像を記憶として留めてもらえたのかも知れないなあ、と反省したのでした。 親子連れ (実際、ご覧になっている方もおられたわけで。Fさんから頂きました。一部加工) その後、同世代3人(というかランの仲間)揃い踏みで、集合写真を撮影。(「アスリート横綱三人衆」として紹介して頂きましたが、私はせいぜい露払いといったところです、ハイ。しかも、妙に腰が浮いています。) ちなみに、各人の頭上にある2作品が、それぞれ出展した作品です。ディレクターのHさんには「新しい風を吹き込んだ」とお褒めの言葉を頂きましたが、本人たちの心中やいかに?(3人ともに「勉強になりました...」という言葉が出てきました。) そろい踏み そしてこの日、スタッフとしてお手伝いされていた他のメンバーの方々から、撮影に係る裏話や撮影のテクニックなどを色々聞かせていただきました。本当は18時までいたかったところでしたが、別件があったためスタッフの皆さんにお礼を伝えながら、17時過ぎに会場を後にしました。 これが今回初めて写真展に出展した経緯と経過と結果です。 さて、ボツになった(ボツにした)画像が何枚かありまして、せっかくなのでそちらもご紹介したいと思います。いずれもFacebookでは既出のものばかりですが。 (1)碧いタナバタ dsc_1994.jpg 7月の沖縄で撮影した一枚。青い海が眺望できるホテルのロビーに、七夕の笹の葉と短冊が飾られていました。 でも、時期や場所のことを考慮したときに、ここから振り返ることができる「記憶」は僕にしかないな、と思いボツに。 (2)落葉サラダ dsc_9774.jpg 自宅の庭でスマホで撮影した一枚です。画像を一見するとカラフルで面白いなあ、と思っていたのですが、実際に印刷してみたらまあ、地味なこと地味なこと...。多分、下地の緑の色が深すぎたんでしょうね。残念。 (3)鏡 dsc_2441.jpg こちらもスマホで撮影。青森ベイブリッジの橋脚が水たまりに映っていたところを捉えた一枚です。が、何かこれもありきたりというか、響くものがなかった。もう少し水たまりが大きければ...と思いましたが、ボツ。 (4)さくら色の朝 20151202_165228.jpg 独り朝練の際に撮影した、弘前公園での一コマ。これを撮影したくて早朝4時に起床、4時30分に練習がてら弘前公園まで走っていったことを「記憶」しています。さくらの写真は前の展示会でのネタだったなあ、と思い、出展をやめました。 (5)Dive into The Sky IMG_20150706_174635 深さ10センチの水遊び場に「NO DIVING(ダイビング禁止)」の文字。でも、水面に映る雲を見ていたら、空にでも飛び込みたくなるよね?と思った一枚は、7月の沖縄で撮影しました。最後まで候補にしていましたが、悩んだ挙げ句こちらも旗を降ろしました。 僕が持っているカメラは、前述のとおり古いし全然大したことのないカメラです。レンズも安物です。いいレンズや高性能の本体、装備があれば、それはそれで素晴らしい作品を生み出すことができることでしょう。(ハッキリ言ってこれ、半分嫉みです。) ...でも、本当にそうなのだろうか、という疑問も湧いてきました。 安価で性能が劣るようなカメラから、思わず息を飲むような画像、色んな人の心を揺さぶるような画像を撮影することができたら、それはそれでどんなに嬉しいことだろう...。今回出展してみて思ったこと、感じたことは、そんなところです。 今回、初めてお目にかかったメンバーの方々から色々なお話しを聞かせていただく中で、機材に頼らなくともいろんな技があることも知りました。今のところカメラに没頭するつもりはありませんが、もっともっと技量を高めないと、次の出展は恥ずかしくてできないと思いました。 ということで次の機会があれば、大皿に盛られた刺身のヒラメや本マグロを目指すのではなく、敢えて「刺身醤油」を狙いたいと思います。その心は、「うまい刺身の引き立て役」。ちなみに大皿は、今回の写真展そのものです。...って、写真展の皿から外れてるじゃん。ダメじゃん。 今回の出展に当たり、懇切丁寧にアドバイスをくださったHさんをはじめTPMのメンバーの皆さん、そして御来場いただいた皆さんに重ねてお礼申し上げます。 こういうきっかけを与えてくださって、本当に本当にありがとうございました。 最後に、「冗談かと思いました」という僕の言葉に対する、Hディレクターからの一言が胸に響いたので紹介します。 本気でやってる人はいつでも本気で言っている。」 (E)na

2015年8月21日

「We Love Hirosaki 同窓会~弘前に仲間を作ろう~」に参加して

8月14日に、弘前市の「津軽弘前屋台村かだれ横丁」にて、「We Love Hirosaki 同窓会~弘前に仲間を作ろう~」というイベントが行われました。私も参加してきましたので、1週間空きましたが、遅ればせながら簡単にレポートしたいと思います。 まずは地元紙の掲載記事から。 東奥日報 陸奥新報 当初は、高校の同期の連中に「帰省する人がいるなら、ちょっと飲もうかな?」と声かけしたところ、8名の面々(ただし、県外からの帰省者は1名のみ)から賛同の意思がありました。 当初は15日に開催する予定だったのですが、諸般の事情で14日開催としたところ、これまた同期の関係者から連絡が入り、前述の企画に参加してくれないか、と言われたのがきっかけでした。 正直、こういう小さな飲み会を企画すると参加してくれるいつもの同じ顔ぶれが多数を占めていましたので、ちょっと志向や空気を変えるという意味ではいいかも、と思い気軽にOK。ところが、開催主旨などを確認しているうちに、これはちょっと早まったかな...と思ってしまった、というのが実のところでした。 とはいえ「やっぱりやめます」と後に引くわけにも行かず、結局そのまま当日を迎え、午後6時前に会場に足を運んだところ、既に何名かの同期の面々が顔を揃えていました。 この日はこの企画に、県外在住者が3名、弘前市在住者と勤務者(他県から転勤してきた方を含む)が15名の計18名が参加しましたが、このうち我々同期の面々が10名いたことを今だから明かしましょう。 DSC_2239 (一人足りませんが、10人集まったのはホントです。) ちなみにこの企画は、7月に東京の四谷三丁目にある「りんごの花」というところで、首都圏在住で20代から30代を中心とした弘前市出身者が多数集まり、地元の話や思い出話に花を咲かせ、非常に盛り上がったという伏線があり、今度は弘前で「同窓会」をやろう!というものでした。 今回集まったのは20代から40代と年齢層が若干幅広くなりました。...というか、我々が平均年齢を高くしていたことは否めないわけでして、ハイ...。 確か「ワゲモノ」の集まりだったハズなのに、オッサンオバサンが占拠して申し訳ありません...。 いや、何せ当初は同期の面々で飲む、という話だったのが、趣旨が変わったことを当日になって知った、というメンバーが大半だったため、どこかよそよそしくもあり、ぎこちなくもありました。でも、弘前に対する大なり小なりの思いを抱くメンバーが集まるべくして集まった、といってもよかったのではないでしょうか。 進行を務めるNさんからのご指名で急遽ワタクシが乾杯の音頭を取らなければならなくなりましたが、まあ、これもこの会のためと思い、一応それなりに丁寧な挨拶をした、つもり。 参加者全員の自己紹介の後で、談笑が始まり、たまたま隣の席に居合わせた中学時代の同期生と会話を交わすのですが、どこかぎこちない。そりゃそうだ、約30年ぶりに会ってみると、当時の面影も感じられないし、「知らないヨソの兄ちゃん」ぐらいにしか見えなかったんだから...(今思えばちょっと申し訳ないことをしたな、と)。 宴が進むと、どうしたら弘前の移住定住が進むか、ということで、「弘前の良いところについて語ろう」という座談会がスタート。 僕は挨拶や自己紹介をしましたので何か意見を述べるといったお鉢が回ることもなく、皆さんの意見をジョッキ片手に色々聞いていたのですが、聞いているうちに、何か「違和感」というか「奥歯に物の挟まったような感じ」を覚えてしまいました。 その感覚が何だったのかを、これから明らかにしようと思います。 まず、主催者側が思うところと我々同期生の思うところのミスマッチがあったとともに、我々の開催主旨に対するミスリードがあったかも知れません。主旨を伝えぬまま、同期のみんなに「会場変更」だけを伝えて参加してしまったことについて、関係各位に対し、この場を借りてお詫びします。 そして今回のイベント、初対面の人も多かった一方で、我々同期の面々が半数以上を占めていました。特にそのオッサン連中に「この場で腹を割って本心を語る」という空気が流れていなかったのは事実でしょう。(まあ、いきなりということもあってこれは致し方ないのかも知れませんが。) 他方、他の参加者の方々(特に県外から弘前にやって来た方)も、居合わせた参加者の心証を悪くしたくないという思いがあったのか、当たり障りのないこと、つまり本音とまでは行かない話に終始したように思えました。これが、一番の違和感というか居心地の悪さでした。 県外から仕事でやってきた人が、弘前の良さを聞かれて「ねぷたがあったり、さくらが綺麗だったり...。」 ...うん、それって誰でも知ってると思うんだ。でも、それを聞いて弘前に「行ってみようかな」とは思っても、「住んでみようかな」とは多分思いが及ばないワケで。 「じゃあ弘前に来るに当たって逆に不安だったことは?」という問いには「店が夜まで空いているのか、遊ぶところがあるのか...。」 そう、まさにこれですよね。若い人ならなおさら、こういう部分がクリアにならないと、移住定住しようなんて考えないんじゃないでしょうか。 例えば一度も青森にやって来たことがない人が、「青森勤務を命ずる」と辞令が下ったときに、どう感じるか。 ...多分「嗚呼、俺って左遷されたのかな。」と思ってしまうのではないでしょうか。 もっともワタクシ、その「左遷の地」で44年間生活していますので、全然そんなことはないと思っているんですけどね。 で、話が進む間に疑問点をポンポンとFacebookにぶつけてみたわけです。 まずは1発目、同期会のFacebookページに投下した疑問。 「一平会(同期会の名称)に顔を出すって、敷居が高いんですかね?地元民だけで楽しんでいるつもりはないんですが…。」 これ、参加者が少なかったことを嘆いているのではなく、半ば自嘲的な投稿。 その中にあった返信のコメントが的を射ていました。 「(敷居は)高くないが、久々に出るのは緊張感あるんでないの?」 なるほど確かに卒業して四半世紀過ぎて、いきなり「やあ久しぶり!」と顔を出すことにはちょっと抵抗があるのかも。もっとも、25歳の頃から始まったこの会、かれこれ20年が経つわけで、卒業してからだと四半世紀以上顔を合わせていない面々も多数いるからなあ...。 そして、この伏線にあるのが何だろうかと飲みながらずっと考えていて、その約1時間30分後に、対象者限定で投下した二つ目の疑問と感想。 「今日飲みながら思ったこと。 地元に帰りたいと思う人も躊躇するぐらい、弘前そのものの敷居が高い。 自尊心、アシフパリ、モツケの精神がその敷居を下げない。 多分、地元愛を強調すればするほど、地元を離れた人たちは近づくのが辛いんじゃないかな。 酔っ払いの戯言でした。」 どうやら相当危うい投稿に見えたようでして、数名の方からコメントではなくメッセージまで頂く始末。 まあ、あのイベントに参加している間は、あくまで「一般ピープル」としてその場にいたつもりなので、本音をぶつけた方がいいかなとか思った次第。何せほら、所詮は酔っ払いの戯言ですから。 そしてこれが多分、僕が感じた居心地の悪さ、違和感だったんだろうと。 この日、主催者の方々は本当に一生懸命でした。Mさん然り、市役所の関係者然り。だからこそ、集客に悩んだりどう盛り上げようかといろいろ苦心されている、その顔には出さない痛みが、何か見ていて辛くなってきまして...。参加者がなかなか集まらなかったのも事実だったようですが、それは「敷居が高い」とかそういうことじゃなくて、「その場に行くことが緊張する。」というか「見ず知らずの人達と飲みながらちょっと真面目な話をする」ことに、少なからぬ抵抗を覚えたからなのではないか、と。 そして、実は地元の方たちが「弘前愛」を強調すればするほど、地元以外の方々、特に弘前を一度離れた人にしてみれば、「自分だってこんなに弘前が好きなのに...。」という自尊心を傷付けられているんじゃないかって、ふと思ったわけです。 地元を盛り上げるために現在も、色んな取組や活動がされています。(まあ、私もその活動に参画している一人なのかも知れません。) 他方、地元の外にいる出身者からすると、そのことが地元に貢献できていないという罪悪感、というかそこに参画できないことへの疎外感、そんなものを生み出している、ということはないでしょうか。そして、そのことが逆に地元への足を遠くさせている、なんてことに...。 同期会の話にちょっと振り子を戻すと、ほとんど地元開催の同期会を、2度ほど東京で開催したことがあるのですが、曜日に関わらず在京のメンバーが時間を割いて集まってくれて、とても盛り上がりました。この時ばかりは皆さん「津軽弁」で会話。3年間一度も同じクラスになったことのない面々ですら、旧知の友のように普通に会話が弾み、まるでそこだけが高校時代に戻ったような不思議な空間でした。 でも恐らく、彼らの中で今後弘前市はもとより青森県にUターン、移住する人は相当少ないんだと思います。(その後、一人だけ青森県内に戻ってきましたが。) 我々の年代になると「年老いた親を地元に残している」という現実問題がのしかかってきます。 もちろんそういったことも一つの契機となるのかも知れませんが、改めて望郷の念を抱き始めている同期の輩が増え始めていることも感じています。 しかし、そのハードルとして重くのしかかるのが、 (1)今の生活水準を落としてまで弘前市や青森県に住むメリットはあるか。 (2)そもそも生活基盤を構築するため、働くところがあるのか。 (3)生活していく上で、「リアルな人との繋がり」はあるか。 という点ではなかろうか、と。 人口減少社会の到来は、少なくとも青森県においては既に始まっているのが現状です。間もなく、青森県の人口が130万人を切る日がやってくることでしょう。 青森県内の人口減少をどのようにして食い止めるかは、切実な問題となりつつあります。県内への移住や定住促進も、その問題を少しでも長引かせる(解決することは、日本全体の人口減少が始まっている中、海外からの移住を推進しない限りは無理でしょう)ためのツールの一つ。青森県での「田舎(地方)暮らし」を推進するためにも、他にはない「優位性」をアピールする必要がありますが、その「優位性」は、「青森県」というだけで抱かれてしまうネガティヴな印象、強いて言うならば「劣位性」を遥かに越えるものでなければなりません。しかしながら、その他にはない「優位性」が何なのかを、まだ見いだせていないのが現状なんだと思います。(実際その「優位性」が何なのかは、ワタクシにもわかりません。) もっとも、移住定住UターンIターンJターンは、あくまで個人の問題。たまに見かけますが、その場しのぎではないにせよ、一時金やら何やら(例えば移住奨励金とか住居の無償貸与)を誘い水にすることだけは、本気でそういうことを考えている方々の新しい門出に当たり、麻薬をぶち込むようなものなので、これは絶対に止めた方がいいと思った次第です。 話があちこち飛んですいませんが、最後に。 今回の企画では、参加者からアンケートを募っていました。東京でも同じアンケートを募っていたのかな?にしても、そこから何かを分析するには多分母体数が少な過ぎると思います。例えば、各校が地元や県外で開催する同窓会で、全く同じアンケートを集めてみるとか...それだけでも世代別の傾向はある程度得られるわけですし、何か今後のヒントが得られるのではないかと、個人的には思ったところです。 あ、そうそう。久しぶりにこの会で「いもくじ」やりました。出たのは「子」でしたが、メクテアッタヨ!

2015年8月15日

「法界折」のこと

DSC_2214 日本全国いろんな世俗風習がありますが、「法界折」って青森県の津軽地方だけの風習なんだそうでして、この間もFacebookで紹介したところ結構反応があったため、改めてご紹介したいと思います。 私は弘前市に生まれ育った人間で、亡父は弘前市の隣にある中津軽郡西目屋村の出身。 幼い頃から、お盆の時に墓参りに向かうときには、この「法界折」を持参するのが当たり前のことで、それは全国どこでも同じことをしているのだろうと、大人になるまで信じて疑いませんでした。 母親の実家(北秋田市)に行く時もこちらから持参していましたが、確かにあちらの墓でこの折を見た記憶がなく、やがてこれが津軽地方でしか行われていないということを知ることとなりました。 そして今から5~6年前でしょうか、各都道府県での独特な食や世俗風習文化を誇張的に紹介する某テレビ番組でこの「法界折」が紹介され、改めて青森県、それも津軽地方独特の風習なんだな、ということを思い知った次第です。 最近はちょこちょこいろんなところで紹介されていて、そこではこの「法界折」をお墓参りの時に供える「お弁当」という言い回しをよく目にするのですが、「お弁当」というよりはズバリ、一人分の「折詰」といったほうがしっくりきます。 正月やクリスマスなど、もともと皿盛料理の登場する頻度が多いこの地方、その流れかどうか知りませんが、この「法界折」についても当たり前にお盆の時期になると登場する代物です。 実際、お盆の時期になると、スーパーの広告にも普通に登場します。 DSC_2245 DSC_2246 自宅で作る場合も多く、折詰の内容物は、煮しめ、果物、赤飯(これもこちら独特の甘い赤飯が入っていることが圧倒的に多い)、煮豆やお菓子など、その家庭によって異なります。 で、お墓や自宅の仏前にこれを供え、その後にパクパク...ということもあります(私はあまり口にしませんが。) ちなみに今年の法界折は、ニンジン、糸こんにゃく、シメジや麩などの煮しめ、カボチャの煮物、キュウリの酢の物、岩木山で収穫された茹できみ(「嶽きみ」と呼ばれるとうもろこし)、そうめん、果物、ゼリーにお菓子。 DSC_2216 DSC_2211 DSC_2212 DSC_2213 肉や魚類は一切入っていません。いわば精進料理みたいな感じです。これを5個作りました。 まあでも、故人が好きだったものなら何が入ってもいいんじゃないかな、とか思ったり。 しかしながら最近は、これをお墓に置いたままにするとすぐにカラスに荒らされてしまうため、お参りが終わると持ち帰らなければならないということで、ご先祖様がゆっくり食事する暇がなくなってしまいました。

2015年6月24日

「第10回 古都ひろさき花火の集い」で、初めての花火撮影

妹が結婚することになったのを機に、少しでも結婚式でいい写真を撮ってやろうじゃないかという兄としての配慮から(ホントかよ)、初めて一眼レフカメラを購入したのが3年前。 カメラに関する知識は何もなく、絞りとかシャッター速度とか聞いたことはあるけれど興味なし。要するに写真なんて自分の感性とタイミングで映し出されるものなのだ、と割り切っていたし、使いこなせるかどうかもわからないのに、高いカメラを購入してもね...という考えもあって、初心者は初心者らしくハイスペックなものは求めず、とにかく安価なカメラを探した。 結果として手中に収めることとなったのは、キヤノンのeos Kiss X50という廉価版のモデルで、しかもアウトレット品を購入したこともあって、実はレンズ込みの本体価格で3万円ぐらいしかしないカメラだったということを、今だから明かそう。 ただ、全自動で撮影するのも芸がないということで、フラッシュの自動発光をさせないように設定してみたり、「クリエイティブ全自動」という機能を駆使してみたり、人物や風景をたくさん撮影してきた。 とりわけ、僕が所属する「弘前公園ランニングクラブ」の場で活躍することとなり、いろんな大会はもちろん、宴席でも相当シャッターを切った。 結果、ランニングクラブの中にはカメラ好きが集まってカメラ部が密かに結成された。しかし、僕は初心者に縮れ毛が1本生えた程度のレベルなので、もうちょっといろんなものを撮影する機会を得なければならないかも知れない。 実は未だに不得手にしているのが、仲間達が走る姿を撮影することなのだけど、これも経験を積んで慣れていくことに尽きるのだろう。 さて、そんな初心者に縮れ毛が1本生えた程度のレベルなのに、揃える機器だけはイッチョ前。 三脚はもちろんのこと、同梱されていたレンズを下取りに出して単焦点レンズを購入してみたり、Amazonで見つけたタムロンの18-200ミリレンズを購入してみたり(だって、安かったんだもん)、挙げ句の果てにはリモートスイッチを購入してみたり。 さて、ここまで揃えても撮影するのはうちの愛犬か愛すべき酔っぱらいどもといった感じだったのだけれど、リモートスイッチを購入したのにはワケがあった。 沖縄の星空を撮影してみたいと思ったからだ。 しかしながら、その後2度訪れた沖縄では曇天(台風接近のときもあった)だったり、強風だったり、逆に月明かりが強すぎて星が全く見えなかったりと、結果的に星空撮影に至ったことは現時点で一度もなし。裏を返せば、リモートスイッチの出番は一度もなかったというわけだ。 ところが、ひょんなことからその機会は突然訪れた。 弘前市で行われる「第10回 古都ひろさき花火の集い」の桟敷席の券を頂いたのだ。実はこれまでの9回、この花火大会には一度も足を運んだことがなく、家の向こうに広がる雑木林の奥から聞こえる打ち上げの音と、時々辛うじて見える花火の形を見た程度だった。ちなみにこの花火大会、東北の夏の先陣を切って行われる大会なのだとか。 せっかく券を頂いた以上は、行くしかないでしょう!ということで、妹家族と母とともに、初めて花火の打上げ会場を訪れた。 低めに三脚を設置し、カメラをセット。シャッターを切るリモートスイッチをセットし、シャッタースピードは当然BULBに設定。これでスイッチを押し続けている間、シャッターは開放される。 レンズのフォーカスモードをAFからMFに切り替え、無限大(∞)に上げた。カメラ側の設定としては、ISOを100、絞り値をF10、ホワイトバランスは白熱電球に設定。 そして、レンズを覗き込みながらではなく、画面を見ながら撮影に臨むということで、ライブビュー表示に切り替え。ちなみにここまでは、完全にインターネットで得た情報の受け売り。 あとは、実際に上がる花火を見ながら微調整していけばいいだろう。 そして、まだ明るい中で小さな花火の打ち上げがスタート。 打ち上げのタイミングや、花火の位置を目視しながら、シャッターの開放時間やレンズの方向を色々試してみる。 まあ、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるということで、手当たり次第に撮影してみるか...。 片手にビール、片手にリモートスイッチを握りながら、次から次へと打ち上げられる花火に感嘆の声を上げる。どれぐらいの高さなのか、どういった拡がりを見せるのかわからないまま(この時点で、というかプログラムは最初に目を通した程度で、あとは全然見ていませんでした)、ひたすら勘に頼ってリモートスイッチを押し続ける。最初の頃は露出しすぎて白くならないかとシャッターの開放時間を短めにしていたけど、だんだん慣れてくると、長めに開放できるようになったし、三脚の微調整をする余裕すら生まれてきた。 いやあ、これ面白いわ~! ということで、この日撮影した80枚以上の画像から、比較的良く写っていると思われる5枚だけをチョイス。 花火2 花火1 花火3 花嵐桜組 タヒチアンダンス で、こうやって見ると真っ暗になる前に撮影した花火の方が、個人的にはいい感じかな、と。暗くなってからは、絞り値をもう少し上げるか、露出を調整すればよかったかな。 しかし、最初は「寒くなったら途中で帰る。」とか言っていたのに、結局最後の演目が終わるまでいましたよ、ええ。 初めて花火を撮影してみましたが、どうでしょう? ということで来年は是非、ランニングクラブの写真部で撮影に行きましょう!もちろんビール持参でね。

2014年12月26日

世の中には、繰り返さなくてもよい歴史がたくさんある。

僕の中では今年一番の衝撃だった、平川市の選挙違反事件。この事件は青森県に暗い影を落とすこととなったし、「津軽選挙」という悪しき風土が未だに根強く残っていたことを裏付けるとともに、平川市はもちろんその周辺地域に対する心証を地の底まで叩き落とすこととなった。 <平川市長選違反>倫理観欠如に裁判官あきれ(河北新報 12月26日(金)) 芋づる式に次々と議員が逮捕されていく様を見て呆れ、未だにこういう人たちがいたということにも呆れ...。対岸の火事と思って見てはいたものの、正直ここまで来ると被告たちに対して、怒りを通り越した情けなさや憐れみを覚えるようになった。恥の上塗り、とはこの人たちのことを言うのだろう。 --- 今から十数年前、社会人の身分ながら、僕が弘前大学大学院に籍を置いていた頃の話。 主に行政法の教授の下でいろいろ学びながら、一方で、社会学のフィードワークの一環として某自治体に聞き取り調査に入ったことがあった。その内容はのちに、「リーダー生成過程としての選挙と地域づくりの展開」というタイトルで弘前大学の人文社会論叢(社会科学篇)に掲載され、更に再構成されたものが「津軽、近代化のダイナミズム―社会学・社会心理学・人類学からの接近」という書籍に掲載された。 この時実は、「津軽選挙」の風土がとことん根付いていた(と考えられていた)N村への潜入調査を試みようとしたのだが、共同作業を行った准教授が既にこの地で先行調査を行っており、村内ではちょっと知られた存在であること、そして何よりも僕の父の出身地ということで僕や父の身に危険が生じても困るということから、この村への潜入調査を諦めた、という経緯がある。 この村では、選挙(特に村長選挙)が始まると、村を二分するような騒ぎとなり、お互い違う候補を応援しなければならないという事情から、家の中ですら険悪な空気に包まれることや、ウソかホントか知らないが、飲ませる食わせるはもちろん、お帰りの際の「お土産」は当たり前、選挙直前になると、双方の陣営がスパイのように暗躍するといった話を聞いたことがある。特に、津軽の水瓶とも言われる大規模な工事を抱え、それもこれも全てはその工事を巡る利権争い、勝てば官軍負ければ賊軍といった有様で、負けた候補者を応援した者には、次の選挙までの4年間、村からの仕事が一切来なくなるといったこともあったようだ。そんな村役場の職員だった伯父も、その渦中で振り回され続けたということを、今だから明かそう。 結局、やむなく他の自治体での潜入調査を行い、その過程において、行政のトップがどういった経緯で選出されていったかを探っていったのだが、これがまた「津軽選挙」の片鱗に触れる実に興味深い内容だった。 例えば、「ちくわやおにぎりの中にお札が入っていた」ことや、「A陣営が5,000円を配ると、直後にB陣営は10,000円を配り、その際、A陣営の5,000円と交換する(つまりA陣営の賄賂を同額でB陣営にすり替える)」ことなどが頻繁にあったらしい。 一番興味深かったのは、高い投票率だった。選挙ともなると、「出稼ぎのため県外にいた連中がみんな戻ってくる」ぐらいの騒ぎ。いわば一種の「お祭り」か「娯楽」の一つと捉えられていたのだろうか。小さな自治体とはいえ毎回95%を超える高い投票率は、「普通ではない何か」がそこで起こっていたことを感ぜずにはいられなかった。 --- あの調査から十数年が経った。僕が調査した自治体は、市町村合併によってなくなった。 一方、選挙にエネルギーを注いでいた人たち(つまり、何らかの利権を求めていた人たち)の高齢化が進んだこともあってだろうか、N村では無風選挙が続くようになった。 そしてこの間に、市議を務めていた父が亡くなり、共同執筆した教官の方々も青森県を離れた。 この状況を見て、父は一体どんな思いを馳せていることだろう。一緒に研究に携わった院生の皆さん、そして教官の方々は、この状況をどんな目で見つめていたことだろう。 来年4月には統一地方選挙が待ち構える。 僕は今のところ選挙に出馬する予定はないが、将来のためにも、今回のことを他山の石と捉えたいと思う(爆)。 投票箱 最後に、よほど神奈川県というところが都会過ぎるのか、青森県をとことんコケにしたブログ記事を紹介。 ま、僕みたいに青森県以外のところで生活したことのない人には、何を言っているのかよくわかりませんが。 もっとも、批判するのは勝手だけど、卑下する相手マヂガッチュンデネガ。 http://gudachan.hatenablog.com/entry/2014/07/21/114806

2014年8月 6日

弘前のことを、ねぷたのことを嫌いにならないで。

8月5日。青森駅を出発し、弘前駅に19時10分過ぎに到着した電車から降りると、ちょうど駅前での弘前ねぷたの運行が始まっていた。小雨が混じる中、観客の数は思ったほどではなく、これは6日に観客が殺到するな...と思いながら、ねぷたを横目に家路を急いだ。 この日のねぷたの運行台数は60台を超えていたという。恐らく最後のねぷたが出発するのは、21時を軽く過ぎてしまうのではないだろうか。 ところが家に戻った直後の20時過ぎから、雨脚が強くなってきた。 いやいや、これは運行するのが大変だな、と。 そんな中、20時30分頃、透明シートを被せた近隣町内会の運行と思しきねぷたが、戻りの囃子を奏でながらゆっくりと家の前を通り過ぎた。 その後、いつもあちらこちらから聞こえて来るはずのねぷたの囃子の音が全く聞こえていないことに気づくまで、それほど時間はかからなかった。 雨のせいで中断したのだろうか。それとも、また何かトラブルでも発生したのだろうか...あるいは、途中で中止?まさかな...。 ところがその「まさか」が起きていたとは。 「何か」のトラブルが、まつりの根幹を揺るがすぐらい大変な事態だということを知ったのは、0時近くになってからだった。誰かがFacebookに投稿していたニュースソースを目の当たりにして、僕は独りで動揺を隠すことができなかった。 ...ねぷたが倒れた?ねぷたの下敷きになって、人が亡くなった? 弘前市民のひとりとして、かなり動揺していることが自分でもわかった。結局僕はその後、眠りにつくことができなくなった。 (以下の記事は第二報)
ねぷた内で頭挟まれ男性死亡 弘前署や弘前消防本部などによると、5日午後8時半ごろ、弘前ねぷたまつりの出発地点の手前にあたる、弘前市北瓦ケ町付近の弘前郵便局前交差点で、運行準備中のねぷた本体の内部で、40代男性がねぷたの昇降装置に挟まれ、頭部外傷で死亡しているのが見つかった。大型扇ねぷたの昇降時に頭部を挟まれたとみられる。同署は男性の身元を確認するとともに、昇降中の事故とみられることから、業務上過失致死の疑いでも捜査を進める。まつり本部は午後9時1分、同日のまつりを打ち切った。(2014年08月06日01時04分 Web東奥)
僕が記憶している限りでは、弘前ねぷたまつりの運行中に亡くなる人が出たというのは聞いたことがない。どちらかといえば、弘前ねぷたは「静」のイメージがあり、むしろ事故など起こるはずがない、という印象を持っていたのだが...。 一方、この事故を踏まえ、残り2日間のまつりを中止することが決まった。もちろんこれも、雨天中止以外を除いては、今まで記憶がなく、実際初めてのことだそうだ。 関係者にしてみれば、苦渋の決断なのだろうが、致し方ないことと思う。まずは責任を押しつけ合うことなく、今後の安全確保に向けてしっかりと対策を検討する必要があるだろう。
弘前ねぷた6、7日中止 弘前ねぷたまつりで5日夜に死亡事故が起きたことを受け、弘前市など主催4団体は6日午前、同日と7日(最終日)のまつりを中止することを決めた。(2014年08月06日09時33分 Web東奥)
僕が最後にねぷたに参加したのは高校3年の時。つまり、相当期間ねぷたまつりに参加していないが、今回の事故は、これまで何となく避けてきた弘前ねぷたそのものに対する喫緊の課題を突きつけられたような気がしてならない。 もはやこれは、他人事ではないと思った。 観る側も運行する側も運営する側も、弘前市が全国に誇るまつり全体の問題として捉えなければならない。 今年の弘前ねぷたまつりは、初日から運行中のトラブルがちょこちょこと発生しており、中には、今回の事故が起こってしまった団体同様、油圧系統のトラブルを起こした団体もあったようだ。 ... 亡父は自称「ねぷたバカ」だった。8月1日から7日まで、毎日毎日どこかの団体に顔を出し、ねぷたの運行に参加していた(正しくは、ただ酒を煽っていただけだったのかも知れないが)。 「青森のねぶたは、のたばったガニ。弘前のねぷたは、金太郎飴。」 そう言って笑っていた父。僕にとって「弘前ねぷたまつり」は、父のことを強烈に思い出す時期でもある。 やがて金太郎飴は多種多様化し、運行団体もどんどん増えていった。 気がつくと、運行規模に合わないぐらい大型化されたねぷたや運行団体の多種多様化が進むとともに、駅前に集中する運行台数、年を追う毎に無法地帯と化した場所取り、運行前の過度な飲酒、目に余るぐらいの衣装、そして、団体間での小競り合い...。 きっと亡父も、今回のこの事故に心を痛めていたことだろう。 もちろん今回の事故を予見できた人などいるはずがない。 しかし、いつか起こりうる事故が今回、とうとう起こるべくして起こったのかも知れない。 これを機に、ねぷた運行のあり方が問われることになるだろうし、ここぞとばかりの批判合戦も繰り広げられることも考えられる。 正直、ねぷたの運行やまつりの運営などに携わる方々、そして、今回事故を起こした団体や亡くなられた方のご家族の心中を察すると、胸が張り裂けそうなぐらい苦しくなる。 だが、来年以降の安全な運行に向けて、今こそ関係者が一丸となって、なぜこのようなことが起きてしまったか、しっかりと検証と分析を行い、祭り全体のルールを明確化しなければならない。 「教訓」の一言で済ませるには、あまりに事態が重すぎるのだ。 今朝の弘前市は、激しい雨が降り続いていた。弘前市全体が、号泣しているようだった。 まつりの後の静寂ほど侘びしさを感じるものはない。 その静寂が、いつもより2日も早くやってくるなんて、誰も想像していなかったことだ。 僕はねぷたに関しては前述のとおり既に20年以上も参加していないし、弘前ねぷたの運行こそ、「餅は餅屋」の世界だと考えている。大体にして、今のねぷた運行に係る内情は全くといっていいほどわからないので、ああだこうだと口を挟む立場にはない。 でも...弘前市民の誰もが、ねぷたまつりをやめて欲しいなんて思っていないはずなんです。津軽の、弘前の短い夏の夜空を焦がす風物詩なんだって、みんなわかっているんです。でも、やるからには何らかのルールを決めなければ、今後もこういったことが起こりうるんです。 喜怒哀楽。 人間の持つ4つの感情。楽しい時には喜びが伴い、喜びは楽しみをもたらす。 一方で、哀しい時には怒りが伴い、怒りは哀しみをもたらす。 だからこそ関係者の皆さまにおかれましては、どうか感情的にならず、責任を押しつけ合うことなく、努めて冷静に今後の方針についてご検討くださるよう、一市民として心からお願い申し上げます。 亡くなられた方のご冥福を心からお祈り申し上げます。

2014年3月23日

映画「ふるさとがえり」上映会 in 津軽 遂に開催!

温め続けていた43歳のオッサン二人の念願成就- 映画「ふるさとがえり」といわれても、どんな映画なのかご存じの方は、青森県にはそれほど多くないはずだ。 事の発端は2012年10月に弘前市で行われた「東北オフサイトミーティング」。 この懇親会において、他県からやってきた行政職員の方々がこぞってこの映画のことを話題にしていた。ほとんどの方がこの映画のことを賞賛し、そして「一度は観た方がいい」と口を揃えていた。 「いつか誰かが上映してくれるんだろう」と思いつつ、なかなかこの映画を目にする機会がなかったのだが、秋田県藤里町で町制施行50周年を記念して、映画「ふるさとがえり」の上映会が開催されることを知り、満を持して...というのは大げさかも知れないが、平川市のSさん、弘前市のEさんとともに訪れたのが昨年11月のこと。 (詳細は「映画『ふるさとがえり』のこと。」をご覧下さい。) この日、林弘樹監督とも直接お会いし、まだ上映会を開催していないのが岡山県と青森県のみであることを知り、上映会とトークセッション終了後の帰りの車中で、「是非青森県内でも上映会を開催したい!」という思いがどんどん高まっていった。(それは特に、平川市のSさんの中でより強固な思いとして募っていったようだ。) ただ、我々行政の人間がいきなり上映会を開催するノウハウなどを持ち合わせているハズもなく、いつやるか、どこでやるか、早くやらねば、とにかくやらねば...と、はやる気持ちと焦る気持ちばかりが先行し、とりあえず誰かに観てもらおうと、まずは12月末に弘前市、黒石市、そして平川市の若手~中堅職員10名ほどに集まって頂き、プチ上映会を開催した。 この時も、上映後に色んな感想を頂いたのだが、「できることならば多くの人に観て頂きたいが、どうやったらいいのかがわからない。」というのが、この場での結論じみた感想だった。 その後もSさんとEさん、そして僕の3人で数回打ち合わせを行い、上映会の開催に向けてようやく腹をくくったのが、1月末になってからのこと。 この時点で、上映会に向けた実働部隊はSさんと僕になることが、ほぼ決まっていた(実はEさんは、拙速な上映会の開催にはあまり賛意を示さなかった)。そしてここから、Sさんと僕という昭和46年1月生まれの二人(僕らは生まれも出身校も職場も異なるけど、職場への採用が同期で、新採用研修が一緒だったという「つながり」を持っているのです)で、上映会に向けた動きが加速した。 ・県内最初の上映会は弘前市駅前の「ブロッサムホテル弘前」で行うこと。 ・県内最初の上映(それは47都道府県最後の上映を意味していた)ということで、林監督にもご来場頂きたかったが、予算の都合上、林監督のトークセッションは次回以降の宿題とすること。 ・今回は50名のみのこぢんまりとした上映会として、とりあえずSさんと僕が知っている方(それも、映画の良さを多くの方に伝えて頂けそうな方)に声かけをしながら、最低40名は上映会に来て頂くこと。 ・上映会と上映会+懇親会とし、できれば「前売券」という形で販売すること。(今だから明かすと、当日になってドタキャンが続出し、採算割れになることを避ける、という狙いもあった。) ・上映会は1,500円、上映会+懇親会は5,000円とすること。 などなど... しかも、その直後に上映回数が全国で1000回を迎える日が近づいていることを知った。 これはもう、狙うしかないよね...。 まずはフェイスブックのイベントページを立ち上げ、75名近い方々にお声がけ。あとは、一本釣りで直接ご来場をお願いするか、人づてで参加者を増やしていくしかない。 当初は10人ほどの方々から参加表明を頂いたが、予想通り頭打ちとなったため、お知り合いへのお声がけをお願いしたところ、結果的に40名の方々が参加して下さることとなった。 あとは、当日に向けた「小物」の準備。映画なので「鑑賞券」も準備したいし、領収書も用意しなければならない。500円のお釣りも準備しなければならないだろうし、せっかくなら参加者全員の集合写真を撮りたいので、カメラも用意したい。 そして、あれやこれやと準備を進めながら色々思いを巡らせるうちに、一つ忘れていたことを思い出した。 ...そうだ!林監督からこっそりコメントを頂こう! 上映会後の懇親会の席上、僕は乾杯の挨拶をすることが決まっていた。 よし、ここで林監督からのメッセージを紹介して、Sさんをはじめ、みんなをビックリさせてやろう! 林監督にメッセージのお願いをしたところ快諾頂き、しばらくすると、林監督からメッセージが返信されてきた。 ...ただし、僕だけではなく、Sさんにも一緒に(笑)。 便せん6枚にビッシリと書かれた監督からのメッセージに目を通し、思わず目頭が熱くなった。 これは乾杯の場で披露するような軽々しいものではないな...。 そう思い、会場の隅に上映中に貼り出すことを決めた。(実際、こんな感じで貼り出した。) 01message そしていよいよ当日。 14時30分過ぎでなければ会場が空かないということで急遽、受付と会場のセッティングのお手伝いを募集。14時30分を過ぎると、どこからともなくたくさんの人が集まり始めた。 02info 椅子を並べ替え、スクリーンを設置し、プロジェクタとPC、そしてスピーカーを繋ぐ。 03hall ディスクをセットし、プレイボタンをクリック。 ...あれ? 「コピーガードが云々...」とメッセージが現れ、再生されない。 焦るSさんと僕。 ディスクを換え、もう一度。 ...あれ?う、動かない?? ヤバい!上映開始までもう時間がないのに、これはヤバい! 二人の間に一気に漂う焦燥感。 もう一度落ち着いてプレイボタンをクリック。 スクリーンに、パッと画が映し出された。 ホッと一安心。 その間も続々と会場に人がやってくる。開始時刻には、参加エントリーされた全員の方々にご来場頂いた。 皆さん、本当にありがとうございました! 04opening Sさんの挨拶(この上映会が1003回目となること、47都道府県で最後となること、などなど)のあと、上映会が始まった。 ここまで来れば一安心。あとは、突然機械が止まったりスピーカーが故障したりしないことを祈るばかりだった。 一番後ろから皆さんの表情を窺う。やがてすすり泣く声、ハンカチで目頭を押さえる姿が目に入ってくる。映画の内容ももちろん泣けたけれど、今回は参加した皆さんが感動する姿にもらい泣き。 上映が終わるとともに、会場内に拍手が鳴り響いた。 よかった、これが聞きたかった...。 急造してこしらえた撮影現場の確保にも皆さん快くお手伝いして頂き、全員で写真撮影! 05ending その後お配りしたアンケートにも、皆さん真剣な表情で回答して下さった。 06enquete そして、受付にてアンケートを回収し、上映会が無事終了となった。 ホントはSさんとハグの一つでもしたいと思ったが、これはあくまで「通過点」。 ここから青森県内でどういった「つながり」が生まれるのか、今後の展開をずっと見守っていきたいと思う。 改めて、上映会にお越し頂いた皆さんに心から感謝申し上げます。 最後に。懇親会の模様をご覧頂きます。皆さん「もう一度観たい」というコメント、何だかホントに嬉しかったです! 07 08 09 10 11

2014年3月21日

弘前城と桜のコラボはしばらく見納めです!!

冒頭で追記!というのもおかしな話ですが。 弘前の桜が来年から見られなくなるのではなく、弘前城が曳家されることにより、弘前公園の桜とお城とのコラボレーションが当面見られなくなる、というものです。どうぞ誤解されませぬように!! --- どうやら今年最後の春の嵐。 青森県の太平洋側、県南地方と呼ばれる地域では一晩で30センチ以上の重い雪が降ったとか。私の住む弘前市でも、雪は降りましたがさほどではなかったような気がします。確か、県南地方にこの時期に降る雪を「彼岸ジャラク」と呼んでいたはずですが、これがやってくると、いよいよ春が近づいてきます。 日本の春の三大祭り。 広島の「ひろしまフラワーフェスティバル」、福岡の「博多どんたく」、そして、絶対王者だった「東映まんがまつり」に取って代わってその座を奪った「ヤマザキ春のパンまつり」...。 ...じゃなくて、地元青森・弘前の「弘前さくらまつり」。 さくらまつりの会場(弘前公園)が我が家から1キロほどしか離れていないということもあってか、数年前まではほとんど足を運ぶことがなかったのですが、ここ数年は朝の散歩がてら、そして昨年は仕事帰りの夜桜と、ちょこちょことお花見を堪能するようになりました。 今年も4月2723日から5月3日まで(日付間違えていました。ご指摘感謝。)開催されますが、この「弘前さくらまつり」に関して、来年からお花見事情がガラリと変わるかも知れません。 ポスターやテレビなどでご覧になった方も多いと思いますが、弘前公園にある弘前城と桜のコラボレーション、実はこれが来年以降見られなくなるのです!! といいますのも、弘前城本丸の石垣修理事業が、来年度から本格化するのです。 弘前城本丸の石垣修理|弘前公園総合情報サイト 計画では、来年度(平成26年度)中にお堀の埋め立てが行われ、足場が組まれます。そして再来年(平成27年)のさくらまつり以降、弘前城天守が本丸の内側へ約70メートル移動するのです! たかが70m、されど70m。 弘前市役所のホームページには、このように記述されています。
石垣解体修理工事の完了までは、約10年の年月がかかると見込まれています。障害物のない状態の天守(内濠の水面に映る天守と桜)は、平成26年のさくらまつりを最後にしばらく見られなくなる予定です。史跡弘前城跡を保護し、後世に伝えるためには、石垣解体修理は避けて通ることのできない事業です。皆さんのご理解とご協力をお願いします。(弘前市役所/弘前城本丸石垣修理事業が本格化します
つまり、今年のさくらまつりが終わると、淡い色のさくらと赤い橋(下乗橋)と弘前城天守のコラボレーションが、当面の間(それも恐らく10年以上)見られなくなるのです! 残念ながらこのことに関するアナウンスは意外と少なく、そして知られていないような気がします。 ですから、何も知らずに来年、弘前さくらまつりを見るためにやって来た観光客の皆さんは、相当ガッカリするのではないのか、と。 まあ、裏を返せば石垣修復の工事なんてもの自体にお目に掛かる機会もないわけですし、あるはずのところにない天守とさくらをご覧頂く、というのもある意味貴重な機会ではあるでしょう。 しかし皆さん、どうですか。近くの店が閉店すると決まった途端に行ってみたくなったり、普段見向きもしなかった寝台特急が廃止になると聞いた途端、急に乗ってみたくなったりすることって、ありませんか。 そういう意味では、弘前城天守とさくらのコラボがしばらく見られなくなると聞くと、見たくなりませんか。どうですか(笑)。 今年のゴールデンウィークは、暦上では土日と祝日があまり連続していないため、まとまったお休みを頂くのは難しいかも知れません。しかし、敢えてその平日を狙って、弘前公園に足を運んでみてはいかがでしょうか。 弘前公園のさくらは「一期一会」。 毎年行われる剪定作業や開花の状況などを鑑みると、二度と同じ光景に出くわすことはきっとないはず。 ましてや、天守が移動することが決まっている今年こそ、この先10年はお目にかかれなくなる光景を目に焼き付ける、最後の機会です。 皆さまのお越しを、弘前市民の一人として心よりお待ち申し上げます。 弘前さくらまつり2014 ※一昨年前や昨年のさくらまつりの画像はあるのですが、敢えてその画像を貼り付けなかったのは、実際に皆さんの目でその素晴らしさを堪能して欲しいからです。百聞は一見にしかず! もう一回追記します! 弘前の桜が来年から見られなくなるのではなく、弘前城が曳家されることにより、弘前公園の桜とお城とのコラボレーションが当面見られなくなる、というものです。どうぞ誤解されませぬように!! ?