2010年3月 1日

大津波警報

17年振りに発令されたという「大津波警報」。昨日は日本中が妙な緊張感に包まれていた、といった感じだろうか。確か前回は北海道・奥尻島の地震の時だったような、と記憶していたが、その記憶は間違いではなかったらしい。

時代と季節を間違えていれば、僕みたいなアホなヤツは、警報が発せられていることも知らずに暢気に防波堤からの釣りに興じ、海に飲み込まれていたかも知れない。

テレビなどで放映されていたとおり、冠水などの被害の他、岩手県の三陸沿岸では、養殖用の「いかだ」が大きな打撃を受けている模様だ。
強いて言えば、予想していたほど大きな波ではなかったこと、人的被害はなかったことだけが不幸中の幸いだろうか。

一つ気になったのは、根室・花咲港で津波による冠水の模様が放映されていた時、漁協関係者と思しき人が、建物の中からおもむろに外に出て塀に登り、周囲の冠水の状況を確認している姿が映し出されたが、万が一押し寄せる波が予想通り数メートルにも及ぶものであったならば、一溜まりもなかっただろう。見ていて背筋が凍る思いだった。

確かに、日本への津波は結果的に予想を大幅に下回るものだった。今回の大津波警報の発令を踏まえ、気象庁では自戒の念を込めた反省とも取れる弁を述べている。

「予測が外れるのは計算の限界。批判はあるだろうが、最も危険なケースを想定するのが防災の基本で、最善は尽くした」

更にその後の会見では、謝罪。

「津波の予測が過大であったこと、警報・注意報が長引いたことをおわびしたい」

50年前に起きたペルー沖地震による津波被害を知る人は、被災者の高齢化ということもあり大分減っているようだ。実際、僕もどんなものなのかは知るはずもない。
避難指示や勧告が出た地域でも、当時の津波の恐ろしさについて、身をもって知る人は少ないため、このような事態が生じた場合どのような対処をすべきか、住民の間にも戸惑いがあったと見受けられる。

そりゃそうだ。地球の裏側で起きた地震による津波が日本を襲うかも知れない、といわれてもピンと来ない方が当たり前なのかも知れない。そういう意味では、「最悪の事態を想定して」大津波警報を発令した気象庁の判断は必ずしも間違いでなかった様な気がするし、謝罪の必要性もないような気がする。むしろ、どうせ大したことないだろうと注意報や警報レベルにとどめ、港や荷さばき場で普通に作業をしていた時に、あのような津波が押し寄せていたら...と考えた方が、ゾッとする。

個人的には自らも被災した1983年の日本海中部地震での、日本海沿岸を襲った大津波が強烈なインパクトとして残っている。昨日は千葉県鴨川市で、海水が河口から川上に逆流しているような場面が報じられていたのだが、日本海中部地震でも同じようなことがあったことをハッキリと覚えている。ちなみに河川を逆流する津波は、今回各地で見受けられたようだ。

以前にも書いたことがあったかも知れないが、日本海中部地震で亡くなった方は104名。Wikipediaにも掲載されているとおり、このうち津波により命を落とした方は100名にも上る。そのうち13名の児童たちが通っていた小学校は、母の出身地にある小学校であり、少なからぬ衝撃を受けたことを記憶している。ちなみに母の出身地には海がなく、津波がどんなものなのか、当時としてはそれほど知られていなかったことも、被害を拡大した要因の一つといわれている。

遠足で男鹿市の加茂青砂を訪れていた旧北秋田郡合川町(現・北秋田市)の町立合川南小学校の児童が多数巻き込まれたことは、遺留品の散乱する現場の空撮映像が全国ニュースで配信されたこともあって県民や国内はもとより、日本国外にも大きな衝撃を与えた。合川南小学校にはローマ法王など、全世界からメッセージが寄せられた。また同校では外国人音楽家による無料演奏会も催された。

楽しい遠足に出かけたはずのお子さん達が無言で帰宅し、迎えた家族が絶叫、号泣するシーンは、テレビでも放映されていたのだが、子供心に何ともやりきれない思いばかりが去来した。

ちなみに当時僕は中学1年で、理科の授業の真っ最中に日本海中部地震に襲われたのだが、この日、最も早く津波が到達した深浦町には、3年生が写生遠足に出かけており、漁港での写生に興じていたという。大きな地震に見舞われた直後、咄嗟の判断で機転を利かせたバスの運転手が「高台に逃げろ!」と叫び、全員が画材道具などを置いたまま近くの高台に逃げ、難を逃れたそうだ。その数分後、津波が堤防に押し寄せ、画材道具を...。という話を、後日談として先輩から聞かされた。

今回の大津波警報により、避難対象者のうち実際に避難したのはわずか6%ちょっとしかいなかったという。日曜日ということもあって出かけていた人もいたかも知れないとはいうものの、あまりに低い数値だ。
確かに今日では、情報伝達(収集)の方法がいろいろあるとはいえ、具体的な津波の大きさを事前に報じていた媒体は一つもなかったと思う。いや、それは予測不可能といってもいいのだろう。もし仮に、数メートル級の津波が押し寄せていたら...と思うと、日本はつくづく「平和な国」だと感ぜずにはいられなかった。

それに、万が一これが巨大津波だったとしたら、「避難しなかった人が悪い」「被害者の自己責任」という声も挙がるだろう。その一方で、「行政サイドの不手際」も叩かれることになるだろう。
しかし、行政側としては防災無線やその他の方法により、随時避難を呼びかけ、周知していたという現状を考慮すると、これ以上の手の打ちようはないのではないだろうか。それとも極論になるが、最終的な方法として、一時的に自宅から強制退去させるという方法も考慮しなければならないのだろうか。

例えば、避難指示を何度も出したにも関わらずサーフィンに興じていた連中が、津波に飲まれて沖まで流され、命からがら助けられたとしよう。
この時、サーフィンに興じていた連中を責める人たちは大勢いるだろうが、ひょっとしたらそれ以上に、強制的にでも連中を排除しなかった行政が咎められるということはないだろうか。
それとも、これはあくまで行政の「不手際」ではなく、やはり当事者本人の「自己責任」ということになるのだろうか。

確かに地震や台風と違って、津波そのものの脅威を実感することができないということも、サーフィンに興じる連中や住民の防災意識、危機管理の低さに繋がったような気がする。
サーファーや住民にしてみれば、特に大きな被害があったわけでもないし、逆に何もなかったことで「何故あれほど避難しろと騒ぎ立てたのか」という非難の声が挙がっているかも知れない。

そういう点において今回の一件は、津波の予想の難しさはもとより、住民の安全第一を考えるに当たり、行政側が取り得る手段や方法に対する大きな課題(もちろん、法的な扱いを含めての話)、非常に難しい問題を突きつけることになったような気がするし、住民の防災意識の低さを如実に表した、という結果になるような気がする。ただ一つ明確なことは、行政サイドは津波による人的被害が出た後のバッシングを恐れていたのではなく、津波による人的被害が出ることを恐れていた、ということだ。

確かに人的被害はなかったし、大騒ぎするほどの津波ではなかったことは事実として受け止めよう。
長時間にわたり避難した人や、交通機関(とりわけ鉄道)の相次ぐ運転取りやめにより、折角の日曜日が台無しになった人だっているだろう。憤慨されるのもごもっとも。私こそが被害者と言い張るのもわからないわけでもない。本当に大変でしたね、お気の毒様でした、というより他ない。

ただその一方で、実際問題として過去の日本において、津波による被害が起きているということを頭の片隅にでも置かなければならない。対岸の火事で済まされない事態にだって、なりうるのだ。

となると、沿岸住民の防災意識を更に高めるには、日本で起きた津波被害の現状を記録映画として流すしか、方法はないのだろうか。それでも指示に従わない人は出てくることだろう。

いずれにせよ、今回の津波を今後の「教訓」として受け止めなければならないし、明日は我が身だということを、改めて肝に銘じなければならないということを、強く訴えたい。

2009年3月10日

奈良美智、NYで逮捕

美術家の奈良美智さんNYで逮捕、拘置 深夜に地下鉄駅で落書き
2009.3.10 09:46

にらみつけるような視線の少女の絵で知られる著名な美術家、奈良美智さんが先月末、米ニューヨーク市の地下鉄の駅で落書きしたとして逮捕されていたことが9日、分かった。

ニューヨーク市警によると、奈良さんは2月27日午前3時すぎ、ユニオン・スクエア駅で落書きしたとして駅近くの路上で逮捕された。逮捕の際に抵抗し、4つの容疑で訴追された。

逮捕を最初に報じた米芸術系誌「アート・イン・アメリカ」(電子版)によると、拘置は二日間で、逮捕はニューヨークの美術館で約1カ月間の奈良さんの作品展が始まる前日だった。

同誌は奈良さんの話として、拘置中の食事が「ピーナツバターのサンドイッチと牛乳」だったと紹介。違法行為は「二度としない」としながら、「(拘置されなければ)会えないような人に囲まれ、映画の中にいるような体験だった」と語ったという。(共同)

おいおい、高校の先輩が何やってるんだか...。
というか、なんか字面だけを追うと、全然反省していないように思うんですけど。「拘置されたんだけど、俺ってちょっと格好よくね?」みたいな風にも見える...。決して褒められたことではないし、美化すべき話でもありません。これなら、世界遺産に名前刻むようなヤツと一緒じゃないですか。以前ありましたよね?どっかの女子大生がイタリア・フィレンツェで大聖堂に自分の名前を書き記して大問題になったことが。あれと大して変わりないでしょう。芸術家だから寛容される、というものではないと思います。やったことは悪いことなんだし、ちゃんと非を認めて反省の意思表示をしてくださいね。

2008年6月25日

重すぎる責任、軽すぎる処分

岐阜市立女子短大生6人、フィレンツェの大聖堂壁に落書き(読売新聞 - 06月24日 20:37)

岐阜市の市立女子短大(松田之利学長)は24日、学生6人が今年2月に海外研修旅行でイタリア・フィレンツェ市を訪れた際、13世紀から15世紀にかけて建設された「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の壁に落書きしたと発表した。
同短大はイタリア大使館と大聖堂に謝罪し、学生6人と引率教員2人を学長厳重注意処分にした。
発表によると、6人はいずれも現在2年生。大聖堂の大理石の壁に縦約30センチ、横約20センチにわたって、日付や自分の名前、短大名などを油性フェルトペンで落書きした。 同3月、日本人旅行者が発見、同短大に連絡して発覚した。6人は「気分が高揚して書いてしまった」などと話しているという。
同短大は修復費用の負担を申し出たが、大聖堂側から「謝罪してもらえば責任は問わない。費用負担は不要」と連絡があったという。
大聖堂のあるフィレンツェ市中心部は世界遺産(文化遺産)に登録され、景観や環境の保全が義務付けられている。

これだから日本人は...と叩かれ、今どきの若者はこれだから...と叩かれ。
ほんの一部の人間による愚行が、その年代どころか、日本人全員に波及しかねない、とんでもないこととなってしまいました。ご存じのこととは思いますが、あちらこちらで物議を醸すと同時に、物凄い拒絶反応が続出しているようです。

かく言う私も、同感でございます。
本当にこれが、学長厳重注意処分といったレベルで済まされる事なのか、今一度よく考えて頂きたいものです。それとも、処分を重くすることの出来ない大人の事情でもあるのでしょうか?
大学側の甘い処分、そして今になっての発表には、どうも隠蔽体質があるようにしか思えません。
「所詮落書き程度」だから、学長厳重注意処分ですか?
公園のトイレに落書きしたのとはワケが違うのですよ。
世界遺産に落書きしたのですよ。
もう、腹が立つのを通り越して、呆れてしまいました。

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2008年6月 9日

やりきれない事件

秋葉原で起きた凄惨な通り魔事件。
事件の衝撃はもちろんのこと、犯人が青森県に本籍を置く人間で、青森高校卒業だということを知った時、何か心に棘を刺されたような、空しく重い気分になった。

何の関係のない人、それも7名もの命を奪った犯人に対する怒りは、ぶつけどころがない。
歩行者天国にトラックで突っ込んだ後、ナイフで次々と人を刺すという猟奇性はもとより、犯行予告を掲示板に書き込むなど、明確な殺意を持って犯行に及んだことは明らかであり、早い段階での動機の解明と厳罰を望むところだ。

最近、秋葉原を巡っては、無秩序かつ傍若無人で、勝手な素行を繰り返す一部の人たちへの警鐘が鳴らされていたところである。今回のこの事件は、そのこととは何の関係もないと思いたいところではあるが、犯人は秋葉原で歩行者天国が行われていることを承知の上で、静岡県から高速道を利用して、トラックのレンタカーでわざわざ乗り付けたらしく、ひょっとしたらこの事件が発端となって、歩行者天国自体の見直しも図られるのかも知れない。

そんな推測はともかく、亡くなった人たち、そして残された家族の無念さを思うと、察するに余りあるところである。

しかし、こんな歴史上にも稀に見る凶悪な事件が起こっていながら、速報を流すにとどめ、エコ番組を延々と流し続けたテレビ局(番組が、一過性のパフォーマンスで終わらないことを切に願う。個人的にはこの類の番組は、タレントの偽善っぽさが目についてダメ。苦手)。こんな凶悪な事件が起きたのに、現場のすぐそばで行われていたアイドルのイベントやら水着撮影会等、事件との関連性を匂わせながら、全く無縁な記事を掲載したスポーツ各紙(というか、イベント自体を中止にすることなく、時間をずらしてもイベントを普通に行ったというその無神経さを疑いたくなる)。不謹慎とまでは行かないのかも知れないが、本当に伝えなければならない情報、ニュースとは一体何なのだろう。

そして、カメラ付き携帯電話の普及や、ブログという自己主張の場が増えたことで、「にわか報道記者」が増えたことは、今後議論となっていくことだろう。
当時、懸命に救助活動に参加した若者がいた一方、現場に居合わせた人の一部が、当時の状況を動画や画像に撮影し、ブログや掲示板に投稿していたようだ(これは、報道機関が報じるニュースよりも早い「ニュース」となった)。その中でも、被害者の救助に当たることなく、撮影していたことを「楽しんでいた」という発言が、賛否両論を呼んでいるようだ。
(畏友shinyai先生のサイトで知った。>>>「事件現場を撮影することの是非」

僕も2年前、地下鉄表参道駅の入り口に車が突っ込んだ事故の1週間後、研修で表参道を訪ねた時、わざわざその事故現場を見に行ったという経験がある。誰にでも野次馬根性はあるはずだ。ただ、さすがに携帯電話で画像にまで収めようという気はしなかった(もちろんそれは、事故から1週間も経ってしまった、いわば「事故の新鮮さ」が損なわれたということもあったと思う)。

「野次馬」転じて「俄かマスコミ」となる。
誰もが未だ知り得ていない情報を人より早く入手したい。そしてそれを、誰よりも早く万人に知らしめたい。あるいは「話のネタ」として持ち合わせたい。誰もが経験し得ないようなことを経験することで、そのことを自慢したい、という輩もいるはずだ。野次馬とは、所詮そんなものではないだろうか。
僕なんかは、近くに犯人が逃走している状況の中、しかも周囲で被害者が苦しんでいる中で、よくもまあ撮影なんぞできるものだなあ、と思うが、実際、その後のニュースを観ると、各社が「当時の状況」として利用した画像の多くは、その場に居合わせた通行人が携帯電話で撮影したものと思しきものである。

そういう意味でも、「報道の自由」も含めた総体的な報道のあり方、Webの役割など、この事件によって投げかけられた、クリアすべき「問題」は大きいような気がする。

ひとつ望むことは、残忍な事件を引き起こしたから即死刑にしろ、ということではなく、犯人がこういう精神状態に至るまでの背後関係を検証しなければ、奇しくも8年前の同日に起きた池田小殺傷事件の教訓は生かされないだろう(池田小の事件については、結局ちゃんとした動機の解明もされぬまま、被告の死刑が執行されてしまった。)。

犯人がどういった動機をもって今回の犯行に至ったのか、何故こういった事件を引き起こすような人間が生まれたのか、その背景や要因をしっかりと検証しなければならないのではないかと思う。

改めて亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

2008年4月 7日

「8人遭難」の衝撃

5日早朝に発生した、陸奥湾での漁船遭難事故。
第一報を耳にした時は、え?陸奥湾で?と思わず声にするぐらい驚いたとともに、事故現場の場所、そして船が出港した漁港を見て、言葉を失った。

僕は年に何度か漁港に出かけたり船に乗って海からの釣りを楽しんでいるのだが、今回遭難した船が出港した漁港は、まさにその釣りのポイントとしていた一つだった。

しかも、時々仲間と連れ立って船に乗り、陸奥湾に繰り出しているのだけれど、今回事故のあった現場というのは、まさにそのポイント(それも真鯛だけではなく根魚も狙える一級ポイント)だったのだ。

たかが陸奥湾、されど陸奥湾。
僕自身、荒れた時の陸奥湾の恐ろしさを、一度船上から身をもって経験しているので、天候不順の日(とりわけ、風が強い日)は極力釣りに出かけないようにしているのだが、普段平穏な陸奥湾も、地形の関係からなのか、突然突風に見舞われたり、穏やかだった波が、ちょっと場所を変えただけで突然荒れ出したりすることがある。

「8人遭難、行方不明」の報を聞いた時まず頭に浮かんだのは、救命胴衣のことだった。

今回はどうやら8人とも救命胴衣を身につけていなかったらしい...。

海難事故が起こるたびにいつも思うことは、「救命胴衣を身につけていれば...」ということだ。

海上保安庁でも「抜き打ちで」検査をしているらしいのだが、実際のところは、事前におおよその検査時期が知らされているので、その時ばかりは救命胴衣を着用しているようだ。しかし、それ以外の時は、作業の邪魔になるからなのだろう、救命胴衣を身につけている漁師をほとんど見たことがない。

今回もまた、「救命胴衣をつけていれば...」という事態に見舞われてしまったことを考えると、車のシートベルト同様、船舶での救命胴衣の着用は例外なく完全義務化すべきだと考えるし、船舶免許を与えている以上、その罰則規定も強化すべきではないかと思う。

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2008年2月28日

何をやってるんだか...

夜に捜索活動視察=石破防衛相
石破茂防衛相は28日夜、海上自衛隊イージス艦と漁船の衝突事故で、行方不明の漁師父子の捜索に当たっている護衛艦「あけぼの」に乗り込み、捜索活動を視察する。防衛省が同日、発表した。
石破氏は、ヘリコプターであけぼのに移動し、衝突事故で問題となった夜間航行時の見張り員などの監視態勢について確認する。吉川栄治海上幕僚長が同行する。

ハッキリ言って、大臣が捜索活動を視察したところで行方不明者が見つかるとは考えにくいし(それとも大臣は何か「不思議な力」でも持っているのだろうか)、今の状況が好転するとは思えない。一体何をしに行くんだろう、というのが率直な感想だ。大臣と海上幕僚長が護衛官に乗り込む、ということだが、秘書や関係者(それも1人2人ではないだろう)が同行することを思えば、そのエネルギー(時間外勤務に係る経費や搬送費等といった公費)を他に費やすことを考えるべきではないのだろうか。

自分のことを棚に上げて言わせて貰おう。
どうも国のお役所連中は自分たちが一番だという意識があって、自分たちが何とかすればどうにかなるという勘違いを、未だに抱いているらしい。
潜水艦「なだしお」と遊漁船との衝突事故の教訓は、20年も経った今となっては生かされるどころか、とっくに忘れ去られてしまったようだ。

中立的な立場で見た場合、連日のように報じられているニュースを見て違和感があるとすれば、毎回出てくる親戚のオバちゃんが、実はマスコミに仕向けられて「言わされている」のではないかということと、漁船に乗り込んでいた親子が、ライフジャケットを付けていたかどうかということは、ほとんど報じられていないということだろうか。

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2008年2月 6日

二度あることは三度ある。


岡村靖幸容疑者、覚せい剤で逮捕…3度目
2月6日8時0分配信 スポーツ報知

シンガー・ソングライターの岡村靖幸(42)が覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕されたことが5日、分かった。岡村容疑者は02年、05年にも薬物事件で逮捕されており、今回が再々犯。今月14、18、20日にコンサートを予定していたが、すべて中止される。

岡村容疑者は88年にデビューし「イケナイコトカイ」などのヒット曲のほか、川本真琴らのプロデューサーとしても活躍。02年に覚せい剤取締法違反で逮捕された。執行猶予中の05年4月、東京・渋谷のレコード店のトイレで覚せい剤を使用し逮捕。懲役1年6月の実刑判決。

昨年10月には全国ツアーをスタートしたが、11月13日の公演で左ふくらはぎを負傷。全治2か月の診断を受け、ライブ活動を中断していた。18日の名古屋公演はツアーの振り替え公演だった。

朝、電車に乗り込んでこのニュースを目にした時、正直、ドッキリかキツい冗談だと思った。

四字熟語やことわざの中には、似たような言葉でありながら、その時の状況に応じて都合よく使い分けできるものがいくつかある。

七転八倒、七転び八起き、みたいに。

二度あることは三度ある。
三度目の正直。

これらの言葉も同じ「三度」という言葉を含みながら、その意味は正反対のことを指している。
残念ながら今回の一件は、前者となってしまった。いや、もう「残念ながら」などと口にするのもバカらしいぐらい、呆れている。

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2008年1月 9日

司法と私情

「量刑の差に不公平感」 「法律をきちんと判断」 3児死亡事故 懲役7年6月判決 「危険運転」見送り賛否

1月9日10時9分配信 西日本新聞

福岡市東区で2006年に起きた飲酒運転3児死亡事故で、8日の福岡地裁判決は、危険運転致死傷罪の適用を見送り、元同市職員今林大(ふとし)被告(23)に対し、業務上過失致死傷と道交法違反(酒気帯び運転など)の罪を適用し、懲役7年6月(求刑懲役25年)を言い渡した。危険運転致死傷罪は立証が難しいとされる中で、今回の裁判所の判断については賛否が割れており、同罪の適用基準の明確化など、議論を呼びそうだ。

■3児死亡判決骨子
◇被告は事故当時、酩酊(めいてい)状態とはいえず、アルコールの影響で正常な運転が困難な状況にあったとは認められない
◇被害者の車を事故直前まで発見できなかったのは、脇見が原因
◇危険運転致死傷罪は成立せず業務上過失致死傷と酒気帯び運転の罪に当たる
◇結果の重大性、悪質性などから業務上過失致死傷罪の併合罪の最高刑に当たる懲役7年6月の実刑で臨むのが相当

危険運転致死傷罪どころか極刑にしろ!という極論まで出ている今回の判決。この判決に関してのブログや日記を見ると、その多くが「判決に疑問」という内容です。

確かに判決の骨子だけを見ると、これじゃ何が酒気帯びで何が飲酒運転なのか?という疑問も湧いてきますし、時速80-100キロで12秒も連続して「脇見運転」しておきながら、これが危険な運転ではないというのであれば、目隠し運転で初めて危険な運転と認定されるのだろうか、なんていう疑問も沸々と。
感情論だけで言うならば、確かに3人の子供を死なせておきながら、僅か7年6月の実刑というのはどうなのよ!というのもごもっとも(実際僕もそう思いました)。亡くなった3人の命を思うと、最低あと200年は刑を追加してもいいぐらい...。

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2007年5月29日

二つの死に接し、感じたこと

慶応大病院が舞台となった二つの死。

ZARDの坂井泉水さんが亡くなりました。
不慮の事故による突然の死。
死因は脳挫傷ということですが、何故そういったことに至ったのかに関しては、彼女のこれまで生き様同様謎に包まれています。
もっとも、そんなことを知ったところで彼女が戻ってこないのも事実。
事故だったにせよ自死だったにせよ、彼女の歌はこれからも多くの人たちによって、歌い愛され続けていくことでしょう。
しかし、子宮頸ガンの闘病の中、肺へのガン転移が見つかったとのこと。歌うことを生業としている彼女にとって、肺ガンの発覚ほどショックだったことはなかったのではないでしょうか。

僕は熱狂的なファンでもないし、彼女の音楽を熱心に聴いたことなんてほとんどないんですが、かなり近い世代として衝撃を受けたことは事実。
謹んでお悔やみ申し上げます。

そしてもう一人。

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2007年3月27日

小さな心の傷

武富士放火殺人で上告棄却、小林被告の死刑確定へ

2001年、青森県弘前市の消費者金融「武富士」弘前支店が放火され、5人が焼死した事件で、強盗殺人と現住建造物等放火などの罪に問われ、1、2審で死刑判決を受けた無職、小林光弘被告(48)の上告審判決が27日、最高裁第3小法廷であり、上田豊三裁判長は、小林被告の上告を棄却した。
小林被告の死刑が確定する。

判決などによると、小林被告は01年5月、同支店に押し入り、ガソリン混合油約4リットルをまき、「金を出せ、出さねば火をつけるぞ」などと脅したが、支店長らが応じなかったため、火をつけた紙片を投げ入れて逃走。火は混合油に引火し、店内にいた従業員9人のうち、5人が焼死し、支店長ら4人が重軽傷を負った。

あの忌々しい事件から間もなく6年。当時僕は、日本海沿岸に位置する鰺ヶ沢町にある出先機関に勤務。その日は午後から妻の祖母のお通夜が営まれていることになっていたので、午前中で仕事を切り上げ弘前市内に戻る途中だった。

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