2016年1月 7日
2012年4月14日
お前らみたいなヤツは蕎麦喰う資格なし!
今朝、ハナと家の近所の川沿いを散歩していた時に、川の中に佇む一羽の大きな白い鳥と遭遇しました。
鳥の名前と言えばせいぜいニワトリか焼き鳥ぐらいしかわからないのですが、よく見るとその鳥は、川の中に放置された大きなゴミ袋の上に乗っていました。ゴミ袋からは、空き缶やペットボトルが散乱していました...。
昨日Facebook仲間のFさんが、「弘前市内のゴミが酷すぎる」と嘆いていたばかり。
観光に力を入れるのは大いに結構なことですが、雪解け後の弘前市内、道路や川などありとあらゆるところにゴミが散乱しています。
今日はクリーン大作戦も行われていましたが、それにもかかわらず、雪の中に隠れていたゴミは、これからもどんどん出てくることでしょう。
「街歩きの観光」にも力を入れるようですが、ゴミばかりが散乱している街に、観光客が「また来たい」と思いますか?
...という疑問を抱いていたところに、更に追い打ちを掛けるような出来事に遭遇してしまいました。
昼過ぎ、妻と買い物を終えて我が家に帰ってくると、例のごとく隣の蕎麦屋にやって来たと思しき青森ナンバーの「白いアウディ」が拙宅の駐車場に停まっていました。
(※ひょっとしたらこの時点である程度人物が限られてくるかも知れませんが、このまま続けます。)
まぁ、すぐ出てくることを期待して、家の前で待とう...。
ん?よく見ると、停まっている車の助手席のすぐ横に、何かがあります。何だあれ?
何とそれは、ついさっき飲み終えたと言わんばかりの、ドトールコーヒーのプラスチック製のカップ。ご丁寧に、ストローと氷がまだ入ったままでした。
何となく結末の予想はついていたので、こみ上げてくる怒りを抑えながら、白いアウディの持ち主が出てくるのを、まるで蕎麦屋の駐車場が空くのを待つ人のように、車の中でじっと待っていました。
程なく、スーツ姿のオッサンと、その後ろから若そうなオナゴ。こちらもパンツスーツでビシッと身を固め...。
さて、どうするのかと車を移動させながら様子を見ていると、オッサンがアウディに乗り込み、ハンドルを握ります。オナゴはというと、道路に出て白いアウディを誘導。
オナゴに誘導された白いアウディは、拙宅の駐車場を離れ、2軒向こうの家の前に停車しました。
と同時に、おもむろに僕は運転席から降り、そのオナゴの行動を見ていると...やっぱりね。
そのオナゴ、まるで何事もなかったかのように、白いアウディに向かい始めたのです。
「おい!これ、あんたたちのか!?」
語気を強め、例のカップを手にする僕。
するとオナゴ、まるで「あら。気付いたの?」と言わんばかりに「あ、ごめんなさーい。」と僕の手からカップを奪い取り、白いアウディに逃げるように乗り込んでいきました。
久しぶりに怒りに震える感覚。
さて、皆さんならどう思いますか?
そんなの気にしていればキリがない?どこにでもある話?オナゴの顔が見てみたい?そのオナゴとオッサンとの関係が気になる?
僕はこう思いましたよ。
いくら見栄えだけいい格好しても、取っている行動が人間として最低!もしもこんなヤツが弘前市民なら、ホントがっかり。自分が良ければそれでいいんだろうね。人間としての資質を疑うよ、ホントに。あんたらに悪気はないんだろうけど、絶対に許せないし、許さないから。
まぁ、走り去る白いアウディのナンバーも見ちゃったんですが、それは敢えて伏せておきましょう。
最後に一言。
お前らみたいな連中、二度と家の近くに来るな!バカ!!
2012年2月22日
ここまで来た風評被害
那覇市が本県の雪使った行事中止
那覇市は21日、本県の雪を使って、市内の児童館広場で23日に開催予定だった恒例の行事の中止を決めた。東日本大震災後に沖縄県に避難した住民らから「放射能の影響が心配だ」との声が出たのが理由。本県などによるモニタリング調査では、空からの降下物に異常は見つかっていない。那覇市の担当者は「検査では安全だが、避難者の不安に配慮した」としている。
(平成24年2月22日付Web東奥)
このニュースには心底ガッカリしました。
不安の声を上げたのが沖縄県民ではなく、避難していた住民だというのだから、なおさらガッカリ。というか、何か悲しくなってきましたよ。
あんたら、どういった見聞、知識を持って避難してるの?と激しく詰問したい!
一方、沖縄の新聞ではどう報じられていたかというと...
那覇市が雪遊びイベント中止 放射能不安で要請受け
那覇市は21日、那覇市松尾のにぎわい広場で23日に開催予定だった青森県から運んだ雪を使った雪遊びのイベントを中止することを決めた。放射能汚染を恐れて沖縄に避難してきた幼い子どもを持つ保護者らが20日、雪の放射能汚染や子どもの被ばくを不安視し、市にイベントの中止を求めていた。
同広場内にある久茂地児童館で21日に行われた保護者に対する説明会で、那覇市平和交流・男女参画課の比嘉勉課長は「中止を求める意見書に名前を連ねた大半が自主避難者だ。被ばくを恐れて避難して来た方々の放射線の汚染に対する心情に配慮して、中止を決定した」と説明した。
市担当者は20日、県外からの避難者らに対し、イベントで使われる雪に関する青森県側の調査記録を示し「危険との認識はない」と説明していた。しかし、避難者からは調査結果を疑問視する声やイベントの中止を強く求める声が相次いだ。
横浜市から昨年10月に家族で避難してきたという久野綾子さん(34)は「他の児童館でもイベントが予定されているのなら、久茂地児童館だけでなく、他の児童館も同じように中止してほしい」と訴えた。
1995年から毎年、雪を輸送している海上自衛隊第5航空群は那覇市役所の要請で、取りやめを決定した。
(平成24年2月22日付琉球新報)
あのさオメダヂ、どごまで気揉めば気済むンダバ...。
那覇市の対応にも疑問。「検査では安全」だというのであれば、何故そのことをちゃんと(ピシャリと)伝えることができなかったのでしょう。
青森県民の一人として、凄く憤りを感じています。
那覇市関係者の方に聞きたい。
青森県から運んだ雪のどこに、どういった悪影響があるのですか?これが「不安に配慮」するということなのであれば、金輪際、東北からのものは一切受け付けないということですか?
不安を口にした住民の方に聞きたい。
何か裏付けがあって「不安」を口にされているのですか?青森県の雪から高い数値の放射線が測定されたのですか?それとも、青森県が福島県と同じ東北にあるからですか?福島第一原発と青森県って、どれぐらい離れているか知ってます?青森県の場所ワガルガ、綾子!?
東北だから、青森だからといって根拠のない不安ばかりを口にして、更に人々の不安を増幅するのはやめて頂けませんか。東北の人たちは一日も早い復興に向けて努力しているのに、日常の生活を取り戻そうと日々奮闘しているのに、どうして水を差すようなことをするんですかね。
避難された住民の方々に不安を与えないためにも、東北からの観光客を出入り禁止にして頂けませんか?さもなければ、那覇空港の到着口に、除染のための装置を設置して頂けませんか?
Facebookにも掲載しましたが、今一度青森県民の一人として、反論覚悟で意見を述べさせて頂きます。ただし、津軽弁で。
オメダヂ、ドモナンネダゲウダデグハンカクセンデネナ、コノタナ。
青森の雪サ、ナニホド放射線含まれデラって?ナンボ身体サ影響あるって?根拠もネクセしてホンズネゴト喋るナジャ。
オメダヂ持ってラ何とかカウンターで、防護服借りデ雪トバ測ってみればイイッキャ。それがらモノ喋ろジャ。
オメダヂミンタハンカクセヤヅダッキャ、イラネゴド喋スナ。東北の人ダヂケッパッテラドギニ、アシフパリこの。オメンドダッキャ3月11日、アホヅラコイデ黙祷ダノスナヨ。
ナンド青森サ来るんだッキャ、ワッキャプタステケルハンデナ!
青森県のスキー場関係者の皆さん!即刻スキー場を閉鎖した方がいいですよ!放射線に汚染されてるみたいですよ!スキー場に行かれた皆さんも、今すぐ病院に行って検査受けて下さい!
あ!今年は雪が多かったからなぁ。一杯雪かきしたしなぁ...。数年後には俺も甲状腺ガンか...。あーハンカクセ。
2012年2月14日
インフルエンザ「感染」記
今年は厄年。
今年の目標は「耐」です。と声高に宣言した今年の元旦。
雪が多いのは致し方ないとして、2ヶ月続けて高熱にうなされるとは、しかも、インフルエンザにまで罹患するとはさすがに思ってもみなかった。
流行り物が嫌いではない、むしろ好きな方とはいえ、この流行には乗っかりたくなかったなぁ、というのが正直なところだ。
顛末はこうだ。
先週月曜日にグループ員の一人がインフルエンザの兆候を見せ始め、翌日インフルエンザ陽性の診断を受けて休暇に突入したのが発端だったのでは、という声もあったが、弘前・青森間を電車通勤するという立場上、不特定多数の人たちと1時間近く密室に近い車内に閉じ込められていることを鑑みても、いつ発症しても不思議ではなかった。
水曜日あたりから喉の痛みを覚えるようになり、法人向けの説明会が行われた木曜日午後には、既に咳が出始め、頭がボーッとするという自覚症状。関節も痛い。この頃からグループ員からインフルエンザを怪しむ声が出始めるが、何の脈絡もなく「違うよー。」とやんわり否定。
しかし帰宅し、体温を測定すると37.6度まで熱が上がっていた。
これはやられた!かも知れない...。
翌金曜日はマネージャーの休暇が既に決まっていて、僕も休むわけには行かない。騙し騙しでもいいから出勤しないと...と、普段ではあり得ない時間に就寝、翌朝の体温を36度台まで下げることに成功(?)、とはいえかなりギリギリの状態で何とか金曜日の仕事をこなした。
土曜日。
身体がだるい。が、体温は36度台と大したことではない(実はこの時、どうも体温の測定を誤ったようだ)。妻が出勤だったため、頼まれていたことをとりあえずこなして、文藝春秋を購入してきたあと、ひたすら惰眠、惰眠、惰眠...。食欲もそれほどあるわけでもないし、まずもってアルコールを身体に入れたいという気分になれないのだ。やっぱりこれはおかしいぞ...。
日曜日。
身体のだるさが依然として抜けないため、再度体温を測ると、今度は38度を軽く超えていた。もはや感覚が麻痺していたのだろうか、関節の痛みはまるで感じなかった。この時点でインフルエンザに罹患したことを確信。幸い休日診療を行っている医療機関が我が家から車で5分も掛からないところであることを知り、9時の診療開始15分前に病院に到着。
聞いたところでは、弘前総合保健センターは急患含め1時間以上の待ち時間を要するとか。とりわけインフルエンザを発症した患者も相当数いるらしく、個人的にはもし日曜日の休日診療を利用するのであれば、医師会の当番医に診てもらうことをお勧めしたい。
僕の順番は2番目であったが、結果は推して知るべし、だった。A型のインフルエンザだそうだ。
今日から5日間は出勤はもちろん、急を要する以外の外出を控えることなどの指導と、タミフルの処方を受けて帰宅。この時点で頭がガンガン痛み始めていた。
考えてみると、生まれてこの方何度インフルエンザに罹患したかわからないが、少なくとも四半世紀ぐらいはインフルエンザに罹患した記憶がない。実際この年になってインフルエンザに罹患してみると、何をどうすればよいのか、まるでわかっていないことに気付く。とりあえず処方されたタミフルを服用し、ただひたすら寝る。
熱は38度前後を行ったり来たりの繰り返し。イベント等で盛り上がっていた弘前市内、僕の楽しいはずの週末は、暗澹としたままこうやって過ぎていった。
月曜日。
37.3度まで熱は下がってきたが、頭痛が酷い。あまりに酷すぎて、何もする気が起きない。食事を口にするのも僅かだけ、ただ寝ていても腰が痛いし、寝返りを打つと今度は頭が痛い...と、一体どうしていいのやらワケがわからん!といった状態。
それでも、午前中ちょっとだけ楽になった時間を利用して、文藝春秋に掲載されていた芥川賞受賞作の「共喰い」を一気に読み終えたが、内容が内容だけに、かえって具合が悪くなったような気分になった。
布団の上を何度もごろごろしながら、頭痛と発熱との戦い。インフルエンザというのはこれほど苦しいものだったのか。
気力と体力がどんどん奪い取られていくような感覚。夕方になってようやく眠りについたようだが、目が覚めてもいっこうに頭痛だけは拭い去れなかった。
火曜日(今日)。
マスクを取った自分の顔を見て愕然とする。そういえば、金曜日の朝から一度も髭を剃っていない。白い物のだいぶ混じった無精髭。生気のない顔。自分の顔とは思えぬほど情けない顔だ。熱は平熱に戻ったが、頭だけはガンガン痛む。もう、これさえなければ何とかなりそうなのに!この頭の中に手を突っ込んで、痛みの根源を取り去ってしまいたい、そんな衝動にさえ駆られそうだ。
昼になり、遂に我慢の限界を超えた。もう無理。耐えられない。タミフルとは違う市販の頭痛薬、バの付く薬を一つだけ服用してみた。
3時間後。
それまでの痛みの根源はどこへやら、何事もなかったかのように、数日ぶりにスッと頭の回路が元に戻ったような感じだ。それはちょうど、奥羽線の除雪がようやく終わって平常運転に戻った時にも似た、安堵の感覚。
咄嗟に思い浮かんだこと。今しかない。
風呂場へ急行し、ボサボサになっていた頭、そして全身を洗い流し、綺麗に髭も剃り落とした。
暗澹としていた気分も少し晴れ、ようやくインフルエンザからの苦しみから解放されるかも知れない、そんな期待感を抱けるところまで気力は回復。
体重計に乗ってみると、予想通り結構体重が減っていた。65.3キロ。そりゃそうだ。ここ4日間ビールは飲んでないし、ご飯だってホント茶碗に僅かしか食べようと思わなかったのだから。
ただ、この体重の減は脂肪ではなく間違いなく筋肉そのものの減。だから筋力も相当落ちていることだろう。
残り2日間でこれをどうやって元に戻していこうかな、なんて考えるぐらいだから、気力もそれなりに回復し始めているということかな。
あ、頑張ってなんて言わないで下さいね。僕にこれ以上何を頑張ればいいんですか?って逆に問い詰めますからね(笑)。ということでこの調子だと今春は、いよいよ花粉症を本格的に発症すると見た。
2011年2月22日
自分のイヤなところ
節目節目で迎える面接において、想定問答としては必須とも言うべき「自分の長所・短所」を考えたとき、結局自分を賞賛することへの抵抗(恥じらい)から、短所ばかりが浮かび上がってくるのと似たようなものだ。自己分析・自己表現ができるか、ということにも繋がるのだろうが、そういう意味でも僕はかなり自己分析・自己表現が劣っている、ということなのだろう。
先般の審議会の議事録起こしのため、ボイスレコーダーを再生したところ、自分の口調が強烈なぐらい父に似てきていることに気づいた。
と同時に、その審議会の場において一人だけ、自分でも赤面するぐらい訛りがきつくなっていることに気づいた。さらに、自分で確信が持てないところになると、どうしようもないぐらい早口でまくし立てている。
会議の場で説明するスピーカーとしては、最悪のモデル。これが宴会の司会になると急に滑舌が良くなるんだから、どうしようもない。
かれこれ40年、早口でわかりにくい、という批評はいろんなところで聞かされてきたので、昨今は電話でも打合せの場でも極力ゆっくり話しているつもりなのだが、気がつくとメトロノームのテンポがどんどん速くなっているらしい。
しかし何より自分のこの訛り具合にはちょっと衝撃を覚えた。そういえば妻と付き合い始めた当初、妻の友人がこぞって「のんべ君は訛りがきつい!」という事を言っていたことを聞いたことがある。それはそれでショックだったのだが、如何せん生活環境がそういう場所なんだから、こればかりはいくら矯正しようにも矯正することができないと割り切っていた。
しかし、さすがに仕事に就くようになってから気をつけるようにしていたのだが、改めて自分の話している口調を聞いてみると、僕の訛りは弘前市民としては結構キツい部類に入るのかも知れない。
まぁ、これを治すとすれば、僕の場合まず先に歯の治療をしなければならないような気がするんだけど...(謎)。
ところで皆さん、自分の好きなところ、長所、三つ挙げることができますか?
僕はやっぱり「うーん...。」でした(笑)。
2010年12月24日
まさにベリー・苦しみます。
多分今までで一番悲惨なクリスマス・イヴ。ま、うちは曹洞宗なのでクリスマスは関係ないんですけど。ただ、今朝のツイッターへの投稿から伏線は始まっていたみたいです...。 以下、今日の投稿です。
おはようごす。本日、北日本は暴風雪のため、只今トナカイとソリの運行を見合わせております。運行再開は未定となっておりますので、あらかじめご了承下さい。サンタクロース事務局より。
posted at 07:21:11
サンタさんへおねがい。ゆきがたくさんふってきました。かぜもつよくなってきました。こんばん、かえりのでんしゃをちゃんとはしらせてください。
posted at 09:08:02
今日と明日は雪だるまが斜めになる天気予報。こういう天気の日は、風の強い地域は大した積雪にならないけれど、風のあまり吹かない、例えば弘前とかは結構積もりそうな気がする。
posted at 17:10:02
本日、強風の影響により、トナカイソリは全区間運休となります。なお、代行バス等の運転の見込みはございません。ご利用のお父様お母様並びによい子の皆様にはご迷惑をお掛けしますが、何卒ご了承賜りますようお願いします。 サンタクロース事務局。
posted at 17:36:48
奥羽線、寝台特急の運休のみならず、普通列車にも運休が出始めている。トナカイのソリどころの話ではなくなった!
posted at 18:13:17
結局18時33分発の快速に乗り込んだ。ただしこの列車、弘前の二つ手前の川部から五能線に入るため、同じ五能線弘前行きに乗り換えなければならない。この悪天候で五能線がまともに動いているとも思えず、ある意味賭けなのだ。
posted at 18:26:51
乗り込んだ列車がなかなか出発しないところに「運転の見込みが立っていない」というふざけたアナウンスが流れた。またしても信号トラブルらしい。ふざけるなよ、JR!いい加減にしてくれよ!
posted at 18:38:00
18時59分頃に出発見込みのアナウンス。ということは18時59分発の奥羽線弘前行も運休なのか?ワケわからん。とにかく早く家に帰してくれ!これではJRに軟禁されてるようなものだ。
posted at 18:48:43
しかしこの快速の車掌、全然仕事しねえな。その後のアナウンス全くなし!アナウンスされた予定時刻を過ぎても、出発する気配もなし!
posted at 19:05:50
出発見込みが19時25分になったと今頃アナウンス。動かぬままもうすく1時間経過。ついさっき到着した新青森行の特急が先発した。毎日利用する奥羽線通勤組が、いかにないがしろにされているかが垣間見える。
posted at 19:14:44
こんなに待たされるんだったら、いっそのこと残業してればよかったな。非常に無駄な時間をJRに奪われている。今晩は早く帰って同期会の資料を作成する筈だったのに!
posted at 19:20:53
@G_0 JRは新幹線の接続ばかり気にして、通勤客は蔑ろ。ホントに酷いよ、特に奥羽線は。
posted at 19:26:08
ハイ、三たび出発時刻変更。車掌が何言っているのか全然聞こえないし。
posted at 19:28:50
1時間遅れてようやく出発。次の新青森駅から新幹線の乗換客がドッと乗り込んで来るのだろうか。2両しかないのですよ!
posted at 19:37:49
1時間以上列車内で待ちぼうけ食って、しかもこのあと何時に着けるかもわからないようなクリスマス・イブはちょっと虚しく悲しいです。
posted at 20:09:34
弘前の二つ手前、川部駅から代行バスに乗せられた。ジシイのトイレを待ってようやく出発。トナカイとサンタクロースをバカにした天罰かも知れない。
posted at 20:26:17
ようやく弘前駅が見えて来た。乗車してから約2時間30分。全く無駄な時間を費やした。何の代償もないのが実に癪だ!
posted at 20:48:47
2010年8月 9日
酷寒のみぎり...
土曜日。前日、猛暑日に見舞われた青森市内、扇風機一つで日中をしのいだ疲れがドッと出てきたのか、まずもって何かをしたいという気力が全く出てこなかった。
しかし、かといって何もせずにゴロゴロしているわけにもいかず、取り急ぎ来月初旬に差し迫った三回忌法要の案内状作成に取りかかった。
案内状を出す相手はほぼ決まっていたし、案内文の素案も既にできあがっていたので確認してもらい、字体や大きさなど了解を得て、作成から約1時間で印刷、完成。ハイ、一丁上がり。
...ところが、妻から「ねぇ、これって違うんじゃ...」と指摘を受けるまで全く気づかなかった凡ミス発覚。
なんと、「酷暑のみぎり」と入力したつもりが、「酷寒のみぎり」と入力していたのだ。
一枚一枚葉書を読み返した途端、暑さでゆるゆるだった股間が縮み上がるような思いだった。
弘前市は朝から気温が上昇し、日中も35度近くまで気温が上昇している中、「酷寒」はないよな...とかなり凹みながら、修正ペンで「寒」を「暑」に修正。作業している間、あまりの自分の凡ミスに呆れるあまり、頭から湯気が上っていたらしい。くそー。誰か確認したときに気づけよ、と責任転嫁したくなったが、そもそも間違いに気づかず入力した僕が悪い。
「イラ菅」ならぬ「イラのん」なのだ。
で、45枚の往復葉書全ての修正を終え、無事投函。
暑さのあまり、思考回路も判断力も停滞している、といいたいところだが、僕の力量のなさを露呈した格好に。要するに、そんな凡ミスにも気づかないほど要領を得ないということなのだろう。嗚呼、反省...。
2010年7月27日
健康診断の結果
結果は「要観察」。
指摘を受けた軽度異常は、血圧、γ-GTP、GOTの三つ。
昨年の人間ドックでは、肝機能関連の数値が軒並み基準の範囲を超えていて、その結果「肝機能障害を発症しています。要精密検査」というレッテルを貼られてしまいました。
かかりつけの医師に診察をお願いしたところ、こんなことを言われました。
「あなたのお父さんは、あれほど酒を飲んでも肝機能の数値が極端に悪くならなかった。でも残念ながらあなたは、お父さんに似た肝臓の持ち主ではないので、お父さんのようなペースで酒を飲んでいると、いつか必ず身体を壊しますよ。」
毎日の晩酌を欠かさず、土日になると何も予定がなければ昼からビールを飲んでいた父。
確かにあの父のような飲み方をしていたならば、僕はとっくに身体を壊していたかも知れません...。
さて、今回送られてきた結果と、昨年の人間ドックの結果を比較してみたのですが、検査項目にないものもあったので、一概には比較できません。ただ、全体的な数値そのものはある程度改善されているような気が...。
また、肝機能関連の数値が基準値内に収まっていないのは今に始まったことではありませんが、年々悪化することなく、むしろ今年に至っては昨年より数値が改善されています。
しかし検査結果を比較しているうちに、あることに気づきました。
昨年受診した人間ドックの実施結果に記載されている基準値を見ると、今回受診した僕の数値は、いずれもその範囲内に収まっているではありませんか。
余談ではありますが、今回の血圧だって132-77で、今回の定期検診では最高血圧が129以下であることが基準値となっている(結果、最高血圧がやや高めということで「軽度異常」の判定)一方で、昨年受診した人間ドックでは、最高血圧の基準値が135以下となっています。
つまり、昨年受診した人間ドックの基準値と照らし合わせると、僕の身体はほぼ基準の範囲に収まっている、ということは、昨年の基準値に照らした場合、僕の身体は「異常なし」ということになるのでしょうか???
これにはちょっと混乱。
受診する医療機関によって基準値が異なるのか、それとも検査方法が異なるのか...。
どうもこのことに疑義を呈している人は僕だけではないらしく、全国的に統一された基準値を用いるべき、という意見も実際あるようです。
もちろん、僅かな基準値の差異に目くじらを立てながら一喜一憂するぐらいなら、日々の生活の中で自己管理をすることが最も重要なことだと思います。
しかし、指針となるべき基準値が受診機関によって異なるというのは、いかがなものなのかと思ってしまうのです。
まぁ、僕の場合はいずれもぎりぎりの数値で軽度異常かそうでないか、というところにありますので、どちらに転がっても養生しなければならない、ということは否定しません。
ただ、例えば本来異常ではないものまでを軽度異常と判定し、医療機関での更なる検査を勧めるのは、医療機関に対する利益誘導を検診機関が意図的に行っていると思われても仕方ないのでは、とか考えてしまったわけです。
しつこいようですが、もちろん日常の生活における自己管理が最も大切であることは紛れもない事実。
前回指摘された数値を少しでも改善しようと日常的に運動することを心がけているわけですし、実際それが実を結んでいる、ということも数値になって表れてきました。
ただ、その指針となるべき基準値が受診機関によって異なるとなれば、一体何を指針とすればいいのでしょう。
ストイックな生活を心がけ、最も厳しい数値を指針とすればよいのか、ある程度緩めの数値を指針としながら、快楽主義に走るべきか...。
なかなか難しいところです。まあ、もちろん僕は前者を選ぶつもりですけれど(ニヤリ)。
2010年7月12日
帯状疱疹を発症しました
Twitterでお知らせしましたとおり、私、病にやられました。
沖縄に出発するその日の朝、背中にむず痒さを感じ、腰のあたりを見ると、大量の湿疹を発見。あせも?虫さされ?いろいろ頭を思い巡らせているところに母が一言。「それって、帯状疱疹なんじゃ...。」
もう何年前のことかは忘れましたが、帯状疱疹を発症し、七転八倒する母の姿を知っている私、母から告げられた残酷なその一言に動揺を隠すことができぬまま、機上の人となったのでした。
旅行中はまさに騙し騙しの日々。きっと虫さされか何かにかぶれたのだろう、と頭の中に思い描くも、常に帯状疱疹の可能性を強く意識せざるを得ず、あとは万が一にもそうではないことを祈るしかありませんでした。取りあえず地元の薬局で購入した虫さされ、湿疹用のクスリを塗りたぐっていたのですが、一向に収まる気配はなし(そりゃそうだ)。
土曜日夜に帰宅後、これが帯状疱疹であることをほぼ確信した私、翌朝近所の病院に駆け込んだのでした。
診察の結果はやはり「帯状疱疹」。帯状疱疹は早期治療が肝心であり、なぜ早く治療しなかったのかをやんわりと咎められましたが、まさかそんな大事になるとは思ってもいませんでしたし、発症してしまったものは仕方がありません。(これはうちの家族全員に共通することですね。大事に至るまで病院に行かないという...。)
結局抗ウィルス剤などを処方され、取りあえず月曜日から水曜日までは、仕事の後必ず病院に足を運ぶよう指導を受けました(患部の消毒のため?)。
鏡で見ると、右の腰のあたりから臀部の上部にかけ、紫がかった疱瘡が点在しています。医師からは、入浴しても構わないが、絶対に水痘の皮を破らないことを、強く言われました。これが破れると、神経が露出し、死ぬほど苦しい思いをする羽目になると脅されました。
いや、万が一のために痛み止めの座薬を処方されたことを考えると、これは単なる脅しではなく、この痛みが想像を絶するようなものだということなのでしょう。実際、妻の知り合いには帯状疱疹が原因で入院した人もいたそうです。
帯状疱疹は50~60代からの方に多く見られる症状ですが、最近では20~30代の人にも多く見受けられ、その要因としては、強いストレスや疲れが挙げられるそうです。
振り返ってみると、確かに先月下旬から公私ともにかなりハードな日々を過ごしていました。なので、こうなってしまうのも仕方なかったのかも知れません。
痛みの種類は人によってさまざまなようで、耐えることのできない強い痛み、我慢できる程度の痛み、全く痛みを伴わない場合もあるようです。
僕の場合、現時点では中程度のようで、動くのもままならないような激しい痛みはまだ生じていません(こういう時、デスクワークで本当に良かったと思います)。ただ、今後症状がどのように変化するかは予断を許さない状況であり、引き続き注意深く、慎重に日常生活を送らなければなりません。
帯状疱疹はいわゆる切り傷や虫さされのような外傷とは異なるため、内面から治療するしかありません。なので今は、仕事をしながら免疫力を高めていくしかないようです。ただ、チクリチクリの頻度が以前より増しているような気が...。
帯状疱疹は、一度罹患すればあとは発症するケースは例外を除いてほとんどないらしいとのことですが、何でこのタイミングで発症するかな...(凹)
2010年4月15日
胃痛再発
とはいえ僕がこれからやらなければならない仕事全体の中身については、まだ100のうち3ぐらいしか頭に入っていなくて、内心「何で僕がこの職場に来ちゃったんだろうなぁ...」という自問自答を繰り返す日々。もちろんその答えを見いだすことなんて無理なんですけどね...。多分、来年の3月末になって「ああ、こんな感じなんだ」というのが明らかになることでしょう。まずは1年間過ごしてみないと、ペースが掴めないような感じです。
ちなみに、新しい職場がどれぐらい異質(というか奇妙)なのかといいますと、その気になれば一日中誰とも会話することなく終わる日があってもおかしくありません。別に個室になっているわけではありませんし、仕切りがあるわけでもありません。向かいにも横にも後ろにも人がいます。書類が山積みで誰も見えないとか、そういうこともありません。でも、それぐらい妙な緊張感と、不思議な空気が漂っています。
正直、環境も仕事の内容も全然違う職場ということもあってなのか、最近は本格的に胃が痛くなってきました。10年ぶりにも似たようなことがあって、久しぶりの感覚。ちなみにその時は急性胃炎と診断されましたが...。
その割には全然痩せることもなく、日々のストレスから酒量ばかりが増えていくという悪循環に陥っておりまして、このままでは早い段階で身を滅ぼすこと必至。
まぁでも、楽しようと思えばいくらでもできるわけですが、これも僕に課せられた試練なんだろうと割り切るようにしたいと思います。
ただ、こういう自己分析をすることもままならないぐらい、余裕がなかったし、痛みなんて全然感じなかったんだよね、実際...。