2016年4月11日

「東北まちづくりオフサイトミーティング第25回八戸勉強会」が開催されます!

「東北まちづくりオフサイトミーティング」は、「敷居は低く、されど志は高く」を合言葉に、まちづくり・組織づくり・人づくりを目指し、自治体や民間企業の職員・学生など様々な立場の人が交流・情報交換する組織です。 これまで東北地方の各地で勉強会を開催してきましたが、青森県内では弘前、三沢に続いて3度目の「東北まちづくりオフサイトミーティング」の勉強会が、5月14日に八戸市で開催されます。 青森県は3月の北海道新幹線開業や中国との定期航路の開設に向けた取組など、相変わらずホットな話題に事欠きません。が、その一方で、県内の人口がついに130万人を割り込む見込みとなるなど、取り組まなければならない喫緊の課題もあります。 国内の地方が抱える「悩み」「弱み」は、恐らくどこも似たような感じなのではないかと思います。地方分権とは名ばかりで、結果的に一極集中型となっている社会構造、国内全体の人口が減少しているという現実の中、各地域の人口減をどう食い止めるか(あるいは人口を増やすか)躍起になっているのは、多分どこも一緒ではないでしょうか。更に追い打ちを掛けるかのように若者の流出による第一次産業を中心とした後継者不足、そして郊外型店舗やコンビニの進出による旧来型商店の弱体化、町内会をはじめとする地域コミュニティの衰退...などなど。 こうすればいいのに、ああすればいいのに、オレだったらこうしたいのに、ああしたいのに...色んな思いを抱いていてもなかなか形にすることができないというもどかしさ。どうせ一人じゃ何もできない、というのであれば、同じ志を持つ各地の仲間とともに考え、その思いを共有してみませんか。 東北まちづくりオフサイトミーティングは、そんな「きっかけ」を提供してくれる場でもあると思います。 今回は、「地方の夜明け 樋渡社中みちのく八戸編」をテーマに、いわゆる「TSUTAYA図書館」の導入で(良くも悪くも)話題となった、元佐賀県武雄市長の樋渡啓祐氏による基調講演の他、県内で活躍するお二方の事例発表を予定しています。 そして座学のあとは、(事実上のメインイベントである)懇親会で、八戸市の夜を楽しみましょう。 翌15日は、八戸市蕪島から福島県まで続く「みちのく潮風トレイル」のプチ散策を予定しているとのこと。参加者も全国から続々と集まっているようですので、興味のある方は是非会場に足を運んでみませんか。 私事ではありますが、実は5月8日に「八戸うみねこマラソン」に出場予定。(2年ぶり2度目、ハーフマラソンを走る予定。) なので、八戸市に立て続けでお邪魔する予定です。(...といいつつ実は今週末も八戸市を訪れる予定なのです。) そう考えると、別に「八戸うみねこマラソン」に出場しなくてもいいんだろうか(笑)。 ...いや、出るんですけどね。 以下、公式案内から。 **************************** 12718091_785678264865797_4024563623357163827_n 東北まちづくりオフサイトミーティング第25回八戸勉強会 「地方の夜明け 樋渡社中みちのく八戸編」 都会への若者の流出や少子高齢化、価値観の多様化、そして1億総活躍社会の実現に向けた社会の動きなど私たちを取巻く環境は転換期を迎えていると言っても過言ではありません。 このような時代の中で、市立病院の民間移譲やSNSを活用した情報発信、市立図書館の指定管理者制度導入など斬新な発想と様々な政策を実践し続けてきた樋渡啓祐氏をゲストにお招きし、これからの地方のあり方についてお話しいただきます。 また当日は、青森県内で住民と一緒に様々な活動に取り組み“おもい”を“かたち”にしている、2人のキーパーソンから活動や地域に対する“おもい”、そして活動の内容について事例発表をしていただきます。 樋渡氏の講演と事例発表から、これからの地方のあり方について参加者で考え、また青い森に吹く新しい風を感じていただければと思っています。 ◎勉強会 ○開催日 5月14日(土)13時~17時(受付11時~・開場12時) ※早めに受付を済ませていただき、八戸市中心街でのランチや街歩きをお楽しみください。 ○会場 八戸市公会堂 文化ホール (青森県八戸市内丸1-1-1) ○ゲストスピーカー 基調講演「地方の夜明け 樋渡社中みちのく八戸編」  講師・樋渡啓祐氏(元佐賀県武雄市長) 実践事例発表「青い森に吹く新しい風~私の“おもい” 私の“カタチ”~」 発表者 市民集団「まちぐみ」 組長 山本耕一郎 氏 たびすけ(合同会社 西谷)代表 西谷雷佐 氏 ○スケジュール 12時    開場 13時    開会 13時15分 事例発表&トークセッション 14時50分 休憩 15時    基調講演(樋渡啓祐氏) 16時45分 写真撮影&閉会 17時    終了 ○定員 400名(どなたでもご参加いただけます) ○参加料 1,500円(大学生500円、高校生以下無料) ◎交流会(懇親会) ○日時 5月14日(土)18時~20時 ○会費 4,500円 ○場所 Dining 六助(青森県八戸市長横町4-8) http://dining-rokusuke.com/ ◎エクスカーション(みちのく潮風トレイル体験版) ○日時 5月15日(日)8時30分~11時 ○集合場所 JR八戸線 鮫駅 ○解散場所 JR八戸線 種差海岸駅 ○参加料 無料(※ただし、集合・解散場所までの交通費などは実費負担となります。) ○内容 「みちのく潮風トレイル」とは、東北地方太平洋沿岸地域に整備するトレイル(※)コースのことです。今回は八戸・階上区間のうち、鮫(蕪島)~種差海岸間を体験いただきます。 環境省では、東日本大震災からの復興に資するため、森・里・川・海のつながりにより育まれてきた自然環境と地域のくらしを後世に伝え、自然の恵みと脅威を学びつつ、それらを活用しながら 復興することを提唱し、平成24年5月に「三陸復興国立公園の創設を核としたグリーン復興のビジョン」を策定しました。このトレイルコースもそのプロジェクトのうちの1つです。 ※トレイルとは、森林や原野、里山などにある「歩くための道」を指す言葉です。歩くスピードで旅することで、車の旅では見えない風景、歴史、風俗や食文化などの奥深さを知り、体験する機会を提供するものです。 申込みサイト http://kokucheese.com/event/index/386123/

2015年12月21日

「まわしよみ新聞」のこと

毎朝、職場で2つの新聞を読み漁り、業務に関連するような記事をピックアップする、という作業が私の日課となっています。 その日その日でたくさんの記事が掲載されていることがあれば、ほとんど掲載されていないということもあります。恐らく、3月11日が近づくにつれ、そのボリュームは増えていくことになるのでしょう...。 「まわしよみ新聞」というのを御存知でしょうか。もちろんこの記事にたどり着いた方の中には「そんなの知ってるよ」とか「やったことあるよ」とか、ひょっとしたら「何を今さら...」と思われる方もいらっしゃるかも知れません。 実は先日、この「まわしよみ新聞@青森」に参加してきまして、色々思うところがあったものですから、今日はそのことをネタにしようと思います。 まず、まわしよみ新聞が何なのかから説明しようと思いましたが、詳細に書かれた公式サイトがありますので、そちらをご覧ください。 うちらが学生だった頃は、雑誌「宝島」に「VOW」という読者投稿のコーナーがあって、それをまとめた書籍も販売されていました。(今はウェブサイトがあるみたいです) その中で登場していたのがあり得ない新聞の誤植や変な新聞記事だったのですが、実は私、高校生の頃にそれを真似て新聞を切り取り、ありもしない記事や番組紹介を作り上げるという実にくだらないことを、ごくごく一部の仲間の間でやっていました。(...って私は一体、どんな高校生活を送っていたのでしょう。) このまわしよみ新聞は、ネタを探すという点では共通していますが、自分が共感した記事や人に広めたいと思った記事を切り取るというものです。うちらがやっていたような、記事を捏造するものではありません。 何が凄いかといいますと、これ、「完全フリー&オープンソース」なんですね。つまり、別に許可なくとも誰でもやれるし、営利を目的としてやるんだったら御自由にどうぞ、ということ。 で、実際やってみるとホント楽しい。学校の教材なんかでも使えそうな感じ。切り取った記事を模造紙等に貼り付け、コメントや色んなことを書き添えていく。例えるならば、恐らく誰でも作ったことがあるであろう壁新聞、あれに近い感じでしょうかね。 年齢や性別にとらわれることなく、自由に参加することもできるし(実際、青森でのワークショップには小学5年の児童が参加、発表の際には自分の意見もしっかり述べていて、オジさんはちょっと感動してしまいました)、コミュニケーションツールにもなるわけです。 新聞 で、私が参画したグループは4人の構成だったのですが、年齢層がそれなりに近いということもあって、和気藹々とした雰囲気で進んでいきました。 机上に置かれたたくさんの新聞、これが地元紙のみでなく全国紙や業界紙など、いろんな種類の新聞があったり、昭和30年代の頃の新聞の写しがあったりと、ちょっとした新聞アーカイブスみたいな感じ。 多分、一般紙だけじゃなくスポーツ紙とか駅売りされているちょっと変わった新聞があっても、楽しいんだろうな、と新聞を切り取りながら考えていました。 DSC_9906 DSC_9912 ちなみに私がチョイスした記事は、東京鉄鋼販売業連合会という団体が挑戦し、ギネス記録を達成した「手でハート型を作って繋がった人の最も長いチェーン」(1936人参加)という日刊鉄鋼新聞の記事と、さいたま市にある鉄道博物館に展示されている蒸気機関車C57が転車台に移動したという記事(日刊工業新聞)と、地元東奥日報に掲載されていた「過去10年間の今年の10大ニュース」という記事でした。 何でこれをチョイスしたのかというと、前者二つはいわゆる業界紙の記事で、恐らく一般紙ではあまり見かけないちょっとマニアックな記事だったということ、地元紙の記事は、そういうことを語る季節なんだなあ、ということを感じさせたという安易な思考からでした。 他の方は古い新聞を切り抜いたり、掲載されている広告そのものを切り抜いたりしていましたが、その方々の言わば「センス」や「着眼点」を垣間見ることができますし、自分に置き換えたときに、果たしてそういう記事や広告を切り取るだろうか、という振り返り(言わば自分の着眼点の振り幅がどの程度なのか、という確認)をすることもできます。 DSC_9913 ただ、ちょっと怖いな、と思ったのが、一歩間違えると自分の嗜好や見識の押しつけになる可能性も秘めているということ。そのことを否定するつもりはないのですが、裏を返せば自分やその方の思想をさらけ出すという恐ろしさもありますし、ちょっと特異な考えの持ち主なのだろうか、という誤解を与えることにもなりかねません。 まあそれも、気になれば気になるのでしょうし、気にしなければいいといえばそれまで。ワークショップの基本である、「他人を否定しない、卑下しない、反論しない」ことを意識さえすれば、きっと「ああ、世の中には色んな思考の持ち主がいるものなのだなあ(棒読み)」という視点に立つこともできると思います。 今回は置かれていた新聞をぞれぞれ無造作にチョイスし、そこから記事を拾うという作業でしたが、例えば(あまり偏りすぎない程度の)何らかのお題を与える、といったやり方も「アリ」かも知れませんね。 色んな業界紙が存在しますので、異業種異文化の業界紙を持ち寄ってワークショップを繰り広げる、なーんていうまわしよみ新聞も楽しそうです。 いずれにせよ、最低限のやり方さえ踏襲すれば、「これは絶対」ということはありませんし、作成された新聞をどう活用するのかも、そのシチュエーションによって異なると思うので、さまざまな応用ができそうなツールだと思いました。

2015年9月28日

9月26日 木下斉氏 「狂犬ツアー@弘前」 聴講記

むかーし昔と言っても確か今から17~18年ぐらい前のこと。弘前市土手町の空き店舗対策の一つとして、エコステーション(空き缶回収機「くうかん鳥」)があったんだとさ。 「くうかん鳥」というのは、簡単にいうと空き缶を回収する自販機みたいなもので、それに空き缶を投入すると、地元のお店の割引券や商品引換券が発行されるというものだったんじゃ。 これ、元々は東京の早稲田商店会におけるエコステーションの取組みを参考にしたもので、導入に当たって実はうちの亡父が奔走していたことをふと思い出したのじゃ。ビデオも見せられた記憶があるんじゃが、当時あまりそういうものに興味がなかった(興味を持つ余裕がなかった)ため、内容はあまりというかまーったく覚えていないんじゃ。 ところがいざ設置してみると、空き缶や紙詰まりなど、機械のメンテナンス(故障が相次いだ)が色々大変だったようじゃ。 さらに、空き缶以外の投入といったイタズラや、特定店舗での同一人物の割引券使用といった苦情も出るようになったほか、空き缶回収する側からも当初無償のはずが回収に係る手数料の話が浮上し、結果、3年程度で事業は終了となってしまったとさ...。おしまい。 さて、そこから現在を見てみましょう。県内の一部大型スーパーにおいて似たような取組をしていることを鑑みると、確かにゴタゴタはあったとはいうものの、青森県内においてリサイクルやエコに市民感覚で取り組んだ先駆的なものだったのではないかということで、一定の評価をしていいと勝手に思いこんでいました。 ただしこれ、実施主体は地元商店街の連合会に商工会議所などが加わり、そこへ市が補助金交付したというもの。はい、ここに一つ落とし穴があるのですが、それは後述のメモで。 そして、色々調べてみるとこの「くうかん鳥」、どうやら日本全国に生息していたらしく、その地域によって生育(取組)方法が色々異なっていたようです。いずれにせよ、この「くうかん鳥」が生息していた地域では、軒並み空き缶が消えるという嬉しい状況になったものの、「くうかん鳥」そのものが繁殖して勢力を拡大することはなかったようで、その後ほとんど見かけなくなったというのが現状のようです。 最近では、絶滅危惧種としてレッドデータブックにも登録されたとのこと...もちろんウソですが。 さてさて、その早稲田商店会を主戦場に活躍されていた木下斉氏が、弘前にやって来て講演するということを知り、これは絶対行かなきゃならんでしょ、ということで26日夕方から聴講して参りました。会場である弘前文化センター3階の視聴覚室に集まったのは、行政関係者、大学院生、地域づくりや街づくりに携わっている方々、一般市民など約30名。 DSC_2419 弘前大学の北原教授の紹介で木下氏が登壇。この日は八戸市で行われた日本青年会議所全国大会での講演の後わざわざ(恐らく)このためだけに弘前まで駆けつけてくれました。講演参加料は一人3,240円ですが費用対効果は抜群。お値段以上ニトリならぬお値段以上ヒトシでありました。歯に衣着せぬお話(さすが「狂犬ツアー」と謳うだけあります)は、時として痛快であり時としてドキッとさせられるものであり。会場も徐々にヒートアップし(というか空調が悪くて暑かっただけですけど)、結局2時間の予定が時間を20分もオーバーして講演会は終了。ホントは木下さんにお礼を言いたかったのですが、時間がなかったためそそくさと部屋を後にしました。 以下、殴り書きの聴講メモを起こしたものです。字が汚くて読めないんだわ。...あ、自分の書いた字か。 --- (【 】内は投稿者註) ・イントロは早稲田商店会とのかかわり。商店会でのごみ回収は全国初の試みだった。エコステーションとして評価され、元々予算のなかった事業だったのが行政による「補助金事業」へと変化。→結果、全国へ拡がる。 ・富山市の鉄道軌道化は、(コンパクトシティの先行事例としてクローズアップされたが)30-40年後廃れるのが分かっているのに投資した失敗事例。30-40年後にはきっと自動運転の技術が発達。誰も電車に乗らない。 ・どこかの成功事例、政策を拾う。それを模倣する。失敗する。【行政あるある。そして、成功事例はクローズアップされるが、その後の失敗は誰も拾わない。】 ・パクリの繰り返しが失敗を生み出し、みんな疲弊する。【実は弘前市のエコステーションも?】 ・成果のある地域に予算(補助金)を投入、最後はポシャるという繰り返し。【ことを興す機を逸しているということか。】 ・国は成功事例について1つだけではなく、5つぐらいを同時に見せようとする。【他の地域に安心感を持たせるため?】 ・できもしないことをできるように見せかけ、全国に拡散させる。実は国や地方は自分たちでは最後までできないことを分かっている。他方、国や自治体に何とかしろとハッパをかける住民がいる。結果、犠牲になる自治体が出てくる。【地域によって背景は異なるから画一的なことはできないだろう。】 ・生み出せない付加価値を生み出すようにするのが補助金事業、という名目。でも、実際のところ、前述のとおり補助金は「麻薬」みたいのようなもの。【一度手をつけたらやめられなくなる。】 ・そもそも、なぜそれをやっているのか、理由がわからない。目的がなんなのかすらも分かっていない。自発性がない。結果、高額な報告書を作って自己満足。【上からの押しつけ。だから事業が失敗する。】 ・海外の考え方。まちづくりは「公益事業」ではなく「共益事業」。市の税金を使ってまちづくりすると、納税組合などの団体から訴えられる。まちづくりは地権者がやるものであって、役所がやるものではない。なぜなら、まちづくりによって一義的に得するのはそのビルや土地の所有者だから。【所有物の価値が上がる。】 ・だからまちづくりは利害関係者に投資してもらう。行政が関与するのは、その後。まちづくりはアセットマネジメント。 ・地方創生だ何だと人口増加に向けて全国各地で一斉に取り組んでも、国内の人口は増えていないからパイを奪い合うだけ。【少子化が進む今、もはや海外からの移民を受け入れることでしか国の人口増には繋がらないでしょう、というのは以前からの私なりの持論。】 ・地方で起こっている問題を遠くの人(東京にいる国の人たち)が考えられるわけがない。実情を知らないから。だからこそまちづくりは地元が考えること。 ・人が減る→人口密度が薄く広くなる→都市間の競争が激化する→消耗戦が繰り返されるだけ。 ・金融支援は全国一律(貨幣価値が一緒だから。)だが、財政支援は東京が有利になるだけで地方は不利になる。財政支援を行う人たちが地方の実態を知らないから。 ・某市のア○ガの前に、岡山県津山市のアルネ津山。木造2階建ての住宅が立ち並ぶ一角に、地下1階地上8階の巨大な施設。中にはクラシック専用のコンサートホールまで。典型的な失敗事例。 ・こういう施設の失敗により、周辺の地価が下がる。煽りを受ける民間企業が恐れて投資をしなくなる。【そういえばどこかの駅前は最近、青空駐車場が増えてきたなあ。】 ・区画整理事業。街の区画を整理してまちの価値を上げるはずが、整理して終わり。何も建たない。中心市街地活性化のはずが郊外化。市街化調整区域を開発させてまで分散化させ、周辺市町村も巻き込むことに。【まさに現在、区画整理事業をやっている弘前駅前北地区、大丈夫かな。】 ・国費投入は初期投資のみ。支援資金のつもりが支援になっていない。長期サイクル(建設から管理運営メンテナンスまで)で見たときに、財政負担を地方で負えるかを当事者が考えていない。 ・経済循環の原則、増やして回して絞ってまた増やして、このサイクルができていない。 ・公共が主導した公共施設に民間施設が入居しても元を取れるはずがない。【入り口の段階で長期サイクルのコストを考えていないから。】まずは民間ベースで公共施設を作る。徹底したコスト低廉化を考える。そのあとで、公が区分所有で必要分だけを購入すればいい。 ・地域の金融を自治体が使う→地域で金が回る→地域が豊かになる。 ・プロの行政マンとは、自治体法務を理解している人。最近は、民間と少しでも交わり、関わりを持って「民間っぽいこと」をやろうとする行政マンが非常に多い。→そういう人とは関わらない方が得。【これは非常に耳が痛い。】 ・事業計画がうまくいかないのは、情報が少ない中で計画を作るから。 ・コミュニケーション作りだけでは、地域の活性化にはつながらない。コミュニティビジネス「そのもの」が街の活性化やまちづくりにはならない。行政が金を出していればなおさら。単に政治的道具に使われるだけ。 ・なぜ?と口に出して言える人を見つけ出しましょう。 以下私見。 「民間っぽいことをしようとする」行政マン、という言葉にはハッとさせられた。実はオレもそうなのかも、と思ったり。(でも逆の...いや、やめておこう。) 某市のア○ガは、当然「失敗事例」として登場。もはやどういう結論を迎えるのか、いや迎えるべきなのか、数年前から市民も議会も行政もみんな分かっている、気づいているはずなのに、責任のたらい回しをしているだけ。その間も確実に、某市民の負担がのしかかっているのに。 地域づくりやまちづくりについては色んな文献書籍が発刊されているが、成功事例として出ているほとんどは、国や地方自治体からの補助を受けて行われたもの。木下さんが喝破したこちらのサイトがとっても参考になります。 偽物の官製成功事例を見抜く5つのポイント ...まあ、他にも思うところはいろいろありますが、取りあえずこれぐらいでとどめておこうと思います。 これですね、行政関係者だけじゃなくて地域づくりやまちづくりに取り組んでいる人、商店街の人、学生さん、NPO関係者、ホント色んな人に聴講していただきたいです。お金払ってでも聴く価値、絶対ありますから。その分一回飲み会をぶっ飛ばしても、その後の飲み会で盛り上がります、多分。 最後に、聴講を終えて思ったことを一つだけ。 模倣だけのまちづくりは絶対失敗する。地方のことは地方が決める。 ...当たり前のようなことなんだけど、民間も行政も、結局のところ画一的な国の制度や補助金に振り回されて、まちづくりの本質を見失っているのかな、と思った次第。役所の職場研修も、これぐらいの人を呼んで意識改革した方がいいかもしれませんね。...あ、新採用職員じゃなくて中堅以上の職員を対象とした研修ね。

2015年7月30日

奥羽本線全線開通110年

今年は、青森~秋田~山形~福島を結ぶ奥羽本線が全線開通して110年なんだそうです。 ちょうど半年後に生誕45年を迎える私、今は弘前から青森への通勤のため、かれこれ通算で13年以上奥羽本線を利用していますが、奥羽本線にまつわる思い出は幼い頃からたくさんあります。 東北新幹線新青森駅開業に合わせ、沿線自治体からは奥羽本線の青森~弘前間を全線複線化しろと望む声がますます強く上がりましたが、結局それも叶わぬまま、田舎のローカル線にちょっと毛の生えた路線、みたいな感じでしょうか、青森に支社がないからだ!とか言われていましたけど(秋田と盛岡に支社があり、県内の路線の管轄が異なっていた)、何と言ってもね、今でも特急ですら最高速度が95キロに制限されてますからね。 さて、僕が利用している弘前駅は、僕が生まれてから2度建て替えられました。物心ついた頃の駅舎は、今のような自動券売機ではなく、有人販売だった時代。駅舎の中を鳩が飛び、行商と思しき人達が大きな荷物を背負ってホームを行き交う、そんな光景が当たり前だった頃。駅前に降り立つと、眼前にスケベな映画館があったのも特徴的と言えば特徴的。 母親の実家が秋田県の合川町(現・北秋田市)にあり、弘前からだと奥羽本線で鷹ノ巣に向かい、そこから阿仁合線(現・秋田内陸縦貫鉄道)に乗り換えるという鉄路の旅。幼かった頃は、赤い機関車(ED75 700系)に牽引された8両ぐらいの長大な客車の列が午後4時30分過ぎに出発して、その後阿仁合線への乗り換えを経て合川駅に午後7時頃到着するというのんびり旅。そりゃそうです、大館駅で荷物の積み降ろし等のために20分ぐらい停車したり、途中駅で列車交換のために停車したりが当たり前でしたから。あの頃はまだ大館駅のホームでで手売りの駅弁が売られていましたし(もちろん大館名物の「鶏めし弁当」です)、多分大館から盛岡に向かう花輪線を走っていたのかな、蒸気機関車が停まっていたことも、朧気ながら記憶に残っています。 ちなみに、奥羽本線の駅は鷹ノ巣で、秋田内陸縦貫鉄道の駅は鷹巣。知ってました? この頃は本当に汽車(当時はまだ電車ではありませんでした)が大好きで、何せ母の実家のすぐ背後を阿仁合線が走っているというシチュエーションだったため、踏切の警報機が鳴る音が聞こえようものならすぐに2階に駆け上がり、やってくる3~4両編成の気動車や、ディーゼル機関車(DE10)に引っ張られながら進む、切り出した杉が積まれた貨物列車に心をときめかせていたものでした。 初めて母の実家に一人で向かったのは、小学1年生の時。弘前駅の有人窓口に背伸びしながら「合川まで子ども一枚」と言って硬券を手にしたのが、最初の一人旅でした。全く恐怖心はなく、むしろ一人で汽車に乗って母の実家に行くことができるという楽しみに溢れかえっていました。16時40分頃に弘前を出発する、院内行き(のちのダイヤ改正で酒田行き)の汽車に乗り込みます。...そうそう、あの頃は弘前から大館や秋田といったところじゃなく、酒田(山形県)や前述の院内(秋田県)などに向かう、長距離の鈍行列車が普通に走っていた時代。 茶色や青色の客車(オハとかスハとか書かれてましたね)の手動ドアを開け車内に入り、誰もいないボックス席に腰掛けます。茶色い客車は裸電球みたいな丸い電球、青い客車は長い蛍光灯だったかな?(個人的には茶色い客車の香りが好きでした。) 今の時代では信じられないことかも知れませんが、老若男女、色んな方が興味深そうに声を掛けてきました。 「どこから来たの?どこへ行くの?お父さんお母さんは?え!一人で行くの?」 ...今思えば、迷子か何かと間違われていたのかも知れませんが、当の本人はつゆ知らず。冷凍みかんを頂いたり、お菓子を頂いたり、ガタンゴトンと揺られ、ニスの香りが漂う硬い木製のボックス席にちょこんと座り、車窓からの景色を眺めながら、母の実家へ向かうのが楽しくて楽しくて仕方がなかったのでした。 あまりに楽しくてデッキの方に向かおうとしたら、車掌さんに怒られたこともありました。そりゃそうだ、手動のドアが開いたままの状態で走っているんだから、危なくて仕方がない。これも今なら考えられないことですが。 まあ、そんな感じで鷹ノ巣に到着するのが午後6時30分頃。大体2時間近く要していたんですね。更にここで阿仁合線に乗り換え、3駅先が合川。 阿仁合線の乗車時間は20分ぐらいでしょうか、合川駅に到着すると、祖母や従姉が待っていました。今となっては無人の閑散とした駅になってしまいましたが、当時は売店もあったそれなりに活気のある駅だったんですけどね。 そして、たまに乗ることのできた帰りの「急行」が楽しみで仕方なかったのです。秋田からは「むつ」、上野からだと「津軽」や「きたぐに」が運行されていた時代。さらに、金沢と青森を結ぶ「しらゆき」、山形と青森を結ぶ「こまくさ」...6~7両のディーゼル気動車に、グリーン車まで連結されていた時代ですよ。嗚呼、懐かしい。 で、何が楽しみだったかというと、車内販売のアイスクリーム。ちょっと高額ではありましたが、1度その味を知ってしまってからはもう大変。たまに妹と二人で母の実家に遊びに行ったこともありましたが、帰りの「急行」で頬ばるアイスクリーム、ホント美味しかった。 最近は新幹線でしか車内販売の姿を見なくなりましたが(津軽海峡線の特急でも車内販売はありますけどね)、あの時食べたアイスクリーム、もう一度食べたいなあ。 9月にはイベント列車も運行されるとか。でも、まだ結構走っているのを見かける国鉄色の特急型車両の運行ですって。どうせなら新旧客車を連ねた長大な「汽車」を運行してもらった方が楽しいのに、とか思ったり。 しかし現実的な話をすると、青森と福島を結ぶ奥羽本線は、山形新幹線の開業によって線路の規格(幅)が異なるレールが敷かれたため、一本の鉄路では結ばれていないわけで。だから、秋田~新庄と青森~湯沢で区間を区切って運行されるんだそうです。新庄~福島は山形新幹線が走っているということで無理なのね...何か切ないわ。 _20150730_065350 全線開通110年のラッピングされた車両にたまたま乗り込んで、懐古的かつ感傷的な気分にちょっと浸っていたという、今朝の出来事でした。 このラッピング電車の運行をはじめ、奥羽本線全線開通110年を記念した色んな企画も始まっているみたいです。

2015年7月24日

たすきと心を繋ぐリレーが始まった。

この4月から震災復興関連の部局に人事異動となったことは、多分たまたまではなく、僕にとっては必然的な異動だったのだろうと考えている。異動から既に4か月が経とうとしている中、相変わらず仕事の内容の全貌を掌握するまでには至っていないが、いろんな形で「復興」に携われていることに、個人的にはちょっとした喜びすら感じている。 さて、他の部局の友人から参加要請があった「未来(あした)への道1000km縦断リレー」。 何の躊躇もなく申込み、職場内の了解もすぐ得られた。いや、むしろ仕事の一環として行けばいいのではないか?他の同僚も参加しないか?そんな前向きな言葉が聞かれる職場に配属になったことに、心から感謝した。 東日本大震災から4年4か月。震災に対する意識の低下や風化が叫ばれつつある中、被災三県と呼ばれる東北地方の岩手、宮城、福島の各県をはじめ、隣接する青森県や茨城県など、まだまだ復興の道半ばという地域は多い。いや、むしろマイナスからスタートした復旧がようやく終わり、ゼロの位置から復興が始まる、というところも相当あるはずだ。 7月24日金曜日。そんな中で行われた「未来(あした)への道1000km縦断リレー」のグランドスタートのセレモニー。職場に隣接する青い森公園からスタートするということも、参加を後押ししてくれた要因の一つだ。 この日は折しも2020年東京五輪のちょうど5年前という記念すべき日だそうだ。セレモニーが始まり、アンバサダーであるシドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さん、元AKB48の秋元才加さん、長野パラ バイアスロン競技銀メダリストで青森県在住の野澤英二さん、車椅子バスケットボール選手の藤本怜央さん、三代目 J Soul BrothersのELLYさん、更にはELLYさんの弟でTHE RAMPAGE from EXILE TRIBEのパフォーマーLIKIYAさんもゲストランナーとして登場し、会場は黄色い声援が飛び交いました、とさ(仕方ないこととはいえ、実はこの時点で結構興醒めしていました。ハハハ)。 まあ、これから僅か1.4キロとはいえ、この方々と一緒に走るというだけでも凄いことだと思いませんか。興醒めしつつも、かなり気分が高揚していた、というわけだ。 ...実は気分が高揚していたのには、もう一つ大きな理由があった。 今回、弘前公園ランニングクラブのメンバーにも声かけをしたところ、3名が参加してくれることとなった。そして、タスキを繋いだあとの青森第2区では、ランニング仲間のSさんファミリーが参加することが決まっていた。ということで、せっかくだから皆さんで集合写真を...と集まっていたところに、スタッフの方が申し訳なさそうに近づいてきた。 image 「すいません...ファミリーの方ですか?」 「いや、全員がファミリーじゃないんですけど、仲間です。」 「あの...選手宣誓お願いできませんか?」 あまりの唐突なお願いに唖然とする一同。 「やる!やる!」とはしゃぐ子ども達。 「いやいやいや...」と拒絶する親御達。 ええい、仲裁じゃ。 「...わかりました。受けましょう。ただし、この全員で。」 「わかりました。ありがとうございます。」 いいんです。せっかくこういう場に居合わせてそういう機会を頂くだけでも、ラッキーと思わなきゃ。どうせ出るなら楽しもうよ! ...と軽い気持ちで引き受けたはいいのだが、セレモニーが進み、いざその時間が近づくと、皆無口に。 しかも運悪く、2区を走るSさんファミリー3名に招集がかかり、結局残された4人で宣誓しなければならなくなったことも、更に緊張感を高めていた。 ゲストランナーから一般ランナーへのタスキの受け渡しが終わり、いよいよ出番。出されたカンペを読めばいいだけだから...と軽い気持ちで受けてはみたものの、いざ壇上に上がると、緊張感がマックスに。 ひとまず言葉を噛むこともなく宣誓を終えたが、終わって周囲を見渡した途端、とんでもない場所に立っていることに改めて気づき、足がガクガク震えていたことを今だから明かそう。ちなみに、宣誓のセリフは一言も覚えてないっす。 集合写真の撮影など、諸々のセレモニーが終わり、スタート地点への移動が始まった。100名のふれあいランニング区間の参加者、恐らく半数以上のお目当ては、ELLYさん兄弟なのだろう。三村申吾青森県知事がスタートの号砲を打ち鳴らすと同時に、隊列がワッと崩れてランニングが始まった。 しかし、よくみると歩道を走っているギャラリーの方が速く前に進んでいる。つまり僕らは、歩くスピードかそれ以下のスピードで走っているのだ。 今回は青森県警の協力もあり、1.4キロ先の青森市立橋本小学校までの区間は交通規制が敷かれ、車道を横一杯使って走っている。しかし、前述の通りお目当てのゲストランナーに少しでも近づこうとしているのか、向かって左側が大行列をなし、逆に僕が走っている右側はかなり余裕があったため、気がついたらゲストランナーのすぐ背後を走っていた。(ちなみに前を走っていたのは車椅子のお二人。そのすぐ後ろを、恐らく東京都議会議員の方が走っていて、僕らはその後ろを走っていた。) たかが1.4キロ、されど1.4キロ。ここから東京までの1000kmのリレー(実際は1200キロを超えるらしいが)が始まる。 15分もかけて走ったということは、ハッキリ言って歩くスピードよりも遅い。 にもかかわらず、ふれあいマラソン区間のゴール地点である青森市立橋本小学校に到着する頃には、気持ちいいほど汗が噴き出ていた。暑さだけではなく、何か胸にこみ上げた違う熱さのせいもあったかも知れない。 先方には、Sさんファミリーの姿が見えてきた。 1区の約100名はダラダラと走っていたが、2区は5名?7名?しかいないらしい。 image ゲストランナーからたすきを受け取る。この辺りの段取り、進行も実は結構グダグダで(というかマスコミ向けのパフォーマンスが多すぎて)、何度もたすきを受け渡していたのが印象的だった。 更に、よくみると100人のランナー以外の一般客も入り乱れていて、もはや収拾がつかないぐらいグチャグチャ。あれだとELLYさんもかわいそうだし、他のゲストランナーにも失礼だな、と思ってしまった。 まあでも、少なくともゲストランナーの皆さんは震災からの復興に対する同じ思いを持って走っていたと信じたいし、たすきを受けて走り出したSさんファミリーやその後たすきを受け取った自転車の方々も、きっと復興に対する何らかの思いを持ってこのイベントに参加しているのだろうと、受け止めた。(もちろん僕も。) 職場に戻り、沈思黙考。 今日一日で、かけがえのないとてもいい経験をさせてもらったと思う。さて、この先も僕は、震災の復興に向けて少しでもその一助となれるよう力を出すしかないね。頑張ろうっと……なーんて難しく考えるの、今日はやーめた。あー、楽しかった! あ、そうそう。実は私、高橋尚子さんと握手してました。すいません。

2015年7月13日

東北OM青森メンバー交流会

奇しくも東日本大震災から震災から4年4か月を経過した7月11日。 東北まちづくりオフサイトミーティング(東北OM)の青森県内のメンバーと、山形市役所のGさんを交えての交流会が青森市内で開催された。 単なる飲み会なら参加しないと思っていたけど、Gさんから直々にご連絡を頂いたこともあり、参加してみることにした。 わざわざ山形からやってくるということは、きっと何か目的があるからに違いない。まあ、その目的は何となくわかっているけれど、直接ご本人の口から青森メンバーに伝えてもらわなければならない、そんなことを思った。 Gさんとは弘前駅で合流。碇ヶ関駅でGさんと先に合流し、自家用車に乗せてきたSさんと3人で、0次会と称してしばしコーヒーブレイク。 その後Sさんと別れ、Gさんとともに普通電車で青森を目指した。もちろん電車内ではいろんな話をしたが、それは二人だけの秘密にしておこう(笑)。 青森駅前の居酒屋には、県内に散らばる各市町の職員を中心に約20名が集まり、17時過ぎから談笑が始まった。 今回初めて(というか本人曰く「代理で」)出席したという県立高校の先生とたまたま同席となったのだが、教育現場を巡るいろんな話がとても興味深く、行政職に携わっているうちは絶対に知り得ないだろうと思われる教育現場でのディープな話に、しばらく酔っ払うのを忘れるぐらいだった。ただ、あまりに内容が裏話過ぎて、文字で表現できないことが多数。ゴメンね。 以下、交流会の中で頭に記したメモ。 ・人間の身体は常に細胞が入れ替わっている。しかし、アイデンティティは入れ替わらない。 ・数値目標を達成したかどうかは、その目標を設定した人の自己満足に過ぎない。 ・結果一つだけで○か×かを判断すべきではない。プロセスや満足度も含め、総合的に判断すべき。 ・何百分の1に個を薄めてしまうのではなく、1分の1に目を向ける姿勢は大切。 ・生徒も住民も、顧客。 etc... (同席していたHさんがメモ魔のように色々聞き取り書き取りしていたんですけど、あれ、凄く大事ですよね。僕はその習慣を早い段階から身に付けなかったことを、今でも後悔しています。) 似て非なる分野、近くて遠い異業種間交流。役所の人も学校の先生も、知らないところで皆さん色々苦労されているんだな、って...。今回の偶然の出会いで、この近くて遠い方々と、もっと話をしてみたいと思った。もしかしたら愚痴の溢し合いになるかも知れないが、そこから何か化学反応が起こることだってあり得る。 まだ40歳だというその先生の話に、僕は完全に引き込まれていた。 ふと我に帰ってから、40歳代も半ばとなり、自分のこの先を思うに、果たして若者に託していくことができるだけの道筋を、僕はこれまで作ってきているのだろうか。そんなことを思った途端、酔いが一気に回った。 9月には、秋田県の北秋田市(旧鷹巣町)で「地元の学校×行政×まちづくり」をテーマとした東北OMの勉強会が開催される。北秋田といえば母の実家。僕にとっては言わば第2、第3の故郷である。北秋田市内にあった高校もいろいろ事情があったことを知っているし、高校が目と鼻の先にあったうちの母の実家周辺の地域でも、大なり小なり影響が出ていることを聞いている。これは足を運ばない理由はないな、と思った。

2014年11月13日

「やねだん」リーダー豊重哲郎さんの講演に涙しました。

「やねだん」という言葉を聞いたことがあるだろうか。いや、言葉ではなく、正しくは地名の通称である。 鹿児島県鹿屋市にある、日本全国どこにでもありそうな、高齢化の進む一集落。 この何にもない集落で始まったのは、行政に頼らない「むら」おこし。 鹿屋市串良町の柳谷地区(通称:やねだん)での取組みは、各地区のモデルケースとして大いに役立つところがあるようで、今も県外からの視察が途絶えないという。 そんなやねだんのリーダーでもある豊重哲郎氏の基調講演が行われた。 11月12日、「青森県地域づくりネットワーク推進協議会20周年記念フォーラム」。 場所は青森市のアップルパレス青森。 会場にやってきた方々の顔ぶれを見ると、県や市町村の行政関係者が半数を超えている。その他、NPO関係者や任意団体の方々もちらほらと。 先日の東北OM三沢勉強会やパワフルAOMORI!!創造塾のメンバーの顔も見受けられた。 豊重氏の話では、青森県での講演は、47都道府県で最後となるという。 ...そういえば、映画「ふるさとがえり」の上映会も青森県が最後だって言われたっけ。 そういう類の招聘が下手くそなのか、それともそういう類に興味を示したがらないお国柄なのか、あるいはそういう類の行動がまるで必要のない地域なのか...。 それはともかく、まずは汚い字で殴り書きされた基調講演の聴講メモ。(補足あり) ・立ち位置を相手に置き換えると、見えてくるものがある。 ・地域再生のテーマは「文化向上」→やねだんでは、地区内の空き家を改装し、7人(6人?)の若手芸術家に県外から移住してもらった(豊重氏による面談も行われた)。自らの芸術活動の他、学校教育(課外授業?)にも関与してもらう。今のところ、誰もやねだんを離れる人はいない。 ・地域の外の人たちを、地域と連携させる。コマが外にいるので、連携がずっと続く。 ex.)やねだん地区で栽培された芋から作った「やねだん焼酎」を3本、地域の人たちに無料で配付。1本は自宅に、残り2本は地域外の方達に送る。送られた地域外の人たちは、「やねだん焼酎」のことを勝手に自慢・宣伝してくれる。→やねだんと地域外の人たちとの連携。 ・「感動」と「感謝」。地域づくりは「感動」。感動から、「感謝」が生まれる。 ex.)父の日母の日敬老の日に、地域の外で暮らす子どもから、やねだんで暮らす親に充てたメッセージを地域の高校生が代読。毎戸に設置された有線放送で流している。そのメッセージに親は「感動」し、代読した高校生に「感謝」を伝える。(豊重さんの活動に反目していた長老が、15年間音信不通だった息子さんからのメッセージを聞き、「俺を泣かせたのはお前だけだ。お前には負けた。」と言って泣きながら抱擁、それまでの冷えた関係が氷解した。) ・出口から出ないとアイディアは出てこない。入り口ではなく出口を考える。 ・ちなみに、やねだん焼酎の出口は、「通販」。(実際、現在HPで「やねだん焼酎」の通販が行われている。買いたいと思ったのは、僕だけではないはずだ。共同購入しますか。笑) ・地域づくりは、100万円以下のお金では何もできない。 ・半径100メートルの人に認められる(納得させる)。そのためには、名前、顔、その人の心を知る。 ・地域参加のプロセスは3~5セット。どこか一つでもいいので、参加できるようなポイント(コマ)を作る。 ex.)畑作りに始まり、芋の植え付けから草取り、収穫まで、どこかで、何らかの形で、地域の人を関与させる。(口ではなく行動で) ・地域づくりは1人でするな。100人でしろ。 ・地域の人から天狗と思われるような行動は、するな。 ・地域づくりの約束事。「急がない、焦らない、近道しない。」→絶対成功する。 ・不満に思うことのアンケートを取ってみる。 ・黒子に徹するのは最高である。 ・韓国との繋がり。たまたま福岡に来ていた韓国のホテルオーナーがテレビを見て感動し、その足で「やねだん」までやってきた。これが民間の行動力。 ・「やねだん」の取組に感動し、自ら経営する韓国のホテル内に居酒屋「やねだん」を開業。以後、ホテル以外の場所にも開業。現在韓国のテグやソウルで5店舗を展開。 ・関係構築を強固にしていく中で、韓国のとうがらしを栽培するプロジェクトがスタート。「やねだん」の気候と土はとうがらしの栽培に適している。 ・収穫したとうがらしは韓国にも輸出。→文字どおり「外貨」の獲得。 ・とうがらしは、鳥獣害に遭わない作物。同様の作物を3つ見つければ、行政として大したもの。(ちなみにやねだんでは2品目に取り組んでいるらしい。何かは明かさなかった。) ・反目している人ではなく、無視している人を、どう動かすかが大切。 ・リーダーには、度胸と勇気が必要。 ・人をその気にさせる方法は、段取りが8割。 ・地域づくりは「自己満足」ではなく「他己満足」である。 ・地域の年齢分布図を作る。これ、かなり重要。 もっと話を聞きたいと思ったが、かなり端折ってのお話しとなってしまったのがすごく残念だった。(そういう意味では、講演の前半で流したVTR、確かに「やねだん」の活動を知る手っ取り早い方法ではあったが、もっと短くても良かった。) DSC_1214 僕は別に何か積極的に「地域づくり」に取り組んでいるわけでもないし、何かそういう活動を行おうと考えているわけでもない。 でも、「何かやれそうな気がする」「何かしなければ」とこちらを奮い立たせるような豊重氏の言葉のマジックに、かなり心を揺さぶられた。 壇上にとどまることなく会場内を歩き、時折言葉を詰まらせ、声をうわずらせ、涙声になりながら語りかける豊重氏の熱いメッセージに、胸を打たれ、危うくこちらが落涙しそうになった。 最近あちらこちらで耳にする「地域づくり」「まちづくり」。 でも本当は、「地域づくり」や「まちづくり」に名を借りて、鍵で閉ざされたような閉塞的な社会からの開放というか、かつて見られたような社会、「ひと」と「ヒト」との繋がりの再構築をすることが根底にあるんじゃないかな、と思った。 やれ「地域づくり」だ「まちづくり」だって一人で声高に叫んだところで、何かが生まれるはずがない。 そこに共感する人が現れ、そこから繋がりが生まれ、その繋がりが...1人が2人、2人が4人、4人が8人、みたいな...。「やねだん」も然り。みんなが(全くではないにせよ)同じ方向を向き始めたことで、まるで強固なベクトルが作用したように大きなうねりを生み出したわけだし。 ...あれ?そういえばついこの間、これに似たような話(点と線、線と面)を記事にしていましたね。 基調講演のあとは、あおもりコミュニティビジネスサポートセンターの山田さとみさんによる県内の事例発表。 青森県内で行われた地域づくりの3事例が紹介された。 佐井村、新郷村、黒石市。 地域も文化もまるで異なるこれらの地域で、それぞれ自分たちの地域を良くしたい、何とかしたいと思い始めた人たちが動き出し、それがそれぞれの形となって地域づくりに貢献している、という実例。 ただ、こちらも時間が足りず、結構内容が端折られた感じだった。ちょっと残念。まあ、山田さんとはまた別の機会に違うところで、落花生をつまみながらゆっくりお話しをすることにしよう。 さて、これはFacebookでも述べたことだけど、昨今の地域づくりのツールとして取り上げられているのが、「まちあるき」。 以下、このフォーラムに参加した直後、Facebookに投稿した内容を抜粋してそのまま転載。 賛否両論あるかも知れないけど、僕が感じていることはこれ以上でも、以下でもないので。 --- 「どうもあちこちで「まちあるき」を基調とした地域おこしに取り組んでいるようですが、まちあるきもここまで拡がると、付加価値というか、よほど何か変化球を用意しないと、手掛けた地元の人の「自己満足」に終わってしまうような気がします(少なくとも北海道新幹線が開業する頃には、よほどのネタがないと「まちあるき」も下火になっているような気がするのです)。 「他己満足」に繋げるための次の一手をどうするか。 入口ではなく出口を考えて取り組むことが必要みたいです。 これが今日、僕なりに学んだことです。僕も色んな意味で黒子に徹したいと思いました。」 --- ここでの投稿の意図は、「まちあるき」に関する複数のネタがあるところであれば、色んなバリエーションでまちあるきを行うことができるけれど、一つしかないと、すぐに飽きられるのではないか、という懸念であり、「まちあるき」そのものを否定しているワケではないので念のため。 「まちあるき」も「地域づくり」も、それを始めることでどうなる、いや、どうなりたいかという出口のビジョンを描かないとうまくいかない、ということだろうか。 自戒を込めて言わせていただくと、これって行政が作る「ハコモノ」にも通じるところがあるんだよね。もしも「地域おこし」や「まちづくり」のシンボルのような形で整備されたハコモノであれば、なおさら恐い。 だって、ランニングコストばかり気にして、中身を入れ替えることに頭が回らないから。 一度見たらおなか一杯という展示物(...という言い方はあくまで誇張です。ホントは端から観る気も失せるようなつまらない展示物だったりします)しか置いてなくて、結局数年後(早ければ数ヶ月後)には閑古鳥が鳴いている状態で、中の展示物に興味を示しているのは、クモの巣を張ったクモだけ、といった有様になるのがオチ。 もっとも、最近の「地域づくり」はハードの整備よりソフトの整備に重点が置かれているし、行政主導よりも地域住民や民間の組織・団体主導にシフトしているので、そんな不安を抱く必要がないのかも知れないけど。 「地域づくり」に話を戻すと、僕の場合、町内会がもっとも身近なコミュニティということになる。 ちなみにうちの町内では、市の中心部に近い場所に位置しながら、高齢化そして過疎化、更には建物の空洞化が急速に進んでいる。 でも、実のところ町内会の集まりには一度も顔を出したことがないし、町内会費が何に使われているかなんて気にしたこともなかった。まあ、回覧板についていた町内会の決算報告で、敬老の日にバス遠足みたいな経費が出ていたのは見たことがあるけど。 豊重さんのお話を伺いながら、偏ったお年寄り(自称「地元の有識者」)しか参加しないようなコミュニティではなく、もっと幅広い年代が参加できるようなコミュニティになるよう、一石を投じてみるのもいいかな、と思ったのも事実。 豊重氏の講演、そして山田さんの発表は、まずは半歩、いや一歩を踏み出す勇気を頂いたような気がした。

2014年11月 4日

「つるたクエスト」を開催!(パワフルAOMORI!!創造塾の実践事業第2弾)

今年1月、弘前市駅前にある「ヒロロスクエア」において、パワフルAOMORI!!創造塾の実践事業として、「津軽クエスト in ヒロロスクエア」を開催したところ、こちらが予想していなかった以上の大きな反響を頂きました。 パワフルAOMORI!!創造塾というのは、地域をもっと活気あふれる場所にしたいという想いをもった人たちが、年間を通して理論学習や活動実践等の研修を行い、同じ想いをもった方の仲間づくりとつながりの強化、そして地域活動の活性化を図ることを目的として県総合社会教育センターが実施している事業です。 その中で昨年度開催した「津軽クエスト」を足がかりに、2年目となる今年度も同じような内容で取り組もう、ということにしていたのですが、1月の「津軽クエスト」を大成功に導いたことにすっかり満足してしまったのか、塾生の足並みが全く揃わなくなってしまいました。(まあ、皆さん多忙を極めていたとか色々他の要因もありますが。) 私、別に取り仕切り役でも何でもないのですが、6月頃になって事業2年目のスタートの合図を塾生にお知らせしたところ、数名の塾生が反応、そこから一気呵成に「つるたクエスト」の開催が決まっていきました。 当初は弘前市でもう一度「津軽クエスト」を、という声もあったのですが、実は「津軽クエスト」を行った際に、次は弘前市ではなくどこか違う地域で、という話をしていました。 その中で白羽の矢が立ったのが、北津軽郡鶴田町。 塾生が2人いることや、その繋がりから、比較的関係者の協力を得られやすそうなことが、その理由でした。 8月になると、鶴田町の塾生メンバーから「11月に行われる子どもの祭典において、是非クエストを開催しよう」という打診があり、将来を担う中学生や高校生といった鶴田町のジュニアリーダー(JL)の協力を得ることとなりました。 「津軽」ではなく「つるた」という限られた地域となるため、クエストで使用するクイズは、JLが中心となって「鶴田町に関するいろんなもの」を題材とした問題を考えてもらうこととなり、我々塾生はアトラクションを考えることに。 とはいえ、小学生以下の参加者約200名を、たった1時間30分で全て捌ききるという難題にどう対処するか、我々としては大きな課題を突きつけられることとなりました。 そこで考えたのは、200名を4つのパーティーに分け、1チーム5人×10組とした上で、JLのOB・OGの他、鶴田町以外のJL、更には関係者にも協力を頂きながら、チームリーダーとして性別も年齢もバラバラの小学生チームをまとめてもらうこと(そこに我々塾生は参加しません)、時間差でクエストを設置した体育館とアトラクションを行う会場(鶴遊館)を行き来してもらうこと、更にアトラクションは、2つのパーティー(つまり100人!)が同時に参加できるようなゲームを行う、というものでした。 しかしこの過程において、ちょっと考えさせられることもありました。 パワフルAOMORI!!創造塾の二期生については、津軽地方の職種も年齢も性別もバラバラな方々が20名以上揃っていたはずなのですが、当初から事業への参画度合いに濃淡がありました。 今に始まったことではなく、1月の「津軽スクエア in ヒロロスクエア」の時点でも、既に全く参画していない塾生がおり、その際も他の団体やお知り合いの方々にボランティアをお願いするという有様だったのですが、今年度に入ってからその度合いが、顕著に二分化されるようになりました。 まあ、こればかりは塾生それぞれ色んな事情があることなので、仕方ないと割り切っていましたが、なかなか一枚岩では行かないものだな、と苦笑するしかありませんでした。 ...でも正直言って、打合せの出欠など最低限の確認事項には何らかの反応が欲しかったなあ。別に参加できないことを咎めるつもりもないんだし。でも、果たして我々が腰を上げ、動き出さなければ、この先どうなっていたのだろうか、そんなことを考えさせられることとなりました。(あ、別に「やらされた」感を抱いているわけではありません。) ということで、「つるたクエスト」への関与の仕方も塾生によって濃淡が出ることとなりましたが、数度の打合せを重ね、概ねの骨子ができあがりました。 とはいえ僕も、開催前日の準備に参加した以外は、一度しか打合せに参加することができませんでした。その中で、アトラクションのクイズのネタを考えるなど、多少なりともできる限りの協力をさせてもらった、つもりでした。 本番前日は15時に集合、体育館内で会場設営を行いました。 その後は、JLの皆さんに手伝ってもらいながら、アトラクションの準備。 今回のアトラクションは、封筒に入った15枚のカードを、チームリーダーと協力しながら「あいうえお順」に並び替える、というもの。二つにグルーピングし、一つは青森県の市町村名と鶴田町の地名が書かれたカードがランダムに15枚入った封筒を10組(つまり、全て答えが異なります)。もう一つは、青森県の○○、鶴田町の○○という内容で、こちらも10組いずれも異なる内容の封筒を用意しました。簡単な問題もあれば難易度の高い問題もあり、そこは、封筒を選ぶチームリーダーの運任せ、ということにもなります。 DSC_1203 DSC_1200 DSC_1206 DSC_1211 そして今回の「つるたクエスト」ではポイント制を採用し、40チームのランク付けもする、ということが決まっていました。そして、1位のチームから順にこちらで用意した景品を選んで貰い、そのまま昼食に向かってもらう(裏を返せば得点が低いチームは昼食にありつけない)という、ちょっと厳しいルールも設けました。 そして11月3日(月)文化の日。 猛烈に発達した低気圧の影響で、朝から強風が吹き荒れ、冬を思わせる寒さと時折雨がたたきつけるというあいにくの天気。 こんな天気でホントに子どもたちが集まるんだろうか、と半信半疑のまま車を走らせ、8時30分頃に鶴田町に到着。 会場の「鶴田町保健福祉センター・鶴遊館(かくゆうかん)」に足を踏み入れると...。 何とそこには、既に100名を越えることも達が、所狭しと駆け回っていました。その後も続々と子どもたちがやってきます。その光景を目の当たりして、僕は唖然とするしかありませんでした。 子どもの祭典チラシ 開会式の時点では、150名を越える子どもたちが集まっていたのでしょうか、いよいよ「第21回鶴田町子どもの祭典」が始まりました。 司会進行は全て鶴田町のJLの皆さん。我々はそれを傍で見ながら、この後の「つるたクエスト」でチームリーダーを務めてもらう他の地域のJLや関係者の皆さんに、今日の進行と段取りを説明します。 そしていよいよ9時50分。「つるたクエスト」がスタートしました。 今回参加した塾生は、鶴田町の2名を含め7名のみ。これに県社教センターの担当者の方にも協力頂き、何とか体裁は整えることができました。 チームを引率するリーダーの数が足りないことが明らかだったため、1パーティー当たり8~9チームとし、1チーム当たり3~6名のチームを編成してもらいました。 僕はアトラクションの担当として、提出された答えをチェックする担当。 正直、始まる前まではどうなることやらと気を揉んでいましたが、いざ始まってみると、チームリーダーに統率された子どもたちは、素直に言うことを聞きながらアトラクションに興じていました。(まあ、一部やんちゃな子ども達もいて、思わず窘めるという場面もありましたが。) IMG_6033 IMG_6063 気がついたらあっという間に各パーティーが4巡し、ゲーム開始から1時間30分が過ぎていました。ルールの誤解により採点をやり直すというチームも幾つかあったり、最後の最後で景品が足りなくなるというアクシデントにも見舞われましたが、何とか無事に終了。 今回の「つるたクエスト」、子どもたちからの反応も上々だった他、見学にやってきた親御さんからも好評を博したようです。 僕個人としては、鶴田町が取り組む人材育成の素晴らしさに、ただ目を見張るばかりでした。 クエストのクイズはほぼ全てJLが考えてくれたもの。鶴田町のことをたくさん勉強したことでしょう。 そして、そのJLの言うことを素直に聞きながら指示に従う小学生以下の子どもたち。この子どもたちが大きくなれば、次のJLとして次の小学生の育成に関与する、という。更にその人達がやがて大人になり、カップルとなり、子どもが生まれ、同じことが繰り返されていく...。 大人達も大人達なりの活動を行っていて(TSURUTA街プロジェクトなど)、更に年を取れば(限られた集まりではありますが)「ツル多はげます会」という活動があったり、まさに「ゆりかごから墓場まで」鶴田町内だけで色んな活動に参画できるという...。 まあ、やるかやらないかは自分次第ですし、僕もパワフルAOMORI!!創造塾に参画したのは単なる興味本位がきっかけだったわけですから、無理に参加を強要するものでもないでしょうけど。 でも、鶴田町の皆さんが自発的(そして積極的)に色んな活動に取り組んでいる姿を見て、オレももう少し頑張ろう、なんてことを思った次第。こちらもいい勉強になりました。 DSC_1212 13時30分前に全ての後片付けを終え、パワフルAOMORI!!創造塾二期生としての実践事業はこれにて終了となります。あとは1月の公開講座を経て、創造塾の活動そのものも終了。 前述のとおり塾生の間での参画や取組みに対する濃淡、温度差はどうすることもできませんでしたが、ここで得られたヒト、モノ、繋がりは、これからも大事にしていきたいな、と思いました。 それぐらい、いい経験をさせて頂くことができました。 塾生の皆さん、クエストに参加して下さった皆さん、そして、色んな気づきを与えて下さった皆さん、本当にありがとうございました。

2014年10月27日

東北OM三沢勉強会のこと

三沢市を訪れたのは、今回で多分6回目ぐらいだと思う。一番最初は40年近く前、父に連れられて生まれて初めて飛行機に搭乗した際(その頃はまだ、東亜国内航空のプロペラ機だった)、青森空港が大雪のため着陸できず、三沢空港に着陸したこと、そして、その三沢空港からタクシーで三沢駅まで向かったところ、東北本線も大雪でダイヤに大幅な乱れが生じていて、やっとのことで弘前市に戻ったこと...。 ...このことが、幼い頃の記憶として、そして、三沢市を最初に訪れた記憶として、今も残っている。 ...そして、これまた今から10年以上も前になるが、大学時代の友人の結婚式が三沢市内で行われ、その際は宿泊もしたのだが、真昼からの飲み疲れで、宿泊先で早々にダウンしてしまった。なので、夜の三沢の街がどんな雰囲気なのかは、全く知らなかった。(この日、夜の街を堪能した友人によると、米軍関係者と思しき外国人も多く、入る店を間違えるとエラいことになる、みたいなことを言っていたようないなかったような...。) そんな中、青森県内では弘前市に次いで2年ぶり2度目の開催となる「東北オフサイトミーティング(東北OM)勉強会 in MISAWA」に参加してきた。 東北オフサイトミーティングというのは、「敷居は低く、志は高く。」を合言葉に、まちづくり・組織づくり・人づくりを目指し、自治体や民間企業の職員・学生など様々な立場の人が交流・情報交換する組織。2009年に設立され、これまで東北各県はもとより、それ以外の地域でも活動が行われてきている。 実は三沢市には、先月も仕事で訪れていた。その時は、市役所にほど近い中華料理店「レストランニューみやき」で昼食を摂り、たくさんの外国人が食事しているという、どこか異国にも似た不思議な光景を目の当たりにしていた。 米軍基地を抱えているということもあって、市内には横文字で書かれた看板もたくさん見かける。 どことなく沖縄にも似た雰囲気がある三沢。でも、沖縄と決定的に違う点は、沖縄の場合は米軍関連の施設が複数の市町村に点在しているが、県レベルでそういった施設の移設や規模縮小を求め、それぞれの市町村でも同様の動きが見られるのに対し、三沢市ではそういった動きが一切ないということだろうか。 いずれにせよ、この表現が適切かどうかはわからないが、三沢市は、米軍基地と良好な関係を保ちつつ、上手く共存している、そんな印象を受けた。 そして今回の勉強会、2度目の参加ながら、県内メンバーの一員として、カメラ持参で会場内の撮影を行っていたため、正直、あまり話を集中して聞いていなかった。 三沢市の米田副市長、東北OM発起人の後藤さんの挨拶に引き続き、今回は基調講演と2つの事例発表が行われた。それぞれのテーマには、「異文化交流」が根底にある。ちなみに今回のテーマは「What’s マルチ・カルチャー!?~多文化理解からの地域づくり~」。三沢らしさを前面に打ち出した、でも他の地域でもあり得る、興味深いテーマだと思った。 IMG_5671 (800x533) IMG_5684 (800x533) ・基調講演 『人と人をつなぐ懸け橋としての私の想い』 八甲田冬山ガイド サイモン・ベルナルド氏 サイモンさんは、震災直後には被災地を訪れ支援活動にも積極的に取り組んだ。何より一番驚いたのは、紹介されたスライドに出てきた物資搬入の場所が、震災後の支援で僕も訪れた宮古市の新里トレーニングセンターだったこと。センター内の画像も幾つか紹介されていたが、僕らが支援に訪れたときと比べると、遙かに救援物資の整理が進んでいたのがわかった。 IMG_5709 (800x533) ・事例発表(1) 『子ども期からの国際交流?地球市民としてのまちづくり』 青森公立大学経営経済学部3年 井上雄輔氏 若いのに非常にしっかりとした信念を持たれているといった印象。臆することなく、堂々とした発表だった。聞いていて、ハッとさせられるお話しもあった。要するに、大人が何でもかんでも子どもたちのことに干渉しちゃならないってことです。...まあ、僕には子どもいないんだけどさ(笑) IMG_5792 ・事例発表(2) 『基地の街を吉(グッドラック)の街に!』 有限会社 ヒーローネット代表 五十嵐耕司 氏 話術に長けていて、聴衆を引き込ませるのが非常にうまいというか、冒頭からガッツリとハートを掴まれた感じ。「基地の街を吉の街に」と、「キチ」と「キチ」を掛け合わせたテーマだが、その上更に「機知」に富んだ面白さがあって、楽しくお話しを伺うことができた。苦労するからこそ得られる感動って、絶対に大きいですよね。 IMG_5794 お三方のお話しを聞いた後は、トークセッションが繰り広げられた。会場にカメラを向け、皆さんのお話しを聞きながら、感じたことを幾つか。 ・異文化交流ももちろん大切だし、素敵なことだけど、その前に、ミニマムな地域内交流ができていただろうか。(少なくとも僕の住んでいる町内会は、それすらも怪しいぞ。) ・教育って、大人や教育者が子どもに教えるだけじゃなく、子どもから大人が教えられるというか、学ぶ、気づくということがとても重要だと思った。「教育」が派生して「共育」になるのが理想?子どもの力は侮れない。 ・僕が住んでいる弘前市と、今回訪れた三沢市って、歴史も文化も全く異なるんだけど、どこか相通ずるものがあるような気がしましたよ。何でなのかはわからないけど。 ・こういう「学び」の機会って、参加することに意義があるんじゃなくて、参加し、学んだことや感じたことを、次に活かすことに意義があるんですよね。さて、何にどうやって活かしたらいいか、ちょっと考えてみますか。 ・で、考えるのは「できない理由」じゃなくて「できる方法」ね。 ...ということで、勉強会が終了し、集合写真をパシャリ。 IMG_5905 (800x533) その後、同じ会場での懇親会へ。 正直、メチャクチャ腹が減ってたので、同席した初顔合わせの皆さんとの挨拶もそこそこに、まずはガッツリ食って飲んで。 続く二次会のアメリカンバーでも、飲んで、飲んで、たまに食って。 大分酔っ払ってきたし、胃ももたれて来た(油で揚げたものや肉類が圧倒的に多かった)ので、23時前に一足早く退散。多分あれ以上飲んでたら吐いてたし、翌日使い物にならなかった、と思う。 翌朝、三沢市内をジョギングして酒を抜き、体調と体重を調整。当初は三沢基地の周囲約21キロを走るつもりだったんだけど、まだ酒がかなり残っているし、胃も重い感じだったので、今日のスケジュールを念頭に無理は禁物と、走行距離を12キロにとどめた。 とは言いながら米軍三沢基地の見学において、基地内のレストランで昼食を摂ることになり、やっぱりガッツリ食ってしまったんだけど...。 IMG_5989 ちなみに今回の2日間で一番印象に残ったことは、初日の懇親会、二次会で訪れたアメリカンバーで、なぜか和洋折衷のカラオケ大会が始まってしまい、その中でも、外国人3名が歌ったMONGOL800の「小さな恋のうた」が、やたら上手だったことだった。おいおい(笑) IMG_5939 (800x533) 二日目のエクスカーションは、普段立ち入ることのできない米軍三沢基地の見学。 その際に、米軍の方が我々のバスに同乗し、ずっと英語で基地内の案内をしてくれた。でも、7割程度しか理解できなかった(ちなみに、通訳もいました)。 IMG_5962 (800x533) 米軍の方は僕のすぐそばで説明くれていて、幾度となくアイコンタクトも取ったんだけど、僕はといえば英語で話す方が全くと言っていいほどダメなので、ちっともコミュニケーションが取れなかった。言葉の壁って思った以上に高い。少し英語覚えないとなあ...と思った次第。 写真 (533x800) IMG_5976 写真(1) (533x800) IMG_5992 (800x533) 今回は初めて米軍三沢基地の中を見学する機会に恵まれたし、亡父との思い出の場所である三沢空港にも足を運ぶことができたし、これだけでかなり満足したんだけど、もう少し三沢市内のディープな酒場も歩いてみたいなあ、と思った。 あ、そうそう。そういえば三沢市内って、「唐揚げ」を店の看板に掲げる店がちょこちょこあるみたい。「からあげ人生」っていう有名店もあるようだけど、正直ちょっと気になった。...まぁ、脂っこいものばかり食っていたので、さすがに今回は食指が伸びなかったんだけど。 三沢市、何かいいね! 三沢市のこと、もっと知りたいと思ったし、次はプライベートで訪れようっと! 三沢市の皆さん、そして勉強会に参加された県内外の皆さん、本当にお疲れさまでした!

2012年11月 4日

「第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前」に参加してきました。


11月3日、4日の両日、弘前市で行われたフォーラムに参加してきました。 当初、基調講演を行う吉田類氏を一目でいいから見てみたい、というミーハーな思いしかなかったのですが、市民向けに提供されることとなった150名分の無料整理券を入手するのは物理的に困難だな、と思い、フォーラムそのものへの参加を決めました。 初日(3日)は、午前中に基調講演、午後が分科会とトークセッション、2日目(4日)は、6つのコースに分かれたエクスカーションという内容でした。 9時から始まった受付を済ませ、会場に入ると、大きな会場の半分以上が仕切られており、非常にこぢんまりとしていました。 何か、思った以上に人の少ないフォーラムだな...。 9時30分から開会式、10時からのオリエンテーションが終わると、後ろに置かれていた仕切りが外されました。 その後ろには、無料整理券を手にした市民の方々が...。なるほど、こういうことだったのね。 いよいよ基調講演の始まる10時30分となりました。事前にフォーラム参加者からの質疑応答で、「講演中の写真撮影は可能ですか?」という質問が出されていましたが、主催者側から、講演中の写真撮影は遠慮頂きたいこと、ただし、講演終了後に写真撮影の時間を設けることが発表されると、会場からは拍手が沸き起こりました。(ところがこれが後でとんでもない混乱を招くことに...。) 10時35分、吉田類氏登場。会場には歓声と拍手が響き渡ります。吉田類氏が何者なのかはここでは割愛しますが、僕が彼を知った頃、こんな拍手を浴びるような有名人ではなかったぞ...。 さて、講演内容の概要を箇条書きで。...あ、その前に。基調講演のテーマは「夜の街歩きの楽しみ方-酒場の呑(ノ)ミュニケーション論」だったのですが、ハッキリ言ってテーマとまるで違う方向の話題に進んでいきます。でも、それはそれで面白かったです。ちなみに青森県に入ってから4日目(!)だそうで、青森、八戸と回り(もちろん飲み歩きしていたらしいですが)、前日に弘前市郊外のりんご園で雨に祟られ、少々風邪気味とのこと、確かにちょっと辛そうな感じでした。 ・吉田氏の出身は高知県。清流(仁淀川)の流れる綺麗なところだが、杉の人工植林を行い放置した結果、山が荒れてしまった。地元にはほとんど戻っていない。 ・吉田氏と言えば酒の飲み歩きというイメージがあるが、実は山歩きが大好き。中部山脈から北海道まで、たくさんの山を歩きながら、イワナ釣りなどに興じていた。昔は登山家のような生活をしていた。山を下りると、酒、温泉、郷土料理がワンセットとなって待っていた。酒を飲んでいなければ、こんなにいろんな人たちと親しくなっていなかった。 ・酒が入ってしまうと、人と敵対することはまずない。敵対関係になるような酒の飲み方は、その人の資質。 ・酒が旨いところは、水がうまい。水がうまいということは、すぐ近くに山があるということ。山には、四季がある。青森は、その四季を持っている。 ・酒は、コミュニケーションを取る手段の一つ。人間は孤立したら何の意味も持たなくなる。コミュニケーションの場を持つことが必要。 ・大町桂月の名前を出しても、高知、北海道、青森の人しか反応しない。高知で生まれ北海道、そして青森に渡り歩き、八甲田の蔦温泉で一生を終えた。吉田氏自身も、大町桂月のような生き方をしているような気がする。 ・ちなみに吉田氏、白神山地を山歩きしようと思ったが、北海道に先に渡った。そこでいろんなルーツを知ることに。 ・自然を残すために人の手を入れないという考えは間違い。自然と人間が共存するためにはうまく付き合うことが必要。 ・酒は健康のために飲んでいる(会場内、大きな笑い)。精神的な縛りを解いてくれるのが、酒。 ・酒場は観光産業を支える一つ。街に酒場が充実していると、賑わいが創出される。 ...といった感じです。この他、実は弘前市内の酒場を放浪したらしく、その模様はそのうち放映されるようです。(店の名前もおっしゃっていましたが、敢えて伏せておきましょう。) そしてそして!!何と吉田氏、前日に僕の住んでいる町内を散策していたらしいのです!!ひょっとしたらこちらも放映されるかも知れません。楽しみにして待ちたいと思います。 基調講演終了後、写真撮影に応じた吉田氏。ところが、ここで吉田氏が降壇し、一般客との記念撮影に応じ始めたものだからもう大変。俺も私もと人が殺到し、収拾がつかない状況に陥ってしまいました。結局吉田氏が会場を後にすることでようやく混乱は収束しました。(ちなみに僕も近くまで寄りましたが、あまりの人の多さに辟易し、写真を数枚撮影して一目散に退散しました。) フォーラム参加者はここから分科会に分かれます。第2分科会にエントリーしていた僕と妻は、バスに乗って市の中心部にある「津軽弘前屋台村かだれ横丁」に移動し、昼食を頂きました。(ちなみに昼食代も大会エントリー料の2,000円に含まれていました。) 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ここから、弘前路地裏探偵団のエスコートにより、3つのグループに分かれて弘前市の中心市街地である土手町界隈をまちあるき。 参加者12名で構成された第1グループは、弘前路地裏探偵団のオダギリユタカさんの案内により、以下のルートを散策しました。実はこの他にも立ち寄っているところがあるのですが、敢えて省略します。だって、教えたくないんだもん(笑)。 かだれ横丁(弘前路地裏探偵団の皆さん) 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ 百石町展示館 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ 世界一小さいりんごグッズ博物館 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ しまや手芸店 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ (土淵川沿経由) 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ 蓬莱橋広場 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ 一戸時計店 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ 弘前中央食品市場 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ BUNAKO 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ どて箱 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ 久三郎 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ まちなか情報センター ↓ 弘前昇天教会 ↓ 中央弘前駅 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 ↓ (新鍛冶町経由) ↓ かくみ小路 ↓ 川越黄金焼店 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 再びかだれ横丁に戻ってきた我々は、バスに乗車しホテルへ移動、トークセッションに出席。 (社)弘前観光コンベンションの坂本事務局長のコーディネートにより、長崎コンプラドールの桐野理事長、NPO法人北九州タウンツーリズムの大内田代表理事、函館市の小笠原観光振興課長、合同会社西谷「たびすけ」の西谷代表による事例発表が行われ、最後に「まちあるきを漢字一文字で表すと?」という問いかけに対し、桐野さんは「愛」、大内田さんは「交」、小笠原さんは「繋」、西谷さんは「人」という文字を掲げ、坂本事務局長が総括して「楽」しかったですね!と一文字掲げ、初日のフォーラムが終了しました。 二日目はあいにくの雨模様。遠い人では秋田県大館市と小坂町のまちあるきを体験、その他弘前市と近隣の5つのコースに分かれたエクスカーションが行われました。 僕は弘前市内特別コースということで、りんご公園と津軽藩ねぷた村を回り、午後12時過ぎに全ての日程が終了しました。 りんご公園にて。 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 津軽藩ねぷた村にて。 第2回 日本まちあるきフォーラム in 弘前 さて、「漢字一文字で。」という問いかけの時に、僕は漢字ではなくひらがな一文字が浮かんでいました。 それは、「と」。 将棋の駒、歩兵の裏には「と」と書かれていることは皆さんご存じでしょう。歩兵は、1駒ずつ進んで敵の陣地に入ると、ひっくり返って「と金」になります。 昨日は多くのボランティアの方やガイドさんが参加されていましたが、まちあるきのボランティアの方もガイドさんも、「歩兵」になることを目指せばいいのではないかと思いました。 考えようによっては、歩兵というのは、常に裏に「金=お宝」を隠し持っているわけです。歩いて歩いて歩いて、やがてその人しか知らない「と金=お宝」を手に入れる。そして、人「と」人を結びつけ、人「と」地域を結びつける...。 僕はボランティアでもガイドでもありませんが、僕しか知らない「と」を持ちたい...昨日まちあるきを実践してみて、あまりにも自分が住んでいた街を知らなかったことに愕然としながら、そんなことを思った次第です。 ここ最近は車ばかりで街を素通りしていたような気がするので、たまに自分の足で、いろんなところを散策してみたいと思います。 関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。 最後になりますが、今回掲載した画像を含めたフォトセットを作成しました。もしよろしければご覧下さい。