2013年1月24日

実名報道と、プライバシーと。

今日は、これまで公にしていなかったことをネタにしようと思う。凄く重い内容なので、正座して閲覧して下さい(ウソ)。

アルジェリアで起きた人質殺害事件。
当初、人質の氏名は政府が非公開としながらも、一部マスコミの「暴走」により、政府も日揮も氏名を公表せざるを得なくなった、といった感がある。

NAVERまとめにこの件に関する色んな見解が詳しく掲載されているので、こちらを参照して頂きたい。

賛否両論あるところではあるが、僕個人としては実名報道には反対だ。
実名報道の後、親族の方々がネットに投稿したり、テレビのインタビューに応じたりする姿を見かけたが、親族(遺族)としては「頼むからそっとしておいて欲しい」というのが正直なところではないかと思うし、その気持ちが僕にはちょっとだけわかる。

事件を風化させないためだ、弔いのためだ、というマスコミの方々の意見も目にしたが、じゃあ過去に起きた事件で実名報道された数々の重大事件の被害者の氏名を、誰が記憶しているだろうか。

弔いといえば聞こえはいいが、別に実名を出さなくとも弔いの方法はいくらでもあるだろう。

要は報道がワイドショー化した結果、どの社よりも先に実名を報道することに躍起になっているだけではないのだろうか。「実名報道」することがスクープみたいになっていただけなのではないか。
ただ、一つだけ言えること。実名が明らかになろうがなるまいが、マスコミは遺族の元へと押しかけてくるものなのだ。そして、事件が一定の収束を見る頃には、まるで何事もなかったかのように、素通り。そこに残されるのは、マスコミに躍らされたという空虚感。

今回の実名報道を巡っては幾つかの記事を拝見させて頂いたが、個人的には佐々木俊尚さんが投稿した「アルジェリア人質殺害事件とメディアスクラム」という記事が一番しっくり来るような気がした。
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ちなみに、僕の親族や知り合いに今回の被害者が含まれているわけではない。
なぜここまでこのことを考えているのかといえば、5年前、父が亡くなったときに僕は、恐らく今回の遺族が経験している苦しみに似た経験をしているからだ。

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平成20年9月7日、父は誰にも何も言わず、突然この世に別れを告げた。
現職市議のスキャンダラスな死というショッキングなニュースはあっという間に弘前市内を駆け巡り、父の亡骸とともに自宅に帰るや否や、マスコミからの電話や自宅訪問が殺到した。

今でもハッキリ覚えているのだが、あの日、家に電話を掛けて来たのは新聞社だけだった。父の死を知った人たちは、電話ではなく家に直接駆けつけたからだ。新聞社の人たちは開口一番、悔やみの言葉どころか、ただ「事実関係を知りたい、第一発見者は誰だ、どういう状態で見つかったのか。」といったことを聞いてくるばかり。
こちらの心情なんぞまるでお構いなしだった。
正直、この時ほど「頼むからほっといてくれ」と思ったことはなかった。なので、「今、それどころではないので。」とやんわりとはぐらかし、受話器を置いた。

確かに報道する立場からすれば、「真実」を伝えなければならないという使命感に駆られてのことなのかも知れない。

しかし、スチールカメラをぶら下げて、弔問客に紛れて靴を脱ぎながら、「すいませーん、ちょっとお話よろしいでしょうか...。」とやって来たマスコミ関係者に、遂に僕はぶち切れた。
「お前ら一体何なんだ!今お前らの相手をしている余裕なんてない!帰れ!」

...しかし、彼は帰っていなかった。家の玄関から離れた県道脇に佇み、やって来た弔問客から色々情報を得ていたのだ。

でも、悲しいかなその中で一番腹が立ったのが、親戚の対応だった。その後、マスコミへの箝口令を敷いたはずだったのに、掛かってきたマスコミからの電話に、実にご丁寧な対応をしていたのだ。
「どこから電話?」
「いや、...○○新聞から。」
「...ん?で、何を話したの?」
「...。」

翌朝の各紙朝刊には、父の死が大々的に報じられていた。中でも、○○新聞の記事が、一番的を射た内容だった。

僕は一切口を開いていないのに、誰から聞いたのか、記事には事実と全く異なることも書かれていたが、もはや反論する気にもならなかった。
面白可笑しく書きたければ書けばいい。所詮田舎での出来事だ、みんなすぐに忘れるよ。
そう慰められたが、弔問客が手に手に持ってくる新聞記事を見ながら、僕のはらわたはずっと煮えくり返っていた。それは、僕に話を聞きたいと言った数多くの記者の中で、最初に「このたびはお悔やみ申し上げます。」と言った人が、たった一人しかいなかったからだ。
別にお悔やみの言葉を聞きたいということではない。礼儀すらわきまえない記者の無礼な態度がどうしても許せなかったのだ。

そんな新聞記事に躍らされ、怒鳴り込んでくる弔問客もいたが、もはやマスコミもそんな弔問客も、相手にする気にならなかった。心身ともに、本当に疲れていたのだ。

「もう、いいだろう?父はもう、帰ってこないんだから。そっとしておいて下さい。頼むから。」
その時の切実なる思いだ。
直後に、あの気丈な妻が心労で倒れたことも、余談ではあるが触れておこう。

あれから4年4か月が経ち、我が家には見かけ上の平穏が訪れているが、あの日、奈落の底まで落とされた時の忸怩たる思いは、今回の実名報道を巡る是非でまたフラッシュバックしたように蘇ってきている。

僕の中では、あの時の出来事が一種のトラウマとなり、マスコミ不信に繋がっていることを今だから明らかにしよう。

僕らにとっては、それぐらい辛い出来事だったのに、遺族への配慮などまるでなかったあの時の記者の方々は、今どこでどんな取材をしているのだろう。

...もっとも、そんなことを是非知りたいなんて微塵にも思っていないが。今回の被害者の実名と同じぐらいに。

2012年9月13日

再利用? or ゴミ箱行き?

黒線塗りの封筒で返送依頼/弘前

弘前市がバーコード印字ミスによりコンビニで納付できない国民健康保険の納付書を送っていた問題で、市国保年金課が再交付希望者に返送を依頼する返信用封筒に市選挙管理委員会の封筒を流用、部署名を黒線で塗りつぶしていたことが、12日の市議会一般質問で明らかになった。蛯名正樹副市長は「市民に不快感を与え反省している」と陳謝した。(2012年9月13日Web東奥)

副市長、陳謝ですか。まぁ、事の発端が印字ミスの納付書を送付した、ということだったために、一部の市民の怒りを増幅させてしまったのかな(その一部がどれぐらいいるのかはわからないけど)。

でもどうなんだろう...そもそもこの封筒で送り返して欲しい、という返信用の封筒なんだから、これぐらい目をつぶってくれてもいいんじゃないか、と思うんだけど、やっぱりそれって「役人的な発想」なんだろうか。

もっとも、黒線を引いた封筒の下に、「経費節減のため、封筒の再利用を行っています」と一言付け足せば、こんな騒ぎにはならなかったのかも知れない。あるいは、黒線じゃなくて部署名を記載したシールを貼るとか。

うちの職場でも、やってましたよ。一つグループが増えてしまったので、古い封筒の部署名の上に、新しいグループを付け足した部署名のシールを貼り付けた封筒の再利用。

それでも「そんな封筒使うんじゃねえよ!!」と騒がれるんだろうか。少なくとも今まで、そんな苦情が来たことはなかったけど...。

それとも、行き場をなくした封筒はゴミ箱行き?市民の税金で作られた封筒が、ゴミになる?そっちの方がよほど問題のような気がするんだけどなぁ...。

2010年8月27日

民主党党首選に思う

折角の週末なんだから何か楽しくなるような話題を提供したいと思ったんだけど、何かもの凄くつまらない記事になってしまった。先に謝っておきます。ごめん。

民主党の党首選に小沢一郎氏が出馬する意向を固め、菅首相との激しいつばぜり合いを始めている。菅vs小沢の「権力闘争」だそうな...。

おいおい、ちょっと待ってくれよ。国内に目を向けると、景気への不安、金融情勢の流動化、対米、対アジア政策など、今すぐにでもやらなければならない問題は山積しているのに、何が党首選なの?と敢えて苦言を呈したい。ロクに金融政策にも取り組めないくせに何が党首選だ!本当に日本はおめでたい国になったものだ。

それにしても、民主党自体が依然として小沢氏中心に回っているという事実(そもそも、小沢派、反小沢派という言い方をするが、菅派、反菅派とは言わない)。これから脱却できない限りは、国民が期待していたような政権運営を民主党が担うことは無理だろう。裏を返せば約3か月前、政治と金を巡る疑惑が小沢氏に突きつけられた時に、幹事長職を辞する程度で矛先を収め、誰一人として引導を渡すことができなかったということが、民主党にとって手痛い誤算だった、といってもよいだろう。

かといって「脱小沢」を掲げて登場した菅一族を見ると、権力を得た途端、暴君よろしく他人の言うことに耳を傾けることなく、自分の信念(いや、思いつき)だけでここまでやって来た、というのが実情ではないだろうか。権力の使い方を知らない人間に権力を持たせると、恐ろしいことになるということを、十分叩き込まれたこの3か月。

まあそれはともかく、今回、政治と金を巡る問題から陰に引っ込んだはずの小沢氏が、僅か3か月というインターバルをもって党首選に出てきたのは、勝算あっての事と思われるし、煮え湯を飲まされ続けてきたフラストレーションが一気に爆発したんだと考えられる。

ただ、どうなんだろう。
仮に小沢氏が党首選で勝利するとなると、それはすなわち、再び首相が交代するということになるわけで。
鳩山政権は、「長い目で見て欲しい」といいながら、僅か一年足らずで首相の座を負われた。正しくは、自爆しただけの話だが。

鳩山氏から首相の座を奪い取った菅氏も、短命政権で終えるのだろうか。

仮に小沢氏に党首交代となると、僅か1年で3人の首相交代である。自民党の短命政権を鋭く批判し続けた民主党の影はいずこへ。与党になった途端この有様。もはや与党慣れしていないとか、そういうレベルじゃない。もしものことになるようなら、自民党よりも酷いぞ。

しかし、仮に小沢氏が党首の座に上り詰めたとしても、自身の身の潔白を全く説明していない(というか、次から次へとネタがありすぎなんですけど)以上、長期政権は期待できないし、むしろ政局は流動化する可能性も孕んでいる(つまり衆議院の解散もありうるということ)。

一方、菅氏が党首の座を守り抜いたとしても、民主党はもはや一枚岩ではなく、結果次第では分裂も現実味を帯びてきそうな雰囲気だ。

いずれにしても、この党首選の後、政界再編も含め、政局が混迷に陥る予感。これでは景気回復だ何だと期待するだけ無駄なのかも。

しかし何が腹立たしいって、この期に及んで敵失を手をこまねいている野党の面々。すっかり民主党の主導権を握られ、まるで存在感がない。どこの党とは言わないが、「ドラマを見るより面白い」と、すっかり有権者と同じ視線で傍観者気取りの党首もいたようで...。あーあ、駄目だこりゃ。そして、この党首選を含め民主党のゴタゴタを面白可笑しく伝えるマスコミ連中。とりわけ新聞や週刊誌はこぞってこのネタに貪り付いている。もっと他に紙面を割く記事がないのか?

そんな状況を醒めた目で見ている国民。自民党だとダメだ、民主党なら何かやってくれそうだ。そんな期待感をもって投票し、今になって後悔している人は少なくないはずだ。自民党を完膚なきまで叩きつぶし、圧勝したあの衆院選の勢いはどこへやら。

何が問題かというと、こういう内輪もめで政治のブレが生じ、国民に不利益が生じていることが一番の問題じゃないのかな。

何かと言えばすぐ解散だ選挙だって話になるけど、その選挙の金って、元を辿れば一体誰が出してるんでしたっけ?

この際だから言わせて貰うけど、税金のバラマキやるぐらいなら、不利益が生じないように均等に減税してくれよ。高速道路だって、使う人はちゃんと使うんだから、無料化の検証なんていらないんだって。

ホント、いつからこの日本はこんな嫌気のさす国になったんだろう。

2010年6月 2日

【一言居士】鳩山首相の辞任

結局何一つ物事を決められぬまま辞任に追い込まれた鳩山首相。正直言って「サッパドした(清々した)。」し、今の政治にはつくづく失望した、というのが率直な感想だ。

本当に、これだけ混乱を引き起こす首相だとは思わなかったし、これほど腹の立つ内閣だとは思わなかった。
野党時代、内閣にキャッチフレーズを付けるのが得意(好き?)だった社民党の福島党首なら、自身も身を置いた内閣に、何とキャッチフレーズを付けるのだろう。

『財源なき』マニフェストを掲げた民主党、そしてマスコミや世論の誘導に流されるまま、勢いだけでそれを選んでしまった国民も、今一度その選択が正しかったのか、考えてみるべきだ。(今だから明かすが、財源の明記されていないあのマニフェストだけはどうしても信用することができず、民主党には投票する気になれなかった。)

それにしても、この8ヶ月は一体何だったんだろう。政治とカネの問題に始まり、高速道の無料化、普天間基地問題、こども手当、郵政関連法案...結局まともな議論が交わされたものは何一つないのではないか。

鳩山政権の成果を挙げるとすれば、国民の目を強く意識した「事業仕分け」ぐらいなのかも知れないが、あれだって結局「提言」しただけのことであって、いくら廃止だ見直しだと言っても、実は槍玉に挙がったいろんな事業が名を変え品を変え予算計上されていることは、あまり知られていないだろう。

蓋を開けてみれば前政権と大して変わらないバラマキ政治、挙げ句の果ては「我々は国民の負託を受けた」と嘯いては、ロクに議論も進めぬまま強行採決に踏み切ったことが何度あったことか。数の論理に物言わせ、横暴かつ強引に物事を進めていく為体は、ハッキリ言って自民党政権より酷いと思った。

一方で、野党に転落した自民党も酷いものだ。メッキの剥げかかったプラ板みたいなもので、いくら声高に何を叫ぼうとも全然響いてこない。そもそもコマの数が減ってしまってはどうにもならない。そしてそれは、他の野党も同じこと。二言目には鳩山退陣ばかりで、結局全然野党としての機能を果たしていなかった。

第三極を謳う新党も、無党派層の受け皿を狙っていることは見え見えで、口を開けば二大政党の批判ばかり、結局何をしたいのかはさっぱり伝わってこない。

今後我々は、鳩山政権になって以降、外交も内政も、ほとんど停滞あるいは後退しているということに、改めて気づかされることになるだろう。

それにしても、無党派層がこれだけ増えていることを鑑みても、もはや政党政治への期待感は大きく損なわれている。おそらく誰が首相になろうとも、期待を寄せる者はそんなにいないことだろう。それだけ政治家の地位はここ数年の間に失墜してしまったといってもいいだろう。

この際、全ての政党には解体して頂きたい。政党本位の政治だから有権者が見放す。これからは党ではなく人を選ぶ時代。選ばれた人物同士が意気投合してグループを作り、お互い是々非々の立場で切磋琢磨すればいい。

もう一つ言わせていただこう。
衆議院も参議院も、本当に妥当な定数なのか検証する必要があるのではないか。「顔だけ」「パフォーマンスだけ」「ただいるだけ」の政治家を、国民は望んでいない。

民主党は党役員が全員辞任し、内閣も総辞職することが決まった。おそらく後任には菅、前原、岡田あたりの名前が浮上してくるだろう(もっとも、我々にそれを選択する権利がないのが痛い)が、次に彼らがコケた時、残る道は衆議院の解散という道しか残されていないと思われる。なぜなら、自民党政権による短期間での首相交代を誰よりも批判してきたのは、他ならぬ民主党だからだ。

ひょっとしたら来年春までには、4年の任期を待たずに再び衆議院選挙が行われることになるのかも知れない。
となると、また無駄な税金が使われることになりそうだ。(敬称略)

2010年4月13日

【一言居士】弘前市長選のこと

当選 51,699    葛西憲之    (63)    無新
    34,314    相馬しょう一    (73)    無現
▽有権者数     149,842
▽投票者数     87,004
▽有効投票     86,013
▽無効・その他     991
▽投票率     58.06%

 任期満了に伴う弘前市長選は11日投票が行われ、即日開票の結果、無所属新人で前副市長の葛西憲之氏(63)が5万1699票を獲得、1万7385票の大差をつけ無所属現職の相馬しょう一氏(73)との一騎打ちを制し初当選した。市民は1期4年の実績を訴えた相馬氏より、市民との対話重視を掲げた葛西氏による刷新を選択した。相馬氏は、市民の関心が高い施設への施策に対する民意とのずれが響いた。投票率は58.06%で前回市長選を2.49ポイント上回った。葛西新市長の任期は16日から。 ※「相馬しょう一氏」の「しょう」は「金」へんに「昌」

4月11日に投開票の行われた弘前市長選挙は、新人の葛西氏が現職の相馬氏に大差をつけて勝利した。ここ最近特に際だっていた、相馬氏の市民感情に配慮を欠いたとも言うべき「失政」を見ると、この結果は当然といえば当然だし、葛西氏の政治的力量に期待するというよりは、相馬氏に失望した市民の票が葛西氏に集まった、といってもいいだろう。そういう意味においては、葛西氏の市長としての力量はこれから問われることになる。
さて今日は、そんな選挙結果を踏まえた所感を述べたいと思う。

今回、一部の経済団体が全面的に葛西氏の後方支援に回った。一方の相馬氏は、市議時代から通算9度連続当選という選挙の巧者であったが、今回ばかりは気の抜けない戦いが繰り広げられたようだ。平日だと僕は弘前市内にいることがないので、選挙戦の盛り上がりがどれほどなのかはわからなかったが、両陣営ともに45~50パーセントと読んでいた投票率が58パーセント台まで上がったことを考えると、それなりに盛り上がったと言ってもいいのかも知れないが、その一方で42パーセントの市民は無関心だったことになるわけで、せめて市長選ぐらい65~70パーセントまで乗せて欲しい、というのが僕の率直な感想だ。ついでに言えば、991票の無効票の中身も気になる。

相馬氏は市議時代から築いた基礎票を持っているといわれていて、投票率が低ければ低いほど有利と言われていた。一方の葛西氏は、浮動票頼みだとするのが大方の見解だったが、結果的には予想以上に浮動票が葛西氏に流れ込んだ、といってもいいだろう。正直、どちらになるにせよ僅差になるのではと思っていたが、この結果は僕からすれば意外だった。

葛西さん(敢えてここは「さん」付けで呼ばせていただく)は元県職員で、土木技師として県土整備部(かつての土木部)を歩み続けた方だ。僕自身は直接指導を仰いだことはなかったが、一度だけ宴席で一緒になったことがあったし、亡父の通夜の際にも参列頂いた、と記憶している。
一方で相馬氏は、亡父が生前お世話になったこともあり、今回の選挙は正直言ってどちらに投票すべきか非常に悩んだ。しかし、最終的には弘前市をどちらに託すか、という判断で決めた。

さて、葛西氏は早速経常経費やその他必要経費を除く全ての市予算執行を停止し、ご自身の意思を反映させたい意向のようだ。合わせて、市総合計画の見直しや、機構改革にも着手したいとの意向を示している。行政経験者という点では、早速の取組に特段の心配をする必要はないと思うが、今後、弘前市の進む方向が大きな転換期を迎えるかも知れない。いろいろ外野の声もうるさそうだが、ここは是非「葛西カラー」を打ち出して欲しいと思う。また、是非その清廉そうなイメージを崩さぬよう、市民との積極的な対話に努めて欲しい。

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