2010年1月12日

自己表現

最近、自己表現が物凄く下手になったと思う。
ついでに言えば、何かの壁にぶち当たって、萎縮してしまっているような感じ。
眼光鋭い猛獣に睨まれ、行き場をなくした小動物のような...。

父が亡くなった直後から僕は、表面上は他人事のように平静を装いつつ、内面では父への思いを巡らせては塞ぎ込んでいたのだが、どうも未だにその殻を脱ぎ捨てることができずにいるらしい。

亥年生まれの父は、自分の行動を都合よく「猪突猛進」と称していた。要するに向こう見ずで、他人の助言には耳を傾けようとはせず、とことん我を通そうとするスタイルだったし、その中にあっていつも余計な一言が多いタイプだったので、その分理解も得られず、敵も多かった。

同じく亥年生まれの僕も、少なくとも柳のように、あっちへフラフラこっちへフラフラというタイプではなく、どちらかと言えば我を曲げないタイプ。更に、父同様根っからの天の邪鬼で、肝っ玉が小さい。
こんな調子なので、世渡りが下手くそ。上司からすれば物凄く扱いにくいタイプなのだろう。
一人出世街道の裏通りで、迷走を続けている。

強者と弱者がいれば、強者に荷担するのではなく、弱者に手を差し伸べたくなる。長いものには巻かれたくない。持論を押しつけられるのはとにかく苦手。圧倒的過半数で物事が決められた時は、少数に目を向ける。
群れで行動するのはどうも苦手。右手をご覧下さいと言われると一斉に右を向いて「ほほー!」と驚嘆の声を上げる観光バスなんて、もってのほか。群れからちょっとだけ距離を置いて、全体を眺めているのが好きだった。かといって、社会のルールも守れないような連中は大嫌い。
組織という大きな器の中では、社員は一つの歯車であるということを言われるが、僕みたいなヤツは居ても居なくても歯車が狂い出すことなんてないし、組織なんて所詮そんなものなんだと、妙に醒めた目で見てしまう。

父と僕が大きく異なる点は、父が率先していろんなことに取り組んだのに対して、僕はどちらかと言えば取りあえず静観するという姿勢にあることだ。

僕にとって父は「反面教師」であり、一生追いつき、追い抜くことのできない存在だった。
いい意味でも悪い意味でも「ああいう生き方はしたくない」と思わせるような男だった。
ただ、生前の父のことを「男らしい」と思ったことは、よく考えてみると一度としてなかったような気がする。でも、父の生き様を振り返ると、自己を犠牲にしてまで他人に尽くし、一貫して信念を曲げなかったこと、その中において父という存在をきちんと自己表現していたことは、男らしいと感じさせるに十分だった。

この世に別れを告げた父は、今どんな思いで僕のことを見ているのだろうか。
今年に入り、僕は自問自答を繰り返している。
ぶち当たっている壁は自分が作ったものではないのか。睨みをきかせている眼光鋭い猛獣は、実は自分自身ではないのか。結局自分自身の殻を破れない、いや破らないだけではないのか、と。

どうやら雪解けの頃には、得体の知れないビッグウェーヴがやって来そうな気がする。
ただ、その波が乗るべき波なのか、あるいは飲み込まれてしまうような大津波なのかは、今のところわからない。

このまま僕は自己表現もできず、悶々と裏通りで迷走を続けるのだろうか。
あるいは、敷かれたレールの上を黙々と走り続けるのだろうか。
ただこれは、一番楽な方法でもあり、この先も特段苦労することはないだろう。
しかし、敷かれたレールそのものは、僕の意志とは違う方向へと誘っているのかも知れない。
そのことに気づいた時、果たして僕は軌道修正できるだろうか。

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