2010年3月 1日

大津波警報

17年振りに発令されたという「大津波警報」。昨日は日本中が妙な緊張感に包まれていた、といった感じだろうか。確か前回は北海道・奥尻島の地震の時だったような、と記憶していたが、その記憶は間違いではなかったらしい。

時代と季節を間違えていれば、僕みたいなアホなヤツは、警報が発せられていることも知らずに暢気に防波堤からの釣りに興じ、海に飲み込まれていたかも知れない。

テレビなどで放映されていたとおり、冠水などの被害の他、岩手県の三陸沿岸では、養殖用の「いかだ」が大きな打撃を受けている模様だ。
強いて言えば、予想していたほど大きな波ではなかったこと、人的被害はなかったことだけが不幸中の幸いだろうか。

一つ気になったのは、根室・花咲港で津波による冠水の模様が放映されていた時、漁協関係者と思しき人が、建物の中からおもむろに外に出て塀に登り、周囲の冠水の状況を確認している姿が映し出されたが、万が一押し寄せる波が予想通り数メートルにも及ぶものであったならば、一溜まりもなかっただろう。見ていて背筋が凍る思いだった。

確かに、日本への津波は結果的に予想を大幅に下回るものだった。今回の大津波警報の発令を踏まえ、気象庁では自戒の念を込めた反省とも取れる弁を述べている。

「予測が外れるのは計算の限界。批判はあるだろうが、最も危険なケースを想定するのが防災の基本で、最善は尽くした」

更にその後の会見では、謝罪。

「津波の予測が過大であったこと、警報・注意報が長引いたことをおわびしたい」

50年前に起きたペルー沖地震による津波被害を知る人は、被災者の高齢化ということもあり大分減っているようだ。実際、僕もどんなものなのかは知るはずもない。
避難指示や勧告が出た地域でも、当時の津波の恐ろしさについて、身をもって知る人は少ないため、このような事態が生じた場合どのような対処をすべきか、住民の間にも戸惑いがあったと見受けられる。

そりゃそうだ。地球の裏側で起きた地震による津波が日本を襲うかも知れない、といわれてもピンと来ない方が当たり前なのかも知れない。そういう意味では、「最悪の事態を想定して」大津波警報を発令した気象庁の判断は必ずしも間違いでなかった様な気がするし、謝罪の必要性もないような気がする。むしろ、どうせ大したことないだろうと注意報や警報レベルにとどめ、港や荷さばき場で普通に作業をしていた時に、あのような津波が押し寄せていたら...と考えた方が、ゾッとする。

個人的には自らも被災した1983年の日本海中部地震での、日本海沿岸を襲った大津波が強烈なインパクトとして残っている。昨日は千葉県鴨川市で、海水が河口から川上に逆流しているような場面が報じられていたのだが、日本海中部地震でも同じようなことがあったことをハッキリと覚えている。ちなみに河川を逆流する津波は、今回各地で見受けられたようだ。

以前にも書いたことがあったかも知れないが、日本海中部地震で亡くなった方は104名。Wikipediaにも掲載されているとおり、このうち津波により命を落とした方は100名にも上る。そのうち13名の児童たちが通っていた小学校は、母の出身地にある小学校であり、少なからぬ衝撃を受けたことを記憶している。ちなみに母の出身地には海がなく、津波がどんなものなのか、当時としてはそれほど知られていなかったことも、被害を拡大した要因の一つといわれている。

遠足で男鹿市の加茂青砂を訪れていた旧北秋田郡合川町(現・北秋田市)の町立合川南小学校の児童が多数巻き込まれたことは、遺留品の散乱する現場の空撮映像が全国ニュースで配信されたこともあって県民や国内はもとより、日本国外にも大きな衝撃を与えた。合川南小学校にはローマ法王など、全世界からメッセージが寄せられた。また同校では外国人音楽家による無料演奏会も催された。

楽しい遠足に出かけたはずのお子さん達が無言で帰宅し、迎えた家族が絶叫、号泣するシーンは、テレビでも放映されていたのだが、子供心に何ともやりきれない思いばかりが去来した。

ちなみに当時僕は中学1年で、理科の授業の真っ最中に日本海中部地震に襲われたのだが、この日、最も早く津波が到達した深浦町には、3年生が写生遠足に出かけており、漁港での写生に興じていたという。大きな地震に見舞われた直後、咄嗟の判断で機転を利かせたバスの運転手が「高台に逃げろ!」と叫び、全員が画材道具などを置いたまま近くの高台に逃げ、難を逃れたそうだ。その数分後、津波が堤防に押し寄せ、画材道具を...。という話を、後日談として先輩から聞かされた。

今回の大津波警報により、避難対象者のうち実際に避難したのはわずか6%ちょっとしかいなかったという。日曜日ということもあって出かけていた人もいたかも知れないとはいうものの、あまりに低い数値だ。
確かに今日では、情報伝達(収集)の方法がいろいろあるとはいえ、具体的な津波の大きさを事前に報じていた媒体は一つもなかったと思う。いや、それは予測不可能といってもいいのだろう。もし仮に、数メートル級の津波が押し寄せていたら...と思うと、日本はつくづく「平和な国」だと感ぜずにはいられなかった。

それに、万が一これが巨大津波だったとしたら、「避難しなかった人が悪い」「被害者の自己責任」という声も挙がるだろう。その一方で、「行政サイドの不手際」も叩かれることになるだろう。
しかし、行政側としては防災無線やその他の方法により、随時避難を呼びかけ、周知していたという現状を考慮すると、これ以上の手の打ちようはないのではないだろうか。それとも極論になるが、最終的な方法として、一時的に自宅から強制退去させるという方法も考慮しなければならないのだろうか。

例えば、避難指示を何度も出したにも関わらずサーフィンに興じていた連中が、津波に飲まれて沖まで流され、命からがら助けられたとしよう。
この時、サーフィンに興じていた連中を責める人たちは大勢いるだろうが、ひょっとしたらそれ以上に、強制的にでも連中を排除しなかった行政が咎められるということはないだろうか。
それとも、これはあくまで行政の「不手際」ではなく、やはり当事者本人の「自己責任」ということになるのだろうか。

確かに地震や台風と違って、津波そのものの脅威を実感することができないということも、サーフィンに興じる連中や住民の防災意識、危機管理の低さに繋がったような気がする。
サーファーや住民にしてみれば、特に大きな被害があったわけでもないし、逆に何もなかったことで「何故あれほど避難しろと騒ぎ立てたのか」という非難の声が挙がっているかも知れない。

そういう点において今回の一件は、津波の予想の難しさはもとより、住民の安全第一を考えるに当たり、行政側が取り得る手段や方法に対する大きな課題(もちろん、法的な扱いを含めての話)、非常に難しい問題を突きつけることになったような気がするし、住民の防災意識の低さを如実に表した、という結果になるような気がする。ただ一つ明確なことは、行政サイドは津波による人的被害が出た後のバッシングを恐れていたのではなく、津波による人的被害が出ることを恐れていた、ということだ。

確かに人的被害はなかったし、大騒ぎするほどの津波ではなかったことは事実として受け止めよう。
長時間にわたり避難した人や、交通機関(とりわけ鉄道)の相次ぐ運転取りやめにより、折角の日曜日が台無しになった人だっているだろう。憤慨されるのもごもっとも。私こそが被害者と言い張るのもわからないわけでもない。本当に大変でしたね、お気の毒様でした、というより他ない。

ただその一方で、実際問題として過去の日本において、津波による被害が起きているということを頭の片隅にでも置かなければならない。対岸の火事で済まされない事態にだって、なりうるのだ。

となると、沿岸住民の防災意識を更に高めるには、日本で起きた津波被害の現状を記録映画として流すしか、方法はないのだろうか。それでも指示に従わない人は出てくることだろう。

いずれにせよ、今回の津波を今後の「教訓」として受け止めなければならないし、明日は我が身だということを、改めて肝に銘じなければならないということを、強く訴えたい。

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