2010年1月15日

大学受験

明日から大学のセンター試験が始まる。受験シーズンの到来とともに、受験生にとってはこれまで培ってきた力を発揮する時がやってきた。天候はあまり良くないようだが、受験生の皆さん、全力を出し切れるよう頑張って下さい。

僕が受験生だった頃からもう20年以上の月日が流れた。ちょうど僕が受験したのは、昭和天皇が崩御し、年号が平成に変わってすぐのことだった。それも、共通一次試験最後の年の受験だった。

翌年から試験制度がセンター試験に変わることが決まっている。しかもどういった内容に変わるのか全くわからない状況。なんとしても一次でそれなりの点数をはじき出さなければ、新しい試験制度の波に飲み込まれる...そんな危機感を抱いていた。
しかしこの年の共通一次は、僕にとっても悲惨だった。なんと理科の試験で、科目間の平均点数があまりに離れてしまったために、得点調整を行うという信じられないことが行われた。
ちなみに僕の受験科目は「地学」だったのだが、物理・生物の平均点が化学の平均点と比較して極端な乖離が生じたため、30~40点の得点調整が行われることになったのだ。しかも、加配方式で行われたために、白紙答案だった生徒であっても、40点ぐらい上乗せされるという方式だった。
勿論物理や生物を受験した人にしてみれば、こんな難解な問題を出されることが不公平。でも、なんの関係もない科目を受験した僕らは、もっと不公平感を覚えていたものだった。まぁ、それでもなんとか自己採点で目標点数まで手が届いたことで、第一希望の大学は受験できることになったのだけれど、二次試験で敢えなく撃沈。結局すべり止めだった地元の国立大に合格した。

同級生に言わせれば、これさえも奇跡だったかも知れない。捨てる神あれば拾う神あり。だって高校時代の成績といえば、360人中200番そこそこ、酷い時は330番台まで落ちぶれた輩が、現役合格しちゃったんだから。

ちなみに受験といえばどうしても避けて通れない、決して忘れ得ぬエピソードがある。

僕の周囲では「伝説」とも言われている(?)「ナン事件」。
幾度となく語り草にしてきたこの「どんだんず」級の事件を、久し振りに検証しようと思う。

共通一次試験から約1ヶ月。僕は、仙台の某私立大も受験することになっていたのだが、たまたま弘前からの高速バスで同級生二人と居合わせ、3人で東北新幹線に乗車することになった。当時はまだ東北新幹線が盛岡止まりの時代。ちなみに彼らが目指すのは東京。

僕が持っていたのは盛岡から仙台までの指定席だったのだが、一人の友人が持っていた切符は自由席。「どうせなら一緒に...」ということで自由席に乗り込んだものの、これがまた異常なほどの大混雑。しかし、そんなこととはお構いなしに、座席を回転させてボックスにし、それぞれ赤本やら対策本に目を落とす。3人なので、一人分の座席が空いているのに、誰に譲る気もナシ。今思えば、本当に酷いことをしたものだ。

で、互いの健闘を祈り、僕だけ仙台で下車。既に時計は14時を過ぎていた。

そういえば昼ご飯、何も食べてなかったなぁ...。

仙台駅前に降り立つと、歩道橋が張り巡らされている。目の前に飛び込んできたのは、ams西武(現在のLoft)。
腹減ったなぁ。最上階に行けば、何か食べ物屋があるだろう...。
思いのままエスカレーターで最上階へ。
最上階まで行くと、予想通り飲食店が並んでいた。

ええと、腹ごしらえの前にまずはトイレトイレ...。

小便器と向かい合わせになりながら鼻歌を歌っていると、プゥ~ンと漂うスパイシーないい香り。
カレーか...。カレーもいいな。よし、カレーに決定!

トイレを出ると、すぐ隣にその店はあった。何の疑いもなく店に入ると、客は誰もいない。そりゃそうだ、もう15時近くなんだから。

「イラシャイマセ。」

気のせいか、片言に聞こえた日本語。
ふと見ると、そこに立っていたのは明らかにインド系のお兄さん。

「あ...。やっちゃった、かも?」

そのまま引き返すわけにも行かず、導かれるまま窓際の席へ。
妖艶なインド音楽が流れ、壁や天井には象のタペストリーやら仏像の写真やらが貼られている。
ふと、隅で一人読書に耽る中年女性を発見。

しかし、少なくとも17歳の少年が一人で入るような店ではない。

「ナニしますか?」

メニューを見ると、見たことのない名前のカレーが並んでいる。

グリーンカレーって、何?カレーが緑色なの?
そんな疑問と混乱で錯綜する頭をかきむしりながら、口をついて出た言葉が「チキンカレー」。
まぁ、これが一番無難だろう。

「パンにしますか?ライスにしますか?」
へ?パン?カレーにパン?日本人なら米だろ、米。しかし勢い余って口から出た言葉は、「パン」。

「コーヒー?ティー?」
なぜか急に英語口調になるインド人。「テ、ティー(汗)」。...って、今まで紅茶なんて頼んだことないくせに。ここは「コーヒー」だろ!と、一人突っ込み。

一人になり、誰の目もなくなったのをいいことに、格好付けてタバコを一本取り出す17歳(もう20年以上前のことだから、許せ)。ちょっと煙に咽せながら、気持ちを落ち着かせるよう言い聞かせる。

ふと厨房の方を見ると、厨房はガラス張りになっている。何やらこねている様子。程なく、そのこねくり回した白い物体を、おもむろに頭上に上げて、グルグル回し始めた!な、何だあれは?

何か完全に異次元の空間に来たような気分。ますます動揺が広がる。
知らぬ間に手が汗ばんでいるのは、スパイスの香りの為せる業か、それとも...。

しばらくして、インド人の店員がやってきた。
「オマチドサマ。」
ドンと目の前に置かれたチキンカレーを見て、目が点になった。全然想像していたものと違う。手羽が一本、カレー汁の真ん中に置かれているだけ。そしてパンは...。

さっき厨房でくるくる回されていた、わらじのような大きさの焦げた物体だった。

そう、僕はこの時「ナン」という食べ物を知らず、「パン」と信じ込んでいたのだ。店員も「パン」と言ったのではなく、最初から「ナン」と言っていたのだ。

嗚呼、しまった。(ナンだけに)何という大誤算...。
しかし、出されたものを断るわけにはいかない。既に空腹のピークを遙かに超えていた胃袋の中に、出されたカレーを流し込む。
ナンはほとんど味がしない。カレーを染みこませ、ひたすら無言のまま貪りつく。

食後に出された「ティー」も普通の紅茶ではなくミルクティー。しかも、茶葉がたくさん浮いたまま(要するにチャイ)。

日東紅茶のティバックに、穴でも空いてたんじゃ...。
もっともこんなのは、今でこそ当たり前の光景なのかも知れない。しかし、今から20年以上も前、しかも家で食べるカレーこそがインターナショナルなスタンダードと信じて疑わなかった僕にとって、経験したこの全ての出来事は、その後の僕の人生に暗い影を落とすことになった(ホントかよ)。

受験前から既にKO状態。満腹感も満足感も得られぬまま、店を出る僕。

「アリガトゴジャマシタ。」
ウン。確かにいい香りだったよ。でももう、二度と来ることはないだろう!

明日本番を迎える僕の精神状態は既にボロボロ。
その後タワーレコードに立ち寄り、なぜかAnita Bakerの「The Songstress」を購入(当時は輸入盤でしか販売されてなかったのです)。

17時頃になり、宿泊先のホテルに無事到着。

ところが、実はここからとんでもない災難が待ち受けていた...!

(続く、かな?)

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