2010年3月17日

立つ鳥跡を濁さず

11日の時点で内々には聞いていたのだけれど、僕にとって7度目となる異動が決まった。正式発表は明日午前。通算18年目の春を迎えるに当たり、また新しい部署への異動となり、今回の移動で所属部が4度変わったことになる。

これが僕にとっていいことなのか悪いことなのかはわからないが、ようやく今の所属部に根を張ろうとしていたところだったのに、また別なところに移植されるような気がして、正直言ってあまり気分は穏やかではない。しかも、ここ10年は所属部を転々とさせられていて、何となくたらい回しされているような感じだ。
ただし今回は、異動の他に昇任というおまけがついた。まあ、これについては去年から言われていたことだったし、既定路線だったとはいえ、何だか身の引き締まる思い。

僕には、未だに後悔というか心残りというか、絶対足向けできない(行きたくない)部署があって、そこから異動する時の引継だけは、本当にボロボロだった。もっとも、心身ともに一番疲弊しきっていた時期だったこともあって、満足な引継書を作ることもできず、「立つ鳥跡を濁さず」どころか、汚点ばかりを残す結果となった。
あの時はフォローしてくれなかった上司への恨み辛みばかりを募らせたものだったが、元を正せば悪いのは僕であり、当時後を引き継いでもらった担当者には本当に申し訳ないことをしたと、しばらくたってから後悔しきりだった。

あの時以来、引継の重要性を思い知らされ、かなり濃密な引継書を作るようになった。しかし、引き継ぐ相手が内容を理解できないようでは元も子もない。結局引継がうまくいかない理由の一つは、引き継ぐ側が知らず知らずのうちに「これぐらい知っているだろう」という先入観を持って書類を引き継ぐからだと思う。それができればいいのだが、多種多様な業務を抱えるうちの職場の場合、そんなにうまくはいかない。
例えば、全くの新人に引き継ぐとなると、「いろは」の「い」から引き継がなければならない。文字通り手取り足取りの引継が必要になる。とりわけ僕の勤めている職場の場合、僕のように全く畑違いの業務に異動になるなんていうのは日常茶飯事のことなので、着任する側のことを十分に配慮しなければならない。
ちなみに、そういった配慮をしたにも関わらず、引き継ぎした相手が、引継内容を理解できず(しようとせず)に休みがちとなり、ついには前の職場から2週間にわたって緊急招集された、なんてこともあったっけなぁ...。
もう10年以上も前の話か。嗚呼、懐かしい(笑)。

ということで、昨年てっきり異動になるものだと思い込んで(というのも今の仕事を3年続けた人はそれまで皆無だった)作った引継書をベースに、改めて引継書を作成中。

立つ鳥跡を濁さずとは言うけれど、残念ながら僕は鳥ではないので、いろんなものを積み残し、やりかけのままで持ち場を変わることになりそうだ。

一番理想的なのはこの引継書の内容を理解してくれて、新しい職場に一度も連絡が来ない、ということだけれど、なかなかうまくはいかないんだな。今回も4階から1階に移動するだけなので、何度も足を運ぶことになるんだろうなぁ...。しかし、次の職場は今以上に県外出張のなさそうな職場なので、全国各地におられる知り合いの皆さん、是非青森にいらしてください(笑)。

というわけで、来年2月の東京マラソンに向け、4月から足腰の鍛錬に努めます(ウソです)。

2010年3月12日

去年の今頃は...

年度末が近づき、いろいろ慌ただしくなってきた。
ふと、去年の今頃何してたかな...と思って過去の日記を引っ張り出してみたら、ちょうどWBC の熱戦に一喜一憂していたのがこの時期だった。
高い確率で異動になるのだろう、と思って引継書を作っていたにも関わらず、異動対象者の名簿に名前がなくて愕然としたのもこの時期だった。

去年の今頃は雪は少なかったようだ。犬3匹と散歩にも出かけていたが、チョコがああいう状態になってしまった以上、今となってはそれもできなくなってしまった。
青森りんごの価格暴落で、リンゴを破棄しなければならない危機に見舞われたのもこの時期。
定額給付金の支給が始まり、個人的には「余計な仕事」が増えたのも去年の今頃。

一年経つと、案外いろんなことを忘れているものだ。恐らく来年の今頃は、「あ、そういえば冬季五輪って去年だったんだね」なんてことをふと思い出すのだろうか。

さて、来週は異動内示が発令される予定。今年はどうやら、昨年から暖めていた「引継書」の出番となる可能性大(というか99%確定。実は、4月以降の処遇について、かなり具体的な情報を耳にしています)。

この件については、また追ってお知らせを...。

2010年3月 5日

315円の至福

MARKS&WEBで販売されている「メープル マッサージウッド」が、最近僕の中ではかなりお気に入りのアイテムになりつつある。

恐らくMARKS&WEBの各店舗では、レジの横にあるビーカーのような容器に無造作に入れられているのではないだろうか、「しずく」がちょっと歪んだような形状をした、5センチ程度の大きさのアイテムだ。
他の商品を購入する際、まるで箸置きのような、一つ一つ形状の違うそれに何となく興味を引かれ購入してみたのだが、購入時はそれほど使いこなす程のアイテムにはならないような気がしていた。

ところがある日のこと、通勤時の電車内でちょっと握りしめてみたところ、柔らかにツボを刺激するその心地よさにすっかり虜になり、電車から降りた後もずっと手のひらの中で転がしていた。
その日以来、常にポケットの中に忍ばせるようになり、電車内、職場と、場所を問わず手の平の上をコロコロ転がすようになった。

大きさも手頃で、僕の手の中にちょうどフィットするサイズ。Webでも販売されているが、こればかりは実物を見て、手にとって購入した方がいいかもしれない。

個人的に気に入っているプレイ(笑)は、尖った方で指一本一本の第一関節から上を、多少痛みの感じる程度に押した後、反対側を使って指間をマッサージ、最後は再度尖った方を使って手相にそう形で這わせるというもの。終わる頃にはジンワリと手の平に汗が帯びてきて、手がポカポカしている。

もちろん、代用できるものはいくらでもあると思うが、個人的には木のぬくもりというか質感を直に感じられるのがいいと思っている。

一応参考までに

2010年2月26日

ALPSLABサービス、まもなく終了

ALPSLABをご利用の皆様へ
平素よりALPSLABをご利用いただき、誠にありがとうございます。
このたび2010年3月末(予定)をもちまして、ALPSLABおよびALPSLABで提供するすべてのサービスを終了させていただきます。

サービス終了後は、ALPSLABのすべてのページにアクセスできなくなります。
お客様が作成したデータにもアクセスできなくなりますのでご注意ください。
「ALPSLAB route」についてはLatLongLabにて後継サービス「ルートラボ」を公開しておりますので、そちらに必要なデータの移行をお願いいたします。
またブログやWebサイトへ貼り付けた地図などはサービス終了後もそのままご利用いただけます。
詳しくは「終了対象サービス」をご覧ください。

2006年3月のサービス開始以来、ALPSLABをご愛顧いただき誠にありがとうございました。
またサービス終了によりご迷惑をおかけいたしますことを深くお詫びいたします。
何卒ご理解とご協力のほどよろしくお願い申し上げます。

ALPSLABのサービスの一部がYahoo!に統合(吸収?)されたようで、今般サービスを停止し、一部機能についてはLatLongLabというサイトで引き続きサービス提供していくらしい。
個人的にはALPSLABのPhoto機能(右のサイドバーにある「my Photo」。地図付きの画像です)がとてもお気に入りで、Flickrに掲載した画像に地図情報を貼り付けていたのだが、今回のサービス終了に伴い、当然のことながら位置情報の貼り付けができなくなる。

結構この機能を利用している人は多いみたいで、サービス終了を惜しむ声も多い。

ではFlickrサイト内の位置情報を貼り付けてみようか、と思ってみてみると、一体どこの地図なんだ?というぐらい、思わず笑っちゃうようなメチャクチャな地図だったり...。

うーん、代替サービスの早期提供を希望!!

2010年2月22日

驚異的回復

昨日、チョコを動物病院に連れて行った時のこと。
思えば先月24日に発症以来、まもなく1ヶ月。当初は余命1週間だろうということで覚悟を決めていたつもりだったのだが、衰弱するどころか逆に以前のパワーを取り戻しつつあるような状況だ。

チョコは、僕が運転する車に乗せられた時はどこに連れて行かれるのか察するようで、落ち着きがなくガタガタと震え始める。病院に到着してから待合室にいる時も、ずっとガタガタと震えている。

程なく、チョコの名前が呼ばれた。
獣医と対面するのは2週間振りで、今回は果たしてどんなことを言われるのか内心ビクビクしていた。ただ、前回と比べて診察台の上に乗せてもまな板の上の鯉状態で横たわっていることはなく、前脚で自分の身体を起こした。

獣医は学会か何かの都合で渡米していたのだが、その間もチョコのことは気にかけていたようで、国際電話で状況を聞いていたようだ。

診察台に乗せられた途端、前脚で身体を起こし、ガタガタと震えながらも凛とした表情を浮かべるチョコの姿を見て、獣医が舌を巻いた。

「止まりましたねぇ!うん!止まったな。米国にいた時も電話で元気だとは聞いていたけど、よかったねぇ。」

どうやら進行性だと思われていた病状が止まった、ということらしい。
嬉々とした声色にも聞こえる獣医の言葉は、今回が初めてだったような気がする。その声を聞いて僕は、思わず泣きそうになった。

決して自発的ではないが、誰の手を借りることなく排泄も自然に行われていること、食欲は以前のように取り戻したこと、下半身が不自由である以外は、普段通りの行動に戻りつつあること...。

これまでは、病院を訪れるたびに「良くなることは考えず、これ以上悪くならないことを考えましょう。」ということばかり言われていた。
獣医も「いやー。運ばれてきた時は全然動けなかったし、あの状況を考えると...ねぇ!ホントによかった。」
恐らく一瞬間の空いた「...」に込められた思いは、僕たちが考えていたことと同じことなのだろう。

「ただ、まだ油断は禁物ですよ。大分痩せましたけど、太ると前脚に負担がかかりますからね。体重は勿論、普段の管理も怠らないようにしましょうね。特にこうやって前脚で立てるようになっても後ろの自由が利きません。床擦れには注意ですね。」

僕と妻は獣医の言葉に頷くだけだった。

その後、しばらく触診を続ける獣医。
「いやぁ、よかったね。じゃあ、薬の量を減らしましょう。ステロイド剤を半分にしましょうね!」

あれほど深刻な表情を浮かべながら「余命宣告」とも言うべき言葉を告げた獣医の表情はそこにない。むしろ、後ろ脚が不自由でも何とか生きていけるんじゃないか、そんな前向きな言葉を獣医の口から聞くことが出来ただけでも、本当に良かった。

チョコは相変わらず、家に帰ると喉が渇いたと空吠えし(ただし、筋肉が落ちているので声になっていない)、食事を始めると自分にも何か喰わせろと空吠えする。でもそれは、1ヶ月前に何の不自由なく動き回っていた頃と何ら変わらない。

どうやらもうしばらくの間、3匹と戯れることのできる時間を与えられたようだ。

2010年2月18日

Twitterをはじめたら...

何かこちらのブログの更新頻度が落ちたような気が...(汗)。
いや、気のせいではないですね、多分。

まぁこれはあらかじめ想定されていたことではありますが、Twitterが何のことやらわからない方もこちらを訪れているはずですので(そう、あなたですよ。笑)、Twitterを簡単に説明しますと、日経MJによる2009年のヒット商品番付で、西の小結に格付されたもので(ちなみに横綱は「エコカー」と「激安ジーンズ」。これらについては2010年ではランク外となり、「引退」の可能性大。)、ひょっとしたら2010年のヒット商品番付では、大関、いや横綱まで「昇進」する可能性を秘めているかも知れません。

更に具体的に説明するならば、Twitterに登録したユーザーが140字以内の「つぶやき」を発することで、「ゆるいつながり」が発生するというコミュニケーションサービスです。
昨今ではネット上での選挙活動解禁がにわかに現実味を帯びてきておりますが、仮にそうなった場合、まずこのTwitterがその一翼を担うことは間違いないでしょう。

まあ、かくいう僕もTwitter歴は浅く、ある意味初心者ですのであまり詳しいことはわかりません(えらそうに書きましたが、全部受け売りですのでご容赦を)。

で、Twitterを始めてみて面白いなぁ、と思ったのが、何気なく投稿した内容に時折寄せられる反応。
事業仕分けを行った後、「見直し」「廃止」とされた事業が手を変え品を変え復活しているのを呟いたら、他の方々にReTweetされ、蓮舫議員( @renho_sha )から「再度見直し予定」という呟きが寄せられていたこと。もちろん蓮舫議員とは全く面識がないんですが、これをいわゆる「ゆるいつながり」というんでしょうね。同様に、Sing Like Talkingの佐藤竹善さん(@ChikuzenSato )からも突っ込みのRTが寄せられたことがありました。

こんな感じで、有名な方はもちろん、全く見識のない方とも何となく繋がっていくというのがTwitterの面白さであるのですが、あまり間抜けなことというか自分本位な事ばかり呟くと、有識者からやんわりと指摘されることもあるので注意ですね(経験あり)。

勿論有名人の方々の呟きを見るのも面白いのですが、地元の方々と繋がりながらいろいろ情報を得るのも楽しいですし、青森県出身者の方々が県外で呟く内容も非常に興味深いです。
その他、僕の好きなプリンスのファンの方々との繋がりや、全く見ず知らずの方々とゆるーく繋がっているのも何だか不思議です。

で、僕はmixiにも登録しているのですが、Twitterの呟きは特定の内容を除くと全てmixiボイスに転送されるように設定しています。なので、極端にmixiボイスに僕のボイスが連続することがありますが、それはたまたまTwitterで連続投稿したか、あるいはまとまって転送されたかのいずれかですのでご容赦を。

もう一つTwitterを始めて変わったのが、好き勝手綴っていたブログの中身を見直すようになったこと。自分のブログだから何を投稿しようが勝手だろ、といえばそれまでですが、自身の投稿内容には責任を持たなければなりませんからね。

とはいえ、こちらを閉鎖するつもりは毛頭ございませんので念のため(笑)。適宜使い分けながらやっていきますので、これからもよろしくお願いします。

2010年2月 8日

温泉

弘前市周辺には、多数の温泉が湧いている。弘前市内だけ見ても、岩木山の周りにはいろんな泉質の温泉がある。近隣市町村も同様で、単純泉から濃厚な硫黄泉まで、多岐にわたる。

土曜日の弘前は今まで見たことのないような猛吹雪と大雪に襲われ、朝から3度にわたって雪かきをした。日曜の朝も除雪車が残していった置き土産(道路の雪)と家の周りと合わせて、約1時間近く雪かきをした。
かなり身体が冷えた感じ。首と腰も何となく痛い。

妻からの提案もあり、久し振りに温泉に行くことにした(ただし妻は留守番)。
母も行きたいということで母を乗せ、20分程車を走らせる。徐々に雪が深くなり、道幅がどんどん狭くなっていく。集落の中の車のすれ違いも出来ないような生活道路を抜けたところに、その温泉はあった。初めてやって来た温泉だが、母がいなければ絶対に辿り着くことはなかっただろう。
駐車場には既に多くの車が停まっている。ちょうど夕方の時間帯ということもあり、混雑しているのかも知れない。

料金は、一人たった200円。受付に500円玉を置き、「母さん、大人2人分。500円置くからお釣り100円貰うよ」というと、奥に座る婆さんが「あいよ。」と一言だけ。婆さんの周囲には犬がまとわりついているが、犬の可愛さとは対照的に、お世辞にも愛想の良い婆さんではない。
廊下には、無造作に積まれた段ボール。中には野菜とリンゴが置かれている。どうやらこれも、売り物らしい。

建物は結構古く、しかも何だか寒々としている。廊下には待合用のソファがポツンと置かれているが、ここに暖房が入っている気配はない。
「男湯」と書かれた戸を開ける。いきなり目に飛び込んできたのは、目隠しの用を全く為していない番台。このあたりで着替えていれば、女湯の脱衣所が丸見えだ。ただ、農家集落の一角にある温泉は、このあたりの住民の為の温泉と言っても過言ではないのだろう、勿論そんなところで着替えている人はいないし、大体、地元の婆さん達の濁声しか聞こえてこないような脱衣所をわざわざ覗く気にもならない。
脱衣所のロッカーもかなり古く、鄙びている。ロッカーの上を見ると、多くの綿ゴミが散らばっている...(苦笑)。サウナなんて高尚な施設も、もちろんない。

浴場に行くと、これまた綺麗とは言い難い湯船がどーんと一つ鎮座。湯がこれでもかと言わんばかりに溢れている。Lの字に囲むように、10人ほどが座れる洗い場がある。ただし、シャワーがない(笑)。

あれほど車が停まっていたのに、入っていたのは2人だけ。しかもそのうち一人は、既に上がり湯の状態だった(母に聞いたら、女湯の人が結構多かったらしい)。
まずは身体を流し、湯船に浸ってみる。
湯船の前、透明なガラスの向こうには、雲を被った岩木山が日の暮れた中にうっすらと浮かび上がる。

...ちょっと待てよ。

この温泉の前には道路が通っているんじゃなかったっけ?と思った瞬間、スゥッと車が走り抜けていった。
何だよ。これじゃ外から丸見えじゃねえかよ(笑)。

しかも、ザ・ドリフターズの唄ではないが、湯気が天井からポタリと背中に...頭に...肩に...腕に...って、ちょっとポタポタし過ぎなんですけど。

熱めのお湯だと聞いていたのだが、思ったほどではない。僕にとってはちょうどいい湯加減だ。薄い茶褐色を帯びた湯が全身を包み込むと、徐々に肌がつるつるしてくるのがわかる。肩まで浸かったり、上げたりを繰り返すこと数度。徐々に身体の芯が暖まっていく。

男湯と女湯を遮るのは、厚めの磨りガラスのみ。天井は筒抜けだ。女湯からは、婆さん二人の陽気で他愛のない会話が響き渡る。

一方の男湯は寡黙なもので、入れ替わりで客が入ってくるのだが、僕以外はみんな、既に還暦を迎えてから結構経っていそうな人ばかりだ。

シャワーのない洗い場で苦戦しながら、全身を洗い流す。

最後に入ってきたオッサンは、どうやら先客と近所の知り合いらしい。土日は作業(仕事)を休んで雪かきに追われたこと、屋根雪は危険だったので下ろさなかったことなどを、もう一人のオッサンとともにああだこうだと談笑している。湯船から上がると、僕の隣に座っていたオッサンから突然話しかけられる。
「あのデッタダトヨタの車、オメのダガ?(あの大きいトヨタの車、お前のか?)」
「いや、さっき上がった父さんのヤツでネガ?」
「あ、んだが...。」

その後オッサンたちは車の会話から外れ、政治の話やらいろんな話に花を咲かせている。
僕はニヤニヤしながら、その会話に聞き耳を立てる。
何の脈絡のない会話。でも、こういうところにある温泉は、見ず知らずの人たちとのコミュニケーションを当たり前のように成立させてしまう不思議な作用をもたらす。

湯浴みを終え、脱衣所へ。身体が熱を帯びてポカポカしている。湯冷めに注意しなければならない。しかし、思った以上に早く汗が引いていった。かといって身体が冷えているわけではない。

ソファには、母が腰掛けていた。
「あ、ゴメン。待った?」
「いや。2、3分かな。」
手にはジャガイモの袋が2つ。
「これ?一つ100円だって。」
嬉々としながら車に乗り込む母。

弘前市内にはこんな隠れた名湯がたくさんある。

新岡温泉

施設の概要
住所:青森県弘前市大字新岡字萩流161-12
電話:0172-82-4521
FAX:0172-82-2999
営業時間:日帰入浴6:00〜21:00
駐車場:15 台
入浴料金:大人200円

温泉の効能
リウマチ性疾患、運動器障害、卵巣機能不全症、更年期障害、月経障害、やけど、切り傷、慢性消化器病、疲労回復

源泉名
新岡温泉

主泉質/成分
ナトリウム塩化物・炭酸水素塩泉

泉温
源泉47.3℃  温度43〜44℃

2010年2月 3日

その後のチョコ

さて。散々皆様にご心配をお掛けしているチョコの件。ここ最近の様子は、悪い中にも極めて良好、といっていいかもしれない。危機的状況からは、幾分抜け出したような気配だ。

ついこの間まで、日に日に弱っていく姿を目の当たりにしていたので、Xデーは近いと覚悟を決めていたつもりだったが、昨日出張から帰宅し、チョコを見てその考えを撤回。

足は動かないし寝返りも打てない、勿論歩くことも走ることも出来なくなってしまったチョコだったが、こんなに元気になるの?というぐらい元気だった。イヤ、元気だったというのではなく、表情に落ち着きを取り戻していたのだ。

「余命一週間」の宣告から既に12日目を迎え、どうやら自分の身体がどういう状況なのかをチョコ自身も理解しつつあるらしく、震えや無駄吠えなどが減った。代わりに、1週間一度も見ることのなかった「あくび」をするようになった。考えてみると「余命一週間です」と直接いわれたわけではないので、実際のところはどうなのかわからない。ただ、獣医師からいわれたことは、「良くなることを考えずに、悪くならないことを考えるように」ということだった。

首から下はほとんど自由が利かず、現在は前脚すら立たないような状態(感覚はある模様)で、ごろごろ寝てばかりいるらしい(こればかりは仕方ないですけどね)。
しかし、表情は至って普通。しかも、一時的に急激的ではあったが、体重も減ったので、かなりスリムになったようにも見受けられる。

いわゆる「シモの世話」は我々がしなければならない。
尿はカテーテルを挿入しているので勝手に排出される。一時期は真っ赤だった尿も、昨日出張から帰宅すると更に透明度を増しており、腎不全などの心配は今のところなさそうな感じだ。
僕の出張中に、妻と母がチョコのおしりを洗い流してあげたようで、その時は便に血が混じっていたらしいが。

食欲も至って旺盛。
ハナとモモが食事を始めると、チョコも声にならない声を上げて「エサを喰わせろ」と猛アピールしてくる。我々が食卓についた時も同様。
薬の服用も、錠剤をすり鉢で潰し、エサに混ぜて食べさせたところ、何の違和感もなくパクパクと食べるようになった。
ハナとモモも空気を察知したのか、執拗にエサや散歩をねだることがなくなった。時折チョコのそばに顔を近づけてクンクンと匂いを嗅ぐことがあるが、何か悪さをするということもなくなった。

夜中にクンクンと鳴く数も、ぐんと減った。おかげで、比較的睡眠時間を確保できるようになった。強いていえば2時頃に喉が渇いたのか鳴き始めるぐらいで、あとはほとんど眠りについているような状態だ。

正直言って、僕たちもかなり気が滅入っていたけれど、こうなってしまった以上は、なるようにしかならないんだし、あとは時流に任せるしかない、といった雰囲気になっている。ただ、決して悲観的ではなく、むしろ楽観的。それがチョコにも伝わったのかも知れない。

ということで、チョコも我々も他の犬たちも、大分落ち着きを取り戻してきました。お騒がせして申し訳ございません。

2010年1月29日

折り返し地点

人生を「マラソン」に例える人がいる。
そして、決まってその「マラソン」には、「折り返し地点」が存在している。
「人生の折り返し地点」、なんて言葉もよく耳にする。

でもよく考えてみると、人生に折り返し地点なんてあるわけがない。何故なら折り返しということは、元の道をまた戻ることになるからだ。

ということは、また高校生~中学生~小学生と遡り、最後のゴールは生まれた時?お母さんの子宮の入り口?まさか。
そんな人生の例えは、何となくイヤだと思う。

もしもこの世に別れを告げる時がゴールだとするならば、僕はそのゴールテープは切りたくないと思うし、ゴールの手前で途中棄権して、次のレースに備えたいぐらいだ。

「あいつ、ゴールの目前で途中棄権したんだよな。ははは。」
単に「戸籍謄本」という記録に残るのではなく、いつまでもみんなの記憶に残るような、そんな人生を歩んでみたいものだと思う(そういう意味においては、父の生き様は凄いと最近思うようになった)。

今日、39歳の誕生日を迎えた。いよいよ不惑へのカウントダウンがスタートした。人生のスタートは39年前に始まっているが、本当の意味で人生を謳歌するスタートは、実はまだ切っていないのかも知れない。

僕には人生のゴールがどこにあるのかわからない。
いや、わかるはずがもない。
記録を競うようなマラソンよりも、日々暗中模索しながらゆっくりと、ダラダラかも知れないが、一歩一歩しっかりと踏みしめていくのが、性に合っているような気がする。

僕の人生のスタートとゴールは、全く違うところにあるはずだ。だから、僕の人生には折り返し地点なんてないのだ。

いい年扱いたオッサンの誕生日にあたり、いろいろメッセージを頂きありがとうございます。この場を借りて、厚く御礼申し上げます。
気張らない程度に、頑張ります。

2010年1月28日

介護の大変さ

チョコの突然の下半身不随から4日が経った。いろいろ調べてみると、発症から2~3日で呼吸困難を起こす...ということで、家族一同それ相応の覚悟を秘めながら毎日を過ごしているのだが、様子を見ていると一進一退といった状況だ。

まず、排尿について。医師からはこれが一番気がかりということだったのだが、火曜日の朝に微量ながら排尿しているのを確認して出勤、その後母が、抱きかかえたチョコの下腹部を撫でてあげたら、大量に排尿をしたそうだ(ちなみにペット用シートを敷いていたので、そういう意味での被害はなかった)。この日の午前、再度病院に行ったところ、「良くもなっていないし悪くもなっていない。」という、我々にしてみれば全く期待外れの診察の後、自発的な排尿ができないため、導尿カテーテルを通して貰った。
火曜日夕方には血尿(それもかなり赤い)が確認され、いよいよか...と覚悟を決めたのだが、翌朝には再び元の尿の色に戻っていた。
排便も自発的ではないため、我々が処理してあげなければならない。実は今朝も急にガタガタと震え始めたため、何事かと心配したのだが、何ということはない排便したということを知らせたかっただけのことらしい。早朝からこういう作業をしなければならないのは、決して楽なことではない。だが、我々がしてあげなければならないことというのは、こういうことなんだということを感じながら、処理が終わる間、チョコを抱きかかえていた。

続いて食欲について。水は頻繁に飲む。最初は牛乳に混ぜて薬を飲ませていたのだが、医師から「腎臓などの負担になるので牛乳はやめるように」と、火曜日になって指導されたそうだ。

まったく、そういう話は全く聞いていなかったし、考えてみるとこちらの不安を煽るばかりでインフォームド・コンセントも全然なっていない。
今はどこの病院とは言わないが、次回はちょっと突っ込んだ話を医師に聞いてみて、それを録音したものをネタに訴訟にでも持ち込みたい気分だ。

一方、固形物は、昨日になってわずかではあるが口にするようになったそうだ。それもあってようやく排便するようになったのだろう。ただし、肛門のあたりに出血が見受けられたのが気になるところだ。

何せ相手は犬なので、どこが痛いとか何をしたいとかいうことが、ほとんどわからない。いくら5年一緒にいたからって言葉が通じ合うわけではないし、チョコの考えていることも残念ながら我々には伝わってこない。あの日以来チョコは、「ワンワン」と鳴くことはなくなった。しかし、頻繁に「クンクン」と愚図るように鳴く声が、我々に何を求めているのか、なかなか理解しがたく、苦労しているというのが実態だ。

特に酷かったのが一昨日の夜で、何せチョコ自身がほとんど睡眠を取っていないため、よほど疲れが溜まっていたのか、目を開けたまま寝てしまうといった状態、しかも真っ赤に充血した目は瞳孔が開いているようにも見えて、いよいよ「その時」がやって来たか、と僕自身がおののく始末。
妻や母にいわせると、「誰かさんも同じように目を開けたまま寝るよね」と一笑に付したが、僕は何か胸騒ぎがして、結局寝たり起きたりの繰り返し。寝た心地がしなかった。一方のチョコはずっと起きていて、可哀想な鳴き声をずっとあげていた。結局それも杞憂に終わったわけたが、その間「2~3日中に...」という医師の言葉が頭の中をずっと駆け巡っていた。

そういう意味においては今回、犬とはいえ「介護の大変さ」を、身をもって知らされることになった。まだ(いや、もう?)4日目ではあるが、日中は母が面倒を見て、夜は我々が面倒を見るという役割分担も、自ずと出来つつあるし、少なくとも我々の生活のペースは今、チョコを軸にして動いているといっても、過言ではないかも知れない。

「オラ、年取ればアダッって、毎日毎日「イック(妹の名前)、ションベ(小便)、ババ!」って叫ぶんだ。」と冗談交じりに話していた、生前の父のことを思い出す。
父は結局介護どころか、あっという間にこの世から去ってしまったが、今こうやってチョコに対して行っている「介護」が、実は父が我々に与えた「宿題」の一つなのだろうかと、都合の良い解釈をしてチョコと向き合っている。

「余命」といわれた一週間まで、あと3日となった。
正直見たところでは、そんなに悪くなっているという印象はない。
そして、何故かわからないが、「もう駄目かも知れない」という意識は薄れ、「このままでもいいかな」という受容の気持ちが生まれつつある。この先どうなるかなんて誰もわからない。でも、まずは自分の中にある不安を取り除くことが、チョコを不安に陥れない方法の一つなのだろうと、考えている。

偶然見つけたある獣医師のサイトに、こういう言葉が羅列されていた。

・余命宣告をされると、飼い主さんがカウントダウンをはじめる
・想いが現実に反映される様になる
・『××はイヤ』という思いは、『××になれ!』と同じ意味
・余命なんて神様しかわからない
・最期の最期まであきらめない気持ちで取り組もう
・しかし、結果は甘んじて受け入れよう
・結果に執着せず、現在にベストを尽くそう!
・不安・心配は知ることで軽減されることを知っておこう!
・不安・心配は愛情ではない!
・生物は何が起こるかわからない。だから、あきらめない!
・獣医師の言葉は、言葉足らずのことがある

なるほどなぁ...。一番上の項目なんて、まさに今の僕の状態。
これだけ読んでも、ちょっと前向きになれそうです(笑)。
でもこれは動物に限ったことではなく、人間の介護にも当てはまるような項目がいっぱいあるのかな、とふと思った。

2010年1月25日

僕たちがしてやれること

何でこんな辛い目に遭わされなければならないのだろう。いずれこういう日が訪れるということは、頭の中ではわかっていたつもりだった。でも、何もチョコじゃなくても、いいじゃないか...。

我が家の愛犬チョコ(ミニチュアダックス♀・5歳)に対する突然の「余命宣告」から1日が経った。

あまりに唐突すぎて、正直何をどうしていいのかわからないのが現状だ。

まず昨日、何が起きたかを整理すると...。

昼食と買い物を兼ねて妻と母、僕の3名で外出。家にはチョコ、そしてハナ(雑種♀・9歳)とモモ【ポメラニアン♀・9歳)が残されることになった。チョコは最近、外出についてこようとする癖を出し始めていた。家の中からはキャンキャンという鳴き声が聞こえることもしばしば。
この日は僕が車のエンジンを暖めるために先に出ていたので、当時のチョコの状況はわからない。いずれにせよ、普段と変わらぬ日常の出来事として、外出した。

15時頃帰宅。
母と妻が先に家に入ると、例のごとく3匹の無駄吠えが聞こえた。ところが、チョコの声だけが金切り声のような叫び声になっている。
玄関に入ると、チョコは匍匐前進のような姿勢で絶叫しながら、自分の腰のあたりをしきりに噛もうとしていた。
...何が起きた!?
最初、何か傷でもついたのかと思ったが、出血している様子も見られない。抱きかかえようとすると、後ろ足から力が抜けているのがわかった。
これは!?

チョコの身体にただならぬことが起きていることを察知した我々は、すぐに動物病院に連絡。ところが先方は冷たいもので、「診察は16時からなので、それまでにいらして下さい。」とのこと。緊急も何も関係ないらしい。

車に乗っている間、妻に抱きかかえられたチョコは、苦しそうな声を上げながら身体を反らしている。後ろ足は全く動いていない。頭をよぎったのは椎間板ヘルニアか、骨折か...。でも、両足骨折って考えられないか?

動物病院に着いたのは15時30分過ぎ。しかし玄関には「午後の診察は16時からです」と札が下げられ、鍵がかかっている。車に乗ったチョコはブルブルと震え、自分の身に何が起きているのか理解できていない様子。でもそれは、こっちも一緒だ。

16時5分前。ようやく札が外され、鍵が開いた。一目散に受付に向かい、症状を説明。すぐに診察するので待合室で待っていて欲しいとのこと。

程なく診察が始まり、診察台の上に乗せられたチョコ。体重6.5キロは少し重いので、減量が必要だということを言われた。妻はうわの空で「そうですね...」と呟く。
「体温は...平熱ですね。」
おもむろに医師は背骨のあたりをゆっくりと押し始めた。下半身の力は抜け、後ろ足の肉球やその他の部位を押しても、反応がない。
「レントゲンを撮りましょう。」

待合室で待たされること10分。再度医師に呼ばれる。
「これはですね...。背骨の部分が圧迫されて神経が麻痺してますね。」
「ヘルニア?」妻が呟いた。
「いや...。」医師は言葉を濁すように遮った。
「このあたりの背骨の間隔が狭まっていますよね。」
確かに写真を見ると、胸部のあたりの背骨の間隔が狭まっている。いや、もはやくっついていると言ってもいいだろう。
「...ちょっと待って下さいね。院長を呼んできますので。」

程なく厳つい顔の院長が登場。
レントゲンを見るなり「何だ、完全に潰れてるじゃん。」と呟いた。
その後院長から突きつけられた現実は、僕たちが想像していた範疇を遙かに超える悲しいものだった。

脊髄軟化症を発症していると思われること、症例そのものの数は昨年でも2~3体しかなかったこと、生存率は微々たるものであること、仮に症状を抑えたとしても下半身の麻痺は残ること...。
そして、最も聞きたくない、辛辣な事実を言い渡された。

「下半身に全く反応がないんですよね。ハッキリ言ってここ1週間が勝負です。今起きている脊髄の炎症が延髄まで達すると、呼吸困難に陥り...残念ながら...ということになります。早ければ2~3日中にその症状が現れます。ハッキリ言って、その危険は非常に高い。
一番の問題は尿なんですよ。尿が排出されるか、注意深く見守って下さい。1週間分の薬を処方しますが、火曜日の午後、再度いらして下さい。取りあえず様子を見ましょう。」

診察台の横には注射器が置かれていた。さっきは、「炎症を抑えるために注射します。」という説明をしていたのに、その注射器がしまわれた。
「あ、あの...注射とかは...。」

慌てて僕が聞くと、医師は「薬でも同じ作用がありますから...。」ときわめて事務的に言い放った。
まるで手の施しようがないんだよ、とでも言いたげに。医者が匙を投げるって、こういうことなんだな、きっと。
この時点で僕は、チョコの余命が残り1週間であることを悟った。

チョコは、自分の身に何が起きたのかをようやく悟ったのか、家に帰るとおとなしくなった。
まさかこれほど深刻な状況に陥っていたとは...。
留守していた母に医師から伝えられた症状を説明すると、激しく泣き崩れた。妻も泣いていた。僕はグッと涙をこらえた。

あの時、恐らく思い思いの胸には、後悔の念が渦巻いていたことだろう。ソファを撤去すれば良かった。椅子なんて置くんじゃなかった。跳ねる癖を止めさせれば良かった...。でも、そのいずれもは、後悔先に立たずという一言で片付けられてしまうということを、それぞれ理解していたし、横たわりながら苦しむチョコを目の当たりにして、どうすることもできないというが現実なのだ。

今、チョコは見えない恐怖と戦っている。相変わらず身体は硬直し、自由の利かない自分の身体をどうしたらよいのか、わかっていないような状況だ。

家族として僕たちができることを、チョコのために何ができるのかを必死になって考えた。

妻は、セカンドオピニオンを求めるべきだと言い、ネットであれやこれやと検索を始めた。県内に動物用のMRIがあるのは、十和田市の北里大学獣医学部付属動物病院のみ。そこまで連れて行きMRI検査を受けて、手術すれば、助かる見込みがあるのでは...と。
しかし、検索すればするほど、この症状が非常に深刻であり、助かる見込みのない病気であることを思い知らされることになった。

「嗚呼...。これは助からないんだって...。」

画面を見つめる妻の目からは、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。

恐らくチョコは、日に日に衰弱していくだろうし、近いうちにお別れしなければならないのだろう。
どうにもならないことは頭の中ではわかっているつもり。でも、何もしてやれない自分に対する歯がゆさと苛立ちが渦巻いている。
チョコはほとんど食事を取っていない。薬を含ませた牛乳を飲んでくれたことだけが、気休めとはいえ、せめてもの救いだ。
僕らもまともに食事が喉を通らない。チョコを見ていると、胸を押しつぶされそうな感覚に陥り、食事どころではないのだ。

結局僕らには、チョコの最期を静かに看取ってあげること以外、方法はないらしい。
悲しいけれど、これが僕らにとってチョコのためにしてあげられる唯一のことなのだ。

多分今頃は、母のそばでまたそわそわしていることだろう。最後の最後にこういう役割を母に押しつけなければならないということも、非常に辛いし、母に対して申し訳ない気持ちで一杯だ。
切ない。本当に切ない。やりきれないこの思いを、僕はどこにぶつければいいのだろう...。

2010年1月22日

断酒・断サプリ

僕は、妹から呆れられるぐらいサプリをたくさん飲んでいる。ビタミンミネラルをはじめ、コエンザイムだリポ酸だフォースリーンだ、この他にもブルーベル-だニンニク卵黄だ野菜だ果実だと、一体どれだけ飲むんだ?というぐらいサプリを多用している。
ここまで来ると依存症にも近い状態なのだろう、毎日飲まなければ何か気が済まないような状態に陥っていた。
これはサプリに限ったことではなく、毎晩の飲酒も一緒。帰りの電車の中で「今晩何飲もうかなぁ」なんて考えるあたり、中毒とまではいかないにしても、かなり酷い状態になっていたらしい。

10月の人間ドックで肝機能障害を疑われ、先日病院で再診を受けた時のこと。

「一昨年より数値が悪くなってるねぇ。」
「...はい。」
「休肝日、設けてる?」
「...えーと...今は...ほとんど毎日飲んでます。」
「うーん...。」
「...。」
「取りあえず今日は血液検査しましょう。その結果を見てからだね。ウィルス性の肝炎を起こしてたら、大変なことになるからね。」
「...はい。」

血液検査の結果は、どういうわけか人間ドックの時より数値が改善。
どうやら冬前まで週一ペースで軽く走っていたことが功を奏したようだ。
幸いウィルスの感染もなく、肝炎の恐れもないらしい。

「一応火曜日午後に電話して。その時もうちょっと詳しい検査の結果を踏まえ、飲んでもいいか教えるから。」
「...はい。」

........え?ちょっと待って。ということは火曜日までは「飲酒厳禁」ということ?
しかしそれは無理。明日は大学時代の友人と久し振りに集まることになっていて、飲まずにはいられない。まぁ、明日だけは大目に見て貰おう。

しかし、サプリメントがどれだけ肝機能に悪影響を及ぼすのかは、正直よくわからない。ただ、いわゆるダイエット系のサプリがどうも肝臓にはあまりいい影響を及ぼさないという話は、何かで見聞きしたようなしなかったような。

ということで、肝臓の正常化を目指し、一昨日からサプリも一旦停止。サプリというのはあくまで「補助食品」であって、必要な栄養分は主食から摂ればいいだけの話だから。

ちなみに医師からは「前回指摘された脂肪肝が今回指摘されなかったのは、おまけだろう。」と笑っていたが、血液検査の簡易結果を見て、どうやら偶然やおまけではないことを理解して頂いたことが、せめてもの救いだった。

しかし、不思議なことに飲酒とサプリを抑え始めたら、気のせいか少し目覚めがよくなったような...。
明日は仕方ないにせよ、これまでの生活習慣を少しずつ変えながら、ぼちぼち始まる四十路へのカウントダウンを待ってみようかと思う。

2010年1月18日

大学は人生のバケーション?

先日のナンの話には若干名から好反応があった。気が向いたらまた近々続きの話を披露しようと思う。若干名の皆さん、お楽しみに(笑)。
さて、今日は続・続編というわけではないが、大学の頃を振り返ってみようと思う。

僕の出身大学は地元の国立大学だ。自宅からだと自転車で10分ほどの距離にある。高校の頃も自宅から至近距離にあったため、遠距離通学をしていた同級生からは「お前の家は学校の庭にあるようなものだ」と言われたが、大学も同じようなものだった。しかも大学内を歩くと、必ずといっていいほど高校時代の同期の連中と顔を合わせる。僕にとっての大学は、何か高校の延長みたいで、新鮮味の欠片も感じられなかった。

今思い返せば、どちらかと言えば理系肌だったのかも知れないが、迷うことなく文系に進み、日々研鑽を続け...るはずだった。ところが実際は連日バイトやデートに明け暮れ遊び呆ける始末、勉強の「べ」の字もしなかった。
高校時代の同期が「大学って、人生のバケーションだよな!」と言っていたが、なるほど確かにそういわれてみればそうだ。
教育学部に在籍していた彼、バケーションの度が過ぎたのか、結局教員にはならなかったけれど...。

僕が在籍していたのは経済学科。高校の時に政治経済の授業を一つも受けなかったのにこの学科を選択したのは、入学のしやすさがあったことは否定しないが、それ以外に、就職の際に何かと有利だと思い込んだからだ。

気がつくと既に卒業年次。何故か専門の単位数は既に取得しているのに、残ったのは教養の単位だけ。学科によってはこの時点で留年なのに、僕は大学4年の後期まで、まだ初々しい1年に紛れて教養の単位を取るのに必死になっていた。

このことについては未だに夢に出てくることがあって、「単位が足りないので再度講義を受けて下さい」と、大学内をウロウロする自分の姿。しかも、大体受講票の提出を忘れて、単位が取れなくなるというオチ。何度ハッと目が覚めたことだろう。

それはともかく、大学4年の途中でゼミの担当教官の海外留学が決まり、その時点で卒論の提出がなくなった(レポートの提出のみで単位取得)。なので、大学4年の後期は週一回教養学部に通った程度。今思えば凄いゼミにいたものだ。
結局、他の人たちが必死になって卒論の作成に勤しんでいる頃、僕はといえば、のほほんとバイト三昧。バブル崩壊直後ではあったが、大した就職活動もせず、何も考えずに受験したところ、運良く合格した職場に就職、結果今の僕がある。ちなみに余談ではあるが、僕はもう一つ同じ業種を受験していて、そちらも一次試験はクリア。10倍を軽く超える難関だったようだが、後で聞いた話では、一次試験の成績は片手に入るぐらいの順位だったらしい。ちょっとした自慢ではあったが、関係者から又聞きした話なので、それがホントかウソか知る術もなく、結局そちらの業種については二次試験を辞退した。
そして実は、もう一つ民間企業の内示も頂いていたのだが、後にこの会社は事業整理に追われることとなった。
なので、今となってはこの取捨選択は間違いではなかったと思うし、もしも選択を変えていたならば、僕の労苦というのは想像を絶するものになっていたことだろう。

今勤めている業種には、同期の輩が10人ぐらい受験していたのだろうか。その中で、たまたま同じ部に配属になった3名は、今も当時のままの縁で結ばれているし、そのうち一人は、現在同じ課の同僚でもある。

本当はもう一人いたはずなのだが、思い半ばで断念せざるを得なかった輩もいる。

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2010年1月16日

iTunes Storeでハイチ地震救援活動寄付受付中

米国赤十字社に救援金を寄付して、ハイチ地震の被災者の方々を援助しましょう。

募金受付
http://bit.ly/5doygq


iTunes でハイチ地震救援活動への寄付ができます。

米国赤十字社からのメッセージ
2010年1月12日に発生したハイチ地震災害に対し救援活動を行う米国赤十字社に対し、皆様からの寄付金をいただくことで迅速な救援活動、長期に渡る復旧活動のサポートなどをより効果的に行うことが可能となります。ご協力よろしくお願いいたします。

募金受付
http://bit.ly/5doygq

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Copyright (c) 2010 iTunes K.K 東京都新宿区西新宿3丁目20番2号東京オペラシティタワー

#ブログ用に一部URLを短縮しています

死者が20万人を超えるのではと言われているハイチの大地震。現地での救護活動も難航しており、現地の人たちのフラストレーションは日に日に溜まっていることだろう。日本政府は金銭的援助を表明しているが、どうなんだろう。こういう時に自衛隊を派遣して、瓦礫の撤去作業を進める、なんてことは無理なのだろうか。いずれにせよ政府の決めることだから、何ともいいようがない。

さて、いろんなところで復旧活動への支援、寄付等が始まっているが、iTunes Storeでもアカウントから米国赤十字社への寄付が可能となっている。ちなみに金額は500円、1,000円、2,500円、5,000円、10,000円、20,000円の6種類。この手を利用するのも一つの支援の方法かもしれない。何もしないよりはいいと思うが、どうだろう。

2010年1月15日

大学受験

明日から大学のセンター試験が始まる。受験シーズンの到来とともに、受験生にとってはこれまで培ってきた力を発揮する時がやってきた。天候はあまり良くないようだが、受験生の皆さん、全力を出し切れるよう頑張って下さい。

僕が受験生だった頃からもう20年以上の月日が流れた。ちょうど僕が受験したのは、昭和天皇が崩御し、年号が平成に変わってすぐのことだった。それも、共通一次試験最後の年の受験だった。

翌年から試験制度がセンター試験に変わることが決まっている。しかもどういった内容に変わるのか全くわからない状況。なんとしても一次でそれなりの点数をはじき出さなければ、新しい試験制度の波に飲み込まれる...そんな危機感を抱いていた。
しかしこの年の共通一次は、僕にとっても悲惨だった。なんと理科の試験で、科目間の平均点数があまりに離れてしまったために、得点調整を行うという信じられないことが行われた。
ちなみに僕の受験科目は「地学」だったのだが、物理・生物の平均点が化学の平均点と比較して極端な乖離が生じたため、30~40点の得点調整が行われることになったのだ。しかも、加配方式で行われたために、白紙答案だった生徒であっても、40点ぐらい上乗せされるという方式だった。
勿論物理や生物を受験した人にしてみれば、こんな難解な問題を出されることが不公平。でも、なんの関係もない科目を受験した僕らは、もっと不公平感を覚えていたものだった。まぁ、それでもなんとか自己採点で目標点数まで手が届いたことで、第一希望の大学は受験できることになったのだけれど、二次試験で敢えなく撃沈。結局すべり止めだった地元の国立大に合格した。

同級生に言わせれば、これさえも奇跡だったかも知れない。捨てる神あれば拾う神あり。だって高校時代の成績といえば、360人中200番そこそこ、酷い時は330番台まで落ちぶれた輩が、現役合格しちゃったんだから。

ちなみに受験といえばどうしても避けて通れない、決して忘れ得ぬエピソードがある。

僕の周囲では「伝説」とも言われている(?)「ナン事件」。
幾度となく語り草にしてきたこの「どんだんず」級の事件を、久し振りに検証しようと思う。

共通一次試験から約1ヶ月。僕は、仙台の某私立大も受験することになっていたのだが、たまたま弘前からの高速バスで同級生二人と居合わせ、3人で東北新幹線に乗車することになった。当時はまだ東北新幹線が盛岡止まりの時代。ちなみに彼らが目指すのは東京。

僕が持っていたのは盛岡から仙台までの指定席だったのだが、一人の友人が持っていた切符は自由席。「どうせなら一緒に...」ということで自由席に乗り込んだものの、これがまた異常なほどの大混雑。しかし、そんなこととはお構いなしに、座席を回転させてボックスにし、それぞれ赤本やら対策本に目を落とす。3人なので、一人分の座席が空いているのに、誰に譲る気もナシ。今思えば、本当に酷いことをしたものだ。

で、互いの健闘を祈り、僕だけ仙台で下車。既に時計は14時を過ぎていた。

そういえば昼ご飯、何も食べてなかったなぁ...。

仙台駅前に降り立つと、歩道橋が張り巡らされている。目の前に飛び込んできたのは、ams西武(現在のLoft)。
腹減ったなぁ。最上階に行けば、何か食べ物屋があるだろう...。
思いのままエスカレーターで最上階へ。
最上階まで行くと、予想通り飲食店が並んでいた。

ええと、腹ごしらえの前にまずはトイレトイレ...。

小便器と向かい合わせになりながら鼻歌を歌っていると、プゥ~ンと漂うスパイシーないい香り。
カレーか...。カレーもいいな。よし、カレーに決定!

トイレを出ると、すぐ隣にその店はあった。何の疑いもなく店に入ると、客は誰もいない。そりゃそうだ、もう15時近くなんだから。

「イラシャイマセ。」

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2010年1月13日

大雪と新年会

昨晩見た夢は何かいろんな意味で後味の悪い変な夢だった。
夜中に一人家を飛び出し、戦後っぽい雰囲気を醸し出している鉄製の自転車に乗り込む。
向かった先は、実在しないラーメン屋。どうやら僕は、腹が減っていたらしい。その界隈は、家から車で5分ほどの場所なのだが、みたことのない道路や長屋が建っていた。その一角にあるラーメン屋の前に自転車を停める。赤色の暖簾をくぐると、何とも言えない匂いが漂っている。店内は、厨房を囲むカウンター席のみ。愛想の悪い店員が、コップに入った水を目の前にドンと置き、細麺?太麺?と聞く。じゃ、細麺で。
あっという間に目の前に出されるラーメン。ところが細麺の正体は、ラーメンではなく素麺。スープに口を付けると、お湯に醤油が注がれただけ。しかもやたらとしょっぱい。美味というにはほど遠いラーメン...を一口食べたところで、あまりの不快さに目が覚めた。

時計を見ると5時だった。
あ、雪積もったかな?

玄関に出てみると、まだ仄暗い筈の空にはオレンジっぽい色に染まった雲が広がっていて、雪がちらついている。大雪の前兆だ。ただ、まだそんなに積もったという感じではない。

もう一度布団に潜り込み、惰眠を貪ろうとするも、一度醒めてしまった頭はなかなか切り替わらない。結局5時30分に起床。

しかし、あのラーメンは一体何だったんだろう。普段見る夢はいつも白黒なのに、久し振りに色のある夢だった。赤い暖簾、白い麺、琥珀色の醤油が妙に頭から離れない。

6時50分、家を出る。5時の頃にはまだなかったはずの雪が積もっている。それでも積もった量は3センチぐらいだろうか。
弘前駅から7時21分発の快速に乗り青森へ。遅延もなく、順調に青森駅に到着。青森はそれほど雪が降っていないような感じ。

僕の携帯には、弘前市から24時間での積雪量が10センチを越えた時には、1時間おきにメールが届く。そのメールが、午前8時から毎時間送信されるようになった。8時の時点では、何と積雪量が46センチ。この時点で、僕が家を出た時から10センチ積雪が増えたことになる。更に、9時には49センチ、10時には56センチと、時間を追う毎にどんどん積雪量が増えていく。
結局午後3時にメールが届いた時点での積雪量は66センチ。昨日と比較して30センチも積雪量が増えたことになる。その後小康状態になったようだが、正月以来の大雪だ。ここに来て天気予報が当たってしまった格好に。

こうなると、今晩のボーリングと送別会を兼ねた(ややこしい)新年会も気が気ではない。何せ我が家は男手が一人減った。力仕事は僕の手に委ねられる。妻も帰宅は早くない。しかし、還暦を過ぎた母の手一つでこの雪を掻き出すのは容易なことではない。

電車は動いているのか、無事に帰れるのか、家に入ることはできるのか...。それとも、新年会をキャンセルすればいいのか。うーん...今日は早く切り上げよう!

そうそう、ボーリングを早く終える一番手っ取り早い方法、知ってます?

全部ストライク(爆)。

2010年1月 5日

先祖再考

昨日は我が家にとって、いろんな意味で非常に意義のある興味深い一日だった。

何があったのかは、詳細について説明することができないのが非常に歯痒いところではあるが(文脈から何とか読み取って下さい)、自分の先祖のルーツを辿りながら、先祖を敬い、家族に感謝する、そういういいきっかけになった。

ルーツの話をするならば、今の我が家の血筋は、亡父が幼い頃、養子縁組で貰われてきた時点で一度途絶えている。そのこともあってなのか、僕はあまり先祖というものを意識したことがなかった(というか、意図的に避けていたのかも)が、昨日の出来事は、その考え方を払拭させるものであったことだけは間違いない。

そして、昨日の話は何となく、今年のテーマに掲げた「動」と繋がっているような感じだった。
この間始まった大河ドラマ「龍馬伝」を家族で観ながら、酷いことをする人たちも居たものだ、とブーブー言っていたのだが、これも何となく伏線があった感じ。

母が嫁に来てから見聞したことと話を結びつけると、これがまた面白いほど繋がっていく。

話を整理すると、どうやらうちの先祖は徳川家や朝鮮とちょっとした関わりがあったようだということ、我が家のあった場所は元々山だったこと、亡父はまだ我が家のすぐそば(家の中?)にいるらしいこと、それぞれの先祖が今回のことに非常に感謝しているということ、我が家の3匹の犬は、それぞれ我が家にやってきたことが良かったと感じていること、そんな中なぜか一匹だけ「生肉喰いたい」と考えているヤツがいること等々...。

聞いたこともない話ばかりだったので、興味津々。でも、何よりも一番興味深かったのは、僕の心底を探られたことだった。

何か忘れかけていたことにハッと気づかされたような、そんな昨日の出来事だった。

今年の初売り

結局、Appleの福袋は店頭販売のみでネットでの販売がなく、寂しい思いをしました。
弘前市内にある某百貨店では、ここ数年バーバリーのソックスとトランクスがセットになった福袋を販売していたのですが(しかも必ず売れ残りがある)、こればかりを楽しみにして3日に某百貨店に行ってみると、何かホントにしょぼい福袋ばっかり並んでいて、今年はバーバリーの出番なしだって。がっくり。

折角意気込んで行ったのに、初売りでは何も購入せず、妻と母がそれぞれ購入したレシートでできるという抽選をやったら、何と3等!これは初春からめでたい!...と思ったら、何と「切り餅」のつかみ取りだって...(ちなみに一等は「現金つかみ取り」だったけど、恐らく1~10円玉硬貨だらけか取り口がとっても小さいか、いずれかと見た)。
頭に来たので11個も掴んでやりましたよ。ええ。
続いて挑戦した妻と母はそれぞれ残念賞で、ポケットティッシュのつかみ取り(苦笑)。
母は2度で計20個のポケットティッシュを掴んだのに対し、妻は何と1度で19個もポケットティッシュをゲット。それを見た店員、妻に小声で「今日一番の量です。」だって。

そんなこと言われても、ちっとも嬉しくないし(笑)。

2010年1月 4日

新年あけましておめでとうございます

遅ればせながら皆様あけましておめでとうございます。今年もまた、箸にも棒にもかからないような、くだらないことをグダメギながら一年を過ごして参りますので、よろしくお願いします。

それにしても年末年始の雪は想像を絶するものでした。本当に、こんなに降るのかよ!おい!ってぐらいに降り積もりました。どれぐらい凄かったかというと、昨年仕事納めを終えた頃の弘前市内の積雪が9センチ。31日には23センチまで積もり、年が明け、昨日までに最大で61センチの雪が積もりました。これはあくまで「積雪量」であり、恐らく降雪量は更に多かったものと思われます(雪の重みで積雪量が沈むため)。
1日から2日に掛けては、祖母の顔を見るため母の実家に出かけていたのですが、留守を預かった妻から「家に車を停める場所がない」というメールが届いたのが2日の朝。元旦も朝7時前に起床して雪かきしたのに、2日の午後には、家がスッポリと埋もれてしまうほど雪が積もっていました。道路の除雪も行き届かず、あちらこちらで渋滞が発生。
県道から自宅までの通路もすっかり雪に埋もれ、誰かがやって来た気配も出た形跡もなく...。
結局約1時間30分をかけて雪かき。
まぁ、年末年始の暴飲暴食を解消するにはちょうどいい運動になったかな...。

そして昨日。
初詣に出かけた後、今度は母の会社(=僕が普段車を置かせてもらっているところ)へ。
これがまた半端ではない雪の量で、約2時間ミッチリと雪かき。これでほぼ、年末年始の暴飲暴食分は消費されたはず(笑)。
しかし予想通り筋肉痛に襲われており、今朝は腕があまり上がりません。腰にもやんわりと痛みが走っています。

暮れに上司から、「今年を表す漢字一文字は『新』が選ばれたが、皆さんにとっての今年の漢字一文字が何なのか、そして来年を迎えるに当たり抱負を漢字一文字で表すとしたら何なのかを考えてみて下さい」という謎かけみたいな挨拶をされましたが、まず真っ先に浮かんだ今年を表す漢字一文字は『停』でした(『停』と『静』ばかり浮かんだ)。

ということで今年の抱負。
いつまでも停止・滞留しているわけにもいかないので、そろそろ『動』で行きたいと思います。暴走しない程度に動き出しますので、よろしくお願いします。

2009年12月23日

携帯電話のこと

先日、携帯電話の電池の持ち具合が悪くなった(ような気がした)ので、ドコモショップへ足を運んだ。数年前であれば、どこもかしこも新しい機種古い機種を見て触れる客でごった返していたドコモショップも、この日はどういうワケか客が一人もおらず、閑古鳥が鳴いていた。
僕の車が駐車場に入ると、スタッフがこちらの様子を伺っている。そして、客だとわかった途端、一斉に持ち場の配置についたのが見えた。何だかなぁ...。

入店するなり「いらっしゃいませ。本日はどういったご用件で...?」と聞かれる。
電池の持ちが云々と説明したところ、無料点検もするので10分ほど時間をいただきたいとのこと。店内に並ぶ「いまどきの」携帯電話がどんなものなのかを見てみた。

それにしても、今の携帯電話は本当に高い「商品」になったものだ。いや、今までが安価すぎただけで、これが当たり前なのかも知れない。しかし一度安値で慣れてしまうと、高価な新機種に手を出すのも憚られてしまう。

ちなみに僕は、ドコモの本体分割払いが始まった時にまんまと乗せられて分割払いにしたが、支払期間があと2ヶ月残っている。あと2ヶ月で、ようやく2年間48,000円の支払いが終わるのだ。
筐体を見ると既に塗装が剥げ、大分傷が目立つようになった。

いつも思うことだが、携帯電話の耐久性(特に塗装)については何とかならないものだろうか。
勿論毎日使うものだし、所詮消耗品だと割り切れば仕方ないことなのかも知れないが、それなりのお金を払うわけだから、逆にそれなりの満足感が得られるような品物であって欲しいと思うのは、僕だけではないはず。ちなみに妹と同時期に購入したSO902i、僕の使っていたシルバーはあっという間に塗装が剥げたのに対し、妹のホワイトは意外と傷がつきにくいように感じられた。どうやらホワイトは塗装を上塗りしているらしい。

それにしても、これまで一体何回機種変更しただろう。N101に始まり、P205 → NM207 → SO502i → SO502iWM → SO902i → SO905iCS。考えてみると、13年間で7台も買い換えている。このうち初期のNM207なんていうのはタダみたいな金額で機種交換しているのだが、今はそういうこともなくなった。
以前であれば新機種が出るたびに食指動きまくりであった。しかし、ドコモからソニエリが撤退して以降、すっかりトーンダウン。まぁ、ソニエリの撤退を含めいろいろ文句は言いたいけれど、今持っているSO905iCSは手になじむ機種だし、カメラの性能もそれなりに満足しているので、どうやらこのままだとしばらく現行機種とお付き合いすることになりそうだ。

10分後。点検の結果異常はないとのこと。そりゃそうだ、異常があったらとっくに持ち込んでるし。
電池の持ちもまだ大丈夫とのことではあったが、「念のため電池パック一つ差し上げましょうか?」と聞かれた。いや、それが目的でやってきたんだけど...(苦笑)

しかし来春、いやひょっとしたらもっと早い段階でドコモが再びソニエリと手を組む可能性が高くなっているとのこと。まぁでも、新機種に乗り換えるということは、それ相応の負担分増加にも繋がることにもなるだろう。あまり奇をてらったものではない方がいいのかな、今の僕には。

2009年12月22日

もうすぐ今年が終わる。

今年も残すところあと10日となった。来週には来年を迎える。年末に向けて何だか気忙しい時間を過ごしているが、寝ていようが醒めていようが、我々の意志とは関係なく勝手に年は明ける。

時間というのは、時と場合によっては実に残酷であり、その一方で最良の癒しとなることを、この一年間、僕は身をもって経験してきた。

昨年が(間違いなく)人生にとって「最悪の年」だったとするならば、今年はそこから少しだけ這い上がってきた年。なので、そんなにいいとも思えないが、昨年ほど悪い年ではなかった。

ただ結局のところ、僕にとって今年がいい年だったのか今ひとつな年だったのかは、正直言ってよくわからない。(目に見えない)物事の善し悪しは自分の気持ちが決めることであって、物質的あるいは精神的な充実感が満たされればそれはそれで「いい年だった」ということになるだろうし、その逆であれば「今年は今ひとつだった」ということになるのだろう。価値観や精神論、その他いろんなものに左右されることだってあるだろう。

僕にとってはそのいずれも満たされたわけではないし、かといって極端に不足したわけでもなかった。
でも今の僕は、その判断材料を欠いているようだ。

今年の1月5日に「質素、謙虚、堅実」という抱負をぶち上げた。その結果、質素だ謙虚だ堅実だと、極端な守りの姿勢に徹することになり、半分殻に閉じこもっているような雰囲気だったようだ。どうも積極性に欠けるような状態だったような気がする。
思い返せば結局、心も体も萎縮したことで、攻めの姿勢に転ずる機を逸してしまっている(それは現在進行形で)のかも知れない。

唯一胸を張れることは、暴飲暴食で70キロを越えた体重を、5月からのジョギングで65~66キロ台まで減らしたこと、それが功を奏し昨年引っかかりまくった健康診断(人間ドック)の数値がかなり改善されたことだろうか。

走っている時間は、自問自答の時間。いろんなことに思いを馳せる。今は雪が積もって道路も歩道も走れるような状態ではないが、また雪が消えたら走ってみようと思う。

しかし、思えば若い頃の勢いはどこへやら。知らぬ間に年を取っているということなのだろうか。嗚呼、時間というのはホントに無情だ。

来年は、いよいよ四十路へのカウントダウンがスタートする(来年ではなく再来年1月に40歳になります)。相変わらず行動も気分も子供みたいな、大人になりきっていないような感じ。髪の量が減ったような気がするとか、鼻毛に白いものが混じってきたとか、慢性的に腰が痛くなっているとか、肉体的な衰えは始まっているのに、それを受け入れられない自分。
というか、40歳という年齢を目の当たりにしても、何か他人事のようで実感できない感覚が燻っている。

来年は、破顔一笑の続くような年でありますように。

2009年12月21日

遅れ始めた奥羽線

今日のぐだめぎを整理してみよう。

ある程度予想してはいたものの、今日の通勤は散々だった。
青森市では、12月としては4年ぶりと大雪で、積雪が60センチを越えた。弘前市でも、週末降り続いた雪で、除雪が間に合っていない地域も見受けられた。それでも今朝の時点では積雪が30センチを下回っていた。
しかし、特に月曜の朝にドッと積もる雪は身に堪える。朝5時に起床して、雪かきをしなければならないのだから。それでも父がいた頃はまだ違っていた。取りあえず通路と車を出せる分の除雪を済ませれば、残りは父がやってくれたのだから。父がいなくなって2度目の冬。この時期になると、父への思いが一層強くなる。

結局今日は、駅の近くまで妻の車に同乗した。
弘前駅に着いてみると、何やら改札付近に人が多く殺到している。普段の朝であれば人のいることのない待合室にも、人がたくさんいる。どうやら僕の乗ろうとしている青森からの折り返しとなる7時21分発の快速がまだホームに到着していないらしい。

迷うことなく後発の普通電車が出発するホームに足が向いた。ちょうど八戸行きの特急が「定時」で出発したところだった。ふと見ると、向かいのホームにはとっくに出発しているはずの新潟行き特急が足止めを食っている。
程なく、アナウンスが流れた。
それによると、折り返し7時21分発の快速となる電車は、未だ青森駅を出発していないこと、よって、後発の7時30分発普通電車の方が先に出発すること。
どうやら判断は間違えていなかったらしい。既に乗降口の一番前に並んでいる僕の後ろに、ズラーッと乗客が並び始める。何せ5両編成の快速に乗り込む筈の乗客が、2両編成の普通電車に乗り込むために行列を作るのだから、その列たるや半端ではない。
7時35分。定刻より5分ほど遅れて、2両編成の電車がホームに滑り込んできた。結局、マイナス5度の寒空の下、30分近くも待たされたことになる。電車の扉が開くと、一斉に出入り口に殺到する乗客。我先にといわんばかりの勢いで電車に乗り込む。目的は、いうまでもなく座席の確保だ。僕は一番前に立っていたこともあり、何の苦もなく座席を確保できた。後は職場に少し遅れる旨の連絡をして、青森駅到着まで惰眠を貪っていればいい。
ところが、乗ってくる乗客の数が半端ではなく、押すな押すなの大騒ぎ。痛いだ何だと怒号が飛び交い、さながら阿鼻叫喚の様相を呈してきた。

結局惰眠を貪るはずが、立っている乗客があまりに多すぎて、座っている人たちに覆い被さるようになってしまっているため、落ち着いて眠るどころの状態ではない。更に、駅に到着するとどんどん乗客が乗り込んでくるため、そのたびにやれ押すなだ下がれだと、賑やかすぎて仕方がない。
単線区間に入ると、途中駅で反対列車との交換だと4分5分と停まってしまう。遅刻必至は明らかなので、同僚にメールを入れる。とても通話できる雰囲気ではないためだ(それでも8時30分前後にはみんな一斉に職場に連絡を入れていたようだけど)。

...気がついたらうたた寝していた。もう青森駅に近づいているらしい。時計を見ると、8時40分。30分近く遅れて運行されていることになる。

青森駅に到着すると、2両編成の電車から5両分の乗客が文字通り吐き出されるように電車から降りた。
改札に向かう階段を上ると、電車の到着を待つ高校生が溢れかえっていた。
どうやら今日は終日、まともな運行は期待できないようだ。

実際帰りは寝台特急が運休となり、弘前駅到着は20分遅れ。
というかまだ12月でこの有様では、本当に先が思いやられる。来年の今頃、東北新幹線が新青森まで開業した時に、新幹線からの乗換え客が寒空の在来線ホームで待ちぼうけを食うという光景が見られても不思議ではない。

頼むぜ、JR東日本。

2009年12月18日

「THEEND」のミックスCDが当たった。

THEEND事務局です。

この度はHAPPY END AW09-AW10 ミックスCDプレゼントにご応募頂きありがとうございます。
抽選の結果、■■ 様が当選致しました。

僕の携帯電話の待ち受けは、立花ハジメが主宰するケータイサイト「THEEND(http://tend.jp)」からDLしたもの。このサイトには毎月315円払っていますので、その元を取り返すのに必死です(笑)。

その「THEEND」内で、50名にミックスCDをプレゼントしてやるというので応募したところ、昨日当選通知が送られてきました。

ちなみに立花ハジメ名義では7年前に「The END」という恐らく同種のアルバムが発売(!)されているのですが、どうも評価は二分されているようです。何せ携帯のFM音源をマイク録りするという手法(その昔、テレビから流れる歌手の歌声を録音するため、ラジカセのスピーカーを近づけたこと、ありませんか?多分それど同じ)を使っているため、音に厚みが全くないようなのです。確かにThe ENDで配信されてる効果音も、そのほとんどが、何か籠もったような音を鳴らしています。
今回当選したCDも、恐らく高音質のミックスCDではなく、The ENDのこれまでの効果音、それも同様の手法で「録音した」音源を集めたものなのだと思います。

とはいえ(今のところ)希少価値のある(と思われる)CDですので、届いたら早速皆さんに披露したいと思います。

2009年12月15日

雪やこんこん

一晩経ったら、あっという間に冬景色です。
そりゃ青森の冬ですから、雪も降りますけどねぇ。
どうやら走り納めする前に今年はジョギングシューズをしまわなければならないようです。

弘前市内は、今朝で積雪1~2センチ、かな?しかし路面は真っ白で、車もあまりスピードを上げていませんでした(というかスピードを出せない)。ただ、早い時間だったこともあってか、思ったほど渋滞もなく、朝の電車も5分程度の遅れで青森に到着でした。ただし、車から電車への乗り換え組が急に増えたからか、いつも以上に混雑していました。

当たり前の話ですが、雪は春になると溶けてやがてなくなります。そんなこと誰もが知っていることです。しかし北国に住む人たちはこれから、このいずれ溶けてなくなる雪と格闘をし、多額のお金をつぎ込みながら、日々の生活を送っていかなければなりません。
これが、ごく当たり前のことです。

水道の凍結防止や室内が冷え込まないよう、夜な夜な暖房機器に火を入れたままの家庭もありますし、そのことが原因で火災も多く発生するのがこの時期です。
特に年末年始、痛ましい火災事故は、皆さんもニュースなどで見聞きしたことがあるはずです。

犬は喜び 庭駆け回り 猫は こたつで丸くなる

我が家では、犬も猫も一緒でした。この季節になると、犬3匹と猫2匹によるストーブの前の場所の取り合いが始まっていました。それは、2匹の猫がいなくなった今も同じです。我が家ではストーブの前を陣取るのが3匹の犬と決まっています。犬の中での序列が如実に表れるのが何とも悲しい限りではありますが...。

今日も日中は氷点下だったようです。今年初の真冬日かな?
それにしても、こんな天気の日にもかかわらず自転車に乗っている諸君。気は確かか?w

2009年11月25日

明日からまた出張

...といっても県外出張ではなく、八戸市へ1泊2日の行程で出張。途中十和田市などに立ち寄りながら、夕方八戸入りする予定。

さて、今日は八戸市にまつわる雑感を少々。

かれこれ10年も前の話になるが、八戸市に2年間だけ住んでいたことがある。居を構えていたのは、JR八戸駅から徒歩5分ほどの場所。しかし当時は東北新幹線の影すらなく、八戸駅も人口24万都市の玄関口とは恐れ多くも言い難い、平屋造りの小さな駅舎だった。

前にもこのブログで明かしたことがあったかも知れないが、当時僕は結婚したばかりにもかかわらず単身赴任を余儀なくされ、しかも前の職場で抱えることになったメンタル的な疾患と一人で闘わなければならないという状況だった。
しかし幸いにして、新しい配属先の人たちは皆知っている人ばかり。しかも、八戸市の郊外には叔母が住んでいたこともあり、さほど心細さはなかった。

だからといって、職場も居宅も決して居心地の良い場所、というわけではなかった。青森県内で今でも燻る「津軽と南部」という風土の違いが、津軽人としての僕の気質を駆り立て、南部地域に対する勝手な偏見を抱かせていただけなのかも知れない。だからといって八戸が嫌だったかと言えばそうではなく、住めば都だった、というのが本音だ。

端的に表すならば、津軽地方に住む人は短気の人が多く、南部地方に住む人はのんびり型が多い、といったところだろうか。結局そういった雰囲気には、最後まで波長を合わせることができなかった。

八戸といえば銚子や境港、釧路などと並んで水産の街としても有名だが、実のところ、地元のスーパーに行くと魚の鮮度は大したことがない、というのが僕の所感だ。
うまくて新鮮な魚はどこで買えるかというと、八戸駅から車で10分ほどのところに市場があるのだが、今となっては県内外からの観光客を相手に商売をしているらしく、決して手頃な値段で買える、というものではないような気がする。実際、海手の方にあるもう一つの市場の方が、安価で新鮮な魚が買えるらしい。もっとも僕の住んでいたところからだと、同じ八戸市内でありながら往復1時間近くも要してしまうので、わざわざそこまで行こうという気は微塵も起こらなかったけど。

結局平成10年に再び異動となり、それ以降自宅からの通勤圏内での職場異動を繰り返すようになった。
その間、私用でも仕事でも八戸市を訪れることはほとんどなかったのだが、今の職場にやってきてから八戸市に出張する頻度が急に増えた。

一番驚いたことは、瞬く間に交通整備がされていたことだろうか。

十和田市方向から国道45号を八戸市内に南下すると、おいらせ町~八戸市市川間あたりで国道45号、県道8号、百石道路が併走する区間がある。これらの道路は、民主党の仕分け人に言わせれば、間違いなく「道路財源の無駄な象徴」として取り上げられることだろう。何でこういう道路になってしまったのかは小耳に挟んだことがあるが、敢えてここで明かすのはやめよう。


大きな地図で見る

百石道路と県道8号は、百石下田ICから八戸北ICに向かって完全に併走、更に数百メートル離れたところには国道45号も通っている。この短い区間に主要道路が3本も併走しているんだから、交通渋滞とは無縁...と言いたいところだが、これが意外と渋滞を招いていることも一応付記しておこう。有料の百石道路だけは、いつも閑古鳥が鳴いているようだが...。

しかし、道路のみならずホテルも相当増えた。八戸駅前には大してホテルなんぞなかったのに、新幹線開業とともに、雨後の竹の子のように乱立。
予想通り八戸市内では、ホテル間の客争いが相当激化しているようで、何と明日宿泊するホテルは夕食・朝食付きで1泊4,980円だそうな!

来年の12月、東北新幹線が新青森まで全線開業した暁には、言うまでもなく八戸は途中駅となる。青森県内において唯一の工業都市であり、水産業の拠点としてもある八戸市。東北新幹線が八戸まで開業した際には、地域の盛り上がりも最高潮に達していたようだが、あれから7年が経ち、ストロー現象なども実際に起きているようだ。

そういう意味では、現在勃発、激化しているホテル戦争も、やがて淘汰の一途を辿ることになるのだろうか。

2009年11月20日

ミラクル連発な出張

今朝はわずか5秒のありがたいお言葉を聞くために朝5時40分に起床、7時36分発の新幹線で東京を発ち、昼前に青森着。

しかしまぁいろんな意味で「ミラクル」連発の出張でした。こんな忙しくもあり面白い出張も久し振りかも。
昨日今日と上京するよ、ということを事前告知しましたが、実際自由時間はほとんどないものと思っていたため積極的に誰かに会うことを敢えてしようとしませんでした。普段上京する時は、大概妹と会う時間を作るのですが、今回は時間が不確定だったため、キャンセル。

そんな中、ある方から一通のメールを頂きました。
2年前、ビール1杯ごちそうしますよ。という内容のメールを頂いていたのですが、当時その約束が果たされずじまい。ところが何とその方は、ふとした弾みでそのことを思い出したらしく、わざわざご連絡下さったのです。

その方とは、TUNAさん。
プリンスファンの方なら皆さん御存知のはず。そのTUNAさんが、私のためにわざわざお時間を割いて下さるということに。
これは何としても都合をつけないと...。

さて、19日は朝7時過ぎに弘前を出発。昼食にありつけない可能性があったため、あらかじめおにぎりを購入し、特急に乗車しました。行路は順調で、11時40分過ぎに大宮駅に到着、埼京線に乗り換えました。
予想通り昼飯を食っている余裕などなく、大宮駅のホームで人目も憚らずおにぎりを立ち食い(笑)。

12時30分頃、会場であるNHKホールの最寄り駅である原宿駅に着くと、雨。しかも吐く息が白いほど、寒い。
私、兼ねてからある方面からは「嵐を呼ぶ男」と呼ばれており、上京する時に限って天気が悪いというジンクスを持っておりましたが、今回もそのジンクスは破られずじまい。嗚呼。

しかも出がけの天気予報で「東京地方・曇り」という文字だけを目にしていたため、傘を持たぬまま上京していたのです。
やむなく原宿駅で1本500円の傘を購入する羽目に。

ちなみに聞いたところでは、都内で17年ぶりの冷え込みだったそうで、またしても私の出張で一つ不名誉な記録を残すことになりました。これだけでも十分ミラクル...(凹)。

さて、1つ目の用務は予定より30分も早く終了。次の用務の開始時間(18時)まで時間があったので、渋谷あたりをふらついてみようかと歩き始めてみたのですが、何せ寒い。しかも、さすがにおにぎり一つでは小腹が空いて、歩く気にもなれません。結局軽い腹ごしらえを済ませ、雨降る寒い渋谷の街を、そそくさと後にしたのでした。
で、向かったのは東京駅。丸ビルにある、「クラチカヨシダ」を訪問してみたかったのです。ところが、思った以上にこぢんまりとしているクラチカヨシダに思わず腰が引け、滞在時間10分足らずで撤収...(何しに行ったんだか。トホホ)。

結局その足で水道橋のホテルにチェックインし、17時頃出発。ホテルニューオータニへ向かいました。
18時からは、県選出の国会議員の方々も出席する会合だったのですが、例のモラトリアム法案でゴタゴタしており、本人出席予定だった議員の方々は軒並み欠席。結局参議院の3名のみ出席となってしまいました。
ふと某議員の代理で出席している顔が、どうも見覚えあるぞ...。うーん、誰だったっけ?と考えていたところに、名刺を持った彼がやってきました。
「先輩!先輩!お久しぶりです!!」

ニコニコしながら大声で僕の名前を連呼する議員秘書。
思い出した!!高校の時の後輩だった!何と約20年ぶりに再会です。まさかこんなところで会うとは...うーん、ミラクル!

さて、上座の方々が政務多忙で退席する頃合いを見計らって、僕も会場を後にすることにしました。
折角お誘いを受けていることだし、TUNAさんに連絡してみよう。

続きを読む "ミラクル連発な出張"

2009年11月16日

19日-20日の上京予定について

今週木曜日から金曜日にかけて、年に一度の東京出張です。
しかし、今回はいつになくハードスケジュールで、夜の時間もほぼ拘束されてしまっています。

19日
07:06 弘前「つがる8号」 08:45 八戸
08:57 八戸「はやて8号」 11:42 大宮
11:50 大宮(埼京線・山手線)12:30頃 原宿

(昼飯は埼京線の車内で駅弁か!?)

13:00 渋谷区にある某ホールにて開催される大会出席 15:00終了予定

移動・宿泊先へのチェックイン。宿泊先はなぜか文京区本郷(←本意ではない)。

18:00 紀尾井町にある某ホテルにて行われるある会合に出席 20:00終了予定 

(目の前に出されたものを眺めて終わり、の予感満載。)

その後、同日出張している同じグループの人たちと合流(予定。実は宿泊先も彼らの意向で決まった。)。
しかし実際、これもどうなるか怪しい。強いて言えばフリータイムはここだけ!?いっそのこと『酒場放浪記』で観た、小石川の遠州屋にでも行くかな。

20日
07:36 東京「はやて3号」10:39 八戸
10:50 八戸「白鳥3号」 11:50 青森

午後、通常勤務

普段の出張ではこんなに早く東京を発つことはないのですが、20日の午後から、グループの命運を左右するような仕事があるために、何としても昼までには青森に戻らないといけないのであります。なので当然前日の深酒も御法度。ということで、折角の機会なのでお目にかかりたい方々がたくさんいるのですが、今回も、おとなしく上京して、おとなしく帰ります。

恐らく今の職場の仕事で上京するのは、ひょっとしたら今回が最後になるのかな...。
しかし、私が出張するとよく「嵐が起きる」と言われておりますので、関東地方の皆様、木金の天気にはご注意下さい(笑)。
ちなみに僕が上京した際に遭遇した災難

・東京で何十年ぶりに最速の初雪を観測。
・震度4の地震に見舞われた。
・大雪で首都圏の交通機能が危うくマヒ。
・帰りの特急が、大荒れの天気で運休。
・帰りの飛行機が、羽田空港周辺の豪雨で欠航。

この他にもいろいろありましたが、あまりにありすぎて書ききれません。

2009年11月 5日

人間ドックの結果が来た。

10月19日に受診した人間ドックの結果が昨日になって親展で送付されてきた。
封筒を開けるなり、返信用の封筒を発見。どうやら今回も要精検の項目があったらしく、再度かかりつけの医者の診察を受けなければならないらしい。

要精検のレッテルを貼られたのは、他ならぬ肝臓関係。前回も要精検だった。肝機能不全の疑いがあるということだ。
γ-GTPは勿論、その他の数値でも基準値を上回っており、これは本腰を入れて酒量をセーブしていかなければならないようだ。ちなみにγ-GTPの数値は若干下回っていたのだが(二桁台まで下がった)、ひょっとしたら酒以外に、摂取しているサプリなども影響しているのかも知れない。

しかし全体を見ると、前回の検査と比較しても数値は大幅に改善されていた。もう、四十路を目前に、あとは中年まっしぐら、奈落の底に墜ちるだけだと思っていただけに、嬉しくて嬉しくて、昨日はちょっと多めに飲んでしまった。これでは全く意味がない...。

身長は1センチ縮み、体重も1キロ減った(苦笑)。BMIはほとんど変わらなかった。
中性脂肪は何と前回の約半分まで減少。よって、軽度異常から異常なしへ。腹部超音波で指摘された脂肪肝の疑いも、今回はクリア。こちらも要観察から異常なしへ。尿酸も前回は少しだけ基準値を上回っていたが、今回は基準値内に収まっていた。
どうやら5月から続けた週末ランナーが功を奏したらしい。

前回僕を散々苦しめた大腸検査も、今回は異常なし。
その一方血液検査では、白血球の数値がちょっと低くなったみたいで、こちらは異常なしから軽度異常に。
視力は両目とも1.5から、右目が1.2に下がった。まぁでも許容範囲か。

特に最近は野菜の摂取を意識して心がけているので、今の生活を持続していれば、意外と健康体に戻る、かも?でもまずは休肝日を設けないと、無理か...(笑)。

2009年10月29日

小学校の思い出

もう1週間も前のことになるが、小学校1・2年の時に担任だったケイコ先生が亡くなったことを新聞のお悔やみで知った。享年77歳。僕が小学校に入学した頃は、45歳ぐらいだったという計算になる。
しかしこのケイコ先生にはよく怒られた。通信簿にも、「悪いことをする子たちと一緒になって遊んでいる。あなたはそれを注意すべき立場なのですよ。」などと、結構厳しいことを書かれていたことは、今でも「良き思い出」として記憶に残っている。3学年に進級し、友達と廊下を走り回って遊んでいた時に、バッタリ先生と鉢合わせになった時、他の友達は誰も怒られないのに、なぜか僕だけが怒られた、ということがあった。
今思えば、それもケイコ先生からの期待の表れだったのかも知れない、と勝手に自惚れている。

しかし僕にとって、小学校から中学校にかけての思い出というのは、正直言ってあまり良いものではなかった。むしろ今すぐにでも消し去ってしまいたい思い出や記憶の方が多いかも知れない。

特に小学校高学年になるにつれ、中途半端な背伸びを始めた同級生連中は、先生の言うことも聞かずに暴走(迷走)を始めた。陰湿ないじめの横行、言葉の暴力、非行事実。怒られない日は一日もなかったような気がする。やがて怒りは呆れに変わり、最後は完全に匙を投げられたような格好だった。
当時、学級会長だった僕は、どちらかといえばその暴走を止める立場にあったが、とてもではないが僕一人の手に負えるものではなかったし、当時の学校関係者をはじめ、いろんな方々を手こずらせた学年だったことは、否定しようのない事実。大体、学級会長がいじめられっ子だった時点で、そのクラスは終わっちゃってるという話だ(苦笑)。

後で小耳に挟んだ噂ではあったが、その当時担任だった先生にとって僕たちは、「長年の教師生活の中で最も扱いにくかったクラス」だったようで、僕らの卒業以降、低学年の担任を希望したという。
その先生も、僕が大学に在籍していた時に、亡くなった。

つまり、僕の小学校時代を知る先生は、お礼、お詫び、その他諸々を直接伝えることができぬまま、みんな他界してしまった。

今回、残念ながら仕事の都合がつかず、ケイコ先生のお葬式に参列することはできなかった。

そして、訃報に接した数日後。小学校高学年の時の同級生が警察沙汰になったことを新聞記事に見つけた。40歳間近になって、未だに迷走を続けている同級生がいるということに、呆れながらも言葉を失った。

明後日は、いつもの畏友との飲み会がある。ロクでもないヤツが多かった同窓生にあって、彼らとの縁は未だに切れることなく、むしろ強固になっている。今回は、その中の一人、ザワ先生に3人目の男児誕生を祝うに託けた、飲み会だ。今のところ総勢7名。
彼らとの共通点は、「中学校の同期」ということだけで、同じクラスになったことが一度もない輩もいれば、ケイコ先生の担任クラスで同級生だった輩もいる。

いわば僕にとっては気のおけない、大事な大事な仲間たち。数少ない「良き思い出」を共有できる仲間たち。彼らと会う時は、見た目は40歳目前のオヤジでも、気分だけはすっかり中高生の頃に戻っている。小学生ではなく、あくまで中高生の頃に戻るのだ。

しかし、今回の話のネタは当然、逮捕沙汰になった某のことで持ちきりになるのだろうか...。

2009年10月27日

10km走るには走ったが...。

土曜日、Nike+による10Kバーチャルマラソンが行われた。
土曜日のうちなら、いつでもどこでもいいので10km走ってデータ送信すれば終わり。その気になれば、狡賢くやることもできたが、敢えてそこは正直にやってみた。

思えば、約9年ぶりとなる10kmマラソン。前回は45分ちょっとで快走することができたのだが、結局「ただ走る」だけのトレーニングしか積んでいなかったので、今回はスピード感ゼロ。
実際のところトレーニングでも前回のレースでも、10kmをまともに走ったことがなかったのだが(前回は9km地点で足が一度止まった)、今回は何とか10km走りきることができたことが唯一の収穫だろうか。
しかしタイムは57'47"(国内では男性1206位、性別問わずで1340位)と、9年前と比較して10分以上もスピードダウン。もうちょっとやれるかなぁ、と期待を寄せていただけに、この結果にはちょっと愕然とした。
そもそもは内臓脂肪を減らしたい、体重を落としたいという一念で始めたジョギング。どうやら脂肪だけではなく、筋肉もそぎ落とすような走りをしていたらしい。考えてみれば、筋トレらしい筋トレに取り組んだことはこの間、一度もなかった。結局、脂肪も筋肉も落ちて、持久力だけがついたようだ。まぁ、ベルトはブカブカになったし、体重も減るには減ったけど...。何か複雑。

2009年10月20日

人間ドック

ということで、2年ぶりに短期人間ドックに行ってきました。
検査項目は、身長体重血圧尿等の基本的なものをはじめ、心電図、腹部超音波、胃検査(バリウム)等。
持参しなければならないお土産もありましたが、敢えて伏せましょう。

7時30分から受け付け開始ということで、まぁ7時40分ぐらいに行っても大丈夫だろうとタカをくくっていたのですが、これが大誤算。
検査施設に到着したのが7時35分で、駐車場がほぼ満杯...。ムム、これは不吉な予感、と慌てて受付へ駆け込むと、既に時遅し。20名を越す人が既に待合室で名前を呼ばれるのを待っていました。
嗚呼、出遅れた...。
結局1時間ほど待たされ、ようやく順番が回ってきたのが8時40分近く。一番乗りの人は、検査項目が少なかったのか、その時点で既に検査を終えていました。

検査着に着替えさせられ、まずは体内の水分を紙コップに放出。
待合スペースで待っていると、高校時代の同期と遭遇。現在、弘前市内の中学校で教鞭を執る彼は、高校卒業後も何度か会っていますが、会うたびにどんどん巨体化していくのがちょっと気になる...。まぁ、ちょっといろいろ訳ありなことがあって、何となく距離を置いている(というかほとんど普段からの付き合いがない)輩ではありますが、久し振りに会ったということで、待合スペースで彼の「グダメギ」を聞かされたのでした。

と話し込んでいるところで呼び出しの声がかかり、身長体重を測定。身長は、ちょっと縮みました(172.2センチ)。体重も、少し減りましたが、夢の65キロ台は残念ながらキープできず(66.1キロ)。土曜日の午後1時間近く走った後は、65.2キロまで減ってたんだけどなぁ。

直後に問診。機械的にといいましょうか事務的にといいましょうか、「何か変わったことはありますか?」「いいえ、特に...」みたいな感じで終了(笑)

再度待合スペースで彼と話し込んでいると再び呼び出し。この後、彼との遭遇はなくなってしまいました。うーん、折角なのでもうちょっと話し込みたかったねぇ。

まずは腹部周りの測定。これ、恥ずかしくて数値言えません(笑)。
続いて血圧測定。2度測定しましたが、上が120台後半、下が70台後半、脈は65。ま、普通かな?
触診。目の座った診察医が、無言のまま聴診器をあて、結局最後まで終始無言のまま終了。
聴力、視力検査。視力には絶対の自信を持っていた僕も、ここ数年は視力が落ちてきたことを実感。結局左が1.5、右が1.2ということで、日頃からPCの画面とにらめっこしながら目を酷使しているツケが回ってきているようです。そのまま眼底検査と肺活量を調べる検査。高校の頃、応援団で声を張り上げていたこともあって肺活量には自信があったのですが、実際計測してみると4,300mlって、何か平凡な数字でした。まぁ、20年も前の話だからなぁ。人間はこうやって、過去の栄光にすがりたいものなのです(多分)。

いよいよ第一の難関、採血検査。注射嫌いの僕としては、一番緊張する瞬間かも知れません。
右腕を差し出すと、血管が浮き出た場所を慎重に探り始める看護婦。もう、見てられません。
と、左に目をそらしたつもりが、注射針の刺さった左隣の人の腕に目が行ってしまいました。嗚呼。
相当顔をこわばらせながら採血終了。

心電図。こちらも実に機械的に。「ハイ、仰向けになって下さい」
終始無言のまま、あっという間に終了。

さて、問題の腹部超音波。第二の難関です。前々回はこれで脂肪肝が指摘され、以降熟成されたフォアグラのように油を蓄え込んできましたが、5月から軽くジョギングを始めたことが幾分でも好影響を与えているのでしょうか。
「この検査はやったことありますか?」
「ハイ、あります。」
「何か言われました?」
「肝臓に脂肪が...。」
「お酒飲まれるんですか?」
「ハイ、結構...。」
「ところで最近何か運動してますか?」
「5月ぐらいからちょっと走ってます。」
「そうですか。では...」
生ぬるいゼリーを腹に垂らされ、器具が腹の周りを行ったり来たり。
「ハイ、おなかから息を大きく吸って下さい。」
何度も同じところを行ったり来たり。これは何か、尋常ではない事態が僕の身体の中で起きているのでは...。ジンワリと手の平が汗ばんできました。
10分ぐらいも寝そべったままになっていたでしょうか、ようやく検査終了の声がかかりました。
「うん、思ったほど肝臓に白いところ(脂肪)はないですね。軽度、といった感じでしょうかね。」
その言葉に安堵。これでたくさん酒が飲める...(違)。
「運動は、続けて下さいね。」
「はい。」
第二の難関、突破。

そしていよいよ待ち受ける最後の難関、バリウム検査。
前回は鼻穴の手前までゲップが出そうなのをこらえながらの検査。さて、今回はどうなるでしょう。事前に検査概要と注意書きが書かれた紙を手渡され、熟読。
約10分後、ようやくお呼びがかかりました。
検査室に入り、発泡剤とバリウムを一気飲み!口の脇からこぼれようが、お構いなし。
...あれ?ゲップが出る感じがないぞ?は、早く早く!
検査台にのせられた後は、まな板の鯉状態。やれ左に回って下さい右に回って下さいと、いわれるがまま。
「頭が下がりますから、バーをしっかり握って下さいね。」
結構な角度で頭が下がっていきます。し、しまった。さっき汗ばんだ手を拭くのを忘れた!
更に手の平の汗が増し、滑り落ちそうに。うぐぐぐ...ここで落下したら元も子もないぞ。必死に耐え抜き、額にはジンワリと汗が。

「はい、これで全ての検査終了です。下剤をお渡ししますから、うがいした後飲んで下さいね。」
そういえば前回はバリウムの排出がうまくいかず、七転八倒したんだった...。

結局全ての検査が終わったのは10時近くでした。帰宅後、腹部に違和感を覚えるのを待つも、なかなかその時はやって来ません。

まぁその後何とかなりましたが、あとは検査結果ですな。脂肪肝、γ-GDP、尿酸(疑)等々、数値が改善されていることを祈る。

2009年10月16日

明日も仕事です

久し振りに父が夢に出てきました。
私たちの目の前から忽然と居なくなった父は現在、知らないところで「マガ次長」と呼ばれながら、仲間と野球チームを作って楽しんでいるそうです。なぜ「次長」なのかは謎ですが、昔着ていたユニフォームに身を包み、キャッチボールする姿が夢に出てきました。
元気そうでしたが、かなり若返っていたのが気になるところ。一体いつの頃の父の姿だったんだろ?

それにしてもまあ、ホントに今週はいろんなことに振り回されっぱなしで、来週月曜日の人間ドック、大丈夫かいな?ってぐらいに調子が今ひとつなのですが、とりあえず4日間を何とか乗り過ごせそうなのでよかったよかった...の筈が、明日も朝から仕事です(涙)。

というわけで今日は、県内で開催されるイベントのご案内です。お近くの皆さん、もしお時間がありましたら、足を運んでみてはいかがでしょうか?

まず、今日から18日まで、弘前市の克雪トレーニングセンターで「2009津軽の食と産業まつり」が開催されています。

00001733_1.jpg今年も「津軽の食と産業まつり」が開催されます!
屋外屋台村などでラーメン・そば・肉料理などが味わえるほか、手作り工作体験など、津軽の「食」と「産業」が体験できます。
また、展示コーナーや保育園児による演奏・演技などの催し物もあります。
ぜひ、ご来場下さい!!

◆日時:平成21年10月16日(金)~18日(日)
    10:00~18:00 (最終日は17:00まで)

◆会場:弘前運動公園内
 「食」...エントランス広場
 「産」...克雪トレーニングセンター

◆催し物
・お楽しみ抽選会・・・ お買い上げ千円毎に1回抽選(空クジ無し)
・ゲームコーナー・・・ 射的・輪投げ などなど
・屋外屋台村・・・屋台ラーメン/そばコーナー/肉料理コーナーなど
・『将来の夢』コンクール
・友好都市物産直販コーナー
・保育園児による演奏・演技(10/16・17・18)
・ブラスバンド演奏会(10/16・17・18)
・そば打ち体験(10/18)
・ストリートダンス(10/17)
・津軽三味線演奏(10/16・17)

※イベント内容は予告なく変更する場合がございます。

[問い合わせ先]
津軽の食と産業まつり運営協議会(弘前市上鞘師町18-1 弘前商工会議所内):TEL/0172-33-4111 FAX/0172-35-1877

一昨年初めて行ってみましたが、かなり盛況でした。ただ、明日は天気があまり良くないみたいなのがちょっと気になるところです。

ちなみにこの時期はいろんなイベントが重なっております。
明日17日、18日は、青森市のマエダ西バイパス店で、「青森県商工会 特産品交流プラザ」が開催されます。

あおもりの『うまいもの』が大集合
青森県商工会 特産品交流プラザ

◆日時:平成21年10月17日(土)~18日(日)
    10:00~18:00 (18日は朝9:00から)
◆場所:青森市 マエダ西バイパス店 室内イベントホール・屋外正面玄関両サイド
◆イベントガイド
・お楽しみ抽選会(お買い上げ500円で補助券発行。4枚で1回抽選)
1等(2本)商工会地域特産品詰め合わせセット10,000円相当
2等(20本)商工会地域特産品詰め合わせセット3,000円相当
3等(50本)商工会地域特産品詰め合わせセット1,000円相当
・地域の特産品プレゼント
17日 七戸町「戸」・「北のおさつ」和菓子セット(先着250名)
18日 深浦町「ふかうら雪人参ぷちっとゼリー」(先着500名)

[問い合わせ先]
青森県商工会連合会(主管)地域振興課 017-734-3394

こちらも一昨年から毎年顔を出しています。県内にある商工会がお勧めする地域特産品の販売で、意外な発見があるかも知れません。

(追記)
これもありました。忘れてた。

「商店街で古くから営まれ地域住民に永く愛され続けているお店」「選び抜いた素材を卓 越した技とこだわりの製法で作り続けているお店」「目立った宣伝はしないものの、知る人ぞ知る名店としてお客が引きも切らないお店」。そんなお店があなた の街の商店街にもあるのではないでしょうか。

 青森商工会議所では、青森市の9つの商店会と連携し、そんな街の名店の逸品商品を一堂に集めて、2009年10月17日(土)と18日(日)の2日間、「あおもり自慢の逸品フェア」を青森市のサンロード青森で開催します

 このあおもり自慢の逸品フェアには、青森市とその周辺地区から14のお店が参加。それぞれのお店が自慢の逸品商品を持ち寄り、販売を行います。各店とも、試食をご用意しておりますので、味見をしながらそれぞれの商品へのこだわりを確かめていただくことができます。
 
 また、会場には、青森県調理士会、青森清庖会、司厨士協会青森県支部、中国料理協会青森県支部の皆さんによる「振る舞いコーナー」も設けられ、プロの料理人が腕をふるう各種の料理を無料で味わうこともできます。
 10月17日と18日は、「あおもり自慢の逸品フェア」へ、ご家族お揃いでお出かけください!
  • イベント名 : あおもり自慢の逸品フェア
  • 開催日時 : 2009年10月17日(土)~18日(日) 午前10時~午後5時
会場 : サンロード青森 1階 サンホール

ううむ...なぜこの時期に似たようなイベントが集中開催されるのか...。

2009年10月 9日

台風一過、三連休

台風一過。
青森県内ではそれほど大きな被害もなく、小雨の降る比較的穏やかな朝を迎えた。
昨日は、帰宅する時間が一番酷かったのかな?仕事もそこそこに切り上げ帰路に。しかし、前を歩く人が手にしていたビニール傘が、突風に煽られ壊れる様子は、まるでドリフのコントでも見ているようだった。思わず吹き出しそうになってしまった。
JR青森駅に行くと、既に運休列車の張り出しが。八戸方面に向かう電車はダイヤが大幅に乱れていたようで、乗客が改札前で足止めを食っていた。
弘前に向かう前の電車が運休したために、3両編成の車内はごった返し、しかも空調も何も入らないため、湿気と蒸し暑さで不快指数は一気に高まった。乗客は手に手にハンカチで額の汗をぬぐっているのに、車掌だけが涼しそうな顔していたのが、無性に腹立たしかった。
結局電車は20分ほど遅れて弘前に到着したが、雨も風も思ったほど強くはなかった。

うちに着いてからも風は特段強くなかったのだが、母が「何か音が聞こえるんだよ」と奇妙なことを言い出す。
耳を澄ませても音の発信源がわからない。と、その時。妹がいた部屋に通じる扉から、カタッと音がした。
「ほら!ほら!音したでしょ?」
「オカン、この戸が動いたんだよ。ん?ちょっと待てよ、ということは...。」
「あ!」母と慌てて妹の部屋に行くと、何と窓が開けっ放し。雨がじっとりと部屋に注ぎ込んでいた...。
「ずーっと開けっ放しだったんだね。」苦笑いする母。一体いつから窓が開いていたんだろう...。

うちの「被害」は、これぐらいかな。
さて、明日から三連休。今日で一仕事終わるしパーッと、の筈だったが、どうでもいいような仕事が舞い込んできて、パーッと行けなくなってしまった。数年ぶりに一献を予定していた方にも申し訳なく、近いうちリベンジすることで了承を得た。

明日は、いよいよあの「リベンジ」がやってくる。8月22日に行われる予定だった絢香の野外ライブ。
ゲスト出演する初音も絢香も「晴れ女」だとのことであるが、明日の予報は「曇り時々雨」。
しかも、午後からの確率は40%となっていて、ちょっと天気が怪しい。恐らく、今回どうしてもキャンセルせざるを得なかった人たちの恨み辛みがこめられた雨なのかも知れない。ま、これについてはまた改めて。

しかし、毎月連休があることはありがたい反面、何だか仕事のペースが崩れますな。休みボケになりそうな感じ。

パワーストーン

突然パワーストーンのことを書いてみようと思います。前にも書いたこと、あったかな。
このタイトルに反応して下さる方は、結構多そうな気がする(笑)。

僕がパワーストーンを購入するのは、こちらのお店です。

パワーストーン ヒラオカ宝石

なまこストラップの隣には、こちらのお店で組んで頂いたパワーストーンのストラップがぶら下がっている他、左腕には自分で組み直ししたパワーストーンのブレスレットを巻いています。

妻用には以前、自分で石をチョイスしてストラップを作っていただいたことがあります。色合いを結構気に入ってくれたみたいで、あのストラップが切れたときは、少なからず妻もショックを受けていたみたいです。

ブレスレットは、切れたストラップの石やその他の石をかき集めて組み直したのですが、天然塩で浄化したところ、塩がカッチカチに固まってしまいました。それだけいろんな思いが石に詰まっていたのかも知れませんね。そういえば最近浄化していないなぁ。

画像は?という突っ込みが来そうな予感w
ごめんなさい、画像はありません。

で、何で急にパワーストーンのことを記事にしたかって?
何と、太っ腹にもヒラオカ宝石さんで、モニター用ストラップをプレゼントして下さるらしいんですね。
楽しみ~♪

...あれ?でもこれって抽選なのかな?

2009年10月 6日

1ヶ月間違えた

職場の短期人間ドックを申し込んで、「当選通知」をもらったのが5月のこと。あれから4ヶ月以上経ち、てっきり検査は来月の19日だとばかり思っていたところに、検査機関から検査用キットが送られてきた。あれ?と思い中を見ると、何と検査日は11月19日ではなく、10月19日だった!
ちょうど11月19日は年に一度の上京予定(出張)があったので、願ったり叶ったりではあったが、逆に体調管理の照準が狂ってしまった。

何のことはない、徐々に酒量を減らすという計画である。
体重の方は、何と奇跡的に65~66キロ台をキープするようになり、無駄な脂肪を蓄えている状態からは何とか脱却した(昨年の暮れは「首がない」と笑われたが、あの頃は70キロを境に行ったり来たりしていたのだ!)。
この身体が冬になるとどうなるのかは怪しいところだが、問題は疲弊しまくっているはずのレバー。
しかし残された時間は2週間。さすがに今日から酒を抜きます、というのも何だかわざとらしいし、しかも今週末は飲み会を含む3連休!ま、なるようになるか...。

それにしても来月の出張はハードだよ。息抜きどころか、息つく暇もないぐらいのスケジュールになりそうな予感。考えただけで胃に穴が開きそう...。

2009年10月 5日

犯人は、誰だ!?

土曜日のこと。昼前に妻と外出し、15時頃帰宅すると、家の中が大変なことになっていた!
まるで、ネズミかウサギでも食い散らかしたのか?というぐらいに居間に散らばっていたのは、何と居間に敷いている畳のイグサ!しかも、畳床まで散らばっている!!嗚呼、この惨状をうまくお伝えできないのは非常に歯痒い!

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最初、何がどうなっているのか訳がわからず、ただ唖然呆然とするばかり。やがて、破壊されている場所を見つけ、現場検証。

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しかし一体誰が何のためにこんなことを...。

結果、犯人は(予想通り)3匹に絞られた!!

「モモ、お前か!?」

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「アウッ!いや...私、そんな力ないし...。」

「何か見なかったか!?」

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「...ごめんなさい。何も知りませんし、何も見てません...。」

「となるとハナ、お前が犯人か!?」
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「勘弁して下さいよ~。私その時間、二階で寝てましたから。」

「アリバイはあるのか?」

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「も、モモに聞いてくださいよ~。」

「モモ、ハナはホントに寝てたのか?」

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「え、ええ...。確かにハナは二階で寝てました...。」

ということは...。

「チョコ、その時間、お前は何してた!?」

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「ギクッ!!!!!!!!!!」

「お、お前まさか...。」

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「い、いや...え、ええと...。」

「さては、お前が犯人だな!?」
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「し、し、し、知りません!」

「モモ、お前見てたな?」
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「......ハイ。チョコが凄い勢いでそこを掘っていました。」

「チョコ...てめぇ...(やっぱりお前か...)。」

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「ご、ごめんなさい!くわえて持ってきたエサが転がって、畳の隙間に落ちてしまったんです。それを取ろうとしただけなんです。」

「オカンが帰ってきたら、お仕置き決定!」

その後母が帰宅、惨状を見て仰天しましたが、畳も大分古くなっているから今回は許す、ということでチョコは無罪放免となったのでした。しかしこれはホントに酷い...。