2010年1月19日

村上春樹 東京奇譚集

昨年は『1Q84』がベストセラーとなり、今年春に発売される続編でも、恐らく今年のベストセラーの座を奪ってしまうのではないかと思われる村上春樹。

『海辺のカフカ』に見られた同時並行的な全く異質な次元で繰り広げられる二つの話が、徐々に融合していく過程。『1Q84』も、似たような描写で物語が進んでいくが、両者に共通するものは、何かこう、物が喉につっかえたままの状態、いや、もやしの髭が歯間に挟まったままになっているような違和感、居心地の悪さだった。

この『海辺のカフカ』と『1Q84』の間には短編が発表されていたことも知っていたし、実際『アフターダーク』については購入して読破したのだが、結局ここでも何とも言えぬ後味の悪さばかりが残った。村上ワールドの懐の深さ、引き出しの多さを思い知らされた、といった方がいいのかもしれない。

ただ、一つハッキリしていることは、僕にとって村上春樹の作品は非常に「面白い」のだが、その域を超えないということである。つまり、読んでいる最中は夢中になれるものの、読み終えた後の感動、胸に刻まれるような感銘、そういったことを感じたことがないのだ。

単に僕の読解力が不足しているに過ぎないだけなのかも知れない。

何かネガティヴな感じになってきたが、決して村上春樹が嫌いだということではない。
むしろその逆であり、普段ほとんど文学書を読まない僕にとって唯一といっていいほど読み続けている作家だ。

さて、『1Q84』発表の前に発売されていた『東京奇譚集』。今から5年も前の作品である。
『アフターダーク』の後に出た作品ということ、さらには短編集ということで正直購入を見送っていたのだが、先日書店に立ち寄り、たまたま文庫化されている本書を発見し、購入してみた。というか、07年末には文庫化されていたようだが...(苦笑)。

ここに出てくる5つの作品は、いわば『1Q84』や『海辺のカフカ』とは全く趣が異なる。
それぞれの作品に登場する主人公に起こる奇妙な時間軸のねじれが、ある時を境に突然事態が異なる方向に進んでいく、というものだ。ここでいう「ある時」とは、そのほとんどが「受け入れたくない現実を受け入れる時」である。物語はどれも、決してポジティヴな内容ではない。

しかし、そこに繰り広げられる悲哀を受け入れることでポジティヴになっていく過程が、ひょっとしたら初めて村上作品を読んで「心に残る」作品として、僕の中で受け入れようとしているような気がする。

案外それは、自分の置かれている(あるいは勝手に思い込んでいる)身を、それぞれの主人公に投影しているからなのかも知れない。

冒頭、村上氏のジャズクラブでの出来事に関する行がある。「この物語は実話です。」と書かれてある。しかし実際「実話」だったのはジャズクラブで起きた「偶然」であり、その後の物語はフィクションであるはずだ。
奇譚集ということで、ちょっと奇妙な話ではある。奇妙というより、奇遇なストーリーが続く。
しかし、いろんなレビューでも述べられているが、村上春樹の作品そのものは全て「奇譚」なのだ。ただここで繰り広げられる5つの話は、現実に起こりうる話でもあると、僕は思った。
恐らく2時間もあれば、一気に読み終えることができるだろう。しかし、『アフターダーク』の時に感じた何とも言えぬ嫌悪感というか、二度とこの本は読まないだろうという複雑な気持ちは、微塵も起きてこなかった。
むしろ、何かの拍子にもう一度読んでみてもいいな、そう思わせる作品だった。

彼の「長編」だと疲れる人というには、お勧めの作品である。


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