2010年1月28日

介護の大変さ

チョコの突然の下半身不随から4日が経った。いろいろ調べてみると、発症から2~3日で呼吸困難を起こす...ということで、家族一同それ相応の覚悟を秘めながら毎日を過ごしているのだが、様子を見ていると一進一退といった状況だ。

まず、排尿について。医師からはこれが一番気がかりということだったのだが、火曜日の朝に微量ながら排尿しているのを確認して出勤、その後母が、抱きかかえたチョコの下腹部を撫でてあげたら、大量に排尿をしたそうだ(ちなみにペット用シートを敷いていたので、そういう意味での被害はなかった)。この日の午前、再度病院に行ったところ、「良くもなっていないし悪くもなっていない。」という、我々にしてみれば全く期待外れの診察の後、自発的な排尿ができないため、導尿カテーテルを通して貰った。
火曜日夕方には血尿(それもかなり赤い)が確認され、いよいよか...と覚悟を決めたのだが、翌朝には再び元の尿の色に戻っていた。
排便も自発的ではないため、我々が処理してあげなければならない。実は今朝も急にガタガタと震え始めたため、何事かと心配したのだが、何ということはない排便したということを知らせたかっただけのことらしい。早朝からこういう作業をしなければならないのは、決して楽なことではない。だが、我々がしてあげなければならないことというのは、こういうことなんだということを感じながら、処理が終わる間、チョコを抱きかかえていた。

続いて食欲について。水は頻繁に飲む。最初は牛乳に混ぜて薬を飲ませていたのだが、医師から「腎臓などの負担になるので牛乳はやめるように」と、火曜日になって指導されたそうだ。

まったく、そういう話は全く聞いていなかったし、考えてみるとこちらの不安を煽るばかりでインフォームド・コンセントも全然なっていない。
今はどこの病院とは言わないが、次回はちょっと突っ込んだ話を医師に聞いてみて、それを録音したものをネタに訴訟にでも持ち込みたい気分だ。

一方、固形物は、昨日になってわずかではあるが口にするようになったそうだ。それもあってようやく排便するようになったのだろう。ただし、肛門のあたりに出血が見受けられたのが気になるところだ。

何せ相手は犬なので、どこが痛いとか何をしたいとかいうことが、ほとんどわからない。いくら5年一緒にいたからって言葉が通じ合うわけではないし、チョコの考えていることも残念ながら我々には伝わってこない。あの日以来チョコは、「ワンワン」と鳴くことはなくなった。しかし、頻繁に「クンクン」と愚図るように鳴く声が、我々に何を求めているのか、なかなか理解しがたく、苦労しているというのが実態だ。

特に酷かったのが一昨日の夜で、何せチョコ自身がほとんど睡眠を取っていないため、よほど疲れが溜まっていたのか、目を開けたまま寝てしまうといった状態、しかも真っ赤に充血した目は瞳孔が開いているようにも見えて、いよいよ「その時」がやって来たか、と僕自身がおののく始末。
妻や母にいわせると、「誰かさんも同じように目を開けたまま寝るよね」と一笑に付したが、僕は何か胸騒ぎがして、結局寝たり起きたりの繰り返し。寝た心地がしなかった。一方のチョコはずっと起きていて、可哀想な鳴き声をずっとあげていた。結局それも杞憂に終わったわけたが、その間「2~3日中に...」という医師の言葉が頭の中をずっと駆け巡っていた。

そういう意味においては今回、犬とはいえ「介護の大変さ」を、身をもって知らされることになった。まだ(いや、もう?)4日目ではあるが、日中は母が面倒を見て、夜は我々が面倒を見るという役割分担も、自ずと出来つつあるし、少なくとも我々の生活のペースは今、チョコを軸にして動いているといっても、過言ではないかも知れない。

「オラ、年取ればアダッって、毎日毎日「イック(妹の名前)、ションベ(小便)、ババ!」って叫ぶんだ。」と冗談交じりに話していた、生前の父のことを思い出す。
父は結局介護どころか、あっという間にこの世から去ってしまったが、今こうやってチョコに対して行っている「介護」が、実は父が我々に与えた「宿題」の一つなのだろうかと、都合の良い解釈をしてチョコと向き合っている。

「余命」といわれた一週間まで、あと3日となった。
正直見たところでは、そんなに悪くなっているという印象はない。
そして、何故かわからないが、「もう駄目かも知れない」という意識は薄れ、「このままでもいいかな」という受容の気持ちが生まれつつある。この先どうなるかなんて誰もわからない。でも、まずは自分の中にある不安を取り除くことが、チョコを不安に陥れない方法の一つなのだろうと、考えている。

偶然見つけたある獣医師のサイトに、こういう言葉が羅列されていた。

・余命宣告をされると、飼い主さんがカウントダウンをはじめる
・想いが現実に反映される様になる
・『××はイヤ』という思いは、『××になれ!』と同じ意味
・余命なんて神様しかわからない
・最期の最期まであきらめない気持ちで取り組もう
・しかし、結果は甘んじて受け入れよう
・結果に執着せず、現在にベストを尽くそう!
・不安・心配は知ることで軽減されることを知っておこう!
・不安・心配は愛情ではない!
・生物は何が起こるかわからない。だから、あきらめない!
・獣医師の言葉は、言葉足らずのことがある

なるほどなぁ...。一番上の項目なんて、まさに今の僕の状態。
これだけ読んでも、ちょっと前向きになれそうです(笑)。
でもこれは動物に限ったことではなく、人間の介護にも当てはまるような項目がいっぱいあるのかな、とふと思った。

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