2013年3月24日

久しぶりのロックンロールアルバム。

佐野元春の15作目となるオリジナルアルバムが、彼の57歳の誕生日に発売された。タイトルは、「ZOOEY」。
The Heartland、The Hobo King Bandと、熟練したメンバーや気心知れた顔ぶれで編成されたこれまでのバンドとは異なり、若手のミュージシャンで編成されたTHE COYOTE BANDが今回のアルバムで初めてクレジットされた。

「ZOOEY」ってどんな意味なんだろう...と思ったら、彼から直接解説されているテキストコンテンツがあった。

「ZOOEY」とは、ギリシャ語の「ZOE(ゾーエー)=いのち」を語源とする。この「ZOE(ゾーエー)」は生物学的な命ではない。生物学的な命が終わっても、決して消え去ることなく輝き続ける命を指している。
「アルバム『ZOOEY』について」より。)


一聴してまず思ったのが、その勢い。1曲目から「あれ?これってアンジェリーナの録り直し?」かと思ったら一転、そこから繰り広げられるTHE COYOTE BANDと彼との掛け合いに一気に引き込まれた。ここ最近の彼のアルバム、特に長い間所属していたレコード会社を離れ、新たなレーベルを立ち上げた後は、年相応の佇まいといえばいいのか、どこか落ち着いてしまったところがあったというか、それでいてメッセージ性を秘めた曲が多くなったというか、そういう片鱗を端々に感じることがあったのだが、今回のアルバムは、その落ち着き具合をいい意味で裏切っている。

そして、何よりも強く感じたのは、アルバム全体に広がる「愛」だった。ライナーノーツにも記述されていたように、このアルバムの楽曲の多くに登場する「愛」というフレーズ。そして、その「愛」を後押しする疾走感。佐野元春の新作で、こんなにはしゃげるとは思わなかった。

若いバンドメンバーに触発されたのか、あるいはまだまだそんな落ち着いている場合じゃないぜ、と開眼したのかは定かではないが、とにかく今作は、何か格好いいんだな。

いや、57歳のオヤジ、ホント凄いわ。

久しぶりに聴いた、佐野元春渾身のロックンロールアルバム。最近何か最近の音楽はつまらないなぁ...と思っている40代の皆さんも!すっかり落ち着いてしまっている50代の皆さんも!!是非聴いてみて下さい!!!

2013年3月20日

「日展」のこと

青森県内で発行されている東奥日報の創刊125周年を記念して、第44回日展青森展が今年の6月15日から7月7日まで弘前市の青森県武道館で開催されることを今日の朝刊で知った。

青森県ではこれまでも日展の巡回展が何度か開催されているが、初めて県内で日展が開催されたのは今からちょうど10年前、平成15年に開催された「第34回日展弘前展」だった。
この日展の巡回展を初めて本県で開催するに当たり尽力したのは、亡父だった。
そして、この日展を無事に終えることができたのは、紛れもなく亡父の功績によるものだと、僕は今でも確信している。

折しも父の母校であり、僕の母校でもある弘前高等学校の創立120周年記念事業として、父は同窓会が主体となってこの日展を開催したい、とぶちまけたという。それまで日展といえば、今回のように新聞社が主催するか、あるいは日展自らが主催するかが主流であり、同窓会単位で開催したことなどなかったそうだ。

青森県での初開催、しかも会場は美術館や文化施設ではなく武道館、更に主催者が一高校の同窓会という初物づくし、日展サイドでも同窓会サイドでも、少なからぬ異論や反対の声があったらしい。

ところが、そんな不安の声をかき消すかのように、いざ始まってみると平日休日問わず県内各地から大勢の方が訪れ、中には秋田県からわざわざ足を運んで下さった方がいたことを覚えている。

父の片棒を担いだわけではないが、僕もボランティアの一人として会場内の巡回をお手伝いさせて頂きつつ、会場内に並べられたたくさんの作品を何度も何度も堪能させてもらった。
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その成功を足がかりとして、日展巡回展は、その後も幾度となく青森県武道館を会場として開催されている。平成18年開催の際も、日展サイドから父に打診があり、この時も父は家業を顧みることなく日展の開催に心血を注いだ。それぐらい父の日展開催に懸けた思いは、半端ではなかった。

だから、今もこうやって青森県で日展巡回展が開催されるたびに、僕は父のことを思い出す。

もちろん今回の巡回展についても、開催された暁には、亡父の思いと一緒に県武道館に足を運ぶつもりだ。

2013年3月15日

さあ、走るぞ!

先月の今頃はまだ連日凄い雪が降っていたのに、3月の訪れとともに、あっという間に積雪量が減り始め、すっかり雪に覆われていた歩道もあっという間に顔を出し始めた。

2月に一度だけ外走りをしたんだけれど、明日あたりからいよいよ本格的に自主トレ開始、といきましょうかね。

まず取り急ぎ目指すは4月29日の大館市で行われるハーフマラソン。ハーフマラソンなんてこれまで1回しか走ったことがないのに、いきなり4月でエントリーするのは、ちょっと無謀だったかも知れない。僕の中ではシーズンが始まったばかりなので、まずはタイムにとらわれることなく、歩かずにゴールすることだけを目指したい。...とはいえヘタレだけは勘弁願いたいので、急造ではあるけれど、何とか4月下旬までに「走れる」勘を取り戻さないと。

続いて6月16日には弘前公園の中を駆け回り、そして恐らくその翌週は平川市碇ヶ関でたけのこ汁を貪り、夏季の早朝トレーニングを経て、いよいよ10月にはアップルマラソン...という計画。これまで絶対に無理だ、と決めつけていたフルマラソンも、ひょっとしたらその頃までには走る気になるのかも知れない(笑)。

実は妻には「将来、12月のNAHAマラソンに出場してみたいものだねぇ。」と伝えており、沖縄好きの妻からも「そういえば12月に沖縄なんて行くことないもんね。」とまんざらでもないような好反応。
ひょっとすればひょっとするとなのだが、どうせ今年の夏もあちらに行くことになるんだろうから、こればかりはどうなるかわからない。

さて、僕が参加させていただいている「弘前公園ランニングクラブ(弘前公園RC)」。
初心者からベテランまで非常に幅広い方々が集まり、土曜日の早朝5時から弘前市役所をスタートして、約10キロをみんなで楽しく(時には本気で)ランニングしている。
今だと、早朝5時に走るにはあまりにも寒すぎるし、歩道にも雪があるのでまだ活動は再開されていないけれど、恐らく桜が咲く前には活動が始まるのではないだろうか。

弘前公園ランニングクラブ

初めて練習に参加させてもらった8月の当初はホントおっかなびっくりで、何かいかにも「走ってます!」というメンバーの中に、僕みたいな素人に毛が生えたようなにわかランナーが混じっても、ついていけるのかな?大丈夫かいな?と思ったけど、全然大丈夫だった。皆さん、ホント気さくでいい人ばかりだし。

すごく和気藹々とした雰囲気なので、興味のある方は是非一度覗いてみては?

...まぁ、朝5時スタートなので、覗いてみる=一緒に走る、ということになるんでしょうけどね(笑)。ホントに来る者拒まずなので、弘前に旅行に来たついでに走りたい!という方も大歓迎だそうです。

さて、そんな中、弘前公園を舞台に新たな大会が行われることとなった。前述の、6月16日に弘前公園の中を駆け回る、というヤツである。

第1回 弘前城リレーマラソン

もちろん僕も参加する気満々なのだけど、弘前公園RCの一員としてではなく、ひょっとしたら中学校時代の仲間と一緒に走ることになるかも知れない。それはそれで凄く楽しみだけど、年甲斐もなく、とにかく何が何でも出たい、出なきゃならない...という思いばかりが募っている。いてもたってもいられない、とはこういうことを言うのだろう。

個人的には、この大会を機に、弘前市全体におけるマラソンやジョギングに対する熱が高まればいいと思っているし、市民の方々の健康増進や体力増強のためにも、「ワンツカ(ちょっと)走る」文化が根付けばいいな、と思っている。

2013年3月14日

ホワイトデー

気がつくとバレンタインデーの返礼の日としてのホワイトデーがすっかり定着し、ウハウハしながらこの日を迎えた男性女性も多いのではないかと思う。

僕も、結婚する前は結構一生懸命こういったイベントに乗っかっていたが、いざ結婚してしまうとどうでもいいようなことになってしまい、気がつくと義理のやりとりすらなくなってしまった。
うちらが、そんなものいらないぐらいに深い愛で結ばれているのか、あるいはそんなやりとりすらないぐらい醒めきった関係なのか、どちらなのかは皆さんの想像にお任せしよう(笑)。

まあ、根底にあるのは、こんな些細なイベントで金を使うなら、もっと大きなイベントで投資しろ。
さながらそんな感じだろうか。

幸か不幸か(端から見ると圧倒的に後者なのかも知れないが)今年は、職場やその他の方からもバレンタインデーに何かを頂いたということがなかったため、特に返礼する相手もなく、今年のバレンタインデーもホワイトデーも、何が起こるということもなく、平穏に終わった。

ちなみにホワイトデーって、一体いつ頃から始まったんだろうと思ったら、30年以上前から始まっていたらしい。

全国飴菓子工業協同組合(全飴協)は1980年(昭和55年)からホワイトデーをスタートし、3月14日に定めた理由を、269年2月14日、兵士の自由結婚禁止政策に背いて結婚しようとした男女を救うためにウァレンティヌス司祭は殉教したが、その1ヶ月後の3月14日、その2人が改めて永遠の愛を誓い合ったと言われていることに由来するとしている。全飴協はその後、ホワイトデーをキャンディの日に変えた。
(Wikipediaより)


菓子屋が仕掛けたイベントだということは容易に想像が付いたが、今となっては菓子よりもバッグやアクセサリーなど、一部の女性にとってはまさに「海老で鯛を釣る」的なイベントになっていることも否定できないだろう。

ということで、僕には全く関係ない日だということで、ちょっとしたデマを流布した。

3月14日、ホワイトデー。

縁起のいい方角を向いて、木綿豆腐一丁を無言で1分以内にムタムタど食べきれば、死ぬまで長生きできるんだよ、という古くからの言い伝えは、この地域でもあまり知られていないようです。


...こんなのもちろんウソだし、広がるはずがない。
もしこんなのが全国に普及したら、その暁には全豆連から木綿と絹と寄せの三種を詰め合わせた豆腐一生分を贈呈していただきたいぐらいだ。

最近急速に普及している恵方巻をはじめ、ハロウィンもクリスマスも盆も正月もひな祭りも何でもかんでもイベント化してしまう風潮への皮肉。

まあ、早い話が白いものだったら、別に牛乳1リットルでもうどん10玉でも白米でも片栗粉でも塩でも何でもよかったわけですよ。

というわけで僕は、グループの解散会で聞かされた話題に、「顔面蒼白」になりながら帰路に就きます。
そう、もちろんホワイトデーだけに(笑)。...いや、笑えないな。

2013年3月 6日

春眠、暁を覚えず

僕はひどく疲れていた。

それは、急に思い立って自宅から岩木山神社までの往復約25キロを走破したとか、家の周りに積もった、3メートル近い高さの雪を一気に片付けたとか、朝が来るまでずっと酒を煽っていたとか、そんな安易な理由ではない。
多分ここ最近の僕は、人と接することに疲れていたのだ。
事の発端は4か月前まで遡る。

仕事の関係で僕は、とある法人の担当となった。
その法人の担当者は、小太りで、いつも腹の周りの肉がベルトに食い込んでいた。奇妙に浮き出た腹の周りの肉は、まるでバウムクーヘンのようだったので、僕は陰で彼のことを「バウムくん」と呼んでいた。

バウムくんは、こちらの言うことに対して何でも素直に「はい。はい。」と答えていたが、それは裏を返せば、我々の知ったことではないので、あとはお任せしますという、どこか他力本願のような生返事にも聞こえた。
かと思えば急に意固地になって、頑としてこちらの言うことに耳を傾けなくなったり、ちょっと面倒なタイプの人だったのだ。

バウムくんを含め、その法人の複数の関係者とは、メールや電話でのやりとりを何度も繰り返し、ようやく頂上が見えてきたところで、僕は致命的なミスを発見した。

例えて言うならばそれは、海水浴にやって来た泳ぎの不得意な大人が、浮き輪ではなくスタッドレスタイヤを手に海に飛び込んだ、そんな致命的なミスだった。

「頼みます、何とかしてくれませんか。」

僕は生返事を繰り返してきたバウムくんから初めて懇願されたが、とても僕一人の手に負えるような内容ではなかった。

しかしながら僕以外、手をさしのべる人はいなかった。仕方なく僕は、バウムくんを始めとする彼らが助けを待つ大海に救助用の浮き輪を放り投げた。

それも人数を遙かに超える量を、幾つも幾つも。

でも、彼らはその浮き輪にしがみつくどころか、手にしていた鋭利な刃物で片っ端から穴を開けていった。我々が欲しいのは浮き輪じゃなくて、ボートなんだよ。といわんばかりに。
例えて言うならば、こんな感じだ。

これには、さすがの僕もキレた。

午前10時42分。執務室。

「今回の件については、こちらの助言に耳を貸すことなく勝手に作業を進められているようですが、それはこちらとしても本意ではありません。このままでは予定に間に合わないこと必至ですが、それでも構わないんですか?」

僕は、電話の向こうのバウムくんにこれ以上ないぐらいの口調で激しく詰問した。
しかしバウムくんは相変わらずの調子で、「そうですか、まあ、何とかよろしくお願いしますよ。えへへ。」と、まるで意に介さなかった。

それでも不思議なもので、この世の中はいざとなれば何とかなるものなのだ。いや、それは僕が今まで、厭世観を抱きつつも、のらりくらりとやり過ごしてきた一つの方法に過ぎないだけなのかも知れない。結局上司に報告相談するまでもなく、事態は一定の収束の方向へと進んでいった。肝心な部分は、完全に棚上げ状態になっていたが。

「やれやれ。いつもこんなもんか。」と、僕は口に出さずにつぶやいた。

狐につままれたような感覚と、デジャヴにも似た感覚。

しかしその感覚は、僕の意識を朦朧とさせつつあった。夢と現実との狭間にある古びた茶色の扉を、僕は何度も行き来している。僕は、その扉を開けては閉め、また開けては閉め、猿のマスターベーションにも似た無駄で無意味な反復運動をただ黙々と繰り返している。

その反復運動でひどく腹を空かせた僕は、相変わらず浮き輪を大海に放り投げるという仕事を進めながら、休憩時間がやって来るのをじっと待っていた。

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