2008年6月30日

頭に来たので

ブログを乗り換えようと思います。乗り換えるというか、MovableType以外のモノを使ってみようかと...。 まあ、思えばこのブログも見様見真似で始めたわけであり、そんな知ったかぶりが窮状に晒された時、何も出来ない無力さをつくづく思い知らされました。 これまで積み上げてきたものを足元から崩してしまったというか、やっと6面揃ったルービックキューブを、間違えて何回も回してしまった時みたいな感じ。元に戻そうと努力しましたが、無理っぽいです。どんどん悪化していっています。結局最後は、パーツを解体しなければならないようです。 嗚呼。

不具合発生中

一昨日、このブログのバージョンアップを行ったついでに、気分転換にとちょっと設定をいじったら、取り返しのつかない状態になってしまいました。 配置が酷く乱れ、何が何だかわからない状態になっています。 復旧には相当の時間を要することになりそうです。 スタイルシートのバカ。

2008年6月26日

テロ支援国家指定解除と日本の対応

北朝鮮が核申告へ=テロ指定解除迫る?6カ国協議(6月26日9時0分配信 時事通信)

【ソウル26日時事】北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議で、焦点となってきた同国による核計画の申告が26日中にも行われる見通しだ。米国はこれを踏まえ「極めて速やかに」(ペリノ大統領報道官)北朝鮮のテロ支援国指定を解除する手続きに踏み込む。拉致問題を抱える日本は厳しい立場に追い込まれることになる。
ブッシュ米大統領は25日、福田康夫首相と電話会談し「拉致問題を忘れない」と強調。指定解除に向け日本側に配慮を示した形だ。

米国は、北朝鮮からの申告後、ただちにテロ支援国家からの指定解除に着手する、とな。ううむ...。

いつも思うことだが、何故北朝鮮の問題で、日本は他の国と歩調を合わせなければならないのだろう。特に、米国の顔を窺いながら外交を行うということは、第二次大戦以降ずーっと続いてきた事ではあるが、この辺で一発「米国離れ」しなければならないような気がしてならない。

結局のところこの6カ国協議にしたって、米国と北朝鮮の「対話」に他の国が巻き込まれているだけの話であり、板挟みとなっている中国、存在だけは示しておきたいロシア、どっちつかずの韓国、そして米国にべったりの日本と、果たしてこの6カ国が協議したところで一体何になるのか、と思うのだ。

そもそも、ここでも主導権を握りっぱなしの米国。「テロ支援国家」にしたのは米国であり、それを解除するのも米国である。ハッキリ言えば、勝手にどうぞ、というお話しである。

ブッシュ大統領は、我こそが地球全体の統治者と言わんばかりの暴君ぶりを相変わらず見せつけているようだが、福田首相もこのあたりで「拉致問題の解決の糸口が見えないうちは、協議には参加しない」ぐらい強い態度で臨んだ方が、ご自身の支持率含めいろんな方向に(いい意味で)波及すると思うんだけどねぇ...(笑)。

少なくとも日本は、北朝鮮という国を挙げての「テロ」の被害者なのだ。核の問題と拉致の問題。一見すると全く異次元の問題にも見えるが、「テロ」という共通項がそこにはあるはずだ。

北朝鮮のテロ指定解除は、前々から報じられていたことであり、もはや既定路線であることは間違いない。
しかし、これまでもウソと虚構とパフォーマンスだけで塗り固めてきた国が、いくら「核申告」をするからと言って、「核放棄」を本気でやるとは思えない。

「拉致問題を忘れない」というブッシュ大統領の言葉は、その場しのぎの逃げ口上にしか聞こえない。日本は、もっと毅然とした態度で外交すべきだ。

2008年6月25日

重すぎる責任、軽すぎる処分

岐阜市立女子短大生6人、フィレンツェの大聖堂壁に落書き(読売新聞 - 06月24日 20:37)

岐阜市の市立女子短大(松田之利学長)は24日、学生6人が今年2月に海外研修旅行でイタリア・フィレンツェ市を訪れた際、13世紀から15世紀にかけて建設された「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の壁に落書きしたと発表した。
同短大はイタリア大使館と大聖堂に謝罪し、学生6人と引率教員2人を学長厳重注意処分にした。
発表によると、6人はいずれも現在2年生。大聖堂の大理石の壁に縦約30センチ、横約20センチにわたって、日付や自分の名前、短大名などを油性フェルトペンで落書きした。 同3月、日本人旅行者が発見、同短大に連絡して発覚した。6人は「気分が高揚して書いてしまった」などと話しているという。
同短大は修復費用の負担を申し出たが、大聖堂側から「謝罪してもらえば責任は問わない。費用負担は不要」と連絡があったという。
大聖堂のあるフィレンツェ市中心部は世界遺産(文化遺産)に登録され、景観や環境の保全が義務付けられている。

これだから日本人は...と叩かれ、今どきの若者はこれだから...と叩かれ。
ほんの一部の人間による愚行が、その年代どころか、日本人全員に波及しかねない、とんでもないこととなってしまいました。ご存じのこととは思いますが、あちらこちらで物議を醸すと同時に、物凄い拒絶反応が続出しているようです。

かく言う私も、同感でございます。
本当にこれが、学長厳重注意処分といったレベルで済まされる事なのか、今一度よく考えて頂きたいものです。それとも、処分を重くすることの出来ない大人の事情でもあるのでしょうか?
大学側の甘い処分、そして今になっての発表には、どうも隠蔽体質があるようにしか思えません。
「所詮落書き程度」だから、学長厳重注意処分ですか?
公園のトイレに落書きしたのとはワケが違うのですよ。
世界遺産に落書きしたのですよ。
もう、腹が立つのを通り越して、呆れてしまいました。

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今更Flickrを使って画像整理

携帯電話やデジカメ(ちなみにスペックでは「携帯電話」>「デジカメ」。orz...)で今まで撮り貯めていた画像、これを整理する方法は何かないかといろいろ考えていたのだが、何のことはない「Flickr」を使えばいいということに今頃になって気がついた。以前から「Flickr」についてはあちこちのブログで拝見しており、非常に気にはなっていたのだが、どうせ招待制のSNSなのだろうと思ったら、Yahoo!USAのアカウントさえあれば、自分のスペースを設置できることを知った。

ただし、その時点まで「Flickr」を「Flicker」だと信じて疑わなかったことは、内緒にしておきたい(恥)。

5年ほど前に、Movable Typeを使った「Photoblog」という画像専門のブログをわざわざ立ち上げたが、実のところは使い勝手が悪く、投稿する気があまり起きなかった。そのこともあってか、投稿数は僅か26件にとどまり、コメントは一切寄せられなかった。

しかしこのFlickrだと、「Photoblog」の機能を全て網羅している他、携帯からの投稿も可能となるなど、まさに手の届かなかったところに全て手が届いている。今の僕が欲しい、使いたいと思っていた機能が網羅されていた。

何故、今まで気づかなかったんだろう...。

早速画像の移動を実施し、Flickr上での運営を開始した。
一つ怖いのは、Frickrは外人率が高いため、スパムコメントが増えないか、ということと、果たして英語だけでちゃんと内容を理解できるか、ということだろうか(笑)。

容量は毎月100MBということだが、画像30枚で3%。単純計算で行くと、今月はあと970枚(!)の画像を投稿できることになる。

携帯電話よりスペックの劣るデジカメで撮影した、函館の画像が何枚かあるので、近いうちこちらもアップしてみようと思う。

とりあえずPhotoblogを閉鎖し、左サイドにFlickrのサムネイルを表示してみた。

実は、Flickrに惹かれた一番の理由は、このサムネイル画像の美しさかも知れない。

2008年6月21日

五稜郭タワーを

握ってみた。

2008年6月20日

ご馳走様でした

赤煉瓦

やはり

我慢できませんでした。

2008年6月18日

『Firefox 3』を導入してみた

自分で初めて購入したPCがMacだったということもあり、アンチIE、というわけではないにせよ、Windowsでわざわざネスケを使ってみたりOperaを導入してみたり、いろいろ抵抗(笑)していたところに出会ったのが、Firefox。
拡張機能の充実も相まって、すぐお気に入りのブラウザとなった。

多分僕は、Firefoxの導入が意外と早かった方だと思っているのだけれど、新しいバージョンが出たということで、早速インストールしてみた。

で、何が変わったの?(笑)

と、使ってみて幾つか気づいた点。
一番変化を感じたのはアドレスバーでの検索。そして、複数のタブを立ち上げている時の終了確認。確かに合理的になったが、まだ見慣れないので、どうもしっくり来ない。
そういえば、ブックマークの登録もアドレスバー右にある★をクリックするだけで可能になった。

その一方で、バージョンアップされたことに伴い、使えなくなったアドオンも幾つか出てきている。まあ、そのうち解消されるか、使えなくなったことに慣れるか...(笑)。

インストール用のアプリケーションはわずか7MB。ダウンロードが始まるとあっという間だが、何せアクセスが集中している模様で、ダウンロードが始まるまでストレスを感じる(笑)。

>>ダウンロードサイト

「史上最速」「史上最軽量」を謳い文句に、公開から24時間でのダウンロード数記録も狙っているようだが、表示のスピードについては、専門家にお任せ。というか、元が遅ければ、いくらスピードが速くなったと言われても体感できないものなのだ。

まあ、IEがバージョン7になったところで、使ってみるとFirefoxを模倣している点が見受けられるし、そのIEもバージョン8の導入を窺っているとかいないとか。

まあ、Firefoxのバージョンが2.xの時にはIE tabを使うことでFirefox上でもIEを起動させることが出来た訳で、そういう点においても個人的には、物凄く使い勝手の良かった「IE tab」のアドオンが使えなくなったのは、かなり痛いと思っている。

ま、1?2週間も待てば、バージョンアップされたものが出てくることだろうけど...。
それにしても、Windows Updateは致し方ないにせよ、IEでしか見ることの出来ないサイトって、何となく退廃的なイメージを感じるのって、僕だけ?

2008年6月17日

今週末の予定

今週末は、アントニオ猪木を捜しに行きます。
生キャラメルの行列に並びます。

朝市で丼喰って、昼からビール飲んで、路面電車に乗って、五稜郭でカツカレー喰って、トラピスチヌ修道院で修道女の姿を探し求めて...ハァハァ...

というわけで、ひょんな事から函館に行くことになりました。ひょんな事といっておりますが、仕事ではございません。完全なるプライベートです。で、何故アントニオ猪木かって?いや、映画撮影と猪木主催の興行で、函館に出没しているらしいので...。
青函高速フェリーの「ナッチャンRera」での移動も考えましたが、財政難の折、JRのパックで移動・宿泊です。
多分、喰って飲んで喰って飲んで喰って飲んで。そうやって2日間が終わることでしょう。
恐らく函館山の夜景は、霧に包まれると見た。そして何より、大雨女と一緒なので、天気が心配です...。

2008年6月16日

地震!!!その時私は...。

先週金曜日は、隣町で竜巻が発生したり、雹(ひょう)が降ったり、集中的に豪雨に見舞われたり、落雷が相次いだりと、大変な一日でした。

土曜日は早朝から釣行に出かけ、魚がクーラーから溢れるぐらい爆釣...の予定だったのですが、仕事の関係で木曜日あたりから日程調整の雲行きが怪しくなったため、早々に見切りをつけてやむなくキャンセル(タガシ先生、ゴメン)。

結局金曜日は、大雨による電車の遅延もあって帰りが遅くなったため、仮にそのまま早朝4時に出発していたら、睡眠時間の確保もままならず、恐らく船上でグロッキーになっていたことでしょう。
そういう点では、結果オーライ、ということで。

しかし先週は、猛烈に忙しかったという訳ではないにせよ、何だか細々とした仕事が重なり、気忙しい時間を過ごした結果、終末になってドッと疲れが出ました。このため、土曜日は珍しく朝8時近くまで寝ていました。
モゾモゾと起きてパパッと朝食を済ませ、居間の掃除を始めた、その時でした。まだ眠りから覚めていないのか、何だかフラフラ...あれ?これって目眩かも...ん?

「ちょっと!地震!地震!」

妻と母が叫びます。そのそばでは、犬が寝惚けていました。
何と僕は、最初それが地震だということに気づかずに、掃除機を動かしていたのでした。

グラグラと長く続く揺れ。地震だと知った途端、僕は明らかに狼狽し、しばしその場から動けなくなりました(日本海中部沖地震、三陸はるか沖地震のことがトラウマになっているらしい...)。

「ちょっと!これだけ揺れてるのに地震だって気づかなかったの!?信じられない!!」

いや、信じられないって言うけど、まさかヘタレで動けなくなったとも言えないし...ねぇ。
結局弘前市の震度は3ということでしたが、体感的にはもっと凄い揺れのようにも思えました。

初動から数十秒にわたって増幅するような揺れ具合。これまでの経験上、「この地震はかなり強い」と直感的に確信しました。

テレビのスイッチを入れると...。
あとは報道されているとおりでした。

釣りに行かなかったことが良かったのかどうなのかはわかりません(釣果も聞いていません)。
しかし、釣りに出かけていれば、地震のことなどわからずに釣りに興じていた可能性が高かったことでしょう。なぜなら、釣りの間はラジオはほとんどつけないのです。

それにしても、中国四川省の地震も相当なもの(マグニチュード7.9)でしたが、マグニチュード7.2という今回の地震も、思った以上に凄い被害でした。山岳部、それも浅いところが震源となったため、直接的に建物が倒壊するといった被害よりも、地震により発生した土石流や山崩れといった間接的な災害による死者・行方不明者が多いのも特徴的。都市部の直下型地震でなかったことが、不幸中の幸いといったところでしょうか。それにしても衝撃的だったのは、沢に釣りに出かけた人で行方不明になっている人が複数名いることでした。山の形状が大きく変わり、山が山でなくなっている状態がテレビで放映されていましたが、さすがにあの画面を観た時は、身震いにも近い感覚を覚えました。

余震への不安も燻っています。気象庁では、1週間程度は余震に対する警戒が必要、ということでしたが、1ヶ月程度は警戒が必要だと思います。というか、ヘタレな僕は、実はいつ余震が来るのかと、戦々恐々としています。

亡くなられた方々に対し、衷心から哀悼の意を表するとともに、行方のわからない方々の一刻も早い発見救出と、被災された皆様へのお見舞いを申し上げます。

2008年6月12日

タバコの煙が目にしみる

ここ最近、ようやく暑いなあと思えるようになってきました。ガソリン高騰の折、経費節減のため、ここ最近は朝の清々しい空気を吸いながら自転車通勤です。しかも、これまで駐輪させて貰っていた場所を移動し、弘前駅城東口にある青空駐輪場に停めています。うちからだと10分ぐらいかな?それまで停めていたところよりも、かなり時間短縮されているような気がします。しかし、タイヤの空気をパンパンにして3日目、早くもタイヤの空気が抜け始めています。って、いきなりパンクか?おい!

ところで、家から弘前駅まで自転車で走っていても青森駅から職場まで歩いていても思うこと。

愛煙家の皆さん、怒らないで下さいね。

家から弘前駅まで自転車で走っていても青森駅から職場まで歩いていても思うこと。

私、タバコをやめて15年近くになるのですが、最近あの「歩きタバコ」というのが無性に気になって仕方がありません。

以前と比べると、その数は劇的に減っているものと思われますが、ホントに好きな人は場所と時間を選びません(というか、ホントの愛煙家ならば、マナーを 知っているはずだ)。すれ違いざま、あるいは追い抜きざまに安いタバコから飛んでくる煙と灰。吸っている本人は吸い殻だけポイ捨てしなければいいと思って いるのかも知れませんが、朝からあの煙と灰を思い切り被ると、ハッキリ言って物凄く不愉快になります。

地域によっては歩きタバコを禁止しているところもありますが、人口密度の極めて低いこの田舎で極度の規制をすることは、単に反発を生むだけなので、歩きタ バコを禁止しろ、とは言いません。ただ、周囲への配慮はして頂きたいものです。また、愛煙者も心地よく街を歩けるように、街の中に分煙スポットを設けるな どして嫌煙家と愛煙家を棲み分けする、といった方策でもいいのではないか、とホントに最近思います。例えば、以前街のあちこちにあった「公衆電話ボック ス」を一人用の分煙スポットにしてしまう、とか。

公衆電話ボックスを分煙ボックスにすればいい、という意見はYahoo!知恵袋にも投稿されていたようです。taspoに金をかける時間と余裕があったら、そっちの方に力を入れればよかったのに...とか思ったりして。

2008年6月 9日

やりきれない事件

秋葉原で起きた凄惨な通り魔事件。
事件の衝撃はもちろんのこと、犯人が青森県に本籍を置く人間で、青森高校卒業だということを知った時、何か心に棘を刺されたような、空しく重い気分になった。

何の関係のない人、それも7名もの命を奪った犯人に対する怒りは、ぶつけどころがない。
歩行者天国にトラックで突っ込んだ後、ナイフで次々と人を刺すという猟奇性はもとより、犯行予告を掲示板に書き込むなど、明確な殺意を持って犯行に及んだことは明らかであり、早い段階での動機の解明と厳罰を望むところだ。

最近、秋葉原を巡っては、無秩序かつ傍若無人で、勝手な素行を繰り返す一部の人たちへの警鐘が鳴らされていたところである。今回のこの事件は、そのこととは何の関係もないと思いたいところではあるが、犯人は秋葉原で歩行者天国が行われていることを承知の上で、静岡県から高速道を利用して、トラックのレンタカーでわざわざ乗り付けたらしく、ひょっとしたらこの事件が発端となって、歩行者天国自体の見直しも図られるのかも知れない。

そんな推測はともかく、亡くなった人たち、そして残された家族の無念さを思うと、察するに余りあるところである。

しかし、こんな歴史上にも稀に見る凶悪な事件が起こっていながら、速報を流すにとどめ、エコ番組を延々と流し続けたテレビ局(番組が、一過性のパフォーマンスで終わらないことを切に願う。個人的にはこの類の番組は、タレントの偽善っぽさが目についてダメ。苦手)。こんな凶悪な事件が起きたのに、現場のすぐそばで行われていたアイドルのイベントやら水着撮影会等、事件との関連性を匂わせながら、全く無縁な記事を掲載したスポーツ各紙(というか、イベント自体を中止にすることなく、時間をずらしてもイベントを普通に行ったというその無神経さを疑いたくなる)。不謹慎とまでは行かないのかも知れないが、本当に伝えなければならない情報、ニュースとは一体何なのだろう。

そして、カメラ付き携帯電話の普及や、ブログという自己主張の場が増えたことで、「にわか報道記者」が増えたことは、今後議論となっていくことだろう。
当時、懸命に救助活動に参加した若者がいた一方、現場に居合わせた人の一部が、当時の状況を動画や画像に撮影し、ブログや掲示板に投稿していたようだ(これは、報道機関が報じるニュースよりも早い「ニュース」となった)。その中でも、被害者の救助に当たることなく、撮影していたことを「楽しんでいた」という発言が、賛否両論を呼んでいるようだ。
(畏友shinyai先生のサイトで知った。>>>「事件現場を撮影することの是非」

僕も2年前、地下鉄表参道駅の入り口に車が突っ込んだ事故の1週間後、研修で表参道を訪ねた時、わざわざその事故現場を見に行ったという経験がある。誰にでも野次馬根性はあるはずだ。ただ、さすがに携帯電話で画像にまで収めようという気はしなかった(もちろんそれは、事故から1週間も経ってしまった、いわば「事故の新鮮さ」が損なわれたということもあったと思う)。

「野次馬」転じて「俄かマスコミ」となる。
誰もが未だ知り得ていない情報を人より早く入手したい。そしてそれを、誰よりも早く万人に知らしめたい。あるいは「話のネタ」として持ち合わせたい。誰もが経験し得ないようなことを経験することで、そのことを自慢したい、という輩もいるはずだ。野次馬とは、所詮そんなものではないだろうか。
僕なんかは、近くに犯人が逃走している状況の中、しかも周囲で被害者が苦しんでいる中で、よくもまあ撮影なんぞできるものだなあ、と思うが、実際、その後のニュースを観ると、各社が「当時の状況」として利用した画像の多くは、その場に居合わせた通行人が携帯電話で撮影したものと思しきものである。

そういう意味でも、「報道の自由」も含めた総体的な報道のあり方、Webの役割など、この事件によって投げかけられた、クリアすべき「問題」は大きいような気がする。

ひとつ望むことは、残忍な事件を引き起こしたから即死刑にしろ、ということではなく、犯人がこういう精神状態に至るまでの背後関係を検証しなければ、奇しくも8年前の同日に起きた池田小殺傷事件の教訓は生かされないだろう(池田小の事件については、結局ちゃんとした動機の解明もされぬまま、被告の死刑が執行されてしまった。)。

犯人がどういった動機をもって今回の犯行に至ったのか、何故こういった事件を引き起こすような人間が生まれたのか、その背景や要因をしっかりと検証しなければならないのではないかと思う。

改めて亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

2008年6月 6日

「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」限定編集盤

 

HMV 佐野元春インタビュー

「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」限定編集盤の発売にあわせ、佐野元春のインタビューがHMVに掲載されています。
「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」が制作された時の時代背景と、20年経った今の時代背景。バブルが崩壊し、昭和が終わり、時代の大きな転換から20年が経ち、あの頃と比べ、何が変わったでしょう。
一つ大きな転機といえば、我々はパソコンや携帯という媒体を通じて、いろんな情報を簡単に入手することができるようになりました。
しかしその中には、不必要なものも多く含まれています。
かつて、飽食の時代と言われたことがありました。グルメに始まった食文化の大きな潮流は、いろんな食を我々に提供した一方で、度を超した食の追求の結果、考えられないような食文化(マヨラーの登場や、激辛ブーム)も登場したのも事実。

時代は巡り巡って、いろんな情報が氾濫する今日。便利なツールは度を超した結果、簡単に自殺できる方法がネット上で入手できるようになり、闇サイトを通じた犯罪が蔓延しています。

考えられなかったことが当たり前となってしまう現実。殺人事件はどんどん猟奇化しているのに、何度も報じられることで、それも一種「当たり前」に近い出来事のような、そんな錯覚にとらわれてしまうのは、僕だけでしょうか。

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2008年6月 5日

ブログの不具合

先月あたりから、「ブログを見るとブラウザが固まる」というご報告を何人かからお受けしております。
ブログに仕掛けを講じたこともなく、何故こういう事態になるのか、正直私にもわかりません(少なくとも私が見る限りでは、不具合が発生しないのです)。

考えられるとすれば、外部スクリプトの読み込み。
アフィリエイトを張り付けたのが原因だったのだろうか...と思い、かなり撤去したのですが、未だ解消されず。

となると、考えられる原因は、2つ。
佐野元春のブログパーツと、ブログ上を駆けるcube。

悔しいのですが、とりあえずこの二つをとりあえず撤去し、様子を見ることにしました。

機会を見て復活させたいとは思っていますが、また不具合が生じてしまうことがちょっと怖いです...。

ご迷惑をお掛けした皆様には、この場をお借りして改めてお詫び申し上げます。申し訳ございません。

不具合が生じている場合は、お知らせ頂ければ...と思ったのですが、不具合が生じていればこの内容自体見ることができないのか...。

2008年6月 4日

iPhone

「iPhone」はソフトバンクから発売

携帯電話事業を展開するソフトバンクモバイルは4日、米アップル社の携帯端末「iPhone」(アイフォーン)を年内に国内販売することでアップル社と契約を締結したと発表した。
iPhoneは米国で発売されて以来、爆発的な人気を呼び、国内キャリアの選定をめぐって、ソフトバンクモバイルとNTTドコモが激しく競り合っていた。


結局SBに決まりましたか。
ま、個人的には携帯を買い換えて間もないので、食指は動かないのが現状なのですが、反応がハッキリ分かれているようですね。
というか、DoCoMoユーザーの落胆ぶり、ドン引きぶりといったらハンパではないみたい。結構皆さんiPhoneに期待を寄せていたんですね。もちろんMNPで移行する方も大勢いるようですが...。
そんな私もDoCoMoユーザーではありますが、何か凄く醒めた目でこのニュースを見ました。

かといってSBユーザーが万雷の拍手をもって迎えているのかと思いきや、意外と「先に不具合を何とかしろ」とか、冷たい声も聞こえております。DoCoMoユーザーからは、SBとDoCoMoの複数キャリアに期待を寄せる声も多いみたいですが、どうでしょう。それはちょっと考えにくいような気がしますが。

SBとしては、「iPhone」の投入は市場をひっくり返すくらいの起爆剤となると期待を寄せているのでしょうけど、果たしてホントに皆さん食らいつくのかな...?
珍しさと話題性から言えば横綱級ですから、売れるには売れるのでしょうけれど、機能的な問題は、どうなのでしょう。
多分、今の機能に慣れてしまっている人にしてみれば、意外と使いにくい機種になりそうな気がするんですよね。ワンセグ、電子マネーの機能はしっかりフォローされるのでしょうか?

僕はかつて、DoCoMoから販売された「SO502iWM」という、ミュージックプレーヤー機能がついた携帯を持っていたことがありますが、電池の消耗が早くて意外と使えなかったんですよね(ちなみにWMというネーミングは、「ウォークマン」から来ています)。
iPhoneはどうなんだろ?

いろいろ考えると楽しそうな機種ですが、それでも私は購入しません。だって、SBは県内のエリアが全然カバーされていないんだもの...。

これ、年末商戦の目玉となること必至。
販売価格も含め、どれだけの数が販売されるのか、興味津々です。

しつこいようですが今の僕には、携帯電話とiPodがあれば十分です。

2008年6月 3日

急性結膜炎

実は私、急性結膜炎を発症しました。
これまで目にまつわる病気はほとんどなく、視力も未だ1.5をキープしており、目の健康だけは自信があったのですが、先週の水曜日あたりから右目に違和感を覚え、日に日に痒みを感じるようになってきました。金曜日朝には右目上部が殴られたように腫れてしまいました。とりあえず職場に行ったのですが、何か不吉な予感がしたためそのまま休暇を取り、弘前へとんぼ返り。眼科へと足を運んだのでした。

思えば生まれて初めての眼科だったのですが、受付に保険証を提出し、「どうされました?」と聞かれたので「右目が...」と言った途端、「ああ...待合室でお待ち下さーい」と、つれない態度(苦笑)。何だよ、一目見て判るような状態なのかよ。
程なく診察室に呼ばれると、医師が顔を見るなり、「随分腫れてるねぇ」と。
顔が腫れている訳ではありません、あくまで右目の話です。
「ハイ、上見て。ハイ、下見て。」
この間スポイトらしきもので下瞼を撫でられ、診察終了。しかもその場で、「2種類の点眼薬を出しますから。朝、昼、晩患部に点して下さい。今日はこれでいいですよ。月曜日にもう一度来て下さいね。」
「あ、あの...これは一体...。」
「急性結膜炎ですね。」
「そ、そうですか...。」

その後看護師さんから身体を温めることは極力避けること、よってシャワー程度にとどめること、感染する恐れもあるので、清潔に保つこと、飲酒もなるべく控えることなどといった細かな注意点、指導を受けて診察は終了しました。

言われるがままに毎日点眼薬を点しています。しかし、月曜日は病院に足を運ぶことが出来ませんでした。火曜日も出来そうにはありません。幸い、右目の状態は大分落ち着いてきました。

と、ここまでは順調だったのですが、実は今度、左目に違和感が...ぇ?

2008年6月 2日

田んぼアートの田植えに行ってきた

というわけで雨は降るわ気温は低いわの悪天候の中、約1時間に渡り田植えをしてきました。
何とこの日、会場に集まったのは1,500名!(ただし主催者発表)
1,500人は怪しいにしても、1,000人は軽く超える人たちはいたでしょうか。雨合羽に身を包み、サンダル履きで寒そうな表情を浮かべる、親に手を引かれた小さな子供たちから、大学の留学生、ツアーでやって来た県外の人たちに近所のお年寄りまで、老若男女人種国籍をも超えた人たちが、ドッと集結したのでした。

職場から参加した我々6名は、エントリーを済ませたあと、雨を避けるため、公民館のエントランスあたりをうろうろしながら談笑していると、見ず知らずの人から突然「引率の先生ですか?」と尋ねられました。

な、何?確かにこの面子では一番年上だけど...何で先生なの?

同僚の人たちに爆笑されながらウロウロしていると、今度は何やら黄色い法被を纏った人たちが登場。
どうやら主催者側の代表の人たちらしいです。
そして、マイクのトラブルに見舞われながらも、9時30分から開会式が始まりました。
主催者側を代表して、村長の挨拶。

これが妙に長い...。

風雨に晒されながらも、村長の話に耳を傾ける(いや、耳を傾けているフリをする)子供たちが可哀想。
村長の話が終わると、「何とか協議会メンバー」の紹介。

これ、ホントに必要なの?(苦笑)

ちなみにこの方々は、屋根の下で雨を避けていたので、全く濡れることなく、これから田植えに臨む人たちだけが雨に晒されたまま、粛々と開会式は進められたのでした。

田植えの方法について一通り説明が終わると、早速田植えの行われる田んぼへ移動が始まりました。

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2008年6月 1日

雨が降っても

田植えはやります。レンズが雨で濡れてしまいました。