2016年6月16日

2015年の総括(ランニング篇)

2015年の走行距離は、(室内ランも含めて)だいたい1,900キロでした。 月平均すると158キロぐらいですか。 まあ、この数字が多いのか少ないのかはよくわかりませんが、仕事の関係でグループの閉鎖という大仕事を背負った1月から3月までの超繁忙期を鑑みると、まあまあ頑張った方かも知れません。...あ、でも1月~3月は外を走る機会がガクンと落ちるんだった。 今シーズンはランニングを始めて8年目だったのかな?大きな飛躍はなかった一方で、怪我は大きくも小さくもちょこちょこやらかしました。 4月末の花巻ハーフマラソン前日に軽い肉離れを起こしたらしく、翌日の本番は10キロまで自己ベストペースで走ったものの、その後右脚ふくらはぎに痛みが生じて撃沈。 5月末の五所川原市走れメロスはコースが短かったらしいけれど、非公式ながら自己ベスト更新。 6月の平川市たけのこマラソンの直前、歩くのも辛いぐらいの痛みを発症し、診察の結果「アキレス腱周囲炎」、大会前日に初めて足首に注射をぶち込むという強行に出た結果、コースでの自己ベストを更新。 8月、メロンだけのために出場した男鹿市の日本海メロンマラソンは、東京からやってきた某Y氏とおしゃべりラン、27度という気温の中で最初から記録は狙わず100分でゴール。 8月の北海道マラソンは、昨年辛酸を舐めたということで、何とか自己ベスト更新!という意気込みとは裏腹に、折り返し後の向かい風にやられ、それでも昨年の記録より15分縮めてゴール。 9月の田沢湖マラソン、北海道の勢いをそのままに、と走り出したのはよかったものの、30キロから大失速、昨年のサブ3.5の再現どころか、今季ワーストのタイムで撃沈。 10月、弘前・白神アップルマラソンで4時間30分のペースセッターを務め、初めて走るペースに戸惑いを覚えつつも、サブ4.5を狙うランナーを最後まで鼓舞しながらゴール。この時に、最後までフルマラソンを走り切るにはどうすべきかという感覚を思い出した感じ。 続く岩木スカイラインを舞台にしたチャレンジヒルクライムランは、標高差800メートルということで脚への負担も考えて、約10キロを80分という超ゆっくりラン。 11月、満を持しての第1回さいたま国際マラソン、制限時間4時間、細かいアップダウンの続くなかなか厳しいコースと言われながら、最初から最後までほとんどペースを変えることなく自己ベストでゴール。 ...といった感じで、とにかく今年はムラがありすぎました。調子がいい時と悪い時の差が、ちょっと酷かったですね。 その中で、ハーフ、フルともにひとまずベストタイムを弾き出すことができたのはラッキーでした。 まあ、ハーフやフルを生まれて初めて走った時がちょっとちょっと...だったので、その時から比べたらハーフは5分、フルは10分しか縮んでいないんですけど...。(ちなみに昨年からはハーフで3分、フルでも3分縮んだだけです。) いずれにせよ、「あせらずあわてずあきらめず」、楽しく最後まで走りきることを心掛けながら、新しい年を迎えようと思います。 さて、来年の目標は...心のうちに秘めておこうと思います。そんなの他人様にベラベラ話すものじゃないな、ということを悟った今年のランニングでした。 強いて挙げるなら来年は、一から土台を作り直しかな。リフォームではなく、新築するぐらいの気持ちで出直そうかと思っています。 余談ではありますが、今月60キロしか走っていません。大会が終わっちゃうと、所詮そんなものです。 _20151228_161204

2016年6月13日

「第4回弘前城リレーマラソン」参戦記

当初、昨年に引き続いての仕事の都合で、参加を見送っていた今年の弘前城リレーマラソン。 ところが今年はその仕事が直前で立ち消えとなり、参加することが可能になりました!...とはいえ弘前公園ランニングクラブ本隊からは2チームがエントリーしていましたが、僕は既に参加できない旨を伝えていましたので、今回はからかいがてら応援をしに行こうかな、と思っていたのですが...。(いや、ホントに) 母校の弘高応援団が大会を盛り上げるということを知ったのは、Tキャプテンからの一報。応援団OBとして居ても立ってもいられなくなり、大会長のSさんに「オレも手伝いたい」と連絡を入れると、「お願いしたいことがもう一つある」と逆依頼。 それは、全盲ランナーとして弘前市内では知らない人がいないであろう、秋田修さんの伴走をして欲しいというものでした。 秋田さんはうちの父のことを知っており、アップルマラソンの時はフルマラソンの折り返し地点で父に声を掛けられたことなどを話していました(確かに当時、手伝いに駆り出されていたんです)。そして、ご本人から「是非今度一緒に走りましょう」と言われたことがありました。その時は軽い気持ちで「良いですよ!いつか一緒に走りましょう」とは言ったものの、伴走されている方々を見て、ただただ凄いなあ、という感想しか出てこず、自分に務まるはずがない、と思っていたのですが...。 ひとまず伴走についてSさんに「オレができるのであれば...」と了解した直後に、秋田さん本人から直接連絡があり、まずは一度試走してみたいということで、4日に約1時間半ほど弘前公園内を伴走してみました。正直、うまく務まったかどうかは分かりませんが、秋田さん直々に正式な伴走のオファー。元々リレーマラソンには出る予定もなかったので、快諾することとしました。 一方の応援団のお手伝い。表向きは「5人しかいない応援団と一緒に、エールを送って選手を応援したい。」というものでしたが、本心は「大会を盛り上げる一助になりたい。」という、それだけの話。 親子以上の年の差がある現役高校生の中に混じって、45歳のオッサンがエールを送る。以前から地元を盛り上げたいという思いを持っていましたが、その機会を得て舞台に立つということは、非常に名誉なのではないか、しかも、現役高校生と一緒にエールを送ることなんて、そんな簡単にできることではないんじゃないか、と考えるようになりました。 ただしこのことは誰にも口外せずに、当日のサプライズにしようということで、TキャプテンやS大会長らと口裏を合わせることにしました。 大会2日前の金曜日夕方に弘前高校へ出向き、現役の応援団員と初対面。話を聞くと決して安定的な活動ができているわけでもないらしく、昨年はほとんど活動を行わなかった、とのこと。我々の頃(といっても28年前)とは違って、応援練習の内容も変わってしまったらしく、応援歌も全部覚えていないのだそう。実際この日演舞を見たのは、外ではなく科学室の中でした。しかも試験期間中でのお手伝いということで、かなり恐縮してしまいましたが、30分ほどで当日の段取りについて大枠を決めました。 しかも、実行委員会の側でわざわざこの日のために学ランを用意してくれることに。 面白いことになるのかドン引きされるのかは、やってみなきゃわからない、ということで。 大会前日は秋田さんと2度目の試走。リレーマラソンのコースを走ってみようということで試走したところ、「もう1周、もう1周」のおかわり連発。恐らく秋田さんとの試走は12キロ程度だったと思いますが、家に戻ってみたらハーフマラソンを越える距離を2時間30分以上に渡って走っていました。しかし、一緒に走っているときのお話しは本当にハッとさせられることが多いです。なんか新しい気付きの扉をしらみつぶしにノックされているような、そんな感じなのです。考えてみると、父と同世代の人と一緒に走ることなんてないわけですよ。それが、同じ歩調同じスピードで一緒に走っているということ自体が、僕にとっては凄い経験というか、糧になるんです。 さて、大会当日は何かさっぱりしない天気。8時30分過ぎに会場に到着、まずは秋田さんのチームの皆さんに御挨拶。平均年齢60歳を越えたチーム構成、45歳の僕でも十分若手でした。実はこのチームのメンバーには、秋田さん以外にもうちの父が生前お世話になった方が何人かおられまして、僕が誰なのかを知った途端、そりゃビックリされたといったら、もう...。「小学生の頃、何回か会っているんだよなあ。」と感慨深げに語る皆さん。そして何より、僕の伴走がどんな感じなのか、興味津々の様子でした。というかですね、メンバーがたった6名って、ちょっと少なすぎるんですけど...。 本当は単独で走りたいところもありましたが、今回はあくまで秋田さんの伴走に徹することに。 まずは2走目で2周4キロ、そして最後21周目のアンカーで1周2キロの計6キロを伴走することになりました。秋田さんは僕以外のお二方の伴走により、計5周することになっていました。 しかし、10時のスタート直前には応援団のお手伝いをしなければならず、更に11時のハーフコーススタートでも、同じくエールを送らなければなりません。 かなりハードなスケジュールとなることが予想されましたが、受けた以上はやりきらなければならないという義務感が湧いていました。 それにしても、今まで色んな大会に出場していますが、この日はこれまでで一番緊張したかも知れません。 大会本部側でIさんから借りた短ランに袖を通し、下は自前の礼服、更に足下は雪駄、腰には手ぬぐいという蛮カラスタイル。現役高校生は皆さん袴姿ですので、僕の方が目立ってもやむを得ない格好でした。更衣室となったテント内で演舞の内容の最終確認と振りを合わせ、9時40分過ぎにテントを出ます。おもむろに外を闊歩すると、雪駄の音に好奇の目が向けられるのが分かります。が、当の本人は全く意に介することもなく、まるで現役学生のように準備。 FB_IMG_1465726832228 あ、そうそう。応援団の参加が決まった時に、僕も実行委員の中に名を連ねていましたので、演舞を行う場所をどこに確保しているのか、どういった内容で行えばいいのか、といったことを他のスタッフと打合せ。...しかし、普通の格好をしているスタッフと学生服に雪駄というスタイルの僕が打合せを行っている姿も、なかなか奇妙だったようです。 この間、僕の姿に気づいたランニングクラブや他のチームのメンバー、更にはスタッフまでもが驚きの表情でこちらを見ていますが、程なくそれは、笑顔に変わりました。そう、これでいいんです。こういう形で大会を盛り上げることができるのが、僕にとって本望なのですから。 DSC_0503 さて、演舞はいたってマジメに行いました。9時55分から都合2回。(なぜ2回行ったかというと、予想以上に演舞が早く終わり、間が持たなくなったという主催者側の事情がありました。) 後輩よりも大きな声で、エールを送ることができたんじゃないかと自認していましたが、周囲から沸き起こる拍手が実に気持ち良かったです。 FB_IMG_1465768142189 10時のスタートを見送ったあと、すぐに秋田さんを連れだって更衣室へ。学ランを脱いでTシャツ、ランパンのランニングモードへ切り替え。そして、襷受け渡しゾーンへと急ぎます。 10時20分過ぎ、2周を走り終えた第1走のランナーがやって来ました。いよいよ秋田さんの伴走、スタートです。伴走は3回目となりますが、練習の時とは雰囲気がまるで違います。襷を受け取り、秋田さんへ手渡し。秋田さんが御自身で襷を身につける間、足下の状況や進む方向の指示を出します。この間も、秋田さんに対する声援があちらこちらから聞こえています。意識したのは「危険回避」。しかし、緊張からか何度か的確な状況報告を行うことを忘れてしまったり、何よりも腕を上げて大きく振りすぎてしまったため、それが秋田さんに緊張感として伝わったらしく、「腕!腕下ろして!」と注意される場面もありました。 今回は(も?)コースが変わっており、アップダウンの他にカーブ(というかクランク)がたくさんあったり、砂利を踏む区間が多かったり、結構難儀しました。1周目が5分45秒とかなり早めでしたので、2周目はなるべく落ち着かせるよう走ったつもり。あとは、時々尋ねられる「角まであと何メートル?」との質問に、なるべく誤差が生じないように距離感を掴みながら走りました。 akitasan 僕の時計では平均6分を切っていましたので、最初はまずまずだったかな、と思っています。 ここから次の伴走までは相当時間が空くので、11時前の応援団活動を無事に終え、現役応援団にお礼と別れを伝えた後は、駆け抜ける仲間に声援を送り続けていました。 今回は、ランニングクラブの練習に参加している皆さんがいろんな他のチームで出場していたため、間髪入れずに目の前を駆け抜けていき、声援しているのが楽しくて仕方がありませんでした。 そうそう、いくら他のチームのお手伝いをしているとはいえ、「No Apple, No Life」の看板を捨てる気にはなれません。秋田さんが「No Appleの黒を着用する。」と前日に仰っていたので、僕は敢えて白のTシャツを着て参加しました。 最も早いチームでは、2時間30分程度でゴールしたようですが、うちのチーム(チーム名が「風前の灯」って、おい。笑)相変わらずゆっくりと歩を進めていました。本当にゴールできるんだろうか...という一抹の不安が。 結局14時過ぎ、僕の伴走による最終周回がスタート。既に大半のチームはゴールを終え、記念撮影をしていましたので、すっかり終わったような気分なんでしょうね。表彰式を終えた安堵感からか、まだコースを走っているランナーがいるのに自由気ままにコースを横断されるのは、かなりハラハラドキドキでした。 実際、コースを我が物顔で横断する人がたくさんいたため、結構な剣幕で「道を空けてください!」と声を荒げながら走路の確保に懸命でした。だって、ケガをさせたら元も子もないわけですよ。これぞ危険回避、安全確保ですよ。 事実、応援している目の前で接触した事案が2件。双方ともに転倒しかけました。(毎回のことなのでしょうけれど)1周目で既に襷受け渡しゾーンと周回ゾーンが応援と選手とでゴチャゴチャになっていたようなので、この辺もできれば整理をお願いしたいと思いました。 気になったことがもう一点。土手に上る大人子どもが今回やたらと目につきました。信じられないかも知れませんが、親子で土手から滑って転げ、木に衝突した人達を見かけました。一歩間違うと負傷していたと思います。それぐらい凄い勢いで転がってきました。この点も含め、事前周知を徹底した方が良いと思います。ヒマになった子どもたちにとっては土手は格好の遊び場なのでしょうけれど、もしも堀に転げ落ちていたらと思うと、ゾッとします。 話を戻します。秋田さんもさすがに5周目ということで相当辛いらしく、かなり息が上がっていました。ちなみに僕は3周目、しかもかなり間が空いているので肉体的な疲労感はないし、ペースは上がっていないので楽なものです。ただ、緊張から来る汗の量と精神的な疲労感は凄かったですが。 秋田さんを励まし、鼓舞し、ちゃんとゴールさせる。これが僕の本日最後の役割。下が砂利になること、左手に擬木があり、その奥に鎮座する岩木山はうっすらとしか確認できないことなどを伝えます。 多くの声援が送られる中、秋田さんもそれに応えます。いよいよトラックが近づき、更に声援が多くなります。送られているのは秋田さんに対するものですが、伴走しているこちらも嬉しくなります。ゴールゲートが近づくと、チームの皆さんが待ち構えていました。秋田さんはメンバーから手渡された幟を握りしめ、ついにゴール。 秋田さんと握手を交わし、僕の役目は終わりました。 タイムは4時間18分、前回は制限時間の4時間30分以内にゴールすることができなかったということですから、これだけでも凄いと思います。そして、順位は下から3番目。ブービーを狙えたなあ、と口々にしていましたが、確か最後の周回で一人抜いてしまったんですよね...。ああ、僕のせいだ。どうもすいません。 場所を変えて行われた反省会では、何と来年の大会では、伴走のほか、一選手として走って欲しい、との要請が。まあ、前述のとおり父が繋いだご縁なのかも知れないし、弘前公園RCから出なくとも、同じところにいるのは一緒なので、それでもいいのかなあ、と思っている次第です。 「だったら4時間切り、100番以内を目指しましょう!」と、酔った勢いで思わず放言してしまいましたが、さて、どうなることやら...。 最後に、弘前公園ランニングクラブでの集合写真。弘前公園ランニングクラブの2チームは既にゴールし、この写真に至ったのですが、実は僕の最終走はこの直後でした。でも、みんなと一緒で楽しかったです。 集合写真 キャプテン、写真撮影ありがとう!

2016年5月30日

走れネゴス、じゃなくて良かった。 - 第5回 走れメロスマラソン(五所川原市)

2016年は4月の花巻でハーフマラソンの自己ベストをいきなり叩き出し、順風満帆のスタートのはずだったのですが、5月に入ると一転、内臓疾患に襲われたり、軽い肉離れを起こしたり、足底筋膜炎かアキレス腱周囲炎かよく分からない痛みを発症し、歩くのも辛くなったりと、満身創痍に近い状態でした。何か、毎年こんな感じです。 楽しみにしていた大会にも参加することができず、こうなると気分もどんどん滅入るというもので、改めて今月を振り返ってみると、かなりネガティヴな思考になっていたかも知れません。13日の岡村ちゃんのライブを心の底から楽しむことができなかったのも、多分こういう伏線があったからなのだろう、と今更ながら感じているところです。 さて、そういった事情もあって5月の月間走行距離は100キロちょっとでした。「走った距離は裏切らない」という野口みずきさんの名言に反論するかのように、「走った距離には中身も必要」と言い聞かせている自分としては、例え短い距離であってもその練習内容がしっかりしていれば、相当の距離を走らなくとも、勝るとも劣らぬ結果に繋がるはずだ、という持論を持っています。 しかしながら、5月に取り組もうと思っていた練習は結局3割もできぬまま、月末を迎えることとなりました。僕の目標はこの時期の結果次第で一喜一憂するものではないと自負しているので、何も慌てる必要はないのだ、と思っています。どこに自分のピークを持っていくか、これに尽きるのだと思います。 とはいえ内臓疾患はひとまず終息したものの、脚の状態は全くダメで、28日(土)の定例の朝練で約1週間ぶりに走ってみましたが、両脚のアキレス腱や足底に痛みを感じ、これはちょっとまともに走れる状態ではないな、と感じるようになってしまいました。 しかし、翌29日(日)に五所川原市で行われる「走れメロスマラソン」にだけはどうしても出場したい、という強い思いがあり、土曜日はひたすら下肢のケア(セルフマッサージ)に努めていました。 結果、当日の朝はかなり痛みが緩和されており、ハーフマラソンを走るに耐えられるであろうと確信。 ただし、実際にどんな状態なのかは走り出してみないとわからないので、間違えても昨年のようなタイムを狙うということはせずに、練習の一つと位置付けて臨むことにしました。 この日自らに課したテーマは、「ビルドアップ走」。約21キロの距離を何区間かに分け、徐々にスピードを上げていくという内容です。ただし、ケガを悪化させては元も子もないので、設定タイムは1時間45分~50分にしました。入りの1キロは5分半、5キロまでを5分15秒、10キロまでを5分、10キロ以降は様子を見ながら、という内容。 もう一つは、時計を見ることなく同じペースを維持すること。どちらかと言えばフラットなコースですので、多少の風の影響はあるかも知れませんが、ほぼ同じペースで走ることを心掛けて走ってみることにしました。 スタート地点となる会場の五所川原市「「立佞武多の館」に8時前に到着すると、既にアップを始めているランナーが多数。 早速参加賞を受け取り、準備。その横では開会式が行われており、市長やら議員さんの他、ゲストランナーの森脇健児さんも紹介されていました。昨年までのゲストランナーは谷川真理さんだったので、一部では「森脇健児さんか...」と残念がる(?)声も聞かれたものの、どうしてどうして。スタート時の選手に対する盛り上げ(いじり)やゴール手前のランナーを鼓舞する姿など、森脇さん、凄く良かったですよ。 開会式の前に、クラブのメンバーと軽く試走し、足の状態を確認。事前に服用した痛み止めはまだ効き始めていませんでしたが、まあ、何とかなるだろう、と前向きに考えることにしました。ダメならやめればいいんだし。 メロススタート前(恒例の集合写真。今回は舞台を占拠。) 集合写真を撮影した後、スタート地点へ。いつもであれば1時間30分前後のラインに並ぶのですが、今日は無理しなくてもいい、と決めているので、2時間以上のラインに並ぶことにしました。結構後方です。 いよいよ9時、スタート。混雑の中で、ゆっくりと走り始めます。 本当にゆっくり走り始めてみましたが、脚の痛みはあまり感じず。むしろ、スローペースなのが逆に結構辛い...。 誰かペーサーになるような人がいないか探してみますが、なかなか見つけることができず、あっという間に1キロ通過。想定の5分30秒よりちょっと早めでしたが、まずまずといったところでしょうか。 コースの中で最大のアップダウンである五能線の跨線橋を上りきると、前の方にズラーッと走るランナーの皆さんが。下りに入った時点で、この混沌とした状況の中、ペースが上がり始めているのがわかりました。抑えて抑えて...まるで興奮する闘牛をなだめるような気持ちで、ペースを抑えます。そしてその中で、どうしたら楽に走ることができるか、フォームを意識しながら走ってみることにしました。3キロ付近でのペースは4分45秒、想定より約30秒早くなっていました。そしてこのあたりから、ピンク色のTシャツを着た同じクラブのメンバーや他のラン仲間が視界に入ってくるようになりました。横について一言二言声を交わします。そして皆さん、全く同じことを聞いてこられる...。 「脚、大丈夫ですか?」 「ええ。まあ、何とか...」 並走する仲間の皆さんが僕の脚の具合を心配して聞いてくるのに、僕はゆっくりとその人たちを追い抜いて行くわけですよ。何かおかしいですよね。逆ならまだしも。何か本当に申し訳なくなり、あまり誇張してネガティヴな発信はするものではないな、ということを猛省したのであります。(でも、まだ痛みが残っていたのは事実です。) さて、その後も一糸乱れぬ...というまではいかないものの、淡々と走り続けます。給水も無難にこなし、まさに黙々と走る、といった感じ。7キロ付近でしたでしょうか、たまたま追い抜いたら抜き返し、しばらくすると落ちてきて、また追い抜いたら抜き返す...という仕掛けをしてくる人もいましたが、そんなの全く気にはしませんでした。(都合3度抜かれましたが、結局最後は脱落。) 1~5キロは大体1キロ4分45秒、5キロ~10キロは4分40秒と、想定よりかなり早いペースで走っていました。 そして10~13キロは1キロ4分35秒、13~17キロは4分25秒とどんどんペースを上げ、18キロ以降は4分15秒に近いペースで走っていたようです。 メロス斜陽館(ふじさきかけっこクラブNさん撮影) そしてこの間、時計には一度も目をやらず、感覚だけで走っていました。当初は1時間45分~50分でのゴールを想定していたものの、続々と見えてくるピンク色の背中と仲間の顔をを見て、既に100分を切るペースまで上がってしまったことを確信。確かにビルドアップ走ではありましたが、ちょっとこれはペースを上げすぎてしまったな、と。 しかし18キロを過ぎた時点で今更ペースを落とすわけにも行かず、あとは勢いだけでえいやっ!と走ってしまった感じ。 ゴール直前(ゴール手前、Oくん撮影) 昨年より5分遅かったものの、1時間35分でゴール。まあ、正直言ってタイムはどうでも良かったわけで。 メロスゴール(えん&みゅうのOさん撮影。) そして、この大会にどうしても参加したかった理由の一つ、手伝いに参加している二人の同級生とゴール地点で再会。一人はゴールしたばかりの僕を見つけてペットボトルを持ってきてくれたし、もう一人は大会本部で再会。嬉しかったなあ。 この時点でかなりアドレナリンが出ていたみたいで(というか、この後ずーっとアドレナリンが放出されていた感じ)、脚の痛みは忘れていました。というか、脚が痛い話はもういいですね。 集団がばらけ始めた1キロ過ぎからゴールするまでに、恐らく何百人というランナーを追い抜きましたが、抜かれた記憶は2人のみ。 これですね、ホント気持ちいいのですよ。テンションが上がります。何より、18キロを過ぎてもなお、ペースを4分15秒前後まで上げられたのは今回最大の収穫でした。 ゴールした後に、見ず知らずのオジさんが僕に近づいてきて、おもむろにゼッケン番号と名前を確認。 「いやあ、アンタに抜かれてからアンタを目標にして走っていたけれど、最後まで追いつけなかったわ。良い走りだったよ。」と声を掛けられました。 思ったほど風の影響は感じなかったものの、気温がどんどん上がるという状況下、途中で倒れてしまった方もおりました。そう考えると、ちょっと過酷な状況だったのかも知れません。 僕自身は総じて見ると、ちゃんとネガティヴスプリットで走ることができたし、良いところまでペースを上げることもできました。結果的にいい練習になったなあ、ということで。無理を押してでも参加して本当に良かったと思いました。自分の今の状態も確認することができたしね。 あ、それからもう、脚のことをああだこうだと発言するの、やめます。それもこれも全ては自己管理。自己責任の下で処置されるべきことなのでしょうから。ランナーの皆さんは、どこかに必ずと言ってもいいほど痛みを抱えているみたいです。なので僕も、この痛みと上手に付き合いながら、これからも楽しく走りたいと思います。 参加された皆さんも運営に携わった皆さんも、本当にお疲れさまでした。楽しかったです! 1-7 8-14 14-20【大体良い感じでラップを刻んでいます。】

2016年5月23日

ケガとランシャツと私

昨日の優駿牝馬(オークス)、軸2頭は鉄板だろうと思い、3着の穴馬入線に期待しながら3連複総流しで馬券を購入したのですが、結局波乱は起きぬまま、1,600円の購入額に対し払戻金は2,070円。収支はたった470円のプラスで、生ビール一杯も飲めないような結果に終わりました。(久しぶりにスポットで予想を立てている春のGIはこれで2勝2敗、現時点では辛うじて収支プラス) 競馬もパチンコもそうですが、勝った時の話は聞くけれど、負けた時の話はほとんど聞いたことがありません。以前、ラーメン屋で隣に座った若者同士が「パチンコの負け金額自慢」をしていましたが、その桁の違いに、聞くに堪えがたい内容でした。 マラソンでも似たようなことがあります。 自分の術中にはまったレース展開でゴールできた時、好タイムが出た時はこぞって雄弁に語りたがる傾向にありますが、逆に失敗レースに終わった時や平凡な記録で終わった時は、あまり積極的に口外しようとはしません。(まあ、どちらも口外したところでどうなるものでもないんですけれどね。) そして、もう一つあまり話したがらないのが、負傷、怪我をした時のこと。 少しでも強くなりたい、少しでも速くなりたいと突き詰めていくと、練習内容もハードになっていきます。当然そこは未知の世界ですから、常に負傷や怪我の危険性が伴います。 僕も自称「ケガの小売店」を標榜していますが、春先にペースを上げることで、何かしらの怪我や負傷を負ってしまい、結果的に秋口まで練習の質を上げられずにシーズン・インする、ということを毎年のように繰り返しています。 ケガをした時によく言われるのは、「ストレッチ」のことです。 定例となっている土曜日早朝の練習の場において、以前は走る前、走った後に肩の関節を柔らかくする等のストレッチをみんなでやっていた記憶があるのですが、最近はストレッチを施している人があまりいなくなりました。 確かに僕自身も、「どうせ走りながら身体を温めるのだから、ストレッチの必要はない」という先入観をいつの頃からか抱くようになっていました。 ランニングクラブの中で僕は、3本の指に入るほど(というかダントツといって良いぐらい)身体に柔軟性がありません。だからこそ、走る前後のケアはとても重要になってきます。その一つがストレッチ、というワケです。 たまたま僕が気づいていないだけなのかも知れませんが、例えば走る前後のストレッチの方法や、ケガをした時の対処方法(病院に行け、といわれればそれまで)について、少なくとも僕の周りではあまり情報共有されていないような気がします。 ストレッチも静的・動的色々ありますので、やり方一つ間違えると、逆に筋肉や靱帯を痛め、ケガに繋がってしまう(ケガを悪化させる)ことにもなりかねません。なので、こういった必要最低限の情報は、何らかの形で共有した方が良いのかな、と、考えている次第です。 ちなみに僕が経験した負傷をざっと挙げてみると... 足底筋膜炎、ランナー膝(腸脛靭帯炎)、種子骨炎、アキレス腱周囲炎、ふくらはぎ肉離れ(軽度)、シンスプリント、ハムストリングス痛、股関節痛、腰痛、等々。更にこの他に五十肩なんていうのもありました。 このうち、アキレス腱周囲炎と種子骨炎は一度、ランナー仲間でもある整形外科の先生の診察を受け、投薬や注射などを処方していただきましたが、未だに引きずっている感じです。多分根本的な治療をしない限りは、治癒しないのかな、と思っています。 ん?だったら根本的な治療をすればいいじゃないですか?そうですよね。まさに御意。 でも、そこまで踏み込めない自分の弱さが、更に状況を悪くしているのかも知れません。 その弱さを露呈しているのは、自分自身に対する「焦り」が相当影響していると思います。 Nike+やJogNoteなど、自分だけではなく仲間が練習に取り組んでいる様子がつぶさにわかるウェブサイトがあります。オレが休んでいる間、みんなは走っている...。自分も走らないと!という「焦り」。 この「焦り」こそが、怪我からの治癒を遅らせる最大の要因と言ってもいいでしょう。 他人は他人、自分は自分。こういう時こそ、平常心で「吾(われ)」を見失わない心構えが必要になってきます。そういう心構えを有することが、やがて「悟る」ことに繋がっていくのだと思います。 実は今も、右脚ふくらはぎが軽い肉離れを起こしているらしく、今週は一切走らないつもりです。練習をしないということは、それだけストレスにもなります。仲間の皆さんが走っているのも、気になります。が、それを気にして練習を再開すると、かえって状態を悪化させるだけだということは、自分自身がよく分かっています。だからこそ、平常心で今の状態を受け入れる必要があるのだと思っています。今はですね、こうやって脚の快復を待つことを口実に休んでいることが、ラッキーだと思っているぐらいで。 敢えて自分から積極的に茨の道を進む必要はないですからね、遠回りこそが最大の近道だと言い聞かせています。 次の日曜日、ハーフマラソンの大会がありますので、まずはそれまでに脚の状態を戻すことに専念したいと思います。(3戦連続のDNSは、さすがにゴメンです。) ということで今季2戦目となる次の大会はガチンコではなく、様子を見ながら軽めに行きますからね、皆さんくれぐれも煽らないで下さいね! 20160521_0628

2016年5月11日

キャッシュバックキャンペーン

通院5日目。まだ痛みは残っていますが、当時の痛みと比較したら今は1~2程度といった感じ。ぼちぼち闘いも佳境に差し掛かっているような気がしています。憩室炎って、絶食点滴で1か月以上入院、ということもざらにあるようなので、僕の場合はまだこれでも軽症なのかも。いっそのこと、痛みの元から根こそぎ腹の中をほじくり返して引っこ抜きたいのですが、そんなことをしたら当時の痛みと比較して1千万ぐらいになりそうなので、やめておきます。そう、今は我慢ガマン。ちなみに点滴の際に看護師さんから「食事制限とかされてます?別に好きなもの食べて飲んでもいいんですよ。ガマンはむしろストレスですからね。」と言われました。どうやら額や頬に大きく「ストレスの塊」と滲み出ていたようです。 じぶんのことだよ昨日夕方、病院の待合室での光景。どうやらトッチャ二人が久しぶりに再会したらしく。 A:「んろぉ!ズンブ久しぶりでネガ。」(あら!随分久しぶりじゃないですか。) B:「ろろろろろ、どしちゃばー?」(おやおや、どうしていました?) A:「んー、まんずな。ながなが銭ンコ回んねくて、タンダデネクテラジャ。変わりネクテラガ。」(ええ、ぼちぼちってところですかね。商売の方はなかなかお金が回らなくて、大変でした。お変わりありませんか。) B:「んー、まんずな。(会計を済ませ)ヘバ、マンダロ!」(ええ、おかげさまで。それでは、また!) ...AさんBさんに聞きたい。んー、まんずな。じゃなくて二人とも、何かお変わりあったから病院に来ているんですよね?(笑) --- 今年の7月、初めて十和田湖畔でハーフマラソン大会が行われます。どうせなら参加してみようかな、と公式サイトを覗いてみたら、何と5月9日で定員に達したためエントリー受付終了となっていました。僕は結局エントリーできませんでしたが、定員が足りず四苦八苦するよりは良かったのかな。 面白いなあと思ったのが、受付時間が何と朝の7時15分までとなっていること。これだと、遠方からの人は宿泊しなければ参加が難しいと思います。もう一つは、7時30分から船(恐らく遊覧船)で出発地点まで移動し、その移動の船内で開会式が行われること。田沢湖マラソンでも10キロのスタート地点まで船で移動していましたが、十和田湖でも、遊覧観光という一つのコンテンツをここで示すという観点からも面白い取組だなあ、と思いました。田沢湖でやれるなら、十和田湖でもやればいいのに...とずーっと思っていましたが、願いが通じたような気分です(まあでも、コースは決して楽ではないと思いますが...。) 最近はマラソン大会が乱立しているような状況で、季節問わず毎週どこかで何らかの大会が行われているといっても過言ではないと思います。 もはやランニングが一つの市民権を得ている中、これからの大会は何らかの特徴がないと参加者を募り、維持していくことが難しいのではないかと思います。 大きく分類するなら、次の二つ。 ・記録重視型のレース(日本陸連公認であることが望ましい) ・記録より地元売り込み型の大会(でも、記録もそこそこ狙えるのが望ましい) 大会も千差万別であれば、ランナーも千差万別。ストイックに記録を狙うエリートランナーもいれば、走ることはともかく、その地域の雰囲気や観光を楽しみたい、というファンランナーもいることでしょう。 ただ最近残念なのは、ランナーが「もてなし慣れ」してしまっているというか、「ランナーなんだからもてなされて当たり前」、「エイドも充実していて当然」みたいな風潮が、まん延しているような気がするのです。 また、ここ最近はエントリー代の高騰が問題視されることがあります。エントリー代が1万円を超える大会も増えてきましたし、北海道は函館で今年初めて行われるフルマラソンの大会も、それまでのハーフマラソンの時と比べて急にエントリー代が高くなったと嘆く声がありました。僕が昨年走ったさいたま国際マラソンも、今年のエントリー代は約1.5倍になるらしいです。さいたま国際はこれ以外にコースの変更とか制限時間の緩和とか、何となく魅力が一気に薄れてしまった感があります。 大会を運営する中で、一番経費を要するのが警備だと言われています。 そこで、マラソン大会でのこんなキャンペーンを考えてみました。 キャッシュバックキャンペーン。 ゴールまでの制限時間3時間30分の大会であれば、制限時間6時間の大会より少なくとも2時間半は警備の時間は短くなるはずです。ということは、警備に係る経費は安く済むの、かな?(あ、でも終日契約で時間契約ではないのか。) ゴールする時間が早ければ早いほど警備代はかからないという前提で、参加エントリー代が安くなる、つまり、最初は一律で頂くエントリー代を、ゴールタイム毎に区分けしてキャッシュバックするという仕組みです。例えばゴールタイムが2時間30分以内であれば3,000円キャッシュバック、3時間以内であれば2,000円、4時間以内であれば1,000円、それ以降はゼロ、といった感じです(もっと細分化してもいいかも知れませんが。) ただし、遅れてゴールする方たちにもそれなりのメリットはあります。 エイドに置かれる給水や補食が、時間の経過とともに豪華になっていく、というものです。最初は水とスポーツドリンクのみ、時間が経つとともに飴、梅干し、バナナ、ドライフルーツ、軽食、地元の名物、しまいにはアルコールと豪華になっていくのです。早くゴールするエリートランナーの皆さんは、こういうエイドの恩恵を授かることはない(というか、最低限のもの以外はあまり必要としない)一方で、ゆっくり走る人達は色んなものを口にすることができるわ警備もちゃんとしてもらっているわで、それ相応の対価を払っているんだから仕方がない、という風潮に...ならないか。(笑) まあ、僕がここ数年参加している夏の某マラソンでは、先頭が駆け抜けてからかなり遅れて給水所にたどり着いたら水がなかったとか、手渡されたスポンジが乾いていた、という笑うに笑えない事態も起きていました。 個人的には、ゆっくり走る人にこそ給水や補食といったエイドがしっかりしていなければならないのではないかと考えます。まあ、NAHAマラソンは、沿道が私設エイドだらけなのでその心配はありませんが。 ただ、ゆっくり走るということはスタッフや関係者の拘束時間もそれだけ長くなるということになるので、それ相応の対価は支払おうね、というだけのことなのですけど。ちなみにこのキャンペーンの一番のネックは、採算が取れるかどうか、実際にやってみないとわからない、というところでしょうか。って、そんなの誰がやるんでしょう...。 いやあ...さすがにぼちぼち走りたくなってきました。開腹しなくとも快復するまでもう少しです。頑張ります。

2016年4月25日

風ニモ負ケズ 自分ニモ負ケズ -第4回イーハトーブ花巻ハーフマラソン

22日未明に飛び込んできたプリンス急逝の報で、僕はかなり動揺をしていたらしく、金曜日は何をしたのかほとんど覚えていないぐらい上の空状態だったようです。 土曜日朝、弘前公園RCのお花見ラン。走ることは軽めにとどめ、カメラマンに徹しました。仲間の楽しそうな顔を見ることができただけでも、多少気は休まるものです。 ただ、時間は止まるわけではないので、いつまでも悲しみに暮れているわけにはいきません。昨年から銘打った「ジャパン・ツアー 2016」がいよいよスタートします。今季第一戦となる24日は、岩手県花巻市でのハーフマラソン。今回で出場3回目となりますが、初めての出場はPB更新、2度目となった昨年は怪我をした影響で大失速、不甲斐ない結果となりました。さて、今回は...。 皆さんがオンシーズンとなる冬の時期、僕はオフシーズン。この間をどう過ごすかが鍵を握るんだな、ということにようやく気づいた2016年の冬。室内でのトレットミルに汗を流しながら、これまで徹底して避けていたある取組をやっていました。 そしてその内容を踏まえ、24日の大会でやってみよう、と考えていたことがありました。 それが、ハーフマラソンでの90分切り。 単純計算すると、約21キロを90分で走るということは、30分で約7キロ走るということ。1キロを4分20秒で走ると、3キロを13分。これを単純に7倍すれば、約21キロを91分で駆け抜ける、ということに。つまり、90分以内で走るということは、これよりも速いペースで走らなければなりません。 4月に再開した朝練でいきなり、1キロを4分15秒ペースで走る練習を取り入れてみたのは、こういう伏線からでした。 まあ、やってみなければわからない。達成すれば本望、できなければそれが今の実力だと割り切ればいい、ということで。 大会当日。 雲一つない快晴。スタートは8時50分。心地よい風が吹いていましたが、気温は15度近くまで上昇していました。 これまでであれば遠慮がちに「1時間30分以上1時間45分以内」の列に並ぶのですが、今回は迷うことなく「1時間15分以上1時間30分以内」の列に並びました。「今回は参加者が多くてスタートが混雑しそうだから、前方に並ぼうかな。」と口にはしましたが、僕の腹はもう決まっていました。「今日は、90分を切る。」 時間はあっという間に経過し、8時50分、号砲とともにハーフの部がいよいよスタート。まずは流れに身を委ね、ペースを探ります。最初の1キロは3分58秒。もちろんこんなペースが持続するわけがないので、ひとまず4分10秒前後に落ち着かせます。これでもまだ速いんですけどね。3キロ手前で交差点を右折、背中に追い風が吹いているのが分かりました。追い風ということは、折り返した帰りは向かい風。そのことを考えて脚力を温存しないと、後半持たないな...なんてことを考えながら淡々と走り続けます。 5キロ地点は20分50秒で通過。むむ...ちょっと突っ込みすぎたけれど、このまま行ってみるか。 7キロ通過は29分30秒。このペースで押し切れば90分切りは充分可能となりますが、そんなうまく行くはずがない、と先のレース展開を考えていました。そして、この時点で時計に目をやるのを、やめました。 10キロ過ぎの折り返し地点を過ぎたところの給水所では、今回も世話になった叔母が給水の手伝いをしているとのこと。折り返す手前で叔母に声を掛け、折り返し直後に叔母から水を受け取るはずが、先に違う方から受け取るという失態。でも、向かい風とダラダラとしたアップダウンで落ちかけていた気持ちが、叔母の声援を背中に受けて再び盛り上がったのは間違いありません。 折り返し後の14キロ地点で左折。残り7キロですが、いよいよ向かい風に晒されることとなります。せめてもの救いは、気づかないほど緩い下り基調だったことでしょうか。そして15キロ過ぎで、左脚のふくらはぎがピクピクとうずき始めます。幾度となく経験した、痙攣の兆候。水分は充分補給していたつもりでしたが、気温も上昇し始め、かなり発汗していたようです。今回、初めてキャップを被らずに走っていましたが、後頭部を数回水で冷やしました。少しだけペースが落ちたことを悟りました。 でも、これまでの僕であれば、ここでビビって足を止めるかスピードを緩めてしまうのですが、この日はとにかく押して行こう、と決めていました。何がここまで僕を駆り立てているのかは、わかっていました。右手首に巻かれたリストバンドに施された、プリンスの「シンボル」。腕を振る度にチラリチラリとそれが目に飛び込んできます。 ...と、なぜか頭の中で「Let's Go Crazy」が流れ始めました。そしてそれは18キロ過ぎまで、延々とループされ続けていました。 風は向かい風になったり収まったり。この間、何人を抜いた、何人に抜かれたという記憶がまるでありません。完全に「無」の状態になっていたようです。 18キロ手前で再び左折。向かい風は相変わらず。ここまで何度足を止めようと思ったことか...。ふと、ペーサーよろしく僕の前を走る人が、何度も時計に目をやっていることに気がつきました。この人も90分切りを狙っているのだろうか。今、どれぐらい経ったんだろう。そんなことを考えつつもなお、自分の時計には目をやりませんでした。 程なく残り2キロを切り、本当に苦しくなってきました。一方、15キロ付近で気になり始めた足の痙攣の兆候は、ほぼ収まっていました(ただし時々ビクンビクンと反応あり)。 結局のところ、足が痙攣するよ、と脳が悪戯をして、僕を休ませようという魂胆なのでしょう...と、全ては自分の身体の中で起きていることなのに、他人事のように分析をする自分。もういいよ、立ち止まって休もうよ。でも、ここで休んだら、それで終わりだよね。 そんな葛藤を繰り返しているうちに、残り1キロ。これって90分切れるのか?間に合うのか?間に合わないのか?どうなんだ?...でも、絶対に時計は見ません。時計を見た時点で緊張の糸が切れるのを知っていたからです。 左手には、先着していたMさんの姿が見えました。Mさんは僕を見るなり時計に目をやり、「行ける行ける!90分切れる!ラストラスト!」と叫びながら、ついさっき走り終えたばかりのはずなのに、僕より速いペースで走り始めました。そのペースに食らいつこうとする僕。まさに余力を出し切る思いでした。 Mさんから声を掛けてもらい、ペースを少しだけ上げたこの時、箱根駅伝で優勝した東洋大がテーマとしていた「1秒をけずりだせ」の意味が何となく分かったような気がしました。 いよいよ、ゴールのある競技場トラックが見えてきました。そしてトラックに入り、初めて電光掲示板に目をやると、「1:29:30」の文字が飛び込んできました。ヤバい!これだと90分切れない!多分、相当必死の形相でゴールを目指すこの時の姿は、見られたものではないと思います。(あとでアップされるであろう写真が、違う意味で楽しみです。) そしてゴール!恐らく90分は切ったと思いますが、どれぐらいのタイムなのかは、この目で確認することができませんでした。ここ最近の大会で一番荒くなった呼吸を、しばらく時間を掛けて落ち着かせ、記録証を受領。タイムを見て、思わずにんまりしながら小さくガッツポーズ。 1時間29分52秒。公認コースでの自己ベスト更新で、とうとう90分切り達成! DSC_0399 芝生にへたり込んだとき、時計の停止ボタンを押し忘れていたことに気づきました。でも、別にそれはどうでも良かったワケで...。 その後続々とゴールを駆け抜ける仲間の姿に拍手を送りながら、走りきった疲労感でグッタリ。 僕のすぐ後にゴールしたS先生が、「PB更新おめでとう!」と握手を求めてきました。ここで本当は歓喜の涙を流したいところではありましたが、心の中にまだ悲しみが燻っていて、涙はありませんでした。 最後声援を送ってくれたMさんがやってきました。「何とか切れました。ありがとうございます!」「おー!おめでとうございます!」「で、Mさんは何位だったんですか?」「うん。3位。」「おー!おめでとうございます!」と喜色満面に笑み。苦しかったけれど、楽しい大会でした。 満開からちょっと過ぎた桜が、綺麗だったなあ。そして、給水ボランティアや駐車場内の交通整理を行っていた花巻東高校の生徒を始めとする皆さん、本当に礼儀正しくて素晴らしかったなあ。帰り際に皆さんから挨拶されるだけで、何か嬉しくなっちゃいました。 DSC_0401 多分、10キロ地点に叔母がいなければ、そして、21キロ手前でMさんが声を掛けてくれなければ、90分は切れていなかったかも知れません。ハーフで90分を切るということが、それぐらい大変だということがわかりました。 しかし、フルマラソンで3時間を切って走る皆さんは、このペースでハーフマラソンの2倍の距離を走るんですよね。本当に尊敬します。凄いわ。 右手首のリストバンドをさすりつつ、そりゃココロの穴は簡単には埋まらないわなあ...と思いつつ、取りあえずやるだけのことをやって結果が出たことには、一定の満足。さて、次の目標に向けてまた頑張ろうっと。 帰りは一人、熱めの温泉で疲れを癒して帰路に就きました。ゼッケンナンバーと一緒に花巻温泉郷の割引券が同封されており、半額で入浴することが可能。花巻温泉は確実に混雑しますが、周縁の温泉郷、意外と穴場ですよ! (ちなみに僕が訪れたのは、花巻温泉から1キロほど進んだ台温泉でした。) DSC_0402 (鍵も扉もない、木製のロッカーに磨りガラス。4つある給湯口のうち、シャワー設備は一つしかありませんでした。もちろん使いませんでした。) DSC_0403 (本通りから脇道の如く伸びる台温泉郷。車がすれ違うのもやっとなぐらいの車道。) 【おまけ】 花巻市郊外の台温泉を後にして、花巻ICから東北道へ。そういえば腹減ったなあ、と時計を見たら、既に12時30分を回っていました。無性にコーヒーが飲みたくなり、盛岡南ICの手前にある矢巾PAに寄ったら、なんと盛岡冷麺と炭火焼肉の「やまなか家」があるじゃないですか。 弘前市内にも店舗があるのですが、せっかくだから盛岡冷麺でも食べていこうと思い、カルビ丼とのセット(1,000円)をオーダー。言わば「ご褒美メシ」みたいなものですな。ちなみに、残念ながら炭火焼肉はありませんでした。(あ、コーヒーは食後にちゃんと購入しましたよ。) DSC_0406

2016年4月 4日

殻を捨てよ 外へ出よう

2013年10月から数えて、3度目の春。 プラトーからそろそろ抜け出そうというお誘いがやってきた。 プランターのお花みたいな幻影と戯れる時間は終わりに近い。 自己保身と言い訳に満ちあふれたプラクティス。 いとも簡単に破壊されそうな信念はプラスティック。 プラトーン プラトーンは関係ない。全くもって関係ない。 同情は求めるな。強情にもなるな。 社会に目を向けよう。理解を深めよう。 メリとハリを意識づけよう。無理と不利から遠ざかろう。 時間を有効に使おう。股間を軟らかくしよう。 不安を減らせ。ファンは減らすな。 目の敵は気にするな。目的を見据えよう。 一朝一夕ではどうにもならぬ。 一喜一憂するのはもうやめよう。 自分と戦おう。自分を褒めよう。 自分を見つめよう。自分を好きになろう。 自惚れ万歳。自分大好き万々歳。 自分の敵は、オレ。 オレのライバルは、自分。 光の中の暗闇ほど見つけにくいものは、ない。 暗闇の中の光ほどたやすく見つけられるものは、ない。 これまでの自分を打ち砕け。 殻を捨てよ 外へ出よう。 もっと強くなろう。もっともっと欲を掻き立てよう。 でも、初心は忘れちゃならない。 ...さてと、今年も突っ走るか。 目指せ健康診断オールA判定。

2016年2月29日

東京マラソンに垣間見たマラソン代表選考の考察

みんな生身の人間だし、精密機械じゃないんだから、日々体調が変化するだろうに。天気一つで状況も変われば、その土地との相性だってあるだろうし...。 ...いや、何のことかといいますと、例のリオ五輪の代表選考に係る男女マラソンを巡る日本陸連のゴタゴタ。日本陸連だけじゃないな、なかなか伸びない選手層の頭打ちも問題なのかなあ。 昨日開催された「東京マラソン2016」は、国内外から注目を集める中で行われましたが、日本陸連の思い描いていた青写真はきっと、これまでも「実績」のある選手が、誰もが驚くような好タイムで駆け抜け、リオ五輪に内定...という光景だったのでは。ましてや東京マラソンはこれまでも高速レースとして結果が出ている大会、実力伯仲の日本人選手が奮起することだろうという、相当な期待を寄せていたことでしょう。 ところが蓋を開けてみると、日本人選手は並み居る外国人選手に大きく後れを取っているにもかかわらず、30キロあたりまでずーっと互いを牽制し続けるというレース展開、外国人のトップ集団に食らいついていた学生選手も(予想通り)足のマメが潰れたらしく後半みるみる失速、結局終わってみたら、名前すら挙がっていなかった一般参加の伏兵選手が2時間10分台の記録で日本人1位となる、恐らく陸連が一番危惧していたパターンの結果となってしまった、といってもいいでしょう。 しかもこの選手も「気がついたらトップだった。これから2時間8分台7分台の練習をしないと。」とコメント、偶然が生んだ結果であることと、そもそもが力不足であることを露呈した感は否めませんでした。実際、こんなに平凡な記録になるとは思っていなかった陸連側も歯切れが悪かったようで。 日本陸連の期待を一身に背負った人や事前に高い注目を浴びていた人たちが、レースを引っ張るどころか牽制し過ぎたあまりペースを上げることができず、結局のところ箱根駅伝を走る現役大学生陣、とりわけ原監督率いる青山学院大勢にかき回されてしまった、といったところでしょうか。 恐らく、日本陸連の腹の中には「この選手に代表になって欲しい。」という考えが根強くあるんでしょうね。 逆に、「この選手だけには絶対代表になって欲しくない。」という選手もいるのかも知れませんね。 これまでも世界レベルの大会に向けたマラソン選手の選考基準は何度も疑問が呈されているにもかかわらず、一向にその考えを変えない(いや、少しは変えている?)からこういう事態になるんじゃないかな。 現に、女子代表の選考に関しては、最初の選考レースとなったさいたま国際マラソンで日本人トップだった吉田香織選手の「よ」の字も聞こえてこない状況で(まあ、確かにあのタイムでは仕方ないけれど)、もしも次の最終選考レースとなる名古屋ウィメンズが、今回の東京マラソン、もといさいたま国際マラソンのような平凡なタイムでのレースとなったらどうしよう、という事態を、本気で危惧しているんでしょうか陸連は。...まあ、そうなると大阪国際女子を制した福士加代子選手だけが当確、かな。 ちなみに福士選手が、選考記録をクリアしているにもかかわらず陸連からのリオ五輪内定が出ないということを理由に名古屋にも強行出場することを表明していますが、吉田選手も名古屋に出場する予定です。 つまりですよ、名古屋ウィメンズには、本来内定をもらってもいいはずの福士選手や、内定には手が届かないけれど条件一つはクリアしている吉田選手をはじめ、実力者の皆さんがエントリーしているというわけですよ。 ...だったら、選考レースは名古屋ウィメンズ一つでいいじゃん。 男子はもっと酷い状況で、福岡国際を制したこちらも一般参加の佐々木選手が2時間8分台を出して日本人トップとはいうものの、記録だけ見ると、はて、これはどうなんだろう、といった感じ。 今回の東京マラソンで日本人トップだった高宮選手がすんなりと選ばれるとは考えにくく、選考を巡っては混沌というか、殺伐としてきた感も否めず...。 市民マラソンが既に一つの文化として根付いている中、強さを強烈に印象づけるのは招待選手のうち外国人選手ばかり。 現に今回もそうでしたが、実業団選手とはいえ一般参加の選手が日本人トップになるという事態を、日本陸連はどう見ているのでしょうか。恐らく今後は、力をつけた市民ランナーが台頭し、実業団選手を喰ってしまう、という事態だって充分あり得るわけで。(どっかの公務員ランナーが典型的な例) 日本新を記録した選手には1億円払います、なんていう安易な「エサ」ではなく、その1億円を注いで選手強化に本腰を入れないと、世界を舞台にしたマラソン競技では入賞どころか10位以内も難しいんじゃないかな。 かつては絶対的な強さを持つ選手が男子にも女子にもいましたが、今はどうでしょう?男子も女子も、「この人なら期待を寄せられる!」という選手がいないというのが現実なんじゃないのかなあ。 何か、毎回こんなレース展開を見せられるのも辛いし、こんなことが続くようでは、市民マラソンに出るのは好きだけど競技としてのマラソンは嫌い、という人も増えそうな気がしなくもないわけで。 2016daihyo_02(リオ五輪代表選考基準) いつもいつも日本陸連の選考基準の曖昧さが指摘されますが、そもそも複数の大会で順位だけではなくタイムも比較するということ自体に無理があるのでは?と思ってしまうわけです。気象条件やコースの難易度によってもタイムは全然異なるんだし。 だったら、思い切って選考レースを一本に絞るとか、逆に選考レースを決めることなく、年間を通じた陸連公認コースでの大会出場記録をポイント換算するとか(フィギュアスケートのグランプリシリーズみたいな感じで)、あるいは前走、前々走の記録を参考にするなどしてみればいいと思うんですが、どうでしょう。 私もマラソンランナーの端くれですが、一発勝負で雌雄決したところで、それが本番の結果に結びつくとは到底考えられないんですけれどね。まあ、そうでもしないと選考できない、という事情もあるのでしょうけれど。(日本陸連の選考基準では「初回の選考レースの結果を評価対象とする」とのことですが。) いずれにしても男女ともに選考レースは残すところあと1つのみ。 結果がどうなるにせよ、日本陸連はこれからの選考基準どころか、実績を積んだエリート選手が初めてマラソンに挑戦した学生選手の後塵を拝したことで、選手強化に向けた取組みにも課題を突きつけられた、といったところでしょうか。しばらくは、マラソン代表選考を巡る揉め事が続きそうな予感...。 この混沌に紛れて、オレも2020東京五輪を目指してみようかな...。 さいたま国際M 30K ウソだよ。

2016年2月23日

第2回弘前城リレーマラソン 冬の陣

昨年に引き続き2度目の開催となった冬のリレーマラソン。 青森県内や近隣地域で2月にマラソン大会が行われることはほとんどない一方で、全国に目を向けるとシーズン真っ盛り。毎週のようにあちらこちらで大会が開催されておりまして、弘前公園ランニングクラブ(弘前公園RC)からも、全国各地で開催されている大会にたくさんの人が出場しています。 昨年開催された冬のリレーマラソンでは、弘前公園RCからも5人1チームで2組がエントリーしたのですが、今回の開催に当たり参加者を募ったところ、前述の事情もあってか、はたまた他の事情があってか、それとも単に冬は走りたくないだけか、参加希望者がゼロという非常事態に。 おい!どうしたんだみんな!弘前公園RCなんだぞ!うちらが参加しないでどうするんだ!と憤慨しましたが、まあ、確かに寒い中をわざわざ走るのはイヤだわな。 ということで、今回は出場辞退しまーす...。 ...のはずだったのですが、いつも練習や大会で仲良くさせていただいているチーム「honeygood」からお誘いがあり、弘前公園RCの看板を背負って(←大げさな)出場することになりました。まあ、実際蓋を開けてみると、他のチームにも弘前公園RCのメンバーが出場していたんですけどね。 honeygoodは元々弘前城リレーマラソンで入賞することを目指して集まった仲間で構成され、メンバーはみんな健脚揃い。フルマラソンではサブ3ランナーを二人輩出しているほか、サブ3.5で走ることのできる実力を備えたランナーがたくさんいます。そのチームから2チームがエントリー、僕は「速い方」のチームであるAに加えていただくことになりました。 今回は44チームが参加して行われたのですが、昨年は雪灯籠まつりと同時期に開催されたこともあり、公園内にある護国神社前を起点にしたコースだったのが、今回は陸上トラックをメインにした1周約1キロの折り返しコースに変更されていました。昨年と変わったところを整理すると、ざっと以下のとおり。 ・スタート地点及びコースが大きく変更されていた。 ・スタート方法が一斉スタートからウェーブ方式に改められていた。 ・昨年参加者限定で配給された汁物(蟹汁)が今年はなかった。 ・コース上に観客がほとんどいなかった。 今年は2月とは思えぬ少雪で、既に路面が現れているような状況の中、大会当日の天気は何と、季節外れの雨。 10時半前に会場に到着すると、各チームともにテントやターフを張り出し、準備万端。 しかし何せ雨が降っているため、コースの状態はぬかるみか水たまりか足場の悪い雪という最悪のコンディション。 honeygoodの面々も明らかに走りたくないといった顔をした人ばかりで、さて、これはひょっとしてここに来ての出走中止か?と思ったら、Mさんの発案で「走りたい人、走りたくない人」の多数決で決めることに。 全員が目をつぶり、「走りたい人、挙手!」の声で何人かが手を挙げたようです。何人かは...言えません。 ...あ、オレは「助っ人」として呼ばれている以上責務は果たさなきゃならないと思い、「走りたい」で手を挙げましたよ。ホントに。 「OK。じゃ、走ります!」といった途端、周りの人の表情が明らかに曇ったのがわかりましたので、ここはMさんの配慮勝ちといったところでしょうか。...まあ、当のMさんが走りたかったのかどうかはわかりませんが(笑)。 皆さん渋々準備を済ませ、11時にいよいよスタート。今回は一斉スタートではなく、新たに10チーム毎のウェーブ方式が採用されました。スポネット弘前の鹿内葵理事長の号砲で、20秒おきに各チームがスタート。ちなみにこの時点でもまだ雨がちらついていました。 が、西の空が大分高くなってきましたので、じきに雨が上がるのではないか...という淡い期待を抱いていたのですが...。 いざ走り始めると渋々参加することにした面々、みんなスイッチが入ったらしく、これがまた速い速い! 少なくともコース上にアスファルトなどが見えている場所はほとんどなく、襷受け渡しゾーンは雨と高い気温で融けかけた雪が積もり(ちなみに私、足を取られて転倒しました)、トラックは雨と雪融け水で泥だらけ、そこを抜けると再び中途半端に融けた雪で足を取られ、更には融けた雪と雨で水たまりができ...といった状態が延々と続くわけですよ。 これを4分切って走ってくるんだから、みんなどんだけ足腰強いんだ...と感嘆するばかりなのでありました。 さて、「助っ人」の私はといえば、巨人が大金を注ぎ込んで補強した外人選手のような状況でして、むしろチーム全体の足を引っ張っていた感じでしたかねえ...。 都合4度走らせていただきましたが、速くても1キロ4分20秒までしかペースを上げることができませんでした。 しかも、時間が経つにつれて、足首より深い水たまりができた護国神社の鳥居前を通過するたびに、足の中が水浸しに。しかも後半は雨が雪に変わり(それもアホみたいな吹雪)、テントやターフが飛ばされそうになるほどの強風も吹き始めます。こうなると、どんどん身体も冷えていくことになりまして、ハイ。 最初は上下ウィンドブレーカーを脱いで走っていましたが、寒さに耐えられず4周目は着用のままラン。 上から下まで蛍光カラーだったのは、雪の中や堀に落ちても見分けがつくように、という自己防衛意識からでした。 もちろんそんなのウソですけど。 12744003_948379498586988_4910913167925408950_n 昨年はあり得ないぐらいの晴天に見舞われ、今年はあり得ないぐらいの雨天に見舞われるという状況の下、もはや3時間耐久レースの様相。みんなの願いはただ一つ。 「早く14時になれ。」 そして迎えた14時。周回のたびにメンバーが受け取ったチョコの数は、何と42個。つまり、約1キロのコースを42周したということなので、ほぼフルマラソンと同じ距離を繋いだことになるわけですね。...と考えると、悪条件ではありましたが、3時間でフルマラソンを走りきることの凄さを何となく垣間見たような気がしました。 もっとも私の平均ペースはキロ4分30分でしたので、これだとフルマラソンで3時間は切れないんですが、はい。まあでも、天候、路面ともに昨年より悪条件の下でもほぼ昨年同様のペースで走ることができたというのは、ひょっとしたら走力がちょっと上がったのかな?なーんて思ったりもしているのですが。 天候には今ひとつ恵まれませんでしたが、他のチームにも大勢知り合いの方が参加していましたので、とても楽しいイベントでした。 結局私が参加したチームは、全体の4位という好成績を収めることができました。 まあ、いざ走ればそれはそれで楽しいし、うちのチームは何だかんだ言いながら、みんな本気で走っていましたからね。 12741863_1166855336681645_663172259240870732_n ただ、一つ不安要素を上げるとするならば、今回気象状況に恵まれなかったという災難を踏まえると、来年は参加を見合わせるチームがまた出てきそうな気がしました。 実際のところ、私が参加したチームが開始前に行った多数決、実は「参加したくない」人数が圧倒的多数だったらしいですから(笑)。 最後に、関係者の方も恐らくこのブログをご覧になるはずなので、改善要望を幾つか。 ・スタート時間を10時又は10時30分からの3時間に繰り上げできないか。 (全て終わりが15時頃は、この時期だと意外と遅く感じられます。) ・飲食物の販売ブースがあれば良いなあ。特に暖かいものが凄く欲しいと思った。(カップラーメンの販売がありましたが、走る身体にカップラーメンはなかなか酷なものがありまして、はい。) ・コースについて、今回はやむを得ないけれど、来年も同様の気象状況であれば、再考の余地あり。 (雪像を壊して雪がたくさん残っているところを走るのは、正直かなり辛かった。) ・ウェーブ方式のスタートはナイス。今年もお手伝いしてくれた弘工の生徒たちは、もっとナイス。 ・天候次第では勇気ある撤退という選択肢も考慮した方がいいです。 皆さま、本当にお疲れさまでした。

2016年2月 5日

いつかきっと...

秋口から冬にかけて、毎週のようにマラソンの大会が各地で開催され、ランナー仲間が各地で健脚を披露している。 国内最大のハイライトは、リオ五輪の選考レースも兼ねた今月28日の「東京マラソン」かと思われるが、正直言ってあの人数を見ると、どうしても走ってみたい、何が何でも走ってみたい、かと問われれば、さて、どうだろう...という感じ。 もっとも、11月のレースを終えたあと、4月まで大会の予定がない中、この時期は自分のモチベーションをどう維持していくかがとっても大事。実際、練習量の低下に反比例して体重が増加。次のシーズンに向けた準備はもうしっかりしておかないと、また怪我に泣かされることになるので...。 そんな僕が今一番出場してみたいと思う大会は、「別府大分毎日マラソン」である。このマラソン大会に出ることが、自分がマラソンというのを始めてみたときの一つの大きな目標になっているような気がしている。(3月には「びわ湖毎日マラソン」というのもあるけれど、あちらは2時間30分以内でフルマラソンを走れることが出場資格。そんなの無理に決まってるべ。) 「別大」は残念ながらリオ五輪の選考レースにはなっていないものの、世界陸上の選考レースともなるこの大会、ゴールまでの制限時間が3時間30分以内に設定されているほか、各ポイントの関門もかなり厳しい設定となっている。 当然のことながら、出場資格もハードルの高いものに設定されている。
20歳以上(1996年2月7日以前の出生者)で、フルマラソン3時間30分以内の記録(2014年1月1日以降。グロスタイム。日本陸連公認またはAIMS公認コースでの記録)を持つ男女の競技者
僕の場合、一昨年から日本陸連に登録していた(というか、別大の出場資格を得たかったので登録した)ことにより、必要最低限の出場資格を得ており、実は昨年春から虎視眈々と出場することを狙っていた。(事実、昨年の4月に異動したばかりの職場でも「2月の別大に出ます。」と宣言していたことを今だから明かそう。) ...が、しかし。 今年の開催は2月7日。タイミングがあまりに悪すぎた。 その日のうちに帰れるのならまだしも、翌8日に青森に帰ってくるとなると、10日に都内で開催されるフォーラムの準備のため9日から上京しなければならず、超ハードスケジュールとなることは火を見るより明らか。 九州まで遠征するにはあまりにもタイミングが悪すぎるため、早い時点で出場を諦めた。 今年もまた、スピードに磨きをかけたランニングクラブのステイヤーの面々が勝負の地・大分へ向かう。正直言うと、僕も出場してみたい。出場して、自分の実力を試してみたい。足切りを食らってもいい、逆にそれが励みになるはずだから。 そういう思いがどんどんどんどんどんどん湧いてくる...。 いつか、自分の手でその機会を掴み取ろう。そしてそれまでに、しっかりと脚を作ろう。きっと願えば叶うはず。 そのために何をしなければならないか。うん、そうなのだ。そういうことなのだ。 来年以降に向け、最終的な目標は既に決まっている。 ええ、こうなったら一皮剥けますよ。ビックリするぐらい剥けてやりますよ。 _20160205_153558