2016年6月 5日

【盛会御礼】青森●日の丸扇子隊Presents プリンス追悼会を開催しました。 #Prince #RIPPrince

時々思うことがあります。 同じ日本の中で、青森っていったい、どういうイメージを持たれているんだろう、って。 どちらかと言えばネガティヴな印象の方が強いんですかね。 寒い。遠い。田舎。日本語が通じない。実は円が使えない。そもそも何もない。人間が暗い。テレビがない。ラジオもない。お巡りさんが毎日グールグルしている。 ...うん、半分は当たりかな。完全に外れもいくつかあるけどね。 そりゃ都会となんか比較にならないのかも知れないけれど、でも、青森じゃなければ味わえないものだって、たくさんあるんだぜ。 4月21日に衝撃のニュースが世界中を駆け回ってから、日本国内でも追悼に向けた様々な動きがありました。過去の映画の映画館での再上映、プリンス・パーティー(通称「プリパ」)と呼ばれるイベントの開催をはじめとするファンの集いが最たる例。 でも、それだけのために青森から足を運ぶというのは、実は結構大変なのであります。それは、時間的にも金銭的にも。...だったら青森でやればいいべ。うちらには土台があるべ。 なぜ仙台でもなく札幌でもなく、青森なんだろう、と訝しがる声が聞こえてきても不思議ではありません。 所詮は青森、たかが青森で何ができるっていうんだ? 数の中には、そういう見方をされていた人だっていたかも知れません。 MCを置かなければならない?DJがいなければならない?ダンススペースがなければならない? いやいや、そんなことはないでしょう。その気になれば、誰かの家にファンが集まって彼について語らう。僕はこれでも十分「イベント」として成立していると思うんです。 彼が亡くなってすぐに、プリンスの誕生日の直近の休前日である6月4日の土曜日にこの企画をやろうと思いつきました。僕たちにとってプリンス最後のライブとなった仙台で一緒だった佐藤さんと舘山さんに声を掛けたところ、水面下で話がトントン拍子で進んでいきました。 「プリパとはこうでなければならない」という定義は、所詮あってないようなもの。だから思ったんです。 うちらはうちらがやれる内容、楽しめる範囲でやろう、と。それが「AOMORI Style」なんだ、と。そしてどうせならば、他ではなかなかマネのできない内容にしてやろう、と。 三人寄れば文殊の知恵ですよ。...自分で言うな、ってな。 僕はFacebookにイベントページを立ち上げ、絶対に来ることができないであろう全国のファン(それぞれの発信のツールを持ち、かつプリンスファンの間でも有名な方々)も含めて招待。あれから10年以上の月日が経ち、実は青森県内に熱いファンが潜在的にいることを、僕は知っていました。だから、そういう方々にも是非来ていただこう、と。 佐藤さんはイベント全体の企画と構成に着手。何やら色々仕掛けを考えたようです。 この日会場を貸してくださることになった、青森市安方にある「大衆酒場コンフィ」の店主でもある舘山さんは、当日提供する料理メニューの検討に着手。 僕は、小出しに情報を発信しながら、見ず知らずの人が単独でやってきても楽しめるような雰囲気をどう作り上げればいいかを考えつつ、国内外から追悼本などの入手に着手。 この間、TUNAさんやDr.FことTakkiさんには本当にお世話になりました。この場を借りて御礼申し上げます。 さて、こうしてそれぞれがそれぞれの思惑で作業を進めていった結果、何とか開催日を迎えたわけですが、前述のとおりDJもMCもいないイベントは、果たしてどうなったのでしょう。 では、これが青森なんだよ、というのをご覧いただきましょう。 DSC_0479(壁一面プリンス) DSC_0480(追悼本など。一部は販売。) DPP_0005(トイレのディスプレイ) DPP_0009(ワイングラスと、アフロ) まず、参加者は13名で全員青森県人。女性3名男性10名という構成でしたが、個人的には女性3名の行動力とバイタリティに圧倒されました。造詣が深すぎます。オレの知らないプリンスをたくさん知っておられた。ちなみに青森県にはもっとディープなファンがいます。でも、なかなかこういう場には出てこないので、こちらから押しかけてやろうと思っていますが。 19時過ぎに佐藤さんが開宴を告げ、僕から今回の経緯と青森●日の丸扇子隊の馴れ初めとこれまでの歩みを簡単に説明した後、村岡さんの発声により、不謹慎ながら声高らかに「献杯!」とグラスを天に掲げ、宴が始まりました。 基本的にはお手製の超(?)大型スクリーン(といっても白い模造紙を張り合わせたもの)に、佐藤さん編集のDVDを投影し、それを観ながら飲んで食べて談笑する、という感じ。無心で汗だくになってダンスすることもなく、まさに彼に対する思いをそれぞれが語らうという場になりました。 そして、これぞ「AOMORI Style」。 舘山さん考案の料理はなんと、全てプリンスの曲名が付いています!ほかの地域の皆さんには申し訳ないけれど、これはなかなか真似ができるものじゃないと思います。ちなみにこの日の会場としてジャックした「大衆酒場コンフィ」は女性客も多い人気店で、なんとこの日の貸切りのせいで、約25名の予約を断ったそうな...本当に申し訳なかったです! ちなみにこれからその料理をご紹介しますが、そのほとんどがメニューにない料理ばかりだということで、まさにワン・アンド・オンリー! それでは、舘山さん渾身の料理を、ご本人の解説とともに紹介します。 【CREAM】 白レバーのクリームペースト&クリームチーズとアンチョビのディップ。 DPP_0011 【KISS】 紫色のセロリのピクルス。紫キャベツの色素をワインビネガーで抜いてセロリを漬け込みました。 DPP_0008 【7】 7種類の有機野菜とイタリア産プロシュートのサラダ。 DPP_0014 【Endorphinemachine】 覚醒系ガーリックシュリンプ。滋養強壮に良い沖縄の紫芋のお塩を使いました。 DPP_0007 【Mountains】 むつ湾ベビーホタテの瞬間スモーク パープルスティック(紫人参)のマリネと パープルスプラウト添え。 DPP_0016 【Batdance】 骨付きチキンのコンフィ&紫マスタードソース。小悪魔風のソースをカシスマスタードでアレンジ。 DPP_0010 【Raspberry Beret】 洋風モツ煮込み。5種類のトリッパ(モツ)をラズベリーとデミグラスソースで柔らかく煮込みました。 DPP_0061 【Paisley Park】 ガーリックトーストをペイズリー柄に見立てました。 DPP_0062 【Purple Rain】 ドライ紫蘇パウダー、紫玉ねぎ、紫キャベツと紫色に染めた昆布を使った和風パスタ DPP_0063 今回はエントリー料が5,000円と、他の地域にはないぐらい高めの価格設定だったのですが、なぜ高かったのか、これらの料理の質でお分かりいただけたのではないかと思います。むしろ安いぐらいでしょう? 19時にスタートし、結局23時近くまで騒いでいたんですかね、なぜか普通であればどこかの家で観るような結婚式の余興DVD(でも、これがみんな大爆笑だった)を観た後、最後はTUNAさんから提供されたDVDを観ながら、この日の宴に幕を下ろしました。(...といってもその後、2次会の会場となったソウルバーに10名も押しかけ、午前2時頃まで飲んで語っての大騒ぎでしたが。) DPP_0075 僕らはイベンターではないし、所詮は素人集団。だからこそ、どちらかと言えば参加した皆さんが和気あいあいと楽しめる環境、場の雰囲気を作り出し、僕らも一緒に楽しみたいと考えていました。お手製のポスターを持参したり、書籍やCD、DVDを持ち寄ったり。最初から手探りの中で始めた今回の企画でしたが、終わってみると参加した皆さんが楽しんでくださったようで、それだけでも十分なんじゃないかな、と思いました。 「青森で何ができるんだ?」と思われた方も、きっと一部にはおられたと思いますが、どうでしたか?いい意味で期待を裏切られたでしょう(笑)。まあ、青森はいつもこんな感じです。きっとこれからも、この姿勢は変えない、変わらないと思いますし、こんな感じでやるんだと思います。しつこいけどもう一回言います。これが青森なんです。It's AOMORI Style なんです。 次回はいつになるのかわかりませんが、興味がございましたら、是非一度遊びにいらしてくださいね。お待ちしてまーす! DPP_0105

2016年6月 3日

【いよいよ明日開催】青森●日の丸扇子隊Presents プリンス追悼会

NHKより。
ことし4月に亡くなった歌手、プリンスさんの死因について、アメリカの検視当局は、鎮痛剤などとして使われ、日本では麻薬に指定されている薬物フェンタニルを過剰摂取したことが原因だったと発表しました。 世界的に活躍した歌手のプリンスさんは、ことし4月、アメリカ中西部ミネソタ州の自宅で亡くなっているのが見つかりました。 死因について、地元の検視当局は2日、鎮痛剤などとして使われる薬物フェンタニルを過剰摂取したことが原因だったと発表しました。フェンタニルは、医療現場で鎮痛剤や麻酔薬として使われる薬物で、効き目が強く、日本では麻薬に指定されています。 プリンスさんは亡くなるおよそ1週間前、体調不良を訴えて医療機関に運び込まれ、代理人などは「インフルエンザが原因だった」などと説明していましたが、薬物の過剰摂取を疑う声が上がっていました。 アメリカでは、医療用の麻薬の乱用が大統領選挙に向けた候補者選びでも議論されるなど、大きな社会問題となっていて、今回、プリンスさんが薬物の過剰摂取によって死亡したことが明らかになったことで、薬物の規制を巡る議論にも影響を与えそうです。
ああ、そうですか。だから、何?といった感じ。あまりに痛いのでついつい鎮痛薬をたくさん飲んでしまった、そうしたら命を落としてしまった。...感情のこもっていない言い方かも知れませんが、端的に言えばそういうことですよね。 ここぞとばかりに「日本では麻薬に指定されている」というのをやたらと強調しているのが、凄く気分悪い。プリンスの死をネタに大統領選の議論にするって?ジョーカー...いや、何とか候補には語って欲しくないですな。実に感じが悪いぞ国営放送。 それともあれですかね? 「プリンス=ジャンキー」だというイメージを植え付けたいのかな。 だとしたら違いますよ。 「プリンス=ファンキー」。言葉を取り違えないように。 さて、なぜか青森という地で行われるプリンス追悼イベントが明日に迫りました。主催者の気合いがハンパなく、非常に個性的かつ特徴的なイベントになりそうです。それが青森らしいかどうかは、ともかくとして。 例えばアレとか、ナニとか、××とか、もう言いたくてウズウズしているんですが、明日のイベントが始まるまで絶対言いません。恐らくこういうのは、全国には他に類を見ないんじゃないかと思っています。 「青森、すげえじゃん!」というよりも、「青森のイベント、次は行きたい!」と思わせるような、そんなイベントになることを個人的には願っています。 ちなみに私はといえば、一応主催者の一人に名前を連ねていますが、強いて言えば裏方の文芸部門担当、みたいなものです。_20160524_224112 実のところ、主催者となっている3人はメッセンジャーでしかやり取りをしていないため、一体どんな会場になるのかは、当の本人それぞれの頭にしか入っていません。 なので、とんでもなくショボいものになってしまうのかも知れないし、単なる雑多なものになってしまうのかも知れないし、とんでもなく凄いものになってしまうのかも知れないし。 プリンスを勝手に応援する「青森●日の丸扇子隊」は、今まで内輪で2度集まったことがありますが、実はこういう改まった企画は今回が初めて。いや、改まったと思っているのは私だけかな...。 とにかく蓋を開けてみなければ分からないということで、プリンスの音楽が流れているオシャレな大衆酒場での語らいに期待よりも不安で一杯ではありますが、参加した皆さんに「また集まりたいね!」と感じていただき、そして、参加しなかった皆さんに「参加すれば良かった!」と地団駄を踏んでいただく、そんなイベントになることを期待しつつ。単なる内輪ウケになることだけは避けないと...。 会場:「大衆酒場コンフィ」(青森市安方2-17-8) 時間:19時スタート(予定では3時間程度) 会費:5千円(状況によって追加の可能性あり) ※会場は完全貸切、入場は完全予約制のため、当日突然の参加は御遠慮下さい。どんなものなのか参加してみたいという方は、4日午後12時までコメント又はメッセージ、プリーズ。 メッセージの送信先

2016年5月24日

青森市でプリンス追悼イベントを開催します。

プリンスがこの世を去ってから1か月以上が経ちました。僕の中では少しずつ落ち着きを取り戻しつつありますが、実は思っていた以上の衝撃だったようで、思い返してみると、この1か月間は何だかなあ、な感じでした。 しかし、いくら嘆き悲しんでも彼はもうこの世にいないという事実をしっかりと受け止めなければなりません。ファンの一人としてこの深い悲しみをいつまでも延々と引きずっているわけにも行かず、この先、彼の素晴らしさをどう周囲に伝えていくべきかという方向にシフトしつつあるのも事実です。 実は青森県内にも、熱くディープなファンがたくさんいます。 その一部、2002年のプリンス来日(奇しくもこれが最後の来日公演となってしまいましたが)の際に結成された「青森●日の丸扇子隊」という、名前からして怪しげな任意の集まりがあります。一見すると単なるマニアックな変態の集まりみたいなものですが、バーを貸し切ってプリンスの音楽オンリーの集いをやったり、青森市にあるライブハウス「クォーター」を貸し切り、たった11名でDVDパーティーを開催したり、地味ながらも世間の目に余るような活動を時々行っていました。 20021122(約14年前の恥ずかしい写真。穴があったら入りたい。) プリンスが日本に来なくなってから、我々の動きもしばらく鳴りを潜めていたのですが、今回のプリンスの訃報に接し、にわかにまた動き出し、何とあれよあれよのうちに色んなことが決まり、6月4日(土)に青森市内で追悼イベントを行うことが決定しました。 その名も、「青森●日の丸扇子隊Presents プリンス追悼会」 2016年4月21日に急逝したプリンスを偲びながら、皆さんと一緒にプリンスへの愛やエピソードを語り、飲み、喰い、泣き、唄い、そして踊るという、相変わらず全くまとまりのないイベントです。 とはいってもMCもDJも不在で、多分彼の功績を称えつつ、DVDや音楽を聴き、グラスを傾け、美味しい料理を口に運びながら、彼に対する思い出をまったりと語らう(そしてしまいには一部が踊り出す)というイベントになりそうです。 でも、このメンバーはあまり湿っぽいのが好きじゃないので、どちらかと言えば、これから先は彼のことを偲びつつも、みんなで笑って過ごそうぜ、といった感じで、前向きなイベントにしたいと考えています。 一応私も主催者の一人に名を連ねております手前、今日こうやって紹介させていただくこととしました。 ...が、しかし!実は諸々の事情により、参加可能人数はあと4名となっております。 日本全国のコアなプリンスファンの皆さまからも、今回の開催決定に際して激励のメッセージ、コメントを頂いており、変なことはできないな、と襟を正しております。 当日は、かつてインターネットを通じて販売されていたプリンス・グッズや日本で最後となったONAツアー・パンフレットの展示の他、プリンスを追悼して発刊された海外の雑誌などを展示することも検討しています。(ほんの一部ですが、希望があれば雑誌の販売も計画しています。) 会場:「大衆酒場コンフィ」(青森市安方2-17-8) 時間:19時スタート(予定では3時間程度) 会費:5千円(状況によって追加の可能性あり) なお、今のところ事前予約による申込みでのみ参加を受け付けており、当日は、飛び込みでの参加を御遠慮いただく方向となっておりますので、参加を希望される場合は、Facebookから私を探し出してメッセージを下さるか、この投稿にコメントいただければと思います。 先着4名、今ならまだ間に合います! ドンダバ?ワンドさカダッテプリンスのごどクチャベねが? 実は誰にも言っていないけれどプリンスが好きだという皆さん、いらっしゃーい!

2016年5月16日

プリンスの音楽アーカイブを整理してみた。

プリンスが突然この世を去ってから間もなく1か月。何となく落ち着かないというか浮ついているというか気もそぞろというか、平常心を保っているような素振りを見せつつも、明らかに精神状態に変調を来していたようです。 憩室炎になったのもそれが引き金だったのかどうかは、今となっては検証のしようがないのですが、多少なりの影響を及ぼしていたのでしょう(彼の死をきっかけに、確かに暴飲暴食暴言が過ぎた感が)。 プリンスが亡くなった、もうこの世にいない、彼のライブを二度と見ることができないという現実をどう受け止めたらいいのかよくわからないまま、時間だけは無情にも過ぎていきました。 この間、彼を追悼する動きが世界中に広がり、プリンスは本当に死んだんだ、という現実を徐々に受け入れざるを得なくなりました。 彼の死後、通勤時にはいつもプリンスの音楽が僕の耳の奥に飛び込んできました。一瞬だけ他のミュージシャンの曲を聴いていましたが、古い曲も新しい曲も、僕の耳の中は9割方プリンスが創った音楽で埋め尽くされました。ショックで聴けないという方もおられたようですが、僕はむしろ逆。彼がこの世のどこかにいることの当たり前から、もうこの世にいないことの事実を受け止めるべく、今もまるで何かを貪るように彼の音楽を聴いているという状況です。 とはいえ実は彼のアルバム、一聴した後にほとんど聴いていない作品が数枚あり、文字通り僕のCDライブラリの中で「お蔵入り」していました。が、彼の死を機に、やっとデジタルアーカイブすることにしました。 多分これで、彼のオリジナルアルバムと関連アーティストのオフィシャルアルバムは大体デジタルアーカイブが完了したのではないか、と。 ...ということで、今日はそのお話。 プリンスの功罪の一つとして、それまで日の目を見ることがない(あるいは、一生日の目を見ることがない)作品が相当数あったということが挙げられると思います。最も有名なのが、直前で発売中止、お蔵入り(数年後にオフィシャル盤として発売)した「Black Album」。しかし、発売中止となったはずの音源が世に流出し、「ブート盤(海賊盤)」として流通することとなり、西新宿界隈に多数あった「海賊盤専門店」が賑わいを見せることとなりました(かくいう私も、何度お世話になったことか…)。 その後もコンサートの音源やデモ音源など、彼のブート盤はオフィシャル盤(契約レコード会社を通じて発売された正規の作品)をしのぐ勢いで一つの市場を形成してしまうのではないかというぐらい、様々な音源が流出しました。 しかし彼はそれを逆手に取り、「ブート盤」をオフィシャル盤として販売するという手法に出ました。その最たるが「Crystal Ball」。僕は海外でしか発売されていなかったこの作品をどうしても入手したくて、電話回線でのインターネットが普及し始めた頃に弘前市民体育館で行われたITフェアに出向き、その一角にあった「インターネット体験コーナー」のブースに潜入、不慣れな英語のサイトに四苦八苦しつつインターネットに接続されたパソコンを約30分も占拠し、ようやく公式の販売サイトに辿り着きめでたく購入手続きを終えました。ところがそれから数ヶ月後、ようやく自宅にCDが届いた頃には、国内でのCD販売が既に始まっていた、ということがありました(でも、透明なジュエルケースに入った5枚組のCDは、海外からインターネットで入手するだけの価値があったと思っています)。 さて、これまでプリンスファンを標榜してきた私ではありますが、実はこれまで手を付けていなかった(ほとんど聴いていなかった)CDが何枚か存在します。今般、まるで彼の遺品を整理するような気持ちで保有するCDをデジタルアーカイブへ変換する作業を行った結果、初デジタルアーカイブ(MP3化)完了となった3枚のアルバムを紹介したいと思います。 彼に対する思いは人それぞれ、色んな評価があると思います。これから紹介する3枚のアルバムに対する考えはあくまで僕の私見であって、当然のことながら全てのプリンスファンがこういう思いを抱いているのではない、ということだけは明記しておきます。 「Vault: Old Friends 4 Sale」(1999年) vault 1999年、大喧嘩をしていたそれまでのレコード会社「ワーナー」と決別するため、所定枚数のアルバムを発表することで早く契約を打ち切ろうと、消化試合のように発売された未発表音源の寄せ集め、と言われています。作品そのものの評価はむしろ高く、このアルバムが好きだという人も多いようです。 が、なぜか僕、このアルバムはあまり聴く気がしませんでした。「聴く気にならない」思いを今まで引きずっていた理由は、正直僕にもわかりません。ただ、何となく「投げ売り」というか「やっつけ仕事」的な感で発表されたことに対し、このアルバムそのものが本意ではない中で制作された、つまり彼としてはこんな作品は発表したくなかった、という思いがあるのではないかという疑念が僕の中で燻っていたのは事実です。 「Chaos and Disorder」(1996年) chaos 1996年、これもまたワーナーとの確執の最中に発売されたアルバムです。制作期間は2日とも1週間とも言われ、一発録りのようなノリも含め、これこそまさに「やっつけ仕事」と評されました。「1999」のレコードを踏みにじるジャケットに表されるように、どこか暴力的というか乱雑というか、先に紹介した「Vault: Old Friends 4 Sale」と同じような環境下で発表された作品ということで、あまり聴かなかった(聴く気が起きなかった)のかも知れません。でも、今になって改めて聴いてみると、荒々しさの中にも彼のロックンロール魂を垣間見るとでも言えばいいのでしょうか、他の作品とは一線を画しつつも、当時のプリンスの心境(単なる怒りというよりも、理解してもらえないことへの悲観的な感情みたいなもの)が滲み出ているような、違う意味での「ノリと勢い」を感じる作品です。93年に発表されたビデオ「The Undertaker」を彷彿させるような感じ。 「Emancipation」(1996年) emancipation 前述のワーナーとの契約関係に終止符を打ち、「ワーナーからの解放」を機に発表されたアルバム。何と「Chaos and Disorder」からのインターバルはたった4か月!ちょうど私生活でも結婚という人生の転機を迎え、彼自身としては本当に幸せだったのでしょう。東京で行われたワールドプレミアのアルバム発表、ライナーノーツに記載された彼自身による楽曲毎へのコメント...。 うーむ...何だろうこの違和感。貴方本当に、プリンス? 3枚組36曲、しかもディスク1枚が12曲計60分00秒ピッタリの収録という統一感もさることなら、公私混同も甚だしいぐらいこの作品全体から漂う幸福感は、何かプリンスに解毒剤が打たれたような感じで、僕は素直に受け止めることができませんでした。いや、これもプリンスなんだけどさ。もっとおどろおどろしい「何か」に、僕は期待を寄せすぎてしまったのでしょうか...。 紹介の順番について年代が逆になってしまいましたが、プリンスの場合、契約上の関係で既に廃盤になってしまったアルバムがあります。今回紹介した作品にも、既に廃盤となっているものがあり、iTunes Storeでも発売されていません。また、そういうアルバムは中古市場を中心に高額で取引されるような状態が現在も続いているようです。 一方で、彼の未発表曲は毎年1枚のアルバムを出し続けても100年かかるというぐらいの量があるとも言われています。恐らく、全ての未発表曲が日の目を見ることはないにせよ、この先何らかの形で作品化されていくかも知れません。(ただ、海賊盤になってこの世に出回ることだけは避けて頂きたいです。) きっとそうやって、亡くなった後もなお我々ファンの心をくすぐり続けるのでしょうね。ちなみに、関連アーティスト(彼のレーベルであるPaisreyParkやNPGレコードのアーティスト)のオフィシャル作品もデジタルアーカイブを完了しましたので、当面はこれを聴きながら、彼を追悼したいと思います。 (参考:今回改めてデジタルアーカイブ化したアーティスト) Apollonia 6, Vanity 6, Carmen Electra, Jill Jones, The Time, Sheila E, Madhouse, Eric Leeds, Mazarati, The Family, Mayte, Mavis Staples, New Power Generation, Chaka Khan, Graham Central Station (最近の音源、Andy AlloとかBria Valenteなどはアーカイブ済み。特にPaisley Park関連では数名の漏れがありますが、僕がCDや音源を持っていないだけの話です。)

2016年4月22日

Princeが、死んだ。

既にニュースでも報じられているとおり、僕が最も敬愛するアーティスト、Princeが亡くなりました。57歳。 Prince_logo.svg 先日プライベートジェットでの移動中に体調が急変して緊急着陸、そのまま病院に搬送されたとか、インフルエンザを罹患していたとか色々報じられていました。直接的な死因は薬物の影響によるもの、という報道がありましたが、事実関係についてはまだ明らかにされていないことがたくさんあるので、推測だけで腹を立てたり嘆いたまま記事にするのはやめようと思います。 結局日本にやって来たのは、2002年の来日公演が最後。あの時は、全国各地をツアーで回るという大盤振る舞い、しかもファンクラブ優先席まで設けられ、僕も札幌と仙台での公演を観ました。 今だから明かすと、何で東京ではなく札幌と仙台だったのかというと、もちろん青森から比較的近いということもありましたが、恐らくファンが集結するであろう東京の会場では、いくらファン優先とはいえ、いい席で観るのは難しいだろう、という判断があったからなのです。その点、きっと札幌はいい席が確保できるはずだ、と。(実際最前列だった。) 仙台では、今でも伝説ともいわれるぐらいのステージを間近で観ることができたし。...結局そのZepp SENDAIで観たライブが、最後のライブになってしまいました。 でも、あの時もしも東京にも足を運んでいれば、僕のPrinceへの情熱は更に刺激されただろうし、今よりも大勢の仲間とも知り合うこともできたのかも知れません。 奇しくも、札幌の会場となった北海道厚生年金会館は「さっぽろ芸術文化の館」と名を変え、仙台の会場となったZepp SENDAIは解体、更に、札幌公演の後、アフターパーティーが開催されたディスコ(キング・ムー)もなくなり、言わば「思い出の場所」がなくなってしまったわけで...。でも、まさか本人までいなくなってしまうとは。いつかまた観たいという夢は、幻となって消えました。 マイケルが死んだとき、そして今年に入ってボウイが死んだとき、「いつかPrinceも死ぬんだよな」と朧気ながら意識していたのは事実だけれど、こんなに早くその日がやってくるなんて...。 でも、亡くなってしまったということは事実のようなので、冷静に受け止めなければならないと感じています。というか、本当に彼が亡くなったという実感がまだないんです。彼がそんなに簡単に死ぬなんて、あり得ない。死ぬはずがない、と。 なので自己分析すると、凄く悲しい中にも、彼の死を現実としてまだ受け入れられないような状態にあるんだと思います。 マイケル・ジャクソンが死んだときは、「King Of Popが死んだ。」と世界中から悲しみの声が上がりました。 実におこがましいですが、敢えて言います。 Princeの死は、「King Of Rock」ではなく、「King Of Music」の喪失です。 だって、彼がこれまで音楽業界に与えた影響は計り知れませんから。 --- 彼の音楽を本格的に聴き始めたのが、ちょうど今から約30年前。高校1年の時でした。Princeといえば「Purple Rain」と結びつけたがる傾向が多いけど、正直あの頃は未だ若造過ぎて、Princeの良さなんてちっともわからなかったし、むしろ気持ち悪いな、と思っていたのですが。NHK-FMの「クロスオーバー・イレブン」で彼の楽曲(それも12インチのリミックス盤)をたびたび耳にするようになり徐々に洗脳が始まり、その後小林克也さんがDJをしていた「ベストヒットUSA」で流れた「KISS」のPVで完全にやられました。だから僕が本格的に聴いた彼の作品は、「Parade」だったわけです。 それから約30年間、ハラハラもさせられたしワクワクもさせられたしドキドキもさせられました。 亡くなる直前まで決して止むことのなかった彼の音楽への情熱。まるで玉手箱みたいなアーティストでしたね。 前述のとおり、日本全国にたくさんの仲間ができたのも、彼がいたからこそ。(25年ぶりの再会、なんていうのもあったしね!) 心の支えの一つだったことは紛れもない事実。だから、その支えを一つ失ったことで、ちょっとバランスを崩しかけているかも知れませんが、今はただ「本当にありがとう」という言葉しか出てこないです。 We're suffering from a deep sadness and powerlessness NOW. So We don't forget that SOMETIMES IT SNOWS IN APRIL after the PURPLE RAIN. And We have to walk and run away from this deep sadness...It's like a PARADE. Ur music has always cleaned up my DIRTY MIND. U're THE MOST BEAUTIFUL Artist IN THE WORLD. U'll be living FOREVER IN MY LIFE. All funs will always KISS, FOR YOU!!! I don't say Good-bye but wave my hands for POSITIVITY. Thank U,Prince... I WISH U HEAVEN and... see U Again. 何をするにもいつも突然だし、唐突なことをされることに慣れていたつもりだけど、これはないわ。 貴方の代わりは、結局貴方しかいないんだよ。いくら何でも、これは酷いよ..。 仙台に向かう飛行機の中で見た、はにかんだような貴方の笑顔は一生忘れません。 ありがとう。本当に本当にありがとう。どうぞ安らかにお眠り下さい。ずっとずっと愛しています。 Rest In Purple... princeinstagram (本当に、このままフラフラ~っと逝ってしまったような感覚です。)

2015年12月15日

プリンス、「HITnRUN Phase Two」を突如発表!

あまりにも突然かつ唐突すぎる発表にビックリしてしまったんですが、この間の日曜日(日本時間の13日)、我が愛しのプリンス御大が僅か3か月というインターバルで、アルバム「HITnRUN Phase Two」を発表しました。 既に日本国内でもちょっとした話題になっておりまして、多くのブロガーの皆さんがこの内容に関する投稿を行っています。後塵を拝してしまいましたが、ちょっとだけ私も投稿させて下さい。 ...といっても今回も、前作「HITnRUN Phase One」同様に音楽ストリーミングサービスのTIDALから配信しており、日本国内で聴くことができるのは触りの30秒だけ。恐らくそのうちiTunesでの発表や、CDでの発売開始があるかも知れないので、期待しながら待ってみましょう。...と思ったらiTunesでの発売が始まったようで...仕事早いな、おい。 phasetwo 01 Baltimore 02 RocknRoll Love Affair 03 2 Y. 2 D. 04 Look at Me, Look at U 05 Stare 06 Xtraloveable 07 Groovy Potential 08 When She Comes 09 Screwdriver 10 Black Muse 11 Revelation 12 Big City 収録されているのは12曲ですが、うち半分は既発曲です。なので、新旧織り交ぜた何となくまとまりのない作品なのかな、と思いきやそうでもなく、古い曲でも新たなアレンジが施されているものもあり、むしろ楽曲に壮大感を増したというか、奥行きが深くなったというか、思わず「なるほどなあ...」といった感じを抱いてしまいます。そういう意味では、恐らく「Phase Oneよりこっちの方が好き」、というファンが多そうな気がしないわけでもありません。少なくとも僕はPhase Oneより好きかも。あ、でもこの2作は通しで聴くのがいいのかな。 ただ疑問なのは、確かに早い時期に「Phase Two」が発表されるのではないかという噂はあったのですが、何でこのタイミングなのかなあ、と。 そこで何となく頭をよぎったのが、11月に発生したフランスでの同時多発テロ事件のことでした。プリンスはその頃、欧州ツアーをスタートさせていたのですが、この事件を契機にツアーの予定を全てキャンセル(延期)してしまいました。 そのお詫びというわけではないにせよ、多少なりともあのテロ事件のことが彼の意識に何らかの影響を与え、急遽「Phase Two」の発表に至ったのではないか、という勝手な推測をしている一ファンです。それが、前述の「なるほどなぁ...」という感想に繋がっています。 前作のように突如国内盤の発売が決定、なんてこともあるのでしょうか。まあ、この辺は事情に詳しい方々に聞いてみないとわからないですけどね。 となると更なる疑問が沸いてくるのですが、当初噂されていた形態での「Phase Two」ではなかった、ということで、「Phase Three」も...って、それはないか。

2015年9月10日

Prince の新作「HITNRUN Phase One」と関連情報

電車に乗って青森に通勤している途中、目の前に立っていたちょっと可愛めなJKと目が合いまして、彼女がニコニコしながら何かを訴えたそうな顔をしているので、「お!ひょっとして俺もモテ期突入か?」と思って気取っていたら、股間のファスナーが全開になっていることに気づきました。 モテ期から一転氷河期突入。ホント穴があったら入りたかったです。   さて、生涯モテ期を驀進中、我らが愛しのプリンス御大。 昨年10月、4年ぶりに本人名義の「ART OFFICIAL AGE」(以下「AOA」と表示)とPrince & 3RDEYEGIRL名義の「PLECTRUMELECTRUM」という2作を同時発売し、その後もこまめに活動を続けていたんですが、突如「HITNRUN Phase One」なる新作を発表してしまいました。しかし、TIDALという、音楽プロデューサーのJay-Zが買収した定額制音楽配信サービスからの発表。 散々インターネットにダメ出ししていながら、結局また配信サービスを利用するだけじゃなく、よくみたら現在は入手困難な過去のnpgmc音源までアップされているし...。(KIDさん情報頂きました。ありがとうございました。) 最後の来日から既に10年以上経過しており、その間もいろんなアーティストが日本に出稼ぎに来ておりましたが、彼の場合はどうやらギャラが桁外れで招聘が難しい、というのが実情なんですかね。そこまで毛嫌いしなくてもいいのに、とか思ってしまうんですけど。 さて、そんなワケで日本ではまだ触りしか試聴しかできないはずの新作「HITNRUN Phase One」なんですが、そこはほらワタクシ、前回の来日を契機に知り合った全国のプリンス仲間に恵まれていることもありまして、あれがアレしてこうなって、ひとまず全曲通して試聴することができました。 収録曲は以下のとおり。 1."Million $ Show" 2. "Shut This Down" 3. "Ain't About to Stop" 4. "Like a Mack" 5. "This Could B Us" 6. "Fallinlove2night" 7. "X's Face" 8. "Hardrocklover" 9. "Mr. Nelson" 10. "1000 X's & O's" 11. "June" ジャケットを見た時点で、「これってAOAのパロディ作品かいな」と思ってしまったのですが、結論から言いますと、結局のところこれって前2作のアウトテイク集なの?みたいな感じ。1曲目は、デビュー作の配信を巡って大手レコード会社と揉めることとなったJudith Hillをフィーチャー。この他にもゲストアーティスト(それも若いオネエちゃんばかり)が参加していて、また何か企んでいるのかしら、と詮索してしまいます。既発の曲のリミックスとか、あれー?この音聴いたことあるなー...っていうツッコミどころが満載で、それはそれで楽しいと言いましょうか何と言いましょうか...ハイ。 Prince Inks Exclusive Deal With TIDAL To Release Much Anticipated New Album, HITNRUN. Release Date Set For September 7th, 2015 (PRNewsFoto/TIDAL) artofficialage1500 (ちなみに上がHITNRUN Phase Oneのジャケット、下がAOAのジャケット) 直近の彼の作品って今ひとつしっくり入ってこないというか、いい曲と捨て曲がハッキリ分かれているというか、そんな印象を勝手に抱いておりまして、正直申し上げると新作が急に発表されるといわれてもあまり期待は持てなかったワケです。 その予想は今のところ当たっておりまして、正味40分弱、ほぼ切れ目のない11曲が、まるでBGMのように流れていきました。まあ、これから聴き込んでいけば「いいじゃん」ってなるのかも知れませんが、「いいじゃん」ってなる前に飽きが来そうな感じ(笑)。例えていうならば、やっつけ仕事で発売した「The Vault」とか「Chaos and Disorder」みたいな印象。(しかしあちらの方が捨て曲は少ない、と思う。) 多分、EDMの流れを汲むことによって、ファンクでもロックでもない、「中性」音楽みたいな仕上がりになっているのが、しっくりこない一番の理由なのかも。(EDMを否定するつもりは毛頭ありませんので念のため。) もっとも、そもそも何でこのタイミングで発表したの?というのが一番の疑問なんですけど、何かあるんでしたっけ? まあ、そのうちCDでの発売も予定されているみたいなので、何だかんだ言いながらも取りあえず入手はしておきたいな、と思うところ。更に、噂では「Phase Two」が近々発表されるとの情報もありますが、Phase Twoとなりますと「Phase One」から更に漏れたセカンド・アウトテイク集みたいな感じで、一体どんな作品なんだろう、という興味があります。しかし、こちらもきっと予定通り噂の域を越えることなく立ち消えするんでしょうな。 一方国内に目を転じますと、何と「プリンス論」なる新書が発売されます。著者は「ノナ・リーヴス」のシンガーで音楽プロデューサーなども務める西寺郷太氏。プリンスのデビューから直近に至るまでを6つの章に分類し、240ページにわたって分析を行うという内容。 もう、好きな人にはたまらなくて、興味ない人には「何のこっちゃ?」という書籍になること間違いなし! 是非貴方の本棚に一冊飾ってくださいまし。17日発売。 そして、「WOWOWぷらすと」では、14日の19時30分から、その西寺さんがMCを務め、出版記念の番組を生配信。ゲストに吉岡正晴さんを迎えて、「プリンス論」にまつわる「プリンス論」が展開されるようです。 ちなみにここだけの話ですが、私のお友達もシークレットゲストで登場するらしいです。(お友達、というのは図々しくもあり、おこがましい気もするのですが...。) WOWOWプラスト というわけで、にわかに彼の周辺がまた騒がしくなっておりますが、これから一体どういう方向に進んでいくことやら。ファンはここしばらくまた目が離せなくなりましたな。

2012年11月23日

10年前、2002年11月22日、仙台での出来事。

昨日の続き。
こちらも古いサーバーに残っていた内容。改めて読み返すと、いかに自分が興奮していたかがわかります。では、10年前にタイムスリップ...

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11月22日(金)。8時に目が覚める。降り続いた雪は止んだようだ。再び札幌駅から移動し、新千歳空港11時45分発の全日空722便仙台行きに乗り込むわけだが、前日の興奮冷めやらぬ僕、何を血迷ったか9時過ぎにチェックアウト、9時25分発の新千歳空港行き快速に乗り込んでしまった。

「あ、充電器忘れた...」
昨日朝から晩まで酷使した携帯電話の充電器をホテルに忘れたことに気づく。まぁ、前の機種のヤツだからいいか...どうせ同じヤツあるし...と諦め、10時に空港に到着。逆算しても、あと1時間30分を空港で過ごさなければならない。とりあえず、チケットを受け取り、1階到着ロビーの脇にあるファーストフードにて朝食を兼ねて時間を潰す。しかし、結局30分しか持たなかった。「しょうがないか...」と搭乗ゲートに向かう。

「キンコ~ン」

お約束の反応...。はいはい好きにしてくださいな。外を見るとほとんど雪もなく、雲の切れ間から青空が見える。札幌とは別風景だ。6番搭乗口に向かい、椅子に腰掛けると同時に睡魔が襲う。普段の平均睡眠時間7時間の僕としては、この睡眠時間は結構辛いものがある。うとうとしながら時計を見ると、11時だった。「あと30分か...」

とその時、一人の外人がペロペロとソフトクリームを舐めながら僕の側を通った。

「...ん?」

慌てて後ろを振り返ると、そこには...。

ソフトクリームおじさんは、何とEric Leeds!そして、僕のすぐ後ろにはPrinceを除くバンドメンバー全員が座っていたのだ!一発勝負が見事的中した。当初、朝一番の便で仙台に向かい、早い時間からZepp SENDAIに並ぶことも考えたのだが、Princeと一緒の空の旅を楽しめるかも...ということで移動時間を予測し、この便に照準を合わせておいたのだ。更に、恐らくこのような大物アーティストは最後に搭乗し、最初に飛行機から降りるに違いないから、前の方に座るはずと予想し、事前になるべく前の座席を指定していたのである。

「こ、これは何とかせにゃいかん!」

ふと、出発前にどういうつもりかカバンにマジックを忍ばせておいたことを思い出した。あとは、何に書いてもらうか...あ!CD!昨日購入したDays Of WildのCDを取り出す。これだぁ~!!と自分の豊かな発想力に感謝する。
しかし、貧困なボキャブラリが災いして、英語が出てこない。ええと...「ク、クッジューギヴミーユアサインプリーズ?(Could you give me your sign,please?)」
合ってるのか間違いなのかは定かではないが、とりあえず意味は伝わるはずだ。
何度も口の中で反復し、Ericに近づく。
「エ、エクスキューズミー、ミスターエリック?」
「Ya.」
「ク、クッジューサインプリーズ?(練習の成果全くなし)」

...とマジックとCDを差し出す。するとEricは「Oh!Ya!」といって僕からマジックとCDを受け取り、すらすらとサインしてくれたのだ。う、うおぉぉぉぉぉぉ!!!

緊張と興奮で手が震え、「サ、サンキューベリーマッチ」というのが精一杯。Ericはニコニコしながら荷物のある方へ向かった。よぉし。ここまで来たら、貰える分もらってやるぅ。
野望が生まれ、あとはタイミングを待つ。ところがご一行様、ガードの堅さもさることながら、なかなか近寄りがたい雰囲気を醸し出している。何も知らずに口を半開きにして彼らの隣で寝ているサラリーマンが羨ましかった。Maceoが立った!チャンス!再びマジックとCDを持ってアタック。「ク、クッジューサインプリーズ?」するとMaceoは何も言わずに僕からマジックとCDを受け取り、どこに書こうかなぁ、という表情を浮かべながら、「Maceo」と記してくれたのだ!嗚呼、もう一生モノの家宝!ありがとう、EricそしてMaceo!

11時35分。飛行機への搭乗案内が始まる。き、きっとPrinceも現れるに違いない...。メンバーの様子を窺うが、そんな素振りすらない。こりゃ別便かなぁ。ふと見るとメンバー始め大半の客が既に搭乗しようとしている。客室添乗員とのやりとりか、トランシーバーからは「あと6人です」と聞こえてくる。「ダメか」と思いチケットを通し、飛行機へ向かう。
ふと後ろを見ると...デカイ黒人ボディガードの後ろから、紛れもなくPrinceが歩いて来る!白いニットキャップに白の衣装を身に纏っている。思わずガッツポーズ。
「や、やった!!!」

歩く歩調を緩めるが、向こうもこちら(=一般客)の動向を窺っているような感じだった。結局僕とPrinceの距離は約5mほど離れたまま、飛行機に搭乗することになった。

僕の座席は「8E」である。機内は通路が2本あり、左の窓側からA,B列、通路を挟んでC,D,E列、そしてまた通路を挟んでF,G列となっている(すいません、座席表があればわかりやすかったんですが、ちょっと見つけられなくて...)。とにかく、僕の予想は大当たりだった。昨日嫌な予感ばかり的中したことなんぞ全て吹っ飛んだ。そして自分の強運に感謝した。
と同時に、ここで全ての運を使い果たさないよう祈った。既に座っているメンバーの席は予想通り「8」列より前であるが、全日空には「6」列がないため、実質僕の席から最前列までは6列(1~5,7)しかないことになる。Maceoは2列目、Ericは3列目、Rhondaは4列目に座っており、僕のすぐ前には興行の関係者と思しき4名が座っていた。Princeはどこに...と思ったら、奥さんが1Fに、そしてPrinceは1Gに座った。同じ通路側で、ちょうど僕の席から、白いニットキャップを被った彼の頭がちょこんと見える。すっかり眠気が覚めた。これから1時間10分、Princeはじめバンドメンバーとともに、仙台を目指すのだ。「こっち向いてくれないかなぁ」と思ったが、一向にこちらを向く気配はない。

機内では、ちょっとしたハプニングが発生した。荷物が多かったため、Rhondaと一緒に座っている女性(マネージャーなのかよくわかりませんが、以下「マネージャー」と呼びます。)の荷物は通路を挟んだ僕の隣の女性の真上にあった。程なく、女性がしきりに頭や服を拭いている。「どうしたんだろう...」と思いきや、スチュワーデスを呼び一言「上から何か水みたいなものが落ちてくる」。
スチュワーデスがバケットを開けて確認すると、女性マネージャーのものらしい荷物から何か垂れていた。日本人関係者がスチュワーデスに呼ばれ、何やら話をしている。耳をダンボにして聞いていると、液体の正体はシャンプーらしい。結局被服の濡れた女性は空いている席へ移動し、マネージャーの荷物からシャンプーの瓶

2012年11月22日

10年前、2002年11月21日、札幌での出来事。

てっきりなくなっていたと思っていたデータが、以前利用していたサーバーにまだ残っていました。

今からちょうど10年前、札幌での出来事。一生忘れられない出来事。
当時書き上げていた修士論文より読み応えがあると思っています(笑)。

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11月21日(木)。緊張と興奮からよく眠れぬまま、その日の朝を迎えた。天気予報は「雨のち雪」。天気図の狭まった等圧線が西高東低の天気を示している。風が強いため、濃霧による欠航ということはなさそうだ。これから青森空港へ向かい、空路札幌入りする。外に出ると、やや強めの雨が降っていた。弘前から10時15分発の空港連絡バスに乗り、一路青森空港へ。空港へ近づくにつれ、雨は大粒の雪に変わっていた。

11時15分ごろ空港へ到着すると、出発ロビーには人が溢れ返っていた。この光景、東北新幹線が八戸まで延伸してもほとんど変わらないのではないだろうか。青森から新千歳へ向かう便は、新千歳からの折り返しとなる便なのだが、到着が遅れたため12時15分離陸の予定が、12時20分になるというアナウンスが流れる。「何てこった...」。はやる気持ちを抑えきれず、手荷物検査場へ急ぐ。

「キンコ~ン」。

お約束のように金属探知機が鳴る。僕が飛行機を利用する3度に1度はかならず反応が出るのだ。「恐れ入ります。時計、カギなどお持ちでありませんか?」思わず「金ならここに」と股間に指差ししそうになる。こんなところで冗談言ってる場合じゃない。とにかく急いでいるのだ。

結局ベルトが原因とわかり、無罪放免。搭乗待合室から外をみると、降り出した雪がどんどんあたりを白くしていくのがわかる。「やばいなぁ。離陸できるのかなぁ」一抹の不安が頭をよぎる。「お待たせしました。札幌便ご搭乗の方は2番ゲートへお進みください」ゲートをくぐり、機内へ向かう。ふと外を見ると、物凄い数の除雪車が出動中。

「いやな予感...」

やはり僕の嫌な予感は的中した。2500メートルの滑走路に一気に積もった雪を除雪する作業のため、離陸が12時45分頃になるという。機内は、7割方席が埋まっていた。気がつくと、僕の足は小刻みに貧乏ゆすりを続けていた。

そして12時45分、「時間どおりに」離陸―

新千歳空港までの所要時間は離陸から約30分少々である。この日、僕の悪い予感はことごとく的中。天気が悪いので揺れるだろうと思っていたら、着陸体制に入ったとたんガガガガァと激しい揺れに見舞われる。あとは無事着陸することを願うしかない...と思ったら、あっけなく滑走路に滑り込んだ。まさかバス移動では...と思ったら、予想通り飛行機は直接ターミナルに向かわず、バスで移動する羽目となった。「ま、しょうがないか...」

とりあえず到着した旨を札幌在住のD君に携帯電話で伝える。ここから札幌までは、JRを利用する。聞くと現在15分間隔の運行。時計を見ると、次の出発まで5分を切っている。ここでの15分はあまりに痛いと考えた僕は、なりふりかまわず新千歳空港駅へ向かうエスカレーターを駆け下りた。2分前に無事乗車、ラッキーなことに一人がけの座席を発見し座る。あとは、札幌に到着するのを待つばかりだ。

35分後札幌駅到着。出迎えてくれたのは一面の銀世界だった。路面は早くも凍結状態で、すっかり冬の装いである。僕が宿泊したのは札幌駅前にあるTホテル。12月14日で諸事情により閉館のこのホテル、インターネットで偶然5,000円であることを見つけ、即決したホテルである。とはいえ実は札幌のホテル事情はかなり良好で、ここより安くて新しいホテルがあるのを知ったのは、帰宅してからだった。

シングルなのにツインの部屋を用意してもらい、少しくつろぐ。前日、ちゃんと眠れなかったために睡魔に襲われるが、D君との待ち合わせ時間が迫っていたために部屋をあとにする。外気がキンキンに冷えることを「しばれる」というのだが、札幌はバッチリ「しばれ」ていた。

D君と合流し、北海道厚生年金へ向かう。ボジョレーヌーボー解禁日ということで、時間潰しのためにとD君がボジョレーを持ってきてくれたのだが、結局最後まで飲む機会はなかった。いや正確に言うと、2人とも約10年ぶりに彼のライブを堪能できるとあって、クールを装ってはいるものの内心バックバクで、それどころではなかったのかもしれない。

約20分近く歩いたのだろうか。まもなく厚生年金到着、と思ったその時、ふと目をやると、厚生年金の隣にあるホテルRの裏口に、「リムジン(もちろんキャデラック)」が停まっていた。ひょ、ひょっとして?と思わず二人とも足を止める。と、助手席に黒人(あとでPrinceのボディガードであることを知った)を乗せたそのリムジンはこちらに向かってゆっくり動き出し、ホテルの支配人や社員の方々が深々と頭を下げる。「こ、これってPrince乗ってるのか...?」と思ったその時、黒のスモークガラスの向こう側に、明らかに「彼」と思われる姿が。「お、おぉぉぉ!!」と思わず奇声を発する二人。意味もなく手など振ってみるが、全く反応はない。本当にすぐそこまでの距離なのに、なぜか信号で停止したりして、意外とゆっくりしたスピードで進んでいるため、すぐに追いつく。しかし、何もできない二人。結局そのまま、隣の厚生年金裏口にゆっくりとリムジンが消えていった。

15時30分頃厚生年金に到着すると、約30名ほどのNPGMC会員が既に列を作っていた。さすがに会場外では風邪をひいてしまうという配慮からか、既にロビーで待つ段取りが整えられていた。名前を告げ、封筒を貰う。ふと脇には、都はるみや角松敏生、さらにはワハハ本舗の公演ポスターが貼られていた。こういう会場でPrinceがライブを行うということに関しては、二つの考えが浮かぶ。一つは、観客動員が落ち込んだために、致し方なく会場を狭くしたこと。もう一つは、敢えて狭い会場にすることで、ファンとの距離を縮めること。実は来日前まで僕は、前者の考え方だったのであるが、東京での各公演、浜松での公演内容を知るうちに、Princeは明らかに後者の考えを持って公演に臨んでいることを確信していた。座席表に目をやり人数を数え、自分の座席がどのあたりになるのかを計算。これから起こる10年ぶりの再会に心躍らせながら、静かにその時を待つ。

スタッフの事前説明によると、ステージ上椅子が並べられてあるので、順番に座ってもらい、そこでサウンドチェックを楽しんでもらうということ、ステージ上からメンバーが下がるまで、椅子を立たないで欲しいということなど、いくつかの注意が与えられる。そして16時30分頃、突如ホールのドアが開く。順番に入場

2012年6月 9日

プリンスと私(2)


5回シリーズでお届けする予定だった「プリンスと私」ですが、低視聴率のため今回での打ち切りが決定しました。ということで、ここから一気に駆け足で遍歴を辿って行きたいと思います。 さて、正座をして聴き終えた「パレード」を手に、何か言葉では上手く説明できないぐらいの昂揚感を覚えてしまった僕。 プリンスを見る目が変わった瞬間でもありました。 ...ということで、プリンスファンのキャリアとしては全然薄っぺらいのですが、ここから基本的にプリンスを軸とした音楽遍歴がスタートしました。 ...といいつつ、僕がプリンスのCDを初めて購入するのは、この後更に遅れてからの話になります。一番最初に購入したプリンスのCDは、何とあの「BATMAN」のサントラでした。それも、黒い缶に入った限定仕様のもの。当時、「パープル・レイン」すらもまだまともに聞いていなかったというぐらいまだまだ薄っぺらなファンでした。 結局大学に入学した後、大学生協の割引制度を活用して、デビューアルバムから「ラブセクシー」までのアルバムを段階的に購入したわけですが、大学2年になった1990年に、プリンスが来日することを知ります(89年の2月にも来日していますが、当時受験まっただ中の身分で行けるはずもなく...)。そして遂に、初めて生のプリンスを東京ドームで目の当たりにしたわけです。 この時同行したのは、大学進学のため札幌に引っ越していたY君。実はチケットを取ってくれたのも彼でした。 何せ大学生になり立ての身分でしたので、バイト代で稼いだ小銭を全てつぎ込んで意気揚々と上京、東京から出発したオレンジ色の電車に乗って水道橋を目指すという失態もありましたが、人生初の外国人アーティストのコンサートを生で体感し、ますますその虜になってしまいました。 ちなみにこれまで僕が生でプリンスのコンサートを体感したのはたった4回のみですが、とりわけ2002年の来日公演、札幌と仙台公演は感動的だったなあ...(遠い目)。 他のプリンスファンの方からは「もうその話はいいよ。」と言われそうですが、この札幌公演は、久しぶりに再会したY君に僕からのご恩返し。 インターネットを通じて登録したNPGMC枠を利用して、北海道厚生年金会館の最前列を確保、しまいには他のファンの方々とともにステージに上がり、至近距離からプリンス本人を拝むという経験をさせて頂きました。 更に翌日の仙台公演では、移動時の飛行機でプリンスご一行様と一緒になり、約1時間にわたって機内のプリンスはじめツアーメンバーの行動を監視(ほとんどストーカーですね、こうなると。苦笑)、仙台公演ではこれまた同行したSさんが、プリンス直々のご指名でステージに登壇するという快挙を果たすこともできました(青森県人をなめんなよ!みたいな。笑)。 この頃には全国各地のプリンスファンとも交流を深めるようになり、僕なんて足元にも及ばないようなディープでコアなファンが全国にたくさんいることを知りました。 皆さん、これからもよろしくお願いしますね。 そんな中で一番の驚きは、幼い頃に家族ぐるみのお付き合いしながら、20年以上も前にほぼそのご縁が途絶えてしまった方と、プリンスを通じて再会したことでした。この時ばかりは、あまりに劇的すぎる奇跡的な再会に、本当にプリンスファンを続けていて良かったな...と思いました。 さて、プリンスの話を始めると多分尽きないと思うのですが、そろそろまとめますか。 プリンスのアルバムに順番をつけるとすると、やはり聴き始めた前後のアルバムになるのかな。まぁ、これに関しては皆さんそれぞれ好みがあると思うのですが..。 まずは「パレード」。これは言うまでもなく僕が一番最初に聴き通したアルバムということで。 続いて「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」。アメリカが収録されているアルバムではありますが、プリンスの名を世界に知らしめることになった「パープル・レイン」の次のアルバムとして発表されたにもかかわらず、全く趣の異なるバラエティに富んだアルバム。僕はリアルタイムでは聴いていないのですが、「パープル・レイン」の続編に期待を寄せていた人たちからすると、ビックリするような内容だったんでしょうね。 そして「サイン・オブ・ザ・タイムス」。これは「パレード」の次に発表されたアルバムですが、プリンスの懐の深さといいましょうか、ホントこの人って凄いんだな、ということを思い知らされたアルバムでした。 しかし、彼が来日する日は来るんでしょうか?海外公演だと、ステージに近いチケットが300ドル以上、なんてこともあるようです。まぁ、それに見合う分だけのパフォーマンスをすることは間違いないでしょうけれど(何せ彼のコンサートの場合、毎回異なるステージ構成となるため、観て飽きるということがないのです)。 まぁ、チケットが幾らになろうとも、来日すれば行っちゃうんですよね、きっと。 どれだけ首が長くなるのかはわかりませんが、いつか日本に来る気になるのを、じっと待ち続けていたいと思います。