2004年12月 1日

自殺を考える皆さんへ

今日から師走。そろそろ一年を総括したいところですが、重苦しい話題を。

昨日一日、仕事で下北半島(最近は原子力半島と呼ばれつつありますが...)の中心、むつ市へ行ってきました。制度資金の償還延滞者に対する面談の予定だったのですが、面談対象となっている会社の社長さんがその日の朝、亡くなったという事を知ったのは、面談会場に到着してからでした。

自ら命を絶った、とのことでした...。
この仕事に就いてから一番の衝撃だった、といっても過言ではありませんでした。

最近、「集団自殺」の報を毎日のように耳にします。何かに取り憑かれたかのように、連鎖反応を生み出している、そんな雰囲気さえ感じられます。

集団自殺を図る人たちは、「死の共有」を求めているような気がします。でも、「死ぬまで」の過程は共有できても、「死んだ後」は固有の問題なんだよ。違うかな?

少しでも自殺を考えた事のある人、そして今も自殺のことを考えている人へ。

どうして死にたいと思ったのですか?

自ら命を絶っても、残された人たちには無念な思いや悲しみしか残らないということ。そして、絶たれた命は、二度と戻ることはないということを再度認識して頂きたい。魂とか精神とかいろいろありますが、今日はそんなのは一切抜きです。

自ら死を選択するということは、生きていくことに限界を感じる、生きていくことが苦しい、生きていくことに意味を見出せない...その他いろんな理由があることでしょう。

でもね、よく考えてみて下さい。

例えば家で飼っていたペットが息絶えた場合。人間同様に彼らの命は二度と戻ることはありません。でも彼らは、死を全うするまで、精一杯生きようとしているではありませんか。
ペットは、自ら死を選びません。いや、選べないのです。だから、一生懸命生きているのです。

人間は、ペットより優れているから自ら死を選択できる。

でもその行為は、ペットにも劣る愚弄な行為である。

どうかお願いです。命を粗末にしないで下さい。

人間は修理可能な機械ではないのです。

部品や電池の交換で再び動き出すといった「モノ」ではないのです。

「死ぬ気で...」という言葉があります。

死ぬ気で頑張る。死ぬ気で生き抜く。

死ぬ気で頑張ったこと、ありますか?

死ぬ気で生き抜こうと思ったこと、ありますか?

自ら死を選ぶことほど勇気が必要なことはないかも知れません。

でも、なぜそこまで自分を追いつめるのですか?

家族、友人、いろんなところで接した人たちに悩みを打ち明けられないのですか?

自ら死を選んだ人たちにとっては英断かも知れません。

しかし。残された人から見れば、それは愚かで卑怯な行為でしかない。

自ら死を選ぶことほど楽なことはないでしょう。

でも、残された人たちがどれほど苦労するか、考えたことはありますか?

それでも死にたいという方へ。

あなた達がどれほど楽に死んでも、残された人には無念以上に苦労、そして迷惑が残るということを、肝に銘じて死んでいって下さい。

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