2012年1月 2日

祖母を見舞う。


僕の母の出身地は、秋田県にある旧北秋田郡合川町(現:北秋田市)。 正月といえば、小学校1年生の頃から一人で列車に乗って、祖母の家のあるこの地を訪れるのが常だったのが、結婚を機に足を運ぶ頻度が減るようになり、最近は数年に一度訪れる程度になった。 今年も元旦に母と妹が車で向かったのを見届け、僕と妻は家で留守番...のはずだった。 だが、祖母の具合が思わしくないことを事前に聞いていたこともあって、何となく心に引っかかるものがあった。 それを見透かしたのか、妻が一言。 「暫く行ってないんじゃない?行ってくれば?」 「うん...。」 行きたいと思う反面、向かったところで祖母は施設に入居していて不在。祖母に会える保証もなく、ただ酒を飲んで終わるだけじゃなぁ...という申し訳なさも心のどこかで燻っていた。 おそらく既に到着したであろう母に電話をして、探りを入れる。 そこで明らかになったのは、明日祖母の元を訪ねること、遠方に住む従弟妹が、「多分もう会えないだろうから」と帰省していること、祖母の家にいるのは伯父と従姉とうちの母と妹の4人だけだということだった。 これで僕の心は固まった。 「やっぱり行ってくるわ。」 母や妹たちには僕が向かうことを伝えず、時刻表を調べる。16時44分に弘前を出発する秋田行きの特急「つがる8号」に乗車して、鷹ノ巣駅で下車(17時39分)、鷹巣発角館行の秋田内陸縦貫鉄道に乗車(17時42分)すれば、17時59分には合川に到着することを確認。 ミッション開始。 16時20分過ぎに家を出発、妻に送られて弘前駅に到着。乗車券と特急券を購入し、3番線のホームに立つ。 程なく4両編成の特急「つがる8号」が到着。指定席の1号車、2号車が混雑している一方で、3号車、4号車の自由席はガラガラだった。 電車には平日ほぼ毎日乗っているが、特急に乗って秋田方面に向かうのは本当に久しぶりだ。 2012年元旦のミッション 心躍らせながらどうやってみんなを驚かせようかとワクワクしていると、電車は大鰐温泉、碇ヶ関、大館に停車した後、あっという間に鷹ノ巣に到着。 2012年元旦のミッション ここから、同じホームの反対側にある秋田内陸縦貫鉄道の車両に乗り換える。特急つがるを見送り、わずか1両編成の角館行き普通列車に乗車。 2012年元旦のミッション 乗降口には「後乗り前降り」と書かれている。 出発時間も迫っていたので慌てて乗車すると、乗客もまばら。車掌はおらず、運転手が窓からホームを覗き込み、運転席に座ると、何の前触れもなく発車した。 ふと電車の壁を見ると、落書きがされている。以前TBS系列で放映されたドラマ「IRIS」に出演した韓国人タレントのサインらしい。よく見るとポスターも貼られていたのだが、誰が誰だかさっぱりわからなかった(苦笑)。 鷹巣を出発した列車は、山間部を越えて行くため、非常にゆっくりしたスピードで進んでいく。途中駅で乗車してくる客はおらず、下車した乗客が2名のみ。国鉄阿仁合線が廃線となり、第三セクターという形で引き継がれ、その後角館と鷹巣を結ぶ全線が開通したが、沿線住民の減少やモータリゼーション社会の到来により、相当の赤字路線となっているらしい。個人的には、観光路線としてでもいいので、何とか鉄路を残して欲しいと思っているが、こればかりはどうなるかわからない。 さて、そんなことを考えているうちにあっという間に合川駅に到着。鷹巣を出発して最初の交換駅である合川駅。ホームの反対側には、黄色に塗られた1両だけの列車が止まっているのが見えた。降りる時に運転席のすぐ横にある料金箱に360円を投入。ドアを開けるボタンを押して下車。 その昔、たくさんの乗降客でごった返していた合川駅も、僕を含めてわずか2名しか下車する客がいなかった。 国鉄時代から変わらぬ駅舎に入ると、駅員はおらず、かつてKIOSKのあった店舗も閉まっていた。ぽつんとストーブが置かれていたが、火は入っておらず、寒々としていた。 2012年元旦のミッション 外に出るとタクシーが2台止まっていたが、客が2人しかいないことを目視すると、1台のタクシーはそそくさと出発してしまった。 駅から歩いて5分ほどのところに、祖母の家はある。こっそり玄関を開けて、「すいません、旅の者ですが、今晩一晩だけ泊めて頂けませんか。」 バレバレの帽子にマスク姿で顔を隠し、某テレビのまねをして参上! ...のはずだったのだが、何と玄関に鍵が掛けられている!ドンドン、と玄関を叩くも誰かが出てくる気配はない。致し方なく明かりのついている部屋の窓をコンコン、と叩く。 「え?何?何か音しない?」 カーテンが開かれる。申し訳なさそうに佇む僕の姿を見て、一同驚嘆の声を上げる。 一応これにてミッション完了。いやー、よかったよかった。 そして今日。 9時過ぎに祖母がいる施設のある旧北秋田郡阿仁町に向かう。 30分後、施設に到着。 正直、祖母に会うのは怖かった。多分それは、僕が知っている祖母ではなくなっていることに対することへの恐怖、といえばいいのだろうか、よくわからない。 祖母のいる個室に入ると、そこにいたのは、やはり残念ながら僕の知っている祖母の姿ではなかった。口から物を飲み込めなくなり、鼻に管が通されている。その姿に、涙は出なかったが、思わず息をのんでしまった。 こちらからの呼びかけに対して祖母は、うっすらと目を開けるが、焦点が合っていない。声を発することもできず、何か言いたいのか口をゆっくりぱくぱくと動かしているが、何を言いたいのかはわからない。 こちらの都合の良い解釈をするならば、「わかる、わかる」といっていたようにも見えたし、「ありがとう、ありがとう」といっていたようにも見えた。 看護士の方の話によると、昨晩発熱したが、今朝幾分落ち着いたこと、痰も絡むようになり、この先いつどうなっても不思議ではないこと、など...。 いずれにせよ、明日で95歳になる祖母は、その波瀾万丈の人生に幕を閉じる時期が近づいていることを悟らざるを得ないことを確信した。車いすが長かったこともあって足はまっすぐに伸びず、腕も曲がっている。小さかった祖母が、更に小さくなっていた。 実は祖母は、昨年暮れが近づいた頃にも一度体調を崩し、「覚悟しなければならない」ことを言われた。その後持ち直し、今日に至っているわけだが、母は祖母に話しかけながら、泣いていた。 ただ、個人的には祖母の姿を見て、いよいよ「その時」が近づいていることを母も確信したのだろうと、ちょっとだけ安堵した。 施設を後にする時にふと壁に目をやると、「お誕生日おめでとう 3日 95歳 清水キノさん」と祖母の名前が掲示されていた。 「明日、こちらで御祝いさせて頂きますから。」 施設の人の言葉に、グッと胸が熱くなった。 帰りの車の中では、皆無言だった。がしかし、多分同じことを考えていたんじゃないかと思う。 「その時」がいつになるかは誰にもわからない。願わくば100歳まで、とのみんなの祈りが通じてくれれば一番いいのだが、早く楽になって欲しい、という思いも交錯して、正直複雑な心境だ。 ...あ、正月早々こんな話題で申し訳ないっす。

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