2016年2月24日

無題

今日、高校時代からの友達に、最後のお別れをしてきた。いくら水泳で鳴らそうとも、病に打ち勝つことはできなかったらしい。泣くまいと思っていたが、最後に涙は勝手に流れてきた。 裏方のように子どもたちの教育環境の充実に尽力した友。病と闘い、志半ばでこの社会とお別れしなければならなかった彼の無念を思うと、やりきれない気持ちに包まれた。 彼が思い描いていた理想の社会像はわからない。だがきっと、今の社会は彼が描いていた理想の社会とは言えなかったはずだ。 未曽有の震災によりトーンダウンしたが、「社会が悪い」「世間が悪い」という都合のよい解釈で様々な悪行がまかり通っていた昨今。 …社会が悪い、の裏返しは自分が正しい、ってか?世間が悪い、の裏返しは自分は間違えていない、ってか? そんなことを口にするあんたらは、社会を変えるために何をした?世の中を変える手段は、何だった? 結局は自分さえ良ければいいんだよな。自分の住んでいるところがお花畑なら、その周りが焼け野原でも別に関係ない、ってことだよな。違うか? 年寄りは年寄りなりに、次の世代に何を残していくか振り返る。 若い奴は若い奴なりに、次の社会をどう築いていくか考える。 中間世代は中間世代なりに、次の一手をどう打つべきか思案する。 利己主義は捨てよう。隣人と、一言でもいいから話そう。 まずは、あんたが生きていることを示すために。 点と点を繋げば線になる。線と線を繋げば面になる。面の角を削れば、円になる。その円はきっと、縁になる。 日本は、昔みたいに家庭が幸せに満ち溢れた社会を取り戻す力があるはず。 みんながちょっとだけ勇気を絞れば、きっと素敵な社会ができる。僕はそう信じたい。

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